近所の戸越公園に 今咲いているツツジ。
季節からすると ツツジではなくサツキかも・・・・
植物、花に詳しくないので、
どうなんでしょう?判別できません。

赤い花を黒く撮る。
それだけならフィルムの選定とフィルター・ワークでどうにかなりそうだが、
このトーンを作るとなると、それなりに工夫が必要。
晴れたので、
午後はまたツツジ(サツキか?)の撮影に再チャレンジする予定。
老人閑居、ひま人です。
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- 2019/05/30(木) 11:42:16|
- 黒い花 怪しい花
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今、戸越公園に咲いているツツジ。
小さな赤い花弁なのでキリシマ・ツツジかと思ったが、
今頃、盛んに咲いているのでサツキかも知れません。

延長リング 1+4+2を使用したので、接写倍率は0.31~0.54倍の間に入る。
上下を少しトリミングして調整したが、左右はネガ画像のまま。
ネガの実寸(横)は83mmなので、花の大きさは2~3cmだと分かる。(倍率 約0.5倍)
フィルムはAcros100を使用、
自作の現像液(Ⅰ)で ソラリゼーション現像している。
赤い花弁が白く写っている。
白いツツジもあるだろう。
白いツツジが撮りたかったら、それを探せばいい。
これでは満足できない。
もっと惨めたらしいツツジ、不気味なツツジを撮ってみたいもの。
ツツジ(サツキ)は、群れを撮るよりアップ(接写・クローズアップ)だろう。
もっと近づき大きく撮ることを今、考えている。
- 2019/05/29(水) 09:31:01|
- 黒い花 怪しい花
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ネガは作曲(採譜)、プリントは演奏。
・・・・アンセル・アダムスは、そんなことを述べていたような気がする。
写真を撮り、暗室でフィルムを現像し、ネガを作る。
暗闇で格闘し、そのネガを印画紙に焼き付けプリントを作る。
デジタルの時代になり、暗い暗室作業はなくなった。
代わって「明るい暗室」が出現する。
カメラから吐き出されるデジタル画像データーは、
フィルム時代のネガ(作曲)に対応する。
それを明るい暗室でチェックし、レタッチソフトで調整してプリント(演奏)する。
「明るい暗室」で使用するレタッチソフト(現像液)に習熟することが、演奏の中身らしい。
デジタルで撮影し、「明るい暗室」で演奏したら、どんなキャベツマンになるのか、試してみた。
RAWで撮影し、カラーデーターまで使ってモノトーンに変換したほうが、
データーの痛み方が少なくなるので、いいかも知れないが、
今回はデジタルカメラのHCB&Wモードを使い、直接汎用な画像データ(JPG)にした。

カメラを構え、シャッターを切る。
撮ってみて液晶画面で画像を確認。
不満なら、条件を変え、また撮ってみる。
撮影は、手持で充分だった。
フィルムで撮るとなると、こうは簡単には撮れない。
確かに、デジタルの時代だと思う。
「明るい暗室」のレタッチソフト、PSE Ver.6を開く。(フォトショップエレメント Ver.6)
Window XPの時代、おそらくエプソンのプリンターかフィルムスキャナーに同梱されていたソフトです。
現在は、Window 10のPCで使っているが・・・時としてうまく動かないことがある・・・でも、どうにかごまかして使っている。
この画像データを原画(ネガ)として、
PSEに備え付けてある画像変換フィルターを使い、変換してみた(自動演奏のようなものか)。
フィルター→アーティスチック→エッジのポスタリゼーションをクリックして変換。

フィルムでも似たトーンは出せるが・・・・非常に難しいだろうなぁと思う。
Retro400Sフィルムで、少し露光を切り詰め、(Ⅳo)現像液で現像すれば、近いトーンになるかも。
フィルターの中から、→表現手法→エッジの光彩をクリックして変換。

エッジ光彩。
そう簡単にできる写真ではない。
フィルム写真で画像にエッジをかけようとしたら、ソラリゼーション現像することになる。
フィルムを使う人は少ないし、自家現像する人は更にすくない。
ましてソラリゼーション現像する人はその中で何人いるだろう?
失敗することを恐れているのだろうが、ソラリゼーション現像、意外に簡単。
自家現像している人なら、ちょっと勇気を出し(失敗を恐れない)てやれば、すぐコツを掴めると思う。
と言うことで デジタル版ソラリゼーション変換をしてみた。
フィルターの中から、→表現手法→ソラリゼーションをクリックする。

自動で変換してくれたが、これソラリゼーション現像だろうか?
フィルムを使ったソラリゼーション現像の場合は、
2段目の現像を ごく少なめにした場合に対応している。
暗いバックを、白くするのが マンレイの好んだソラリゼーション現像。
フィルターソフトを作った人の感性の問題かなぁ。
これで良いと思ったか?
アルゴリズムを、もう一度考え直し、プログラミングしてもらいたものだ。
自動で変換するフィルタープログラムでは無理ならと、
レタッチソフトのトーン変換機能を使い、マニュアルで画像処理をしてみた。

10分ほどの試行錯誤で、「マンレイ風」ソラリゼーション写真を作ることができた。
手動で、できるのだから、
アルゴリズムを考え、プログラミングの手間をかければ、
「マンレイ風・自動ソラリゼーション」フィルターができるはず。
(おそらく、最新のバージョンなら、マンレイ風もOKだと思います。)
しかし、クリックするだけで、あるいは 手動にしても10分程度で、
フィルムでは難しかったトーンを調整できてしまう。
デジタルなら簡単なんだぁと思うと、フィルムに拘ることが、
なにか むなしい作業のように思えるようになってきた。
画像を「盛って」キャッチーにすることが、Creativeな行為とは思えない。
目立ちたいだけだろう。
デジタル写真の出現は、今までのフィルム写真を過去のものとし、
新しい局面に入っている。
デジタル時代の、Creativeな写真とは どんなものなのだろうか?
フィルムの延長でないことは確かだろう。
凡人の小生には 想像もつかない。
- 2019/05/28(火) 11:48:53|
- デジタルで遊ぶ
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長巻フィルムを使うのは 経済的理由。
ニコンFやニコンSPには、フィルムマガジンンが用意されていて、
共用して使用できる。
マガジンに巻くと、36枚以上の撮影ができる。
ベルト式現像タンクだと、長めの42コマくらいまでは、どうにか現像可能。
そこで 昔から ベルト式タンクを使用していた。
暇になった7,8年ほど前から、
趣味の写真を再開、当初は市販の現像薬を溶かして使っていたが、
現像ムラが出やすかった。
そこで、ムラのでない現像タンクを自製した。
このタンクで500本くらいは現像したと思う。

タンクの容量は1300ml。
一本のフィルムを現像するのに1250mlの現像液が必要。
現像液は繰り返して使い10本現像したら、新しい現像液を調整。
徐々に現像時間を延ばして、ネガの濃度を一定に保つようにしたが、管理が面倒。
そこが 問題点だった。
フィルムマガジンのつばのところまでぎっしり巻くと、
TRI-Xフィルムで50コマまで写真が撮れる。
Panatomic-Xフィルムだと60コマ分巻けたが、
この現像タンクだと60コマ近くまで現像は可能だった。
その後 現像液を独自配合に換え、一回使いっきりの希釈現像に切り替えた。
希釈し現像時間を伸ばすと、現像ムラは無視できるようになる。
そのことに気づき、今は昔のベルト式に戻り、42コマで撮影している。
120フィルムで、ソラリゼーション現像するなら、
この現像タンクを改良するのがいいだろう思い、
35mm用リール筒1つを120フィルム用に改造した。

120フィルムを暗室でリール筒に乳剤面を表にして巻いている。
タンクとぶつかり擦れることはないだけの空間は開いている。
化学を学んだので、反応温度(現像温度)が読めない/判らない現像タンクは敬遠する・・・・使いたくない。
温度計を挿して現像温度を読み取っている。

現像の途中で フィルムを光に晒す。
1分くらい 光に当てている。
その後、再び現像タンクに戻し現像を続行。
ソラリゼーション現像をしています。
このフィルムは、接写撮影。
家でキャベツ、戸越公園でツツジを撮影しました。

背景の黒い布は白く映る。

このトーン いいなぁと・・・・独りほくそ笑んでいる。
いまどき、フィルムで撮るプロは 皆無に近いだろう。
仕事に使うならデジタルカメラ、
写真で稼ごうとするならデジタルのコスパが最良。
フィルムの出る幕はない。
まして 白黒モノトーンのソラリゼーション現像の写真、趣味の世界でしか成り立たないだろう。
デジタルカメラの時代、
趣味にデジタルカメラを使うひとは増えたのだろうが、
格好良く撮りたいのだろう、プロの真似をした写真が多い。
撮影のコツを聞きたがり、できたら実技指導を受けたいと思う。
明るい暗室と言い訳を言い、レタッチソフトで画像を盛る。
これが趣味か?なにが楽しいのだろうと・・・・拗ねて考えてしまう。
フィルムを使った趣味人の数はどんどん減っている。
でも、まだ 少しは残っている。
5月の初めごろ、案内状が届く。

ピンホールカメラで撮影し、作品を発表しているプロいるだろうか?
いないと思う。(ピンホール写真が欲しいという注文、来ないだろうなぁ)
この方もアマチュア。
アマチュアだからできる。
ピンホールカメラを自製して、撮影を楽しんでいる。
4,5年前、小生もダンボールの空箱を使って、ピンホール写真を撮ったことがあった。
ネットで調べたら、この方の名がヒット、写真展を行なっているというので、
観に行ったことがある。
赤外線フィルムを使ってのピンホール写真も面白いと言っていたが、
作品の数が増え、展覧会を行なえるほどになったのだろう。
明日の月曜日か、明後日の火曜、
新宿で開かれているこの展示会に行くつもりでいる。
また、なにか楽しい話が聞けそうだ。
- 2019/05/26(日) 12:50:46|
- 黒い花 怪しい花
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妻の買い物籠にラップにくるまれたキャベツがあった。
真ん中から半分にカットされ、透明なビニールできれいに包装されている。
小生の両親が健在の頃は、6人分の食事を作っていた。
それが、一人ずつ減り、ついには 夫婦二人だけのことが多くなった。
もう 丸のまま一つ買う家庭ではなくなったのだろう。
スパッと切られた断面が面白い。
それから 時々、キャベツマンを撮影している。
ポートレートを撮るため、中古のマミヤプレスを購入した。
それに合わせ、バックの布を用意し、照明器具を購入し、
ポートレートが撮影できるようスタジオを整備してある。(趣味なので)
しかし、ポートレートは、たまにしか撮らない。
キャベツマンを撮ってみようという気になっていた。

撮影の雰囲気はこのようなもの。
接写するため、接写リングを購入した。
マミヤプレスのアオリ板を延ばせば、50cmくらいまで接写できるが、
今回は、延長リングの1+3+2を組み合わせ、26cm~40cmまで近づいて接写してみた。

倍率は0.31~0.54倍、ネガの実寸(写る範囲)は縦55mm 横83mm なので、
横幅で、20cmくらいの範囲が撮影できている。
ほとんど夫婦二人の夕食、
キャベツも小ぶりな直径20cmくらいで十分なのだろう。
食べきれず何日も冷蔵庫の中より、小さくカットされた野菜のほうが、
新鮮な野菜を楽しめるし、エコ(無駄しない)なのだろう。
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バックは黒い布、
でも撮れた写真のバックは白。
このトーンは、ソラリゼーション現像で達成できます。
単なるネガ・ポジ変換では無理。
- 2019/05/25(土) 19:02:09|
- 黒い花 怪しい花
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いい瞬間は あっという間に過ぎていく。
いいなと思ったら、即座に撮る。
理屈なんていらない。
ああだこうだと考えていたら、いい写真なんか撮れるはずもない。
確かに そうなんだろうが・・・・
ああだ こうだと 考えて撮ることがほとんど。
被写体までの距離は約2m、木立に囲まれ薄暗い。
明暗の差は乏しく、撮りたいところは、ぼんやりしている。
ストロボを取り出し、カメラにセットする。
GNは22なので 絞りはf:11 しかし暗い部分は光を吸収するだろう。
もう一絞り開けf:8にセット。
ここで反射する空の明るさをどうするか・・・・迷った。
シャッター速度を 1/500秒にして暗く落とすか、
1/30秒にして 明るさを残すか・・・・
残すほうに賭けた。

その選択がよかったか、悪かったか 今も不明。
レンズシャッターのカメラなので、最高速1/500秒まで ストロボに同調する。
それが、このカメラの大きなアドバンテージ。
理屈抜きにカメラを作ることはできない。
光学理論があり、精密機械工学があり、材料研究がなされてきた。
その基礎のもと、カメラは設計され、組み立てられてきた。
今では、画像処理のアルゴリズムを考え、0101のデジタルデーターから、デジタル画像を作っている。
理屈だらけではないか。
それを使うのに・・・理屈は不要というわけにはいかないだろうとおもう。
デジタル画像になり、きれいな写真が氾濫する。
相対的に写真の価値(注目度)は下がっている。
この状況では、キャッチーさが一番、内容は二の次。
「写真を撮るのに理屈は不要、いいなと思ったら さっと撮る。」
そんな啖呵・・・切ってみたいものだとおもう。
そしたら、かっこいいだろうなぁ。
- 2019/05/22(水) 11:20:36|
- 水辺の光景
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大きな葉の植物があった。
なにかちょっと変。
葉脈を見ていると、見慣れぬ異様なトーンに気づく。
これは 違う、こんな葉の植物は存在しないだろう。
案内札には、植物の名が記され「むさしあぶみ」となっていたが、
現実の植物ではないぞ・・・・という気がしてくる。

一瞬、呆然となったが、我に返り、
カメラをセットし、シャッターを切っていた。
現像するとネガにはその葉が記録されていた。
こんなものだったかも知れない。
もっと暗いトーンだったかも。
中世の頃、白金長者の屋敷があったという。
だからといって、
そのとき庭に植えられていた武蔵鐙が
時空を超え ここにあるとは思えない。
写真に捉えたこれは、「むさしあぶみ」存在そのものかも・・・・
真理は、全て白日の元にあり、
誰にも隠されてはいない。
しかし、偏見・思い込みがあるとそれが見えなくなる。
「花はこうだ、こうあるべき」と確信してしまう。
それが、カメラの眼を曇らす。
真理は細部に宿っていてもいいなぁと、
妄想している自分がいた。
- 2019/05/19(日) 18:15:29|
- 黒い花 怪しい花
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見てもらうような写真ではない。
単に柵に囲まれているだけ。

でも 小生にとっては、感慨深い場所。
塀のなかには嘗て日本光学の工場があった。
小生の使っているNikon FやNikon SP それにNikomart FTnもこの工場で作られたもの。
Nikon FやNikon SPを使って50年以上の時がたつ。
未だ 厭きもせず、手放そうともせず、大事に使っている。
故障すれば、修理してもらうため、何度かここにあったサービスセンターへ来ている。

工場が壊され整地されているのを知ったのは去年。
故障したので直そうとしたが、
機械式カメラは、もはやニコンでは修理を受け付けいていない。
ネットを探すと、ニコンOBの人達が作った会社で修理できることを知った。
場所は ニコン工場の近く。
頼むため、散歩がてら 西大井を散歩したときだった。

ここにニコンの工場があるのは 子供のころから知っている。
小学校、中学校のクラスメートの中には この会社に就職し、この工場で働いていた人もいた。
中学のクラスメートの中には、役員の息子もいた。
(出来たばかりのNikon F 50mmF:1.4付を・・・父親のもの・・・持ってきて見せてもらったこともある)
どんどん変化する。
あの工場群は 何処へ消えたのか?と思う。
キャッチーな映像の氾濫する時代にはなったが、
Photograph そのものは衰退していくのかも。
一種の挽歌(挽写)
この工場で作られたNikon SPとNikkor 28mmのレンズで、
日本光学の工場「(荒城)の跡」を撮影してみた。

もう 50年以上の付き合い。
使い良さと、この描写力 充分満足している。
一時、デジタルを使ってみたが、面白さが違う。
デジタルは うまく使えばいいだけ。
きれいに撮れるが、工夫して撮ったという面白さを実感できない。
デジタルには戻れないなぁと思う。
小生が写真を撮っていられる期間も それほど残っているわけではない。
しかし、あと一年分のフィルムは 既に確保し、冷蔵庫の中。
常に買い足して在庫量を確保(一年分)すれば、どうにか この趣味 続けられるだろう。
それでいいではないか と思っている。
- 2019/05/18(土) 18:46:36|
- 散歩
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令和になったこの時期、ニュース番組で、半蔵門の画像をよく見るようになった。
皇居の周りは、時々散策する。
皇居一周してみるかという気になっていた。
東京駅で降りて、反時計周りで歩き、日比谷濠へでて、有楽町から帰宅するか、
有楽町で降り、時計回りで歩き、和田倉門をゴールにして、東京駅から帰宅するか、ちょっと決めかねたが、
反時計回りは 何回か経験しているので、時計回りの道を選んだ。
天気は残念ながらあまりよくない。
夕方になると小雨が降るとの予報であった。
有楽町に駅に着いたとき雨は降っていなかったが、すぐにポツリポツリと雨粒が落ちてくる。
すぐ止むだろうと、日比谷公園へ入り、大きな木の下で雨宿り。

曇天、彩り(RGB)は豊かではない。
デジタルカメラだと彩りが乏しく、撮ろうとは思わない場所だろう。
しかし白黒のフィルム、硬調な現像をすればネガのトーンは豊かになる。

こう切り取ると都心の風景には思えない。

小降りになったので、桜田濠横を歩き、半蔵門へ。
カラーでは地味すぎるだろう。おそらく狙わない。
狙って撮っても、すぐに液晶画面で確認し、削除してしまうと思う。
しかし、ここもフィルム向き。
時たま皇居ランをする人とすれ違うが、人影は少ない。
都心にもかかわらず、人影は少ない。
人のいない風景を沢山撮っていた。
今日は「人」より「自然の景観」だろう。
千鳥ヶ淵で、右に折れ、より人影の少ない北の丸公園への道を選んだ。

北の丸公園への遊歩道にも人影はない。
歩くのはカメラをぶら下げた小生の姿だけ。
雨が降り出しそうな空模様、誰がここを散歩する?

北の丸公園の池に鵜が一匹。
人影はなかった。
空模様も怪しい。
これまでかと、北の丸公園を田安門から出て、神保町まで歩き、都営地下鉄伝いに戸越の里へ帰還した。
都心を歩きながら、出会う人影はごくわずか、こんな散歩も 面白い。
「都心の自然」を撮影したというより、「自然の都心」を撮影した気分。
どちらを主とするかで、切り取りかたも変わる。
- 2019/05/15(水) 18:30:19|
- 都会の景観 Tokyo
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ペットボトルにD76が入っていた。
静置現像法を確かめるため今年の2月27日に作ったもの。
約2ヶ月経っている。
まだ使えるかチェックしてみた。
24枚撮りになるよう長巻フィルムを切り、詰め替え用パトローネに詰め、
五反田あたり散歩して使ってみた。

24枚撮りなので D76液10mlを水で薄め330mlにして、(36枚撮りならD76を15ml使う。)
100フィート巻きフィルムを入れてあったプラスチック容器を改造して作った現像タンクにいれ、静置現像した。(室温で16時間放置する。その後定着、水洗してネガを作った。)

ネガの濃度は適正に出ていた。
希釈現像なので、銀粒子は精細になり、高解像度。
しかしトーンは 使っている現像液とは違っているように思う。

ネガのトーンは豊かなのだが、写真のトーンは「豊かさ」というより「鋭さ」を 感じてしまう。

ひりひりと切れるようで、しっとり感が薄い。

要は使い方なのだろう。
どのようなものが、この現像法にあうのか・・・・

まだ 判明しない。
また1ヵ月後、D76液の保存性を知りたいので、テスト撮影するつもりでる。
さてその時は・・・・どうしようか。
- 2019/05/13(月) 10:46:43|
- 散歩
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友との待ち合わせは西口だったが、
欲しかった写真備品があったので、少し早く池袋へ。
東口のビックカメラへ行く。
そこから、西口へは、地下の道を抜けるか、陸橋を渡るか。
時間があったので陸橋を選び、ぶらぶらと行く。

女物の日傘・・・・左手に小さなバッグ、
悠然と歩いていく。
陸橋を渡れば、西口の少々いかがわしいホテル街近くに出る。
予想とおり、陸橋を渡ると、右の道を選び、ホテル街へ。
まるで映画のワンシーンのようだ。

金髪、異様に肌が白い。白人かと思ったが、東洋系の可愛い顔をしていた。
中国?韓国?、おそらく日本人だろう。

いつもの散歩は戸越の里が中心。
こういう人にはなかなか出会えない。
さすが池袋、多様性の街。
歩くたび、目を引く(いや惹く)人を見つけてしまう。
見ていても厭きない。
それぞれ、何らかのバックグランドがあり、人生があり、何かを背負っているのだろう。
それを切り取るカメラの眼があれば・・・・なぁと思う。
- 2019/05/11(土) 09:57:32|
- Street Photograph
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目黒川は、河口のほうが桜の開花は遅い。

4月中旬になっていた。
大崎近くの目黒川で、やや寂しいが 最後の花筏が、下流に向かいゆっくりと流れていた。

もはや遊覧船も登ってこない。

乱されることもなく、静かに消えていく。
それが自然だろう。
これで 今年の目黒川の花見も終了。
古人の指摘したように、
祭りは 過ぎ去る瞬間が一番の見ごろかも。
春を満喫した気持ちになっていた。
- 2019/05/08(水) 17:26:11|
- 桜
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憲法記念日、友と会うため池袋へ行った。
約束の時刻は午後4時。
待ち合わせの場所は 西口公園の噴水の前。
しかし噴水はもはやなかった。
塀に囲まれ中は無残にも破壊され、
追い出されるように塀の外に 人が群がっている。
異界が出現していた。

1960年代末期、
学生運動が盛んなころ、アングラと呼ばれた劇団が沢山できていた。
寺山修司の率いた天井桟敷は有名だった。
この舞踊、その頃の雰囲気を残している・・・・しかし、昔のほうがもっと過激だったような気がする。
夜の公演が多かった。
照明のスポットライトは(経費の点か)あまり明るくない。
上品な言い方だと現代版薪能だが、内容は過激。
外で劇を演じるグループや、テントの中ので行なうグループもあった。
残念ながら ニコンFを構え、あのアングラ劇を撮影しようという蛮勇はなかった。
Try&Errorの 実験を重ね、今日にまで生き延びてきた。
やがて 人に馴染まれ、馴染み、認知され、受け入れられるようになったのだろう。
昼間、青空の下での公演、毒気は多少抜かれ薄まったが、それでもインパクトはある。
異界が出現した。

ここにも新しい異界が。
平面に3Dを描く・・・・この頃流行りだしたトリック・アート 新しい流れ。
それを 古いフィルムカメラで撮影。
28mmのレンズを付けていたので、フレーミングが限られる。
異界を撮るには充分ではない・・・・とカメラのせいにするが、
本当は、小生に異界を撮るだけの「カメラの眼」がないだけです。
- 2019/05/06(月) 11:17:53|
- ある場所、ある瞬間
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夕方、戸越公園を散歩すると
桜の季節は既に過ぎたと思ったが、
満開を迎えて桜があった。
山桜の一種だろうか。

明るい空をバックにして、桜の花弁が暗くシルエットのように見えていた。
空に露光を合わせたら、花のディテールは暗く落ちてしまうだろうと思い、二絞りほど開けて撮影した。
現像があがりネガを見ると、花の部分にも 銀塩の濃度は充分ある。
これなら 露光を空に合わせてもよかったかもしれない。
見た印象で「こうに違いない」と確信してしまった。
そんなミスは多い。

暗いところのディテールを残したいと思って、露光を決める。
それが成功することもある。でも 時には「それでいいのだろうか?」と内省することも必要だろうと思う。
もしこのときf:8/125秒の露光を選んでいたら、
影になった部分は黒く潰れ、白黒のコントラストの美しい写真になったかもしれない。
白黒の対比の美しい写真を撮りたいなら、
デジタルカメラでHCBWモードにして撮れば簡単なのに、
なんとか古いフィルムカメラで、それを達成したいと あがいてしまう。
歳をとるに連れ、変化を嫌い、経験に縛られ、依怙地になってしまう。
もうフィルムの時代には戻れないのに、まだ、白黒フィルムに拘る・・・フィルムのいいところだけ取り出して是非を論じる。
このブログも老害の最たるもの、フィルム写真が無条件によいわけではないだろう。
国益が叫ばれ、日本の自尊心をくすぐる番組が増えている。
「美しい日本を取り戻す」「日本のよさを回復する」
今の人の心は、そのようなムードになっているのか?
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」 寺山修司
耳に心地よい情報だけでなく、不都合な情報も取り入れ、考えぬくこと。
それが、不確実な世界を切り開き 進む方法だろう。
年寄りは 経験からたやすくこうだと決めがちになる。
老人のたわごとは また言っていると無視するのがいいと思う。
熱力学が解明した(人間にとって不愉快な)不実な事実:エントロピーは増大する。
時間の矢は進むのみ、後退はしない。
- 2019/05/04(土) 11:05:31|
- 散歩
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重いマミヤプレスと三脚を抱え、仙台坂上に咲いた一本の桜を撮ったとき、
小型軽量なデジタルカメラ Sony NEX-3をポケットに入れて持っていった。
それで 試し取りしてみた。

撮像素子はAPS-Cサイズ 中判フィルムのネガサイズに比べたらと、極めて小さい。
それでも画質は1600万画素を誇る。
ブログにアップして見るだけなら・・・・おそらく四つ切程度に伸ばしても、
デジタルのほうがきれいかも知れません。
撮影も至極簡単、ISO感度設定はカメラに任せ、撮影モードはPに設定、
手振れをさせないようガードレールに肘を乗せ、液晶画面を確認して、何回かシャッターを押した。
その中から、手振れなしの写真を探しただけ。
確かにフィルムカメラより 使い易くなっている。
写真は結果が全て。
どんなカメラで撮ったか、老人が撮ったか、子供が撮ったか、女性か、フィルムかデジタルかは問題にならない。
それが写真。
平成の世にデジタルカメラは生まれた。
平成から令和の世になり、デジタルカメラは更に進化を続け簡単になる。
カメラにAIが繰り込まれ、インターネットを通じ双方向で情報が入り、
失敗は減り、質の高い写真が撮れるようになるだろう。
そのとき 人は、デジタルカメラをどう扱い、どう使いこなすのか?
簡単にできることに、人は重きを置かなくなる。
たとえ綺麗な写真を撮ったところで、
沢山あるなかの一つ、こんなの誰でも撮れるさと、ぞんざいに扱われ、記憶に残らない。
誰もが認める写真を撮りたいとなれば、
過激な演出を施した写真を「作る」誘惑に駆られる。
それは劇薬、麻薬のようなもの。
写真の原点に もう一度立ち帰ったほうがいいように思うのだが・・・・
Photograph is over。 にならないことを祈るのみ。
- 2019/05/01(水) 19:37:01|
- 桜
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