この頃の散歩で、中央公園を横切るときは、
木蓮の蕾を気にし 一二枚 確認の写真を撮る。


この頃は望遠レンズをつけたカメラを持って 散歩することが多い。
デジタルで撮ったらどう撮れるだろうと、PAM-Britarをつけたソニーデジタルカメラを持ち出してみた。

1/20秒で手振れはほとんど感じられない。自分ながら信じられない、神業。

f:8くらい絞りたいが 致し方なし。絞り開放にしてシャッター速度を上げた。

ISO感度を1600に上げて撮影してみた。色彩は今一の結果。
もともと冬の公園、色彩は乏しい。
カラーよりモノトーン向きなのだろう。
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- 2018/01/31(水) 13:09:47|
- 白木蓮
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今月の中頃、
夜空に、ボーっと木蓮の蕾が浮かんでいるのを見ていた。
もう少し経って蕾が大きくなったら、撮影のチャンスかもしれないと・・・・心に留めていた。
まだ、ちゃんと覚えているのだから・・・・ボケてはいないと自分を励ます。
狙うなら広角レンズだろう。
21mmの広角レンズをつけたカメラと、三脚、ストップウオッチ、懐中電灯を持って、
区役所前の中央公園へ行く。

30秒の長時間露光で撮影。
見た目(印象)より明るく写っている。
1月初め TOC屋上で富士山の写真を撮ってから、
主に望遠レンズをつけたカメラで撮影してきた。
それでも三脚を持ち出すことはなかった。
広角レンズなのに、カメラを三脚にセット、ストップウオッチで時間を計り、撮影した。
風景を撮る人なら当たり前だろうが、あらたまっての撮影、ちょっと新鮮な感覚。
スナップ写真ではないけど、こんな撮影もありだろう。
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Nikon SPが壊れてしまった。
20年ほど前 オーバーホールしている。
カメラに問題はない。
問題は 小生のほうだろう。動作が鈍く、注意散漫。
一年ほど前落としてしまい、巻き取りレバーを壊してしまった。
その時は 街医者、KievⅡ(キエフ)の修理を得意とするところに頼み、直したが、
ついにレバーが突然動かなくなった。
50年以上使い続けてきたカメラ。
妻より長い付き合いだ。
見捨てるわけにはいかない。
せめてあと数年、カメラを卒業するまでは 元気でいて欲しいと
ニコン修理の専門病院、西大井の「フォト工房キィースト」へ入院させた。
混んでいるのか? 退院日は3月30日となっていた。
入院費(見積もり)は 中級のデジタルカメラボディーが買えるほどの金額。
それも致し方なし、あと5年くらいは一緒に散歩を楽しみたいから。
- 2018/01/30(火) 11:06:13|
- 白木蓮
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PAM-Britar 105mm レンズをSony NEX-3につけて使ってみた。
場所は 五反田TOC(卸売りセンター)の屋上。時刻は3時過ぎ。
晴れていたので富士山を見ることができるかと思ったが駄目だった。
北東の方角、東京タワーを撮影。

カメラが自動でJPG画像に変換してくれる。
充分な画質だと思う。
約1400万画素。
70年近く前のオールドレンズだが、小生の審美眼が低レベルなのか、これで充分満足。
写真の質(できばえ)は良くなくとも、画質(クオリティー)は満足している。

東京タワーの部分と右下の広告を拡大、ピクセル当倍にして確認したが・・・・
薀蓄好きの人の評価では、解像度は足りず、像が流れ「□レンズだ。こんなレンズどうして使うのか」とお叱りを受けるかも。

ネガは楽譜、プリントは演奏。
だとしたら、デジタルカメラでネガに対応するのは0101の数字の羅列のデータの塊だろう。
それを、カメラの画像処理ソフトが、プリンターやモニター画面に出せるよう変換してくれる。
(自動演奏のようなものか)
RAWデータは 素材の画像データ。
現像ソフトを使うことが演奏に対応するのだろう。
ソニーのRAW現像ソフトを利用し、現像してみた。
逆光の撮影、明暗差は大きい。
RAW現像ソフトの「D-レンジオプチマイザー」をいじって画像を作ってみた。
これなら フィルムで撮ったほうが いい写真が撮れそう。

フィルム用の105mmレンズなので、NEX-3で使うと150mmレンズを扱うことになる。
カラスが空を横切っていく、ノーファインダー(液晶画面で確認することなく)で、続けざま3枚、シャッターボタンを押す。
一枚に カラスの姿が捉えられていた。(ピントは 無限に設定してあった)
デジタルだから撮ってみようという気になる。
フィルムだと、勿体なくて躊躇する。
駄目なら消せばいいとシャッターを押せるのは、いいなぁと思う。
RAW現像ソフトの色温度を3000°Kまで下げ、トーンカーブを調整して、現像した。
夕方の青空が広がっていたが、これほど深いブルーではなかった。
実際の空の色は、東京タワーを写した写真の空の色が そのときの印象に近い。
空を、「このブルー」に調整したことが・・・・デジタル写真の「演奏」に当たるのだろうとおもうが・・・・なにか割り切れない。
東京タワーのJPG画像を元に、PSE(フォトショップエレメント7)のレタッチソフトで画像を作ってみた。
PSEのソフトは エプソンのプリンター(PX-5600) あるいはフィルムスキャナー(F-3200)に同梱してあったもの。
6年以上前のソフトで、機能は制限されたものだろう。
それでも画像変換のフィルターは沢山用意してあった。
いろいろな音色の楽器を、レバー一つで選べる電子オルガンに似ている。

木炭画を選び変換した。

イラスト風に加工。

更にコントラストを加工すると、点描画風になる。

水彩画というフィルターで画像変換したのだが・・・これ水彩画とは思えなかった。

粗いパステルフィルターを使って変換。

エッジ・ポスタリゼーションというフィルターを使って変換。

エッジを輝くように変換した。
目立ちたいからと過激な動画を撮るYouTuberが話題になっているが、
レタッチ・ソフトで 画像を加工するのも・・・・似た感覚がありやなしや?
内容なんてどのみちたいした差にはならない、
レタッチソフトを使って画像をキャッチーに作る。
それで、何が悪い? 悪くありません。
レタッチソフトを使った画像加工の流れは 止まらない。
何でもありが写真、それを制限したら、写真表現は死ぬだろうから。
でも、なんとなく後味が悪い。(流れについていけなくなった老人です。)
- 2018/01/28(日) 14:27:38|
- デジタルで遊ぶ
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50mmの画角に慣れた眼には、望遠レンズでどう切り取っていいものか、途方にくれるときがある。
NikonF用 ズームレンズ(35-70mm、43-86mm、28-80mmの3本)を持っているが、
使ってみると望遠側で使うことはまれ、標準の50mmか、それ以下35mmくらいで使っていることが多い。
そこで、レンジファインダーカメラに、50mmレンズかそれ以下の広角レンズをつけて散歩にでることが多い。
「望遠は技術」の呪縛から逃れられないのかも。苦手意識は高い。
それを払拭するため、望遠レンズをつけて、散歩にでるようにしてみた。

新橋のガード下。
広角レンズや標準50mmではよくスナップする場所。

広角レンズでこのショウウインドウを撮ったことがある。
望遠で切り取ってみる。(広角レンズのほうが迫力がある。)

日比谷公園にある松本楼、度々ここで撮影するが、望遠レンズで撮ったことはない。
望遠レンズは難しい。
人物にピントを合わせたつもりだが・・・かなりの前ピンになっていた。
人物の特定ができないので・・・・これもありかなぁと失敗も成功と前向きに評価。
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レンズは3枚レンズのトリオータータイプ。
ニューヨークにあった小さな光学メーカーの製品らしい。
戦時中、敵国ドイツからライカのレンズが入らなくなったので、
計画されたスクリューマウント(日本ではLマウントと呼ばれる)の望遠レンズ、105mm f:4.5.
しかし、戦時中には間に合わなかったようで、戦後の販売となる。
そうなると、需要はそれほど掴めなかったのか、会社はやがて倒産したらしい。(よくわかりません)
以下は 小生の推察(根拠は貧弱)。
生産本数は 1000本。 ネットを検索したが、レンズ番号はA+4桁の番号で、1000番台のレンズしか見当たらない。
レンズにブルーのコーティングが施されていた。
ドイツ・ツアイスのコーティング技術が 戦勝国により公開され、その技術情報を知り、自由に使えるようになったのは1946年ころだろう。ニコンのレンズにブルーのコーティングが施されるようになったのは1947年製のレンズからだったと思う。
ネットで調べると、PAM-Britar 105mmレンズを中古で売買した実績があるのは、
日本と東南アジア、ヨーロッパ、米国では見つからなかった。
製造会社は、1950年を待たず倒産、資産売却、売れ残りのレンズは、二束三文の安値で売られていたのかも。
戦後 大きな米軍基地があったのは 日本とフィリピン,
1950年には朝鮮戦争があったので、沢山のアメリカ軍人がやってきた。
そのときチープなライカの望遠レンズとして持ち込まれ、朝鮮戦争休戦となり帰国する戦士が換金し帰国。
日本にPAM-Britarレンズが残ったのではないか・・・・実態は、違うかもしれないが、
小生の幼少期と重なりそんな想像をしている。
- 2018/01/26(金) 11:58:12|
- 都会の景観 Tokyo
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望遠レンズなら遠くにあるものを大きく捉えることができるだろうと思ったが、
実際、撮影してみると、その
面白いと思えるものを発見するのが難しい。

これなど、下に降り、改札口に近づいて 50mm(標準)か35mm(広角)のレンズで撮ったほうがいいだろう。

望遠の圧縮効果を狙って・・・・と思って撮ったが今一の結果。
50mmレンズなら歩き回り、いいなと思うフレーミングを探せるが、
望遠では歩き回るわけには行かない。いいと思える場所は1っ箇所になる。
そこを探すカメラアイは、沢山の失敗からしか学べないだろう。
望遠は技術で撮る。確かにそうだと頷いてしまう。
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Tri-Xフィルムを使用しています。
望遠レンズで撮影するなら 感度の高いフィルムが使いやすい。
明るい望遠レンズは・・・・市販されていても大変高価。
f:4以上の暗いレンズならどうにか手に届く。
被写界深度は浅い。ピントは慎重にあわせなければならない。
手振れをしないようシャッタ速度は早い速度を選ぶ。
撮影に関して難易度が一番高い。
現像液は Tri-X用に開発し、長らく使ってきた(A)現像液を使用。
この現像液だと銀粒子の粒界がぼやけ、滑らかな画質になる。
それでも、デジタル画像なら800万画素程度だろう。

感度の低いフィルムを使えば、2000万画素程度まで画質を上げること(35mmフィルム)は可能だが、それだけ使いにくくなる。
今はデジタルの時代、感度は飛躍的に高くなっている。
レンズあるいはカメラに手振れ防止も付いている。
オートフォーカスも組み込まれた。
望遠ズームを使えば、フレーミングの自由度はあがっている。
「望遠は技術」は 段々死語になっていくのかも。
でも、望遠は技術だと小生は実感している。
「遠くにあるものを拡大して撮る」という安易な考えでは、無理があるだろう。
撮りたい被写体/発見があり、それを撮るため位置を選び、望遠レンズでそれを切り取る。
望遠レンズを使いこなすには、かなりの習熟が必要だと痛感している。
- 2018/01/25(木) 12:06:49|
- 新幹線の見える街 品川
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深く黒い光沢をもつ滑らかな自動車のボディーを撮ってみたいと思っている。
森山大道の撮ったアメ車の強烈な記憶が残っているから。
フィルムは?レンズは?現像は? どう焼き付けたらいいのか・・・・・
何回か 試みている。
画学生が模写して勉強するようなもの。
今でも、まだ、撮影の秘密を探り当てていない。
黒い車を見ると、つい撮ってみたくなる。

黒のアメ車は、おそらく広角レンズで撮影したものだろう。
あいにくカメラに付いていたのはPAM-Britar 105mm F:4.5 前面から撮影してみた。
下の部分はトリミング、ナンバープレートの番号をカットした。(10年後なら、トリミングなしで出せると思う)

反対側の歩道から撮影したが、全体をフレーミングすることはできない。
標準から広角レンズで撮るところだろう。
印画紙に焼き付ければ、ボディー深く滑らかな黒になるだろうか?
今まで採譜したネガは沢山ある。
カメラを持って散歩できなくなったら、
暗室を整備し、印画紙にプリントする・・・演奏を楽しもうと思っている。
- 2018/01/23(火) 12:48:59|
- その他
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焦点距離50mmのライカ・スクリュウーマウントのレンズ(日本では、Lマウントと呼ぶ)は沢山集めてしまったが、
望遠レンズは このPAM-Britar 105mm F:4.5のレンズ一本のみ。
珍しさに 思わず購入したレンズ。望遠レンズの練習だとBessaRに付けて使ってみた。

知り合いだろうか?
BessaRには105mmのフレームは内蔵されていない。
ホットシューにつけたファインダでとらえ、瞬間的に、シャッターを切っていた。
前ピンだった。
二人の出会いも偶然なら、撮ったほうも偶然だろう。
移ろいゆく一瞬をとどめるのが写真。
写真表現の本質に、レンズの良さは どれだけ関与しているだろうかと思ってしまう。
周辺の像がちょっと崩れていただけで、写真の良さは台無しになるだろうか?
それは、たいしたことではないと思う。
ライカのような高価なカメラでなければ写真が撮れないわけでも、
フィルムでなければ駄目、デジタルでなければ駄目ということもないと思う。
目的に合わせ、使いたいカメラとレンズ選ばいいということだろう。
PAM-Britar 105mm F:4.5、少々面白いレンズ。
デジタルカメラ向きのレンズのような気がする。(デジタルカメラのレンズは 総じて暗い、このレンズもF:4.5)
デジタルカメラに付けて撮影したら面白いかも。
- 2018/01/22(月) 15:32:27|
- ある場所、ある瞬間
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レンジファインダーカメラの望遠レンズでは 一番焦点距離が長い。
それ以上のレンズは特殊だし、手に入りにくい。
人間が凝視したときの画角だといわれていが、
135mmレンズ、めったに使わなかったので・・・へぇ~~そうかという感じ。
50mmの標準レンズで、縦位置、全身像を撮影しようとしたら、2~3mの位置に立ちフレーミングする。
街でスナップショットする場合は、自然とその距離に立ち、
この瞬間と思ったらカメラを構え、フレーミングしシャッターを切る。
それが、135mmだと7mくらい離れてカメラを構えればいい。
確かに 7mくらい離れると、カメラを構えても気づかれることはない。
気づかれやしないかというドキドキ感は少なくなる。 そして、自然なしぐさを捉えやすい。

素敵な会話が交わされている。
標準レンズで2mまで近づいて撮ろうとしたら・・・・気づかれ、こうは撮れなかったかもしれない。
一種の盗撮だが、許してください。
この素敵な一瞬を、捕まえてみたかっただけです。
- 2018/01/19(金) 21:53:16|
- ある場所、ある瞬間
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夜 7時ごろ帰宅を急いでいた。
品川区役所を通るとき、区役所前の中央公園をショートカットしようと思ったが、
カメラには まだ10カットくらいの撮り残りがある。
久しぶり"Night walk in Tokyo"を行なっていた。

区役所前の歩道橋に登り、鉄柵にカメラを置き、スローシャッターを切った。露光不足、f:2/2秒くらいが適正かも。

公園のベンチに座る人はなく、ときたま帰宅を急ぐ人影が足早に横切っていく。

すこし前まで、このフィールドには ボールを追う人が集っていた。

やがて照明も消され、そして誰もいなくなる。
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カメラは1951年製のKievⅡ 、レンズは1931年製のツアイスのSonnar T 50mm F:1.5。
当時大変高価なレンズで、家一軒を買えた値がついたのでは・・・と思う。
大事に取り扱われてきたのだろう。バルサム切れもなければ、レンズに傷も見当たらない。
いまは、びっくりするほど安くなり、お小遣いでも手に入れることができた。
古い時代のツアイスのマイスターに敬意を払い、大事に使っている。
(よくぞ戦前の古い昔、こんなにすごいレンズを作ってくれた・・・・)
もし、当時ISO:400のTri-Xのような高感度フィルムがあったら、
小生の撮る写真よりすごい写真を、当時のカメラマン 撮ったのでは・・・・と思ってしまう。
F:1.5の明るいレンズでも 夜景の撮影は難しかっただろう。
三脚なしの撮影は無理、それが、高感度フィルムができたことで手持撮影が可能になった。
その幸運を感謝、感謝。
今はデジタルの時代。
最新のデジタルカメラに、高価な最新のレンズを付ければ、
フィルムで撮影したこの写真より、画質(クオリティー)の高い写真は容易に撮れるだろう。
フィルム時代のレンズを取り上げ、「この
□レンズ、四隅部分になると像は崩れ駄目レンズ」と、上から目線で得意げに薀蓄を語る人がブログに現れる。(
□部分は伏字、言葉、文字に出したくない汚らしい言葉なので伏字にしました。)
メーカーの光学設計者(おそらく定年退職している)が そんなブログ読んだら・・・どう思うだろうか?
古いそんなレンズをありがたがって使っている小生など・・・・馬鹿にされるだけかも。
しかし、このブログは有名らしい、「いいね/拍手」を付ける人は多い。(時には100を超える)
こういうカメラ好きが、写真ブログの主流なのだろうと思う。
四隅まで像が崩れないレンズがいいレンズ?
それが いい写真を撮るための要素の一つだろうか?
ピントがしっかり合った写真がいい写真の要素の一つ?
適正露光で撮られた写真がいい写真の要素の一つ?
それなら、最新のデジタルカメラに高価なレンズを付ければいい。
ピントも自動で合わせてくれる、手振れ低減する仕組みも入っている。
ISO感度はフィルムを超えた、露光もカメラが設定してくれる。
笑顔を検知してシャッターを押してくれる機能もカメラには組み込まれてきた。
カメラは常にその時代の最新技術を取り込んで発展してきた。
今後は、AI搭載のデジカメに進化し、ネットにつながり有名写真家の画像と、使い手の癖を学習する。
その人好みのフレーミングの手助けをし、最適のシャッターチャンスにシャッターを切ってくれるようになるだろう。
「あなたは、このデジタルカメラを買うだけ、あとは カメラのシステムにお任せ」の時代がくるのだろう。
そうやって撮影してもらった写真・・・は、「いい写真」を学習しているから、「いい」写真なのだろうなぁ。
古いフィルムカメラで 写真を撮るとは いったいなんだろう?
段々と写真が判らなくなっている。
新しい幕が上れば、新しい表現が開く、では、デジタルで可能になった新しい表現とは?
比較明合成、切り貼り、HDR(合成)画像・・・ソフトに頼った画像の加工 そんなに面白いだろうか?と思ってしまう。
- 2018/01/17(水) 18:02:43|
- Night walk in Tokyo
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冬の日午後、立会川河口の勝嶋運河を散策。
不思議な少女に出会う。

少女は沢山の鳥たちを従えていた。
左手を振ると、大きな鳥はいっせいに 少女の周りを旋回しだす。
右手を上げた瞬間、少女の影は消えていた。
・・・・そんなわけないか。
勝島運河、日差しは春。
しかし、護岸に花は乏しく人影はまばら。
少女の姿が明るく目立っていた。
- 2018/01/14(日) 21:18:49|
- ある場所、ある瞬間
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苦手意識の改革。
135mmレンズをつけて、旧東海道を少し歩いてみた。

写真は引き算なら、望遠のほうが引き算向きと思うが、フレーミング難しい。
50mmレンズのほうが、フレーミングの自由度がある。
近づいてもいいし、縦位置にして歩道の奥行きを感じさせるようなフレーミングもできる。

望遠の場合、被写体とフレーミングの関係を一瞬で見抜く眼が必要なのだろう。
カメラを持って移動できる範囲は限られる。
ちょっと外れると、被写体のフレーミングは台無しになる。望遠は技術だと思う。

ISO:400のTri-Xを 2倍増感 ISO:800のつもりで使用した。(露出計を携帯していません。あくまでも勘、いつもの撮影より一段少なく露光したつもり。)現像時間はいつもより50%延ばして現像しました。

青物横丁に着いたときは4時を過ぎていた。
日没近く、街の灯がともりだしたころ。この辺りが手持ちで撮影する限界でしょう。
ISO:25のフィルムだったら撮影できない状況です。
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今はデジタルの時代。
ISOの感度を1600以上にセットしても 綺麗な画像が取れる時代になっている。
カメラが手振補正をしてくれるので、かなりのスローシャッターでも撮影できる。
自動焦点、自動露光は当たり前。
それにズームレンズが標準レンズになった。
すごい進歩だと思う。
光の条件の厳しいところでも難なく撮影できる。
デジタルカメラの機能の限界近くで撮影したら、
今まで考え付かなかった、すごい写真が撮れるだろうと、
ちょっと、デジタルに心が動いている。
- 2018/01/13(土) 10:24:18|
- 散歩
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昔読んだ 写真雑誌の一節。
「広角レンズなら、
これでいい思っても、更に一歩前に出て撮る。
望遠レンズは技術で撮る。広角は度胸、望遠は技術。」
度胸も撮影技術もない若造にとっては、少々きつい言葉だった。
それがトラウマになって、広角でも望遠でもない50mm標準レンズを多用してきた。
今になっても、望遠レンズには苦手意識が強い。
それを克服すれば、まだ、写真を撮り続けようという気持ちになるのでは・・・・
と、新年早々の散歩に135mmのレンズをつけたカメラを持ってでていた。



やはり難しい。
どう狙うか、どう切り取るか・・・まだ良くわからない。
沢山失敗しないと駄目ということか。
フィルムは低感度のOrtho-25を使用。戦前のフィルムの感度はISO:25程度だったのだろう。
ISO:100のフィルムなど超高感度フィルムだったかもしれない。
そんな時代でも、135mmの望遠レンズを使い、(プロは)町でスナップショットを撮っていた。
手持ちスナップなら、手振れしないよう1/125秒以上早いシャッターを切りたいところ。
晴れた陽の当たる場所でも、f:8/125秒だろう。
ちょっと曇ったらf:4/125秒となってしまう。
当時のカメラ使いは、カメラに習熟し、卓越した技術を身につけ、
手持ちで1/50秒、とか1/25秒で撮影していたのかも。
そんな追体験をしている。
フィルムの発達に助けられていたことを痛感している。
- 2018/01/11(木) 19:03:03|
- Street Photograph
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午前10時半ごろ撮影。

北西・埼玉県を見る方角。
遠くの山並みは秩父だと思う。
左の電波塔は目黒郵便局近くにあるNTTの鉄塔、手前に黒く広がる林は、品川と目黒の区界にある林試の森公園。

西の方向は高尾山や奥多摩の山など、東京都の山並み望むことができる。

西南の方角。
富士山が望める。
手前の山並みは丹沢山系、神奈川県です。
富士山は山梨県と静岡県にまたがっている。
TOCの屋上に立てば、一都4県を見ることができます。
北から東の方角に、栃木、群馬、茨城、千葉がある。
しかし、都心のビル群にさえぎられ、うかがうことはできない。
都庁の展望台(無料)に行けば、見えるでしょう。(硝子越しですが・・・)
何時、何処で、どの方角の何を撮ったか記載しておかないと、
資料としての価値をは著しく損なわれてしまう。
単なるアマチュアの写真、資料的な価値などないと思うけど、
日付と場所は記録に残すようにしている。
その点デジタルは完璧。
日付、場所、カメラ、撮影データ 全て自動で記録してくれる。
確かにデジタルはいいと思う。
- 2018/01/10(水) 11:02:22|
- 都会の景観 Tokyo
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気を取り直し、もう一度 五反田 TOC (東京卸売りセンター)の屋上へ。
こんなカメラを選んで、撮影しました。

レンジファインダー用の望遠レンズでは、これが一番長いレンズ。
富士山を撮るので、距離は無限に合わせておけばいい。
135mmのファインダーをホットシューに付ける。ファインダーはキャノン製だった。
カメラは、西ドイツに拠点を移し、戦後最初に作ったContaxⅡa 初期のブラックダイアル。
レンズは日本光学(ニコン)製 135mm F:3.5 コンタックスマウント用。
S型Nikonに付けると(マウントは同じ)微妙にピントが外れる。
コンタックスのクーロンカメラ Kiev(キエフⅡ、Ⅱa)なら、ピントは正確に合う。
レンズ、ファインダー、カメラ、それに撮影者、すべて古い骨董品にようなもの。
フィルムはOrtho25を使用。YA-3(オレンジ)フィルターを付けて撮影した。
フィルムの感度はISO:25だが、
フィルターの露光倍率は3絞りなので(パンクロフィルムなら2絞り)、
ISO:3という低感度フィルムで撮ることになる。

露光計は内蔵されていないので、勘(経験)で絞りとシャッターを決めた。
常用しているISO:400の露出から、7段開けて撮影すればいい。
冬の快晴、ISO:400なら f:11/500秒、7段開けると、f:4/30秒が適正露光だろう。
ただし、ContaxⅡaに1/30秒はないので1/25秒にした。(露出計を携帯しないのはボケ防止です。)
135mmの望遠レンズを手振れなしで撮影できるはずもない。(風景写真の鉄則は丈夫な三脚を使うこと。)
鉄柵に寄りかかり、カメラを鉄柱に押し当てて撮影した。
柵は高さが2m以上ある。
柵の間にレンズをいれ、自由にフレーミングするため、レンズの鏡胴は細いほうがいい。
ニコンレンズのフィルター径はΦ43mm 鏡胴の一番太いところで47mmくらい。
このレンズが限界だろう。これ以上 太いと自由に富士山を狙えない(一部欠けてしまう)

江戸の町から富士山を見ることができた。
現在でも、空気が乾燥し、快晴の天気になれば、見ることができる。
ただし、高い建物に登ればの話だが・・・・

1/25秒で撮影したカットは手振れしていた。
1/50秒(一絞りアンダー)で撮ったカットに手振れはなかった。
富士山をくっきり出すため、全体を暗く落としたが、そのため地上の建物のディテールは失われた。
フィルムには、地上の暗い部分の画像も薄っすらと記録されていた。
暗室で印画紙に焼き付けるなら、地上部分は覆い焼きして、画像のトーンを合わせるところ。
「ネガは楽譜、プリントは演奏」
もう一度、フィルム・スキャナーの取り込み条件を変えて、デジタル化してみようかという気になっていた。
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昨日は快晴だった。食事を済ませ、Orth25、長巻フィルムをカット、マガジンに詰めて、カメラに装着。
家を出たのが10時、帰宅したのが10時50分。
この写真、おそらく10時半頃に撮影したのだと思う。
朝からカメラを持って外出することなどめったにない。
もう一度、富士山の写真に挑戦する?
・・・・そういうことはしないでしょう。
見栄えのいい富士の写真、沢山の人が撮っています。
特にデジタルになってから写真のクオリティーは上がった。
フィルムで撮っても見劣りするだけ。
これは 単に Ortho25フィルムの感光特性とYA-3フィルターを組み合わせたら、
富士山をくっきり撮れるかなぁとテストしたまで。
キャッチーな富士山を撮ることが目的ではありません。
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昨日と異なり、東京は曇り、時たま小雨も降ってきました。
これでは 散歩にカメラというわけにはいかない。
- 2018/01/08(月) 15:09:48|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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一眼レフは、パララックスのないこと、交換レンズの選択肢が多いこと、
接写撮影が容易なことなど 利点は多い。
しかし、古い一眼レフカメラは重い。
標準の50mmレンズをつけたら1Kgを少し超える。
街撮りスナップ向きではない。
それでも この頃 一眼レフを持ち出すことが多くなった。
12月11日に新しいTri-Xフィルムを詰めたが、それ以降 時々思い出したように連れ出すので、
一本とるのに 時間がかかっていた。
正月、神田明神で撮ったショット。

ここでフィルムがなくなり、Retro80Sフィルムに詰め替えたが・・・ここで初歩的なミスをしてしまった。
以後、正月5日までの撮影分、全て記録できていない。
デジタルならありえない失敗です。
このショット、撮影に当たっては、技術的にかなりの工夫を凝らしているのですが、
どんな工夫をこらし、大変だったとしても、作品の良し悪しとは関係ない。
写真の良し悪しは画像となったプリントで評価されるべきですね。
- 2018/01/07(日) 17:24:12|
- 都会の景観 Tokyo
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去年暮れ、正月用品を買いに大井町へ行く途中で撮影した写真。

時刻は3時を過ぎていた。
月が出ていたので、空を暗く落とそうと、赤のフィルターを付けて、撮影。
新幹線が通過する間に、2カットほど撮影した。そのうちの1カット。
24mmという広角レンズだが、大きく拡大すると月の文様も判読できた。
-------------------------------
歳のせいだろうが、物忘れが大変良くなっている。
昔だと考えられないようなミスをしてしまう。
正月の三箇日にとったフィルムを現像したら、何も写っていない。
初歩的なミスだった。
今年はいったいどうなるのだろう?
暗澹たる思いをしている。
・・・・でも明日になれば、何事もなかったように またカメラを持って散歩にでていると思う。
なにしろ、喜ぶべきことに、物忘れが大変良くなっている。
- 2018/01/06(土) 16:06:04|
- 新幹線の見える街 品川
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赤く紅葉した「もみじ」
カラーデジタルと比べると 見栄え(キャッチーさ)は今一かもしれないが・・・・

カラーデジタルで撮ると、即物的すぎて華やいでしまうと思う。
デジタルで撮った瞬間、
ここに流れていた初冬の暖かな光は失せ、紅葉の林を散策する楽しさも感じなくなるのでは?
「林試の森」 目黒と品川の区界をまたいで広がる都会の公園です。
人の姿の絶えた瞬間撮影すると、武蔵野の静かな林の中を散策しているような切り取り方ができる。
シャッターを押し、現像し、プリントした。
只それだけ。
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久しぶりに使うTri-Xフィルム。
少したっぷり目に露光し、軟調現像液で 少し現像時間を短めに現像しました。
減感現像です。
ネガの諧調性を豊かにするテクニック。
昔、白黒フィルムを使い、自分で現像した人なら、すぐ合点するでしょう。
このごろ このテクニックを使った人を見なくなったので、(ハイコントラストは多いけど)
敢て、そんな ネガを作ってみました。
「ネガは楽譜、プリントは演奏」
その演奏を見て、なんだつまらないプリント(写真)と思うかどうかは、見る人の判断。
写真には、撮った人の知性・感性も写されている。同時に見る人の知性・感性も試される。
それが写真なのだと思う。
- 2018/01/04(木) 23:15:28|
- ある場所、ある瞬間
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幼稚園の滑り台の上に立つと、遠くに富士山が見えたことを思い出す。
家の近くは 建物が建ち、もう富士山を拝むことはできない。

見たのは 冬の澄んだ空気のとき。
ちょうど今頃だ。
五反田 TOCビルの屋上に上れば、見えるだろうと、
オルソ25フィルムのテスト撮影を兼ねて撮影した一枚。
柵の鉄格子の間隔が狭いので、格子が邪魔して一部欠けた。
トリミングして整えたので、85mmレンズで撮った画角になっている。
順光で撮影したら もっと空を暗く落とせるだろう。
細身の望遠レンズで撮りたいところ。ニコンF用のレンズで望遠は 105mmと180mmレンズ。
いづれもレンズの鏡胴は太いので使えない。
レンジファインダーで細身の望遠レンズは
Lマウントの105mmのPAM-BRITARか
コンタックスマウントのNikkor 135mm F:3.5 か、Jupiter-11 135mm F:4のレンズ。
明日 空気が澄んで晴れたら、いずれかのレンズで もう一度 撮ってみようと思う。
- 2018/01/02(火) 23:16:50|
- ある場所、ある瞬間
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年末 妻は 来年の干支の「犬」を様々な字体にして年賀状を書いていた。
「ねぇおもしろいでしょう。」とその中の一枚を見せてくれた。

「ぬ」の字が変だとすぐ気づく。
筆順で先に書いたほうが、上にあるように見える。
「良い墨を使って書くと、下に書いた墨が上に浮き出てくる」という。
そんなことあるだろうかと、訝しく思う。
よく見ても、先になぞった筆の後ろ側を次の筆が通過したように見えた。
「書をやる人なら 皆 ご存知だと思う。」と妻は言うが・・・・・
妻の言う説明では 納得できない。
そんな単純なメカニズムではないと思うが、未だ この現象のメカニズム 小生には謎のまま。
この年賀状受け取った人 どんな反応をするだろう?
多量に受け取った年賀状の一枚、さっと目を通すだけ、
この不思議さを見逃してしまうかも。
「あ、○○さんからだ、相変わらず元気に書を楽しんでいるようね」というところだろうか?
書を長年やっている人だったら、「いい墨使っている。」と気づくのかも。
それも一種のコミュニケーション。年賀状の機能を果たしている。
わかる人には わかるのかも。
「書」の作品を見ても、何が良くて、なにが駄目なのか、判断がつかない。
みんな素敵な作品に見えてしまう。
(とても、こんな流暢に字は書けないから・・・悪筆です)
しかし妻は的確に判断しているようだ。
線の運び、押された印や、使う朱肉(印泥)、紙・・・・
現在は、写真映像の氾濫する時代になっている。
夥しい数の写真を日常でも目にする。雑誌、新聞、チラシ、ポスター・・・・
デジタル技術がそれを可能にした。
誰が撮ってもそれなりに綺麗な写真になる。
スマホで撮った花の写真を見せられても、やはり綺麗だ。
プロが撮った写真と差はあるだろうか?と思ってしまう。
「書」に長年関心を持ち、書き続けてきた妻には「書」見る目ができている。
小生は、写真が好きで、12年前から再度写真を撮り続けてきたが、「写真」を見る目ができたとは言いがたい。
氾濫するデジタル写真の渦に巻き込まれ、「写真」を見る目をなくしてしまったのかと・・・自信喪失している。
さて、今年、どんな写真を撮っているのだろう?
まだフィルムにこだわる??
- 2018/01/01(月) 15:30:34|
- その他
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