硝子の表面に薄膜コーティングすれば、
反射を防ぎコントラストの高いレンズができること分っていたが、
その表面加工技術の確立は困難を極めてた。
最初に達成したのは、自他とも認める世界の光学機器メーカートップのツアイス。
最初は軍事秘密扱いだったという。
1936年になると、ゾナーレンズへのコーティングが始まる。
廉価なレンズへのコーティングは為されなかったようだ。
戦前の写真用レンズでTコートされたレンズは、ゾナー50mm F:1.5だった。(だけかも・・・)
50mm F:2、85mm F:2、35mm F:2.8(Biogonと呼ばれた)レンズでT-コートされたレンズを、今のところ見たことがない。

FEDの外観はエルマーレンズに似ている。
Elmarレンズはシリアルナンバーから1937年製、
Tessar 50mm F:3.5は1933年製と推定している。
FEDの製造年は不明。
戦後、ツアイスの技術は戦勝国により公開され、
すべて自由に使えるようになり、
1947年には、写真レンズのコーティングが始まる。
コーティングされたFEDのレンズも持っているが、
絞りは大陸絞りではなく、今使っている絞り系列になっているので、
1937年から1946年に製造されたものと思う。
戦争の間はFEDカメラの製造も中止されていたようだから、
おそらくElmarと同時代、1937年頃だろう。
戦前のノンコートレンズとは言え、描写力は高い。

ノンコートだけど、レンズに直接強い光がはいらないよう工夫して撮れば、フレアーのない高解像度の写真を撮ることができる。

1m(レンズファインダーカメラの限界)まで近づいて撮影。

鮮鋭度はかなり高い。今でも実用レベルだろう。


完全な逆光、レンズに光が入った。
フードをつけてれば、かなり防げたのでは?
戦前のライカの看板レンズ、確かに優秀。
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FEDとTessarとで撮影し、比較してみた。



開放絞りで撮ったら、全て同じTessarレンズ。
当時、高価な35mmカメラ用のレンズ、
レンズは硝子の塊のいいところを選び出し、削り、レンズにする。
各レンズを試し、その中からレンズを組み立てる。
すべて熟練したマイスターの仕事。
出来不出来はある。
四つ切り程度(当時に限界だと思う)に伸ばすのであれば、
この三つのレンズの差を探すのは難しいと思う。
幸か不幸か、戦前のフィルム(60~80本/mm)に比べ、
現在のフィルムの解像度は大幅に上昇(120~140本/mm)になり、
その差を少しは感じられるようになる。

遠くの第一三共のビルと
ビルとビルの間にあるレインボーブリッジを
等倍まで拡大し、比較してみた。
敢えて評価するならElmar>Tessar>FEDの順になるだろう。
しかし、当時のレンズ、個体差もあり、一本で評価することはできない。
同じメーカーでも、バラツキが有り、この程度の差は出るだろう。
4つ切り程度に伸ばして、その差を見分け、
このこのレンズでなければ写真でない、
残りは駄目レンズと判断できる人、いるだろうか?
ソ連邦のライカスクリューマウントのレンズは、
その後、Induster-22,Induster-50と改良されていく。
できのいいInduster-22に当たると、Elmarより映りはいいという人もいる。
最終形のInduster-50は、当たり外れのない、いいレンズだと思う。
ノルマ優先の共産党時代のレンズだが、ロシア人、写真好きが多かったようで、
レンズに関してはかなりいいレンズを生産していた。
生まれ変わったはずの新生ロシアだが、
旧ソ連へ回帰するかのような戦争を始めた。
ノスタルジーにふけり、往時の栄光を取り戻したいのだろう。
一度自由を味わうと、揺れ戻しはあっても過去には戻れない。
歴史はのたうち回り、螺旋を描きながらも進むものと思う。
何年か前、当時の安倍首相が、選挙で「日本を、取り戻す。」と連呼していた。
それが、妙にプーチンの姿に重なる。
プーチンの演説にも、
もう一度、昔日の強い祖国に戻りたいという感情がこもっていた。
スローガンは、「強いロシアを、取り戻す」だろうなぁ。
アメリカの前大統領、トランプもMAGA(Make America Great Again)だった。
世界が狂い初めているような暗澹たる気分になっている。
安倍元首相は、プーチンともトランプとも仲がいいところを見せていた。
意外とケミストリー(相性)が合っていたのかも。
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- 2022/02/28(月) 23:06:36|
- オールドレンズの密かな楽しみ
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連日、ロシアが宣戦を布告し、ウクライナに侵攻した状況を伝えている。
旧ソ連邦時代、ウクライナで作られたKievⅡを使う者にとって複雑な思いがする。
第二次世界大戦前、小型カメラを唯一製造していたのは、
ウクライナのハリホフ工場地帯に設置されたFED(フェッド)社だけだった。
もとは、革命孤児の職業訓練学校が出発点だった。
ソビエト秘密警察(KGB)の初代長官の頭文字から会社名はフェッドとなる。
光学機器を作るのが目的の国家プロジェクトだったのだろう。
KGBといえば、ロシアのプーチン大統領の出身機関でもある。
1934年にはライカⅱに似たカメラ(フェッド1)と
Elmar 50mm F:3.5に似たレンズの生産を始めていた。
初期のFEDについていた50mm F:3.5の交換レンズを、
日本では・・・おそらく日本だけだと思うが・・・FED-10の名前で呼んでいる。
コーティングがされたレンズと、施されていないレンズを持っている。
コーティング無しは、おそらく第二次世界大戦前、1934-1944年頃に作られたものだと思う。

Fedカメラのボディーはライカⅱのコピー、レンズも外観はElmar 50mm F:3.5に似るが、
中身はツアイスのTessar 50mm F:3.5のコピーだった。
でも、光学機器は国家プロジェクト、レンズの性能は、ElmarやTessarと同等のものだと思う。

月が出ていた。Elmar用の古いオレンジフィルターをつけて撮影。空をくらく落としてみた。

開放絞りのF:3.5でも、十分な解像力がある。

今でも使用に耐える性能だと思う。

逆光になると、フレアーが出やすいが、フードをつければ、改善できると思う。
ノンコートレンズだが、いいレンズだと思う。
KGB(秘密警察)の作った光学メーカーが、ウクライナのハリホフに在る。
KGBはプーチン大統領の出身機関、
そのプーチン大統領が命令した軍隊が、ハリホフに迫り、
また、キエフを占領しようとしている。
第二次世界大戦後、
東ドイツ側にあったツアイスのコンタックス工場を
ソ連共産党はキエフに移設していた。
歴史のアイロニー、戦争に翻弄されたカメラとレンズたち。
複雑な気持ちで、戦況をみている。
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フェッドに関することは、
学研ムック CAPA特別編集 「ロシア製カメラ&中国製カメラの攻略ガイド」を参考にしている。
キエフ製のJupiterレンズのことが知りたく、2004年頃 購入した覚えが在る。
ただし求めていたKievカメラの情報は乏しく、Jupiterのレンズ群も記載が殆どなかった。
- 2022/02/26(土) 17:44:38|
- オールドレンズの密かな楽しみ
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昨日(2月24日)早速、池上梅園に向かう。
持っていったカメラはNikon F(フィルム)とSony NEX-5(デジタル)。
デジタルはオート設定で撮影モードはPを使用。
液晶画面でフレーイングを確認したらシャッタ-を切る。
ただそれだけ。
Nikon F には初期のAuto-Nikkor 35mm F:2.8、
Nikon Fを購入したとき同時に買ったものなので、
Fマウントレンズでも、オールド・レンズに分類されると思う。
フィルムはSuperPan200、
快晴の一日だったのでYA2フィルターを持参、使用した。
Nikon Fの露光(絞り値とシャッター速度)は、
今までの経験値(勘)で決めて撮った。
帰宅し、早速フィルムを現像、PCに画像を取り込む。
NEX-5のJPG画像も、PCに取り込み、比較した。
結果は、驚き。
デジタル、すごいと思った。
その一枚。

サニー16という言葉知っているだろうか。
快晴の日なら露光はf:16にして、シャッター速度はISO感度(昔はASA感度)にするというルール(規則)。
快晴の空なら、SuperPan200の感度ISO:200から、f:16/200秒が適正露光になる。
でもまだ早春、光は弱いので、
空の明るさを考慮したら、順光でf:11/250秒がいいだろう。
逆光なので、f:8/250秒が正解と思った。
フィルムカメラには、YA2フィルターをつけている。
その露光倍率は2なので、f:8/125秒を選んだ。
一方NEX-5にはレンズ保護のUVフィルターが付いている。
NEX-5が選択した、f:7.1/250秒の露光はリーズナブルだと思う。

デジタルと同レベルの露光なのに、
梅の太い幹のディテールは黒く潰れていた。
樹を支える丸太も黒く潰れていた。
デジタルでは暗い部分も潰れず、ディテールが出る。
この差は何だろう?
SuperPan200はアグファのフィルムで、
Retro系フィルムと同じで、黒潰が少ないRetroタイプだと思っている。
(Ⅰ)系のやや軟調な現像液で現像したので黒潰はかなり防げる。
撮った瞬間、幹が潰れるかも(経験から)・・・と思い、更に二段、露光を増やしたカットも撮っていた。

梅の太い幹のディテールもでてきたが、
明るい部分のトーンが怪しい。
デジタル画像のほうが、どう考えてもいい。
光のダイナミックレンジが、
Retro系フィルムより一絞りから二絞り分広いことを示していると思う。
信じられない結果だった。
フィルムカメラだと、ああでもない、こうでもないと工夫するが、
デジタルなら、シャッタ-をきれば、あとはカメラにお任せ、
それでも、フィルムより綺麗な写真が撮れてしまう。
JPG撮って出しの写真だけど、高品質。
デジタルのすごさを見せつけられた気がした。
今まで、フィルムカメラを使っていた人も、
このすごさを見せつけられたら、
デジタルにせざるをえなくなるだろう。
あるいは、カメラ自体を手にしなくなる人多いのだろうなぁと思う。
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Sony NEX-5は10年以上前のデジタルカメラ、(2011年に購入した。)
電化製品の会社が作った玩具カメラと一時揶揄されたが、すごいもの。
ソフトウェアの開発では、
カメラ製造メーカー以上の実力があったのだろう。
デジタルカメラの設定を見たら、
DRO/オートHDRになっていた。
3枚の画像を使ってオプティマイザー処理をしている訳ではないと思うが、
なんらかの画像処理をしてRAWファイルやJPGファイルにしていると思う。
メーカーのソフトウェアの開発能力が、画像を決める時代に入ったのだろう。
美しくだまされたい人が使うのがデジタルカメラ?
メーカーの技術者に、だまされているのかなぁ。
ちょっと恐ろしい気がしている。
- 2022/02/25(金) 19:18:40|
- デジタルで遊ぶ
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3月の中旬になると花(桜)が咲く。
働いている時は、それほど花(桜)に関心を寄せなかったが、
カメラを持って散歩にでると、
毎年のように桜を撮っていた。
11月終わりから12月の初めころ、戸越公園の入り口近くにヒマラヤ桜が咲く。
1月の中頃から2月の中頃は、大崎のビジネス街の寒桜が咲く。
今は2月の下旬にさしかかっている。
林試の森の桜が咲き始める季節になった。
桜は撮り飽きたと思えど、季節が近づくと、またどう撮ろうか考えてしまう。
昨日(2月23日、天皇誕生日)、デジタルカメラを手にして、林試の森へ行った。

何年前か覚えていないが、
最初見たときは、梅の花の季節だった。
桜か梅か気になった。
梅にしては枝振りが違うし、梅の香もない。
匂いを確かめたが、匂いが殆どない。
桃の花?
お雛様のとき飾った記憶はあるけど、
花の付き方が違うように思えた。
アップで撮ってみたが、やはり桜の花だろう。

空の明るさに負け、花弁が暗いトーンにならないよう、
備え付けのストロボを強制発光させた。
すぐ、液晶で画像を確認、花がくっきりと出すぎていた。

望遠側にズーミングし、液晶画面を見ながら、
ダイアルをうごかし露光をオーバー補正し、
最適と思われるところで止める。
+1.7だった。そこでシャッターを切った。(作譜完成)
ハイキーなこのバランスが良いと思う。
カメラはPモード、ISO:200に設定、ピントはオートフォーカス(マルチ)にして、画像はJPGで記録した。
全てカメラ任せ、撮ったままの画像だが、これで充分だと思う。
RAWで記録し画像のトーン、色調を変える(いじる)ことができるが、
RAW現像と云うが、実態はフィルム時代の暗室で印画紙に焼き付け操作している感覚に近い。
RAW現像と云うが、フィルムを現像しネガを作るのとは異なる。
ネガは作譜、プリントは演奏なら、
デジタルカメラは作譜(現像)までカメラ内で終了している。
RAW現像は、演奏部分に当たると思う。
ライカ・スクリューマウントアダプターをNEX-5につけ、
古いJupiter-3(50mm F:1.5 1956年製)レンズを装着する。

レンズの絞り値をカメラは認識できないが、
カメラがシャッター速度を自動で選んで露光を合わせてくれる。
オートフォーカスも利かないが、液晶画面を確認し、手動で合わせればいい。
手振れ補正も効かなくなるが、シャッター速度が速ければ問題ない。
カメラ側の設定を変えることなく、そのまま古いレンズを使えるのはいい。
古いレンジファインダー用レンズなので、最短は1m、それ以上は近づけない。
ライカ・スクリューマウント用の延長チューブ(Induster-50 固定鏡レンズの袴部分を利用)をつけ接写を試みた。
25cmくらいまで花に近づいた。

手持ちで、ピントを合わせ、シャッタ-を切る。
意外と難しい。
液晶画面で花が踊り、ピントが合わせづらい。
三脚でカメラを固定すれば解決するが、
デジタルカメラ、何枚撮影してもコストは掛からない、帰宅し画像を確認しピントの合った一枚を選べばいい。

パチパチとシャッターを切る。帰宅して、PCの画面で大きく拡大し、ピントの合った画像を選ぶ。

f:5.6まで絞れば花全体がくっきりと撮影できる。

フラッシュを焚かず撮影。

これは付属の小さなストロボを強制発光させたもの。
どちらがこの場合良かったのか?評価の分かれるところです。
池上の梅園、
去年は梅が散ったころ行ったので、
甘酒の売店もなかった。
おそらく今週末あたりが満開になる。
今日、この結果を確認したので、
甘酒を飲みに、出かけようかと思っている。
- 2022/02/24(木) 11:04:48|
- 樹、草、花
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21mmレンズを もはや超広角レンズとは呼ばないだろう。
でも、Nikon Sマウントカメラ(ContaxⅡ、KIevⅡ)が使われていた頃は、
夢の様なレンズだった。
高くて手が出ないし、使いにくそうだった。
月日が経ち、Nikon SやContaxⅡを使う人が殆どいなくなった頃、
時代は、すでにデジタルに入っていたが、
コシナは、ニコンSマウントのレンズを、製造し販売した。
コンタックスでも使えるという。
勝算があったのか、腕試しだったのか、宣伝効果を狙ったのか・・・
ともあれ、欲しくて何本か購入した。
そのなかで、この21mmレンズを使うことが一番多い。

この2年、コロナ感染で、遠くに出て行けない。
近くを散歩するだけ。

ささいなテーマでもいいから、何かを決めて散歩すれば、見えてくるものがある。
フィルムを替えるでも、現像液を替えるでも、レンズを換えてみるでもいい。

コーティング技術は格段の進歩を遂げた。
逆光でもゴーストは出にくいし、フレアーも防いでくれるので、こんな撮影もできる。
50年ほど前にはできなかった撮影が、
今は簡単にできるようになる。
撮り手の腕が向上したわけではない、カメラの進歩だろう。
それをどう使うかを、撮り手は試されている。

ややたっぷり目の露光をし、軟調な現像液で白飛びを抑え、暗部の潰れを防ごうとした。

見慣れた近所の風景は、小生の写真実験の場所のようになっている。
そろそろ、すこし遠くへいって、違った被写体に出逢いたいもの。
- 2022/02/22(火) 20:54:46|
- 散歩
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カメラは何台もというべきだろう、
不具合があると、すぐに手当するので、カメラを捨てるのは希、
結果的に、そのまま残ってしまった。
電子部品の組み込まれていない古いカメラが多い。
老人も家に籠もっていると、足腰が弱くなり、急速に老けていくようなもの。
時々使わないと、劣化し動かなくなる可能性が高いので、持ち出して使っている。
今も現役で使っている。
ContaxⅡのクーロンカメラ KievⅡ(1951年製)に
Helios103 53mm F:1.8(1982年製の若造レンズ)をつけて散歩に出た。

山の手線、五反田駅のガード下で撮影。
日の当たる明るいところを歩いて来たので、
こういうときが露光を間違いやすい。
明るさにつられ、アンダーな露光を選びがち。
ここは、f:2で1/25秒だろう。

しかし、数歩歩いて、自信が揺らぐ。
露光過度ではないか?
日の光が射しこんだ境界近くの陰の部分で三絞りとしたら、
それから二絞り開ければいい。
f:2.8/50秒で撮ってみた。
現像結果はf:2.8/50秒が正解だった。
二絞りオーバーしたカットも、どうにか画像になる。
特に暗部は潰れなかったのでディテールまで記録できていた。
露出計が内蔵されたカメラなら、間違いない露光を選んでくれるが、
それでは、写真の面白さは半減。
写真の全ての過程を楽しむのをコンセプトにしている以上、
露光計に頼りたくない。(といいながら、時には頼りにします。)
失敗してもいい、光を読む楽しさを失いたくない。(ボケ防止です。)

高いビルとビルに挟まれた診療所、フォトジェニックだと思う。
どう撮ったらいいのか?ちょっと気になる被写体発見。

大崎ビジネス街の寒桜。一月になると咲き始め、二月中は咲いている。
三月の中旬になるとそろそろ目黒川の桜並木が芽吹き出す。

大崎シンクパークビルの植え込み。
この時は、「つわぶき」を撮ることに興味が行っていた。

硬調な現像液(Ⅱof)で現像していた。
- 2022/02/20(日) 11:34:59|
- 散歩
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アグファのRetro系フィルム、Retro80S、Retro400S、赤外400、SuperPan200は
ハーフトーンから明るい方にかけてコントラストが乗りやすい。
軟調な現像液(Ⅵ)系を選ぶと、
明るい部分の現像を抑制し、暗い部分を相対的に持ち上げ、
トーンの豊かなネガを得やすい。
(Ⅵsx)で現像してみた。

白飛びも黒潰もないなだらかなトーンは目に優しい。

こういうトーンの写真が好きだ。
敢えて硬調な現像液を配合するのは、
写真表現の幅を増したいから。
市販品に適当なのがないので、
かなり意図的に硬調現像液を配合している。
怪しい植物を撮ってみたい。
--------------------------
まだ高感度から低感度、オルソタイプからパンクロタイプまで、
沢山の種類のフィルムは市販されている。
その中からお気に入りのフィルムを一つ選び、
お気に入りの市販の現像液を一種類だけ選んでも、
撮影の時、露光をオーバーにしたり、減らしたりして撮影し、
現像液を原液で使ったり、1:1希釈、1:4希釈して現像しても、
ネガのトーンは大きく変化する。
フィルム一つ、現像液一つでも、
その能力(写真表現)を充分に発揮させるのは、
それなりの経験・年季が必要だった。
デジタルより、ずっと面白いと思うのだが・・・続く人現れないかなぁ。
- 2022/02/18(金) 18:04:45|
- フィルムの眼
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もともと古く二液現像あるいはニ浴現像(two bath development)という現像法があった。
アンセルアダムスが最初に言及したのか、
あるいは彼のゾーン現像法の考えに賛同した人が考え出したものか、それは不明。
でもゾーン現像という概念が出てこないと、発想できない現像法だったと思う。
戦前に出版された「アルス最新写真大講座」(祖父の蔵書)にも、この現像法が紹介されていた。
当時は乳剤層が厚く、乾板やフィルムを現像するにはいい方法だろうが、
現代のフィルムは乳剤層が薄いので、効果はそれほどあるわけではない。
軟調な現像液(D23系統)で現像したのと、あまり差はなくなっている。
最初の現像(一浴)は軟調な現像液で数分間現像し、
二回目の現像(ニ浴)は現像剤を含まないボラックス溶液(アルカリバッファー液)でやはり数分現像するという方法。
この方法が考案されてから長い年月が経ち、
やり方は、人それぞれになっている。(その考案者の名がついた現像法になっているようだ)
処理時間、一浴目の現像液組成など、少しずつ異なっているが、基本は変わらない。
今もネットを見ると、この方法がいいと紹介する記事を見る。(英文が多い、日本語もある)
自分に合った現像ならそれでかまわないが、小生は使わない。
使うのは、その発展形、ニ浴目の現像液に、硬調な現像液を使う方法。
軟調現像液だと、黒潰はかなり防げるが、眠い画像になりがち、
明るい部分の銀の乗りが不十分になる。
そこで、現像液を硬調な現像液に換え、トーンを整えることにしている。
二つも現像液を使うので、コストはかかる、手間もかかる。
トーンがどうしても整わないときの、最終手段だった。
かなり特殊な使い方だとおもう。
軟調(Ⅵ)系あるいはやや軟調(Ⅰ)系+硬調(Ⅳ)系を使っていたが、(トーンコントロールに失敗が少ない)
究極の方法が二液目に硬調現像液(Ⅱ)系を使う二段現像。
フィルムの露光量、切り替えのタイミング、二液目の現像時間でトーンが激しく変化する。
まるでじゃじゃ馬。
それが 面白くて・・・いつかは乗りこなすぞと、この二段現像を試している。

SuperPan200はISO:200のフィルム。
この光の状態だと、f:4/500秒が適正露光だと思うが、あえて一絞り少なく露光した。
つわぶきの葉のコントラストが強調され、金属光沢を帯びる。

これは二絞り不足。
二段目の硬調現像液で無理矢理現像した感じがでている。
白が冴えていると思う。
どうしても銀粒子のザラつきが出やすくなる。(増感現像?)

陰になったところだったので、これで適正な露光だったと思う。
軟調な現像液で現像が進行していた部分に、硬調な現像液がくるので、
ときとして現像は不均一になり、エッジがでたり、銀粒子のザッラとした感じが出やすい。

二絞り分少なく露光すると、後ろの壁が黒く反転、予期せぬトーンが現れた。
トーンコントロールは難しい。
だけど、だから面白い。
写真を初め頃の、
定着が終わり現像タンクを開けたときのドキドキ感に近い。
フィルムと現像液に、また欺かれた気がする。
画質、トーン、ダイナミックレンジ、色彩などの、写真を左右する因子の全ては、
デジタルカメラを設計し製造した企業のコンセプトの範囲内にある。
デジタルカメラは、その範囲を越えることはできない、その中で遊ぶだけだろう。
人間を欺くこと、デジタルカメラではあり得ないと思う。

これは適正露光、だけど・・・トーンが少し変。
-------------------------------
一段目は、やや軟調か軟調であれば良いと思う。
市販品を使うなら、D-76(それに対応する銘柄)を1:1希釈、あるいは1:4希釈(このほうがベターだと思う)でいい。
ミクロファインでもいけると思う。
棘のある、あるいは癖のある現像液は売れないのだろう。
市販現像液の淘汰が進み、似たり寄ったりの現像液になっている。
硬調現像液、市販されているだろうか?
(Ⅱ)系に相当する硬調現像液はないと思う。
自家配合する以外、この二段現像法の実施は無理だと思う。
一度、こんなトーンを出せるとわかり、
二段で現像すれば可能だとその道が示されたら、
あとに続く者は、少しばかりの試行錯誤は必要だが、
すぐにも 同様なトーンにたどりつけるだろう。
やろうとする人が出てくることを期待したい。
- 2022/02/16(水) 10:17:44|
- フィルムの眼
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白黒フィルムが多く使われた時代、
沢山撮る人は、街の写真店に現像を依頼せず、
自分で現像し、印画紙に焼き付けていた。
大きなカメラ量販店には、
調合された現像薬以外にも、様々な薬品が売られていた。
今は、デジタルに時代、そんな文化も先細りの状態。
何の根拠も示さず、形容詞を多用し、印象操作の文言で、
D76がいい、いや駄目。
ロジナールは最高、D-76は古くて今のフィルムに合わない。
やっぱりD76だ。
SNS上でそんな情報が行き交う。(殆ど受け売り、同じような情報が拡散しいく)
昔の猛者がそれを読んだら、嘆くだろうなぁと思う。
現像は化学反応、
どんなメカニズムで、この固液反応(現像)が進行していくかは、
フィルムメーカーの研究開発者が一番よく知っていた。(敢えて過去形)、
メーカーの研究者も今は定年退職、
彼等が為した膨大な報告書を
読む人もいなくなり(仕事上必要としない)、
会社の文書管理の棚に収められているだけだろう。
公開してくれたら、現像実験を行う必要はなかったと思う。
カメラ(Nikon F)とレンズ(Nikkor 105mm F:2.5)、それにフィルム(SuperPan200)は同じにし、
現像液だけ替えて そのトーンを比べていた。
最強の硬調現像液だろうと思って作った(Ⅱ)系現像液、(Ⅱif)で現像してみた。

陰の部分が黒く潰れるのが嫌で、露光はオーバーに加えてみた。
これは失敗だろう。白黒のコントラストを強調しようとしたが、トーンは崩れている。
二絞りくらい少なく露光すべきだと反省。

明暗差の大きな光線状態では、
(Ⅱ)系の現像液で現像しても、ハイコントラストと呼べるほどにはならない。
むしろ白飽和も黒潰れもしないちょっと硬調なトーンになってしまった。
硬調現像液(Ⅳ)系を選んだほうがいいのかも?

明暗差のあまりないフラットな光の状態だと、白黒のコントラストが強調される。
これが(Ⅱ)系現像液の描写力なのだろう。
黄色の花は白飽和していたが・・・・それもOKと思いたい。
- 2022/02/15(火) 11:58:14|
- フィルムの眼
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Nikon Fを手に入れてから、現像、焼き付けは全て自分で行っていた。
会社を卒業し、散歩にカメラの生活になると、現像ノートをつけるようになる。
最初の頃は、若いときから使っていたTri-Xをそのまま使っていた。
会社卒業を期に、現像液も自家配合するようになる。
現像ノートをみると、ネガ400番(400本)辺りから、Kentmere400の出番が多くなる。
当時100フィート巻きフィルムはヨドバシで購入していたが、
Tri-Xの値段が急激に上がったため、(上がりそうだったので、3缶ほどまとめて購入し、冷蔵庫保管した。)
そのとき安かったKentmere400を試すようになる。
現像ノートを調べると、それは2012年春頃のこと。
Kentmere以外にも、NeopanSS、Neopan1600,Acros100など購入して試していた。
Kentmere400の時代は それほど続かない。
このフィルムも値上がり、ヨドバシでは無理と、ネットで探す。
比較的安価なFomapan400、RXP400、Retoro400の三種のフィルムを見つける。
テストに入ったのが、2014年4月ごろ、ネガ番号で630辺りから。
保管してあったTri-Xのフィルムの最後はネガ番号680、2014年11月10日に撮影したものだった。
それ以来、Tri-Xは使っていない。
フィルム選びでは、迷走したが、この経験は良かったと思う。
白黒のフィルムが手に入るなら、
現像で工夫し、どうとでも使いこなすぞ、という変な自信をつけてしまった。
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絵の表現力、彫刻の表現力の魔力に魅了された若者は、
己の心の声にせっつかされたようにデッサンなどの研鑽を重ね、表現を掴むもうとする。
そこからやがて自分の表現法を見つけだし、無駄をそぎ落とし、表現の高みを目指していく。
絵画でしか表現できないものは、絵画で、彫刻でしか表現できないものは彫刻で、
無駄をそぎ、本質に迫る、その人独自の表現を目指す。
嘗ては、写真館、あるいは専門の学校に入り、照明の当て方、露出、現像、焼き付けなどを習う。
(実態は盗むだろう。苦心して盗んだ技術は身につくが、習った技術は、身につくのに時間が掛かる。忘れたりもする。)
写真の基礎的な知識も習ったと思う。
独自の写真表現を獲得した写真家もいた。
今はどうなのだろう?
Tri-Xの高騰が、
写真の基礎を、もう一度見直す機会となった。

軟調な柔らで豊かなトーンで表現すべき光景だろう。
硬調な現像液では、その雰囲気を表現することはできない。

一時期、やや少なめの露光し、現像を押して硬調なネガをつくり、それを硬調な印画紙(4号)で焼き付け、
白黒の対比が強く、銀粒子のザラとした写真が流行ったことがある。
空は白く飛び、人物もザラと写っていた。
事件性、非日常を喚起する狙いだったのだろう。
それは、それで成功した独自の表現法だったが・・・それを真似る人が続出。
絵画なら、いくら上手に作っても、模写は模写、作品ではない、勉強のため真似たのだろうという扱い。
でも、写真はその扱いが違うようだ。真似ても作品として評価される。

硬調な現像液なら、このような光の場所がいい。
眼で見た印象以上に白黒のコントラストが立つ。

この時撮ったフィルムでベストのショット。
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写真でしか表現できない本質とはなんだろう?
なにに魅了されて写真を撮っているのだろう?
そんなことを考えてしまう。
昔よりずっと高性能なカメラを使っているのに・・・・
独自の写真表現となると・・・先細り。
とくにデジタルカメラになって、その傾向は強くなったように感じる。
金太郎飴のように、どれも高画質、だけど没個性。
写真に筆で色を塗りたくる、切り貼りして合成写真を作る、ネガを何枚かつかい写真を作る。
そんなことは とうの昔 試みられてきた。
デジタルの時代になって、レタッチソフトを駆使し、
ドラマチックな写真をつくろうとする風潮がでてきたが、果たしてどうなるのか?
1920年代のシュールリアリズム時代の写真を越えられるのだろうか?
- 2022/02/13(日) 12:16:07|
- フィルムの眼
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12月の下旬、大崎イルミネーションが始まる。
それを撮ろうと、何回かテスト撮影をした。
気づいたら2月も上旬、カレンダーを見たら、最終日になっていた。
最終は中判カメラで撮ろうと思っていたので、マミヤプレスを持って出る。
冷蔵庫の中で保管している120フィルムは、Acros100,Fomapn100,Rollei赤外400の三種類。
テストではSuperPan200をよく使ったので、マガジンにRollei赤外400を詰めた。
撮影ポイントは、何回かのテストで決めていた。
8カット撮ったが、このポイントで撮影したものがベストだった。

3200dpiでネガをスキャンしPCに取り込むと7千万画素の高精細な画像になる。
橋の一部を等倍で切り出してみた。

文字もはっきりと解読できる。
半切に引き伸ばしても、
粒子の目立たない滑らかな画像の写真になると思う。
二段現像すべきか悩んだが、このフィルムでまだ試していない。
安全策として白飽和を避け、黒潰させないことを考慮し、(Ⅰf)現像液で処理した。
中判カメラなのでレンズの焦点距離は100mm、35mm換算で43mmレンズの画角になる。
35mmカメラではSuperPan200フィルム、f:8×40秒で撮ったが、
同じf:8では、被写界深度が浅くなる。
絞りはf:16にセットした。(より光芒を強調したかったこともある。)
ISO:400のフィルム、単純に計算すると、40秒×4(絞り)/2(ISO)=80秒となる。
相反則不軌も少しでるからと露光時間90秒を選んだ。
露光を増やすと白飽和が進み、電球の四方八方に光る光芒が消えていく。
露光を減らすと、黒潰れの部分が広がり、小生の美意識に合わない。
そんなことを考えていた。
現像しネガを得て、よかったかどうか、今も悩む。
やっぱり二段現像かなぁとも思う。
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2月3日に載せた記事、
「長時間露光テスト(5) 大崎イルミネーション 二段現像を試す」
にすでに載せた写真だが、

映りはこちらの方がいい。
四方に散る光芒も豊だし、暗い広場の文様もよく出ている。

ネガのサイズが小さいので、3200dpiで取り込むと約1200万画素の画像になる。
四つ切りに伸ばすなら申し分ない写真になるが、半切となるとギリギリだろう。
Opton Sonnarの解像度も素晴らしい。
等倍に拡大しても、文字はちゃんと判読できる。
Mamiya Pressのいいところは、手間がかかること。
使うためには、知識と習熟が必要。
人間とカメラの役割分担は、カメラより人間のほうに傾いている。
つかって、うまくできたときの喜びは、大きい。
重く、使いにくく、面倒だなぁと思うが、
撮っていると、くたびれるけど 面白い。
こんな楽しみ方もあっていい。
- 2022/02/11(金) 12:22:18|
- Night walk in Tokyo
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カメラを携え散歩すると、三回でだいたい一本のフィルムを撮りきる。
撮りきったら、その夜に現像することが多い。
働いている時は、休日にまとめて現像したので、
市販の薬剤を溶かし、そのまま全て同じ現像液で処理した。
いまは、市販の現像液は使わない。
時間はある。
手間をいとわず調合する。
そして、このフィルムなら、この現像液でと狙いを定めて撮影にでる。

1月22日の散歩。この日は、木蓮の開花状況を確かめに、
区役所まえの中央公園へ行く。
蕾は膨らみだしたが、まだ始まったばかり。
R2フィルター(赤 おそらくR60 600nmカットだろう)をつけて、
空を暗く落とし、蕾を白く浮き出そうとしたが・・・白い部分のディテールまで出す描写力はなかった。

中央公園から下神明の駅の方向に進む。
逆光の光線だが、このレンズ向きの光だと思う。
眼に優しいふんわりとした感じになる、低コントラストレンズの良さだろう。
ガード下の道を、そのまま道なりに進んでいくと、西大井の駅近く(ニコン工場跡地)にでる。

(Ⅲb)現像液は、D76より少し硬調に仕上がる現像液。
もう一段露光を増やし、(このレンズだと、三脚が必要だが・・・)
D76より少し軟調に仕上がる(Ⅰf)か、フェニドン系現像液P(Ⅰfz)で現像したら、
黒潰せず、暗い部分にディテールが出たと思う。
1月24日の散歩。

大崎駅近く、ビル。
逆光が綺麗だった。
明るい部分のディテールをだすよう焼き込む。
暗い部分のディテールは失われる。
もともと暗い部分の銀の乗りは良くない。
暗い部分を出そうとすると、
明るい部分のディテールはコントラスト不足で失われ、白飽和してしまう。
このレンズでは、両立は難しい。(SuperPan200のダイナミックレンジは広い。単眼レンズなら可能だろう。)

初期のズームレンズ、低コントラストなのは致し方ない。
フレヤー、ゴーストが出やすい欠点はあるが、画角が自由に選べるのはいいことだ。
今、コーティング技術、コンピュータによる計算の発達により、
ズームでも単眼レンズに匹敵する画質が可能になった。
すごい時代になったと思う。
カメラの発達は、人間が関与できる部分を相対的に低下させていく。
湿式時代の写真は、誰もができるものではなかった。
それなりに教育を受け、化学品を配合し、素早く硝子に塗布したら、
カメラにセットして撮影し、現像する。
撮影に関し、人間(撮影者)が主で、カメラは従だったが、
それが逆転していくのがカメラの歴史。
デジタルの時代に入り、いまはカメラが主、撮影者は従になったと感じる。
決定的瞬間を捉えたすごい写真をみても、
それデジタルだから撮れたのでしょうと思ってしまう。
似たような写真、見たことあるなぁと思ってしまう。
写真は被写体のもの、
撮ったカメラマンのものではないと思えば、
これが正解なのだろう。
更に人工頭脳(AI)が組み込まれれば、(おそらくインターネットにも繋がれ)
人間の役割はカメラの管理者(所有者)になることだけだろう。(高解像度監視カメラ?)
「あなたはカメラを持っていくだけ、あとは××が・・・」の時代に入る。
撮影者が主となるデジタル写真とはどんなものだろう?
若い写真家の挑戦が 始まっていることを願いたい。
そうでないと、写真は単なる記録媒体として埋没していくだけになる。
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今度はこう撮ってみよう考え、
フィルム選択、現像液を決め、カメラを持って散歩する。
撮って、現像し、そして考える。
その繰り返し。
フィルム写真は、
暇な老人の密かな楽しみといった所だろう。
もう本流から外れている。
- 2022/02/10(木) 11:43:13|
- 散歩
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居木橋近くに旧東海寺の大山墓地がある。
山手通りを直角に曲がり、京浜東北線・東海道線の線路伝いに細道を歩く。

線路の向こうにビルが建っていた。
枯れた植物だけをくっきりとシルエットで抜こうと思い、
絞りはほぼ開放のf:4を選んだ、前後に大きく動けない場所では、ズームの威力が発揮できる。
最良と思ったフレーミングになるよう画角を調整した。60mmだった。

このレンズの最短撮影距離は1.2m、アップで撮りたかったので86mmのフレーミングになる。
バックもぼかしたかったので、絞りはf:5.6をえらんだ。
レンズ枚数の多い初期のズームレンズでは、
微細なコントラストの変化にはついて行けない。
周辺部になるにつれ解像度も低下する。
フレヤーが立ち、花が幾分滲んだ感じになった。
これも、このレンズ特有の「味」だろう。

墓地には立ち枯れた花があった。
逆光で狙ってフレーミングしていると、新幹線が飛び込んでくる。
コントラスト不足なのだろう、暗い部分は黒潰していた。
単眼の50mm f:1.4、あるいは 105mm f:2.5のレンズなら、
暗い部分のディテールもネガに記録できていたと思う。
ここは鉄道の要所、左を貨物輸送用の品鶴線と山の手線が走り、
右は京浜東北線と東海道線が走る追分になっていた。

その分岐点近くの三角形の土地に、
日本の鉄道の父と呼ばれた井上勝の墓がある。
明治になり、徳川ゆかりのものは、
全て新政府(薩長連合)のものという意識が働いていたのだろう。
新政府の中にも、派閥が有り、抗争があったようだ。(学生運動のようなものだろう)
下級武士の起こした革命に領主(殿様)が乗った構図、
若者の思慮のなさに、内心面白くないと憤慨する人も居たようだ。
沢庵和尚は、反骨の人、曲がったことを嫌い、
たとえ権力者といえ異議を唱えた。(紫の衣事件?)
そのため、二代将軍秀忠からは疎まれ、末寺に流された。
しかし、三代将軍徳川家光は、
沢庵和尚の清廉潔白な精神に心を打たれ、
品川の地を寄進し、東海寺を創建する。
寺領5000石、境内地4万7000坪という大きなお寺だった。
明治になり廃寺となったが、
今はその中にあった塔頭、玄性院が残り、飛び地となった大山墓地を管理しているようだ。
清廉潔白な沢庵和尚がもし明治維新に出逢ったら、
革命の志士に向かい、どんな教えを説いただろう?
革命の志士は「ナンセンス」と一蹴しただろうか?(その可能性は高いけど)

今、大山墓地に隣接する区域で、大きな工事が行われている。
リニア新幹線に関係した工事で、リニア用電源の変電所を作るようだ。
時代はどんどん変化しているけど、それを記録として保存する機能を写真は担っている。
でも、それを読み解くにはそれなりの知識も必要。
漫然と撮った写真の羅列では、何が撮りたかったか分らなくなる。
- 2022/02/08(火) 12:30:59|
- 散歩
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自分専用のカメラとして最初に買ったのはNikon Fだった。
先の東京五輪の翌年に購入した。
今も現役で使っているので、67年間使い続けたことになる。
一度、ミラーの調子が悪くなり、修理してもらったことがあるが、それ以外は支障なく使えている。
購入したときは、若者には高価すぎ、身分不相応だったが、
今でも使えるのでコスト的にはいいカメラだと思う。
やがて、少しずつ交換レンズが増えていく。
35mm F:2.8(ニコンの交換レンズの中では一番安かった)、
105mm F:2.5、
Zoom Nikkor 43-86mm F:3.5、この3本は1960年代に購入している。
Nikon Fとして、オールドレンズの部類だろう。
35mmと、105mmは、今でもたまに使うが、
ズームレンズは 殆ど棚の上に置かれたまま。
たまには使ってみようと、Nikon Fにつけて散歩に出た。

ズームレンズとしては、草分けのレンズだろう。
オリンピックの頃、レンズシャッター式(だと思う)一眼レフカメラ、
ニコレックス(Nikorex)に付いていたレンズと記憶している。
フォーカルプレーン式シャッターより、レンズシャッターの方が枯れた技術で、安価だったのだろう。
43mmの広角から86mmの望遠まで、無段階で画角選べるカメラということで、
初心者向けとはいえ、日本光学の野心作だったのかもしれない。
当時、アマチュアが使えるズームレンズはなかったので、評判を呼び、
レンズだけ取りだし、Nikon Fの交換レンズになっていた。
このレンズは、話題になり、売れたと思う。
ミーハーだったもので手を出していた。
ビルの硝子窓に反射した光景を、柵越しに撮ってみた。
望遠の側では糸巻き型に歪曲する。
まだコーティングの技術が進んでいない。
レンズ枚数が多いので、ゴースト、フレアーが出やすい。
微妙なコントラスト差をある被写体では、眠い画像になりやすい。
でも中心近くの解像度は高く、中間の58mm辺りだと、Nikkor 50mm F:1.4より 解像度は高いように思えた。
しかし、コントラストは明らかに悪く、眠い感じになる。
望遠86mmでポートレートを撮影すると、意外といい映りになったと思う。
主に、子供のスナップに使っていた。

43-86mmと2倍ズーム。
使ってみると両端の43mmか86mmで使うことが多い。
43mmだと樽形に歪曲するが、このような被写体なら気づかないだろう。

絞れば、周辺までかなり解像度は高くなる。
コントラストは低めに出やすいという記憶があったので、
現像はD-76より少し硬調な現像液、(Ⅲb)を使用した。
「千代田グラビヤ」、「光村」の看板もくっきり出ている。

逆光には弱い。
ゴーストがでて、微妙なコントラストの差を記録することは無理だった。
フードが必要だが・・・35mmレンズ用のフードでもつければいいのだろうか?
1950年代のカメラ雑誌を読むと、レンズの解像度とコントラストは反比例のような関係があり、
レンズの解像度が高いと、コントラストは低く、解像度が低いと、コントラストは高くなると言われていた。
このズームレンズ、7群9枚の構成。7群なら反射面は14もある。
(ゾナーは3群7枚、テッサーは3群4枚で、反射面を6に抑えている)
たんなるシングルコートでは、コントラストの低下は避けられない。
しかし、レンズのコーティング技術は その後驚異的な発達を見せ、その定説は壊れている。
レンズ枚数を増やせることは、各種ある収差を最小化できることを意味する。
そして、コンピューターの発展が、レンズ設計の自由度を上げる。
その結果、高解像度でかつコントラストの高いレンズを設計し、作ることができるようになったが、
その分、レンズの価格も高いものになる。
昔は、単眼の50mmレンズを、標準レンズと呼んだが、
いまは標準ズームの時代になっている。
ニコンが夢見ていた「ズームを標準に」の時代になったのだろう。
一度、現代の最新レンズをNikon Fで試して見たいと思うが、
絞り環も距離目盛りも今の発達した交換レンズには付いていない。
マウントは合ったとしても、使えるレンズあるだろうか?
- 2022/02/07(月) 23:53:59|
- 散歩
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目黒駅は品川区の上大崎にある。
区割りのしかた、呼び名の選定は、その時々の選定機関の思惑による。
品川駅が港区にあるのと同じようなものだろう。
自然教育園には、時々来るが、駅前まで来ることはあまりない。
駅前をぶらつくのは久しぶり。
目黒駅近くの飲み屋街でフォトジェニックな店を見つけた。

面白いけど、どのように切り取ったらいいのか悩む。
光の具合は今でいいのか?
レンズの画角は適正だろうか?
フィルムは?現像液は?

当たり前のことだが、いろいろ工夫して撮らないと、カメラの眼は鍛えられない。

上大崎の台地を下り、五反田へ。
桜田通り坂下のトンネルを抜ける。
トンエンル内は暗く潰れると思ったが、意外と粘って写っていた。
白飽和も、気になるほどではない。

SuperPan200フィルムを、
軟調現像液で現像すると、ダイナミックレンジの広いトーンの豊かなネガになる。
光の具合によっては、階調の豊かな綺麗な写真になったり、
ポイントのない眠い写真になったりする。
硬調な現像液だと、白黒のメリハリのある美しい写真になったり、
トーンの破堤した汚い画像になったりする。
被写体は移ろいやすい、光の当たり具合で変化する。
被写体の最良な瞬間を捉えようと、
光、フレーミング、フィルム、露光、現像を、意識し待ち、
ここぞという瞬間にシャッターを切る。
これが「カメラの眼」なのだろう。
得手不得手もあり、習熟するのは難しいが、それだからこそ面白い。
- 2022/02/06(日) 09:59:19|
- 散歩
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コロナ感染も、次のオミクロン株になり、東京の感染者数も連日一万人を越えてきた。
電車などの交通機関を利用するのは憚れるので、「オリンピックの残映」の撮影には出て行けない。
もっぱら 人混みの多いところは避け、家の近くを散歩している。
家並みを撮るなら広角レンズと、
Nikon Fに、あまり使っていないNikkor 28mm F:3.5をつける。
同じ画角の28mm F:3.5のレンズは、Nikon SP用でも保有している。
28mmを使うならNikon SP、 Nikon Fでの出番は少ない。
ちょっと扱いがかわいそうなレンズだと思う。

桐ヶ谷斎場の横道を、氷川神社に向かい歩いていた。
振り返ると道が一本長く続いていた。
逆光だが、光のトーンが綺麗。
最小絞りまで絞り、パンフォーカス狙いで撮っていた。
遠くのビル群は、星薬科大学だと思う。
遠くを歩いているのは、その学生さんかもしれない。
自動車ボディーの光芒が綺麗に出ていた。

参道の樹を黒く潰したくなかったので、露光をたっぷり目に加えた。
しかし、この写りなら、もう一段速いシャッター速度にしたほうがよかったかも。

SuperPan200のフィルムは赤外部にも感光性をもっている。
反対に、青い光にたいする感度は低下している。
順光の青空は、他のパンクロフィルムと異なり、暗く写る。
オレンジフィルターをつけたくらいの効果が出たのでは?

Retro80S,Retro400Sは、スーパー・パンクロフィルムと呼ばれている。
このフィルムも、その範疇に入ると思う。
黒潰をさけ、白飽和もない、豊かなトーンの写真を狙うなら、
たっぷり目に露光し、軟調な現像液で現像する。
スーパー・パンクロフィルムなら軟調な(Ⅵ)系、
あるいはD-76より少し軟調な(Ⅰ)系の現像液を選ぶ。
逆光の撮影で、ここまでトーンが出せたら、OKだろう。
これ以上軟調な現像液は今のところ必要としていないが、
公開された軟調現像液には、更に軟調なD-23とPOTA現像液がある。
その組成の現像液を調合し使った(テスト)ことはない。
一度テストした方がいいと思っている。
- 2022/02/05(土) 12:17:47|
- 散歩
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市販されている白黒フィルムはセルローズ系フィルムで作られたものが多い。(古くはニトロセルローズ、現在は酢酸セルローズ)
市販の現像液も、既存のフィルムに合うようにできている。
一方 アグファのRetro系フィルムは、現代になって開発されたポリエステルでできている。
そのため、感光剤の乳剤も 従来品と少し違うようだ。
ハーフトーンから明るい部分の肉乗りがよく、その部分のコントラストは高い。
従来のフィルムや市販の現像液を使用している人からみたら、扱いにくいフィルムということになるだろう。
トーンを豊に出したかったら、軟調からやや軟調な現像液で現像すると、
びっくりするほどの階調性の豊かな写真になる。
しかし、軟調な現像液、今も市販されているだろうか?
自家配合した現像液の利点、自分の好みに合わせ、配合を決めて使えること。
自己責任が基本だが、市販の現像液でも、現像結果までメーカーは保証しないだろう。
上手に使えるかは、その人の問題、メーカーに責任はない。
だったら、自分で配合を決める方が、面白い。
何を入れたか、その効果はどうだったと自分で結果を確認できる。
Retro系フィルムは、軟調(Ⅵ)系か、やや軟調(Ⅰ)系の現像液を使うことが多い。
曇り空でフラットな光の時は、やや硬調(Ⅲ)系もたまには使用する。
硬調(Ⅳ)系、最硬調(Ⅱ)系は 特殊な効果を狙ったとき使用している。
今回はやや軟調な(Ⅰf)と(Ⅱ)を使用する二段現像法で、大崎の夜景を撮ってみた。

(Ⅰf)液で大方の現像を終了、(Ⅱ)液に交換して、更に現像しトーンを調整する。
切り替えのタイミングと、(Ⅱ)液で、どこまで現像を押すかで、トーンは変化する。
暗い部分の黒潰は、この方法で意外とよく防止できる。
明るい部分に対しては現像が過多にはなるが、硬調な現像液だけで現像するより白飽和は少ない。

これは1月5日に撮影した画像。
画像の濃度を合わせて比較してみた。
二段現像のほうが白飽和の度合いは大きいが、目障りというほどではない。
ハーフトーンから暗い部分のトーンは、二段現像のほうが良いと思う。(画面右のビルの壁面、「食品街」の文字など)
明るい部分を拡大して比較してみた。

二段現像のほうが明らかに白飽和の度合いは大きい。
銀粒子もでて、ザラつきがあり、細部の解像度も劣っている。
でも明るい電灯の光芒がしっかりと出ていた。
ボーとした電球の輝きがいいか、光芒が放射状に伸びた輝きがいいいか・・・これは好みの問題だが、
そのコントロールを現像液と現像法でコントロールできる。
それは、それで素敵なことではないかと思う。
光芒を出したかったら、それが出るフィルター(クロスフィルター)を買えば済む。
光芒を出したかったら、レタッチソフトに光芒のアプリをいれて画像を加工すればいい。
それは、そうなんだろうが・・・・そうしてしまうと、写真が味気なくなる感じがする。
性分ですかねぁ。

薄暗かった広場も、黒潰せずトーンは出ている。
大きく伸ばせば、電球の光芒が一面に迫ってくる。

光芒のオンパレード。

ただし、露光を決めることと、現像の切り替えのタイミングは難しい。
ときして、こんな制御不能なトーンも現れる。
失敗とみるか、異界出現とみるか、小生は、「異界出現」と喜んでしまうが、(失敗が好き)
これは見る人の判断に委ねられるだろう。
- 2022/02/03(木) 14:39:50|
- Night walk in Tokyo
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一月の初旬、
夕刻から東京に雪が降り始める。
暗くなっていたので、フィルターを外し撮ってみた。

カメラには短く切ったフィルムが入っている。
大崎イルミネーションを撮るためテスト撮影中だった。
まだ、2,3枚は撮れるだろう。
このまま積もったら、明日は雪の写真が撮れる、
早く撮りきって、現像しようと思った。

翌朝は快晴の天気となる。
午前中、カメラを持って戸越公園へ。
入り口のところで一枚シャッターを切る。
フィルムが巻けない。最後のショットだった。
帰宅し、巻き戻した。
パトローネは、一度使ったAcros100のものだった。
テープでつなぎフィルムを装填していた。
これだと、最後のショットに光りが入り被ってしまう。
長巻フィルムをNikonF用のマガジンに詰める。
(Nikon F用のマガジンはレンジファインダーのS型ニコンと共用して使える。)
昼食後、Nikon SPに28mmのレンズをつけて戸越公園へ。

雪はあらかた溶け、下草と門の屋根瓦の上に少し残っているだけだった。
フィルムを巻いたらすぐに戻り撮っていたら、少しは雪の戸越公園の様子撮れたかも・・・
絶好の瞬間は待てはくれない。

心がけの問題でしょう。
「幸運の女神は前髪しかない。」
- 2022/02/01(火) 14:17:10|
- その他
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