何月何日 どこどこへ 行きましたという 単なる行動記録(メモ)として写真を撮る。
今月の初め、新橋に立寄った。
そのとき、駅の周辺を一回りして撮った写真。


ぬめりある締まった黒のボディーと輝く白の対比の美しい自動車の写真・・・なかなか撮れません。

シュールなストレートフォトは すこし得意になったけど、キワモノのようだ。
褒められたものではないと思う。
滑りある黒の締まったトーン、出したいなぁ。(これが正統な銀塩写真と 勝手に思い込んでいる。)

駅の周りを一回りして、帰宅した。
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- 2019/06/30(日) 09:36:46|
- 都会の景観 Tokyo
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新宿西口で撮影したもの。

フィルムを 軟調な(Ⅵ)現像液で現像し、暗部のディテールを出した後、
硬調な(Ⅳz)現像液で、更に現像し、抑え気味だった明るい部分の濃度を上げるようした。

暗部を黒潰れさせず、明るい部分も白飽和させない。
全体のコントラストは軟調現像で行なったものより高いネガになる。
写真を始めた50年くらい前、微粒子で階調の豊かな こんな写真を作ることが、一つの目標だった。
ようやく その方法を見つけた(できるようになった)と思ったが、
今となっては、たいしたことではなくなった。
デジタル・レタッチでトーンは簡単に調整できるから。
しかし、

まさか こう撮れるとは思わなかった。
考えてみたら、Rollei Retro80Sフィルムは、赤外部まで感光領域が延びている。
こう撮れてしまう可能性はある。
暗部を潰さない(Ⅵ)で現像し、その暗部にコントラストを付ける(Ⅳz)現像が、
肉眼では見えないが、赤外光では見えている被写体の暗部のディテールを出してしまう。
長辺800ピクセルに縮減したものでも、ディテールはわかる。
200ピクセルに縮減した。
ソニーのビデオカメラで、赤外線による盗撮映像が ネットに出ていたことがある。
メーカーは それに気づき、防止するようビデオカメラを改良したという記事があったことを思い出す。
赤外線フィルターを付けて撮影したわけではないが、(UVフィルター)
布地の種類、赤外光の反射率の違いに、目に見えていなかったディテールが 見えてきてしまう。
Retro80S,Retro400Sあるいは赤外線フィルムを使い、
光を読み、自家現像、二段現像ができないと、このトーン、記録できないとは思うが、
悪趣味にならないように しなければ・・・・・知性、品格が疑われることになるだろう。
- 2019/06/29(土) 19:57:41|
- フィルムの眼
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産業革命ではじまった現代文明。
そこで 重要な役割を果たした熱機関の 重要な理論・熱力学は、19世紀末にほぼ完成した。
ニュートンの発見した、万有引力の法則と、運動の法則 それに熱力学があれば、
この世の秘密は全て解き明かせると・・・・夢想していた。
この宇宙は、精密な機械仕掛けでできていて、
原因があって、結果を生じる。
その結果が次の原因となり、結果を生む。その繰り返し。
世界は、因果律に従って、明快に進むもの・・・と思っていた。(夢想していた)
しかし、観測技術が進み、遠くの宇宙を観察、あるいは 微細な世界を観察していくと、
どんどん奇妙な世界が 見えてきてしまった。
1920年代、日本なら大正時代から昭和の初めころ、奇妙さは決定的となる。
その奇妙な宇宙/物質の成り立ちを理論化しようと試み、量子論があらわれる。
原因結果の果てしない因果律を信じる理論物理学者アインシュタインは、
「神様はさいころを振らない」と、その理論に激しく噛み付いた。
しかし、明らかに欧米では、
当時の知識人、芸術家、作家の心を捉え、影響しているように思える。
第一次世界大戦後、
世界は混沌としていた。
原因をめぐる論争、その結果の争い、
その連鎖から逃げ出せずついには世界大戦という悲劇が生まれた。
その心の憤り、反省がある。
物理学者は、「存在は決定論(因果律)に縛られていない!!」と量子論を唱える。
どうなるかは確率計算式でしか表せない・・・・
機械仕立てでこの世が成り立っている訳でないと、吹き込まれたら・・・・何にアイデンティティーを見出すか?
アンドレ・ブルトンを中心にシュールリアリズム運動が起き、詩や小説が世にでる。
印象派絵画は超現実絵画、キュービズム絵画などへと変化していく。
マンレイは写真でそれを表現しようとした。
第一次世界大戦と二次大戦の間のパリは、その運動の中心。
写真にとっても、一番すごい時代だったろう。
日本でも、
大正時代から昭和初期、フランス芸術が紹介され、熱狂して受け入れられていた。
山本 悍右は その日本のシュールリアリズム写真の草分け、
前衛写真家として、戦前から戦後もシュールな写真を撮り続けていた。
今となると忘れられた写真家になったのだろうか?
鳥取の砂丘で写真を取り続け 名声を得た植田正治氏の作品にも、明らかシュールリアリズムの影響を見出せる。、
山本 悍右氏より 過激(つくりもの、トリッキー)な作品ではない。それが、日本人には 受けがいいのかも。
フランスの審美眼からすれば、日本にもシュールリアリズム風写真を作った人がいたのだという、評価。
植田正治氏の作品、面白いと彼の地で受け入れられるが、あくまでも傍流として。
フランスのシュールリアリズム時代の写真家と同列の評価ではないだろう。
オリジナリティーこそ、高く評価されるべき。
それを真似し、更に改良して派生した作品なら、
よほどのことがないと、評価は下がるのは当然だろう。
物体/存在が どう見えるかは、
それをどのように観察したかに依存する。
観察するのは、人。そこがこの芸術運動の出発点だった。
写真家が、「いいと思ったら、がっと寄って、ぱっと撮る。」などの講釈を垂れる。
写真家なのだから、ありがたい教えに違いないと・・・思いたいが、
写真家て知性的?なのだろうかと 時に訝しく思う。
何のことかわかっていないのに、やたら専門的な言葉を使い、人を煙まく人のことを、
英語ではfruitlooperyと呼ぶ。
部外者には不明の仲間内の言葉を連ねて、写真を語る。
写真雑誌に載った写真評論を読むが、小生には何のことか わからない。
断片的な警句をちりばめれば それで評論が完成だろうかと思ってしまう。
いい評論、適切な評論が、写真表現を広げるためには必要だが・・・・
文芸批評家の小林秀雄のような人、
写真評論に現れないかなぁ・・・と思うのは、小生が歳を取りすぎたせいかも。
写真は ネットに現れ、泡のように消え、一時的なもの。コミュニケーションの手段、道具に過ぎない。
もう、アンドレ・ブルトンのような人が、でてくるような文化基盤は ここにはないのかも。
でも、見ることの不確かさは、依然としてのこる。
スマホで ちょこっと簡単に撮っても、
物体/存在が どう見えるかは、それをどのように観察したかに依存する。
カメラは それを記録する。
デジタルで撮ろうが、フィルムで撮ろうが それはいい。
も少し、観察し、考えること しないのかなぁと思う。

見て観察し、撮影する。
観察した手段が異なれば、違って見える。

人の眼をひく写真を撮りさえすればそれでいい。
インスタ映えする写真とれればいい。
それが、現在の写真術かも。
かつて(フランスの写真家達)は、感性、理性、知性で 写真を撮っていた。
今だって、深く思考し、対象を見定め、注意深く観察し 写真を撮るプロ写真はいる。
それは、ごく少数だが・・・確かにいる。
写真は その人の知性まで さらけ出してしまう。
フランスの写真家、カルチェブレッソンは、第2次世界大戦のとき、
フランスの地下組織(レジスタント)の一員として 命を賭して、ナチスドイツと戦った。
ドイツの人物写真家 アウグスト・サンダーの写真集「時代の顔、Antlitz der Zeit」は
ナチス政権下 押収、原版は破壊されたという。
写真家がレジスタンスとなり、
あるいはその写真が時の政権にNoを突きつけ、迫害された写真家、日本にいただろうか?
(いないわけもないだろう・・・とは思いたいけど)
戦後 日本は世界最大のカメラ生産国になった。
フィルムカメラも デジタルカメラも 日本が一番。
でも それは生産の中心であって、写真表現の中心にはなれなかった。
プロの写真家は多いが、写真表現では後進国ではないかと 感じている。
知性、志、覚悟はどうだろう?
いま また写真表現の手段が、
iPhoeなどのカメラ付電話 即ち、スマホに変わってきた。
(スマホの生産は、韓国や中国に移っている。 最早、カメラの生産の中心ではないのかも知れません。)
手段が違えば、見えてくるものは 違う(はず)。
日本の写真の撮り手(プロ)は、それを どう捉えているのだろう?
- 2019/06/27(木) 19:39:32|
- 水辺の光景
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アロエ・フェニックスやカルダンの、一番怪しい季節には まだ至っていない。
おそらく 何度か通えば、この薬草園に、また別の「怪しい植物」も出現するだろう。
龍舌蘭は その「怪しい季節」に達している。
その期間は、おそらく2年間の長期に及ぶ。
朽ちて、その奇怪な姿を変え、土に戻っていく。
それを見届ける覚悟があり、
撮り続ける気力があれば、記録することはできる。

しかし、このすごい存在感を 果たして記録し、表現できるかどうか・・・それが問題だ。
どう撮影し、いかに現像、そしてプリントするか、
写真を撮る人の 力量、センス、覚悟、知性などが 試されているのだろうなぁ。
- 2019/06/25(火) 09:58:12|
- 黒い花 怪しい花
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候補の選らんだ 「カルダン」と書かれた札に植えてあった植物
アンティチョーク? 朝鮮アザミ? 葉の形状も面白い。
持参したデジタルカメラで、候補として記録写真に収める。

レタッチ・ソフトで エッジ虹彩処理後、白黒画像に変換してから、アートフィルターのソラリゼーション処理。
画像全体を少し暗くなるよう濃度を調整し、画像を作った。

撮影に1分、画像処理に20分くらいかかったが、かなり効率的に作業することができた。
アロエ・フェニックスで試行錯誤し画像を作った経験が生きている。
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古いレンジファインダー式カメラ、マミヤプレスを持ち込み、
候補の植物「カルダン」を撮ってみた。
同じ区画に 2株あったので 同じ植物だろうと,
撮影してみたが・・・・よく見ると違っている。
これがアンティチュークかも。不明なら、聞くのが一番。
次回の撮影時、聞いてみるつもり。

マミヤプレスは古いカメラ、操作性はよくない。
撮影の準備に手間が掛かり、しかも煩雑。
一つ間違えると、出来損ないのネガになる。
その緊張感がいいのだろう。
このカットの撮影に20分近く掛かった。
慣れれば10分くらいまで短くできる思うが、
物忘れが良くなっているので、
なかなか学習効果を発揮できていない。
現像は(Ⅰ)液を使ったソラリゼーション現像でネガを作った。
ネガにするまで かなりの時間と手間がかかる。
・・・・デジタルの画像を比較すると インパクトに欠けている。
NEX-5のデジタル写真は、1600万画素だが、
デジタル化したフィルム写真の画素数は6000万画素以上になる。
画質はフィルムのほうが上なのに、写真として ちょっと見、見栄えのいいのはデジタル。
普通の健全な精神の持ち主なら、なんでわざわざフィルムカメラを使うのかと訝しく思うところだろう。
それでもあえて抗弁すれば、
作られたキャッチーな写真が好きか、
ストレートフォトが好きか、
虚と実の不思議に融合した写真が好きか、は個人の選択による。
写真は、見る人の感性、知性、好み、見識によって選ばれる。
記憶に残るか、消えていくか、何かインスパイヤーされるか・・・
デジタル写真であれ、フィルム写真であれ、
写真を選択するとは、同時に その人の感性、知性、見識も 試されているということだろう。
「だめもと」でかまわない。
フィルムで「怪しい植物」撮ってみたいと思っている。
- 2019/06/24(月) 12:10:47|
- 黒い花 怪しい花
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星薬科大学の薬草園で「怪しい植物」の候補選びをしていたとき撮影した候補の一つ、アロエ・フェニックス。

アロエの葉に比べ確かに大きいが、そのまま撮るだけでは、怪奇さは感じない。ごく普通の印象。

色の情報を削除、モノトーン画像にする。
しかし、これでも怪しさは出ない。

レタッチソフトのアート・フィルターからソラリゼーションフィルターを選び、画像を変換する。
エッジが立ち輪郭がでる。
トーンの調子も少し変化する。
ちょっ怪奇さが出てくる。
古いレタッチソフトなので、パラメーターの設定はできない。
おそらく最新のバージョンなら、パラメーターを変え、画像をもっと「怪しげに」盛ることができるだろう。

カラー画像を白黒変換してからソラリゼーション・フィルターを使ったので、
おとなしい画像になったのだろうと、
元のカラー画像を、アート・フィルターのエッジ虹彩フィルターで一度エッジを強調した画像に変換した。
そして、そのカラー画像から色成分を削除してモノトーン画像に変換、
更に同様にソラリゼーション変換してみた。
画像は、いままで見たことない、奇怪な姿に変換されていた。
凄すぎる。とてもフィルム写真で作れる画像ではない。
確かに デジタル・カメラと優秀なレタッチソフトがあれば、
フィルムでは不可能だった画像を作ることができる。
写真表現の範囲が広がったことは確かだ。
デジタル・カメラと 優秀な最新のレタッチソフトがありさえすれば、
それで鬼に金棒という気になってしまう。
レタッチソフトで 画像を盛れば盛るほど、写真表現は広がっていくが・・・・・
画像を見て「いいな」「面白い」「きれいだ」と評価しても、次の瞬間、当たり前の画像だったと、記憶から消える。
できて当たり前、誰でもできるさ・・・・という気分。
これでは、写真表現の範囲が広がり、写真が益々面白いものになっていく・・・という保証にはならない。
人は簡単にできてしまうことにリスペクト(尊敬の念)しないし、
誰でもできることをしていると思うと、達成感をあまり感じなくなる。
むしろ写真表現は類型化し、衰退していくのではないかという危惧を抱いている。
同じアロエを フィルムで撮影、古典的なソラリゼーション現像でネガを作ってみた。
その写真。

フィルムの現像は一発勝負、覆水盆に返らず。
もし、これで満足できなかったら、再度 撮影し、現像条件を変えて、現像を繰り返す。
厄介で 非効率、写真表現の幅も狭い。
レタッチソフトのようには画像盛ることできない。
いいところは少ないが、しかし、できたときの達成感はある。
デジタル写真時代、確かに画像の質は高くなった。
時には森山大道を真似た すごい画像を見る。
あるいは プロが撮ったような綺麗な風景写真も見る。
しかし、写真そのものは、類型化してはいまいか?
「先人」、「先生」を真似た写真が氾濫している。
写真表現が個性的であること、それ必要?
仲間に見せることを優先するなら、伝わることが先決。
綺麗なものは 綺麗に写ればそれでいい。
個性的な写真になってしまうと、かえってコミュニケーションの障害になる。
「なに この人 気取っているの?」と顰蹙を買うかも。
没個性のほうが、情報は伝わりやすい。
個性的な写真、必要ないとしたら、
「Creative」な写真とは一体何?
考え込まざるを得ない。
- 2019/06/23(日) 10:20:47|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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笹崎正明氏の写真展「白と黒の虚像」が、
新宿 御苑近くにあるアイデム・フォトギャラリー「シリウス」で開かれていた。
以前、ピンホールカメラで撮った展示会を見たことがある。
今度はどんなピンホール写真だろうと 期待して観に行った。
残念ながら ピンホール写真は もう撮っていないとのこと。
昔のビューカメラを改良し、フィルムホルダーを付けて撮影したものだった。
120(ブローニー)フィルムと4×5のフォーマットで撮影していた。
今回は全て赤外線写真とのこと。
使っている古いレンズには、赤外線補正マークはついていない。
補正量を割り出すのに 少し苦労したという。
作品を、半切あるいは全紙大に伸ばしていた。
大変な力作だし・・・・・金かかっているなぁ・・・と嘆息。
しかし、いつか自分もという気にはなれない。
足もとが覚束なくなり、「散歩でカメラ」を断念するようになったら、暗室を整備して、
今まで撮ったネガの中から、これならと思う画像を選び 四つ切印画紙に焼付けようと思っている。
それが 望み。
個展を開こうという気持ちはない。(だから いい写真が撮れないとも 言えるけど)
笹崎正明氏は、古い組み立て式ビューカメラでを手に入れ、
自分の用途に合わせ改良し、撮影し、暗室に篭り、フィルムを現像、そして印画紙に焼き付けている。
馬力あるなぁ・・・・すごいの一言。
大きなフォーマットの綺麗な写真を見せられたあと、
新宿東口付近を彷徨、肩から提げていたカメラで 久しぶりに新宿をスナップ。




今回の撮影では赤外線フィルム(Rillei赤外400)を使い、フィルターはR76を使っているという。
晴れた天気で 露光はf:11で8秒とか言っていた。
三脚は必需品。
それでは このようなスナップは無理だろう。
一台で何でも撮れるという万能カメラは 存在しない。
何を撮りたいかでカメラを選ぶべき。
その選択肢は多いほどいいが、
(万能に近い)デジタルカメラにその選択肢は 残されているだろうか?
古いビューカメラは、カメラの基本要素だけで できている。
カメラは道具、使うのは人間。
自分好みに改良して使うことは許されている。
今のデジタルカメラは果たして道具だろうか?と訝しく感じるときもある。
デジタルカメラを分解し、使い勝手がいいように改造するなど とても無理。
デジタル・カメラの保守・管理は専門の人に、お願いせざるを得ない。
マニュアルに記載されている性能と機能の範囲内が使用条件(規則)となる。
そのデジタルカメラを、マニュアル片手に操作する。
デジタルカメラは、単なる道具ではなく、最先端の科学機器になったのでしょう。
- 2019/06/22(土) 10:05:31|
- 都会の景観 Tokyo
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写真のほとんどは、散歩しながら撮ったもの。
被写体は ごく近所、散歩コースで見たものに限られる。
何でも 気になったものは撮ります・・・という視点(スタンス)より、
面白いと思う/感じるものを発見すると、これは何?
どう撮ったらいいかと 昏惑し、つぎに、その昏惑を 楽しんでしまう。
単に 散歩にカメラなのに、そのつど被写体の捕らえ方は変わり、振れ幅はかなり大きいと思う。
大井町や五反田の繁華街で 街撮りしたり、
散歩コースを歩きながら 風景写真を撮ったり、
路傍の石仏、花の接写、これはと思ったものに集中し、撮影のスタンスを変えて撮ってしまう。
このあたりが 小生の弱点なのだろう。
散歩でカメラなのに、被写体がころころと変わる。
安定感はない。見る人に安心感を与えないと思う。
踊りの写真を見たかったら、○○さんのブログだろう。
美しい風景なら××さん。
街撮りなら~~さん。
可愛いキャンペンガールなら △△さん。
そのサイトに入れば、期待どうりの写真をみることができる。
テーマがはっきりしている・・・・それが写真を撮る基本かも。
とすると・・・・小生の写真は定型のない駄目写真なんだろうなぁ。
安定感も安心感もない。
林試の森を散歩したとき 撮った写真。




林試の森の雰囲気を撮りたいと思ったので、人影を入れないようフレーミング。
「怪しい花」とはガッラと違うトーンにしている。
オーソドックスなトーンの豊かなネガになるよう撮影し、やや軟調な現像液で現像した。
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植田正治氏は 鳥取の砂丘を写場として 植田調と称される写真を撮り続けた。
森山大道は 繁華街を写場とし、白黒のざっらとした対比の美しい写真を撮り続けるている。
どういう場所で どういう被写体を、どういう風にフレーミングし、どのようなトーンでまとめるかがポイントだろう。
テーマ、撮る場所、トーンは一定で 今までになかった視点の作品群。
独自な写真表現の発見と実行ができたとき、初めてすごい写真(家)となる。
カメラの進歩で 綺麗な写真、うまい瞬間を撮った写真は、巷に溢れている。
単に うまい瞬間を捉えた写真、美しい風景を撮った写真では、
同じようなもの見たことあるなぁと、一歩引いてみてしまう。
もの真似レベルだろう・・・・と。
真似写真など撮りたくないという願望はあるけど・・・
定型もなく、漂うように 写真を撮っているので、
新しい写真表現の発見など とても無理だろう。
フィルムを換え、現像液を換え、写真のトーンは一定しない。
だめなわけだと わかっている。
それでも、(トーンは不安定、滅茶苦茶でも) 写真は撮っていくつもり。
最後に残された手慰みだから。
- 2019/06/20(木) 11:04:02|
- 散歩
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去年 夏、星薬科大学の薬草園にリュウゼツランが咲いたのを新聞記事で知った。
早速、それを撮りに行ったことを思い出す。

星薬の薬草園なら、見慣れない植物がある。
もし、怪しい花を撮りたかったら、薬草園も候補だろう。
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デジタルカメラを片手に、薬草園へ候補探しの散歩に出た。
リュウゼツランは花を咲かせるとすぐに枯れてしまう。

今は 枯れた茎を掘り出し、近くの場所に展示してあった。
このまま 朽ちるのに任せるが、あと2年くらいは このまま ここに展示されることになるだろうと言う。
見慣れない不気味さがある。
あと 2年!は撮影できる。
リュウゼツランの、この存在感、どのように写真で表現できるだろう?・・・と思うと、闘志が湧く。
4日後、マミヤプレスを運び、撮影してみた。

リュウゼツランに感じた存在感を 撮れたかというと 今一、不完全燃焼の状態でいる。
こんなトーンではない。
ならばどうする?
フィルムを換えてもいいし、フィルターを換えてもいい。
ベストなトーンを得るためには、露光レベルも重要なファクター(自動露光が 必ずしもベストな露光というわけではない)
硬調な現像液を選ぶか、軟調な現像液を使用するか。
二段現像でトーンの調子を変えてもいい。
ソラリゼーション現像も 選択肢に入る。
ネガを作るときの選択肢は多い。
さて、どうすべきかと・・・・悩む。
フィルムの現像は一発勝負、不可逆です、デジタルのRAW現像とは まったく違うもの。
こうは撮れないかと想像し、考え、悩む。
もし、デジタルカメラで撮るとしたら、どんな撮り方があるのだろう?
デジタルでしか表現できない方法となると・・・・
HCB&W(ハイコントラスト)モード、
あるいは複数枚の画像を合わせ一つの画像を作るHDR(ハイダイナミックレンジ)法がある。
(Sony NEX-5では 撮影モードをHDRにすると、自動で3枚 露光を変え撮影、それを すぐに一枚のHDR画像にカメラ内で変換してくれる機能があった。)
あるいは、レタッチソフトを駆使し、画像を変換、あるいは、レタッチソフトのアートフィルターを使い、画像変換することなど、
多彩な方法が用意されている。
でも それは 自分が(苦労して)開発したものではない。
カメラに助けられ、お仕着せの(レタッチソフト)方法で、作ってしまった(できてしまった)感が強い。
このリュウゼツランの存在感を、デジタルで表現するとしたら どんな写真ができるのだろうか?
レタッチソフトだって 習熟するためには 長い期間がかかるのだろうが、
しかし、デジタルカメラ・初心者の小生には、その方法が思いつかない。
デジタル写真はインターネットに流したら、それで終わり・・・・
それなら 写真を撮るカメラはiPhoneがベストだろう。
朽ちるまで2年ある。
一度 デジタルカメラで、リュウゼツラン 撮ってみるのもいいかも。
デジタルカメラで リュウゼツランの存在感に どれだけ迫れるだろう。
これもチャレンジ。
フィルムとデジタルで 撮ってみることにした。
- 2019/06/18(火) 18:04:58|
- 黒い花 怪しい花
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ピントを合わせるのが難しい。
構図が掴めない。
露光を失敗したようだ。

どう撮ったらいいか、考慮中。
次回は もう少しまともな写真を撮る/いや撮りたい。
- 2019/06/17(月) 16:03:00|
- 映し出された世界
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見たものを記録しておきたいという欲求はある。
それが写真を撮る一番の動機。
その願望を かなえてくれる道具として、カメラが発明された。
絵描き(画家)に肖像画を 描いてもらうには 財力が必要、
写真ならば、庶民でも(すこし奮発すれば)街の写真館で ポートレートを残すことができる。
異国を旅するのは夢だが、異国で撮影した絵葉書なら 手に届く。
それが 初期のカメラの用途だった。
カメラの値段が下がってくると、
アマチュア・素人の手にも握られるようになる。
家族の写真がアルバムとなって 棚に並ぶようになる。
多くの人に受け入れられる万人向けのカメラは
時代時代ごと開発されてきた。
バッグやポケットに携帯電話・スマホ(Phone-Camera)のある時代になった。
撮りたいときに、取り出し、すぐ撮ればいい。
接写にも強いし、暗い場所でも かなりよく撮れる。
目をパッチリとさせ、肌を滑らかに写してくれる機種もあるという。
望遠と広角のレンズを持つ機種もあるらしい。
自分のポートレートを撮るなら、コンパクトデジカメより簡単らしい。
今 一番 受け入れられているカメラは Phone-Camera。
でも 万人カメラが、万能カメラとはならない。
人それぞれ、同じ人でも、何を撮りたいか 場面場面で違っているから。
カメラ好き(写真オタク)は、何をどう撮りたいかで、カメラを選ぶ。
その選択肢が デジタル一眼(ミラーレス)であってもいいし、スマホであってももいい。
35mmのフィルムカメラであっても、
4×5(しのご)、8×10(エイトバイテン)などの大きなフォーマットのフィルムカメラであってもいい。
只それだけだろう。
長年使い、手に馴染んだカメラでもいいだろうと、この頃は開き直っている。

お決まりの、馴染んだ散歩コースで、性懲りもなく 写真を撮る。

フィルムの無駄・・・とは 少しも思わない。
Nikon SPとNikkor 50mmレンズ、もう50年以上(53年?)の付き合いになる。
古いカメラは 古いだけに 写真表現できる範囲は 狭くなるけど、
カメラが手に馴染んだか、手がカメラに馴染んだか、
使い心地はいい。
- 2019/06/16(日) 11:49:38|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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見慣れた写真。
Acros100フィルムを、普通に現像してみました。

標準レンズ(100mm)を付けたときの最短撮影距離は1m。
それでは 花を大きく撮れない。
延長(接写)リングをつけ、被写体まで20cmくらいまで近づいて撮影。
倍率は0.8倍くらい。フィルムの幅は56mmなので 花の径は4cmくらいでしょう。
接写しているので 絞りはなるべく絞りたい。
でも そうすると、露光時間は15秒を越えてしまう。(接写による露光倍率は ×3程度と推察)
長時間露光では、風にゆれてはっきり撮れない。
ストロボを焚いて 花を止めてみた。

多重露光防止の仕組みのないカメラなので、3回シャッターを切って多重露光した。
レンズシャッターなので、全てのシャッター速度で同調します。
最高速の1/500秒として 3回ストロボを焚いてみました。
失敗するも うまくいくのも 使う人任せ・・・・・だから 失敗しても面白いと 思わざるをえない。
次こそ 撮れるだろう。
- 2019/06/15(土) 16:00:48|
- 樹、草、花
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咲き誇る花に出会う。

「あ!綺麗 可愛い」と、iPhone(スマホ)を取り出し、接写する。
それを、すぐにインターネットにアップし、友たちに見せる。
これが 今の撮影術かも。
短時間に簡単に撮れ、その中から 一番綺麗に取れたものを選び、友に送る。
いい構図、いい光の状態で 撮られた美しい写真を見れば、
すぐにそれを真似て撮る。(そのくらい スマホは進歩している)、
かくして、同じように美しい花の写真が再生産される。
美しい写真がインターネット上に氾濫すると、
感覚は麻痺し、こんなものかと 思ってしまう。
却って、ちゃんと花を見ていないのでは、と危惧するのは、老人の杞憂だろうか?
写真の主流は インターネットにつながったスマホになったのだろう。
量販店の店頭からコンパクトデジカメ(コンデジ)は消えている。
デジタル一眼(ミラーレスを含め)の販売も減ってきているという。
(西大井のニコンの工場跡は、それを象徴的にあらわしてる。時代はスマホだ!!)
写真の役割が、変わってきたということなのだろう。
インターネット上に載った画像(写真)は、コミュニケーションのためのもの。
その画像を「しげしげ」と見て、画像そのものを鑑賞するものではない。
綺麗に写っていればそれでいい。
~~へ行き、たまたま立寄ったレストランで こんなおいしい料理を食べましたとインターネットに流す。
その情報は、見てくれる人とのコミュニケーションツールとなる。同意や賞賛、「いいね」を期待して。
白黒のフィルムで撮影した画像は、すぐにインターネットに流す芸当はできない。
それに、白黒フィルムでは、色の情報はなくなっている。
むしろ 美しいというより 気味悪いトーンになることもある。
白黒フィルムで撮ることは、流行に棹さし、コミュニケーションを一時とめる。
「よく見てみろ」と 嫌味を言うようなもの。
写真の質など たいした関心事にはならないのだろうなぁ。
Skilled Photoは また別の村をつくって、その狭い空間に 閉じ込められていくのかも。
広告写真や、ウエディング・フォトの需要は なくなることないので、
プロが使う高級デジタルカメラ(ミラーレスになるかも)は今後も生産される。
一部コアな写真愛好家は、それを使わざるを得なくなる。
デジタル一眼カメラ(ミラーレスも含め)は 物好き(写真おたく)の玩具になっていくのかも。
- 2019/06/13(木) 18:27:32|
- 黒い花 怪しい花
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ソラリゼーション現像をコントロールし 弱く処理してできたネガの一コマから、
フィルム・スキャナーを使い、画像をネガとして、またポジとしてPCに取り込んでみた。
通常の現像したネガをポジフィルムとしてPCに取り込んだら、
白黒が逆転したネガ画像になるので、違和感があり、すぐに判別できる。
しかし・・・・弱くソラリゼーション現像しているので、トーンには虚と実が混在する。

バックの布は黒。
弱くソラリゼーションをかけているだけなので、一見 普通のトーンに見える。

レタッチソフトのレベルを選び、画像全体を明るくする。
黒のバックが明るい灰色になった。
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ポジ画像として取り込む。

明るいハイキー調の写真になる。

レベルを補正し、全体を暗く焼きこむ。
一つのネガから 4つのトーンを出してみたが、
みなキャベツの写真になる。
しかし、トーンはみな異なっている。
やはり、「ネガは作曲、プリントは演奏。」 だろう。
ネガも重要、プリントも重要。
カメラを替えたところで、レンズを替えたところで、
これだけのトーンのバリエーション、出せるはずもない。
プリントは演奏。他人任せにはできないと思う。
デジタルになって 誰もが簡単に演奏できるようになる。
明るい暗室とプリンターは革命的。
デジタルになって、よかった点だろう。
- 2019/06/11(火) 12:48:17|
- 写真の技法
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「ネガは作曲、プリントは演奏。」
まだ、誰もが気軽に写真を撮ることができない昔、
放蕩息子がカメラを玩具代わりに遊んでいたころの言葉かも知れない。
写真を撮る人は、暗室でフィルムを現像し、ネガを作り、それを印画紙にプリントしていた。
浮世絵に喩えるなら、絵師、彫師、摺師の三役を、一人で演じたことになる。
ところが、映像の役割が拡大するに従い、分業化が進み、
現像やプリントは街の写真屋、プロラボなどに頼むようになる。
フィルム・カメラを持った人は、撮影に専念すればいい。
あとは、ラボ(写真屋)にお任せで写真(作品)が完成する。
フィルムカメラを持った人に 唯一残された範囲は、
人の気の引くキャッチーな場面を探すこと。
そして、それを記録(シャッターを押す)すること。
撮影したあとの大事な部分、
「ネガは作曲、プリントは演奏。」
という考えは薄れてしまった。・・・・写真を「撮る、撮った」という感動は 暗室にあったのかも知れない。
失ったものは大きいように思う。
ニコンF(1966年?東京オリンピックの次の年だっかた?)を手に入れてから、
白黒フィルムの現像、印画紙への焼付けは 全て行なってきたので、
現像・焼付けは、ごく当たり前の操作、それが格段楽しいこととは感じなかったが、
改めて 現像液や現像法を 工夫してみると、やはり面白い。

ソラリゼーション現像で、トーンが逆転する少し前で終了したネガから起こした写真。

ソラリゼーション現像を 弱くかけた段階で現像を終了したネガから起こした写真。
ソラリゼーション現像しなくてもいいし、進めてトーンを逆転させてもいい。
どこまでにするかは、作品を作る人に任される。
撮影から最後のプリントまで行なうと、
写真を撮った人の、覚悟・ものの見方・感性・知性・品格が出てしまう。
それが、写真。
そこにデジタルカメラが登場する。
技術の進歩。
明るい暗室を使えば・・・・
絵師、彫師、摺師の三役を、一人でこなせる。
人の手を借りなくとも、撮影からプリントまで一人でできるようになった。
現像・プリントまで その人の流儀で行なえるというのは
作品の良し・悪しは 全て撮った人にかかっている。
誰もが、その気になれば 簡単に(放蕩息子でなくとも)できるとは、
いい時代になったとおもう。
だからこそ、写真に撮った人の、覚悟・ものの見方・感性・知性・品格が 前面に出てくるはず。
しかし、金太郎飴のようなデジタル・フォトが、多いのはなぜ?
今はまだフィルムとデジタルの過渡期なのでしょう。
これから、デジタルの新しい展開があるのだろうと、期待している。
(フィルム写真の真似は避けて欲しいなぁ)
- 2019/06/10(月) 15:30:20|
- 黒い花 怪しい花
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5月中旬 撮影した「むさしあぶみ」に再挑戦。
白金・自然教育園へ 重いマミヤプレスを持って出かけた。
前回 使用したフィルムはパンクロのAcros100フィルム。、
今回はRollei赤外400フィルムを フィルムホルダーに入れている。
普通のフィルムとして使うなら、ISO:400として使えるが、
赤外線フィルターを付けると、ISO感度はよくわからなくなる。
快晴の天気で順光で撮るときは 5~6絞り開けてとれば、ほぼ適正なネガ濃度になる。
露光計を使うなら ISO=12.5 あるいは ISO:6.25(こんな設定あるか知らないが・・・)にセットして撮ることになる。
赤外線は 目に見えない。判断は 場数を踏むより致し方なし。
4絞りでいい場合もあれば、8絞りくらい開けないとだめなこともあり、まだ露光に関しては不安がある。

昔のレンズは、ナトリウムランプのD線の波長で レンズの設計が成されていたと思う。
そこで、可視光ではピントはでても、赤外線の屈折率は低いので、ピントは後ピンになってしまう。
そのため赤外線フィルターを付けた場合には、距離補正をしないと ピンボケ写真になる。

今のレンズは、カラー対応 光学計算の発展で、RGBの光に対し、なるべく一様にピントがくるよう設計できているのだろう。
硝剤の種類も豊富になり、白黒フィルム時代のレンズより、補正する量は減っている。
マミヤプレスの交換レンズを調べたところ、赤外線補正マークは 全て開放絞り内に収まっていた。
それでも ピントがでるかどうか ちょっと心配。
林の中の木漏れ日で 赤外線フィルムを赤外線フィルターを使用し撮影した経験は ごくわずか。
露光に関しては・・・自信がなかった。
全部失敗したかも・・・と心配したが、
どうにか一本、8カット全て プリント可能のネガになっていた。
ピントも合っていたので、一安心。
つぎは いよいよ撮影かなぁ。
最適な木漏れを探し、どう切り取る(フレーミングする)かだろう。
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Rollei赤外400は 以前使っていたRetro赤外400と同じものと 推定している。
Retro赤外400の現像特性は、Retro400Sと同じなので、
Retro400S用に開発した現像法を全て使うことができる。
今回は(Ⅰ)現像液を使用し、Retro400Sと同じ条件で現像した。
Retro400Sは (Ⅳo)(Ⅳa)などの硬調現像液で現像するとまた違ったトーンになるし、
(Ⅵ)で軟調に現像しても面白い。
(Ⅵ)+(Ⅱ)の二段現像も使える。
面白いからと、試している内に、今回購入したフィルム全部使ってしまうかも・・・・それも懐には痛いなぁ。
- 2019/06/09(日) 11:06:55|
- 黒い花 怪しい花
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同じ「つわぶき」でも どう撮るか工夫すれば トーンの違ったネガができる。
違ったトーンのネガを作ってみたいと、
立ち止まり、考え、工夫していることは、単なる技術的なことがらに過ぎない。
技術は進歩する。
昔はプロか高級アマチュアしか撮れなかった/試みなかった 花の接写が、今は、簡単に撮れるようになった。
技術の進歩だろう。
その進歩を享受し、最適なカメラを手に入れれば、それで解決するだろうに、なにをわざわざという気はある。
まぁ 性分だから仕方ない。
もともと「黒い花、怪しい花」を撮ってみたい気持ちはあった。
35mmフィルムのカメラで撮るつもりで、花にカメラを向けていたが、
マミヤプレスに出会い、改めて、このカメラで「怪しい植物」を撮ってみたいと思うようになった。
古く使いにくいカメラだが、使いこなせなければ 出発点にも立てない。
工夫あるのみ、まずは練習。
マミヤプレスの限界まで引き出したい。
フィルター効果の違いを確認。

普通の蕗に比べ、つわぶきは表面に光沢があり、肉厚だ。
UV(あるいはフィルターなし)のほうが 実際の印象に近い。

R2フィルター(赤)を通して撮影すると、光沢は消え、葉脈が明るくなり、葉の肉厚感は少なくなる。
この効果の差を、写真表現として、どう生かせるか?
そこが、最大の課題だろう。
でも技術がなければ、議論にも課題にも表現にも 繋がらないのはたしか。
こんなテストを繰り返しながら、自分で自分を鍛えていく、
そんな過程を 踏める/楽しめる のもフィルム写真だからだろう。
- 2019/06/08(土) 10:08:27|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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戦前の話、もう80年くらい前のことだが、
アンセル・アダムスは「ゾーン現像」という手法を考案する。
ゾーン現像では だめだという人もいるが、
撮影から現像、そしてプリントまで、ゾーンという概念を駆使し、
写真のトーンを調整する方法は、その後の写真に大きな影響を与えたと思う。
ネガは作曲、プリントは演奏。
写真は最終的にはプリント(演奏)で完成する。
ネガを作るまでが一仕事、それをプリントに仕上げるのもまた一仕事。
45年ほど前、氏のオリジナルプリントを 美術館で見たことがあった。
丁寧にプリントされた一枚の写真に感動し、見入ったことがあった。
(ある意味 打ちのめされていた。己の技能を棚に上げ、手にしていたNikon Fに悪態をつく。これでは撮れない。)
どのようなトーンのネガを作るかが最初のステップ。
被写体(何を撮りたいか)に応じ、フィルムを選び、フィルターを選び、カメラを選ぶ。
目的にあった露光(適正露光)で被写体を撮影。
現像液を選び(硬調、軟調、微粒子・・・・)、現像法(二液、希釈、ソラリゼーション・・・)を選び、現像しネガを作る。
マミヤプレスは着脱できるフィルムホルダーを使う。
違った種類のフィルムをフィルムホルダーに入れておけば、交換し使うことができる。
大崎の「つわぶき」を撮影したときは 2つのホルダーを持っていき、同じフィルムで撮影した。
それを 現像法だけ変えて 現像してみた。

(Ⅰ)現像液を使い、通常の標準現像を行なった。

フィルム、フィルター、露光は まったく同じ、フィルムホルダーを交換し、同じフレーミングで撮影。
それを(Ⅰ)現像液を使用して、弱めの「ソラリゼーション現像」を施した。
同じものを、同じフィルム、同じ条件で撮っても、現像法を変えれば、また違ったトーンになる。
それが、表現したいものに近づいているかどうかを判断するのは 小生(表現者)なのだろう。
これは絵画のデッサンのようなもの、試行錯誤しながら 自分で正解と思うものを探すだけだろう。
遍界かつて隠さず(遍界不曾蔵)
何も隠しているわけでもないのに、
そっぽをむいて、見ようとしない。
カメラを抱え、キャッチーな処を求め右往左往。
見たいところだけ探し、見栄えを優先し
あるいは見栄えを演出して写真に撮る。
綺麗な花を撮った写真は多い。、
しかし、美しい花の写真が多いだけで、写真(そのもの)が美しいという写真には なかなかお目にかかれない。
ああ綺麗な花だなぁとは思え、(また 同じか・・・と)印象に残らず、写真そのものは すぐに忘れる。
もし、写真が美しいなら、花ではなく写真を覚えている。
そして、「~~の花を撮ったあの写真」が 忘れられないと言うだろう。
怪しい植物を撮ってみたいという気持ちはある。
「写真」(Photograph)そのものに拘りたいから。
- 2019/06/07(金) 12:07:54|
- 黒い花 怪しい花
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これも候補の一つだろう。

新しいビジネス棟が整備されると、その周りには庭ができ、面白い植物が植えられる。
これは大崎駅に隣接してできたThink Park棟の庭にある「ツワブキ」の葉。
これまでも植物の写真は撮ってきた。
怪しい植物となると候補は、
キャベツ、八つ手、ひまわり(向日葵)、桜、さるすべり(百日紅)、しゃくなげ、いも科の葉?(むさしあぶみ)・・・・と決めていたが、
まだまだ、探せば候補にすべき植物が見つかると思う。
そう思えば、また楽しい。写真を撮る動機にはなる。
- 2019/06/05(水) 12:21:52|
- 黒い花 怪しい花
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通勤・通学の時間帯なら歩く人もいるが、メーンの道路から外れている。
昼間などほとんど人影はない。
道路に長く伸びた影や、家の外装に落ちる影を発見すると、シャッターを切る。
陰影のはっきりしたモノトーン写真を作る人には多い。
(デジタルになって多くなった。フィルムで撮る人はあまりやらないと思う)

レタッチ・ソフトを駆使し、白黒のコントラストを効かせ、中間のトーンを縮減する。
すると、見慣れない光景(異界)が出現する。
キャッチーだ。
なにか自己主張しているようにも思える。
しかし、同じ作者の作品を何枚か並べ、読み解いていくと、
単に「目立ちたいがため」作った写真なのか、
その人の内的な必然からでた写真表現なのか、わかってくる。
写真には、時として撮った人の品性・品格まで出てしまうことがある。
恐ろしいことだと思う。
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デジタル・レタッチソフトのアート・フィルターなどを使って「作った」ものではありません。
単に 現像法を微調整しているとき、たまたまできたネガから ストレートに写真を作ったまで。
自己主張を意図したものでないし、
これが「(私の)心象風景」だなどと言うつもりもない。
こんな写真もできるなぁと 思っただけ。
他意はありません。
- 2019/06/04(火) 17:16:01|
- Silent City
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撮影メモを紛失、撮影日時、撮影条件は不明だが、
前後の関係から、5月上旬に撮ったもの。
天候は不順、時折薄日が射したり、小雨が降ったりしていた。

陽は西に傾いていた。
一瞬、雲の切れ目から弱く光が射す。

しばらくすると、小雨がぱらつきだす。
写真を撮るような条件でない。
この2カットだけ撮って、帰宅した。
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軟調現像液(Ⅵ)と硬調現像液(Ⅳz)の二つの現像液を使用し、二段現像でネガを作った。
この現像法なら、白飽和させず、黒潰れも起きないネガができるのではと試しているところ。
白黒フィルムで撮影し、自家現像している人には 少しは参考になると思いますが、
デジタルで撮影する人には、無意味な情報ですね。
- 2019/06/03(月) 11:27:13|
- 都会の景観 Tokyo
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まだ もう少しの期間 赤いツツジが咲いていると思う。
練習を兼ねて、撮影。
マミヤプレスのカメラに習熟することが 今年のテーマ。

簡単に、思ったよう撮れるのだったら、趣味にはならない。
毎日が日曜。
これは 小生に残された最後の趣味。
寿命は乏しくなったが、時間はある。
道具を使いこなせるよう徹底的な練習あるのみ。

このマミヤプレスで、「怪しい植物」を捉えてみたいと考えている。
デジタルではなく、マミヤプレスで、趣味ですから・・・・
- 2019/06/01(土) 17:55:41|
- 黒い花 怪しい花
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