右膝が痛くなってから、カメラをもって散歩することは少なくなった。
替わりに、今まで撮影した写真を選び、家にこもりPhotBookを作っていた。
これは、これで面白い。
作ってみると、自分の至らなさがよくわかる。
PhotoBook(まとめ)にするなら、こんなショットも入れるべきだが・・・・そんな写真は撮っていない。
そして、同じようなカットの写真が続く。
この中からベストタイミングを選べばいいと、安易に考えていたのか?
どうして別の角度から、狙えなかったかと反省。
散歩にカメラ、被写体は近くにある。
足りないショットは、機会をみて撮りにいけばいいさ・・・・
洗足池の「鯉」の撮影を思い出していた。
撮影は、水が澄む冬がいい。
右膝の痛みもなくなり、1時間半程度の散歩なら問題なしと判断。
新たに調達したマミヤプレス用広角レンズ 50mm F:6.3のレンズテストを兼ね、洗足池を歩く。

Mamiya Pressは左にハンドグリップが付き、シャッターは左指で切ることになる。
右ききなので、使いにくい。それにハンドグリップ 意外と重い。
右でシャッターを切れるように加工し、ハンドグリップをはずした。
それでも、かなりの重量。
Nikon SP 50mmレンズ付き三台を 首からぶら下げ歩くことになる。
若い頃ならたいしたことではないが・・・・・

ネットでみていたら、安価だが非常にいいレンズだと、マミヤプレスの50mmレンズを褒めていた。
都内の中古カメラ店を見て回ったが、置いていない。
マミヤプレスにセットされた形で販売されていたが、かなりの高額。
がま口は開かなかった。
そこで、インターネットを探す。
「きれいなレンズ」を頼りに、ヤオフクで落札した。
勿論「ノークレーム ノーリターン」の決まり文句が載っている。
ネットオークションは ごみを掴まされる危険性は高い。
落札したレンズは確かにきれいなものだった。
レンズに曇りはなく、細かな傷も付いていない。
シャッターもどうやら高速から低速、バルブまで動作している。
当たりのレンズか・・・と思い、ヘリコイドを回す。
距離リングが少し重いことは 何も書いていなかった。(知らせれていない)
「ノークレーム ノーリターン」と記載した理由らしい。
グリースの交換をすればいいと思って、
レンズのバレル部分をはずそうとしたら、3本ある芋ネジの一つがなくなっている。
前の所有者も、この点が気になりグリース交換を試み、
レンズを分解しようとしたが 途中で素人には無理と思ったのだろう。
硬いがヘリコイドは動く。無理することない。
広角レンズ、ピントを5mにしておけば、f:6.3の開放絞りでも2.5mから無限まで被写界深度内に入る。
そのまま使うことにして、テスト撮影を行なった。
--------------------------------
光の帯がまぶしい。
肉眼では光の帯にある杭の姿を確認できなかった。
露光は、スワン型ボートがくっきりでるよう(経験値・勘で決めている) f:11/125秒とした。
肉眼では光の帯となり判別できなかったが、光は波ごとの点光源となりくっきりと写っていた。
見えなかった杭も3本、光の帯から出現している。
たしたものだなぁと思う。

ネガは、フィルムスキャナーで 画像を約5000万画素で取り込んでいる。
右端の柳を等倍に拡大してみた。
鮮明に写っている。

左の石垣もOK

一番手前の水面の輝きもどうにか結像している。
確かに いいレンズ。
使うのが楽しいかも。
マミヤプレスは ポートレートを撮りたくて求めたもの。
しかし、アオリが利くので、風景写真を撮りたくなるカメラでもある。
そうなれば この50mmレンズを使う場面も多くなるだろう。
さて来年、どんな写真を撮ることになるのか。
膝は大丈夫か、そんな心配をしている。
スポンサーサイト
- 2018/12/30(日) 13:01:56|
- レンズの眼、カメラの眼
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
この10年間、 「散歩にカメラ」で、写真を撮り続けてきた。
美しい風景を追って 遠くまで旅行したり、
夜討ち朝駆けの撮影や、
有名な催しものの会場を調べ、遠出までして撮影することはなかった。
右にいったり左にふらふら、近場の手の届く範囲で、
そのとき、その時、興味を持ったものにカメラを向けていた。
節操(志)がない、何かを「成す」という覚悟もない。
でも、単にきれいなもの、単にキャッチーなものを、追うのだけはやめようという、
変な「プライド」?だけはあった。
同じじゃつまらない。
見えているようで見ていないもの、
なんでもないと気に留めないもの、
面白くないとカメラを向けないものに、
カメラを向けがちになっている。
レンズの目、カメラの目、フィルムの目で、
も一度 見直そうとしているのかもしれない。
撮っていれば、考えることは沢山でてくる。
それが 楽しい。
二段現像したネガを使って、焼きこむか、焼きこまないかの 効果を検討している。

品川区役所前にあるステーキハウス。
焼きこんでみた。

大井町の駅まできて、区役所の建物の方角を撮影。
浅くハイキーに仕上げた。
デジタルなら エッジ・ポスタリゼーション処理したようなトーンになった。
まだフィルム写真には、技術的にチェレンジする領域は残っている。
主体は人間、カメラではない。
デジタル・カメラより ずっと面白いし、楽しいと思う。
きれいな写真や、すごい写真を 狙わないなら、
フィルムカメラを手にされたらと思ってしまう。
ただし、少々ランニングコストは、かかります。
- 2018/12/27(木) 15:41:10|
- フィルムの眼
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「焼きこむか、焼きこまないか・・・・」、フィルムで写真を撮っているものの戯言です。

幌は白っぽいクリーム色だったが、焼きこむと、暗く鈍く光ってきた。

焼きこまず、明るくハイキーに仕上げてみた。
諧調性は、意外に豊か。
撮影場所は同じ。
太陽を背にして撮った(順光)か、太陽にカメラを向け撮影(逆光)したかの差だけです。
硬調な現像液二つを使った二段現像法、今までにないトーンを作れるので、面白がっている。
デジタルで撮っている人には、なんの参考にもならないでしょう。
デジタルなら、レタッチソフトとを駆使し、画像を「盛れ」ば、同じようなことできる。
簡単なことと、馬鹿にされるのが落ち。
しかし、これからデジタル写真に乗り換え、レタッチソフトに習熟し、
楽しさを味わえるレベルに達するには・・・・途方もない時間がかかりそう。
残り時間の乏しい老人には、少し荷が重い。
(レタッチソフトを使って画像を作るなんて、やましくない? ずるしているようで 気が引ける・・・
デジタルレタッチで盛って(加工して)、「どうだすごい写真だろう」と胸を張って自慢できるだろうか?
これも この老人(小生)の戯言、悪態、ひがみの類です。・・・・無視してください。)
------------------------------------
撮影場所は、旧中原街道沿い。
町名だと、荏原か平塚になる。(星薬科大学は、荏原、武蔵小山商店街近くで平塚になる、ここはその中間地点)
江戸時代、中原街道は江戸と相模の国平塚にある中原御殿へ通じる街道として整備された。
それにちなんで当地も平塚と名づけられたのだろう。
- 2018/12/24(月) 12:48:03|
- フィルムの眼
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今年は紅葉の便りを聞いても、
タイミングが合わず、できないでいた。
秋も深まり、晩秋になってから、
秋の置き土産が、まだ残っているのではと、
林試の森公園へ行く。

家をでたのは3時を過ぎていた。
晩秋の弱い日差しは、うす雲にさえぎられ、林の中にまで差し込んでこない。
柵に肘をのせ そっとスローシャッターを切った。

赤い鮮やかなもみじ葉ではなかった。
むしろ枯れかけたくすんだ赤色になっていた。
モノトーンなので・・・・撮影したが、デジタル・カラーなら、対象外の被写体だろう。。

硬調現像液2つを組み合わせた二段現像法で現像した。
ネガには暗い幹のディテールが潰れず残っていた。
フィルムと被写体のトーン、露光の与え方で、
できたネガのトーンは千差万別、未だ予想できないでいる。
この現像法、面白いのは確か。

こんな オーソドックスな階調にもなった。
-------------------------
12月7日 散歩、あと200mくらいで自宅という地点で、急に右ひざに痛みを覚えた。
それ以来、いつものような散歩はしていない。
妻からは医者に行くことを勧められたが、
「近くの藪医者、遠くの名医」と嘯き、
「ゆっくり、リハビリすれば治る」と・・・・風呂に入り、暖めて膝を屈伸。
数日で、どうにか歩けるようになる。
しかし、1時間半くらい歩き続けると、やはり膝が痛くなる。
いくら歩いても、膝が痛くなるとは思ってもいなかったので、
ぶらぶらと 勝手な散歩ができていた。
重いマミヤ・プレスを担いで散歩し、
洗足池の鯉が撮りたい、勝島運河の舟泊まりを撮りたい、
自然教育園の不気味な植物を撮って見たい・・・・などと思っていた。
それも・・・・ちょっとできそうにない。(春になれば・・・・完全復調するだろうと 楽観していますが)
家を出る前に、1時間半に収まるようスケジュールを決めて外出するのは、散歩とはいえない。
・・・・・撮影の自由度は消失してしまう。
勝手気まま・・・それがどんなに重要か、膝の痛みはそれを教えてくれた。
デジタルカメラなんぞは、中の電子回路が劣化しただけで、突然機能しなくなる。
修理不能、それでおさらば。
そもそも、デジタルに撮影の自由度などちょっとしか残っていない。
メーカーのお仕着せ、金太郎飴写真ではないかと 悪態をつく。
それに対し、人間はアナログ、精神もアナログ(AIではない)、自身の治癒力を信じている。
じきに治るさ。(老人の たわいごと・・・・無視してください。)
- 2018/12/22(土) 11:45:07|
- 散歩
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
11月の終わりの休日、息子が結婚した。
新郎の父親がカメラを抱えて、式の様子を撮影するのは如何なものか・・・と思えど、
どうしても撮っておきたい。
フィルムで記録しておきたかったが、ここはデジタル・カラーだろうと、
密かに、ソニーのNEX-5、18mm-55mmのズームレンズ付を持っていく。
式の合間、披露宴の合間にスナップ、それでも50カットほど撮影していた。
その中から写真を選びPhotoBookを作って、
これを息子夫婦と、相手の御両親にさしあげたら喜ぶだろうと、
20カットほど選び、Dummy Bookを作ってみた。
妻と娘にできたDummy Bookを見せ、チェック、最終的な校正をする。
画像データ(JPG)をUSBメモリーにいれ、戸越銀座の写真ショップに行く。
できたDummy Bookを見せ、このようなPhotoBookを作って欲しいと頼んだ。
「それなら」と・・・入力用のPCを示し、「御自分でやってください」という。
表紙は、妻が書いた金文文字にしたかったが、
本のカバーのデザインは、決められた中から選び、
文字の入力はできるが、決められたフォントから選ぶことになると・・・説明を受ける。
画像(金分文字)をカバーに印刷はできないとつれない対応。
「うちではできないが、○○ならサービスできるかも知れません、そちらに相談されてみては・・・・」
という言葉を待ったが、それもなし。
これで商売しているのかと・・・若い(30歳くらいか)の店員の顔をみる。(割合美人です)
じゃ自分で作ると捨て台詞して店を離れた。
便利・簡単なのは、システムに乗ったことだけ。
マニュアルにないことはできない、
これがAIの行き着く先に・・・・ならないかなぁ。
デジタルカメラ そのものの功罪ではないか?とも思う。
自分で考えない。
ネットで調べ、わかった気になり、思考は停止する。
確かに、デジタルカメラになり、簡単にクオリティのたかい写真を、誰でも写せるようになる。
でもそれはシステムの中だけ、それを外れると、途端にだめになる。
きれいで美しいが、金太郎飴のような写真ばかりになっている。
とうわけで PhotoBookを作ってみた。

妻の助言で二つ折りした写真、重ねて作る綴葉装(てっちょうそう)にしたが、
糸で止めず接着剤で固めたので、
粘葉装(でっちょうそう )に近いだろう。
問題のカバーは和紙を使うことにしたが、
妻の出す和紙はビックリするくらい高価だった。
失敗したら大変と、その中で一番安い和紙をいただく。
薄いので、丈夫な画用紙で裏打ちしたが・・・・職人ではないので難しい。
できたカバーに 妻の書いた金分文字を印刷した。
写真は 顔料プリンターを使用。
写真諧調にこだわったので、厚手光沢のクリスピア(エプソン)を使う。
しかし紙の厚みでうまく折れない、製本するのも大変だった。
そこで、薄い光沢紙のライト(エプソン)を使う。
これならどうにか上手に製本できそう。
作るたびに改良点に気づき、うまくなる。
3部つくった。
最初のPhotoBookは家に保存、あと2部は、一つは息子夫婦へ、もう一つは嫁さんの実家へ送るよう作る。
8日土曜、息子夫婦が挨拶に来たので、そのとき手渡しした。
式場では、専属のカメラマンが2名ほどつききりになって撮影していたが、
その写真ができるのは、年が明けてからになるという。
喜んでいた。

PhotoBookを作る。
新しい体験だった。
写真を選び、配置、効果を考え校正する。
それを手作りで製本する。
なんでもないカットが意外とアクセントになる。
何を撮りたかったのか、どう撮ったか、足りない点はなにか・・・が次第に明らかになる。
これも 写真の楽しさの一つ。
PhotoBook作成ソフトを使うより、ずっと面白いと思う。
PhotoBookの形式は、自由。
型があって、その中なら選ばねばならない不自由さはない。

コツがわかってきたので、3年ほど前 撮った阿波踊りの写真をPhotoBookにしてみた。
モデルになってくれた人に、Dummy Bookだがと断って見せると、
喜んでいたので、そのまま渡してしまった。
モデルになってくれた人とは、その後 約6ヶ月の間、9回ほど踊りの練習を撮影している。
膨大(フィルムで30本くらいあるだろうか〕なネガが残っていたので、
いま それでDummyBookを作っている。
作ると 今までは気づかなかった新しい発見がある。
これを、完成させ見直せば、人物写真の撮り方・・・・少しはわかるのではないかと思っている。
- 2018/12/19(水) 22:16:19|
- その他
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ブログを書いていたら、インターネットトラブル、ほとんど書き終えていた原稿が消えてしまった。
投稿ページが新しくなったという。
その影響かどうかは不明。
使っているノートパソコンが、ウイルスに感染しているのかもしれない。
Googleの画面に飛び、書いていた原稿は全て消えてしまった。
華為技術(ファーウェイ)の問題がでてきたが、
プラットフォームの上に載っかているユーザーは、
意図されたら、自由が利かなくなる可能性は充分にある。
目には触れないアンダーグランド(高速通信)の世界が現代を支えている。
大変な時代になったものだと思う。
デジタル・カメラよりフィルム・カメラに軸足を乗せている。
それでも、影響はあるのだと痛感している。

硬調現像液二種類を使い、二段現像して作ったネガ。
ネガには意外に暗い部分の銀塩画像が残っている。
レタッチソフトの「レベル補正」を使いトーンを調整。
白飛びもなく、黒潰れもない写真を作った。

「レベル補正」を使い、画像全体を明るくする。
黒い部分に締りがなくなったので、「コントラスト」を調整した。
左側のビルが白く空に溶け込んでいた。
ハイキートーンの写真を作った。

「レベル補正」を使い、画像全体を暗くする。
いま流行りのトーンだろう。
でもデジタルで撮るHCB&W(ハイコントラスト)写真とはトーンは異なる。
レタッチソフトで、似たトーンを作るとなると、試行錯誤の作業になると思う。
被写体にあわせ、撮りたいトーンを考え、
フィルムを選び、撮影時にはフィルターを選び、現像液を選び、現像法を選んで、
ネガのトーンの調整する。
意図したようには、必ずしも作れるわけではないが・・・・少なくともそうしようと努力する。
トーンコントロールのもう一つの重要ポイントは、暗室作業。
印画紙に焼き付けるときも、いろいろな技法を編み出し、トーンをつくっていた。
暗室作業の上手下手は決定的だった。
今は、レタッチソフトの上手下手が・・・・写真の良さに関係している・・・・??のだろう。
以下二つに写真は、テスト撮影でできた(作ろうとしたわけではない)面白いトーンの写真。


デジタル写真のレタッチソフトで作るとなると、どう作ればいいのだろう。
- 2018/12/16(日) 12:14:37|
- 写真の技法
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
旧中原街道を離れ、目黒川を目指す。
途中にある安楽寺で石仏を撮影した。

明暗差の大きなところでは、エッジ・ポスタリゼーションのようなトーンになる。

明暗差の少ない処では、コントラストが強調され、材質のディテールもでる。



白飽和した部分をカットして、トーンを焼きこみ、暗い部分のディテールも ある程度潰すと、

見慣れた写真のトーンになる。
各写真に「長安寺」と記入してしまったが、実際は西五反田にある「安楽寺」でした。
訂正します。
- 2018/12/14(金) 10:34:02|
- フィルムの眼
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
(Ⅳo)+(Ⅱ)現像を試したくて、散歩にでる。
「散歩にカメラ」ではなく「カメラで散歩」・・・・目的と手段が逆転していた。

戸越の「わかば公園」にて撮影。この現像法だと、幹のひだが強く出る。

少し焼きこんでいる。
電柱の影でも射していたほうが
森山大道風トーンになったかも。
真似はしたくないが、気にはなる。

都会の繁華街の裏側を撮り、「これが写真だ」風は・・・・如何なものでしょう。
もう流行らないかなぁ?

中原街道は江戸と平塚の中原御殿を結ぶ街道だった。
現在は、第二京浜国道と中原街道の分岐点近くから、
星薬科大前をとおり、武蔵小山商店街近くまで、
旧中原街道が、残っている。
石の質感を出すにはいい現像法かも。
しかし、少々暗い写真になりがち、
こんな写真ばかり撮っていると、
ハイキーな明るい写真も撮りたくなる。
- 2018/12/13(木) 11:11:19|
- 散歩
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
夕刻 近くの公園を散歩する。
(Ⅳo)液と(Ⅱ)液による二段現像法で現像をしてみた。
今まで試したことのない組み合わせ、
どんなトーンのネガになるか興味津々。
これも「フィルムの眼」だろう。
エッジが立ち、今までとは違ったトーンになる。

戸越小学校の校舎が写っている。
その後ろには戸越公園が広がる。
この地は、細川藩の下屋敷跡、
小学校が作られ敷地は分断、戸越公園ができる。
戦後には大崎高校(都立)も作られた。
文庫の杜公園のある場所は、三井の文書館となったが、
やがて国文資料館(国立)となり、国文資料館の移設とともに、区の公園になった。

二年ほど前、叔母が94歳で亡くなったが、生前聞いた話では、
このあたり一帯は鬱蒼とした林で、子供心に入っていくのが恐ろしかったという。
叔母は下神明にある大間窪小学校へ通っていた。

文庫の杜から戸越公園へ入る。
まるで デジタル・レタッチでエッジ・ポスタリゼーション処理したような写真になった。

数年前 一年間撮り続けた定番の百日紅を一枚。
トーンが これまでと 少し違う。
エッジが強調され、ポスタリゼーション処理されたような写真、
明暗さを強調した写真、
トーンの調子が 今までとちがうなぁと思える写真
その効果はまだ予想できない。
被写体の光の強弱、露光の選択、(Ⅳo)液と(Ⅱ)液の現像時間配分で、効果は変化するようだ。
この「フィルムの眼」が「カメラ・アイ」になれば、写真表現の範囲も広がるのだろう。
- 2018/12/11(火) 11:14:34|
- フィルムの眼
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
撮りたいものを的確に撮りたいとなれば、
「カメラに凝る、レンズに凝る、機材に凝る。」
それも致し方ないだろう。
最新のカメラほど機能は豊かになり、高度な撮影ができるようになっている。
その中から、自分に要求に合ったカメラ、レンズ、機材を選んでいく。
しかし、カメラ、レンズ、機材が、
写真表現の深いところにまで関与できるか・・・・となると、懐疑的な気持ちになる。
対象の捕らえ方がステレオタイプ(ありきたり)・・・・では、
何のため高価なカメラを、レンズを、機材を揃えたのかと思ってしまう。
被写体に対する理解、姿勢、志、が出てしまうのが写真。
きれいな人を、綺麗に撮ったからといって いい写真になるわけでもない。
シャッターを切るのは撮影者、そこに撮影者の知性も同時に写りこんでいる。
写真は怖いものだと思う。
フィルムカメラの世界は、自由裁量に任された部分がまだ沢山残されている。
実用感度はISO:400止まり、
モータードライブ(使っている人はいるか?)を使っても1秒4回程度が限界。
オートフォーカスレンズもあるが、今となっては新しい開発はないので、
現在のデジタルレンズから比べたら、低機能だろう。
しかし、それだから、撮る人の 感性、理性、知性が 試される領域が広い。
そんな負け惜しみ的な理由付けして、毎日フィルムカメラで 趣味の写真生活を楽しんでいる。

皇居のお堀で一枚。
このシュール感が、面白い。
(どうなるか、わからなかったが、「なにか」は撮れるだろうと一枚パチり)
----------------------------
別にデジタルを毛嫌いしているわけではありません。
TPO その場にあわせてデジタルで撮ることもあります。
クラス会のときはデジタルカメラを持っていきました。
自己満足で撮るなら 白黒のフィルムで撮りますが、
クラス会は自己満足の撮影会ではない。
集合写真には、きれいなカラー写真が求められている。
部屋の中の色温度は複雑、
ここは、カラーフィルムで撮るより、デジタルで撮るのがいい。
RAWで撮影しておけば、あとで色温度を調整できる。
やはり集合写真はカラーの時代になりました。
便利なものは 利用する。
カメラ、レンズ、機材を 上手に使うだけ。
それに溺れるのは・・・・・いかがなものかと自分に言い聞かせている。
- 2018/12/10(月) 11:24:09|
- フィルムの眼
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
デジタルになり、フィルムで写真を撮る人は少なくなった。
カラーフィルムをまだ使う人はいるようだが、
白黒フィルムになると、使う人はめっきり少なくなってきている。
ヨドバシやビッグカメラの暗室用品コーナーへ行くと、
毎年、少しずつ小さく狭くなり、置いてある商品の種類も数も減っている。
趣味で写真を楽しむなら、手間はかかるが、撮影から最後のプリントまで、
自らの手で行なえる白黒フィルムが 最適と思うのだが・・・・
そういう趣味人、いまは流行らない。
趣味にまで、効率を求める・・・それがご時勢だろう。
Retro80Sフィルムを使い撮影し、(Ⅳo)と(Ⅱ)の二つの現像液を使う二段現像を 今は楽しんでいる。

品川区役所前の中央公園のこの林は、幾度となく撮影している。
既に2,3回、このブログにも載せたと思う。
しかし、現像液を変え、現像法を変えると、今までとは別もの・・・・違ったトーンになってしまう。
こんなトーンになるとは予想していなかった。
長辺800ピクセルに縮減しているので分かりづらいが、林の調子が変である。
等倍までモニター画面で拡大し、林の右上部分を切り出してみた。

まるで絵画タッチ。
デジタルで作るなら・・・・優秀なレタッチソフトを使用し、エッジ・ポスタリゼーション処理すれば、
似た写真作れるかもしれない。
そのデジタル写真自体、優秀なデジタルカメラのOSによって作られたもの、
写真を撮ったというより、デジカメに撮ってもらったという感覚が残る。
更に、レタッチソフトを使って美しさ、キャッチーさを盛って写真を作るとなると、
撮った人の自由裁量はその写真にどれだけある/残っている、といえるだろう?
金太郎飴のような、綺麗な写真のオンパレードになってしまう。
これが、趣味なのかなぁ・・・・
レタッチソフトを使っても・・・これ(使い方)は自分の「オリジナル」と胸が張れればOKだろうが・・・・
趣味の世界に、他人任せにしてしまう「うしろめたさ」は厳禁だろう。
やはり当分の間、ストレートフォトのフィルムに拘りたい。
- 2018/12/08(土) 13:19:50|
- フィルムの眼
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
夕刻、戸越公園を散歩。
月が出ていた。

秋が深まると渡り鳥がやってくる。
池の際に立つと、鳥が寄ってくる。
餌を投げ入れてたと思うらしい。


ひとしきり、あたりを泳ぎ回るが、また別の人影を見つけると、そちらへ泳いでいく。
毎年やってくるので、何回か撮影している。
時期になると咲く桜のようなものか?
180mmや135mmの望遠で大きく切り取ったこともある。
50mmで近づいたり、夜の公園に三脚を持ち込み、広角レンズで長時間露光したこともあった。
今回は たまたまのスナップショット。
ノンコートの古いゾナーレンズで撮っていた。
フィルムは、硬調な現像液(Ⅳo)を使用した。
暗い部分のディテールは残らないだろうと思っていたが、
ネガを見ると意外に残っている。
3日後、再び戸越公園を散策。
日はほとんど落ちていた。
夕闇の中、鴨が寄ってくる。

鉄柵の上にカメラを乗せ、スローシャッターを切る。

レンズはキエフ製Jupiter-3、50mm F:1.5ゾナーのクーロンレンズ。
戦後なのでレンズはコーティング処理が施されている。
暗い部分の銀塩濃度を上げ、トーンの縮減をしようと、
(Ⅳo)現像を途中で止め(Ⅱ〕現像液に切り替えて、二段現像を行なってみた。
中庸な現像液(Ⅰ)や軟調現像液(Ⅲ)あるいは(A)で現像し、途中で硬調現像液(Ⅱ)に換えると、
薄い現像部分の進行が早まり、トーンの縮減、コントラストの調整ができるのだが、
この組み合わせは、意外なことに、薄い銀塩濃度の部分、それほど濃度アップにはつながらず、
光の当たった部分は しっかりと銀濃度は高くなっていた。
今までにないトーンのネガを得た。(現像のメカニズムを考えヒントになる。面白い!!)
カメラの眼ではない、「フィルムの眼」だろう。
もすこし、この組み合わせの現像、行なってみるつもり。
-------------------------------------------
使用したカメラとレンズです。
- 2018/12/07(金) 11:21:01|
- フィルムの眼
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
5年後ほど前、この百日紅に注目し 一年間撮り続けたことがあった。
当時はまだTri-Xを主に使っていた。
Tri-Xの場合は(A)現像液一種で増感現像、ソラリゼーション現像など行なえたが、
Retro系のフィルムに換えると、満足できる結果にならない。
配合を検討していたら、現像処方は数種類になってしまった。
夕刻、戸越公園を散歩。
フィルムも代わったことだし・・・
どう撮れるか試してみた。

Retro80Sのフィルムを、ISO:100の感度で使っている。(つもり)
古いカメラなので、露光計は内蔵されていない。単体の露光計も散歩には携帯しない。
あくまでも、経験・・・感度100のフィルムなので、空に露光を合わせれば おそらくf:4で1/125秒、
樹の幹に合わせれば、f:2で1/125秒(あるいはf:4/25秒)と読んだ。
百日紅をシルエットで抜こうと思ったので、
百日紅にピントを合わ、f:4/125秒とした。
一瞬、f:8/25秒の選択肢も考えたが、
被写界深度を深くするより、
手振のほうが問題だろうと思い直す。
現像は 硬調な(Ⅳo)現像液で処理した。
あなた任せにできないカメラ。
老人のボケ防止には・・・・やはり純機械式フィルムカメラが一番だろう。
違った姿(トーン)のさるすべりを 撮ることができた。
- 2018/12/05(水) 11:27:07|
- 百日紅(さるすべり)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
寒くなると 池の水の透明度が少しよくなる。
マミヤプレスで 洗足池の鯉を撮ってみたい。
このカメラならいろいろ工夫して撮れるだろうと思っている。
まずは偵察、池の状態を調べようと、
Nikomart FTnに105mmレンズを付け散歩にでた。
池の鯉を撮るので、レンズにはPLフィルターを装着、
ISO:100でガイドナンバー16の小さなストロボを付けている。
池に着くと銀杏が紅葉(黄葉と呼ぶべきか?)していた。

カメラを持ったカップルが写真を撮っている。
思わずカメラを構え、撮影。
PLフィルターをはずせば もう少し絞りを利かせることができるが・・・・
アッと思ったら間髪をいれず、フレーミングしシャッターを押す、それがスナップ。
男性は鳩を、女性はベンチに落ちた銀杏の葉を狙って撮影。
狙いがはっきりしているし、目の付け所がいい。
映像関係の専門校あるいは大学へ通っているカップかも。

絞るか、もう少し後ろから撮るか迷ったが・・・PLフィルターをはずし、紅葉記念に一枚撮影

まだ水は暗く濁り、ストロボの光も届きにくい。

暗い水底から銀鱗を輝かせ現れた鯉の姿を捉えたいと思っている。
自動化される以前、
機械式カメラの操作は撮る人裁量に任されていた。
写真の出来不出来は、そのまま撮影者個人の能力に直結している。
上手な人のプリントを見せられ、圧倒されていた。
昔は差があったけど・・・この頃は 誰もが綺麗な写真を撮っている。
デジカメで撮ったほうがきれいに撮れるのは、認めざるを得ないが、
裁量に任されたカメラで、いいものが撮れたときの達成感はデジカメよりずっと高い。
写真はプリントされたもので評価される。
古い機械式カメラで撮ろうが最新のデジカメで撮ろうが、
評価の土俵は同じ場所。
デジタルで撮れば、もっと綺麗でかっこいい写真が簡単に撮れるのに、何でフィルムカメラ?
それも、自動化されていない古いカメラで撮る??
いまやフィルムカメラは、自己満足のための道具にすぎないのかも知れません。
撮って楽しかったという達成感は自己満足に過ぎない。
只それだけ・・・・・でしょう。
マミヤプレスはレンズシャッターなので、1/500秒の最高速度までストロボに同調する。
あおりも使えるし・・・・
工夫すれば 違った写真表現ができるだろう。
もう少し寒くなり、水の透明度がもう少しよくなったら、
重いマミヤプレスを担いで洗足池へ行こうと思っている。
- 2018/12/02(日) 10:01:53|
- 散歩
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0