調べてみると、
東京オリンピックでは、
品川区内でも二つほど競技が行われていた。
一つはホッケー、もう一つはビーチバレー。
かなりマイナーな競技だが、コロナ騒ぎがなかったら、
どんなものか会場に行って確認したと思う。
コロナの影響で、
オリンピックそのものに疑問を感じ、意識を向けることはなかった。
オリンピックは「興行」で、高い理念は単なる宣伝文句にすぎない・・・・白けた気分でいた。
でも祭りとはそのようなもの、
祭りのあとこそ面白いものと故人も 云っていた。
ホッケー会場は、散歩コースから少し外れた場所にあった。
散歩コースを少し広げてみようと、カメラを持って出かける。

地図で確認すると、散歩コース「勝島運河」のすぐ先。
運河から徒歩で10分ぐらい、行ってはみたものの、千駄ヶ谷のオリンピックスタジアムと同じだった。
広い会場は改修(元に戻す?)工事中で入れない。

これがレガシーとして残る記念碑かなぁ。


どう廻っても侵入できるところなし。

柵の編み目にレンズを突き刺し撮るのがせいぜいだった。
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- 2021/12/31(金) 12:13:00|
- オリンピック残映
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殆ど家の周辺をぶらぶらと散歩するだけの毎日。
秋になり「すすき」でもと思ったが、
この頃は、すすきの生えている場所も少なくなってきた。
いいなぁと思って近づくが、柵があって入れなかったり、
狙いたくても光線がうまく入らない場所だったりと、
すすきを撮るチャンスが減ってきている。
そんななか、
一年を振り返り写真を整理していたなかでみつけた、すすきの写真。

ビルの屋根にもうけられた緑地帯に取り残された?すすき。

数少ないすすき撮影のスポット。
しかし、すすきの周りを徘徊し、ベストな場所を見つける・・・という自由はない。

ガーデンシティーの庭に植えられたすすき。
種が飛んできて、勝手に成長してできたすすきではない。
柵より中に入り、逆光で狙いたかったが、そういう訳にもいかない。
やや斜め上方から光りで撮影。
古いレンズ、右上にゴーストが出ていた。

左上方からのやや逆光気味の光、同じ古いレンズだが、ゴーストは出なかった。
ここも縄が張られ、これ以上先には進めない。(管理者専用の道だった。)

ライカ、Summitar 50mm F:2のレンズのフィルター径は、わずか36.5mm、
菱形の鉄網の間にレンズを押し込み撮影した。
レンズ径の大きな一眼レフのレンズでは、この撮影法は無理だろう。

3日後、同じ場所で同じように撮影。
でも、光の状態は前回と全く違う。
それに合わせ露光し、減感現像した。
この差は、PCの画面では粗すぎてわかりにくい。
四つ切りプリントして初めて画質の違いが分るレベルだろう。
モニター画面で満足するなら、こんな細かなこと、気にすることない。
Jupiter-12 35mm F:2.8のフィルター径は40.5mm、
アングルの自由度は減るが、このレンズでも、菱形の鉄網の間に収まった。
-----------------------------------
今年後半に使ったフィルムはRollei赤外400,Fomapan100、それにOrtho25の三種類。
フィルムに合わせ、撮影時の光に合わせて、どのようなトーンを狙うかは、現像液で微調整している。
Tri-Xが手に届かない高額なフィルムになったおかげだろう。
Tri-X 一筋での頃を考えると、表現の幅が広がったと思う。
待ったなしの状況になれば変革する。
そうすれば違った世界も見えてくる。
さて、デジタルで何が見えてきたのか・・・それも知りたいところである。
--------------------
こんな「すすき」も撮っていた。
1960年代、「アレ、ボケ、ブレ」写真の時代、こんな感じの写真もあった。

戦前から続く写真へのアンチテーゼ。
実態は、写真の上手な巨匠に対する反抗、
認めてもらおうとしても、先人の作品が大きな壁になる。
自動露光のカメラを手にした新人は、
古い権威はナンセンスと叫び、その写真を捨てないと道はないと思った。
編集者も「おまえの写真は汚いなぁ・・・」と言いながら、それを写真雑誌に掲載する。
あの当時の「あの熱気」がないと「アレ、ボケ、ブレ」の写真撮れないのかも。
今は撮っても、もう古い、すこしも面白さ、衝撃性を感じない。下手なだけの写真。
1960年代から1970年代に掛けての約10年間が、
日本の写真の面白い時代だったと思う。
やはり次はデジタル。
デジタル写真に期待している。
- 2021/12/29(水) 11:22:20|
- 樹、草、花
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東京工芸大学写大ギャラリー(中野キャンパス)で
奈良原一高の写真展が開かれているという記事を発見した。
11月20日までだという。
新宿から歩いても、それほど遠くない。
数日前も、神田川の近くまで歩いていた。
「今日で終わりか、」行かない手はないと、出かけた。
写大ギャラリーには過去に何回か来ている。
この数年来たかとなると・・・記憶は定かでない。
土門拳の「掌」だったか?をテーマとした写真展、
森山大道の「事件」(カメラ朝日かに掲載されていた写真のオリジナルプリント?)の写真展は、
はっきりと記憶している。
もともと写真専門学校から発展した大学、良質な写真を沢山所蔵している。

新宿駅から、都庁をめざし、清水橋で右に折れ、山手通りを進むと神田川にぶつかる。
数年前、歩いた時も、このビルを撮影していた。

長者橋を渡り、左の道をいけば写大ギャラリーに着く。

奈良原一高の初期、写真家としてデビューした若い頃の作品が好きだ。
以前、氏の撮影した石炭の粉塵で黒く汚れた炭坑夫の写真を見たことがあった。
すごい写真家がいるなぁと思い、
それから、カメラ雑誌に奈良原一高の名が載った写真を見つけると、
注意深く、何回も繰り返し見るようにしている。

炭坑夫の写真も展示されていた。
やはり傑作と写大も認めているのだろう。
初期の作品はいい、「人間の土地」、「王国」、「静止した時間」などは圧倒される思いがする。
でも、有名になり名が売れてくると、
すごい写真なのだが、作品に作為が目立つようになって、あまり好きになれない。
広告などの写真にも手を広げていったようだ。
---------------
クーデルカの警句、「写真をコインに換えるたび、写真の眼が一つずつ落ちていく」
写真の眼がすこしずつ失われ、見てくれる人の眼(クライアントの眼)になっていく・・・そんな危険性があるということなのだろうか?
写真の技法・映像加工技術を考えたら奈良原一高の方が高いが、
クーデルカの写真の方が好きだ。彼の眼は一貫し、研ぎ澄まされていく。---------------
写大ギャラリーの近くを流れる神田川。
西新宿の高層ビルが見える。

神田川沿いをすこし散歩。
奈良原一高の写真展を反芻していた。
- 2021/12/27(月) 11:20:36|
- 都会の景観 Tokyo
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久しぶりの遠出だったので、替えのフィムルは持参していた。

快晴の天気、フィルム・マガジンには、赤外線フィルムの出番と
Rollei赤外400のフィルムを詰め、R72のフィルターも持参していた。

都庁を撮ってみたが・・・いかにも赤外線写真で撮りましたという感じになってしまった。

むしろ赤外線効果を狙わない、このよう光の場所のほうが ちょっとシュール感も漂い、いいと思う。
フィルム写真は奥が深い。
撮って、現像し、結果を見る。
光の具合、材質感、対象物の存在感に教えられることが多い。
その原理を考え、工夫する面白さがある。
どんどん深みに嵌まっていく。
カメラの沼、レンズの沼、フィルムの沼・・・最後は写真の沼というところだろう。
おそらくデジタルも突き詰めれば、そうなのだろうが、
デジタル写真初心者の小生には、その奥深さが、よく分らない。
なんでこんなに綺麗に撮れてしまうのか?
これで充分、そこで終わって、その先に進めない。
NEX-5の耐用年数は、もう過ぎている(10年は使った)。
いつ、なんどき、突然使えなくかもしれない。
そのときどうしよう?ちょっと悩ましい。
- 2021/12/25(土) 11:53:01|
- 都会の景観 Tokyo
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コロナ禍もすこし収まり、ちょっと安心。
ぶらぶらと西新宿を散歩した。

ほぼ逆光だが、ビルの照り返しを撮ろうと少し絞り気味の露光を選んだ。
陰の部分は黒潰し、トーンが出ていない。
一絞り開けて露光すればよかっただろう。

都庁が移転し副都心となった所だが、
もとは、甲州街道の宿場町。
江戸時代、ここは江戸の街の外になっていた。
品川宿と同じようなものだろう、
そのときの名残、駅近くに日蓮宗の寺がある。

副都心に建った近代的なコクーンビルが、卒塔婆のように見えた。

カメラは1952年製のKievⅡ、レンズは1937年製のツアイスのゾナー50mm F:1.5、
シャッターを切った者は、その中間の時期に生れている。
いずれも 未だ最低限の機能は保持している。
大事に使えば、長持ちする。それが道具。

逆光だって、使い方さえ丁寧にすれば、ゴーストは防止できる。

当時のレンズでも、フレヤーを防止し、コントラストも出ている。

解像度もそこそこある。
この三者、卒塔婆行きは、まだ先の話だろう。
フィルムがなくなるまで、頑張りましょう・・・と己を鼓舞している。
- 2021/12/24(金) 11:39:39|
- 都会の景観 Tokyo
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去年はコロナのため中止になった目黒川のイルミネーションが再開されたという。
期間は12月10日から来年の2月26日まで。
夜景はあまり撮ったことがないが、撮りたいという気持ちはある。
中判カメラのSuperIkontaにAcros100フィルムを詰めて出かけた。

しかし、イルミネーションならカラーがいいだろうと、
比較する意味も込めて、Sony NEX-5も持っていった。

NEX-5は10年ほど前に購入したもの。
今でも小生にとっては現役の機種。
撮るプロセスを楽しむもの者にとっては、面白いカメラではない。
すぐに飽きてしまい、簡便に使いたいときのみ使っている。
でも、綺麗な写真を撮りたかったらデジタルなんだろうなぁと改めて再確認した。
古い機械式のカメラでも夜景は撮れる。
そのためには長時間露光は必須、ブレない三脚が必要。
ストップ・ウオッチ、懐中電灯、レリーズケーブルなどの小物も持っていく。
Sony NEX-5ならそれ一台でいい。小さく軽いし携帯には便利。
P-Modeにし、感度もオートに設定しておけば、
スイッチをいれシャッターボタンを押すだけ。
レンズには手振れ補正機能が付いている。
しかもズームレンズ。
いいと思った場所に立ち、
フレーミングはズームリングを動かせばそれで終了。
手持ちで撮影できた。
デジタルで撮ろうが、フィルムで撮ろうが、
ライカで撮ろうが、ソニーで撮ろうが、
写真は、撮った写真で評価すべき。
綺麗な(いい)写真を撮りたいなら、
デジタルを選んだ方が、撮る確率は大きいだろうなぁと思う。
唯一フィルムがいいのは、デジタル時代になり、
中古の中判フィルムカメラが、かなり安く手に入ること。
120フィルム(ブロニー)で撮影したので、画素数7400万画素の画像になった。
一方NEX-5は、APS-Cの画像素子を使っているが、1400万画素だった。(これも驚異の細かさ)
等倍に拡大して比較したが、画素数の大きなフィルムの方が断然いい。


でも、7000万画素の良さは、半切や全紙にプリントして初めて分るもの。
NEX-5の画質、ISO:1600で撮影してあったが、
モニターで見る限り、NEX-5のカラー画像のほうが綺麗だと感じた。
写真をプリントで楽しむなら、四つ切りで800万画素もあれば充分。(400万画素でもOKだと思う)
Lサイズなら100万画素でも充分だった。(2000年頃 コダックの100万画素デジタルを使っていた。)
撮った画像は、モニターに出して楽しむのが主流になってきたようだ。
プリントして写真を楽しむとしても、2L程度まで伸ばせば十分な人が殆どだろう。
そうした人にとって、デジタルカメラはすでにオーバースペック。
スマホで充分の時代になったと思う。
パソコンは10年もしないうちに古くなり、動作が遅くなる。
電子機器には寿命がある。
素子が劣化すればパソコンは急に動かなくなる。
デジタルカメラも電子機器、壊れたら修理は殆ど無理だろう。
NEX-5を購入し10年経った。
今後何年使えるだろう?
壊れたら、カメラ、レンズ共に廃棄となるのかなぁ?
メモリーに保存してある画像データ、
画像はデジタルの特性で褪色しないと言うが、
いつなんどき、消えてしまうかもしれない。
そうなった再現は不可能。
大事な画像は、プリントしてアルバムに貼っておく必要があると思う。
- 2021/12/22(水) 08:46:20|
- Night walk in Tokyo
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去年初めの散歩でもこの所で撮っている。


風が強かった記憶が残る。
そのときは強風に揺れるススキを撮るつもりだったが、
今回は、同じススキを狙うにしても、
赤外線フィルムの特性を生かし、ハイキーなトーンを狙うつもりだった。



でも、結局は同じような写真になってしまった。

洗足池近く、中原街道に出る道の上に雲が出ていた。
赤外線写真には最適な光と思ってシャッターを切ったが、
これも、キャッチーさに欠ける。
なかなか・・・うまくいくものでもない。
それが写真だろう。
- 2021/12/21(火) 13:39:47|
- 散歩
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去年の初め、ここでシャッターを切っていた。

石川台駅を望む眺望が開けた場所で、
ついシャッターを押したくなるが、
構図を考えると、選択肢は少ない。
今回の写真も、似かよった構図になってしまった。

フィルムが違う、レンズの画角が違うとはいえ、その違いは本質的とは思えない。
観光地でも、ビューポイントと呼ばれる場所で撮ったものは、
だれが撮っても似たり寄ったりの綺麗な写真になる。
ただそれだけのこと。
この場の記憶を残すとしたら・・・これでいいのだろうか?

レンズと赤外線フィルムの特性を考慮したら、
こんな切り取り方になるだろう。
でもこれでは陳腐。
今日の光の具合なら、
空の雲と鉄塔かなぁとフレーミングしてみる。

これも、説明的。
場所の記憶感が薄い。
更に坂道を降りていく。

どこで撮ったかという説明にはなっていない。
だが、鉄塔の存在感と、抜けるように青い晩秋の空は記録できたと思う。
どれが正解かは分らないが、
一つの対象でも、どう撮ったらいいか、頭を巡らし、体を動かし、試行錯誤して撮るべきなのだろう。
とくにデジタルカメラになり、フィルムがなくなるのを気にすることはなくなった。
デジタルカメラの時代に入って20年経つ。
今までの常識を覆すような写真がでてもいい時期だと思う。
- 2021/12/20(月) 11:59:10|
- 散歩
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御嶽山駅から線路伝いに洗足池を目指す。

今年の一月にも、御嶽山から洗足池まで散歩していたことを思い出す。
撮ったら面白いと思う被写体は意外と限られる。
この教会を撮した記憶があった。
写真を探す。確かに同じ教会を撮っていた。

カメラは同じだが、レンズとフィルムは違っていた。
前回は50mmの標準レンズだったので、このようなフレーミングになった。
今回は、35mmの画角を生かし、もうすこし いろいろな角度から撮ってみれば良かったと思う。(反省)

雪が谷大塚から石川台へ。
撮影ポイントはあまり見つからない。
駅近くで呑川にぶつかる。
この場所は撮った記憶がない。

上流の方向を撮影。
R72のフィルターをつけているので、
陰になった水面は黒く潰れると思ったが、
川の流れが浅いのか?コンクリートの照り返しで、明るいトーンになった。
遠くを見ると、柳の大木がある。
葉の緑は赤外線写真のポイント。
柳をめざし、上流に向かって歩く。
柳は中原街道を渡った所にあった。

中原街道に掛けられた橋を、自動車は走っていく。
遠くには池上線の高架橋が見える。
電車が通過するのを待ってシャッターを切るべきだったかもしれない。
構図的には・・・だれが撮っても、このようなものになるだろう。
地平線に雲が出始めていた。
- 2021/12/19(日) 09:12:58|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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晩秋の深い青空が広がっていた。
あてがあるわけではなかったが、
いつもと違う所へ行きたいと、
池上線に乗り、散歩に出た。
御嶽山駅で下車。
そこから、線路伝いに、来た方向へ戻ることにした。

駅の近くに御嶽神社がある。
まず参拝する。

逆光だとパンクロフィルムで撮ったのと、さほど変わった感じにはならない。

手水舎の水盤の側面が、溢れた水を受け苔むしていた。
深い緑の苔が、赤外線効果で少し白く浮き出て写った。

雲一つない空が広がっていた。
- 2021/12/18(土) 09:48:30|
- 散歩
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11月19日は月食だった。
月を狙うなら300mm以上の望遠レンズが必要だろう。
地上の風景を入れて撮るなら180mmでもOK(小生が所有する焦点距離の長いレンズは180mm)
だろうが、散歩コースで そのような場所思いつかない。
狙ったところで、たいした写真が撮れるわけでもない・・・と負け惜しみして撮影は諦めていた。
数日後、快晴の天気。
朝起きて、窓を開けると西の空に月が出ていた。
くっきりと見える。
ここから撮っても面白くないと、戸越銀座の道へ出て撮影できるかチェックした。
慌てて家に戻り、135mmの望遠レンズをつける。



歩き回り撮影ポイントを探す。135mmレンズだからどうにかできた。
300mm以上の望遠レンズだと、フレーミングできる場所は限られる。
事前に撮影場所を決めておかないと、苦労するだろう。
--------------------
翌日の朝、85mmレンズをつけ、前日より50分ほど遅く家をでる。


歩き回り、地上の風景と月の位置を調整し、いいと思った場所でシャッターを切る。

後ろに下がり、月の位置を上に持っていきたかったが、
そうすると「隙間から捉えた月」というイメージがなくなる。
もう少し早く家を出るべきだった。
反省を込めてシャッターを切った。
二日にわたって月を追いかける。
ものずきなのだろう。
--------------------------------
ニコンの交換レンズには赤外線の距離補正マークが刻印されている。
オーバー・インフ(over infinity)にならないよう、
また撮りたい部分が被写界深度に入るよう、そのマークを使い距離補正し撮影した。
(赤外線写真を撮るときの基本です)
85mmレンズで撮影した写真のデータにf:8/125秒と記したのは間違い。
全てf:4/125秒で撮影しました。
- 2021/12/15(水) 11:22:42|
- ある場所、ある瞬間
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フィルムカメラには、コマの大きさが、
ミノックスの様に8mm×11mmの小さいものから、
8×10インチのように大きなものまで種類が沢山ある。
でも、普通使うのは35mmフィルム(24×36mm)か、ブローニーの120フィルム(60mm×60,70,90mm)だろう。
フィルムのサイズが大きな4×5インチ(しのご)や8×10インチ(エイトバイテン)を使うのはプロの写真家か、
かなり技術力のあるアマチュアの方。ミノックスは、アマチュアが主体だが、これもかなり高度な技術力が必要。
どちらも、かなり敷居が高い。
体力、財力、技術力の三拍子そろわないと、なかなか挑戦できるカメラではない。
三拍子そろわないアマチュアが、
画質重視の写真を撮りたかったら、中判カメラ(ブロニーカメラ)を選ぶことになる。
それでも、やはり中判カメラは扱いにくい。
一本のフィルム、8コマ撮るにも、意外と疲れる。

大崎高校から豊町を横切り下神明まで、補助26号線が開通した。
これで、目黒通りから、武蔵小山をぬけ、中原街道、第二京浜国道を横切り、大井町に至る区間が完成した。
新道路、新幹線、新月の三拍子そろった姿を撮ろうとしたが・・・・
今月の新月は12月3日だった。
撮ろうと思った時、月齢はすでに8日を過ぎていた。
それも致し方なし。
青空に月はくっきりと見えていた。
じっくりと写真を楽しむなら・・・中判カメラかなぁと思うが、(撮影、現像、プリント、そして壁に飾って写真を見る。)
使いこなすようになるには、かなりの修練(Try&Error)を覚悟しないと難しいと感じている。
体力的にも、ちょっと限界を感じ始めている。
35mmカメラの方が、扱いやすい。
簡単な方に流されていくのは致し方ない・・・・最終的にはデジカメかなぁ。
- 2021/12/14(火) 14:22:09|
- ある場所、ある瞬間
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青空が続く季節になった。
このごろはカメラに赤外線フィルムを詰めることが多くなった。
一つには青空であること、もう一つの理由は、100フィート缶の使用期限が近づいていること。
ISO:400のパンクロフィルムとして使ってもいいが、
あまり使うことない赤外線フィルム(貴重だし)、
この頃はせっせと使うようにしている。

Nikon Fなどの一眼レフカメラで、フィルターにR72を使うと、ファインダーが暗くなり、使いづらい。
YA2のオレンジフィルターをつけて使用したが、赤外線効果は今一の感じがした。
やはり赤外線写真はレンジファインダーカメラだろう。
赤外線写真用フィルター、R72(R78ーを使う人もいる)で撮影してみた。
50mm以上の(標準から望遠の)レンズでは、
ピントを合わせてから距離補正をしないと被写界深度に入らなくなることがあるが、
超広角の21mmレンズなので、その心配はない。
レンジファインダーカメラの方が、赤外線写真向きだろう。
- 2021/12/13(月) 17:25:01|
- フィルムの眼
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紅葉を見ようと日比谷公園へ行く。

色のないモノトーンフィルムで、秋の紅葉を撮る/表現するのは難しい。
葉を明るく撮ろうと逆光狙いになる。
更に赤外線フィルム使い、オレンジフィルターで強調しようとした。

手前から遠方までピントを利かせようと、絞りを絞った。
50mmの標準レンズだが、35mmぐらいの広角レンズを使っているようにみえる。

こう撮れば、やや望遠の85mmレンズで撮ったようにも見えるだろう。
当時は超広角といっても28mm、望遠といっても135mmのレンズだった。
それらのレンズを選びながら、写真の上手な人(プロなど)は、
広角レンズで撮っても、望遠レンズを使っても、
標準の50mmレンズで撮ったかのような切り取りかたをしていた。
うまいものだと感心した覚えがある。

一眼レフの時代になり、
望遠から広角まで様々なレンズが手に入るようになる。
高価な超広角レンズを使い、
いかにも超広角レンズで撮ったなぁと分る写真や、
高価な超望遠でしか撮れない写真が増えてくる。
プロがそうするので、アマもそれを真似る。(経済的にはいい循環だったのだろう)
次第に、撮っているものの主体が、
人間から、カメラやレンズなどの撮影器具に移ったのかもしれない。
一種の人間疎外だが、阻害とも思っていなかった。
思った以上にうまくとれるので、カメラ依存症なっていく。
カメラ雑誌も、新製品のレポートが増えていった。
デジタル写真の時代に入って20年は経つ。
いまもその傾向は続いていると思うが、
そろそろ、人間が主体のデジタル写真がでてきてもいいと思う。
- 2021/12/12(日) 20:51:37|
- 都会の景観 Tokyo
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下神明の駅近くにタコの形をした滑り台のある公園がある。
曇り空だった。
秋の陽は早い。
午後3時を過ぎると、太陽は低くなっていた。
白い雲と、暗い空のコントラストを狙おうとしたが、
赤外線写真向きの光ではない。
フィルター無し、パンクロフィルムとして使用した。

やや逆光気味の柔らな光だった。
----------------------
翌日は快晴だった。
前日より早く家をでる。
白い雲と空のコントラストを予想し、YA2フィルター(オレンジ)をつけて撮影。

昨日の撮影ポイントだと、ほぼ逆光に近い。
太陽の光りがレンズに入るのを避け、左へ移動して撮影した。
赤いタコの滑り台が、白っぽく写ってしまった。
当たりと言えば当たり前のこと。

それから約一ヶ月後、再び下神明近くを散歩。
再び(ものは試しと)タコの滑り台を撮ってみた。
カメラには、この頃使わなくなった(珍しい)Ortho25のフィルムが入っていた。
あまり感度は高くない。
このタイプのフィルム、戦前のフィルムには多かったとおもう。
650nm以上の赤い光に対し、殆ど感度を持たないようだ。
赤いタコの滑り台が、暗いトーンになってしまった。
-------------------------
フィルムを替える、フィルターを替える それだけでもトーンは変化する。
オーバー露光するか、アンダーな露光にするかでも、トーンは変化する。
同じ現像液でも、使い方でトーンは変化する。(現像液をそのまま使うか、希釈して使うか、いろいろテクニックはある)
さらに違った種類の現像液に替えれば、またトーンは変わる。
それがモノトーン・フィルムの面白さであり、引き込まれる所。
しかし以前は簡単に手の入った機材、薬品が 段々と手に入らなくなってきた。
この遊び、あと何年続けられるか、心配になるが、
それより小生の歳の残りを気にすべきかもしれない。
- 2021/12/10(金) 22:23:15|
- フィルムの眼
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2007年頃から散歩にカメラを持ち出したようだ。
以来 1400本ほどのフィルムを使っている。
平均すると年に100本、3600カット撮ったことになる。
沢山撮っている割にうまくならない。
小さなことに関心がいき、撮り方、対象、眼の付け所が、ころころ変わるからだろう。
致し方なし。
今回も、こんな比較の写真を撮っていた。

秋の空はすぐ暗くなる。
空に合わせ露光を決める。
シャッターを切ったあと、これでは暗部は潰れるなぁと思い、
シャッター速度を三段分遅くしてまたシャッターを切る。

Fomapan100フィルム 明るい部分に対し耐性がある。
空の部分に出るザッラとした粒子をどうにか抑制できている。
いまごろこんな初歩的な比較テストをしていた。
いつもの堂々巡りになっていると思う。
進歩していない自分を、確認しているようなものだろう。
---------------------------------
ネガは捨てずにとってある。
そのネガシートから、過去に撮った渋谷の風景を探し始めた。

右上の小さな看板に「センター街」の文字が見える。
センター街にある店か、センター街近くにある店だろう。
探してみようかという気になっていた。
それにはまず今までのネガから、渋谷の街を見つけ、
その画像と同じ場所を探して撮ってみるのも面白いかも。
来年早々にでも、もう一度渋谷散歩をしてみようという気になっている。
写真に進歩は見られないが、関心だけはころころ変わります。
- 2021/12/09(木) 10:43:49|
- 都会の景観 Tokyo
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渋谷の画像を探していたら、「散歩にカメラ」を始めた頃撮ったネガを見つけた。
当時ネガは、キャノンのフィルムスキャナーを使って取り込んでいた。
Dpi=4000で取り込めるはずだったが、
Dpi=2000で取り込んでも、画質の解像度は変わらなかった。
取り込むと、4~5百万画素程度の画像になったと思うが、
四つ切り程度にプリントするなら使えたので使っていた。
今回は、エプソンのF-3200を使い、あらためてDpi=3200で取り込んでみた。
----------------------------------------
2007年6月は市販の現像薬を止め、独自の現像薬を作ろうと配合を検討していたころ。
テスト現像のテストピースに渋谷が写っていた。

場所は渋谷駅に隣接する東急百貨店の屋上。
デパートの屋上は、遊園地になっていた。
代々木のドコモタワーが見える。

東急文化会館が解体され、跡地の再開発が始まっていた。
嘗て、ビルの屋上には銀色に輝く半球のプラネタリュームがあった。
星をそして宇宙を知りたくて、そのプラネタリュームに何回通ったことか・・・小学校、中学時代の思い出の場所だ。
これを撮った時の気持ちを、今また思い出してしまった。
いまは「ヒカリエ」のビルになっている。

ビルの上から高速3号線の方を眺めている。
歩道橋がすでに掛かっていた。

これは、文化会館側から渋谷駅をみた景色だろう。
東急百貨店で催された「世界の中古カメラフェアー」を見に行き、
その足で、屋上に上って景色を撮ったと思う。
現像液は非常にシャープにフィルムを現像してくれるが、
銀の粒子が出て・・・小生の好みではなかった。
更に改良は続いていた。
--------------------------------------
渋谷の街はどんどん変化する。

右のビルは、東急百貨店のあった場所だと思う。再開発され高く大きくなった。

上の道路は、高速3号線


歩道橋も整備され、広くなっている。

渋谷川、柵があるのでファインダーで確認できない。
手を伸ばし、ノーファインダーでシャッターを切った。
------------------------------------
散歩にカメラを始めてから、14年ほど経つ。
その間、フィルム現像だけは上手になったと思う。
ネガは作曲と捉えるなら、作曲のために必要な基礎技術は向上した。
しかし、作曲に最も必要なのは、
その人の感性、撮ろうとするものを見つける眼、写真を撮る覚悟だろう。
撮ろうとしても・・・感性と見つける眼と覚悟はない。
撮ろうとする強い覚悟がない以上、
ふらふらとカメラでくだらない歌を歌うだけ。
それでもいいと思ってしまう。
恥じ入るばかり。
- 2021/12/07(火) 15:30:33|
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のんべい横町の先に、
道路と線路に挟まれた細長い宮下公園がある。
久しぶりだからと足を進めたが、辺りは様変わり。
公園はなくなり、ビルになっていた。

エスカレーターを登っていく。

青空が見え、屋上にはオリンピックでも競技となったスケードボードの練習所ができていた。
これが公園なのかもしれない。
それとも記憶違い?

振り返ると、右手下に山の手線が走り、
眼下にはのんべい横町の屋根が見える。
まちがいない、公園も再開発されてしまったようだ。
「散歩にカメラ」を始めたころから、この辺りを散歩している。
昔のネガの中から写真を探す。
ようやく、昔のネガを探し当てた。

カメラを持って散歩に出た頃のネガだった。
13年以上まえのこと。撮影データは記録されていなかった。
調合済み現像薬の購入を止め、
自分で配合を決め、その現像液に切り替えて現像していた。
ほぼ完成した頃の配合だった。
1960年代のカメラ雑誌に、超微粒子現像という現像法紹介されていた。
その処方を真似ていた。
Tri-Xを現像しても、銀粒子は目立たない。

粒子の目立たない滑らかな画像になったが、
欠点は、細部のコントラストが失せたので、大きく伸ばしたとき、ちょっと不満が残った。(美は細部に宿る)
最終的には更に配合を調整し・・・微粒子現像液に戻した。
現在ではTri-Xを使うことがなくなったので、
(A)処方は廃版としたが・・・もう一度復活させてもいいかもしれない。
- 2021/12/05(日) 20:41:19|
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このあたり(道玄坂)が若者のディープな界隈なら、
中年男性の集まる(ディープな)のんべい横町の界隈はどうなったのだろう?
道玄坂を下り、センター街へ足を進める。

センター街の入り口から、ちょっと入り、
曲がった所にあった寿司屋へは、
寿司が好きな妻と何度か来たことがあった。
しかし、やがてセンター街が賑わい、
若者の街になると、
ファーストフードの店が増え、
寿司は、若者文化に馴染めず閉店となっていた。
時代の趨勢、新陳代謝がなければ、町は退潮する。
(妻は残念がっていたが)ポジティブに捉えるべきだろう。

駅前のスクランブル交差点。
コロナの影響で少なかったが、
ようやく人出がでてきた。

でも、まだ鳩が降り立つほど。
往時と比べ、まだまだ。

のんべい横町はまだ健在のようだが、
かなりの店が休業状態。
コロナの影響はかなりのもの。

この辺りも少しずつ、若者の街になっていくのかも。
- 2021/12/04(土) 12:22:53|
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東急本店をでて、近くを散策した。





黒潰れさせないよう、また白飽和もない豊かなトーンの写真を志向しているが、
空の明るさにちょっと負けている。
目立つほどではないが黒潰していた。
黒潰、白飛びを避けるとなれば、
Retro80Sのほうが使いやすいかもしれないが、
トーンのコントロールは、Fomapan100よりちょっとやっかい、
時として制御不能な変なトーンになってしまう。
フィルムの沼に嵌まっているので、
まだ、決定打が見つからない。
抜け出て、
このフィルム、この現像液でいこう・・・と、
そこまで決断できず、未だふらふらしている。
- 2021/12/02(木) 08:48:06|
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何点か頂き物が届いた。
渋谷へ行き返礼品を送ろうという。
妻は、コロナ前、月に一回くらいのペースで渋谷へ行っていた。
なじみの場所で、売り場の場所もよく知っている。
しかし、その頃すでに再開発が続き、
今まで通れた道が遮断され、まごつくことが多かったようだ。
コロナ禍でそれから渋谷へ行くことはなくなっている。
少し前、駅の線路工事で大崎から池袋間の山の手線がストップしたニュースが流れていた。
駅もどう変わったか分らないしと思ったのだろう、一緒に行こうと誘われる。
駅に隣接する東急の売り場は、再開発によってすでに移転。
わかりづらくなったという。
東急の本店へ行く。

緩やかなに続く道玄坂を登り、東急の本店へ。
妻は迷うことなく、エレベータの前へ立ちボタンを押す。
そのまま7階(あるいは8階?)のレストラン街へ。
一人で寿司屋へ入る気にはなれないらしい。
前からここで食べたかったようだ。
カウンター席に座る。
念願叶ったというところだろう。
期待した以上においしかったようだ。
板前さんと話をしていると、
この本店も再開発が決まっていて、
再来年の春には店を閉めることになるという。
妻は、下の階へ行き、贈り物の選定と発送注文などをするという。
ここで分かれる
閉店の話を聞いたので、小生は屋上へ向かう。

東急本店ができたのは先の東京オリンピックが終わってから数年後だったと思う。
駅近くに東急ストアーや、東急文化会館などがあるのに、
駅から離れた所にわざわざ作るのかと思ったが・・・今となると、渋谷の街も駅中心から周辺へと広がっている。
ビジネスとしては成功なのだろう。
今回の東京オリンピック後、数年で立て替えの再開発となる。
コンクリートの建築物、耐用年数が意外と短いのかも。
SDGSという言葉が流行っているが、再開発はSDGSなのだろうか?

逆光で撮影。ゴーストが出ているが・・・小生はあまり気にしない。こんなものだと割り切っている。
影の部分、黒潰しないよう一絞り開けて撮影した。

Fomapan100フィルムは足がストンと落ちる。(黒潰しやすい)
黒潰を避けるため、一絞~二絞り分露光を増やす。
(それが適正露光と思っている。ISO:50で使ったという意識は小生にない)
それを軟調な現像液で現像すると、暗い分の画像はでるが、明るい部分は肉の乗りが進まず白飽和を防いでくれる。
今回の現像は、D-76よりやや軟調な(Ⅰaf)現像液を使用した。
この現像液だと建物の境界(エッジ部分)がくっきりと出ることが多い。

屋上は閑散としていた。

屋上にはテーブルやベンチが置かれていたが、座っているのは数名のみ。
秋の陽光を楽しんでいた。
- 2021/12/01(水) 10:40:23|
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