Ortho25フィルム なかなか個性的なフィルム。
赤(R2)のフィルターだと ほとんど感光性がなくなっている。
そこでオレンジ・フィルターを購入し、テスト撮影をしてみた。
YA-3フィルターは、530nmより短い波長の光りを通さない。
560nmで50%、600nmより長い波長はほぼ100%透過する。
オルソ25フィルムの感光域を考えると530~610nmの光の窓から外を見ることになる。
紫や青は暗く、緑、黄は明るく、マゼンタ、赤は暗く見えるはず。
説明書によれば、二絞りほど露光を増やし撮影するとなっているが、
説明の前提はパンクロフィルム、オルソタイプでは もっと露光を増やす必要があるだろう。
テスト撮影に先立ち、フィルターなしでテストチャートを撮影、通常の現像をしてみた。
結果は、オルソ25フィルムの場合3~4絞りほど開ける必要があった。
長巻フィルムをカットし10コマ程度長さにし、マガジンに詰めて五反田のTOCの屋上へ行った。
二水準の露光をした。
三絞り分 露光を増やすのを基準に考え、
①基準露光より一絞り分露光不足で露光。硬調現像液で二倍増感現像する。(現像時間を50%延長する)
②基準露光より更に二絞り分増やし、軟調現像液で減感現像する。(実際には、現像時間を30%少なくした。半分にすべきだったけど・・・)


空の暗さを合わせるため、トーンカーブを調整しています。
写真は引き算。
①の条件のほうがすっきりしている。
でも記録されている以上、暗い部分のディテールを潰す気になれない。
たっぷり光を当て、軟調現像した②の写真を選んでしまう。
この辺りが 小生の弱点なんだろう。
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- 2017/12/31(日) 18:37:00|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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カラーで撮ったら色彩の豊かな紅葉の写真になったのだろうが、
あいにく首からぶら下げていたのは白黒フィルムのカメラ。

乃木公園の紅葉です。
都会にも森を連想させる場所はあります。
暗く焼きこみトーンを減らすと、ありふれた風景写真になるので、それを避けた。
ネガに記録された銀塩の濃淡を最大限出せるよう、トーンカーブの調整は最小限に抑えている。
キャッチーな写真にはならないが、小生好みのトーン。
独り自己満足しています。
写真は引き算、確かに引き算でしょう。
モノトーンの場合、トーンカーブを、多用するほどネガのトーンデータ(デジタルでも同じでしょう)は省略され少なくなる。
トーンを減らしたほうが、見栄えのいい写真になりやすいようです。(デジタルのハイコントラスト白黒モード)
今はデジタルカメラの時代、レタッチソフトの優劣が作品の見栄えを決めてくる。
撮影した人の名前(作曲者)が表に出てくるなら、
レタッチソフトを操作し、作品にしてくれた人(演奏者)や処理プログラムも、
公開してしかるべきと思う。
アンセル・アダムスは 撮影からプリントまで自分で行っていた。
それに倣いたい。
いい楽譜を書くことが基本だと思う。
レタッチソフトの使用を最小限に抑えてもキャッチーな演奏ができる、いい楽譜(ネガ)を書けるようなりたいもの。
- 2017/12/29(金) 15:03:16|
- ある場所、ある瞬間
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フィルムはTri-Xです。




陽ざしの暖かさを感じながら初冬の林試の森を散策。
起承転結風に選んでみました。
並べてみると、近くを狙った撮ったショットから、遠くの光景へと移っていく。
この視線のほうが自然、ゆったりとした時が流れていくように感じます。
しかし、相変わらず 縦位置のフレーミングが多いですね。
- 2017/12/28(木) 14:35:53|
- 散歩
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日展を見た後、妻とはそこで分かれた。
妻は地下鉄で恵比寿に出て買い物し、山手線で大崎へでて帰るとのこと。
2週間ほど前、アンセル・アダムス展(富士フィルムフォトサロン)を観るため東京ミッドタウンまでは来ている。
その時は、絵画館前の銀杏並木を見て、信濃町から帰った。
今回は ここから家まで歩いて帰ってみようという気になっていた。
青山から麻布、広尾、上大崎を経て戸越の里へ。
最短コースを選んだつもりだが・・・




上大崎に差し掛かると、日没に近づき暗くなっていた。

スナップで撮っているつもりだが、なぜか全て立て位置でフレーミングしている。
小生の癖なのでしょう。
水平線、垂直線が 上手く取れていないコマが沢山あった。
沢山のフィルムを浪費しても、反省しても、直らないものは直らない。
だめですね。
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フィルムは 久しぶりに使ったTRI-X。
大きく引き伸ばすと銀粒子はでるけど、見苦しくない。
使い慣れているからか・・・やはりいいフィルムです。
- 2017/12/27(水) 11:01:01|
- 都会の景観 Tokyo
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オルソフィルムのデータシートを調べたが、メーカーから感度特性のチャートは公開されていなかった。
簡単な記述だが、分光感度は 380~610nm にあるという。
手持ちの赤フィルター(R2)の分光特性は570nm以下で光を100%カット、
600nmで50%、650nm以上でほぼ100%光を通す。
このフィルターを付けて撮影すると、
570nm~610nmのごく狭い光の窓で世界を観察することになる。
やってみるかという気になった。
知的好奇心・・・自然科学を若いうちに学んだおかげだろう。
馬鹿馬鹿しいかもしれないが・・・・興味津津。どう撮れるか?

いい写真を撮るコツは、「いいなと思ったら、ぱっと撮る。」
「写したいものにグッと近づくんだ」「直感で撮らなければ。」というが、
小生の写真は どうもそうではないらしい。
Try&Error 右へいったり左に行ったり、試行錯誤しながら撮影している。
むしろ「直感で撮らなければ。」という言葉に胡散臭さを感じてしまう。
いいなと思ってさっとカメラを向け撮った写真、
ピントも絞りもシャッタ速度もカメラにお任せでは、
手柄はカメラのメカで、「直感で撮りました」というカメラマンの側にはないだろうと思ってしまう。
カメラ任せにできず、
勝手に変な条件を持ち込みむから、
未だに小生、いい写真が撮れないのかもしれない。
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夕方 陽の沈む方向にレンズを向け撮影。
カメラの露光指示は 2絞りオーバーの警告を出していたが、
そんな警告は無視。
それでもまだ露光不足だろう。
もう2絞りほど絞りを開けてもいいと思う。
白黒のコントラストの高い写真になるとは予想していたが、
逆光の空が、これほど暗く落ちて撮れたこと経験したことがない。
面白い!
もう少し 条件(撮影条件)を詰めてみようという気になっている。
- 2017/12/26(火) 12:24:48|
- フィルムの眼
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「日展なら 写真の部もあるでしょう。」
と日展(日本美術展覧会)を観に行こうと妻に誘われる。
「写真が芸術? そう思いたい写真家はいるけど・・・・どうかなぁ・・・」
妻の言動に少々異議を唱えていた。
写真は芸術であるなどと言うのはおこがましい気がする。
そうなって欲しいが、カメラは元々画家の道具、
画家が構図を確かめる器具に過ぎなかった。
感光する物質の発見と利用で光を記録することができるようになり、
画家の道具の身(奴隷)から独立したけど、
芸術作品として認められているか・・・となると心細い。
写真は大量生産を基礎とする現代の産業構造に組み込まれている。
いまや カメラを手にすれば、誰でも写真をとることができる。
撮った作品は、同じものを多量に複製(コピー)できてしまう。
同じものが多量に流通するものに「芸術作品」として特別な価値を感じるだろうかと思う。
芸術作品として認められる作品は一つ、複製品は偽もの。
それが、我々の意識に巣くっている。
版画などでも、磨耗するので部数は限られる。
写真が どうにか「芸術作品」として流通し、人がそこに価値を見出すとしたら、
写真家 本人によるオリジナルプリントだろう。
「ネガは楽譜、プリントは演奏」
演奏してできたオリジナルプリントが かろうじて「芸術作品」と認められる可能性があるということだろう。
デジタル時代になってしまうと、「演奏」自体があやふやになる。
カメラマンが、レタッチソフトを使って仕上げた写真を、オリジナルなものとして・・・・(観る人は)評価してくれるだろうか?
特にこの頃は プロといえどもプリントは専門に任せることが多い。
一昨年だったかキャノンギャラリーで見た森山大道の写真展は、
明らかにキャノンの映像技術者たちの力がないとできるものではなかった。
サイズも自由、八つ切り、四つ切、全紙、あるはそれ以上、Tシャツにでもプリントできる。何枚でも。
どの点を強調し「写真は芸術です」と言い切れるか・・・・小生、少々覚束ない。
「日展は、まだ写真を芸術作品と認めていないのじゃないかなぁ」と妻に答えていた。

日展で展示されていたジャンルは日本画、西洋画、彫刻、工芸美術、書の5つの部門。
写真はまだ入っていないようだ。
日本ではオリジナルプリントを売買する環境に、まだなっていないのだろう。
いい写真ができ、オリジナルプリントが売買され マーケットができてくれば、
「芸術作品」ですと、胸を張ることもできるが・・・・良さを真贋する批評家が輩出しないと、それも難しい。
写真家が審査員になり、仲間の写真家を評価して賞を与えるような環境では、公正な評価などできるはずもない。
仲間内しか伝わらないような言葉の羅列をするだけで、何を言いたいのかわからないことばかり。

写真評論家というのも胡散臭い。理解不能の専門用語らしきものを出してくる。
これが日本語か?と理解に苦しむような論旨のはっきりしない文章が載る。
難しく語ることで、なにか写真の深遠を語っていると思っているのだろうか?
せめて、文芸評論で一世を風靡した小林秀雄のような評論家が写真評論にでてこないのかと思ってしまう。

ポールゲッティ美術館の写真コレクションのハンドブックを持っているが、
写真一葉ごと、簡潔で短いが、しっかりとした解説が載っていた。
おそらく正規の美術教育を受けているので、公平に写真を評価、そのときの社会情勢、歴史にも目配せして解説していた。
(目黒の写真美術館のキュレーターは、問題だろう。質問しても、満足な回答を受けたことがない。細かな薀蓄は豊富でも、本質を突いているわけではない。偉そうにのたまうが、オタクなだけ。キュレーターとは呼べないだろう。)

そんな悪態を心で吐きながら、日展の「書」の部門を観て回った。(妻のお付なので)
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期限切れになってしまった100フィート長巻のTRI-Xフィルム缶を開けて使用しています。
数年前 3缶ほど購入し 最後に残った一缶。
冷蔵庫に入れて保管していたので、問題なく使えます。
まだ、Tri-X 100フィート缶 他社のフィルムよりかなり高価、手がでません。
最後の一枚の写真は、アメリカの写真家の影響を受けたフレーミングをしていた。(それともドイツの構造派?)
真似したわけではなく、影響を受けているのでしょう。
意図的に行ったら「真似」でしょうが・・・・
- 2017/12/24(日) 13:41:46|
- 都会の景観 Tokyo
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歳をとったのだから致し方ないだろうが、
9月中頃 妻は健康を崩し病院通い。
11月後半になってようやく快復、
それではそろそろ「遺影」につかうポートレートを撮ろうかという段になって、
小生が発病してしまう。
平衡感覚が滅茶苦茶になり、病気が通り過ぎていくのを、待つのみ。
ようやく この頃になり、薄皮をはぐように良くなってきた。
もう年末になってしまった。
ポートレートを撮影する気分にもなれない。
おそらく来年の春、桜の咲くころ 撮影することになるだろう。
平衡感覚が狂っているので、椅子に座るか寝るかの生活。
椅子に座り読書しようと文字を追うが、意味を理解する前に めまいがしてくる。
そこで、手慰みにデジタルカメラをいじっていた。

デジタルで撮影するとすぐJPGの画像ファイルを得ることができる。
一本分撮影する必要もないし、現像液を調整し現像、定着、水洗、乾燥の煩雑な操作も必要ない。
フィルムだとこんな写真撮っただろうか?と思う。
こんな構図で撮ろうとしたら、それなりに用意する。
露光計で明るい部分、暗い部分の光を測定、
三脚を持ち出してカメラを固定、フレーミング、そして絞り、シャッター速度をセットしピントを合わせ撮影する。
そんなことしていたら、妻は撮られていることに気づくだろう。
4カット撮ったなかで一番手ぶれの少ないカットを選ぶ。
こんなに簡単に撮れるのだ・・・とデジタルカメラのすごさを感じている。
フィルムだと、沢山とってその中から選べばいいという選択肢はない。
フィルムの無駄づかい・・・と抑制がかかってしまう。
その抑制がないのだから、
なんでも、撮りたいとおもったら気にせずシャッターを押せばいい。
沢山撮って、そのなかからベスト・ショットを選べばいい。
とすれば、フィルムよりデジタルのほうが いい写真が撮れていいはずなのだが・・・・
明日からカメラをもった散歩再開しようと思っている。
その時は、リハビリ兼ねてデジタル・カメラを持って散歩してみようかと思案している。
、
- 2017/12/22(金) 21:54:01|
- 人物 ポートレート 踊り
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数日前 ウイルスが体内に入ったようだ。
熱はでない、のどは痛くならないし、咳もない。
3日ほど前の夜、急に吐き気とめまいが出た。天井がぐるぐる回る。
まっすぐ歩くこともできなくなった。
翌日、医者の診断を受ける。
症状ほど深刻な病気でない。
ウイルスが三半規管に入ったのだろうという。
大丈夫、寝てれば そのうち直りますと、意外とあっさり。
生姜湯でも飲んで暖かくしていてくださいと 変な処方箋を言い渡された。
調剤薬局より近くのスーパーへ妻に行ってもらい生姜湯の袋を買ってきてもらう。
確かに 一日一日 薄皮をはぐように 症状は和らいできた。
これだと 完全に快復するのは一週間くらいかかりそう。
あの医者 藪か名医か?
一本現像したネガがあるが、まだ、スキャナーでデジタル化していない。
画像を取り込み、映像化するには もう少し頭が戻ってからだろう。
三半規管のほんの少しの部分にウイルスがはいり、小生に悪さをしている。
それだけで平衡感覚が狂いまっすぐ歩けなくなり、頭はボーとし、胃の調子が悪く、吐き気がしていた。
人間て 案外たわいなく壊れてしまうものかも。

一番最新のネガシートから選んだ一枚。
ピンボケ写真です。
小生の「心象」写真かもしれません。
(嘘です。小生の「心象」が写っているとしたらオカルトでしょう。ピンボケはピンボケ。)
ブログは おそらく 来週後半からの再開になるでしょう。
- 2017/12/16(土) 17:15:35|
- その他
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その昔、身分不相応な高級カメラを手に入れ、最初に写していたのは、雄大な風景だった。
Ortho25フィルムを使ってみて、今、それを思い出している。
アンセルアダムスのオリジナルプリントを見たのが、転換点。
圧倒されてしまい、手も足もでない・・・・
小生は、単に美しい風景写真を撮りたいと思っただけ。
しかし、アンセルアダムスの写真は違っていた。
小生には、腹に一物もなければ、何かを撮らなければという志も希薄だった。
すごすごと風景写真からは撤退していた。
今も、楽しみで撮っているだけなので、レベルは当時とあまり変わらない。
志は 考えるまでもなくない。
でも、楽しめる。
「ネガは楽譜、プリントは演奏」
アンセル・アダムスの言葉、
フィルムで撮っているので、納得できてしまう。
その通りだと思う。

これが最初に感じたイメージ。レタッチソフトの調整は最小限に抑えた。
印画紙に焼き付けるなら3号印画紙で焼くことになるだろう。
小春日和の暖かな空を、新幹線が走っていく。

レタッチソフトをいじり、少し暗くし トンカーブをコントラスト高めに設定した。
印画紙なら4号印画紙で焼くところだろう。
晩秋の澄んだ大空を新幹線が疾走するイメージになる。

更に 暗くしトーンカーブをいじる。
こうなると、見慣れた天候ではなくなる。
異常性を感じる。
何か訴えかけているのでは・・・と思ってしまう。
腹に一物・志がなくても、暗いほうに調整すると写真はキャッチー(目をひく)になりやすい。
写真とは恐ろしいと思う。
写真には 写真を撮った人が映っているから。
どうだすごいだろうと演奏した写真は、己の浅薄さ・幼稚さをさらけ出ているようなもの。
いい演奏は心に響き、写真の世界に引き込まれる。
「ネガは楽譜、プリントは演奏」
いい楽譜をつくり、よき演奏者になる・・・・それが写真だろう。
写真を撮る行為は、その人の人間性が試されていると思う。
- 2017/12/12(火) 18:57:02|
- 新幹線の見える街 品川
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品川の駅をでた新幹線は高架線の上を走っていく。
散歩すると、時々 新幹線の列車が通り過ぎるのを見る。
見慣れた光景、撮っても・・・と思いながらも やはりシャッターを切っている。

走る列車を間近で撮影するとしたら、西品川のこの場所か、東海寺の墓地だろう。

このガードの上を、新幹線は走っていく。
品川を走る新幹線、散歩のついで、見つけたら撮るのも(暇つぶしに)いいかも。
- 2017/12/10(日) 18:27:47|
- 新幹線の見える街 品川
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こんなのを撮ってしまう。
歳のせいかなぁと思う。

二人が 小生を追い越して歩いていく。
思わずシャッターを切っていた。
男の眼差しがいい。
若いというだけで キャッチー(目立つ)
それもありだろう。
でも、それ(目立つこと)に頼ったら駄目写真だろう・・・
- 2017/12/09(土) 21:40:02|
- ある場所、ある瞬間
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東京ミッドタウンで撮影したもの。
このときは Nikomart FTnに24mmの広角レンズ、フィルムはOrtho25を詰めていた。
このフィルムを使っていると、むかし風景写真を撮っていたころを思い出す。
当時は 精細でトーンの美しい写真が撮りたかったので、
Neopan Fで撮影し、ミクロファインで現像していた。
細部までピントを利かせたいので、低速なシャッター速度を選んで、絞りを優先させていた。
当然 被写界深度の深い広角レンズ、35mm F:2.8のレンズを使うことが多かった。
今回は 更に広角の24mmレンズを付けている。

光のダイナミックレンジは意外に広い。
デジタルなら複数枚の画像からトーンを調整(合成)する画像処理ソフト(HDR)を使うところでしょう。
Ortho25フィルム用に開発した軟調現像液(Ⅴ)で現像した。
暗部もつぶれていない。


シャッターは手振れしない限界1/30秒に固定して使っていた。昔の癖だろう。
24mm 被写界深度は充分深い、f:4程度に絞れば充分だろうが f:11まで絞っていた。
f:5.6/250秒 あるいはf:4/500秒で充分なのに・・・・

アンセル・アダムス展 トーンの美しさを再確認。
8×10インチのフィルム(乾板)で写し、全紙程度に引き伸ばしたくらいでは銀塩の粒子はでない。
滑らかで豊かなトーンに仕上がっていた。
近づき確認する。
細部に至るまで、トーンの美しさが発揮できていた。
デジタルモノトーン、全紙大に引き伸ばすと
近づいてみると細部のトーン、白とびしたり、暗い部分のトーンつながらない。
精緻さ、滑らからさ、トーンの美しさ・・・・画質が違う。
アンセル・アダムスの暗室技術の賜物だろう。
「ネガは楽譜であり、プリントは演奏である」(パンフレットにそう記載されていた)
比喩だろうが、思わず頷いてしまう。
しかし今、プロといえども プリントは専門のプリンターに任せる時代になっている。
それでいいのだろうか?
デジタルの時代になって、処理装置は進歩した。
自然の感動を、撮影からプリントまでこなし、
可能な限り高い精度で再現できる環境が整ったと思うのだが・・・・
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費用を抑えるため100フィートの長巻フイルムを買い、短く切って空のパトローネ、専用マガジンに詰め、
古い機械式カメラで撮影。現像液、定着液は それぞれの薬剤を購入し、調合し使用。
現像してできたネガは、フィルムスキャナーで画像を取り込み、プリンターで打ち出して写真にする。
楽譜から演奏までこなしたいと思っていたのか、自然とそうなってしまったのか、結果的に、コストは極限まで下げている。
ネガ(楽譜)はファイルして保存してあるので、
必要ならもう一度だして 演奏することはできる。
再スキャン(より高性能なフィルムスキャナーをてにいれたら)し、プリントする。
あるいは、引き伸ばし機にセットして、暗室で印画紙に焼き付けてもいい。
人任せにせず 自分でできることは全てできる環境を整えたが・・・・いい写真、記憶に残る写真、未だ撮れていない。
- 2017/12/07(木) 11:54:28|
- 都会の景観 Tokyo
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先日 東京ミッドタウンにある富士フィルムフォトサロンへ行った。
そこで開催されている「アンセル・アダムス」展を観るため。

1960年代の後半、あるいは70年代前半だったか、
展示会でアンセルアダムスのオリジナルプリントを見たことがある。
あまりの美しさに、そこで固まってしまった。
肩にはNikon Fがぶら下がっていた。
このカメラで、こんな写真撮れるはずもないと思った。
当時は、ブローニーフィルムのカメラから35mmフィルムのカメラに替え、
一コマ当たりのフィルム代を下げたところ。
富士の超微粒子フィルム Neopan Fを使うことで、
4つ切の伸ばしても、どうにか粒子の目立たない写真を焼き付けていた。
風景写真は・・・・とても素人に、若造に、手が出せるものではない。
それから、風景写真は 極力撮るのを避け、街でスナップするようになる。
フィルムもNeopan F から Tri-Xに換えていた。
トーンの豊かな写真が好きだ。
オリジナルプリントに会えるなら・・・・行くべきだろう。
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風景写真・自然を写すのは難しい。
シャッターを切り、いい風景写真をとったと小躍りしても、すぐに落胆する。
似た構図、似たトーン、似た色彩の風景写真は、既に誰かが撮っている。
それを超え、記憶に残るような作品はめったに撮れるものでもない。
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アンセル・アダムスがヨセミテで写真を撮るより早く、
湿式のコロジオンカメラで写真が撮られていたころ、
すでにヨセミテの風景写真は撮られている。

このイラストは、"History of Photography" by Peter Tunerから転載しました。
撮影したのは 写真史に名を残すマイブリッジ。
当時 湿式のカメラを操作するには化学の知識も必要。
高等教育を受けた人でないと扱えなかった。
そのコロジオンを調整し、硝子板に均一に塗布、
乾かない内にビューカメラにセットし、撮影。
すぐに携帯したテントの中で現像したのでしょう。

当時 アメリカ西海岸はゴールドラッシュに沸いていた。
多くの人でにぎわっている。
金を掘り当て、国に帰る人が、絵葉書を欲しがるだろうと、ヨセミテの風景を撮影、絵葉書として売り出す。
しかし、商売は、あまり上手くいかなかったようだ。
そのご 写真撮影技術を見込まれ、馬が疾走するとき、
4つの足が地を離れているか、着いているかの賭けの判定を
写真にできないか 問われ、連続撮影の方法を編み出す。
請け負った額の倍の費用がかかってしまい赤字になったが、
連続写真という新しい技術は好評で、展覧会を行い各地を回り、大もうけしたのこと。
いろいろな人に影響を与えたと思う。
ムービー(映画)の可能性を感じた発明家もいたと思う。
フランス印象派の画家ドガ(バレリーナの絵を得意とした)、イギリスの画家、フランシス・ベーコンに影響を与えたという。(Handbook of the photographs collection ;The J.Paul GETTY Museum) 。
1872年の撮影なので 歴史的には重要な作品だが、
美的な価値を感じ、心に残るのはアンセルアダムスの作品。
季節を待ち、光線の具合をまてば、マイブリッジが撮影したのと、
あるいはアンセルアダムスが見たのと、同じような光景が眼前に出現する。
それをカメラに収めれば、同じような写真を撮ることができる。
しかし、同じようでは「真似」にすぎない。
心に残る作品にはならない。
アンセルアダムスの作品を超える 更に優れたものを表現できているかにかかっている。
8×10インチの大型カメラを使い、モノトーンフィルムを使い 自分で現像する人はごくわずか。
ビューフィルムカメラに習熟し、現像をこなし、暗室で格闘する・・・・
それだけで 一生が終わってしまうかも・・・・
いまは分業、デジタルで撮影しても、それをプリントし作品にするのはカメラマンではない。
委託を受けたプリンターが写真家あるいはクライアントの要望を聞いて処理する。
もう、アンセルアダムスのような写真家は現れないのだろうなぁと思う。
今年綺麗に咲いた花は 来年も同じように咲く、2年後も、3年後も・・・
富士山の雄大な姿は、今年も来年も、一人の人の寿命が尽きるとも、変わらず雄大な姿を見せているだろう。
記録として撮影する必要性は薄い。
それでも、富士山/花を撮るのはどうしてだろう?
たとえ同じでも止められない・・・・麻薬的な魅力があるのかも。
あまりに沢山の富士山/花の写真があるので、印象に残る富士山/花の写真(映像)、小生の記憶の中にない。
まだ、アンセル・アダムスのオリジナルプリントを知らなかったころ 撮っていた風景写真です。


50年前、体力、気力、金力(これはなかったが・・・)
学割、鈍行、安い宿〔ユースホステルをよく利用した)で各地を旅行、
楽しい思い出である。
今見ると、よく撮ったなぁと思うけど、
50年後でも同じような写真が撮れるとしたら、
何をしていたのかという気持ちになる。
単に自分のための記録写真、
「昔 北海道を旅行し、こんな写真撮ったんだと」 知り合いに見せる程度のものだろう。
自然は今も変わらず、今 この場所に立っても 同じような写真が撮れるはず。
デジタルで鮮明に撮るか、フィルムで銀粒子のざらつきある写真にするかの差に過ぎない。
記憶に残る(アンセルアダムスのような)作品にはならないでしょう。
- 2017/12/06(水) 17:54:11|
- 思い出の写真
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ボードにどのような影が落ちるか・・・それが興味の中心だった。
モデルになってくれた方には申し訳ないと思ったが、素直に要望に答えてくれた。
ストロボの閃光にボード上一瞬 陰が落ちる。
ファインダー越しに見るが不鮮明で確認は難しい。
10カットほど撮った中の一枚。勿論、顔の表情がくっきり捉えているカットもある。
もし、私家版のポートレート写真集を作るとしたら、文句なく入る一枚だろう。

明るく見やすい部分が実体か、薄ぼんやりした陰が実体か、
判断するのは難しい。
人はえてして明るく明瞭な部分に目がいく。
目で見ていたら、月も太陽も、地球の周りを回っているように思える。
それを実態だと錯視・誤解・確信してしまう。
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ストロボの光を浴びた後ろ姿か、ボードに落ちた影か、
どちらが この方の存在をあらわしているだろう?
両方??
両方なら、まるで 不確定性原理の量子論のよう。
- 2017/12/03(日) 11:18:21|
- 人物 ポートレート 踊り
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若く綺麗な人を撮ればキャッチー(目をひく)だろうが、
被写体の外見に依存したポートレートは、
若く綺麗な人が撮れているだけで、「人」が撮れていないと感じる。
一時 目をひいても、すぐに賞味期間が切れてしまう。
そういうポートレートは 撮りたくないと思っている。

被写体になってくれた方の許可をえないと、ブログに載せるわけにはいかないが、
できるだけ 載せられるようにするつもり。
- 2017/12/01(金) 10:18:25|
- 人物 ポートレート 踊り
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