新橋から浜松町まで一駅散歩した。






新橋の街を捉えられたかというと、そうでもない。
都会の精神を捉えた写真を撮りたいもの。
量のない質はないというが、
量があっても、質を達成できるという保証にはならない。
それが写真だろう。
来年こそは・・・と思っているが、保証無き挑戦のようなもの。
納得できる作品は常にそのさきにある。
また、来年も沢山のフィルムを使い、まだ撮れないと嘆いているのだろう。
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- 2022/12/31(土) 10:18:51|
- 都会の景観 Tokyo
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季節はすでに冬の入り口。

いつものように、ヒマラヤ桜が開花していた。

広場には、晩秋の暖かな光が溢れていた。

ヒマラヤ桜と約束した分けではないだろうが、
池には越冬の鴨が渡ってきていた。

水面を落ち葉が覆い、渦を巻いている。

銀杏の葉が敷かれた散歩道を歩く。

秋から冬へ

季節は移っていく。
- 2022/12/29(木) 09:46:04|
- 散歩
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7月の中旬、二液現像法の開発に手を染め、
現像主剤液と促進液、現像条件を決めていった。
常用するフィルムを、Fomapan100、Rteo400S、Retro80Sの三種に定め、
最適な組み合わせのテストしてきた。
そしてようやく、ほぼ終了した。
従来の現像液との比較をし、二液現像法の利点、欠点もほぼ分ってきた。

あとは特徴を生かして使うだけ。
来年からは、作品作りの年にしたいと考えている。

あと何年間、写真を撮ることができるか?と考えると、
それほどの時間が残っていないことに気づく。
それまでになんとか、満足できる写真を撮りたいものと 思っている。
写真らしい写真を考えると、
35mmカメラの機動性はないが、
中判カメラも使ってみたい。
一本のフィルムに8カットしか撮れないが、
「美は細部に宿る」
プリントしたとき、圧倒的な美しさがある。
来年は、Mamiya Pressを 使ってみようかと 思っている。
- 2022/12/28(水) 10:43:10|
- フィルムの眼
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画家は表現したいイメージをキャンバスに描く。
歌人や文筆家は、詩や歌、文章で、表現したい悲しさや喜びを、文字にしたためる。
しかし、写真は、撮すべき被写体が無ければ、なにもできない。
表現法の自由度も限定され、独自性を出しにくい表現法だと思う。
話題になった写真集の、
撮影した場所に立ち、
写真家と同等のカメラを持ち、
同じようなフレーミングでシャッターを切れば、
同じような写真が撮れる。
でも、これは 盗作とは言わない。
「廃墟写真の訴訟」があり、著作権が争われたが、却下されている。
同じ場所で撮った風景写真でも、
唯一の作品として評価される写真もある。
例えば
アンセル・アダムズが撮影したヨセミテ公園のハーフドームの写真。
ここで彼は、写真による新たな美の創造をしていた。
そのくらい、圧倒的に美しく、存在感がある。
いま その場に立ち、アンセル・アダムズの構図で写真を撮っても、
新たな美の創造にはならない。
当たり前のことは評価はされず、作品として残らない。
写真を「自己表現(新たな視点の創造)」のレベルにまで高めるのは、なかなか難しい。
フィルム写真では、もう限界に達していて、
過去の手法を真似て焼き直した「新趣向」くらいしか 残されていないかもしれない。
(廃墟写真訴訟の現状は、それを物語っていると思う)
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自然教育園の秋をテスト撮影した。
往訪する人は多い。
誰かがすでに この植物を、この場所で撮影している。
夥しい数の写真があるはず。
あるいはこの写真、手垢の付いた被写体を撮ったものだと、否定的に受け取る人もいるだろう。

秋の七草、女郎花(おみなえし)かと思ったが、すこし花弁が大きすぎる気もした。

植物の名前は分らない。近くにそれを知らせる案内板もなかった。
(Afx)-(BⅢ)の二液現像でフィルムを現像した。

フィルムを、二段現像で行い、トーンの逆転とエッジ効果を狙った。
殆どのカットは失敗作、ようやく二点、光る植物のネガ画像を得た。

樹の名前は知らない。(調べれば分るだろうが)
名前を知ること以上に、この写りのほうが重要だと思った。
武蔵野の、光る葉と光る樹の林は、奇妙な別世界になる。

現像液、現像法を変える。
柔らかな日差しの武蔵野の原風景へ戻っていた。
デジタル写真は、まだ始まったばかり、
デジタル写真による「新たな視点の創造」
突破口を見つけた写真家が 現れるのだろうと期待している。
- 2022/12/25(日) 15:04:05|
- 樹、草、花
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初夏の頃、あざみは赤紫の花を咲かせる。
撮るならその頃、夥しい数のあざみの花が撮られていく。
しかし、花は盛りのみを 撮るものでないと思っている。
晩秋・初冬の自然教育園にあざみを追った。

枯れてもなお残る凜とした雰囲気を感じた。
バックとのバランスを考え、内蔵の小さなフラッシュを焚き、背景を暗く落とした。
色彩は乏しいが、デジタルカメラは 正確に描写していると思う。
フラッシュを立ててフラッシュモードにし、フレーミングしてシャッターを押す。
煩雑なカメラ操作は必要ない。
この利便性はデジタルカメラの持ち味だろう。
更に、被写体に集中し、厳しくフレーミングし
最良のタイミングで、シャッターを切る訓練を強いるのが、デジタルカメラだと思う。
すごい撮り手が現れる素地は整ったと思う。
しかし、そのイメージが湧かない小生には、デジタルへカメラを替える勇気が無い。
撮れば、綺麗なだけの金太郎飴の様な写真しか撮れない。
意気地も無く、フィルムカメラで遊ぶ方を選ぶ。

戦前のシュールリアリズム時代の映像作家、ManRayが開発したソラリゼーション現像を使ってみた。
これは、ほんの少しソラリぜーション現像したネガからの画像。
現像液はやや軟調な(Ⅰ1)現像液を使用した。
ソラリゼーション現像したため、トーンの幅は狭くなり、硬調なトーンにしあがった。

さらにソラリゼーション現像部分を増やすと、背景のススキの葉にトーンの逆転がでてくる。
枯れたあざみのはずだが、花として生き返っていた。
すこしシュール感がでる。

完全なトーンの逆転は 起きなかったが、暗い背景が 明るくなってきた。
枯れても 尚、あざみの花だと思う。

二段現像で トーンの逆転とエッジ効果を狙ってみた。

エッジ効果がでて、かつトーンの逆転も一部で起きている。
ManRayのソラリゼーション現像に似た効果がでたと思う。
フィルムの眼には、こう見えているはず。
人の眼には、シュールなあざみだが、
こんな花が、心の中に咲いてもいいのではないか・・・と思う。
あくまでもストレートフォットに拘る、レタッチソフトで作り上げたものではない。

Retro80Sフィルム用に調整した一番硬調な現像液(Ⅱof)で現像した。
ストロボを焚き、絞りも最小のf:16まで絞っている。
この撮影法と現像液の効果を考慮したら、
マクロレンズで、一つの枯れたあざみの花に対象を絞るべきだったと思う。

ニコンFに付いている50mm F:1.4のレンズは、一番初期のもの。
f:1.4の開放絞りでは、
甘いフレアーがでてコントラストは低下、
開放絞りでは使えないなぁと思っていた。
f:2.8まで絞りると、シャープだし、コントラストも高い、
ちょっとした甘さのを感じるが 雰囲気の出たいいレンズだと思っていた。
暗かったので開放絞りで撮影。
(Afx)-(BⅠ)の二液現像でフィルムを現像した。
現像促進液として(BⅠ)を選んだが、D-76似のトーンになることを期待した。
黒潰、白飽和を防ぐ効果があり、精細感のある写真ができる。
ただし、精細感と粒状感はトレードオフの関係に有り、
ときとして画像に粒状感が強く出てしまう。
- 2022/12/23(金) 12:56:56|
- 樹、草、花
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フィルムテストだと称し、何回か自然教育園を散策し、武蔵野の原風景を楽しんだ。

「せんりょう」が赤い実をつけていたが、
モノトーンのフィルムでは丈が短く、横に広がるせんりょうの赤い実の群れは 撮り辛い。
もう少し丈の高い「まんりょう」を探す。
ようやく一本見つける。

フィルムで撮影はしてみたが、これはカラーデジタルで撮る被写体だろう。
探し回り、最適な「まんりょう」を探すだす感性もないし、
光線を読み、どのように切り取り、どんな現像をしたら良いのか、
イメージできない。
デジタルカメラの威力だと思う。
ズームレンズは便利、ピントも自動で合わせてくれる、フラッシュも自動調整
ためらうことなく流れるように撮影できた。(フィルムカメラだと ストロボのガイドナンバーと被写体までの距離を読み取り、絞り値とシャッター速度を決めて調整する必要がある。手間はかなり掛かる。)

切り株ならモノトーンが有利だろうと、撮ってはみたが・・・・

表現にそれほどの差は無いように思える。
(Afx)-(BⅠ)の二液現像でネガを作ったが、この組み合わせはD-76に近いトーンになる。
もっと硬調な組み合わせをつかったほうが良かったかも。
でも、それほどの差は無いし、デジタル画像も 綺麗だと思う。
こならの切り株でもテスト撮影をしてみた。

カラー情報がちゃんと残っている。
デジタルカラーは正確に見た光景をを再現していると思う。(疑う感覚は少しあるが)

モノトーンは抽象の世界。
でも 見たら、デジタル画像の方に眼が移る。デジタルの方が良いと思う。

ManRayによるソラリゼーション現像を ごく弱くかけて現像してみた。
もうすこし、強くソラリゼーションを掛けたほうが 良かっただろう。
しかし、それでコナラの切り株の「なに」が表現できたかというと別だろう。
あまり技術(テクニック)に溺れると、コナラの何が撮りたかったが、分らなくなってくる。
いまは練習中なので、この場に立ち もう一度撮影し、ソラリゼーション現像効果を確かめるつもりではいるが、
駄目なものは、駄目と 割り切ることも必要だろう。

もみじがさは モノトーン向きと思い、比較でデジタルでも撮影。

しかし、デジタルは30cm辺りまで近づき、一本をクローズアップで捉えることができたが、
Nikon Fに付いているNikkor 50mm F:1.4のレンズの最短撮影距離は60cm、これが限界だった。
一本の花をクローズアップで狙うならマクロレンズをつけてこないと、撮影できない。
技術の進歩はすごい。
今のデジタルカメラはズームが標準レンズになっている。
購入時付いていたレンズは、広角から準望遠までの撮影が可能なレンズで、最短は30cmくらいまで近づけた。
万能といっていいレンズだろう。(小生の感覚からすると)
機械式フィルムカメラだと、
フラッシュ撮影は、被写体まで距離とガイドナンバー値から、絞り値を計算し、
そこに、今までの経験を加味し補正して、
絞りとシャッター速度(バックランドの写りを考慮)を決めて撮影していた。
デジタルカメラは適正露出を選んでいた。
すごいものだと思う。
煩雑なことはカメラに任せ、撮影に集中するのが デジタルの撮影法なのだろう。
デジタル写真が一般化しもう20年、そろそろ、すごいデジタル写真の撮り手が 現れてくるのではないか と思っている。
それに追いつける筈もないので・・・(馬鹿だなぁと思うけど)
小生はフィルムで撮ることに拘っている。
- 2022/12/22(木) 17:14:36|
- 樹、草、花
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「水鳥の池」の秋。
カメラを構え、鳥の姿を撮ろうとする人はいない。
自然観察にはいい場所だが、
色彩に乏しく、フォトジェニックな場所ではない。

むしろモノトーン写真向きだろう。
とはいっても地味。

枯れた紫陽花だが、モノトーンならまだ「花」を感じる。

カラーで狙う被写体ではない。
紅葉もしていないし、周辺の色彩も乏しい。

池の近くにあった樹に絡みついた蔓の文様が面白い。
約一ヶ月後、同じ幹を撮影してみた。

フラッシュを焚いていたので、幹に当たる光がフラットになってしまった。
これも経験、良い失敗をしたと思っている。

同じ紫陽花を撮影。
上下を逆にした画像にしてみた。
Nikon SPにつけたレンズは、2000年代になってコシナが製造したNokton 50mm F:1.5のレンズ、
一方Nikon Fには 購入時(1965年)の標準レンズNikkor 50mm F:1.4のレンズをつけている。
画質に差違は余り感じない。
Nokton 50mmレンズ いいレンズだと思うが、
このレンズでなければ撮れないと言い切れるほどの違いはあるだろうか?
もっとも それを生かす腕を持ち合わせていないのかもしれないけど。
古いツアイスのゾナー50mm F:1.5のレンズ(1936年製)でもいいかなと 思ってしまう。
宝の持ち腐れかもしれない。
一眼レフのほうが 近づいてフレーミングでき、
かつパララックスもないので、クローズアップ写真には有利に働く。
それから6日後、再び水鳥の池で初冬の紫陽花を撮影した。

今回は フラッシュを焚かず、三脚にカメラを固定し、低速度のシャッター速度で撮影した。
紫陽花にピントを合わせたが、カメラ(レンジファインダー)の最短距離に近かかった(5フィート)。
フィルムはブローニーフィルムを使用、6cm×9cmの大きなネガサイズになる。
ネガをスキャナーで取り込むと約7000万画素の高精細なデジタル画像になった。(3200dpi取り込み)

レンズはツアイスのOpton-Tessar 105mm F:3.5が付いていた。
T-コーティングしているが、
三群構成4枚のレンズなので、空気との界面は少ない。
コントラストの高いネガを得ることができる。
テッサータイプなら、コーティングなしでも、
充分コントラストは高いネガになる。
コーティング効果なのかは、判然としない。
紫陽花を際立たせるようトリミングしてみたが、
それでも約2600万画素の画像になる。

蛇腹式カメラなので、カメラ内の反射光はかなり防げる。
柔らかな照り返しの光なら、滲むことなくコントラスト高く記録してくれる。
1953年製の古いカメラだが、
基本的な部分はしっかりとつくられた優れたカメラだと思う。
距離計の精度など、気持ちいいほど高い。
(使いこなすには、習熟が必要だけど・・・・)
- 2022/12/20(火) 12:10:45|
- 樹、草、花
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何の植物か知らなかった。

近くに「うばゆり」という案内板があったが、この植物か隣のものを指しているか判断が付かない。
家に帰って、ネットで「うばゆりの画像」を検索する。
白い花の画像が多量にでてきたが、枯れた「うばゆり」は撮影の対象にならないのか 見つからない。
これでは判断できないと、他のサイトを探す。
ようやく島根県松江市の人のサイトを見つける。
島根県の植物を、8万に及ぶ画像で紹介していた。
https://matsue-hana.com/
地元愛に満ちた人で、 「松江の山・歴史の径を歩く」 「松江の神社」などの紹介もされている。
書きぶりから 謙虚な方だと見受けられた。
こういう方もいるんだと思うと、すがすがしい気分になる。
それに比べて、小生は、カメラをぶら下げ 品川区内を散歩しているが・・・・漫然と歩くだけ、
一年で100本のフィルムを使うとしても、年間3600枚の画像。
被写体も、町の風景や花や樹など、対象は分散している。
記録にも記憶にもならない写真を量産している。
これといった取り柄はないなぁと思ってしまう。
植物だけで8万枚!すごいものだとその量に圧倒される。
「量のない質はない」などと著名な写真家が言っていたことを思い出す。
自然教育園の秋を撮るといっても、実体は、現像液のテストのようなことをしている。
いつまで 初心者のようなことをしているのだろう?

二段現像

(Afx)-(BⅢ)の二液現像。 (BⅢ)液は 硬調促進液

(Afx)-(BⅠ)の二液現像。 (BⅠ)液は 中庸な促進液(現像成分は入っていない)、
D-76に近いトーンになることを期待して作った配合になっている。

撮影時にフラッシュを焚いて、二段現像したもの。

フラッシュを焚かず、二段現像したもの。
それだけで、トーンが極端に変化する。

フラッシュを焚いて、通常の一液現像。
一番 硬調な現像液(Ⅱof)を使用した。
このトーンが一番いいかも。
あとは画面の切り取り方に気をつけないと、
人にお見せする作品にはならないだろう。
- 2022/12/18(日) 10:53:06|
- 黒い花 怪しい花
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この植物を撮りたくて、何度か撮影を試みている。





しかし未だ、
泥の中に地下茎をのばし成長する、ちょっと不気味な「みつがしら」の姿を捉えることができたとは思っていない。




春になると、綺麗な白い花を咲かせる。
しかし花の咲く綺麗な姿より、今の姿に興味が湧く。
この地下茎は異形の存在、心に引っかかっるものがある。
それを捉えたい。
勿論、レタッチ(合成)なしのストレート・フォットで・・・・
- 2022/12/16(金) 11:18:51|
- 黒い花 怪しい花
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時間は矢のように進み、戻ることはない。
それが我々が知る世界。
原因があり結果を生じる、
その結果が原因となり、また結果を生じる。
原因結果の果てしない繰り返し(輪廻)は続く。
おろち(大蛇)の松は、
自然教育園の中を散策すれば、誰もが気づく有名な松。
3年前、ポートレートが撮りたくて購入した中古のマミヤプレスを
腕試しと持ち出し、教育園の風景を撮影した。

そのとき「大蛇の松」が倒れたことを知る。

10月16日 前日東京を襲った台風により倒伏したという。
撮影は約一ヶ月後だったので、散策路は綺麗に整備されていた。
記録にと、マミヤプレスのアオリ機能を使って撮影してみた。
前から無限遠まで幹の部分にピントがくるよう調整し、撮影してみた。

手前の根っこの先端部分から、

遠方の幹までピントが出るよう調整し撮影した。
できるアオリはバック・ティルトだけだが、このカメラの蛇腹は使いやすい。
蛇腹を伸ばし草花の接写撮影にも使える。
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3年ぶりにその前に立つ。
大きな幹の部分は切り取られ、整地されたのようだ。
草が生い茂り、遠くを見渡すことはできない。
やがて朽ち果て、土に戻っていく・・・・輪廻を記録するようなもの・・・と思いながら、シャッターを切った。

光が足りないので、ストロボを発光させ、現像はManRay法のソラリゼーション現像を行った。

現像結果は、予想できないことが多い。
輪廻の逆転を記録できた訳ではないが、
この世の光景とは 思えない写真になった。
当時の「シュ-ルリアリズム」運動に即発されてできた現像法。
現像は、物理化学の原理に従っているが、現像結果は予期したものにならないことが多い。
その点は、レタッチソフトで作るのソラリゼーション現像風映像との違いだろう。
レタッチだと、画面を見ながら調整し、人為的な恣意性を入れ込むことができる。(これが、写真家の言う「自己表現」かも)
現像は、むしろ、陶芸の窯焼きの偶然性に近いと感じている。(最善を尽くすが、最後は現像液任せ)

一番 硬調なトーンになる(Ⅱof)を使い現像した。

もうすこし、常識的な見慣れたトーンもいいかなと 思い、
マミヤプレスの代わりに、SuperIkonta 531/2 Opton Tessar T 105mm F:3.5のカメラで撮ってみた。
この写真が 一番眼に優しいかも。
SuperIkontaは、6×9cm(ブローニ)フィルムが使えるカメラとしては、一番軽量だろう。
ちょっとクラッシックな感じがするのが欠点、
出して撮ろうとすると、
まだ使えるのですかと衆人の注目を受けてしまう。
もうフィルムの時代でないことを痛感している。
また、マミヤプレスを持ち出し、
自然教育園の花(植物)の接写撮影をしてもいいかなぁと 思っている。
- 2022/12/14(水) 16:32:35|
- 黒い花 怪しい花
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鮮やかな色彩の植物を 撮ろうとしたらカラーがいい。
白黒とカラーの写真が 一つのテーブルの上に置いてあったら、
見た瞬間、美しい色彩のカラー写真に眼が行く。
白黒写真の評価は芳しいものではない。
逆に、色彩の乏しい枯れた花、朽ちた樹などは、
カラーより白黒モノトーンの写真のほうが、表現は豊かになる。
カラーはただただ美しく、よりキャッチーさを求めた写真になっていく。
多様性が叫ばれるが、デジタルカラー写真に関しては、どうやら その方向に向いていない。
よりキャッチーに、より美しくと追い求めたら、
多様性から離れていくことになるのではと危惧するが、
若い写真家がでてきて、デジタルカメラを片手に、
写真は、自己表現だなどと 言われると・・・首をかしげてしまう。(理解できない)
むしろ、写真をパーフォーマンスの一手段として捉えていくことになるのかもしれない。
デジタルの時代になり、この流れから取り残されてしまったなぁという感じがしている。
老人だし頭は硬くなっている、流れについて行かれないのは、致し方ないだろう。
八ツ手は 数年前 その面白さに気づき 撮ってみたが、足踏み状態だった。
撮りたいイメージはあるが、技術が追いつかない。
ようやく、現像液の開発に 一段落付いたので、再開しようと思っていた。

紅葉の季節で、いつもより 人影は多い。
散策を楽しみながら、紅葉した樹や、武蔵野の花にスマホをかざし 撮影する人が多かった。
勿論、高級なミラーレス一眼を持って散策する人も何人か見た。
以前は高級なデジタル一眼に望遠ズームの大きく長いレンズをつけ、丈夫な三脚を持ち、撮影する人を多く見たが、
今は三脚を持ち込む人は希になり、ミレーレスに長い望遠ズームをつけ、手持ち撮影していた。
デジタルカメラの撮影スタイルもかなり変化していた。
デジタルだと、八ツ手にカメラを向ける人は まずいないと思う。
撮ってプリントし、それを観てもらっても、「綺麗だ、感動した」などの感想を聞くことはないだろう。

一番硬調な現像液を使用した。

(Ⅰ)+(Ⅱof)のコントラスト強調二段現像で処理した。

(Ⅰ)+(Ⅱ)の二段現像でエッジを強調する条件で現像した。
茎の部分に黒いエッジが太く出ている。
全体のトーンもかなり変化している。

(Ⅰ)現像の時間を少し減らし、(Ⅱ)現像を時間を少し長くすると、
徐々に 擬似的なソラリゼーション効果がでてくる。

更に強くその効果がでるよう現像条件を調整した。
すると 銀塩粒子が出て来てしまう。ザラッとした銀粒子は、余り好ましいものではない。

露光量を二絞り分少なくして撮影したコマは、一部のトーン(白)が逆転し、
ソラリゼーション現像と同じような写真になった。

これは(Ⅰ1)現像液(やや軟調な現像液)を使用した、ManRay法によるソラリゼーション現像例。
弱くソラリゼーションし、エッジをだそうとしたもの。
(すでに、このブログにのせたものの再掲載です。)
白黒フィルムの方が、地味で目立たない被写体向きだと思う。
それに、工夫次第で トーンは変わっていく。
様々なバリエーション(多様性)が可能、挑戦し甲斐があると思う。
でも これを 「写真による自己表現」と偉そうに言って良いものか・・・躊躇する。
そんな気概は持っていません。
- 2022/12/12(月) 12:31:55|
- 八つ手
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「花の色はうつりにけりな いたづらに 我身世にふるながめせし間に」
この感性は、日本の風土、日本人の暮らし方が 育んできたものだろう。
自然教育園の紅葉もあっという間に過ぎていった。

11月上旬は まだ穂が開いていない。

でも それなりに晩秋の気配を感じる。現像は(Afx)-(Ⅱbf)の二液現像を使用した。
エッジが立ち、高コントラスト、黒潰もない。晩秋のすがすがしい空気感が出たと思う。

それから一週間後になると、まだ穂が開かないもの、開いたもの、開ききったものが混在するようになる。
ManRayのおこなったソラリザーション現像でネガを作った。

それから3日後、再び自然教育園に行き、撮影。
ManRay法では満足いく結果にならなかったので
フィルムを、(Ⅰ)+(Ⅱ)の擬似的ソラリゼーション現像条件で現像してみた。
ちょっとみすぼらしい「すすき」になった。
この「すすき」は水生植物園の池の縁にあった(いた)もので、

おそらく この「すすき」だと思う。

近くのススキの穂は、開ききって日の光に輝いていた。
(Ⅰ)+(Ⅱ)の二段現像で、コントラストが強調される条件で現像を行った。
コントラスト強調現像には、(Ⅰ)+(Ⅱf)の二段現像、(Ⅱof)の通常現像の選択肢もあるが、
エッジを立てたかったので敢えて(Ⅰ)+(Ⅱ)の二段現像に拘ってみた。
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「・・・うつりにけりな いたづらに・・・・」
と歌わざるをえない感性に 今の人も頷き共感する。
一言でいえば 生きていくことの「はかなさ」 だった。
それは平安時代の末法思想から鎌倉時代の仏教的な無常感と繋がっていく。
そして、桃山時代の茶人により「一期一会」の言葉になる。
カメラを持った日本人が全て「茶人」でもあるまいしと思う。
盛りの時は短い。
単に、シャッターチャンスを掴めというところを、
時に写真好きは「一期一会」という言葉を使う。
自分を大きく見せたいのだろうが、ちょっと興ざめする。
いいと思ったら即刻写真に撮れと言っているだけのことだろう。
キャッチーさ(一期一会探し)を求め、有名な撮影スポット巡りとなる。
しかし、無常は偏在する。
だから、一期一会も至る所にあり、いずれの瞬間も一期一会になりえる。
それを感知するのは、その人の感性であり知性だと思う。
穂が出る前であれ、開いたときであれ、開ききっても、枯れても
いずれの時にも、一期一会がある。
それに鈍感なだけだろう。
- 2022/12/11(日) 11:10:28|
- 樹、草、花
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見たことない植物に出逢う。

赤い実をつけていた。
近くに数本あったが、全て倒れている。
デジタルカメラを持参していた。
記録に数カット撮影した。
事実をストレートに記録するならデジタルが一番良いと思う。
一緒にカラー標本を映し込んでおけば、
レタッチソフトで修正して、色調をより正確に再現できる。
記録ならカラーデジタル。
見たように撮れないとしたら、それは、欠陥商品だろう。
現実をありのままに記録するのだから、
誰が撮しても 同じような写真になってしまう。
この植物に人間の手で演出を加えない限り、
デジタルで撮ったら、みな似たような写真になるだろう。

白黒フィルムは、色の情報が欠落している。
記録だと思っても、実際は「抽象/アブストラクト」的な画像になっている。
薄暗がりになると、人間に眼は色(カラー)を失うが、明暗差は明瞭に識別する。
それが太古の人間には 不可欠な能力だったと思う。
闇が支配する夜は、捕食動物の脅威が増す。
暗いところでも識別できることが、人間の生存には必要だったと思う。
モノトーン写真には、人間の太古の記憶に基づいた何かがあると思っている。
デジタルで撮影したショットと同じフレーミングで撮影してみた。
現像は(Ⅰ)+(Ⅱ)の二段現像で、エッジが出るタイミングで現像した。
カラーデジタルと比べたら、パッとしないかもしれないが、
モノトーン写真には、記憶に訴えるものがあると思う。
12月になって、自然教育園を再訪。
散策路を挟んだ反対側に、直立した「まむしぐさ」を発見した。

一番硬調な(Ⅱof)現像液を使用した。
(Ⅰ)+(Ⅱ)現像のようなエッジ効果はない。

11月19日に撮影したのと同じ被写体を撮る。
枯れ葉が「まむしぐさ」を覆い隠そうとしていた。
ストロボを焚いているのでコントラストが付きやすい。
軟調な現像液(Ⅵsx)、 あるいはやや軟調な(Ⅰ1)で現像したらどんなトーンになるのか?
二液現像で 一番軟調な(Afx)-(BⅠ)で現像したらどうなるのか?
まだ検討の余地はあると思う。
- 2022/12/09(金) 10:44:51|
- 黒い花 怪しい花
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11月の上旬から白金・自然教育園の秋を撮ろうと、数回園内を散策した。
武蔵野の「秋の花」や「紅葉」を綺麗に撮とろうとは思っていない。
自然教育園の秋がテーマで、
被写体は、晩秋の枯れた植物でもいいとおもっている。

入って すぐ右に「おおばきぼうし」の葉がだらしなく開いていた。
縁の部分の黄変が始まっていた。
これが 候補の一つになっていた。

二週間も経つと、茎はよりだらしなくへたり、黄変が進んでいた。

まだ葉は青く、生命力はあった。
二液現像法 (Afx)-(Ⅱbf)の組み合わせで現像した。
二液現像では一番硬調なトーンのネガになる。
でも、二液現像の特徴は、白飽和を避け、黒潰も防止することある。
ネガに粒状感が出がちなのが欠点。
普通の現像に比べ、ちょっと手間なのも欠点である。

しかし、現像に手間が掛かっても、(趣味です)いいネガを得たいという気持ちが勝る。
手間は問題ではないと、二段現像で現像を試した。(二液現像法とはコンセプトが違います。)
最初にやや軟調な(Ⅰ)現像液で途中まで現像したあと、
一番硬調な(Ⅱf)現像液に交換して現像を続行、全体のコントラストを強調した。
(Ⅰ)液で暗い部分のネガ濃度を上げ、(Ⅱf)でコントラストをあげる。
この方法は、白飽和と黒潰れを防ぐ効果がある。
粒状性も損なわないので良い現像法だが、
軟調現像液-硬調現像液の組み合わせは、数組あり、切り替えのタイミングでも、トーンは微妙に変わるので、
ネガを狙ったトーンにするためには、
手間暇を掛けて前段階のテスト撮影、テスト現像を行い、
そのデータを蓄積していないと、現像条件を決められない。
強い動機でもないとなかなか使う気になれない。

でも二段現像で (Ⅰ)-(Ⅱ)の組み合わせとなると、更にトーンが予期しない変化を見せる。
それが 面白いので、前段階のテスト撮影、テスト現像を行い、データーの蓄積をしている。

光の当たり方、切り替えのタイミングで、
ManRay法に似たトーンができることがある。
擬似的なソラリゼーション現像となるので、
密かにChemical Solarizationと命名している。

今回の撮影では、このカットが 一番Chmeical Solarization効果が よく出たと思う。
(すでにこのブログに載せている、再掲載です。)

一液(通常の現像)で一番硬調な(Ⅱof)で現像したもの。
同じ被写体の「おおばきぼうし」だけど、
天候による光の微妙な違い、ストロボの照射、現像液、現像法の違いにより
ネガのトーンは変化する。
フィルムは、
使う人の工夫次第で様々なトーンに変化する。
デジタルカメラでは味わえない面白さだと思う。
- 2022/12/08(木) 19:09:14|
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デジタル写真が嫌いなわけではない。
11年ほど前、ソニーのNEX-5を購入している。
交換レンズの使えるミラーレス・カメラが市場に出始めた時期である。
2,3年 楽しく使っていたが、段々と面白さが消えていく。
誰が撮っても綺麗な写真になる。
どう撮っても、綺麗に撮れてしまう。
記録として撮るならデジタル、
記憶で撮るなら白黒フィルムだろうと気づく。
この頃は、あまり使用していなかった。
花の名を記録しておきたくて、
自然教育園の撮影では、
Sony NEX-5を持参した。
モードはP、ISO:200で使用し、花の様子を記録した。
小生のすることは、フレーミング(液晶画面で確認)し、シャッターを押しただけ。
露光とピントはカメラが自動で設定、JPGファイルで保存し、
そのまま画像とした。

ひょうたん池の水面に枯れ葉が浮かんでいた。
浮いて漂う葉を、Nikon F に105mmの望遠レンズをつけて撮った記憶が残る。

ようやく、紅葉が始まる。
モノトーンのフィルムでは、撮りようもないので、カメラを向けることはなかった。


紅葉はカラーでないと撮せない。
Retro80Sのフィルムなら、紅葉した葉は白写るが、緑の時期でも同様に白く写る。
パンクロフィルムだと暗く写るので、白黒フィルムではあまり狙う被写体でない。

鮮やかな紅葉はないが、秋の気配は感じる。
ここは白黒フィルムでも狙えるところ、シャッターを押した記憶がある。



紅葉を記録するならデジタルだろう。
デジタルでなく、カラーフィルムで撮るとなったら、
それなりの覚悟、技術が必要だと思う。(でも記憶に残る可能性は高い)
それにカラーフィルムの価格がこのごろ急騰、
手軽に使える価格帯ではなくなった。
カラーフィルムなら、ポジあるいはネガとして残る(物質として)が、
デジタルは1,0のデータであって実体のある物質ではない。
小さな磁性体の並びとして記録されている。
それを0,1のデータとして読み取る。
データーは数字で実体はない。
その数字に基づき、液晶画面に画像を投影、
あるいはプリンターを動かしプリントする。
1990年代には0,1の画像データを 圧縮し保存するため沢山の画像ファイルがあった。
jpgはそのうちの一つ、淘汰され忘れ去られ、いまは読めなくなった画像もファイルもある。
あるいはコンピュータのシステム/OS変更で、読めなくなることもある。
それに、保存媒体のクラッシュ、あるいは劣化(DVD保存)で、読めなくなったデーターも出てくる。
20年前CDに焼いたjpgファイル、読めなくなっていた。
保存性が高いかというと、それほどでもない。
アメリカ軍は、ベトナム戦争の頃から、記録(文書を含め)をコンピュータで管理していたという。
しかし、戦況の状況を検証しようとしても、読めない記録が出てきて、完璧な検証は無理、
むしろ南北戦争の戦闘のほうが、どこでどんな戦闘が起き、全体の戦争を俯瞰できるという。
そんな記事を30年ほど前(PCが爆発的の普及したころ)読んだ覚えがある。
デジタルデーターは、永続性のある機関でないと保存できない。
アメリカ合衆国とは云え、正倉院のように1000年以上の年月を経ても、デジタルデーターは保存できるだろうか?
デジタル映像(データ)を個人で残すのは無理だろう。
その人がいなくなれば、ハードデスクはゴミ箱の中、
その人が何を見、何に関心を示し、どのように捉えたか、
その人の思い、記憶は全て闇の中に消える。
デジタルの時代なって、
Vivian Maierのような写真家が出現する機会はなくなっている。
- 2022/12/07(水) 11:49:07|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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更に ソラリゼーション効果を高めるため、
光にネガを晒すタイミングを早くし、ソラリゼーション現像時間を長くした。

ネガを見れば どんなタイミング(場所)で何を撮したものか分るのだが、
見た瞬間は、これが何を撮したものか分らなかった。
スキャナーでPCに取り込み、画像を見たが、
横位置で撮ったものか縦位置か、どれが上でかどれが下か、分らなかった。
画像濃度と、トーンを調整したら、
ようやく水生植物園の浅い沼地の「みつがしら」の姿が出てきた。
水面に浮かぶ紅葉した葉を撮りたいとフレーミングしたものだった。

現実と異界と共存したような画像ができてくる。
多くは、受け入れがたい失敗写真だが、中には「何だこれは!?」というコマも混ざる。

ほんの少しの露光の差が、時に異界を撮ったような写真になる。
まるで、日本画のような写真も混ざっていた。
レタッチソフトのアプリケーションソフトには、ソラリゼーション、絵画風、木炭画風などに変換する機能があり、
似た画像を作ることも可能だと思うが、
これは、フィルム写真に拘るストレート・フォットです。

ManRayのソラリゼーション現像、シュールだと思う。
- 2022/12/05(月) 09:47:59|
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ソラリゼーション効果がもう少し強くでるよう、
ネガフィルムを灯りに晒すタイミングを早くした。
そして追加の現像時間を少し延ばした。

ソラリゼーション効果が出始めている。
ススキの穂に蜻蛉が止まっていた。

ソラリゼーションのエッジ効果。
ススキの穂がくっきりとでる。

露光の少し違いで、トーンが反転する。
完全なポジ画像でもない。
ManRay法のソラリゼーション現像、
トーンを予想するのは意外と難しい。
- 2022/12/03(土) 17:58:03|
- 樹、草、花
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ソラリゼーション現像は、20世紀初めManRayによって開発された現像法。
当時はオルソタイプのフィルム(乾板)だったので、
暗室内で赤いランプのもと、像が出てくるのを眼で確認しながら現像できた。
現像の途中、白熱電灯の光を入れてしまった偶然のアクシデントから、
ソラリゼーション現像法が開発される。
パンクロフィルムになると、現像の進行を目視で確認することができなくなり、
白熱灯の光を入れるタイミングが難しいので
フィルムに直接ソラリゼーション処理をすることは少なくなった。
ソラリゼーション写真を作りたかったら、
暗室(赤いランプを点灯し引き伸ばし操作をする)で印画紙にプリントする時に行うのが一般的である。
でも、ManRay法のソラリゼーション現像は、トーンコントロールでは面白い効果をもたらす。
条件させ掴まえれば、フィルム現像の有力な方法になる。

ソラリゼーション現像の時間を短くコントロールすると、
トーンは乱れないが、エッジ立ち、コントラストの高いネガを得る。
トーンの逆転はない。黒潰も防止できている。
アザミが白く輝いていた。

現像液は(Ⅰ1)というやや軟調な現像液を使用した。
ごく弱くソラリゼーション現像している。
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4時前に起床して、
テレビをつけ、スペイン戦を見てしまった。
そのときは、見入ってしまい 眠気を感じなかったが、
今頃になって眠気がでてきた。
観戦するだけでも体力を使う。
サッカーは疑似戦争。
将軍(監督)、参謀(分析、サポート、トレーナー)、兵士の総力戦。
ワールドカップとなると、国の威信をかけた戦(いくさ)になる。
でもルールがあり、公平な監視団がつく。
人が死ぬことは無い。
こういう戦争ならいいのだが。
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午前中 自然教育園まで散歩しようと思ったが・・・
ちょっと無理かも。
- 2022/12/02(金) 09:41:21|
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暖かな日差しさに誘われたか、
蜻蛉が飛んでいた。

枯れた花のガクに止まる。

逆光の光が、水生植物園の池に反射する。
この光だと輪郭のコントラストは低くくなる。
それを防止するため、
硬調な(Afx)-(BⅢ)の組み合わせを選んだ。
しかしまだ不足かも・・・もう少し白黒のコントラストが上がってもいいと思う。
その場合は(Afx)-(Ⅱbf)の二液現像となる。
まだTry and Errorの段階、
二液現像法を使いこなすには もう少し経験が必要だろう。
- 2022/12/01(木) 09:39:03|
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