新聞には、5月9日まで鯉のぼりが飾られていると載っていた。
9日は月曜の登校日になる、おそらく放課後、生徒の手で外されるのだろう。
そう思い、前日の日曜 カメラを手に三ツ木小の校庭に立った。
連休中は快晴のいい天気だったが、
この日は曇り、太陽の輝きは失せていた。

校庭には誰もいない。
ライトアップの時にいた人混みは消えていた。
祭りの後の、こういう雰囲気も好きだ。
校庭には、曇天からくる柔らかな光が届く。
影はない。
普通に現像したらメリハリのない眠い画像になる。
硬調な現像液も考えたが、
輪郭にエッジがでるギリギリの限界を狙い、フィルムを二段現像で処理した。
銀粒子の境界が強調され、ザラとした質感になる。
その場の雰囲気を伝えるなら、(小生の感覚では)こんなトーンが良いと思う。
花は盛りに、月は隈くまなきをのみ、見るものかは・・・・
故人もそんな感想を綴っていた。
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- 2022/05/31(火) 11:50:05|
- ある場所、ある瞬間
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昼 見たとき校庭に数カ所縄で囲われ、
LEDの照明が置かれていた。
これでライトアップするらしい。
それほど明るい光になるとは思えない。
三脚を立てて、長時間露光することになると思った。
暗くなるのを待ち、8時頃 三ツ木小へ行く。
昼間は数人だった校庭に、
信じられないほどの人が集まっていた。
光の具合、露光を確かめようと
持参したデジカメを三脚にセットして、撮影した。

ISO:200にセット、絞り優先モードにし絞りf:8とした。
あとはデジカメにお任せで撮影した。

照明の関係で入れない場所がある。
人の邪魔にならないよう三脚を立て、撮影できる場所は 限られる。

LED照明の色が、時間をおいて切り替わる。
スマホを手にした人は、鯉のぼりを背景に、写真を撮っていた。
本格的なデジタル一眼や、
高価なミラーレスカメラを持って鯉のぼりを撮影して居る人もいたが、
それも、もはや少数派になっている。
いまはスマホが主流になっていた。
スマホを使う人は、
感度など気にしていないだろう。
綺麗だと思ったすぐ撮る、それで綺麗に撮れるのがスマホ。
手持ちでも充分、夜の撮影はできる。
技術の進歩はすごいと思う。
--------------------------
撮った画像を液晶で確認する。
f:8、2.5秒~4秒でシャッターは切れていた。
フィルムはフジのAcros100を使用した。
ISO:100なので、換算すると、
f:11の絞りなら、10秒~16秒の露光時間で撮影できることになる。
Acros100は相反則不軌のあまり起きない(優秀な)フィルム。
露光補正倍率を1.5とすれば、15秒~24秒となる。
Fomapan100とか Retro80S,SuperPan200なら、露光時間が増えるに従い、補正倍率も大きくなる。
Fomapan100なら 1分とか2分の露光時間になると思う。
安全を見て、露光時間30秒と60秒の二水準で撮影してみた。

結果は30秒に軍配が揚がる。
60秒だと少しオーバーだった。
確かに24秒がベスト露光かも。

絞りを11にしたのは照明の光芒を綺麗に出したかったから。
この撮影では、あまり意味がなかった。
もし来年も ライトアップされた鯉のぼりを 撮影することできたら・・・・
さて、どうするか?
来年までの宿題を見つけた。
- 2022/05/29(日) 18:57:02|
- ある場所、ある瞬間
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子供の日、快晴の天気が続いていた。

鯉のぼりの泳ぐ姿を撮りたいと、
アングルを自由に選べるレンジファインダーカメラを持って行った。
空には薄らと雲が伸びている。
空を落とし雲を引き出すためR2フィルター(赤)をつけて撮影してみた。

フィルムはSuperPan200、トーンの幅を狭くするため、現像は二段現像することにした。(5月3日の撮影/現像結果から決めていた。)

最初に軟調な現像液で現像し、タイミングを見計らい、硬調な現像液に切り替える。
そうすることで、トーン全体の幅を狭めることができる。
切り替えのタイミングと、硬調な現像液の現像時間を調整することにより、
画像に輪郭(エッジ)がでたり、黒い潰れもなく、白飽和も防いだ写真になったり、
場合によっては予期しなかった怪奇なトーンになったりする。
仕事ではない、あくまでも趣味。
結果が失敗でも・・・それがまた面白い。
失敗は工夫する種になる。
むしろ遊びと割り切っている。
見た目以上に雲は渦巻いていた。
- 2022/05/27(金) 10:47:10|
- ある場所、ある瞬間
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「通用門を押して中に入ってください」の掲示があった。
押すと開き、中に入る。

校庭には、すでに数人の先客の姿があった。

連休の一日、ゆったりとした時間が流れていた。
これで空に白い雲でも浮かんでいたら最高だろう。
持ってきた三脚をセットし、撮影。

6×9cmの大きなネガ、3200dpiでPCに取り込むと7千万画素以上になる。
一部をトリミングしてみた。
これでも2800万画素はある。
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プレスカメラは、新聞社などの報道機関で使われていた。
まだストロボが普及する前、フラッシュはバルブ(電球)の時代、
一発でスクープ写真を撮る必要があった。
待ったなしの状況なら、まず撮ってみる。
そして記事に合わせ、必要な部分をトリミングして使えばいい。
でも使用したマミヤプレスは1960年代のもの。
報道機関への需要は減っていたと思う。
どのような人が、このカメラを求めたのか?
写真館のポートレートカメラ?
風景写真家?
大きくて目立つのが欠点だけど、
カメラの基本はしっかりと備えている。
工夫次第で、いろいろな撮影ができ、
使い勝手のいいカメラだと思う。
- 2022/05/25(水) 09:00:29|
- ある場所、ある瞬間
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三ツ木小の通用門は閉まっていた。
インターフォーンを押し、鯉のぼりを見たい旨 告げると、
返事と共に鍵の開く音がした。
通用門を押し校庭にでる。
午後2時過ぎ、校庭に人の姿はない。

今日はテスト撮影のつもりできている。
コシナ製の広角レンズ、Skopar 21mm F:4、
フィルムは SuperPan200を使用した。
赤外部まで感光領域が延びている。
反対に、短い波長の光に対する感度は落ち、青い光に対する感度は鈍くなっている。
青空なら、フィルター無しでも、見たような濃さに落ちてくれる。

R2(赤色)フィルターをつけて更に空を暗く落とし、全体のコントラストをつけようとした。
快晴の空が ちょっと残念。
白い雲でもでていたら、綺麗な写真になったと思う。

赤外線フィルターR72(720nm以下の光をカット)をつけて撮影してみた。
赤外線を良く反射する樹の緑があれば、赤外線効果を確認できるのだが、校庭に緑の植物は乏しい。
構図(切り取り方)は限られる。
誰が撮っても、まず最初に選ぶのはこんな構図だろう。

構図に関してはあまり選択肢はないと思う。
風や雲の形などの気象条件は、時の運。
その場で判断すべきは、光線の処理をどうするかくらいかなぁ。
校庭に人影はない。これなら三脚を持ち込んでもOKだろう。
- 2022/05/24(火) 09:35:49|
- ある場所、ある瞬間
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朝起きると晴天であった。
毎日が休日の身ではあるが、
ゴールデンウィークの声を聞くと、なにか華やぐものを感じる。
昼ご飯を済ませると、すぐにカメラを片手に、
近所を散歩、鯉のぼりを探す。
小学校や幼稚園なら鯉のぼりが泳いでいるはず。
戸越銀座駅に近い京陽小学校へ向かう。
残念ながら、校庭に入ることはできない。

雲一つもない快晴の天気。
空に表情がなく、かえって撮るのが難しい。

YA3(オレンジ)フィルターをつけて撮影してみた。
SuperPan200は赤外部まで感光性が伸びている。
地平線(校舎のすぐ上)の雲がすこしはっきりとでる。
陽の当たった樹の葉は赤外線効果ですこし白いトーンになったが、
効果的と言えるほどではない。

緋鯉が、白ぽく写ってしまった。
宮前小、戸越小へ行こうか?・・・期待できないなぁと思う。
連休中、校庭を開放するという三ツ木小へ向かう。

三ツ木小近くの、保育園には鯉のぼりが飾ってある。
期待できそう・・・

しかし、門は閉じられたままだった。
校庭には父兄らしい人が一人、なにか作業している。
鯉のぼりを見て楽しんでいる様子はない。
今日はまだ駄目なのか?
校門の前で立ちすくんでいると、
小学生が一人、通用門にあるインターホーンを押す。
通用門が開き中に入っていく。
これから何かの催し物をするようだ。
関係者以外お断わりということだろうと、すごすごと帰宅した。
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帰ってきてからも、気になっていた。
スポーツクラブの活動なら・・・・休みに入っている、父兄も見に来ているはず。
孫の活躍を見に来たお爺さんの素振りをすれば、なんとかなる。
ダメ元で行ってみるかと、今度はデジカメを手に、三ツ木小に向かう。

通用門は開き、父兄の姿もみえる。

先ほどより3時間くらい経っていた。
陽は傾き、校舎の影が校庭に落ち、鯉のぼりの半分ほどが影に入っていた。

鯉のぼりを撮るため、校庭を歩き回るわけにはいかない。

気持ちとしては、透明人間になった気分。
通用門のインターフォーンを押せば、校庭に入れそうだ。
それが分っただけでも良しとしよう。
- 2022/05/22(日) 12:13:36|
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4月16日 三ツ木小の父兄の方から このブログにコメントをいただいた。
「今年も三ツ木小では鯉のぼりが揚がり、
天気のいいお休みの日には門を開けられよう相談しました」とのこと。
おそらくネットで、
「鯉のぼり 三ツ木小 写真」
三つのキーワードをいれて調べたら、小生のブログに たどり着いたのだと思う。
連絡してくれた ○○○ ○○○○さん ありがとうございます。(個人情報です、名前を出していいものか・・・)
これで、今年は、鯉のぼりを撮る意欲が湧いてきた。
まだゴールデンウィークの休みには早いが、
散歩に出ると、鯉のぼりが揚げられている場所を探した。
上神明の天祖神社には、鯉のぼりが飾られていた。

下神明にも天祖神社があるので、それと対をなしているのかと思ったが、そうでもないらしい。
地区に二つの天祖神社では混乱する。
天祖神社というありふれた名前から、蛇窪という(歴史のある)地名を前面に出し、改名中かなぁ?
上蛇窪神社なら、なるほどと思い、すっきりする。

そして下神明にある天祖神社は下蛇窪神社だろう。
戸越公園駅は、嘗て蛇窪駅と呼ばれていたし、
東急下神明駅近くには、国鉄の蛇窪信号場があったという。
蛇窪はこの辺りを代表する古い名称、独占するのは、いかがなものか・・・

鯉は空を泳ぐ姿を撮りたいもの。
風が吹くのを待ってワンカット撮ってみた。
新聞にも、三ツ木小の鯉のぼりの記事が載っていた。

鯉のぼりの季節はすでに過ぎてしまったが、
カメラにはあと2カット分のフィルムが残っている。
その2カットが、なかなか撮れない。
困ったものだ。
- 2022/05/20(金) 18:28:27|
- ある場所、ある瞬間
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演出などの小細工を廃し、
現実をそのまま撮そうとする「リアリズム写真運動」が、戦後の日本で起きる。
この運動は、
第二次世界大戦前のドイツで起こった新即物主義(ノイエザッハリヒカイト)運動に触発され、
敗戦後の日本で起きたものだと思う。
当時のドイツでは、徹底的に客観性を追求し、
ジャーナリスチックな(政府批判を含む)写真を撮っていた。
同時期のフランスでは それとは真逆と思えるシュールリアリズム運動が起き、
抽象的な写真運動(芸術的志向)が盛んに行われた。
ドイツは、主観的表現主義に反発し、新即物主義へ傾斜していく。
新即物主義に裏打ちされた写真は、プロパガンダ写真にはなり得ない。
ナチスの台頭と共に、活動は制限されて衰退していった。
戦後リアリズム写真を提唱したのは土門拳だろう。
おそらく戦前、政府のプロパガンダ写真を撮っていたことへの、反省・悔悟があり、
新即物主義(ノイエザッハリヒカイト)に 活路を見いだしたのだろう。
ノイエ・ザッハリヒカイトに関しては、
ドイツ帰りの写真家・編集者、名取洋之助の設立した日本工房に
土門拳は所属していたので、彼からその知識を受けていたと思うが、
欧州の歴史的な表現変遷に関する深い理解にまで至っていないように思える。
キャッチーな言葉「ノイエザッハリヒカイト」に引かれた側面が強い。
彼の提唱するリアリズム写真は同調者が多く出て、一時隆盛を極めたが、
同じようなテーマ(モチーフとカメラの直結)の追求となり、やがて「乞食写真」と呼ばれるようになり運動は衰退していく。
リアリズム写真が盛んなとき、フランスのシュールリアリズム運動に触発された植田正治氏は、やりにくかっただろうなぁと思う。
今となっては、どちらも日本を代表する写真家になっている。
写真によって物事をどう捉えるか?
考えただけでは解き明かせない裏表の関係にぶつかる。
写真は何でもあり。
考える、そして撮ってみる、その繰り返しあるのみだろう。
写真にはリアル(現実追求)とシュール(個人的・美的追求)、この二つの極があると割り切れば、それで良いと思う。
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SuperPan200を撮りきったので、持ってきたFomapan100フィルムに詰め替える。
主に散歩中のスナップ写真が中心。
演出を施した写真は撮らないから、リアリズム写真と言えなくもない。
でも「モチーフとカメラの直結」と言われると・・・何のことを云われているのか分らなくなり動揺してしまう。

モチーフ?は何と聞かれても、切羽詰まったテーマはない。
結果的に、どう撮れるか試したい気持ちが一番大きい。(それがカメラとの直結になるだろうか?)
何がモチーフですか?と尋ねられたら・・・(後出しで)何か気の利いたコメントを出せばいい・・・と思ってしまう。

このフィルムは、軟調な現像液で処理するつもりだった。
すこしオーバー目な露光をして、暗部の黒潰を防止するつもりだった。(それが動機かなぁ?褒められたものではない。)

対岸の木々は浜離宮だと思う。
隅田川に掛かる環状二号線の橋、築地橋と名付けられたようだ。
オリンピックに間に合わせようと、道路の建設が続いていたが、
魚河岸の豊洲への移転が延期となり、一部の土地が、
道路建設の場所に入っていたので、問題になっていた。
問題だらけの都政とオリンピックだったなぁと思う。(ちょっとノイエ・ザッハリヒカイト風コメントになっている?)

築地の中央卸売市場跡。
船着き場のコンクリ-ト構造はまだ残っていたが、後ろの建物は全て撤去されていた。
中央右の建物は、国立がん研究センタービル。
7,8年前、兄が癌で治療を受け、この病院に入院していた。
見舞いに何回か訪れ、そのとき待合の部屋から、築地市場を眺めていた記憶がある。

隅田川の上流方向にカメラを向ける。
順光だったので、もう一絞り露光を少なくして撮影すべきだったと思う。(f:8/250秒)
この写真を、リアリズム写真と胸を張っていいだろうか?
「モチーフとカメラの直結」という言葉、難解すぎて、何を指しているのか、小生にはよく分らない。
「心象写真」というシュールな言葉も難解だ。
- 2022/05/17(火) 12:28:59|
- 都会の景観 Tokyo
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写真は誰のものか、といえば それは被写体のもの。
カメラを構え撮っている人のものではない。
嘗ては、自分の姿を残しておきたいと、画家に頼んで肖像画を描いてもらった。
ダゲレオタイプの写真の発明は、画期的なこと。
画家に頼むよりずっと安価に肖像写真を作ることができるようになる。
肖像写真は依頼した人のもの、撮った撮影技師のものではない。
見たものを精細で正確に記録できる写真は、映像証拠になる。
事件を扱い記録する報道写真が発達する。
嘘はつけない、非演出が原則、そして正確に・・・それが記録としての写真。
写真は撮られた被写体のもの、撮影者のものではない、撮影者は透明人間であるべきが原則だろう。
有楽町から海の方向に歩くと、隅田川に突き当たる。
右に少し行くと、公園に出る。

写らないように撮影ポイントを探す。
球体に撮影者の姿はない。
透明人間になった気分である。
バックのビルの明るさを基準にしたら3絞りほど多めの露光だろう。(と勝手に思い込む)
軟調な現像液を使う予定だったので、白飛びはかなり抑えられると考えていた。

太陽を背にしていた。
SuperPan200フィルムは青色に対する感度が低い。
YA3フィルター(オレンジ)をつけていたので、空は暗く落ちると予想した。
狙い通り、赤外線写真のように空は暗く落ちた。

月が出ていた。
月とベンチに座る人物を同時に記録したいと思い、後ろに下がる。
SuperPan200は赤外部まで感光領域が広がっている。
YA3フィルターを使用した。(オレンジ色、おそらく600nmカットのフィルタ-)
暗く落ちた空に、月がくっきりとでる。
R72(720nm以下の光を遮断する)赤外線写真用フィルターを使えば、赤外線写真も撮れるが、
ほどほどの赤外線写真、昔のコニカの赤外線フィルムほどではない。
イルフォードのSFX200フィルムとよく似た写り方だと思う。

勝鬨橋をくぐろうとする舟、遊歩道には釣りを楽しむ人が歩いていた。
晴れて気持ちのよい一日だった。
勿論、カメラは画家の構図を決める道具から発展した装置(科学機器)だが、
絵画にすり寄り、記録より記憶に残るものをと・・・写真の機能を利用した芸術志向の写真があっても良いと思う。
その流れは19世紀末の米国でピクトリア・フォットとして一応完成する。
20世紀の初め、パリではシュールリアリズム運動に触発され、
モホリ=ナギのフォトグラム写真やマン・レイのソラリゼーション写真が出てくる。
アンドレ・ケルテスのディストーションもその一つかもしれない。
写真家(愛好家)が 新しい視点の写真を撮る。
話題になると、それに触発され、似た写真が増えていく。
にたりよったり、陳腐化し、やがて厭きて捨てられ どうでもいい写真になる。
写真は不自由な表現法、「何でもあり」としないと、行き詰まる。
しかし「心象写真」とか「写心」という言葉には、違和感を感じている。
格好つけて写真を語りたいのだろうか?
心の原理はまだよく分っていない。
心の原理が判明すれば、カメラ会社はその原理に従い、心象写真カメラを製造するはず。
そんな筈ないだろうと思ってしまう。
- 2022/05/14(土) 09:27:18|
- 都会の景観 Tokyo
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カメラで写真を撮ることが、それほど一般的でない頃は、
特別な会合だったり、旅行の時だったり、晴れの日の記録として写真を撮る。
今は、スマホで簡単に記録できるので、
どんな店に行ったのか、そこでどんな料理を食べたか・・・を撮り、ネットに上げるようになった。
写真は限られた個人的サークルのもの。
サークル外の人は、その写真に興味は示せても、個人的な特別な感情が湧くわけではない。

写真は個人的な記憶に繋がる。
有楽町駅前、嘗てここには日劇があった。
小学生の頃、ここでアメリカ来た「シネラマ」映画を観た記憶がある。
日本で初めてのシネマ映画。
劇場が暗くなり最初のシーンが、いきなりジェットコースターの先頭に座り、滑り落ちるスリリングなシーンだった。
周囲の風景が左右の広い画面一杯に迫り、まるで実際に乗っているように感じた。衝撃的だった。
タイトルは「これがシネラマだ」というもの。
それから数年後、日劇ウエスタンカーニバルの初回を見ている。
更にそれから数年後、この劇場の地下にATG(アートシアターギルド?)という小さな映画館が有り、
そこで、欧州の映画を何度か見ている。
自分が何者か分らず右往左往していた頃、
それが知りたくて、映像の世界へ入り込んでいたのかもしれない。
ベルイマンの「第七の封印」、アランレネ?の「去年マリエンバードで」
イタリアの「自転車泥棒」? 上演される品目は全て白黒モノトーン映画だった。
それが、写真はモノトーンだと拘ってしまう小生の原体験かもしれない。

丸の内に本社と東京支店があり、
都庁が新宿に移転する前だから、
1990年代初めだっただろう。
5年ほど、支店勤務した。
そのころ、この横町の店に何度となく通っていた。
写真は個人的なもの。
入り口の看板に見覚えのある名があった。
それが懐かしい。
とんかつの繁、谷ラーメン、天ぷらの末廣・・・しかし、今も営業しているのは「とんかつ繁」だけになっている。
末廣は、横町から移転し、しばらく入り口のGINZA LINKSの場所にあったが、止めてしまった。
数年前、一度 店に入り、昔話しながら酒を飲んだ記憶が残る。

有楽町駅前。
雲を白く浮き上がらせたくてYA3フィルターをつけて撮影。
前に女性が来た瞬間、シャッターを切った。
ちょっとシュール感がでた。
右の建物は交通会館。
上に回転展望レストランがある。
付き合いだしたころの彼女(今の妻)とここで食事したことがあった。
いいところ見せたくて奮発したのだろうなぁ。
50年ほど昔のこと。
その展望レストランも今は営業停止している。

新緑の頃、並木通り、葉を白く輝かせたいので逆光で狙った。
当時、銀ぶらでもしたのだろうか?
回転レストランで 何を食べたのかも 思い出せない。(当たり前か)
銀ぶらしたことなど 覚えているはずもない。
- 2022/05/13(金) 11:41:57|
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あまり遠出はしない。
近所を散歩するだけ。
普段なら気にもとめなかっただろう。
この文字に反応していた。

桜の花が散る頃には、
ロシアのウクライナ侵攻も
どういう決着を迎えるか判明すると思っていた。
戦争は長期化する(1年あるいは2年)。
マスコミ(TV)ではそう解説する軍事専門家やロシア外交研究者の声をよく聞くようになる。
本当だろうか?
開戦当初は、2,3日で決着が付き、すぐ講和となると予想した専門家が多かった。
しかし、訓練されたウクライナ軍により 侵攻は阻止される。
全体で眺めると専門家ほど予想が外れていた。
日本人の思考も「権威主義」に傾きやすい。
今度は、戦争は泥沼化し長期化するという。
(お偉い)専門家のご神託なのだから・・・・そうなんだと納得してしまう。
長期化するという判断に至った根拠(エビデンス)の開示や説明もないまま、鵜呑みにしていいのだろうか?
ロシアの国民の大多数はテレビから流れる情報で、戦争の勝利を疑っていない。(いまのところ)
それと同じレベルかも。
桜の次は 「鯉のぼり」と「ツツジ」と 思っていた。
鯉のぼりは近所を徘徊し 眼についたものを、どうにか撮影できた。
今 その画像を整理中。
ツツジの花は萎み、散り始めている。
残念ながらツツジ(躑躅)は来年になりそう。
- 2022/05/12(木) 10:02:40|
- ある場所、ある瞬間
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東急東横線沿いに歩き、碑文谷公園へ。

広さからすると、戸越公園と同じくらいだろう。
でも空が広く気持ちがいい。

木曜の昼過ぎ、ちいさな子供を連れた人と、お年寄りの人が多い。

こんなアブストラク(切り取り方)も この公園には似合っていると思う。(ストレート・フォットです、画像の加工はしていません。)

公園に、人の姿は少なく、ゆったりとした時間が流れてる。
いっとき、現実の世界で起こっている二つの戦争を忘れていた。
- 2022/05/09(月) 08:48:51|
- 散歩
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目黒通りから入り、東口の商店街を歩く。

慣れ親しんだ下町の商店街と同質な感じを受けるが、
戸越銀座商店街と ちょっとした違いを感じる。
若者が多いのかもしれない。

コロナの影響でどの商店街でもテークアウトの店が増えたと思う。
ちょっとおしゃれな街という感じがする。
若者が並ぶこんな感じの店が、戸越銀座商店街にあっただろうか?

小生の記憶に残る昭和50年頃の戸越銀座商店街の雰囲気が残っていた。

企画力のある若者の街かなぁ。 ちょっとびっくり。

駅を越えると西口の商店街が続いていた。
- 2022/05/06(金) 10:18:19|
- 散歩
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立会川の源流、碑文谷の池まで歩いてみようと思った。
大井町まで開通した補助26号線を歩く。
武蔵小山を過ぎ、目黒区に入る。

カメラは構図を決める絵描きの道具だった。
有名なフェルメールの絵画も、
カメラオブスキュラに投影された構図を筆でなぞって作られたものだという。

カメラが発明された当初、カメラは画家の職業を奪うものと警戒されたらしい。
そのころの画家にとって肖像画が一番の収入源だった。
ダゲレオタイプの写真は肖像画の市場を奪っていく。
カメラも絵画を意識し、絵画調の写真を目指す。(ピクトリアル写真)
何枚もの硝子乾板をつかい、絵画でしか表現できなかった大きな画面の写真を作る。

一方絵画は、印象派絵画から、シュールリアリズム、キュビズムへと軸足を移していく。
写真にしかできない表現とは何か?
いつまでも絵画の模倣では「芸術作品」だと胸を張っていられるか?
第一次世界大戦後、そんな動きが出てくる。
当時 日本でもアマチュア写真家が 盛んに実験的な写真を撮り始めていた。

モダニズム運動だったのだろう。
ストレートフォット(写真に加工するな、演出も控えよう)という流れと、
シュールリアリズム写真の流れがあった。
どちらかというと、小生はストレートフォット派だろう。
でも、シュールな写真も好きだ。
シュールリアリズム写真は、その人の考え、見方、心構えが、もろにでてしまう。
それが恐ろしい。
レタッチソフトの発達で、シュールに加工した写真を作ることは簡単になった。
小生がレタチソフトでシュールな(盛った)画像に加工したら、
なんだ奇を衒い、自慢したいだけの写真じゃないかと・・・見透かされ、軽蔑されるのが落ちだろう。
戦前 シュールな写真を手がけた山本悍右の写真には及ばない。
彼の写真には、明快な意図、反抗の精神が詰まっている。
どうだすごいだろうと自慢したいがため「写真を作って」いるわけではない。
「こころざし」もないものが、レタッチソフトに手を出すわけにいかない。
やはり、小生はストレートフォトで遊ぶだけだろう。
- 2022/05/04(水) 10:42:35|
- 散歩
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火曜の昼過ぎ目黒川沿いを散歩した。
花筏を作るほどの花は残っていないが、
山本橋付近には残り桜がまだ咲いていた。

午後の光を受け花は白く輝いている。
逆光で撮るのが白黒フィルムの原則。
順光で撮ったら何の関心も引かない写真になるだろう。

デジタルカラーでも、同じだろうか?
カラーなら順光でも充分綺麗な写真になるのかもしれない。
するとこのフレーミングは選ばないだろう。

花は散り、スカスカとなって空が覗く。
カラーなら満開の桜を撮るのがいい。
でも、モノトーンなら名残の桜を撮っても、
その美しさを捉えることはできると思う。

撮影に使っているカメラ(KyivⅡ)はウクライナのキーフにあるアーセナル工場製。
レンズを調べたら、ロシア、モスクワ近郊にあるグラスノゴス機械工場製だった。

手持ちのf:1.5のレンズを探したが、同じモスクワ近郊にあるザゴルスク製だった。
これはライカのスクリューマウント用(Lマウント)、
KyivⅡのカメラに装着できるアーセナル製のレンズはJupiter-8M 50mm F:2のレンズだった。
NikonSPにつけて使っているNikkor 50mm F:2とは 従兄弟関係(隠し子?)のレンズだろう。
あまり使わないが・・・・ツアイスのゾナー50mmF:2を受け継ぐレンズでは、
最も優秀ではないかと 密かに思っている。
KyivⅡカメラとレンズほど、戦争に翻弄されたカメラはないだろう。
いまウクライナはロシアの侵略を受けている。
しばらくは、KyivⅡにこのJupiter-8Mをつけて使おうと思っている。
- 2022/05/01(日) 16:40:40|
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