Sony NEX-3を使い始めて4年経っている。
マウント・アダプターさえ用意できたら、オールドレンズが使えるのが魅力的で購入。
ニコンSマウント、ニコンFマウント、ライカLマウントのアダプターを手に入れたので、
所有する交換レンズは全て使うことができる。
最初は、それが面白く、使っていたが、この頃は厭きてしまい、あまりNEX-3を使っていない。
手にして、しげしげと見る。
RAWで撮影し、
メーカー指定(同梱)の現像ソフト(Image data converter SR)で現像するとき、
クリエイティブスタイルで 白黒を選ぶと、モノトーンに変換してくれることを発見。
まだまだ、このカメラの機能を全て使ったわけではないなぁ と思う。
スキャナーについていたPSEのソフトで切り貼りしパノラマ写真を合成してみた。

テスト撮影だったので、手持ち撮影。
数枚の画像から切り貼りして合成した。

パノラマ写真は横長になるが、敢えて左右を圧縮している。
切り貼りの境界を目立たなくすることに留意したが、まだ工夫の仕方がありそう。

一時間ほどの散歩中、数か所で撮影し、家に帰ってPCを起動させ、画像処理する。
意外と簡単に合成できた。
デジカメを三脚に載せ、水平をとり、撮影すれば、綺麗な写真合成ができるだろう。

パノラマ写真 面白いので一度は撮るが、長続きしない。
切り取るのに必要な美意識、問題意識、カメラアイがないとだめだと実感した。
小生にはその美意識がない。
これ以上追及し、技術を完璧なものに高めても、
なにも生み出せないのでないか?
カメラにパノラマモードがついていることだし、
わざわざ人の手でつぎはぎすることもあるまい。
NEX-3の機能を調べていたら、カメラにオートHDRの機能が組み込まれていた。
露光の違う3つの画像を自動で撮影し カメラ内のソフトで一つにまとめてくれるようだ。
次は、この機能を使ってみよう。
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- 2016/07/31(日) 07:30:10|
- デジタルで遊ぶ
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未だ空に明りが残っている午後6時ころ、
踊りが始まる。

左手より編み笠を被った、艶やかな女性が現れる。
すると右手から、引きつかれたように人が列をなし、出現する。
顔は判らない。冥界から現れたか・・・?

編み笠の女性が、さっと腕を上げると、
憑かれたように一団の手も上がる。
遠くから歌声が響いてきた。

踊りが始まる。

ひとしきり、輪になり優美な踊を見せていたが・・・・すぐに、消えていく。

ほんの10分程度の出来事だった。
これは何だろうか?
若いころ観た映画、ベルイマンの「第七の封印」を思い浮かべていた。
主人公は十字軍に参加し、もうすぐ帰国の途にある城主。
死神と主人公の攻防と対話で話は進行していく。
最後の場面は、死神に率いられた一団が、踊るように従っていく・・・
いやそうでもあるまいと首を振る。
先頭の編み笠をかぶった女性、
顔こそ見せないが、立ち居振る舞いは 優美、
死神のはずはない。
これは、亡き人への追憶だろうか?
-------------------------------
遠くで読経の声が響く。
灯籠流しが 始まったようだ。
---------------------------------
花が咲き、そして散るように 人生は進む。
これは 万国共通の思いのようだ。
死者の墓に花を手向けるのは、ネアンデルタール人も行っていたという。
しかし、捉え方、感じ方は、その民族の歴史的な試練、環境で異なる。
我々はどうだったか?
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
と、眺め詠嘆するだけ。
わが身が移っていくこと、逆らうことをしない。
受け身の対応。
あるいは、
ねがはくは花のしたにて春しなん そのきさらぎのもち月のころ
と歌う。
西行信仰が起こる。
できれば、西行のようになりたいと・・・
「第七の封印」の主人公は、死神とチェスの勝負をする。
譬え、負けが決まっていても。
運命に対し、受け身ではなく、主体的態度を保持している。
ここが違う。
日本人のエトスは、自分の殻に籠もって、身の不幸を嘆くことにあるのかもしれない。
綺麗な花の写真をブログに載せ、
「だれも、純粋な私の気持ちを理解してくれない。
それでも 私は あなたのことを思っている・・・・」
など詩ともいえない内容のコメントを書く人がいる。
一種の「お涙頂戴」、 受け身的ひがみの極地かもしれない。
共感できないなぁと思う。
ロダンなら、浅薄なる幼稚と 切り捨てるだろう。
折角撮った美しい花まで、安っぽく見えてしまう。
小生は、たとえ敵わないと うすうす勘づいていても、
抵抗し、チェスの勝負にかける「第七の封印」の主人公の主体性に共感する。
この怪しくも優美な「西馬音内」の踊り、何なのだろう?
お涙頂戴の一場の劇には 思えない
魅了されながらも、未消化の思いが、頭の中をぐるぐると 駆けめぐっていた。
灯籠流しも、終わりに近づいてきた。
夕闇が更に深くなっていく。
突然、西馬音内音頭が流れてくる。
踊りが始まっていた。あわてて、踊りの会場へ駆けつける。
再び冥界から 忽然と踊り手の一団が 面前を通り過ぎていく。

音頭の歌詞は、秋田、西馬音内の方言で 意味不明なところが多いが、
ちょっとエロチックで直截的な言葉もちりばめられているようだ。
エロチックこそ現世の特質、冥界にはないだろう。
歌詞に猥雑な言葉を込めるのは、冥界より帰ってきた亡き人に
少しでも長くこの世に居てもらいたいという 願望の現れかもしれない。
しかし、2回目の音頭は、聞き取れない。
仏教用語が混ざっていたように感じるが・・・・歌詞を聞き取れない。

動作はゆっくりだが・・・手の振り、足の運びは大きくなっている。

これは、なに?

亡き人を迎えに来た現世の人だろうか?
それなら、顔を隠す頭巾は必要ないだろう。
まるで歌舞伎の黒子。

背景の樹が松なら、ここは能舞台になる。
薪能??
黒い覆面は能演者の仮面に似る。
神の化身の象徴だろうか?

踊っているのは、現世の人間?、冥界からの亡者?、それとも神の化身か。
編み笠で顔を隠した女性の羽織る端縫い衣裳は、豪華で美しい。

ひとしきり 踊ると、全て冥界に消えていく。
-------------------------------------------------------
あの美しい編み笠の女性は誰だ?

青春時代は、すぐに過ぎ去る。
美しい時は一瞬。
その瞬間を逃すな。
めいっぱい燃やし、楽しむべき。
連想が、「第七の封印」より十字軍に蹂躙されたペルシャに飛ぶ。
ルバイヤートの一節が、心をよぎる。
今日こそわが青春はめぐって来た!
酒をのもうよ、それがこの身の幸だ。
たとえ苦くても、君、とがめるな。
苦いのが道理、それが自分の命だ。
十字軍に侵略されたペルシャ。
その時代を生きた大学者オマル・ハイアームの著した四行詩ルバイヤート。
数学者、天文学者として、おそらく当時の世界では、随一の知性の持ち主でもある。
ルバイヤートを読んだのは、50年くらい前のことだが、長く心に残っている。
オマル・ハイアームの絶望的ともいえる、観察眼に感銘していた。
11世紀の昔、すでに一人称の眼(主観)ではなく、三人称の眼(客観)で、世界を見つめている。
やはり科学者だろう。
絶望的だが、怪しくも美しい・・・・調べの詩。
もともと無理やりつれ出された世界なんだ、
生きてなやみのほか得るところ何があったか?
今は、何のために来きたり住みそして去るのやら
わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!
西馬音内の盆踊りに、青春時代に読んだルバイヤートの、
ペルシャのサーキー(酒姫)の艶姿をだぶらせていたのかもしれない。
豪華で美しい端縫い衣裳に惹かれるのは、
この世の快楽を味わい尽していないとひがむ、老人の願望だろうか?
- 2016/07/28(木) 08:45:29|
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横須賀中央駅に集まった彩游のメンバーは6名。
一人だけ面識のない方がいた。
現在会員は17名になってしまい、定員オーバーの状態。
会員の募集は止めているとのこと。
辞めたとはいえ、
今になっても参加できそうな企画があると、お誘いのメールを頂く。
ありがたいことである。
簡単な挨拶を交わし、祭りがある三笠公園へ向かう。

目的の盆踊りは、「灯籠流しの会」に併設される形で実施されている。
灯籠流しの会は公式なイベントではないようで、市のホームページには見つからない。

祭りに集まった人も、灯籠流しに参加したり、あるいは見物する人が大多数で、盆踊りには興味を寄せていない。

日本海海戦で有名な 戦艦三笠。
公園内には、東郷平八郎の像も設置されていた。

三笠の山に出でし月かも・・・
50mmレンズでは、後ろに下がってフレーミング。
広角 24mmレンズ相当は、前にでて、柵の所で撮影する。

現像時、D-レンジオプチマイザーを目一杯使って画像を調整。
色温度を5800°Kに設定、色彩に関しては、それ以外いじっていません。
レベルを暗めにスライドしています。
こってりとした絵画風な写真になってしまった。
比べたらモノトーンは見劣りがする。
暗く焼きこむといいのだろうが・・・・撮影時、対応する露光にしていない。

無理矢理 焼くと銀粒子の汚いざらつきが空に出る。
シルエットで抜くつもりなら、空のトーンに注目し、
二絞りほど露光を少なくすべきところでした。

しかし、カラーデジタル 綺麗に撮れる。
カメラ任せで撮影しています。
いいなと思ったらボタンを押す。
ただ、それだけ、腕はあまり関係ないようです。
良い時代になりました。

灯籠流しに参加している人たちが、テントの辺りに群がっている・・・と言っても せいぜい200名ぐらいだろう。
三笠の甲板で灯籠流しを見る人も100名くらい。 そんなイベントでした。


これもシルエットで抜いたほうが良かったか?
月の「うさぎ」を出すなら、f:8/250秒くらいの露光を選ぶべきだった。
- 2016/07/26(火) 08:34:26|
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どぶ板通りから、ちょっと横道へそれて歩くと、

諏訪神社山門のしるしに気づく。
土地の神社、挨拶していくのが礼儀と足を進めた。

おやおやどうしたことか・・・トラブルでもあったのか?
石段を登り本殿へ。

人影はない。
デジタルカラーは即物的。
静かな境内を表現するならモノトーンだろう。

しかも、豊かなトーンがふさわしい。

しばらくすると若い女性が二人登ってくる。
いかにも観光で来た人。
お参りを済ませると、すぐに石段を下りていく。

同じ場所を Nikon SPでも撮影してみる。
場所の説明としては、デジタルのほうが遥かに情報量は豊か。
でも、どちらが好みかといえば、モノトーンのほう。

右の坂道を、愛犬を散歩させる白人女性がいく。
軍関係者でもなさそうだ。
このごろ、これ以上先へ犬を入れないようにとの看板が出ていることがある。
同じ扱い?か
"OFF LIMITS"の看板、少し心に引っかかっている。
----------------------------------------------
時刻は約束の4時近く。
集合場所の京急・横須賀中央駅 東口改札へ向かって商店街を歩いていると、
豊川稲荷入り口のガラス戸を見つける。
一瞬、なに??

商店街の横道が、豊川稲荷の入り口になっていた。

店舗の横に入り口の硝子戸・・・・参拝せざるをえない。

急な石段を登っていく。

切り取りようが 思い浮かばない。

でも、眺望は素晴らしい。

時刻が迫っていたので、慌てて降りてきた。
- 2016/07/25(月) 12:29:06|
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集合時間は午後4時、場所は京急・横須賀中央駅 東口改札。
少し早く家を出て、品川から京急線に乗り換える。
金澤八景で鈍行に乗り換え、汐入の駅で下車。
汐入から横須賀中央駅まで、一駅散歩をする。
カメラは
Sony NEX-3 E16mm F:2.8 のデジタルカメラと
Nikon SP Nikkor 50mm F:2 に Tri-X フィルムを詰めたものを持参した。
交換レンズはもっていかない。
今回は、夜の盆踊りを撮るのが主なる目的だったので、
軽い三脚も持参した。(めったにないこと)

汐入の駅から数分も歩くと、どぶ板通りの入り口に立つ。
早速、手にしていたNikonSPでフレーミングし、撮影。
しかし、すぐに気づく、この通りは、50mm標準で切り取るより、広角レンズが良いだろう。
Sony NEX-3のデジタルカメラを取り出す。モードはPに設定した。
「呼吸するように撮」ってみよう。

デジタルカラーは、色絵でもしているのではないかという、頼りなさを感じるが、
ピクセル等倍まで拡大してチェックすると、フィルムにはまねできないすっきりとした画素の並びになっている。
慣れれば、これが美しく、そのうち、フィルムカラーを見ると、騙されているのではないかという猜疑心が出るようになるのだろう。

カメラの視線、男の指先、女性の眼差し・・・関心事は三者三様。

アメリカ ネービーの香がする。

この写真、RAW現像するとき、D-レンジオプチマイザーを目一杯使っています。

これも、D-レンジオプチマイザーを目一杯使って画像処理してみましたが、
ここまで処理できてしまうと、画像ソフトに(それを制作した技術者に)弄ばれているような居心地の悪さを覚えた。
デジタルで撮っている人、メーカー掌の上で遊ばされていると感じていませんか?
まぁ、綺麗に撮れればそれでOKの世界が、写真かも。

どぶ板通りの出口というか入り口まで到着。
右の曲がり、歩いていけば横須賀中央駅、集合場所に着く。
振り返ると逆光が綺麗に入っていたので、すこし道を戻り、フィルムカメラで一枚。

暗室に持ち込み、印画紙に焼き付けようかと思わせるネガだった。
覆い焼きや焼きこみのテクニックを駆使しトーンを調整したら、綺麗な写真になるだろう・・・・
それができたら 趣味としては最高。
もう一度、印画紙に焼き付けたいと思うが、
家の暗室はいま物置状態、片づけるとなると、それをどこへ? 妻は反対するだろうなぁ。
それに印画紙まで高くなりすぎている。かなりハードルが高くなった。
むかし、写真は優雅な趣味だった。
効率は二の次、手間暇の掛かるのは当たり前。
今は、写真は如何に効率的に簡便に、綺麗な写真を撮ることに向かっている。
時代時代に合わせ、写真の役割、機能は変化していく。
シャッターを切る人、写真を見る人が、何に興味があるのか、
小生、その変化に気づいていないようです。
ノスタルチックで古臭いかもしれない。
時代に取り残されたかも・・・・と感じています。
- 2016/07/23(土) 12:39:42|
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西馬音内盆踊りは、お盆の期間中、秋田県雄勝郡の羽後町で行われる伝統行事だという。
その踊りを 新暦のお盆の時期に 横須賀市の三笠公園でも 踊るという。
写真倶楽部「彩遊」のメンバーの方が、自主撮影会を設定し、その誘いを受けた。
踊り手は わずか十数名だが・・・・、
今まで見たこともない踊に、
見た瞬間、魅せられてしまった。

有無を言わせない・・・・ものがある。
しばし、呆然。
夢中になってシャッターを切っていた。
美しいものを撮ったから、写真が美しいわけではない。
対象が力強いから、写真が力強いのではない。
この警句、今はほとんど馬の耳に念仏になっている。
素人を相手にしたレッスンプロ・カメラマンは、いかに美しく撮るかを教える。
もしそうなら、皆が美しいと認める場所へ行き、撮れば済むこと。
あるいは 誰もが美しい、可愛いと認める、花や女性、猫、犬をとればいい。
力強さを感じる対象を選び、出向き撮影すれば済むこと。
撮影は、デジタルカメラが こなしてくれる。
それならば話は簡単。
財力と体力、それに「こんなすごい写真を撮った」と自慢したい自負心を持つ人のみが、
いい写真を撮るための入場券を手にすることができる。
キャッチーな写真とは、どんなものだろう?
自問している。
----------------------------------------
今 撮った写真を整理中。
ネガを電灯にかざして見ると、銀塩の濃度はいい具合に乗っている。
ネガを、フィルムスキャナーで取り込む。
横須賀の街でスナップした写真は、いい調子に上がる。
しかし、西馬音内盆踊りは、暗い部分のトーンの調子がでてこない。
もう一度、取り込み条件を変えて取り込んでみるか・・・・思案中。
- 2016/07/22(金) 12:06:54|
- 人物 ポートレート 踊り
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メールが届く。
去年退会した写真クラブのメンバーの方からだった。
自主撮影会を行うので、参加されたら如何か?とのお誘い。
辞めても時々メールを頂く。
ありがたいことだ。
--------------------------------------
7月16日 横須賀の三笠公園にいた。

午後6時ころ、まだ陽は沈んでいない。
踊りが始まる。
その瞬間、現実と迷界の境は崩され、
得体の知れない「もの」が、カメラの前を通り過ぎていった。
僅かに10分程度。
夢中でシャッターを切った。
最初のフィルム現像が終わる。
写っていたものをチェックする。
心の奥底で感じた不気味さは撮れていない。
撮影技術のなさを 思い知らされた。
--------------------------------------
陽が沈んだ7時過ぎからもう一度踊りがあった。
ほんの10分程度。
今 その時のフィルムを現像している。
撮れただろうか?
- 2016/07/20(水) 08:39:53|
- 人物 ポートレート 踊り
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パスポートの更新を申請していた。
あと10年、10年後果たしているかどうか分からないけど。
4日月曜日、新しいパスポートを受け取りに、有楽町の交通会館へ行く。
新しいパスポートは、すぐに受け取ることできた。
すぐに帰るのも・・・と付近をぶらぶら散歩した。
果たして、呼吸するように、撮れるだろうか?

数寄屋橋の交差点にあるランドマークとも呼べる交番、建て替えの話が出ているらしい。

ガードをくぐりシャンテ前へ。
ゴジラの像を確認する。

日比谷公園に入る。
松本楼を撮る。

公園内に残る千代田城の石垣跡。
スランプ・・・というより、撮りたい対象にバイアスがかかっている。
人の姿を避けたフレーミングになりがち。
無意識なのだろう。

避けようと意識したわけではないので、小さく写っていることが多い。
句読点のように、写真にメリハリがつけばいいかなぁ。
- 2016/07/17(日) 11:55:01|
- 都会の景観 Tokyo
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ポートレート写真を頼まれたことが発端だった。
撮っているうちに、段々と気が滅入っていく。
譬え、許可を貰って撮っているとしても、
人の恥部をさがし、晒しているのではないか・・・そんなうしろめたさを感じていた。
鈍感な人はいる、モデルになる人にも、カメラ好きにも。
撮らしてくれという、撮ってもいいよと承諾する。
しかし、撮る人、撮られる人の丁々発止のぶつかりは感じない。
撮る人も、撮られる人も、考え方/感じ方がステレオタイプ、鈍感なのだろう。
他人の眼で見ている。自分の眼では撮っていない。
綺麗に撮れていたら、それで満足。
結局、読者モデル風のありきたりな写真になる。
---------------------------------------
モデルの鈍感さがでているショットがある。
若く綺麗な女性の写真だけど・・・
いかにも、職人然とした写真になっているが・・・・
恥ずかしい部分が晒されているのに・・・それをカメラマンは判っていない。
木村伊兵衛だったら、シャッターを切らなかっただろう。
鬼海弘雄だったら、こんな鈍感なモデルをえらばないだろう。
そう思うと、怖ろしい。
Street Photographyも、一歩間違えれば、こうなるだろう。
撮ることに鈍感になってはいまいか?と自問していた。
スランプになっていた。
--------------------------------------
もんもんとしていても 始まらない。
なにも考えず、呼吸するように撮ってみよう。
それでも、駄目なら・・・・人を撮ること止めるかなぁ~~
気楽が一番、
カメラ任せで写真が撮れるデジカメを持って、散歩に出た。
なにも考えず、いいなと思ったらボタンを押すだけ。


参議院選挙が、もう昔のように感じる。これからは、都知事選が始まる。

「どうだ うまいだろう」 とこんなフレーミングする人は多い。
誰の真似? ステレオタイプ、ありきたりです。

幼い子をみると、ボタンに手が行く。

どうしても 撮ってしまう。

露光を自動で合わせてくれるのは、確かに便利。

デジカメにはフルサイズ換算で24mmのレンズがついている。
普段使っているのは50mmレンズ。
画角は倍の大きさになる。(面積で4倍)
50mmレンズで写る範囲は、ファインダーを覗かなくても、予想できる。
その程度の経験は積んでいる。
その倍の画角と思えば、意外に簡単に切り取れる。
撮りたいフレーミングが見えて来たら、その場所に移動すればいい。

古い改札口につながる階段を上る。


再開発で最初にできた商業施設、大崎ニューシティと呼んでいた。


何も考えないと、こんな思わせぶりな・・・いやったらしいフレーミングをしている。
重症だね。


思い出した!
21mmの広角レンズをつけたフィルムカメラを首からぶら下げていた。
数枚とったが、
すぐに、デジタルとフィルムを同時に操作して、呼吸するようには撮ることはできないと気づき、中止。
デジタルに専念した。
フィルム・カメラは首にぶら下げたまま、使わなかった。
それが良かったのか、カメラを首からぶら下げていたので、
この人は今、写真を撮っていないと警戒が緩んでいたのかも。
手にした(隠し持った)小型NEX-3でパシャリパシャリ撮影していました。
E16mmレンズ パンケーキ型で小さい玩具のようなレンズです。
しかし、解像度はすごい、いいレンズです。(今のレンズは、どれもいいけど)

一日の撮影で400コマ以上の写真を撮った。
少しはスランプを脱せただろうか?
硝子の天井が まだ頭上にある気がする。
これだけ集中して撮ると、しばらくの間デジタルカメラに触りたくはない気分。
厭きた。
そろそろ、フィルムに戻ろうか?
上手に撮れないフィルムのほうが面白い。
- 2016/07/15(金) 12:25:35|
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東京テレポートから一駅、海底トンネルを抜けると天王洲アイル駅に着く。
そこで下車する。

駅の近くは人影がまばらだが、
幼い子供を連れたインド系の家族とすれ違う。
タワーマンションの住人でしょう。

いきなり奥さんが子供を肩車する。
これには・・・驚いて・・・ボタンを咄嗟に押したが・・・手振れしてしまった。

お台場には生活の香りがなかった。
ここにはある。
彼の地は、遊興の地、商業地区なのだから当然。
いつしか、江東区有明の地に、タワーマンションができるようなことがあるのだろうか?

保育園を発見。
ようやく 生活の香りが出てきた。 山手通り沿いを 大崎駅を目指し歩く。

この日見た、一番フォトジェニックな花。思わず 何枚もボタンを押した。

花を写そうとしていたら・・・子供、小型犬、お母さん・・・・眼はもう それを追い続けてしまう。
こうだから・・・カメラの眼は、少々いかがわしい。
ついフレーミングし・・・ボタンを押す。
後ろに小さく写っている二人の女性は、
首からデジタルカメラをぶら下げたカメラ女子です。
年齢はかなり違いますが、
同じように、時々立ち止まり スナップ写真を撮っていました。


いいですねぇ~~、どうしても連続して撮ってしまう。

このお相撲さんの看板、今年の初めごろ来て、撮影した覚えがある。

新東海橋を渡れば、東品川地区へはいる。

橋の下は芝浦運河、水門の向こうは目黒川の河口、区立の海上公園がある。
紅葉の頃は隠れた撮影スポット。

ここで 後ろから来たカメラ女子に追い抜かれる。



恐竜が怖ろしくて逃げているわけではない。
子供は遊びの天才。

この子は、かくれんぼ遊びしているわけでもないようだ。
・・・すねている。
どうやら、思い通りにならなかったことがあったようだ。

恐竜は、公園内を ノッシノッシと闊歩している。

これは、恐竜のお化け?

公園を出ると、すぐに居木橋。


居木橋の信号を左に入ると、戸越の里への近道がある。
左に曲がり、帰宅した。
- 2016/07/14(木) 12:24:54|
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区界を超え、港区の海浜公園へ入る。

勿論注目していたのは、ベンチの二人。
シルエットで抜こうと思った。
幹に巻かれた看板が、白く写ってしまい目障りだが・・・
この樹がないと遠近感が損なわれ、二人への眼の動線が弱くなる。
痛しかゆし。
恐らくここが区界。
左が品川区、右が港区。

海浜公園の海。
潮風公園にあった柵はなくなり、水辺へ降りることができる。
遠くに掛かる長い橋は、レインボーブリッジです。

縦位置で、遠近感を、

横位置で空間の広がりを・・・
近景の葉に注目したらなら、赤外線フィルムで撮影するところ。
キャッチーなトーンになったと思う。

これは定番の構図、撮り方。
面白くもない。

この石は、お台場が作られたときのものを再利用したのか・・・・?
オブジェとして、新たに入れたのか?
まぁ後者でしょう。

焼き込んで、シルエットに。

沢山の外国の方が来ていました。
おそらく中国の方。
台湾か中国本土か わかりませんが、スマホで記念撮影をしていました。


この方も中国の人。フォトジェニック、目立っていました。
行動が少々子供っぽいようも感じますが、
それが魅力的、いいなぁ・・・素敵だなぁと感じるのは、歳のせいかも。


ピントは前景のサンダルに合ってほしかった。
中景の女性にピントが来ていました。
ピクセル等倍まで拡大したら、恐ろしいほど鮮明に写っている。
デジタル恐るべし。

この公園のコンセプトは、
海岸に打ち上げられた難破船のイメージでつくられたのかなぁ~~

4時間の散歩で400枚以上の写真を撮っている。
フィルムなら同じカット数撮るのに2か月近く掛かる。
まだまだ、写真はある。
---------------------------------------------
追加画像。

動きがあり顔がブレ気味・・・・不鮮明だったので載せました。
素敵なカップルです。
注目し、6カットほど連続でボタンを押した一枚です。

この方にも注目していました。

場所の雰囲気が出ていると思うのですが、如何でしょう。


大都会で釣を楽しむ。
この場所の説明には外せないショット。
- 2016/07/13(水) 08:31:16|
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妻と夜遅くまで、参議院選挙速報を見ていた。
投票前から、マスコミの世論調査は 改憲勢力は2/3に迫るだろうと予想していたが、
その結果を追認するようなものだった。
イギリスの国民投票はどうだったか?
投票日近くなって、EU残留派が逆転し、少し優勢になったという世論調査がでたが、
国民投票の結果は、EU離脱派が勝利する。
離脱派は「イギリスの新たな独立記念日」だと、勝利宣言をしていた。
負の面には一切触れない選挙戦術の勝利だろう。
「美しい日本を取り戻す」と叫んでいた人が、
「三本の矢」のキャッチフレーズを連呼し、衆院選挙に勝利する。
アベノミクスが憲法問題を覆い隠し、それに触れぬまま、安保関連法案を通した。
今回もまた、経済、経済、アベノミックスを叫び、国益重視に徹した。
それが勝利に結びついたのだろう。
甘い言葉には弱い。
似たようなものかなぁと思う。
今度は、何を覆ってどんな法律を通すのか??
良い選択か、悪かったかは、今後の結果を見つづけるより致し方なし。
見守るとしても、老人はただ消え去るのみ。
あとどれだけの期間、選挙権を行使できるだろうか?
妻が一言、「老人の、老人による、老人のための政治」と云って、寝室へ消えていった。
居間に一人残り、ぼんやりと、テレビを見ていた。
若い人のほうが、これから生き延びていく期間は、ずっと長い。
真剣に考えるべきは若い人だろう。
老人は、後先が短いので・・・平穏無事が一番。
変革を嫌い、自分のことで頭が一杯。 今さえ良ければいいのです。
若い世代の将来まで・・・心が届きません。
ごめんなさい。
ごめんなさい、ついで。
僅かな年金と乏しい蓄えですが、どうにか生き延び、古いカメラを持って散歩しています。
フィルム代も馬鹿にならないので、デジタルにしようかと、悩みながら、遊ぶ毎日。
あと何年も続けられないでしょう・・・そのぐらいの贅沢、お許しください。
--------------------------------------------
呼吸するように撮った写真です。

大崎駅には「臨海線」、「湘南新宿ライン」(埼京線)、それに山手線が走っている。
土曜の午後、妻と大崎駅近くのレストランで食事したあと、
散歩するからと別れ、「臨海線」、「湘南新宿ライン」のあるプラットフォームに立っていた。
臨海線か湘南新宿ラインか、先に来た電車に乗るつもりで。
臨海線ならば、4駅目の東京テレポートへ。
湘南新宿ラインなら二駅目の武蔵小杉へ行くつもりだった。
新木場駅行きが先に来た。

人生だってこんなもの、選択肢はあるが、なにも深い考えが有って選んでいるわけではない。
行き当たりばったりの選択。風に吹かれて、漂流しているようなものかもしれない。
何が悪かったか、あとでわかっても、戻れない。
それが「時間の矢」というもの。「エントロピーは常に増大する」と嘯くところ。
よくも悪くも、受け入れざるをえないなぁ。





東京テレポート駅を選んだのは、品川区の区界を見たかったから。
以前、江東区と品川区は東京湾で隔てられた対岸にあった。
埋め立てが進み、新しい商業地、住宅地ができる。
産業廃棄物、建設残土、家庭のごみなどが、江東区を通り運ばれ、埋め立てられてきた。
当然のことながら、江東区の土地になる。土地は、江東区から伸びていったのだから。
目の前の海を埋め立てられた港区と品川区は面白くない。それなりの権利主張をしたのだろう。
埋立地のごく一部だが、割譲を受ける。

品川区、港区、江東区 3つの区の区界を見たくてやってきた。
右が江東区、左が港区、品川区を背にしている。

振り返って品川区側を見ると、湾岸線の道路が走っているだけ。
一帯は、潮風公園になっていて、この道路で二分されている。
商業ビルも、高層マンションもない。
地目は、品川区東八潮。対岸の八潮の名前を借り、かろうじてここは品川区と主張している。
品川区のホームページを見たが、この公園の名前は見つからない。
調べたら、都立公園だった。区としては有ってもなくても、どうでもいい。
名誉だけ取ったということだろう。
防災広場に指定しようにも、品川区側から、ここへ来るには、自動車で東京湾トンネルを通て来なくてはならない。
あるいは「臨海線」に乗る。港区にでてユリカモメ、レインボーブリッジを通ってくる。実際の災害時には間に合わない。
災害時、避難は徒歩が原則。
実際、駐車場をみたが、品川ナンバーは少なかった。他府県が多い。
そんなものだろう。


- 2016/07/11(月) 09:13:30|
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どうもスランプ。
くよくよ考えすぎ。
何も考えず、写真でも撮ってみようと、デジタルカメラを持って出る。
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ピクチャーエフェクトから、ハイコントラストな白黒写真モード(HCB&W)を選んだ。
露光も焦点も自動、全てカメラ任せ。
必要なのは、撮りたいと思たらボタンを押すこと。
呼吸するように写真を撮ったらどうなるか、実践してみた。
メモリーカードを初期化、2000枚ぐらいは撮れる容量がある。
フィルムなら60本用意したことになる。
しかも、フィルム交換の手間はなく、撮影を中断することはない。
撮影ごとにフィルムを巻く必要もない。
まさに連続、切れ目なく、呼吸するように写真が撮れた。
4時間の散歩で420カット撮影していた。
フィルムだったら 1本がせいぜい、デジタルだと、10倍以上のコマを撮影している。
撮ってみての感想・・・撮影は気楽、しかし、帰宅してからの写真選びが大変だった。
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土曜の晴れた日。
お台場海浜公園は、訪れた人であふれていた。

観光地、誰もがスマホで記念写真を撮っている。
カメラを気にしてはいないのを幸いに、パシャパシャ、ボタンを押していた。
フィルサイズ換算24mmの広角レンズ、カップルまでの距離は2mくらいだろう。
お二人の姿が、カメラに収められているのを二人は気づいていない。
許可ももらっていない。さすがに、顔の判別できるカットはNGだろう。

すこし離れ、逆光の光で撮影。
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設定で直接モノトーン撮影ができるのは HCB&Wモードしかない。
画像を調整をしようとすると、トーンデータが少ないことを実感する。
RAW(カラー)で撮影し、RAW現像でカラーTIFFファイルを作り、
更にそれからモノトーンへ変換すれば、
トーンの豊富な白黒画像にすることはできるだろうが・・・・手間がかかり過ぎ。
撮影時に モノトーンを選べるデジカメもあるという。
また、モノトーン専用のカメラも、ライカから発売されている。
それらを使ったほうが、いいだろう。
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たしかにデジタルでスナップ、すごい。
素敵なカップルを見つけ、注目。
風景とのバランスをチラッと見ながら、駄目元でもいいとボタンを押す。
フィルムだと、こうは シャッターは切れない。
あとは選べばいい。
写真を見ると、腕が上がったような気がしてくる。
これに騙されてしまうのかなぁ?
- 2016/07/10(日) 11:07:33|
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Sony NEX-3には、
ピクチャーエフェクトというモードがある。
「好みの効果を選ぶと、独特の風合いで撮影できる。」という。
お遊びで、たまに使うなら、それも面白いが、
面白いからといって、パートカラーやPOPで撮影された写真ばかり見せられたら、辟易としてしまう。
RAWで撮影し、メーカー推奨の(同梱)現像ソフトで画像の調整を行うが、
どの程度の調整なら許されるのか、これも不安になる。
カラーの調整/調色?とD-レンジオプチマイザーは、取り扱いに苦慮している。
調整を続けると、見たこともないような画像になっていることがある。
光の関係からこんなドラマチックになることもありそうと感じたり、
これは不自然で駄目だろうと思うこともある。

適切なフィルムに適切な露光で撮影し、現像液を適切に選び、適切に現像すると、
ダイナミックレンジで4000倍ぐらいあるネガを得る。
しかし、その中で、光とネガ濃度が比例するのは100倍くらいの区間になる。
デジタルカメラのダイナミックレンジは、フィルムほど広くないが、
暗いほうに対しても比例しているので、
直線部分はネガと同じか、少し広いかもしれない。
全体のダイナミックレンジは400倍くらいだろう。
400倍と4000倍 大きな差のようだが、実際は大したことない、ほんの10倍にすぎない。
人間の眼のダイナミックレンジは、遥かに広い。
10000を超えるだろう。おそらく10万倍?くらいあるように思う。(月夜から夏の真昼間まで)
しかし、実際に印象に残るのは、その中でレンジにして20~30倍程度の範囲だろう。
極端な明るさ、暗さは、状況の理解には不要と人間の頭脳は勝手に判断し省略してしまう。(白か黒でいい)
戸越銀座商店街に建設中のビルを、昼間撮影。
デジタルは白飽和しやすい。
その点はメーカーの技術屋さん よく承知している。
Pモードで撮れば、明るい空を白飽和させないよう露光を調整してくれる。
D-レンジオプチマイザーを使い、明るい部分を抑制し、暗い部分を持ち上げてみた。
幾分ハイキー調になったが、太陽の強い光の射す街並みの感じになる。
これは、許せる、というより好ましい。
現実の広いダイナミックレンジの映像を圧縮し、見やすい(印象に残る)画像にしてくれる。
記憶の映像に、かなり近い。

曇天の日に撮影したセルフィー。
D-レンジオプチマイザーを使用したら、暗い部分が少なくなっていく。
明るいメリハリのある画像になった。エッジがでて、線描しているような感じになる。
これは、許せる?
記憶にはない。
ある意味ドッキとする。これキャッチーな写真??

夜撮影したRAW画像をD-レンジオプチマイザー処理した。
実際に撮影したときの記憶に残る映像と、全く異なっている。
こんな風景だったか??
派手な画像、キャッチーだが・・・・
カメラとそれに同梱してあった現像ソフトに遊ばれているような居心地の悪さを感じた。
写真は目立ってこそと思う人なら、喜んだだろう。
意外とキャッチーに撮れた/画像を仕立てたと。
一枚の画像をD-レンジオプチマイザー処理し、
メリハリのある画像に仕立てるのは・・・少々、いかがわしさを覚えるが、
許されるだろう。
最新のカメラによっては、HDR機能を持ったデジカメもあるという。
複数枚の画像を連続で撮影し、カメラ内で画像処理しダイナミックレンジの広い一枚の写真を自動で生成するとのこと。
ダイナミックレンジの広い写真は、フィルム時代からの願望だったが・・・・
それが実現したとなると、嬉しがるべきだが・・・今となっては、違和感が出てくる。
でも、結局 受け入れられるのでしょう。
常に、最新技術を貪欲に取り込んで発展してきたのがカメラなのだから。
それを使うか、使わないかは、その人の見識。
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RAW現像でD-レンジオプチマイザー処理した画像、現実離れしているように思えたので、
更に、PSE(フォトショップエレメント)のレッタチソフトでカラー調整してみた。

調整というより調色・・・悪く言えば塗り絵になってしまう。
明るさのレベルもすこし下げてみた。
線描した感じは残っているが、だいぶ見たときの印象に近づいている。
これ、いいのではないか!
カラーデジタルは、難しい。
- 2016/07/09(土) 11:30:33|
- デジタルで遊ぶ
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戸越から大井町を抜け、立会川沿いに歩き、
河口の勝島運河まで散歩したとき撮影したもの。

大井町駅近く、京浜東北線と東海道線の踏切で撮影。
歳をとると経年劣化し、耳も遠くなる。
轟音をあげて電車は通り過ぎていくが、気にならない。
こんなものだろう。

ここから立会川緑道へ入る。
地上を流れていた立会川は、都市化と共に暗渠になり、
その上の遊歩道を、自転車に乗った人が通り過ぎる。
大井町の繁華街を一歩でると、こんな空間が広がる。
遊歩道は、途切れ途切れだが、
荏原町あたりから河口の勝島運河まで続いている。

立会川沿いに、国道一号線と交わり、そこで終わる短いアーケード型商店街がある。
嘗ては繁盛した商店街だったのだろう。
駅に近いが、人通りは広い国道で分断されている。
シャッターの降ろされた商店街に、人影があった。
しぐさを見ながら、その瞬間をカメラに収めていた。
国道を渡ると、また違う商店街になる。

駅横の商店街を抜け、旧東海道の道を渡れば、すぐに勝島運河に達する。
若者が上半身裸になり、寝転がり、本を読んでいた。
そばには鳩の群れ・・・思わずシャッターを切っていた。
盗撮するつもりではありません・・・・が。

こんなトーンの写真も好きだ。
「緊張感のあるモノクロに仕上が」っていないが、
銀塩の濃淡の全てを、省略することなく使い切りたいと、思ってしまう。
豊かな階調性・・・言葉は美しいが、実際はキャッチーな写真にならないことが多い。
むしろ、少し間引いたほうが、写真はすっきりする。
しかし、銀塩に拘りたいので、階調性を最大に・・・と努力する、工夫する。
凡庸で 眠たく、面白味がないけど・・・・好みなので致し方ない。
- 2016/07/07(木) 16:00:17|
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思考回路も経年劣化で段々と鈍くなってきている。
行き詰って当たり前だろう。
写真など、気楽に撮るべきかなぁと思いながら、
ぼんやりと、最近撮った写真を整理していた。

6月終わりごろの夕方、戸越銀座駅近くを散歩。
陸橋の上の欄干に丸いステンレスのオブジェがあった。
映り込んだ光景が面白いので 一枚撮影。
これ流行りのセルフィー?? 軽い気持ちだった。
写真を見ながら、デジタルで撮影したらどうなるのだろう?
急に興味が湧き、Sony NEX-3を持って、撮影した場所へ。

設定を Pモードにして、撮影。
露光からピントまで 全てカメラにお任せ。
液晶画面でフレーミングを確認するだけなので、連続してパシャパシャとシャッターを切った。
フィルムだと、一枚撮ったら、それで終わり。
その分、撮影には慎重になる。
絞り、シャッターを決めたら、フレーミングに注意、
手振れしないようしっかりとカメラをホールディング。
背景の人や自動車の位置に気を使い、
ベストと思うところで、シャッターを切る。

デジタルは、気楽。
パシャパシャ 撮影し、あとで選べばいい。
撮影の自由度は高い。
手を伸ばした位置から撮るなら、
ピント、フレーミング、手振れが怖いので、脚立でも持ってこないと、撮影できないだろう。
しかし、デジタルなら可能。
あとで選べばいいのだから。
カラー画像を モノトーン(白黒)に変換した。
悪くない。
フィルムとの違いを感じない。
フィルムで撮ることに固執すべきではない・・・と反省すべきだろう。
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デジタル・カメラのモードをピクチャーエフェクトのHCB&Wに変える。

メーカーの謳い文句とおり、
「明暗を強調することで、緊張感のあるモノクロに仕上がります」
階調性は落ちるが、確かに、白黒の対比の美しい写真になる。
フィルムでこのように撮るのは難しい。
特に小生のように、白から黒まで豊かな階調の写真を撮りたがっている「古い」人間には、ハードルが高い。
露光を控え気味にし、少し増感するつもりで現像すれば、
似た階調性は表現できるが、銀粒子が汚く出てくるので、好みではない。
ざらつきのない白黒の美しいデジタル写真を見せられると、完敗だと思ってしまう。

調子に乗って、何枚も撮影したので、トリミングしてみた。

デフォルメされた画像が面白い。

しかし、単なる思い付き、誰もが気づくこと。
面白いからと、更に追及しても、新しい表現になるわけではない。
既に、1930年代のパリで、アンドレ・ケルテスは、「Distorsions」という写真シリーズを撮影し、発表している。
250枚程度のプレート(写真)を撮ったところで、これ以上追及すべきものはないと、撮影を止めている。
彼の示した世界以上の領域に踏み込めるなら、進めばいいが、真似なら顰蹙、冷笑されるだけだろう。
これは、気晴らしの遊びです。
- 2016/07/06(水) 18:58:43|
- その他
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不調。
写真を撮る気にはなれないが・・・・
散歩にはカメラを持って外へ出る。
大した写真も撮れないからと躊躇するが、
「しょうもない、花でも撮るか」と 公園の紫陽花を撮影していた。

手持ちで近づき、液晶画面を凝視、風が収まった瞬間、シャッターを押す。
内蔵の小さなフラッシュを強制発光させる。
フラッシュの露光コントロールはカメラ任せ。
それでも完璧な写真が得られる。カメラの進歩はすさまじい。
雨上がり、水滴が花や葉の上に乗っていたら、完璧だろう。
しかし、いいからと言って、いいとこどりしていたら、
美しいが見慣れた、ごくありふれた写真になっていく。

今となっては、誰もが撮ることができるようになったが、
50年前 こんな写真撮れたら、小躍りして喜んだだろう。
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次の日の散歩では、デジタルカメラの設定を、ハイコントラスト・モノクロにしてみた。

花の名は 知りません。

花が咲いているなぁと・・・それほど気に掛けないで通り過ぎて行ってしまうが、
HCB&Wモードで撮影すると、ちょっとばかり異様。このほうが面白い。

紫陽花の花も、すこし違って見える。

ミラーレス一眼レフカメラ。16mm(フルサイズ換算24mm)の広角レンズだが、20cmくらいまで近づいても、自動で焦点を合わせてくれる。こんな撮影も、至極簡単。
内蔵のフラッシュを発光させています。

これが、散歩で発見した一番フォトジェニックな花。
美しいとは思えないが、存在感があった。
美しい花を撮ろうとは思わない。
「美しい花を撮ったから、写真が美しいのではない」
という警句を思い浮かべている。
花の異様な側面が見たいと思っている。
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難しいから、チャレンジする。
その達成感がいい。
人は、簡単にできるようになると、興味を示さなくなる。
持続する意義を見いだせないから。
折角、高価なデジタル一眼を買いながら、数年もしないで 止めてしまう人を 何人も見てきた。
構図が取れて、写真がうまくなったなぁと思うと、高級デジカメから手を引いていく。
やってみたら、コンデジで充分、スマホでカバーできるからという。
そんなものなのだろうか?
まぁ、小生も、不調。 撮ることに躊躇しているが、
フィルムが入手できなくなるまで、止めないだろう。
さて、どう撮るか?悩ましい。
- 2016/07/04(月) 10:22:13|
- 樹、草、花
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果たして都会と言えるかとなると、疑問はあるが、
戸越銀座の長い商店街の端に、高いビルの建設が始まっていた。

古い商店が取り壊され、何軒かがまとまり、ビルに建て替えられていくが、
これまではせいぜい6階建てぐらいの高さだった。
このビルは、その2倍くらいの高さがあるだろう。

夜、人通りの絶えた商店街に、三脚を持ち出し、撮影する。

ビルの上まで、街灯の光は届かない。
長時間露光して撮影した。
ザラッとした銀粒子が、暗い部分に現れるが、
写真に異様さを与え効果的だと思う。

昨日、デジタルカメラを持ち出し、撮影してみた。
デジタルカラーは、一目瞭然。
何が写っているのだろう?などと、しげしげ写真を見て、考える必要ない。
画家が描く世界は、現前の光景をモチーフに使っても、それ以上のもの。
眼前の光景をコピーする写真には、それはできない。
写真は素材。
画家のための素材として、写真は画家に販売されていた歴史を持つ。
カラー写真が好きになれないのは、素材を剥き出しの形で見せられることだろう。
モノトーンの写真は、写真家が暗室で格闘し作った「ハンドメイド」品。
そこには 写真家の眼差し、思想、知性が込められている。
見る方も、それが何かと・・・探そうとする。
カラー写真は、思考停止に陥りやすい。

カメラの設定を ピクチャーエフェクトのハイコントラスト・モノクロモードにして撮影した。

悪くない・・・というより、よく撮れるものだと感心する。
何も考えないで、フレーミングし、シャッターを押すだけ。
それでも、撮れてしまう。
フィルムで撮影し、このような階調性を出すのは、かなり難しい。
技術的なテクニックは、カメラ内の画像処理プログラムで 処理してくれる。
時代の流れ、逆らえるはずもない。
そのうち、フィムルの入手が難しくなったら、デジタルカメラで撮影することになるだろう。
その時まで、デジタル写真を撮ることに厭きなければ・・・・

夜になり、三脚を持ち出し、長時間露光してみた。
RAWモードで撮影、できたカラー画像を、ソニーのImage data converter現像ソフトで、TIFFファイルにし、それをPSE(フォトショップエレメント)でモノトーン画像に変換した。
階調性はなだらかに繋がり、破堤していない。
でき過ぎだぁ。
あまりにも優等生、面白さが足りない・・・とフィルムで撮った写真と見比べながら・・・・
デジタル・モノトーン画像に悪態をついていた。
金の卵しか生めない鶏は、すぐ絞殺されてしまう。
希少であることが、価値の源泉なのだから。
デジタルカメラが、金の卵しか産めない鶏だと・・・うすうす感づいている・・・、
小生のデジタル・カメラに対する偏見、やっかみ、罵詈雑言でしょうけど。
- 2016/07/03(日) 11:59:32|
- 都会の景観 Tokyo
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モノトーン専用のデジタルカメラも発売されているが、非常に高価。
手が出ない。
通常のデジタルカメラは、設定を変えれば、白黒のモードで撮影できるのが一般的。
Sony NEX-3についているのは、ピクチャーエフェクトのHCBWモードのみ。
うたい文句は
「明暗を強調することで緊張感あるモノクロに仕上がります」
このモードで撮影されたのであろうか、
ブログには、人の姿がくっきりと写しだされた、街中のスナップ写真(白黒)を、見かける。
フィルムで、同じような写真を撮ろうとすると、これがなかなか難しい。
時代はデジタル。
デジタル画像を白黒へ画像変換することも可能。
このほうが、HCBWモードより階調性は豊かになる。
オーデション応募用の写真を撮ってくれとの依頼に、デジタルカラーで撮影し、
白黒変換してみたが、肌の微妙な階調性を出すには、まだ、フィルムのほうが、いいかなぁ・・・・
と少し安心。(まだ、フィルムを使っています・・・と釈明するときの言い訳に使える)
早晩、デジタルのほうが、階調性もよくなるでしょうが・・・
応募用の写真を撮り終わった後、帰宅するため、都営地下鉄の水道橋駅へ歩いて行った。

これは、カラーよりモノトーンでしょう。

カラー画像を白黒画像に変換してみた。

RAW現像するときD-レンジオプチマイザーを使って、暗い部分を持ち上げています。
その後画像(TIFFファイル)をPSE(PhotoshopElement)で受け、白黒変換しました。
カラーでは、色の情報が入り、見たままで充分。考える隙もない。
モノトーンにすることで、想像の翼を広げる部分が増えてくる。
写真は引き算、ならば、色の引き算があってもいい。
- 2016/07/01(金) 12:31:21|
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