デジタルカメラでは、
白黒のコントラストの大きなキャッチーな写真を簡単に撮れる/作れるようになった。
すごい進歩だと思う。
カメラの設定をHCB&W(ハイコントラスト・白黒モード)に設定すればいい。
レタッチソフトで、銀塩特有の粒子を加える(アレ)フィルター効果を利用すれば、
森山大道風キャッチーな写真も作ることができる。
その気になれば、誰でもできるだろう。
フィルムで白黒のコントラストの大きくキャッチーな写真は、なかなか難しい。
だから、森山大道の写真は魅力的だった。

現像条件を振って効果を確認、
試行錯誤の結果、ようやくこんな写真(ネガ)を作ることができるようになったが、
まだ全て思うようにコントロールできるわけでもない。
デジタル写真なら、レタッチソフトでエッジ・ポスタリゼーション効果をかければ
普通の写真を、これに似た画像にすることができる。
PCの画面で確認しながら、フィルター効果を確認しながら画像を作りこんでいけばいいだけだ。
デジタル写真とは何? レタッチソフトとは何?
と考えざるを得なくなっている。
誰にもできてしまうことに、特別の意義、意味を見出しにくい。
写真表現が均質化し、金太郎飴状態になってはいまいか・・・・デジタルになって、そんな危惧をしている。
デジタルになり、美しい写真画像が氾濫するようになったが、
写真表現そのものは、軽んじられる時代に入ったのかも知れません。
フィルム表現に 拘るのは・・・・何故だろう?
「デジタルでは駄目なんですか?」
と聞かれたら
「一番でなければ 駄目なんですか?」
と 口答えするようなものかなぁ。
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- 2018/11/30(金) 22:25:03|
- フィルムの眼
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打ち捨てられた沈没船の上を水鳥が静かに泳いでいく。

しかし奇妙なこと、勝島運河に沈没船はない。
古いフィルムカメラ、Canonetは何を捉えていたのか?
この水鳥、何処から迷い込んだものか・・・・
異界から飛揚してきたのだろうか?
様々な考えが頭をよぎる。
空想を飛翔させれば、
眼前のすぐ裏に、
見えない大切な世界が広がっていてもいい。
- 2018/11/28(水) 11:56:27|
- 映し出された世界
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秋の澄んだ光が公園の芝生に射していた。


明るいの秋の日を捉えたはずの写真に陰鬱なトーンが加わっていた。
思わずこれは小生の「心象風景」ですと嘯きたいものだが、
そんなことはありません。
単なる現像テクニック、
二段現像でトーンが縮減、たまたまこうなっただけ。
(Ⅰ)現像液で現像していれば、
秋の澄んだ日の光が、やさしく芝生に射しているトーンの豊かな写真になったと思う。
心の中を覗き見る原理はまだ発見されていない。
その原理が解明されれば、写せるカメラの開発が始まり、
やがて「心象風景」を写すカメラも発明されるだろう。
その原理も解明されていないのに、
心象風景を撮りましたという写真に、
いつも胡散臭さを感じている。
心象風景、できるものなら撮りたいとは思うが、
少なくとも、これは小生の心象写真ではありません。
- 2018/11/27(火) 09:34:24|
- ある場所、ある瞬間
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私事ですが、
今日の昼、息子の結婚式がある。
息子は時に予期せぬ行動を取ることがあり、
妻とはひそかに「ドラマチック息子」と呼んでいる。
家をでて10年近くになるが、
年に数回はふらっと帰ってきて元気な姿を見せる。
帰趨本能はあるようだ。
給料のほとんどを遊興費に費やしているらしく、
体重が年々増え、腹回りが大きくなる。
その姿を見て長女は、妊娠何ヶ月? 双子?とからかっていた。
稼いだ金を使うのは、当人の自由だが・・・・瘋癲(風転?)のトラでもあるまいしと、親としては心配していた。
結婚は一種の親への独立宣言。
その宣言、もう少し早くだして欲しかった。

緞帳の前に老人が独り静かに待っていた。
何か面白い劇が始まるかもという期待と、
期待はずれの作品かもという不安・・・・
でも、開演時間になれば確実に緞帳はあがる。
「それが人生さ」、嘯く声がしていた。
9時半になったら、妻と式場へ向かう。
着付けが終われば、役者は揃う。
緞帳が上がったら、次の演目が始まる。
さて、どんな劇が繰り広げられるのか・・・・
- 2018/11/25(日) 07:47:41|
- ある場所、ある瞬間
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Canonetを首からブラ下げ、勝島運河を散歩した。
カメラにはRetro80Sのフィルムが詰まっている。

ポールが風に揺れていた。

先端は揺れて変形、空に溶け込み、やがて千切れていく。

ここは船の墓場か?
水底に船が・・・・

そんなことありません。
眼を澄ませばこの光景、誰にでも見えてくる。
Retro80Sと二段現像の組み合わせで可能となったトーン。
Acros100フィルムではこのトーン、出せなかった。
- 2018/11/23(金) 10:40:23|
- 勝島運河
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勝島運河で撮った一枚。
Retro80Sフィルムを使い、(Ⅰ)+(Ⅱ)の二段現像。
(Ⅱ)液の現像時間の割合を増やし、エッジが出るようにフィルムを現像した。

普通の現像では出せないトーンになっている。
これだけでも、十分奇妙だが、
更に、PSE(Adobe Photoshop Elements Ver.7)のフィルタープログラムを使って、
エッジ・ポスタリゼーション変換をしてみた。(暇なもので・・・)

エッジを出す現像法は、二段現像法で達成できる。
ポスタリゼーションは、ハーフトーンを縮減するよう、撮影に注意し現像すればできる。
フィルムでも同じ効果(エッジ・ポスタリゼーション)のネガを作ることは可能だろう。
PSEのフィルターソフトで、
強くポスタリゼーションをかけると、完全に非現実、ポスターの絵のようになるので、かけ方を弱くしている。

光彩拡散効果をフィルム現像で達成するのは難しい。
今のところ、どうしたらいいか アイデアも浮かばない。
レタッチソフトを使うなら、これがいいかなぁと思ったが、
強くかけるとディテールが失われ非現実なるので、処理は抑え気味にした。

ソラリゼーションはマン・レイが開発した現像法。
古くから有名で、自分でフィルムを現像している人なら、一度は試したことがあるだろう。
しかし、PSEのフィルターのソフトでソラリゼーション変換すると、
フィルムでは出せないような効果がでていた。
フィルムで行なうソラリゼーションでは、こういうトーン出せないと思う。
レタッチソフトで遊ぶのもいいが、クリック数回で終わってしまう。
安直過ぎて、手慰みに写真をいじっている老人にはあまりにも遊ぶ時間が短すぎる。
すぐ厭きてしまう。(たまにはいいか、という感じ)
もう少し時間をかけて遊びたいものだが・・・・
見栄えのいい写真が撮れるわけでもないが、
やはりフィルムのほうが面白い。
光彩拡散はノーアイデア、
エッジ・ポスタリゼーション効果に挑戦してみようか・・・という気になっている。
ポスタリゼーション作品は、すでにマン・レイにあったと思う。
クーデルカのExperimentsにもあった。
後追いですが、達成できたら、それはそれで面白い。
- 2018/11/22(木) 10:06:53|
- 写真の技法
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眼前のなんでもない光景を撮っておいて、
そのなかにあった奇妙さを、
さも新しい発見のごとく示すこと、
それに、どんな意味があるのだろう?

Rage to see. 只それだけなのだが・・・・

鳥は、どちら側を泳いでいるのだろう?

晩秋午後の明暗差のない世界が広がっていた。
紅葉した木々でもあればレンズを向けるのだろうが、
変哲のない、いつもの勝島運河、
デジタル(カラー)に馴れた眼では、レンズを向けることないだろう。
カラーフィルムでも撮りやしない、フィルムの無駄だ。

でも、扉をノックして叩けば、思いがけず豊かなトーンの世界が広がっていることもある。
- 2018/11/21(水) 09:39:44|
- 映し出された世界
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中庸な現像液(Ⅰ)で現像。
露光が合えば、黒潰れ・白飛びもない諧調性(トーン)の豊かなネガになる。

しかし、ネガの諧調性が豊かだからといって、いい写真になるわけではない。
そこが難しいところ。
暗い部分は黒く潰し、白黒の対比の美しい写真(HCB&W)がこの頃の流行(はやり)。
デジタルでそれが簡単になる。

フィルムでもHCB&Wモードに似た諧調の写真を撮ることできるが、
デジタルには ちょっとかなわない。
達成するためには、自分でフィルムを現像し、
現像液の特性に習熟していないと難しいと思う。

(Ⅰ)現像液 組成はD76と異なるが、それに似た現像特性があり、汎用現像液として使っている。

インパクトあるトーンの写真ではないが、
黒潰れ・白飛びもない諧調性(トーン)で、
勝島運河の夕暮れを捉えてみました。
- 2018/11/20(火) 10:05:40|
- 勝島運河
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林試の森に入ったとき、
秋の陽は既に森の木々の間に落ちていた。

遠い昔の武蔵野の
雑木林を連想させる場所が残っていた。
陽は陰り、暗い。
シャッターを切ろうとしたが、
ロックがかかり切れない。露光不足。
Autoをはずし、手動で絞りとシャッター速度を設定して撮影した。
暗い部分のディテールが出ていない。一絞り露光不足だろう。
ISO:100のフィルムだと、f:1.9で1/60秒が 自動露光の限界らしい。

先月初めの台風24号によって大木が倒されていた。
暗い部分のディテールを残し、明るい部分も白飛びさせない。
それが 小生の考える適正露光と現像。
これは適正露光だろう。

2,3年前の台風で倒れたユーカリの樹。
自然に朽ちていく姿を観察するため柵が設けられている。
白金の自然教育園で実施されている展示法を、ここでも行なっていた。
Autoで撮影。
- 2018/11/19(月) 10:24:08|
- 散歩
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カメラを使わないで、暗い押入れにしまっておくと、劣化する。
人間に適度な運動が必要なように、
カメラも時々外に持ち出し、日を浴びせてあげれば、使える状態に保つことができる。
使えるカメラは、捨てないのでどんどん増えていく。
時たま、そんなカメラを取り出し、写真を撮る。
Canonetは母が購入したもの。
オリンピックの始まる前、1963年ごろだったと思う。
びっくりするほど良い写りのレンズと母は褒めていた。
母の遺品だと思い、
数年前から 時々 思い出したように使っている。(メンテナンス)

Canonetの強みは、一般ユーザー向けの価格帯で、
キャノンやニコンなどレンズ交換式高級カメラに負けないF:1.9という明るいレンズ。
そして露光計が内蔵され、シャッター速度優先の自動露光となったことだろう。
フィルム代、現像代、プリント代を考えると、露光の失敗はしたくない。
露光の煩わしさから開放されたことが、大きな強みになっていた。
弱点は、カメラの部材にプラスチックはあまり使われていなかったので重いこと。
並べてみると、当時のレンズ交換式カメラと比べても少し重く、少し大きい。
それから10年ぐらいたって、母は小さくて軽いMinolta Hi-Matic Fのカメラを購入している。
やはり大きく重いカメラを敬遠したのだろうと思う。
Milolta Hi-Matic Fは レンズの描写力からすると
Canonetより少し劣るが・・・かなりのレベル、サービスサイズ程度のプリントなら差は感じない。
露光は完全自動のプログラム方式で、シャッターダイアルと絞り環はカメラから消えてなくなっていた。
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CanonetにAcros100フィルムをつめ、大崎付近を散歩した。

入居が始まった大崎ガーデンシティー。
太陽の自然光と、ビルの反射光とが複雑に射しこむ。
影のセルフィーです。

吊紐(皮製)が切れてカメラが落下。
ピントの二重像 左右は狂わなかったが、上下は合わなくなる。
ビルのガラス窓(壁)に映る他のビルの姿を撮ろうとしたのだが、
なんでこんな写真が撮れたのか・・・・?よくわからない。

大崎駅近くの目黒川で撮ったもの。
これも少し変。
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落とした衝撃でカメラの裏蓋が少し開いてしまったらしい。
フィルムを撮り終わり現像すると、4コマほど光が入り黒くなってしまった。
パーフォレーションの部分に黒く露光した部分が入ったが、助かったコマもあった。
モルトも劣化し剥がれている場所があった。
モルトを交換し、カメラの軍艦部をはずし(小さなネジ3本で止まっているだけ)
ファインダーの縦位置を調整した。
ついでに埃で汚れていた部分をきれいに掃除し、
組み立てなおしたら、明るく見やすくなっていた。
Nikon SPやKievⅡのカメラでなければ駄目という場面、そう多くない。
このカメラでも充分でしょう。
信頼性に若干気がかりな点もあるけど、まだ使えます。
- 2018/11/18(日) 11:48:16|
- 散歩
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南方の樹の生長は早い。
おそらく樹齢は50年くらいだろう。
小生からみたらまだ若造、しかし既に老木の風格がある。

老木に登り、写真を撮るのが、台湾の習慣だと添乗員は説明していた。
確かに、日本の公園で、樹に登る人は見ないが・・・・
本当だろうか?
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女性の姿をシルエットで抜こうかと思ったが、
そうするとフィルム一本、全て硬調な写真になってしまう。
デジタルなら、カット毎、撮影条件を変えられる。
それが、フィルムカメラの弱点。
(Ⅰ)現像液で、ノーマル現像。
諧調性重視のネガを作った。
- 2018/11/17(土) 08:06:46|
- ある場所、ある瞬間
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台湾の夜市、
多くの人の喧騒で賑わう街の際に、
気づくと、ぽっかりと闇の世界が広がっていた。
ボーと白く浮き出た大木を、捕まえようとカメラを向ける。

ISO400のフィルムだが、光が足りない。
きれいな写真を撮りたかったら、
三脚にカメラを据付、f:8で8秒の露光をかけるところだろう。(経験値です。)
手持ち撮影なので、f:2で1/30秒か、1/15秒で撮影している。
明らかに露光不足。
バスの車体は確認できるが、全体にネガは薄い。
フィルムスキャナーのトーンカーブを調整し、暗い部分を浮き出すように、取り込んでみた。
銀粒子がでてザッラとした写真になってしまったが、
異界へ入り口が写ってや、いまいか?

建物が暗い空に溶け込むようだった。
だめもとだと、かまわず一枚シャッターを切る。
ネガには微かな濃度の画像が記録されていた。
銀塩粒子のでた汚い写真になったが、
でも、この一枚には、
あの場で感じた不気味さがでているなぁ、と独りにんまりしている。
小生にとってフィルムで撮るのは、
たんなる自己満足、それだけかもしれません。
- 2018/11/16(金) 09:44:13|
- ある場所、ある瞬間
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混沌
切り貼り等の合成一切なしのストレートフォト。
あの場所の要素が全て詰まっている。
シュールさ、さえ覚え、選んだ一枚。
調和
ヨーロッパ的な静寂さ・調和を感じた一角。
一列に駐車したオートバイに、アジア的喧騒を感じない。
大陸とは違う中国があった。
- 2018/11/15(木) 08:27:50|
- ある場所、ある瞬間
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姪の結婚式の写真を撮ろうと、
旅行かばんにデジタルカメラを入れてあったが、
式場に持っていくことを忘れていた。
結局、記憶に記録するだけになった。
もっとも、式の様子は同行した親戚・友人が撮っていたので、
後日、メールに添付されて届いている。
映像のクオリティーもなかなかいい。
すごい時代、
便利な時代になっている。
もはや白黒フィルムの時代ではないだろう。
すでに白黒フィルムの実用性は失せている。
それに固執するとは・・・・偏屈。
心の柔軟性が失せた証拠かもしれない。
後戻りはできなくとも、チャレンジはできるはずなのに。
朝、残っていたフィルムで、
ホテルの外にでて、ぼんやりと台湾最後の写真を撮っていた。


- 2018/11/14(水) 07:17:09|
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午後4時頃には ホテルに戻り、
6時半ロビーで待ち合わせして結婚式会場へ行くという。
その間の観光、搭乗員は沢山の場所を見せたがる・・・
老体には忙しい観光旅行になった。
妻は、ほとんどバスの中で待っていた。

高雄に在った城の城壁跡。


湖のところで休憩し、ドラゴンフルーツ、釈迦頭、台湾バナナを買って分けて食べた。


運河の左側、船が係留されているところが昨日の午後過ごした赤レンガ倉庫街。

中国式お寺。仏教なのか道教なのか・・・よくわからない。
金ぴか極彩色のお寺だった。
これを撮るならデジタルカラーでしょう。


このお寺、白黒のコントラストを強く出すよう撮影・現像したら・・・・
日光東照宮で森山大道がだしたトーンに近いものになったと思う。
今回は全て(Ⅰ)現像液で現像した。
- 2018/11/12(月) 09:52:51|
- 旅行・観光
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結婚式は夜6時半からだという。
それまで時間があるので、妹がバスをチャーターしていた。
高雄の街を、それで巡ろうという。
メンバーは日本から参加した13人、それが50人定員のバスに乗る。
観光のシーズンではないのかもしれない。
案内してくれた添乗員は中年の日本人男性だった。

最初に連れて行かれたのは、蒋介石の別荘地だったという。
そこに建つ丸山飯店。
25年ほど前、台湾旅行をしたことがある。
その時台北で丸山飯店に泊まっている。
高雄の丸山飯店にも泊まった記憶がある。
今もホテルとして営業していて、
調度品はいいものがあり、歴史を感じるので、是非にと泊まるひとがいるが、
古くなり黴臭いので薦めないと添乗員の男性は言っていた。
池の際に搭が建っている。
ここで記念写真を撮ってくれた。

総勢13名。
若い者2名(といっても40歳過ぎ)が塔を登っていく。
若者4名を除くと、平均年齢70歳以上の団体旅行。

老人蓮、若者の背を見ているだけなので、
一念発起、散歩にカメラで足は鍛えている、若者には負けじ一緒に登る。
この塔にも・・・・登った覚えがある。
-----------------------------
帰ってきて、家に残るアルバムを探す。
台湾観光旅行に最初に行ったのは母親だった。
1986年11月5日~9日のスケジュールで、親戚と知り合い4名で台湾旅行している。
そのとき、高雄の丸山飯店に泊まり、同じ場所に立っていた。


この写真に写っている人は全てもうこの世にいない。
母は、孫娘が、台湾の高雄に住むとは想像しなかっただろう。
その息子・娘の世代も、既に70歳を過ぎている。
--------------------------
1993年の夏、家族旅行で台湾を旅行した。
娘は当時中学生になっていた。
一種の反抗期だったかも。
誘ったが家にいるという。

丸山飯店に泊まり、

この塔にも登っている。
記録として撮るならカラーがいいと思う。
一緒に行った人に写真をプレゼントするなら断然カラー写真となる。
素敵なレストランの料理の写真を、白黒で撮って見せても、
そのおいしさが伝わることはないだろう。
なんで、白黒フィルムの写真に拘るのか?
時々、自問しています。
---------------------------------
姪と息子 年齢的には近かったので、子供の頃はよく遊んでいた。
その姪が10月 台湾で結婚。
その息子も11月下旬に結婚する。
親戚・縁者が集まったら70歳以上になっていた。
世代交代が迫ってきている。
- 2018/11/11(日) 11:53:11|
- 旅行・観光
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午前中の台湾新幹線に乗り、最南端にある高雄市へ移動。
ホテルに着くと、慌しくチェックイン。
姪が結婚相手を連れて、ホテルのロビーに現れる。
結婚相手は、台湾鉄道に勤める公務員。
現在、高雄の街にも地下鉄が走り、その一駅で駅長を勤めているという。
全員にパスが手渡された。
彼が先導し、地下鉄、路面電車(トラム)を乗り継ぎ、港へ行く。

日本統治下、物資の集積所として栄え、港は繁栄、軍港でもあったという。
赤レンガの倉庫を改造し、今はショッピングを楽しむ地区になっている。
横浜の赤レンガ倉庫街のような感じである。
土曜の休日、人が沢山でていた。


広場の公園には屋台がでて、お祭りのようだった。
お箸を使うので、違和感はまったく感じない。(外国とは思えない)

ハンドメードの商品を並べ販売している。

外壁をさりげなく補修している。
年代感はある。
そんな場所がやはり撮影のバックにはいいのだろう。

店の中に入れば、内装は日本の横浜赤レンガ倉庫街と変わりはない。おしゃれである。


なかなか個性的。
もう少し近づいて撮影したかったが・・・・
客を待つ視線なので、秒撮でも難しい。
中国的というよりアメリカ風、
違和感なく風景に溶け込んでいる。
台湾の人の心は、もう一党独裁には、戻れないだろう。
(戦後、大陸から来た蒋介石率いる国民党政治は、独裁で、今の北朝鮮並だったという。勿論そう言うのは 国民党が来るより前から台湾に住む中国の人。蒋介石と一緒に来た人はそうは言わないでしょうが・・・蒋介石と一緒に来た国民党の人も少なくなり、時代は変わっていく。日本軍と戦った国民党軍の人も少なくなり、親日的になってきている。)

高雄の港は軍港なので写真は撮れないだろうと思っていたが、
思い違い、自由に撮影できる。

高雄市民の憩いの場所になっていた。
- 2018/11/09(金) 10:39:14|
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夜 台北の夜市へ行く。
夜店が発祥、ハレの日以外も開かれるようになり、日常化、
いまや観光地化したのかも知れません。






すこし綺麗に撮れた写真を選んでいる。
写真の撮り方、選び方で印象を変化させることもできる。
写真は、見たことの正確な記録と思われているが、個人的な偏見も混ざること 致し方ない。
写真は、写真を読み解く人の、
見識、品格、教養に左右されるものだと思う。
この夜市、アメ横よりもっと雑多で、雑然とし、日本の祭りの夜店の雰囲気も残っていた。
- 2018/11/08(木) 10:17:43|
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泊まったのは台北駅前のホテル。
台北凱撒大飯店、別名「シーザー パーク台北」
しかし、現地の人に「シーザー パークホテル」と言ってもほとんど伝わらない。
四声をしっかり区別し、台湾なまりで発音しないと通じない。
そこで紙に書くが、カタカナは読めない。古い旧字体で「凱撒」と書くことになる。
25年ほど前、台湾に家族旅行で来たことがあるが、
お年寄りを見つけ話しかけると、日本語は通じた。
そのころのお年よりはもういない。
社会が少しずつ変化してきている。(当たり前だが)
朝食前の1時間、ホテルの近くを散歩してみた。

世界共通、スマホを操作する女性は多い。


台湾は、オートバイ王国だが、今もガソリンエンジン式が主流、電動バイクは見なかった。
大陸側の中国ではエンジン式は消え、今は電動バイクになっている。
若い人からご老人まで、バイクで颯爽と走っていく。

台北の10月は雨が多い。盆地にあり気温は東京とあまり変わりがなかった。

国立台湾博物館 ホテルから歩いて10分もかからなかった。

金曜日の朝だが、開館を待つ人達が集まっていた。
若い人が多い。
日本より年齢層は若いだろう。

北門近く、ホテルまで5分くらいか?
50mmレンズの似合う街かも・・・・ちょっとヨーロッパ風。
- 2018/11/06(火) 10:00:00|
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妹夫婦の娘が台湾の男性と結婚することになり、
結婚式に出席するため、10月の下旬 台湾を旅行した。
ついでだからと、台湾観光もしようと、妹は言う。
スケジュールは任せろというが・・・・
昔、海外を飛び歩いていた時期があり、
独りで海外を旅するなら、どうにでも対応できるが、
今回は親戚を含めた知り合いの団体。
なにかトラブルが発生したら、
トラブル解決の矢面に立たされるのは小生だろう。
少々気が重い。
カメラはNikon SP 50mm F:2のレンズ。
フィルムはRetro400Sをマガジンに詰め、5本持参した。
いつもは 写真を撮ると その記録として、日付、場所、絞り、シャッター速度をメモしておくのだが、
今回はその心の余裕を失っていた。
最初の日の午後、手配された観光バスに乗り、台北郊外を観光旅行。
九份(きゅうふん)で夕食を取った。

夕刻、沖に輝く白い光の点は、イカ(烏賊)釣り舟の漁火。

「千と千尋の神隠し」の舞台になった旅館のモデルだという。
台湾の人だけでなく、日本人の姿も多かった。
日本の修学旅行生の一団ともすれ違っている。
宮崎アニメの威力だろう。

狭い路地に人がひしめき、左右には土産物屋が軒を連ねている。
進むのに苦労する。
原宿や上野アメ横の雑踏のようだった。
台湾観光では有名なスポットだが、デジタル一眼を持つ人をあまり見ない。
スマホ、タブレットで撮っている人が多かった。


有名な「招き犬」らしい。
同行した知り合いは、
スマホ片手に九份(きゅうふん)の街を撮っていたが、
それが正解。
明るくきれいに撮れていた。
白黒フィルムは完敗だろう。
いいところなし。
- 2018/11/04(日) 19:01:30|
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10月の初めの頃だったか、
テレビをつけると、
積水ハウスが
東京都品川区の土地購入代金約55億円をだまし取られた事件を報道していた。
そのとき「地面師」なる言葉をはじめて知る。
野坂昭如の「とむらい師たち」「エロ事師たち」でもあるまいが、
語感からも犯罪の匂いがぷんぷんとする。
品川区西五反田にある約300坪の土地・・・・破格の安値で約60億!?
とすればあそこしかない。
じっとTVの画面を見つめる。
海喜館だ。
------------------
海喜館は 散歩で通り過ぎるとき、時々撮影している。
今年撮影した分をハードディスクから探してみた。

目黒川の桜を撮りに行ったときの一枚。
遠くに見えるのが海喜館の桜の花。
横を目黒川が流れ、橋を渡ったところに海喜館がある。

5月、築地塀


5月のこの時点で、営業は停止、海喜館は終わったようだ。

5ヵ月後も放置自転車はそのままの状態になっていた。

夕方 月が出ていたのでR2フィルターをつけ空を暗く落としてみた。
コントラストを付けるため二段現像してる。
モルタルの建物は海喜館の客室。

二段現像を試していた時期。テスト撮影を行なっていた。

自動コンパクトカメラで撮影。
時としてオートフォーカスがうまく動かないときもあるが、
かえって海喜館(怪奇館)を表現できているのでは?



9月、近くを散歩して撮影していた。


10月の下旬撮影。
築地塀の下にジュースの空き缶が1つ置かれていた。
それが面白いと、シャッターを切ったまで。
他意はありません、ただそれだけでもシャッターを切り フィルムを浪費しています。
これは 本日 横を通り過ぎるとき撮影したデジタル画像です。

どのような場所で、どのような建物か
その情報を伝えるとしたらデジタルカラーのほうが正確に伝えられる。
目の前の事物を即物的に伝えたいならデジタルカラーがいい。
しかし 即物的だと、思考は停止する。
いいね、いい写真だ・・・それだけで、もう沢山!
それ以上のものを写真に感じようとはしなくなる。
散歩していて、街でデジタルカメラを持つひとが減っているのを感じる。
代わって、気楽にスマホを取り出し、眼前の映像を記録していく。
記録したが・・・・記憶に残るだろうか?
安直にしたこと、
簡単にできたことは、
なに大丈夫、すぐできるからと、
すぐに忘れてしまう。
モノトーン写真は、抽象化されることで、情報は欠落する。
欠落した部分に触発され、それを補おうとすると、
隠されていた本質がそっと現れて、見えるようになる・・・・、
いいなぁと思える写真を撮ることは、なかなかできないが、
できれば記憶に残る作品となるだろう。
写真を撮ることは 撮る人の品格、センスが試される。
同時に、見る人の力量も試されている。
抽象化されたことで失ったものを補おうと、思考をめぐらし、写真を読み解こうとする。
読み解くものがないモノトーン写真は 面白くもない駄作だ。
写真の眼は そのようにして開いていくのだと思う。
簡便が一番。
面倒なモノトーンに、だれが見向くだろう?
モノトーン写真が流行らなくなるのは 時代の趨勢、致し方ない。
ささやかな抵抗、
モノトーンフィルムで記録した今年の「海喜館」です。
- 2018/11/02(金) 17:31:07|
- 散歩
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