Olympus ∞Stylusカメラ、ストロボ部分が故障している。
レンズカバーを開け、スタンバイするたび、ストロボをオフに設定しないと、
光の弱いところでは、シャッターが押せなくなる。
Canon Autoboyに替え、カメラ任せ、ストレス・フリーで撮影してみた。
Rollei Retro80Sフィルムを ISO:100で使用している。

やや軟調な(Ⅶ)現像液で現像した。
この現像液、明るい部分は白飽和になりにくく、暗部対し現像力がある。
よく言えば、豊富なトーン、悪く言うと眠いトーンのネガになる。
昔風、足のあるネガになる。(Retroフィルムです。)
光のダイナミックレンジが大きいところでは、かなり使い易い。

硬調現像液(Ⅳo)で現像。今まで開発した硬調現像液では三番目に硬調な現像液。
白黒のメリハリある写真になる。
暗部は黒く潰れるので・・・・近代的 Tri-X風なトーンでしょう。
被写体が柔らかな光にある場合、明暗さが強調されるので、眼にした印象より、豊かなトーンの写真になる。
一つ前のブログ、年輪の写真は、この(Ⅳo)で現像したもの。

軟調現像液(Ⅶ)で現像し、途中、硬調現像液(Ⅳ)に切り替えて現像したもの。
全体に硬調現像だが、暗い部分、完全には潰れずディテールが残る。
小生の開発した二段現像法。
二液現像法の発展形だと思う。
戦前のフィルムは銀塩量が豊富で、乳剤層が厚かった。
その時は、二液現像法 有効だったと思う。
戦後、フィルムの製造技術は 大幅に改良される。
そのおおきな要因は、
敗戦国ドイツの技術が、PBレポートとなり、詳細に公開されたためだろう。
ドイツの会社の持つ特許も全て自由に使えるようになる。
ツアイスのもつ反射防止のコーティング技術、アグファのフィルム技術が白日の下に置かれる。
フィルムの乳剤の厚みは薄く、面積あたりの銀の使用量は下がり、しかも、感度はあがっていく。
コダックのTri-Xはその行き着く先だったかも・・・
でも 乳剤層の薄い現在のフィルムでは、もはや二液現像法は有効に機能しない。
今のフィルムで 二液現像を再現するとしたら、
軟調現像液と硬調現像液を途中で切り替える この方法が、理にかなっている。
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一つのフィルムでも、現像液を変え、現像法を変えると、トーンの異なる写真を得ることができる。
どんなトーンになるか写しては現像し効果を確かめて、現像液の組成を決めていった。
しかし、思い通りにトーンはいじれない。
一つの効果を上げようとする、致命的な副作用がでる。
どこかで折り合いを付けなくてはならない。限界にぶつかる。
フィルムでいくら苦労して撮ったか、現像にいくら苦心したか、それを語ったところで、評価外の事項。
写真の評価は、その過程ではなく 結果の一枚の写真で決まる。
高級なデジタルカメラとLightroom(明るい暗室)を使えば、
(理論的には)カラーデータを処理し、フィルムで撮るより様々なトーンのモノトーン画像を調整できる。
手っ取り早いし、トーン変換の範囲はデジタルのほうが優れているだろう・・・・
結果がよければそれで「良し」とするのが写真だろう。
結果が全て。
そっち(デジタル)へ移行すべきかなぁ・・・・・と思う。
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このごろ夜遅くまで妻はテレビを観ている。
日ごろ関心もなかった娘まで、深夜 妻と二人でサッカーを観ていた。
朝、起きたら 面白くなかったという。
日本-ポーランド戦を言っているようだ。
妻が問題にしているのは、戦いの結果ではなく 戦い方を問題にしていた。
勝てばそれでいい? 後半、積極的に攻めていかない日本チームへ苛立ちをぶつけていた。
日ごろ スポーツに興味のない娘は、采配に理解を示していた。
結局 戦争と同じ。勝てばいいのよね・・・・
サッカーは、代理戦争のようなもの。そう思えば、成功でしょう。
戦争なんて汚いもの、何でもあり、それだけじゃない。
我が家の中でも 賛否両論。
戦闘(局地戦)に負けても、戦争(全体)に勝てばいい。
これが 高等な戦争戦術・・・戦略家なら賞賛ものだろう。
「ルールある戦い」がスポーツ競技。
戦争の代替だろう。
近代オリンピックの誕生がそれを物語っている。
ルールに則っているし、駄目だとは言えない。
日本チームが選んだ戦略だろう。
二人の議論を聞きながら、ふと
昔みた記者会見の様子を思い出していた。
村上さんというファンドマネージャーが言った一言
「ルールに従って金儲けして なんで悪いのですか? 金儲けは悪いこと?」
村上氏にとって、ファンドの運営は、ルールある戦争だったのだろう。
村上ファンドを「よいもの」として支えた人が沢山いたから成立した。
結果が全て。
写真も そんな世界に入り込んでいる・・・・・のかなぁ。
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- 2018/06/30(土) 11:39:08|
- 写真の技法
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遊歩道には、倒木を輪切りにし、敷き詰めたところもある。
曇天の光に明暗差は少ない。
アップで撮れないかと近づき、真上から撮影。

硬調な現像液(Ⅳo)で現像。綺麗なトーンのネガができていた。
この写りなら、わざわざ高級な(高価な、と同義語かも)カメラとレンズを使う必要もない。
充分ではないかと思う。
いや、いいレンズを使えば、もっときりっとした写真になる。
いい作品を作ろうという気がないのかねぇと、半分馬鹿にされたコメントを受けるかもしれない。
でも、小生、これで充分。
バカ・チョンと呼ばれたカメラ(Olympus ∞Stylus zoom DIX)で、
露光もピントも気にせず、息を吸うように撮ったのだが、しっかりと撮れている。
綺麗なトーンのネガになったことに驚いている。
そして楽い。
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年輪を数える、60歳くらいだ。
なんだ若造か・・・・と思った。
自然教育園では、手付かずの自然が基本理念。
倒木はそのまま手を加えず、
朽ちて自然に戻っていく姿を観察させるのも、園の目的。
この樹は遊歩道に倒れたのだろう。
輪切りにされ、遊歩道の敷石代わりに再利用されていた。
それも、やがて、朽ちて自然に帰る。
遊歩道を過ぎようとしたとき、連想が走る。
チューリップ、・・・・・声なき声、・・・・お前も踏まれる身さ、 のフレーズが頭をかすめる。
あれは何だったか?
昔読んだルバイヤートの一節か?
帰宅し、本を探す。
ようやく書庫の片隅で見つけた。
2冊あった。
文庫本のほうを開く。
ぱらぱらと該当する詩を探すが、そんな4行詩は見つからない。
記憶がもつれ、絡み合い、新たな記憶を作ってしまったか・・・・フェーク・メモリーだろうか?
年輪の中心は点(Stylus)なのか、面積のある有限のものか?
種が落ちた瞬間、Zeroの空間に有限の面(点?)が生じたと夢想すべきなのだろうか?
無限に小さい空間の一点からビッグバーンが起き、この宇宙が発生したという。
その「万物の法」を解明しようと、天文学者、物理学者は懸命になっている。
その手だすけをするのは、数学者かなぁ。
宗教学者、哲学者も 関心を寄せているはず。
いづれにしろ、人類の英知を結集させ、この難問に取り組んでいることはたしか。
(おまえは)何処から来て、何処へいくのか?
年輪にはそんなイメージが付きまとう。
ようやく イメージに近い詩が見つかる。
文庫本で65番目の四行詩。
「ありひ日の宮居の場所で或る男が、
土を両足で踏みつけた。
土は声なき声をあげて男に言った-----
待てよ、お前も踏まれるのさ!」
- 2018/06/28(木) 12:38:29|
- ある場所、ある瞬間
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4月から娘の務め先が変わった。
駿河台になったという。
仕事の掛け持ちも許されているので、今までとあまり変化はない。
最寄の駅は御茶ノ水だが、地下鉄の神保町でもいいという。
立ち寄り先の関係で、御茶ノ水の駅から向かうことも、地下鉄神保町を利用することもあるという。
神保町には、古本屋街もあるし、近くは学生の町、それにオフィス街にもなっている。
安くておいしいレストランもある。
学生やサラリーマンで人気の「いもや」もある。
いもやへいったか?と聞いたら、娘も職場の先輩から聞いていたらしい。
残念ながら閉店したという。跡継ぎがいなかったからという。
5月末、ある写真家の写真集が欲しくなり、神保町の古本街を歩いた。
ついでにと、閉店したのか確かめるべく、「いもや」へ立寄ってみた。

白山通りに面した店舗。確かに3月31日で閉店となっている。

横丁を入った本店へ行く。
確かにここも同様な張り紙。
あ、無くなったかと思うと、ちょっと残念、ちょっと寂しい。
白山通りを水道橋の方向へ歩くと とんかつを専門にする「いもや」もあったが・・・・そこまで確かめる気はなくなっていた。

すずらん通りに面する古本屋で、目的の写真集を見つけ購入した。

神田 神保町 面白いところだと思う。
皇居の方向へあるいてもいいし、駿河台から、湯島聖堂、神田明神、湯島天神、あるいは秋葉原の電気街へ。
水道橋から後楽園・・・・
散策のコースは 沢山考えられる。

今度の勤め先の定年は70歳だという。娘は定年まで、勤めるつもりでいるらしい。
掛け持ちOKのゆるい職場、でも身分は保証され、法律違反しない限り解雇はないようだ。
まだまだ これからも 神田・神保町近くを散歩することあるだろう。
昼ごろ、娘の勤め先へ行き、誘ってランチする・・・・
しかし、そんなことはありえないなぁと思う。
いつまでも父親は父親、
もし誘ったら、昼飯代、小生が払うことになりそう・・・・
- 2018/06/27(水) 10:51:57|
- 都会の景観 Tokyo
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横位置で撮影したコマから選んでみた。









横位置は左右から その場の様子が乱入してくるので、説明的になる。
こういう場所、こういう状況で撮りました、と分かるが、
何に惹かれて撮ったか・・・・不明瞭になりやすい。
こうして一本のフィルムで撮った写真を並べると、
決して写真が上手いわけではないことがわかる。
何を撮りたくて?、ありきたり、陳腐だね、そんな写真が並ぶ。
うまかないねぇ・・・・並だね。
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写真の腕、平均くらいだろうと・・・・せめて そう思いたい。
- 2018/06/25(月) 08:46:50|
- 散歩
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池袋から新宿駅をめざし、ぶらぶらと散歩してみた。
カメラは使い慣れたNikon SP、レンズは標準レンズ 50mm F:2を付けている。
一本のフィルムを使いきったらそれで終わり。
そのとき一番近い駅から電車に乗って帰宅することにしていた。
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小生の幼いころ、池袋へは何度か来ている。
東上線に乗り、志木にいる叔母さんの家に遊びに行くのに利用していた。
しかし駅前を行き交う人を見ると、これから行く志木の町の人の服装に似ているような感じだった。
大きな町という意識はあったけど・・・・田舎?
むしろ祖母に連れられていった巣鴨のほうが都会という感じだった。
隣駅の大塚のほうが 垢抜けた繁華街だったという印象が残っている。
(60年以上前の話ですが)

今はすごい大都会になっている。
東口に出る。
ママ友だろうか、戸越の里より垢抜けている。

スリではありません。
外国の方、これも愛情表現の一つ・・・のようです。

明治通りを歩いていく。
まだ、赤提灯へ入る時刻にはなっていない。

フェンスは、学習院大の野球場だと思う。

神田川まで来ると、ようやく陽は傾き始めた。

神田川を遡り、高田馬場駅を目指す。

駅前、悠然とカップ麺をすすり、新聞を読む御仁を発見。
存在感は「半端ない」

線路沿いに新宿を目指す。
このショットのあと、2ショットでフィルムを使い切る。
この地点から新宿まで1kmくらい。歩いて15分くらいでつくだろう。
しかしルール(自分決めた)はルール、右に折れ、新大久保駅から山の手線内回りに乗り、大崎駅へ戻っていた。
新大久保、新宿間は400mくらいのもの。歩いても5,6分だったのですが。
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36コマ撮った中から縦位置でフレーミングした写真を選んでみた。
「あ、面白い 撮りたい」と思うと縦フレーミングになることが多い。
横でフレーミングすると、左右に余分なものが入り、
自分が撮りたいと思ったものが 余分なものに邪魔され、はっきりしなくなると・・・・思うらしい。
かといって、そんなに気にしていないので、水平線、垂直線が傾いたフレーミングになる。
下手なのでしょう。上手な人なら、その辺りにも細心の注意を払って撮影する。
若い頃、友達に誘われゴルフをしたことがある。
二十歳前に始めれば、中年になるころは誰だってシングルになれると誘われた。
残念ながら、ゴルフをする財力はない。
下手な人間は10年、20年とボールを打ち続けないと、シングルプレーヤーになれない。
生まれつきの才能がある人なら、数年であっという間にシングルになり、プロになる。
10年、20年かけてシングルになったアマチュアでは、
若いプロプレーヤーと戦っても、実力の差は歴然、敵わないという。
カメラはどうなのだろう?
昔の湿式コロジオン写真なら、そんなこともあるかも知れない。
コロジオンの調整には、その人独自のノウハウがあり、それを秘密にしたという。
乾かないうちのカメラの装着し、露光し、すぐに現像・・・・化学の知識、理解力、手先の器用さ、決め手になっただろう。
カメラは進化を続け、今では誰でも扱うことができる。
スマホでカシャと、息するように撮ってもOK。
デジタルカメラを持てば、あっという間に 誰もが綺麗な写真の撮れるシングルプレーヤーになれる。
ゴルフの世界では、やっとシングルになれたアマチュアと、才能あるプロでは、歴然とした差があるが、
カメラの世界では どうなのだろう?
カメラを再開し、10年以上もやれば、
誰もがなれるシングルプレイヤーに、やっとなれたはず。
(平均以下とは思いたくないので)
やっとなれたシングル・・・もうすこし撮影を楽しんでみるつもり。
- 2018/06/24(日) 11:08:34|
- 散歩
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朝食を済ませ、さて今日はどんなことして遊ぼうかと、TVをかけながら ぼんやりと考えている。
すると∞Stylus アトラクティブなネーミングが 心を横切る。
このごろ ゼロや無限をぼんやりと考えてしまう。
この世に果てはなく、時間は∞に続くとしたら、人間の一生など80年/∞年→0(Zero)。
小生の残りの人生も無(0)?かなぁ。
その0と1の数直線の間にも、無数の∞が存在することに気づく。
1/2,1/3,1/4 ・・・・・1/n n→∞とすれば無限の数が0~1の間にある。
いたるところに∞がひそんでいる。
数学者はそんな世界を相手に思考実験を行い、数学を組み立ている・・・・気が狂わないのかなぁ?
ギリシャの哲人達も気づいていたのでは?それを巧妙に考えないようにしていた・・・・
遠近法、透視図法は、ユークリッド幾何学を基礎に発展してきた。
無限遠(∞)と消失点(Stylus)を設定し、3次元の世界を平面に投影し絵を描いてきた。
古代ギリシャの舞台美術では 既に使われていたという。
ルネッサンスになり、ユークリッド幾何学が再びヨーロッパ文明に復活する。
透視画法を作成する装置としてカメラの原型が考案される。
江戸時代、西洋絵画を見た日本人は驚いたという。
日本が先生としてきた中国絵画とは違い、
まるで目で見ているかのようにそっくりと描かれてたから。
その後、幕末になりカメラが渡来すると、
これが西洋絵画を描く装置と合点する。
Photographは 本来「光の画」と訳されるべきもの。ごく初期には「光画」と訳されたようだが、
人の恣意性を拒絶し、現実を正確に記録できる装置へのショックが大きかったのだろう。
絵画を描くためには、長く厳しい修行が必要。
経た後でも目の前のものを正確に紙の上に書き写すのは難しい。
それを人間の技量の優劣を問題にせず、この小さな箱は やって見せた。
これは、うそ偽りない「事物の真の姿を記録」できている。
その画は「写真」と呼ぶべきだと、一般化する。


カメラという装置は、人の恣意性を拒絶する。
まだ、その装置が未熟なときは、扱うのに専門知識が必要で、ごく一部のインテリでないと扱えるのものではなかった。
しかし、そのときから一貫して写真の原版(ネガ)は人間の恣意を拒絶してきた。
目をもっとパッチリと大きくとしたいなら、暗室で格闘して合成した。
不要なものが映っていたら、それを覆い焼きしたして隠したり、焼きこんで潰したり、
あるいはほかのネガを使って合成して埋めたりした。
でも、シャッターを押した瞬間、被写体はそのまま正確に記録され、ネガに恣意性が入り込む余地はない。
同じカメラ、同じ場所、同じ瞬間に立ち会えたら、誰でも、同じような写真が撮れる。
カメラが未発達の時は、カメラに習熟した人のほうが、上手い写真が撮れた。
光を記録する平面板も、湿式コロジオン硝子板から、乾板が発明され、フィルムになり、半導体素子へと発展してきた。
デジタルになり装置がよくなると、カメラの扱いが楽になり、画像の質(クオリティ)はあがっている。
昔の有名カメラマンが撮った風景を、アマチュアが同じ場所に立ち撮影すると、
ずっと綺麗な写真を撮ったりしている。
天気、季節、時間帯を選ぶことが重要。
光の状態のいいときに巡り合いさえすれば・・・・撮れてしまう。
それが写真だろう。
写真ブログをサーフィンし どんな写真を皆さんは撮っているのかと覗いてみる。
綺麗な被写体を見つける、綺麗な女性にモデルになってくれるよう頼む、
綺麗な場所へ行く、綺麗な花を撮る、関心を寄せるものを撮る そんなサイトを見て歩いた。
すると、綺麗で上手な写真のオンパレード。
カメラに習熟しないと、上手な写真を撮ることができなかった時代は終わり、
息を吸うように綺麗な写真を撮ることができる時代に入っている。
綺麗なものを綺麗に撮ったからといって 写真が綺麗なわけではない・・・・と土門拳は警鐘を鳴らす。
写真の上手な人は多い。
小生の好きなカメラマンにクーデルカがいる。
彼より写真の上手な人は沢山いるだろう。
でも、彼ほど
いい写真を撮る人は少ない。
綺麗な写真、上手い写真を撮ることのできるカメラは、
デジタル技術のおかげで完成に近づいている。
求められるのは いい写真だろう。
いい写真とは、小生にとって 語りかけてくる写真。
語りかけてくる内容がすばらしいから
いい写真なのだと思う。
ことし初めの頃だったか、恵比寿の写真美術館で見たユージン・スミス展にも いい写真が展示されていた。
写真装置(カメラ)を追求したら、誰でも簡単に綺麗な写真撮れるようになってきた。
カメラを使う到達点は、上手い写真、綺麗な写真ではなく、いい写真をとることなのだろう・・・・と思う。
語りかけてくるものは、ささやかで 聞き取れないかもしれない。
しかし、写真にはそんな力があるように思える。
ユージンスミスもクーデルカも、彼らの知性は事物の底に、誰も気づかなかったzero(nothing)を発見し、意味を探り当て、写真に写しとめたから、いい写真が撮れたのだと思う。
クーデルカは nowhere撮った。スミスは水俣で人間の心の「無」の深淵を撮った。
それはささやかかも知れない。感じ取れない人もいる。それはそれでいい、それが写真。
その写真にstylusから語りかけてくる何かを感じ取れるか否かは、見る人の知性によるのだろうなぁ・・・と思う。
教訓だったり、感動の共有だったり、深く考えさせられたり、何だこれはと人間の深い淵を見せつけられたり・・・・
それだけで、人生が豊かになった気がするだけ。
もとより、知性を比較する物差しもない。
テスト方法はないから、高級も低級もないし・・・・ね。
ぼんやりと そんな夢想に耽っている。
東京は 雨が降り始めている。
カメラを持って散歩しようとしたが・・・・
明日、日曜日はOKだろう。
- 2018/06/23(土) 11:47:55|
- ある場所、ある瞬間
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日本でのネーミングはミュー(μ)というカメラだった。
米国では ∞Stylusというネーミングで販売されていた。
μという記号はギリシャ文字、長さの単位で、ミクロンと読めば、千分の1mmの長さを指す。
素粒子の世界ではミュー粒子をあらわしている。
オリンパスという会社の名前からしてギリシャ風。
なかなか上手いネーミングだと思う。
米国向けのネーミングは"∞Stylus" 欧米の知識人だったらぐっとくるネーミングだろう。
哲学、宗教、数学、物理・・・・思想の根幹に関わる言葉で構成されている。
有限の数字を無限で割ると、答えは無限に小さな数すなわち0(Zero)に達する。
Stylusとは、鉄筆などの先端を持つものを指す言葉、レコード針などを指すとき使う言葉。
"∞Stylus" というネーミングは、無限とZero、無限と無(Zero,空) というイメージを喚起させる。
無限に小さな変化が函数に及ぼす影響(Limit 計算式)をニュートンは考え、開発した数学が微分積分。
無限に小さなゼロは∞という概念と結びついている。
この世界は無限に大きいのか?始まりのゼロ(Stylus)はあるのか?
この概念を軸に欧米の哲人、宗教思索家、数学者、天文学者は、議論を深めていったようにも思える。
真空(なにもない空間)などあるはずもない。自然は真空を嫌うと古代のギリシャ人は考えた。
点と線、コンパスによる曲線・・・・無限に細い線(ゼロの概念)を駆使し、ユークリッド幾何学を発展させたが、
√2が 神の領域の数字と考えたギリシャ数学(神学?)の哲人たちは、
Zero(無)も無限も神の領域、人間には考えが及ばないと避けたのかもしれない。
天地創造を神の意思とするキリスト教の教義からすると、悩ましい問題ができてくる。
この世界の果てはあるか?
果てもない無限が存在するとしたら、神は何処にいる?
創造主がこの世を作ったのだから、この世に、無(ゼロ)はありえない。
しかし、その矛盾を実験で覆してきたのも敬虔なキリスト教徒。
トリチェリーは水銀柱を使い、ガラス管の中に物理的な真空を作って見せた。
ニュートンは微分積分の数学を開拓し、物質運動を数式の形で記述することに成功する。
そこには、「神」の存在を仮定しなくても成り立つ規則性があった。
26年ほど前、ニューヨークで購入したカメラ。
改めてカメラを手にし、レンズカバーに記された∞Stylusの文字を読み、おどろている。
面白い、刺激的なネーミングのカメラ、果たして何が撮れるのだろう?
夜空に向けてもブラックホールは撮れないだろう。
接写しても素粒子の世界は撮れない。
せいぜい 人間の肉眼で見える世界だけ。遠くの山や海とその風景、接写しても花や昆虫の類。
でも、なにか∞(infinite)とStylus(先端、ゼロ)を暗示できるもの/ほのめかすもの・・・・撮れるかもしれない。

心を写せるカメラなんてないのに、写心という言葉を使いたくなるらしい。
心を写す? それは言葉遊び。「君はピンクの象をみたか」のたぐい。
科学と技術で組み立てられたカメラに、そのような機能は組み込まれていない。

一写入魂で写真を撮る・・・・心を込めて撮るのは賛成だが、カメラマンの魂がその写真に写りこむことはないと・・・・冷静に判断したほうがいいだろう。

19世紀末になると、ゼロへの旅は新たな事象にぶつかる。
不確定原理・・・・最初は色温度だった。
色温度を正確に記述できる式が見つかる。そこにh(プランクの係数)があった。
hは量子論の世界の門を開ける。
量子論は科学か思想か・・・といえば思想(考え方、捉え方)に近いかもしれない。
量子力学の作用する世界では、粒子の位置と運動(速度、方向)を同時に正確に知ることはできない。
位置が判れば、運動は確定できず、運動を正確に知ろうとすると、位置がわからなくなる。
それを記述するのに波動方程式が提唱された。
摩訶不思議だが、立派な科学用語、それなりの権威もある。
波動方程式、キャッチーな名前、利用しない手はない。
セラピストと称する人物が「互いの心を共感させましょう」と誘っても、
ありきたりの文言では陳腐すぎて関心を寄せない。
難しい科学用語を交え、「心の波動を合わせましょう・・・・」と語ると、なるほどと思う人(信者か?)が現れる。
漫画では「波動砲」なる武器も描かれるようになる。

人間が直接経験できる世界は0.1mm~40kmくらいの世界。
無限に小さなゼロの世界も、無限に大きな世界も経験できない。
無限に小さな、あるいは大きな世界は、神の世界に近づく(物理学者は神の存在を仮定しなくとも、数式で記述できると思っているが)。
そこで交わされる言葉には 覚悟がなかったら、近づかないほうがいいだろう。
生半可だとだまされるだけ。
また、まじめにつきあったら頭がおかしくなる危険性もある。

小生 歳をとりすぎた、まじめに付き合い 理解を深めようと
図書館に通い入門書を借りて読んではみるが、ボケ頭が追いつかない。
ただ、∞(無限) Zero(0・・・・先端、点、ポイント、Stylus)という単語にはすぐに反応するようになった。

カメラのネーミングは面白いし、使っても楽しい・・・・ストロボが壊れていなければだが。
フィルムは、硬調現像液(Ⅳo)を使って現像してみた。
- 2018/06/21(木) 09:07:59|
- 散歩
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キャノンのコンパクトカメラ Autoboyは DXコード付のパトローネフィルムでないと受け付けなかった。
交換用パトローネ(DXコードなし)に詰めたフィルムでも使え、フルオートに近いコンパクトカメラを探したら、
以前使っていたオリンパスの∞Stylusカメラが見つかった。
使ってみたが、ちょっと使いにくい。
ここぞというときオレンジの警告がつきシャッターが押せない。
どうしたものかと,原因を探るべく、
再度交換パトローネにフィルムを詰めて使ってみた。

問題なく シャッターは切れた。

ここでオレンジ色の警告ランプがつく。
なんで??
デジカメほど複雑ではない。
設定するボタンも単純。
日付、時刻は一度設定しておけば、電池が続く限り再設定の必要はない。
セルフタイマーを使うためのボタンと、内蔵フラッシュのモードを切り替えるボタンがあるだけ。
絞り、シャッター速度、ピントを調整するボタンはない。それらはすべてカメラ任せ。
はたと気づいて、強制フラッシュモードにしてみる。
シャッターを押したが発光しない。
ストロボが壊れていた。これが原因。
レンズカバーをスライドさせるとレンズとストロボがでて撮影スタンバイとなる。
フラッシュのモードは常にAutoに更新される。
そして、暗ければ、自動でフラッシュが焚かれる。
フラッシュが故障していたので、暗いと警告のランプがついたまま、シャッターは切れない仕組みになっていた。
なんだ・・・・と、ボタンを押して、モードを切り替え、フラッシュを切る。
ようやく シャッターが切れた。

原因はわかったが、
レンズカバーを開けるたびに フラッシュモードを切り、撮影するのは・・・少々面倒。

フラッシュが壊れたので、修理に出さず、キャノンのAutoboyを買ったということだろう。
Stylusは米国で購入したもの、保証書は持っていたと思うが・・・・
フラッシュが使えない以外、写真を撮ることに関しては問題なく作動する。
周辺部になると(特に左側)像が少し崩れるが、小生、かなりいい加減、きにはならない。
ファインダーの覗き窓が小さいので、とっさの撮影で、構図を確認したいとき、ちょっとまごつく。
そのあたりが使いにくい点だろう。
カメラは道具だから、使い易いほうがいいけど、
道具だから、自由に使えるよう使い込むことも 必要。
カメラが人間に擦り寄るか、人間がカメラに擦り寄るかだろう。
デジタルカメラは、人間に擦り寄りすぎているようにも 思える。
昔のフィルムカメラは、その反対、人間がカメラに近づいて/擦り寄っていった。
この、カメラに対する意識の差、
写真の差になってこないだろうか?
- 2018/06/20(水) 09:51:59|
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3日も続けてCoolPix P1をもって散歩すると、段々と癖がでてしまう。
息するように撮れていなかった。
やはり狙ってしまう。

逆光の光を選び、背景に 人の姿が入るまで待っていた。

紫陽花、30cm近くまで近づきフレーミング。
50年前、素人の扱う、レンジファインダーカメラではできなかった。
一眼レフカメラで可能になった。
しかし、標準でついていた50mmのレンズでは60cmくらいまでしか近づけない。
近づいても、A4判の用紙がフレーム一杯に入るくらい。
もっと近づき、接写したいときは、オート絞りを切り、接写リングをつけて撮影した。
それが嫌なら、専用のMacro-Nikkor 55mmを手に入れないと無理だった。
ニコンF用の35mmレンズは、30cmまで近づけたので、この程度までなら撮影ができた。
愛用した覚えがある。
CoolPix P1 8mmは フィルムカメラに換算すると36mmレンズの画角になる。
これなら、30cmくらいまで近づき撮れるだろうと、液晶画面を確認する。
ピントは合っているようだ・・・・シャッターを切った。

交換レンズは散歩に持ってでない。
ついているレンズにあわせ、フレーミングできる場所へ歩いていくのが基本。
普段(50mmレンズ)なら・・・撮ろうと思わない被写体。
歩いたら池の中。
しかし、今回のコン・デジにはズームレンズがついている。
液晶画面を確認、水面に映る姿も入るようにした。

少し後ろに下がり、フレーミング。
左のほうから赤い模様の錦鯉が近づいてくる。フレーミングして待っていた。
右の方角から鳩が飛んできた。
ファインダーをかすめる前に、シャッターを切ったら、撮れていた。
そのままのフレーミングで、錦鯉を待ったが、残念ながら鰭を反転し、液晶画面に入って来なかった。
狙って撮ったので、1時間半の散歩で撮ったコマ数は50カット、
フィルムに比べたら多いが、「息吸うようにとった」場合に比べ枚数は1/3に減っていた。
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以下は、PSE(Photo Shop Elements 7.0)を使って モノトーン変換して遊んだ画像。


青を暗くし 白黒変換。 その後、明るさ・コントラストを調整。


赤を明るく、青を暗くしてから白黒変換。木目が異様に強調され、存在感が増す。


壁の質感が、カラー画像と違っている。

CoolPix P1で撮った加工前の元画像(JPG)。


パステル画風に作ることもできそう。
フレスコ画というフィルターもある。
墨絵風に変換することも可能なようだ。

PSE 7.0のレタッチソフトは、機能が制限されたバージョン。
エプソンのプリンターかフィルムスキャナーの同梱されていたもの。
最新のPhotoshop Lightroomを使った画像編集をYouTubeで見たが、すごいものだった。
説明しているのはプロの方らしい。
平凡な都会の風景が ダイナミックでキャッチーなトーンになっていく。
自作の写真集を2冊見せ、購入を登録してくれた人には署名つきで送ると宣伝していた。
時代は 変わった。こうゆうことも可能になったのだ。
これから、写真どうなっていくのでしょう?
新しい写真表現が そこから現れるのか、厭きてしまい、衰退していくのか・・・・
デジタルになり新しい可能性が広がった、新しい視点ができてくる・・・・そう思いたいが、
綺麗に撮れてはいるが、金太郎飴のような写真ばかりが氾濫している。
記憶に残る写真、写真家/撮影者の「志」「腹に一物」を抱えたような写真、出てくるのだろうか?
- 2018/06/17(日) 17:46:34|
- 散歩
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6月1日に引き続き、Nikon CoolPix P1を持って大崎駅近辺を散歩した。
約2時間の散歩中 「息を吸うように」写真を撮ってみた。
フィルムカメラだと、近所の散歩では、3回の散歩で(3日分)で1本(36枚撮り)のフィルムを使う程度だが、
コンデジを持って撮影すると、その枚数制限が消えてしまう。
息するように 170コマの写真を撮っていた。
読み解く写真でも、心に残るような写真にもなってはいない。
「カメラの眼」の訓練のようなもの。
それにしても、デジカメ、簡単に綺麗な画像が取れるものだと・・・独り驚いている。
息するように撮っても、これだけの写真になる。
これはカメラのおかげ。カメラが撮ってくれたもの。
フレーミングだ露光だ、ピントだと あるいはフィルムの特性、現像液の選択、現像法と うるさいことを言うが、
撮れた写真、たいしたことない。
よっぽど、デジカメで「息するよう」撮ったほうが勝っているのでは?
小生の写真の腕(カメラの眼)、平均以上と思っていたけど・・・・うぬぼれるほどでもない。
平均くらいだろう。 良くもなければ、悪くもない。(とせめて思いたい)

ズームレンズがついているが、全て8mm(フィルムカメラだと36mmレンズの画角に相当)で撮影している。
固定焦点のレンズで撮ることが普通なので・・・・ズームを使う訓練ができていない。
35mmの広角レンズなら、どの範囲がフレーミングできるかは、
ファインダーを覗かなくとも ほぼ予想できる。
8mmに固定して使った。










こんな接写が 簡単にできる。すごいものだ。




季節は紫陽花。
未だ撮ったことない切り取り方/視点の紫陽花など、もうないだろう思えど・・・・撮ってしまう。


コンデジでも ちょこっと 撮れてしまう。
もうこれは ありきたりの写真になっている。(50年前なら、良く取れたと自慢できたが・・・)
写真の腕とは 何だろう?と考えてしまう。

上手な写真、綺麗な写真は、腐るほどある。
しかし、すぐに記憶から抜け落ちていく。
「見たことあるよなぁ」と。
記憶に残る「一枚の写真」の時代は終わったのかなぁ?
- 2018/06/16(土) 10:17:41|
- 散歩
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小人閑居・・・不善を・・・・なす。
東京は雨、YouTubeで Lightroomの使い方を解説した動画を見ていた。
デジタルカメラで撮った風景写真をモノトーンに変換し、いかにドラマチックな白黒写真を作るかのビデオだった。
ごく当たり前の見栄えしない風景写真が、あっという間に ドラマチックな写真になっていく。
今日の散歩はできないだろう。
「作ってみようか」という気になっていた。
使ったレタッチソフトは、PhotoShop Ver.6 2003年ごろ手に入れたソフトで、日本語版でなく英語版。
当時はwindow98で使っていた。
Window XPでも問題なく動いたが、
今使用しているWindw10では 文字を画像に打ち込むことができなくなり、
大きな画像を複数枚取り込むと 動作が遅くなる。
メモリへの負荷が大きくなると上手く動かなくなるので、この頃はあまり使っていない。
機能はシンプルで使いやすい。
PhotoShop Ver.6を使ってみた。
画像は、オリンパスの∞Stylus 35-70で撮影した写真を使った。
(昨日の記事に載せた4番目の画像にした。そのほうが比較しやすいので)

PhotoShopにJPGファイルを取り込み、
image→adjust→ Gradient mapsをクリックし、
その中から最適なGradient mapを選ぶ。
空の部分が暗く反転したものを選んだ。
次に、
image→adjust→Levelsをクリックし、
最低、最高、中間の△印を動かし、レベル調整をした。
地上部分の画像を見栄えく出すため、
image→adjust→curvesを選んで、
白い部分を抑え、暗い部分を出すように調整した。
まるで赤外フィルムを使い、
赤外線フィルターをかけて撮った赤外線写真のような画像になる。
しかし、空の部分は、黒く無表情だった。
見栄えがよくない。
そこで、別の画像から、雲が写っている画像を選び、その部分を切り取り、
貼り付けた。
貼り付けた部分の濃度を
image→adjust→Levels
で調整し、境界の黒濃度を合わせ継ぎ目が判らないようにする。
二つの画像を一つにまとめる、画像は完成。
ちょっと試行錯誤を繰り返したが、30分くらいで画像を作ることができた。
一種のFakePhotoです。
慣れれば、古いPhotoShopでも、ものの10分もあれば こんな画像作ることできる。
キャッチーな画像ができればそれでいいのだと、割りきったら・・・・
今のPhotoshop Lightroomの機能はすごい。
もし、Lightroomのソフトを手に入れたら、
すばやい操作で、質の高い画像を作ることができる。
「明かるい暗室」で現像しましたと称し、
息を吸うように、キャッチーな写真を「作っている」ことになる・・・・
なんでもありが写真なのだから。
だましているようなものかも、自分も人も。
それを承知で写真を見る・・・「それが写真」ということになりそうな予感がしている。
- 2018/06/15(金) 16:00:11|
- その他
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長巻フィルムを空パトローネに詰めた。
DXコードは付いていないが、それでもIOS:100と認識して使えるだろうと、Autoboyに入れる。
しかし、Autoboy、入ったと認識してくれない。
DXコードつきでないと動かない仕組みになっているらしい。
使えるカメラはないかと、箱の中を探す。
故障し使えなくなったものは廃棄するが、動いていたものは保管してある。
オリンパスが製造した∞Stylus Zoom 35-70mm を見つけた。

1992年ごろ米国に出張したとき、立寄ったフィラデルフィアで、富士フィルムのコンパクトカメラを紛失する。(盗まれる)
しょうがなく、ニューヨークにでたとき 購入したもの。
価格は300ドルを超えなかったと思うが・・・・はっきりしない。
日本ではミュー(μ)の名前で呼ばれていたコンパクトカメラである。
1980年代の中頃 友人が使っていたのを見たことがある。
あ、彼の使っていたカメラだと、ウインドウに飾られているのをみて、即買いしていた。
パトローネを入れると、認識し、フィルムは自動で撮影できるところまで巻いて、スタンバイとなった。
DXコード専用のカメラではないが、おそらくISO:100だろう。
フィルムが巻けなくなったら、終了と判断し、巻き戻しもしてくれるはず。
ズームはAutoBoyと同じ35-70mm、ストロボも自動。
2,3年後にはキャノンのAutoboyを買っている。
スペック的にはほとんど変わらない。
何に不満で、∞Stylus を止め、Autboyにしたのだろう?
------------------------------------
①のパトローネはDXコードのついた使用後のもの。
ふたがかしめてあり、取ると隙間ができ再使用できない。
すこしフィルムを出し、テープで長巻フィルムを止め、パトローネに巻き込んで使用する。
DXコードが付く前のパトローネ(1970年ごろ)は、着脱可能で、再使用できたが、
それでも再使用しようとすると手こずった思いは残っている。
②12,3年前まで 詰め替え用の空のパトローネが、富士フィルムからも販売されていた。
おそらく10回くらいは大丈夫だと思うが・・・・、
富士の製品、すぐ手に入るからと、4,5回つかったら、廃棄していた。
③ 富士フィルムの空パトローネが手に入らなくなり、値段の上がってきた。
AP製の空パトローネ。スペイン製?
これだけは プラスチック製だった。
使いやすかったが、光線漏れがでやすく、数回の使用で廃棄した。
フィルムを押さえるモルトの質によるものだと思う。これがよくなったら、使っていたと思う。(少し高いが)
④ ソ連(ロシア)製のパトローネ。彼らの概念からいうとフィルムマガジン。
意外に質はいい。光線漏れもなく、もう10回以上再使用しているが、まだ問題はでていない。
⑤ 今使っている空パトローネ。10回を上限で再使用している。
⑥ S型ニコンとNikon F用のフィルムマガジン。
金属製のしっかりとしたつくりで、フィルムとの遮光は、中筒と外筒のスリットを回転させることで達成。
古いカメラは映画フィルムを切って使うのが原則だったので、ライカ系のカメラも 専用のフィルムマガジンを用意してあった。
フィルムマガジンは反復使用するのが当たり前。50年以上前に購入したものだが、今でも現役で使っている。(14本保有している)
Nikon SPとNikon Fで使っている。専用なので それ以外のカメラには転用できない欠点がある。
⑦ KievⅡ、ContaxⅡ、ContaxⅡa専用のフィルムマガジン。 2003年ごろ KievⅡに手を出したので、それから、中古市場、ヤオフクなどで手に入れたもの。使えるもの5本調達した。
純正の戦前のコンタックス・フィルムマガジンは なかなか目にしない。
あったとしても高すぎる。実用で使えればいいので ソ連製(ロシア製)で揃えた。
造りの精度が少し悪い。カメラへの装着、しっかり位置を合わせないと、カメラが完全に閉まらないので、手間取ることがある。
光線漏れはない。実用上問題ない。
①のパトローネだと、最後の一枚は、撮れない。(最後のコマは真っ黒)
②~⑤の詰め替え用パトローネだと、上手く巻き込めば、最後の一枚 撮れることもあるが、半欠けになることがほとんど。
⑥、⑦のフィルムマガジンなら最後の一枚まで、撮影に使える。
古いカメラほど、手がかかる。
消耗品も手に入れづらくなっている。
結果を求めるだけなら、最新のカメラで撮るのが一番いい。
でも途中のプロセス/工夫も楽しみの一つ。
それが趣味というもの。
商売なら、結果が全て。費用対効果を考え、デジタルで撮るでしょう。
しかし、小生は、途中経過も含め カメラを楽しみたい。
カメラ 楽しんでいますか?と聞かれたら、はい楽しんでいますと答えたい。
-------------------------------------
∞Stylusカメラを持って、散歩にでた。
三ツ木の貴船神社の祭礼前日、近くの幼稚園で前夜祭?。人だかりができていた。

ズームレンズ、使うことは少ない。
ズームレンズに慣れていないか、中間の焦点を使うことは少ない。
これは望遠側70mmを使っている。
どこにピントが合ったのか?解像感が乏しい。

広角35mmで撮影。
左上部 ピントが甘いのか?画像が流れているように撮れている。

祭りの準備で夜店も出て準備中。夜になると前夜祭でも開かれるのだろう。
疑いの目で見ると、左上隅の樹の葉もボケているように思える。これを嫌ってAutoboyにしたのかなぁ?

気にはならないが・・・・レンズの切れが少し悪いのかなぁ? 若気の至りでそんな判断し・・・・

これは70mmで撮っている。トット記念館に咲いていた百合の花。
1m近くまで近寄りズームし止るまでアップしてシャッターを切った。
これは問題ないと思う。
息するように撮るつもりだったが、オレンジ色の光が点滅すると、シャッターが切れなかった。
そこが嫌だったのかも知れません。
折角のシャッターチャンスを逃すことが多かった。
息を吸うようシャッターを切れるわけでない。
オレンジ色の光の点滅が それを邪魔する。
カメラとしては、「待ってくれ、準備ができるまで・・・・」と言っているのだろう。
もう1本、このカメラで「息を吸うように」撮ってみるつもりでいる。
なぜだ? どう撮れる?・・そんなこと考えながら撮るのが面白いから。
- 2018/06/14(木) 11:23:04|
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散歩の続き。

ぶどう棚を発見。
緑の房はまだ熟していない。
ほの暗い、アップにするため初めてズーミング、70mmにした。
シャッターを押したら、勝手にフラッシュが発光していた。
考えたら そうするのが正解。
光のバランスもいいし、(autoboy)たいしたものだ。

よくある構図です。
露光レベルのテスト撮影をした。
露光をはずすことはない。小生の経験(勘)より優れていることは確か。

出会いがしらのスナップにもすぐ対応してくれる。

Retro80Sと(Ⅶ)現像の組み合わせで可能になった独特なトーンかも・・・・
デジタルなら、ハイダイナミックレンジ(複数の画像から合成した)機能で、簡単にできてしまうでしょうが、
ハイコントラスト風であって、白とびも黒潰れもない写真は、フィルムではなかなか難しい。

今は こんなトーンに嵌っている。 「白と黒」
- 2018/06/13(水) 08:40:52|
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キャノンAutoBoyを携え、いつものように散歩した。

東急大井町線、下神明駅と戸越公園駅の中間、ガードのところに立つ。
見通しはよくない。
電車が来るのを耳を澄ませて待つ。
電車の先頭が電柱に隠れた瞬間シャッターを切っている。
カメラのタイムラグもあるが、運動神経のタイムラグのほうが大きい。
それを考慮し、少し早めにシャッターを切っていた。
フィルムカメラなので、シャッターチャンスには強い。
ニコンのコンデジ、CoolPix P1ではカメラのタイムラグがあり過ぎ、狙ったようには撮れなかっただろう。
ピントも合っていた。

西大井のニコン工場跡、ここに大きな建屋の工場があったが取り壊されなくなっていた。
後ろにある小野学園の校舎が見えるようになった。
小生の使っているNikon FやNikon SPは、ここに在った工場で作られた。
小学校や中学の同級生の何人かは、ここで働いていた。
CoolPix p1の底部を見ると、made in Japanとなっていたが、この工場製ではないと思う。
時代は移り、適所を求め、工場は移転していく。それが理というものだろう。
しかし、寂しいものだなぁ。

下神明駅近く。
安全第一の柵の向こうでは補助26号線の道路工事が始まっている。
これが完成すると、二国から、大崎高校の下をトンネルで抜け、大井町に至る工事が完成する。
再開発に伴い、この建物もやがて撤去されることになると思う。

明暗差のおおきなフレーミングをしてみた。
Retro80Sフィルムとやや軟調な現像液の組み合わせは、その明暗差をちゃんと記録してくれる。
白とびもせず、暗い部分も潰れていない。
Canon Autoboyは、 バカチョンカメラとは侮れない。
ズームレンズでありながら、コントラストも高い。
50年ほど前のNikonの作ったおそらく最初のズームレンズ、43mm-86mmを持っているが、
解像度は高いものの、レンズの枚数が多いためコントラストは悪かった。
広角側では、たる型の歪みもでた。
しかし、Autoboyの写りは そんな欠点を感じさせない。
コンパクト・ズームレンズで これだけの写真が撮れるとは・・・・レンズ技術、すごい進歩だと思う。
- 2018/06/12(火) 09:10:36|
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当時 高級一眼レフの使い手からみたら、写ってさえすればいいのだろうと、初心者向けカメラと一段低く看做されていた。

購入は1994年1月となっている。
発売と同時期に購入したと思うのだが・・・・ネットで調べると発売は1995年1月。
???。
その後 カラー写真の撮影は 1998年に購入したコダックのデジタルカメラ(100万画素)になったので、
4年間くらい、家族の旅行などで使用していたと思う。
そんなに沢山の写真を撮ったわけではない。
今回、電池を入れ、長い冬眠から起こしてみた。
操作するために必要な項目はきわめて少ない。
コンパクト・デジカメのCoolPix P1 よりはるかに簡単。
フィルムをいれたら自動で撮影できるよう巻上げる。
レンズカバーをスライドさせたら自動でスイッチ・オン、あとはシャッターボタンを押すだけ。
終了したら、自動で巻き上げて、フィルムはパトローネのなかに戻る。
カメラを開き、パトローネを取り出し、現像すればいい。
SetUp、A,P,Scene,ISOなどにダイアルを合わせ、撮影条件を決める必要もない。
DXコードつきの空パトローネにRetro80Sフィルムを詰め、「息吸うように写真を撮って」みた。

このカメラで モノクロフィルムを使うのは初めて。
白黒フィルムによる撮影は、Nikon FやNikon SPで撮るものという思い込みがある。
(本格的な)写真はモノトーンという偏見が、小生に強くあるのだろう・・・・困ったものだと思う。
撮って、現像し、ネガをフィルムスキャナーで画像をPCに取り込む。
意外にいけている。
悪くない、想像以上によく撮れていた。
今回の撮影では、ズームは使っていない、すべて35mmの広角で使用した。
ファインダーは小さく NikonやKiev、BessaRなどと比べたら視野性は劣るが、ピント合わせは必要ない。
フレーミングの確認程度、チラッと見る程度なので、問題にはならない。
ばかチョンカメラについたズームレンズだ。
たいした画質は望めないと思っていた小生の思い違い甚だしい。
Jupiter-12やSC-Skoparなど固定焦点35mmレンズで撮ったものと、
大きく伸ばし細部を比較したら、解像度、コントラスト、残存収差など違いは分かるだろうが、
実際のところは、レンズが何かなど、気にして写真を見ていない。
写真表現の本質的に影響するとは思えない。
息を吸うように写真を撮る・・・Autoboy使いやすいカメラだと、改めて感服。
面白いことに、縦位置で撮影したのは 数えるほどしかなく、ほとんどが横位置での撮影。
縦位置でフレーミングすることが多い小生の撮影の癖を、見事に矯正してくれた。
これが、この日の貴重な縦位置フレーミング。

上の部分をトリミング、パノラマ風に画面を整えました。

いつもの秒撮。
絞りやシャッター速度、ピント合わせの距離を考えなくていいのは助かる。
35mmの画角を考え、その位置に立ち、ぱっとファインダーを覗き、直ちにシャッターを切る。
次の瞬間、何事もなかったように、カメラを下げる。
確かに撮影のストレスは かなり軽減。

この写真、上部を少しカット、トリミングしています。
基本はノートリミングですが、こだわっているわけではない。
トリミングするため いろいろ考えるのが面倒、ノートリのほうが簡単だから。

狙い通り、手前の葉にピントが来ていた。
Autoboy やるもんだと思った。

しかし、自動車の窓ガラスに映った風景の撮影では・・・・ピントが合っていません。
20年前のフィルムカメラです、大目に見るべき。
ピントに関しては、現在のデジタルカメラのほうが数等よくなっていると思います。
デジタルのCoolPix p1は、シャッターのタイムラグが大きすぎて、息吸うように撮りたくても、一呼吸おくれてしまった。
一方、フィルムカメラのAutoboyにはタイムラグはないが、ピント合わせは劣っている・・・というところでしょうか。
Autoboy 面白い。もう少し 使ってみるつもり。
- 2018/06/10(日) 11:03:44|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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意味ありげなタイトルをつけると、
この作者、なにか深いもの感じ取っている、わかっている、
それを作品にしたのではと、写真を見てしまう。
そんなことありません。
その人の作品を、時系列で見ていけば、それが単に目立ちたいがため撮っているのか、
なにか心に秘めた思い/志があり、その表れとして 写真が撮れてしまった(結果として)かが わかってくる。
タイトルに多義性の難しい単語が並んでいたら、
目立ちたがり屋が、胡散臭い写真を撮っていると思ったほうがいい。
いい写真は、タイトルなくても、語りかけてくる。
いいなと思ったら、その人のほかの作品(写真)をみて、確認するのがいい。
写真は撮る人だけでなく、見る人の感性、知性も試されている。
いい写真は少ないが、上手い写真なら、腐るほどある。

これは題からして胡散臭い写真です。
- 2018/06/09(土) 09:51:35|
- ある場所、ある瞬間
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Nikon CoolPix P1の画像は8ビット、800万画素のJPGフォーマットでSDメモリーに入っている。
そのカラー画像を白黒画像に変換してみた。
デジタルの白黒写真は、このやり方が主流だろう。
使用したレタッチソフトは Photoshop Elements 7.0。
エプソンのプリンターかフィルムスキャナーに同梱されていたもので、
機能は制限されたものだと思うが、最新のフルセットのものを知らないので・・・・小生には充分。
機能が多すぎて使いこなせていないというより、どう使うのかわからない機能が多い。

CoolPix P1 カラー、フィルムに比べたら 色の深みが足りないように思える。
しかし、慣れてしまうと気にはならない。
カラー画像を追求する人なら、比較し見分け、我慢できないところだろう。
この頃のデジタルカメラには、フジやコダックが販売した(販売している)フィルムの発色を、
再現できるソフトも組み込まれているようだ。
新しいデジカメになればなるほど、綺麗に美しく撮れる。
更に綺麗な写真を撮りたかったら、常に最新のカメラに買い換えなさい、というところか・・・・
それは、小生にはできない相談。
息するように、CoolPix P1で、自動車の窓ガラスに映った風景を撮ったもの。
カメラと手が写ってしまったが、邪魔な体と顔は入っていない。ピント、露出とも問題ないと思う。

ブルーをレタッチソフトで調整し、全体のコントラストを強めた。その後白黒変換している。
空は暗く落ち、白雲のトーンがカラーよりくっきりと出ていた。
グリーンもレタッチソフトで調整していたら、草や木のディテールもう少し出たかもしれない。
シートの反射光が面白いと息を吸うように撮影。フィルムカメラでは・・・・撮らなかったと思う。
でも、色彩は乏しく、白黒フィルム向き。切り取り方(フレーミング)に問題ありというところだろう。

しかし、ブルーの色の明るさを下げてみてびっくり。黒の色に深みがでた。

コントラストを少し強調し、白黒変換。
これ?何度か挑戦し、未だだせない森山大道の撮るアメ車の深い黒いボディーのトーンに似ていないか?
Ortho25フィルム+フィルター/硬調現像液の組み合わせでできないかと・・・・計画していたが、
まだ やりようはあるということだろう。
カラーフィルムで撮って、青いフィルターを通した光で印画紙に焼き付けたら・・・・そんな妄想をしている。
面白くなり、レタッチソフトの使い方の練習していた。

慣れれば数分でこんな変換が可能。

空を暗く落とし、雲を白くくっきりとだす。フィルムなら赤いフィルターをつけて撮影するようなもの。
これで 緑の木の葉を白く出せれば(変換できたら)まるで赤外線写真のようになる。

緑の明るさをあげるよう調整したが・・・・赤外線写真に似せるには少し足りない。
撮り方とソフトがよくなれば(あるいは習熟しスキルがあがったら)、擬似的な赤外線写真風画像に変換できるでしょう。





レタッチソフトで色の明るさや彩度を調整する。カラーで見たら 何だこれはという変な画像だが、
白黒へ変換すると、ちょっと面白い、フィルムでは簡単に出せないトーンになる。
カラーで撮ったありきたりの写真でも、
このようにカラー調整をし、白黒変換、コントラスト調整をレタッチソフトで行なうと、
「意味ありげな」写真に作りかえることができる。(デジタル・レタッチなら簡単に)
元画像(カラー)を隠して・・・・・これが心象風景ですというようなタイトルを付けて白黒画像を公開する・・・・
いいんですかねぇ?そんなことして。
小生、心象風景を撮ろうと思ってシャッターを切ったこと一回もない。そんなこと無理だと思っているから。
面白い、これ撮ったらどうなる?、どんなトーンになるのだろう? そう、思って撮っているだけ。
心を撮ることができるカメラなんてあるとは思えない。
- 2018/06/08(金) 08:35:39|
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いつもの散歩コース。 何回も歩き、撮影スポットは大体わかっている。
170カットの写真を見ていると、確かに、いつものありきたりに切り取った写真がかなり多い。
それでも、いつもは見向きもせず、レンズを向けないようなところにもカメラを向けていた。
息を吸うように・・・・なんだ?と思ったらシャッターを切っていた。

自動車が積まれて格納されているのは前から承知していた。
もし、フィルムカメラで撮ったら、森山大道風に白黒のコントラストの高い写真にしたくなる。
しかし、それはすでにほかの自動車で試している。

今更同じことしても面白くないと・・・知ってはいたが、カメラを向けることはなかった。

ここ撮ったことあったかなぁ?

奉納された提灯にひかれ撮影。
平和坂商店街の店の名が多い。
靖文堂? 百反坂の下にあった本屋の名か?百反通りの文具店の名か? ちょっと記憶があやふやになっている。
本屋なら60年ほど前、兄が漫画誌「冒険王」を取っていて、毎月家に届けてくれた店だ。
文房具屋なら、当時小学校の教科書は、この店で買うことになっていた。どちらだろう?
記念湯は今更地になり、マンションが建つ工事が進んでいる。
宮城湯は現在も営業している。
こんなのを毎年一回でも撮って記録しておいたら、商店街の変遷がわかるようになるのだろう。
残念ながら、小生にその根気はない。

休日の校庭開放が中止になった理由でしょう。
当分 鯉のぼりを撮ること無理なようです。
安全が確保されるのを祈るのみ。

街灯に興味をもっていたのだろうか? 通常ならやり過ごす。

どちらも警告灯だけど・・・・
「あぶないから、はってはいけません!」の警告板や、「防犯カメラ、作動中」の看板を見たので、
それに触発され、無意識に息を吸うようカメラを向けてしまった? まさかね、そうとは思えないけど。

なんだ?これ。

立会川緑道公園。
こんなところで大工仕事?
-------------------------------
息を吸うように写真を撮ってみる。
そう思って行動するが、実行はなかなか難しい。
でも、いい経験になると思う。
見方、捉え方に変化がでてくる予感がする。
それを確かなものにするため、時々 コンデジを持って散歩しようかと思っている。
- 2018/06/07(木) 07:50:23|
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こんな写真が 意外と多かった。
小生の好み、癖、視点だろうか?





フィルムカメラをぶら下げて散歩するときは、あまり撮ろうと思わなかった。
モノトーン写真では地味、眼を惹くような写真にならないことが多いので、
これはと思うものにぶつからないと、シャッターを切ることはない。
もう一つの制約は、ファインダーを覗き構図を取ると、自分姿が画面に大きく入り、構図を台無しにすること。
しかし、デジカメなら手を伸ばし、シャッターを押せば、構図を邪魔する姿は入らない。
ピント、露光もデジカメが自動で処理してくれる。
撮り終えたら液晶画面で確認、駄目なら、再度撮影すればいい。
レンジファインダーカメラの制約から開放され、「息を吸うように」手は伸び、シャッターを切っていた。
ストレスを感じない撮影は楽しい。
たまにはいいなぁと思った。
- 2018/06/06(水) 07:35:36|
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人前で 息を吸えても、人を写すとなると別。
カメラを向け、息を吸うようにシャッターを押すわけにはいかない。
ノーファインダーでこそこそと、盗撮するようなもの。
それに CoolPix P1 シャッターを押してもすぐシャッターが切れるわけでなく、0.1秒か0.2秒遅くなる。

シャッターを切ったので、撮れたと思いカメラを動かす。
見事に手振れし、捉えたはずの被写体はフレームから消えていた。
人を写した写真には、手振れ、フレームの際(きわ)に被写体が写っている写真が多かった。

カメラを腰の位置にし、ノーファインダーでそっとシャッターを切る・・・・これでは盗撮ではないか?
フレームに入っていると思ったが、見事に切れていた。
170コマの写真には 人を写したものも入っていたが、こんなショットが多かった。
現在の進歩したデジカメなら、
タイムラグも小さくなったので、チャンスを逃すことなく、手振れもせず写せると思う。
しかし、やはり、堂々とカメラを構え、秒撮するフィルムカメラの撮影法のほうがいい。
こそこそ撮るのは、性分に合わないと思った。

液晶画面を確認して撮っています。

大井町、駅前の横断歩道にて撮影。
カメラは腰の位置、ノーファインダー。走る姿に、思わず3コマ撮影。タイムラグがあり、フレームに上手く収まらない。



人がフレームに入ったらいいなぁと、しっかり待ち、シャッターを切る。
果たして、「息を吸うように撮」ったことになるのか?


散歩の後半になると、
人を写す場合、カメラを目の位置に持ち上げ、確認してシャッターを切っていた。
人の眼を意識し、息を吸うようには撮れていない。

その分、構図には気を使う。
----------------------
撮りたいと思ったら、そのとき、すぐ撮る。
ファインダーを見て確認していたら遅くなる。
「息するように撮る。」
ストレスなくシャッターが切れ、意外と面白かった。
自分が どんな「もの」、「こと」に興味を持っているのか 再発見した気がする。
しかし、人間を被写体にしたら・・・・そうはいかないなぁ。
盗撮スタイルだけは・・・・とりたくない。
- 2018/06/05(火) 10:56:04|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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一度 何も考えず(とはいえ難しいが・・・)
息を吸うように「いいな」とおもったらシャッターを押す、
そんな撮影をしてみようと思った。
フィルムで行なうには・・・・ちょっと問題、経済的な理由と、フィルムの交換(36コマごと)のわずらわしさがある。
何枚でも取れるデジカメにした。
デジカメは、流行りだしたときから使っている。

最初に手にしたのはKodakのDC210 100万画素 1998年ごろから使い始めた。
フィルムメーカのデジカメだけあって、発色は非常に綺麗だった。
L判ならフィルムを超え、2L判でフィルム同等の画質だった。
2002年ごろまで使っていた。
専用バッテリーでなく、単3乾電池4本で動くので、現在でもつかえると思う。
次に手にしたのが、キャノンのIXY200a 200万画素、2006年ごろまで使用していた。
小さくポケットにいれて持ち歩いた。
専用のリチウムイオンバッテリーだが、調べると充電してもすぐに撮影できなくなる。
バッテリーは製造中止となって新品は手に入らなかった。
ニコンのCoolpix P1は2007頃から使い始めた。
散歩にカメラを持ち出した頃、
デジタルカラーにするか、白黒フィルムにするか迷ったとき検討で使った覚えがある。
いいカメラだと思ったけど、結局は古い機械式カメラを選んでいた。
沢山撮ったわけではないので・・・・まだバッテリーは生きていた。
2011年からはSony NEX-3を使用している。
理由は単純、マウントアダプターを使えば、古いレンズでもつかるから。
電気製品なので電子部品の劣化でそのうち修理不能となるだろうが、
壊れるまでずっと使い続けるつもりです。
IXYが一番小さく 息を吸うように撮るならこれだと思っていたが、バッテリー問題で駄目、
選んだのは ニコンのCoolPix。
小さく手のひらに収まる。軽く、玩具のよう、カメラカメラしていないのがいい。
6月1日 昼 西品川から大井町まで約1時間半ほど散歩。
興味を惹いたものを かまわず撮る。息を吸うかのようにシャッターを押していた。
ちら見することはあるが、液晶画面はほとんど見ない。
画角は普段使っているフィルムカメラだと35mmくらい。
ノーファインダーであっても、大体 どの範囲が入るか想像はつく。
広角レンズだし、撮りたいと思ったものは入るだろう・・・・そんな読みだった。
1.5時間の散歩で撮った写真は170コマ、普段の散歩の10倍以上の枚数を撮っていた。
いま その写真を整理中。分類してみると 自分が何に興味をもち シャッターを押しているのかが わかってくる。
息を吸うように撮る・・・ストレスフリーで写真をとる。意外と楽しかった。



地面すれすれ、液晶画面は固定。
バリアングルになっていないので確認はできない、カメラを近づけ、あとはカメラ任せ。
でも、ばっちり撮れている! Nikon Fで撮るとしたら・・・・どうしたろうと考えてしまった。

普段なら 露出どうしようか悩むところ、カメラ任せは ストレスフリー。


こんなところにも興味を持ったとは・・・・普段は撮ろうと思わない。小さな驚き。


電線、電柱をとる。
よくあるフレーミング。
モノトーン変換したら、誰かの「まね」。


レンズの径が小さいので金網の間に差し込んで撮影。

Pモードのカメラ任せで撮ったが、綺麗に取れるものですねぇ。
フィルムでは縦位置が多いのだが、
デジタルでは、縦位置と横位置でフレーミングしている比率がほぼ同じになっていることに気づく。
息を吸うようにリラックスして撮るようになれば横位置が増える・・・・
フィルムカメラで撮ってもそうなれば、肩から力が抜け、いい写真が撮れるようになっているのかなぁ?
- 2018/06/04(月) 08:56:28|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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東京タワーの近くに高層建築物はない。
周りは公園の緑に囲まれ、鉄塔が空高く伸ている。
登るならスカイツリー、観るなら東京タワーだろう。

BessaRに内蔵している露出計の指示にあわせて撮影。

それでは、木々の暗い影の部分が潰れるだろうと、一絞り分露光を増やして撮影。
暗い部分の潰れはなくなったが、空が単調となった。
カメラの露光計のほうがよかった(正解)のだろう。
トーンカーブで調整すると、影響は画面全体に及ぶので 致し方ないが、(古いレッタチ・ソフトなもので・・・)
暗室で印画紙に焼き付けるなら、空の部分を焼きこめば、空の調子は出てくると思う。(と負け惜しみ)

タワーをシルエットで抜きたかったので、カメラの指示より一絞り少なめに露光した。
暗い部分を黒く潰せない性分なのでしょう、トーンカーブで暗い部分を持ち上げています。
二絞り少なく露光したら、潔く黒く潰し、シルエットにしたと思う。
煮え切らない・・・・撮影態度です。
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モノトーンの写真は 即物的ではありません。
色の情報が欠落しているから。
最初から(Abstract)抽象的です。
観る人は、その写真はどんな光景を撮ったものか、
その人の知性と感性で
心のなかにその光景を再構築するという面倒くさいことをしなくてはならない。
そして一言、「くだらない」と評価するか「なるほど」と評価する。
カラー写真(映像)は即物的。
見たように、あるいはそれ以上に見栄えよく撮れる。
(見栄えよく撮りたい使用者の欲求に、答えて技術者はカメラを開発しています)
今日こんなレストランで、こんな料理を楽しみましたと、
皿に載ったご馳走のアップした写真を見せられたら、
おいしいだろうとすぐに想像が付いてしまう。
自分も行きたいと思ったり、
とても高価で、自分には無理と羨望まじりのねたましさを覚えたりする。
見せられて、すぐ反応できるのだから 短絡的に良し悪しが決まってしまう。
知性の関与する部分少ないのでは?とかんぐってしまう。
絵画なら水墨画より色彩の入った絵画が好きだが、
写真に関しては、カラー写真より、モノトーン写真のほうが好きな理由かも知れません。
- 2018/06/03(日) 11:33:59|
- 都会の景観 Tokyo
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トーンを気にしていると、咄嗟の撮影には向かない。
立ち止まり 光を読み どう写るか効果を考えてフレーミングしてしまう。
人をスナップするより 動かないもの・・・花や木、家のたたずまい、風景を対象に選ぶことが多くなっている。
それでも、人の存在を微かにでも感じられるよう撮りたいと思っている。




午後、五反田で撮ったスナップショット。
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硬調現像することを前提に対象を選び、フレーミングし、撮影している。
またR2フィルターをつけてみたりと、かなり作為的。
息を吸うように写真を撮っているわけではない。
いいなと思ったら、さっと撮る、そんな撮影法をしてみたいと 思っている。
それは、スマホ(デジタルカメラ)・ユーザーなら ごく当たり前の撮影法になっているだろう。
カメラ任せでも写真は撮れる。 ものは試し、やってみるかとは 思っている。
バカチョンと呼ばれたコンパクトカメラ(フィルム)でやるか、
コンパクト・デジカメで行なうか・・・・今 思案中。
- 2018/06/01(金) 10:41:30|
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