羽田に向かう飛行機が飛ぶようになって、
飛行機を見るとシャッターを切る機会が増えた。
飛行ルートも三つほどあるようだ。
飛行機を、勝島運河上空で撮った覚えもある。
ファイルのなかを探していたら、その写真が出てきた。
今年の2月初めに撮ったもの。

目黑川を下り、河口付近で右旋回し、青物横丁辺りから海に出て、羽田へ向かうジェット機だろう。

この機体は、大崎ビジネス街から大井町をぬけてきたものだろう。
勝島運河上空を飛び、海にでて羽田へ向かうものと思う。
大崎警察署近くから大崎のビジネス街をかすめ、下神明上空を飛んで行くジェット機もある。
進路からすると、大田区の平和島辺りを通過して羽田へ向かうことになるが・・・?
真偽を確かめたく・・・大田区まで足を延ばしたくなっている。
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- 2021/06/29(火) 09:15:18|
- ある場所、ある瞬間
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背景のビル群は、再開発された大崎のビジネス・住居ビル。
広町上空をジェット機が羽田に向かい飛んで来た。
午後遅くなると、ひっきりなしに飛来するようになる。

低空を、あっという間に通り過ぎる。
おそらく鮫洲の勝島運河付近から海に出て、羽田空港へ向かうのだろう。

遠くへ行きたい、異国の珍しいものを手に入れたい。
人間の欲望は果てしない。
自然を搾取し、独り占めしようとする。
森を牧場に、あるいは畑にする。
縄張りを狭められた野生動物は、
人間の住空間と接触するようになる。
交易は富をもたらすと共に、
その地方の風土病に過ぎなかった病原菌も運び、
パンデミックとなる危険性も孕んでいる。
オリンピックが、
パンデミック病原体の交易の場にならないことを祈るのみ。
- 2021/06/28(月) 10:31:18|
- ある場所、ある瞬間
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空を自由に飛ぶことは、人類の夢。
20世紀の最大の発明は航空機ではないかと言われている。
航空機は、進歩の象徴。
富を運んでくる。
羽田空港の発着回数を増やすため、
東京上空にも空路が設定された。(ということになっている)
羽田に向かう飛行機が、品川区の上空にも現れる。

爆音が聞こえる。
目黑上空に小さな機体を発見、どんどん大きくなる。

あっという間に頭上に迫る。

爆音を残し、大崎駅上空を飛び去っていった。
空路の下に住む住民には、
この空路の新設が、どれほどのメリットをもたらしてくれるのか不明。
メリットを感じる人もいるのだろうが(商売が上向く人?)・・・
大多数の人は、我慢を強いられているだけだろう。
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コロナ感染で行動の自粛を余儀なくされている都民に、
オリンピックは何をもたらすのだろう?
コロナとの戦争に日本軍は劣勢に立たされている。
しかし、大本営の発表を聞くと、
政府は、管首相の適切な「総合的、俯瞰的」な対応が功を奏し、
防衛体制の構築は順調に進み、「安心安全」な状態に近づいたと明るい展望を示す。
現実はどうなのだろう?
去年3月ころの、政府のコロナ対応を思い浮かべる.
そのときと、何が変わっただろうか?
外国の方が沢山、もうすぐ怪鳥に乗り羽田にやってくる。
浮かれるな、でも応援しろ・・・では、
その間、首都圏に住む人は、どう過ごせば良いのだろう?
- 2021/06/27(日) 10:18:35|
- ある場所、ある瞬間
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外を見ると晴れていた。
思い立ったら、すぐ行動。
カメラにFomapan100を詰め、YA2フィルターを持って出かける。

日常のなかに現れた非現実の場面だろう。
能舞台に描かれた松を意識したが、残念ながらそうはならない。

赤外フィルム同様、空は暗く落ちたが、
白黒の対比、トーンがしっくりこない。
自動車が目障り。

フェニドン系現像液で、硬調なトーンを狙ったが・・・ピーカンの晴れた日では 非日常性は感じない。
もう一度Try?てみるか・・・・
- 2021/06/25(金) 09:20:08|
- ある場所、ある瞬間
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小学生のころ授業で、四大工業地帯を習った。
京浜、中京、阪神、北九州・・・だったと思う。
昭和30年には、戦前のGDPを越えた「最早、戦後ではない」という記事が新聞に載っていた。
授業で、教師は(誇らしげに)、品川区の広町から川崎市までを京浜工業地帯と言うと習った記憶が残る。
しかし、京浜東北線(東海道線)の電車に乗ると、
目黑川を越え、広町に入ると小さな町工場見え、そこから大田区の六郷橋までは海側に、小さな町工場が見えていた。
多摩川を越えると、大きな建物が見え、いかにも「工業地帯」という印象だったが、
大崎の広町も工業地帯に入ると聞いたが、暗く汚れた建物に裸電球では・・・・
戦後復興に大きな寄与をしたと聞いたがピント来なかった。
時代が進むと、小さな工場は建て替えられ、一部は住宅になったが、
狭い区域だが広町はまだ工業地域の雰囲気が残っていた。

落書きはやりたい放題だが・・・観てくれる人は少ない。
工場は少なくなり、働く人も少なくなった。
硬調な現像液で現像した。
それでも、白飛びしないよう、また黒潰しないよう現像条件には気をつけている。

黒潰はかなり抑えた。白黒の対比は(見た目より)強くなっている。

コントラストを強くすると、ビルの枠は白く飛んでしまうところだが、それもどうにか防止できた。

再開発された大崎のビジネス街の上空をジェット機が羽田へ向かう。

JR東日本の電車の操作所(大井工場)も広町にある。
いまは塀ができているが、引き込み線を伸ばせば、原料の搬入や、製品の出荷は簡単にできる。
輸送には最適な場所だったと思う。

散歩中、唯一人影を見た工場。
- 2021/06/22(火) 18:44:11|
- 散歩
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写真を撮るようになった頃、
カメラ雑誌を眺め、参考にしてしていた。
カラーフィルムはまだ高価で、
白黒フィルムで撮る人が多かった。
見よう見まね、少しでも良い写真が撮りたいと、
フィルターも沢山用意した。
しかし使ってみると、フィルターの効果は限定的、
つけて撮影したものと つけないものとの差を、
感じる写真は あまりなかった。
今考えれば、光質を見極め、
それにあったフィルターを選ばないと、
フィルター効果は得にくいということだろうが、
参考にしていたカメラ雑誌で、
フィルター効果を解説する方達の経験が、
オルソクロム時代の経験に偏っていたらかもしれない。
しばらくすると、フィルターをつけて撮影することは少なくなった。
使うとしても、PL(偏光フィルター)とR60(赤フィルター)で、Y(イエロー)系はあまり使わなくなっていた。
パンクロフィルムだと、肉眼で見たような感光領域になっているので、敢えて使うなら・・(特殊効果狙い)・・という所だろう。

Fomapan100はパンクロフィルム、肉眼で見た感光領域に近い。

青空を少し落として、白い雲をくっきりと出したかったのでYA2(オレンジ)フィルターをつけて撮影。
一絞り分シャッター速度を遅くした。
空の濃度を「フィルター無し」に揃えて画像を比較してみた。
雲のディテールがくっきりでる。
暗い部分のディテールも潰れず、庭木の調子も良く出ている。
ブロック塀と舗装道が、少し明るいトーンになっていた。
暗室なら、印画紙に焼き込みして、トーンを調整するところだろう。
「フィルターなし」で撮影しても、暗室でトーンの調子を整えれば、似たようなトーンになると思う。
それでも、二つ並べると、ディテールに差は出てくると思う。(美はディテールに宿る)
スーパーパンクロのRetro系フィルムを主に使うようになり、
この頃はフィルターを選んで使う場面が増えてきた。
小生の思考も、レトロ(時代遅れ)に戻ってきた感じがする。
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白黒のコントラストをつけるため、
硬調な現像液で現像した。
(現像液の選択の方が、トーンコントロールでは重要だと思う。)
- 2021/06/21(月) 09:38:51|
- フィルムの眼
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白黒写真を撮るなら、
午前11時から午後2時の時間帯は避けようとする。
小生の散歩は午後遅くなってからが基本だが、
この日は真っ昼間、出かけた。

赤外線写真効果を狙う。
樹の葉は白化する。
ちょっとシュールなトーンになるだろうと・・・狙って撮っていた。



真っ昼間だと、空には赤外光が溢れている。(眼には見えないけど)
可視光をカットするフィルターをつけて撮影しても、空は暗く落ちることは少ない。
樹は見慣れた青葉ではなく白化して写る。
地面に落ちる人の影は小さく、あっても感じない。
それが狙い。
「去年マリエンバードで」か?
シュール感がでたと思うのだが・・・・
- 2021/06/20(日) 07:30:33|
- 散歩
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家が取り壊され、隣家の壁がむき出しになった家を見つける。
売り地となり、やがて新築の家ができると、この光景は見られなくなる。
シャッターを切っていた。

カメラには赤外線フィルムが入っている。
最初に注目したのが、壁を這う植物の形。
まるで能舞台の松に思えた。
それが、白く写っていたら・・・・面白いかなぁと思た。

すこし下がって、養生(雑草防止)の黒いシートを構図に取り込みシャッターを切る。
更に下がって、全体を撮影。

売り地の状況は分るが・・・ちょっと説明的になりすぎ。

その場の雰囲気を表すとしたら、このほうが良いだろう。
赤外フィルムで撮影したトーンは、
最初の狙いには合わなかったと思う。
(能舞台を連想させる幻影)
アグファのRetro系フィルム(スーパーパンクロ)ではなく、
パンクロフィルムで撮れば良かったかも・・・と思う。
Fomapan100フィルムで、もう一度チャレンジするつもり。
新築の家の建設が始まる前に。
- 2021/06/18(金) 11:10:24|
- ある場所、ある瞬間
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どうしてこんなに沢山のレンズを手にしてしまったのか?
今となっては、少々驚いている。
かなり安く手に入れることができたことが 大きな理由。
歴史の有るレンズだし、それなりの良さもある。
その追体験(確認)がしたかったのだろう。
Nikon SPに付いているNikkor 50mm F:2のレンズは、
ツアイスのゾナー50mmF:2のレンズを先生にして設計、製作されたものだという。
それが欲しくて、戦前のContaxⅠ、Ⅱ用のゾナーレンズを探した。
このレンズはContaxⅠ時代のゾナー50mmF:2レンズ。
使い込まれたレンズで、レンズの前面が磨りガラス状に曇っていた。
そのため非常に安価、ジャンク品「部品取りにどうぞ」というレベルだった。

製造は1932年~36年の間。
おそらくContaxⅠ後期タイプのレンズだと思う。
レンズの番号から1933年製と推察している。
ノンコートレンズで、前玉に細かな擦り傷があるが、
それ以外のレンズには曇りも傷もないので、
前玉だけ戦後、ソ連邦で作られたJupiter-8の前玉と交換すれば、
綺麗なゾナーとだますことはできるかも。
そんなゾナーレンズもあるという噂は聞いている。

中央の花の部分を等倍に拡大してみた。
フレアーの掛かったソフトなレンズ(光が滲む)、コントラストは低いが解像度はかなり高い。
細かな拭き傷の影響だろうが、それも味だろう・・・・


f:5.6まで絞れば、かなりコントラストは良くなる。
ポートレート向きなレンズだと思う。
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戦前の沈胴タイプのSonnar 50mm F:2レンズ。
レンズ番号から、1937年製だと思う。
先行するライカのF:2レンズ(SummarとSummitar)は沈胴タイプ(Crushable)なので、
それを意識したのかも。
まだノンコートレンズだが、光が滲むようなことは少ない。


ピクセル等倍の拡大してみても 欠点らしいものは見つからない。
使うならこのレベルでも十分でないだろうか?


f:5.6まで絞れば、現代のコーティングしたレンズにひけを取らない・・・と贔屓目に見てしまう。
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第二次世界大戦後 一時期ドイツは2つの分割される。
東ドイツ側(共産圏)に残ったツアイス工場で製造された Sonnar T 50mm F:2 レンズ。
レンズ番号から製造年を探そうとしたが、資料見つからず、分らないが、1950年頃製造されたものと思う。

ツアイスの開発したT-コーティングがレンズに施されている。


戦前のゾナーに比べ、コーティングが施されたので、
よく見ると、光の滲み、フレアーが抑えられ、コントラストが高くなった。
しかし、ワングレード上がった別レンズとも思えない。

ゾナータイプのレンズは、傑作ではないかと思う。
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戦後 イエナにあったコンタックスの工場は、ソ連邦のキエフに移築される。
そこで、コンタックスのゾナー50mm F:2のレンズは、Jupiter-8と名称が変り製造されていく。
移築後 かなり早い時代に作られた 1952年製 Jupiter-8レンズ。

東独にあった工場を移築したとき、半完成品や、部品を全てもって来たので、
1947年あるいは1948年には試験操業に入ったらしい。
かくしてContaxⅡは、KievⅡに、Sonnar 50mm F:2はJupiter-8と名称が変った。

1948年から1949年製造されたカメラ、レンズは少なく、
今はコレクターズアイテムになっているようだ。
ツアイスのコーティングが施され、
東独側で製造したT-コート・ゾナーレンズと、
レンズの性能は瓜二つ、区別は付かない。

生産が進むにつれ、レンズ、部品がなくなると、順次ソ連邦製部品に換わって行く。

1955年製のカメラまでは、まだドイツで作られたものが使われていたようだ。
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硝子の部材がなくなると、ソ連邦で作られた硝子になっていく。
新たに設計し直し、製造されたのがJupiter-8Mだろう。
1960年頃から製造されたようだ。当時ソ連は宇宙開発では先頭を走っていた。
もっとも国力の充実した時期。

このレンズにも気合いが入っていたと思う。

f:2の絞り開放から、本家のツアイスに負けていない。

購入した当時、テストチャートを撮影し、ゾナーレンズの解像度をチェックしたことがあった。(Nikkor 50mm F:2を含めて)
レンズの解像度は、どれも似たり寄ったり、殆ど同じだったが僅差で、このレンズが最高値を示していた。

しかし、計画経済の国、さらなる進歩はなく、ノルマ達成のためか、後期に作られたJupitrt-8Mは・・・若干だが解像度、コントラスト共に落ちたような気がしている。
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とは言ってもゾナーレンズ、殆ど同じ、気にすることはないと思うが・・・・


等倍まで拡大すると・・・差はあるなぁと思う。


Jupier-8Mでも 1:2 F-5cmと刻まれているのが ソ連邦絶頂の頃の製品で、
2/50 とか2/53と刻まれているレンズが ノルマ達成のレンズになっている様な気がする。
それでも、比較的安価に手に入り、充分実用にも使えるので、一本くらい持っていてもいいレンズだろう。
KievⅡマウントだけでなく、ライカL39マウントのJupiter-8、Jupiter-8Mも多量に製造された。(西側では考えられないこと)
ミラーレスデジカメを持っている人なら、マウントアダプター(L39用は安価です)を用意すれば、
このレンズの「味」?を楽しむことができる。
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コーティング技術が発展すると、プラナータイプ(ダブルガウス)のレンズの有用性が再評価される。
特に一眼レフカメラが主流になるとバックフォーカスがとれるプラナータイプへ移行していく。
Helios-103は、コンタックス/キエフ用の標準レンズとして初めての製造された、プラナータイプのレンズだろう。
(戦前のツアイスで、設計し、製造した コンタックスⅡ用、オルトメター35mm F:4.5?は、プラナータイプだったと思う。)
レンズの設計は東独に残ったツアイスが行ったものだろう。
1982年製のレンズなので、比較的新しいレンズです。

絞り開放f:1.8では、時にハロがでて光が滲む欠点が出ることがあるが、

f:2まで ちょっと絞ると それも消え、高解像、高コントラストの写真を撮ることができる。

等倍に拡大し、これだけ解像度が高い。
購入当時 すぐにテストし、驚いた記憶がある。

ただし、レンズの外観が安っぽく、玩具のようにも感じる。


M42マウントのHeliosレンズの評判が この頃上がったのか、
このレンズも見直されてきたようだ。
中古市場で値が少しずつ上がってきた。
日本にはライカ愛好家が多いようだ。
持っているだけで、それで満足なのだろうか?
小生にはそれが分らない。
国産のレンズも高品質、
1954年頃のアサヒカメラの記事を読むと、
ライカを使っている米国の報道カメラマンは、
ボディーはライカでも、レンズにはキャノンやニコンのレンズをつけて使っていたという。
費用対効果を考えれば、そうなるのだろう。
報道カメラマンのなかにはContaxⅡを使う人もいた。
そうするとレンズはツアイスということになるが、
S型ニコンのレンズも使えるとなれば、
選択肢が増え、性能は同等、ツアイスより安価な、S-Nikkorにも手が伸びていく。
これが、日本光学のいい宣伝になったと思う。
やがて一眼レフの時代を迎えると、
Nikon F(1959年発売開始)が世界の報道陣のお気に入りカメラになった。
- 2021/06/16(水) 17:28:36|
- オールドレンズの密かな楽しみ
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晴れの日が続いていた。
久しぶりに、赤外フィルムを使ってみようという気になる。
720nm以下の光(可視光)をカットするフィルターを使っている。
赤外部まで感光領域が広がっているといえ、
可視光カットフィルター(R72)をつけると、
フィルムに届く光は赤外光に限定されるので、
非常に狭い窓で眺めているようなもの。(肉眼では見えないけど)
トーンの幅は狭くなり、硬調なトーンになりやすい。
そこで、極端に硬調なトーンにならないように、
中庸から軟調の現像液で現像することが多い。

赤外光は、人間の眼では見えない。
光線の質、当たり方で 赤外線効果は異なる。
一般的には、緑の葉は白く写り、青空は暗く落ちる。
確かに通常使うフィルムとは異なるトーンになるが、
何回か撮るとコツが分ってくる。
すると、通常のフィルムより応用範囲の狭いことに気づく。
「いかにも赤外線写真です」という写真の量産になってしまい、
見慣れると面白くなくなってくる。
これも赤外線写真? どのように撮ったのだろう!?
そんな気にさせる魅力的な写真を撮る(撮りたい)・・・上手に使うには、難しいフィルムだと思う。
デジタルカメラでも、基本的には赤外線写真が撮れるはず。(赤外部まで感度のある受光素子を持つデジカメ)
デジカメによっては、センサーの前に張られた赤外光カットフィルターを取り除いた改造をする人(会社?)もあるようだ。
産業用には、赤外線監視カメラなど 色々実用化されている。
赤外線フィルムそのものも、科学的用途、航空写真で地表の状態を調べる用途、
あるいは軍用(遠くのものをくっきりと撮影できる)の需要があって開発されたもの。
赤外線写真で撮ろうとする狙いは明快、撮影者の意志・意向ははっきりしている。
使える分野は限られるし、トーンも似たものになりがち。
更にその先一歩を超えるとなると、難しい。
- 2021/06/14(月) 12:57:44|
- フィルムの眼
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遠くから爆音が聞こえてくる。
空を見上げると、羽田へ向かう航空機が通り過ぎようとしていた。
慌ててファインダーを覗き、シャッターを切る。

こんなフレーミングではない・・・と10歩ほど前に進む。

しかし、そのとき機影はビルに遮られ見えなくなっていた。
写真は見た瞬間を正確に記録するもの。
子供の頃のテレビ番組に「日真氏飛び出す」というドラマ番組があった。(記憶のある人、少なくなったと思う。)
写真家の素人探偵だが、事件現場で撮った写真をもとに、事件を解決していくという筋立ての話が多かった。
写真は証拠になる!!
それが、小さい頃の小生には衝撃的な事実としてすり込まれたのかもしれない。
写真家 土門拳も戦後「ノイエザッハリヒカイト」(新即物主義)を声だかに唱え、演出して作る写真を排除した。
共感する写真愛好家も多かったが、
戦後の混乱期のこと、上野公園辺りにいた乞食をスナップした写真の応募が増える。
乞食写真と揶揄されるようになる。

複数枚のネガを使って、一つの写真を作る。
これは合成写真。
前に2つの写真があるので、どこが合成した部分か分るが、
この一枚だけだったら、合成とは分らないだろう。
航路によっては、このフレーミングで通過することもあるだろう。
等倍に拡大しても、切り貼りしたところがどこかわからないくらいレタッチソフトの性能は高い。(10年くらい前のPSE Ver.6)
(事実をねじ曲げていることは確か、でも、こんな瞬間があっても当然と・・・開き直り、嘯くことはできる。)
「ノイエザッハリヒカイト」は第一次世界大戦後に起きた美術運動。(ドイツ中心か?)
「シュールリアリズム」も 同時に起きた美術運動。(これはフランスが中心だろう)
欧米の潮流を掴むことが、当時の日本の関心事。
「ノイエザッハリヒカイト」には合成写真はないと思う。
「シュールリアリズム」の影響を受けた写真には、沢山有る。
「シュールリアリズム」の影響を強く受けた植田 正治は、戦後の一時期、肩身の狭い思いをしたのではないだろうか。
報道を重視した名取洋之助の時代が終わり、土門拳が古都・仏像に向かうようになると、作る写真が見直されてくる。
(コマーシャルフォトの需要が急増していた。)
複数のネガを使って一つの写真を作ることは、写真の創生期からある技法。
カメラは画家の構図を決める補助道具に過ぎないが、
なんとかして見返しさせたい・・・これも芸術と認知させたかったから。
写真に合成はつきもの。
特にデジタルになって 親和性は増した。
明らかに合成、明らかに演出と分かるなら断る必要もないだろうが、
分らないように為された合成写真、演出写真は、「いやすごくいい写真、良く撮ったなぁ」と思うが、
よくよくじっと写真を見ていると・・・これは嘘だろうと、分ることもある。
そのときの裏切られた感情がわく。
これは合成です、あるいは演出ですと表示しておけばいいと思うが、
それ(だます、だまさない)は、写真を撮っている人の考え次第だろう。
「日真氏飛び出す」で育った小生のような人間にとっては、
写真は真実を記録していると 思い込んでいるので、
一言 断り書きが欲しいところ。
小生にとって 作る写真と合成写真の線引きは、
一つのネガに記録されている画像を(最大限)利用し、焼き込み、覆い焼きなどして一枚の写真を作ることが 作る写真。
「作る写真」は、じっと見ていると、暗室で格闘している姿が想像でき、こんな工夫しているのかと、その現場を想像してしまう。
ネガに記録されていない画像を、別の複数のネガから取りだし、一枚の写真に仕立てるのが合成写真。
キャッチーな写真に仕上がっているが、複数のネガが何か不明、どのように処理したのか追えな。
程度のいい合成写真は、「すごいなぁ」と受け入れるが・・・この頃はレッタッチソフトが良くなったのか、
みんな同じようにすごい写真を作るようになってきた。
喜ぶべきだろうが、少々食べ飽きたような気もする。
明暗合成、とかHDR合成の写真 一時流行っていたようだけど、今も盛んに撮られているのかなぁ。
明暗合成とかHDR合成の画像処理は、科学技術研究で使うもののように思えるのだが・・・
- 2021/06/11(金) 15:20:03|
- ある場所、ある瞬間
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大崎駅の再開発がほぼ終了、その余波は周辺にまで及んできた。
三ツ木通りの終点(始点)近くにJRの土地があった。
その土地に高層のビルができる。
整備された道に、今までなかった道しるべが立っていた。

三ツ木通りは、T字路になっていて、その先は大井の車両基地になっている。
道を右の行けば、品川区役所、左の進むと大崎駅に至る。
車両基地に有った見しるべを、長い年月の後、
整備に伴い歴史を知らせる記念碑として、ここに移設したのだろう。
真ん中に 補修した跡が残っていた。
裏面を見て確認しようとしたが、刻まれた文字が粗く、判然としない。

軟調な現像液で現像し、レタッチソフトのトーンカーブを操作すれば、
微かなトーン差でも判読できるかもしれないと、再度 撮影してみた。
刻まれた文字を判読すると、
左 三ツ木 戸こへ(戸越)
○東ハ品川 (○は 判読が難しい)
右 めぐろ
大正年間の地図によれば、道標のある場所は「北品川宿の飛び地」となっている。
明治の終わり頃、車両基地ができたので(いつできたか未確認)分断され、飛び地になったと思う。
○はおそらく北の文字だろう。
北東の方角には、品川宿の本陣があったので、北の文字でいいと思うが・・・どうだろう。
本陣跡は、旧東海道の道にあり、今は公園になっている。

裏に廻って、一枚撮影。
レタッチソフトを調整し、判読できるか試みてみた。
文政○○年三月 松原の文字が判読できた。
文政年間といえば、1818年5月~1831年1月の12年8ヶ月の期間を指す。
○○は、一十年(10年)か、あるいは一二年(12年)か?判読できない。
松原氏は、この地の豪族(有力者)だったと伝えられている。
この道標は、今は車両基地となった場所に、
1830年頃立てられたものと思う。
三ツ木の台地を登った所には、
大正時代の道標(トット会館の4つ角)があり、
そこには桐ヶ谷道(目黒不動につながる)を指す文字が刻まれている。
おそらく そこへ続く道だったのだろう。
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2020年9月6日のブログ 「ヘビクボ」とはどこ?
参照してください。
- 2021/06/09(水) 17:35:00|
- レンズの眼、カメラの眼
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戦前 ツアイスは自社が製造した35mmフィルムカメラContaxⅠ、Ⅱ用に、ゾナーレンズを製造していた。
ゾナーは、硝子と空気層の界面が6枚に抑えられるトリプレット(3群)構成のレンズだった。
4群構成のガウスタイプレンズは、収差の補正に関しては優れていても、
界面が2つ増え、まだ、コーティング技術の発展しない段階では、
コントラストの高いネガを得ることは難しかった。
東ドイツ側にあったコンタックス工場を移築させたキエフでは、
50mm F:2のゾナーレンズにJupiter-8の名がつけられ、生産された。
ゾナータイプのレンズは、高度な硝子の貼り合わせ技術が必要なので、
世界的にみても、どの会社でも・・・という訳にはいかなかったのだろう。
採用したのは日本光学(ニコン)と共産圏の光学機器メーカーだったと思う。
コーティング技術が普及すると、
ゾナータイプの優位性はなくなり、
ダブルガウスタイプへと変って行った。
ソ連邦で作られたJupiter-8Mが、50mm F:2のゾナーレンズの最終形ではないだろうか?
とは言っても、ゾナーレンズの構成に違いがあるわけではない。
硝子の開発が進み、色々な光学特性をもった硝子ができたので、
新種硝子を使い、新たに設計(計算)し直したレンズということだろう。
基本的なレンズ性能は、ツアイスの戦前のノンコートレンズ、戦後のコーティングレンズ、
あるいは Nikkor 50mm F:2と、それほど違うものではないが、(よく似た描写力)
使ってみると、なぜか、このレンズが最終形という感覚になる。

黄色の百合の花、距離は最短の1mくらいで撮影。
Nikon SPに装着しても、ピントは合う。

現像は硬調な現像液を使用した。
軒先に咲く紫陽花を撮ってみた。
少し露光を少なめにし、コントラストを更に上げている。
そのときの見た印象と全く異なり、
新緑の明るい葉は、暗く落ち、黒光りしていた。
紫陽花を、いかに綺麗に撮るか腐心するのが通常の撮影態度。
この紫陽花、グロテスクだし、普通では こんな表現はしないだろうと思う。
これも写真表現の範囲の拡大。
できばえよりも、
今はTry&Errorで、経験を積むことだと思っている。
- 2021/06/07(月) 11:13:49|
- レンズの眼、カメラの眼
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望遠系のレンズはあまり使わない。
苦手意識がある。
もともと、ポートレートを撮りたくて入手したレンズ、
使う頻度は、Nikkor 135mm F:3.5のレンズ(重い)より、このレンズ(軽量)の方が多いだろう。
画角が狭く、スナップ写真向きではないが、
少し離れていても、人物を引きつけて撮影することができるのは魅力的。
盗撮?まがいになる。

Retro400Sフィルムを使っているので、露光の選択範囲は広い。
増感現像すれば、ISO:1600までならどうにか実用範囲に収まる。
YA2フィルターをつけていたが、f:4/250秒でシャッターを切れた。

このレンズの開放絞りで撮影したが、
ピントを合わせた帽子がくっきりと記録できている。

いわゆる秒撮。
構図を意識したら、ファインダーを構え、ピントを合わせ、シャッターを切る。
この間 3秒も掛からないだろう。
木村伊兵衛ならもっと早く滑らかな所作をしていたと思う。
そのまねをしただけ。
手前のロープが写っていなければ
もっとすっきりした写真になるのだが、
スナップ写真です。
致し方ない。

等倍まで拡大し、確認したが、手振れはないしディテールもよく表現できている。
このレンズは優秀だと思う。

上空を羽田に向かう航空機が飛んできた。
Jupiter-11のレンズ(Kiev 、Contaxマウント)をNikon SPに付け、撮影している。
最短(白百合)、中景(人物)、遠景(飛行機)と、距離を変えて撮影したが、問題は生じない。
解像感もいいし、使えるレンズです。
古いコンタックスを使う人が(日本では)少ない、
それにソ連製なので、なじみが薄い。
ソ連邦の崩壊により、1990年頃から、
ロシア製のカメラ、レンズが日本に入るようになる。
需要と供給の関係だろう、このレンズ、3000円くらいで購入したと思う。
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ニコンのホームページを見ていたら、
「ニッコール千夜一夜物語」の
第四十三夜 NIKKOR-Q・C 13.5cm F4の記事を発見した。
135mmはF:3.5だけと思っていたが、その前にF:4のレンズも作っていたことが分かった。
その形状が、Jupiter-11と瓜二つ。
記事の4項目目で、
4、コピーかオリジナルか?
という記事がでている。
メーカーのサイトの記事なので、コピーとはいいたくないのだろう。
小生もコピーとは思いたくない(という心のバイアスがある。)
でも よく似ている。
F:4のレンズの生産本数は少ないのだろう。
見たことがなかった。定番はF:3.5のレンズ。
日本光学が、コンタックスのレンズを先生にしていたことは確か。
戦前 海軍向けの光学機器を納めていた軍需企業。
自社の軍事機密は厳しく守るが、他国の軍事機密(軍事技術)を盗むのは、軍需企業の鉄則。
元ツアイスの技術者を招き、その設計法を習い、習熟はしていたと思う。
戦前から、ツアイスのゾナーレンズ50mm F:2をモデルとしたレンズを作り、キャノンに供給していた。
そんな実績もある。
真似といったら真似だが、設計法を学び、独自に計算し直したとすれば、
日本光学の技術が、そこまでツアイスに追いついていたということ。
「オリジナル」と胸を張りたいところだろう。
Jupiter-11の最小絞りがF:22になっているが、写真で見るとNikonのレンズはF:16が最小絞り、
そんなところでも違いを見せたいというところだろうか?
その後、13.5cm F:3.5のレンズを設計し、これがNikon Sの定番望遠レンズになる。
(コンタックⅡには135mm F:3.5のレンズ、ないと思う。胸を張ってオリジナル設計と呼べる。)
ニコンの85mm F:2 も135mm F:3.5もフィルター径 48mm。
一方 コンタックスは 85mm F:2が フィルター系49mm それ以外のレンズは40.5mmに統一されている。
戦後間もない頃、外国のカメラマンが使っているのは、ライカやコンタックス。
コンタックスを使っている人からみたら40.5mmのフィルターを使える135mm F:4のレンズに手が伸びる。
ニコンの85mm F:2が、値段的に魅力的でも(コンタックスより安い)フィルター径が違うので選ばないだろう。(使い回し、使い勝手を優先)
ダンカンが、85mm F:2のレンズでなく、135mmレンズ F:4のレンズを購入したのは当たり前だろう。
千夜一夜では、
>>伝説になったダンカン氏の逸話で、一目ぼれした8.5cmの代わりに買い求めたのが、このNIKKOR-Q・C 13.5cm F4でした。ダンカン氏は投影検査によって、ドイツ製のレンズに勝る性能であることを確認して、買い求めたと伝わっています。そしてダンカン氏はこのNIKKOR-Q・C 13.5cm F4で数々の名作を残すことになるのです。
という表現になる。
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千夜一夜には2枚の作例写真が載っていた。
約1500万画素でデジタル画像にしている。
小生のは等倍で1300万画素。
同じ条件で撮り、同じ現像条件で比較しないと、公平な判断はできないが、
13.5cm F:4の作例を、等倍まで拡大して見たが・・・絞り開放で撮ったJupiter-11の方がシャープな気がする。
Nikkor 13.5cm F:4が隠れた名レンズなら、Jupiter-11も名レンズの仲間入りできるでしょう。
Jupiter-11の弱点は、逆光の光に弱いこと。
ゴーストやハレーションが出やすい。
その点Nikkor 13.5cm F:3.5は、程度の差だが防げている。
コントラストも高いし、解像感もある。
定番レンズになったのは頷ける。
ただ重いのが弱点。
- 2021/06/05(土) 12:24:37|
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ネット社会になって、色々な情報に簡単にアクセスでき、
何でも分かってしまう気になってしまう。
テレビが普及したとき、「一億総白痴」と警告を発した評論家がいたが、
ネットになって、それが加速化しているのでは?と危惧している。
センセーショナルな話は、受けがいい。
そんなブログ、Youtubeのサイトが沢山でてきた。
じっくり考え、心の中で反芻し、自分で判断を下すべき話題(ニュース・情報)も、
識者然とした、確信に満ちた言を鵜呑みして、分かった気分になる。
Qアノンが注目されたのも、トランプ大統領のチャット(SNS)から始まった。
こんなんでいいのかなぁと思う。
古いカメラの話になるが、
S型ニコンとコンタックスのカメラは、マウントは同じでも、
回転角やレンズの繰り出し量、基準にした標準レンズの焦点距離が少し違うので、
広角レンズなら使えるが、望遠レンズではピントが合わなくなるので、使わない方がいい。
そのな情報が、まことしやかにネットには流れていた。(あるいは現在もある。)
しかし、よく読むと、その根拠は曖昧で、誰かの説を受け流ししているだけ、
本当か試した人はいない。
それならば 試そうと 手持ちのNikon SPとコンタックスマウントのKievⅡを調べてみた。
その結果はすでにこのブログに記載した。
互換性はあった。(少なくとも、小生の使うレベルでは)
今は 気にせず使用している。

Nikkor 135mmレンズは どっしりとした感触が手に伝わる。
重い。
F:3.5と少し明るいが、互換性を確認したので、
この頃はJupiter-11をつけて撮影することが多くなった。
フィルター径が40.5mmは、
35mm、50mm、135mmのレンズで 共通して使える。
85mm F:2のレンズだけは 大口径なので49mm径となる。
フィルター径が共通というのは、非常に便利。

レンジファインダーカメラ用のレンズなので 最短撮影距離は長い。
Jupiter-11もNikkorも約1.5mが限界になっている。
ほぼ最短距離まで近づいて撮影した。
ピントに問題はないだろう。

YA2フィルターをつけ、白百合を意識して少なめの露光にし、
硬調な現像液で現像した。
狙いは、白百合の明るい部分のディテールを強調してみたかったから。
撮影するときに、現像の効果まで考慮して シャッターを切るのがフィルムカメラの撮影。
デジタルカメラだと どんな工夫・選択肢があるのだろう?
レタッチソフトでトーンを加工するか、
アプリケーションのフィルター効果を利用するかなぁ。
一度 デジタルカメラでも Tryしてみようかと思っている。
軒先の植木鉢に植えられた白百合の花。
背景は黒く落ち、白百合だけが浮かび上がっていた。
- 2021/06/04(金) 07:49:30|
- レンズの眼、カメラの眼
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ウイルスとの戦い方は、戦争のようなもの。

人間の団結力で戦うなら、ロックダウン。
一か月、人流を100%止めたら、感染は収束する。
でも、それは無理。
100%はありえない。

敵を知り、敵の弱点を突く。
その武器がワクチン。
人間に網をし(ロックダウン)、コロナにも網(集団免疫)をかける。
それが 事実に基づいた戦略だろう。
人間同士の戦争では、双方とも、相手の不義を指摘し、自分の正当性、正義を主張した「正義の戦い」になる。
しかし、コロナとの闘い(戦争は)、コロナが悪で、人に正義のある戦いではない。
人の都合を優先(政権支持率、業界団体の利益優先)する正義より、
正確な事実の把握が、この戦い方のポイントになる。
菅政権の一貫性のない戦い方は、何に囚われているためか?
敵の姿が正確に見えていないのでは?と疑ってしまう。
網の内に囚われているのは人間?コロナ?どっちだろう。
この感染が収束しても、
変異したものが、地上のどこかで密かに感染を繰り返し、
また 次の機会を虎視眈々と狙っているかもしれない。
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再開発で整備された駅前の通りに、
新しく植えられた街路樹が続く。
養生でネット(網)が張られていた。
閉じ込められた樹の姿に、
緊急事態宣言下にいる人間を 暗示しているような気がして、
シャッターを切っていた。
- 2021/06/02(水) 07:53:40|
- 樹、草、花
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武蔵小山駅前の再開発が進み景観が一変した。

f:8/500秒が適正な露光かなぁと思ったが、
その前後の露光で2ショット撮ってみた。
いずれの露光でも、少しシュール感がでた写真になったと思う。

硬調な現像液(Ⅱzf1)で現像した。
黒潰(一絞り少ない露光)も白飛び(一絞りオーバー)も、
あまり目立たないネガになった。
ただし、ハーフトーン・・・広場の石畳にトーンの違いが出ていた。
市販の現像液(D76、フジのスーパープロドール)などで現像したら、暗い部分は潰れ、
一見すると白黒のコントラストの高い、すっきりした写真になると思う。
相対的に短い波長(青)には低感度なので、
晴れていたら空は落ち、雲がくっきりとでる。
白飽和に対しては耐性があるので、
風景を撮ったら従来の酢酸セルロース系フィルムとの差を実感できるだろう。
また長波長側まで感光域が伸びているので、ポートレート向き、肌が綺麗に写る。
Retro系フィルムは、その特徴を掴めば、色々と応用の効くフィルム、
ただし、現像時間は少し長くなるし、
市販の現像液の選択肢が少なくなった現在、
その性能をフルに発揮させるのは難しい。
上級者向き、使いにくいフィルムというレッテルを貼られているが、
合った現像液が選択肢のなかに残らなかっただけだろう。
- 2021/06/01(火) 10:13:03|
- ある場所、ある瞬間
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