1950年代までは、
白黒の銀塩フィルムが主流で、
白飛びも黒潰もしない、銀粒子も目立たないトーンの豊かな写真が多かった。
とはいえ、白飛びも黒潰もなく、銀粒子も目立たない写真を撮ること自体、かなり難しい。
撮影技術、暗室技術に優れたプロ写真家の活躍する世界だった。
アマチュアカメラマンは、写真雑誌に載るプロの写真を参考にし、
なんとかそれに近づきたいと、押し入れを改造し暗室を作り格闘したもの。
Tri-Xフィルムと、露光計内蔵の一眼レフの出現が、
その潮流を大きく変えたと思っている。
1960年代後半の、闘争の時代、学園闘争、成田闘争のころになると、
時代が「ザッラ」としたトーンを受け入れるようになる。
白飛び・黒潰れ・銀粒子のでた白黒のコントラストの激しい写真の方が、時代を表現しているように思えた。
構図は単純なほど、またトーンの少ない写真ほど、人間は理解しやすい。
写真は そんなに時間をかけて見るものでない。
いいか否かは、数秒、チラリと見れば評価できる。
そんな風潮だったのだろう。
今も、その影響は残っている。
---------------------------------
アレ・ボケ・ブレの時代。
社会がそれを求めたのだから、それなりの意義はあるが、
若いカメラマンから、その時代の流れに乗ろうとするひとが出てくる。
トーンの美しさを追求していた写真家は、その波にのみこまれ埋没していく。
これは日本独特の現象ではなかったか?
当時、写真雑誌を見ても、アレボケブレの写真は一瞥するだけ、
アマチュアの気楽さ(時代の波に乗る必要なし)、
旧来のトーンの豊かな写真が好きで、それを見てきたので、
白黒の対比を狙った写真を撮っても、
白飛びせず、黒潰しない写真を撮ろうとする。
そしてできれば銀粒子は出したくない。

秋になり、
中央公園のグランドの周りに植えられた紫陽花の花が、立ち枯れていた。
午後の太陽は雲に隠れ、柔らかな光に包まれている。
紫の美しい色は失せ、カラーで撮ったらみすぼらしいだけ。
だれも気にとめないし、スマホを向けるひともいない。
Retro80Sのフィルムを使い、硬調な現像液(Ⅳd5)で現像した。
明暗差の少ない構図だが、
このフィルムと現像液の選択が、枯れた紫陽花を 綺麗で豊かなトーンにする。

黒潰もないし、白飛びも防げている。
そして粒子も目立たず、トーンは滑らか。
こんな写真が好きだ。
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- 2021/09/30(木) 11:44:58|
- 樹、草、花
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画家なら、妄想であれ、心に描くイメージを、自由にキャンバスに描ける。
たとえ物資が欠乏し、画材に不自由した時代でも、
貧乏な画家は、タバコを包んだ銀紙の包装紙に、妻から借りたまち針で、絵を描いたという。
すさまじい制作意欲だと思う。
しかし、そんなまね、写真家にはできない。
写真は、被写体がないと写せない。
それに、写真用機材がなくなったら手のうちようもない。
カメラは元々画家の構図を決める道具から発達した。
カメラという科学技術で作られた装置がないと、撮すことはできない。
写真を「芸術」だと思いたい人は多いが、かなりハンディーがある。
芸術だと胸を張るのには、小生、少々躊躇する。
カメラは、眼前の出来事を記録する装置・・・これは確かだと思う。
写真の自由は、
被写体を探すこと、(なければ撮れない)
カメラを選ぶこと、(高価なカメラは経済的に何台もというわけにはいかない)
フレーミングすること、(余分なものを入れない配慮 自由度は小さい)
フィルムを選ぶこと、(何種類も試せない。お気に入りのフィルム限定的になる。)
現像を選ぶこと、(慣れた現像液を使いがち、市販現像液の選択肢も狭くなった。)
そして、画像をプリントし、最終の作品にすること。
それだけの自由しかない。
(デジタルカメラを選んだ場合は、
フィルムと現像はカメラ任せとなり、レタッチソフトで、最終の作品に調整すること)
制約の多いカメラだが、それでも楽しもうと思えば、選択肢は広がる。

戸越八幡神社の近くの民家の外壁に、張り付くように樹が植えられていた。
面白いとカメラを向け、一枚写真を撮った。
カメラは中判カメラのSuperIkonta ネガサイズは、6×9
フィルムはフジのAcros-100 現像はD-76よりやや硬調な現像液(Ⅲd)を使用した。

約2週間後、同じ場所を散歩。
同じ構図になるようフレーミングし、シャッターを押す。
カメラはNikon SP レンズは広角の28mm ネガサイズは35mm、
フィルムはRellei Retro80S 現像は硬調な(Ⅳd5)現像液を使用した。
写真は記録。
記録としてみるなら、
Ikontaで撮ったものと、Nikonで撮ったもの、
写っている情報に変わりはない。
壁の樹である。
しかし、見た印象(トーン)は少し異なる。
写真は、被写体を記録するだけ。
作者の内的なもの(イメージ)を、直接表出できる表現法ではない。
その点は、絵画や小説とは異なっている。
でも、写真には、
被写体を選び、フレーミングし、撮影し、最終的なトーンに仕上げる自由はある。
凡夫である小生には、それで充分。
できた写真(映像)を自己評価し、
いいなぁと納得できるかどうか・・・それだけだが、それが楽しい。
- 2021/09/28(火) 11:24:14|
- フィルムの眼
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Retro80Sフィルムは、
赤外部まで感光領域が延びているので、
赤外線写真を撮ることができる。
青空が広がっていたので、
赤外線フィルターをもって散歩に出た。

Rollei赤外400フィルムのフィルム感度はISO:400,
Retro80Sは おそらくISO:80で使用することが推奨されているのだろうが、
小生はISO:100として使用している。
晴れた日 R72フィルターをつけたとき、
Rollei赤外400フィルムを使用した場合、
露光を、f:8/125秒~f:5.6/60秒の間で選んでいる。(空と雲の明るさ、樹への光の当たり具合を判断して決めている。)
赤外専用のフィルムに比べ、赤外部の感光領域が少ないので、
f:5.6/60秒を基準とし、フィルム感度が1/4なので、f:5.6/15秒の露出を選んだが、
結果は露光オーバーで、少し肉のりのいいネガを得た。
f:5.6/30秒あるいはf:5.6/60秒でもOKだったかも。
高架線を新幹線が走っていたが、1/15秒のシャッター速度では捕まらない。

白い雲でも浮かんでいたら画面は締ると思う。

区役所前の歩道橋から大崎方向を見る。
被写界深度の深い広角レンズだと、
ピント補正を考えなくても範囲内に入るので、その点撮影は楽。

f:5.6/15秒の露光はオーバーだったが、暗い部分は潰れず、トーンを残していた。
こんな使い方もできる。
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現像は軟調現像液(Ⅵr)を使用した。
- 2021/09/27(月) 18:33:53|
- フィルムの眼
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涼しくなってきた。
散歩の季節に入る。
夏の強い日差は失せ、柔らかな光が林の中まで差し込む。

林試の森に秋の訪れを感じた。

ラクウショウ林の池に彼岸花が咲いていた。
Retro系フィルムは、赤外部まで感光領域が延びている。
光によっては、赤い花が白く撮れることもある。
暗い水面をバックに彼岸花を撮りたかったが、
柵がありカメラを下げられない。
でも柵があるおかげで、
それを一脚代わりにカメラを固定し、撮影した。
秋が来たと思った。
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現像は軟調現像液(Ⅵr)を使用した。
- 2021/09/26(日) 11:23:41|
- 散歩
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以前は 白黒フィルムの現像液も、バラエティーに富んでいたが、
この頃は淘汰され、簡単に入手できる現像液は少なくなっている。
コダックのD-76はまだ入手できる。
マイクロドールXもまだ供給されているらしい。
フジのミクロファインも健在だが、フジドール、プロブドールはなくなり、SPD(スーパープロドール)が市場にでている。
アグファのロジナールも市販されているようだが、ヨドバシの通販では見当たらない。
現像液の選択肢は限られてきた。
フィルムで撮影して楽しいのは、トーンの変化を考えること。
トーンを決めるのは、フィルムとフィルターと現像液。
フィルムはまだ沢山の種類が市販されている。
フィルターも新品では廃版になっていても、
中古を探せば、どうにか目的のものを手に入れられる。
現像液の選択肢が少なくなったことは、問題だなぁと思うが、
自家現像する人が少なくなったのだから、致し方無し。
最初は、現像薬のコストを下げようと、
自分で調合することから始めたが、
今となってみると、
目的は、フィルムに合わせて調合し、現像するようになっていた。
軟調現像液(Ⅵ)を、
Retro80S用に微調整して(Ⅵr)現像液を作った。
現在はRetro80Sフィルムでテスト中。
フィルムNo.1399、旧東海道で撮影したものと、
No.1400、小山八幡、勝島運河で撮影したフィルムは、
この現像液を使って現像した。

露光は、ややたっぷりめに加えた。
空の白飛びを避けるなら、2絞りほど露光を減らすが、
それでは水面の暗い部分は黒潰れする。
タップリ目の露光をし、あとは現像液の効き具合任せした。
現像時間をもう少し短くした方がよかったかも。

水面に映る白いボートに注目していたので、
ややオーバー気味の露光になっている。
市販の現像液ならミクロファインかマイクロドールXで現像しても、
同様なネガになると思う。
自分で調合したからといって極端にコストが下がるわけではない。
市販のミクロファインで現像したら、現像だけの費用(定着は含まない)は一本当たり30~40円だろう。
調合し、希釈現像法(現像時間30分程度)で行ったとしても10円弱の費用は発生する。
手間暇考えたら、市販薬を購入したほうがいいと思う。
なお、店に頼んで・・・・軟調現像液でお願いしますと頼めるか?それは疑問。
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一つ前のブログのフィルムはRollei赤外400。
R72フィルターをつけているので、
そのままD-76で現像したら、非常に硬調なトーンになるだろう。(それがいい場合もあるけど)
なるべく平滑なトーンにするため、
軟調現像液(Ⅵ)で現像しています。
撮影の狙い、フィルム、フィルター、露光、現像液は一体のもの。
それが白黒フィルムで遊ぶと言うことだなぁ・・・とようやく分り始めてきた。
- 2021/09/24(金) 14:44:26|
- 勝島運河
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大崎から目黒川沿いを、河口に向かって歩いて行く。
嘗ては京浜工業地帯と呼ばれ、目黑川沿いから多摩川にかけて、
中小の工場があった。(多摩川を越え、川崎に入ると大企業の大きな工場になる。)
第一三共脇の遊歩道を歩いて行くと、
青空に飛行機雲を発見した。
羽田から飛び立ったジェット機だろう。

さらに目黑川を下ると、
日本塗料の工場になる。
古い建物を壊し、新しい工場(もしかしたら研究開発棟かも)を建設中。

更に川を下ると、
第一京浜国道と交差する直前で、
本光寺に至る。
上空に白い筋を描きながら飛行機が飛んで行く。
羽田に着陸する飛行機は、
大崎付近だと低空を飛び、うるさいので気づくが、
羽田を離陸した飛行機の高度は高い。

21mmの広角レンズで撮影したので、白い線にしか見えないが、
等倍まで拡大して調べると、2本の白い筋が見える。
中型の旅客機だろう。
曇っていたら、飛行機は雲の上、
飛んでいるのも気づかない。
5分間隔くらいで離陸し、
いつも、この上空を飛んでいるのかなぁ。
見えないものは・・・「ない」に等しい?
いえ、「怖いもの」だと思う。
- 2021/09/20(月) 21:42:58|
- 散歩
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フィルム写真は、画質云々を言われると、デジタルには敵わない。
すぐに確認できないし、シャッターを切るたびにコストはかかる。
今時まだフィルムですか?と
物好き「おたく」のように、見られてしまうこともある。
確かに、アドバンテージはないけど、
使っていると面白い。
飽きがこない。
それで、未だ、フィルカメラから抜け出せない。
カメラをぶら下げ、散歩に出ている。

北品川、第一京浜国道より、御殿山へ登る道。

品川駅へ向かう新幹線。
金網の目の間に入る細い交換レンズが欲しいところ。
スマホやコンパクト・デジカメ(今も売られている?)なら、難なく撮影できるところです。

パンフォーカスを狙ってf:11まで絞ったが、1/15秒のシャッター速度は手振れの危険があり・・・ちょっと心配した。

どうにかこの程度の画質に収まったが、
デジタルカメラならもっと鮮明な写真が撮れたと思う。
(35mmフィルムのネガを3200dpiでデジタル化し、1287万画素の画像を得たが、
通常の使い方では、この辺りがフィルムの限界だと思う。)

黒潰をしないよう、また白飽和しないよう軟調現像液(Ⅵr)で現像した。
暗い部分からハーフトーンまでの階調性は高い。(足がある)
壁のミャンマー文字もどうにか判読できる。(意味は分らないが)
建物も、どうにか白飛びを抑えられたと思う。
昔のフィルムは、銀の含有量が多く、
意外と黒潰はしない。(足があると昔の写真家は言っていた。)
ASA400の高感度で、銀粒子がでても、白黒の対比の綺麗なTri-Xの出現が、
この状況を一変させる。
足のあるフィルム(ASA100以下のフィルム)より、
黒が締るフィルムが好まれるようになる。
時代の要請・ムードでもあったのだろうと思う。
当然のことながら、フィルムの銀の含有量も減ってく・・・
Retro系フィルムの銀の含有量は、Acros100やFomapan100と そう変わるものではないと思う。(確かめていないけど)
でも乳剤技術が異なるので、意外と足のあるネガを得る。
ハーフトーンが、少し立つので、D-76現像液を使うなら、
希釈現像法が合っているように思う。
と言っても、フィルムカメラを使う人は少ないし、
まして白黒フィルムを現像するのに、
フィルムに合わせ、現像液を調合して使う人は希だろう。
こんなことに拘るのは、
やはり「おたく」の領域に入ってしまったのかなぁと思う。
- 2021/09/18(土) 12:32:50|
- 散歩
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東京にも沢山の氷川神社がある。
有名なのは、赤坂の氷川神社だろう。
麻布、白金にも氷川神社はある。
散歩コースに入っているのは、
大崎郵便局近くにある氷川神社、
町名的には西五反田になると思う。
近くを歩いていたら、祭り囃子が聞こえてきた。

神輿を台車に乗せ、テントを張り、
一応お祭りの準備はできているが、
集まった人はまばら。
夜店の準備もされていない。
笛を吹き、太鼓を鳴らす。
地元有志の、祭りを絶やさないという情熱を感じる。
笛を吹く人以外は、マスク着用も守られている。
例大祭の季節、しかし、コロナ感染の広がりから、
戸越八幡、三ツ木の貴船、大崎の居木、下神明(大間窪)の天祖神社、
上神明(蛇窪)の天祖神社は、去年も、今年も中止になっている。
その中で、簡略だが、例大祭を催した氷川神社。
見ていて気持ちの晴れる思いがした。
演奏が終了したとき、数人の見物者と共に拍手していた。
- 2021/09/16(木) 12:54:03|
- 散歩
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御殿山への道を登ると、ミャンマー大使館にでる。

今、ミャンマーは、
軍のクーデターで、
アウン・サン・スー・チー氏が率いる政権が倒され、
軍事(独裁)政権ができた。
クーデターであれ、自分の正当性唱え、「正義の戦い」とする。
勝った方が正義で、負けた方は逆賊となる。
正義は常に勝者のもの。(正義を振りかざす人には・・・注意した方がいい)
でも、選挙によって選ばれた民主政府は、
それが正義だったか、次の政権で検証される責任を負う。
それが最後の安全弁。
米国の国民は、
ベトナム戦争、アフガン戦争、イラクの湾岸戦争を、
どう受け止めているのだろう?
選挙で国の代表を、
任期を定めて選ぶ民主国家の方が、
立ち止まり、そして、検証しようとする仕組みがあるだけ、
独裁政権よりは、まだ、光があると思う。
日本は黄昏れているのか・・・自民党内のコップの嵐。
責任は曖昧のまま、総裁選だという。
次の首相候補達も、その検証には及び腰になっている。
日本のデモクラシーが試されている気がしてならない。
革命未だならず(孫文)
- 2021/09/14(火) 18:57:38|
- 品川宿
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この辺りは、何度も歩いていたが、
この横町に入り込んだのは偶然だった。
古い棟割長屋が続いていた。

家に帰り、現像。
画像を確認すると、玄関の戸口に石仏が置かれている。
こんなものが写っている・・・
6日後、確認のため、もう一度同じ横町に入る。

確かにそこにあった。


舟溜まりに近い。
前回来たとき、対岸の橋の上から、品川のインターシティーの高層ビル群を写真に撮っている。

横町をでて、広い道へでる。
この辺りは、度々歩いている。
昔、大黒屋で昼食をとったことがある。
しかし、ラーメン屋は入ったことない。
右の駐車場になっている所には、
2003年頃には幸福食堂があったと記憶している。
それから一年、再び同じ場所に立つ。
すると、横町の棟割長屋から生活臭が消えていた。

石仏は失せ、植木鉢もない。

インターシティーの開発後、港南口の変化は激しい。
その開発の波が、この辺りにまで押し寄せてきたということだろう。
-----------------------------------------
先日 修理したSuperIkontaの写り具合をテストするため、
また横町に入ってみた。

棟割長屋は補修され、喫茶店や飲み屋、変わっていた。

外装は新しい板に張り直されていた。

舟溜りに変化はないように思えるが、
何年か後、ここへ来たとき、変わっているかも・・・・
---------------------
写真は記録。
写真は誰のもの?
それは被写体のもの。
カメラを持ち撮影する人は、
見たものを記録するだけ。
その瞬間、カメラマンは透明人間になっていた方がいい。
美しい写真を撮りたい、
うまい写真を撮りたい、
「いいね」と人に言ってもらえる写真を撮りたい。
その思いが募ると、撮る人が主で被写体は従となる。
写真は引き算、見せたいものを引き立てるため、
フレーミングに注意し、無駄なものを画面に入れないようにする。
撮影で邪魔な人がいると、怒鳴って、出て行くよう促す。
撮った作品を見ると、たしかに、何が撮りたかったかよく分る。
綺麗だし、うまい・・・
でも それでは、いいね、うまいねで 終わってしまう。
石仏をアップで撮った写真が、
無駄を排除して画面はすっきりしている。
狙いも、民家の路地先の石仏だと分る。
一番キャッチーだという評価をうけるだろう。
しかし、どこで撮ったかはっきりしない。
この時の、この場所の、記憶にはならない。
写真を読み解き、
これはどういうことかというきっかけを欠く、
人の想像力を刺激する手立てを失っている。
玄関先に置かれた石仏は、
舟留りの横町にある棟割長屋に置かれたもの。
その生活感が失われたら、
被写体の主体である石仏を撮ったことにならない。
写真は時代を映す記録。
従であるべきカメラなのに、
「私が撮ったのだ」、「これが私の心象風景と」、
主を演じようとするのは、どうなのだろう?
キャッチーに撮れても、一瞥すればそれで終わり、
つまらないものになるのではと危惧している。
- 2021/09/12(日) 10:07:20|
- 品川宿
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修理したSuperIkontaのテストを兼ね、
北品川の商店街を歩いた。

品川神社の前は第一京浜国道が走り、
分断されているが、この参道が続いていたらしい。
薄日は射していたが、ビルに遮られているので、参道は少し暗い。
参道の調子(トーン)を撮るなら、f:8で1/100秒辺りが適正露光だと思う。
でも、空の雲の様子を出すならf:16/100秒だろう。

暗い部分、黒潰はあるものの、これなら合格だろう。

白飽和は少しあるものの気になるほどではない。
ジャンク品のカメラを直したが、腐っても鯛は鯛。
レンズの解像度はかなり高い。
千円くらいで手に入ると期待したが・・・意外と高い値が付いていた。
6×9の中古・中判フィルムで、安く・高画質なカメラとしたら、これがベストかも。
(ただし、修理して使うのが前提:暇を弄んでいる老人には格好の遊びアイテムでしょう)

大正か昭和初期に建てられた店も残っている。

銅板の上に店名が施されている。
右から左に文字が書かれ、
「星野金物店」と読める。
おそらく大正時代(あるいは明治時代)に建てられ、
それから、商売替えをせず、現在まで続いているのだろう。
こんな建物をみると、すごいなぁと思ってしまう。

ここまでが北品川宿だったようだ。
浜へ向かう道には「溜屋横町」という名がつけられていた。
舟どまりへの道という意味だろうか?
6×9の中判カメラ、レンズはOpton-Tessarの105mm F:3.5のレンズが付いている。
35mmカメラに換算すると42mmくらいの画角になる。
42mmでも狭い宿場町の光景を捉えるにはすこし画角が狭い場面もある。(後ろに引けない)
もう少し広角の35mmから28mmレンズのほうが良いかも。
- 2021/09/09(木) 14:16:05|
- 品川宿
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実るほど頭を垂れる稲穂かな・・・
仕事をしている時は、
仕事の関係で、様々な人と会う機会があった。
社会的なステータスの高い人にも会った。
事業が好調なほど、
そして、会社の規模の大きいほど、
人間は尊大(上から目線)になる。
人間は社会的動物、社会的地位をまとうと、
それが態度・雰囲気にでてしまう。
実るほど頭を垂れる稲穂かな・・・
そんな、人物には結局逢えなかった。
願望が作った警句(俳句)かなぁと思う。
鮫洲でひまわりに出逢う。
項垂れているのか?

こんな場所に居たいとは思わない。
ここで咲けと植えられてしまった。
もし、自由になるなら、人間の居ない場所で咲きたかった。
花を咲かせても、まるでさらし者、
運命は、(上から目線の)人間の気晴らしの手に握られている。
嘆かないでいられるか?
そんな声なき声を、聞いた気がする。
- 2021/09/06(月) 15:17:39|
- ひまわり
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数万年まえの人類も、花を遺体とともに埋葬したという。
その花粉が化石化され残されていたという。
深い悲しみを癒やすものが花だったのだろうと想像する。
単に美しいもの、可愛いもの、という範疇を超えている。
「ひまわり」には明るく健康的なイメージがあるが、
ソフィアローレンが主役の映画「ひまわり」を見た人は、
単純に綺麗なものと捉えることはできないだろう。
広大なひまわり畑の下には、
戦闘で亡くなった兵士が埋められているイメージがつきまとう。
埋葬と花・・・数万年前の話ではない、ほんの7,80年まえの出来事だ。
「昼顔」の花には、カトリーヌ・ドヌーブの映画のイメージがつきまとってしまう。
非常の魅力的だったが・・・可憐さの裏には、隠微・背徳の陰が残る。
綺麗な花を綺麗に撮ってどうする?
感覚が単純すぎないか?
ロダンなら「浅薄なる幼稚」と切り捨て、
本質を掴めと叱責するところだろう。
美しく可憐なイメージの「花」を撮ることは止めようと思っている。
別の一面が発見できるかもしれないから。

蛇腹のフィルム面の抑え板の隙間を、遮光テープで塞いでみたが、
まだ、少し光漏れは残った。
もう少し空を入れたフレーミングをしたつもりだったが、
パララックスの関係で、下の部分が多く写ってしまった。
撮影時刻は午後3時頃、ほぼ太陽を背にしている。
良く晴れた青空が広がっていた。
ACROS100フィルムなので、
普通に撮影するなら、f:16/100秒 あるいは、
ひまわりのディテール重視なら、f:11/100秒の露光を選ぶ。
GN28のやや大きめの携帯ストロボを焚き、レンズシャッターなので1/500秒の最高速度で撮影した。
空に対しては、2~3絞り少ない露光になった。
空は暗く落ち、夜のような写真になった。

同じ場所、夜9時頃撮影した。
少し離れたので、フレーミングによるパララックスは少ない。
ひまわりの時期はもうすぐ終わる。
首をうなだれたようなひまわりを撮りたかったが、今一の結果。
風がなかったので、4分の長時間露光で撮ってみた。
- 2021/09/05(日) 12:08:45|
- ひまわり
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YouTubeで写真・映像関係の番組を見ていた。
その中に、
撮影風景を紹介する(見せる)映像があった。
クリックして見ていると、
モデルの女性が、何種類かの服に着替え、
写真家がその姿を撮影するものだった。
周りには、照明を操作する人、メーキャップする若い女性、
服をコーディネートする若い女性スタッフがいて、
モデルの女性に、盛んに「可愛い・・・」を連発していた。
モデルの女性は満身の笑みを浮かべ、楽しそうにポーズを取る。
「可愛い」の連発かよ、語彙が貧しいなぁ、と思いながら、
ふと、昔の事件を連想してしまった。
昔の撮影風景もこのようなものだった?
1960年代中頃から1970年代中頃の10年間は、
日本の写真の一番盛んな時期。
写真映像の質の高い時代だったと思っている。
金回りのいい(と思える)人気写真家が、輩出していた。
一眼レフに、露出計が内蔵され、
露出設定の失敗から解放されたことが大きい。
活躍する人気写真家に憧れ、
露光内蔵の一眼レフを購入しさいすれば、
写真家になれるという夢があった。
そんなとき、CM界の天才デイレクターと呼ばれている人が自殺した。
遺書には、忘れられないフレーズが書かれていた。
「ハッピーでないのに、
ハッピーな世界などえがけません。」
あんなきらびやかな広告の世界にいて、
成功し、仕事は山のように来るのに・・・
人の心の闇を見ることはできないが、
「きらびやかなマスコミの世界」と「その住人の死」の対比、
衝撃的な思いが今でも残っている。
いまは、そんなに思い詰めて映像の仕事に就いている人は居ないのだろうなぁ。
写真の画質は技術の進歩で良くなったが、
金太郎飴の様に、綺麗だけど皆同じ、
心に突き刺さるような写真は少なくなっている。
「可愛い」と言われたり、「いいね」を沢山もらうような写真は撮りたくない。
やはり心に突き刺さり、棘を含む写真を撮りたいもの。

レタッチソフトでどうだとばかり盛った写真など、作りたくもない。
老人になると、昔のことを いろいろ考えるようになる。
そうすると意識は過激になるものだ・・・と思う。
- 2021/09/04(土) 11:55:01|
- ひまわり
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科学技術の重要性が叫ばれても、
技術者・研究者に対する報酬は少なく、
処遇も冷たい。
折角、理系のドクターの資格を得ても、
その研究開発能力を発揮させる受け皿がなく、
数学の能力を買われ、金融関係の仕事につく人も居た。
優秀な人材は、金儲けのできる分野か、外国へ流れていく。
嘗ては高品質な製品を排出し隆盛を極めた産業も、
人材不足、衰退をしていくのは当然だろう。

高級なデジカメ、一定の需要はあるだろうが、
スマホ・・・Phone-Cameraに市場を侵食され、
ここで作る経済的メリットはなくなっている。
--------------------------------
管首相が、自由民主党の総裁選挙に出馬しないというニュースがTVに流れた。
コロナ対策に全力を挙げるというのが出馬辞退の理由のようだ。
しかし、首相として働けるのもあと一ヶ月ほど。
総裁選に出て、総裁になり、衆院選を戦い、首相指名を勝ち取らないと、
それ以降のコロナ対策を、責任を持って遂行することはできないだろう。
敵前逃亡に近い行動。
今までも「コロナ対策」は、後手後手の対応だった。
いずれのときも、ほんの一ヶ月でも早く決断していれば、評価はこれほど下がることはなかった。
アフガンからの日本人および協力者の救出にも失敗している。
嘗て「日本を取り戻す」と叫んでいた首相もいたが、
現在の状況を見ると、それは、
ユーラシア大陸の東の端にある小さな島国へ戻ることを指していたのかも。
サイエンスはデモクラシーから生まれた。
この国の住民にも、サイエンスが何か分っている人は居た。
しかしそれを無駄と思う政治家は多い。(まるで独裁者)
管首相は、サイエンスの何たるかを理解できて居なかった。
今、バイオ関係では立ち後れが目立ち、ワクチンは全て外国からのものに依存している。
戦後、物理、化学、医学・生理学の分野で、ノーベル賞を受賞する人を輩出したが、
今後もそんなサイエンティスト、この国の研究機関から、沢山出てくるだろうか?
日本は、黄昏れているのか?
- 2021/09/03(金) 14:18:18|
- ある場所、ある瞬間
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久しぶりに長い散歩を計画した。
戸越の自宅をでて、目黑川沿いに下り、品川の河口へ出て、御殿山を登り、ぐるっと一周するコース。
写真を撮りながらの散歩なので3時間~4時間はかかる。
河口の海上公園から、運河伝いに天王洲アイル、
北品川の舟泊まり、旧東海道を横切り、御殿山へ登った。
そして、御殿山から目黑川を目指し、坂を下ると、居木橋に至る。

居木橋のたもとには神戸製鋼のビルが建っている。
ここまで来ると、大崎の再開発されたビル群が近くに見えるので、
心理的には大崎駅近くに来たと感じるが、
駅の改札まで歩くとなると、5分では難しい、10分弱の時間がかかる。

斜面は公園になっていて綺麗に整備されている。

午後4時頃だが、夏の日差しは暑い。
公園に人の姿はなかった。
久しぶりの長い散歩、
帰宅すると風呂場へ直行、
すぐにシャワーを浴び・・・ビールの生活に戻っていた。
- 2021/09/02(木) 07:39:59|
- 散歩
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北品川の「ふなどまり」から、坂を少し登ると旧東海道の道にぶつかる。
そのまま進むと、やがて道はなだらかな登り、御殿山に達する。
江戸時代、御殿山は桜の名所として知られていた。
今はその面影はない。
なだらかな丘の上にあり、そのまま八ツ山に繋がる。
八つの岬が海に伸びていたから、八ツ山と呼ばれたらしいが、
その痕跡がどこに残されているか・・・よく分らない。
お台場を埋め立てるのに、御殿山や八ツ山の土を使ったという。
往時の景観を伝える浮世絵は残されているが・・・どの地点からの風景かよく分らない。
でも、のどかで きれいな場所だったことは伝わる。

後ろを走る道路に面し、原美術館が、
右手にはミャンマー大使館がある。
御殿山はそのまま高輪台に続く高級住宅街。
高級な外車を乗り回す人が住む場所なので、
それでいいのだろうが、電車へのアクセスはあまり良くない。
五反田、大崎、品川の駅へ、徒歩なら10分から15分かかるだろう。

この建物、建設が始まってから、かなり時間が経つが、まだ、完成に至っていない。
庭には雑草が生い茂り、看板の設置もされていない。

でも、完成間近という感じがする。
おそらく宝石を集めた美術館(博物館?あるいはショールーム?)になるようだ。
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更地になっているのを知ったのが、2011年10月 10年ほど前。
それから、建設が始まったが、
ゆっくりと建設は進んでいた。
この前を通るたびに、気づくとシャッターを押したが、
良い写真が撮れていたら・・・ピックアップしてあるが、
それ以外のものを、膨大になった画像の中から、探すのは困難になった。
(検索できるよう、画像のデーターベース化を 考えたほうがいいだろう)

ようやく見つけた一枚。
この頃は、若い女性が一人、
壁面にタイルを貼り付けていた。(作業している姿を入れた写真も撮った記憶があるが・・・見つからない)
芸術的センスも必要だし、手間のかかる仕事。
「いつ頃完成ですか?」と尋ねたが、
それは分らないと首をかしげていた。
この女性の持ち場は、この壁面で、全体を把握している訳ではないのだろう。
どんな形で完成するか、興味深い。
これも散歩の楽しみの一つかなぁ。
- 2021/09/01(水) 11:49:28|
- 都会の景観 Tokyo
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