午後3時過ぎ、月が出ていた。

高架の鉄路を新幹線が通り過ぎていく。
R2フィルター(赤)をかけて空の調子を落としてみた。
効果を意図し、構図を決めて撮った写真です。
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息を吸うようには撮っていない。
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- 2018/05/31(木) 09:44:21|
- ある場所、ある瞬間
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竹製品の会社らしい。
沢山の竹がネット中に立てかけられていた。

ネットの輝きが面白いと撮影。
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軟調現像液(Ⅶ)と硬調現像液(Ⅳ)を使う二段現像法で、硬調気味なネガを作ろうとした。
切り替えのタイミングがポイント。
このあたりはTry&Errorで 現像法を編み出し、覚えていくより方法がない。
- 2018/05/30(水) 13:08:42|
- フィルムの眼
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使い慣れたTri-Xフィルムと違った諧調性があるので、
Retroフィルムを使い出した当初は戸惑ったが、
使い慣れてくると、その特性が段々わかってくる。
使いかた、現像法をあわせていくと、光のダイナミックレンジが広く、豊富な諧調性を持っていることに気づく。
ネガに記録された諧調性をそのままプリントに出そうとすると、時として眠い写真になってしまう。
白黒のコントラストをあげてプリントすると、中間のトーン(諧調性)は潰れて乏しい印象を与えてしまう。
暗い部分を黒く焼きこみ、白黒の美しい写真を好む慣れた人には、
中間の諧調性が乏しい使いにくいフィルムという印象をもつようだ。
暗室で格闘し、印画紙に 焼きこみや、覆い焼きできる昔のやり方なら、かなり使い勝手のいいフィルムだと思う。
残念ながら、(小生の持っている古い)デジタル・レタッチソフトだと、
トーンカーブでコントロールできるのは画像全体、残したい部分のトーンまで、処理されてしまう。
(現在の最新のレタッチソフトではできるかも知れませんが)
しかし、ダイナミックレンジが広いので、
光の強度差の大きなフレーミングで撮影しても、たっぷり目に露光し、やや軟調な現像液で現像すると、
トーンのなだらかな(豊かな)ネガを得ることができる。(複数枚の画像データからデジタル合成するハイダイナミックレンジに比べると劣りますが・・・)

おそらく、露出計内蔵のカメラなら f:5.6/125秒が適正と表示されるだろう。(f:5.6/60秒かも)
たっぷり目の露光を選んだ。
軟調現像したネガを調べると、光の強い部分の銀塩でも飽和はしていない、(フィルムは オーバー露光に対し耐える力がある。)
暗い部分にも銀塩の画像は充分残っていた。

空の調子を出したかったので、f:8/250秒とした。
水面と森のディテールにこだわるならf:8/125秒を選ぶと思う。
画像化するとき、トーンカーブを操作し明るい部分を焼きこむようにした。
暗い部分のディテールは少し失われたが、それでも黒く潰れてはいない。
空にザラッとした銀粒子がでてしまったが・・・・致し方ない。
Retroフィルム 面白い、まだまだ 遊べそうだ。
写真は 画像(プリント)で評価される。
フィルムだろうが デジタルであろうが、
大型カメラか、スマホか、子供が撮ったか、女性が撮ったか、プロが撮ったか・・・・
それらの項目で、写真は評価されるべきではない。
たんなる属性に過ぎない。
その属性に過ぎない白黒フィルムになぜこだわるのかねぇ?と 時々思うが、
フィルムの面白さに嵌っていることは確か。
趣味なのだから、途中の経過も含め、とことん遊ばにゃ損損、
いつしか、いい写真の一つも撮れていれば、それでいいではないか・・・
と自分に言い聞かせている。
- 2018/05/28(月) 12:40:08|
- ある場所、ある瞬間
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息を吸うように写真を撮ろうと思いながら、
圧倒的な数を目の前にすると、それを忘れてしまう。
いつもの撮影スタイルになってシャッターを切っていた。
祭りはデジタルで撮るべきだった・・・・
いつもの癖が出てしまい、無意識にも縦位置のフレーミングになる。







ファインダーを覗き,いまだとシャッターを切ろうとすると、
空気のように さっとスマホを持った人が視界に入ってくる。
アッといった瞬間、ファインダーが遮られる。
ネガをチェックすると、そんなコマが多かった。
息を吸うように撮りたいなら、デジタルを手にすべき。
スマホを持った人の撮り方が、理にかなっていると思う。
- 2018/05/27(日) 11:09:21|
- Street Photograph
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写真が単なる記録なら、
バカチョンと呼ばれたコンパクト・カメラでも、
今まだ手に入るコンパクト・デジカメでも 充分だろう。
(スマホ、タブレットでもいいが・・・)
わざわざ、古いカメラを持ち出し白黒フィルムに拘るのは、
単なる(事実の)記録ではない何かを フィルムのネガに感じているのだと思う。

Tri-XでもKentmere400でも このトーンで写真が撮れたことはなかった。
おそらく、デジタルカメラで撮り、優れたレタッチソフトを駆使して作っても難しいのではないかと思う。
多めに露光し、やや軟調の現像液(Ⅶ)を使い、少し押し気味に現像した。(他のコマとの関係もあったので)
トーンの調子は非現実でシュール感がある。
長く 白黒のネガフィルムを使ってきたが、
思いがけず、こんな写真が撮れてしまったことを驚いている。
いいか悪いかの評価はさておき、面白い。
デジタルでは味わえない楽しさだろう。
まだ、フィルムには、
今までにない写真表現の可能性が残されているのでは?と期待してしまう。
- 2018/05/24(木) 11:07:41|
- フィルムの眼
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何の気なしに浅草へ行たら、三社祭りの最終日だった。
地下鉄のプラットフォームを降りたところで、既に人で溢れていた。

雷門前にある観光センターの2階に登り、撮ったもの。
ここでフィルムを使い切り、新しいフィルムと交換した。

同じ露光で撮影。
上のフィルムは二段現像法を使用、硬調トーンになるよう現像を行った。
下のフィルムはやや軟調な現像液(Ⅶ)で現像したもの。
同じフィルムでも現像液、現像法を選べば、この程度の差はでる。
Retro80Sフィルム レトロというだけあって、硬調現像であっても、暗い部分に足が残っている。
レタッチソフトのトーンカーブを逆Sに補正すると、
軟調現像液で現像したようなトーンに似せることができた。
トーンカーブをS字補正すると、デジタルカメラのHCB&Wに似た白黒のトーン美しい写真になる。
Retro400Sで写すより、銀粒子は目立たず、トーンも豊富なので、HCB&W風 写真を撮るにはいいフィルムだろう。
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群集の写真を撮ったことは少ない。
大きく伸ばしたら迫力出るだろうなぁ。
ネガを3200dpiでPCに取り込みデジタル化している。
画素数は約1300万画素とあまり高いものではないが、35mmフィルムではこの辺りが限界。
銀塩の細かなフィルムもあるので、更に画素数をあげることもできるが、
オールド・レンズ性能の限界に近づいているので、2000万画素くらいかなぁと考えている。
一度 限界を試してみるかと思えど・・・・スキャナーを別のものに交換する必要がある。(4000dpi できれば6400dpi読み取りができるスキャナー)
さて、どうするか?
個人的には、これだけの画素数があれば充分。
半切程度までなら どうにかプリントできる。


(都の様子を描いた)洛中洛外図に似た、
現代の洛中洛外図(東京のことを洛中と呼べないけど・・・)
撮れないものかと思う。
- 2018/05/22(火) 22:51:55|
- ある場所、ある瞬間
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「光画」と新興写真。(モダニズムの日本)時代に比べ、
映像を記録するカメラは 夢のような進歩を遂げた。
まるで息を吸うように いとも簡単に映像を記録できるようになった。
撮影に悩むことも、工夫することも 少なくなった。
どうとっても失敗することはない。必ず何か撮れている。
ピントは合っている、露光も完璧、手振れもない。
綺麗に撮れて当たり前、少々のことでは驚かなくなった。
すると、見てもらいたいからと、これでもかと 映像はどぎつくなっていく。
東南アジアで売れているスマホには、
肌を綺麗に写すソフトが既に組み込まれ、売れているという。
見る感性が段々と 気づかないうちに、麻痺していくのではないかと疑っている。
1960年になるまでは、豊かな諧調の写真がまだ残っていたが、
60年代中頃から、暗い部分を黒く潰す、白黒の対比の(美しい)写真が 多くなっていく。
そして、広角レンズでデフォルメされた写真が主流になり、アレ、ぶれ、ボケへとつながる。
それが、小生の印象。
写真家の木村伊兵衛は、40年ほど前の写真雑誌の対談で、
この頃のフィルムは足がなくなったと 嘆いていた。
暗い部分がストンと落ちて潰れてしまう。あれでは足のない幽霊写真だと辛らつな意見を述べていた。
Tri-Xがその牽引役、ほかのフィルムもそれに倣えと、足なしフィルムが増えていると嘆いていた。
長らくTri-Xを愛用していたので、氏の指摘を読んでも、あまりピンと来なかったが、
Retroフィルムに換えて使ってみると、確かにそうだ・・・・と思えるようになってきた。
小生の写真、古いトーンに回帰しているのかも・・・・だから、今の基準からすると駄目写真なのだろう。
それでも、白黒の対比の美しいネガを作りたくて、徐々に硬調現像液の使用が増えている。

最初注目していたのは、滑り台に落ちる影の文様。
それを撮りたくてファインダーを覗いていたら、
子供をつれた一団が現れる。
子供を画面に入れれば、キャッチーになる。
安易な思いで一呼吸待ち、さっと撮影。
硬調な現像をするつもりだったので、滑り台に当たる陽の明るさから露光を考えた。
(露出計は持参しないので、勘で決めていますが・・・)
もし、子供の表情を捉えるのだったら、もう一絞り分露光を増やしたと思う。
最初に軟調現像液で現像し、途中で硬調現像液に切り替える二段現像法を使っている。
こうすることで、暗部のデイテールを残し、白黒の対比(コントラスト)をあげている。
現像は 少し押し気味、銀塩の載った濃い目のネガを得た。

3日後 再び 同じ公園の道を歩く。
今回は軟調現像液で現像するつもりだったので、
比較にと、同じようにフレーミングして 撮影した。残念ながら 子供の姿は見当たらなかった。
軟調現像なので、たっぷり目に露光し、現像を抑え気味に行なった。
しかし、トーンの差など、たいしたことではない。
もっとキャッチーでないとアピールしない。
見比べるでもなく、「撮れているね」で終わり。
現像法やデジタル・レタッチ法を話題にする人は少ない。
むしろ カメラのメカだったり、レンズの性能を 云々する。
金さえ出せば 手に入れられるから・・・・なのだろう。
しかし、カメラのメカや、またレンズ性能云々より、
暗室作業や、レタッチソフトの習熟のほうが写真表現は豊かになる。
カメラの使い勝手や、メーカーによるレンズ性能の違いが、
写真表現に、どれだけ本質的な影響を与えているのだろうか?
デジタルのいいところは ごちゃごちゃ考える必要がないことだろうとおもう。
息を吸うとき、吸うこと意識する?しないでしょう。
そう、息を吸うように写真を撮る。デジタルはそれを可能にしてくれた。
撮りたいなと 思ったらすぐ撮る。
ファインダー覗いたり、液晶画面で確認していたら、チャンスを逃す。
息を吸うように写真を撮る・・・・それが新しい撮影作法なのだろう。
今度はそれに挑戦してみるか・・・と思っている。
- 2018/05/21(月) 12:10:35|
- フィルムの眼
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目を惹く写真を撮りたい。
その思いが強いと、画面を作ってしまう。
上手くいけばいいが、作為がみえみえで 浅薄な写真になることもある。
写真は 焼きこんでローキーにすると なにか訴えているような 写真に見えてくる。

元のネガは、ごく普通のじみな素人写真。
なんの見所もない。
焼きこみ、コントラストを付けると、見慣れない光景になる。

画面全体の濃度を暗くし、トーンカーブを調整しコントラストをあげると
普段は気に留めなかった文様が、コンクリートの壁に浮き上がる。
見慣れた光景が消え、シュールな光景に変化する。

明るい空を焼きこむと、樹の影が怪しく壁に落ちる。
すると見慣れない非現実性が現れる。
作為はありありなのだが・・・・
へんだねぇ、何だこの写真と見入る。
そこが付け目。
そこに、意味不明だが「キャッチー」な文言(コメント)が、ついていると、
このカメラマン、何か掴んでいる、深い意味があるのだろう・・・・すごい奴ではないかと思ってしまう。
ほんとうでしょうかねぇ?
「光画」と新興写真。(モダニズムの日本) 展を見てから、
どうも 考えが過激になってしまったような気がする。
当時、写真を志していた人のすごさ(創意、工夫)を感じている。
それに引き換え、ちょこちょこと撮って
レタッチソフトを動かし、画像を作り、意味不明な難解な題をつける。(心象風景らしい・・・・)
魂胆ありあり、如何なものか?
デジカメ頼り、レタッチ頼り、安易だなぁと思う。
覚悟も志もないのは、小生も同じ、
たいした写真を撮っているわけではない。
目くじら立てるのは おかしいことなのだが・・・・・
- 2018/05/20(日) 23:20:39|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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鮫洲近辺を散歩した。

二段現像法を使っている。

現像液を切り替える(交換する)タイミングで、いろいろなトーンのネガを作れる。
しかし、「作れる」とは言うものの、
意図するよう自由にコントロールできているわけではない。

出たとこ勝負のところもある。
近代的な品質管理(コンピューター管理)のもと製造されるファインセラミックではなく、
個人で行なう(窯の火任せの)陶芸に近いかも・・・・
この画像など たまたまだが、エッジが立った写真になった。
デジタル画像のレタッチソフトで、エッジフィルターをかければ、同様な画像作れるかもしれないが、
アナログなフィルムでも、つくることができる(できるときもある)。
それが 面白いので、フィルムにこだわっている。
- 2018/05/19(土) 11:59:13|
- フィルムの眼
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近くの三ツ木小学校の校庭に 季節になると「鯉のぼり」が はためくようになったのはいつごろからだったろう?
定かではないが、数年前、選挙の投票で出かけて、見たのがきっかけで知ったのかもしれない。
今年こそ キャッチーな鯉のぼりを撮ろうと出かけてみた。

しかし、校門は堅く閉ざされ中に入れない。
土曜、日曜、祭日 品川区の小学校は校庭開放するはずなのに・・・・
戸越小(戸越公園脇にある)は、校庭開放していた。
なにかあったのかも。
誰に見られるでもなく 鯉のぼりがさびしく泳いでいた。
家に帰り、三ツ木小の鯉のぼりの写真を探す。
三年前の写真が見つかった。

天気に恵まれ、2,3人の人が デジタルカメラを抱え、鯉のぼりを撮影していた。
撮る位置(フレーミング)は 大体決まってしまう。
仲良く並んで撮った記憶が残る。

これは 去年撮影したもの。午前中はどんよりとした曇り空。
午後 遅くなって薄日が射したので、カメラを持って出かけた。
人影はなかったが、自由に校庭に入れた。
去年 防犯上、何らかのトラブルがあったのだろう。
それ以来 土日祝日の校庭開放はなくなったようだ。
困ったものだと思う。
- 2018/05/17(木) 11:09:46|
- ある場所、ある瞬間
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Retro400Sに比べ低感度なので露光は多くなる。
その分だろうか、暗部まで光が回り、潰れが少ない。

Retro400Sに使用した硬調現像液(Ⅳo)を使用。
Retro400SならデジタルカメラのHCB&Wモードに似たトーンの写真になるが、
Retro80Sだと、暗い部分が潰れず、銀塩の画像が残り、画面がごちゃごちゃする。



写真は引き算。トーンも少なくしたほうが白黒のメリハリが利いてキャッチーな写真になる。
硝子越しの室内の様子など、黒く潰したほうがすっきるするだろう。
トーンを縮減するような現像方法を 試してみるのもいいか・・・・と考慮中。
- 2018/05/16(水) 10:49:54|
- 散歩
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上野に出たとき、アメ横でスナップした写真。
フィルムを硬調な現像液(Ⅳo)で現像している。




もう少し 切り取り方(フレーミング)に工夫があってもいいと思うが、
それは いつも後の祭り、現像しネガになってから分かること。
街撮りの上手い人は多い。触発されるが上手い人のようには撮れない。
カメラなんだから 同じように上手い写真が撮れてよさそうだが、そうでもない。
面白いものだ。
美しい花や、美しい風景は その「とき」を予想できる。
あらかじめ現地に赴き、三脚にカメラをセットすればいい。
しかし、出会いがしらの街撮りでは、
一瞬の移ろいいく瞬間を捉える眼が必要なのだろう。
これは、真似ようがない。
「黒い花、怪しい花」を撮ろうとするより、
街のスナップのほうが難しいし、面白いと思う。
- 2018/05/15(火) 09:24:48|
- 都会の景観 Tokyo
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池上線・荏原中延駅と大井町線・中延駅 それほど離れてるわけではない。
家からは少し遠いが、散歩コースの一つになっている。

池上線、戸越銀座駅から一駅で荏原中延駅、歩いても10分ほど、ほぼ線路に平行して歩く。
呑み屋横町入れば、駅は近い。


荏原中延と中延の間は商店街で結ばれている。


この商店街、アーケードになっているので、雨が降っても困らない。
中延商店街を抜けると、すぐに第二京浜国道になる。
大井町線の中延駅と都営地下鉄の中延駅がある。
大井町線で一駅で戸越公園駅になる。
国道を渡り、そのまま10分も歩くと戸越公園商店街にぶつかる。
左折し2分ほどで、戸越公園駅に至る。
更に歩を進めれば、戸越銀座商店街にぶつかる。
確かに 商店街の多い地域だと思う。
三つの電車路線と、バス(五反田-川崎)が使えるので、立地はいいと思うが、
やはりローカルな商店街、地元が中心、小生の妻もここまで買い物に出てくることはない。
小生にとっては、ぶらぶら歩きの散歩コースです。
(戸越銀座-荏原中延--中延--戸越公園とまわると約1時間の散歩になる)
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ハイコントラスト写真は、Retro400Sを使って作ってきたが、
銀粒子が出やすいので、フィルムをRetro80Sに替えた。
硬調な現像液(Ⅳo)を使って現像している。
しばらく使ってみて、改良が必要か、使い方で収まるか、考えて/試してみるつもり。
- 2018/05/13(日) 14:30:42|
- 散歩
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次の日の午後 再び武蔵小山周辺を散歩した。






光の諧調をつめエッジがでるよう 現像液と現像法を工夫しているが、
単に硬調現像液で現像しているような写真になってしまった。
でも 暗部は、黒く潰れているわけではありません。それなりに画像は残っています。
細部を見れば・・・・エッジが立っているのですが、
残念ながら、小さくリサイズしたブログの画像ではよくわからないでしょう。
昔は、墨と筆で字を書いていたが、
やがて 万年筆、ボールペン、スマホなどのボタンタッチへ変化する。
字を書く工夫は減り、その度に、美しい文字を見分ける審美眼も失われていく。
写真もそんな運命をたどっているのではないか?
「光画」と新興写真。(モダニズムの日本) 展を見て、そんなことを思っている。
- 2018/05/12(土) 08:51:33|
- 都会の景観 Tokyo
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駅前の一等地が取り壊され、再開発が始まっている。
タワーマンションが建ち、その一、二階には店舗の入る複合施設になるようだ。

目蒲線が目黒線となり地下鉄との相互乗り入れもできている。
もう少し経つとこのあたりも大きく変化するのだろう。



見知ったものは 何も残らない。
昔 徘徊したネオンの輝きは消え、
いつしか、迷子になってしまった。
過去の経験は、却って邪魔。

記憶が消されてしまうようなもの、
完成したら、呆然とするのみかなぁ・・・・
- 2018/05/10(木) 09:33:32|
- 都会の景観 Tokyo
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「光画」と新興写真。(モダニズムの日本)
を観てから、その画像が小生の心の中でくすぶり続けている。
現在の写真からみたら、たいした写真ではないかもしれない。
デジタルカメラで撮って、
優秀なレタッチソフトで加工したら、もっと衝撃的な写真を「作る」ことできるだろう。
それでも、「光画」と新興写真に 忘れてしまった写真の存在感を感じる。
機能は現在のカメラに比べ劣っている。
しかし、写真に撮れるという驚きとそれをコントロールする楽しさが底に流れていた。
写真に対価(金銭的、あるいは 評判)を得たいという世俗的な価値観ではなく、
写真を撮り記録する、ただそれだけが楽しい・・・・道楽者と馬鹿にされようが、撮るぞという覚悟があったと思う。
これこそ 小生が写真を始めたときの動機だろう。


やはり「怪しい花」が撮りたいものだ・・・・蔑まれ、無視され、馬鹿にされようとも。
- 2018/05/09(水) 11:10:48|
- 黒い花 怪しい花
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すでに美しい花の写真が氾濫しているのに、
なぜわざわざ綺麗な花を探し、撮るのだろう?
花を綺麗に撮ったところで、
もう誰が撮ったかなど気にはしない。
誰でも撮れる、大同小異、みんな綺麗な花。
「どう この花、きれいでしょう」
「きれいだね、これどこ?」
花の写真を契機に会話が始まる。
花の写真は会話の埋め草のようなもの。
撮った花の写真にこだわっても、
それは本人だけ、花の写真など、見る人からすると たいしたことではない。
(健全な 写真の使い方かも)
しかし、だからこそ、写真にこだわる小生、
あたり前のことなどしたくないとハードルをあげる。(そのほうが面白いから)
怪しい花が撮りたくて、立会川歩道を歩いた。

「つつじ」躑躅ではありません、「しゃくなげ」石楠花です。

赤紫の花が咲いていた(ポピー?)

大輪の白い花弁の魅力に、思わず「怪しい花」のテーマを忘れていた。
来年逢ったら、この白い花、ソラリゼーション現像し、黒い花弁の花に変身させる・・・・ぞ。

怪しい黒薔薇を撮りたいが・・・・
「怪しい花」 撮影は なかなか難しい。
- 2018/05/08(火) 09:40:11|
- 黒い花 怪しい花
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戦前 日本の写真家が撮った写真が展示されているというので、
久しぶりに写真美術館へ行く。
題は 「光画」と新興写真。(モダニズムの日本)
戦前にもプロのカメラマンはいただろうが、
それらの多くは、写真館を構えポートレート(肖像写真)を生業とする人だった。
あるいは 記録映像が欲しい新聞社、雑誌社、警察などの機関で働き、その任に就いた人達もいた。
プロカメラマンの任に、写真は事実の記録であって、自由な写真表現という発想はない。
「モダニズムの日本」を捉えたという自由な写真表現となると、
その担い手の多くは 市井のアマチュアカメラマンとなる。
一枚の写真に 高い対価を払う人は少ない。
資産家あるいは、資産家の息子が嗜める道楽でもあったと思う。
当時のカメラ、レンズ、乾板やフィルムなど 写真を撮る道具は、現在に比べ大変、低機能。
そのなかで、工夫し、「写真」を作っている。
作品の多くに 欧州で湧き上がっていたシュールリアリズムの影響を 認めることができる。
複数のネガを使用し、一枚の印画紙に焼き付けたコンポジット(合成)写真、
金属表面の光の輝きを演出した静物写真。
ソラリゼーション現像した写真、
ネガ反転して作った写真。
ブロムオイル法で作られた肖像写真
80年ほど前 既にこれだけの写真表現ができていたと思うと ただただ驚くばかり。
シュールリアリズムの影響を受けた作品には 「おゃ」と思わせるキャッチーさがある。
広告向きといえる。戦後の広告写真の出発点がすでに用意されていたということだろう。
そんな中にあって 木村伊兵衛の写真が混ざって展示されていた。
ストレートな市井の絶対非演出の写真。
日ごろ見慣れているはずなのに、全体のなかで浮いていた。
タイミングを合わせ、居合い抜きのようにシャッター押しただけだろう、
それ以外何の工夫も感じない、これ写真だろうか・・・?
そんな気にさせる 写真展だった。

写真展を見てしまった影響か、ソラリゼーション現像になるかならないかのぎりぎりの条件でフィルムを現像。
駄目なコマ、どうにか それらしいシュール感がでたコマが混ざっていた。

後ろを歩く男性と、スマホを見る女性、何の関係もないが、なんとなくシュール感が漂う空間になっている。
男性がもう少し右に来るの待ったほうが、構図としていいのだろうが・・・・待てないのです、下手なもので。

坂を上っていく2組のカップル、ベンチに座るカップル。
樹は明るく白く写っているのに、人にその影はない。(レタッチソフトで消したわけではありません。その点に関し、小生ストイック、ストレートフォトです。アッ撮れちゃったと あとで驚くのが好き。)
50年以上前、有楽町 日劇地下にあったATG劇場で観た「去年マリエンバードで」の映画を思い出す。
あの庭園の映像にも 人が立っているのに、その影はなかった・・・・・
シュールリアリズムの影響を受けていたのだろなぁと 記憶を手繰りながら思う。
これが 写真だと 決めつかないのがいいのでしょう。
- 2018/05/05(土) 09:59:45|
- 都会の景観 Tokyo
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大崎駅に隣接するビルを、
いつものようにカメラを持って、ぶらぶら散歩。






Retro400Sのフィルムは 面白い。
赤外線部まで感光域が伸びているので、フィルターによって トーンは大幅に変化する。
現像液を変えたり、現像方法を工夫すると、また違ったトーンになる。
写真表現の幅を広げてくれる。
高感度なのも使いよい。
欠点は、銀粒子が大きく、画像に粒状感がでてしまうこと。
------------------------
白飽和させず、黒潰れもさせない、それでいてトーンを圧縮させる現像。
こんな表現も このフィルムは可能にしてくれた。
Tri-Xフィルムを使っているとき、こんなことができるとは思わなかった。
面白いフィルムです。
- 2018/05/04(金) 08:15:38|
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日没が近づき林の中は暗くなっていく。
一瞬ラクウショウの林に陽が射した。
露光オーバーの赤い警告マークがファインダーにでたが、
かまわずシャッターを切る。

数分後 陽は雲間に消え、やがて日没となった。
カメラ内蔵の露光計によると一絞り露光オーバーであったようだ。
カメラは撮った状況が 逆光とは認識していない。
そう警告するのも頷ける。
一絞りならOK。小生の勘ではドンぴしゃり。
しかし、現像して驚いた。
予想外の結果。
赤外線フィルムで撮影したように、葉の緑が白く写っていた。
このようなトーンの写真、R72フィルターを使った赤外線撮影以外で撮ったことはない。
モノクロフィルム、時々 期待以上の写真を作ってくれる。
これがあるので止められないのかなぁ。
- 2018/05/03(木) 11:03:09|
- ある場所、ある瞬間
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勝島運河沿いの遊歩道を歩いていた。
その時発見した風景。

レンズはContaxⅡ時代に作られたノンコート・テッサー 50mm F:2.8をNikon SPにつけて使用している。
S型ニコンでも そのまま使えます。
--------------------------------
このコマ かなりオーバー気味のネガ濃度になっていた。
失敗かと、ネガをPCに取り込んでびっくり。
なんとなく童話の挿絵風・・・・
いままで、このようなトーンで撮れたことはなかった。
光の具合が良かったのか、現像法がマッチしていたのか よくわからない。
フィルター無しなら Retro400Sフィルム、f:5.6/500秒が(小生の)適正露光と判断。
(勘:経験値です。露出計は散歩のとき持っていきません)
G1フィルターをつけたので、f:5.6/250秒とすべきだが、暗い部分を潰さないよう、f:5.6/125秒で撮影した。
現像結果は、三絞り以上ネガ濃度は上がっていた。
経験に頼った間違いでした。
しかし、その間違いが この結果を生んだ。
露光計内蔵のカメラを使い、カメラ任せにしたら、面白みのない画像になっていたのでしょう。
こんなこともあるので、露光をカメラ任せにしたくない・・・と言い訳を言い。
- 2018/05/02(水) 09:10:35|
- 映し出された世界
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旧ソ連製のInduster-50 50mmF:3.5のレンズを4本持っている。
4本のうち2本は固定鏡、袴の部分は着脱でき、
袴をはずすとソ連製一眼レフカメラ、ゼニットのレンズとして使用できる。
その袴部分をもう一つのInduster-50につけ、鏡胴を伸ばしてデジタルカメラに取り付けた。

こうすることで、被写体まで90cmくらいまでしか近づけなかったカメラが、レンズ先端から20cmくらいにピントがくるようになる。
そうして撮影した赤い椿を レタッチソフト(PSE)の機能を使用し白黒画像に変換、各種のフィルターで画像処理してみた。

カラー画像を白黒変換。

エッジ光彩フィルター処理。花弁にエッジがかかったようには思えないが、「めしべ」の部分にぬめりと光のエッジを感じる。

光彩拡散フィルターだと、シュール感が増す。

これも面白い。フィルムでは出せない。

フィルムで行なうソラリゼーションとは 違うなぁと思う。

パステル調、墨絵風とかいろいろなアート系フィルターもあったが、
変換してもあまり好きになれない画像になった。
上手くパラメーターをあわせられないからでしょう。
レタッチソフトを教えるプロ、それを使うプロ(プロラボ)がでてくる理由でしょう。
インスタ映えする写真を撮りたいという需要は多い。
レタッチソフトのフィルター・ソフトがすでに組み込まれている機種もあるようだ。
それで撮影すると、見目好く、肌は潤いしみ一つなく、眼もぱっちり大きくなっているのかも。
レタッチソフトで 画像を感動的、印象的、キャッチーに(加工)する・・・この流れは止まるはずもありません。
それも 写真なのでしょう。
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その昔、白黒フィルムが全盛の頃、
写真家は 撮ったフィルムを暗室で現像、己の手で印画紙に焼いていた。
(中には、弟子にやらせたり、プロラボに頼むプロもいたと思うが)
森山大道も、暗室で格闘していた一人だろう。
しかし、デジタルカメラに替えた今、
PCの前に座り、レタッチソフトを自ら操作して画像を作っているとは 思えない。
おそらく外部の画像処理ソフトに習熟したプロに依頼し、彼の狙う画像をつくって貰っているのだろう。
絵師がいて、彫り師がいて、刷り師がいて 一枚の版画が完成する。
絵師は名前が記憶されるが、彫り師、刷り師の名前は残らない。
しかし、版画のできばえは、彫り師、刷り師の技量にかかっている。
昔の写真家はそれを一人でこなすことができた。(しない人もいたけど)
それが可能だったのは、モノトーン(白黒)写真だったから。
皮肉なことにデジタルの時代に入り、
プロの写真家は 単なる絵師になったということだろう。
しかし、個人でも、明るい暗室で現像し、
それをプリンターで打ちだして写真を作ることが可能になっている。
絵師、彫り師、刷り師の三役をこなせる環境になった。
ほかの人の手助けは必要ない。
アマチュアとして写真を楽しむには 申し分ない環境になったと思う。
- 2018/05/01(火) 10:23:30|
- 黒い花 怪しい花
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