散歩コースになっている目黒不動で撮影したもの。


露光をアンダーにして撮影。トーンカーブを調整して、光のコントラストを強調してみました。

夕方の目黒不動、少々不気味な雰囲気。
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- 2016/01/31(日) 11:29:14|
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青山公園をでて、六本木通りを目指して歩く。

実は、もう一つ見たい写真展がある。
西麻布にある E&Mギャラリー。

去年の2月、Monocrome X展を偶然見ている。 その質の高さに感動。
モノトーンの写真だけで、生活を維持できるプロは、世界でも少ない。
商業的な写真は、ほぼカラーになる。
プロの写真家と言え、撮影は主にデジタルだろう。
デジタル画像ならインターネットを通じ、すぐに依頼主に画像を送ることができる。
しかし便利、効率的、機械的になったことで、プロのカメラマンの個性も出しにくい。
今年のMizuho銀行のカレンダーは、富士山。
ANAの一月も富士山。
見比べると構図はほとんど同じ。
背景の空の調子、中景の雲海、近景の林、ちょっと違っているだけ。
撮影した日時が違うだけだろう。
どちらの写真にも、撮影したプロの名前は記載されていない。
絵画を複製したポスターなら、必ず、画家の名前は記載されているのに・・・・
飾られていたモノトーンの写真、撮る喜びにあふれているように思えた。
金になる仕事にはならないかもしれない。
それが 返って写真を始めたときの原点に戻れているのではないか?
モノトーンはいい。
損得無し、己の撮りたいものを、撮りたいように撮っている。
わくわく感に溢れていた。
それが写真表現だろう。
今年2月には Monocrome XⅡ展が 開催されるという。また、お邪魔しなくては・・・・
E&Mギャラリーをでて、骨董通りを歩いた。

青山通りにでる。左に曲がり、渋谷駅を目指す。
青山学院大学前の歩道橋に登り、横断歩道を歩く人の群れを撮影してみた。
歩く人の人数が多すぎる。
ベストの構図になるまで、辛抱強く待つべきだろう。
この光線状態なら、あと30分くらい撮影チャンスはある。・・・・しかし、それができない。

宮益坂を降りたところにある歩道橋からも撮影してみた。

クーデルカの習作時代のトリミングを真似てみたが、及ぶべくもなし。
渋谷駅から山の手線に乗り帰宅。
1月20日 ブログに載せた写真は、この一連の「写真展を見に」の最後のカット。
大崎駅で撮影したものです。
- 2016/01/30(土) 10:03:46|
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国立新美術館の脇道を横断し、青山公園へ。

林にかかる逆光を見ると、ありきたりだよなぁと思いながらも、
いつものフレーミングでシャッターを押してしまう。
違った切り取り方があってもいいような気がするが・・・・

前日の雪は、まだ残っていた。

そのまま撮ったら平凡。
わざと柵を画面いっぱいにフレーミングしたが・・・少々あざとい気がする。
これは、失敗作だろう。

以前見た、有名写真家の作品に似ているような気がする。
誰の作品だったか?
知らずして、影響を受けてるのでしょう。
- 2016/01/29(金) 11:16:16|
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太陽から方向を割り出し、南西の渋谷を目指し、ぶらぶらと歩いていた。
これが、土地勘のない場所の小生の歩き方。
なるべく逆光になるような散歩コースを考える。
逆光のほうが、街はフォトジェニックに映ると思っていたから。
フォトジェニックに(美しく)撮ろうと固執したことが、新たな視点の発見を阻害したのでは・・・と反省している。
今年は「尖った」写真だと・・・心の中でつぶやくが、刷り込まれた感覚の修正は難しそう。
まぁ、そのうち・・・・
気づくと昔の東大生産技術研究所、現在の国立新美術館脇のトンネルを歩いていた。

壁画は消えかかっている。
あるいは、新たな作品をここに描くための下準備かもしれない。
コントラストが低く、肉眼でははっきりと見えないが、カメラの眼なら・・・と一枚。
トーンカーブを調整し、コントラストを上げると、画像がくっきりと見えてきた。

光の強弱が大きなフレーミング。
少しシュール感漂う写真になった。
Retro400Sフィルムのダイナミックレンジは、眼ほど広くはないが、3桁は期待できる。
銀塩写真で白飽和することはめったにない。
むしろ暗部のディテールを出すのが難しい。銀塩の粒子がボツボツと出て画面を汚す。
デジタルならどう写るだろう?

脇道を抜け、青山公園から見た、国立新美術館の姿です。
- 2016/01/28(木) 10:23:57|
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フジスクエアーの展覧会を見た後、渋谷に向かって歩き出していた。

再開発された地区を離れ、一歩細道にはいると、古い東京が残されている。
戦前の家だろう。
この辺り戦災には会わなかったようだ。

しかし、時代の流れは抗しがたい。
ここも、もうすぐ取り壊され、新しいビルに建て替えられる。


高層ビルが古い東京の街に迫ってきていた。
- 2016/01/27(水) 08:32:44|
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1月18日は、東京にも雪が降りました。
その雪も 翌19日の昼頃にはあらかた消えてしまったが、
ミッドタウンに隣接する公園には少し残っていた。

公園で子供を遊ばせるには、少し寒い。近くに住む住人が、乳母車を引き通り過ぎていった。

ものは試しと、水面の輝きを撮影。大したもの、逆光にも関わらず露光は合っている。(もっとも、感度設定をISO:200に合わせたけれど)
水面の輝きがクロスフィルターを掛けたように写っていた。
これも驚き。
このカメラ、やるねぇ、たいしたもの。

定番の(ありきたりの)フレーミング。このばあい、こうとしか思いつかない。尖れないなぁ。
露光は 小生だったら f:8/500秒を選ぶ。
果たしてこのカメラは?プログラムAEなのでカメラ任せ。
撮った後も知らんぷり。
ネガを通して対話するしか方法はない。
ほぼパンフォーカスになっているのでf:8以上には絞っているだろう。
f:11/250秒?だろうか。
貴方は、お使いのカメラと対話していますか?

屋根に上り作業する人と、歩いてくる三人の姿に注目していたのですが・・・
もう少し左を入れ、下四分の一カット、正方形にトリミングすれば・・・狙いがハッキリしたと思う。
使い慣れた50mmレンズなら、横位置で撮っていたでしょう。
小生のフレーミングミス。カメラが悪いのではありません。
38mmのレンズの画角に慣れていないだけ。
使い勝手の良いカメラです。(と褒めて、持ち上げておく)
- 2016/01/26(火) 10:55:26|
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1月19日 東京ミッドタウン、フジフィルム・スクエアーで行われている「ジャック=アンリ・ラルティーグ」作品展を見ようと出かけた。
ウイルス性 胃腸炎から回復したばかりなので、散歩のお供は、なるべく軽く、簡単なものがいいだろうと、Minolta Hi-Matic F を選んだ。
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会場では、同時に、フジフィルムのデジタルカメラ Xシリーズを使った100人のプロによる作品展 「100 X-Photographers」 展も開催されていた。
デジタル画像は、全て、関連会社のフレームマンで印画紙に焼き付けられたもの。
印画紙を使い、デジタル画像を焼き付けたもので、印画紙を見慣れた世代にとっては、目に優しい。
色の深み、彩度は印画紙のほうが開発の歴史が長く、進んでいるということだろう。
作品の多くは 373mm×560mm 或は 676mm×900mmの大きさに引き伸ばされていた。
見ていて迫力がある。小さいと平凡で見どころを感じない画像でも、大きく伸ばすと迫力が出てくる。
なるほどと思う作品もあった。
細部まで滑らかで、フィルムカメラなら大判カメラ「しのご」(4インチ×5インチ)で撮影されたもののような素晴らしさであった。
確かに 時代は動いている。
一方、ラルティーグの作品は、僅かに25点程度、モノトーンの印画紙に焼き付けられているが、四つ切程度。
「100 X-Photographers」展をみてからだと、みすぼらしく感じる。
でも、写真とは何か、考えさせられてしまう・・・・
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「もの」としての品質は、圧倒的にデジタルのほうがいい。
作品の大きさによる迫力。
細部までの解像度、描写力、キャッチーな色彩、それを可能にしたのは、この160年間の絶え間ない技術革新のおかげだろう。
しかし、小生が作品を見て感動したのは、10歳の子供時代から20歳ころまでのラルティーグの作品のほうだった。
100名の写真家、撮影技術は確か、デジタルカメラも良い。
しかし、肝心なところでは、幼いラルティーグにはかなわない。
ラルティーグは「カメラという機械」が面白くてたまらない。
撮ったらどうなるか? 「わくわく」しながら工夫し撮っているのが分かる。
硝子乾板時代のカメラである。一日に一、二枚しか撮れなかったという。
少年が夢中になって撮影している姿を想像していた。
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しかし今、カメラにわくわく感を抱き、写真を撮っている人はいるだろうか?
新製品がでると試す人はいるが、カメラの細部の薀蓄を語るだけ。
どう、すごくよく撮れているでしょう・・・と自慢げだが、カメラを使う「わくわく」感は乏しい。
一世紀を超える写真の歴史の中から、様々な撮影技法が開発されてきた。
そのノウハウは、カメラの人工頭脳に組み込まれていく。
あとは 少しの注意さえ払えば、綺麗な写真を撮ることはできる。
結局はメーカーの掌の上で撮らされ/踊らされている・・ということだろう。
綺麗に撮られ飾られた夥しい数の作品を見ながら・・・
シャッターを切る「わくわく感」では、ラルティーグのほうが、数等上だろうと思った。
写真の質は、「もの」としての品質より、見えないこの感覚(わくわく感)、大切なものはみえない・・・にあるなぁと感じていた。

地階にあるモニュメントが面白い。

まだ 撮りようはある。
一本のフィルムを取りきるつもりで、もう一度 挑戦してみたい。
まだ、小生にもカメラを手にした「わくわく」感、少しは残っている。
- 2016/01/25(月) 11:14:37|
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大井町を散歩した。
「尖った写真を」と思いながら、うまくいかない。
それでも 面白い。
今年になって、デジタルカメラにはほとんど触っていない。
やはりモノトーンフィルムは面白い。
・・・わざと露光をオーバーにしてみたりしているが、やはり思わしくない。
それが面白い。
推察し、仮定し、実験する。
思わしい結果がでなくとも何故?と考え、新たな推察/仮説を立てる。
実験と検証の絶え間ない繰り返しが、実験科学の本道。
今年なってすでに9本のフィルムを使っていた。


写真のデータに記述ミスがありました。
f:8/125秒ではなく 正しくはf:4/50秒です。
訂正します。



まぁ、そのうち、何らかの結果は出るでしょう。
カメラは キエフⅡ レンズは Jupiter-12。 戦前のコンタックス用 広角レンズ Biogon 35mm F:2.8のクーロンレンズ。
フィルムは Rollei Retro400Sフィルムを使用しています。
- 2016/01/24(日) 15:52:55|
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西大井を散歩。
時刻は3時過ぎ、快晴の天気であった。
如来寺の境内に入る。
如来寺は南の斜面に建てられ、境内からの眺望は開け、気持ちが好い。
冬の午後の明るい空が広がっていた。
ぼんやり見ていると、高架橋を、新幹線の列車が 疾走していく。

イメージが頭の中をかすめる。
R72フィルターを付けて撮影すれば・・・・空は月夜になる・・・
シャッターを切る。
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全体を焼き込み、空を暗く落とす。
闇を切り裂く新幹線の姿がそこにあった。
如来寺を出て、この写真の中央付近、高架橋まで歩いていく。

冬の西日が樹を明るく照らしていた。
ここは逆光だろうと・・・・いつもの撮影スタイルに戻っている。
歩き回り、撮影場所を探す。
明るい光に、陰になった幹は暗く潰れる。
ここにも光を入れたい。
R72をUVフィルター(レンズ保護に使用)に交換する。
露光を2絞り分(露光計を持ち歩かないので、あくまで勘です)オーバーに設定して、撮影。
もう少し、ハイキーに調整しても、それは それで 面白いが、
トーンカーブを調整し、全体の階調性を生かした。
Tri-Xフィルムでは この階調性は出なかっただろう。
勿論、デジタルモノトーンでも無理だと思う。
Rolleiのフィルム(実際の製造はアグファ)の特性が、徐々にわかってきた。
見えないものが、見えてきた感じがしている。
- 2016/01/23(土) 09:33:49|
- 写真の技法
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赤い椿が咲いていた。

カメラに入っているには、Rollei赤外400Sフィルム。
赤外専用のフィルムではなく、
パンクロフィルムの感光領域を赤外部760nmまで広げたもの。
普通のパンクロフィルムとしても使える。
しかし赤外光まで感度があるので、赤に対しての感度も高い。
UVフィルターとR72(720nmカット)フィルターの比較を行っていた。

R72フィルターでは、椿の暗い緑の葉は、白く浮き上がったが、
葉の光沢を捉えることはできない。
焼きこむと、陰は暗く潰れる。
深紅の椿の花、フィルター無し(あるいはUV)でも、白く写っている。
UVの撮影が正解だろう。
それにしても 撮影している小生の姿は怪しい。
美しい写真はもう厭きた。
神経に突き刺さる「尖った写真」 それが 今年のテーマ。
- 2016/01/22(金) 09:59:07|
- 写真の技法
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ネガ番号810、最後のコマに写っていたもの。

外光によって露光した部分のあるものは、
ネガカバーに保存するとき、大概は切り捨てられてしまうが、
運よく残されているものもある。
これも その一つ。 捨てられなかった・・・・
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この像を 可愛らしいと見るか、
この像に 存在の薄気味悪さえを感じてしまうか・・・・
人、それぞれ。
小生は、
T-シャツの白さに違和感を感じていた。
左目は笑っているが・・・右目は何を観ているのだろう?
思わず 童話の世界に引き込まれそう。
しかし、右上の空の破れに、これは写真だと現実に連れ戻される。
- 2016/01/21(木) 12:14:09|
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実は13日夜から体調がすぐれず、自宅で静養していました。
ウイルス性の胃腸炎・・・おそらくノロウイルスでしょう。
ようやく昨日 回復し、カメラを持って久しぶりの散歩を楽しみました。
病み上がりなので、なるべく軽く、簡単なカメラと思い、
Minolta Hi-Matic Fを選びました。
あっという間に一本 取りきりました。
帰ってきて 早速現像、乾燥、ネガをフィルムスキャナーで 取り込んだところです。
これが、そのフィルムで撮った最後のカット。

長巻フィルムを切ってマガジン/パトローネに詰めて使っているので、最後のカットは、一部欠られてしまいます。
正方形にトリミングしてもいいのですが・・・
そのまま取り込むのも面白い。
上手に使えば、面白い表現法になるかもしれません。
ネガ番号814、取り込みが終了したら、順次ブログに載せていきます。
- 2016/01/20(水) 21:53:36|
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3時のお茶に時間を忘れる。
慌てて、外へ飛び出し、北東の方向へ進む。
神田川を超え、江戸川公園に至る。時計を見ると4時近い。
このまま小石川植物園をかすめ、白山を通り抜け、根岸の里に行くには、時間が足りない。
どうしよう?
・・・・・・・そうだ、神楽坂へ出よう。
目的地を神楽坂に変更する。

地蔵通り商店街を抜ける。
南の方角に高台を感じる。
一番高いところに赤城神社があるはず。
坂を見つけ、登っていく。
ビンゴ!
赤城神社に到着。

昨年の夏、神楽坂の阿波踊りの撮影で来ている場所。
地理はある程度把握している。

一安心、日暮れ前には飯田橋の駅に着けるだろう。


神楽坂の街をぶらぶら散歩して、帰宅しました。
- 2016/01/19(火) 17:51:33|
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早稲田大学。
ニュースや話題にたびたび載るので、良く知っているつもりになっている。
しかし、実際に、早稲田大学を訪れるのは何十年かぶり。土地勘はなく、まごつくばかり。
ようやく、大隈講堂の前に立つ。
写真を撮ってみるが・・・TVや雑誌で見ている映像/写真に似てしまう。
撮りようがない。
記録に一枚撮ったが、写真はありきたり、即ボツ。
隣の大隈庭園に入る。
大隈講堂の時計が正確なら、時刻は2時25分。(正確でしょう、天下の早稲田です。)
そろそろ、午後の「お茶の時間」である。

さぁ、どこへ?
後ろから、若いご夫婦が(小生からみたら・・・)小生の姿を追ってきます。

「こっちだよ」 少年の声がする。
振り返ると、小さな子が二人。
呼んでいました。

近づくと、二人は、この道に消えていきました。
慌てて追いかける。
進むにつれ、いつしか道は深く暗くなり・・・・と思ったら、

いきなり明るい場所へ。
そこは、秘密の庭園。
テーブルには紅茶とクッキーが・・・・
そんなわけ、ないかぁ~~
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4枚目(最後)の写真。
フレーミングしているとき、「これで良し」と思ったが、違った切り取り方もあったか・・・といま反省しています。
「尖った」写真を撮ってみようという意欲が強すぎたようです。
小生にとって「尖って」いる写真は 2枚目の二人の子供の写真かもしれません。
いままで、こういうタッチの写真を撮ったことありませんでした。
- 2016/01/18(月) 11:14:20|
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諏訪神社から、道なりに歩き、学習院女子大を横に見ながら坂を下りていくと、早稲田通りにぶつかる。
交差点ある穴八幡、たいそうな賑わいであった。
参道を登っていくと両側には屋台の店が軒を連ねていた。

「決定的瞬間」を撮ることが写真の重要な要素と考える人なら、まず、歩いて完璧な構図を探す。
ベストなフレーミングが決まったら、予定する位置に「もの/こと」が収まる瞬間まで待ち、その瞬間を逃さずシャッターを切る。
最初から効果を期待し、意図して作った写真ともいえる。
しかし、自分のイメージする構図になるまで辛抱強気待ち続ける忍耐強さ、作品作りへの情熱がないとできない。
古典的な撮影法。
いま、スナップ写真で、そんな撮影スタイルをする人は稀だろう。
構図が決まったら、同じ位置でずっと待ち続ける・・・怪しい人物と不審がられるだけである。
この写真、穴八幡の文字を入れようと、記録用に撮影したまでです。
------------------------
いまは、作る写真が多いような気がする。意図した写真。
こう撮ったらキャッチーだろうという魂胆はありあり。
想定した枠組みを決めたら、友達/モデルに頼んで決定的瞬間を演出し、撮影する。
特に、プロの卵、プロを目指す写大生の作品に多い。
(勿論、それに異を唱え、何を狙うかを否定した写真を撮る若いプロの卵もいる・・・コンポラ写真とどう違うのか?小生にはよくわからない。)
妙齢の可愛い女性が、歩道に座り、アンニュイな表情で撮影されていたら、確かにキャッチー。
若い女性が、舗道に座り、物思いにふける・・・などという光景、めったに見るものではない。
小生、この9年 街を散歩しているが、いままで その経験は一度もない。
欄干を抱きしめて、こちらに意味ありげな視線を送って貰った経験もない。
意外感の演出を施せば、写真になると・・・安易だなぁと思ってしまう。
しかし、技法的には古い。スタイケンの時代から続く広告写真と技法は重なる。
あったらいいなぁと思うが、実際にはなかなか遭遇できない「もの/こと」を写せたら、すごいと誰もが思う。キャッチーだ。
その意外感の演出を施すのは広告写真の常道である。
将来は、広告写真を撮ることになるのだから、その(演出)練習なのかも。
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友達同士なら、わいわい騒ぎながら、互いのスマホで撮り合う。
新時代には、新時代の表現法があるべき。
そんな 写真のなかに 小生の知りえなかった 自然な、演出でない、いい写真があるのだろうと想像している。
残念ながら 小生、スマホを持っていないし、わいわい騒げる友達もいない。

トリミングなしを基本にしているが、フィルム一本撮ると一カットくらいは、トリミングせざるをえない写真が出てくる。
この写真も少しトリミングしています。それに、ネガからPCに画像を取り込むとき、スキャナーの取り込みパラメーターを変え、3回ほど違う条件で取り込みしてベストを選びました。
デジタル・カメラなら、RAW現像してJPGファイルを作るようなものでしょう。
遠くのビルは、早稲田大学文学部、右下隅に子供を抱いた男性。
中景の 3人の人影に意外感を感じ、対角線上に並べフレーミング。
ほんの十数秒のことでしたが・・・それでシャッターを切る。
空を考えると一絞りオーバー、暗部を潰さないようにするなら一絞りアンダーの露光です。
光の強弱からすれば、あまり狙わない方向です。
昔だった何枚の印画紙を無駄にして焼き付けていたでしょう。
これなら紙へのプリントは一回で済みます。

幹の材質感を出したくて撮影しただけです。

穴八幡で撮影した一番「尖った写真」・・・でも、まだ満足できず。
もう一度スキャナーで取り込み直そうか?とも思っています。
- 2016/01/17(日) 13:25:31|
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快晴の日 高田馬場からカメラをぶら下げ環状線内を散歩した。
早稲田から小石川植物園を抜け、白山神社、根津、上野まで 歩こうかとも思ったが・・・
諏訪通りを早稲田大学を目指して歩き始めていた。
諏訪神社の脇を通る。参拝せねばと、中に入る。

モノトーンフィルムの撮影では、光と影が重要なポイント。
綺麗なモノトーン、キャッチーなモノトーン写真を撮りたいと思うと、
順光より、逆光狙いになりがち。

従来の撮影では、逆光を生かしたこのようなフレーミングになりがちだった。
徐々に、このような思い込みから脱却できれば、また違った視点を発見できるのでは・・・

いままで見過ごしてきた「もの/こと」にレンズを向け、切り取ってみるのもいいだろうと思っている。
自分が変わらなければ、写真の視点が変わるはずもない。

枝の絡まりが面白いとスナップ。
フィルム一本を撮りきるつもりで、もう一度、諏訪神社に行ってみようかとも思う。(もちろん、参拝をしてからの撮影です。)
- 2016/01/16(土) 11:48:32|
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西大井の外れ、大田区山王に近い所を散歩していて、出会った民家。
フォトジェニック。シャッターを切っていた。

戦前の建物だろう。外装が新建材でないのが、趣があっていい。

屋根はふき替えられたようだ。
しかし、住む人からすれば、このような家を維持していくのは、大変だろうと思う。
土地の記憶だろう。
これからも、このまま残ってほしいと、希望するのみ。
- 2016/01/15(金) 11:19:00|
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西大井のニコン工場、撮影再挑戦。
時刻は午後3時ごろ、東の方向へカメラを向け撮影。
赤外線効果が一番出る方向です。

小生が使っている Nikon Fや Nikon SPは、この工場で作られたものです。
やはり ニコンFか NikonSPで 撮ってみるべきか?

これは、北の方向、光は斜光。赤外線効果は少ないが、その分 見慣れたすっきりと写真になりました。

陽が沈む方向に構え撮っています。陰の部分、赤外光少ないので、潰さないよう、露光オーバーで撮影。
銀粒子が汚く出てしまったが・・・尖っている。
これがベスト写真だろう。
今年のテーマ「尖った写真」・・・面白いと一人喜んでいます。
- 2016/01/14(木) 12:07:57|
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昼頃 高田馬場を歩いていた。
天気は快晴。
暗い緑の生垣を見て、フィルターをR72に交換した。

縦位置でフレーミング。
赤外線効果を狙うなら、これが定番のフレーミングだろう。
しかし、使い古されたフレーミングは、綺麗に撮れたとしても、新鮮味がない。
なにか意外性がないと・・・・

舗道を人が歩いてくる。
慌てて横位置に戻し、シャッターを切る。
すこし、手振れしていたのかもしれないが、このような写真のほうが好きだ。
完璧である必要もない、単なる楽しみで撮っているだけなのだから。
- 2016/01/13(水) 08:50:48|
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散歩しようと家を出ると、冬の明るい日差しが、植え込みの八つ手の葉を照らしていた。
どう写るだろうと、シャッターを押していた。2日前のことである。

現像し、ネガをスキャナーで取り込む。
濃度調整、トーンカーブをいじるが、出てくる画像は、・・・・・思い描くヤツデではない。
こんなのとは違う。
-----------------------------------------
八つ手には、変な思い入れがある。
記憶に残るヤツデは、家の中庭に植えられていた。
幼児にとってそれは大きな樹、かくれんぼには、絶好の場所。
大きな手のひらの葉の下に潜り込んでいた。
日陰のじめじめした空間が広がっている。
母親の探す声がする。見つけてくれない。
思わず幹をゆすっていた。
その瞬間、花粉が落ちたのかもしれない。皮膚に赤い斑点がでる。
「八つ手の樹の下にいたら、バッと蕁麻疹がでるのだもの・・・驚いてしまった。」
後年、母がそう話していた。蕁麻疹が出たのは覚えていないが・・・泣いたことは覚えている。
ヤツデの葉を撮影しようする人はすくないだろう。
丸いボール状の花をつける11月のころ、あるいは新芽が出る春の季節なら、カメラを向ける気にはなるが、
地味な写真であることには変わりはない。
しかし、小生には、この記憶が残っている。
八つ手の葉の下に広がる 暗くじめじめした空間は、邪悪な世界への入り口につながっている・・・・
そんな感覚が、心の底に沈んでいるのかもしれない。

2年ほど前、同じヤツデをデジカメで撮影している。
モードは、HCB&W ハイコントラスト白黒モード。
順光で撮ってみた。液晶モニターですぐに確認。
違うなぁ。
あの時は、葉の裏から見たはずと、八つ手の葉の裏側のもぐりこみ、逆光で撮影。

こうでもない。
その時は、これであきらめていた。

去年、洗足池に鯉を撮りに行ったとき、見つけた八つ手の樹。
思わず、シャッターを切っていた。
これでもない。
やはり 幼児に戻らないと撮れないものかも・・・・。
人生は不可逆反応、戻れない。
とは思え、鬱蒼と茂る「八つ手」を見たら、今後もシャッターを切っているでしょう。
あの記憶の八つ手を見たくて。
- 2016/01/12(火) 12:21:45|
- 八つ手
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「対象物が美しいから、写真が美しいわけではない。
対象物が力強いから、写真が力強いのではない。」
そんな警句を、土門拳は発している。
同感するが、さりとて、美しい花を見れば撮りたくなる。
異様なもの/珍しいもの(対象が力強いもの)が あればシャッターを切ってしまう。
綺麗なものを綺麗に撮る。
花の接写など、プロか、腕に覚えのあるアマチュアカメラマンしか撮れなかったが・・・
今のデジカメを使えば、それをいとも簡単に撮影することだってできる。
スマホで撮影している人もいた。
似たような美しい写真の再生産で、自己満足しているなら、別の話だが、
確かに、そこに安住していたら進歩はない。
嘗ての写真は破壊的だった。
写真は現実のコピーに過ぎないとはいえ、
常に、それまでの写真の通念を超え/破壊し、/乗り越え、
新しい視点を、写真に持ち込んできた。
こんな撮り方もできるのだ・・・・それが写真の歴史でもある。
1980年代まで・・・は。
この頃の写真、確かに技術の進歩は素晴らしい、
昔より綺麗な写真は多いが、ただそれだけ。
時代の記憶/審判に残る/耐える傑作は、あるだろうか?
散歩にカメラも10年目、少しは尖った写真を撮りたいものだと思う。
「対象物が美しいから、写真が美しいわけではない。」
その警句を、噛みしめている。

西大井を散歩し、新幹線のガード下をくぐる。下を湘南電車、新宿ラインの電車が通る。高架の上は新幹線が走る。

見慣れた光景。
でも、写真に撮ると、美しいわけでもないのに、心に引っかかるものが残る。
不気味さと力強さを感じてしまう、
日常の中に、見過ごされてきた対象を発見し、尖った写真を撮る。
それが、10年目の「お散歩カメラ」のテーマになるのだろう。
- 2016/01/11(月) 11:03:17|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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西小山駅近くを散歩して撮った一枚。
スナップ写真です。
許可を頂いて撮るわけでもないので、
ブログに載せられるのは後姿か、小さく写ったものに限られます。

シルエットで抜こうと思いましたが、性分で黒く潰せない。
どうしても、暗い部分のトーンを持ち上げてしまう。
潔くありませんね。
- 2016/01/09(土) 10:37:43|
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年末の午後、新年の支度を命じられ、五反田に買い物に出かけた。
散歩がてらである。
快晴の空、空気は澄み渡っている。
二国と中原街道の分岐点(追分)にさしかかる。
東京卸売センター(TOC)の高いビルが建っている。
思わず、空を見上げる。屋上に登ったらどう見えるだろう?
TOCに用事はなかったが、好奇心に負けていた。

屋上のエレベーターホールは、従業員の喫煙所になっていて、数名の男女が煙草を楽しんでいた。
ゴルフ練習場(打ちっぱなし)には、人影はない。
屋上の広いスペースには、小さな子を連れたお母さんの姿が有っただけ。

嘗て、地上には氷川神社があったのだろう。
今は、屋上から、この地を守っている。

雲はほとんどない。
北西の方角に、山脈が見えた。
恐らく秩父~奥多摩の連山だろう。
晴れたら 高いビルに登り、東京の景観を見るのもいい。(すぐに飽きるけど・・・)
- 2016/01/08(金) 12:19:48|
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ネットで調べると、「Tokyoお散歩教室」という会が見つかった。
2015年の歩き納めという企画で、12月26日 下落合から中野まで散歩するという。
参加費用は2000円、体験であれば1回に限り500円とのこと。
中央線沿線は、あまり歩いたことない。
どんなものか、申し込み、参加してみた。
西武新宿線、下落合駅13:00集合。
集まったのは16名、20代半ばから50代前半の現役世代。
女性の参加が多いのにはビックリ。男性は小生を含め6人だった。
その中に老人一人がもぐりこんだ感じである。

神田川/妙正寺川より南側は戦災で焼けたが、北側は免れたようで、戦前の家が残っていた。

ハイキーに焼きつければ、冬の青空の清々しさを感じさせることができるが、敢えて、ローキー調に焼きこんでみた。
そのほうが、陽の光を懸命に吸収しようとする樹の生命力を表現できるのではないだろうか?

下落合から中井にかけて、妙正寺川の北側の斜面/高台は「文士村」になっていて、芸術家の住宅/アトリエが、点在している。
坂も多い。登れば見晴らしは良くなるので、ついシャッターを切る。
これはフレーミングに失敗。
トリミングして整えました。

佐伯祐三のアトリエで撮影。部屋の中を撮ったほうが、雰囲気は出るが、誰でもそのことに気づくので・・・ありきたりだろう。フィルムの無駄使い・・・思いとどまる。

坂の途中にあった民家。戸越の里では見かけない造り、洒落ている。
全体を焼きこんで、白と黒のシルエットにしたほうが、絵的には綺麗だろうが・・・ネガに残っている銀塩の画像を潰すのは、心理的にひっかかる。(こだわりがある。)
トーンカーブを調整し、暗い部分の画像を起こしてしまう、汚くなるのはわかっているけど。

冬の午後の低い日差しが、竹林を明るく照らしていた。
みた瞬間、「京」の道か?と錯覚をおぼえた。
舞妓さんでもこの道を歩いてくれたら・・・絵になるのに。
そう思いながら、人影がファインダーの外に出たのを確認し、シャッターを切った。
ネガをチェック。
白から黒まで 綺麗に銀塩の階調が記録されていた。プリントしたら綺麗な写真(作品)になると思うが・・・もう、モノトーンで風景を味わう時代ではないとおもう。
それより、カラーで撮ったほうが、キャッチーだろう。
林芙美子記念館に入り、キュレーターの説明を聞く。
林芙美子、京都フリークだったようだ。

旗の文字が逆になっていますが、ネガを裏焼きしたわけではありません。
風の関係でこうなったのでしょう。
冬の日は早く陰ります。もうすぐ日没。
写っているのは、お散歩に参加した人たちです。

「たきび」の唱 発祥の地だそうです。
光線の状態がフラットでモノトーン向きではありません。
竹でできた塀の道を綺麗に撮るなら、午前中から昼頃まででしょう。
この光線状態なら、むしろデジタルカラー向きでしょう。綺麗に撮れるかもしれません。

道すがら、ちょっと気になった建物をスナップ。
陽は落ちて暗くなってきました。会の人の脚も早くなる。
ゆっくり撮影するわけには行きません。

結局 新井薬師に着いたときは、日が暮れ 撮影不可能。
この写真は、中野ブロードウェーではなく、薬師あいロード商店街で 撮ったものかもしれません。
小生には 金太郎飴としか理解できなかったのですが、会に参加した人たちには、「トレンディー」な「スイーツ」という認識だったようです。
若いパティシエが、見ている前で実演して作っていました。
東京駅の地下でも売っている・・・そんな会話もしていました。
何人かは、店に入り、飴(キャンディー?)を買っていました。
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散歩終了後、中野駅近くの飲屋で 自由参加の懇親会があった。
どんな会なのかと、参加した。
常連6名(うち3名は女性)とガイドの男性 それに小生の8名の懇親会となった。
現役で働いている人、やはり話の内容が生臭い、昔だったら乗れた話題かもしれないが、いまは年金暮らしの身。
興味の中心がずれてしまった。
会員登録して、お散歩の会で 東京を歩く・・・・ちょっと違和感あり。
ネットで確認したら、1月の企画は、神楽坂から高田の馬場、これはパスする。
あまり散歩したことない地域、大塚から鶯谷の間の地域の企画がでたら、会員登録し、参加しようかと 思っている。
それからでも 遅くはない。
- 2016/01/06(水) 15:09:43|
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昔、小学生の頃、冬休みの宿題に書初めがあった。
自発的に学校の勉強をする子供ではなかったので、いつも冬休みが終わるころ書いていた。
それだけ、小さいころは、楽しい遊びがあったのだろう。
いまは、日がな一日、無聊をかこう身。
撮り初めでもするかと、冷蔵庫のなかに(小生専用です)手を入れると、コンタックス用マガジンに、Rollei赤外400Sのフィルムが入っているのを見つけた。
なんで?このフィルムが入っているのか・・・と思いながら、コンタックスに装着した。
予備に、Retro400Sフィルムをマガジンに詰め、散歩に持って出かけた。
家を出たのは昼の12時を少し過ぎたころ。
まず、大井の蔵王権現神社を目指す。
品川区役所前の中央公園を横切ろうとした。

白木蓮の蕾が、今にも咲き出しそう!
例年なら、中央公園で木蓮の花が咲くのは、桜の咲く前、3月の中旬。
異常気象? 1月2日に蕾が膨らんでいた。
R72のフィルターを付けて撮影/記録した。
大井の街にでて、立会川舗道を歩くと、前を、修験道が歩いていた。

付けていくと、蔵王権現神社の横道に入っていく。

権現神社が荏原七福神の最初の札所になっている。
この前を散歩で幾度となく歩いている。
小さな社があるのは、知っていたが・・・・

まさか、隣の建物が社務所だとは気づかなかった。
社(やしろ)より、社務所のほうが大きく立派である。

2番目の札所へ向かう。この辺りは戦争の被害から免れたか、戦前の建物が残っている。
町名は二葉町、「双葉」は誤記です、訂正します。

2番目の札所の筋向かえにある銭湯。なかなかフォトジェニックなので一枚撮影。

この辺りの古い地名に大間窪という名があった。場所はどこを指すかわからないが、
東光寺辺りは窪地なので、古くはこの辺りが「大間窪」と言われていたかも・・・
西側に進むと坂になり坂の途中に、下神明天祖神社がある。
そこは残念ながら荏原七福神に入っていない。
下神明・天祖神社をさらに登ると、区立の「大間窪小学校」があった。
「下神明」、「大間窪」、古くから伝わる土地の記憶は、徐々に消されいく運命のなのかもしれない。

東光寺より3番目の札所 如来寺へ向かう。
途中、西大井にあるニコン工場わきを通る。
アッと思ったら、ここでフィルム切れ。14枚撮りの短いフィルムでした。
予備に持ってきたRetro400Sフィルムに交換する。

西大井の外れ、大田区山王との区界近くの寺。普段この山門は閉まっている。
初めて、この山門から入った。

本堂の仏像は なかなか迫力がある。

お堂の中は暗い。入り口からの光が主で、なかに明かりはない。 レンズを開放f:1.5にしても、1/25秒~1/10秒程度の露光になる。(ISO:400)
戦前1939年製のゾナーだが、立派なもの、ちゃんと撮れている。
勿論、今のデジカメなら、もっと綺麗に撮れるでしょうが・・・・小生はこれで充分、満足。
できれば、三脚を持ち込み、f:5.6くらいまで絞って撮影したいものである。

如来寺を後に、区界を離れ上神明の天祖神社へ進む。地番はおそらく二葉町、東光寺や下神明・天祖神社と同じ町内に戻ることになる。
ここは「蛇窪」とも云われ、それにちなみ蛇のオブジェを飾っている。
余り趣味の良い大蛇ではないが・・・・・
同じ天祖神社だが、下神明の天祖神社より氏子は多いようだ。

上神明・天祖神社より荏原町へ向かう。二国(第二京浜国道)を横断し、まっすぐ進めば、そのまま荏原町の第5の札所近くに着くが、少し寄り道し、立会川緑道を歩く。

つぎの瞬間、犬に驚き鳩が一斉に飛び去る。 その瞬間は撮れませんでした。
連写できるデジタルカメラなら、その決定的瞬間撮れたでしょう。
「撮れた」からといって、大した写真でもない・・・(イソップ童話の心境、負け惜しみです。)

大井町線 荏原町下車1分で、5番目の札所に着く。
恵比寿さまが鎮座する社は小さくみすぼらしい。

一方、お寺さんは大きく立派。
駅に近いし、条件はいいのに、七福神詣でする人影は少ない。
法蓮寺の隣は神社になっている。

旗が丘八幡神社。
「旗の台」という地名のルーツになった神社かも・・・・
人出があり、屋台も出ていた。

屋台も近代化、オシャレになっている。
旗が丘八幡神社を離れ、6番目の札所、摩耶寺を目指す。
目標は、旗の台にある「昭和大学」
その横道を、西小山駅に向かって進めば摩耶寺につく。

Retro400Sフィルム 40枚程度、撮影できるはず・・・残りのフィルムをカウンターで確認する。あと12コマは撮れる・・・
この建物を見てしまい、思わずシャッターを何枚か切っていた。
まずい、七福神めぐり、完成するだろうか?

時刻はもうすぐ3時になる。陽が傾いてきた。
なかは暗くなり、あまり撮りようがなくなっている。

最後の札所、小山八幡神社はすぐ近く。
フィルムの残りも少ない。
もう少し、時間と、フィルムと、光があれば・・・・この辺り、撮ったら面白いかも・・・

武蔵小山~洗足~旗の台は目黒区、大田区との区界になっている。
散歩でもあまり歩いていない。
今年は、この辺りも、散歩してみようかと思う。
フィルムがなくなったので、散歩終了。
小山八幡から、まっすぐ、戸越の里に帰りました。
帰宅したのは午後3時半ごろ、3時間半の大冒険でした。
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撮影3時間半。
フィルムを現像し、定着、水洗、乾燥、できたネガをスキャナーでPCに取り込み、画像調整・・・・
撮影データを画像の下に書き込む。その作業時間は8時間を超える。
大変だけど、これが、楽しい。
手間暇かければ、愛着が湧く。
電子部品の入っていないカメラは、大事に使い、修理すれば、いつまでも使える。
やはり、愛着を感じているのだろう。
フィルムのカメラ、捨てられる?
それができない。
デジタルへ移行するには、心理的なギャップが大きい。
小生は 趣味で撮っている。
趣味だもの、途中経過も含め 全て楽しみたい。
- 2016/01/03(日) 21:55:22|
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