お散歩にカメラを持ち出して9年。
撮り納めのネガナンバーは807に達した。
810本にはわずかに届かなかったが、平均で90本弱撮ったことになる。
さて、来年の撮り納めは、900に達するだろうか・・・・?
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ネガナンバー807フィルムの最後に写っていた2カット。

横をカップルが追い抜いていく。
面白い。ファインダーを覗き、シャッターを切っていた。
シャッターチャンスは1回。
咄嗟のばあい、絞、シャッター、距離は 確かめない。 写っていればラッキー、絞やシャッター、距離を合わせていたら、その瞬間を失う。なんでもいいから、シャッターを切ることにしている。
カメラには広角の35mmがついている。 距離は5mになっていた。絞f:8 シャッターは1/250秒。
暗部に対して、露光は足りない。潰れてしまう。
陽の当たるところに対しては、1絞~2絞りオーバーだろう。

暗いところを潰すのは あまり好きでない。露光は少しオーバーになるが、カップルが明るい場所に出たところで、撮影しようと・・・盗撮?・・・追跡し、シャッターを切る。ここで、フィルムを使い切っていた。
カップルの後姿は、しっかりと捉えたが、写真は説明的で、面白くない。
撮影する小生の長い影が、不気味に舗道に落ちていた。
写真としていいのは、最初のショットだろう。
二人のミュージシャン? 若いカップル。
年末の演奏旅行に出かけるのか?
遠くに五反田駅のプラットフォームが写っていた。
老人の眼から見ると、羨ましく、まぶしいくらい。
若いというのは可能性に富んでいる。
お二人の来年の活躍を・・・・
そう思いながら、カメラのフィルムを巻き戻していた。
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- 2015/12/31(木) 09:47:44|
- 散歩
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この頃は散歩に出ても、すぐに陽が沈む。
戸越公園駅近く、家に帰ろうと足を速めていたとき、撮影した一枚。

何気なく撮った一枚。
現像し、確認したら、「溝の口」行の電車だった。
「あぁ、元に戻った。」 ほっとしたような、懐かしい気持ちになっていた。
60年以上前、大井町線は「大井町」を起点にしていて、終点は「溝の口」であった。
父の軍隊時代の部下が溝の口住んでいた。地主の息子だと、父は言っていた。
遊びに行った記憶が残っている。
子供心にも、「溝の口」まで行き、駅を降りると、大きな旅行をした気持ちになっていた。
その後、溝口からさらに先まで線路は伸び、通過駅になる。
いつしか、大井町線は「田園都市線」と、名前は変更される。
大崎の駅近くに住んでいた友達の何人かは、沿線の開発された住宅地に移っていった。
いまは、老人の住む街になったと嘆いていたが・・・・
玉川線が廃止になり、渋谷から地下鉄が繋がり、今、田園都市線は、渋谷から出るようである。(乗ったことない)
そのためだろう、確かに、元の名前に戻っている。
小生にとって、大井町線の終点は溝の口であっていい。
それ以上遠くへは、おそらく、乗ることはないだろう。
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大井町線で駅名が変わった駅が1つある。
昔は、「二子玉川園前」という駅名だったのに、今は「二子玉川」と駅名は短くなっている。
娘が、幼稚園に通っていたころ、まだ、「二子玉川遊園地」はあった。
遊園地、流行ってはいなかったが・・・・娘を遊びに連れて行っている。
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どんどん変わっていく。
あと30年したら、大井町線、どんな人を乗せて走っているのだろう。
若者?家族づれ、サラリーマン? それとも老人?
- 2015/12/30(水) 18:54:54|
- 散歩
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Minolta Hi-Matic Fを手に、日課の散歩に出かけた。
あと16枚ほどフィルムが残っていた。

戸越公園で最後のモミジを撮る。白黒では・・・紅葉を表現できませんね。
撮影位置からすると、広角気味のレンズより、望遠135mmレンズでモミジを切り取るべきところです。
さて どこへ足を向けるか?
この頃 あまり散歩しなくなった南の方角へ進むことにする。

戸越公園から豊町を抜け、西大井に出ていた。
この辺りが区界。すぐに大田区になる。

冬の陽が庫裏にあたり、影を作る。
ちょっと洒落てみました。こんなフレーミングの写真だって撮ります。
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大田区に入ると地名は山王になる。
東京で「山王」と言えば、赤坂の山王・日枝神社が有名。
戸越の里の住民の勝手な印象ですが・・・・山王という言葉の響きは、高級で閑静な住宅地というイメージを与える。
いざ、山王へ!
足を踏み入れた。

地形的にみるとこの区界には小さな小川が流れていたのでは・・・?と思わせる。
右が大田区・山王、左が品川区・西大井。
この写真で、如来寺は後ろにあり、そこから少し登坂になっている。
山王、日枝神社、天台宗・・・・結びつくなぁ。
如来寺(天台宗)が創建され、山王の地名になったのかもしれません。

山王ロマンチック通りを進む。
商店街は閑散としているが・・・雰囲気はある。酒屋の軒先が野菜の販売所になっていた。
西大井の地番を左に、山王の地番を右に確認しながら、区界を歩く。
ロマンチック通りを抜けると、登坂になり、途中右手に公園があった。
「徳富蘇峰記念館」 入場無料。
後学のためと記念館に入る。見学者はいない。
係員が出てきて、パンフレットをくれる。
なかなか親切である。

入り口に馬込文士村の看板があった。この辺りから馬込文士村が始まるようだ。
記念に一枚撮影したら、フィルムがなくなった。
道路の右側は品川区西大井。
「徳富蘇峰記念館」は区界、山王にありました。
文士村を抜け、池上の本門寺まで、一年に2回ほど、家から散歩で出かけます。
しかし、途中にある文士村を散策した覚えはない。
来年、この文士村を散歩するのもいいかなぁ・・・と思っています。
- 2015/12/28(月) 13:00:29|
- 散歩
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林試の森公園の紅葉でも撮ろうと、散歩していた。
木曜の午後、人影は少ない。
ラクウショウの紅葉が始まっている。

紅葉を撮っているうち・・・カメラのレンズは、次第に、通り過ぎる人影を追っていた。

盗撮をするつもりはないのに・・・・

秒撮に気づいていないだろうが・・・・互いに、目を合わせにっこり。
日本人には、この習慣はないが、思わず目があってしまったら、欧米人は、にっこりとする。
「貴方に危害を加える人間ではありません・・・」とまず友好のサインを交わす。
そのまま行き過ぎてもいいが・・・・・素敵な笑顔に、思わず話しかけていた。

子供たちが、シーソーをこぎながら一二三(アイン、ツバイ、ドライ)と発音し遊んでいるようにも聞こえた。
ドイツ語はできないし・・・・日本に住んでいるのだから日本語でいいか?英語で話しかけるべきか・・・・
少し躊躇した。ドイツ人は英語がうまいから・・・・
話しかけるとやはり、ドイツから来た人だった。
50年ほど前習ったたどたどしいドイツ語で「ドイツ語は話せません」と言うと、うまいと日本語で答えてくれた。
日本語もかなり理解できているようだった。
お願いして、一枚 写真を撮らせていただきました。
素敵なドイツの女性でした。
enjoy your stay!
- 2015/12/25(金) 12:05:48|
- 人物 ポートレート 踊り
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明後日の26日(土)、今年最後の「お散歩」に「カメラ」の撮影をする予定です。
勿論 フィルムで。
それが終わると、来週は正月の準備に追われ、散歩する余裕はなくなる。
カメラを持ったしてもデジカメになるでしょう。
年末は、その年に撮影した写真から、ベスト50のカットを選び、
A4サイズにプリント、それをファイルするのが、習慣になっている。
夜は、その作業に追われることになる。
一年の締めくくり、今年撮影した写真を、全てチェックするのも、楽しいものです・・・疲れますが。

大晦日の日、50点の選定し、プリントが終了したら、その幾点かを、ブログに載せようかと思っています。
さて 来年は どんな写真を撮っているでしょう?
散歩にカメラも10年目を迎える。
来年の今頃は散歩にカメラを卒業し、新たな「テーマ」でも見つけているか・・・
しかし、鬼も笑うでしょう、もうこの世にいないかもしれないのに・・・
- 2015/12/24(木) 23:03:21|
- 散歩
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「夜の散歩」というと 少々いかがわしい。
泥棒? 盗撮?と思われてしまう。
そんな悪人ではありません。
散歩に出ると、すぐに暗くなり・・・・夕方の撮影になってしまう。
シャッターを押すタイミングが、たまたま暗くなってしまっただけです。
邪な気持ちは少しもありません。
空を見ると三日月が。

大崎から御殿山に上ると、フォトジェニックな建物が建築中。
閑静な住宅街で、近くにはミャンマー大使館や原美術館がある。
近くを通るときは、努めて記録することにしている。
露光を夕空に合わせ、建物をシルエットにして撮影した。

そのまま進み、ソニー通りへ。
左に折れ、五反田の駅に向かう。
駅前の歩道橋に登り、柵に肘をつけて、撮影。
"Night walk in Tokyo"
フィルムの時代は終わった・・・ということでしょう。
デジタルで写す時代です。
フィルムでは、暗い部分に銀塩の汚れた粒子が残ります。
建材の目地は、揺らぎ、表面をザラつかせます。
デジタルなら、目地は直線ですっきり、建材の表面は滑らか。
できた写真の品質は、明らかにデジタルに軍配が上がります。
なるべく高価な、ISO感度の高いデジカメを手に入れないと・・・・
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あと、一年は、写真を撮ろうと思っています。
そうフィルムで。
今年の 撮り納めは、26日に行う予定。
来年一年、東京の街を、散歩し、写真に撮ろう。
それで、限界と思ったら、カメラから足を洗うつもり。
10年撮って、何か得心できるものを得られなかったら、才能はない。
別のことに時間を使うべき、歳の残りをカウント(意識)せざるをえない。
- 2015/12/23(水) 21:36:16|
- Night walk in Tokyo
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14日、品川のプリンス・シネマで 妻に誘われ「母と暮らせば」を見る。
妻は宮沢りえの出演した、「父と暮らせば」を見ている。
ものすごくよかったと言っていた。
同じ井上ひさしの原作。
期待していたらしい。
見終わって、がっかりしていた。
確かに、長崎原爆/戦争という重いテーマが底を流れている。
その重いテーマを扱いながら、リアリティーに欠けていると感じた。
監督は山田洋二氏。
日本を代表する映画監督だが・・・・期待が大きいだけに残念。
幽霊と現世のかかわりに不自然さがあり、リアリティーを感じさせない。
もしかしたら、そうかも・・・と映画の世界に引き込むものがない。
脚本が悪いのか、練れていないのか?
虚実皮膜論を考えていた。
寅さんも架空の人物。
しかし、こんな人がひょっとしているのでは・・・というリアリティーを感じさせてくれる。
それができる 日本有数の監督なのに・・・・
「対象が美しいから、写真が美しいのではない。
対象が力強いから、写真が力強いのではない。」
という土門拳の警句がぴったりだろう。
がっかりした妻は 帰るといい、品川駅・駅前で別れた。
時刻は3時20分になっていた。
急いで、泉岳寺に向かう。
持っていたカメラは Minolta Hi-Matic F 露光の難しさを解消したプログラムAEを採用した初期のカメラです。

非常に軽く、コンパックト。ハンドバックにも入ったと思います。絞り、シャッター速度はカメラにお任せ、AEを切って使うこともできません。(シャッターダイアルも、絞リングもついていません。)

明るいf:2.7のレンズ38mmの広角レンズ、ISO:400のフィルムを詰めれば、大概の場所で写真は撮れます。

着いたときは、義士のパレードが終わる寸前でした。人波をかき分け、ようやく一枚。
手振れはしていないと思いますが、咄嗟の撮影、ピントは後ろに合っていました。(・・・と言い訳)

外国の方も、沢山来ていました。人ごみに疲れたか?

薄暗い屋台に入ってもシャッターは切れました。
ただし警告の赤いランプが点灯する。
露光不足?で駄目と言っているのか?手振に注意。
どちらの警告でしょう?
かまわず、シャッターを押していました。

時刻は4時を過ぎ、あと30分もすれば陽は沈みます。曇天の夕方、f:2.7のレンズには少し酷かもしれません。
帰ることにしました。地下鉄で帰る?それでは、前回と同じでは・・・歩いて帰ろうと決心。

高輪中学・高校の横道を抜け、高輪の台地へ。こんな雰囲気好きだけど・・・・結果は露光不足でした。

モミジが紅葉していたので、撮ってみましたが・・・・シルエットで抜けていました。

井戸があったので、面白いとパチリ。プログラム露光なので・・・おそらくカメラの判断は、f:2.7/15秒か、f:2.7/8秒、歩く人のブレ具合から1/15秒でしょうか?カメラは聞いても教えてくれません。

交差点の信号機には、高輪警察署前の看板が出ています。
この特徴的な建物は、確かめたところ、やはり 高輪消防署でした。
警察署はどこ?
交通整理していた補導員に尋ねたら、あっさりと右の黒いビルを指し、「高輪警察はあれ」
疑問は氷解、拍子抜け。

このまままっすぐ歩いたら、御殿山から、大崎を抜け 戸越の里へ帰ることになります。
前回と同じでは面白くないと道を曲がりました。
明治学院大にでて、桜田通りを西に下れば、五反田の駅に至ります。
このルートで、戸越の里へ帰還することにしました。
帰宅すれば、フィクションでない、現実の、
「妻と暮らせば」が始まります。
- 2015/12/22(火) 14:54:24|
- 散歩
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昨日の写真は、戦前のF:2 ゾナー(沈胴)で 撮ったもの。

昨日の問題の答えは、「ネガの裏焼き」です。
11月半ばの光ですが、建物に当たっています。
この時期、Retro400S ISO:400の感度なら、f:11/500秒 或はf:8/500秒が適正露光になるはず。
それを、f:8/100秒で撮影しています。
2絞り以上 露光を掛けている計算。
NDフィルターを付けていないので、すぐに水面の映り込みを撮影したと気づくでしょう。
水面の反射なら、文字は裏文字になるはず。それが、読めるのは・・・・ネガを裏焼きした。
それが正解です。
水面の映り込み、明暗差が目立たないので地味、見過ごされがちです。
「これ、写真に撮ったら・・・どう写るのだろう。」それが知りたくて撮っています。
綺麗な風景なら、だれでも見逃さず、映り込みの写真はとるでしょうけど。
こんな日常の散歩でも、撮影、楽しめます。(綺麗な風景写真を撮りに行く、金力と、体力が、ないだけですが・・・)
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レンズは、戦前のf:2ゾナー。
同時代、ライカにはズマール(Summar)のレンズがあります。
ピントの合ったところでは、甲乙つけがたい。いいレンズです。
しかし、ズマールは、像の崩れが大きく、見かけ上の被写界深度はゾナーより浅い。
時々、二線ぼけがでるので、フレーミングに注意が必要。
ゾナーは 周辺に三角ぼけがでますが、周辺なので 目立たない。
どうも、小生オールド・ツアイスのレンズが好みのようです。
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西大井を散歩して撮影した写真。レンズはJupiter-12 35mm F:2.8です。
戦前設計され、販売された コンタックス用ビオゴン(Biogon)のクーロンレンズです。コピー品ではありません。
東ドイツ側にあった、イエナの工場を、ソ連邦のキエフに移築して作った工場で生産されています。だから、純正のクーロン、DNAはしっかり伝わっています。
戦前の設計ながら、良い広角レンズです。逆光ではゴーストが出やすいのは、致し方ありません。

西大井の如来寺で撮影した仁王像です。彫られてまだ、それほど年月は経っていないでしょう。しかしなかなかの威圧感。
広角レンズで近づいて撮影。時刻は3時を過ぎ、陽はだいぶ西に傾いていました。
逆光気味のフレーミング。
ゴーストが出ないよう注意して(一眼レフでないので確認はできませんが・・・)撮影。もう一絞り分、シャッター速度を落としたほうが、暗部のディテールがでて、いい写真になったかもしれません。

これは、順光で撮影。逆光に比べ2絞り分絞っています。
露光計のないカメラを使う。スリリングでいいものですよ。
よくても、悪くても、責任は、撮影者、悪い結果の時は黙って隠し、うまく撮れたら、妻に自慢して見せる。
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同じ仁王様でも、違う表情をしています。
仏像の撮影に 心血を傾ける写真家の気持ち、わかる気がします。
ポートレートを撮影する人の気持ちも、同じなのでしょうか?
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如来寺、正確には養玉院如来寺、天台宗のお寺です。
荏原七福神の一つだそうです。
調べると、荏原七福神は、全て品川区の域内にありました。
そのうち4つは、時々散歩で歩く道にあり、残りは、まだ訪れたことありません。
来年のお散歩カメラは、正月の荏原七福神詣でから、始めようかと思っています。
- 2015/12/21(月) 14:48:37|
- 散歩
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目黒川沿いの遊歩道を歩いていたとき 撮影した一枚。
なんでこんなつまらない風景を撮るのだ・・・と顰蹙をかいそうな写真です。
フィルムの無駄と、バッサリと切り捨てられてしまうかも。

雲は出ていましたが、陽は出て、天候は晴れ。
それが、嵐の来る前のような感じで写っています。
でも、よく見ると 変ではありませんか?
切り貼り、二重露光など一切写真には直接手を加えていません。(ということは・・・間接的に)
極めてストレートに「撮り」、普通に現像していますが、そのあとの暗室作業で「作って」います。
さて、どうしたでしょう。
暗室で、写真を引き伸ばした方なら、すぐ気づくでしょう。
デジタルで撮影されている方でも、勘のいい方なら・・・・見破るでしょうね。
- 2015/12/20(日) 12:42:46|
- 映し出された世界
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植林された林に、微かに空の光が入っている。
紅葉した樹はないので、カラー向きではないが、モノトーン写真では、外せない風景。
もし、陽が林の中に差し込んでいたら、きっといい写真が撮れと思う。
雨上がりの湿度が高い時、陽でも差したら・・・・最高だろう。
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作品#3

構図的には、よくある構図かも。
真ん中の樹の幹にピントを合わせている。
f;22まで絞った。
カメラの距離目盛を確認。
ほぼ無限遠まで被写界深度内に収まっていた。
撮ったとき、#2が 一番まとまっていて いい写真になると思っていた。
#1は、ある意味自信作。岩に反射する光の微かな輝きを出せれば、老木の根の不気味さを 引き出してくれると思っていた。
#3のこの作品は、モノトーン向き。カラーでは狙う構図ではない。会のメンバーは全てデジタル一眼でカラー撮影。
こういう風にも撮れますよと、ブローニー判、モノトーンフィルムの写真を見せたい(ある意味では自慢したい・・・・動機、不純です)という理由で選んでいる。
妻に見せたところ、#3がベスト、#2が 最低の評価になりました。
小生も、同感です。
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風景写真は、地元の人が撮ったものがベストなのだろう。
天候を見て、仕事を一時中断しても、カメラを担ぎ、撮影スポットへ出向けることができる自由人や、暇な定年退職者の撮った写真にかなうはずもない。季節の移ろい、光の具合は熟知している。
デジタルカメラの性能も上がっている。
地元の人が、足しげく通って撮った写真・・・・そこには郷土への愛着がある。
出向いて撮った写真愛好家の写真には、あわよくば傑作をものにしたいという下心がある。それは、ある意味、風景を略奪するのと同じことだろう。かすめ取って、持ち帰る・・・・・
風景写真は、そこに住み、郷土愛にあふれた写真愛好家(プロも含め)に 任せるのが 一番だろう。
小生は、旅行者、ちょっと スナップする程度でいい。風景の略奪者ですから。
- 2015/12/19(土) 09:57:46|
- Photo彩遊
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午前中は薄日もさしていただろうが、撮影ポイントへ入ったとき、太陽は雲に隠れてしまった。
渓谷なので空は狭い。
空の面積から、露光は、ISO:400で f:2.8/500秒(f:5.6/125秒)を基準に考えればいいと踏んだ。

白黒で紅葉を感じさせるにはよい光景だと、テスト撮影をする。
デジタルカメラSony NEX-3、E16mmレンズで近づきフレーミング。
幹までの距離は60cmくらい。
撮影モードはP。カメラにお任せ。
液晶モニターで画像を見る。明るく、しっとり感がない。ダイアルを動かし暗くする。-0.7EVに調整して撮影した。
液晶モニターで、画像を確認。悪くない。この樹を撮ろう。
露光を確認する。f:5/100秒・・・・???で撮影されていた。
露光補正をしなかったら、f:4/100秒くらいの露光が カメラの指定する適正露光になる。
そんなはずない。 ISO:400なら、f;5.6/125秒が適正、しっとり感を出すため少し露光を切り詰め、絞りf:5とf;8の中間絞(f:6.3)で1/125秒の露光となるはずだが・・・渓谷での撮影経験は少ない、自分の勘が狂っているのかと疑いだす。
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作品 #2

しかし、おかしい。自分の経験を信じ、露光を決めた。
ISO:100のフィルムなので、f:5.6/30秒が適正露光。f:22まで絞ったら、1/4秒になる。少し露光を切り詰め、シャッター速度1/5秒とした。(デジカメの値を信じたら1/2秒~1秒の露光を選ぶことになり、露光オーバーしていただろう。)
デジカメの表示がおかしい。しかし表示がおかしいだけで、ちゃんと撮れている。ちゃんと撮れているので、それでいい。
自動露光のカメラを使っている人から見たら、絞だ、シャッター速度だと、何が問題なの?と言われてしまう。
今のカメラ、絞やシャッター速度、厳密に考えないでも問題ない、単なる目安でいいのかもしれません。
レンジファインダーカメラなので、あまり近づけません。幹までは1.2mくらい。最少絞りでも遠方は被写界深度を外れます。
ファインダーで確認したとき、右手の岩、気にはならなかったのですが、実際写真にしてみると、表情がない。右の方はトリミングして取り除きたいところです。
デジタル写真のほうがいい写真でしょう。
- 2015/12/18(金) 11:43:36|
- Photo彩遊
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写真クラブ「彩游」に参加していた。
ニコンカレッジで風景写真を習っていた人達が集まってできた写真クラブなので、
風景写真が中心になる。
足掛け4年ほど勉強させてもらったが、そろそろ卒業だろうと判断していた。
秋の撮影会を最後にしようと、密かに考えていた。
風景写真愛好家は、がっちりした三脚にカメラを固定して撮影するのが基本。
スナップ中心の小生は、会で主催する撮影会でも、もっぱら手持ち撮影を行っていた。
今回は、三脚を持参、大判のブローニーフィルムで風景写真に徹することにした。
丁寧にフレーミングし、露光を考え、撮影。
スナップ写真より 神経を使い、疲れる。
ブローニーフィルム2本、24カット撮影が限界だった。
35mmフィルムなら 2本、80カット。 デジタルカメラなら250カット撮ったかもしれない。
12月7日の定例会で、各自、3つの作品を出すことになっている。
この定例会出席が最後の活動になった。
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撮影に先駆けて、まずデジタルカメラでテスト撮影。光のまわりぐあい、構図、露光を決めた。
デジタルカメラは便利。撮ったらすぐ液晶画面でチェックできる。

この樹はフォトジェニック。巨木である。

風景写真では、ひたすら美しい光景を撮ろうとする。あるいはドラマチックな光景を撮ろうとする
そのためには、それなりの費用をかけ、出向き、撮影のチャンスを狙うようになる。
金力と余裕がないとできない芸当。
美しい/ドラマチックな写真を、「どう すごいだろう」と自慢して見せることに 違和感をおぼえる。
写真を公に発表することに写真家クーデルカは羞恥心を感じたという・・・・・小生にも、まだ少し羞恥心が残っている。
だから、ささやかに、見慣れた光景の中で、見過ごされそうなものを切り出し/発見し、写真に記録することに、密かな楽しみを感じているのかもしれない。
小生の感覚は、趣味の王道・風景写真を愛する人から見たら異端だろう。
そんなことが、会に所属することに、違和感を覚えたのかもしれない。
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近づいて、構図を探る。


カメラはMamiya-6、蛇腹のスプリングカメラ。60年くらい前のカメラだが、テッサータイプの75mmレンズがついて、解像度は高い。最短撮影は1m。35mm換算でほぼ標準の50mmレンズくらいの画角がある。
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風景写真、ピントは全てに合うよう絞はなるべ絞る。
液晶画面と眼前の老木を見比べながら、構図を決め、三脚をセットした。
作品 #1

デジタル・カメラは ISO:400で f:4/60秒 -0.7EV(補正)で撮っている。(露光を決めたのはカメラ、補正は小生がしました。)
Mamiya-6では、ISO:100のT-MAX100フィルムを使用しているので、露光を合わせれば(計算すると)f:22で2秒の露光になる。
フィルムの場合相反則不軌があるので1秒以上の露光では、少し露光時間を増やす必要がある。
3秒くらいが適正となるが、岩に反射する空の照返しの光を出したかったので、敢えて露光を絞ってf:22で1秒の露光で撮影。
軟調な現像液を使用し、暗部を潰さないよう、普段より押して現像してみた。
ネガは若干薄いが、階調性は豊かになった。
ネガを フィルム・スキャナーでPCに取り込んだ。
約5000万画素のデジタル画像を得た。
A4の用紙にプリントしてみたが、もっと大きな画像にしたほうが 迫力がでるだろう。
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写真に 理屈なんて必要ない、いいと思ったら、直感で撮るべき・・・・ぐっとくる お言葉だが、
カメラは科学技術の結晶、直感で撮る・・・とはどういうことだろう?と考えてしまう。
今のデジカメ、シャッターボタンを押せば、露光、ピントの合った写真を 誰もが撮れるようになった。
あとは決定的な瞬間を捉えるだけ。
それが直感だよ。
しかし、プログラミングすれば、写真が撮れる時代。
ドローンにデジカメを付け、空に飛ばし撮影することも、電動の車いすに装着し、適当に撮影し、その中から画像を選び、作品だとする人も現れている。笑顔を感知してシャッターを押してくれるカメラもあるという・・・・
機関銃のように撮影し、その中からベストの一枚を選ぶ。
それも、直感なのだろうか?
写真が発明されてから、直感でシャッターを押した人どれだけいただろう?
やむに已まれず、この状況を記録しなければと、シャッターを押したカメラマンは多いけど・・・
フィルムの特性を考えたり、被写界深度をどうするか・・・いつも考えて撮影している。
フレーミング、ピントを合わせる場所、絞、シャッター速度など、自分の手で決めて撮影する。そこに直感はない。
だから、写真がうまくならないかもしれないが、それが、小生のスナップ写真。
来年は 街角スナップを主に 撮っていくつもり。
風景写真は、あまり撮らないと思う。
- 2015/12/17(木) 18:51:01|
- Photo彩遊
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一本のイロハ紅葉を追いかけ、何度も戸越公園へ通っている。
夕方近くになると、三脚とデジカメをもち、散歩に出る。
「また今日も戸越公園?」 妻は呆れている。
誰にも相手されない偏屈な老人ではありません。・・・・要するに暇なんです。
撮りためた「イロハ紅葉」の画像が、ハードディスクに溢れ、収集がつかなくなっている。
どれがベストショット?それが分からない。
ありふれた構図の写真のオンパレード。
どれもたいしたことない。
反省の念を込め、ブログに載せ、記録(記憶)しておきます。

燃える様な紅葉とは云えなくもないが・・・・キャッチーではない。ありふれた構図。 これがベストショット??そうは思えない。

二人の女性を フレーミングに入れる。すこしシュール。だが、それだけの写真。

長時間露光で、遠くの銀杏の紅葉も取り込む。昼撮影したような写真になったが、なんとなく異様。

少しはまし。しかし、引き込むものがない。

モミジの枝が、天に向かう腕のように撮れていたら・・・・そんなの無理か。

長時間露光も、最初のうちは面白いと思ったが、見慣れると大した写真ではなくなる。

紅葉の撮影では、モミジ葉一枚をクローズアップで撮ったショットが定番だ。
一枚は欲しいと、昼の戸越公園で撮影したもの。背景をぼかして撮影するところ。
ニコンFマウントのマクロレンズを、アダプターを介しNEX-3に取り付けて撮りたいところだが、E16mmレンズ 一本で紅葉を撮ると決めている。
この辺りが、意固地なところ。
カメラで近づけけるところまで近づいて撮影した。

これも、定番のフレーミング。
紅葉は 撮り尽くされている。
写真のクオリティーを評価基準にするなら、
紅葉が綺麗な場所に行き、高価なデジカメで撮るのが一番だろう。
それとて、また選ぶとなると・・・苦労する。
今までにない切り取り方、アングルを発見したいと思うが・・・・風景写真は難しい。
小生の手におえるものではないようです。
- 2015/12/15(火) 15:57:32|
- 樹、草、花
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今年は 戸越公園の「イロハ紅葉」を 撮っていた。
厭きるぐらい撮っただろう。
沢山集まると、選ぶ段になって、どのショットがいいのか・・・わからなくなっている。
似たり寄ったりの写真とも思えるし、いや、このほうがフォトジェニックと 思えたりする。
イロハ紅葉の何が撮りたかったか、覚束なくなっている。

「これ、写真にしたらどう写るだろう?」という興味心/好奇心でシャッターを切ったはずなのに、
たくさん撮ったものから、選ぶとなると、何に興味を持ったのか・・・あやふやな気持ちになる。
選びようがないではないか。
いつしか、選別の意欲を失っていく。
グログをサーフィンすると、綺麗な紅葉の写真が沢山載せられている。
教科書に載っているような完璧な構図が続く。悪くはない。
とは思いながら、どの作品も、どこかで見たことある構図であり、色調。
なにか、他の人の写真と差別化できる、もう少しの+αが欲しいと思ってしまう。
デジタルには、心を萎えさせ、感性を鈍感にさせる・・・魔性が潜んでいるように思えてきた。
ハイクオリティー画像という甘い囁き。
それを可能にするのは、少数の選ばれた人しか持てないような高価なデジタルカメラ・・・・。
もっと綺麗な、フォトジェニックな写真がお望みなら・・・・最新の、なるべく高価なデジカメを手にいれるのがいいでしょう。
そんな 魔性のつぶやきが、耳もとでささやかれている。

手元不如意につき・・・・昔の貧乏侍ならそう答えるところ。
NEX-3で充分と自分に言い聞かせている。
一度撮った写真は捨てられないでいる貧乏くさい老人でもある。断捨離しなければ。
空の色調、もう少し深いブルーが欲しい。雲に赤味が少し残っているのが、気に食わない。


いっそ、空を漆黒の闇にしてしまったほうが、紅葉の本質を捉えることができる・・・・・かも。
- 2015/12/14(月) 21:13:33|
- 樹、草、花
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先月の終わりごろから紅葉を撮ろうと、デジタルカメラを持って戸越公園へ通っていた。
最初は面白がっていたが、すぐに飽きてしまう。
デジタルカラー疲れ・・・なにか 面白くない。
生来モノトーン写真が好きなようだ。
10日以上、白黒フィルムから遠ざかっている。
母が使ったキャノネットのことを思い出し、久しぶりのフィルム撮影を行うことにした。
フィルムの長さは24コマ分切って入れたつもりだが、実際には28コマ撮れました。

大崎駅近く。
土手の薄に光が当たっていた。
思ったより薄の階調が出ていない。
S型ニコンの50mm F:2のレンズなら・・・・白とびせずディテールが出たのでは・・・と思ってしまう。

山の手通り、居木橋で撮影。
テストなので、あまり良い条件を選んでいない。
しかし、フレヤーも出ず、コントラストの高い描写力。
確かにいいレンズです。
暗い部分のディテールが出るか、チェックのためわざと前の植え込みを入れました。
これも合格。
フレーミング的には、入れない方がいいでしょう。植え込み前の舗道に立ち、撮影すべき構図です。

これは、1絞り 露光が足りていません。セレン露光計 どこの光を測定しているのか? それが分かれば、対処できるでしょう。(露光計にも癖があります)

カメラ内部で光が乱反射しているようです。
明るい空を入れると、長辺側に出てきます。
カメラ内にモルトンを貼る必要がありそう。
露光も2絞りくらいオーバーしています。
シャッターを押すとき、絞が固定できるまでゆっくりと押していくのが コツのようでした。(さもないと、露光はオーバー)

前の葉にピントを合わせています。
露光も適正。
こんな写真が撮れる・・・売れたわけです。

シャッター速度優先で自動露光してくれます。
露光計無しで撮影するには経験が必要(沢山失敗しないと・・・)。
その恐れがないので当時は革命的(革新的というべき)カメラでしょう。カメラ大衆化の先鞭を作ったカメラかもしれません。
1/125秒にして開放絞りで描写力をチェックすべきでした。
一段絞ったf:2.8で撮影していますが解像度の高い写真になっています。
確かにいいレンズです。

明暗差の大きなフレーミング。カメラは、明るいほうの光で露光していました。暗いところは潰れています。
暗いほうを選んで露光を決め、撮影したショットもありますが・・・明るいビルのディテールが失われ、あまり綺麗な写真にはなりませんでした。

建物には「高輪消防署」の看板がありましたが、今は警察署になっているのでしょうか?
空の部分に、光漏れの筋らしきものがついています。

これは露光不足でした。セレン露光計、どこの光を測定しているのか・・癖を掴めません。

12月14日(明日です。)は、赤穂浪士が、主君の仇、吉良を討ち取った日。
泉岳寺では赤穂義士祭が開催されます。その準備をしている様子です。
今 外は小雨が降っていますが、明日は曇り、義士行列のパレードも行われるでしょう。
明日は、品川プリンス・シネマへ、妻と映画を観る約束をしています。
終わるのは3時ごろ。10分も歩けば泉岳寺に着く。
パレードに間に合うだろうか?
映画を見終わったら、別れ、カメラを抱えて、行くかも・・・・

暗いのでどうかなと思ったが、調子を崩さず撮れていました。
紅葉を撮影したのですが、モノトーンではその美しさ、記録できません。
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長巻を切り、40枚~42枚取で フィルムをマガジンあるいはパトローネに詰めている。
近所の散歩なら3回でほぼ1本のフィルムを取りきる。1週間に6日散歩すれば、2本。
年間52週間とすれば、104本。 104×41コマ(ショット)=4264枚の写真を撮ることになるが、
実際は、それほど生真面目に規則的に撮っているわけでもない。
年間で3000コマ~3400コマ程度。(それでも、フィルムを使うアマチュアカメラマンとしては、多いと思うのですが・・・)
デジタルだと 一回の撮影で200回くらいシャッターを押してしまう。
もし、デジタルに専念したら、暇だし、写真撮るのが趣味なので、週に少なくとも500カット、年間なら2万~3万のデジタル写真を撮っているでしょう。
フィルムと違い、いくら撮ってもコストはかかりません。(懐に優しいなぁ~~)
つい、たくさん撮ってしまい、あとで似たような写真のなかからベスト・ショットを選ぼうとしてPCの前に釘付け、
それに疲れて/飽きてしまったのでしょう。
デジタルは、写真を「撮る」ことから、撮ったものから「選ぶ」写真に 重心を移したのかもしれません。
- 2015/12/13(日) 12:54:41|
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Canonet 古いカメラです。
1960年代半ば、おそらく 東京オリンピックの頃 母が購入したものだと思います。
爆発的に売れたカメラで、ほんの数年で100万とも、200万ともいう台数が売れたそうです。

当時使ってもいいと言われていたのがMamiya-6、このカメラには触れませんでした。
あれから50年以上経ち、もうこのカメラを使う人はいません。
使えるものかテストしてみました。
長巻のRetro400Sを短く切り、カメラに装着。
そのカメラを持って、自宅から泉岳寺まで 散歩してみました。
家を出たのが2時を過ぎた頃、戸越の里から、大崎を経て、御殿山に登る。
さらに歩をすすめ高輪へ。
高輪の台地離れ、江戸の海に向かって降りていくと、泉岳寺に至る。
途中で スナップしながらの散歩で、着いたのは3時過ぎになっていました。

高級機にしかついていないキャノンの明るい45mm F:1.9というレンズ。
そして、最先端のセレン式露出計がついています。
シャッター速度優先で自動露光してくれるので、露光の失敗はない。
それに、高級機に比べ安い。おそらく三分の一でしょう。
しかもそれで高級並の写真をとることができる。
手軽に撮れるというのでバカ受けしたんだと思います。
(その頃の高級機には、露出計は内蔵されていません。)
セレン式なので 電池は必要ありません。セレン素子が劣化しなければ、そのまま今でも使えます。
どうやら劣化していないようで、そのままつかえそう。
感度設定値の最高がASA400になっているので、キャノネットの後期の製品のようです。

使い方に ちょっとしたコツがあるが、50年以上前のカメラとも思えないほど、スムーズに使えました。
機械的(メカで)に最適絞りを固定するため、シャッターのストロークが長いのが、唯一の使いにくさ。
それ以外、欠点を感じなかった。(少し、ごつく重い)
安いなど侮れません。ファインダーは、パララックス自動補正をしていました。
等倍ファインダーではないけど、すごいもの。
ツアイスは、コンタックスⅡaになっても、ブライトフレームにならず、パララックスの補正もない。

こんな感じまで描写できる・・・売れたわけです。
4時過ぎ 山門を出て、都営地下鉄浅草線泉岳寺駅から戸越の里へ戻る三駅散歩でした。
- 2015/12/12(土) 21:08:17|
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結局は 露光のバランス。
夜の光量とストロボの光量。
暗くなっても、明るさを感知する神経細胞は働き続けるが、色を感知する細胞は機能しなくなる。
人間の眼は 段々と色盲(これ差別用語なのだろうか?)に近づく。
夜、色温度の判別は裸眼には難しい。

1/160秒、ストロボの光が優勢。ストロボの光は6000°Kくらいある。光の届いたところは昼の光。空は極端な露光不足に暗く沈む。
夜の紅葉、常識的な映像。違和感はないが・・・・ストロボを焚かないと、こうは写らない。

シャッター速度を遅くすると、暗かった空の光を捉え始める。

更に 露光時間を伸ばすと、昼間の秋の空のような写真となる。

25秒という長時間露光は、裸眼では暗い夜空も、明るい空になり ハイキー調の写真になる。
こんな風景も、ありそう・・・と思ってしまうが、実際見たことがあるかと聞かれたら、見たことないと答えざるを得ない。
紅葉というより、早春の高原という雰囲気です。
昼間、この色温度で、風景を見たことがないのでしょう。
過去の類似の経験(記憶)を探り、それに近いものと類推する。
これは、小生の心象風景ではありません。
カメラの眼が捉えた光景です。
- 2015/12/11(金) 09:43:12|
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日の暮れた公園に、閃光が時々輝く。
三脚をたて、紅葉を撮っている老人は挙動不審、やはり怪しい。
40歳代の女性が近づいてきた。
「幽霊でも撮っているのですか?」
「撮れればいいのですが、物質以外は、どう工夫しても撮れません。」
納得したような、しないような顔をして、女性は闇に消えていった。

周期律表に載っている物質でできているものなら、光を吸収し、反射、屈折、散乱する。
それを、人類の英知を結集し、記録できるように作ったのがカメラ。
12月1日 金星探査機「あかつき」が捉えた金星の画像をJAXAは公開している。紫外線カメラで撮影されたものだという。
人間の眼では見えない紫外光を捉え、画像にして、電気信号(これも光です)に変え、地球に送ってくる。そのデータをJAXAは映像に戻し、発表(公開)する。人類の英知の結晶であり、人類に共通する知の財産でもある。
幽霊が周期律表の物質でできているなら、人間は工夫し、それを映像化するだろう。
どうも、そうではないようだ。
精神や心が、念じるだけで光の波動を曲げたり、変調させることができるのだろうか?
未だその測定法も、測定の原理も、聞いたことがない。
「波動」という言葉は、電磁気学を打ち立てたマクスウェルの方程式で定義され、使われるようになった。
自然科学の理論という「権威」を隠れ蓑にしたいのだろう。「波動」という言葉が 時々、電磁気学以外で使われている。
カメラは君の心(存在)の波動を捉えることもできる・・・などと言われると・・・何となくいかがわしさを感じてしまう。
心象風景なる言葉も、よく聞くが・・・有名写真家もそのような言葉を使っていたが・・・・
金星の映像(写真)をみれば、心象風景なる言葉 霞んでしまう。
人間の英知で撮られた金星の写真のどこが、心象風景なのだろう。
写真は記録、コピーです。

幽霊を撮っているわけではないが、撮影の条件によって、未だ気づかなかったこと(意外に思えること)捉えてくれる。
f:2.8の絞りは、小さなストロボで捉えることができるのは4mくらいまで、それ以上だと、急速に暗くなる。 1/60のシャッターでは、空は暗く沈む。

シャッターを遅くし、1/2.5秒とすると、空とストロボの光はバランスする。

思い切って、2.5秒の長時間露光にすると、空に残った光が優勢となる。
紅葉が赤く輝いていた。
ここには、幽霊も写っていません。
ぼけ老人の波動も写っていません。
小生の心象風景でもありません。
金星探査機「あかつき」に搭載されたカメラと、原理的に同じ仕組みで撮った映像です。
- 2015/12/10(木) 23:57:52|
- Night walk in Tokyo
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夕方になると、愛機 Sony NEX-3 E16mm F:2.8 抱え、戸越公園の紅葉を撮影に出かける。
デジタル・カラーで撮影したらどう記録できるだろうという 好奇心が強い。

日没直前。空は晴れ、青空。色温度6000°Kで撮影していた。
ISO:400でガイドナンバー10くらいの小さな内蔵ストロボを強制発光させている。ストロボの光は、ようやく紅葉した葉に届いていた。

約40分後、空の明かりは太陽から街の灯りに切り替わる。
微かな空の灯りを頼りに長時間露光をしてみた。
320倍の露光(約8絞分)の露光。(1/2秒は間違え、×2秒の露光でした。)
街の電灯の明かりの色温度は低い、3900°Kで撮影。
青空にはなると思ったが・・・こんなに深い青になるとは思わなかった。空には、少し赤い部分もある。・・・3900°Kの設定は、正しいのでは・・・と思ってしまう。

更に内蔵の小さなストロボを焚き、トーンカーブで、暗い部分の持ち上げる。
小さいとはいえストロボの光が青い色調を打ち消していた。
自然科学(理系)の学問を納めた人間なら、撮る前からある程度の予想はできるでしょう。
色々な仮説を立て、どう写るか予想する。
小さなストロボを焚きながら、数百メートル先の雲まで、白く写ると予想はしていなかった。
だから、白くなったとき・・・色温度の設定を間違えたのではと、躊躇した。カラ-バランスを調整し、記憶色に近づけるべきではと思った。
しかし、暗闇の色彩を見た経験はない。全て明るい光の下での色彩感覚である。
暗い場所では、色彩感覚は乏しい。なにが正しい??この点になると・・・判断がぐらつく。
結局は、見ているといっても、これまでの経験をもとにして見ているだけなのだろう。
白い壁は白く写らないと駄目、たとえ黄色のスポットライトが当たっていたとしても・・・それを見る人は「白」と判断したがる。
だからこそ、見たことない色温度の世界へ入ると、ドキッとするものがある。
もう少し、夜の光景を、デジタルカラーで、見てみよう。
さて、どう写るのだろう?
- 2015/12/09(水) 22:12:58|
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風景は、カラーのほうが綺麗。
モノトーンは地味、よほどドラマチックな筋だてがないと、見劣りする。

直接太陽の光をレンズに入れたので、さすがの最新コーテングレンズでもゴーストがでた。
しかし、フレアーも出ず、コントラストの低下はない。
凄い進歩だと思うが、それに反比例し撮影する人のスキルは低下している。

かなり凝った撮影だけど、意多くして、描写力不足と言うところか。
まだ、このフィルム、使いこなせない。
スキル不足を実感している。
1960年代のアマチュア写真家はすごかった。
- 2015/12/08(火) 22:24:38|
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夕暮れの時刻になり、紅葉を撮ろうと、戸越公園へ行く。
冬至が近づいている。すぐに陽は落ち、紅葉は闇に沈んでいく。

内蔵の小さなストロボを焚く。
確かに、見慣れない光景を捉えていた。
白黒フィルムではこうは撮れない。
これがデジタルカメラの世界かもしれない。
それから、十日間ほど、夕方になると、戸越公園へ行き、
夕暮れから夜の帳が降りるまで、紅葉を撮り続けている。
戸越公園の紅葉の季節はあと数日残っている。
さて、どんな姿を捉えてくれるだろう?
見えなかったものが、見えてくればいいと 思っている。
- 2015/12/07(月) 07:49:57|
- 都会の景観 Tokyo
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カラー写真は、高かった。
そこで、昔はスライドにした。今でいうポジ、当時は「スライド」とか「リバーサル」とよんだ。
白黒のモノトーンフィルムのほうが安いし、自家現像すればコストは下げられる。
そんな理由で、白黒フィルムを使ってきたが、それが習い性になり、カラー撮影に、心理的なバイアスがかかる。
デジタルカラーの即物性に 違和感を感じているのだろうと 思う。

撮りたい主題にピントを合わせ、主題が引き立つよう露光を選ぶ。それが基本。カラーの場合、適正な露光範囲が極めて狭い。
撮影指南書には、-0.3EVだ、+0.7EVしておいた方がいいなど、場合分けした記述が続く。ハイキーにする、ローキーにするという記述がそのあとに続く。
ローキーにするであれ、ハイキーにするであれ、その適正露光の幅は狭い。そうしないと、いい写真はできないという。
この写真の場合、2絞り分 シャッター速度を遅くしハイキーにするか、2絞り分 シャッター速度をあげて ローキーにしようとしても、いづれの場合も、嘘っぽい写真になるだろう。(こんなのじゃないと・・・感じてしまう。)

カラー写真は、即物的、別の解釈を拒むところがある。目の前で見たものは これだと 写されたものが主張する。
正確に写さざるをえないので・・・適正露光範囲は狭くなるのだと思う。
白黒フィルムだと、一絞りの差は、ほとんど作品に差を与えない。
モノトーンは、写した時点で、抽象的。抽象化されたものは、自由に解釈できる。露光不足でも、オーバーでも、一つの表現と抗弁できる。

2枚のモノトーン写真、2絞り分 露光を違えている。
勿論、普通のパンクロフィルムでは、こういう調子には撮影できません。
赤外線フィルムを使用し、R72フィルターをつけて撮影しています。
あなたなら、どちらに 軍配を上げますか?
- 2015/12/05(土) 11:10:43|
- 写真の技法
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デジタル・カメラの出現は、写真表現に 新たな分野を付け加えると思う。
それが、ドローンを使った写真なのか、遠隔操作による撮影なのか、完全にプログラム化された自動撮影なのか・・・わからないが、人間が見たいと思ったものを、撮影するものであることは、確かだろう。
フィルムを使わないというのは、懐に優しい。
コストを考えないで、気楽にシャッターを押せる。
これも、撮影の敷居を低くさせる。
撮像素子の感度は、もはやフィルムを超えている。
今使っているSony NEX-3では ISO:1600までなら、画像劣化を気にしなくともいい。
最新の高級なデジタルカメラなら ISO:12800あるいはそれ以上でも画像の劣化は少ないという。
長時間露光しても、フィルムにあった相反則不軌の問題はないようだ。
色温度もRAWで撮影しておけば、あとで変更できる。
色変換フィルターを用意しておく必要もない。
いいことづくめではないか。
フィルムでは、自由に撮影できなかった世界を撮ろう・・・
デジタルの限界に挑戦するつもりで、夜の紅葉を撮りに、近くの戸越公園へ。

名だたる紅葉の名所では、夜間のライトアップのサービスもある。
そこでは、幻想的な美しい紅葉の写真を撮ることができるが、
戸越公園には、街路灯があるだけ、特別なライトアップはない。
それでも、内蔵の小さなストロボを焚くと、紅葉したイロハ紅葉を撮影できた。
まだ、青葉が残っている、今週末ごろ、紅葉は見ごろになるだろう。
冬至が近づいている。4時半には日没を迎える。
その前後は、撮影には貴重なタイミング。
しばらく、夕暮れの頃、戸越公園を散歩しようと思う。
フィルムでは できなかった撮影ができるのでは・・・と期待して。
- 2015/12/04(金) 09:50:15|
- Night walk in Tokyo
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写真といっても 「真」を「写」しているわけではない。
PhotoGraph 光の画 「光画」と訳したほうが適正だろう。
光の原理・法則に従って、画像は生成し、記録される。
人間の恣意性が そこに付け入るスキはない。
3次元の世界を、2次元の平面に変換し、記録する。もうそこで、抽象的である。(現実そのものではあり得ない)
その2次元情報から、見る人は、己の想像力・知性・感性で、見たであろう現実世界のイメージを再度構築する。
だから、その2次元情報に、恣意的なやらせや、演出を入れてくれるな・・・というのがリアリズム/報道の写真ということになる。
一方、2次元情報に過ぎない写真は、単に映像の素材という考えも成り立つ。
写真を、素材として取扱い、恣意的に加工、演出し、己の感性を表現して何が悪い?
積極的に行うべきと考えるのが、芸術/宣伝/プロパガンダとしての写真ということになるのだろう。
昭和50年頃の写真雑誌を読むと、小声で「撮る写真」、「作る写真」などと 語られていた。
どうやら、木村伊兵衛などは、「撮る写真」。
森山大道は あの程度でも「作る写真」とみなされていたようだ。
暗室で格闘し、大胆な覆い焼きや焼きこみをしている。
ネガ上に残った銀塩粒子を 余すことなく/恣意的に利用する姿勢が「作る」と称されたのだろう。
大型ストロボを使った日中シンクロの作品もある。
覆い焼き、焼きこみ、そして日中シンクロのストロボ撮影は、作る写真と分類されるべきものか?
余りに大胆に、徹底的に使ったので、そう思われたのかもしれない。
今日では、「作る写真」の範疇には入らないだろう。
ストロボを使うにも、法則がある。その法則にしたがい、それを利用している。
小生も、時にストロボを利用する。
50年近く前、購入したストロボである。1台は、この前の撮影でついに機能しなくなった。
まだ、1台残っている。
古いカコ・ストロボで、ISO:400(当時はASA400と表記)でガイドナンバー60の、当時としては、素人が選択する最大の光量を持っていた。
光量は調整できないので、小さくしたいときは、紙や布を当てて調整。ガイドナンバーに従い絞り値を計算し、周りの状況を勘案し、補正する。経験を積まないと、いい写真は撮れない。撮影、成功か失敗かは、現像してみてからでないとわからない。
ストロボ撮影には、失敗はつきものだった。
秋の夕暮れを、ストロボ撮影してみた。
空の明るさと、ストロボの光量、どのタイミングでマッチするのか・・・・
失敗はつきもの、失敗データが集まれば、対策は立てられる。
Retro400Sフィルムを使い、絞りf:4 シャッター速度1/60秒に固定し、全てを撮影。

手前の樹までは10mくらい、f:6でストロボの光は届くはず。しかし、届いているのは中心付近、21mmの広角レンズなので、周辺部の光量は落ちている。
シャッター速度を1/30秒に下げれば、背景のディテールはもっとくっきりと出たかもしれない。

樹に近づいて、撮影。
幹がストロボの光に浮き出てくる。

10分後、空の光量が落ちてきた。
更に近づき、撮影。
近くの葉は、露光オーバーで白飽和している。しかし、遠くの木の葉までは光は届かない。
ネガの階調もこのコマが一番広かった。
見慣れた戸越公園の樹とは異質の 別の姿が写っていた。
これは、作った写真だろうか?
- 2015/12/02(水) 11:12:23|
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四季の変化の豊かな土地に育った、日本人は 移ろう季節の瞬間を、鋭敏に捉え、様々な作品を残してきた。
山水画,、襖絵、浮世絵、焼きものの上に描かれた絵、お茶道具、様々な時代に編まれた歌集・・・・
その伝統を反芻し、更に発展させ、日本人の感性を磨いていく。
風景を写真に収める、お花の接写撮影し、喜ぶ。・・・これは、日本人の心の伝統を受け継いだ、一種の教養活動だろう。
お師匠さんの指導の元、お師匠さんのように撮って、悪いはずはない。
プロを先生とする写真教室は、デジタルカメラになり盛んになってきた。
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日暮れ時、公園を散歩していた。
秋の陽はつるべ落とし、光線の状態は刻々と変化していく。

とごえ(戸越)の里には、紅葉する樹は少ない。
イロハ紅葉の色づくのは、あと一週間かかるだろう。

10分もすると、陽は傾き、空の調子が落ちる。
内蔵の小さなストロボを焚く。
その光に豪華な秋の錦絵が浮かび上がる。
この時を、待っていた。
ほんの一瞬、撮影できるチャンスは10分くらいだろう。

野良猫が 今日のねぐらに戻ろうとしてか、倒れた樹の道に消えていく。
もし、ここで、小生に文才/教養があったら、
歌の一首、俳句の一句も 詠む(吟じる)ところだろう。
日本人のきめ細やかな感性の伝統、小生まで伝わってこなかったようだ。
- 2015/12/01(火) 15:25:15|
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