梅の咲く時季はまだ寒い。
桜は春を告げる花、
咲く頃になると、暖かくなり、疫病も流行する。
いにしえびとは、地から魑魅魍魎が現れると畏怖した。
桜の花は疫病のメタファーとなる。
桜の花に恐れと美しさを、同時に感じたのだろう、
夥しいほどの歌が詠まれている。
散る桜に「もののあわれ」を感じたのかもしれない。
しかし、明治になると、
潔く散っていく桜は「いくさびと」の心のメタファーになる。
同じ桜でも、時代により、感じ方は変わってくる。
現代の我々は、桜に何を感じているのだろう?
暖かくなる日が続いた。
急速に開花が早まり、満開なるとすぐに散り始めた。
目黒川に花筏が現れるかもしれないと、
カメラを手に、大崎へ行った。

大崎駅の歩道橋にはすでに桜の花が散っていた。

ちょっとした風でも花が空を舞う。
これなら花筏になる。
目黒川沿いの遊歩道を歩き、花筏を探す。

綺麗な渦を捲く花筏ができるかも・・・
小さな手こぎのボートが通ってくれたらいいのにと、ボートを待った。
5分、10分、花筏はゆっくりと流されていく。
それを追って歩く。

しかし、二隻の観光船が通り過ぎたあとは無残なものだった。
現代の我らの桜を見る目は、このように変化したのだろう。
観光は経済活動、料金を払って桜を鑑賞しようとしているだけ。
桜の並木を見ながら、川面を軽快に登り、変化を楽しむ、それが観光の醍醐味。
今の日本では立派な産業(仕事)になっている。
コロナ禍が過ぎ、早く外国の観光客が来るようになればいいと思う人は多い。
政府のGDPを上げる政策の一つにもなっていた。
散歩するだけの人間はGDPに何の貢献もしていない。
綺麗な花筏がみたいだって!?両立できればいいけど、それより金を動かすことが優先だろう。
両立できる案でもあるかねぇ?
無視され、声なき声をあげるだけになる。

誰の本で知ったのか、はっきりしないが、
モンゴルの遊牧民は、地を掘ることを極端に嫌ったという。
地を堀返すと、砂漠化し牧草が生えなくなるからだという。
更に北に住むロシアの民も、自然を破壊することを嫌う。
自然はそのまま保全し、自然の恵みの獲物を仕留めて生活の糧とする。
金銭(経済)より、広大な森林こそ重要なもの。
自然を破壊し、それをお金にしたら、一時的には、そのお金で生活が潤うけど、
使ったらそれで終わり、豊かな森林は戻らない。そうしたら生活は成り立たなくなる。
ロシア人は、我々と違った感じ方をしているのだろう。
我慢強い人たちかもしれない。
今 西洋諸国が中心になり経済封鎖をしているが、
その制裁が利くのは都市に住む裕福な住民だけだろう。
ロシアでこれから咲く花は・・・梨の花、あるいはリンゴの花だろうか?
その花にロシアの人はどんな思いを込めているのだろう?
とりとめもないことを、うつうつと考えながら、この春は過ぎていく。
次は、鯉のぼりと、ツツジかなぁ。
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- 2022/04/30(土) 18:49:13|
- 桜
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大崎駅、山の手線の内側、目黒川沿いの桜並木は定番となって、
毎年のように撮っている。
山の手線外側の桜は、新しくできた再開発地域に多い。

駅前に明電舎の工場があったが、工場の移設に伴い再開発され、
今はビジネスビル、ホテル、タワーマンションのある小さな街になっている。

道路変更に伴い空き地になった場所には、
小さな公園ができ、桜が植えられた。
その桜も、成長し豊かな花を咲かせるようになる。

この桜は有力な候補だったが、
夜になり来てみると、街灯の光が殆ど届いていなかった。
ライトアップされたら見栄えする写真になっただろう。
撮影は諦めた。
- 2022/04/29(金) 10:16:38|
- 桜
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品川区役所前にある中央公園の夜桜を撮ろうと、
候補の場所を探した。

①まだ六部咲き程度。
あと2日ほどで八部咲き、その頃からが撮影のタイミングになるだろう。

②満開になったらマンションをバックにどう撮れるのか、ちょっと想像が付かない。でも候補の一つ。

③午後4時ごろ、明るい西の空を背景にしている。
これではトーンの崩れた写真になるが、
夜桜なら空は暗く落ちるし、グランドの照明が入り、
桜を逆光で明るく照らすはず。
撮影はタイミングが全て、それを合わせるのが撮影者。
開花した桜がメインだが、そのときの街灯とグランドの照明も重要な要素。
撮影者は、カメラと、フィルム、フレーミング、絞りと露光時間、現像液の選定を行い、現像すること。
「人事を尽くして天命を待つ」・・・それが写真、少々大袈裟かなぁ。
実際の撮影は①と③のコマの場所で行った。
- 2022/04/27(水) 08:50:37|
- 散歩
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夜桜を撮る樹を探していて撮った近所の桜。
定番の戸越公園の桜。

地面を入れないようなフレーミングすると、山里で撮影したような桜になる。
でも、枝が切り取られたところが入り、ちょっと痛々しい。
フィルムはSuperPan200を使用した。
Fomapan100より光のダイナミックレンジが広く、
うまく使えばコントラストが高く、暗部も潰れないネガを作ることができる。
この場合は、YGかYA2のフィルターを使えば、空が落ち、雲と桜がくっきりと出たかもしれない。
撮りたいのはごく日常の生活で見る地元品川の桜を撮ること、
このフレーミングでは、どこで撮ったものか地域の雰囲気が伝わらない。
綺麗に撮れたとしても、狙いから外れる。

戸越銀座通り近くの桜。
満開に近い。

文庫の森公園の池に植えられた桜。
古木になっているので、花に勢いがないが、満開だった。

夜桜の候補にしていたが、撮影場所が決まらない。
街灯の位置を考慮して周りを歩いたが、
どういうフレーミングが良かったか、今もよく分らない。

戦後できた新制中学校には荏原の名を冠した中学校が沢山ある。
今も残るのは、一中、五中、六中の三校だけ。
統合されたり、廃校になったりした。
ここは戸越公園駅近くにあった旧荏原四中の跡地。
どういう利用計画があるか分らないが、
講堂は今回のワクチン接種会場として使われている。
学校に桜は定番、夜桜にいいかと思ったが、校庭に入れない。
外からだと、フレーミングは限られる。
もし、来年も夜桜を撮ることにしたら、候補に加える。
今年はスキップした。
- 2022/04/25(月) 08:54:12|
- 桜
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3月の後半から4月初めは夜桜ばかり撮っていた。
候補の桜を探しに日中散歩し、花の状態を確かめていた。
今がそのときと思うと、その樹の元にいき撮影する。

たかが桜。

されど桜。

何度も撮っているが、

「これが桜だ」と、記憶に残るものは撮れていない。
カテゴリー「桜」の記事のみが増えていく。
また、来年も堂々回りしながら、桜を撮っているのだろう。
- 2022/04/23(土) 15:30:39|
- 桜
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大井町の立会川遊歩道(?)に桜の並木道が続いていた。
ピンク色の桜だった。

普段 よく通る道だが、桜が咲いている時期は目黒川に出ることが多かったので、
大井町は盲点のようなもの。

嘗ては綺麗な小川が流れる立会川だったが、
宅地化が進みドブ川と化すと殆ど暗渠となった。
その上は遊歩道になっているところが多い。
川面が見えるのは河口近くの数百メートルくらいになっている。
目黒区の碑文谷の池が源流らしい。
今は碑文谷公園になっている。
西小山から旗の台の昭和大学脇に掛けての立会川緑道には桜並木が続いていた。
数年前のその桜並木を歩き、桜を撮った覚えがある。
しかし、桜の名所とはなっていない。人混みもなくゆったりと散歩した。
来年は、立会川遊歩道沿いに碑文谷公園まで歩いて、桜を撮るのも悪くないと思う。
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昨日、ネットショップに、Retro80SとSuperpan200の100フィート缶を見つけた。
ようやく入荷したようだ、今のところ値段は変わっていない。
チャンスと一缶ずつ注文した。
しかし、やっぱりフィルムの値が上がったこと、ひしひしと感じている。
年齢、体力、意欲を考えたら、あと500本も撮れないだろう。
100フィート缶で25缶をどう確保するか・・・・
フィルムの値が上がるには抗しがたいと、
この数年、少しずつ購入量を増やしてきた。
冷蔵庫を確認(一部は冷凍庫)すると9缶あった。
2缶追加したので、カメラ生活に必要なのはあと14缶だ。
フィルムは冷蔵庫で保存しておけば、小生の余命より充分長く品質を保てる。
さてどうしたものか・・・兵站(Military Logistics)を行っているような気になっていた。
- 2022/04/21(木) 08:54:10|
- 桜
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文庫の杜に 遅咲きの桜が一本ある。
ソメイヨシノが散り始めたころに、開花が始まる。
ソメイヨシノに似た白い花をつける。
街灯の光は、上にまで届かない。
上部は外したほうがいいだろうと、
105mmレンズに交換した。

フィムルもFomapan100からRollei Retro80Sに換えている。
Retro80Sフィルムは、ハーフトーンから明るい部分では現像が進みコントラストが付きやすい、
透明性の高いポリエステルのフィルムのおかげか、暗い部分は抜けが良い。
それでも黒潰せずディテールは記録できている。
全体の印象はコントラストの強いフィルムだが、黒潰はかなり防げるので、
現像液を最適化できれば、黒潰れしない「レトロ」なネガになる。
戦前のレトロ(古い)なフィルムは、乳剤の厚みがあり、銀の量が多かったので、
足のある(黒潰を防いだ)フィルムだった。
でも、乳剤が厚いので、フィルムの解像度はそれほど高いものではなかった。
おそらく60本~80本/mm程度だろう。
中判のブローニーフィルムを使うのが一般的だったから、それで充分だったのだろう。
Retro80Sの乳剤の厚みは10ミクロン程度らしい。
少し使いにくいという人もいるが、
市販の現像液でも、使い方である程度コントロールできると思う。
うまく決まると、ダイナミックレンジの広い、高精細、黒潰の少ない豊かなトーンの写真になる。
そんなネガができると、「やった」という満足感を味わうことができる。
現像データを取ったのは、Retro80S, Retro400S, Superpan200, 赤外400の4種類のフィルム。
フィルムは使い続けることで 癖を把握し 徐々にネガの質を向上できていく。
4種類は多いなぁと思い、Retro80S、Superpan200の二つに絞ろうかと思っていた。
しかし、今年になってから、長巻のフィルムの入手が難しくなっている。
ネットショップを探す。
あるならそれで・・・と残っていた赤外400二缶とRetro80一缶をようやく入手した。
Superpan200は最早どこにもない。
最安値のFomapan100も見つからない。
ウクライナの戦争が一段落しないと日本には入ってこないのかもしれない。
まだすこしストックが有るので、どうにかなるが、
ドルに対しても、ユーロに対しても、円が弱くなってきている。
次回入ってきたらまた値上げなのだろうなぁ。
気の重い話です。
- 2022/04/20(水) 10:06:00|
- 桜
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花の盛りは過ぎていた。

最初に撮った夜桜は、この桜だった。
調べると2013年の春のこと、9年前に撮っている。
日中の撮影はそれ以前からあったので、この桜を撮った写真は多い。

同じ桜をよくも撮ったものだと思う。
並べてみると、少しずつだが変化を感じる。
それは、花の勢いだったり、周囲の風景の変化だったり。
これは個人的な思いなのだろうが・・・
写真を見ると、どんな気持ちで撮ったのか、その時の記憶が蘇る。
何に注目したのか、こう撮れば良かった、
こんな現像をしたらどうなるか、いろいろ試している。
一本の桜だけれど、貴重な経験をしていたと思う。
写真はかなり個人的なもの、時に独りよがりなもの、自分の記憶には残っていても、
人の記憶に残るような写真は、そうそう撮れるものではない。
上手に撮れていますねと一応は褒めるが、どれも似たり寄ったりの写真になっている。
数秒後には他に写真に眼が行き、すぐに忘れ去られる。
忘れてもらいたくない、自己実現、自己表現だと更に凝った撮り方をしてみる。
あるいは演出を加える、レタッチソフトで画像を盛る。
驚かしたい、振り向かせたい、認めさせたい・・・
それ健全な考え方、身の処し方だろうか?
綺麗な花を見て感動したから撮った。
すぐ忘れ去られてもいい。その感動を伝えたい 只それだけ。
この考え(精神)のほうが健全だと思う。
写真はコミュニケーションの道具、そう割り切るのが健全な精神だろう。
写真を自己表現できるものとは思っていない。
心境写真という言葉も嫌い。
しかし小生の写真、かなり独りよがりなものになっているなぁ。
それが問題だ。
- 2022/04/19(火) 06:58:52|
- 桜
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日本国中至る所に「中央公園」と名乗る公園があると思う。
ここが地区の中心だという役人の発想なのだろう。
芸の無い命名だなぁと思うが、
品川区の庁舎前にも「中央公園」が存在する。
以前は日本を代表する会社や機関が持っていた土地だったが、
企業の移転に伴い区が習得したものだと思う。
年々整備が進み、広い公園になってきた。

公園の脇に、級友の住む家があった。
中学生のとき何度か遊びにいき、今公園となった場所を見ている。
長く続く工場の塀の中には、低い倉庫のような建物が続いていた。
樹が植えられていた記憶がない。

公園は人工的に作るもの、
整備に伴い見てくれがいいよう成長した樹を植えていく。
明るく照明されたグランドでは、サッカーの練習する高校生の姿があった。
ここなら樹の上部まで光が届く。カメラをセットしてシャッターを切った。
しかし、ライトに照らし出されたこの風景そのものは全て人工的に作られたもの、
それを記録しているのが人間の英知が生み出したカメラという機械。
人間は罪深いかもしれないなぁと思う。
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戦争で使われている武器は全て科学技術の粋を集めてつくられている。
ICの発達は、自動操縦のドローンを生み、ピンポイントで狙うミサイルもできている。
フェークニュース、プロパガンダの情報戦争も勃発している。
人間の英知により人工的に作られたもので、生身の人間を脅し、破損する。
これが文明なのだろうか?
動物だったら、本能で(争い、殺戮に)歯止めがかかる。
もし本能的に歯止めが掛からなかったら、
その種は互いに殺戮を繰り返し地球上から消えていく。
歯止めのない種は、この地球からいなくなる。
それが生物の掟だろう。
- 2022/04/18(月) 07:51:06|
- 桜
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広場の夜桜を撮る。

公園の道を数本の街灯が照らしていた。
豪華で綺麗な桜なのだが、光は桜の高い部分までは届かない。
ダイナミックレンジの広いフィルムで撮影し、軟調な現像液で処理すれば、どうにかなるかもしれないが、
残念ながら、この光の状態で綺麗に撮る技術(テクニック)を小生は持っていない。
嘗て、この場所には沢山の桜が植えてあった。
敢えて過去形にしたのは、
国文資料館の記憶が残っているから。

過去の写真を探してみる。
ようやく一枚見つけた。
もっと沢山撮った記憶があるが、見つからない。
2007年は、散歩にカメラを持ち出した時期に重なる。
会社を卒業し2,3年経ち、通勤の肉体労働が無くなったので、太り気味。
好きだったカメラを手に、散歩を始めた時期だった。
当時はNikon SPにNikkor 50mm TRI-Xフィルムが定番になっていた。
現像はフジのSPDかミクロファイン。
おそらくこれはSPD(スーパープロドール)現像だろう。
まだ、現像ノートはつけていない。
夜桜の桜は、正面の桜だと思う。

2機種目のデジタルカメラで撮ったカラー写真も出てきた。
画素数は少なく、感度も低く、シャッターを押してから切れるまでタイムラグがあり、シャッターチャンスに弱かった。
今の評価ではいいところは一つもない駄目カメラだが、それでも200万画素のカメラ、
2Lサイズのプリントなら問題ない画質だし、ブログに載せる画像なら100万画素もあれば充分だろう。
小さくて いいカメラだが、もうバッテリー劣化して使えなくなっている。
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池の近くにあった古い洋館が壊され、新しい建物ができたのは、2000年前後だったと思う。
そして、門柱に「国文学研究資料館」の看板が埋め込まれ、初めてそこが国立の機関だと知る。
入り口から中の様子が見えるようになり、
当時 町内会で話し合い、資料館の花見をしようと、連れだって行ったものの、
前もって許可を取らないと駄目と断られたと母は憤慨していた。
同じ町内のようなもの(資料館は町内会に入っていない・・・当然ですが)、
お庭くらい地元の人を入れてもいいのにと嘆いていた。
(周りからも要望があったのだろう)
それからしばらくすると、春になり桜が咲くと、
門が開き、散歩ができるようになる。
ただし、池の方までは無理だった記憶が残る。
この資料館も、2008年頃、立川に移設することになり閉鎖、その後区に移管され、
公園となって整備された。
この場所の、国文学資料館の建物の歴史は20年にも満たない、
おそらく利用できたのは10年間くらいではないか?
資料館は、歴史を保存するもの、長期的な展望をもって運営すべきものだろう。
この国の予算の使い方、無駄が多いように感じる。(民間なら身銭は大切につかう)
- 2022/04/17(日) 11:44:15|
- 桜
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大崎駅に向かい、なだらかな坂道を下っていくと、
再開発されたビル群が迫ってくる。
ここには嘗て明電舎の工場があった。

変遷していく様子は、断片のように記憶に残っている。
重宗低が有った場所を背に、再開発でできたThinkParkビルを撮影してみた。
当時、重宗邸からは、工場の建屋群を眺めることができたのだろうと思う。
芳水小学校には、崖の斜面を利用した長い石の滑り台があった。
小学校の5年生のとき、
写生の時間に、その滑り台の上に登り、明電舎の工場を描いた覚えがある。
そのころから 見えないところで変化していたのだろう。
周りが少しずつ変って行く。
しかし、今になってみると、あっという間の出来事だったようにも思える。
生々流転 留まることはない。
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ロシアのウクライナ侵攻が気になっている。
見えないところで動いていたマグマが遂に噴出、
これは「対岸の火事」、「コップの中の殺し合い」では済まないだろう。
どうなっていくのか気になり、今日もネットを見る一日になりそう。
- 2022/04/16(土) 10:39:08|
- 桜
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芳水小の校庭には囲むように桜が植えられていた。
入学した当日、桜は満開だった記憶が残っている。
母校の桜もいいなぁと思い、
重いカメラを肩に提げ、三脚を持って、昔の通学路を歩いた。
校舎は完全に様変わり、往時の建物は全て無くなっていた。
運動場にはライトが当たり、フットサルの練習する集団があったが、
門は閉じられていた。許可を取らないと入れないようだ。
許可を取るなら、昼にでも来て、申し込む必要があるだろう。
撮影は来年でもいいと、近くにあった夜桜を撮影した。

大崎駅をでて、直角に交差する緩やかな坂道を登り切ると百反通りに出る。
芳水小は、その途中の右側にある。
右が芳水小、道を隔てた左側には住宅地が広がる。
昔は、明電舎に関係した人が多く住んでいた。
重宗邸(明電舎の創始者)や、社宅もあった記憶がある。
校庭の照明に照らされて桜がボーと白く見えていたので、
夜桜になるかなぁと撮影したが、風が有り枝は揺れ、白く霞んでしまった。
風の通り道になっていたようだ。
校庭には、わずかに桜の大木が一本残っていた。
その近くに見覚えのある大木(クスノキ?)があった。
桜の幹は太いが・・・この大木の脇に桜があった記憶がない。
苗木があったのかもしれない。
その近くに、シンデレラ城を模した小さな滑り台がある。
この滑り台は、妹の学年が卒業記念で寄贈したもの。
唯一記憶に残っているのは、この大木と滑り台のみ。
それ以外はすべて無くなっていた。
70年ちかく前の記憶、
立て替えられ、校庭が変化するのは当然と云えば当然。
しかし見知らぬ学校になったのを眼にすると、
時代に置き去りにされたようで、ちょっと寂しい。
- 2022/04/15(金) 09:38:42|
- 桜
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毎年 桜の花を撮っている。
地元の桜が殆ど。
遠くの桜の名所まで 出ていくことはない。
毎年撮っていると、似たような写真ばかりになってくる。
戸越公園の夜桜は、池の近くの広場で撮ったものが多い。
その桜も、この頃は花の勢いが無くなり始めている。
いままで選択肢になかった裏門近くの桜を撮ってみた。

樹に勢いがあり、ほぼ満開だが、撮影ポイントは限られてしまう。
児童広場の部分が工事中になっていて、フレーミングできる場所が限られていた。

構図が斬新な写真や、トーンが独特な写真が撮れるわけでもない。
一時、トーンを変えようと、硬調な現像液を使用したり、ソラリゼーション現像したこともあったが、
記憶に残こるような写真にはならなかった。
それが写真。
記憶に残る写真は 滅多に撮れるものでもないが、
またシャッタ-を切っていた。
- 2022/04/14(木) 10:17:12|
- 桜
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四方を民家に囲まれたミニ公園。

ミニ公園の脇を走る道は、
小型車がようやく通れるだけの幅しか無く、
その長さも、100mにも満たない。
通り抜けできるが、近道になるわけでもなく、
住んでいる人の地域道になっている。
数年前まで3本の桜が植えてあった。
一本は病気に罹り、花の勢いも無くなっていた。
他の桜にもその病気が移るのでないかと心配していたが、
伐採され今はなくなり、その跡は花壇となっていた。
戸越銀座は、関東大震災後、
震災を逃れたひとが移り住んでできた街。
戦前の隣組組織は、町内会として残っている。
近年は、住宅が解体されると、ミニ公園になるところが増えている。
桜の残ったこのミニ公園では、
桜の花が咲くと、近所の人が集まり、
机に茶菓子やビールを並べ、花見の会を行っていた。
班を単位としたコミュニティが残っていた。
今年はまだ無理だが、
来年、また花見の会ができたらいいと思う。
- 2022/04/13(水) 10:09:32|
- 桜
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夜桜を撮影し、帰宅。
すぐにフィルムを現像する。
翌朝、ネガをチェックする。
荏原三丁目の公園のカットで手が止まる。
武蔵小山商店街にあることを明快に示すためには、
ランドマークのようなものを写り混ませないと駄目かなぁ・・・と思う。
ただし、その方向は光の当たり具合が悪く、
開花した桜を撮りたかったので、避けていた。
とりあえずもう一回撮ってみるかと、
夕食後、また重いマミヤプレスを肩に掛け公園へ行く。

早春の空は日中青空であっても、夕方以降雲が出やすくなる。
繁華街の灯りを反射し、空が明るい。
武蔵小山駅前に再開発でできた二棟の高層マンションをバックに入れて撮影した。
この方向では、桜の花に光が入らない。
でも、何年後か、何十年後かには場所の記憶にはなるだろう。

光は逆方向の方がいい。
見上げると、満開の桜の花が乳白色の空に溶け込むようだった。
綺麗なもんだなぁと思い、ワンカット撮ってみた。
しかし、期待したほど綺麗には撮れていない。
何が期待外れになったのか?
フレーミング、フィルム、現像液か?
あの美しさを掴まえる(記録する)、なにか方法があるはず。
すぐには思い浮かばない。
来年の桜の季節を待とう。
それまでに撮り方を考え 再チャレンジしてみるつもりでいる。
- 2022/04/12(火) 09:38:08|
- 桜
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この公園は、武蔵小山商店街から一つ中に入った所にある。
二方を道路に面た角地にあり、わかりやすい。
商店街の入り口に近いので、人の流れが途切れることもない。

昼間通ると子供達がボールを蹴って遊んでいた。

桜の樹の間から武蔵小山商店街のアーケードが覗いていた。
家の壁には桜の幹の影が落ちている。
場所の雰囲気を伝えたいならここかなぁと、撮影ポイントに選んだ。
桜はほぼ満開になっていた。
- 2022/04/11(月) 08:37:23|
- 桜
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一間幅ほどの道があるが、突き当たりにビルが見え、
そこで行き止まりになっていると錯覚する。
道を進んだら公園があると想像できないだろう。
公園は四方を家で囲まれた場所にある。

個人の住宅があったが、住んでいた人が亡くなり、
遺族は処分しようと考えたのだろうが、
立て替えようにも、一間ほどの幅では、
大きな重機は入りにくいし、荷物の運搬も簡単ではない。
一方、区は木造住宅密集地域の防災を考えている。
そこで、区が買い上げた形になったのではないかと思う。(借りている場合もある)
庭の桜は取り残され、小さな公園になる。

こうした小さな公園が増えて来た。
桜の寿命は70年ほど、寿命が来たら切り倒されてしまう。
その後、ミニ公園に再び桜の苗木が植えられたのを、
小生は見たことがない。
- 2022/04/10(日) 11:30:17|
- 桜
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戸越小学校と道路を挟み、三方を石垣に囲まれた大きな邸宅があった。
道路に面した場所には、柱状のコンクリートの壁が続いていた。
そのコンクリートの柱の間越しに、池が見え、その後ろに大きな建物があった。
今思えば、それが旧三井文庫だった。
中に入ることはできない。
秘密の建物のように思えた。
戦後間もなくの頃、男の子の遊びは、戸越公園の池で魚を捕ること。
鬱蒼とした樹に囲まれた手つかずの池は、謎めいていたし、
きっと沢山の魚がいるはず・・・と憧れの地でもあった。
忍び込んで、魚を取っていたら見つかり、一日監獄に入れられたという話が、まことしやかに流れていた。
今は文庫の杜となって区の公園になっている。
嘗ての池も整備され、昔の神秘的なたたずまいは消えている。
その池の端に立って、夜桜を撮影した。

綺麗に整備された池には、幼いころ感じた「神秘性と怖れ」はない。
あれは、何だったのだろう?と思う。
街灯の光が、夜桜の先端部分に当たっていた。
池の周りの遊歩道を若い女性が通り過ぎる。
夜桜に気づき、足を止めると、スマホをかざし、アップで写真を撮っていた。
できばえを確認し、すぐに去って行った。
全ては明白、曖昧さは必要ない。
綺麗に整備された所を好み、最新の機器を使えばいい。
美しい花を見たら、スマホでそれを記録。
見栄えする写真が撮れたら、SNSにアップする。
自慢できる写真が撮れればそれでいい。
時代は変わっていく。
- 2022/04/09(土) 09:03:37|
- 桜
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同じ桜を次の日も撮影。

昨日のちょうど反対側から撮ってみた。
幹の部分に光が入っているので、ストロボは焚かなかった。

道路側から横位置のフレーミングで撮影した。
この桜は、民家の庭に植えられたもの。
家は整理され、今は駐車場になっている。
取り残された桜の古木、
以前はもっと高い桜だったが、幹が切られ背が低くなった。
今はまだ美しい花を咲かせているが、徐々にその勢いはなくなるだろう。
勢いを失った桜は邪魔なだけ、倒木したら危険と、根元から切り倒され、
やがて何もなかったように整地され
そこに素晴らしい桜が存在したという痕跡も残らなくなる。
おそらく10年以内にそうなってしまうだろう。
以前の素晴らしい桜を記憶しているだけに、
おもわず擬人化してしまう。
桜の老木は、声なき声で、
「そのうち、お前もそうなるのさ」
と呟いているように思えた。
- 2022/04/08(金) 08:58:02|
- 桜
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目黒川の桜は この頃有名になってきたので、混むようになっている。
これまでも 沢山撮ってきた。
時節柄(世界は二つの戦争に直面、混乱している)行こうという気持ちにはなれない。
夜になったらカメラと三脚を持ち、近所の桜を撮ることにした。

戸越銀座商店街の道から一つ中に入った道にある駐車場に咲く桜。
有名な桜の樹なら 綺麗にライトアップされているのが、
ここは、どこにもある桜、街灯の光が頼り。
どこから撮ったらいいか、
樹の周りを歩き回り、フレーミングを考える。
光の具合がいいところには、邪魔な車があったり、
いい構図のところでは、光がうまく当たっていない。
光を読みどう撮れるか想像するが、結果は現像しないと確認できない。
光が廻っているか不安だが、これもいい経験だ。
撮影ポイントを決めると、三脚を設置、
カメラをつけ構図を決めると、ピント、絞り、
シャッターがB(バルブ)になっていることを確認し、シャッタを切る。
一カット撮るのにも時間がかかる。
でも写真を撮っているという手応えは、
35mmフィルムカメラより大きい。
夜桜の撮影も楽しいものだと思う。
街灯の光が綺麗な光芒になるように、絞りはf:11かf:16にすると決めていた。
ISO:100でGN(ガイドナンバー)22の比較的大きなストロボを持参し、
どうしても暗くなるところはストロボを焚いて補助光として利用した。
f:11の絞りだと、2mまで光は届くが、3mで一絞り減り、4m以上離れるとストロボの効果は殆どなくなる。
f:16だと効果が期待できるのは2mまでだろう。
ストロボは、桜の太い幹に向かって焚いていた。
- 2022/04/06(水) 10:31:07|
- 桜
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毎年 桜が咲くと目黒川へ行く。
3月20日 東京の開花宣言があった。
それから一週間もすると満開になる。
目黒川は、場所により開花する時期が少し異なる。
開花の状況を知りたくて、目黒川沿いを散策した。


まだ2,3部咲き程度だった。

目黒区の市民センター近くは、遊歩道も広く、花見客をもてなす売店・ショップも少ない。
まだ見頃には達していないが、ベンチで花見を楽しむ人もいた。


目黒区民センターの橋の上から、雅叙園方向を望む。
両岸は桜並木が続いているが、開花したばかりでボーと赤く霞んでいた。
手前の一本だけは、もう5部咲き程度まで花を開いていた。
上流の中目黒の方向を見たが、白く開花した桜は少ない。
今、咲いているとしたら更に上流、中目黒から池尻大橋の区間だと思う。
今年も目黒川詣でして桜を撮ることになるだろうか?
コロナウイルスとの戦争を強いられ、
ウクライナ侵攻という人間同士の戦争も続いている。
春になったというウキウキした気持ちになれない。
困ったものだ。
- 2022/04/05(火) 08:59:32|
- 桜
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神田川沿いに秋葉原へ向かう。

護岸の木蓮は花盛りを迎えていた。
川の向こう側を電車が走りに抜けていく。
カラー画像なら、総武線か中央線か 素人目でも分るが、
モノトーンだと、よく分らない。
情報を伝えるなら、やはりカラー画像だろう。
では何故白黒モノトーンに拘るのか?

自問するが、よく分らない。
でも、狭い窓から外を覗き、世界はどうなっているか想像するのが楽しいのかも。
カラーだとはっきりと分りすぎ、そこでストップ、ああそうなのかで終わってしまう。
見えていない大切なことを想像させる契機にならず、
思考を停滞させてしまうからかもしれない。
「空想から科学へ」見えないものを知りたいというイマジネーションが世界を切り開いていく。

だらだらした坂道を下り、秋葉原へ。
久ぶりに人混みに紛れる。

これをカラーで撮ったら、
その写真をみて、どんな想像をするだろう?
個人的な好み、モノトーンが小生は好きだ。
- 2022/04/03(日) 11:21:28|
- 都会の景観 Tokyo
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本郷通りから折れ、お茶の水に向かう。

明治以降、この辺りには沢山の教育機関が設立され、新しい文化に包まれた場所。

江戸の街に水を供給してた神田川の水を、
ヨーロッパの近代的な給水システムを取り入れ、
本郷に給水所を作る。
その、公苑近くを歩いた。

幕末から明治時代、ロシアとも交易はしていた。
駅前にビザンチン風の建物が見えるが・・・これはニコライ堂ではない。
その後ろ、日大の理工学部の隣にある。
ロシア正教とは直接つながりはなく、むしろギリシャ正教に近いようだ。

当時、日本の権力者は、
ヨーロッパ列強、特にイギリスの眼で世界を見ていたのかもしれない。
国境は海に隔てられている。
開拓が始まった北海道を守り切れれば、
日本の安全は確保できる。
一方、李氏朝鮮は、国境を接している。
ロシアとの貿易も活発だったのだろう、
ロシアを脅威とは感じていなかったと思う。
一方南下政策を進めるロシアを日本は、脅威と感じていた。
イギリスのプロパガンダに耳打ちしていたのかもしれない。
新政府は、明治7年か?大久保利通の命で、
李氏朝鮮と満州のロシアの動向を探るよう、復命書をだしている。
復命書は何回か出されたようだが、
その最初の復命書は、読んだ記憶がある。
しかし、その資料 書庫のどこにしまったか・・・分らない。(探すのが面倒になった。)
国の機構が変わっても、底にある民衆の記憶は、なかなか消えるものではない。
共産主義のソ連邦時代、宗教はアヘン、抑圧・弾圧されるべきのだった。
ソ連邦崩壊と共にロシア正教が復活し民衆の心を捉える。
今、ロシアのウクライナ侵略戦争が、大変な事態を招いているが、
ロシア正教はプーチンを支持しているとニュースで聞いた。
ウクライナ正教とロシア正教は、どういう関係なのだろう?
小生の常識では、推し量ることできない。
古い資料を読み込んでいる博学の師の意見を聞きたいもの。
- 2022/04/02(土) 18:33:05|
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本郷通りにでる。
赤門の前で 二組の記念写真を撮る人を見た。
卒業式は、明日ではなかったか?

息子、あるいは娘の卒業を見届けようと、家族が東京にでてきたようだ。(東京の人かもしれないが・・・)
この二年、コロナ感染の影響で、オンラインの授業が増えていた。
教養課程が終わり、専門の勉強の時期、
文系ならゼミに入り、
あるいは理系なら研究室に入り、
卒業研究に励む一番大事な時期だと思う。
対面の指導が一番必要な時、大変な苦労をしたと思う。
でも、これが出発点、得たものを更に深め、いい仕事をしてもらいた。
くれぐれも、そのブランド名を悪用しないように。
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2年ほどまえ、コロナ感染が始まった頃、
様々な感染症の専門家がTVにコメンテーターとして出ていた。
今になって、その人達の発言を思い返すと、
ちゃんとコロナ感染が、どうなっていくか、予想し、
感染の波が何回か襲ってくるかの警告を述べる専門家がいた。
この頃は、その人がTVにでてコメントを求められることはなくなった。

(政府に)不都合な事実を指摘する人は避けようという忖度(報道機関に)が働いているのか、
この頃TVに出てくるコメンテーターは、おとなしく人ばかりになっている。
去年11月にコロナ感染は少なくなったが、
ないわけではなく、12月になると徐々に感染は増えていた。(これは危険なシグナル)
11月12月の2ヶ月は、次のコロナとの戦いの準備で大切な期間だったが、何をしていたのだろう?
12月一ヶ月の東京都が開示したデータを基に、感染の増加がどうなるのか、近似してみた。
近似カーブの示す所、3月になれば感染の増加は隠しようもなく、
誰の眼にも確かに分るとおもっていたが、
今年の一月初め、南アメリカで猛威をふるっていたオミクロン感染(?)が始まる。
予想もしなかった第六波の急激な感染拡大が続いた。
しかし、感染の基調は12月の感染拡大にあると見た(心配した)方がいいと思う。
第六波の減少を数学的に近似したカーブと、
12月一ヶ月間の、増加近似カーブと交わるのが、3月末頃と予想できていた。
①また感染の拡大になり第七波となるか、
②そのまま第六波の減少曲線に従い終結するのか、
③それとも、戦線は膠着、しばらく数千人の感染が続いていくのか、
気の重いことだが、ツツジの頃には分るだろう。
権力者は、マスコミ(報道機関)をコントロールしたがる。
これは、独裁政権では当たり前のことだが、
民主的な国でも報道機関をつかって、政府の意志に従うようコントロールしようとする。
東京都の公開する「都内の最新感染動向」どこまで、正確なのか分らない。
不都合な事実は公開しないのかもしれない。
統計が不確かだと、適切な予想が難しくなる。
- 2022/04/01(金) 12:29:39|
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