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本当に大切なものは見えない

古いフィルム・カメラで、ありふれた身の回りを撮っています。日常の中の一瞬を捉え、読み解く写真になっていれば・・・

邪な霊の住む樹・・・・

林試の森を散策。
人のいない写真を撮ろうとしていた。
人が写っていなくとも、人の存在を感じさせることはできないかと、
切り取り方を考え、撮った一枚撮。
散策道の杭が見えるから、この切り取り方でいいだろうと・・・
奥行きの動線ばかり気にしてフレーミングしていた。
林試の森868-15
陽が差し込む明るい時間、人々は気づくことなく、この樹の横を通り過ぎていく。
邪悪な樹は、じっと森の小道を伺い、誰にしようかと品定めする。
お父さんに手を引かれて、小さな女の子が散歩していく。
次は、あの子にしよう。
陽が沈み、森は暗闇に閉ざされたとき、樹の悪霊は黒いマントを羽織り、夜空に飛び立つ。
唱える呪文を、口ずさみながら・・・・

そんなことありません。

現像し、ネガをスキャナーで取り込み、画像を確認したら、
ピントを合わせた樹の幹に大きな祠が空いていた。
撮影時には意識していなかった。
意識できないと、気づかない。
気づかなかったら、なかったと思うのだろう。

アッ、これ西洋のおとぎ話の世界を撮ってしまった・・・
小生の勝手な思い込みです。
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夕方の林試の森は、意外に暗いようです。
一絞りほど、露光が足りなかった。
f:3.5/25秒が、適正露光だったようです。

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  1. 2016/06/29(水) 19:16:11|
  2. 樹、草、花 
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林試の森にて

戸越の里から桐ケ谷道を歩き、目黒不動へ、そこが終点。
そこから、林試の森公園に迂回し、武蔵小山の商店街を抜け、
戸越の里に戻るのが、散歩コースの一つ。
気分転換には、散歩が一番。
スランプを感じても、カメラを持って外へでる。
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林試の森で 撮った数枚の写真。
林試の森868-17
夏休みの宿題だったか・・・・
子供の時、昆虫採集で美しい蝶を捕まえ、宝箱のケースに虫ピンで止め、
増えていく蝶の数を一人密かに楽しんでいた。
夏休み明け、その宝箱を同級生の見せ、得意になる・・・・、

成人し、カメラを持ち、ポートレート写真を写すとき、
密かにその人を盗んでいるのではないか、という感覚に襲われる。
ポートレート写真をアルバムに貼る。
今は、ハードディスクにその画像をためていく。
ブログなどに載せ・・・見せびらかす。
子供の時の昆虫採集に似てはしないか?と狼狽えてしまう。

人の尊厳を傷つけることなく、かつ伝えるべきものがあるならOKだと、
もっともらしい理由付けをして、自分を納得させるが、
まだ、その線引きが、自分の心のなかにできていない。
林試の森868-18
誰と特定できないようなフレーミングになる。
林試の森868-19
ピントはぎりぎり犬を連れた女性まで届いていると思ったが、シャッター速度が遅いので、うまくぶれてくれた。
林試の森868-16
John Freeのような、StreetPhotographyを してみたいと思うが、
腹に一物を持っているわけでもない。
覚悟も、志も、見識もない者が、カメラを手に、
Street Photographyと称し(隠れ蓑にして)写真を撮るのは、
他人の秘密をそっとかすめ取る快感に酔ってしまうからだろうか?
フレーミングし、シャッターを押すことに、躊躇しだした。
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レンズは 戦前のツアイスのテッサーを使用した。
同時代、ライカは一世を風靡したエルマーレンズがある。
レンズの構成は同じ、4枚のレンズでできている。
共にノンコートレンズ。
エルマーレンズは、絞の位置が1枚目と2枚目のレンズの間に置かれている。
テッサーは真中、2枚目と3枚目の間。
それが描写力の差になるのか?
好みの問題だが、エルマーで撮影したほうが、角の立たないしっとりとした描写になるように感じる。
テッサーは、「鷹の眼」と言われたように、切れのある写真になる。
しかしその差はほんの僅か。
エルマーも、解像度の高い、良いレンズです。

  1. 2016/06/28(火) 14:03:33|
  2. Street Photograph
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スランプです。

散歩はする。
その時、カメラを持って出る。
「おや」と思ったら、写真を撮っている。
だが、なにかしっくりこない。
スランプです。

ポートレートを撮るということに、ひっかかっている。
人にとって、一番の関心事は、人。
人は、人の集団の中でしか、暮らせないから。
カメラを持っていれば、ファインダーは人に向けられる。

人は、自分だけは特別の存在だと思いたい。
自分は、他人とは違うんだ と確認したい。
化粧したり、服装に注意して、違いを強調する。
そして、どのようなポーズをしたら、よりキャッチーになるか、
ファッション雑誌などをみてポーズを確認する。

撮る側は、綺麗な人、かわいい人、それなりの風格のある人を探し、声を掛ける。
被写体になることを許諾する人は、それなりの自信があるのかもしれない。
撮った映像は、ブログやコンテストで 一般に公開されるかもしれないと期待する。
撮った人は、どうすごいでしょう、こんな写真撮っている、と自慢できる。
撮る人も、撮られる人も、一番最初の動機は、「自惚れたい」にあるのだろう・・・利害関係は一致する。
「うぬぼれ」?そんなことはない、「自己実現/自己確認」と言葉を濁けど、
家族で撮る家族のポートレート写真と、動機、意識は異なっている。

去年、踊りの練習を撮ってもいいと言われ、
また、今年は、ダイエット散歩に付き合ってくれと言われ、
その合間、ポートレートを撮っているが、
撮ってほしいというポーズはほとんど無視し、
小生の撮りたいように撮っていた。
年相応にしか写らない。
それが、気に食わないのか、あなたは写真が下手だから・・・
もっと撮りなさい。その中からいいのを探してという。

可愛いくは写っていないかもしれない。
むしろ、被写体が、秘密にしておきたい部分に光を当て、
それを白日の下に晒す危険がある。
公開し、衆人の眼に晒すのは、駄目だろうと思う。
公開するのは、被写体の恥部だけでなく、撮影者の眼の秘密も、晒すことになる。
強靭な精神、見識、覚悟がないと、ポートレート写真は撮れないとおもう。

プロなら、ほとんどの人がポートレート写真を撮っている。
しかし、その中で・・・すぐに思い浮かぶプロの写真家は、
August Sander、Dian Arbus、鬼海弘雄。

August Sanderは、その写すドイツ人の選び方、撮り方が、時の政権「ナチス」の意に沿うものでなかった。
彼自身、ナチス政権には批判的だったので、迫害されていた。

Dian Arbusは、己の心と戦い、己の心を見つめていたのかもしれない。
ちょっと変わった(精神的・肉体的)人を選び、ポートレート写真を撮っている。
だからこそ、「正常者」を装う人にとっては、衝撃的。
心の奥底にある触れてはいけないものにタッチする感動に似た恐れを、その写真に見る。
彼女(Dian Arbus)は自殺する。

鬼海弘雄は、長い期間をかけ、粘り強く人選し、浅草に来る人を撮り続けている。
可愛い人は写っていない。キャッチーな人はいない。
平均的な日本人を選んで写っているとは思えないが、
かえって、日本人の本質を捉えている。
腕の有る写真家なのだから、コマーシャル関係、マスコミ関係の仕事を探せば、
生活は楽になるだろうと思うが、それはしない。
腹に一物があるのか、背に重い荷を載せているのか、覚悟はできているようだ。
あまり儲かるとはおもえないポートレート写真を撮り続けている。
経済的にはきついだろうなぁ。

3人のカメラに向ける姿勢を見ると、ポートレート写真は、「志」、「覚悟」、「見識」がないと撮れないものかもしれない。
小生に、そんな覚悟はない、志も見識もない。

ポートレート写真と こともなげにいうが、できるだろうか?
いま、スランプ状態に入っている。
カメラを持って、散歩に出れば、シャッターを押すが、できた写真に満足できなくなっている。
くだりもしない写真をまた撮って・・・・

大崎近辺を散歩して 撮った写真です。
そして・・・864-31
和服を着た人が来たので、やり過ごし、後ろから撮る。 
肖像権、「撮ったでしょう?」と詰問されるのを怖れています。
本来なら、声を掛け、承諾を得るところなのでしょう。
奥から自転車に乗る男性の姿が現れる。
そして・・・864-32
数歩追い、すれ違いの構図になるまで待って撮影。
そして・・・864-30
僅かでもいいから、人の存在を感じさせる写真が好きなので、
つい、このような構図になるが、
誰もいなくなった、最後のカットが、今は、好みになっている。






  1. 2016/06/25(土) 22:53:22|
  2. 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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ポートレート 撮る人、撮られる人

カメラを構えポートレート撮る。
カメラが好きなので、つい、撮る人の立場でポートレート写真を見てしまう。

「カメラは意識しないでいい、自然にしていて・・・・」
とモデルになってくれる人に伝える。
「君の存在自体がすでに表現、それが重要。それをカメラで記録しているだけだから・・・」
など、ポートレート写真の本質を判っているようなことを云って煙に巻き、モデルを納得させ、シャッターを切る。
素人モデルは、
「私の存在自体が一つの表現なのかぁ・・・自分では気づかない本当の私を撮ってくれるのかなぁ。」
と期待する。
ちょっといい表情のカットができたら、カメラの液晶画面を、素人モデルに見せる。
「ほら、こんなに綺麗に写る。」
そうねぇ、とモデルが納得したら、してやったりだろう。
「いいねぇ、良いねぇ、その表情・・・ちょっと目線をこちらに・・・」
「そうそう、良い目線頂きました。」と褒める。
モデルを乗せて、シャッターをパシャパシャと切る。
コミュニケーション能力が高い人ほど、ポートレートの名手と評価されているようだ。

名手を自任する人の、
同じような表情のポートレート写真ばかり見せられると、
なにか胡散臭いものを感じる。
沢山の若く美しい人が写されているが、表情は驚くほど均一。
本当に表現できている?
これ、撮る人の論理でしか、見ていないのでは?

カメラを握り、一番ドキドキしてポートレート写真を撮ったのは、恋人(今の妻)だった。
その後 撮ったポートレート写真は 自分の娘と息子がほとんど。
幼いころは、よく撮影した。
子供たちも、カメラを意識することなく、よき被写体になってくれた。
物心がつき、幼稚園の頃になると、子供の鋭い感覚で、
保護者である父親がカメラを構えたら、喜ばそうとそれなりのポーズをとってくれたのかもしれない。
この辺りから、撮影するものと、されるものの 乖離が始まる。
撮影する立場が上で、撮影されるもの(被写体)の立場は下。
カメラを持つ人は支配者で、写される人は支配者の所有物なのか、の問いかけが始まる。
小学生の高学年になると、自我が発達する。
無断で撮影することは、相手の心を無視した行為、
勝手に撮ってくれるなと・・・不愉快な表情を浮かべるようになる。
そこで、自由な家族のポートレート写真は終焉する。
冠婚葬祭、家族旅行での記念撮影がその代わりに写されるようになった。

家族以外の人のポートレート写真を撮るとは、どういうことだろう?と考える。
自分が生きていた証を残したいから・・・・もっともらしい理由を言っていたが
・・・・偏屈老人は???と首をひねり、理解できません。
人に見せても自慢できるような写真を撮って貰いたいと思っていることは確か。
写真を撮った人(小生)がこの写真がいいと勧めても、それを拒否、撮られた人が写真を選んでいる。
普通の人ではない。かなりユニーク。
増上寺863-29
こうしたほうが綺麗に撮れるからと助言しても、聞く耳は持っていない。
勝手にポーズを取る。
増上寺863-32
いつもほとんど化粧はしていない。
お化粧すれば、ものすごく美しくなると思っているらしい。
あと2Kgダイエットしたら、その時は、お化粧し、チャイナドレスと和服を着て、写真を撮ってもらうから、
それまでは、練習。
あなたは下手なのだから、もっと撮らないと、と発破をかけてくる。

心の中まで、無遠慮に踏み込んで行くのが写真。
それに抵抗する手段が、プライバシーという理念であり、肖像権という鎧。
(撮られるものの)非支配者の防衛線だ。
無防備だなぁと思うが、自意識の強さ、自尊心が、それを不要としているのだろうか?
何を考えているのか? 心の中まで読めない。

ポートレート写真は難しいと思う。
  1. 2016/06/23(木) 10:59:33|
  2. 人物 ポートレート 踊り
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ポートレートとは?

誰がポートレート写真を欲しがるのか?

新聞社、雑誌社、広告代理店などが企画し、撮影する場合
依頼主は、モデルと撮影者の両者にあらかじめ了解をとり、契約の上で、ポートレートを撮影している。
モデルになる人は、映画俳優、小説家、政治家、芸を極め成功している人、あるいは専門のファッションモデルなど、
撮られるのことに ある程度 慣れている。
どうしたら自分らしい写真になるか、キャッチーに撮れるかは わかっている。
それを、プロのカメラマンが撮影する。人の眼を引く写真ができて 当たり前。
しかし、そうやって撮られた、おおくの作品は、被写体の発信力が強く 
相対的に撮った写真家は印象に残らない。
酒場「ルパン」で撮影された太宰治のポートレート、撮影者は林忠彦。
太宰治を写したポートレートでは秀逸の作品だろう。
しかし、カメラマンの名前(名声)でページをめくり、
雑誌に掲載されたその写真を見るわけではない。
ポートレートに写っている人が興味の中心、写真家ではない。
「あの太宰を撮影した写真家でしたか」としか評価されなかったと林忠雄氏 くさっていたという。
そんなものだろう。
誰が、ポートレート写真を求めたか?
雑誌社、スポンサーは、売り上げを期待して企画し、
被写体は、「特別な人間」として扱われ、写真が掲載されることで、自尊心をくすぐられる。
モデルなら金銭的なリターンもある。
写真家は・・・・金銭的なリターンと、クライアントとの良好な人間関係の構築を手に入れる。
誰がポートレート写真を欲しがるのか?
読者(購買層)の眼を意識したポートレート写真を、三者が共同して作っているということだろう。

木村伊兵衛は、雑誌社などの依頼でポートレートを撮っている。
映画女優や小説家、歌舞伎役者、芸事を極めた人、名人と呼ばれる職人など、それだけで充分にキャッチーな人。
木村伊兵衛が撮らなくとも、キャラクターに引かれ、見てしまう。
勿論 木村伊兵衛、文句のつけようがないくらいうまいが・・・
しかし、絶賛はできない。
プロの写真家なら、誰でも この程度にキャッチーに写せるだろう。
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しかし、その中で 「N夫人」のポートレートだけは違っていると思った。
確かに、光をコントロールした場所で撮影されたようにも思えるが・・・・

モデルになる被写体が、撮って貰いたい、撮ってもいいと許諾し、
カメラを持つ人も、撮りたい、あるいは記録しておきたいと 希望した瞬間、 
記憶に残るポートレート写真は成り立つのではないかと、思っている。
N夫人
雑誌社などの依頼で撮影したものかもしれないが、間に第三者たる「マスコミ」が介在しているようには思えない。
木村伊兵衛が、撮りたいと思い、「N夫人」もそれを望んでいるように感じた。
写真家を見る眼差しと、左手のしぐさ、それを瞬時に判断し、シャッターを切る、阿吽の呼吸。
こうは撮れない、これは、傑作だろうと思う。
当時のカメラは、機関銃のように連写することはできない。
もし、連射できる現在のデジタルカメラなら、
もっと容易に、決定的瞬間捉えることできるだろうか? 
そうはあるまい、デジタルカメラを構えた瞬間、N夫人の表情はかたまり、このようには撮れなかったと思う。
連写するの? あなたと私の関係でも? そんな信頼関係があるように思えた。
「N夫人」誰だか 浅学でわからない。
鋭い眼光を見ると、舞台女優かもしれない。 
あの伝説の写真家(小生にとって)中山岩太氏の夫人かもしれない。
としたら、木村伊兵衛の先輩写真家だ。
戦前活躍され、戦後間もなく1949年に亡くなっている。
とすると、その翌年撮影したことになる。
中山岩太の作風は「作る写真」で、木村伊兵衛とは真逆な感じがする。
「N夫人」・・・ポートレート写真の傑作だろう。
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写真家が撮りたいと思い、断りもなく撮影したら・・・・盗撮になってしまうが、
そのStreet Photography は魅力的。
木村伊兵衛の写真の本質は、Street Photography だろうと思う。
街を歩き、たくさんのStreet Phtographyを撮っている。
その盗撮まがいのポートレート 全ていい。
特に気に入っているのが この写真。
母と子
1948年に撮影されたとなれば、女性は、小生の母と同年代、
手を引かれた子供の年齢は小生に近い。
戦後間なく、米国の文化がドッと 街にあふれだす。
しかし、戦争に負け 焼け跡時代、女性の服装はみすぼらしく、履物も下駄だろう。
表情も なぜか虚ろ。
しかし、幼いわが子には精一杯のオシャレをさせる。
撮影地は 銀座か有楽町当たりだろう。
幼い時の記憶と重なり、写真の四方から、その時の記憶が この中に飛び込んでくる。
小生にとってこれは 傑作作品。
この女性は どこを見ているのか?
木村伊兵衛は、この瞬間を逃さず 間髪を入れず撮っている。
女性は 撮られたこと気づいていない。
背にしたタイルの柱、上が大きく、下が小さい。
望遠系レンズではこうはならない。
50mmかもしれないが、恐らく広角レンズを使って撮影している。
とすると かなり近づいて撮影しないと、切り取れない。
35mmの広角レンズで2m~3mで撮影、28mmレンズなら もっと近づかないと撮れないだろう。
的確なフレーミング、露光は ISO:50のフィルムなら・・・・f:4/60秒くらいか。
それでも手振れはしていない。しかも、気づかれず 撮影できている。
卓越した技能で・・・・時代を捉えている。
氏の使用した純機械式カメラ(ライカ)で撮るとしたら よほどの技能の習熟が必要だろう。
撮影に気づかれないよう撮影したい場合、かなりうまい人でも、目測で被写体までの距離を読み、ピントをセットし、
ノーファインダーで、腰の位置にカメラを下げシャッターを押す。将に盗撮行為になる。
しかし、木村伊兵衛の撮影アングル(視線)は、立ったままの眼の位置になっている。
カメラを構え、構図を決めて、的確にシャッターを切っている。
秒撮、ほんの1秒か、2秒の出来事。
さっとカメラは腰の位置にもどり、何ごともなかったように平然と歩いていく。
すごいものだと思う。
このポートレートを欲しいと思たのは、木村伊兵衛。
損得抜きなんだろう。
木村伊兵衛の腕を掴み、その場所へいざない、
シャッターを押させていたのは 手にしていた「ライカのカメラ」だった。


しかし、こんな撮影技法でもハードルは下がっている、
多くの困難も、デジタルカメラが サポートする。
デジタルカメラに引っ張られ、シャッターを押してしまう写真家 現れることを期待している。
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去年 踊りの練習するから その姿(様子)を撮ってもいいと言われた。
撮ってもいいとは、「撮ってくれ」と依頼されたと受け止めている。
見栄えする写真を撮るのが、腕の見せ所とばかり、意気込んでみたが・・・・
相手は練習、動き回り、ピントを合わせるのも一苦労。
あぁいい瞬間・・・・撮ろうとするが、すぐにポーズは消える。
光の具合の良いところを設定し、ポーズを指定して 撮影することはできない。
ほとんど Street Photographyと変わらない。 
勝手に踊るから、勝手に撮影するというのが、二人の暗黙の了解になった。
ポートレート751-35 Ⅱ
踊りの練習の間の休憩タイム。小生の存在を気にしていない。
なにか遠くを じっと見つめている眼をしていた。
その目は、自分の心の奥に向けられていたのかも・・・
ストロボ一発焚いて撮影。
閃光に気づき、我に返り、笑顔を浮かべる。
ポートレート751-37 ⅡPrint用
眼は一瞬にして内から外へ向いている。
さぁ、撮って、上手にね・・・・
写真に撮られることを意識した所作になっていた。
心は閉じたな・・・と感じた。
これでは、普通のモデル撮影と同じだろう。(面白くもない)

現像が上がり、二つの写真を、次に会ったとき渡した。
やはり、2枚目のにっこりとほほ笑んだ写真が良いという。
欲しがっていたポートレート写真は、こういう写真なんだ・・・
しかし、小生は最初の写真のほうが、まだましだと思っている。

そこには、N夫人の存在感はない。
やや虚ろな表情を浮かべる女性に吹く時代の風もない。
あるのは「かわいい」女性のポートレート写真だけ。
この写真、この人の本質を捉えていると言えるか?
(かなりサバをよんだ写真になっている。だからモデルは喜んだ。
見かけ年齢に+20歳すると、ほぼ当たりです。)

ポートレート写真、難しいと思う。

  1. 2016/06/20(月) 22:29:15|
  2. 人物 ポートレート 踊り
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ポートレート 女性を撮る

先週の水曜日、
演劇のオーディションに応募するので写真を撮ってくれとのメールが入る。
(以前から聞いていた件なので)OKの返信すると、
返ってきたメールでは、応募の期限が迫っている、
火曜には応募用紙に貼り付けて郵送したいという。
しかし、小生、木金は家の修理を業者に頼んでいるので、開けられない。

小石川・後楽園の花菖蒲が見ごろを迎えたというニュースがあったので、
土曜日 飯田橋駅、1時に集合と決めメールした。
すると、金曜の夜になって、再びメールが入る。
都合ができたので、集合を4時にしてくれと・・・・
待ったなしなので、4時で了解した。
カラーより白黒で撮ってほしいと言っていたが、
土曜日にフィルムで撮影し月曜に写真を手渡すとしたら、日曜の昼の時間は 写真に掛かりっきりになる。
明るい昼は貴重。今回は、デジタルで撮り、白黒変換する旨を伝えた。

結局、集合時間に15分ほど遅れてやってきた。
小石川・後楽園は5時で閉園、時間が足りない。
仕方なく、近くの公園で撮影する。
ポートレートDSC08324 Ⅱ
勝手にポーズをとり、さあ撮ってくれという。
いつものことだが・・・
応募用の写真だから、指名手配のような写真だろうと思っていた。
応募用紙には、「全身像で顔がはっきりと写っていること」という注意書きがある。
横顔では不適正ではないか? 派手なポーズもまづいのでは?
役のイメージに合うかどうかを知りたいだけだから、
光をコントロールした「芸術的」なポートレート写真は望んでいないだろうし、
派手な振り付けをした写真も望んでいないだろう。
スタイルと顔がはっきり写っていればいいのでは?と小生の懸念を伝える。
そのあたりに、依頼者と撮影者(小生)のあいだに認識の差がある。
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見栄えする写真を撮るのが、カメラマンの腕の見せ所。
素敵な人は、一層素敵に見えるように撮るのがポートレートの基本だろう。
ブスッとした顔より、笑顔のほうがいい。
上の歯が少し出たほうが、笑顔になり可愛く写る。
柔らかな光が、右上、あるいは左上から入ってきた方がいい。
ピントは基本的には、眼に合わせるなどなど・・・。
見栄えする写真を突き詰めていったら、誰が撮っても同じような写真に収斂していく。
こうした技法で撮影した「素敵なポートレート」でも、
「この人の人柄の良さ、優しさを、表現できたと思ています。」などのコメントを読むと、
このカメラマン 本当に「人」を撮っているのだろうか??
と、偏屈な小生は、思ってしまう。
見栄えよくするためのポーズの指示を、いままで一度もしたことはなかったが、
正面を向き、特別なポーズをしない写真を一枚撮らせてくれと(珍しくも)声を掛けていた。
ポートレートDSC08408
それが、真ん中のカット。
これを応募用に使ったらと勧めたが、当人は気に入らないらしい。
左の写真も不可。
右の写真で 不承不承これでいいかなぁということになった。
横顔だが・・・いいのだろうか?横顔がはっきり写っているから・・・・
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自由奔放、踊るようにポーズをとる。
お互い非干渉が原則、こちらも黙って(撮るよと断らず)シャッターを切っていた。
これじゃ、応募用写真にはならない。
ポートレートDSC08440 c
ポーズとポーズの間の、すこし緊張が緩んだ瞬間、近づいて2カット撮影した。
これは最初から狙っていた。
それだけ、悪質な行為かもしれない。
確信犯です。
右目は、冷静に、あるいは冷酷に外界を観察し、評価し、どう行動したらいいか見ている。
ポートレートDSC08439c
しかし、左目は、外界を見ているようで見ていないだろう。
眼差しは自分の心の中に向けられていると感じた。
数秒の間隔で2枚撮影。構図はほとんで変わらない。
ピントを違えただけ。
それでも、写真は捉える。
写真は恐ろしい。
「ポートレート写真」を撮っていますと 平然と、何の怖れもなく言うが、
ポートレート写真には、無遠慮に相手の心の中に手を突っ込んで、
見せたくない奥底を白日のもとに晒してしまう,ゴシップ記事に似たいかがわしさがある。
これこそが 盗撮写真ではないかと…怖れている。
気づいているから、意識的に撮影したのだろう。

小生の心も、相当に腹黒い・・・・ 
  1. 2016/06/17(金) 14:42:40|
  2. 人物 ポートレート 踊り
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林試の森公園

扱いにくい純機械式フィルムカメラでも10年撮り続けていたら、
勘(経験)で露光を決めても、大きく間違えることはなくなる。
何かしらネガに残っている。
しかし、簡単に写せるようになると・・・
逆に、写真を撮ること自体のハードルが上がってきたと感じていた。
逃げ道がない。
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足掛け3年ほど、写真倶楽部に参加していた。
「ここが、いいですよね。」などと、倶楽部の人が写真を褒めてくれると、
つい調子に乗り、その良くなった構図、光の当たり具合を更に追及していく。
そんなことを重ねていくと、やがて美しいが特徴のない写真になっていく。
写真倶楽部に参加する人達の写真も、最初は玉石混交、
バラエティが豊富で、意外な切り取り方もあると、感心していたが、
やがて、洗練され綺麗になっていき、誰が撮影したか判別できなくなっていく。
お遊びの写真だから、そんなものだ・・・・・と割り切ればいいのだが、
小生にとっては、これが、怖い。
誰が撮っても同じじゃ~~ん
これでは駄目だろう。
写真倶楽部から、離れた。
今は、写真を撮るのが、少々、怖くなっている。
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5月下旬の土曜日、林試の森を散歩したとき撮影したカット。
林試の森864-17
以前だったら、もっと集団に近づき、撮影していたかも。
林試の森864-18
露光を読み違え、1絞~2絞り 露光が足りなかった。
林試の森864-19
人間の存在が 感じられる程度でいいか・・・など少々消極的(逃げ腰)になってしまった。
スランプかなぁ。
  1. 2016/06/14(火) 15:30:04|
  2. 散歩
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羊歯

写真のテクニックと言うほどでもないが、
時々 テスト撮影をして技法の確認をする。
それも 一眼レフのNikon Fを使って。
羊歯859-15
陽に当たる羊歯の部分を撮るなら、ISO:400で f:11/500秒が適正。
しかし、それでは背景の林は黒く潰れる。
明るい林の中の羊歯を意識した写真にしたいなら、露光を+4絞り増やしたほうが良い、というのが、小生の経験。
G(緑)フィルターの露光補正は+2絞分。結局 f:5.6/30秒を選び、手振れしないように注意してシャッターを切る。
銀塩フィルムでは、白飽和は免れていた。
羊歯859-16a
シャッターを切ってから、露光掛け過ぎか?・・・・と疑念が走る。
念のため -2絞り分 露光を少なくして撮影していた。
明るい林の中の羊歯の葉の印象は消え、むしろ暗い林の木漏れ陽の羊歯の葉になる。
Gフィルターを使用したのは、明るい林のイメージを出そうと思ったから。
この場合、フィルタ-無しf:5.6/500秒で 撮影しても良かっただろう。

どちらの羊歯の葉がいいかは、個人の好みに委ねられるが、
どちらの写真も、ありきたりであることに変わりはない。

撮影するとき、メモ帳を持参し、なるべく撮影したときのデーターを記録しておく。
絞、シャッター速度、フィルター、ストロボの使用など。
そうすると、段々と露光の失敗がなくなっていく。
電子機器に頼らないカメラ生活も楽しいものですよ。
すくなくともボケ防止にはなる。



  1. 2016/06/11(土) 11:45:55|
  2. 樹、草、花 
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有楽町にて

街角スナップ。
面白いと思い、チョコット撮影。
有楽町865-9
大した意味もない。
もし、有楽町のこのガード下の雰囲気を撮りたかったら、
ガード下をいろいろな角度から撮り、
その中から複数枚の写真を選ぶことになる。

そのエネルギーがない。
腹に一物がないから。
問題意識が希薄、心の感度が鈍っている。
ただ、チョコット 面白そうだと、フレーミングして撮影しただけ。
まぁ、記録しておけば、そのうち何らかの意味がでてくるかもしれない・・・とかなり消極的な/甘い考えに落ち着く。
覚悟がないよなぁと思う。
小生の限界だろう。
  1. 2016/06/09(木) 12:32:08|
  2. 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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龍が飛ぶ

この季節になると、アーケードに龍が飛ぶ。
五月の空を泳ぐ鯉が、子供の健やかな成長の願いなら、
天に昇る龍は、景気を上げたい商店街の願い。
龍862-29 Ⅱ
毎年 この時期に現れる。
商店街の風物詩になったのだろうか・・・・
そうしたいと思っているのだが、景気は停滞気味。

ファインダーを覗き、切り取ってみたが、これでは ありきたりだ。
切り取り方を工夫。少しは、凝ってみましたが・・・
龍862-28 Ⅱ
どうもパッとしない。
もう少し、違う切り取り方できないものか?
夜の龍を狙う・・・、朝日が差し込んだ光と龍を狙うか、下を通り過ぎるキャッチーな人物とコラボさせる。
広角で切り取る、望遠で切り取る・・・
写真の切り取り方、工夫しても、意外に少ない。
10パターンくらいしか思いつかない。

6月になったので、龍は天に昇り 帰っていった。
次 逢えるのは来年になる。
それまでに、考えておこう。
  1. 2016/06/08(水) 15:43:08|
  2. 散歩
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ピントを合わせる

このグログ、小生の備忘録のようなもの。
写真をどうとらえているか、考え方の変遷が、少しは判るのではないかと、
整理のつもりで書いているが、読んだ人は退屈だろうなぁ。

たまたま、覗いてみたが・・・面白くないと、二度とこないだろう。
それでも、時たま拍手をしてくれる人がいる。
まぁ、小生のような偏屈な人も 中にはいるのだろう。
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機械式のカメラは、使いこなすために、かなりの訓練が必要だった。
露光計はついていないので、絞もシャッター速度も 自分で決めなくてはいけない。
ピントを合わせ、手振れしないよう持ち、フレーミングして シャッターを切る。
フィルムを取り出し、現像し、できたネガを、引き伸ばし機で印画紙に焼きつける。
ようやく 一枚の写真になる。
その機械式のカメラが主流だったのは1960年頃まで、
プロの写真家になるためには、それなりの修業が必要だった。
使いにくいカメラを使いこなし、現像し、焼き付ける。
有名写真家あるいは写真館の下に入り、徒弟のような形で写真術を習う。
中学を卒業し写真で身を立てようとしたら、4,5年の丁稚奉公をし、
20歳の頃には一人前となり、のれん分けてして貰い、独立したのだろう。
誰でもできるものでない。一種の技能職。

今は違う、カメラを買い、写真家だと覚悟できたらプロの写真家だろう。
1965年ごろからカメラの電子化が始まる。
最初に組み込まれたのが、AE 自動露光。 
絞りとシャッター速度を加減して露光を決めていた。
光を読み違える・・・これが素人の失敗原因の第一番。
その失敗をカメラが自動測光して解決してくれる。
これが劇的な変化を生む。
露光計付き一眼レフ(当時日本ではTTLと呼んでいた。もう死語かもしれません。英語ではBTLと呼んだと思います。)
が発売されると、そのカメラを手に入れれば、翌日から「俺はカメラマン、俺はプロだ」と宣言することも可能な雰囲気が出てきた。
その後は モータードライブが入り、90年代になると、自動ピントがカメラに組み込まれる。
そして ついに手振れ防止がレンズに組み込まれ、カメラは、ほぼ完成形に近づく。
これはまた、全自動ロボットカメラの出発点ともいえるだろう。
デジタル素子を組み込んだカメラの出現。
1990年代後半からは、デジタル素子がフィルムの替わりに登場する。
これにより、機械式カメラで撮影する敷居の高さは、消失した。
フィルム代を気にして撮っていた素人の気がかりは消える。

ピントが決まったトーンのしっかりた写真を撮るだけでも、それなりの訓練が必要だったのに、
全てカメラが解決してくれる。だれでも写真家の道が開かれた。
どう撮るかというテクニカルな面(How to)は簡単に解決できるようになった。カメラに任せればいい。
表現本来の、「何をとるか」、「どういうテーマで 対象物を切り取るか」という撮影者の考え/覚悟が前面に出てくる。
良い時代になったと思う。
誰にでも開かれた領域にこそ、芸術が花開くと思うから。
才能さえあれば、画家になれる、ミュージシャンになれる、小説家になれる。
画家の補助具だったカメラ・オブスキュアが、ようやく画家の手を離れ、誰でも参加できる道具(筆)になった。
すごい写真家が現れ、写真を名実ともに芸術作品へと押し上げてくれるかもしれない。
そんな期待をしている。(現れないかもしれませんが・・・・)

最後にちょっとしたテクニック。
ピントを合わせたい対象物が中心にない時、コサイン誤差に注意という テクニカルな問題。
これも、やがて、デジタルカメラの進歩で、簡単に解決できるようになると思いますが、
まだ、カメラにその機能はあっても、使いにくいようです。

ファインダーの明るい(当時高価な)一眼レフカメラであれば、構図を決めてから、
周辺部のマット面でピントを合わせても、それなりの精度があり、ピント合わせOKです。
構図を決め(固定し)鳩にピントを合わせシャッターを切りました。
鳩859-44a
鳩をファインダーの真ん中にして、中央のスプリットイメージで合わせれば(これも死語かなぁ、マイクロプリズム式が多いから・・・)正確ですが、カメラを振って構図の位置までずらすと コサイン誤差でピントが狂います。
f:2.8と絞りを開けているので、被写界深度は浅い。ボケてしまう。
くっきりさせたかったら、絞値をあげ 被写界深度を深くしなければなりません。
前方、後方ともくっきりし、テーマとする対象物が埋没してしまうことになる。
そこで、鳩をくっきり写すためには、周辺のマット面でピントを合わせました。
高級な一眼レフの出番です。
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なんで今頃・・・
実は ポートレートを撮るためのテスト。
レンジファインダーカメラだと、目に合わせた後、カメラをずらし構図を決めるとき、眼にピントが来ない恐れがある。
それを避けるため、f:5.6とかf:8に絞って被写界深度を深くして誤魔化すことになる。
できれば f:1.4~f:2.8で ポートレート写真を撮りたいと考えている。(この辺りは テクニカル)
パララックスの問題もあるので、ポートレートには一眼レフ、Nikon Fだろうなぁ。
Nikon Fは 純粋な機械式カメラ、電池は入っていません。
1965年以前の撮影術を踏襲して撮っています。






  1. 2016/06/07(火) 16:25:29|
  2. 写真の技法
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有楽町から新橋まで 一駅散歩

パスポートは 今年の3月で有効期限が切れていた。
まだ、海外へ旅行する機会があるかもしれない。
有楽町の交通会館へパスポートの申請用紙を取りに行った。
10年後となると、父や祖父の年齢を超えている。
生きているだろうか?と思いながら、10年用の申請用紙を受け取る。
まだ、生存欲はあるようだ。
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その帰り、有楽町から新橋駅まで一駅散歩をしてみた。
一駅散歩865-12
数寄屋橋の交番に設置された像。
像に近づいて撮影したが、覗いたファインダーにはもう少し左に空きがあった。
KievⅡ(ContaxⅡ)のファインダーにはパララックスの補正がついていない。
少し窮屈な構図になってしまった。
一駅散歩865-22
歌舞伎座の前を歩き、築地の本願寺へ。
ファインダーのフレームには、もう少し左の空間が見えていた。
遠くの風景を撮るのなら、パララックスがあること、気にしなくていいが、
2mより近いものを写すとき、意識する必要がある。
パララックス補正の有るNikon SPやBessaRシリーズのカメラなら、それほど気にすることないけど・・・
一駅散歩865-28
右に曲がり、魚河岸へ。
午後の場内市場は閑散としていた。
光の点が、濡れた道に、連なって落ちていた。
暗い。 絞り解放 f:1.5 1/25秒で撮影した。
最新のレンズなら、f:1.5の絞りでも、もっとコントラストの高い画像を得ることができるだろう。
写真の画質(クオリティ)を云われたら、反論のしようもない。

×××のレンズは神のレンズ、これ以外使う気にならないよ・・・・などのたまう人もいるが、
小生は、段々と小欲になっている。(それに、先立つものもないし・・・・)
これで充分満足している。
一駅散歩865-32
築地市場まで足を伸ばすのは4年ぶりか?
兄が国立がんセンターに入院した時以来だろう。
久しぶりと、市場内を散策した。

戦前のゾナーレンズ、最少絞りはf:11。 カメラのシャッター速度は1/1250秒が限界。
フィルターを持参しなかった。 
ISO:400のTri-Xフィルムを使用している。
明るすぎる。
限界の、f:11/1250秒で撮影した。
一駅散歩865-34
戦前のゾナー、初期のf:1.5 50mmレンズの最少絞りはf:8だったという。
これは、後期型でf:11が最少絞。
更に晩期というべきか・・・1942年製?からはf:22となる。
戦後 西ドイツに移ったツアイス製のオプトン・ゾナーは f:16が最少絞りとなる。
一駅散歩865-38
このレンズ 最少絞りのf:11まで絞るとイメージサークルが小さくなり四隅で少し画像がけられる。
当時の硝子と設計技術では、これが限界だったのだろう。
このゾナーレンズに、ツアイスの、そしてそこで働く技術者の良心を、小生は感じている。
理論的にはf:1.4のレンズを作りたかったのだろう。
しかし、f:1.5で断念。f:1.4の設計では、フレアーがでてコントラストの良い写真が撮れなかったと推察している。
ツアイス基準の画質を保証するなら、f:1.5~f:11だった。
戦後、カメラ業界に出ていかざるを得なくなった日本光学(ニコン)は、
ゾナータイプで 50mm F:1.4のレンズをS型ニコンにつけて発売した。
世界最高の明るいレンズというキャッチコピーで。
当然、ツアイスから猛烈なクレームがでる。
日本メーカー 背に腹は代えられず・・・だったのだろう。
確かにS型ニコン用 50mm F:1.4のレンズ、絞開放でフレヤーがでてコントラストが低い。
ゴーストも出やすかった。
絞れば解消するが、f:2での画質は 50mm F:2のレンズのほうが良かった。
今となり、新規に設計しなおせば、コーテング技術の進歩でF:1.4レンズも可能だろう。
(Nikon F用の50mm F:1.4のレンズは ガウスタイプ、コーテングも良くなっているので、f:1.4から使えます。
ただし、時に 微かにフレァーが出る。それが、いい味だと喜ぶ人もいる。 
小生はf:2.8くらいの絞りが、このレンズの一番いい写りではないか・・・と思っています。人それぞれでしょうが。)

50mm F:2ゾナーは どれもいいレンズ。
それが、ソ連製のJupiter-8であれ、東独製であれ、ニコン製でも。
一駅散歩865-41
場内市場を横断し、汐留に抜けて、新橋駅へ。
古いレンズ、使うほどに、いろいろなことが確かめられ、わかってくる。
そうなると、手放せなくなる。
大事にしなければと。

神のレンズと崇められているレンズも、
使ううちに (年月を経て)
技術者の良心が・・・少しずつこぼれだし、
わかってくるようになるのでしょう。
  1. 2016/06/05(日) 12:26:13|
  2. 都会の景観 Tokyo
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月下美人・・・地味です

白黒フィルムで撮影。
地味です。
月下美人864-24 Ⅱa
昆虫は、花の色、花の香に誘因され蜜を吸いに行き、代わりに花は受粉してもらう。
互いに助けあう関係にある。


人間は昆虫の眼を持っていないのに、
色彩の豊かな花になぜ心を惹かれるのだろう?

人間は一方的に無抵抗な美しい花を、刈り取り、
家の中に飾り愛(め)でるが、
それも一時のこと。
枯れれば、捨ててしまう。
共生しているとは思えない。
古人は、
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
と歌った。
人間からの一方的な 思い上がりかもしれない。
花を咲かせる植物にとって、たえて人のなかりせば春の心はのどけからまし だろう。
花にとっては、はなはだ迷惑な話だとおもう。

この辺りに、人間の持つ 
協調性と残虐性という離反する心の秘密(習性)があるのかもしれない。

白黒の写真では、確かに美しくないし、キャッチーでもない。
しかし、モノトーンのほうが・・・いいかなぁ。 
刈り取ろうという気にはならないから。


  1. 2016/06/03(金) 17:18:43|
  2. 樹、草、花 
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月下美人が咲く

花の写真はもう厭きた。
花なんて、撮りたいとも思わない・・・・と思うのだが、
この花を見たとき、欠けていたものを知った。
贖罪の意味を込めて、撮っていた。
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十数年前、母が戸越公園で開催された植木市で、「月下美人」の鉢植えを買ってきた。
二階の庇の下に置き、時たま水をやり、肥料を施し、面倒を見ていた。
数年すると、見事な赤い花を咲かせた。
以後、毎年、5月の下旬になると花を咲かせていた。
その母も、5年ほど前に亡くなる。
その後、不肖の息子・小生が引き継ぎ、「月下美人」の面倒を見ることになる。
しかし、時たま水をあげるくらいの世話しかしていない。
それでも、毎年5月の終わりごろ、大輪の赤い花を咲かせる。
しかし、去年、おととしは花を咲かせなかった。
月下美人も老婆になったか・・・と、己の至らなさ棚に上げていた。
ところが、今年は、花を咲かせた。
水やりなど、かなり手抜きしていたことを詫びたい気持ちである。
月下美人DSC08070
一輪は大輪の花を、もう一つはまだ蕾だった。
夜、東京は雨が降り出す。
月下美人DSC08078 Ⅱ
翌日になると、前日の花は萎みはじめ、片方の蕾は開き花になっていた。
月下美人DSC08117
次の日、最初の花は完全に萎み、もう一つは咲き誇ていた。
月下美人DSC08162
しかし、今日になると、月下美人の二つの花は、いずれも萎んでしまった。
花の命は ほんの一日か二日。
-----------------------------------------------
花に託して、自分の気持ちを表わしたいと思う人は多い。

花の色は うつりにけりな いたづらに・・・・・
誰もが知り、口ずさむ短歌。

人生の儚(はかな)さを歌ったもの、
この「儚さ」は、一人称の詠嘆だろう。
はかなさを嘆くだけ、それ以上の原因追及はしない。
更に、その「儚さ」の中に安住しようとさえする。
私は、こんなに不幸な身、この悲しさを/わびしさを 共感してしてください・・・・それ以上のことは語っていない。

50年くらい前になるが、唐木順三(明治大学の教授だったと思う)の書いた「無常」という本を読んだことがある。
そこで「はかなし(儚し)」の言葉を手掛かりに、論を重ね「無常」という言葉に至る中世日本の精神史を明らかにしていた。
小生は、まだ、青二才の学生だった。
理系ながら、面白いと思い、記憶に残っている。
「儚い(はかない)」が 一人称の詠嘆にとどまるなら、
「無常」は、三人称であり、この世界をどう理解するかという普遍性を突きつけている。
もし、はかなさを 歌うなら そして花を仮借して歌うなら
年年歳歳花相似 歳歳年年人不同
の漢詩のほうが好きだ。
これは三人称だろうと思う。
------------------------------
今年、この「月下美人」に逢えてよかった。
母が世話し、母の見た「月下美人」
その月下美人を今年見る。
年年歳歳花相似 歳歳年年人不同

小生がこの「月下美人」の世話をできなくなった時、
次に見るのは娘だろうか?
息子だろうか?
  1. 2016/06/01(水) 23:55:07|
  2. 樹、草、花 
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プロフィール

Alchemyst Sasaki

Author:Alchemyst Sasaki
Phone-Cameraの時代、フィルムで撮ることの意味合い、意義はあるだろうか?と懐疑的になっている。写真の置かれている場所・期待・求められているものが根底から変わってしまったのかもしれないと思っている。
それでも、もう一年白黒フィルムで遊んでみるつもりでいる。

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