Retro400S用の現像液ができたので、テスト撮影を行っている。
古いノンコート・テッサーには酷な条件だが、明暗差の大きな逆光でテスト撮影。
場所は 散歩で行く大崎、居木橋近くの公園、山の手通り沿いにあります。
密かに恐竜公園と呼んでいる。
霧に吹かれて、濡れてしまうが、涼しい。
もうすぐ夏休みも終了。
そしたら、幼稚園かなぁ。
お母さんが、木陰のベンチで、見守っていた。
ネガ上の銀塩濃度、まだ、余裕あり。白飽和していません。
もう一絞り開けて、陰の部分のディテールを 出すべきだったかもしれません。
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2016/08/31(水) 23:43:07 |
Street Photograph
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モノクロのフィルムの歴史は100年以上ある。
その間 たくさんの現像液組成が公開されてきた。
現像液組成は、完成された技術。
各社各様、自社のフィルムの特性に合わせ、
組成を微妙にコントロールしている・・・
秘密の薬品が少し添加されていて、
それが、特別な効果をもたらしている・・・と一般ユーザーは考える/期待する。
ID-11、D76、T-MAX、Microfhen、Rodinal、XTOL、フジドール、ミルクファイン、パンドール・・・・
薬品を揃え、現像液を作るなんて、素人には無理。
そこで、メーカー推奨の現像液を購入する。
薬品を揃え、自分で調合したほうが、面白いし、費用も掛からないのは分かっていた。
会社を卒業したら、遊ぶ時間はたっぷりとできた。
シャッターを押すだけで、写真の趣味が終わってしまうのではもったいない。
すべて味わい尽くすべきと、
卒業後、現像液は、自家配合に切り替えた。
今回は、Retro400Sフィルムを使うため、現像実験を繰り返し、
操作が容易になるよう現像液の組成を決めていった。
今回、現像実験し 驚いたのは、
(1)二液現像法は、有効ではない。
フィルムの乳剤の厚みが薄いので、効果は認められなかった。
(2)ハイドロキノンは、Retro400Sフィルムに対し、現像効果は薄い。
現像液を、繰り返し再利用するとき、効果が出るのかもしれないが、
希釈現像で、一回限りで現像液を廃棄するのであれば、無用。
(繰り返し使用する実験は行っていない)
現像に関係する因子について、実験を重ね、組成を決めていったが、
退屈な話なので、割愛します。
新処方、ほぼ決まったので、テスト現像を行ってみた。
1本現像するのに必要な薬品代(定着液を含め)は、20円程度で収まると思う。(ネガをいれるシート代が高くなった。それは入れていません。)
趣味で 行っているので、懐にやさしい。
商売で行うなら・・・・省力化と、効率化は必要ですが、
省力化、効率化は 眼中にない。
ゆっくりと、気ままに 現像できるように処方を組みました。
レンズは、戦前のTessar 50mm F:3.5 ノンコートレンズを使用。
逆光に弱いのですが、それでも、どうにか撮影できました。
Retro400Sフィルム、なかなか 個性的なフィルムです。
もう少し、粒子の出ない現像液はないか?
増感現像はどこまで可能か?
もう少し、現像液、いじってみる予定です。
2016/08/30(火) 21:24:48 |
都会の景観 Tokyo
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中央区 日本橋から柳橋辺りを 散歩したとき 撮影したもの。
蛎殻町に親戚の家があった。
幼いころ、何度か遊びに行ったことがあるが、
今となっては、どこにあったか、もう思い出せない。
兄に言わせると、箱崎のバスターミナルの近くだという。
そのあたりを 歩いたら 少しはなにか思い出すだろうか?
そんな気持ちで、散歩していた。
箱崎にバスターミナルができてから、遊びに行ったことはない。
それ以前の蛎殻町近辺の記憶が、心に色濃く残っている。
この神社の記憶は 残念ながらなし。
明治座の話は、祖母から聞いている。
叔母と仲が良かったので、時々一緒に芝居を見ていたらしい。
当時 この辺りは問屋街(今もかなぁ?)、街に活気があふれていた。
高くても、せいぜい5階建てくらいのビルが続き、
商品を積んだトラックや大八車が道を行き交っていた記憶が残っている。
浜町公園をぬけ 歩くと 神田川に架かる柳橋にでた。
これが噂の「柳橋」か。
叔母からも、祖母からも 話には聞いていた。
料亭が 軒を連ねていたという。
古くからの花街。
問屋の旦那衆の会合場所でもあった。
夜になると、叔母の連れ合いも 足繁く通ったらしい。
いい気なもんよ、赤い顔して、都都逸など歌いながら 帰宅する・・・そんな叔母の声が、耳に残っている。
残念ながら、軒を連ねたという高級な料亭はなくなっている。
叔父が ほろ酔いで歩いた道は どこだかわからない。
叔母もいなくなり、家と店は、人の手に。
おそらくそこにはマンションが立っているのだろう。
どんどん変わる。それが世の理(ことわり)
親の世代は、全ていなくなってしまった。
今度は、我々 子供世代。
しかし、15名いる「いとこ」のうち3名を、すでに欠いている。
あと10年したら、何人残るだろうか?
2016/08/28(日) 12:04:06 |
都会の景観 Tokyo
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暑いので、散歩するのが億劫になっている。
小人閑居して・・・・PCの前に座り、写真の整理をしていた。
Sony NEX-3の現像ソフトに白黒モードがある。
それを、試してみることにした。
もとになる画像データは、東京タワーの展望台から撮影した風景。
P-モードで撮影し、RAWデータを得ている。
まず、何も処理せず、現像してみた。
ソニーの現像ソフトは Image Data ConverterSR、
現像すると、TIFFファイルとなってPCのピクチャー・ファイルに保存されるので、
それを、PSE Version 7で読み取り、JPGファイルに変換しています。
雨上がり。
全体に明るく霞み、面白みのない写真になった。
D-レンジオプチマイザーで、明るいところを抑えてみた。
すっきりとした画像になる。
しかし、カラーの画像は、何故かケバケバしく感じる。
こんな色彩になったけど、本当だろうか?と疑心暗鬼になる。
色彩の調整が下手なので、極力、色には触らないようにしています。
このカラー画像を、PSEで読み取り、
モードを グレースケール 8ビットにして、モノトーン(白黒)変換する。
次に、レベル補正をして明るさを整えた。
階調の整った白黒写真になる。
陰の暗くなった部分の調子がいい。
フィルムでは、銀粒子が汚くでるところ。こうは、滑らかには写せない。
もう少し空の調子をおとしたい。
RAWソフトのトーンカーブを調整し、現像した。
空の調子がでてくる。
スカイ・ツリーもくっきりとしてきた。
RAW現像のクリエイテブスタイルを、白黒にし、改めて、トーンカーブを調整した。
現像し、白黒のTIFFファイルを得る。
PSEで読み取り、JPGファイルに変換した。(PSEでは、画像調整一切行っていない。)
ソニーの現像ソフト、出力はTIFFのみなので 使い勝手が悪い。
JPGもついていると便利なんですが、そのうち改良されるのでしょう。
ゲリラ豪雨のあとの風景なので、このぐらい空を焼きこんだほうが、その場の雰囲気を伝えていると思う。
小生の好みなのかもしれませんが。
フィルムで撮影した写真を、参考に載せますが・・・
高解像度感、画面の滑らかさ、いずれもデジタルのほうが 質が高い。
写真は、
フィルムで撮られたものか、デジタルか、
高級なカメラか、バカチョン・カメラか、
スマホか、コンデジか、高価なデジカメか、
女性が撮ったか、男性か、
子供か、素人か、有名人か、プロか、
そんな先入観で 評価すべきではない。
写っているもの、そのもの、
紙の焼かれた、あるいはプリントされた写真で評価されるべき。
そうは言っても、安いカメラより 高価なカメラのほうが 画質はいい。
フィルムカメラより、デジカメのほうが チャンスに強い。画質もいい。
--------------------------------------------
そんな できの悪いフィルムカメラですが、なぜか、好き。
まだ、使うつもり。
この10日間、Retro400Sフィルムを使いこなそうと、現像実験をしています。
テストピースで 60回 現像実験しました。
ようやく現像液の組成と現像方法固まってきました。
秋になったら、Rollei Retro400Sフィルムで撮影しているでしょう。
2016/08/26(金) 08:43:44 |
デジタルで遊ぶ
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武蔵小杉、駅前の地図で位置関係を確認。
多摩川は近い。
東横線で二駅、川を越えると、多摩川の駅がある。
「多摩川園前」駅なら、小さいころから遊びでたびたび降りている。
いま駅名は「多摩川」と簡略になっているが、
嘗ては、駅を降りると そこには多摩川遊園地の入り口があった。
小さいころ両親に連れられ、
あるいは、自由が丘に住む従妹たちと遊びに来ていた。
多摩川の河原では、イナゴやバッタを捕まえ、魚釣りもした。
60年くらい昔の話である。
二駅なら、運動に丁度いい。
多摩川を目指し、歩いた。
30分もすると、中原街道にぶつかる。
中原街道に沿って歩けば、五反田に至る。
これなら、道に迷うことない。少し進むと、丸子橋が見えてきた。
自動車では何度も往復しているが、この橋を歩いて渡ったことはない。
初めての経験。
川崎側から、東京へ徒歩で入る。
暑い日中にも関わらず、橋を渡る人影は意外と多い。
陸橋を新幹線が進んでいく。
もう少し早く、シャッターを切るべきでした。
女性の首に突き刺さるようです。
東横線の電車が、陸橋を渡っていく。
カラーなら車体をくっきり見せることができるが、モノトーンでは目立たない。
モノトーンの弱点です。
ようやく丸子橋を渡りきり、慣れ親しんだ多摩川の河原に立つ。
対岸には、散歩の出発点、武蔵小杉のビルのスカイラインが見えていた。
あそこから歩いたのか・・・近いものだと思う。
しかし、じっと見ていたら、この風景、一度見たことがあると思い出していた。
家に帰り、ハードディスクの中の画像を探す。
5年ほど前、等々力渓谷から多摩川の河原まで散歩したときの写真が残っていた。
撮影場所は、少し上流。
その時は、このビル群が、どこの街のものか分からなかったが・・・・武蔵小杉だったのですね。
5年前に比べ、高層マンションの数が増えています。
撮った写真、意外と覚えているものです。
2016/08/23(火) 14:09:48 |
都会の景観 Tokyo
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住みたい街ランキングで 上位に入ったと テレビを見ていた妻が言う。
「武蔵小杉」
町の名は、知っていたが、その町がどこなのか、判然としない。
地図を探したら、今は意外と近い場所になっていた。
新宿ライン 大崎から二駅、西大井からなら、一駅で着く。
品川区を出たら、大田区で止まらず、多摩川を越して川崎市の武蔵小杉駅。
近いじゃないかと思う。
どうして気づかなかったのだろう?
早速、カメラを持って 散歩に出た。
西大井までは、大崎駅に出るのとほぼ同じ距離。
大井町や、五反田の駅より少し近い。
大崎からは新宿ラインの電車が、品川からは湘南電車がやってくる。
直通快速や、特急は止まらないものの、10分に一本くらいの間隔で電車はやってきた。
乗車時間は、ものの5分で武蔵小杉の駅に到着する。
駅前の交通案内をみて、ようやく気付いた。
小生にとって、「武蔵小杉」は通過駅だった。
自由が丘で大井町線から東横線に乗り換え、日吉、綱島、菊名、横浜へ行くが、
この駅で降りたことはない。
南武線を利用するときは、大井町線で溝口へでてそこで乗り換える。
武蔵小杉で乗り換えること、思いつかなかった
新丸子の隣の駅と言われたほうが、イメージは浮かんだろう。
下丸子、丸子橋、新丸子、「丸子」と言われると、多摩川の川崎側の川辺を思い浮かべる。
新丸子駅近くには商店街があった記憶が残る。
高層マンションが林立していた。
大崎駅近くの再開発地域と似ていた。
大崎駅近くは、小さな町工場と、そこで働く人の小さな家やアパートがひしめいていた。
再開開発ではそこが更地にされ、高層住宅になってきた。
この辺りは、畑が多かったのだろう。大崎ほど 空の狭さを感じない。
大型のスーパーもあり、若い人には住みやすいかもしれない。
渋谷へ出るにも、東京に出るにも、横浜へ出るにも便利。
良いところに違いないが・・・生活感がすくないのは寂しい。
何となく効率的。
テキパキ行動できない老人が、
新しい効率的なシステムに馴染めるか・・・・
駅のレストランへ入り、昼食をとったが、
テーブルに座っているのは 若者と小さな子供を連れた夫婦。
老人は小生 一人だけだった。
2016/08/22(月) 14:56:51 |
都会の景観 Tokyo
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アルバムを見ていたら 東京タワーに登り、昔の東京の景観を写した写真が貼ってあった。
遠い地方に住む叔父さんが出てきたので、東京案内したとき、撮ったものだった。
アルバムには、1968年2月としか記されていない。
いまから48年前、東京オリンピックが終わって2年目か・・・
使用したカメラは今も使っているNikon F、 レンズは50mm F:1.4 、フィルムはNeopan SSを使用していたと思う。
Nikonのカメラを持ってから、現像や焼き付けは自分の手で行っていた。
現像液は市販のフジドールを使っていた。(NeopanSSは、フジドール、Neopan Fにはミクロファインがその時の定番)
キャビネに伸ばされ、アルバムに貼ってあった。
それをスキャナーで取り込んでみた。
懐かしいと同時に、下手だったなぁと思う。
現像むらがある。
露光もあっていない。
それを無理に焼き付けている。
東京タワーの影が写っている。
方向からすると、高いビルの後ろの、黒い森は日比谷公園か、皇居だろう。
東京も ずいぶんと 変わった。
東京タワーへは それ以降 上ったことはなかった。
今年の夏、知人の二人息子(小学生)が、東京にやってきたので、東京タワーに連れて行った。
東京の夏は蒸し暑い、スカイツリーが、ようやく見えるくらいに霞んでいた。
子供たちは スカイツリーが見えて、歓声を上げていた。
Y2かR2のフィルターを掛けて撮影したら、空は落ち、雲やスカイツリー、くっきり見えただろう。
PhotoShopの力を借り、雲の調子を出そうと、トーンカーブを調整したら、銀塩粒子の荒れが少し出てしまった。
まぁ、これも銀塩の味、昔よりテクニックは上がっている。
昔の小生より滑らかな画像になっていると思う。
これも 一つの記録。
かなり私的な記録だとおもうが、
この写真を見ると、
上京してくれた叔父さんに、たくさん見てもらおうと息ごんでいた、自分を思い出す。
しかし、当時、東京の街を記録しておこうという 気持ち(意欲)は少しもなかった。
もっと 街撮りをしておけばよかったと思う。
撮ったときは、一人称の(独りよがりな)写真であっても、
年月が私的なものを流し去ってくれたら、意外と三人称の写真になるのかもしれません。
2016/08/20(土) 23:30:38 |
都会の景観 Tokyo
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暑いし、老体には厳しい。
散歩の回数が減っている。
ようやく、一本撮り終わった。
フィルムを取り出し現像したら、一か月前 撮影したものが混ざっていた。
撮影場所は、五反田。
軽く小さなMinolta Hi-Matic Fで スナップ写真を撮っていた。
夏休みに入る前のころ、それから約一ヶ月たち、夏休みも後半に入った。
この写真 載せるの問題かなぁ。
まだ、ポケモンGoは、出ていなかったけど。
「呼吸するように撮る」つもりで散歩していました。
階段は、苦手。
ゆっくり登っていったら、若い女性に追い抜かれる。
思わず、カメラを構え、シャッターを切る。
ピントは3mにセットしてあった。
手振れしたか・・・ピントが合っていなかったか・・・
恐らく 両方。
後姿は、しっかりとフレーミング、ピントも合わせています。
三人称のStreet Photograhyを撮ってみたいと思うけど、
思い込みの一人称写真になってはいまいか?と危惧する。
それとも、単なる散歩の記録かなぁ。
2016/08/18(木) 18:47:22 |
読み解く写真、心に残る写真を・・・
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戦後の復興がようやく動き出した頃の夏、
母は、多摩川に水遊びに連れていってくれた。
遊びに連れて行ってくれること自体、大変なこと。
鮮明な映像となって、今も思い出す。
記憶をたどり、年代を推定すると昭和28年ころだったとおもう。
嘗ては、宝石の流れる川と讃えられていたらしい。
水のきれいな川だった。
川幅は広く、遠く対岸までキラキラと輝いていた。
水深は、深いところでも子供の腰くらい、
自転車に幟をたて、アイスキャンデーを売る行商の人もいた。
絶好の行楽地だった。
戦後の復興が本格化すると、川砂は絶好の建設資材。
川は急激に変貌する。
宝石の流れていた玉砂利はなくなり、
急に深くなった淵で小学生が溺れる事故が発生する。
上流では 宅地の造成が進み、生活排水が川を汚していく。
丸子橋近辺では、洗剤の泡で川面が醜く汚れていく。
宝石の流れる川は、消えていった。
母が連れてきてくれた場所はこの辺り。
いまは、浄水場もでき、水質も戻ってきているが・・・
川は、深くえぐられた跡を流れ、浅瀬は消失する。
中洲には広い島ができていた。
川面を埋めた、水遊びに興じる子供の歓声は聞こえない。
風景は一変していた。
----------------------------------------------
人間は地球を食(は)んで栄えてきた。
地に眠る金やダイアモンド、鉄鉱石、石炭や石灰石、油、ガス・・・を掘り起こし、地球から収奪する。これは俺の物だ。
鉄を作り、セメントをつくり、ビルを建て、道路を延ばす。
経済成長が善の時代、貧乏から解放されるため富の偏在は必要だった。
みんなが貧乏では、事業は起こせない。
産業革命以来、約300年 そんなエトスで動いてきた。
しかし、地球は無限ではない。
いつまでも同じ路線は、許されない。
人類の進むべき道、パラダイム・シフトが見えているのに、
従来の成長戦略を踏襲するアベノミックスで、新しい時代を作り出せるだろうか?
富んだ人間の欲は深い。
更に増やそうとする。
富は権力と癒着しやすい。
その特権を自らの手で放棄できるだろか?
富と権力の折り合いがつき、持続可能な世界ができたとき、
それは、極端な格差社会になっているだろう。
そうなったら、カタストロフィーしかない。
人類どうなっているか、分かったものでない。
地球を「はむ」生物がいなくなれば、
川は強欲な生物の「軛(くびき)」を外れ、有るがまま流れていく。
千年も待てば、川底に玉砂利は戻り、
宝石の流れる川になっているだろう・・・と夢想する。
絶えて人のなかりせば・・・・のどかだろうなぁ。
-------------------------------
戦後の復興期、幼児だった。
高度成長期に働きだし、バブルを経験、その後の失われた時代に一線を離れた。
戦争は知らないが、経済的には、激動/激変の時代を生きてきたと思う。
8月15日を迎えると、つい 自分の見てきた時代を反芻するようになっていた。
あれは、何だったのか?と。
2016/08/16(火) 18:44:08 |
読み解く写真、心に残る写真を・・・
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人の眼で見る世界は、1mmの十分の一、0.1mmくらいが限界だろう。
0.01mmの世界の詳細がハッキリ見えていたら、
細菌を識別し、病気の原因も認識していただろう。
加持祈祷など必要ない。
遠くを見渡しても、人間の眼で見える範囲は、せいぜい一里、4kmくらいだろう。
高いところに登り見渡しても、20kmくらい、せいぜい40km 10里の距離が限界。
それが、人間の通常の生活空間。
その生活空間を、眼は正確に見ようとしているわけではない。
錯視もある。願望でも見てしまう。
壁に逆三角形の三つの汚れあれば、人間の顔を連想してしまう。
そんな生活空間の中で言葉は作られていった。
人間の作った言葉では、
0.1mm以下の微細な世界も、40km以上の広大な世界も、正確に記述することはできない。
とは言え、言葉の限界を意識しない人は多い。言葉に酔う。あおられる。
真理は、偉大な指導者の口から 言霊となって溢れてくると、夢想する。
限界を知っていたら、ガリレオは異端審判に掛けられなかっただろう。
71年以上の昔、大本営発表に有頂天になっていた。
言葉(言霊)に酔ったのだろうか?
新聞は、輝かしい戦績を確認しようとする民衆の熱気で、
発行部数を大幅に伸ばしていた。
人は「正義」という言葉に弱い。
「正義」は常に我にありと喧伝する。
あおられた国民は、偏見を増長させ、他国を非難、悪感情を抱く。
「偏見は、嘘より危険な真理の敵」
もうこの過ちは繰り返したくない。
それを阻止するのは、粘り強い思考に裏打ちされた知性だろうと思う。
見たと思ったら、知性のフィルターを通し、もう一度見直す。
正確に見ていたか、偏見で見ていたのではないかと・・・心の中で検証する。
何を観ているのかと思う。
何を撮ろうとしているのかと、時に躊躇する。
偏見を排除し、自分の眼で世界をみてみたい。
人間の住む空間、お前はどこにいるのか?
それを 撮りたがっているのかも、しれません。
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今日、8月15日は 敗戦記念日です。
2016/08/15(月) 09:11:11 |
読み解く写真、心に残る写真を・・・
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軽く簡単なカメラ、Minolta Hi-Matic F を持って散歩する。
いつもの散歩コース、
見慣れた場所。
シャッターを切る回数は少なくなる。
三回 散歩して やっと一本のフィルムを撮り切るくらいだろうか。
フィルムで撮るとなると 構えてしまうのかもしれません。
縦位置のフレーミングが多くなる。
構図を意識し、明らかにタイミングを図っています。
写真が重くなる。もっと軽妙であってもいい。
この撮影スタイルに限界を感じていたはずなのに・・・・
もっと気楽に 撮ってもいいのでは?
そのための Minolta Hi-Matic F ではないか。
昔 流行した「コンポラ写真」風になっていた。
これならデジタルで撮ったほうが良いのかもしれません。
構えず、もっと気楽にシャッターを切っていたでしょう。
タイミングを取ろうとする意識が働いている。
この意識を 一度 リセットしてみたい。
対象のタイミングに合わせているようで、実際は 小生のタイミングで撮影していた。
独りよがりの所あるよなぁと思う。
これが解決で来たら、違う世界が見えてくるのでは?
スランプ脱出、なかなか難しい。
試行錯誤、五里霧中。
2016/08/13(土) 10:26:18 |
散歩
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ソニーNEX-3に組み込まれている オートHDRの機能を使って撮影してみた。
生成したHDR(ハイダイナミックレンジ)画像は、
陰の部分、明るい部分にディテールが残っている。
そのため全体の印象は軟調な画像で、眠い感じになる。
レタッチソフト(PSE)でトーンを変え、陰の部分、明るい部分を残し、コントラストを上げてみた。
色に関しては一切加工を施していません。
手持ち撮影していますが、エッジを検出して3枚の画像を(カメラ内のプログラムで)合わせているのでしょう、
等倍まで拡大して調べましたが、ズレはありません。
歩く人、ぶれて写ってもいいはずなのに、ブレを感じないのは何故?
ソニーの技術者達の 画像処理の考えが独特なのか、それとも他のメーカーも同様に行っているのか、判りません。
そういえば この頃ネットサーフィンすると、こんな調子のブログに入ることがある。
ポップアート風写真で埋め尽くされている。
確かに、フィルムの時代、絵画調の写真を撮ることは不可能に近かった。
しかし、いまなら、
You Press the Button, Sony Dose the Rest.
至極簡単に撮れる。
特別な能力を持っていると自惚れていないと思うけど、しかし、Just Fun にとどまっているだろうか?
新しい視点も、簡単に撮れるようになると、陳腐なものになる。
押せば撮れる。
しごく簡単に達成できることに、人はいつまでも意欲を燃やせるだろうか?
厭きないかねぇと思う。
オリンピック放送を見ながら、そんなことを考えている。
TVの画面には、意欲を燃やし続けた人達の戦いが続いていた。
2016/08/11(木) 14:22:03 |
デジタルで遊ぶ
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写真なんて、単なる楽しみ。
Just Fun,
写真を飯の種にしているプロもいるが、
小生、プロではない。
腹に一物を抱え写真を撮っているわけでも、
これを 撮らなければという使命感、志があるわけでもない。
Just Funだろう。
とは言え、10年間、フィルムカメラを抱え、散歩し、写真を撮り続けていると・・・感じることはある。
Just Funと嘯いて撮っていても、
一人称ではなく、三人称の写真を撮るべきだと感じている。
いい写真を撮りたいと、
レッスン・プロの教えを乞う。
あるいは、How toものの教則本を読む。
そして最新のデジカメを購入する。
撮った作品は、教えとおりの写真になる。
いい写真が撮れたと 当人は満身の笑み。
プロ並みの美しい写真がとれたと、誇らしげ。
しかし、どこにこの撮影者視点があるのだろう?と首をかしげる。
この歳になっても、受験勉強かよ・・・と思ってしまう。
入試の問題は、既に分かっている範囲からでる。
だから正解は一つ。
答が分からない問題は、試験の範囲外。
しかし、一番重要なのは、答えが不明の問題を探すことだろう。
写真に、その人の視点がない以上、作品は一人称。
教科書内をうろつくだけ。
心を打つことはない。
しかし、これも 当人にとってはJust Fun.
ほとんど クイズ番組のようなもの。
趣味、道楽なのだから、これで良いのだ。
小生も趣味で写真を撮ている。
Just Fun.
だけど一人称の写真は撮りたくない。
尖った写真、三人称の写真が撮りたい。
それが、独りよがりな一人称写真になる危険があるにしても・・・
三人称写真が 撮りたいと 希求している。
歳のせいか、変なものに眼が釘付け。
カラーで撮ったら、即物的、逃げようもなくなる。
対象を抽象化してしまうモノトーン写真が最適だ。
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YouTubeを見ていたら、写真家の対談があった。
PLEXUS Photographers' Talk 金村修×瀬戸正人
https://www.youtube.com/watch?v=NFLQydug3no
3.11の津波後、多くの職業カメラマンが被災地の向かったという。
お二人も、現地に足を運び、撮影し、
写真集を出版されたり、あるいは写真展などで発表もされたようだ。
しかし、この対談(映像)を見て、聞いて・・・・
お二人の 写真集を購入したり、写真展へ出向く気持ちには、なれなかった。
後世残る傑作を この二人の写真家は ものにしたのかもしれないが、
対象に向けるべき眼が、自分の都合を優先し、自分の気持ちへ向いていた。
3.11を撮ろうとする差し迫った志があるわけでもないようだ。
話題になるなら、スマトラの大津波でもいいという乗りを感じた。
これでは、3.11を撮ったとしても一人称写真だろう。
写真家として責務(カメラの眼)を放棄し、0人称写真を目指しているのかもしれない。
責務放棄の恥ずべき話をしながら、だいぶ上から目線で コメントを述べていたのも気になった。
セバスチャン・サルガドだったら・・・・こんなコメントは出てこないだろう。
とても、知性的とは思えない。
これが、日本の写真家の一般とは考えたくないけど・・・・
たとえ それが傑作写真だと 仲間内、カメラ雑誌で たたえられようが、
作品を観る前に、拒否反応していた。
老人になると 意固地です。
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興味あったら、YouTubeのURLを カット&ペーストして番組を見てください。
見て、どんな 感想を 持たれるでしょう。
小生と同じような感想を持たれたら、あなたも かなり意固地な人です。
2016/08/08(月) 20:59:23 |
読み解く写真、心に残る写真を・・・
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「呼吸するように撮る」つもりで散歩したとき、
どうしようか決心がつかず、
家を出るときデジタルとフィルムのカメラを手にしていた。
しかし、実際に使用してみると、デジタルカメラの使い勝手が良い。
You Press the Button, Sony Dose the Rest.
というところだろうか。
実際、モノトーンに設定して撮影したSony NEX-3の写りは良い。
白黒フィルムより、品質は高いように思えた。
この日の撮影で、デジタル420カット、フィルムはわずかに16カットだった。
デジタルカメラに謙譲の意を示し、慎ましく、
フィルムでも、この程度までなら撮れますよ・・・
とノスタルジーに訴えないとなりません。
技術が進歩し、旧来のものが新しいものに取り替わっていくのは当たり前のこと。
盛者必衰のことわり・・でしょう。
アナログのテープがデジタルCDに替わり、
今ではネットで音楽が配信される時代、
未だレコード盤からアナログ音楽を楽しむ「マニア」はいる。
中には真空管式のアンプを組み立てる「マニア」もいる。
フィルムカメラで 遊ぶのも、
そんな「マニア」と心境は似ているのかもしれません。
羨望と軽蔑の入り交ざった眼で、見られているのだろうなぁ・・・と思う。
歳の残りはすくない。
フィルムが先に入手困難になるか、
この世の滞在期間が先に尽きるか、競争のようなもの。
まだ、あんなダサいもの使っている。 マニアだねぇ~~
という眼をされても、ここまでくると、老人は意固地になる。
「人は、簡単にできることに、やる意義を見いだせない。
腹の一物を、それに託せますか? 志を 託せますか?
だから、この頃のデジタル写真は薄っぺらいんだ。」
と嘯いてみる。
(デジタルのすごさは重々気づいていますが。)
2016/08/06(土) 22:28:06 |
都会の景観 Tokyo
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カメラがデジタルに変わると、
失われていくものへのノスタルジーか、
フィルムカメラ信仰が芽生えてくる。
無限のグラデーションでつながっている世界を、
デジタルカメラでブツブツ切り離し0101の数字として記録する。
数字の集合体が映像か?そんなのは嘘だと呟きたくなる。
自然は連続(アナログ)しているのに、恣意的に分割し、画素と名づけデジタル化する。
画像は、その画素の集合体として記録される。
数字を見ただけでは、なんのことか、さっぱい分からない。
モニター画面には、数字データーを加工し、作り変えられたデジタル画像が現れる。
これは実像ではない、虚像のようなものだろうと思う。
どんなプログラムにも人間の恣意性/思い込みが入り込む余地はある。
それで再現された画像が、正しく再現できたものだと、
使う側の撮影者は、どのようにそれを確かめればいい?
デジタルカメラに実像を正しく記録することなどできないと結論を急ぐ。
フィムルカメラは、加工無し、生の画像がフィルム上に一対一の関係で、そのまま記録できている。
使うならフィルムカメラ。
それが、フィルム信仰の始まりだろう。
古いものは尊いのだ。
小生、未だフィルムカメラを使ているので・・・・少しは(10%くらい)頷くが、フィルムカメラ信仰を持っているわけではない。
古いフィルムカメラで撮影。
レンズは新しいコシナ製21mmレンズ。
フィルムは、ロングセラーのコダック社製Tri-X。
最新とは言えないが、ソニーのデジタルカメラで撮影したもの。
ネガフィルムは、フィルムスキャナーでPCに取り込んだ。
二つの画像を見比べる。
トーンの調子、高解像度感で デジタル画像のほうに軍配は上がる。
椰子の林、ビル、空の雲・・・・フィルムは完敗、いいところなし。
特に雲に銀粒子のざらっとした感じがでる。見苦しい。
その点 デジタルは見事、空は滑らか、白い雲の質感もいい。
フィルムで、そう簡単に出せるトーンではない。
低画素のモニター(200万画素以下)で見ている限り、
また それを2Lくらいにプリントしている程度なら、
デジタルは完璧、フィルムでは到達できないような写真を撮ることができる。
しかし、大きく伸ばすと・・・・デジタルに騙されているのではないか?という疑問が湧いてくる。
勿論、フィルムに比べ、画質はデジタルのほうが良いが・・・・。
それぞれの画像の一部を ピクセル等倍まで拡大し、切り出し、比較してみた。
通常 ブログに載せる画像は長辺800ピクセルになるよう縮小している。
この画素数でも、モニター画面(200万画素程度)で見るだけなら充分。
撮った画像をA3などの大きな用紙にプリントすることが目的の人でない限り、
高級なデジタル一眼など不要だろう。
ピクセル等倍まで拡大すれば、デジタルカメラが如何に画像を作っているかは・・・分かってくる。
椰子の葉一枚一枚エッジがでて高解像感がある。幹の部分のディテールも出ている。
ビルの柱もくっきりでて、コントラストは素晴らしい。
しかし、綺麗に鮮明に撮れたのは、撮影者の腕が良かったからではない。
明らかにソニーの技術陣のなせる技でしょう。(ソニー素晴らしい!と喜ぶべきですが)
フィルムを信仰する人は、これに我慢できない。
夏休みの宿題を、お姉さんお兄さんにやってもらうようなもの。
そんな作品と同列に置かれ優劣を評価されることへの不愉快感がある。
フィルムの画像は不明瞭。
椰子の葉、ビルの柱、空、いずれも デジタルと比べられるレベルにはない。完敗。
しかし、等倍ピクセル画像比較を知ってしまったら・・・・
汚い銀粒子と不明瞭な画像のフィルム写真がいいと思うか、
エッジが立ち、シャープ化処理された粒子のない滑らかなデジタル写真がいいと思うか、
それは、それを選択する人の見識だろうとおもう。
デジタルを選ぶのもいいし、フィルムに拘ってもいい。
ただし、へんな薀蓄は止めて欲しい。
2016/08/05(金) 14:44:59 |
都会の景観 Tokyo
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どうしても撮っておかなければという使命感があるわけでもない。
テーマは希薄、なんとなく撮っているだけなので、
10年目に突入すると、マンネリになり、スランプ状態に陥っている。
先月の初め、「呼吸するように撮る」つもりで散歩したとき、
(持って出たものの)ほとんど使わなかったフィルムカメラに写っていた写真。
露光は空に合わせて決めた。
フィルターを持っていけばよかったと思う。
それでも、今のフィルムはパンクロ・タイプ、少な目の露光にすれば、空の調子を落とすことができる。
50年以上前になるが、
如何に豊かなグラデエーションを印画紙上に焼き付けることができるかが
モノトーン写真の美しさだと思っていた。
今は、それほど気にしなくなったが、
それでも 豊かなグラデーションのネガを見ると、いいなぁと思ってしまう。
手前の葉に気をとられ水平線が大きく傾いてしまった。
不安、不気味さ・・・・の演出をしようと、全体を強く焼き付けた。
デジタルHCB&Wモードの写真のほうが、すっきりとして見やすい。
見やすいけど、心にピンとこない。
ピンと来ないのは、新しい表現への怖れと拒否する心があるからだと思う。
デジタル画像を、焼き込もうとして、
PC上でスライドバーを操作するが、グラデーションに破堤が出る。
デジタルデータ 意外と粘りがない。
ここまで焼きこむことはできないだろうと・・・嘯く。
説明の得意なデジタル、情感を表現したいならフィルムと、勝手な思い込みをしている。
この思い込み、そのうちステレオタイプ的な見方と批判され、馬鹿にされるのだろうなぁ。
2016/08/04(木) 10:18:40 |
都会の景観 Tokyo
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昨日 都知事選があった。
昼少し前、家をでて、投票所の三ツ木小学校へ行く。
投票を済ませ、昼食をとろうと妻と大崎駅へ向かう。
近くの貴船神社で試し撮り。
モードはPで撮影。
陰の部分は、潰れ気味。
白飽和させないようカメラはプログラミングされているようだ。
ただし、現像ソフトで確認すると、空に白飽和した部分もあった。
それなりに工夫して設定しているのだろう。
オートHDRをオンにした。
三段階の露光データを利用し、
カメラ内のプログラムで自動的に画像調整している。
白飽和しない露光から一絞り分、二絞り分露光を増やして撮影(0.0、+1.0、+2.0)、
三つの画像をまとめて一つにしているようだ。(0.0、+0.3、+0.6ではないと感じた。)
カメラ開発者たちの仕事なんだなぁと思う。
カメラさま、さま。
経験やコツで、この写真撮ることはできません。
三ツ木小学校の裏口近くに、この時期 向日葵が植えられている。
ここで向日葵を撮影するときは、
トーンカーブを調整し、暗い部分を持ち上げて画像を調整していたが、
オートHDRモードで撮ると、調整は不要、暗い部分も鮮やかに出ている。
しかし、何か変、馴染のないトーンになる。
メリハリがない。
よく見ると、向日葵の花は不明瞭になっている。
風に揺れて動いた部分は、三つの画像が合わさると、多重露光の証拠としてブレて記録される。
花の微細な文様は崩されてしまっていた。
これを、HDRの限界だと落胆するか、面白いと思うかは、人によるだろうなぁ。
前日 同じ場所を歩き、パノラマ写真を合成しようと撮影したもの。
夜の数時間、PCの前で格闘したので、だいぶ切り貼りのやり方、コツが分かってきた。
9枚の画像を使用し、境界が一致するよう切り貼りしました。
できた合成原画は4000万画素になってしまい、今使っているPCでは、ちょっと負担が大きいようです。
昨日ブログに載せた「パノラマ合成」の画像より、よくなったと思う。
三ツ木小学校の白い建物が右に写っている。
風景は、このぐらい明暗差があってもいいと思う。
大崎のシンクパーク一階のレストラン街で食事した後、外へ出てみると、地面は濡れている。
通り雨があったらしい。
ゲートシティのスーパーマーケット「ライフ」で、夕食の材料を買うからと妻は言う。
天候が不順、いつ、雨になるか分からない。
今回は、ここで別れず、買い物に付き合うことにした。
黒く潰れず、白く飽和しない。
それでいて細部までしっかりとコントラストは出ている。
色鉛筆で、丁寧に細部まできっちりと描きこまれた絵のような感じになる。
これも絵画風になっている。
フットサルのピッチ、歩いていく赤い服の男の子が多重露光になっていた。
そういえば、この頃 ネットサーフィンしていると、この手の画像に出くわすことがある。
確かに、最初は衝撃的だけど、カメラをオートHDR設定すれば、簡単に撮れてしまう。
すぐに飽きてしまうだろう。
凝るなら、撮影枚数を増やし、
PC上でHDRプログラムを動かし、
どうだ、これがスーパーリアリズムだと嘯く方向しか残されていないのでは・・・と危惧する。
急速に天気は回復、日差しがきつい。
今日は早々と帰ろう。
部屋の冷房を効かし・・・引きこもり老人になろうと決め込んだ。
2016/08/01(月) 16:30:52 |
デジタルで遊ぶ
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