今 ローダーに入っているフィルムは、Fomapan100とRetro400Sの二つのフィルム。
ローダーは3つ持っているので、もう一種類のフィルムをいれて使うことも考えたが、
暑い日が続いているので、フィルの消費は減っている。
ローダーに詰めて長期間 室内に置いておいたら品質が低下する怖れもある。
当面は、この二つのフィルムを使うことにしている。
Fomapan100はまだ、2缶ほど冷蔵庫で保管しているが、
問題は、Retro400Sフィルム。
いまローダーに入っているのが最後、秋になって日本に製品が届くようなってくれと願うのみ。
Retrto400Sは赤外部にも感光領域はある。
オレンジフィルター(YA3)で撮ると、赤外線効果を感じるちょっと奇妙なトーンになる。
でも、これでは赤外線写真と言えないだろう。

暑いし、コロナ感染もあり、遠くへ出向くことは控えている。
R72フィルターをポケットに忍ばせ、近所を散歩してみた。
見慣れた光景だけど、赤外線で見るとこんな感じになる。

写真では、光の選び方/読み方が 一番重要だけど、
Retro400Sでも、光を選んで、赤外線写真を楽しむことはできる。
コシナのSKoparレンズには距離補正マークは付いていない。
補正量は試し撮りして確認していますが、
広角レンズなので この距離なら距離補正はしなくてもOKです。
でも、最短撮影距離まで近づくと、距離補正しないとダメでしょう。
一応、少し離れていますが、ちゃんと距離補正して 撮影しています。
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暑くて、外出するのが億劫になっています。
家にいる時間が長く、手持ち無沙汰なので、
技術テーマ、「二液現像法」に 今再チャレンジ中です。
戦前の技法ですが、現在のフィルムでは殆ど意味をなさない方法になっているけど、
違った見方で考えたら、まだ少し検討の余地はありそう。
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- 2022/07/31(日) 21:39:57|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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コロナ感染の爆発が始まる。
今まで静かだったマスコミが、手のひらを返したように騒ぎだし、第七波の感染拡大を告げる。
老人は外出を避けた方がいいという報道が、大阪であった。
老人は重症化しやすいから、行動を控えよということだろう。
すこし遠方まで旅行したかったが・・・またダメ。
人混みを避け、近所の散歩コースを歩くだけの生活が続いている。

この林を、どう捉えたらいいのか?
葉が落ちた晩秋から早春は、逆光で狙い、ハイキーなトーンにすることが多い。

葉の茂った林の中は、意外に暗い。

白い樹の幹と、暗い林の対比を狙ってみたら、と思うけど・・・そんな撮り方できるだろうか?
夏休みの宿題のようなもの。
まぁ、トライしてみるか。
暇だし。
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オミクロン株の爆発は 想定外のことだったのか?
7月の初め頃は、TVのニュースショーを見ていると、感染症の専門家が出てきて、
若者にはワクチンの追加接種を勧めない、後遺症の問題がよく分らないからという説明をしていた。
医療従事者の4回目の追加接種もしていない。
老人と重症化リスクのある人のみが4回目ワクチン接種の対象になっていた。
日本の感染症専門家・・・ちょっとレベルが低いのでは?(米国のパウチ氏はかっこよかった。)
それとも、制度の問題で、有能な人は表に出てこれないのか?
政府の専門者会議は、人心を一新して欲しい。
アベノ・マスク(簡単な技術で生産)は、あっという間に全国民に配ることができたのに、
精度の高い抗体検査キット(サイエンス&テクノロジー)は不足しているという。
日本では、まだ、コロナ対応のワクチン(サイエンス)すら開発できていない。
日本の基礎研究力(レベル)は低いのだろうか?
科学立国の筈の日本だが、
科学(サイエンス)と技術(テクノロジー)の関係も よく分っていないのだろう。
困ったことだ。
- 2022/07/27(水) 23:36:00|
- 樹、草、花
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戸越銀座商店街には、嘗て小さな川が流れていた。
雨が降るとすぐに洪水となり、商店は水浸しになる。
それを防ぐため、昭和30年代前半に、大きな下水道が掘られ、小川も消失する。
戸越の台地の北側には戸越の小川、
南側には立会川が流れていた。
共に今は暗渠になっている。
二つの小川に挟まれた部分に戸越の台地が広がる。
戸越銀座の通りに直角に交わり、坂を登ると、宮前商店街が続いていた。
戸越八幡神社の脇を通り(今は、人家ができているが)、戸越公園の駅を越え、更に先まで続いていた。
宮前小学校は、この通りに面している。
幼いころから、この長く続く商店街を「宮前商店街」だと思っていた。
補助26号線が、その商店街を途中で分断する。
すると、商店街の名称に変化がでた。
補助26号線より北側は 宮前商店街。
そこから戸越公園駅までを北戸越公園商店街、
線路を越えると南戸越公園商店街と呼ぶようになる。

南戸越公園商店街で撮影した。
Retro400Sはスーパーパンクロフィルムで、感光領域は赤外部まで延びている。
YA3(オレンジ)フィルターをつけて撮影したので、順光の青空は暗く写り、赤外線を反射しやすい緑の葉は明るくでる。
駐車場の下の看板は、赤い文字で料金を表示していたので、白っぽく写り判読が難しくなっている。
トーンはパンクロフィルムと、かなり異なっている。

南戸越公園商店街のマスコットだろう。
長い商店街なので、もともと3つの区分けで成り立たっていたのだろうが、
それは、商店街を通る人にはよく分らないこと。
元は一つの宮前商店街だったと思ってしまう。
それが、小さくなったと思うと、なんとなく寂しい。
どうでも いいような話だが、
広大なロシア帝国を築いたロマノフ王朝時代を懐かしむプーチンの野望も、
そんな些細なことから始まったのかもしれない。
彼のいう「特別軍事作戦」 ロシアの人達の心の深いところに響くものがあったのだろう。
過去は常に新しく懐かしい。
「日本を、取り戻す。」
このフレーズも、過去を懐かむ人達に訴えかける力があった。
これをキャッチコピーにして選挙に勝った政権もあったなぁ。
- 2022/07/24(日) 21:18:05|
- 散歩
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遠くに住む友にお中元を送ろうと、銀座へ出向く。
東京駅で下車する。久しぶりなので散歩を兼ね、撮影した。

以前なら、なるべくキャッチーなものを探し、凝ったフレーミングで切り取ろうとしたけど、
この頃は、そんな気もなくなっている。

眼に付いたら、淡々撮るだけ。
それが散歩だろう。
SuperPan200のフィルムがなくなったので、Retro400Sにしたが、このフィルムも使い切ったらどうしようか?と思う。
SuperPan200, Retro400Sの100フィート巻き缶、日本の業者のサイトでは売り切れ状態になっている。
Kentmere400,APX400は、まだ有るが少し高い。
もし、Fomapan400が 今後入手できるようになるなら、(いまは売り切れ状態)
ISO:400のフィルムはFomapan400にするかも。(一番廉価となることを期待)

右の明るい部分をトリミングし、縦長に切り取った。
それが、このビルの姿をよく伝えるとおもったから。
Retro400SとSuperPan200 使い勝手は似ている。
青色感度に起因するトーンの違いは面白い。
入手可能になったらSuperPan200を使おうかと思う。

まだ、コロナ感染は続いている。
これが日常だろう。
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高感度フィルムを使うときは、
黒潰せず、白飽和も避けようと、
軟調な現像液(Ⅵ)で現像することが多い。
今回は(Ⅵsx)現像液を使用した。(フィルムによって微調整している。)
D-76やSPD(フジのスーパープロドール)で現像したら、
ハーフトーンから明るい部分のコントラストが上がり、
白黒のコントラストのついたネガになりやすい。
メリハリのある「好ましい」ネガになることもあるが、
暗い部分は潰れて「カサカサ」の写真になることが多い。
使いにくいフィルムといわれる所以だろう。
手早く、簡便に、良い結果を求めるならデジタルカメラを選べばいい。
フィルムを選ぶなら、Try&Errorは 避けて通れない。
- 2022/07/22(金) 11:54:15|
- 都会の景観 Tokyo
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近所をぶらぶら散歩する日が続いている。
大崎駅前のビジネス街、シンクパークの庭の「つわぶき」
過去にも、この庭のつわぶきの葉の輝きを表現しようと、フィルム、現像法、カメラを変え撮っている。

もはや撮ることはないと思ったが、散歩のついでにまたシャッターを切っていた。
線路(駅)を越え、目黒川へでる。

まだ切り取り方によっては、ちがう光景を捉えることができるが、昔に比べ、大分おとなしい写真になったと思う。

大崎ニューシティにて撮影。
以前はこんなフレーミングで撮ることはなかった。
最早、伸びひろなどないと思うが、新たな視点の獲得を模索しているのかなぁ?

数年前、デジタルカメラで撮ったことがあった。
ここぞというときシャッターを切る。
それを背面の液晶画面で確認する。
満足できるまで、何枚撮っても、コストはかからない。
沢山撮って、ベストを探す。確かにそのほうが理にかなっている。
フィルム時代、レンジファインダーカメラは、シャッターチャンスに強いカメラだったが、
パララックスがあること、接写ができないことがネックだった。
ミラーレスデジタルカメラは その欠点を全て克服している。
流行らない筈はない。
でもデジタルで撮って楽しいかというと、それほどでもない。
むかしカメラは魔法の箱だった。
それが、デジタルカメラになり家電品となる。
スイッチを入れればテレビが見えるように、
ボタンを押せば写真ができる。
デジタル写真は日常のことになり、魔法は消えてしまった。
必要ならデジタルで撮るが、楽しみ(趣味)で撮るならフィルム。
ドキドキ感が好きだ。
(小生の勝手な感想です。)
- 2022/07/20(水) 11:00:18|
- 散歩
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字でしか表現できないものは字で、
絵でしか表現できないものは絵で、
彫刻でしか表現できないものは彫刻で・・・・
では 「写真でしか表現できないもの」とはなんだろう?と考えてしまう。
戦争や事件の現場で撮られた報道写真は 写真でしか伝えられないものだろう。
夥しいほどの報道写真が すでにストックされている。
でも、キャプション(説明)が付いていないと、どの事件、どの戦争か、何を伝えているのか分らなくなる。
写真は、夥しいほどの「その瞬間」を記録していくが、すぐに歴史の補助資料の扱いになり、
大多数の人間の記憶の底に沈み、忘れ去られていくものかもしれない。

詩や小説、随筆などは、時代を超え読み継がれていく。
絵画も時代を超え、今も人々に感動を与える。
彫刻も然りだろう。
写真は、まだ200年の歴史しかないが、
「貫く」 如きもの あるのだろうか?
- 2022/07/17(日) 09:12:42|
- ???
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コロナウイルス第7波の拡大が顕著になってきた。
4回目のワクチン接種を終え、遠くに行くことを計画していたが、また控えねばならない。
近所の散歩が関の山の生活に戻りそう。
なんとか新しい視点はないものかと探すけど、見慣れすぎると、
新しい視点など どこにあるのかと思えてしまう。
散々 この辺りは撮っている。
視点を変えるといっても・・・

35mmの広角レンズで撮影したような写真になった。

これは 85mmレンズで撮ったテーストに近いかなぁ。

これは50mmの標準レンズ。
フィルムはSuperPan200 現像はやや硬調な現像液(Ⅲb)を使用した。
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今年の3月ころから、100フィート長巻フィルムが市場からどんどん消えている。
英国で作られいるTri-Xやイルフォードのフィルムはあるけどかなり高い。
ヨーロッパで製造されているフィルムは、殆どなくなっている。
SuperPan200を使い切ったので 冷蔵庫のストックを見たら、
Retro400Sが一缶あった。それをローダーに入れて今使っている。
SuperPan200は あと一缶 冷蔵庫にあった。
もし、それを使い切ったら、高感度フィルムは、少し高いけど英国製のKentmere400にしなければならないかも。
フィルムの世紀は終わりを迎えているようだ。
気の重いことになってきた。
ユーロも円と同様 ドルに対し弱い。
ユーロベースの価格なら、それほど値上がりするとは思えない。
Fomapan100とRetro80S 長巻フィルム はやく手に入るようになればいい。
ウクライナ-ロシア戦争が、生産、流通に影響していると思う。
- 2022/07/15(金) 10:45:26|
- 散歩
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1827年にフランス人発明家ニセフォール・ニエプスは、
天然のアスファルトが 光によって固まる現象を利用して、部屋の外の光景を撮している。
これが 写真の始まりだという。
それから約200年、
写真はダゲレオタイプ、カロタイプ(銀塩)、湿式、乾式、フィルムへと換わり、
今は光りを半導体に記録するデジタル写真へと発展を遂げている。
初期には、感光剤を自家調合、塗布して感光プレートを作っていた。
そのため専門知識と技能をもったごく一部の人のものであった。
乾式、フィルム式になって、初めて、一般の人でも手が届くようになる。
それでも、上手に使いこなすには、それなりの努力は必要だったと思う。
デジタルカメラ(Phone-Camera)は革命的だと思う。
誰もが 綺麗な写真を、思った時すぐに撮ることができる。
デジタル化は生活を簡便にしてくれたが、
同時に「文字を書くという文化」の地位も低下させている。
友からメールが届いた。
携帯電話で撮った写真が添付されていた。

どんな歌か読んでくれという。
何文字か変体仮名でも読める字はあったが、
全体を和歌として読むとなると、まるで判じ物。
変体仮名をすらすら読める人は、もう少なくなった。
いまはデジタルの時代、
活字のフォントのお世話になり、手書きすることは希になった。
書かれた文字が手慣れた人のものか、初めて2,3年の人のものかすら分らない。
友も小生が読めるはずもなしと判断していた。
妻に読んで欲しいという依頼だった。
妻にPCの画面の和歌を見せたら、直ちに、手慣れたうまい人の書だという。
現代の人で、系統からすると関西の人だろうという。(書家、日比野五鳳の系統だというが・・・小生には何を言っているか分らない)
送られた画像の画素数が小さいので、PC上で少し拡大して見せた。
判読には数分かかったが、こんな歌ではないかという。

筆に墨を含ませ紙に書く訓練を重ねていると見えてくるものがあるのだろう。
「綺麗なこの線は なかなかだせるものではない」・・・といわれても、実際に筆を持ったことのない身にその判断はできない。
おなじことが、写真にもあるよなぁと思う。
勝島運河でテスト撮影。
筆に墨を含ませて、練習しているようなもの。
運河の水面に注目していたので、適正露光は絞りf:8で1/250秒が適正露光かなぁと思った。

一絞り 絞って撮影。

一絞り開けて撮影。これが 小生の判断した適正露光(勘です)。

更に 一絞り開けて撮影。
フィルムは、二段現像している。
普通の現像法なら、一絞りの露光の違いは、トーンに影響を与えない。
でも二段現像だと、露光の過不足、現像液の切り替えのタイミングで トーンは変化する。
この見極めが難しい。
難しいといっても、一枚だけ見せられたら、通常の現像との違いを指摘できる眼力を持った人、どれだけいるだろう?
25年前(デジタル写真が始まる前)は、
自家現像し、自分でプリントし、暗室経験を積んだ人が多かった。
変なトーンだね、面白いトーンだねと指摘する人多かったと思う。
文字は何千年かの歴史、写真は、ほんの200年しかない。
あっという間に、銀塩写真を鑑賞する眼力は失われてしまうのだろう。
小生の写真は、最後のか弱い抵抗のようなもの。
その差を云々する写真の眼力は、デジタルになり急激に落ちていると思う。
なぜなら デジタル画像は全て明快で綺麗、でも画一的だから。
- 2022/07/12(火) 12:36:48|
- 勝島運河
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新橋駅近くで撮影。

暗い部分のディテールを出したかったので、レンガのトーンに露光を合わせた。
明るい部分に対しては露光オーバー(白飽和)となるが、明るい部分をなるべく避けてフレーミングした。

ハーフトーンの階調をくっきり出したかったので、現像液はD76より少し硬調な現像液(Ⅲo)を使用した。
ネガの歩留まりを考えたら、露光計でしっかりと光を測定したほうがいい。
しかし、失敗も楽しいと思えるなら、勘で決めるのも悪くない。
失敗しても、そこに思いがけない効果を発見することがある。
それが、新しい写真表現のきっかけに繋がるかも・・・
日比谷公園へ移動。
フィルムをSuperPan200に交換した。
現像は二段現像で処理した。

サニー16のルールに従えば、ISO:200のフィルムなので、絞りf:16、シャッター速度1/200秒が適正露光になる。
YA3フィルターの露光倍率は2~4倍 空が多いので、少し露光を切り詰め、暗く落とそうとした。
フィルターの補正倍率を2倍とし、f:16/100秒を適正露光と考えた。
実際にはf:16/125秒で撮影した。(1/100秒も1/125秒も 誤差の内だろう。)
SuperPan200は赤外部にも感光性があるので、樹の葉が明るめにでる。
また二段現像は、暗部を持ち上げる効果があり(それを期待している)、全体では独特のトーンになった。
これは、レタッチソフトを駆使してもデジタル写真では出ないのではないだろうか?
(内心、出せるかもしれないなぁ・・・とちょっと弱気)

光の当たった地面は白飽和している。

白飽和する部分を、なるべくフレーミングから外して撮影。
黒潰した部分はほぼない。
しかし、トーンは普段見慣れたものとは異なるだろう。
明るい「つわぶきの葉」と、暗い「樹の幹の襞」にはちょっとシュール感を感じる。
でも、ストレートフォットです。
見たままを撮影し、被写体に一切触っていない。
- 2022/07/08(金) 12:21:13|
- 都会の景観 Tokyo
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清水池公園から、目黒通りを越え、碑文谷公園へ。
入り口近くに石仏が安置されていた。

背景に比べ石仏の置かれている場所はくらすぎる。
内蔵のストロボを強制発光させている。
マニュアルで使うなら、ストロボのガイドナンバー、被写体までの距離を基に絞り値を計算。
被写体の光の吸収などを考慮し、絞りを補正、
背景と石仏のバランスを考えシャッター速度を決める。
マニュアルで使うのは面倒。
でも、さすが「オートボーイ」 面倒な操作は一切必要ない。

ティシュペーパーを丸めた紙が、縁に乗っていた。
邪魔だが、とり除いて撮るには抵抗があった。
有ったものを、そのまま撮る。
手を加えることは安易。
手を加えれば、すこしは見栄えする写真になる。
ちょっと演出を加えただけ。
許されるだろうと思う。
でも一度でも許したら、限界はなくなる。
どんどんエスカレートし、よりキャッチーな写真を狙う。
いつしかフェーク写真との境界も不明瞭になり、 何を撮りたかったのか分らなくなる。
「被写体には触れてはいけない」 透明人間であるべき。
それが「散歩にカメラ」の立ち位置だと思う。
小生に許されているのは、被写体を発見すること。
そして、フィルムを選ぶ自由、露光を選ぶ自由、現像液を選びネガを作る自由、プリントする自由はある。
些細なことだと思うが、そういう拘りが小生にはある。

公園内を 一周散歩した。

清水池公園では釣りが、この公園ではボート遊びができるようになっている。
大田区にも、釣りを楽しめる公園や、ボート遊びができる公園がある。
品川区に有っただろうか? うらやましい限り。

定番のフレーミング。
池の中心に、厳島神社がある。
まだ参拝したことがなかった。

厳島神社で、スナップ撮影。

碑文谷公園の池が立会川の源泉となる。
川はどう流れていたのか、前もって検討はしていた。
無理なく流れること(高低差)の確認と、暗渠になった川の痕跡を探ることが、今回の散歩の目的。

現像するときのミスをした。、
長巻から切ったフィルムが少し長く、使ったステンレスの現像タンクの現像リールから飛び出し、
その部分に 変な現像むらができた。(40枚撮りになっていた。ベルト式現像タンクなら問題く現像できた)
でも、記録は記録。
地図では「池の下橋」から目黒通りに出るルートが、流れとしては一番すっきりしている。
緩やかな高低差もありそうだが、残念ながら、ここを小川が流れていた痕跡が見つからない。
地図にある「みどりの散歩道」の可能性が高い。

カラーフィルムをいれたCanon Autoboyカメラを持ってきてよかったと思う。
片側がすこし高く遊歩道になり、街路樹が植えられている。
この特徴は嘗てここを小川が流れていたことを示すことが多い。

みどりの散歩道は目黒通りで寸断される。
そこに横断歩道はない。
少し右にある碑文谷交差点の横断歩道を渡る。
この交差点は 少し高い場所にある。
目黒区では、散歩道として整備し「サレジオ通り」という名をつけている。
その道を行けば、碑文谷八幡宮の参道の前にでる。
ネットの検索で検索すると、ここを碑文谷の池からの川が流れ、立会川になったとする記事(地図)をみるが・・・・
ネットに上げた人が、現地へ来て、それを確認しているのか、ちょっと疑わしい。
不確かな情報が、検証されることなく流布するのがネットの世界。
簡便に情報が行き交い、もっともらしい(信じたい)ことを記事にする。
当人には、悪意はなく、こんなこと知っていると自慢したいのだろうが、フェークニュースの温床になりえる。
そのうちネットを信じなくなる人と、信じて煽られる人との分断が起きるかも。
通りを横断し、みどりの散歩道の延長線に来る。
道の真ん中にコンクリートの線が延びる。
みどりの散歩道は、左に小川があり、右は散歩道として整備された。
その構造と同じ。
道は、田向公園へ向かう。

マンホールもある。
まずまちがいなく、この下に下水道(立会川)がある。

田向公園側から目黒通りの方向を見る。
川は、公園を斜めによぎっていたらしい。

対角線上の、もう一方の入り口付近にはマンホールが設置されていた。

この道(さくらの並木道)は緩やかな下りになっていて、進むと円融寺に達する。
道にはところどころ、格子状の溜めますがあり、降った雨を地下の下水にながすようになっていた。
立会川が流れていた痕跡だと思う。
この流れは、まっすぐ進み、寺町橋で立会川に合流したと思うが、
円融寺に沿ったカーブも川の流れを考えると捨てがたい。
その場合は大門橋となる。
碑文谷八幡宮は少し小高い所にあり、更にその奥には「すずめのお宿緑地公園」がある。
そこから出てくる伏流水は、時には涸れ沢となるだろうが、
雨の多い季節は、小川となって、立会川に注ぎ込んでいたと考えるのが、順当だと思う。
おそらく 碑文谷八幡宮の伏流水(小さな泉があった?はず)も立会川の源流の一つと考えてもいいのかもしれない。

円融寺の山門に到着。

折角なので、何カットか写真に撮った。(フィルムは交換した)


風情のある、撮影スポットの多いお寺さんだと思う。

門前の大門橋にでて、帰宅した。
- 2022/07/05(火) 08:01:43|
- 立会川
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家に帰って、目黒区のホームページで、
清水池と碑文谷池の情報を探す。

遊歩道として整備された案内地図があった。
この地図を参考に、探索のルートを決めた。
補助26号線を、目黒通りをめがけ歩く。(黄色の線で示した)
武蔵小山を過ぎる。

東天地の商店街(大正の頃までは、繁栄した通りだったようだ)を渡ると、目黒区に入る。
少し行き、平和通りに入る。
緩やかな登り道だが、鬼子母神に近づくと下りの道になる。

鬼子母神の「鬼」という文字は角のない「おに」で刻まれていた。
でもこの文字は、コンピューターには登録されていない。
規則(効率)に合わないものは、切り捨てるというのが、デジタル化だろう。
文化の継承という意味で、なんでもデジタル化は問題が残るかもしれない。
もはや筆を使う生活から離れてしまったので、
江戸時代の草書体で書かれた文章をすらすら読めるのは、研究者か愛好家だけだろう。
瓦版や浮世絵に書かれた文字は、ほとんど判じ物になっている。

紫陽花が咲いていたので、カラーフィルムでも撮影してみた。
残念ながら、Retro400Sより 光のダイナミックレンジは狭いようだ。

鬼子母神は五叉路に建つ。
立会川緑道の新橋の方向を見た。
道は緩やかな下り。
清水池からの小川は、この道をそのまま流れ、
新橋で立会川に合流するのが、順当だと思うが、
目黒区のホームページの地図には、
一橋、二の橋、三の橋の名称が記載されているので、途中から曲がり、雪見橋で合流したとも考えられる。
歩いてみたが、どちらとも判別できなかった。(一橋の所で曲がっても、緩やかな傾斜で流れは可能)
ここから 清水池へ向かう。
左手奥の道は緩やかな登り、カーブした感じも、いかにも川の流れを感じさせた。

緩やかな道を登っていくと「清水池公園」に出る。
途中にあったニセアカシアの並木道は、
嘗てここを川が流れていたことを示していた。(その確率は高い)

清水池公園を訪れるのは初めて。


こんな樹を見ると、思わず数カット撮ってしまう。

都内の公園では珍しく、釣りを楽しむことができる。
池で釣りができる公園は品川区にはないと思う。
かろうじて、勝島運河で釣りをする人を見かけることがあるが、
沢山の人が集まって釣りを楽しむ風情はない。

地域の人 密着型というのだろうか、ゆったりとした感じがする。
このような公園のほうが 小生の好み。
品川区と目黒区、公園のあり方に、考え方の違いがあるように思う。
--------------------------------
品川区の公園は、どちらかというと箱物を立派にする傾向がある。
そのため、公園部分のゆったりとした部分が削られる。
さあ遊びなさいと、公園を作るが、遊べる空間は意外と狭く、単調な広がりになる。
公園の内の景観は綺麗に整備されるが、その景観を維持するため、
こんな所までと思えるくらい沢山の柵を作ってしまう。
ゆったりとした気持ちで、そこで過ごしてみたいという気持ちにはなれない。
ポリシーの違いだろう。
- 2022/07/03(日) 11:58:29|
- 立会川
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いつ区界を越え、目黒区に入ったのか 分らない。
知らぬうちに羅刹橋まで来てしまった。
目黒区の名称は立会川緑道となる。
羅刹橋を進むと、次の雪見橋で緑道は大きく左に曲がる。
両側は車道になっていた。
この造りは、大井町の立会道路に似ている。(僅か100mくらいだけど)

緑道を進むと、案内板が設置されていた。

昭和7年(1932年)夏の当時の写真が、案内板に掲示されていた。
ここまでは、まっすぐに流れていたようだ。
遠くに見える森には、碑文谷八幡宮が鎮座し、
その手前の右に見える屋根は円融寺のものだろう。
立会川は小さな小川で、両岸には畑が広がっていたことが分る。
立合川が暗渠となったのは昭和39年(1964年)、東京オリンピックの開催された年だった。

遊歩道には桜が植えられていて、早春になったら、桜並木が見事だろう。
来年は、ここの桜を撮ろうと思う。

立会川の源流の一つ、「清水の池」からの流れは、この辺りで合流するはず。

でも、右の方向を注意深く観察し、道に川の流れの痕跡がないかと目をこらしたが分らなかった。
大門橋まで来ると、右にお寺の山門が見えてきた。
圓融寺だった。

境内は広く立派な構えのお寺だった。(円融寺は初めて)

静かで、ゆったりとしている。伽藍もフォトジェニック。
今回は、立会川の源流を探すのが目的だが、
このお寺を撮影する目的で訪れてもいいと思う。


緑道に戻り、更に先に進む。
すぐに碑文谷八幡宮に達する。

碑文谷の池の水が、右手から流れて、曲がり、緑道となるはずだが、
小川が流れていた痕跡は見つからない。
遠くを見る(高低差を観察)と、土地は、微かに右下がりになっていた。
碑文谷の池から流れてくるなら、もう少し下、円融寺あたりを流れていたように思う。

でも、ここまで来たのだから参拝しようと境内を進む。
大きくて立派な神社だった。

立会川緑道から、立会川の源流をたぐろうとしたが、
「碑文谷の池」からの流れも、「清水の池」からの流れも、
その手がかりは得られなかった。
碑文谷の池、清水の池から、歩き、
高低差を考慮し、小川の痕跡を探り、
この緑道のどこで合流するか、調べた方がいいと、結論づけた。
日を改め再度、挑戦。
まだ、源流探訪の散歩は続く。
- 2022/07/01(金) 17:40:02|
- 立会川
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