横位置ではなく縦位置でフレーミングしていた。

霊長類は雑食。
しかし、多くの栄養素は植物から摂取した。
動物を捉え、火を使い、料理して食べるのは
我々人類、ホモサピエンスだけだろう。
肉食は、効率的にタンパク質を摂取できるので有利だが、
コレステロール/油脂も同時に大量に摂取することになる。
とり過ぎは血管の内壁に油をため、心臓病を発症、短命になる。
長い進化の過程で、人類はコレステロールを効率的に代謝する仕組みを獲得した。
ゴリラにはないようだ。
チンパンジーにはあるが、人類ほど進んだシステムでないようで、
チンパンジーに肉を与えて育てると、短命に終わるという。
肉食することにより、人間はチンパンジーより倍の寿命を獲得したという。
蛋白食のおかげでしょう。
近頃読んだ本の受け売りです。
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人類は、過酷な生存競争にさらされ、ようやく生き延びてきた。
そのため、免疫システムは高度に発達しているという。
一時、狂牛病が騒がれていた。
ウシは草食。
肥料の中に、病気にかかった羊を粉砕したものを、栄養補強材として入れていた。
動物食をしていない牛には、プリオンに対する防御システム/免疫システムはない。
あっという間に広がっていった。
人間には、動物食をしていたため、遺伝子に二つの変異が起こり、
この免疫システムを持っているという。
どの民族、どの人種にも、二つある免疫遺伝子の一つは必ず持っているという。
それが、人間が人間を食べていた証拠だと、本には記述してあった。
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この写真を見て、舌なめずり人もいれば、
残酷だと眼をそらす人もいるだろう。
「新しい料理法の発見は、新しい星の発見よりも人間を幸せにする。」
不名誉・不都合な事実でも、見つめる勇気は必要だろう。
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- 2017/03/30(木) 23:06:11|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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大井町を歩き撮影。
横位置、順光、人を入れないフレーミング、
この制約を課すことが どんな写真になっていくのか、
撮りながら考えざるを得ない。



駅前の雑踏を遠望し、そのまま広く捉えることは、さすがにできない。
一部を切り取り、人の姿が途切れ一瞬を狙う。
人影は入れてもいいだろう。



カメラが発明された初期、感光剤の感度は低く、長時間露光したため街から人影が消えていた。
そんな撮影をすれば、駅前の雑踏から、人影を消せるかもしれない。
あるいは、幽霊のようにボーっと人の流れを写すことになるかも。
とりあえずND64フィルターを手に入れることにしよう。
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一番硬調に仕上がる(Ⅳa)液を使って現像した。
- 2017/03/29(水) 08:28:35|
- Silent City
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新橋と有楽町の一駅間を彷徨い歩いた。
時刻は午後の4時ころ。
大都会、人の通りは多いが、
しばらく待つと、
途絶える瞬間がある。




都会の昼間の魔の時間?
そんなことありませんが、
人影がないと、少し不可思議な感じする。
見慣れた何でもない光景を写しながら、
これが現実か? はっと驚く写真を撮りたいもの。
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広角レンズ、横位置、順光、人の姿を入れないフレーミング、
フィルムは、現像液(Ⅳd)で現像しました。(やや硬調現像液)
- 2017/03/28(火) 10:09:40|
- Silent City
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3月18日 撮影したフィルムから、横位置、順光、人の姿を入っていないコマを探してみた。
これが、「Silent City」の始まりだろう。




この日は春の彼岸の入り、午前中、妻と白山のお寺にお参りに行っている。
帰りに都営地下鉄で日比谷に出て、日比谷公園の松本楼で昼食、
昼食後は、出光美術館で古唐津の展示会を観る。
これが 妻のプラン。
そのプランに従った。
プラン終了、妻は、そのまま地下鉄で帰宅。
小生は、カメラをぶら下げ東京駅まで散歩した。
そこから新橋駅に向かい游(U)ターンした。
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横位置、順光、人の姿を入っていないコマを探したが、それほど多くない。
やはり縦位置でフレーミングしたものが多い。
現像は(Ⅳd)を使用し、HCB&W調トーンを出すようにしている。
デジタルカメラで撮ったほうが、
すぐに結果を背面の液晶画面で確認できるし、
何枚撮っても、コストは変わらない。
簡単便利だろうが・・・
何か違うなぁと思えてならない。
デジタルで撮ったほうが上手い写真が撮れるかもしれないが、
フィルムに拘ってみようと思っている。
いい写真が撮りたい。
- 2017/03/27(月) 09:41:28|
- Silent City
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18日の散歩では、
ハイコントラスト・白黒モード(HCB&W)を、フィルムでも真似できないか試してみた。
撮影したフィルムは、(Ⅳd)現像液(D76より少し硬調に仕上がる)で現像した。
写したネガを見ているうち、デジタルカメラのHCB&Wとは違う「何か」を撮れそうな予感がしてきた。
何だろう?
これはテストしてみなければ・・・・
24日、再びカメラを持って都会・新橋へ出かけた。




小生のフレーミングは縦位置が多い。
レンズは標準(この言葉は死語かも)の50mmをよく使う。
太陽に対し逆光の光を選んで撮ることが多い。
そして人の姿を「小さくとも入れたがる」フレーミングをする。
ネガには縦位置、行き交う人の姿、逆光で撮ったものも混ざっていたが、
意識的に、従来の撮り方とは外れているコマを選んでみた。
並べてみると・・・人のいない都会の風景が広がっていた。
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横位置、順光、広角レンズ、人の姿を意識的に排除して、
都会の街を撮ったら、どんな写真ができてくるか?
今まで撮ってきた撮影法を否定し、
その真逆を行ってみれば・・・なにか見えてくるかもしれません。
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現像は(Ⅳa)液を使用、
(Ⅳd)より更に硬調な現像液で現像してみました。
- 2017/03/26(日) 16:03:51|
- Silent City
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中央公園の白木蓮を50mmレンズで撮影した。

Auto-Nikkor 50mmのレンズは60cmまで近づける。
マクロレンズほどではないが、かなりの近接写真を撮ることができる。

このころが 盛りの季節だった。2週間後には散って消えていた。

近接してクローズアップで撮るか、
少し引いて、かたまりとして撮るか、
風景の一部として撮るか・・・・
以前撮影した白木蓮の写真を探しているが、
風景の一部として、引いて写した写真が見つからない。
撮影した覚えはあるのだが・・・

これは2年前に撮影したもの。
場所が同じなら、フレーミングもほとんど同じ。
代わり映えしませんねぇ。
望遠マクロのついたズームレンズで撮影している。
焦点距離(画角)は45mmを選んでいるので・・・小生の好みは やはり50mmレンズなのでしょう。
Kentomere400のフィルム、改めて見るといいフィルムです。
- 2017/03/25(土) 13:04:29|
- 樹、草、花
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夕方の西の空をバックに白木蓮を撮る。

空に露光が合い 白木蓮がシルエットになる。
黒木蓮?
見慣れない木蓮に、違和感を感じる人は多いだろう。
R2(赤)フィルターを付けて撮影。

夕方の西の空は長波長の光が豊富。
短波長の光を抑えると明暗差は少なくなる。
紫外線の豊富な昼間の撮影なら、
順光の光を選び、R2フィルターで青空を昏く落とし、
白木蓮の花弁を白く際立たせて撮ることになる。
白木蓮を撮るとしたら定番の撮り方だろう。
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花の撮り方は 限られている。
風景の一部として撮るか、花のかたまりとして撮るか、近づいて花弁をクローズアップ撮るか。
フレーミングは その三種類。
いずれの場合も、光の当たり具合を見極め、花が引き立つよう、背景処理に気を遣う。
ただ これだけしかない。
撮りようもそんなに多くはない。
上手いフレーミングはすでに撮り尽くされた感がある。
「上手な花の写真」をたくさん見ていると、またかと思ってしまう。
厭き厭きする。これなら 醜い花の写真が欲しいと、過激な気持ちになる。
オリジナリティを感じる「いい」花の写真には、なかなか出くわさない。
何か新しい視点や撮り方、ないものかねぇと・・・自問している。
- 2017/03/24(金) 10:02:55|
- レンズの眼、カメラの眼
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白木蓮 まだ撮りようはあると思っていた。
そう思うと 「うずうず」する。
東京、火曜日は終日雨、水曜日は晴れたので、日没近くになって、
カメラとストロボを持って 品川区役所まえの中央公園へ行く。

撮影法を変えて撮影した。
「カメラの眼、レンズの眼」が捉えた白木蓮の花。
レタッチソフトを駆使し、作った写真ではありません。
あくまでも ストレート・フォト。

まだまだ 撮りようはあるなぁと思う。
来年 もう一度チャレンジしてみたい。
- 2017/03/23(木) 21:23:26|
- レンズの眼、カメラの眼
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白木蓮を浮き出すには、暗いバックが良いだろうと、
日没の時間帯に、ストロボを携え、中央公園へ行く。


今回はクリップオン・ストロボを使ってみた。
ただそれだけ。
写した結果は、予期したような写真になった。
ありきたりな写真になるのは、誰かのカメラ・アイを模倣しているからだろう。
何だろう?と引き込むものが欲しい。
同じものを撮っているのに、それを感じさせてくれる人もいる。
羨ましい限りだ。
それでも、まだ飽きずに写真を撮っているのだから・・・写真、好きなのでしょう。
- 2017/03/22(水) 08:40:32|
- 樹、草、花
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品川区役所前の公園に白木蓮の樹が植えられている。
春先になると、白い花を咲かせる。
気づくと面白がって写真に撮っていたが、
しばらくすると撮りようもなくなってくる。
次第にカメラを向けることもなくなっていた。
「撮れない、撮れないは、工夫が足りない。」
もう一度撮ってみるかという気になっていた。

撮影法を工夫して撮ってみた。



もう少しピントを利かせても良かったかと思う。
花弁をもっと白くなるよう撮影してもいいだろう。
あるいは黒く写してもいい。
まだまだ、工夫すれば違った白木蓮を撮ることできそう。
そう思い、今日 再び中央公園へ行き白木蓮を撮るつもりだったが・・・・生憎朝から雨。
白木蓮の咲く季節、もうすぐ終了。それまでにはもう一度、挑戦してみたい。
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レンズの眼とカメラ操作を変えることで、違った表現ができないか、挑戦してみました。
フィルムの眼には頼っていません。
現像は標準に使っている(Ⅰ)液を使用。
D76より軟調、D72より硬調な現像液です。
レタッチソフトによる画像加工はしていません。
ストレートフォットに拘っています。
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最新のデジカメの機能に頼ったり、
レタッチソフトに頼ったりするのに・・・・小生、うしろめたさを感じてしまう。
いい写真が撮れさえすればそれでいいではないか、と割り切ればいいのだが、
それができない自分がいる。
1990年代の前半、まだデジタルカメラが世に出る前、
シャープ製パソコンX69000に同社のイメージユニットにつなぎ、日立のビデオカメラ(アナログ)から画像を取り込み、512×512ドット(ピクセル)のデジタル画像を取り込み遊んでいた。(約25万画素の写真)
所詮デジタル画像は・・・という思いが強い。
NTS画像をイメージユニットでデジタル化し、PCに取り込む。
そのデジタルデータ画像を、加工するため、先鋭化、平均化、補完処理、カット&ペースト、拡大・縮小、回転、色の変換などのプログラムを作る。画像変換プログラミングを作ること自体は大変面白かった。
ここを こうしたいと 思ったら、それが実現できるアルゴリズムを考え、プログラムしテスト、思わしくなかったら、アルゴリズムの弱点を探し、改良し、プログラミングする・・・画像変換は神になった気分だった。
それはあくまで趣味として楽しむものという気持ちだった。
その後 海外からPhotoShopなどの画像処理(レタッチ)ソフトが出てくると、その遊びから手を引いていた。
他の人のプログラムを貰ってまで「画像を作る」気にはなれなかった。
プログラムが高機能、高精度、高速処理になっても、基本は同じ。
記録されたデーターを、恣意的に「見やすく」「キャッチーに」加工している可能性は残っている。
これ、本当に見たものだったか? 疑心暗鬼、落ち着かない。
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レタッチソフトの使用は最小限にするように努めている。
今となっては、環境変化に対応できない意固地な(頭の固い)老人になってしまいました。
- 2017/03/21(火) 11:42:14|
- 樹、草、花
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先週は喉が痛く、少し熱っぽい日が続いていた。
散歩に出るわけにもいかず、謹慎生活。
ネットをサーフィンし、他の人のブログを覗いていた。
白黒の対比の美しいブログにぶつかる。
お、これは好い、モノトーン写真だと喜ぶ。
銀粒子の出たような画像がある。
白黒フィルムで撮影しているようだ。
フィルムでこのトーンを出すとしたら、かなり難しい。
どんなフィルムで、どんな現像液を使っているのだろう・・・と思えど、
撮影のデーターは一切載っていない。
それならばと、ブログをどんどん朔流し過去の画像を見ていく。
次々に 白黒の対比の美しい写真が出てくる。
見つづけるうち、少し変だなぁと気づく。
銀粒子のざらつきが 消えていた。
デジタルらしい。
どうやら、ハイコントラスト白黒モードで撮影したもののようだ。
機種はソニーNEXではない。どこのデジカメだろう?
しかしその情報は一切載っていなかった。
2011年11月からブログを初め、今まで約400葉の写真を載せていた。
凄い人を見つけたと喜んだのに、がっかりしてしまった。
これは、努力して獲得したカメラの眼でないだろうと、勘ぐってしまう。
この人の眼というより、他人(メーカー技術者)の眼を拝借しただけ。
金で買った義眼のようなもの。
HCB&Wモードにして、手あたり次第撮っていったら・・・・5年もしたら それなりに作品はたまる。
ブログの題はキャッチーだし、写真もインパクトあっただけに、「騙された感」が強くなってしまった。
でも、これが技術の進歩というもの、
目くじら立てるほうがおかしいと言われてしまいそう。
騙されたなどと云う小生は、時代遅れの偏屈人間なのだろう。
インパクトある写真は それが どう撮られてたものであっても、
インパクトのある写真と評価すべきだろう。
病気明けに最初にテストしたのが、
「フィルムの眼」によるHCB&Wモードの真似ごと。
現像で、トーンを少し間引けばできるはずと ひりひりした喉を気にしながら考えていた。
比較に、ソニーNEX-3をHCB&Wモードにして撮影した。

NEX-3についているレンズの焦点距離は16mmなので、フィルムカメラには同じ画角の24mmレンズを付けて撮影。
少し露光を少な目にし、やや硬調な(Ⅳd)液で押し気味に現像した。

NEX-3につけたソニーの16mmレンズなかなか優秀だと思うけど、約40年前のNikkor 24mm F:2.8のレンズも、優秀だと思う。
広告の文字など、デジタルより鮮明。


昔は、フィルムで如何に滑らかな画像を得るか苦心していた。
35mmフィルムでは 銀粒子のでたザラとした写真になりやすい。
それを避けるため「超微粒子現像法」などの特集も組まれ、写真雑誌には載っていた。
それでも不満なら、大判カメラで撮ることになる。
しかし、大判カメラは、プロの世界、素人には敷居が高すぎた。
いまは デジタルの時代、粒状性が問題になることはない。
デジタル写真は滑らかです、昔の大判カメラ並みに。
工事用の板塀、防護ネットの質感、いずれもデジタルのほうが滑らかで、眼に優しい。
35mmフィルムは、劣っています。


シューウインドウを写したものは、フィルムのほうが 少しいいのではと 贔屓目に見ています。


しかし、これはデジタルのHCB&Wモードのほうがいい。
フィルムでは 壁の部分に、ザラッと粗れた銀粒子がでて・・・見苦しい。
自分の手で現像している人なら、
工夫すれば、フィルムでもデジタルのHCB&W風写真を撮ることができます。
それを確かめただけ。
だからどうなの?と詰問されると・・・・黙りこくってしまいます。
- 2017/03/19(日) 22:36:25|
- フィルムの眼
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花の少ない時期、散歩していると花に眼が行く。
梅の花は、綺麗だと思うが、撮るとなると難しい。
代わり映えしない写真になる。
少しでも新しい視点が欲しいとマクロで近づき、
数輪の梅をアップで撮ることになる。
しかし、背景の処理が難しい。
それではと、枝ぶりを撮ろうとする。
背景に何がくるかで、見栄えが違ってしまう。
どこか、梅で有名なところでも行って撮らないと、格好がつかないかなぁと思ってしまう。
それでもカメラを向け、フレーミングするが、すぐに・・give up.
すでに誰かが撮った使い古された構図(フレーミング)になっている。
散歩で 撮った梅の写真を見ながら・・・・どうしたものかと、撮影の限界を感じている。

散歩に 重くいかつい一眼レフカメラを持って出ることは少ない。
ほとんどレンジファインダーカメラだ。
最短は90cmから1mくらい。花をクローズアップで撮影することはできない。
これが近づいて撮影する限界。
1月の初め、七福神詣で発見した妙円寺の梅。

梅は枝ぶりを愛でる。
1月末の散歩、大田区山王の徳富蘇峰の住居跡の公園で撮影。
使用したレンズはJupiter-12 戦前のツアイスの広角レンズBiogonと設計は同じレンズ。クーロンレンズです。
マウントはContaxⅡですが、S型ニコンとマウンは同じ(ニコンが真似た)、
広角レンズなのでS型ニコンにそのままつけて使用することができます。
80年以上前に設計され、製造されたレンズですが、現在でも十分通用するレンズでしょう。

次の日 同じ場所へ。
今度はレンズをS-Nikkor 50mm F:2に交換。
このレンズは ツアイスの50mm F:2ゾナーを先生として作られた、日本光学製 ゾナータイプのレンズ。
R2フィルターをつけて空を暗く落とすよう撮影してみました。

夕方 戸越公園で撮影。

3月に始め 高輪の泉岳寺の紅梅です。
レンズは Jupiter-3 ソ連製ですが、ツアイスの50mm F:1.5ゾナーと同等品です。
これは ライカのスクリューマウント用になっています。
1956年製。
最短まで近づいて撮影しました。
戦前のツアイスのレンズ設計の頂点は、ゾナータイプにあったのだと思います。
作るのが難しいレンズなので、日本光学以外真似ることはできなかったのかも。
反射防止のコーテング技術のおかげで、ゾナータイプは衰退し、
ガウスタイプのレンズに変わっていく。
反射防止技術を実用化したのは、ツアイスです。
戦後 ドイツの技術は全て公開(PBレポート)、
反射防止技術はノウハウを含め自由に使えるようになる。
ゾナーからガウスタイプへ、歴史の皮肉を感じます。
Jupiter-12 はツアイスのBiogonと同じ設計です。(クーロンレンズ)、
後玉が異様に大きいので、特別なレンズだと感じるのですが、
よく見るとレンズは、ゾナータイプの構成です。
これもゾナーでしょう。
- 2017/03/17(金) 23:00:08|
- 樹、草、花
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花粉症か、流行りの風邪か、
喉が痛く、少し熱っぽい日が続いていた。
散歩に出る気にもなれず 悶々と家の中で過ごすうち、
妄想が肥大したのか、フィルムの眼があるなら、
レンズの眼、カメラの眼が有ってもいいだろうと思うようになった。
祖父から聞いた話を妄想し、それならこうしたらどうだろうと・・・・
撮影技法を考えていた。
ようやく カメラを持って、散歩を再開。
その思いをぶつけてみた。
時代遅れの技法だろうと思う。
馬鹿にされるような低品質の写真になってしまったが、
今のデジタル・カメラでは、こうは撮れなかっただろう・・・と居直っている。
古く廉価なレンズで撮影したような懐かしトーンになってしまった。




起承転結を意識して、写真を選び、並べてみました。
- 2017/03/15(水) 21:21:08|
- レンズの眼、カメラの眼
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ようやく 散歩を再開した。
久しぶりだったので パチパチ撮影。
帰ってすぐにフィルムをカメラから取り出し現像した。
ここは 試してみようと、
ソフトフォーカスを狙って撮影したのだが、
意に反し、銀粒子の出た「アレ」た写真になってしまった。
レンズの解像度はそれほど低下していない。
細部もきっちりと描写できている。
変なネガになってしまった。
レタッチソフトで「作った」写真と思われるのも心外なので、
ネガごとPCに取り込んでみた。
ネガに如何に記録するか(できるか)が、フィルム・カメラの基本。
いいネガさえできれば、あとは暗室で印画紙と格闘するだけ。
創意工夫と、Try and Errorが 写真の作法だった。

小人閑居して、祖父の言を 思い出す。
戦前、祖父の所属するアマチュア・クラブで使われていた(開発された)技法の一つを使った。
どうにか再現しようとするが、再現するまでには至っていない。
カメラの機材が乏しい時代、工夫して撮影していた熱意には、感服していた。
創意工夫し、Try&Errorで写真を撮るのが 写真だと思う。
デジタルカメラでも、創意工夫して 撮っていますか?
- 2017/03/14(火) 21:37:31|
- レンズの眼、カメラの眼
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ネガを整理して見つけた今年の桜。
2月中頃、「林試の森」に川津桜を発見し、撮影している。

二週間もたてば桜の咲く季節となる。
毎年撮っているので、もう撮りようもないなぁと思うが、
季節に誘われ、再び「桜」撮っているのだろう。
- 2017/03/13(月) 18:54:25|
- 桜
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撮影地は、高輪の公園、東禅寺近く。
台座には「渚」という題と、製作者の名前が載っていた。

作者は 淀井敏夫。
ネットで調べたら、著名な彫像家のようだ。
同じ鋳像が関西でも飾られていた。
原型から拡大した型をまず作り、(直接 原型からもありだろう)
そこから鋳型を作り、溶けた金属を流し込む。
複製を前提に製作されるのは、版画や写真に似ている。
(一回こっきりのダゲレオタイプ写真のような鋳像もあるのかなぁ?)
彩色は施さないのが基本だから、像はモノトーン。
カラーで撮るには難しい。
作品の感性・存在感を切り取るなら、モノトーンで捉えるのがふさわしい。
---------------
古くは東禅寺の境内だったと思う。
今は区の公園になっている。
50mも歩けば、第一京浜国道。
江戸時代は、東海道の道が続き、海側には砂浜が広がっていたはず。
ここまで カモメは飛んでこなくなったけど・・・・「渚」の像、洒落ていますね。
- 2017/03/12(日) 11:55:48|
- 都会の景観 Tokyo
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各所で一枚ずつ選んだ。
上野公園

不忍池

湯島天神

本郷三丁目

江戸の昔、ここまでは江戸市内だったそうです。
本郷通りを進み、東大の赤門あたりまで歩こうと思ったけど、
日は暮れたので、本郷三丁目から都営大江戸線に乗り、
大門で浅草線に乗り換え、戸越へ帰還した。
もう少し早く家をでれば、赤門を過ぎ、白山にある菩提寺まで歩けたでしょう。
白山には、彼岸の墓参りに行くことになる。
そのときは、どのルートを歩こうか、思案中。
--------------------------------
この一週間、
小人閑居して、あれやこれや妄想していた。
まだ、試したいことは沢山あるなぁと思う。
カメラ遊びの種、尽きることはない。
ようやく体調は戻りかけてきた。
来週からはカメラぶら下げ散歩再開できるでしょう。
- 2017/03/11(土) 10:50:23|
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上野不忍池を離れ、湯島へ向かう。
春日通りを少し登ると湯島天神の裏門に達する。
神田のほうから入れば表、そちらが正式な参拝だろう。
裏門からでは・・・野暮というもの、それなら、この春日通りを横断し、
横道へ入り、女坂から入るのが「粋」だろうと、足を進める。

女坂入口、知っているひともいます。

この辺りが 一番フォトジェニックだと思うのですが・・・意外と人影は少ない。


起承転結を意識し、写真4枚選んでみました。
- 2017/03/10(金) 12:35:36|
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今月3日の散歩が最後か、何となく体調がすぐれない。
妻まで、小生と同じ症状が出る。
妻はまじめに医者へ行き、診断を受け、
薬を飲んで、ようやく微熱も収まり、回復に向かっている。
歳を取ったのだから、昔ほど病気に対する抵抗力はなくなっているのだろう。
そんな老体が、病院へ行き、待合室で長時間待たされる。
病院は、病気の巣窟。
ありとあらゆる病気が集まってくる。
別の病気に感染する機会が増えるではないか・・・と言い訳。
決して医者嫌いではありません、病院のもつ雰囲気が嫌いなのでしょう。
この程度なら、医者の手を借りず、自分の治癒力で直すべきと言い訳し、
この一週間、静かに静養、外出はない。
お散歩カメラも 停止している。
現像作業は中止、その分、今まで撮影した分の整理が進んでいる。
上野から本郷まで散歩したとき撮影したもの。




起承転結をすこし意識して纏めてみました。
- 2017/03/09(木) 21:25:41|
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新聞や(写真)雑誌などで写真展が開かれていることを知る。
紹介文を読んで、興味を覚えると、
都内なら”のこのこ”と出かけることになるが、期待外れに終わることが多い。
帰ってきて、あれは、結局「よいしょ」記事だったと気づく。(昔風表現では「仲人口」)
展覧会の紹介文だ、誰も 悪くは書かないだろう。

吉祥寺で開かれた、この展示会へ行ってきた。
今回は ある程度期待していた。
なにせ、ドキュメンタリーフォト展、素人サークルの「花鳥風月」写真展ではない。

吉祥寺駅には2年前、森山大道の展示会で降りたことがあるが、会場は駅近くのビルの中にあった。
駅前は東京の街ならごく当たり前の雑踏。なんの変哲も感じない、ごく普通の街という印象を受けた。
今回 来て、街の中を歩くと・・・いい街なんだと 自分の不知を反省、思い込みは駄目ですね。
若い人が多い。それだけで活気を感じる。

最初の会場”Closet"は、行き過ぎてしまった。行きつ戻りつ、うろうろし、ようやく脇道を発見。
会場は民家風建物の二階にあった。
---------------------------------------------
ドキュメンタリーフォトを撮り続けている写真家の合同展。
インドシナ半島での戦乱は、日本が一時占領した地域も含まれている。
無関心ではいられず、ベトナム戦争では、日本からもたくさんの戦場カメラマンが出ていき、何人も亡くなっている。
嘗て、大量のクラスター爆弾が炸裂した村の、「今」を伝える連作写真が展示されていた。
淡々と、「今」を写しているが、それが何らかの形でクラスター爆弾に関係している。
あるいは、関係しているらしい・・・・
いい写真(作品)だと思うが・・・・食い足りないものが残った。
銀色に輝くスプーンが会場に数個置かれていた。
手に取ると意外と軽い。
なんだろう?
不発弾を有効利用しているということが、一つのテーマだろうから・・・
アルミ合金??
壁にはスプーンを作っている職人の写真が架かっている。
また別の写真には、そのスプーンで瓜らしきものをすくい食べている子供の写真もあった。
これは、ドキュメンタリーフォトだろう。
やらせも演出もない日常の光景のはず。
しかし、これでは・・・読めないなぁ・・・・
作者がいたので尋ねた。
「このスプーンの材料は、クラスター爆弾の残骸から持ってきたのですか?」
そのあたりになると、確証はないようだ、「いろいろな部品があるので、その中から取ったのでしょう」という。
鋳込職人の柄杓から流れる金属に光はない。
500℃以下 恐らく300℃程度の温度のはず。
そんな低温で溶ける金属は半田かなぁと思う。
できたスプーンは、白く輝いているので、錫の多い半田だろうか?
もしそうなら、スプーンには鉛が混入している。
長期にわたって使い続けたら、健康被害が出てくるはず。
ドキュメントフォトなら、職人が溶かしている金属の由来を調べ、写真に記録すべきだったろう。
写真に撮らなくても、調べるべきだったと思う。
もし、この金属が純度の高い錫金属で、しっかりとした会社から購入したものなら、
このスプーンにかかわる写真は、テーマとは関係ない 添え物で、
見ている人を欺くことになりはしないだろうか?
ちょっと食い足りない。
いい写真だと思うけど。

二つ目の会場”re:tail”は、徒歩でも3分くらいの近い場所。すぐに分かった。
ドキュメンタリーフォトなら、デジタル・カラーが最適だと思う。
モノトーンにしてしまうと即物性が減り、抽象的になる。
事実をそのままストレートに伝えるなら、デジタル・カラーが好適だろうと思っていた。
しかし、今回 一人 白黒フィルムを使った作品を展示している方がいた。
フィルムで撮影しているので、依怙贔屓しているかも・・・
写真の技量という点からみたら、おそらくこの方が一番いい。
しかし、これがドキュメンタリーフォト??
事実を伝えるのがドキュメンタリーフォトならば、眼前の”被写体first/事実first”であるべき。
しかし、写真には、「俺はこう見る」という 昔で言えば「アレ、ボケ、ブレ」に似たテーストが漂っていた。
これは”me first”の己の独自感を表そうとした写真群ではないだろうか。
これは、ドキュメンタリーフォトというより、森山大道の写真スタイルに似ている。
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森山大道の写真はドキュメンタリーフォトではないと思う。
ザラッとした白黒の対比のきつい画像を印画紙に焼き付けることにより、
当時、1960代から70年代の青年の苛立ちの気持ちと重なり、評価され受け入られた、
日本独特の写真表現だったと思う。
同時代、内藤正敏、平地勲なども似たテーストの写真を発表している。
しかし、両氏の写真は、やはりドキュメンタリーフォトに留まっている。
そこには 対象を冷静に見つめ、対峙し、記録するという視点が備わっていた。(三人称の視点)
森山大道は、写真家には珍しく「読書家」でもある。彼は言葉で語れた、書いたものも面白い。
「写真は現実のコピーに過ぎない」という言葉を武器に、
コピーに過ぎない写真で、己の苛立たしさを、現実を変えられない若者の苛立ちに、Provokeしていたのだろう。
現実のコピーに過ぎないはずのネガを、白黒のコントラストを高めて印画紙に焼き付ける。
暗室で格闘し出来た写真は、当時、撮る写真でなく、作る写真と評された。
それが彼の言う「写真は現実のコピーに過ぎない」という写真の実態。(結局は一人称の視点)
時代にうねりがあるすれば、この”me”の視点で印画紙に焼き付ける行為は、
変わりゆく日本の感性の、その底流にさざ波を起こしたのだろう。
若者の心を虜にし、受け入れられた。
(小生は/も)、日本発の最初の写真表現として、高く評価している。
内藤正敏、平地勲 今どうなっているのだろう?
両氏のほうがドキュメンタリーフォトに近い作品を出している。
写真写真家としていい仕事をしたと思うが・・・
平地の「温泉芸者」は、ちゃんとした記録になっているし、インパクトもある。
東北の風習を記録した内藤の作品、客観的記録/資料になる。
両氏の作品展、再び どこか(東京)で 行われないものだろうか?
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フィルムで撮っている方、カメラアイ、撮影技術 大変高いものがあると感心しましたが・・・・
これ、ドキュメンタリーフォト??だろうかという疑問が残った。

吉祥寺の街は、戸越の街と違って「文化」の香りがする。
こういう店は一軒もない。小さな子供が熱心に絵を見ている。大人が画を品定めし、手を延ばす。
画や写真を展示するギャラリーも、そこかしこに点在する。
いいところだと思うけど・・・・住むなら馴染の戸越かなぁ。(老人なもので急激な変化に耐えられない)

3番目の会場は、井之頭公園の池のはずれにあった。
話してみると、皆さんまじめ。
1960年台に会った、「こいつ変、写真を舐めているのか」と思えるカメラマンの卵とは、雲泥の差。
しっかりしている。
しかし、対象の力強さ(Provokeするものがある)が、
写真の力強さに直結すると思ってカメラを向けている節もあり、物足りなさを感じた。
これでは戦後の一時期流行った、「絶対非演出の絶対スナップ」の「乞食写真」になってしまうと、辛口のコメントの一つも言いたくなるが、
三つの会場を回り考えたのは、まだ、捨てたものではないなぁと、ほっとしたこと。
着実に、デジタルをこなし、写真を撮っている人が育っている。
ドキュメンタリーフォトは 儲かる分野の仕事ではない。生活は大変だろう。
それでも続けていこうとする若者(小生からみたら若者)がいるだけでも、心が熱くなる。
「腹に一物、心に志」がないと続けられるものではない。
皆さんのこれからの仕事・・・期待しています。
期待を上回る展示会だった。
来年も開催されたら、必ず 見に行く。
その時は、もっと辛口のコメントを、若手の写真家にぶつけるつもり、応援のエールとして。
- 2017/03/08(水) 15:42:40|
- 散歩
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それほど欲しいカメラがあるわけではない。
あったとしても、ぶらぶら遊んでいる身、先立つものもない。
それでも 通知が届けば見にいく。

新宿のアルプス堂・・・216万円のライカM3!! 手が出るはずもない。
でも、欲しい人はいる。
購入したとしても、フィルムを詰め、撮影に使うことはないだろう。
防湿棚、あるいは応接の飾り棚に置いて、眺める。
所有しているだけで満足できるなんて、なんと幸福な人だろうか。

地下鉄で銀座へ、地上に出ると 銀座通りは歩行者天国になっていた。


外国の方だろう。いまはスマホがあれば道に迷わないのだろう。
熱心に、スマホを見つめている。ポケモンGOではないと思うけど。

銀座通り、シックで綺麗な女性、外国のフォトジェニックな人も 多く歩いているが、
この方が一番、存在感のある方だった。20mくらい前にいるときから注目していた。
綺麗なお姉さんより、この人に眼がいく。
思わず追っかけ? ストカーと間違われてしまいますね。
そんなことはできません。
さっと、すれ違いざま、秒撮させていただきました。
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カメラを持ち上げ、ファインダーで確認したらすぐにシャッターを切り、
何ごともなかったようカメラを下げる。
その間 1,2秒。
スナップ写真を見れば、どの高さで撮影されたものかは ほぼわかるものです。
腰の位置から撮ったなと判れば、対象に気づかれないよう、
ノーファインダーで撮ったのだろうと。
ファインダーに眼をやろうとも、盗撮は盗撮だろうと言われれば それまでだが、
一応 撮りますよという 合図にはなっている。
現像後、ネガを拡大し、鋭い目でカメラを見る人が写っているカットは、没にするようにはしています。
カメラを下げ 知らぬ顔してノーファインダー撮影するよりも 少しは盗撮感が下がる。
雑踏に立てば、スマホで 仲間同士 撮り合っているのも見かけるので、
その中に紛れれば、街撮りスナップ 至極簡単だろう。
しかし、手軽なだけに、撮った人の視線/工夫を感じなくなっている。
簡単に綺麗に/意図したように撮れてしまうので、それで満足してしまうのだろうか?
手慣れているが、ありきたりのうまさでは・・・・
対象の仕草をしっかりと見つめているだろうか?と危惧してしまう。
フィルム時代のプロの眼は鋭かったと思う。
所作を見抜き、予想し、カメラを構え、その少ないチャンスを切り取っていた。
簡便になると、技能の低下を招くのかもしれません。
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「世界の中古カメラ市」 例年見ている。
めぼしいものなど あるはずもないと思いながら、
それほど広くない会場にも関わらず2時間も滞在してしまった。
できれば ContaxⅠについていたゾナー50mm F:1.5のレンズを探し出したい。
そして、それが もし安かったら・・・・心 惹かれて 購入しちゃうかも。
驚いたことに 未だ使えるContaxⅠ(通称ブラコン:ブラックコンタックス)を飾っている店が3軒あった。
しかし、ついているレンズはいずれもテッサーだった。
ブラコン時代の50mm F:1.5ゾナーはないか聞いたが どの店もないという。
露光計が壊れたオリンパスPenが微妙に高い値で出ていた。
完動品なら一万円、ジャンクなら500円でも高い。
露光計以外は動くので、自分で絞りやシャッターをセットできる人なら使えるという・・・・
ちょっと心が動きましたが・・・パス。
ライカLマウント用 Summitar 50mm F:2 興味があったのでみせてもらった。
おそらく戦前作られたもの。円形絞で珍しい・・・が、コーテングされている。
戦後になって後コートしたものでしょう。
コーテングまでして、最初の持ち主は大事に扱っていたと思います。
しかしその後、手を離れ、長い間 使われていない。
コレクターと店の棚の間を往復していたのかもしれません。
グリースが硬くなり絞リングが回しづらい。
購入し 救ってあげたいと思ったけど・・・・ごめんなさい。ちょっと高い。
1960年以前のレンズには 手作りした職人と、それを買い求めたカメラ愛好家の
情念が詰まっているような気がしています。
古いレンズは隙だらけ、職人手作りの品なので、同じレンズでも出来不出来がある。
それが、使う人の不完全さと共鳴するのではないでしょうか。
なんとなく レンズに温かみを感じちゃう、非科学的ですが・・・・
- 2017/03/07(火) 15:11:38|
- 都会の景観 Tokyo
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熱は下がり、平熱に戻ったが、まだ、喉に痛みが残っている。
そしたら、妻の具合が悪くなってしまった。
症状は数日前の小生に似る。
そろそろ 老々介護の時代になってきたのかも・・・・
今日も 外出は控えることになるだろう。
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面白いなぁと思う場面に出くわせば、
シャッターを切ることはあるけれど、それは稀なこと。
見慣れた場所を散歩すれば、平々凡々驚くような対象に出会うことはまずない。
それでも シャッターを切っている。
対象の凄さが、写真の凄さだろうか?
対象の美しさが、写真の美しさに直結するだろうか?
そうは思わない自分がいる。
妙齢の美人を撮影し悦にいっている人はいる。
だれが撮っても綺麗な人は綺麗に写る、特にこの頃のデジカメなら。
いいなぁと評価するのは、写真の美しさではなく、対象の美しさに心を奪われているだけだろうと思う。
対象におんぶに抱っこで撮らせてもらって それが写真の美しさか?
写真をなめるなよ・・・と悪態をつく。老齢になり切れやすくなっています。
平々凡々な日常生活の中に、新たな視点、新たな驚き、新たな美しさを発見し、
記録するのが小生の「お散歩カメラ」だと思っている。
この方向で進むか・・・・今年撮った写真を整理しながら、そんなことを考えている。

普通に現像したら、見慣れた変哲もない、ありきたりの写真になる。
(Ⅰ)液と(Ⅱ)液を使用し、二段現像法で、ソラリゼーション風現像を行っている。
現像のさせ方でトーンは変わる、そして分かる、フィルムにはこのような光景が見えていたことを。
切り貼り、合成なしのストレートフォットです。
- 2017/03/06(月) 11:49:13|
- フィルムの眼
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この日の散歩が良くなかったのか、夕食のときから どうも冴えない。
微熱がある。寝ていろと 妻には言われるが・・・・
部屋を暖かくし、今まで撮った写真を 静かに整理することにした。

泉岳寺に行こうと道を曲がった瞬間、
目の前にその姿があるとは・・・・
テレビのニュースでは見たことがある。
来日した外国の方に人気とか。
日本人のようにも思えますが、おそらく 香港か台湾の方でしょう。
乗りがいい。 すぐに気づいてピースサイン。
その後の新聞では 任天堂が権利侵害の訴えをしたとの報道があったけど、解決したのでしょうか。
車体は、マリオ・カートではなく、Mari Carの文字になっている。
コスプレは、日本発信の文化の一つ。
来日ついでに楽しんでいるとしたら、規制するのもどうかなと 思う。
後ろに大きなダンプカー、
新聞やニュースを見ている人なら、
今 この近くで何が行われれているか、想像つきますよね。
こんな写真も、撮りますよ、機会があれば。
- 2017/03/05(日) 12:37:34|
- 都会の景観 Tokyo
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これは 広角レンズで迫って/近づいて写すものだろう。

そして、余分なものは排除する。
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一昨日から、喉がむづ痒く、頭がボーとする。
花粉症にやられたらしい。
クラッシック・カメラ展や、吉祥寺で開催されたドキュメント写真展、そして上野から本郷までと
毎日のように出掛けたのが、いけなかったか?
今日は MonochromeXⅣ展 最終日だった。
いくつもりだったが、少し熱があったので、取りやめた。
残念なことをしたと思う。
良質なモノトーン写真を見ると、ホッとする。
いい機会を失ってしまった。
- 2017/03/04(土) 22:05:57|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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早春の明るい枯野を撮影。

苛立たしくも怪しげなトーンは、(Ⅳo)現像液だから出せたと思う。
- 2017/03/03(金) 08:59:23|
- フィルムの眼
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年年歳歳花相似 歳歳年年人不同
花は毎年美しく咲けど、
それを観る人は同じというわけでもない。
しかし、毎年撮っていたので、もう厭きた。
花相似の写真を撮るのは・・・気が引ける。
あと何回梅を撮ることができるだろう?
数回が限界。
それならば、美しい梅より、不気味な梅を撮りたいもの。
人は変わり、ついには老醜をさらす、
(お前も)「相似ず、不同であれ」と、梅に向かって悪態を吐いていた。




このアングルの梅は 何枚も撮影。
現像液も替え、いろいろ試したが・・・・梅の妖しさは捉えきれなかった。

また来年・・・挑戦してみる。
生きていれば。
- 2017/03/02(木) 10:19:34|
- 樹、草、花
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