fc2ブログ

本当に大切なものは見えない

古いフィルム・カメラで、ありふれた身の回りを撮っています。日常の中の一瞬を捉え、読み解く写真になっていれば・・・

何でもないものに 何かを見てしまう

品川区役所前の道を登っていく。
右の土手の上には横須賀線の線路が、
更にその上の高架には新幹線が走る。
柵は金網となったが、廃材を利用した柵がそのまま残されている。
区役所前通り1288-13
人特有の根源的な感覚か?、
なんでもないものに、アイコンを感じてしまう。
区役所前通り1288-12
「アマビコ」?(アマビエ?)・・・いい予兆か、悪い予兆か?
----------------------------------
東京のコロナウイルスの感染者数が増えてきている。
うちの百合子は、第二波の感染ではないというが・・・そうだろうか?
マスコミへの対応、受け狙いは旨いが、
進路を決め、決断するリーダーとしての資質があるのだろうか・・・心配している。
都の公開する 「都内の最新感染動向」のデーターをチェックすると、
明らかに第二波の感染が始まったと見るべきだろう。
第二波感染拡大2
第一波と第二波を比較すると、感染の拡大の様相は異なるが、
ここへきて、感染のスピードは上がってきている。
第二波感染拡大1
累積感染者数は指数関数のカーブに乗っている。
これでも感染爆発でないと判断できるのだろうか?
第二波感染拡大 3
6月6日 ピークが現れたので、これで感染は収束に向かうと誤った判断をしたが、
予想に反し、その後感染者は増加の傾向、今のところピークを見つけることができない。
感染の拡大は続いている。
検査体制、医療体制の構築というお題目が聞こえてくるばかり。
具体的な対策を、示す必要があるとおもう。
スポンサーサイト



  1. 2020/06/29(月) 08:25:06|
  2. ???
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

区役所前通りにて          ノンコート・オールドレンズ  テッサーを使う。

宣伝文句は「鷹の眼」、ツアイスが開発した。
1900年 20世紀初頭に完成したオールドレンズ。

硝子と空気の境界面で入射光の一部が反射し減光する。
レンズの枚数を増やすと、透過光は減り、
反射光はレンズ内を乱反射し、画質の低下を招く。
レンズの枚数はできるだけすくなく、
そしてシャープな写真が撮りたいと考案されたのが
3枚構成のトリプレットレンズ。
その三番目を合わせレンズ(結局4枚のレンズになる)にし発展させたのがツアイスのテッサー。
二枚のレンズを貼り合わせるには、当時としては高度な技術が必要だった。
また真中のレンズ(凹レンズ)を中心を合わせるのも微妙な調整が必要。
ツアイスにしてもライカにしても、そのあたりの技術レベルはしっかりしている。
オールドレンズだが、貼り合わせ部分は今もクリアー、
使用したバルサムが変質した様子はない。(と思っている。)
区役所前通り1288-15
品川区役所前の通りを歩いていた。
横須賀線のガードの下にあった壁画を撮影。
絞は開放だが、画像の解像感は高い。(約1300万画素)
区役所前通り ピクセル等倍
画像の一部を、等倍で切り出してみる。
現在の高解像度デジタル・カメラに比べると・・・見劣りはするが、それでも4つ切りに伸ばす程度なら、差は感じないだろう。
1933年製造されたオールドレンズだが、いまでも使用できる・・・素晴らしいことだと思う。
丁寧になされた仕事に対し、敬意をもって接し、使っているだけなのですが・・・
どうもコアな 物好き老人と思われているようだ。(コレクターではありません。)
  1. 2020/06/28(日) 08:46:18|
  2. オールドレンズの密かな楽しみ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

百合         ノンコート・オールドレンズ  エルマーを使う。

19世紀末 光に焼かれた古いレンズのほうが、
新しいレンズより明るいという発見がなされ、その原理が示されると、
レンズ表面に、コーテングしようとする技術開発は進められていた。
その突破口は、1936年、アメリカのストロングによる真空蒸着法の発明によってなされたとされている。

同業のレンズメーカー、カメラメーカーも 開発していたのだろうが、
実用レベルの開発に成功したのは、ドイツのツアイス。
最初は、軍事機密扱いだったという。
1936年にはコンタックス・ゾナーレンズにコーテングを施している。
販売は、軍関係に限られたレンズだったが、
富豪の求めに応じてコーテングしたゾナーレンズも供給していた。
ツアイスのレンズ以外、戦前、コーテング処理したレンズは存在しない。
勿論 戦前のツアイスのゾナーレンズでも少ない。

エルマーレンズは ツアイスのテッサーレンズのコピーのようなもの。
ただし、テッサーレンズの特許は既に切れているので、
同じレンズ構成にしても何の問題はないが、
独自性を尊ぶドイツの技術者、真似は嫌と、
テッサーレンズの絞りの位置が、二群と三群の間のあったのを、
一群と二群の間に入れ、特許を取ったという。
それなりの効果(テッサーとの違い)はあるのだろうが・・・
使ってみても、
小生のようなぼんくらな眼には、画質の違いは感じられない。
ノンコートレンズとは言え、二つのレンズ 優秀だと思っている。
百合1292-41
妻が仏壇に百合の花を飾っていたので、ちょっと拝借し、
黒バックにフラッドランプを付けて撮影してみた。
フィルムはRetro80S やや硬調な現像液(Ⅲd)を使用して現像した。
ネガは3200dpiでデジタル化している。
約1300万画素の画像になる。
80年以上前のレンズだが、今のレンズと比べても、それほど劣っているとは思えない。
フィルター無し
中央の百合の花を等倍で切り出してみる。
銀塩の粒子も目立たない。
百合までは約1.2mの近距離だが、シャープな画質でピントも合っていると思う。

縦位置で全体を撮ったので、横位置にカメラを変え、
レンジファインダーカメラの限界0.9mまで近づいてフレーミング、
ワルツ製R1フィルターを付けて撮影してみた。
百合1293-3
同じレンズ、同じフィルム、同じ現像液でも、フィルターの有無でトーンは劇的に変化する。
R1フィルター
美は細部に宿る。
これが フィルム写真の面白さだろうなぁ・・・

画像を、レタッチソフトのフィルターで処理し、キャッチーな画像に加工したり、
何枚かの画像から一枚の写真を合成するのを楽しむのも 新しい時代の写真表現だろうが、
老人は、変化についていけないだけ、性に合わないようです。
  1. 2020/06/27(土) 14:27:56|
  2. オールドレンズの密かな楽しみ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

桐ケ谷あたりをぶらぶらと

土地の名は重層的、古い呼び名の上に、後で区分けした名前がかぶさる。
戸越の名は江戸時代に名付けられたもの。
ここから江戸の町の外、江戸を越える「とごえ」からきている。
明治以降、行政上の区分から、たびたび変更がある。
最後の極めつけは郵便番号の区分けの時、
由緒ある地名が消され無機的な~~〇丁目となってしまった処もある。
東急池上線の戸越銀座駅は「平塚2丁目」(1丁目と2丁目の境)にある。
6月10日散歩1291-6
駅から歩いて5分もすると、このグラウンドに着く。
ここには嘗て荏原第二中学校があった。(町名は平塚三丁目)
今は統合されなくなって、跡地はグラウンドとして利用されている。
6月10日散歩1291-12
星薬科大学のテニスコートのブロック塀に、
埋め込まれたような電話ボックスが設置されている。
街頭から公衆電話がなくなっているが、これは奇跡的に残っている。
それほど人通りの多い場所ではない。
誰が利用するのか、ちょっとミステリー。

星薬科大学は荏原二丁目にある。
このグラウンドは道路を挟んだ場所にあり、町名は小山二丁目に変わる。
しかし、地名の記憶としては「後地」だろう。
少し行くと後地児童センターや、交差点に後地の名前が残っている。
6月10日散歩1291-15
テニスコート横の細道は小山と荏原の境にある。
そこを突き抜けると、桐ケ谷の通りにぶつかる。
その向こうに見えるビル群は西五反田にある。

東京上空を羽田に向か空路が新設された。
騒音、落下物の危険性があり、反対の声がある。
戸越の空を飛ぶコースにはなっていないが、
それでも夕方になると、近くを通り過ぎる飛行機もあり、確かにうるさい。
どうにかならないものかと思う。

桐ケ谷という町名はないが、
町名より「桐ケ谷」と告げた方が、方向を捕まえやすい。
それが本来の地名だからだろう。
6月10日散歩1291-16 Ⅱ
桐ケ谷道を右に折れ、中原街道と第二京浜国道の分岐点近くへ進む。
町名は荏原一丁目となるのだろうが、旧中原街道入口に近いので、
どうしても「中原」という名が出てきてしまう。
江戸時代、この道(桐ケ谷道)を、
品川の宿から目黒不動へ、参拝の人が行き交ったのだろうと想像する。
----------------------------
レンズは古いライカのノンコート・エルマーを、フィルムは中国製上海GP3を使用した。
フジフィルムのNeopan SSに似たフィルムだと思う。
意外と使いやすい。やや硬調な現像液(Ⅲd)で現像した。

  1. 2020/06/26(金) 10:09:48|
  2. 散歩
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

松ぼっくり

近くの公園で「松ぼっくり」を拾った。
おそらく去年のもの。
見ていると、段々と奇妙で怪しい存在のように思えてきた。
黒い布の上に置き、撮影してみた。

部屋の中に自然光が入ってきている。
デジタルカメラで撮ると、確かに材質感は「松ぼっくり」そのもの。
松ぼっくりDSC06872
左からLEDの懐中電灯で「松ぼっくり」を照らした。
松ぼっくりDSC06867
このほうが 面白い。
----------------------
Nikon F (フィルムカメラ)にマクロレンズを付け、接写撮影する。
松ぼっくり1289-#2-30
違ったトーンの「松ぼっくり」が現れる。
知らない植物、ちょっと不気味。
絞を二絞り開けて撮影。
松ぼっくり1289-#2-32
一層 不気味さが増す。
-----------------------------------------
デジタルカメラは、ほぼ万能に近い。
撮りたいと思ったら、カメラの設定ボタンを選べばいい。
(液晶画面で確認しながら、マニュアル・フォーカス、露光手動で撮影。)

しかし、フィルムカメラとなると、目的に合わせ、カメラを選ぶ。
そして最適なレンズを選んだり、フィルムを選んだりする。
今回は、Retro80Sのフィルムにして、かなり特殊な二段現像をえらんだ。
フィルムにより特性が違う。
Fomapan100フィルムでは、こういうトーンのネガは作れない。
  1. 2020/06/24(水) 12:32:02|
  2. 黒い花 怪しい花
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

リハビリ   中央公園の植物   オールドレンズの密かな楽しみ

自粛期間中 外へ出ても短時間、そんな生活が続いていたので、歩き出すと足が痛くなる。
一種の筋肉痛。若い時なら一晩寝れば治るものだが、そうはならない。
ずっと筋肉痛が続いている。
カメラを持って 近所をそろりそろり歩き リハビリ中。
軽いカメラがいいと、この頃はコシナの製造したBessaカメラで出ることが多くなった。
オールドレンズの密かな楽しみDSC06859
レンズは 携帯に便利な軽く小さい沈胴式オールド・レンズにしている。
一つは ライカの有名なElmar 50mm F:3.5。
もう一つは ツアイスの「鷹の眼」と呼ばれたTessar 50mm F:3.5 。
80年以上前に製造されたレンズだが、今でも何の問題もなく使える。
(古い骨董品なら、ガラスケースに入れられ眺めるだけ。
今でも使える工業製品、そうそう有るものでもないと思う。)
中央公園の植物1288-5
Tessarレンズは、戦前ツアイスがContaxⅠ、Ⅱの交換レンズとして作ったものだが、
戦後になって、同じマウントのS型ニコンを、日本光学(ニコン)は製造する。
フランジバックは同じなので、内側のマウントを使うレンズは問題なく使用できる。
(レンズを付けてフィルム面のピントを確認したが、ピントは正確に来ていた。)
中央公園の植物1288-7
レンジファインダーの距離計は最短で90cmほど、あまり近づけない。
ほぼ最短で撮影した。ピントは一致している。
中央公園の植物1288-10
オールドレンズとは言え、なかなかの描写力だと思う。
中央公園の植物1288-6
写真表現の向上は、
カメラそのものより、むしろ戦後になって、
フィルム性能が各段によくなったことによると思う。

フィルムはチェコ製のFomapan100を使用、現像液を硬調な(Ⅳo)で現像してみた。

フィルムカメラの楽しみ方はいろいろ。
フィルムのフォーマットを変えたり(35mmフィルムかブローニーフィルムか)、オールドレンズを選んだり。
フィルムを感度で選んだり、感光域で選んだり(オルソクロムかパンクロ、あるいは赤外か)、
どんな現像液で現像するか・・・楽しさの選択肢は多い。
すごい写真が撮れるわけではないが、
工夫すればするほど面白くなる。
この楽しみの灯は、消したくないなぁ・・・と思う。
  1. 2020/06/22(月) 12:42:59|
  2. 黒い花 怪しい花
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

コロナウイルスを観る・・・・     

自然科学を学んだ者にとって、宗教は対極にあり、無視できるものではない。
ものごとの本質、・・・世界はどのように作られているのか・・・・、知りたいという根っこ(思い)は同じだろう。
しかし、宗教が権威(確信)となってしまい、
神の教えは完全なもの、絶対的となったとき・・・
人の自由な発想は委縮する。
「確信は嘘より恐ろしい真理の敵」

でも、菩提樹の根元に座り、人の生死を、そしてこの世界を、
静かに唯識した釈迦牟尼仏の姿に、深く共感する。
ウイルスは善か悪か、そんな分別(偏見・確信)はしなかったと思う。

ウイルスは 単なる物質。
生命体ではない。
しかし生命体の欠片(かけら)のようなもの。
ウイルスが「悪」なのではない。ただ存在する。
人間にとって危険だと、恐怖を抱いているだけ。
生命の輪廻、世界の輪廻を深く唯識した釈迦牟尼仏は、
このコロナウイルスの騒動を、どのように観ただろう・・・

宗教心があるわけではないが、目黒の不動様へ散歩した。
目黒不動1287-48
緊急事態宣言は解除されたが、まだ参拝する人は稀。
目黒不動1287-46
目黒不動1287-47
睨んだ像の足元には・・・・現世利益とは思わないけど。
-----------------------------
東京都の公開するデータに注目し、コロナウイルスの推移を予想している。
第二波データ 1
毎日の感染者の数はバラツキつく。
感染のピークを確認できるのは、かなり日がたって、全体の大きな山が分かる頃になる。
そこで、数日のデータを積算してバラツキを減らし、
指数関数(感染爆発)近似して累積感染者数が二倍になる日を計算する。
この処理により、感染のスピードがどう推移するか判明し、爆発か、拡大か、収束に向かうか 判断できるようになる。
第一回の感染拡大の時、いろいろ試したが、累積感染者を二倍感染日数で割った感染者数が、
感染のピークを知る良い指標になることが分かった。
わずか4日程度の期間でピークを見つけることができた。
第二波 ピークを探す1
第二波の感染では、6月5日~8日の間にピークが検出できたので、
それからは収束に向かうと判断したが・・・・
残念ながらその予想は当たらなかった。
第二波収束2
6月16日から19日(昨日)まで60名でほぼ一定。
(実際の感染者でなく、あくまでも指標です)
感染の爆発とそれを抑制する力が拮抗した状態になっている。
感染を、化学反応とみれば、見かけ上、零次反応になっている。
これをどう考えたらいいのか?

菩提樹の下で唯識するのがいいのか・・・・
  1. 2020/06/20(土) 12:09:25|
  2. 散歩
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

大崎

コロナウイルス感染防止で、自粛生活を余儀なくされてきた。
その間、春の花の季節はあっという間に過ぎてしまった。
今年は シャクナゲ、ツツジの花を撮ろうと思っていたが、それも果たせなかった。

大崎駅周辺のビジネス街が整備され、緑が豊かになる。
今 季節は紫陽花。
大崎にて1287-12
ビジネス街の小道を登る。
両側に紫陽花が植えられている。
大崎にて1287-9
二年ほど前、大崎の紫陽花をコンデジカメラで撮っていた。
(これが、デジタルカメラで撮った最後の紫陽花、探したが、それ以降撮っていない。)
撮影モードはカメラ任せ。露光とピントはカメラが合わせてくれる。
あじさい大崎散歩DSCN3286
逆光か順光か斜光か、光の当たり具合を考えフレーミングする。
あじさいDSN3008
そして、バックとの対比(効果)を どうするか考えることぐらいだろう。
紫陽花の撮り方に それほど多くのバリエーションがあるわけではない。
古いコンデジでもこれだけ近接して紫陽花を撮影できる。
月並みな表現になるが、破堤のない紫陽花が撮れたと思う。
最新のPhone-Cameraなら もっとくっきりと、そして色彩は鮮やかだろう。

しかし、白黒フィルムで撮った紫陽花では見栄えしないなぁと思う。
大崎にて1287-19
小道を登り切り、ビジネス棟を過ぎ、駅へと向かう。
大崎にて1287-22
気づいただろうか?
二段現像したのでトーンに若干の変調があった。
モノトーン・フィルムでしか出せないトーンがあると思っている。
(デジタル・レタッチで可能かもしれませんが・・・)
  1. 2020/06/18(木) 08:35:39|
  2. 散歩
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ソラリゼーション       怪しい植物を求めて

去年の後半から、ブローニーフィルムは 主にSuper Ikontaで撮っていた。
マミヤプレスを最後に使ったのは3月の上旬、中央公園の白木蓮を撮影している。
プレスだと、大きいし目立つ。
好奇の眼に晒されているような居心地の悪さを感じる
(たいした写真を撮っているわけではないのに・・・)

写真機材を収めた棚に、マミヤプレス用のフィルムホルダーがあった。
その背に「ソラリゼーション」のタグが貼り付けられていた。
撮影のメモを見ると、去年の11月25日に自然教育園で撮影したものだった。
4カット撮影してあった。

外は雨模様だった。
手持ちぶたさもあり、どんな写真が撮れているか、現像したくなった。
あと4カット撮れば、現像できると、
先日、公園で拾ってきた「松ぼっくり」の接写撮影をしてみた。
(「松ぼっくり」の写真は、機会をみて後で載せます。)
八つ手1247-7 Ⅱ
この日 フィルムホルダーを二つ持って行った。
ソラリゼーション現像してみようと思った被写体のとき、フォルダーを交換し、同じ露光で撮影している。
ノーマル現像を想定したフィルムは、撮影後、直ちに現像していた。
ソラリゼーション現像してみようと思う被写体は少ない。
Solarization1290 Nega-1a_edited-1
気が向かないと、なかなかソラリゼーション現像してみようとは思わない。
現像ノートを調べ、同じ(Ⅰ)液を使用してソラリゼーション現像を行った。
やってはいけない現像途中の光照射、フィルム全体が被りを受けたようなもの。
像は出ているが、フィルムのベース濃度が上がっているため、
当然ハイキーな写真になる。
暗室で写真を作るなら、硬調な印画紙を選ぶことになる。
この辺りは、フィルムスキャナーのいいところだろう。
どうにか像を取り出すことができる。
Solarization1290 Posi-6 Ⅱ
ならばと、ポジフィルムモードでネガをスキャンする。
ローキーな写真になった。

フィルムスキャナーを使うようになっての利点は、トーン表現の幅が広がったことだろう。
昔ながらの暗室で遊ぶもよし、デジタル技術を活用し、プリントしてもいい。
その選択肢が増えたこと、デジタル技術の進歩に感謝感謝するばかり。
  1. 2020/06/15(月) 13:42:45|
  2. フィルムの眼
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

変遷

その時は気づかなくとも、後になってその時変化が始まっていたのだと分ることがある。
書庫を探していたら、祖父が購入していた古いアサヒカメラの雑誌が出てきた。
戦後、アサヒカメラが再開するとすぐに定期購読していた。
祖父の部屋に入るとうず高く置かれていたのを覚えている。
おそらく5,60冊くらいはあった。
多くは捨てられてしまったが、どこかに紛れて3冊ほど奇跡的に残っていた。
アサヒカメラDSC06842
1954年といえばライカのM3がデビューした年。
ニコンならSからS2になる頃、まだNikon SPはできていない。
雑誌の広告を見ると面白い。時代の変遷を感じる。
アサヒカメラ1954年11月号
106社が広告を出していた。
それだけ 写真を撮る人の熱気があったのだろう。
しかし、今年の6月号の広告は 往時と比べ勢いを失っている。
わずかに13社に過ぎない。
アサヒカメラ2020年6月号
フィルムカメラからデジタルカメラへ移行が始まったのは、20世紀末。
2007年になると、キャノンからEOS3D、ニコンからD3が発売されている。
フィルムと同じ面積の画像素子がカメラに組み込まれ、
フィルムカメラの限界を超え、高機能、高画質になり、撮影コストまで安価になる。
誰の眼からも、新しい時代に入ったことを認識した。

2007年3月号のアサヒカメラを見ると93社が広告を載せていた。
電子化された新製品の開発は続き、交換レンズの販売は好調だった。
誰もがコンパクト・デジカメを持ち、懐に余裕ある人は高級デジカメを買い求めた。

しかし、やがて写真を撮るという行為が、デジタルカメラからからPhone-Cameraへ移行していく。

高価なデジタルカメラ、高価な交換レンズ?・・・そんなもの好事家が買えばいいだけ。
写真を撮るならPhone-Cameraで充分と気づく。
カメラへの熱気は衰退していく。
カメラ関係のメーカーは淘汰される。
アサヒカメラは役割を終えたということだろう。
------------------------------------------------------
役割をほぼ終えた古い機械式カメラは 歴史的な遺品かもしれないが、
まだフィルムの製造は続いている。
使える間は、楽しもうと思う。
レンズは 戦前のドイツ ツアイスのTessar 50mm F:2.8 レンズの番号から1936年製と推察。
時代遅れの沈胴式レンズでノンコートだが、丁寧に作られているので、今でも高解像のいいレンズだと思う。
白い家Ⅱ1287-2
白い家Ⅱ1287-3
二段現像し、ネガの調子は硬調に・・・でも暗部は潰さないよう調子を整えた。





  1. 2020/06/12(金) 11:56:53|
  2. 読み解く写真、心に残る写真を・・・
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

大崎

カメラを首にぶら下げ、地元をほっつき歩いているだけ。
散歩するコースが無数あるわけではない。
どうしても同じ場所を歩き回ることになるのだが、
よくも飽きずに写真を撮るものかと、自分でも呆れてしまう時がある。
大崎1285-30
カメラを変えたり、レンズを違えたり、フィルムを変えたりする。
このカメラで何を撮る?・・・と自問。そして狙いを意識する。
フレーミングし、シャッターを押す。
現像液を選び、現像すると、また違ったトーンの写真ができる。
それが狙いと違ったものでも また面白い。狙い通りだと「やった」と思う。
大崎1285-31
しかし多くは、失敗作ばかり。

広角レンズを持っていけばよかったとか、
R60フィルターを持っていけばよかった、
もう少し 露光を切り詰めたほうが良かったとか・・・
次回は必ずと反省する。
そんな繰り返し。
進歩はないけど、それがまた面白いと感じている。
大崎1285-36 Ⅱ
品川に風光明媚なスポットはないが、それでも撮影場所に困ることはない。
大崎もようやく都会の景観を撮影できる場所になってきた。
---------------------------
コロナウイルスの第二波の感染、
あと数日で拡大し脅威となるか、このまま収束に向かうか、
分かると思う。
第二波 収束予想1
予想は収束。
PCR検査が拡充してきたので、
病院に隔離される率が上がり、感染爆発はないと思っている。
  1. 2020/06/09(火) 14:23:54|
  2. 都会の景観 Tokyo
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

解除の日に撮った花      ・・・・その時既に第二波の感染は始まっていた??

5月25日 緊急事態宣言は解除された。
その日、散歩して撮った一枚。
解除の日1285-20
コロナウイルスの後、なぜか今まではあまり撮らなかった空の雲や身近に咲く花に目が行くようになる。
デジタルでは無理、やはりモノトーンフィルムで撮らねば・・・という変な感覚がある。
ものの見方を変えていく自分を発見している。
眼に見えないものを如何に視覚化するか・・・
人の想像力を喚起するものでなければ、大事なものは見えてこない。
簡単に綺麗に撮れるものに・・・それができるはずないだろう。
そんな感覚なのかもしれない。
---------------------------------
ホットしたような気持ちでいたが、それから数日すると感染者が増えてくる。
宣言解除日の5月25日を境に、解除前はシュミレーションで引いた線の下に、解除後は線の上に感染者の数字が載る。
(6月1日のブログにその様子をプロットした図を載せている。)
第二波 比較
解除直前の5月23日頃、東京の感染者は底を打っている。
そこから感染の再拡大(第二波)は始まったと仮定してみた。(あくまでも仮定です。)
この日から、7日間のデーターを移動させながら、指数関数近似し、
累積感染者数が二倍になる日を計算した。
横軸を累積感染者数、縦軸を二倍値としてプロットすると、
累積感染者が少ないうちは、感染爆発の危険が高い状態だったが、
感染者が増えるにつれ、二倍値は大きくなり、感染の速度は低下していく。
このまま、二倍値が増加の傾向を示すようなら、第一波ほどの大きな感染にはならない。
第二波予想1
感染拡大は収まると仮定して(あくまでも仮定です)収束に向かうシュミレーション計算をすると、
このようなグラフになる。
第一波の予想では、累積感染者を5250名と予想した。(当たったと思う。)
第二波は、累積感染者460名で収束と予想している。
第二波と合わせると5810名・・・・
但し、5月25日解除宣言から、人の出はおおくなり、感染のリスクは増えている。
5月26日以降の感染者の確認は10日~14日後になる。
これから数日の感染者の推移で、このグラフのように進むか、感染の一段の拡大になるか、判明すると思う。
まだしばらく 都が開設した「都内の最新感染動向」のデーターをチェックし続けるつもり。

現時点での予想は、「第一波の1/10程度の大きさの感染で収まる。」としている。
果たして当たりますか・・・
  1. 2020/06/08(月) 09:44:59|
  2. 黒い花 怪しい花
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

白い家

散歩の途中で撮った写真が気になり、
何回か同じ家を撮る。
白い家1264-23
最初に撮ったのはコンパクトカメラ、フィルムはAcros100を使用した。

白黒の対比の高いネガを作るとなるとなかなか難しい。
露光を少な目にして、増感現像して白黒の差を強調するが、
中間のトーンの乏しいザラッとした写真になりがち。

「白い家」のイメージになるよう硬調現像液(Ⅳo)で現像した。
白飽和も黒潰れも防げたネガを得た。
白壁の汚れがでて、材質感も感じられるが、
家の前に置かれた丸石と階段下のコンクリート部のディテールが今一だった。
白い家1286-40 Ⅲ
フィルムをRetro400Sに変更し撮影、現像は同じ硬調現像液(Ⅳo)で行った。
白い家の壁は白飽和していない。
その部分を焼きこめば、モニター画面でも材質感は確認できるだろう。
家の前に置かれた丸石と階段下のコンクリートの材質感も潰れずに残った。
しかし、空の明るい部分に銀粒子のザラとした調子がでてしまった。
白い家1287-45
Tessar 50mmレンズに替え、同じRetro400Sフィルムを使い撮影。
今度は中庸な現像液(Ⅰ)で現像し、途中で硬調現像液(Ⅱ)に変更し現像をした。
この方法は、理論的?には中庸から硬調まで、ネガのコントラストを自由にコントロールできるが、
いざ使うとなると、なかなか難しい。
(Ⅰ)と(Ⅱ)液の交換のタイミングをどうするか、
そして(Ⅱ)液で、どこまで現像を押すか・・・それによってネガのトーンは大幅に変化する。
現像は一回勝負なので、撮影に当たっては、露光を3段階替えて撮っている。(3カット)
今回の撮影では露光を切り詰めて撮影したネガの調子が一番よかった。

デジタルカメラなら、こんな調子の写真、簡単に撮れる(作れる)と思うが、
古い技術のフィルム写真です・・・すべきところがたくさん残っている。
工夫次第で違ったトーンになる。
それがデジタルにない面白さ。
楽しんでいます。
  1. 2020/06/06(土) 17:17:31|
  2. フィルムの眼
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

アサヒカメラが休刊する

アサヒカメラが休刊するというニュースをネットで知った。
情報を書籍、雑誌、新聞などの紙媒体で得る比率は減っている。

今は、ネットで 簡単に知りたい情報が得られる。

情報には必ず検証が必要だが、
ネットには検証(裏付け)無しの噂話しが、
さも真実の情報の形となって垂れ流されている。
それをそのまま信じてしまうのか?
あるいは、こうだと思いたい情報をのみを集め、
不都合な情報には耳を塞ぐのか?
ネットの中傷記事で自殺する人が出てくる。
深く考える訓練がされていない、それが問題なのだろうなぁ。

デジタル・カメラの時代になり、写真を撮ることが容易になった。
いまや写真はPhone-Cameraが主流となっている。
夥しい数の写真がネット空間を流れていく。
紙にプリントした写真を見る時代ではなくなっている。
アサヒカメラDSC06839
6月19日発売の7月号が最終となるようだ。
長らくアサヒカメラを購入したことはない。
記念だと、慌てて、
大崎のTSUTAYAに行ったが、置いてなかった。
確かに書棚に写真関係の雑誌類は減っていた。

近所の本屋でようやく見つける。
読んでみたが、載っている写真に熱気を感じない。

写真の撮影が容易になった。
Phone-Cameraでも綺麗に撮れる。
そのままネットに画像を載せれば、「いいね!」が返ってくる
簡単にできることに、人間は情熱を燃やさないのだろう。

優秀なレッタッチソフトもあるし、
機材の進歩で画質は良くなった。
上手な写真を撮りたいなら、How toものの本を買えばいい。

アサヒカメラが、写真を撮るための情報源ではなくなっている。

いまこそ、フィルム!
アサヒカメラの最後のあがきかなぁ。

沢山のフィルムを使って、比較していたけど、
あまり参考になる記事ではなかった。
寧ろ一つのフィルムに固定し、
露光を変えた場合、
現像液を替えた場合、
現像時間を変えた場合、
フィルターを変えた場合、
どのようなトーンになるのかを説明したほうが、
よっぽど、フィルムの持つポテンシャルを示せると思う。
下神明1284-38
緊急事態宣言解除の前日、大井町線、下神明駅近くを散歩した。
下神明1284-40
現像液は硬調現像液(Ⅳi)を使用。
現像時間はやや少なめに抑えている。
ここでフィルムを撮りきり、新しいフィルムに交換。
下神明1285-2
もう少し硬調な(Ⅳa)現像液で、通常の時間現像した。
下神明1285-6
(Ⅳa)現像液は 現像温度も大きなファクターになる。粗粒子にならないよう現像温度を20℃に保ったが、
空の部分に銀塩のザラツキが出てしまった。

ウクライナ製 Kievカメラ用につくられたHelios-103 53mm F:1.8のレンズ、
同じContaxマウントを採用したNikon SPに付けて使うことできる。
今から10年前以上前に購入したの。
外観にチープ感があるのか安かった。(2千円から3千円程度だったと思う。)
日本で使う人も少ないし、注目もされなかったのだろう。
シャープさは、このレンズが一番いいと思う。
いいレンズだと思う。

心に残った一冊の本/写真集を 書棚から取り出し、読み/見て、考え、また読み/見 直す。

大切なものは見えないが、
行間から 確かにそれがほのかに見えたと思える瞬間がある。
すると、それまで見ていたものの意味合いが変わってくる。
読書百遍意自ずから通ず・・・・そんな体験を持たない人が増えているのかも。



  1. 2020/06/04(木) 12:24:45|
  2. ある場所、ある瞬間
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

After Corona Virus コロナウイルスのあと

人間の決めた定義に従えば、ウイルスは生物ではない。
RNAの周りをタンパク質が覆った物資に過ぎない。
しかし、この物質が人間の生活に変化を強要している。
では、ウイルスと共存する生活とはどういうものになるのだろう?

疫病が、神の怒りに触れた人間に与えられた祟り(罰)と考えた時代は過ぎ去り、
先進国では、身を守る手段は格段に進歩。
最先端の医療サービスがある。、
セキュリティーの高い豪邸は、犯罪や災害を最小化する。
快適な日常生活を維持する消費財は街にあふれている。
それらを手にするためには、財力が必要。
しかし、持てる者は更に富を増やし、
持たざる者は、更に取り分を減らしていく。
それが現実。

この世は、人間が主体。
どれだけの富を独占できるかが、人間の価値を決める。
そんな世界観をもつ人からみたら忌々しい事態となってしまった。
AfterCoronVirus1284-17.jpg
しかし、ピンチはチャンス。
コロナとの戦いで疲弊した零細企業や個人商店は消失、
生き残った財力ある企業や資産家は、小さな富をかき集め独占する。

格差社会は一段と進むのかなぁ・・・そんな暗い予感もある。

After Corona Virus,
一層の格差社会へ向かうか、
それとも、叡智を集め、格差を減らす社会へ向かうか・・・
RNAの周りをタンパク質が覆っただけの物資に、人間は試されている。
---------------------------
うちの百合子も・・・計算高い政治屋だから、安倍クンに似た したたかさがある。
陽性者推移
宣言解除前の感染者と、宣言解除後の感染者の数、ハッキリと二つの集団に分かれる。
ちょっとおかしい。
あと2,3日この経過 注意して見守るつもり。
犠牲者
5月18日のブログでは、
月末(5月31日)の時点で、
東京の累積感染者5242名、死者302名と予想していた。
実際は 累積感染者5236名、死者305名だった。
科学的な手法でデーターを解析すれば、それほど狂うことはない。
また、だれがやっても 同じような数字が出てくる。
それが科学。

科学をつまみ食い、
御用学者の専門者会議を盾に、
やったふりばかりが目立つ政権では一層不信が募る。
  1. 2020/06/01(月) 07:27:29|
  2. ある場所、ある瞬間
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

プロフィール

Alchemyst Sasaki

Author:Alchemyst Sasaki
未だフィルムカメラの沼から抜け出せない。
もう一年白黒フィルムで遊んでみるつもりでいる。

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

読み解く写真、心に残る写真を・・・ (139)
フィルムの眼 (165)
レンズの眼、カメラの眼 (59)
写真の技法 (152)
写真にとり憑かれた人達 (4)
青写真 (1)
新幹線の見える街 品川 (10)
映し出された世界 (30)
水辺の光景 (21)
立会川 (9)
勝島運河 (22)
旅行・観光 (7)
ある場所、ある瞬間 (170)
デジタルカメラは記録機器 (13)
デジタルで遊ぶ (30)
Silent City (9)
??? (31)
Street Photograph (27)
都会の景観 Tokyo (259)
思い出の写真 (25)
遥かなる寧夏 (35)
Night walk in Tokyo (41)
散歩 (334)
猫、犬、鳥 (10)
白木蓮 (31)
黒い花 怪しい花 (87)
樹、草、花  (104)
桜  (181)
ひまわり (46)
竹林 (11)
八つ手 (10)
百日紅(さるすべり) (29)
オールドレンズの密かな楽しみ (38)
人物 ポートレート 踊り (37)
Photo彩遊 (27)
品川宿 (21)
その他  (33)
オリンピック残映 (5)

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR