中原街道を渡る。
道路の名は再び立会道路に戻る。

左側に旗の台のランドマーク昭和医大の病院がそびえる。

5年ほど前、肺腺腫になった兄が緊急入院し、
見舞いに、何度も訪れていた。
ちょうど桜の咲く季節だった。

父は戦後、肺病になり寝込み勝ちだったが、
アメリカの進駐軍からもたらされたペニシリンを祖父が、どこかから入手。(薬の闇市?)
その薬のおかげで、肺病は治ったが、晩年、肺の病気になり、酸素マスクの生活を送った。
兄も、結局、酸素マスクの生活になったが、外を散歩する時間は減っていく。
歩かないと、体力(筋肉)の衰えは加速するのかもしれない。
マスク生活の期間は父も兄も、ほぼ4年で終了した。

歩かないと、老化は加速する・・・そんな強迫観念が小生にはある。
兄が入院した病室からの景色。
右の広い通りは中原街道、左に桜並木の立会道路が見える。
そのとき兄は、ベッドの上にいた。
花の盛りも知らず、約2週間後退院した。
Retro80Sフィルムは、Fomapan100より、光のダイナミックレンジは広いように感じる。
ただし、現像液の違いによるトーンの変化の割合は大きい。
適切に選ぶと、びっくりするような綺麗なトーンのネガを得る。
合わないと、トーンはめちゃくちゃ、人によっては使いにくいフィルムという評価を受ける。
それが 面白い。
Retro系のフィルムは、安いほうに分類される。
Fomapanより少し高いが、イルフォード系より安い。
コダック系は高すぎる・・・もうTri-Xには手が出せない。

南公園を過ぎる。

左には、旗の台から続く台地が続いている。
今は暗渠となり道となったが、川は台地の下を流れ、道は台地のきわにあった。
そして台地の道筋に、摩耶寺が、台地の上には小山八幡が建てられている。
江戸時代、立会道路の両側は河川敷になっていて、人家はなく、あったとして畑程度だったと思う。


更に進むと、西小山に近づく。
いつしか道路の名称が変わっていた。


西小山駅は、品川区にあるが、ほぼ区界。
すこし過ぎると、目黒区に入る。

羅刹橋にでる。
数年前にも、ここで写真を撮った覚えがある。
そのときは、立会道路と直交する道の幅が狭かった印象がある。
信号機も付いていた記憶がない。
道路は拡張されたようだ。
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碑文谷の池と、清水の池は、目黒区にある。
この二つの池を源流にして立会川は流れている。
いよいよ目黒区に入る。源流への散歩が始まる。
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- 2022/06/30(木) 08:59:56|
- 立会川
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第二京浜国道を渡り、今来た道を振り返る。
大井で立会道路に入り、ニコン工場脇を抜け、西大井の駅を横切て、第二京浜国道まで来た。

源流までのほぼ中間点だと思う。

ここで、道の名は、立会川緑道となる。
入り口には交番がある。

道は東急・大井町線 荏原町まで続く。

ほぼ直線の道路だが、右に大きく曲がると、立会緑道はここで寸断される。

正面の建物(ビル)の後ろに 東急・大井町線の荏原町駅がある。
川は、その脇を流れていた。

こんなアーチがシンボルとして設置されていた。
左に進むとすぐ踏切があり、渡るとまた、立会川の暗渠が続く。

「立会川緑道」という名から、「立会川児童公園」という名称に変更される。
この区間、立会川は、二つに路線の線路で分断され、
大井町線 荏原町の線路ぎわから、池上線・旗の台駅の線路ぎわまで続く長細い公園となる。
遠くに見える高層ビルは、荏原町駅近くにできた「ザ・パークハウス品川荏原町」
6年ほど前に完成した。


ここは、公園のきわ。(どんづまり)
池上線の電車が走っていた。
すぐ左に旗の台の駅がある。
遠くに見えるビルは昭和医大の病院。

踏切を渡り、立会道路を探す。
暗渠の上は、一部 駐輪場になっていた。
線路を背にして、立会道を見る。
背には先ほど歩いてきた児童公園の行き止まりが見えていた。

すこし進むと、中原街道にでる。
左手のビルは、昭和医大病院、桜の街路樹が続く立会道路が見える。
いまとなっては、川があったという痕跡は見当たらないが、
このマンホールの下を 嘗て立会川は流れ、
両岸には桜並木が続いていたのだろう。(と勝手な妄想を巡らしていた。)
- 2022/06/28(火) 12:04:20|
- 立会川
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駅前の立会道路に入る。

右側の車道の一部は、駐輪場になっている。

しかしすぐに遊歩道はなくなり、自動車の走る立会道路となる。

緩やかに曲がる道は、嘗ての川筋を記憶している。

品川区役所から来る道との交差点に達する。
区役所に通じる道に、立会川を渡る小さな橋が架かっていたのだろう。
一本橋という名がつけられていた。

一本橋の交差点を更に先に、西大井を目指す。

遠くに見える高層マンションは、西大井の駅前にある。
緩やかに曲がりくねりながら道は進む。

左はニコンの工場跡。
今使っているカメラ(Nikon SP)は この工場で作られたもの。


西大井駅前のガードの下をくぐる。

ここまで来ると、第二京浜国道は近い。

第二京浜国道を渡ると、立会道路は旗の台近くまで続く遊歩道となる。
- 2022/06/26(日) 10:43:52|
- 立会川
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5月の中旬、新橋駅の改札口を出ると、駅前で集会が行われていた。
政治の集会に出逢うと、記録にと撮影している。

小生にとって初めて聞く政党名。
参議院選挙に向けての集会だったようだ。

訴えることは、それなりにキャッチー。
自民党の右派、安倍元首相が喜びそうな内容に思えた。

日本では、コロナの感染はまだ多いものの、ワクチンの接種が進んだことにより、安堵感が漂っていた。
でも、世界を見渡せば、ロシアのウクライナ侵攻により、欧米の国では緊張感が高まっている。
石油の値上がり、円の価値の下落、食糧危機が貧しい途上国を襲いそうな状況。
本来は政治の舵取りが一番重要な時になっているが、
将来のぼんやりとした不安・危機より、
これ以上悪化せず、現状が維持できればいいという雰囲気が漂っている。
新しい政党が出て、議論が活発化すればいいが、自民・公明の過半数政権は維持されそう。

動員を受けた支持者の集会なのだろう。
支持者にはマスクをつけていない人が多いように思えた。
(つけない人が10%くらいいた。)
期待するような「うねり」になるだろうか?
ネットで調べたら、東京選挙区から一名が立候補していた。
初めて聞く名前だし、苦戦するだろうなぁ。
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1839年10月末、清国と英国のアヘン戦争が勃発、約2年続く。
戦争に負けた清国は南京条約に調印し第一次アヘン戦争は終結する。
このニュースは、直ちに幕末の日本(出島)にも伝えられ、
知識層(武士階級)の吉田松陰(山口)や佐久間象山(長野)等に、衝撃を与えた。(西洋軍備の優秀さ)
1853年 には
「泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たつた四杯で 夜も眠れず」
と狂歌に歌われたペリーの軍艦が浦賀沖に現れる。
庶民(町人)は驚き、幕府は来る者が来たと思っただろう。
1858年 清国はロシア帝国とアイグン条約を締結し、アムール川左岸を割譲する。
日本海に面しできたウラジオストクは「東方を支配せよ」という意味のロシア語である。
清国皇帝は、世界の潮流を読み解けず、悲惨な結果を生んでいく。
清国の状況を注意深くみていた日本は、ようやくそこで一つにまとまろうとする。
1867年、大政奉還へ舵を切った徳川慶喜の英断だったと思う。
(黒船来航から たった14年後、日本の政治体制は激変する)
もし、各藩がバラバラになり、自藩の利益・主張を繰り返したら、それこそ西洋諸国・米国の植民地になっていた。
ウクライナも、ロシアと同様なオルガリヒが各地方にいて、政治を動かしていたという。
しかし、ロシアが侵攻したことで、初めて精神的に「ウクライナ」として統一できたという。
悲惨なめに合わないと、ダメなのかなぁ・・・
自公連立政権が続いて、政治的には無風状態だが・・・世界の変化に取り残され、
気づいた時はカタストロフィーとなり、悲惨な目(経済的にも)に会うのではと危惧している。
日本は 世界第2位の医薬品マーケット(市場規模)になっていた。(小生が働いていた2000年頃の話、今もそうかなぁ?)
沢山の医薬メーカーがあり、利益を上げているが、政府の健康保険制度に助けられている面が大きい。
しかし新薬の研究・開発能力は、世界第二位ではない、ずっと下だろう。
ドイツ、英国、米国は遺伝子組み替え技術(RNA,DNA)を使ったワクチンを、すぐに実用化している。
実用化するためには、広範囲な基礎研究がないと無理。
日本も、ようやく開発に成功したというが・・・・遅すぎる、基礎研究レベルの低さを示していると思う。
その基礎研究(サイエンス)に対し、政府の方針は心許ない。
サイエンスとは何かが よく分っていない。
サイエンスは民主主義の根幹の理念に直結している。
実用化の「テクノロジー(技術)」は利益を生むので重要だが、技術は専制独裁国家でも進めることができる。
直接の利益を生まないサイエンスに日本の政府は冷淡、すぐ利益に結びつくもの(テクノロジー)に飛びつく。
でも、サイエンスの理念がないと、壁にぶつかり、そこで発展は止む。
サイエンスとテクノロジーは車の両輪、二つがそろって初めて発展が望める。
今後も、サイエンス軽視(の精神)が続くなら、日本の発展はないだろう。
- 2022/06/24(金) 11:15:46|
- ある場所、ある瞬間
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立会川の源流を目指し、立会道路を進む。

遊歩道になっていて、自動車は進入できない。

嘗ては東芝病院だったが、東芝の経営再建を目指し病院を売却、5年くらい前から品川病院となる。
西大井にあった東芝会館(鬱蒼とした木々に囲まれた社員の研修施設?)も、今は東芝の手から離れている。
栄枯盛衰、時代の流れは恐ろしいもの。
日本の経済に明るい日差しはあるのだろうか?
派遣法は、日本の景気が加熱したバブル期に作られている。
優秀な人材を終身雇用で企業に留めるの良くない。
人材の流動化を促進し、企業活動を活発にさせる目的だった気がする。
しかし、理念としてはいいが、日本の企業に受け皿となる風土がない。
2000年頃から、何度も改正されるようになり、
そのたびに労働の流動化を求め、派遣の範囲を広げ、敷居を低くした。
高度な技量より、安価な労働力に重心は移る。
ソフトウェアの開発は、自社に拘らず、より人件費が安く、レベルも高い新興国(インドなど)へ外注する。
余剰の人員を削減し、派遣に業務を任せるようになる。
この手法で、大手企業は人件費の抑制ができ、利益がでるようになる。
その資金を新たな投資に使い、新しい仕事を作り(当然、人材が必要になる)、経済を活性化させるはずが、
日本の経営者は、失敗したときの責任追求を怖れ、守りに入った。
内部留保に努め、あらたな雇用を生んでいない。
解雇された人の社会保障(失業保険)の充実、
これから伸びる産業向けの技能向上訓練などの受け皿を、
しっかり整備せず進めたのが、「アベノミックス」。
人材派遣会社は低賃金・契約労働者を企業に派遣することで、
利益を得て大きく成長したようだが、これは皮肉なことではないか?(ピンハネのピンハネ?)
岸田首相の唱える「新しい資本主義」、言葉だけは勇ましいがその内容はよく分らない。
「アベノミックス」は成功?その次は「新しい資本主義」・・・日本は経済的に没落していくような気がしてならない。
それ(将来へ希望をもてるか?)を感じているのは、今の若者だろう。

其処に出口はあるのか?と思っていたら、
遊歩道の終わりにさしかかっていた。

遊歩道の端を示す標識があった。

池上通りに繋がる陸橋をくぐると大井町の駅前(裏)にでる。
立会川は、JR京浜東北・東海道本線のプラットホーム脇を横切り流れていたようだ。

踏切を渡り、ロータリーのある駅前にでる。
今はロータリーの道路に下になっているが、このあたりから、上流に向かい立会川は流れていたと思う。
左にカーブする道は、いかにも川の流れを連想させる。

その道に沿って歩くと、右手前方に、並木道が続いているのが見えた。

片道 一車線の道だが、進めば第二京浜国道に至る。

この道から第二京浜国道にでる車は少ないだろう。
別道を使う方が、早い。
自動車そのものも少なかった昭和20年代なら、この道を使ったかも。
- 2022/06/22(水) 12:14:31|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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嘗て、立会川の河口付近は、
京浜工業地帯の一翼を担い、
小さな工場で働く人が溢れていた。
今は、その賑わいは消えている。

左側の店舗の裏には、立会川が流れている。
駅のプラットフォームが高架線の上に見える。
商店街の長さは200mもないと思う。
すぐに第一京浜国道にぶつかる。
国道を越えると、また短い商店街が続く。

長さは100mくらいあるだろうか?
でもアーケードになっているので、往時は一番の繁華街だったのかもしれない。
短いアーケードを抜け、立会川沿いを歩く。

2,3分も歩くと、立会川が隠れる場所に達する。

改修工事中なのか、カーテンのようなものがつるされていた。
暗渠の上は立会道路となる。

品川区では「立会道路」 目黒区に入ると「立合川緑道」という名称になる(らしい)。
同じものを見ても、「手」と言ったり、「腕」という。
何に関心を示すかによって、言葉は選ばれる。
掌に興味が向かえば「手」 筋肉に関心が行けば「腕」となるのだろう。
濡れ手で粟、手切れ金・・・ 腕が立つ、腕利き、彼は右腕だ・・・
しかし、写真は言葉ほど雄弁ではない。
戦後、リアリズム写真が流行ると、みなそれに倣う。
結局似たり寄ったりのテーマの追求、似たり寄ったりの写真、
「乞食写真」と呼ばれるようになり、流行は止む。
「アレブレボケ」が流行ると、これこそ、我々の心象(叫び)表現(美しき誤解だと思うのだけど)と、それに倣う人がでる。
やがて、流行は止む・・・・
デジタルになり画質は向上した。
でも、似たり寄ったりの美しい写真ばかり、
奇を衒って、アブストラクト写真を撮る(作る)人も居るが、
すでに フィルムの時代にも同様な試みはあった。
レタッチソフトを使った焼き直しのような気がする。
これからは、一枚の写真(静止画)ではなく、
動画の時代なのかもしれない。
動画の方は、連続したアングル、切り替わったアングルで、
何を見て、何を伝えようとしているのか、作者の視点を追える。
個人で動画を作ることはフィルムの時代かなりハードルが高かった。
発表する場所も限られる。
今はネットがその発表場を提供している。
動画(ムービー)の時代に入ったのかも。
すごい動画作家、動画アマチュアが出現する予感がある。
写真は20世紀のもの、「写真の世紀」は終了した。
あとは、物好きが細々と続けるだけ。
デジタルカメラも、(生き残りをかけ)スチール機能からムービー機能が強化された機種になってくのでは?
もし、それが難しいなら、やがて淘汰され、スマホがカメラ替りに使われるようになる。(すでにそうなっているけど)
- 2022/06/21(火) 09:37:24|
- 立会川
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立会川は碑文谷の池を源流に江戸湾に流れていた。
直線距離で、昔なら二里の距離、今なら8kmくらいだろう。
川の流れが蛇行することを考慮しても、徒歩で3時間程度で 踏破できるだろう。
河口は、明治以降の埋め立てや、戦争中の運河拡張のため、勝島運河になっている。
勝島運河は、散歩コースの一つ。
散歩にカメラの生活に入って15年くらい経つ。
立会川沿いは ほぼ全て歩いている。
今度は立会川を意識して、もう一度 川沿いに歩いてみようかと思っている。

Nikon SPにContaxⅡ用のJupiter8Mをつけて使用した。
ピントテストを行い、S型Nikonカメラと完全互換だという結果を得ているが、
ネットの検索すると、「近距離ではピントが合わないからやめたほうがいい」という記事をよく見る。
そのダメと言われる使い方をしている。
ネットの記事は、エビデンスの乏しい話が多い。
なるべくセンセーショナルな話題のほうが、目に付き読んでもらえるので、
ついエビデンス(根拠)の薄いことでも(事情通を装い)キャッチーな話にしてネットにながしているようだ。
どうしたものか?
ネット社会になり、どんどん人間の知性が劣化していくような気がしている。
梅雨の季節に入り、曇りの日が続いている。
時折、雲の合間から、弱く光が射す。

縄にピントを合わせる。
レンズの距離目盛りは約1.4m(4.5フィート)を指していた。
絞りはf:11、レンズの目盛りから3.8~5.5フィート(1.1~1.7m)が被写界深度内に入る。
ピントは合っていると思う。

曇天の光はフラット、コントラストが付きにくい。
D-76より、やや硬調に仕上がる(Ⅲo)現像液で現像した。
黒潰れ、白飛びのないネガになったが、
もう少し硬調な現像液でも良かっただろう。
ここが立会川の河口。
立会川を流れてきた水は、海に放出される前、ここで処理している。

東京の小さな川は、生活用水を流し、川は汚れ、魚の住まない川になっていた。
下水道扱い、川の上に蓋をして暗渠となる。
ようやく下水処理場が河口付近にでき、海の汚れは少なくなってきた。
でも、川の上の蓋を取り除く動きは、今のところない。

コントラストは低いが、ビル壁の文字はくっきりとでる。
1963年、ウクライナのアーセナル工場で作られたJupiter8M 50mm F:2のレンズだが、写りには安心感がある。
このレンズでダメなら、ほかのゾナー 例えばNikkor 50mm F:2を使っても同じようなものだろう。
致し方ないと納得する。

下水処理場に入る前の立会川。

前々日、城南地区をゲリラ豪雨が通っていった。
その豪雨は、自由が丘や旗の台付近を通り、東京湾に抜けたらしい。
水嵩がまし、川は白濁していた。
遠くを走るのは京急の電車、すぐ右に立会川駅がある。
- 2022/06/18(土) 16:00:12|
- 立会川
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第二次世界大戦後、戦勝国となったソ連は、東ドイツ側にあったツアイス工場を摂取、
イエナにあったコンタックス工場を、ソ連邦のウクライナ、キーウ(Kyiv)のアーセナル工場に移築する。
ツアイスの光学技術は、重要な軍事技術として、ソ連邦の光学会社に公開する。
その結果、ゾナータイプのレンズがJupiter(ユピテル)名で、各地の光学会社で製造されるようになる。
アーセナル工場では ContaxⅡのカメラを作ったが、(カメラ名は、キリル語 アルファベットでKyivと呼ばれる)
レンズは作らず、最初は、モスクワのKMZ(クラノゴルスク工場)から供給されたものを使っていたようだ。
(ただし、そのレンズも、東ドイツのイエナにあった材料で、東ドイツに残った技術者の指導で作られてものらしい。)
Jupiter8Mからアーセナル工場のマークが付いたレンズを見るが、1950年代の古いレンズを まだ見たことがない。
ライカ・スクリューマウントのJupiter8は、ソ連邦のレンズメーカー(複数社)が製造しているが、
Jupiter8Mはコンタックスマウントで、アーセナル工場のみで製造されていた。
レンズ構成はゾナータイプで、NikonS用のレンズと同じ。(Jupiter8Mはツアイス・ゾナーの正式な弟、Nikkor 50mm は義兄か?)
日本光学(ニコン)が先生としていたのがツアイスの光学技術で、
ツアイスをリタイァー(?)した技術者を日本に招き、設計法を習ったらしい。
アーセナル工場でゾナーレンズ(Jupiter8M)が作られるようになるのは1960年代からだろう。
設計思想(考え方)が同じなので、Nikon S型カメラと互換性がある。
ツアイスのレンズコーティングが施され、アーセナルの技術者としては、自信のレンズだろう。
確かに、この時期 1:2 F=5cmと刻印された Jupiter8Mレンズは、
ゾナーレンズでも一番写りがいいように感じている。(思い込みかもしれないけど・・・)
それが、15年前、新宿の中古市場で5000円くらいで売られていた。
ソ連邦のJupiter8レンズなら今も 5000円くらいだろう。(でも1:2 F=5cmは なかなか見つからない)
対応するツアイスのゾナー50mmやNikkor 50mm なら2万円以上すると思う。
最早、こんな古いレンズも使う人は少なくなっている。
このあたりになると マニアの領域。
戦前のレンズ設計だが、しっかり作られたレンズは、
ツアイスであれ、ライカのレンズであれ、140本/mm程度の解像度はある(と思う)。
今使っても充分な性能を持っている。

逆光で撮ったが、レンズのコーティングがいいので、フレアーはでず、クリアーなネガを得る。
前の樹から遠くを歩く小学生まで、ピントは届いていた。

レンズファインダーのピント合わせは、暗くなると難しくなる。
縦線で白黒の対比の高いところが合わせやすい。
台座の縁にピントを合わせている。
其処まで、距離は約5フィート(1.5mほど)、f:2.8なので被写界深度はかなり浅い。±5cmくらいだろう。
ピントは合っていると思う。

幹の襞にピントを合わせて撮影。
距離計のメモリは約1m(3.5フィート)だった。
f:4に絞ったが、被写界深度は±5cmくらいだろう。
ピントに問題はない。
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首都 キーウに KyivⅡを製造したアーセナル社がある。
ハーキーフ市にはフェッド社がある。(危うく占領されるところだった)
いずれもソ連邦時代に作られた光学機器メーカー。
今はウクライナの会社となり、
国の求めにより、今も光学兵器を作っていると思う。
歴史の巡り合わせ、戦争に翻弄されて来た。
当分の間、アーセナル工場製のレンズをメインで使うつもりでいる。
探したら、Jupiter-12 35mm F:2.8のレンズがアーセナル製だった。
- 2022/06/16(木) 11:37:04|
- レンズの眼、カメラの眼
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大井町へ出ると、ときたまではあるが、音楽の催し物にぶつかる。
大崎や五反田の駅前では、見たことがない。
駅前に少しスペースがあるので行いやすいのかもしれない。

個人情報保護が言われるようになり、
スナップ写真とはいえ、人の顔を撮ることは憚れるようになる。
断って撮影すればいいのだろうが、それも壁がある。
写真家、鬼海弘雄氏は30年以上浅草に通い、浅草の人を撮り続けていたが、
(被写体になってくれた人は、1000人に満たなかった?)
これはと思って、撮影の許可を取ろうとするが、時には一枚も撮れなかったという。
特に最近は、声を掛けても無視され、そのまま歩いて行ってしまうと嘆いていた。
小生に、どうしても撮りたいという強い動機はない。
もし、どうぞといわれても、撮す人も、撮される人も結果を意識し、
その人の自然さは失われてしまう気がする。
以前は、気づかれぬよう秒撮で撮ることもしたが、
この頃はしない。

路上の音楽ライブや催し物は、公開が前提なので、
邪魔にならないよう、何カットか写真に記録している。
世の中は、コロナ感染、ウクライナの戦争など、うんざりすることが多いが、
こういう路上ライブ聞くと、なにかホットする。
歌声は撮せないけど、雰囲気は(カラー写真より)伝わると思う。
プロのシンガーの「歌の力」を感じた。
このカットは85mmレンズで撮りたかった。
50mmレンズ、縦位置で撮影し、トリミングして画面を整えた。
- 2022/06/13(月) 11:08:22|
- 人物 ポートレート 踊り
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過去に何回か ここで撮影している。
撮っている時には気づかなかったが、
フィルムを現像してみると異界が出現していた。

画像を、そのままストレートに写真(ポジ画像)にした。
なにが現実かというと・・・・定義があやふやになり 困惑する。
量子論の世界(現実)が、人間の現実を支えているかもしれない。
あるいは、それよりもっと小さな世界が、支えているかも・・・
色の失せたモノトーン写真は、
立体(空間)が平面に記録され、すでにアブストラクト。
不完全だが、あの場所を記録している。
一画素単位で、プログラマーの手(恣意的)で作られるデジタル画像とは違う。
これは、レタッチソフトを駆使して作った写真でもありません。
あくまでもストレートフォトです。
- 2022/06/12(日) 07:48:16|
- ???
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白黒フィルムは、ネガフィルムの上にいかに光を記録するかに掛かっている。
光に反応した銀が記録できないと画像は出てこない。
そこで白黒フィルムでは、少し多めに露光するほうが良い場合が多い。
薄いより少し濃いめのネガを好んで作っている。
----------------------
昨日の記事では、光が当たっているクスノキを選んで撮影している。
光の当たった部分を中心に露光を合わせるならf:16/125秒かf;11/125秒になる。
でも、クスノキの幹は光を吸収し暗くなっているので、f:8/125秒とした。
もし、f:11としたら、日の当たらない街路樹は黒くつぶれ、ディテールはでなかったと思う。
f:8と露光を増やしたので背景のビルの壁は白飛びしていたが、
注目は日の当たったクスノキに行くので、それほど気にならない。

一本後ろの、ちょうど影の部分に入ったクスノキは、空からの柔らかな光に包まれていた。
この木を被写体にし、テスト撮影をした。

影に入ると、露光は2~3絞り増やすのが 経験値になっている。
一絞り多めの露光は、すでに終わっている。(f:2/1250秒で撮影)
むしろ露光を減らしたテストをしたほうがいい。
一絞り減らした露光を選ぶ。

更にテストだからと、二絞り分露光を減らしたコマも作った。
現像して、ネガを見た瞬間、この二コマだけ、薄いネガになっていた。
薄いネガほどトーンの幅は狭くなり(ハーフトーンは縮減)、画像のコントラストは上がる。
白黒の対比の強い、不気味さを含んだクスノキの幹が出現していた。
これも、写真表現のテクニックの一つだと思うが、暗い部分は完全に潰れる。
いまは こんなトーンを好む人もいるが、豊かなトーンで高コントラスト志向するなら、
過不足ない露光を選び、通常の濃さになるよう現像したほうがいい。(現像を押しすぎた濃いネガも良くない)
この光の状態ならf:4/125秒で露光し、
硬調な(Ⅳ)系の現像液で処理するのが良いと思う。
(参考:6月3日の記事でSuperpan200フィルム、YA2フィルターやや硬調な現像液(Ⅲb)で撮影した作例を載せている。)
光を読み、できあがりをイメージし、現像液を選ぶ。
現像液を、原液で使うか、希釈するか、現像を押すか、少なめにするか、それによっても微妙にトーンは変化する。
覆水盆に返らず、現像は一発勝負。
できたネガを見て、がっかりすることは多いが、うまくいったときの喜びは大きい。
一方、デジタルカメラに失敗はない。オートで撮れば、ダメという写真はできない。
しかし、失敗しないというのは窮屈だと思う。工夫すべき方向性が見えてこない。
一時期、デジタルカメラの設定をハイコントラスト・白黒モード(HCB&W)にして遊んだことがある。
フィルムではなかなか出せない、白黒のコントラストの高いすっきりした写真が撮れていた。
しかし、それ以上でも、それ以下でもない写真は撮れない、するとすぐ厭きる、こんなものかと。
HDR(ハイダイナミックレンジ)モードで撮ったこともある。
とてもフィルムではだせないトーンと色調が出現し、驚き しばらく使ってみたが、
いつも同じようなトーンで同じような色調になる。
もっと別のトーン、別の色調にならないのか?
次第にカメラに馬鹿にされているような気がしてきた。
HDRモードのプログラムを作った人の匙加減で画質はきまる。
自分が積極的に撮っているのではなく、プログラマーに撮ってもらっているだけではないか?
HDRモードは それから使ったことはない。(HCB&Wモードも)
思い込みかもしれないが、フィルム写真、トーンの表現の幅は、デジタルより広いのでは?
- 2022/06/09(木) 12:30:53|
- フィルムの眼
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大崎ビジネス街の街路樹を 被写体にして 写真のトーンがどう変化するかテストしている。
使ったカメラはKyivⅡ、

レンズは 1937年製(推察)戦前のツアイスゾナー 50mm F:2 、
おそらく 当時発売されていたライカのSummar 50mm F:2を意識していたのだろう、沈胴式(Collapsible)になっている。
レンズを本体にしまい込めるので 携帯にはいいが、(ライカカメラは使い良さを志向)
ツアイスは 技術志向、ピントの精度に拘り、明るいレンズは固定鏡(Rigged)が主だった。
1933年製の「傷だらけのゾナー」(ContaxⅠ時代)は固定鏡だった。
このレンズは1937年製、ContaxⅡの時代に入っている。固定鏡と共に製造されていたようだ。
とはいえ、本体内のしまい込んでも、それほど薄くはならない。
当時、ライカのレンズは、殆どが沈胴式、沈胴の作りもツアイスより綺麗に加工されている。
技術志向か、ユーザー志向か 両社の立ち位置の差がでている。
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6月3日に載せた記事と同じクスノキを被写体にしている。
前回より、1時間くらい早かった、太陽の光がクスノキに当たっていた。
ピントは葉の部分に合わせた。距離は約1.2mだった。

フィルムはパンクロのFomapan100を使用した。赤い色に対する感度は鈍い。
一方、Superpan200は、青い光の感度が鈍いが、赤外光まで感光領域が広がっているスーパーパンクロフィルム、
クスノキの葉が明るくでたが、Fomapan100では、暗くなった。
Retro80S、Retro400、SuperPan200は スーパー・パンクロフィルム、
パンクロフィルムに慣れた人が、Retro系フィルムを使うと、トーンの違いに戸惑い、難しいフィルムと思ってしまう所以だろう。

最短距離で撮影。幹の襞にピントを合わせた。(約0.9m)
直射日光が当たっているので、通常はf:16/125秒かf:11/125秒が適正露光だと思う。(サニー16ルール)
でも幹の部分は黒いので、それでは幹の調子はでない。一絞り開けてf:8/125秒で撮影した。
現像液は軟調現像液を使うことを想定していた。
少々オーバー露光しても白飽和(白飛び)はしない。

絞り開放でもテストしようと、絞りをf:2とした。同じ露光量にすると1/2000秒となる。
このカメラ(戦前のContaxⅡと同じ仕様のクーロンカメラ)は1/1250秒が最高速度。(当時のライカは1/500秒)
露光は少々オーバーするが、大丈夫とシャッターを切った。
ノンコートのレンズだが、コントラストは高く、解像度も高いレンズだと思う。
露光がたっぷり入り、少々ハイキーとなった。
ライカのSummar 50mm f:2と比較したら、開放絞りのコントラストは断然Sonnarの方が上。
ノンコートの時代、ダブルガウスより、トリプレットのゾナーのほうが、境界面が少なくフレアーは防止できている。
Summarの解像度は、ピントが合うとかなりいい。遜色なしだろう。
でも、見かけの被写界深度はゾナーに比べ浅いように感じている。(実写経験)
像の崩れ方(ボケ方)が大きい。だから良かったという写真も撮れる。(しっとりと落ち着く)
当時、ライカにしてもコンタックスにしても、もてる技術の最高を駆使したと思う。
レンズの解像度は120本/mm~140本/mmくらいあったと思う。
でも戦前のフィルムの解像度は60本/mm程度だから、レンズはオーバースペックになっている。
その高解度が、競合する他社との画質の差を生んでいたのだろう。
なぜかライカ/コンタックスのレンズは良く写ると。
昭和30年頃まではフィルムの解像度は60本/mmだったが、(当時 ミニコピーフィルムでも160本/mm程度だったと思う)
Tri-Xが発売される頃になると、フィルムの性能は格段の進歩を見せる。
60本が100本と上がっていく。
いま汎用で使うパンクロフィルムは120~140本/mmくらいになっていると思う。
ようやくオールドレンズの解像度に並んだと思う。
140本/mmのフィルムを綺麗に撮るためには280本/mm程度の解像度をもつレンズが欲しいところだが・・・技術の限界に近い。
製造したらきっと大変高価なレンズになると思う。
デジタルカメラのレンズは、すでにその領域に入っていると思う。
でも、画質を見分ける眼の力(どんどん鈍っていると感じる)が撮影者にあるのか、試されている。
仕事に使うプロなら その点は気をつかってみているだろうが、
モニターの画面で満足し、たまにA4(六つ切り程度)にプリントする程度のアマチュアでは、
宝の持ち腐れとならないだろうか?
- 2022/06/08(水) 11:23:48|
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露光の過不足が どのようなトーンの変化をもたらすか二段現像でテストした。
やや軟調な現像液で、銀濃度の濃さが140(Up:140)の値になる時間まで現像し、
(あらかじめテストピースを作くり、現像実験し、温度、時間と濃度の関係をデータ化している。)
硬調な現像液に切り替え、一定の時間(今回は20℃で10分)まで現像し、
現像を停止、定着、洗浄し、ネガを得た。
背景のビル群は大崎のビジネス街。
ここはJRの土地、整地されている土地の後ろに車両センターの建物が見える。
去年までは、この場所にアスレチック施設があった。
見通しがいいので テスト撮影の場所に選んだ。
同じような写真を三枚並べたが、それぞれトーンはかなり異なっている。

晴天の5月、白い雲が浮かんでいた。
空を落とし、雲をくっきり出すため、YA3(オレンジ)のフィルターをつけている。
ISO:200フィルムを使用した。適正露光は、おそらくf:11/250秒となる。
このコマは一絞りアンダーで撮影。

普通はこれが適正露光と思う。

一絞り、オーバーで露光した。
画素等倍(約1300万画素)に拡大して、比較する。

粒状性では「オーバー露光」したものが、一番滑らか。それにトーンも一番豊か。
「アンダー露光」は、粒状性が粗くでてしまう。トーンはかなり縮減している。
文字のエッジが綺麗にでたのは、「適正露光」と思われる写真。

でも全体をみて評価すると、「アンダー露光」のシュールなトーンも捨てがたい。
エッジがでて文字がくっきり読める「適正露光」も、いい。
「オーバー露光」も、使いようはあると思う。(白飛び、黒潰を殆ど感じない)
どれが適正だったかは、何をどう撮りたいか、どういうトーンをイメージしたかで決まる。
二段現像では、予想に反したトーンになることが多い。
一本現像しても、ダメ写真の連続になることがある。
でも、時に一コマ、おや、うまく撮れたという写真が生まれることがある。
これが楽しく、もっと確率よく撮ってみたいと思い、テストを繰り返している。
シャッタ-を押せば、綺麗な写真が撮れてしまうデジタルカメラより、
じゃじゃ馬のようなフィルム写真の方が断然面白い。
- 2022/06/06(月) 21:59:31|
- フィルムの眼
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コロナウイルスの流行で、
この2年半、散歩の範囲は限られている。
近所をうろつくだけ。
目につくものを カメラに収めるようにしているが、どうしても同じ被写体になっていく。
どうしたものかと思えど、こればかりは致し方ない。
その分、家でフィルムの現像法を検討する時間が増えていた。
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レンズとカメラとフィルムそして現像法で、どんな写真が撮れるのか
「フィルムカメラ」と「小生」に明日はないかもしれないが、できるまでやってみるつもりでいる。

同じような写真を3枚載せた。
ブログを見ると、何の説明もないまま、
同じ被写体の、同じフレーミングの写真を何枚も載せる人がいる。
どんな意図で載せているのか分らない。
どれが一番に良く写っているか、観る人が選んでくれと言っている?のかも。
同じような写真を敢えて載せるのは、
もし、まだモノクロフィルムで撮影する人(同好の士)がいたら、
その人のヒントになるよう 比較して得た情報を公開したほうがいいと考えているから。

この写真は、Nikon SPにJupiter8M 50mmF:2レンズをつけて撮たもの。
レンズは、戦前ツアイスでつくられたゾナー50mm F:2と同じ構成になっている。
イエナにあったコンタックスの工場を、
ウクライナのキーフに移設し、そのアーセナル工場で1963年に製造されたもの。
基本的にはS型ニコンの50mm F:2レンズとは従兄弟の関係にあると思う。
当然ながら、互換性があり、S型Nikonにつけて使うことができる。

50mm F:2ゾナーのなかでは、これが最高のレンズではないかと思っている。(これは小生の妄想です。)
レンズを研磨し、七枚のレンズを製造する。そのうち三枚のレンズを貼り合わせて二つのレンズ(群)を作る。
二群は三枚貼り合わせ、一群は一枚のレンズ、それを組み立てゾナーレンズを組み立てる。(トリプレット)
これには、高度な技術と熟練が必要なので、
その行程をきちんと踏んで作られたゾナータイプのレンズに、大きな違いはない。
どれも優秀。
でも、使ってみると、そのなかでも、このレンズがいいと思ってしまう。

撮影はNikon SPの最短距離近くでピントを合わせた。(約1m)
前の葉に合わせている。
f:8に絞っているが、幹の部分は被写界深度を外れている。
でも像の崩れは少なく、材質感は残る。
2枚目は、YA2フィルターをつけて撮影。
一絞り光量が減るので絞りをf:5.6にした。
空からの光の照り返しが消え、コントラストが少し上がり、葉のディテールがでる。
3枚目は、フィルターを外し、開放絞りf:2に合わせ、シャッターを1/1000秒にして撮影する。
被写界深度は一番浅い。
それでも ピントを合わせた葉の部分のディテールは良く記録できている。
最短でもピントは合っている。
(コンタックスとニコンSでは微妙にフランジバックが違い、マウントの回転角も違うので、
ピントは合わず、使えないとネットに書き込む人は多いが、
多くは、伝聞をもとに書いているだけ。
その情報が拡散し、あたかも真実であるかのような印象を与えている。
ネットはフェークニュースに対するチェックは甘い。
情報として善意で書いているのだろう。(知ったかぶりしたいのかも)
単なる与太話だと聞き流せばいい。
でも、エビデンスがあるのか、載せる前、今一度の気配りは欲しい。)
1963年のころが、ソ連邦の一番輝かしい時代だったかも。
国力充実、レンズも優秀だと思う。
このレンズJupiter-8M(キリル文字だけど) 1:2 F=5cmと刻印されているが、
その後に製造されたレンズになると、Jupiter-8M 2/53 のような表記になる。
このレンズになると、若干だが落ちる気がする。(その程度、思い込みかも)
F=5cmであった時期は短いと思う。
立ち上がり、少し上の部分を横位置のフレーミングで撮影。

やや硬調に仕上がる(Ⅲb)現像液を使用した。
幹のコントラスト、ディテールは小生好み。
いいネガができたと思っている。
- 2022/06/03(金) 16:35:18|
- レンズの眼、カメラの眼
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例年、季節になると大崎駅の南口に鯉のぼり飾られる。
線路を挟んで二つあるビジネス街につながり、人の通りは多い。

沢山の人がこの下を通り過ぎる。

子供の日は 晴天だった。

二段現像でトーンを変えた。
ちょっとシュールなトーンになったが、
二段目の硬調な現像液の現像時間を減らせば、このシュール感は抑えられ、
明暗差の大きな構図でも、黒潰れも白飛びもしない写真ができたと思う。
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それから数日後、友が東京に出てきたという連絡をうける。
時間の余裕はないらしい。
東京駅近くのレストランで一杯のみ、新幹線の改札口まで送った。
この駅に到着する頃には、友の乗った列車は大崎駅を過ぎていただろう。
改札口を出ると、まだ鯉は泳いでいた。
少々酔っていたが、手にしたデジカメのスイッチをオンにして、何カットか撮影した。

Pモード(カメラにお任せ)で撮影した。
でも撮ろうという意欲はあったのだろう。
付属の小さなストロボを立て、ストロボを発光させている。
そして月と鯉を一つのフレーミングに収めようとしていた。

おそらく来年も、ここに鯉のぼりは揚がり、季節の到来を告げる。
年年歳歳花相似たり・・・・
でも、友と再会できるかは・・・よく分らない。
友の顔をみて年取ったなぁ思ったが、
友も、そう思ったに違いない。
- 2022/06/01(水) 09:23:00|
- ある場所、ある瞬間
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