写真美術館のある恵比寿まで散歩した。
その時のスナップ写真。
何を撮るかは、一目瞭然 その時の「恵比寿」を撮ろうとしています。
しかし、「どう撮るか」は、人により異なるのでしょう。
人まねでない切り取り方ができるかどうか、
何かを「想起」させるものを 捉えることができたかどうか、
この2点がポイントなのだろう。
写真は 撮った人の内面も曝け出す鏡だと感じている。
受け狙いで撮った写真は、じっと見ていると、やはり浅薄だと思うようになってきた。
自己嫌悪・・・それは避けたい。




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起承転結を意識して、4枚選んでみました。
そのとき(小生の)感じた恵比寿。
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- 2017/09/30(土) 11:50:59|
- ある場所、ある瞬間
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見えていても、気づかないことがある。
心がそこにないと なにも見えない。
事物は通り過ぎていくだけ。
感覚の鋭い人はいる。
ある瞬間、眼前に異空間が出現していることを的確に捉えてしまう。

そこから詩が生まれ、絵が描かれ、音楽が、そして数の世界(数学)が出てくる。
科学の天才は、それを数式にして示す。
感覚は、鈍いが、
何が大事かは、化学の研究でいやというほど思い知らされ、少しは学習した。
大切なものは目に見えない。
研究とは、見えている(現象の)背後に潜む大切なものを 知ろうとすることだった。
写真を撮るという行為も、突き詰めれば 同じことだろう。
被写体に潜むキャッチーな「なにもの」かを見抜かなかったら、
折角 誰もが認めるキャッチーな被写体に巡り合えたとしても、
撮った写真そのものがキャッチーになるわけではない。
被写体におんぶに抱っこの写真になるだけだ。
「何が撮りたかったのか?」 「ありきたりだなぁ」という感想しか出てこない。
「どう撮るか」に、心を集中させ、何者(もの)かを見ようとすることが、カメラアイなのだと思う。
反省している。
- 2017/09/28(木) 10:12:21|
- ある場所、ある瞬間
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以前 一本の「さるすべり」に注目し、一年間撮り続けたことがある。
一年経つと「戸越公園の百日紅」の全て撮り尽し、
これ以上撮るべものがあるとは思えなくなっていた。
その後も、厭きもせず 散歩にカメラの日々が続く。
写真を撮り続けていたことが写真感覚を鍛えてくれたのか、
この頃になって、また違った撮り方もあると気がつく。
戸越公園の百日紅の撮影に再挑戦している。




フィルムを替え、現像法を変え、望遠で狙ってみる。いや広角レンズがいい・・・・フィルターはどうしよう?
考えることは多い。
まだ、撮り様はあるだろう。
- 2017/09/27(水) 10:57:21|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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庭師が入り整備された公園なら、
季節ごと、品種改良された花が植えられている。
クローズアップで写真にとってもいいし、背景に入れても良い。
綺麗に選定された樹が公園の景観を作る。
しかし白金の自然教育園は 違っている。
極力人間の手を入れず、放置している。
自然に任せていったら、植生はどう変化するのか?
人の思惑は考慮外、
人を楽しませようとしているわけでもない。
武蔵野の原野の再生を目指している。
こんな原野の中で、嘗ての縄文人や弥生人が 生活していたのだろう。
鬱蒼と樹が茂り、小さな潅木が地面を覆う。
自然の林のなかは、意外と地味。花も小さく、目立たない。
フォトジェニックなところは少ない。
だから、ここが好き。
毎月 一回は散歩で訪れている。

「美しい自然を撮る」ことをテーマにするなら、
人の手の極力はいらない白金の自然教育園で、
一度、撮影してみることを薦める。
「どう撮るか」が試されていると思う。
- 2017/09/27(水) 00:03:15|
- ある場所、ある瞬間
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2時に家を出て、帰って来たのは5時ごろ、その間20コマくらい撮影していた。
行きなれた散歩コースだと12コマくらいの撮影で終わる。
天王洲アイルたまに歩くと、また新しい発見がある。
「天王洲アイルの休日」

敬老の日、人がいつもより多い。

人影が途絶えた瞬間、土日の天王洲アイルが現れた。

鰡(ボラ)だろう。

休日の穏やかな天王洲アイルの雰囲気を表現したかった。
起承転結を意識して撮ったなかから4枚、写真を選んでみました。
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「何を撮るかより、どう撮るか」を 自問しながら撮っています。
- 2017/09/24(日) 07:39:16|
- 散歩
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何を撮るか?
都会の風景を撮ります。ポートレートを撮ります。
花を撮ります。廃墟を撮ります。故郷の風景を撮ります。
踊る人を撮ります。などなど。
何を撮るかは、動機は人によって様々。
しかし動機がそのまま「テーマ」にはなりえない。
そんな思いがある。
3.11の大津波のあと、プロカメラマンがその現場を撮りに行く。
新聞社の派遣でなく・・・おそらく自発的に・・・プロのカメラマンとして、それを撮ってやるんだと思ったのだろう。
コマーシャル撮影を専門とするプロもいた。
「3.11の大津波」は「テーマ」としては、申し分ない。
しかし、結果は惨敗。大衆に迎合した写真しか撮れていない。
記憶に残るのは TVで流された、映像だけ。動画ほうが ずっと心に響く。
プロは何を撮っていたのかと思った。
撮ったら、評判になる。受け狙いで「テーマ」が決まるとしたら、写真とは浅薄な手慰みだろう。
「何を撮るかより、どう撮るか」のほうが
より本質に迫れるのではないか・・・と思うようになってきている。
恋愛小説がある。テーマとしては申し分ない。
しかし、記憶に残る恋愛小悦/名作は少ない。
何を書くかより、どう書くか が試されている。
どう撮るか・・・・それが試されているのがカメラなのだろうと思う。

品川区、池田山にある皇后美智子の生家、正田家跡に作られた公園で撮影。
ありきたりの小さな公園。
写真を撮って、「いいね」と思われたいなら、
可愛い女性でも連れてきて、ここで撮影したほうがいいだろう。
あるいは 皇后様ゆかりの花をさがし、
美智子様の生家あとで撮りましたとコメントして、ブログに載せるのがいい。
小さな公園だが、感じたのは空間の広さ幽玄さだった。
それを表現するなら・・・・と工夫し撮影。
何を撮るかより、どう撮るかに 気持ちをシフトさせている。
- 2017/09/20(水) 23:10:37|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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9月4日 午後、戸越八幡神社へ行く。
週末の土曜、日曜に戸越八幡の祭礼がある。
まだ、準備は始まっていなかった。



子供の数が減って、お祭りの熱気が徐々にさめてきている。
宮司がまだ若い頃は、行列を組み、馬に乗り颯爽とパレードしたが、
この頃は、隊列の中心に立ち歩いてパレードをしていた。

果たして 今年の祭りはどうだったのだろう?
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冷蔵庫にパトローネに詰めたTri-Xフィルムが1本残っていた。
2年ほど前 詰めたフィルム。
期限は切れていても、冷蔵庫に保管してあったので、問題なく使える。
久しぶりの現像。
やはりTri-X 粒子が意外と細かく、諧調性もあり 使いやすい。
未使用100フィートの長巻フィルム あと1缶、冷蔵庫に残っている。
さて、いつ開封するか・・・・
- 2017/09/17(日) 15:02:56|
- ある場所、ある瞬間
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一つのテーマをずっと追い続けるほどの覚悟はない。
おもしろいと思ったら、すぐに行動し、シャッターを切ってしまう。
そして厭きたら、止めてしまう。



行き当たりばったりなんですね。
別に意図はありません。ただ面白いとシャッターを切ったまで。
三枚の組写真、序破急を意識して並べてみました。
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ブログには、
街撮りに徹して撮っている人
職人や若く綺麗な人のポートレートに徹して写している人、
自分の庭の、あるいは近所の花、それだけに徹して撮影している人がいる。
あるいは少々エッチな写真で埋め尽くされているブログもある。
そういう人のブログを見るのと うらやましい気がする。
ぶれていない。自分のテーマを見つけ、実行しているのだろうと思う。
覚悟があるのだろうなぁと思う。
ポートレートが撮りたいと言ってみたり、綺麗な花はもう厭きたと言ったり、
何を撮りたいのか、ふらふらしている。
散歩にカメラでいいやと言うけど、胸を張るだけの撮りたいテーマがあるわけではない。
行き当たりばったり、ぶれまくりの撮影だ。
今後もこのまま続けられるか?少々心もとない。
- 2017/09/11(月) 11:37:41|
- 映し出された世界
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「傷だらけのゾナー」の眼が捉えた戸越公園のさるすべり。

まぶしい。

まばゆい・・・

上を向くが滲んでしまう。
- 2017/09/10(日) 12:44:54|
- 百日紅(さるすべり)
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8月の最後の日曜日、天王洲のビジネス街を散策した。

ウッドデッキに人影はまばら、静かな時間が流れていた。

P-フィルター③で撮影してよかったと思う。
白黒の対比が綺麗なハイコントラストな写真では、この雰囲気は描き出せない。


二組のカップルの配置、ちょっとシュール。
とっさにスナップしていた。
些細なしぐさも、ちょっとした会話も、カップルには大事なことに違いない。
大切なものがそこにあると・・・感じているのだろう。
- 2017/09/09(土) 14:25:55|
- 散歩
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夏 旅行しなくなった。
今は冷房の聞いた部屋で、妻とじっと暑さが過ぎていくのをやり過ごすだけ。

それでも、歩かないと さらに老いこむと、気を取り直し、
暑さが少し和らいだ午後、ごく近所を歩き回る。
9月の最初の日曜日、戸越公園に水遊びに興じる子の姿があった。
この夏は、家より2km以内、近所を散歩するだけだった。
しかし、なんということない見馴れた風景でも、
興味を惹かれる被写体は次々に現れ、厭きることなかった・・・・と強がりを言いたい気分だ。
- 2017/09/08(金) 11:41:07|
- ある場所、ある瞬間
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ネガには、コントラストの低いぱっとしない画像が写っていた。

白黒のコントラストの効いた昨今のモノトーン写真を見慣れた眼からすると、
違和感を感じる。できの悪い写真。
古いカメラで撮った、過去の写真がでてきた・・・と感じてしまう。
確かに、40年ほど前、生まれたばかりの長女を連れて、この辺りを歩いていた。
遠い夏の日の記憶をたどる。

少々、ノスタルジック、でも 写っているのは 紛れもなく今の御夫婦。
40年前では、こんな雰囲気には撮れなかっただろう。
服装が違うのか、周りの様子が違うのか、二人のしぐさか・・・・
ここに なにが写っているのだろう?と、じっと見ていると、いろいろと想像/連想が涌く。
娘が生まれた頃のことを思いだし、比較する。
写真って面白いと思う。
- 2017/09/07(木) 08:19:31|
- ある場所、ある瞬間
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このミスト・シャワー、もう一度 フィルムで撮ろうと思っていた。
まだ、まだ大丈夫と思っていたら、
どうやら夏は駆け足で通り過ぎていったようだ。

思い立ったらすぐに撮らないと、あっという間にチャンスを失う。
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(人生/齢も)あっという間に失せていく。ぐずぐずしてはいられない。
- 2017/09/06(水) 18:55:58|
- ある場所、ある瞬間
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R72フィルターと自作したP-フィルター③を重ね、
Retro赤外400Sフィルムで撮影してみた。

4年ほど前にも、この百日紅をSFX-200フィルムで撮ったことがある。
当時と比べ、切り取り方が上手くなったというわけではないが、
写真表現の幅は広がったと思う。
カメラアイ(本質的な観察力、洞察力)は、上げようもないが、
テクニカル(技術的)な面は、工夫次第で向上するということだろう。
カメラの歴史を考えれば、
カメラ技術は常に向上していく。
花の接写撮影は、プロかハイアマチュアの領域だった。
いまは、スマホで簡単に撮れる。
野生の動物/鳥を望遠で撮るのは、プロの仕事と思っていたが、
いまは素人でもピントの効いた綺麗な写真をものにできている。
テクニカルな部分は メーカーに任せるのが、いいのだろう。
しかし、あまり簡単に綺麗に撮れてしまうので、写真に期待しなくなる。
誰もが簡単に写真を撮る時代、写真にたいする需要は増えているが、
相対的に審美眼は低下してはいまいか?と危惧している。
プロとアマの写真技術(テクニカル)の差は、カメラの進歩で出にくくなった。
カメラ・アイの評価は不明瞭。
「いいか悪いか、それはその人の感じ方、直感だよ」といわれると、
自信がないので、どうしたものかと、覚束ない。
周りの噂や評論家のコメントで写真を見ようとしてしまう。
人脈を持っている人、評判が良い人、宣伝の上手な人の写真に高い評価がつく。
写真を見る人の「審美眼」の低下が拍車をかけている。
具眼のカメラマンはすみに追いやられ、世渡り上手のカメラマンが闊歩する。
独自のカメラ・アイを持つプロが、出にくくなっているのでは・・・・
ある写真展をみながら、そんなことをふと思った。
- 2017/09/05(火) 12:19:27|
- 百日紅(さるすべり)
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4年ほど前、一本の百日紅を、一年かけて撮り続けたことがある。
季節によりどのように変化するか、レンズを替え、フィルムを替え、フィルターを替え、
撮影法を替えて撮影したらどんな百日紅を 捉えることができるか、試していた。
ちょうどTr-Xフィルムの価格が高騰し(今も高いけど)、
いろいろなフィルムを使うようになっていた。
一つの転換点。撮影術の勉強になった。
百日紅の撮影が終わっても、フィルムの選定は続いていた。
現像液の開発や、フィルターを自作し遊んでいたため、
当時より、撮影の選択肢は増えている。

新たに開発した撮影技術を使い、あの戸越公園の百日紅を撮影したら、どう撮れるのか?
また別の百日紅を捕らえることができるかも・・・・
思い立ったら、すぐ行動。
まず P-フィルター③の効果を確認してみた。
今後、機会をみて、ぼちぼち 撮っていくつもり。
一本の百日紅でも、まだまだ 撮り様はある。
- 2017/09/03(日) 17:03:58|
- 百日紅(さるすべり)
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