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本当に大切なものは見えない

古いフィルム・カメラで、ありふれた身の回りを撮っています。日常の中の一瞬を捉え、読み解く写真になっていれば・・・

二人

10代の終わりから20歳代の約10年間 盛んに写真とっていた。
しかし、就職し仕事が忙しくなると、カメラを持つ機会は減り、
家族の記録写真を 時たまとるだけになっていた。

写真をまた撮ってみようと思ったのは、
2001年 海外出張に昔から使っていたNikon SPをもっていったことにある。
たまたま、訪れたノルウェーのベルゲンの町で見かけた熟年のカップル。
これだと思い、衝動的にファインダーを覗き撮影していた。
久しぶりに「写真を撮った」という感覚が蘇ってきた。
(このブログの最初の写真です)
その写真が、写真を再開した原点だろう。

ごく普通の二人を演出なしで記録しておきたい。
プライバシーの問題もあるので・・・盗撮と非難されるおそれもあり、控える心理は働くものの、
その人達の品格を傷つけないよう配慮して撮るべきと 自戒し、
それからは、プライバシーの尊重と、二人の姿を記録したいという 思いの間で揺れながら、衝動的に撮影している。
二人1215-2
二人1220-21 
二人1220-33
二人1220-13
二人1221-17
二人1221-37
最後に、老年カップルの 
それまでの人生を感じさせる後ろ姿のスナップ写真が撮れたら、
この一連の写真シリーズ(テーマ)は完成するのだろうなぁと思っている。
チャンスはあったが・・・まだ 撮れていない。
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  1. 2019/08/31(土) 11:21:53|
  2. 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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夏の暑い日

8月中旬の暑い日の午後、散歩に出た。
人影はほとんど見かけない。
夏の暑い日1218-3
夏の暑い日1218-15
新しくできた大崎ガーデンタワーのビジネス棟にも、人影はほとんど感じられない。
お盆の長期休暇に入っていた。
夏の暑い日1218-16
閑散としていた。
夏の暑い日1218-22
照り返しがまぶしい。
それも 面白いとシャッターを切る。
夏の暑い日1218-31
北品川から天王洲を目指し 散歩を続行。
山手通りを行く車が 横を通り過ぎていく。
一陣の風となり、夏草を揺らし、小さな音を立てていた。
歩道を歩く人影はない。

見上げると、入道雲ができていた。
酔狂だなぁと 思いながら、
目黒川の河口めざし歩いていた。
  1. 2019/08/29(木) 12:26:49|
  2. 散歩
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黒い車

プロとアマの力量が、はっきりと区別できる分野がある。
たとえば 将棋とか、ゴルフ。
アマのチャンピオンでも、プロに勝利することは難しい。
勝負の判定基準は公明正大。
判定は覆らない。結果は明かで、すがすがしい。
人間のへんな忖度、えこ贔屓は入らない。

写真はどうなのだろう?
有名な逸話?コメントか?に、
ヒンデンブルグ号爆発事故の写真(Photograph)はすごいが、
撮った人を写真家(Photographer)とは呼ばない。
なぜなら、もう一度 同じヒンデンブルグ号の事故を撮れないから。
では、優れたプロの写真家とは どんな人、どんな力量を指すのか?

Phone-Cameraを誰もが持つ時代、
目を引く事故や アクシデント的な面白い写真は
偶然そこに居合わせた人が撮ったものがほとんど。
あるいは、自動で記録する車載カメラの映像であろう。
写真を撮る力量は 関係ないといえる。

カメラの進歩は 撮影技術の壁を低くしてしまった。
アマもプロ並みの写真を撮っている。
プロがプロである力量を見せ付ける場所が狭められていると思う。

その象徴が、キヤノンギャラリー S 100回記念として開催された森山大道の「遠野 2014」展だろう。
ここで氏はキャノンのコンパクトデジカメを使用し、「森山大道調」のプリントを展示していた。
画像データを森山氏の指示に従い加工し、プリントしたのは、キャノンの優れた技術集団だったのだろう。
90cm幅のプリント用紙に、キャノンの誇る大型プリンターで作品を作っていた。

Tri-Xフィルムでなくとも、デジタルで 大道調が表現できる。
しかも、キャノンの技術者の手で・・・・となると 
将来、「大道調」写真を作るフィルターソフトが 市販されるのでは?と思ったが、
現実は もっと進んでいる。.
レタッチソフトを駆使し、森山大道風 写真をつくる人が出てきた。

カラーフィルムになり、写真家自身が暗室に閉じこもり、
現像や焼付けをする人は少なくなっていた。
優秀なラボに現像と焼付けを依頼した。
暗い暗室から明るい暗室へ、
予算のついた仕事か、自腹で行なうか、
それが、プロとアマの差になっているのかも。

急速にプロとアマの境界が不鮮明になっていると思う。
名を伏せて写真を見たら、写真の優劣は、はっきりしない。
好みとしか言い様はないが、
写真家としての名声、忖度、受け狙い、えこ贔屓、販売戦略など
外部要因に引っ張られていることにならなければ・・・と思うが、
どうなんでしょう。?

森山大道のすごさは、遠野物語のトーンではなく、
艶のある黒のアメ車のボディー あの写真(トーン)だと思っている。
このトーンは出せない。
プロの作品だろう、達成できないくらいの断絶がある。
黒い光沢の車1220-5
黒い光沢の車1220-22
黒い光沢の車1220-7 Ⅱ
何度も挑戦するが、未だし。
真似すらできていない。

デジタルだと 艶のある黒 表現できているだろうか?
  1. 2019/08/27(火) 12:02:43|
  2. フィルムの眼
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平川濠      8月15日

8月15日に撮影。 
皇居東御苑・北桔梗門をでて、平川濠を見る。
おそらく デジタル・カラーを主体に撮っている人にとっては、
興味を惹く景色ではない。
デジタルで白黒写真を撮っている人でも、
おそらくごく当たり前、
平凡な光景だと、カメラを向けることはないだろう。

見慣れたごく普通の光景だが、光のトーンのよさを感じていた。
平川濠1219-26
このフィルムは軟調現像液と硬調現像液の2つを使い、二段に分けて現像するつもりだった。
もっと明るい午後の光が濠に射していたら 軟調現像液(Ⅵ)か(Ⅲ)で、
曇り空での平坦な光線なら、硬調な(Ⅳo)現像液を選んだだろう。
しかし 二段現像することで 被写体を選んでいる。
(Ⅳ)+(Ⅵz)の二段現像で達成できるトーンを想像していた。
光線の状態は・・・・いい。
平川濠1219-27
高級な一眼レフを使う本格的アマチュアからは、
馬鹿チョンと呼ばれていたカメラだが、四つ切程度に伸ばす程度なら 画質に特に問題はない。
高い対価を払って購入したカメラだもの、これでなければ写真にならないと 思いたいのだろうが・・・・
カメラやレンズが、写真表現の深い部分にまで関わってくるとは思えない。
平川濠1219-28
Olympusのこのカメラ、確かに 簡単にして便利。
珍しくズームを使いフレーミングしてみた。(広角35mmから70mmまで ズーミング・フレーミングし3枚撮影)
こういうトーンの写真も好きだ。

  1. 2019/08/25(日) 10:17:19|
  2. ある場所、ある瞬間
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滑りある黒い車を撮りたくて

森山大道のアメ車の写真が・・・一種の憧れになっている。
どうしたら 滑りある、あの黒の美しいアメ車を作ることができるのかと思う。

高価なカメラを選び、高価なレンズを選びさえすれば、
それで、滑りある黒の美しい写真を 撮れるわけではない。
むしろ、どんなフィルムを使い、どんな現像をするか、
できたネガを どんな印画紙を選び、どう焼き付けて作るか 暗室作業にかかっていると思っている。

たとえそれが人が欲しがる高価なカメラであれ 
写真表現の深いところまで 
踏み込むことはできないと思っている。

二段現像を開発したのも 
すこしでも「あの黒いアメ車」の表現力に近づけないものかと 
思っていたから。
黒い車1218-2
以前、Retro400Sフィルムを使い、
硬調現像液(Ⅳo)あるいは(Ⅳa)で現像し 黒い滑りある黒い自動車の撮影を試みたが、
満足できない、今一の結果だった。
黒い車1218-6
かなり滑りある黒い光沢が出てきたとおもうが、未だし・・・・満足できない。
被写体に当たる光、どんな光線状態を選べばいいのだろうか?
そんなことを考えながら、
散歩中、暗い色の塗装が施された車を見ると、
おもわず 一枚 シャッターを切っている。
  1. 2019/08/23(金) 17:40:14|
  2. フィルムの眼
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8月15日  千鳥ケ淵

神社は、神そのもの(御神体)・祖先神、あるいは霊魂を祀ている。
故人を安置し、祭るのは墓となる。

明治天皇を(神として)祀るのが、東京代々木にある明治神宮なら、
陵墓は京都伏見区にある伏見桃山陵。

第二次大戦で亡くなった者は、千鳥ケ淵の戦没者墓苑に祀られている。
千鳥ケ淵1219-45
千鳥ケ淵についたのは4時半を過ぎていた。
台風10号の大きな暴風圏に入ってきたのか、雲行きが怪しい。
いつもならボート遊びする姿を見るが、
本日は休みなのか・・・営業の時間が過ぎているのか、人影はない。
千鳥ケ淵1219-35
千鳥ケ淵の墓苑は、
この大戦の戦没者の遺骨を納めた国立の無宗教の墓苑である。(管理は環境省)
名前の特定できていない遺骨が納められているという。
届いた遺骨が 一つの石ころだった、伯父と叔父の遺骨も、
この中に紛れ込んでいる可能性はある。

もうすぐ5時になろうとしていたが、
まだ、墓苑を訪れる人の姿はあった。
細かな雨が降り出していた。
托鉢の尼僧が小生のほうを凝視する。
小さく念仏を唱えているようにも見えた。
背中にゾッくとした不愉快な感覚を覚えた。
慌てて、この場を離れていた。
この感覚、今でも何故だったのか、よくわからない。
  1. 2019/08/22(木) 10:18:39|
  2. ある場所、ある瞬間
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8月15日  靖国神社

祖先を神格化し祭っていた民族特有の宗教に、
外国の進んだ文明とともに仏教が伝来する。
どんな葛藤、闘争があったかわからないが、
国家の安寧を願い、仏教を受け入れ、
神社と仏教寺院は共存するようになる。

江戸時代になると、神仏混合し、
お寺に神社があったりもした。
明治政府になると、
欧米の国をモデルにした立憲君主の国になろうとする。
国家神道が基本に据えられ、その過程で、激しい廃仏毀釈がおきる。、
その混乱で、現在では、仏教美術品と評価される事物が、国外に流出する。

その辺りは歴史学者、民族学者の見解を聞かなければならないが、
日本人のもつメンタリティーだろう。

靖国神社は、幕末から明治維新にかけ明治政府設立に協力し亡くなった霊を祀るため、
明治2年、東亰招魂社として作られたのが初め。
その後、西南戦争で天皇の軍隊として働き、
戦死したものの霊も祭るようになり、靖国神社と改名。
戦前は内務省が所管していた国家機関だった。(国家神道)
靖国神社1219-40
台風10号が 四国沖に達し、のろのろと上陸の機会を狙っていた。
台風からは遠く離れていたが、雲が湧き、南から北へと流れていく。
靖国神社1219-39
4時を過ぎていたので、参拝に訪れる人の姿は減り、
外国人の姿が相対的に増えていた。

大村益次郎の銅像が待ち受けていた。
大村益次郎は明治維新で活躍した軍略家、
戊辰戦争でなくなった者祀るため、東京招魂社を建設しようと運動を起こす。
東京招魂社が完成したあと、京都で刺客に襲われ、その傷がもとで命を失う。
明治維新の功労者であり、
日本陸軍の創設者でもある大村益次郎を称えるため、銅像が作られたという。

昭和天皇は、戦後、国の機関からはずれ民間施設となった靖国神社に、
8度ほど親拝したが、1975年(昭和50年)11月21日を最後に、親拝を行っていない。
A級戦犯の合祀を嫌って辞めたという説もある。
戦後、天皇に仕えた側近の記録が遺族からNHKにもたらされ、
その一部が公開され反響を呼んでいる。
歴史家の解明が待たれる事案だと思う。



  1. 2019/08/21(水) 10:55:05|
  2. ある場所、ある瞬間
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8月15日 九段坂

北の丸公園を出て、靖国通りに架かる歩道橋を上る。
歩道橋の上に人だかりができ、九段坂下のほうを見ている。
九段坂1219-33
デモが行なわれているようだ。

警察車両、警察官の数は多く 目立っていた。
何を訴えるデモか 怒号が行き交っているが、
それほど大きな音声でないので、
ここからでは聞き取れない。

帰宅して、TVのニュースを見るが、
靖国神社近くでデモがあったというニュースはなかった。
???
インターネットで
「九段坂 8月15日 デモ」と打ち込んで検索すると、
その正体が判明した。

8月15日になると行なわれる年中行事化したデモだった。
天皇制はいらないとする(反天連)のデモに対し、
右派系団体のメンバー(カウンター)が抗議する、
その間に、警察官が入り、乱闘になることを防止する 
お約束化した構図になっている騒ぎのようだ。
互いに罵り合い、辺りは騒然となるが、
警察がコントロールし、暴力沙汰に発展することはない。
もはや、TVニュースにするほどのものではないのだろう。
参加者は(反天連)、(カウンター)、警察とも、ほぼ200名くらいだろうか?
デモ(反天連)の人数に比べ カウンター、見物人、警察官の数が多いので、大きく見えるデモになっている。
ちょっと異常なデモ・・・

毎年 8月15日に 九段坂下交差点で 
このようなデモとその(カウンター)の騒ぎがあること 知らなかった。
年中行事化し話題にもならなくなったのだろう。
しかし、インターネットの時代、情報は拡散されやすくなった。
インターネットで検索すると、
ゴミのような情報、重要な情報、フェイク情報が 渾然となってヒットする。

こうあったらいいな、
こうあるべきと、有利な情報ばかりを選択し、
自分に不利な情報は無視する・・・・
そして、こうに違いないと確信してしまう。
我こそは正義と、正義をかざす危うさ・・・
一方的な罵倒だけからは憎しみしか生まれない。
インターネットの時代になり それが加速してはいまいか?
偽情報を含め 情報は拡散しやすくなっている。
既存の報道メディアの影響力は減り(信用しなくなり)、
ネットで話題になったほうを選ぶ傾向が出てきた。

「確信は、嘘より怖ろしい真理の敵」
不利な情報も受け入れ考え抜く知性がなければ思う。

さて、今後 このイベント どう扱われていくのだろう?
ちょっと気がかり。

  1. 2019/08/20(火) 07:58:12|
  2. ある場所、ある瞬間
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8月15日 武道館

北桔梗門をでて、北の丸公園に入り、武道館の前を通過したのは午後4時ごろ。
正午、ここで全国戦没者追悼式が催された。
武道館1219-32
式は終了し、ほとんど人影は消えていた。
外国人旅行客が、会場前を通り過ぎる。
漢字の読めない方にとって 
どんな催しものがあったのか、わからないだろう。

帰宅してから夜のニュース番組を見る。
式の様子が放送されていた。
新天皇は、平成天皇の思いを引き継ぎ、お言葉を述べられていた。
日本人の良心の象徴のような方だと思う。
よかったと思う。
---------------------
親戚で戦争に行った人が4人いた。
そのうち2人は 帰らぬ人となった。
小生の叔父さんと伯父さん。
帰ってきた遺骨の木箱を開けると、
石ころが一個入っていたという。

「戦場の石を持ってこられるくらいなら、遺骨を持ってこられるだろうに・・・」
「どこの石かわかりゃしない」と、憤慨していた。
戦後 連れあいをなくした叔母・伯母は、
苦労し子供を一人前に育て上げたが、
会うと、いつも明るくしていた。

しかし、靖国神社にも、千鳥ケ淵にも 行かなかった。
その叔母・伯母も もうこの世にいない。

この人達に、突き動かされたのだろうか?
「お前、ちょっと見てきてくれ・・・・」と。
  1. 2019/08/19(月) 11:52:15|
  2. ある場所、ある瞬間
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8月15日 皇居・東御苑

閉園日ではなかった。
東御苑に入り、本丸へ向かう坂を登る。
東御苑1219-21
しかし、本丸跡の広場は鉄柵で囲われ入れなくなっていた。
北桔梗門へ通り抜けしようと思ったが、ここでストップ。
東御苑1219-22
来た坂を下り、迂回した。
11月14日に、大嘗祭がある。
その準備の工事が始まっていた。
天守台に登る道も閉鎖されていた。

新天皇の最初の新嘗祭が大嘗祭。
そのため、一回だけ作られ、
終わったら、解体されるとのことのようだ。
天皇家の行事で、国事行事とするには異論もあったようだ。
明治になってから、威信をかけた大きな行事になったらしい。
もともと五穀豊穣を願う祭りで、
長く続く天皇家の儀式、
江戸時代、あるいは室町時代の大嘗祭に戻ってもいいと思う。

例年行なわれる新嘗祭は、
皇居・吹上御苑で行なわれるが、
それほど 派手なものではないだろう。
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今年の3月下旬、
香港から知人の妹さんが来日。
日本の桜を見たいという。
今年の桜は、例年より少し遅かったが、東御苑の桜は綺麗に開花していた。
そのときの一枚。
東御苑DSC03756
そのとき 本丸跡の広場に鉄柵はなく、自由に歩きまわれた。

新しい御世になれば、古い建物は解体され、
真新しい材料で同じ建物を再生する、
その繰り返しは永遠の象徴となる。

大嘗祭(11月14日)が終われば、
社(やしろ)は解体され、
また同じ広場に戻る。
  1. 2019/08/18(日) 14:01:38|
  2. ある場所、ある瞬間
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8月15日 皇居

台風が本土に近づいているという。
しかし、外は晴れて暑かった。
巨大な力を秘めた「もの」が近づいてくる・・・・
連想したのだろうか?
思い立ち、軽いカメラを選び、真夏の太陽の下にでていた。

74年前のこの日、皇居前広場には、
土下座し、頭を下げている人の姿があった。
そんな写真を 雑誌で見た覚えがある。
8月15日皇居1219-11 Ⅱ
あの日も暑かったのだろうなぁ、と思う。
しかし、皇居前広場に立つと、日本人の姿はあまり見かけなかった。
勿論、土下座し、首(こうべ)をたれる人の姿もいない。
8月15日皇居 1219-15
多くは外国から観光で来ている人達だった。
集団となってきている人は ほぼ中国の人。
でも、中国の旗を揚げるでもなく、気勢をあげるでもなく、静かに歩いていた。
74年以上前・・・・8年間の長きにわたり、
(日中戦争を昭和12年から昭和20年と見た場合)、
かの地(中国)は、その戦場だったのに。

日本人も、忘れたわけではないが、
TVではお盆の帰省客と台風情報に、多くの時間が割かれ、
戦没者慰霊関連の報道時間は少なくなってきている・・・・という印象をうけた。
人が代われば、関心も移る。
それが理(ことわり)というものだろう。

  1. 2019/08/16(金) 11:37:46|
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8月14日 暑い

7月は梅雨が開けず散歩する機会が少なかったが、
8月になると一転、連日猛暑が続いている。
歳なのだから無理するな、
熱中症予防と、冷房に効いた部屋に立てこもり、グダグダしていたら、
体が重くなる感じがしてきた。
こんなことしていたら、せっかくの残り時間が 無為に過ぎていく。
「ものごと」には、二面あり。
悪い面を強調すると、いい面をがかすむ。
暑さも楽しめと・・・・カメラを持って盛夏の日差しの中に飛び出していた。
8月14日1218-11
お盆の休暇時期、道には人影が少ない。
カメラを構え撮影したが、
コンポラ写真を意識していたのかも。

横位置のフレーミング、
日常のなんでもないものを(こと)を被写体に選ぶ。
標準レンズの50mmか広角レンズを使う。(望遠レンズは使わないかった・・・と思う)
テクニックは素朴に、誇張や強調した写真にはしない。
写真に、これが私の心境です・・・・と云わんがばかりの思いをこめる。
それが、コンポラ写真だったような気がする。

小生の感覚と異なっていて、馴染めなかった。
標準レンズ、見慣れた大崎ガーデンタワーを 横位置でフレーミングして撮影。
YA3フィルターを付けて撮影、(Ⅵ)+(Ⅳz)の二段現像、今回は硬調現像液(Ⅳz)の現像割合を増やして現像処理。
その点では コンポラ写真と呼ぶにはテクニック過剰。
小生の心象を撮ったものでもありません。この点でも、コンポラ写真にはならないでしょう。

コンポラ時代にデビューした森山大道は、コンポラ写真家に分類されていたのだろうか?
彼の作品は、暗室テクニック満載で、作る写真だった。
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第二次世界大戦で 敗北した日の前日だった。

Occupied Japanの時代、
占領軍のマッカサーは、日本の全の権力を握る。
古代の戦であったら、戦士達は全て捕まり、王族は処刑される。
しかし、住民まで無差別に殺戮されることない。
住民は戦利品、奴隷となる。
王族が処刑されることなく、A級戦犯とされた人達が裁かれ処刑された。
しかし、やはり「敗戦」だろう。
戦いに敗れた日本は、価値観の変革を余儀なくされる。
「敗戦」という直截な言葉より、日本の意思で戦争を「止めて」というニュアンスのある「終戦」が好まれている。

ものごとには二面ある。
オブラートに包み、柔らかい表現を好むか、現実を現実として見届けようとするか。

Occupied Japan時代にもたらされた、自由・民権・平等を謳う価値観は、押し付けられたもの。
自主独立国家として、ちゃんとした国民総意の憲法を作るのだというが・・・・
「敗戦」を「終戦」と言い換える日本人、オブラートに包み、大切な価値観、変質しないだろうか?

あと 2、30年したら 戦争を知る人、体験した人はいなくなる。
(今80歳の方なら、疎開したとか、爆撃で破壊された家屋をみた記憶は残っている。
しかし、30年もしたら、この世にはいないだろう。)
そうなったら、日本人の価値観も 変わっていくのだろう。
もっとよくなると思いたいが、大丈夫?かなぁ。


  1. 2019/08/15(木) 12:18:13|
  2. 散歩
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武蔵小山辺り

梅雨の晴れ間 武蔵小山周辺を散歩。
武蔵小山1217-15
露光に過不足はないだろう。
YA2程度のフィルターを付けて撮影したら、
空はもっと暗く落ち、コントラストのくっきりでた写真になったと思う。
武蔵小山1217-18
一絞りほど露光を増やし撮影した。
二段現像しているので、白飛び(白飽和)は防げていると思う。
黒潰れもない。
武蔵小山1217-20
光のダイナミックレンジは広い。
露光を 明るいところに注目し合わせるか、暗いところを選ぶか?
白黒のコントラストの美しさにを狙うか、白から黒まで整った写真を狙うか?
露光の選び方、現像液の選び方、現像法は、撮る人の裁量に任されるべき。
この撮影では、豊富なトーンのほうを選んだ。

50年ほど前、写真を撮り始めた頃は、豊富なトーンの写真が多かった。
しかし、1970年ごろだろうか、コンポラ写真が叫ばれ、
白黒の対比でProvoke するという、銀粒子のでた写真が増えてくる。
今になって、あれはなんだったのか?と思うこともある。
1960年中頃から1970年中頃までの10年間、
確かに、日本の写真の輝いた時だったかも知れない。

デジタルになり、
昔だったら、撮るのが難しかっただろうと思う美しい写真・すごい写真が、
簡単に撮れるようになり、巷に溢れている・・・・
しかしそれに反比例するように、心に突き刺さるようなprovokeする写真はなくなっている。
写真が面白くなくなっている。
どうしてだろう?
  1. 2019/08/13(火) 13:56:41|
  2. 散歩
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大崎ガーデンタワー

大崎再開発の一環なのか、
数年前更地になり、ビルの建設が始まる。
去年の暮れごろに完成したのか・・・?

オフィスビルとタワーマンションの棟が建つ。
大崎ガーデンタワー1217-8
大崎ガーデンタワー1217-9
大崎ガーデンタワー1217-10
新しい風景だが、
大崎ガーデンタワー1217-13
都心の見慣れてしまった光景でもある。
ここには(小生の)記憶に残る大崎はない。
大崎も都会になったものだ。
  1. 2019/08/11(日) 06:33:17|
  2. 都会の景観 Tokyo
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西品川あたり

梅雨の合間を縫うように散歩していた。

正面に見えるのは 再開発でできた大崎ガーデンタワー。
西品川1215-33 Ⅱ
このあたりには 小さな町工場が沢山あったが、今は住宅街になってきた。
西品川1215-36
玄関先にあった鉢植え(実際はプラスチックの大きな容器だったけど・・・)の植物。
西品川1215-38 Ⅱ
品川区役所前の通り。
西品川1215-41
ビルは品川区役所。
---------------------------
全て縦位置のフレーミングになった。
(Ⅵ)+(Ⅳz)の二段現像を行なった。
白飽和させず、白の諧調を出し、黒潰れさせずディテールを残す。
それが フィルムで撮影する理由だろう。

デジタルカメラで撮影し、白黒変換すると もっとドラマチックな加工処理ができると思うが、
デジタルモノトーンで撮影された写真は、
白の明るい部分のトーンがタイルを貼ったように均一になったり、
あるいは暗い部分のトーン、うまくつながらず、段になるものが多い。

しかし、100万画素程度のフォトフレームで見る、
あるいはサービスサイズ程度にプリントするのなら、
細部のディテール、トーンの微妙さなど わかるものでない。
フィルムで撮る必要はないと思う。

それに HCB&Wモード(ハイコントラスト白黒モード)で撮った写真、なかなかのもの。
複数の画像データを加工し作ったHDR写真のトーン、フィルムでは出せるものではない。

すごいなぁと思ている。

それなのになんでフィルムを?
そんな問いを、いつも自分の心に問いかけている。

  1. 2019/08/08(木) 11:42:08|
  2. 散歩
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三ツ木通り

戸越銀座の地名は、関東大震災で瓦礫となった銀座のレンガを運び、
道路に敷いたことに由来する。
当時、道路に舗装はなく、晴れれば土ぼこり、雨が降るとぬかるんだのだろう。
それ以来、戸越銀座の道は舗装されるようになる。
戸越銀座の通りは、そのまま三ツ木通りへとつながる。
幼児の頃の記憶をたどると、
戸越銀座の通りから三ツ木通りに入るところで、砂利道になっていた。
戸越銀座通りと三ツ木通り、今でも道路の舗装は異なっている。
三ツ木1217-4
三ツ木1217-3
地名としては「三ツ木」のほうが古くからあると思う。
地名の記憶として、三ツ木小学校の校名が残っている。
しかし、住所表示には使われたことがないようだ。
今は西品川となっている。このあたりは二丁目だろう。
三ツ木1217-6
三ツ木通りから見た大崎駅の方向。
高いビルは、国際自動車の教習所跡にできた住友不動産の大崎ガーデンタワー。
大崎駅にも近いが、住所表示では西品川一丁目になる。
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今、Retro80Sフィルムは (Ⅵ)+(Ⅳz)の二段現像でネガを作っている。
今までとは ちょっとトーンの異なった写真になるので 
それを楽しんでいる。
工夫できる範囲があるのがいい。

写真は趣味、遊びに過ぎない。
職業に選んだわけではない。
プロのように完璧な写真は求めようもない。
それでも 工夫したら工夫したなりに、徐々に思い描いたトーンになっていく。
たとえ それがうぬぼれに過ぎなくとも 趣味です・・・・それでOKだろう。
趣味は、工夫し、楽しむこと、それに尽きると思う。

シャッター押したら、きれいな写真が撮れている・・・工夫できるところが少ない。これでは趣味にはならない。
今 (デジタル)写真は趣味として遊ぶものではなく、コミュニケーションの道具になったのだろう。

「Phone-Cameraが趣味です」という人はいないだろう。
スマホに備えられた機能を使ってコミュニケーション、
情報のやり取りをするのに欠かせない器具になっている。
趣味でスマホを使いSNSしていますという人いるのだろうか?

でもデジタルカメラは映像ビジネスでは有能な装置だ。
結果を求められるプロは、デジタルカメラを使って仕事をこなしている。
楽しいから使っているのかどうかは わからない。


時代の流れに乗れず、取り残された頑迷な者は、
フィルムカメラを首からぶら下げ、近所を徘徊し、写真で遊んでいる。
もう写真の時代は終わっているのに・・・・
  1. 2019/08/06(火) 07:03:47|
  2. 散歩
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旧品川宿を歩く。

祖父は写真愛好家だった。
撮った写真は写真集に纏めている。
書庫には、昭和4年から始まり昭和13年まで、全部で13冊の本が並ぶ。
並べると長さにして1mほどになる。
昭和13年で終了した理由は、戦時体制になり、
フィルムや印画紙などが手に入らなくなったことによるという。
戦後は、歳をとり、病気がちになり、折角 カメラを再開できる状態になっても、
時たま、写真を撮る程度(Mamiya-6)で、写真集にまとめるという意欲は失せていたようだ。

小生も、重いカメラを持ち出す気力がなくなったら、
撮りためた写真を整理して、フォトブックのような形にし、
書庫に保管しようかと 思っている。
その時は 年代別とテーマ別の2本立てで、写真をまとめ、フォトブックの形にしたいと思う。
旧品川宿あたり1216-29
旧品川宿あたり1216-32
旧品川宿あたり1216-36
旧品川宿あたり1216-38
旧品川宿沿いは、散歩コースの一つ。
たいした写真が撮れるわけでもないが、それが、小生の見た光景。
一つにまとめ、フォトブックにして、
書庫に並べておけば、息子・娘も おろそかに扱わないだろう。
  1. 2019/08/03(土) 11:37:22|
  2. 品川宿
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プロフィール

Alchemyst Sasaki

Author:Alchemyst Sasaki
Phone-Cameraの時代、フィルムで撮ることの意味合い、意義はあるだろうか?と懐疑的になっている。写真の置かれている場所・期待・求められているものが根底から変わってしまったのかもしれないと思っている。
それでも、もう一年白黒フィルムで遊んでみるつもりでいる。

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