行動範囲が狭いので、同じ場所に立つことが多い。
勢い、同じ被写体、同じようなフレーミングで撮影していることがある。
それでも、それなりの理由を付けてシャッターを切っている。
① 撮影した写真を見て、こう撮っておけばよかったと あとで後悔/残念に思った。
② 変わっていく土地の変貌を記録しておきたい。
③ ~~を撮ってみたいとテーマにしている。
②散歩コースを歩き、変貌に気づいたときシャッターを切っている。
大崎の再開発風景、目黒川と東急五反田駅、旧品川宿、など
③ ~~が撮りたいと感じた被写体を 納得いくまで通い、追いかける。
戸越公園の百日紅、桜、東京タワー など
①のケース、
もう少し待って、タイミングを合わせればよかった、
あるいは、フレーミング、もう少し工夫の仕方があったろうと、
再度 その場所に立ち 写真に収めるが、
多くの場合、最初に撮ったショットがベストで、後で撮った写真で、いいものは少ない。
これは①のケースだろう。
8月25日の記事に載せた築地・魚河岸の写真(撮影は8月23日)との比較をしてみた。
フレーミングに問題はない。(これ以外の構図、ユニークなフレーミングを探し当てる才能はない)
気になったのは、暗い部分が潰れて、ディテールがでなかったこと。
(Ⅰ)+(Ⅱ)の二段現像をしたが、現像時間の配分が悪かったのだろう・・・・
もう少し、暗い部分のディテール出るはずと、再度挑戦していた。
一種の現像実験のため、4日後、わざわざ出向き 写真を撮ったことになる。
まぁ、暇ですから・・・・
レンズは固定の35mmの使い、
フレーミングはほぼ同一、フィルムは同じRetro80S 現像法も同じだけど、
暗い部分を持ち上げるよう、(Ⅰ)+(Ⅱ)の現像時間の配分を変えています。
Canon Autoboy Luna35の写真(8月23日のネガ)と比べると、
暗部のディテール、改善されていると思う。
しかし、画質に関しては、差は感じない。
コシナが最新技術を駆使して作ったSC-SKOPAR 35mm 単焦点レンズ。
一方は、バカチョンのおもちゃのようなズームレンズ、
しかし 結果は、いい勝負になっている。画質に違いは感じない。
むしろ 最初に撮ったCanon Autoboyのほうが・・・・写真としては、いいかも。
しかし、SC-SKOPAR 35mm 単焦点レンズの名誉にため言わせて貰えば、
四つ切程度まで大きく伸ばした(プリントする)印画紙で 画像を見たら、
その差はでてくる。
明らかに SC-SKOPAR 35mmで撮影したほうが画質はいい。
その少しの差を 問題とするか、しないかは、個人の好み。
小生はかなりいい加減なので、Canon Autoboyでもいいかと思ってしまう。
低画素のPCモニターで、あるいはスマホの液晶画面で 写真を見て楽しむだけなら・・・
高級なカメラ(デジカメ)は必要ないでしょう。
しかし、技術は進歩、4K、8Kのモニターが一般化すれば・・・・
写真の楽しみ方も、紙の媒体から、PCなどの電子媒体に変わっていく。
そうなると、フィルムカメラは終焉を向かえ、いよいよ、デジタルカメラの時代となる。
4KTVの実用化はもうすぐ、8Kの放送試験も始まっているという。
4KTVが広くいきわたれば、PCのモニターも安くなるだろう。
「(フィルム信仰を)悔い改め、デジタル・カメラに転向しなさい」と強要されている気分になっている。
フィルムかデジタルかは、小生の余命との勝負になってきたようだ。
(負けることの分かっている勝負ですが・・・・)
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2018/08/31(金) 10:30:29 |
フィルムの眼
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なんども ここを散歩している。
見慣れた光景となっているが、
そのとき、何に興味を惹かれたか、心の持ち方で、切り取り方が変わってくる。
それが写真。
カメラの眼は常に進歩、とどまるべきでない。
もうここは撮った。
同じようにしか撮れないと思ったら、
カメラを向けることはないだろう。
2018/08/29(水) 21:35:15 |
勝島運河
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七人に一人くらいは、何らかの発達障害が認められるという。
しかし、発達障害は 個人の心の問題に直結している。
当人は、周囲との違和感を感じながらも、それを自分から表明することは少ない。
この向日葵も発達障害だろう。
しかし、置かれた環境のなか、向日葵のもつ生命の限界で成長し続けていることは確か。
なにか 大事なこと語ってはいまいか?
発達障害があることと、それが「悪いこと」「異常なこと」「変人だ」という価値観とは別次元の話だが、(単に統計的な話)
えてして、大多数を占める「普通の人」はそこに価値観(良し悪し)を混同させ易い。
誰だって、統計的に外れてしまう特性/性癖を内在している。
社会生活を つつがなく送るため、それを表に出さないだけ。
表に出した勇気のある人に対し、
事実は、事実として認めれば、差別しなければならない理由は存在しないだろう。
LGBT(性同一障害)で苦しんでいる人もいる。知的障害を持って生まれてきた人もいる。
それを事実として受け入れれば、普通人からの見方で人の優劣を判定し、差別するのは問題があると気づくはず。
皆同じ人間集団の一員、たまたま 統計的に外れているだけ。
いかに社会の中で一緒に暮らせるようにするか、社会のあり方も変わっていくと思う。
フリーク(統計的異常)な人を撮り続け、自殺したアメリカの(女性)写真家Diane Arbusの写真が
この頃、気になってしょうがない。
この「ひまわり」も 向日葵の仲間、たまたまたこういう姿になっただけ。
花の咲いた瞬間だけ愛でるのは、あまりに表層的。
美しさを愛で、表層的にさっと撮影するより、
このフリークなひまわりで、何か「向日葵の本質」的なものを写し留められるのではないか・・・と夢想してしまう。
美しい花なんて撮りたくない、フリークな花を撮りたい。
なにか、目には見えないけど、大事なものが そこにある・・・
老人の呟きです。
天才と「フリーク」は 紙一重。
2018/08/27(月) 23:45:46 |
ひまわり
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中判カメラ Mamiya Pressで ここを撮ったらどんな写真になるだろう?
早く、使えるMamiya Pressを入手したいと思っている。
「あれで撮ったら?」と思うわくわく感が、たまらなくいい。
半切、あるいは全紙に伸ばしてみようか・・・?
2018/08/26(日) 10:55:28 |
勝島運河
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カメラを使いこなすのは難しかった。
19世紀末、日本では明治時代の後期、コダックはフィルム付のカメラを売り出す。
そのキャッチフレーズは「貴方はボタンを押すだけ、あとはコダックが」。
コダックは、カメラの大衆化に力点があったわけではない、
むしろ自社で生産するフイルムの拡販・需要の掘り起こし戦略だった。
子供時代のスタイケンは、それに飛びつき、母親にお願いして そのカメラを得る。
撮影終了後、コダックにカメラを郵送、
結果は50コマ撮って1枚しか印画紙に焼き付けられなかったという。
多くは 黒く潰れたり、薄すぎて印画紙に焼き付けできない。
同じことが、日本でもあったと思う。
昭和30年の初め、フジフィルムはフジペットという廉価なブローニーフィルム写真機を売り出す。
小学生を中心に話題となり、販売は成功、ブローニーフィルムの生産は大きく伸び、会社の利益に貢献したという。
しかし、小学生が光を読み、露光を合わせ 撮れたわけではない。
多量に薄いフィルムや濃いフィルムが出た。
でも、フィルム会社としては、沢山消費してくれることが、会社の利益になる。
その後、露光の問題を解決したカメラが、売れるカメラ・・・・開発競争が始まる。
時代は レンジファインダーカメラから一眼レフに変わっていく。
TTLと称する露光計を内蔵した一眼レフカメラが出現。
そしてAEカメラの出現が、カメラの大衆化の起爆剤になる。
光を読み、絞とシャッター速度を、経験で決める時代から、
対象物にカメラを向ければカメラが自動で露光を合わせてくれる時代になる。
1960年代中ごろから、一気に 俄かカメラマン時代に突入する。
その後AEカメラは更に進歩、オートフォーカスが入り、
モータードライブが内蔵されたバカチョンカメラが出現する。
「貴方はシャッターを押すだけ、あとは全てカメラにお任せ」の時代になる。
今 使っている Canon Autoboy Luna35はまさに その「バカチョン」カメラそのものだろう。
フィルムを載せ、ふたを閉めると、フィルムが自動で巻かれ、撮影できるようになる。
DIXコードでフィルムの感度を気にすることはない。
レンズカバーを開け、撮影モードにしてシャッターを切れば、レンズの捉えた何かは 必ず撮れている。
最後まで撮ったら、フィルムは自動で巻き戻し、パトローネに入る。
裏蓋をあけ、パトローネを取り出しDPEショップへ持っていけば、
すぐ現像し、プリントしてくれる。
撮影で、失敗することは稀だろう。
機械音痴の女性が使うカメラというイメージがあるが、
1990年代になると コンピューターの発展で、ビックリするほど 光学計算が楽になり、
ズームレンズが搭載された「バカチョン」カメラが販売された。
大衆向けと侮れないレンズ性能をもったカメラとなっていた。
フィルムを現像し、ネガを3200dpiのフィルムスキャナーで取り込み、PCの画面でチェックして驚いた。
玩具のような 35mm~70mmの小さなズームレンズがついている。
フラグシップのカメラに付けられるレンズではない。
たいしたことないだろうと・・・期待はしていなかった。
解像感が素晴らしい。
35mmフィルムを3200Dpiで取り込んでいるので、ピクセル約1400万画素の画像になっている。
画像の一部を切り出し、ピクセル等倍にしてみる。
遠方の橋もぼやけていない。
中景のビルの紋様もしっかり描写できている。
手前に駐車している車もハッキリとでている。
1400万画素のデジタルカメラで撮ったら、ビルの線などもっと綺麗に撮れるかもしれないが・・・・
少なくとも 高級フィルムカメラに負けない解像感はでていると思う。
デジタルカメラは、フィルム時代の「バカチョン」カメラより 更に操作は簡単。
「バカチョン度」はさらに上がっている。
綺麗に、簡単に、便利に撮れるカメラを志向してカメラは改良され、発展してきた。
デジカメになり、かなり理想的な形に近づいている。
しかし、技術の進歩が、人間の密かな楽しみを奪い、疎外感を生み出してしまうこともある。
バカチョンカメラより簡単なデジタルカメラ、使って何が楽しいのだろう?
撮影結果もすぐわかる。
簡単便利、だけど、写真を撮る楽しさ、高揚感も ときめきも希薄になってしまった。
デジカメを手にすると、撮影が雑になる。
あとで選べばいいと、息するようにパチパチとシャッターをきる。
何か撮れているに決まっているさ、嘯く。
そして、俺が撮ったのではない、カメラが勝手に撮ったのさ・・・と思てしまう。
ソフトウエアー会社のレタッチソフトを使い、
画像の濃度、コントラスト、色調を整えていくと、これは、望んだことだろうか?と思ってしまう。
自分が撮った(主体的)写真というより、メーカー主導の(受動的)写真になっている。
写真から疎外されていることになりはしないか?と勘ぐってしまう。
マミヤプレス、使っていて楽しかった。
フィルムに銀塩の像を見たときの高揚感、ドキドキ感、
忘れられない。
やはり フィルムに拘る。
2018/08/25(土) 22:23:10 |
レンズの眼、カメラの眼
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大きなフォーマットのフィルムの表現力を知りたくて、
新宿の中古カメラ店で見たMamiya Press Super23 一式を衝動買いしていた。
購入して初めて気づいたが、このカメラ、フィルムのフォーマットが広いだけでなく、不完全だが「アオリ」が使えること。
「アオリ」に関しては、昔、カメラ雑誌などで、どう撮れるか技術的なことは、知っていた。
あぁすごい!!これは面白いことになる。
フィルムホルダーは蛇腹に付けられている(MAMIYA-6と同じような形式)、
フィルムホルダーを支える4本の支柱は可動なので、レンズの光軸を振ることができる。
アオリを使わない手はない、と早速テスト撮影していた。
撮影に先立ち、デジカメで比較画像を撮影。
前の黄色の菊の花から50cmの位置に三脚を据える。
Sony NEX-5の液晶画面を覗き、ズームし花をフレーミングする。
レンズの焦点距離45mmで 画面に収まる。
約1400万画素の写真を得る。
次に同じ位置で、三脚にMamiya Pres super23をセットする。
レンズは Sekor 100mm f:3.5 フィルムはT-MAX100を使用した。
通常の撮影では、レンジファインダーの距離計は最短で100cmまでしか近づけない。
蛇腹を引き伸ばせば、45cmくらいまで接写可能になる。ただし、距離計は使えない。
ピントグラスユニットで焦点を合わせ、確認後、フィルムホルダーに交換すれば、近接接写も可能となる。
レンズは100mmの焦点距離、前の花に焦点を合わせたが、後ろの花はぼやけてしまった。
デジタルの画像と比較すると、ボケ方は非常に大きい。
デジタルの画像は、焦点距離は45mmの短焦点レンズを使っている。
それに、絞りはf:5と絞っている。
被写界深度は深い。
ピントグラスユニットに交換し、アオリ機構を調整し、f;3.5の開放絞りでも、後ろの花まで焦点が来るよう調整する。
フィルムホルダーと交換し、撮影。
3200dpiのフィルムスキャナーで画像をデジタル化すると、約7000万画素のデーターを得た。
手前の花から、
後ろの花まで、
ほぼ 焦点は合っている。
100mmレンズの開放絞りで撮影しても、ボケることなく 前から後ろまでほぼピントは合っている。
すごい効果、アオリのできるカメラでないと味わえない・・・その凄さに興奮した。
上手く撮れるか否かは、撮影者の覚悟、意気込み、スキルに任されているのもいい。
これが 写真だよなぁ~~と再認識。
昔の写真家のすごさを思い知らせれる。
デジタルでは味わえない達成感を感じた。
面白い!
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新宿の中古市場で求めた(衝動買い)したMamiaPress Super23の100mmレンズシャッタ-の不具合があった。
確実性がないので、購入したカメラ一式を持参、(重さは、2.7kgもあった)
レンズの不具合を互いに確認、
直せないか?直せないなら、別の100mmレンズに交換できないか?
その場合、差額を出してもいいと、交渉したが、
委託品なので、レンズだけ交換するのは、店の一存ではできないという。
しょうがないので、購入した代金を返してもらい、カメラは返却した。
Mamiya Press 面白い。
再度、探して手に入れるつもりでいる。
インターネット・オークションより、やはり店舗を構えた店で見つけて 購入するつもり。
2018/08/24(金) 20:48:02 |
フィルムの眼
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冷蔵庫の中に保管されていた最後のカラーフィルム。
使用期限は かなり昔に切れている。(15年くらい前に購入したもの)
撮影した結果、被りのひどいカラーネガを得たが、
レタッチソフト(PSE Ver.6)の、強力な色補正能力のおかげで、どうにか画像になった。
救済されたとはいえ、カラーバランスの調整には限界がある。
全体でなく、部分部分を指定し、調整すれば、もっとよくなるのだろうが、手間がかかる。
全体が経年劣化でかぶっているので、滑らかな画像にはならない。
それでもオールドフィルムの味だと思えば・・・・味わえないこともない。
2018/08/22(水) 11:07:15 |
都会の景観 Tokyo
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現実(reality)と存在(existence) を日本語に訳してしまうと意味はほとんど同じ。
眼前の「もの」、「人」、「風景」(現実)は、存在そのものだろう。
写真は、それを撮っているだけと、一蹴されてしまう。
しかし、写真家 Wynn Bullockは 峻別して作品を作っていたように思える。
眼前に見えている(reality)を手がかりに、現実の階段を下ていき、
底に潜む存在の本質(existence)に迫ろうと写真を撮る。
プリントされた写真のトーンは美しい。
勝島運河で貝殻の写真を撮ったとき、Wynn Bullockの写真を意識していた。
絶え間ない生死の繰り返し、時間の経過・・・・そんなものを捉えられないか?
その時は、はっきりとは意識していなかったが、
Wynn Bullockのしたように、
大きなフォーマットのカメラで撮ってみたいと、思っていたのだろう。
同じ一本の杭と巻きついたロープ。
フレーミングを変え、フィルムを変え、フィルターを変え、現像液を変えネガを作る。
Mamiya Press 23Superで これを撮ったら、どう撮れるか?
楽しみにしている。
カメラは重いので、キャリングケースにいれて運ぶことになると思う。
暑い時期は避けたい。秋になったら、干潮の時間を調べて勝島運河へ行くつもり。
2018/08/21(火) 10:23:42 |
勝島運河
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フォーマットの大きなフィルムで 写真を撮ってみたかった。
しかし、おおきなフォーマットの写真、そんなには撮らないだろう。(体力の限界、財力の限界)
せいぜい 300カットくらいだろう。
今ブロニー(120)フィルム、 1本1000円くらいする。
30本使うとなると3万円になる。
カメラにかける予算は3万円以下と腹積もりしていた。
Mamiya-6は使っているが、6×6cmのレンジファインダーカメラ。
同じ、6×6cmのフォーマットなら、一眼レフがいい。
ハッセルは高価すぎる、狙うならブロニカだろう。
6×7,8,9なら レンジファインダーでもいい。(Fuji 670 680 690をイメージしていた。)
調べるつもりで、新宿の中古カメラ店巡りをしてみた。
東口に在ったラッキーカメラは、なくなっていた。(後で調べたら 移転したようだ)。
その足で、ミヤマ商会へ。
店舗は昔と変わらず同じ場所にあった。
大判、中判のカメラは少ない。
壊れて動かないFuji 645が予算の半値近くで売られていた。
店員に話を聞く。電子シャッターなので、修理は難しいという。
それに 電池も2,3年前に製造中止。
修理できるところがあるかさがし、(修理、受けるとこあるかなぁという顔をしていた。)
電池は海外を探して求めないと使えない、もう無理でしょうとの返事。
動作品なら、高くても売れますといっていた。
電子シャッターになったカメラは 避けたほうがよさそう。
古い機械式カメラを候補にしたほうがいいようだ。
東口、アルプス堂へ。
PENTAX 6x7があったが、高価、小生の予算額を超える。
富士の67、68,69はなかった。
仕方なく、西口へ抜ける地下道を歩き、西口へ出る。
狙いは、地下にあるカメラBOXと二階にある中古カメラ市場。
この二店舗、入り口に看板はあるが、見つけにくい場所。
カメラBOXには 6,6の二眼レフはあったが、候補とするカメラは少なかった。
そのなかに すすけたMamiya Press 一式が置かれていた。
フィルムホルダーは6×9cm。
値段は予算の半分くらい。この選択肢もあったと気づく。
動作品か、店員の老人(小生と同年くらい)に確かめたが、
それは客が置いていったもので(委託販売)よくわからないという。
わかる人が 明日くるので、そのときき来てくれれば・・・・という。
互いに老人、老人に明日はない。
中古カメラ市場へ。
ここも中判カメラは、二眼レフが主流。
ハッセル、PENTAX 6x7、ゼンザ・ブロニカもあった。
Fujiの670,680,690はない。
ハッセル、PENTAX 6x7は予算オーバー。
ブロニカS2は 動作品で予算内に納まる。
これかなぁと思ったが、
近くに カメラBOXでみた Mamiya Pressが置いてあるのを発見。
程度は、ずっといい。
店員に 動作品か確認したところ、使えるという。
一週間以内なら、クレームに応じるという。
ブロニカS2より高かったが、予算内・・・・衝動買いしていた。
撮影に必要な一式 全て入っている。
手提げの紙袋に入れてくれたが、重い。
近くのMAPカメラと、カメラのキタムラを予定していたが、これが限界。
すぐに帰宅し、早速 テスト撮影。
120フィルムだと 1本で8カット撮影できる。
その中の一枚
このカメラ 光軸を傾けるアオリ操作を行なうことはできる。(スウィング、ティルト)
しかし、光軸をずらすアオリ操作はできない。(ライズ、フォール、シフト)
上手く使えば、眼前から無限遠までピントを利かせることができる。
アオリは初めての経験。
本で読んで知ってはいたが、120フィルムのMamiya Pressで、できるとは思わなかった。
早速テスト。
中判 100mmのレンズでf:3.5と開放絞りだが、手前から奥までピントは 綺麗に結んでいる。
現像は TRI-Xに使っていた(A)現像液、微粒子現像液を使う。
ネガを3200dpiで取り込んだが、7000万画素の画像になった。
当倍に拡大してチェックしたが、銀塩粒子は目立たない。
個人的には必要ないけど、
フィルムスキャナーを4000dpiとか6400dpiに対応したものに交換したら、一億画素も夢でない。
すごいものだと・・・・楽しくなってしまった。
これは 以前 このブログ 2015年6月22日の記事に載せた、同じ場所の写真。
丈夫なボール紙のお菓子の箱を改造して作った自作の零式Ⅱカメラ。
アルミ缶を切り出して 径の違う絞り板を作り、百円ショップで購入した虫眼鏡セットを利用し レンズを調整した。
120フィルム(T-MAX100)をカットして、カメラに装着した。
絞りは スライドさせると、L1からL5まで選べる。
L4は孔の径から f:45と計算した。(L5にすると f:96)
セコニックの入射光式で測定し、露光時間を決めて撮影。
そのときから 6×9のフォーマットを狙っていたのですね。
百均のおもちゃレンズでも、絞れば、意外とシャープに取れるものです。
1930年代初頭アメリカに、Group f/64というクラブがあったほど。
(有名写真が輩出しています)
------------------------
ピントグラスをルーペで観察し、ファインダーの距離計と実際のピントが連動しているかチェックしたが、
レンズの最短撮影距離1mまで正確に一致していた。
アオリ操作でフィルムホルダーを後退できる(さすが MAMIYAー6と同じ方式!)ので、平行に後退させると
フィルム面から50cmのところまで接写可能だった。
なんと ファインダーの距離計を使わないなら、50cmの接写ができる!!
妻のポートレートを撮ってみた。
絞りf:5.6、1/30秒、1/60秒、でストロボはシンクロしていた。
レンズシャッターなので、ストロボは全速(~1/500秒)でシンクロするはず。
戸外で日中シンクロが 簡単に行なえそうだ。
約7000万画素の画像を得る。
当倍になるまでPC画面で拡大し確認したが、きわめてシャープ。
これなら、半切に伸ばしても、粒子のでない綺麗な写真になる。
重いのが欠点、三脚に載せて使うことになる。
確かに面白いカメラ、純機械式なので 頑丈だろう。
駄目になったとしても、
フィルムホルダー、本体(ファインダーと距離計)、レンズユニットの3つに分割されているので、
駄目になったユニットを 交換すれば また使える。
合理的だと思う。
しかし、300カットも撮ったら もういいかという気になっているだろう。
重い。老人には重すぎる
------------------------------
Canon Autoboyを持って新宿散歩&中古カメラ店巡りをした。
フィルムは15年ほど前購入したFujiのネガカラーフィルム。
数年前 机の引き出しにあったのを見つけ 冷蔵庫へいれて保管してあった。
フィルム全体にカブリを生じていたが、
フィルムスキャナーで取り込み、PSE(フォトショップエレメントVer.6)でコントラスト、明るさ、色調整をしてみた。
どうにか画像を復元できた。
カブリで不鮮明なカラーネガから、
これだけの画像を調整できるレタッチソフトの実力 すごいものがある。
Mamiya Press で 6×9判のカラー写真を撮ったら、7000万画素の画像を得る(3200dpi取り込み)
色の深みもデジタルよりあるように思う。
レタッチソフトで調整したら、すごい写真になるかも・・・・
2018/08/18(土) 13:59:55 |
レンズの眼、カメラの眼
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異界が透けて見えてくる。
フィルムに記録された潜像を、現像液で現像し、ネガにした。
フィルムの眼には、こう記録されていたということだろう。
現像液はその手助けをしただけ。
ちょっとファンタジーな異界が写っていた。
PCの画面で見るだけなら、200万画素もあれば充分。
今のデジタルカメラ
撮った画像を、スマホやタブレットで見るだけならオーバースペックだろう。
将来的に4K(8K)テレビになり、PCのモニター価格も下がれば800万画素、
8Kで3200万画素で画像を楽しめるようになるが、
写真は最終的に、紙(印画紙)に焼き付けるか、
プリント(インクジェット)して見るものだと思っている。(古い考えですが・・・)
勝島運河の岸壁の貝を、撮影していて、
もっとフォーマットの大きなフィルムカメラ、
中判のフィルムカメラで、撮っておきたいという気持ちが強くなっている。
半切の大きさに伸ばしても銀粒子の目立たない、異界の貝を捉えてみたい。
2018/08/17(金) 10:09:11 |
勝島運河
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潮の満ち引きで 原始の海の有機物はコアセルベーションを起こし、小さなセルを生成する。
それが、生命の誕生を促したという。
オパーリンの説だったと思う。
昭和30年代は そんな説が有力だった。
少年向けの科学雑誌を読み、胸を躍らせていた。
現在 生命の誕生は 深海の熱水噴出孔近くではないか といわれている。
まだまだ 生命の誕生には謎が多い。
絶えることない潮の満ち引きは 同時に「生命の永遠」を象徴していると・・・・思ってしまう。
貝は死んで貝殻となるが、隣では新たな生命が誕生する。
絶え間ない生命の連鎖が永遠に続く。
なんで、この暑い夏の時期、わざわざ潮の満ち干きを調べ、
勝島運河に来て 岸壁の貝殻を撮ろうとしたのか・・・・
おそらく 戦争・・・終戦記念日を 意識していたのだろう。
戦後、父親は、戦前の鬱憤を晴らすかのように懸命に働いていた。
ようやく仕事も軌道に乗り、金にゆとりができていたのだろう。
家庭には テレビがあった。まだ、白黒テレビの時代。
国産ではブラウン管がまだ上手く作れない時代、
ナショナル(現在のパナソニック)の17インチのテレビで
ブラウン管は米国GE製だったと聞いている。
小学校の高学年か、中学へ入った頃、
夜10時には床に入って寝る時間であったが、
父親が珍しくテレビを見てもいいという。
一家が集まり、テレビを見ていた。
フランキー堺の「わたしは貝になりたい」だった。
おそらく父はフランキー堺に自分を重ねていたのだろう。
母も、祖父も、祖母も、劇中に入っていた。
戦争の理不尽さは わかったが、
父親世代には、身をつまされることでも、
不肖の息子の理解はそれほど深いものではない。
父は戦争体験を話すことはなかった。
戦争に触れる話をしてくれることはあったが、
それは 子供にとってファンタジーの短い冒険談だった。
それでも 幼い頃 グラマンに追いかけられ、朝霞の飛行場に緊急着陸したエピソードは聞いている。
23年ほど前、父親が亡くなって、母からそのときの話を聞く。
母は志木のお姉さんの家に疎開していた。
朝霞から志木は近い。
硫黄島から連絡要員として帰ってきたのだという。
母は 父の姿を一目見るなり、そこがいかに過酷な戦場であるか理解したという。
話してくれた母も もういない。
二人から、もっと話を聞いておけばよかったと思う。
不肖の息子・・・ならしょうがないか。
「絶えることない」潮の満ち引きも、「生命の永遠」の持続も、人間の願望に過ぎないのに、
そんな 頼りない永遠願望に人間はすり寄り安心する。
美しい日本は「永遠」であり、その一員である人も永遠の仲間。
靖国神社が待っている・・・・。
「美しい日本を取り戻す」 とは言うが、一種の永遠願望だろう。
しかし過去に、取り戻したい日本など、あっただろうか?と思ってしまう。
出自が殿様などの特権・支配者階級であれば、戻りたいとは思うだろうが、
大部分の国民は、年貢と苦役に苦しんでいた。戻りたいとは思えない。
美辞麗句を並べ、おだて上げ、国民をあおったが、
国民を粗末に扱ったのが戦前の政府。
赤紙一枚、五銭の命。
敗戦とともに、政府は、関係書類を焼却処分、戦争責任逃れを図る。
それが、取り戻りたい「美しい日本」の姿とは思いたくない。
真摯に受け止め、誠意もって丁寧に説明するというけど、
国会答弁を聞いても、一向に 真相は明らかにならない。
論点をづらして、空虚な説明が続く。
巧言令色少なし仁・・・・のお方が長期政権をになっている。
官僚は、ポストを求め、イエスマンになり、内部は目に見えないけど劣化していく。
記録は廃棄され国民の目には晒されない。
戦前とそっくり同じ行動パターンが踏襲されている。
また、国民を粗末に扱う政府になっていくだろう。
それが「美しい日本を取り戻す」 ことなのだろうか?
勝島運河も 戦争遂行のため戦中に作られた運河。
今は公園になり、ヘドロと化した岸壁に 貝が密生する。
撮影していて、ふと、
ここは、「わたしは貝になりたい」を生んだ国、
それを、取り戻したいだろうか?と思ってしまった。
2018/08/15(水) 10:00:01 |
勝島運河
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干潮の時間を調べ、日曜 勝島運河へ。
フィルムに対する露光量と、現像の割合の調整で、
トーンは、思いがけない変化をする。
二液現像法、
大体の傾向は掴んでいるが・・・・完全にコントロールできているわけではない。
思いがけないネガを得る。
だから 面白い。
異界が出現していた。
2018/08/14(火) 18:54:09 |
勝島運河
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東京を直撃するかと思われた台風12号(サンサン)は北東にそれたが、
お台場からの中継では強風が吹いているのを放送していた。
台風一過、
勝島運河の発育不全のフリークな向日葵どうなったか心配になり、
カメラを持って、勝島運河へ。
大丈夫、まだ、健在でした。
フィルムを ISO:400のRetro400Sに換え、R2フィルター(赤 露光倍率4倍)を付けて撮影した。
小さなストロボを焚いて撮影。
Nikon Fのシャッターは1/60秒以下でストロボとシンクロするのだが、
老人性うっかり症を発症し、1/60秒にしてあると思い込み、そのまま撮影。
気づいて、改めて 1/60秒でも撮影したが・・・・比べると、1/125秒で撮影したほうが面白い。
こんな 不気味な「ひまわり」 撮ろうとする人、いるだろうか?と、撮影した当人が驚いている。
健全で、美しく 感動的な写真を撮ろうとしている人からみたら、
眉をひそめるような写真になっています。
でも これも写真。
レタッチソフトで加工し作った画像ではありません。
R2フィルターをレンズにつけ、小さなストロボを焚いて 日中シンクロさせ、
二種類の現像液を使い、二段現像するなど、かなり技巧的ですが、
この写真、銀塩ストレート・フォトの範疇に入ると思う。
2018/08/13(月) 11:17:07 |
ひまわり
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星薬科大のアオノ・リュウゼツランを見に行ったとき、
薬草園で撮った、心引かれたそのほかの花。
Rtero80Sフィルムはやや軟調現像液(Ⅶ)で現像。
銀塩の粒界を目立たさせず、諧調性は豊かなネガになるようにした(つもり)。
Retro400Sフィルムは 二段現像を行った。(Ⅰ)軟調現像+(Ⅱ)硬調現像。
硬調現像(Ⅱ)の時間の割合を増やし、エッジ効果を狙った。
ただしエッジ効果は、銀塩粒子のザラッとした粒状感も出やすい。
Retro80Sフィルムで撮ったもの。
アザミは見たことがあるが、それを大きくしたような花に驚いた。
花の名は、「アーテチューク」と書かれた立て札が立っていた。
この名の食材が含まれたイタリア料理を食べたことがあった。
名は偉そう(日本では手に入らない高価そうな食材)なので覚えていたが、何の料理だったか??記憶はあいまい。
立て札がないので、何の花か不明。
蝉の抜け殻を発見、面白いと撮っていた。
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Retro400Sで撮影したもの。
おなじものを撮ってもフィルム・カメラだと、
フィルムを選び、現像法を変えれば、また違ったトーンの写真になる。
撮影者の選択の自由度がデジタルより広い。
自由度と責任は正比例する。
どうしようもない失敗写真を 沢山撮ってしまう危険性も大きいということでしょう。
プロなら 慎重に フィルムでなければ撮れないと判断したときのみ使うのだろうが、
趣味で撮るなら、その責は自分自身。
「あぁ失敗した」でことが済む。
「失敗もまた楽しい」と写真を楽しめばいいだけのこと。
2018/08/10(金) 10:27:31 |
樹、草、花
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フィルムをRetro400Sにして 再度 星薬科大の植物園へ。
Nikkor 180mm レンズに 3倍のテレコンバーターをつけ 540mmとして使った。
前回の撮影から3日経ち 下のほうの花は萎み散ってしまった。
上のほうが開花し、まだ花を付けていた。
(Ⅰ)+(Ⅱ)の二段現像を行い、エッジ効果を出そうとした。
かなり不気味な姿になる。
光のほんの少しの差で、化学的ソラリゼーション効果もでてしまった。
地上には、巨大な葉が茂っている。
レンズを35mmに換え、わざとストロボを強制発光させた。
光の届く葉の部分にはエッジ効果が、光の不足する遠い部分は、ソラリゼーション効果で、トーンが逆転している。
不気味にして、存在感のある葉が撮れたと思うが・・・・まだまだ、撮りようはあると思う。
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デジタルで撮っても、レタッチソフトを駆使すれば、
同じような、あるいは それ以上の画像に加工できるだろうが、
フィルムカメラでも、
フィルター、ストロボ、フィルム、現像液を組み合わせれば、エッジ効果のあるネガを作ることができる。
トーン・コントロールは、白黒フィルムの重要な技術・手法、
ピクトリア写真時代から、いくつもの手法・技術が開発されてきた。
小生は そのおさらいをして、楽しんでいます。
レタッチシフトで作るとなると、
半完成の「塗り絵」を貰って完成させる幼稚園のお遊びのような感覚になる。
「塗り絵」は「塗り絵」 いくら綺麗に色が塗れても 限界があるだろう。
収斂すれば 誰もが 同じ絵になってしまう。
そんな 疑いが消えない。
難しいほうが できたときの達成感は大きい。
デジタルなら簡単にできるだろうが、
簡単にできることは、記憶に残らない。
損得は度外視、面白いほうを選ぶ。
それが趣味だろう。
2018/08/09(木) 08:35:45 |
黒い花 怪しい花
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朝刊を読んでいると、「アオノリュウゼツラン」の花が星薬科大の植物園で開花したという。
珍しい花らしい。ちょと興味を惹く。
暑いといっても、近くだし熱中症になる前に帰ってくればいいと、
昼飯を済ませると、デジタルカメラをぶら下げ星薬の薬草園へ。
薬草園、いつもなら、2,3人なのだが この日は多かった。
すでに 何人もの人が「アオノリュウゼツラン」の周りに群がりいた。
縦位置で 全体を捉えようと 前に出る。
手前のバックをかけた女性の位置から少し左に入ったところで、
腰を落として撮影した。
レンズの焦点距離はフルサイズ換算で27mmの広角。
新聞に載っていたリュウゼツランの写真は、
前方の男性の位置近くから もっと広角の21mmとか19mmのレンズで撮ったものだと思う。
リュウゼツランと一緒に写っている男性、八頭身以上 ファッションモデルよりスタイルはよく写っている。
更に近づき花のアップ写真と思ったが、
これが このズームレンズの限界。
少しも 面白みがない写真になった。
新聞に掲載されている花のアップの写真は、背景の建物から推察すると、
建物の2階窓から撮影したものだろう。
レンズの焦点距離も望遠の500mmくらいか・・・・
花は下のほうから開花が始まり、上へと移っていく。
23日に開花が始まったというから、新聞の写真、7月の末頃に撮られたものかも知れない。
天辺近くはまだ開花していないが、下の花は 既に しぼみ始めてた。
葉に当たる光の関係から、新聞に掲載された写真は午前中のもの。
さて・・・どう撮るか?
一番長いレンズは 180mm これでは花のアップ写真は撮れないだろう。
昔、数度しか使ったことしかない テレコンバータがあることを 思い出し、棚の中を探した。
×3倍の焦点距離になる。
180mmなので560mmレンズとして使える。
ただし開放絞りも3絞り分暗くなるので、実効絞りはf:8となる。
手持て撮影するのでシャッター速度は速いほうがいい。
1/500秒ならまずOKだろう。 ,1/250秒だと 神経を使い、しっかりホールディングして撮らないと手振れの恐れがでてくる。
晴れていても、Ortho25フィルムでは感度不足、Retro80Sなら f:2.8(実効f:8)/250秒で撮影できると判断。
次の日の午前中、薬草園へ行き、Retro80Sフィルムで撮影してみた。
Retro80SをISO:100で使っている。Nikomart FTnの内蔵露出計で合わせると、f:5.6/500秒だった。(f:8/250秒と同じ)
×3倍のテレコンを使うと・・・・想定の通り。
上のほうの開花も始まりそう。でも この切り取り方では 面白みも感じない。
切り取り方 なかなか見つからない。
×3倍のテレコンバーターを付けて撮影。
少しはマシか、モノトーン向きの花ではないようだ。
デジタルカラーのほうがいい。
でも まだ写しようはあると思う。
ISO:400のフィルムで 再度挑戦するつもりでいる。
2018/08/07(火) 10:43:01 |
黒い花 怪しい花
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暑い日が続いている。
家の中でぐったり。
気を取り直し、近場を歩く。
下神明駅の近く。
26号線の延伸工事が行なわれている。
長い中断のあと、思い出したように少し工事を再開する。
残すはほんの僅かだが、
オリンピック工事が優先されたら・・・開通は、まだ先になるかも。
ここが最後に残された区間。
40mもないと思う。
左の部分の地下には、既にトンネルが掘られていた。
掘り起こして、地上の道路とつなげば、
目黒通りから大井町へ抜ける道路は開通する。
難工事とも思えない。どうなっているのか?
工事が始まり できた「たこ公園」。
下神明の駅前、昔から、寂しい場所だった。
ここに賑やかな商店街ができるとは思えないが、
環境は徐々によくなっている。
2018/08/05(日) 10:43:14 |
ある場所、ある瞬間
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先日、御茶ノ水へいった。
用事を済ませる少しの時間、合間を見つけ水道公苑で撮影した植物の花。
咲き誇っているより 意識的に、萎びて枯れたほうに眼を向けるようにしている。
オレンジ色の花。 残念ながら 花の名は知らない。
神田川が流れていた。
管理された自然だが、
探せば 都会の真ん中にも、自然は残っている。
2018/08/03(金) 10:03:53 |
都会の景観 Tokyo
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勝島運河は散歩コースの一つだが、旧東海道を歩いたついでに立寄ることが多い。
意識としては 付け足しの場所。
運河に係留された乗り合船と、広々とした空を撮るか、
あるいは、土手に咲く花を 接写する程度。
ありきたりの切り取り方しかできていない。
向日葵を撮ろうと、このごろ 何度か勝島運河を訪れている。
勝島運河をそれほど真剣に撮っていないことに気づく。
今までにない撮り方、違ったフレーミング、違ったトーン、工夫できないものか?
まだ 撮りようはあるよなぁ・・・・と思う。
5年ほど前、戸越公園の一本の百日紅(さるすべり)に注目し、一年間 撮り続けたことがあった。
小生なりのExperiment それなりの勉強にはなったと思う。
毎月一回は訪れて勝島運河を撮り続けたら、運河の何か・・・・を 掴めるのではないか?
そんな気がしてきた。
これは次のExperiment(実験)になる。
来年の夏まで、
元気に散歩できていたらの話だが、
このExperiment やってみるつもり。
2018/08/01(水) 10:46:14 |
勝島運河
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