夜 7時ころ 長時間露光で撮影した写真。

戸越公園の池の水面を撮影した。
鋭い光の渦が、昔のエボナイトのレコード盤の溝のように写っていた。
古いライカのLマウントレンズ、エルマーだから撮れたというわけではありません。
フィルムだから、このように記録できただけでしょう。
これが、池?
夜になると、水は密かに透明な暗いプラスチックに変化してしまう?不気味だなぁと思う。

一週間後、同じ場所を デジタルカメラで 撮影している。時刻は日没の4時半ごろ。
絞り優先モードにし、長時間露光した。
落ち葉の季節、滝の撮影では、落ち葉の渦を長時間露光で撮影するのは定番の構図、それを真似てみただけです。
何の変哲もない写真になりました。PLフィルターで水面の反射をコントロールしたら、もっとキャッチーな写真が撮れたでしょう。でも、写真は、即物的であることに変わりはない。
モノトーンフィルムで撮影した池の写真は、抽象的。
ネガをスキャナーで取り込み、PCの画面で確認したとき、天文写真?と驚いていた。
銀河星雲でも撮ったか・・・・
デジタルか、モノトーンフィルムかは、その人の感性・知性が決めること。
でも、小生は、モノトーンフィルムを選ぶことが多い。
モノトーンフィルムの写真のほうが、見ていて、想像の翼を広げる余地が残っているから。
でも、デジタル写真が嫌いというわけではありません。(念のため申し上げておきます。)
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- 2015/11/30(月) 11:39:32|
- 映し出された世界
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昨日、晴れたので、珍しく午前中カメラを持って散歩した。

中央に見える黄色く色づいたのが、戸越公園の銀杏。
公園内には、銀杏はこれ一本しかないだろう。
フォトジェニックな樹です。
11月21日のブログには、戦前のLマウント・エルマーで撮影した、この銀杏の写真を載せました。

今回は、モノトーンフィルム(赤外)で撮影しています。
720nmカットできるR72フィルターを付けている。(R78フィルターでは、うまく撮影できなかったので)
レンズはコシナ製、SC-Skopar 21mm F:4のレンズにした。
マルチコーティングされた最新の切れの良いレンズです。
デジタルカラーは、見たときの印象に、かなり近い写真を撮ってくれる。
狙いと撮影結果との間に、大きな乖離はないだろう。
乖離があったとしても、その場で、背面の液晶画面で確認し、撮影条件を調整し、再度シャッターを切ればいいだけ。
デジタルは、綺麗に撮れてしまう。液晶画面で確認し、その通り頷いてしまう。
しかし、綺麗なカラー写真が撮れたと喜んでいる自分に、逆に薄っぺらさを感じてしまう。
こんなんじゃない・・・と呟いてみる。
なにか大切なものを忘れているのではという、居心地の悪さを感じている。
美しく、ありのままに撮れているのに、何が不満?

「一本銀杏」に近づき、デジタルで撮影。
銀杏は色づきはじめていた。見ていた印象に近い形で記録できている。
カラー・フィルムの時代なら、かなりの経験が必要だったけど、今はPモードで充分、カメラが撮ってくれる。
駄目でも、背面の液晶で確認し、何度でも撮り直しできる。
しかし、画像は余りに即物的かつ完璧なもの、圧倒されるだけで、見る人に、つけいる隙を与えない。
(一枚のデジタル写真、カメラの寄与率と撮影者の寄与率を考えたら、おそらくカメラの寄与率のほうが大きいだろう。)

何が不満?
デジタルカラーは 即物的なので 性分に合わないのだろうと思う。
デジタルになり、行きつくところまで来てしまったのだろうか?(作品に占める撮影者の寄与率は最小に近づいてきた)
写真は目の前のものをコピーするものと捉えたら、
デジタルカメラは、完成形に近い装置になった。
しかし、想像の翼を広げるべき隙間が見つからなくなってしまった。
写真の背後に広がっているものは、心の翼を広げないと、見えてこないと思っている。
本当に大切なものは、目に見えない。
それがデジタルでは 閉ざされているように感じてしまう。
モノトーンのフィルムは 不完全。
目の前をものを正確にコピーしようとしても、その能力はない。
白黒写真は色のデーターを持っていない。
その時点ですでに、抽象的な意味合いを持つ。
白黒写真は、不完全で抽象的。 だから、写真は見る人に、「写っているものは何か」と問いかけ、大切なものをほのめかす。
モノトーンの映像を、心の中に投射し、その本質は何かと 問い掛けることを強いる。
その問いかけに 答える知性・感性がない人には、モノトーン写真は、単に一枚の記録紙であり、記号に過ぎないだろう。
写す人と、見る人の、感性・知性のせめぎ合い、想像の翼が写真の中に飛び交う。
そんな ロマンチックな 気持ちがあるのだろう、小生は やはり、モノトーンフィルムで 写真を撮るほうを選んでいる。
一枚の写真、撮影者の寄与率を上げようと、使いにくい機械式カメラを使っている。
長巻フィルムを切り、マガジンに詰める。薬品を調合し、現像液を作る。
自分の裁量でフィルムを現像し、できたネガをスキャナーで取り込み、トーンカーブを調整し、画像をプリンターに打ち出す。
デジタルカラー写真と比べたら、画像のクオリティーは 低いかもしれない。
それでも、いいと 思っている。
眼に見えない、大切なものを「問いかける/ほのめかす」 それを許容する不完全さがあるから。
- 2015/11/29(日) 21:02:02|
- 樹、草、花
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この頃撮る写真、暗いトーンのものが多い。
明るいパァとした健やか感じの写真が撮れないものかと思う。
天気が良くないから、仕方ないとは思う。
写真機は装置、手に取ることのできる実体。
それで、目の前の光景を記録するだけ。
心の中まで撮れません。(そんなカメラまだ売られていない・・・)
暗いトーンの写真を撮ったからといって、小生の心の中まで暗いわけではありません。
写真に過大な期待を込める人がいる。そう思いたいという願望があるのだろう。
できれば芸術作品と言われたい。
それが高じて、写真は心象風景を表わすもの、心の波動がどうだの・・・と言われると、
検証不能の不毛な議論を吹っ掛けられているようで、はなはだ居心地が悪い。
(検証できることなら、その議論に乘るけど・・・)
テレビなら、右上隅に小さく「これは、個人の感想です。」と印字されるコマーシャル番組レベルの話題だろう。
面白いと、聞き流せばいいだけのこと。
写真の読み方、感じ方は 個人の資質の問題だと思う。
一人の写真家の一連の写真に見えてくるのは、写真家(撮り手)の感性や知性、
それに気づき、共感できるかは、写真を見る人の感性/知性による。
撮る人だけでなく、見る人の知性、感性も試されているのが写真。
感性に優れた人は作者の感性を/知性を見抜くだろう。
共感するか・・・浅薄な幼稚と馬鹿にされるか。
写真は 常に、それを試されている。 恐ろしいものだとおもう。
またくだらない写真撮って・・・と言われるのを覚悟して、シャッターを切っています。
相変わらず、暗いトーンの写真になりましたが、小生の心象風景ではありません。

国立競技場が解体され更地になったというニュースを聞きつけて、千駄ヶ谷の駅に降り立っていた。
競技場跡は一面工事のため高い塀で囲われ、中の様子を伺うことはできません。
覗ける場所は数か所に限定、しかもそこには薄い透明なプラスチックの板が張られていた。
プラスチックの窓の一部には、すでに工事で出た埃が付き、中の様子、不鮮明になっているところもある。
今後、建設が本格化したら、ますます、写真撮りにくくなるかもしれません。

この警備員、話好きな人でしたが、ちょいと意地悪。
工事車両が入るので、少しの間、柵を開けるのですが、カメラを持った人が近づいてきているのをわかっているのに、さっと柵を閉めてしまった。
柵の開閉はこの人の業務、付託された権限です。
権限を見せつけているようで・・・・まあ、職務に忠実な人なのでしょう。
余り汚れていないところを探し、なかの様子を撮ってみました。

撮りたかったのは、柵に貼られた警告文。
(その周辺で)「許可なく撮影を行うことできない」そうです。
ここは、周辺には当たらないと、小生判断しました。
時々拡大解釈する(仕事熱心な)管理者も、いらっしゃいます。
そんな野暮な。大丈夫と判断。
堂々とカメラを構え 撮影しました。
拡大解釈、先の国会でも もめていました。
上に立つ(管理者)ようになると、拡大解釈したがるのは、人間の特性か、
付託された権限を広げたいということなのだろう。
独裁国家ならいざ知らず・・・・拡大解釈は危険な落とし穴にならないだろうか。
それが心配、あやふやだから。いくらでも拡大解釈できる周辺事態とは何??
外苑の銀杏並木では、「いちょう祭り」が開催されている。11月14日から12月6日(日)まで。
軟式野球場のグランドの奥に見えるのは、メイン会場のテント。いろいろな屋台が出ているらしい。銀杏並木はようやく紅葉が始まったばかりでした。明日(27日)晴れたら、再度、銀杏並木で紅葉の撮影を・・・・あるいは代々木公園へ・・・行くつもりです。
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今回撮影に使用したカメラとレンズ。
沈胴のレンズ、見る機会少なくなっています。
フィルムでも一眼レフ時代からカメラに触った人では、知らないかも。
古いレンジファインダーカメラの時代、テッサータイプのレンズでは多くみられました。
ひっこめると携帯に便利です。ライカ系のカメラには、このレンズが一般的でした。
ツアイスのコンタックスにも沈胴のレンズありますが、コンタックスは金持ちのカメラ、固定鏡の50mm F:1.5、ゾナーが一番売れたそうです。
- 2015/11/26(木) 14:20:08|
- 都会の景観 Tokyo
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戦前 写真を趣味にしていた祖父は、木製の乾板カメラを使っていた。
グラフレックスのような一眼レフである。
戸棚を探していたら、そのカメラが出てきた。
イギリス製で大きなレンズがついていた。残念ながらレンズが白く濁り使えるようなモノではない。
昭和14年頃になると、フィルム、乾板などが手に入らなくなり、とても趣味で写真を続けられる状態ではなかったらしい。
戦後の食糧難が消え、生活が安定しだした昭和28年ころ、祖父はMamiya-6を購入している。

祖父が最初使っていたが、そのうち、より小型の35mmカメラが普及するようになると、祖父はそれを手に入れ、Mamiya-6を使うことはなくなった。父もほんの短い期間Mamiya-6を使っていたが、最後に手にしたのは小生。中学生の時、幾度か使っている。
戦前からMamiya-6はあった。祖父は よく知っていた。確かに 素晴らしい写りをするカメラである。
「風景写真は、ピシッとピントを利かせなくては」それが、祖父の教え。それを実践できたカメラがMamiya-6だった。
所属する写真クラブ「彩游」は、風景写真が主な活動。
もう潮時だろうと、辞める覚悟をしていたので、
最後の撮影会は、ピシッとピンを利かせるMamiya-6を使い、三脚でかっちりと構図を決め 撮影しようと密かに決めていた。
撮影会は、11月9日(月) 秩父で行われた。 天気は曇天であった。
次の日は有志で自主撮影会を行った。しかし、生憎の天候となり10時過ぎには雨となり、昼には終了となった。
2日間でブローニーフィルム2本半ほど使った。全部で30ショット。
3本目の残ったフィルムは、翌々日の12日 白金の自然教育園に持ち込み、撮影に使った。
久しぶりに使うMamiya-6 正方形のフォーマット 風景写真向きかもと再認識。
一枚一枚丁寧に撮影するというのも、普段のスナップと違い新鮮な気がした。
これは、自然教育園で撮影した一枚。

ネガをスキャナーで取り込んだところ、約5000万画素の画像になった。
ピンを利かせるため最少絞りまで絞り込んでいる。
極めてシャープな写真になったと思う。
昭和28年製だが、レンズは、さすがD.Zuiko 75mm F:3.5 である。.
最新のフルサイズと称するデジカメの画質と比べて 劣っているだろうか?
撮影会で撮った写真は、12月7日の例会のあと、順次 ブログに載せるつもりでいます。
- 2015/11/25(水) 11:03:13|
- 樹、草、花
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ネガフィルムNo.792で撮った最初のカット。
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時々 ネットサーフィンし、モノクロで写真を撮っている人のブログを覗く。
フィルムで撮っている人は少数になり、デジタルで撮る人が増えている。
デジタルであれ、フィルムであれ、上手な人は上手。フィルムだからとか、デジタルだから と言うべきではないだろう。
重要なのは、目の前の光景の、何に心をうごかされ(受け身の感性)、光を読み(努力と感性)、フレーミングし、撮影するかだろう。
上手いなぁ、と感服する人がいる。
こういう風に撮ってみたいものと思う。
上手な人に共通するのは、無駄なものは画面に入れないという鉄則があるようだ。
ここに センスが光るのだろう。写真は引き算・・・とはいうが。
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引き算が なかなかできない。
いいな と思ったものはなんでも画面に写しこみたくなる。万年駆け出しの素人状態。
最初の狙いだと、こういう写真になる。

午後2時過ぎ大崎駅の舗道橋から東の空に向かって撮影した。
屋上のアンテナが、何故か傾いた十字架に思えた。
面白い・・・シルエットで抜いてみようと フレーミングする。
露光は空に合わせ f:12.5/500秒(古い大陸絞りです)とした。これでビルは黒く潰れるだろう。
その時、ファインダーでは 高架線を走る新幹線の姿を、はっきりと捉えていた。
ネガを調べると、暗く潰れた部分にも銀塩の画像が残っている。
トーンカーブを調整し、暗い部分を浮き出させようとする。(これが性分)
以前だったら、暗室で、覆い焼きをしている。

暗く潰れた部分から、新幹線の列車が浮き出てくる。
同時に、カーブした鉄路も目黒川の川面の光も、ビルの規則正しい窓枠の列も薄らと出てきた。
こうしないと気が済まない自分がいる。
長い間の習慣、習い性だろう。
しかし、肝心の空の調子は悪くなり、画面全体がぼやけ、すっきりとしていない。
写真がうまくならない原因でもある。
引き算ができないという決定的な欠点を…自覚しています。
- 2015/11/24(火) 09:49:56|
- 都会の景観 Tokyo
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週間天気予報を見たら、11月21日(昨日)にお天気マークがついていた。
それ以外の日は曇り。
絵画館前の銀杏並木の紅葉を撮るなら、この日しかないと、準備した。
期限切れが迫っている赤外線フィルム(Rollei赤外400S)を、マガジンに詰め、レンズには昔使った760nmカットのフィルターを付けた。40年ほど昔、コニカの赤外線フィルムを使ったが、そこでは調子よく使えていました。
最近は、イルフォルドのSFX-200やRollei赤外400Sに、720nmカットのフィルターを付けて使っていたが、今一完全な赤外線写真にならない不満があった。
昔使った760nmカットなら、可視光を完全にカットするだろうと思い、使うことにした。
フィルムの分光感度グラフからR72(720nmカット)に比べ1~2絞りほど露光を増やせばいいだろうと予想していた。
それが間違え、1本半撮影し、撮影が完了したフィルムを現像したところ、ほとんど失敗。Clearと言えるネガは、ほんの6コマだけ。
赤外線 目に見えないだけ、経験を積まないと 駄目ですね。(赤外線写真には、やはり 三脚は必要不可欠です。)
露光不足のコマに それでも 面白い写りがある。

フィルター無しなら 露光はf:8/500秒、空を少し落としたかったら、f:11/500秒を選ぶでしょう。
R72(720nmカット)フィルターなら、4絞り分あけてf:5.6/60秒だろうというのが、その時の読み。
R76なので6絞り分開けて f:4/30秒に設定し撮影、現像結果は、2絞り分ほど、不足していました。(手持ち撮影では1/30秒がほぼ限界、それ以下だと手振れ写真が多くなる。)
ネガの銀塩の濃度レンジは[31-93]、これでは階調豊かな写真にはなりません。
しかし、普段見慣れた光景が、別次元の風景のようになっています。
三脚を使用し、あと2絞りほど露光を増やせば・・・面白い写真を撮ることができそう。f:4でもピントは決まっています。
三脚に固定し、f:8、1/2秒の露光で、バックの空の雲まで詳細に描けたかも。

空を基準に露光を決めたが、明らかに間違え、むしろ銀杏の樹を基準にすべきでした。
空を基準で2絞り不足、樹を基準で更に2絞り不足。
合計で4絞り不足しているでしょう。
絵画館前の銀杏、ようやく紅葉が始まったところ、今週の後半、見事な銀杏並木になるでしょう。
赤外線フィルムを使った紅葉の風景では、三脚は必須のアイテム、絵画館前の銀杏並木の撮影では、使用できないでしょう。
どこか、人の少ない場所の銀杏を探し、再度挑戦してみようかと思っています。
お日様マークのついた日が撮影日でしょう。
- 2015/11/22(日) 15:33:06|
- 写真の技法
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戦前の古いレンズを何本か持っている。
ライカマウントでは Summar 50mm F:2(沈胴) と Elmar 50mm F:3.5(沈胴)
コンタックスマウントでは Sonnar 50mm F:2(沈胴), と F:1.5(固定鏡) それに 珍しい 戦前のTコート50mm F:1.5 (固定鏡)
Tessar 50mm F:3.5(沈胴) と F:2.8(沈胴)
戦後の50mmレンズを加えたら何本になるのか・・・・
防湿庫の中にいるだけではかわいそうと、時たま出して使っているが、結局、使い切れていない。
戦前のノンコートレンズを全て使ってみようと思い、まずSummar 50mmを使ってみた。
今 カメラに付けているのは 戦前のElmar(エルマー)50mm F:3.5。
戦前、ライカを使った人ならこのレンズを使っていたと思います。

ノンコートレンズなので、コントラストが低い。
銀杏の葉も輪郭は霞み、枝に止まる鴉も濃い灰色、くっきりとした黒にはならない。
細い枝もボーと霞んでしまいました。
しかし、その分、奥行きがでていい雰囲気になった・・・オールドレンズのなせる業でしょう。
オールドレンズ、過去の栄光はあれど、価値/中古価格は驚くほど安い。
小生の小遣いでも 入手可能。
全部集めても、最新の高性能レンズより少額でしょう。
負け惜しみ的楽しみと、自虐しています。
- 2015/11/21(土) 10:31:27|
- オールドレンズの密かな楽しみ
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目黒川は、大崎の丘陵と御殿山の谷間抜け、江戸湾へ流れ込んでいく。
我が家から現在の品川駅へ抜けるには、居木橋で目黒川を渡り、御殿山を登るのが近道になっている。
ここも、小生の散歩コースの一つ。

御殿山は閑静な住宅街。
ミャンマー大使館がある。2,3年前までは、軍事政権に抗議するミャンマーの人達の姿があったが、この頃は見かけなくなった。大使館は現在新築工事中、ほぼ完成に近づいている。
新生ミャンマー、アウン・サン・スー・チー氏率いる野党・国民民主連盟(NLD)が総選挙で圧勝したとのニュースが流れていた。
この大使館のように、生まれ変わってくれたらいいと思うのですが・・・・
憲法の規定で、党首のアウン・サン・スー・チーさん、大統領にはなれない。
「大統領以上の存在になる」と語っているとの報道がなされていた。せっかく民主化していくのだから・・・・スー・チー独裁政権にならないことを 願っています。

大使館前の大きな邸宅が、2年ほど前更地になり、切り売りされていました。一般住宅が2棟、角地の方に建つのは、住宅というより、ショールームのような建物。近くには原美術館もあり、美術品を飾るギャラリーになるのかもしれません。こちらももうすぐ完成するでしょう。

ラフォーレ・東京の庭に夕日が差していたので、光芒を期待し、庭園へ降りて撮影場所を探しましたが・・・ここだという場所、発見できず。
撮影は難しい。
露光をどう決めてよいものやら・・・・。
- 2015/11/19(木) 11:04:30|
- 散歩
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写真は目の前のものを撮っているだけ。
レンズによって外界を、カメラオブスキュラと呼ぶ部屋に投影し、それを記録する。
三次元の世界を二次元に変換し投影するが、それは、ギリシャの哲人が考え出した幾何学によっている。
写真は目の前を記録(コピー)するだけ。
己の心の奥底に踏み込み格闘し生み出されるのが絵画であり、文学であり、音楽だと思う。
その人しかなしえないオリジナリティがあり、創造的な作品と受け入れられる。芸術作品と尊敬されるだろう。、
しかし、目の前の光景をカメラという装置でコピーするだけ、そのどこにオリジナリティがあると言えるだろう?
一度評判になった風景には、たくさんのカメラマンが詰めかけ、同じような写真が 数多く撮影されていく。
オリジナリティはなくとも、綺麗に写っていれば満足。そんなところなのだろう。自然の鉛筆、コピーなのだから。
でも 写真には 写真の特性がある。
それは、目の前の「今」しか記録できないということ。
未来も過去も撮影できない。
絵画や文学なら過去や未来を表現できるが、たった今の一瞬は無理。
(俳句なら・・・できるかなぁ)
今を記録(コピー)するだけの写真だが、
記録するという行為が、その人の知性に裏付けられ、一連の活動となったとき、
人に感動を与え、創造的な作品と受け入れられるのだろう。
戦後 昭和30年頃、木村伊兵衛は、上野や浅草、銀座、数寄屋橋辺りを歩き、スナップ写真を撮っている。
一連の写真には、氏が何に興味を惹かれ、いかに時代切り取り、市井の人を写し(記録・コピー)取っていたかがわかる。
戦後10年目頃の東京の庶民の生活が、鮮やかに写しこまれている。
文学でも絵画でもないが、それに匹敵する創造的な作品だろう。
これが写真だとおもう。
写す人の知性をも映し出してしまうのが写真、怖い鏡だと思う。
素晴らしい知性に逢えた時は感動するが、
奇をてらっただけの、一見キャッチーな写真には、写した人の貧しい知性を感じ、嫌悪感を覚える。
そんな写真撮りたくないと。
写真は 恐ろしい。それが、この9年間の「散歩にカメラ」で分かってきたこと。

11月の初めころ 目黒川河口の東品川海上公園を散歩しているとき撮影した一枚。
平成27年の少年です。咄嗟のフレーミングだったけど、おそらくシルエットになるだろうと思ってシャッターを切っていた。
何に興味を惹かれたか、どう切りとったか・・・露光はどうしたか・・・ピントは・・・小生の知性が試されている。
現像し、ネガを、フィルムスキャンし、デジタル化。
そこでまた考え込んでしまった。
ここでもまた、小生の知性が試されている・・・
童話的な(恐ろしげな)光景と捉えたら、真ん中のスライドを右にずらして 画像を取り込み、シルエットとして少年の姿を抜く。

しかし、ネガの上に微かに記録されている銀塩の画像を暗く潰すのは、少年の表情を抹殺するようで・・・心苦しい。
トーンのスライドを左に振って、画像を取り込む。

どちらが正解かわからないが・・・
コピーに過ぎない写真だけど、写した人の感性/知性で、写真は出来上がっていくと思う。
ネガはある。 また違った考えで 画像を取り込むこともできる。
絵画には最後の一筆、文学には決定稿があるが、記録に過ぎない写真は、フワフワして、明快な完成と言えるものはない。
撮影者の知性は常に研ぎ澄まされていく。ネガから別の焼き付けも可能だ。
写真の表現が確定するのは、撮影者が亡くなったときだと思う。。
- 2015/11/17(火) 23:07:18|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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西大井周辺を散歩して撮った写真。

ちょっと意味深。

セルフポートレートです。
- 2015/11/15(日) 21:00:57|
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散歩にカメラを持ち出して9年経つ。
ファインダーを覗き、シャッターを切りながら・・・時として惑うことがある。
どんな写真が撮りたいの?と自問する。
こんな写真・・・と言いながら、そのイメージは希薄。
美しい風景写真ではないことは確か、花の接写は飽きた。
花鳥風月を撮って喜ぶこともない。
どんな写真だろう?

こんなテーストの写真は、好みだ。
切り貼りや合成写真は、なんとなく嘘をついているようで、性分に合わない。
「芸術写真」という高尚な言葉を隠れ蓑にして、画像を加工し、キャッチーな写真を作るのに後ろめたさを感じる。
絶対非演出の写真が好み。
それでも、光線を読み、フレーミング、ネガの特性、現像液の特性を利用すれば、現実に見る光景より、随分テーストの異なる写真を撮ることもできるだろう。

やはり、スナップ写真が好きなのだろう。

このブログを始めたとき最初に載せた写真。
ノルウェーのベルゲンで撮影した、中年カップルを捉えたスナップショット・・・あれが小生の写真の原点だろう。
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来年で、「お散歩カメラ」も10年目を迎える。
写真クラブを今年で卒業(退学)するつもり。
写真展に参加しても・・・良かったとも、悪かったとも感じない。
写真はあくまでも個人で行う趣味。徒党を組まなくてもOK。充分遊べる。
会を離れ、来年一年は、東京のそこここの街を徘徊し、スナップ写真を撮りまくろうと思っている。
- 2015/11/13(金) 15:48:19|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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クラブの写真展を見た後、近くをふらついた。

有楽町マリオンから、数寄屋橋の交差点の方向を見る。
数寄屋橋阪急の建て替え工事が、ほぼ終了している。

数寄屋橋交差点近くで鳩を見る。
鳩の人に対する警戒心は薄くなっている。
行き交う人も、鳩に無関心。
てんでんばらばらの方向を見ている。

樹の影に隠れるように立っている初老の男性と、スナップ写真を撮っている小生。
傍から見たら、共に挙動不審者だろう。
鳩のそばを若い女性が通り過ぎていく。
ちょっと不気味な時間が過ぎていった。

銀座通りには、外国語が行き交っていた。
顔や服装では判別できないが、中国語を話す一団が通り過ぎていく。
日本人より、外国からのお客様のほうが多い。
面白い時代になった、平和な時代になったと 思うべきなのだろう。
- 2015/11/10(火) 18:46:56|
- 散歩
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ネガ792には、旧古河庭園で12カットの画像が記録されていた。
その残りから。

こんな写真も撮ります。
白い柵の分量、もう少し少ないほうが、画面が引き締まったかもしれません。

椅子と机、綺麗に並び替えて・・・そんな手間、演出は一切しないことにしています。
記録だからという心理的な歯止めがあるのでしょう。
絶対非演出のリアリズム写真などと、大口をたたいているわけではありません。

長い黒髪には・・・思わずカメラに手が行ってしまいます。
帽子、服、バック 全て黒ずくめ。
咄嗟に、心の準備もなく撮影。もう一歩離れ、風景をバックに、全身像を狙うべきだった。
- 2015/11/09(月) 07:26:55|
- 八つ手
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上中里の駅を降り、坂を上っていくと神社があった。
紅葉までには、まだ時間がありそう。 それまで、秋を撮る練習をしようと、神社の境内に入った。

ノンコートのオールドレンズですが、滲み、ハロも出ず、小生は、これで満足しています。
最新のレンズと撮り比べたら、おそらく かなり見劣りするでしょうが・・・
知らない方が幸せ。
まだまだ現役で活躍してもらう予定です。

Retro400S 光のラチチュウドは、Tri-Xより少し広く感じます。

幹を撮るなら、もっと絞りを利かせたいところです。

神社の門前には お菓子屋さんがありました。
薄を撮影するには まだ少し時間が掛かりそう。 すすき、団子、満月・・・・しかし、月見の季節は終わっていますね。

雰囲気のある 餅菓子屋さんです。
前の道は 本郷通り。
- 2015/11/08(日) 11:18:04|
- 散歩
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用事があり上中里へ。
用事が終わったあと、旧古河庭園が近くにあることを教えられ、カメラ片手に公園内を散策した。
65歳以上、入場料70円なのもうれしい。
しかし、文化の日 国民の祝日 本来なら無料開放だと思うのだが・・・

時刻は3時ころ、暖かな陽ざしに誘われ、人出があった。 まだ紅葉は始まっていない。おそらく12月の初めころ、色づくのではないだろうか。

11月9日 写真クラブの撮影会で、秩父の紅葉を撮影することになっている。また、紅葉をモノトーン(白黒)フィルムで撮影することになりそう。

少し、練習しておこうという下心もあった。

明暗差の大きなフレーミングを心がけている。Retro400Sフィルム、どこまで光のラチチュードに耐えるか 過酷なテストをしています。

秋の陽ざしは弱く、陰になった部分は暗い。
樹の幹にピントを合わせましたが、単なるスナップ写真になっています。
風景を本格的に撮る人の眼から見たら、しかめっ面ものです。
ここは、三脚を立て、もうすこし広角のレンズで、最少絞りまで絞って鮮明に撮影するところでしょう。
そして、もう少し 焼きこんだほうが よかったかも。
- 2015/11/07(土) 08:51:50|
- 散歩
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散歩にカメラを持ち出し今年で9年、撮ったフィルムは現在792本になる。
年末までにネガ番号810本に達すれば、年平均で90本、3500回程度シャッターを切ったことになる。
昔、年100本のフィルムを使えば、かなりの写真愛好家と言われた。
アマチュアなら「かなりの愛好家」の部類に入れたはずだが、上手になったという実感が持てないでいる。
だらだらと 撮っていては 上達しないものらしい。
写真クラブ「彩游」に入ってきた人を見ると、つい最近デジタルカメラを始めましたという人でも、1,2年で しっかりした(上手な)写真を撮るようになっている。
話を聞くと、一回の撮影で80カットは少ないほう。200カット、400カット、なかには1000カット撮る人もいた。デジタルを持った人は、昔のプロ並みに、シャッターを切っているでしょう。
カット数の多い人ほど、確かに短期間で上手になっていく。
今から、デジタルに替えても、どんどん追い越されていく気がします。
フィルムで撮る人がいない以上、「鳥なき里の蝙蝠」状態・・・まぁ趣味ですから。
写真展が行われた会場は、有楽町駅 近くにあります。
当番の日、駅でのスナップ。時刻は3時ごろ、時折弱い雨が降っていました。

古いライカ・Lマウントのノンコートレンズ、開放絞りf:2で撮影。

現代のレンズほど切れ味はありません。それでも、歩く二人の影がボーと浮き上がっていたので・・・やった!と思いました。デジタルならもっとはっきりと、綺麗に写っていたかもしれません。

天井の輝きが好いと撮影してみましたが、期待ほどには撮れていません。
![有楽町駅792-14 Ⅲ[31-237]](http://blog-imgs-84.fc2.com/a/l/c/alchemystsasaki/201511061428386b9.jpg)
ネガに薄く銀塩が残っていたので、トーンカーブで暗い部分を持ち上げてみました。
どうにか写っているものですね。
f:2/15秒でも念のため撮影しました。トーンの調子はそちらの方がいいのですが、写っている人の配置が面白くない。
構図は、こちらに軍配が上がりました。
こんな調子で、Retro400Sのフィルムテストをしています。
- 2015/11/06(金) 14:46:39|
- 都会の景観 Tokyo
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アッと眼を引くキャッチーな光でもなければ、
大自然の神々しい光でもないが、
こんな 光も好きだ。
秋の陽は早い。
午後3時を過ぎると、長い影を作っていく。

遠くのグランドは 空からの弱い明かりに浮かんでいたが、遊ぶ人の姿は消えていた。
その時、切れ目から 林の中に陽が差し込んできた。
ほんの一瞬のこと、咄嗟にシャッターを切っていた。

時刻は4時を過ぎていた。
ほとんど 開放絞りで撮影している。
オールドレンズだから出せる光の味だろうか?
19世紀末のPictoriaPhotoに近いかなぁ。
こんな光も好きだ。Retro400S 意外と表現の幅の広いフィルムかもしれません。
- 2015/11/03(火) 18:28:40|
- 散歩
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フィルムを替えることは、デジタルカメラなら、カメラそのものを 別なカメラと交換するようなもの。
光のトーンの捕まえ方が異なり、表現できる範囲が違っているので、まごついているが、それだけに楽しい。
しばらくは トーンの違いに一喜一憂し、遊べそう。

レンズは 古いライカのSummitar 50mm F:2 1951年製。戦後のレンズなのでシングルコーティングされている。ライカのフードは高いので持っていない。

50mmレンズで写る範囲をイメージして、
距離、絞り、シャッター速度を、あらかじめセットしておく。
フィルムを巻き、ファインダーを構えた瞬間、構図を確認、直ちにシャッターを切り、カメラを下げる。
フードを付けて撮影すべきだったろう。
秒撮です・・・・誰も撮られたと 気づかないだろう。
しかし、盗撮と非難される怖れはある。
普段の生活の一面、今の一瞬を捉えるなら、これが一番。
学校が終わり、帰宅。 「さぁこれから遊ぶ?」そんな相談をしているのかも・・・小生の小学生の頃も、こんな感じだった(服装はもっと粗末で汚れていたが・・・)
ねぇ撮ってもいい?などと声を掛けていたら、どうなるか。駄目と逃げられしまうか、良いとなればピースサインかも。それでは、今ここでの生活感は 消えてしまうだろう。
充分敬意を払った上での秒撮と・・・お許しください。

戸越銀座の商店街、ハロウィンで盛り上がっていた。レンジファインダーカメラで最短の距離に近い。できるだけ絞り、被写界深度を稼ぐ。これだけ混雑していると、意外に撮られていると気づかない。周りにはデジタル一眼やムービーを持った人が囲んでいる。
一枚、秒撮させていただいた。
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頼まれて人物を写すことはある。
でも、結局 あまり好きになれない。
撮っていいと許可してくれる人は、それなりに自信があるのかも・・・この角度から撮って貰うのがいいと 心得ていることもある。
撮影する小生も、その人が一番きれいに、人柄が出るようにと、うまく写してやろうとする。
どこかのファッション雑誌に載っていたようなポーズをとったり/付けたりもする。
どこか嘘くさい。
撮って貰う人は、己の一番いい姿を想像している。
どう?すてきでしょう、と言いたいし、また、素敵だと言われる写真を期待する。
撮るほうは、どう、写真の腕いいだろうと・・・自慢したい、少々鼻持ちならない自分がいる。
どちらも 一人称で、それぞれカメラに対峙していた。
踊りの練習を撮っていて、ハッキリと気づいたはのは、このこと。
結局一人称なんだぁ、撮る人も、撮られるひとも。
だから 写真が嘘くさい。
一人称の写真でなく、三人称の写真が撮りたいものだと思う。
記念写真ではなく、生きた時代の証拠写真を。
- 2015/11/02(月) 11:24:55|
- 散歩
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