有楽町に出たとき撮影した写真。
その中から選んだ4枚。




起承転結を意識して並べたつもりです・・・・
夕暮れの有楽町の空気感、記録/表現できたでしょうか?
次は いよいよ夜の有楽町でしょうね。
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- 2016/11/30(水) 17:36:42|
- 都会の景観 Tokyo
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専門は化学だったので、思わず現像液の開発にのめり込み、
気が付いたら100フィート巻き一缶を使い切ってしまった。
そろそろ 通常の「散歩にカメラ」に戻らねば・・・と思っている。
あと、ソラリゼーション条件と増感現像条件をつかむ必要があるけど・・・・
いずれにしろ必要なので、100フィート缶 一缶注文を出した。
現像実験にのめり込んだので、「散歩にカメラ」の写真は少ない。
探したら 旗の台から西小山辺りを散歩したときのネガがあった。
現像は(Ⅰ)液で行っている。

ポケモンGOでしょうか?

お寺の境内、定番のフレーミングです。

空を出そうとすれば、階段(暗がり)のディテールは失われる。
本来、空に露光を合わせ、暗い所は潔く黒く潰したほうが良いのでしょうが・・・・
それができない性分です。どっちつかずの露光を選んでいます。

順光で狙う被写体ではないのですが・・・樹が何か叫んでいるように感じ、撮ってみました。
「これ 撮ったら どう写るだろう?」
そんな気持ちです。
- 2016/11/29(火) 19:02:02|
- 散歩
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散歩にカメラの生活なので、
人物写真を撮ることは稀。
ポートレイト写真を撮るとなると、
モデルなってくれる人を探さないと・・・・
胡散臭くてはだめだろう。人当たりが良くないと・・・
和んだ雰囲気を醸し出すには、話術も必要だ。
モデルになることを承諾してくれた人にとっても、
キャッチーな写真を期待しているに違いない。
どうすれば、キャッチーな写真になるか モデルも意識する。
写真誌に載っているようなポーズを真似る。
写真を撮る人も それに答えないわけにいかない。
ある意味でなれ合い、なんの新しさもない。
プロの宣伝写真なら、そうせざるを得ないが、
アマチュアまで 真似てどうなる?
そんな写真、撮りたいか?と自問する。
撮る人と撮られる人の演出かと思うと、写真に嘘くささを感じてしまう。
小生の悪い癖、無理だね、
キャッチーで美しい人物写真を撮ろうと思っていない。
それに、それ以上に胡散臭い老人だし、
話し出すと小難しいことばかり、煙たいだけ。
でも、肌の質感を撮ってみたい気持ちはある。
あれ撮ったらどう撮れるだろう??
ダイエット中の例の女性を思い出した。
その後、連絡はない。
唯一思い当たるのは この人しかいない。
メールし、テスト撮影をさせてくれないかと 頼んだ。
OKの返事があったが、時間はあまりとれないという。
25日 金曜の午後3時過ぎ 都内の公園で会い、
撮影の協力してもらった。
陽が蔭るまで1時間程度しかない。
12枚撮りのフィルム4本を持っていき、テスト撮影をした。
(Ⅰ)液で現像した。

散歩にカメラだと 光は逆光から半逆光で撮ることが多い。
今回はポートレート(肌の調子)を知りたかったので、順光で撮影。

Retro400Sフィルムを使用するなら、フィルターは UV,Y2,YGフィルターくらいまでだろう。Y2,YGと 肌の色が明るく(白く)なるが、全体のコントラストも高くなる。R72フィルターだと、肌の部分の銀塩濃度、極端に載ってしまった。(露光をもっと切り詰めるべきだった。)豊かなグラデーションを狙うなら、フィルター無し(あるいはUV)がいいのかも。
これは(Ⅰ)液を使用したソラリゼーション現像。
Tri-X用に使っていた現像液で、現像すればよかった。
ソラリゼーション条件は、以前 その液で作ったものを、
(Ⅰ)液に当て嵌めて使ったが、だいぶ銀塩の載ったネガになってしまった。

銀塩の載りがいいので ザッラとした銀粒子が出てしまった。

ソラリゼーション現像は 予想不可能なところがある。
それが面白いのだが、ちょっとした露光の差で、陽画になったり、陰画になったり。

(Ⅰ)液を使ったソラリゼーション現像条件は、
改めてもう一度検討してみるつもりである。
(Ⅰ)+(Ⅱ)液による二段現像。
条件は(Ⅰ)<(Ⅱ)。
現像液による疑似的なソラリゼーション現像を行っている。(Chemical Solarization )

露光の加減と、現像液の切り替えのタイミングで、ネガの調子は大幅に変化する。
テカったような肌の調子も面白い。(モデルになってくれた人には申し訳ないが・・・)

露光の少しの差で、現像結果は違った印象になる。
右の植え込みに少しソラリゼーション風テーストが出ていた。
(Ⅳo)液で現像。
この現像液も じゃじゃ馬。ちょっとした差で結果が違ってしまう。

比較的、綺麗に仕上がった。

同じ(Ⅳo)液でも、フィルターを替え、露光が異なると、違ったトーンになる。
綺麗な画像とは言えないが、右の植え込みの部分、暗い所はソラリゼーションしたようなトーンに仕上がていた。
R72フィルターと(Ⅳo)の組み合わせ、制御できない面白さがある。
グラデーションの美しい写真を撮りたいなら、UV、Y2フィルター。
美しさより、意外性を 追及したかったら、R60とかR72フィルター。
暇人にはR60,R72がお似合いだろう。
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テストということで頼んだので、顔の部分はトリミングした。
いつもは 撮った写真から、当人が喜びそうな写真を選んでプリントし、渡すのだが・・・
当人が満足しそうな写真はない。
むしろ 怒り出すだろう。
だから、
「あれは、テスト、研究用です。
プリントしてお渡しできるレベルものではありません。」
と断っておこう。
- 2016/11/27(日) 16:24:05|
- 写真の技法
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時々 近くの区立図書館へ行く。
ついでに 棚に置いてあるアサヒカメラを拾い読みする。
春の頃の号だったか、土門拳のお弟子さんが、連載で、師匠の思い出話を載せていた。
昭和30年代、土門拳は奈良の仏教寺院を撮影していた。
あらかたの撮影が終了し、帰り支度をしていると、
師匠は急にあの塔の法輪を撮影したいという。
レンズ、絞、シャッター速度を指定する。
もう、陽が落ち 空の光は乏しい、無理と思ったが、
弟子たちは(しぶしぶ)支度をほどき、
カメラをセットする。
さすがに暗いと思たのか、
師は「XX秒 露光を延ばせ」という。
撮影が終わると、契約していたカメラ店で現像。
後日、現像結果を報告したが、「やっぱり、駄目だったか」の一言。
カメラという機械は扱いにくかった。
何度も失敗し、
カメラを飼いならし、
カメラに飼いならされながら、
独自の表現手段を獲得していった。
こんな工夫を施せば、こう写るのか・・・・そんな驚きが 時々起こる。
だから、
「あれ、写真に撮ったらどう写るだろう?」と
土門拳にしても、好奇心を働かせたのだろう。
これが、プリミティヴな写真撮影の動機だと思う。
それから50年以上の時は流れ、
今は デジタルの時代。
土門拳の撮れなかった夕景の法輪の写真なら、
素人でも、少しの意欲と財力があれば撮ることは可能だ。
高価なデジタルカメラと高性能レンズ、がっちりした三脚を揃えればいい。
今、アサヒカメラに載せられた写真を見ていると、
40年ほど前、愛読したころと あまり変わり映えしない写真が並んでいる。
停滞しているなぁと思う。
確かに、画質はよくなったが、独自性は欠いている。
カメラが勝手に綺麗に撮ってくれるので、
意欲を燃やそうにも、燃やしようがないのか・・・・
カメラに飼いならされているのかも。
如何にいいネガを作るか、習熟が必要な技能を 説明する記事はなくなり、
カメラメーカーの手先のような写真家の記事が載る。
このレンズは 神のレンズだ。
このカメラは優れている・・・と購買意欲をそそる。
その分 写真の構図(フレーミング)に、神経質なくらいうるさくなっている。
ノートリが写真の基本、カットし画面を調整するのは最後の救済
せいぜい面積で10%くらいのカットにとどめるべきという。
本当にそうなのだろうか?
表現したいものが、適切なら どんなトリミングもOKだろうと思うのだが。
誰も見向きもしなくなった枯れた紫陽花を撮影し、(Ⅳo)液を使用し、現像法をいろいろ試しています。




デジタル写真上級者ではないので、バンバン、トリミングしています。
- 2016/11/24(木) 22:10:09|
- 写真の技法
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19世紀末 少年スタイケンは 母親にコダックのカメラを買ってもらう。
50枚撮りだったらしい。撮り終わるとコダックへ郵送する。
すると現像し、プリントして返してくれる。
有名なキャッチコピー
「貴方はボタンを押すだけ、後はコダックにお任せ」
で知られるボックスカメラである。
しかし、クリアーと評価され返送された写真は一枚だけ。
あとは 露光が過度か、あるいは不足して、印画紙に焼き付けられない。
父親は「一枚きりか」と嘆息し、
母は「一枚でも、素敵に撮れている」と励ます。
スタイケンは 写真に魅了される。
撮れているということに感動したのだろう。
アメリカの田舎では、写真の情報は乏しいが、
家の納戸に暗室を作り、見よう見まねで、フィルムの現像をするようになる。
写真を撮るという行為に惹かれたのは何だったのだろう?と思う。
スタイケンと、同じようなものかも。
あ面白いと思った光景を そのまま記録してくれる。
小学生のころ買ってもらったスタートカメラ。
50枚撮って1枚ということはなかった。
祖父から、明るい外でないと撮れないよと 注意されていた。
写真屋から返ってくる写真に、やったーと思った。
高校になると、化学実験室の片隅を陣取り、
暗く覆い、実験と称し
ブローニーフィルム(マミヤ6で撮影したもの)を現像し、
印画紙に密着で焼き付けてみた。
沢山の失敗と、一枚の成功。
赤いランプの下、
バットの中で映像が浮かび上がってくるのは・・・やはり感動ものだった。
これが 写真だよなぁと思う。
一枚の写真を手にしたとき、
この写真を作るのに、
カメラと人間 どのような比率で関与しているだろうとおもう。
写真が湿式で撮影された当時、
レンズはレンズメーカーから購入するも、
カメラ本体は、家具職人(指物師)に作ってもらう。
必要な薬品、資材を買い求め、
コロジオン液を調整し、硝子板に塗布する。
感光剤の組成は、カメラを操作する人に任され、秘密のノウハウとなる。
塗布のうまい下手も 撮影者の責任。
乾かないうちにカメラにセットしてシャッターを切り、
直ちに現像する。
できたネガ硝子板は、鶏卵紙に密着させ、焼き付け、現像、定着、水洗、乾燥・・・・
一枚の写真を得るための寄与率は、撮影者(人間)が主、カメラは従だった。
それが乾板の発明により工場生産され、更にコダックがフィルムを販売するようになる。
映画の35mmフィルムを利用したライカカメラが発明され市販されると、
一気に 写真は使われ始める。
この辺りで 機械(カメラとフィルム)と人間の寄与率は 50:50くらいになったのではないだろうか。
1960年代の後半からカメラの電子化が始まる。
露光の自動化(AE)は、決定的。
誰もが写真を撮れる時代に入る。
ベトナム戦争、学園紛争、ヒッピーの群れ、
大量消費時代に突入し、映像、コマーシャルの需要は拡大する。
一眼レフを手に入れ、
「俺は、カメラマン」と宣言すれば、カメラマンになれる時代が出現する。
一枚の写真の人間の寄与率は下がり20%くらいだろう。カメラが主の時代に入る。
一時代前なら、訓練を積んだ手練れのカメラマンしか撮れなかった写真が、
カメラの高性能化で、駆け出しの新人でも可能になる。
現在は デジタルカメラの時代。
人間の寄与率は もっと低下しているだろう。
5%くらいではないだろうか?
撮影のほとんど全ては、デジタルカメラのほうで処理してくれる。
近い将来 デジタルカメラは 更にAI化され、
人工頭脳が カメラマンの意志・意向を察知し、自動で撮影をするようになるだろう。
そのとき 人間の寄与率は1%以下なのだろうなぁ・・・と想像している。
人間と機械(カメラ)が50:50の純機械式フィルムカメラが、
小生の性に合っているようです。
負けもしないが、勝ちもできない、このバランスがいい。
いま、(Ⅳo)現像をものにしようと 練習中。
露光、現像時間、現像の仕方で 同じフィルム、同じ現像液(Ⅳo)を使っても、トーンの調子は、変わります。
撮影者の裁量に任せてもらえる部分が多いのは、面白い。




これ、写真で撮ったら どう写るだろう?
想像し、工夫し、撮影してみる。
そのわくわく感が原点だった。
カメラにお任せで撮れたら このわくわく感は失せてしまうだろう。
- 2016/11/21(月) 23:59:55|
- 写真の技法
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夕刻 品川区役所前の中央公園を散歩した。




組み写真というのがある。
2枚、3枚など、写真の枚数は少ない。
おそらく 最大でも7枚程度だろう。
日本独自のものかもしれない。
複数枚の写真で 撮影者の意図を 表現する形式のようだが、
小生、そこのところがよくわからない。
例えば、3.11の津波の被害を伝える写真なら、
沢山の人が撮った映像をアーカイブとして集め、
保存することになる。
写真の記録は無記名、誰がとろうが 記録は記録。
俺が撮った「3.11の記録」と作者性を主張はできない。
目の前にあるものは、記録されるため存在しているわけではない。
写真に撮られるため「3.11」が存在したわけでもない。
まして、撮影した本人を有名にするため存在したわけではないだろう。
作者の個性など、どれだけの意味がある?
事実の方がずっと重要だろう。
「俺が(私が、ある組織が)、知らせたくて撮った。」など云ってくれるなと思う。
記録はanonymous(匿名)のものであるべき。
匿名性が失せると、写真はプロパガンダに近づいてしまう。
何枚かの写真を組んで 一つの表現としたのは、
おそらく 複数枚の写真で事実を拡散し(ぼやかし)、狙いを浮かび上がらせ、
自分の個性/見識はここにあると認めさせようという (悪)あがきなのだろう。
しかし写真は、いつも撮ったカメラマンを超える。
写真を見る人が 写真を勝手に解釈し、評価する。
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大した写真でもないけど・・・・
「起承転結」になるよう意識して 写真を選んでみた。
このようなものでも「組み写真」??
晩秋の夕暮れ時の中央公園の「場」の雰囲気を意識して撮っていたことは確かだけれど・・・・
- 2016/11/19(土) 12:48:44|
- 散歩
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3年ほど前、
ブラッサイの「夜のパリ」のような夜の写真を撮りたいと、
試したことがある。
しかし、撮ってはみたが、とても及ばない。
自分の技術の拙さを棚に上げ、
35mmのフィルムカメラでは無理だろうと結論付けていた。
大型カメラ4×5(しのご) あるいは8×10(エイトバイテン)で、
昔の銀濃度の高いフィルムでないと、表現できない・・・・それが、その時の、悔し紛れの言い訳。
たまたま 人に会う約束があり、池袋へ行った。
別れて店の外に出ると、小雨が降っていた。

自動車のライトに照らされた舗道の輝きが美しい。
持っていたカメラで撮影していた。
撮ったのはこの一枚だけ。
(Ⅳo)現像液のテスト用に、短く切ったフィルムがカメラに入っていた。
これは2番目の現像条件(操作)で現像したもの。
(一つ前のブログ「休日の午後」と同じネガフィルム、15カット撮れた中の一枚)
露光は一絞り不足していたが、暗い部分も潰れず、黒も引き締まっている。
このようなトーン、今まではなかなか出せなかった。
足の有るフィルムなのかもしれない。
Night in Tokyo できるかも・・・・
- 2016/11/17(木) 13:05:46|
- Night walk in Tokyo
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昨日は日曜日だった。
毎日が日曜の身にとっては、
格別の日ではないが、
午後カメラを持って散歩すると、
中央公園に人がたくさん集まっていた。
勤め人、学校に通う人にとっては大事な休日。
何の催し物かと会場に入る。

時刻は2時過ぎ、
時たま雲の間から晩秋の弱い陽が射してくる。
風もなく、意外と暖かい。

列に並ぼうと行く人達、
束ねた長い髪を揺らし歩いて来る少女、
わが子の手をとり、夫婦が近づいてくる。
遠くに新幹線の列車が走っていくのは意識していた。
あと0.2秒で新幹線の先端(実は後ろだが)が見えると思いながら、
それでは人の配置が崩れる・・・・とシャッターをきっていた。
久しぶりのスナップ写真。
ファインダーを覗き、シャッターを切るまで2秒とかかっていないだろう。
盗み撮りはしたくないが、
この場の雰囲気を演出なしで そのまま記録しておきたいという気持ちが強い。
顔がはっきりと写り、個人の特定ができるかもしれないが、
その人の尊厳を傷つけるものにならないよう、注意はしているつもりでいる。
お許しあれ。

噴水にピントを合わせ、フレーミング。
お父さんと、幼児(女の子)が、水場に近づく。
構図を決めて撮ろうとした瞬間、
右から白っぽいジャンパーを着た人が、入ってしまった。
こんな失敗は、多い。

これも秒撮。
絞り、シャッター速度、距離を予想し、予め設定しておく。
被写体の所作を見定め、良しと思った瞬間、
ファインダーを覗き、構図を確認し、直ちにシャッターを切る。
すぐにカメラを下げ、何ごともないと、歩いていく・・・・・
やはり盗撮かなぁ。
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帰宅したら すぐにフィルムを現像する。
長巻を切って使っているので、
長さを加減し、15枚撮りになっています。
(Ⅳo)現像液を使用しました。
これまでと違うトーンになる。
非常に使いにくいが、
面白い。
- 2016/11/14(月) 18:23:13|
- 散歩
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神田へ 現像で使う器具(小物)を買いに行った。
その帰り、銀座通りを新橋に向かい歩いた。

神田駅前、ビルの窓に映る中央線の電車。

地下鉄、新日本橋近く。


日本橋三越近くの福徳神社。
銀座通りから少し入るが、再開発されたのか、綺麗な一角になっていた。

お江戸、日本橋です。
上を走るのは、東京オリンピックの時作られた首都高速道路。
一度 作ってしまうと、あとで作り替えるのは、難しくなる。
成長する東京を示すレガシー(遺産)か、負の遺産か?
いま 次回のオリンピックのため、
箱モノを作りたい人が、
DeepPocket の東京都の資金を当てに、
レガシー、レガシーと、連呼しています。
配下の有名アスリートを動員などして、運動しているが、
恥ずかしくないのかねぇ?(JOCが出すならOK、御随意にだけど)
「世界平和」なる言葉は、誰からも出てこない。
必要だ、必要だと叫ぶばかり。
アスリートのための会場を東京に建設し、
それが、「世界平和」の発展に如何に貢献する拠点になるのかの説明を、
聞きたいのだが・・・
もともと オリンピックは ユーロッパの貴族が始めたもの。
戦争の代わりに運動競技を行えば、闘争心が収まり、
仲良くなれるだろうという理念だった。
出発点は、世界の平和を希求したもの。
当初、大会の運営で足りない資金は、その貴族たちが負担したという。
ボランティア団体のようなもののはず。
いまは、その理念は薄れ、単なる興行に近い。
ボランティア団体が、(民間の)プロモーターになったのだろう。
世界的なエンターテイメント、莫大な資金が動く。
お金が動けば、様々な思惑が走る。
かくして、オリンピック貴族が生まれてしまった。
legacy には先人が残した遺産というポジティブな意味と、
時代遅れ という負の意味もある。
オリンピックは、すでに時代遅れになってはいまいか?
こんなこと続けていたら、開催都市はなくなってしまう。
- 2016/11/11(金) 12:08:28|
- 都会の景観 Tokyo
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中古のストロボが手に入ったので、使用して問題ないかテスト撮影を行った。
テスト撮影は、いつもの戸越公園。

レンズにR72フィルターを付け、ストロボ照射で撮影。
現像には、今後常用するつもりの(Ⅰ)現像液を使用した。
晩秋まで残った紫陽花は褪色し黄変を始めている。
見たときの印象と全く異なる。
普通では、こうは写らない。
(Ⅳo)現像に近いトーンになった。
葉の輝きが ちょっと不気味。
R72+ストロボの効果だろう。

100mm~200mmくらいの望遠レンズで、鴨一羽を切り取ったら迫力ある写真になるかも・・・
白黒のコントラストが強調できている。

テスト撮影に いつも撮っている樹の根の写真。
(Ⅳo)現像に似たトーンだが、このほうが 小生の好み。
- 2016/11/09(水) 18:19:35|
- 写真の技法
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現像液の開発もほぼ終了したので、
以前から撮りたいと思っていた鯉を撮りに洗足池へいく。
綺麗な鯉の写真は撮りたくない。
底なしの沼から上がってきた、薄気味のわるい、ヌッメとした質感の鯉を撮りたい。
去年の撮影ではTri-Xフィルムを使い、PLフィルターとストロボ(KakoEliteⅡ)を使用した。
PLフィルターとストロボを使うが、
今回はRetro400Sフィルムと開発した現像手法がある。

去年使用したストロボは ついに壊れてしまった。
発光管のキセノンランプの問題ではなく、
おそらくコンデンサーの劣化(絶縁不良)だろうと思う。
乾電池の電気がすぐ消耗、ランプが赤く点灯しなくなった。
今回使用したのは、多灯発光のサブストロボに使用していたKakoElite-L。
予備品の扱いだったので、あまり使用していなかった。
ガイドナンバーはほぼ同じもの(GN:32 ISO:100)。
杭の位置まで3m弱、PLフィルターを取り付けると2絞りほど開ける必要があっても、
単純に計算すると絞りf:11で適正露光になるはず。
しかし、池の鯉の撮影では、光は底なしの沼に吸収され、僅かな光しか戻ってこない。
それでは 光が不足。
去年の撮影で f:5.6前後で撮影できることは確認していた。
さらに二絞り 開けて撮影する必要がある。
現像液(Ⅰ)を使用して現像した。
白い鯉に対しては、露光は過度だが、
普通の黒い鯉に対しては若干、露光不足気味だった。

鯉まで3mあったので 絞りをf:2.8に開けて撮影。
集団となり、密集し、のたうち回る鯉は、なぜか不気味。
肉眼で見たときの印象と、大きく異なる。

(Ⅳ)オリジナル現像液で、現像した。(Ⅳo)
(Ⅰ)現像液より 階調性は省略される、その分白黒の対比は明快になり、暗い鱗の紋様がくっきりと出る。
底なしの沼から浮き上がてきた・・・・か?

もう少し、鱗に光が欲しい。
ストロボ光の当て方に工夫が必要だろう。

(Ⅰ)+(Ⅱ)の 二段現像を行った。
肉眼でみたものと異質。
でも、これもカメラの眼を通してみた現実。
レタッチソフトで切り貼りして作ったものではありません。
でも、ストレート・フォト??
この現像法で、得体のしれない鯉を 追っかけるのもいいかもしれない。
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池の鯉、意外と撮影は難し。
露光 一絞りの違いで、結果に大きな差が出る。
ストロボがKakoElite-L一台になった。
多灯シンクロしたくて 1960年半ばころ3台揃えたものの最後のストロボになってしまった。
ガイドナンバー(GN)は固定、光量の調整は 白いハンカチを被せること。
GNで計算した絞りを、部屋の周りの反射を考え、補正して決め、一発勝負で撮影していた。
光量を調整してくれるオート・ストロボは1970年代になってからだろう。
Nikon FやNikon SP用の純機械式カメラ用ストロボは、もはや 市販されていないようだ。
散歩がてら、目黒の三宝カメラまでいったが デジタル用ストロボの中古品はあったが、
純機械式カメラ用ストロボはなかった。
新宿の中古カメラ店にでも行かないと 見つからないかなぁ?と思案していたら、
ヤオフクがある・・・・と気づく。
早速インターネット・オークションへ入り探した。
沢山 出品されている。
探しに行く手間は省けるが、ジャンク品をつかまされる危険も大きい。
注意深く 商品説明を読み、大丈夫そうな出品者のストロボを落札した。
値段は、町の中古ショップで買うのと変わらない値段になっていた。
届いた(落札)ストロボは1980年代のストロボだった。
30年くらい前の製品、あと10年間は使えるだろうと・・・・希望的に考えている。
それだけあれば充分だ。
しかも、自動調光、オート・ストロボ!! ストロボ・ヘッドも動く!、
GNから計算することも、周囲の反射を気にし、絞を補正する必要もないだろう。
これ、池の鯉を撮影するには・・・・最適では。
テスト撮影し、使えるようだったら・・・・洗足池の鯉ですね。
- 2016/11/06(日) 11:19:57|
- 水辺の光景
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また一つ、ストロボが壊れてしまった。
40年近く使ったから、壊れるのも致し方ないだろう。
最後に残ったのは、グリップタイプのKakoElite-L 一台のみ。
40年以上使っているが、使用頻度は少ないので、まだもつだろう。
ISO:100でガイドナンバーは32 比較的大きな光量をもつ。

レンジファインダーカメラで近づける限界近くまで寄っているので、被写体まで1m程度だろう。
ガイドナンバーから計算すると、絞値はf:32~f:45辺りが適正露光になる。
しかし、Summicronの最少絞りはF:16、エイヤァとf:16でシャッターを切り、Ⅳオリジナル現像し、濃いネガを得た。
全体を焼きこんでみたら、黒の締まった面白い写真になっていた。

距離から計算するとf:32が適正。これもf:16で撮影し、全体を焼きこんだ。
雨に濡れているわけではない。
樹の幹は、むしろカサカサに乾いている。
想像していたのと全く異なる材質感が出ていた。

有楽町にでたとき、ストロボを買おうと、ビッグカメラに入った。
カメラ量販店というより家電量販店になっている。
カメラを扱うフロアーも、地下2階に押し込まれていた。
デジタルカメラ自体、活気を失っているのかも。
スマホやタブレットで充分ということだろうか。
小生の使っている機械式カメラに合うストロボを探したが、見つからない。
係り員に尋ねたが、要領をえない返答。
カメラに使う用語も変わってしまった。
今は、デジタルカメラに直結し、様々なコントーロールができるらしい。
そのため、カメラメーカーごとの専用ストロボになるらしい。
多灯シンクロさせたいのだが、機械式時代のスレーブは、電圧の関係で、
デジタルカメラを壊す可能性や、ストロボを発光させない可能性もあると脅かされた。
まだ、もう少し、Nikon SPやNikon Fを使い続けたい。
外付けの、シンクロコードでつなぐストロボ・・・・中古品でも探すより 致し方ないかなぁ。
- 2016/11/02(水) 14:37:50|
- 写真の技法
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この2ヶ月近く、Retro400Sフィルムの現像液を検討してきた。
現像液組成が決まるごとにテスト撮影を行い、現像し、効果を確認した。
そのときたまたま「すすき」に眼が入ったので、撮ったまで。
「すすきを表現する」など 大それたことを考えてはいなかったのですが、
一連のテスト撮影が終了し、それらを集めて比較すると、
現像によってどれだけ表現が違うか、現像液の特性が把握できると思う。

現像液(Ⅰ)は、いままでTri-Xに使っていた現像液組成を改良し、
軟調な調子を崩さず、暗い部分を持ち上げる改良を行っている。
Retro400Sフィルムは、透明なポリエステルフィルムで、銀塩濃度の幅は広い。
その広い表現力をフルに使える現像液になっている。
光に対する直線性は高く、ダイナミックレンジも広い。
「ありきたり」といえばありきたりの現像液。
今後は この現像液(Ⅰ)を中心に使おうと思っている。

二段現像を行った。
現像液(Ⅰ)で 80%程度現像を行い、その後 現像液を(Ⅱ)に替え、暗部を重点的に現像。
暗い部分は潰れないが、フラットな眠い調子に仕上がる。レトロ調?と呼ぶべきか。

これも二段現像を行っている。
(Ⅰ)の現像を20%~30%に抑え、現像液(Ⅱ)に替え現像を完成する。
暗い部分が持ち上がり、ソラリゼーション現像したような効果がでる。
どの時点で(Ⅱ)の現像液に替えるかで、効果が違うので取扱いに注意が必要。

現像液(Ⅲ)は、(Ⅰ)より更に暗部の現像力を高めている。軟調現像液より、硬調現像液と呼ぶべきかもしれない。
鉄骨や碍子のエッジの部分が、くっきりとでる。
暗部も黒くは潰れない。

現像液(Ⅳ) (ⅣのOriginal)
現像主剤のメトールやハイドロキノンの現像力の限界条件を
テストピースから割り出し、組成を決めた。
しかし、この組成では、ちょっとした違いが ネガに大きな違いをもたらし、使いにくかった。
再現性の悪さを改良しようと、Ⅳ→Ⅳa→Ⅳbと組成を変えたが、
現像液結果は、現像液(Ⅲ)に近づいてしまった。
もともと決めたOriginalな組成の現像液に立ち戻り、使いこなすべきと、今 奮闘中。
これで良いのだと安住したら進歩はない。
限界ぎりぎりで使ってこそ、新しい何かが発見できると思っている。
- 2016/11/01(火) 10:49:54|
- 樹、草、花
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