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本当に大切なものは見えない

古いフィルム・カメラで、ありふれた身の回りを撮っています。日常の中の一瞬を捉え、読み解く写真になっていれば・・・

夏の暑い日

曇天だが、蒸し暑い夏の日、勝島運河の土手を散歩していた。
人影はない。蒸し暑さを逃れ、冷房の効く部屋で、高校野球を観戦しているのだろう。
鳩776-18
いるのは鳩の集団だけ。それも、飛び立とうとはせず、羽を休めている。
手にしたカメラには21mmの超広角レンズがついていた。
しゃがみ込み、じりじりと鳩の群れに近づく。
鳩776-21 Ⅱ
暑さに動くのも億劫なのか、飛び立とうともしない。距離を詰め一枚、シャッターを切る。
レンジファインダーカメラなので、最短に近づいても1mまで。これが限界。
鳩776-25
面構えのしっかりした鳩が、小生を睨む。
Rollei Retro80Sのフィルムに、R72のフィルターを付けて撮影。かなり無理した撮影だった。
工夫と体力で不足分(キャッチーさ)を補おうとするが、・・・意欲は空回りし、ついでに体力のなさを感じています。
秋も深まれば、渡り鳥もきて、水面は賑やかになるでしょう。
そのころ、また散歩してみよう。

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  1. 2015/08/30(日) 12:45:43|
  2. 猫、犬、鳥
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Fakeひまわり畑?

水道橋の駅近くへ行く用事があった。
用事が終わり、
ぶらぶらと 散歩すると、向日葵の畑?に出る。
作りものの向日葵の列が来園者を出迎えている。人々は群れをなし、目的とする会場、遊園地、土産物店、レストランへ 足早に通り過ぎていく。
誰も気に留めない。
しかし、面白がって撮っている自分がいた。(これなら、カラーでとっても、大丈夫だと思う自分がいた。)
造花の向日葵DSC03488 Ⅱ
カラーは苦手。カラーは「印象の色」というが、そこがなんともおぼつかない。
今のデジタル写真では、色温度の設定を変えたり、各色の彩度や明度を、コントロールできるようになっている。「印象色」だからと、いじりまわすと、そのうち、見るに堪えないカラー写真になっていることがある。

しかし、上手な人が処理すると、今まで見たこともないような感動的な風景がPC画面にできてくる。
光芒も 綺麗に入れることができる。薄明りの地上へ、雲の隙間から落ちる光芒、ビーム、フレアー・・・
神秘的、一生かかっても観るチャンスなど・・・小生にはないだろうと思う。
すごいものだ、このカメラマンは! ラッキーだ。
と感嘆していたら、そんな写真が、何枚も続く。偶然はそんなに続かない。
騙されていたのだろうか?
目の前の現実を そのまま 演出なく捉えてた写真だろうか? そうは思えなくなっていた。なんとなく作り物。

デジタル写真は、コンピュータだ。
コンピューター上で動くデジタルカメラとレタッチソフトは、心象風景を描く道具として機能しだしたのかもしれない。
しかし、それが、いい方向に機能するだろうか?
キャッチーで感動的写真の量産が 始まっている。
ビックデーターと結びついたら・・・人間の感覚、感じ方も、誘導されるようになるかも。
感動する心が疲弊してしまうことを危惧している。
高価なデジタルカメラなど、捨ててしまえ。

色温度 一つにも手こずり、自分の印象色が 何であるかわからない小生には、造花の向日葵で充分。
Fakeの向日葵を、Fakeの色彩で描く。この程度が、小生の限界です。
デジタルにたいする、ささやかな抵抗をしています。
  1. 2015/08/29(土) 20:04:02|
  2. ひまわり
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三鷹の阿波踊り

写真展に「阿波踊りを出品するなら、私」を写して・・・
他の連のほうに写真的にいいのが沢山あるのに・・・と思うが、
性格弱いのか、言い寄られると、それならばと最後のチャンス、三鷹の阿波踊りを(追っかけ)撮影していた。
帰宅後 直ちにフィルムを現像。
翌日、ネガをフィルムスキャナーで取り込み、画像をJPG変換、候補作を探す。
月曜日朝、A4で数枚候補作をプリントし、午後 例会に出席し、その中から2点を選んだ。
ようやく、夏休みの宿題をやり終え、先生に提出した気分。
以下は、選外になった作品。
江戸とんび連778-22
ほかの連と比べたら・・・などと、批判じみたこと言えませんが・・・ 
小生の感性では、ほかの連の女踊りに、ぴったりと来るものが多い。
(致し方なし)見栄えするようパノラマ風にトリミングしてみました。(姑息なやりかたです。)
江戸とんび連-70
踊りを楽しむ阿保が素敵なのだろう。
江戸とんび連780-29
子供の後姿を入れて関心を引くのは少しあざといかなぁ、と候補作から外した。
江戸とんび連778-44 Ⅱ
劇の一幕のような構図になった。個展なら入れる作品だろう。
だがグループ展、もう少し動きが欲しい。
江戸とんび連778-49 Ⅱ
これが良いと思ったが・・・ 写真展では浮いてしまう。 
仲間の作品は風景が多い。綺麗なデジタルカラーの作品が並ぶ。
モノトーン・フィルムで、前衛的なものは、避けたほうがいいだろう。
(被写体になった人からもクレームがでるだろう。綺麗に写して!)
そんなことを考慮し、作品2点を選びました。
写真展は10月30日~11月5日 銀座フレームマンで行われます。
テーマは「感動の瞬間(とき)」です。
  1. 2015/08/26(水) 09:17:19|
  2. 人物 ポートレート 踊り
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「ひまわり」 は ポジティブなイメージ?

去年の写真展のテーマは「出会いの刻(とき)」
テーマに合わせ、イメージを巡らした。
「死」のイメージを「ひまわり」にあて、「友よさらば」
「生」のイメージを筍に託して、「僕は生きぬく」 という題にして
作品にまとめようとしたが・・・・
肝心の「枯れたひまわり」は、勝島運河の土手から綺麗に刈り取られていた。

「ひまわり」と聞くと、明るいイメージを思い浮かべる。
向日葵は蕾のあいだ、常に太陽の方向に向けるという。
花言葉は 「貴方を見つづけたい。」「貴方を思っています。」ということらしい。

インターネットで 「向日葵 画像」検索すると、夥しいほどの「ひまわり」の画像が出てくる。
ほとんどが、綺麗な「向日葵」の写真。明るく、綺麗なイメージで 撮影されている。
不吉な画像は・・・・見つからない。

ソフィアローレン主演の「ひまわり」を50年近く前に見たことがある。
咲き誇る向日葵の畑を歩くソフィアローレンの姿は、暗示的。
美しいからこそ、悲劇の(残酷な)予兆を表現していたと・・・思う。

嘗て、そこでは幾多の血が流され、屍となって 土の下に埋もれている。
今は美しい向日葵畑が、その記憶を覆い隠そうとしている。
だから映画の題は「ひまわり」。
切なく残酷なタイトルだなぁ・・・と観終わって感じていた。

ひまわり 花言葉、プラスのイメージを刷り込まれているのだろう。
常識は時に破壊すべき時もある。
特に表現の世界では。
健康的で、明るい「ひまわり」でなく、暗く、不気味なひまわりを 撮ってみたいと、思っている。
ひまわり776-14
ひまわりは樹だろうか?
樹の幹から向日葵の花が咲いているようにも感じた。
ルドンの画?
シュールさ、不気味さをもっと出せないものか?
さて、どう撮ろう??絶対非演出で。
カテゴリに「ひまわり」を新設しました。(今後も向日葵を撮るつもりです。)
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今年の写真展のテーマは「感激の刻(とき)」
大田区、糀谷で撮影した阿波踊りの写真から選ぼうとしたら、
「踊りの練習」を撮っている人(女性)から、クレーム。
一昨日 8月22日(土) 三鷹の「阿波踊り」で、その方の踊りを撮影。
昨日、現像し、フィルムスキャナーで取り込み、
本日の朝 A4にプリントし、午後の決定会合に出席。
締切(2点)に間に合わせました。
夏休みの宿題のようでした。

選外にした、「ラクダ」「万里の長城」「糀谷の阿波踊り」の候補作は そのうちブログにアップするでしょう。
  1. 2015/08/24(月) 22:28:15|
  2. ひまわり
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シオサイトを歩く 

夏の太陽がギラギラ照り付ける暑い日だった。
8月6日 広島に原子爆弾が投下された日。
TVの放送を ぼんやりと、そして呆然とした気持ちで、見ていた。
冷房を効かせた自宅の部屋に引きこもり、暑さが通り過ぎていくのを、じっと待っている自分に、後ろめたさを感じていた。
何か 撮らなければ。
戦争の記憶を伝えるもの・・・東京には残っていない。あるとしても記念碑くらいだろう。
とりあえずカメラを掴むと、暑い町に出ていた。
あてはなかった。
2時間後、新橋のシオサイトに立っていた。
この辺りは、爆撃を受けただろうか?
記憶はほとんどない。
銀座通りに面したところに、背の低いビルが並んで建っていた記憶はある。
そこから、浜離宮までの間は、どうだったか? 貨車の操作場??
8月6日775-9
再開発され、近代的なビルが立ち並ぶ。空をモノレールが走る。小学生のころ思い描いた未来の町が、そこにあった。
8月6日775-10
当時ビルの高さは10階建てが最高。銀座に出てこないと、そのようなビルはなかった。
やがて渋谷に東急文化会館ができる。やはり10階建てだったろう。
屋上には銀色に輝くプラネタリウムのドームがあった。
まだ、モノレールはない。
ドームとモノレール、このイメージが近未来の都市であった。
しかし、この近未来都市 すこしイメージと異なっている。
思い描いた近未来都市にはたくさんの人が集い、明るく遊んでいた。

モノレールは走っているが、人影はほとんど見ない。
あのモノレールだって、運転しているのはロボット、乗客もロボットかも・・
8月6日775-12
中性子爆弾。一時きれいな原爆と宣伝されたことがある。残留の放射能が少なく、人間を殺すが、建物を破壊しないという。
原爆の悲惨さのイメージを変えさせようとした宣伝だろう。大量破壊兵器に綺麗も汚いもない。
8月6日775-14
人影が少ないのは、近未来都市が、まだ生活の空間になっていないことにある。利便性、生産性、利益追求の思想(欲望)で、組み立てられているからだろう。中性子爆弾が炸裂したわけではない。
ようやく、人影を発見。ロボットではない。ビジネスマンだ。
撮ってみて、上昇志向を暗喩する構図になってしまったことに驚いている。(読み取る、読み取らない、感受性だけの問題。どちらが優れているということでもない)
8月6日775-8
長い歩道橋の階段を撮影。Selphy(セルフィー:自撮り)が、流行っているという。
これは小生の自撮り。
なんとなくシュール。キリコの絵画に出てきそうなテーマ性を感じる。
シオサイトは、現代を象徴するパブリック・アートかもしれません。


  1. 2015/08/22(土) 11:16:13|
  2. 都会の景観 Tokyo
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パブリック・アート    新橋シオサイトにて

街を歩いていると、時々 洒落た銅像/モニュメントを見つける。
昔の銅像は、高い石組みの上、睥睨するように建てられていた。
歴史に名を残す、あるいは残したい人物の像が多かった。
それが、高い石組みはなくなり、街に出てくるようになる。
いい傾向だと思っていた。見つけて ホッと息抜きになるもの、思わず微笑んでしまうもの・・・
この一角が、どういうコンセプトを持っているのか、モニュメントがそっと教えてくれるし、待ち合わせの目印にもなる。
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新橋のシオサイトを歩いていると、
ビルの奥まった広場に、モニュメント(おそらく芸術作品なのだろう)が、置かれていた。
西日の陰がビルの外壁に落ちている。遠目にその影が面白いと、近づいていた。
モニュメント775-17
おそらく著名な造形芸術家の作品なんだろう。
しかし小生には、芸術性云々を判断する教養を持ち合わせていない。 
モニュメント775-19
シオサイトのコンセプトと、このモニュメントが、どう響きあうのか・・・感性の鈍い小生にはわからなかった。 
シオサイトのビル群自体が 巨大なオブジェ、パブリック・アート、それを撮影しに来たのに・・・屋上に屋を重ねてやしないだろうか?
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ビルの袋小路のような広場の隅に置かれていた。誰が観にくるのだろう?
モニュメント775-20
あまり抽象性の強いオブジェは、一部の人の熱烈な賛同を得ても、不特定多数の人が訪れる場所では、不快感を持つ人もいて、地域によっては無視され、撤去されたり、放置されてしまう危険がある。
モニュメント775-18
不快感を 覚えさせるオブジェではないが、なんでここに?という疑問は残る。
丈夫なステンレス製、錆びることなく、風雨にも耐え、戸外のオブジェとして耐久性は文句のつけようもない。
設置には、かなりの資金が必要だったとおもう。
Percent at art policy (ビル建設費の一定%を、芸術作品の設置に使うという取り決め)でもあるのだろうか?
それで、このモニュメントを設置・・・何でもよかった??
そうは 思いたくない。しっかりしたポリシーがあるのだろう。
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記念に 撮るとしたら こんなフレーミングだろう。
このオブジェ、老人(暇人)の散歩の慰めに、設置されたのかも。



  1. 2015/08/21(金) 21:48:52|
  2. 散歩
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地球へのラブレター   8.15へ 連想は続く・・・

好きな写真家の一人に、セバスチャン・サルガドがいる。
2年ほど前、写真集「GENESIS(ジェネシス)」を購入し、手元に置き 時々見ていた。
最初はその写真集に違和感を感じていた。
視点が変化した。写真のトーンも微妙に異なる。
どうしたのだろう?

氏の写真は、報道カメラマンでありながら、効率的に撮影し、速やかに雑誌等で発表するというスタイルを取らない。
難民に寄り添い一緒に生活して、ごく自然に訪れた崇高ともいえる瞬間を捉えて、シャッターを切っている。
誰が撮ったのか? 撮られる対象が、彼の方に近づいてくる、さぁ撮りなさいと。
彼がシャッターを切ったとも、(難民に即発され)難民に撮らされたとも・・・言えるのではないかという感想を抱いていた。
テーマを見据え、長期にわたり難民と寄り添い 写真に収めていく。これがセバスチャン・サルガドの撮影スタイル。簡単にまねできることではない。
その報道カメラマンが、難民の入らない「自然」を写している!? どういうことだろう?
何故、「GENESIS(ジェネシス)」を撮ったのか?

渋谷Bunkamuraで上映されていたセバスチャン・サルガドの「地球へのラブレター」を観た。(8月上旬 上映していた)
この映画をみて、ようやく、疑問は 氷解した。
難民の大量虐殺の現場を見過ぎたのだろう。
難民の発生する現場に近づくにつれ、絶望は深まっていく。
逃れる人たちと行動をともにするのだ・・・と思い直して、踵を返すが・・・精神に変調をきたしても、致し方ない。
転機は、父親の荒れた農場を自然に戻し人間との共存を図るという奥さんの(再生)プロジェクトだろう。
コンセプト(テーマ)を決め、10年がかりのプロジェクトになった。
やはり優れた写真家だと思った。

物事の本質を捉えていこうとする知性があり、行動力がある。
知性があるから「眼前の光景をコピーするだけ」の「カメラ」を使って、物事の本質に迫っていける。
・・・・これは 素晴らしいことではないか。
カメラが素晴らしいのではない、カメラを使う知性が素晴らしいのだと、再認識させてくれた。
民主主義とは何かその本質を理解していると思う。それが知性だろう。
彼は、ブラジル人、軍事政権の時、政府職員の職を得ながら、軍事独裁政権反対の運動に身を投じ、
新婚の奥さんと、フランスへ亡命している。
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戦時中、政府の方針に反対し行動した日本の写真家、いただろうか?
互いの顔色を伺い、思考を停止・・・・知性は麻痺し、大正デモクラシーは、儚(はかな)い夢と消えていた。
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70年前、戸越の里は 焼野原だったという。
恥ずかしい限りだが、GENESISのオマージュとして、こんな写真を撮ってみた。
Genesis775-37.jpg
国立博物館が行っている「武蔵野の自然」回復プログラムである。
  1. 2015/08/19(水) 06:51:52|
  2. 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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遥かなる寧夏・・・・  写真から紡ぎだされる連想  8.15によせて とりとめもなく

寧夏回教自治区の首都、銀川のホテルに泊まっていた。
朝 ホテルに迎えの車がきて、乗り込むと、中国人同士話が弾んでいた。ニコニコ 面白そうにしている人もいた。
通訳に聞くと、ニューヨークのビルに飛行機が突っ込み、大惨事になっているという。
911DCP04127.jpg
同乗者の一人は回族の人間だった。
車は、黄河を超え、内蒙古自治区に入っていた。
調査地点の一つ。
その時撮った写真の一枚。
その時は、調査のつもりで、いたるところかまわず、デジタルカメラで記録したが、
歳月がたつにつれ、色々な思いが、写真の中に入り込んでくる。
じっと見ていると、様々な連想がとりとめもなく湧いてくる。
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中国の9月12日朝は、米国のニューヨークでは、9.11の夜に当たる。
テレビの画面は、この災害(テロ)のことで、埋め尽くされていたのだろう。
シャッターを切った横には、回族の丁さんが、いた。
この写真を契機に、連想はニューヨークへも飛ぶし、丁さんとの、様々な交渉・協力、酒を酌み交わしたことなどに飛ぶ。
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じっと この写真を見つめていると、3日ほど前、12日深夜、天津の倉庫で起きた大爆発事故を思い出す。
・・・・この地域で生産された炭化カルシウムが天津港へ運ばれていたのでは?など、悪い連想も頭をかすめる。
報道では、炭化カルシウムと 伝えられているが、「カーバイト」と言えば、年配の人ならピンとくるだろう。夜店のアセチレンランプに使われた灰色から黒い小石のようなものである。水に入れると反応し、アセチレンガスを発生させる。燃えると高い温度になり明るい炎がでるので、電灯のない夜店では、よく使われていた。
背後に石灰岩の山がある。
崩して、中景にある斜面を利用した石灰炉の上から小石程度に砕いた石灰石と、コークスをまぜ投入し焼くと、下からは、生石灰となって でてくる。 それを電炉に運びコークスと混ぜ、電気を流し、高い温度で反応させ(液化)ると炭化カルシウム(カルシウム・カーバイト)ができる。
遠くに見えるのは、発電所。冷却塔、ボイラーの煙突の大きさから推定して7万KW程度(あるいはそれ以下)の発電能力だろう。
この辺りは20mも掘ると石炭層にぶつかる。発電所の燃料にもなるし、乾留すればコークスもできる。近くにコークス工場があり、また、電炉を持つ工場も近くにある。
鉄鉱石があれば、製鉄業も・・・とは思うが、その時は水が不足する。カーバイドからアセチレンを作り、塩ビ樹脂を作るには、生産規模は小さく、インフラが整っていないので・・・無理だろう。
911DCP04152.jpg
その日の夜、石嘴山の清真レストランで食事をした。お湯を受けているのは、丁さん。
二人は、会社の幹部で、調査に協力してくれた。3年後丁さんは、会社を辞め、内蒙古にあったコークス工場を買収する。
ところが、それが大当たり。鉄鋼の生産が急拡大し、コークスの価格が急上昇。
2005年頃、内蒙古にあった、その工場を訪問したら、満身笑みを浮かべた丁さんがいた。
その会社も2年で売却。
鉄鋼産業、儲かる、我勝ちに投資、過剰生産、価格の低下で会社は倒産。
そのサイクルを、読み切っての決断だったのだろう。
丁さん、大儲けしたらしい。
2010年ごろ、一度 日本に遊びに来ている。(この頃は 化学会社に投資して、また大儲けしていたようだ。)
東京に来た時の写真を探したが、ハードデスクがクラッシュして、消えてしまったらしい。
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ホテルに戻り、TVを付ける。
寧夏自治区・首都一のホテル銀川大酒店?だったか・・・衛星放送が入り、惨事を伝えるCNNニュースが繰り返し流れていた。
ニューヨークには、何度も訪れている。見覚えのあるツインタワーのビルが、煙を上げ崩れていくのを、呆然と見ていた。
貿易センタービルの写っている写真を探すと出てきた。
惨事の9年前の写真。
911Untitled-8.jpg
ビジネスで訪れる町。日本→米国→ロンドン(ヨーロッパ)→日本の世界一周を2回、反対の経路で1回、それ以外にも3回くらいはニューヨークに行っている。エンパイアステートビルから撮影した、ツインビルの写真は、次の年だったか? ハードディスクから消えていた。
2002年 ヨーロッパに出張し、イギリスの会社とビジネスの打ち合わせをしていた。
現地スタッフから聞いた噂では、オクスフォード大学で、オサマビン・ラディンと同窓だという人が担当であった。
年のころは30歳の半ば、純粋の英国人、頭の切れる人だった。
学友とは、本当だろうか??その噂、嘘くさい。
ビジネスの話で数回会い、一度はパーティーを行い、酒を酌み交わし、何度か話す機会はあったが、話題にはできなかった。
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2005年の冬、再び ニューヨークへ行った。
その頃は、会社を辞め、自由の身。ニューヨーク郊外のホワイト・プレーンに、昔付き合った米国の商社(製造会社も持っている)に、中国の会社の紹介で、訪れている。
その時、グランドゼロ(世界貿易センターのツインビルの跡地)に行っている。確か BessaR2SにSkopar 35mm F:2.5のレンズをつけ、フジのネガカラーフィルムで 撮影した記憶がある。 ハードディスク内を探したが、画像が出てこない。クラッシュしてきえてしまったのだろう。ネガフィルムが残っているはずなので・・・・また、フィルムスキャナーで取り込めばいいのだが・・・
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もう4年前になるのか、妻とカナダ・トロントとニューヨークへ旅行したときの写真。
バッテリ・パークに検問所が置かれ、荷物検査しないと自由の女神のある島に渡れない。
検閲を受けるため長蛇の列ができていた。
911DSC02182.jpg
911-356-13.jpg
グランドゼロの再開発が始まっていたが、まだ その印はここからは確認できない。
ツインタワーの姿は消えていた。
この年トロントの大学に娘が交換研究者として留学していた。
どんなところに住んでいるのか、知りたくて、妻を誘い、旅行した。
帰りに、ニューヨークのメトロポリタン美術館を観たいというので、ニューヨークに立ち寄り3泊ほどして帰国した。
娘は、留学期間、一年という約束だったが、少し伸び翌年の秋、帰国している。
今は大学の講師をしているが、先週、トロント大学で学会があると喜んで出張していった。
明日16日の昼頃、帰国するという。
あの、ドラ娘がねぇ・・・よくやっていると・・・認めてあげなければいけないのだろう。
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今年 寧夏で再会した丁さん。
911-丁さんDSC02277
回族の人だが、回教徒というわけではないのか・・・強い「白酒」をぐいぐい飲む人だったが・・・体重が100kgを超えたという。
健康維持に注意するようになったか、毎日、賀蘭山へ登ると言っていた。(おそらく途中まで車だろう)
5年前の住宅バブルのころ、投資をしたが、建物が完成したときは、バブルがはじけ、売れなくなったという。そこで、投資した人、建設資材を供給した業者など、その被害額を按分し、できた建物を分割したという。
丁さんは 1200万元(日本円で2億円くらいか)、分割して所有する建物の価値は800万元だという。小生の見立ては400万元くらい。大損しているが、まだ、手元には資金が残っている。銀行なり個人からの借金で、投資することはないときっぱりと言っていた。(中国人にしては・・・珍しい:もっとも回族の人でした)
以前 7年ほど前、娘さんに会っている。当時は小学校の高学年。建物をそのまま遊ばせておくのはもったいないと、清真料理店にしている。その経営を娘さんに、任せているという。娘さんにもあったが、大きくなり、見違えるようになっていた。
写真は その娘さんの経営するレストランで撮影したもの。
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当時、世界センタービルの惨事を、他人事のように楽しんでいた(他人の不幸は蜜の味)丁さんだが、いまは、日本あるいはベトナムと、中国が戦争になるのでは・・・と 心配していた。
しきりに繰り返していた。そんな論調のニュース、噂が 中国の人たちの深層に 落ちて滞留しているのかもしれない。
「日本は戦争しません。したいと思う人はほんの少数」と答えても、首を振るだけ。いつか戦争になると思い込んでいる。

人を殺す技術は、格段に進歩している。
戦争したら、両国に破滅的な結果をもたらすのは自明のことだろう。

戦争にならないようにするための、防衛予算の有効な使い方は、軍備を拡張するより、互いの国の人間に 互いの国を訪問し、生活し、同じ人間じゃないかという、共生の感覚を育てることに費やすべきだろう。安くて快適な宿舎・旅館を提供し、中国の若者に来てもらう。日本の若者も、中国に旅行し、友を作る。
これができたら、戦争の大きな抑止力になる。
これこそ、集団的自衛権だと思うのだが・・・・

デモクラシーのなんであるか理解していない国会議員(自民党・公明党に多いのか?)・政府の(おそらく一部の重要ポストにいる)役人・首相とその取り巻き連の姿を見ると・・・・丁さん不安、わかるような気がする。
観光立国と称し、観光まで金儲けの手段にしていると・・・・尊敬される国にはならないだろうなぁ
  1. 2015/08/15(土) 18:16:02|
  2. 遥かなる寧夏
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夕日

散歩の帰り、大崎の駅で、夕日を発見する。
撮らない手はない、撮ろう、撮るべきだ。
手にしていたカメラは Sony NEX-3 レンズはE16mm F:2.8。
Wide過ぎる、標準レンズくらいの画角が欲しいところ。しかし、散歩に交換レンズの選択肢はない。
夕焼け-1DSC03156
このレンズで、この光景を、どう切り取れるか、それを試すだけだが・・・同時に(対象物に)試される小生もいる。
絞は一絞り少な目にして、夕焼けの赤を出そうとした。暗い部分は、RAW現像するとき、トーンカーブで持ち上げている。
姑息なやり方かもしれない・・・
夕焼け-2DSC03168美しい夕焼けが広がっている。
ほんの10分間くらいしかこの美しさは続かないだろう。移ろいゆく美しさ、ちょっと立ち止まってもいいのに・・・と思うが、
おそらく、それ以上の楽しみがあるので、人は足早に通り過ぎていくのだろう。
小生にはそれがない。暇だし・・・・
夕焼け-3DSC03182
夕日の輝きは、瞬く間に変化、消えていく。 動き回り、フレーミングできる場所を探す。
夕焼け-4DSC03164
写真は 眼前の光景をコピーする装置にすぎないが、眼前の光景をどう切り取るかは、人により千差万別。
現実のコピーだからと言って、卑下することはない。その人のカメラアイが映り込んでいる。
しかし、これは、ありきたりだろう。 
色彩が嘘っぽい。本当色より、印象の色彩が重要と言われても・・・どうしても違和感が残る。デジタルカラーのカメラアイは欠如しているのだろう。
夕焼け-5DSC03178
モードはPで使っている。普通はそれで十分。しかし、時には困ったことも起こる。
夕焼けの赤を、深だそうと、できれば-3絞りしたかったが、カメラを設計しプログラムを組んだ技術者により拒否されてしまった。
限界の-2絞り補正している。
これがいいかなぁ。
大理石に照り返る夕日が面白い。
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半月後、夏の茹だるような暑さの日の午後、同じ場所に立っていた。大理石の照返しが面白いことを思い出し、モノトーンフィルムで撮影していた。
大崎775-23 Ⅱ
入道雲が発達し始めていた。方向は、目黒駅か恵比寿駅の上空だろう。
帰宅し、夕方、ニュースを見ていたら、渋谷は雨だったという。
  1. 2015/08/13(木) 21:44:15|
  2. 散歩
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秋来ぬと、目にはさやかに・・・・

洗濯ものを干していた妻が、物干しから降りてきて、
一言、「空に秋の鱗雲が出ている」という。
秋は、密かに忍び寄ってきた。
今年の立秋は8月8日、暦の上では既に秋。
・・・・・見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる。
カメラを、片手に 散歩に出ていた。
秋を最初に感じるのは、高原の空だろう。
目指すは、白金の自然教育園。
秋立つ775-26
都会の真ん中にあるが、訪れる人は多くない。園内に一歩入れば、街の喧騒は、聞こえてこない。
秋立っ775-32
確かに秋の鰯雲・・・しかし、やはり暑い。
残念ながら、「風の音に驚く」鋭い感性を 小生は持ち合わせていない。
池の近くの東屋で、しばし休憩し、耳を澄ませていた。
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自然に神を見た日本人は、争うごとを好まなかったと思う。
野に出て、車座になり、お茶をすすり、花を愛で、環になって、歌い、踊る。
霊魂は言葉となり、言葉は研ぎ澄まされていく。
「秋立つ」と聞いただけで、敏感に反応し、
様々な歌となり、俳句となり、日本人の感性を豊かにしてきたと思う。

「秋立つや一巻の書の読み残し」
未完に終わった「明暗」執筆中の作という。
死期が近いことを感じていたのだろうか?
「秋立つ」という清々しい言葉が 「読み残しの一巻の書」を優しく包む。
読み残しがあっても悔いが残るわけではない。充分満足しているという心境だったのだろうか?

7月末 図書館から一冊の本を借りてきている。
まだ、読み終わらない。夏はまだ終わらない、人生の晩秋に今いるとしても・・・・
家に帰って、読み終えねば・・・
東屋を後にしていた。



  1. 2015/08/12(水) 22:07:37|
  2. 散歩
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大田区・糀谷の阿波踊り 

展示会のテーマは「感動の瞬間(とき)」  難しいテーマを選択したものだ・・・と思うが、昨年は「出会いの刻(とき)」だったから、似たようなもの。
撮る人が感動したらいいのだ・・・というのは、少し拡大解釈ではないだろうか?

対象が高揚感を感じているときを、捉えるべきだろうと思う。その高揚感を共有したときが、「感動の瞬間(とき)」
スポーツ、競技(ボート、競馬、競輪)、遊園地、花火大会、めったに遭遇しない珍しい光景・・・・どうしよう?
高揚感を感じる風景は・・・探すのが大変。
やはり、高揚感を感じている人を撮るのがいいだろう。
知人の踊りの練習を数回撮影していたので、阿波踊りを追うことにした。
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最終選考は、24日の月曜日。
8月22日~23日 三鷹で阿波踊りがある。東京では有名。徳島の本場ほどではないでしょうが、かなりの人出となる。
22日撮影、23日現像、デジタル化、プリント・・・で24日に間に合うか・・・
ネットで調べたら、隣の大田区の糀谷で、阿波踊りが、行われることを知り、勇躍、撮影してきた。
糀谷774-100京浜蒲田から羽田空港へ向かう電車で一駅、近い。
糀谷773-64 今年で41回目とか、東京では古い部類ではないか? 蒲田に住むカメラ仲間も知らなかったようだ。商店街も短いし、参加の連も9つと少ない。見物するのは地元の人間が多い。しかし、40年以上続いていて、地元では密着した祭りになっている。連の訓練度もかなり高い。
糀谷773-46 Ⅱ 地元の観衆が主なので、それほど混んでいない。撮影の自由度は、かなり高い。隠れた「阿波踊り・撮影」の穴場だ。
糀谷773-48 Ⅲ
28mmの広角レンズで撮影したので、余分な観衆の頭部などが入り込みやすい。トリミングすると、よくなるショットが、何コマかあった。
午後7時から9時までの2時間、あっという間に終わり、3本のフィルムを撮り終わっていた。
珍しく、撮ったという高揚感を感じていた。
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候補にできる作品を、10カット以上得た。今は、それから2つ選ぶという、嬉しいような、困った状態になっている。

踊りの練習を撮っていた、知人の女性からは、撮ったものを使ってもいいと言われたので、
練習で一枚(いいのがある)と、本番の阿波踊りで一枚のつもりでいましたが、
本番の阿波踊りで・・・体調不良とかで、冴えない(バカになりきれない)カットしか撮れなかったので・・・採用しないつもり。
8月の終わりごろ、高円寺の阿波踊りで、踊ると言ってましたが・・・締切に間に合いません。

  1. 2015/08/10(月) 18:37:08|
  2. 人物 ポートレート 踊り
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東馬込あたりを 彷徨する。  KievⅡを持って散歩(3)

最初の一カットは大崎で撮影したもの。
その後10カットほど大田区の東馬込あたりを写したものが続いていた。
東馬込あた771-12
品川区に住んでいた写真家「中村立行」の写真集が、図書館に置かれていた。
中村立行氏は、戦前から戦後にかけ宮前小学校の美術の教師をしていた。
氏の写真集によれば、戸越銀座駅、戸越公園駅、下神明駅の三角形の区域、戦災(焼夷弾)により焼野原だったという。
この辺りは戸越公園駅から南西方向に歩いて15分ほど、直線で800mも離れていない。
戦災に合わなかったのか、時に古い家を見る。大朝日とは・・・少し大げさ。古い看板ではないが、建物は古るそう。
東馬込あた771-13
紫陽花が咲いていた。
東馬込あたり771-9
梅雨の季節だが、天気は快晴。綺麗な雲が出ていたので 一枚。 レンズはJupiter-3 50mm F:1.5 1950年製。 戦前のツアイスの作ったコンタックス用、最後の1.5ゾナーレンズと同形。
当時ソ連邦にあったキエフで組み立てられている。レンズの硝材は、イエナにあったものだろう。何本か 1.5ゾナーを持っているが、このレンズが、一番いい。といっても、その差は ごくわずか。それで作品の優劣が決まるわけでもない。
一時 レンズだ、レンズだと、たくさん集め、撮影し 比較しましたが、重要なのは撮る人のカメラアイ。
カメラアイのない小生が、うんちくを傾け、あれがいい、これは、ここがいいなど 比較したところで、作品には差が出ない。
それくらい、今のレンズは優秀です。そして昔の丁寧に作られたレンズも優秀です。
東馬込あた771-15
逆光での撮影。1950年製のゾナーですが、ハロも出ず、コントラストも十分でていると思います。
最新のデジタルカメラ、ライカ・モノクロムで撮ればもっとくっきりと撮れるかも・・・しかし、それはレンズではなく、カメラ内の画像処理エンジン(コンピューター)の優秀さによるものではないか・・・と(自分勝手に)推察しています。
作品つくりの根幹を、メーカーのプログラマーに握られて何が楽しい?それも、作品つくりをフィルムに固執する一つの要因かなぁ。(自己矛盾していますが)
東馬込あた771-17
古いレンズなので、レンズの保護にUVフィルター(日焼け止め)を付けています。露光は 空に合わせたので、f:11/250秒だったと思います。(メモ 紛失)
  1. 2015/08/08(土) 09:50:22|
  2. 散歩
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林試の森  KievⅡを持って散歩(2)

7月17日 Jupiter-3 50mm F:1.5のレンズを付けて、夕方 林試の森を散歩した。
林試の森771-20
「ラクウショウ」の林。
逆光気味に光が入っていた。
敢えて R72のフィルターを付けて撮影。700nm以上の赤外線は眼に見えない。経験と理性で判断するだけ。
赤外線で捉えた画像を、直感で感じとる人などいるだろうか? 気持ちで撮る?・・・そんなことありません。
あくまでも計算ずく、R72フィルターを付け、その効果を期待して撮影しています。
波長が長い分、分解能は低下するのか、ピントの合う範囲が狭くなっている・・・という印象を受けました。
太い「ラクウショウ」の幹にピントを合わせ、距離補正もしています。シャッター速度が1/10秒と遅いので、柵に肘を当て、そっとシャッターを切りました。逆光でR72フィルターは、使わないのが普通でしょう。効果はあまり期待できません。むしろ影の部分が真っ黒く潰れることもあります。
この場合、フィルター無しで撮影したら、林の下草は暗く沈んだでしょう。これは、これで良い(狙い通り)と思う。
林試の森771-21
順光だが、夕方の光は弱い。林の中に入り、竹の群生を狙う。R72フィルターを付けているので、絞れない。だが、竹の葉は白く輝くかも・・・そんな期待を込めて シャッターを切った。
三脚に固定し、絞をf:16あるいはf:22まで絞って撮影するのが・・・常道だろう。でも、散歩に三脚の選択肢はありません。手持ち撮影が原則です。(重いと、散歩ではなくなるから。)
林試の森771-23
この光線状態を見たとき、速やかに、R72フィルターを外していました。
光の画が写真(Photograph)だと思っています。
光を読みながら、散歩する。
良い光線状態を発見したら、どう撮るか考え、露光を自分の裁量で決め、フレーミングし、シャッターを切る。
直感に頼らない分、ボケ防止には最適でしょう。意外と楽しいものですよ(失敗しても)。
  1. 2015/08/07(金) 13:25:11|
  2. 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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夏の向日葵 KievⅡを持って散歩(1)

カメラを調べていたら、KievⅡにフィルムが入っていた。
6月の下旬 フィルムを詰め、散歩に持ち出したものだった。
中国から帰国し一度、散歩に持って出たが・・・シンクロの接点(ストロボ)がないので、阿波踊りの撮影には、使っていない。
あと10枚くらい撮れそうだと、35mmのレンズを付けて、外に出た。
暑い。
大崎駅の方向へ歩く。
向日葵が咲いていた。一昨年 冬の向日葵を撮影した場所。
ここの向日葵は、たびたび撮っている。
また、同じような向日葵を撮影していた。
フィルムは、Rollei Retro80S。.データシートによると 740nmの赤外光まで感度があるという。720nm以下の光りをカットするフィルターを付けて撮影してみた。
夏の向日葵771-25
これまでも たくさんの向日葵を撮影しているが、撮影場所は、ここか、鮫洲近くの勝島運河の土手に限られている。
見渡す限り一面の向日葵・・・そういう場所へ、行ったことはない。綺麗な向日葵は、それを撮りたい人に任せればいい。
おそらく一生、美しい(観光名所)向日葵畑へ 行くことはないだろう。
それでもいい。向日葵、それ自体に存在感がある。
夏の向日葵771-28
それが 撮りたい。さて、今年は どう撮るか?
夏の向日葵771-29
レンジファインダーカメラでは、これ以上近づけない。Nikon F にマクロレンズで 撮ってみようかと、頭のなかで、思考撮影をしている。


  1. 2015/08/06(木) 22:42:09|
  2. ひまわり
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阿波踊り 神楽坂

展示会の作品作りは、白黒のフィルムにこだわっている。
デジタルだと、新しいカメラほど綺麗に写るし、高価なカメラほど、画像としてのクオリティーは高い。もし、クオリティーの高い写真を望むのなら、新しい製品が出るたびに買い替えざるを得ない。
しかし、精彩で色の綺麗な写真が撮れても、それは、カメラがいいから・・・では寂しいではないか?
と、(本当は、良いデジカメが欲しいのだが) 家電のデジカメ、Sony NEX-3に 古いFマウントのCosina zoom 28-80mmを付けて、遊んでいる、これで充分と納得させて。
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阿波踊りを白黒フィルムで撮るにはどうしたらいいだろう?
ストロボで、一瞬を捉えてみようと、思った。背景との明るさのバランスをどうとらえらいいか?
ものは試しと、まず、NEX-3デジタルカメラで、神楽坂の阿波踊りを テスト撮影してみた。
神楽坂DSC03322
神楽坂DSC03321
NEX-3の内蔵ストロボは自動調光してくれるので便利。 ISO::200 で f:11 シャッタースピード1/15秒で背景の明るい神楽坂の町とバランスしていた。
躍動感を出すには1/15秒程度が最適、1/30では効果が弱く、1/8では、ブレが大きい。
フィルムカメラのレンズは、35mmの広角レンズか、50mmの標準レンズがいいだろう。
ストロボは それほど大光量(ガイドナンバーの大きなもの)は、必要ない。ディフーザーを付けることもないだろう。
古いストロボを3台持っている。ISO:400でガイドナンバーは40と56。 40のストロボを使うことにした。
距離は2m~4mの被写体。絞りはf:11~f;22となる。しかし屋外の撮影なので、f;8~f;16で絞りを調整すればいいだろうという結論に達した。
中目黒の阿波踊りを撮ってみたが・・・候補作はできたが、まだ納得できない自分がいる。
三鷹の阿波踊りは8月22日~23日 24日現像しすぐPCに取り込めば、25日の講評会には間に合う。
行ってみるか? 
  1. 2015/08/05(水) 11:51:48|
  2. 人物 ポートレート 踊り
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阿波踊り  中目黒

8月1日 中目黒で阿波踊りがあった。
8月24日の講評会で、展示会用の作品2点を、決めなければならない。
夏休みの宿題、終わりごろになり、慌ててした覚えがある。そんな気分。
中目黒770-55
フィルムをマガジンに、詰めようとしたが、ISO:400のフィルムは使い切っていた。
Rollei Retro400Sを購入しようとしたが、入荷は8月末だという。
そこで、冷蔵庫に大切に保管してあるTri-Xを取り出し、使うことにした。
使い慣れたNikon SPに使い慣れたTri-Xフィルム。でも、できた写真は・・・月並み。
この写真では、展示会にだせないだろう。
中目黒770-50
もう一息。踊る阿呆の迫力が欲しい。
去年の中目黒は、自衛隊の連が、ダイナミックな阿波踊りを見せていた。
それを、期待していたが、おとなしく精彩を欠いているように感じた。
中目黒768-6
この連の追っかけをすればよかった・・・と気づいたとき、祭りはフィナーレを迎えていた。
女性の顔がしっかりと写っている写真を数枚撮っている。
阿波踊りの美くしさと迫力を感じる・・・展示会の候補にしようかとも思うが・・・
果たして、出していいものか・・・
連の名前を調べ、問い合わせし、展示会に出していいか、許可を貰うべきだろう。

  1. 2015/08/04(火) 22:24:44|
  2. 人物 ポートレート 踊り
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失ったもの なくなったもの。

海外に出張するときは、相手先と記念撮影したり、簡単な備忘録のつもりで、バカチョンカメラを持って出ていた。
日付が入るコンパクトカメラは、最適だった。
一か月に及ぶ出張でも36枚撮り1本で充分だった。

それが、2000年頃、ヨーロッパを旅したとき、何を思ったのか、Nikon SPを持ち出していた。
出張の記録は、コダックの100万画素デジカメで充分、だが、同時に物足りなさを感じていたのではないだろうか?
本格的なフィルムカメラを使いたくなったのだろう。
Tri-X フィルムを数本持って行った。
ノルウェーのベルゲンに着いたときは、休日の町をNikon SPを片手に散策していた。
この時、撮った写真、帰ってきて現像し、写真ていいものだと、再発見していた。
それから15年、特にこの9年間は、沢山写真を撮っている。
この15年の間の写真を見ると、
少しづつ、撮る対象が変化(これは小生の内的変化)し、気づかないうちに、周りの景色が変化している(外的変化)ことに気づく。
デジタル写真であれ、フィルムの写真であれ、結局は、その時、その場で目撃したことの、コピー。
歳月は待たないが、コピーは残る。残ったものを、体系的に捉えれば・・・世界が見えてきてもいい。
--------------------------------------------
2002年 蕭山で撮影したもの。
蕭山賓館の前の道を西に200mも進むと、歴史を感じる建物があった。
去っていくものIMG_0336
物資の積み下ろしをする小さな船着き場もある。古来、南船北馬。南の蕭山も、運河が発達し、物資の運搬は船が主流だったのだろう。今は道路が整備され、トラック輸送に切り替わっている。
去っていくものImg_0333粛山(2ヶ月後には・・・)
2か月後、再び訪れると、建物は、壊されていた。
去っていくものIMG_0947簫山
猛烈な建設ラッシュが、蕭山で始まっていた。
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今年 撮影したデジタル写真。
画素数は1400万画素を誇るが、以前撮影した200万画素の写真と比べると貧相である。
去っていくものDSC02174
空き地には公共の建物・・・しかし、多くは駐車スペースになっている。
樹の幹が太くなっているので、歳月の経ったことを感じさせてくれる。
しかし、醜い。以前建物のほうが、心に響いてくる。
広いスペースは無駄、経済発展のため、駐車スペースが欲しい。
去っていくものDSC02176古いものは、目障りだ。
蕭山は、欧米並みの近代的な都市に変貌するのだ・・・そんな 意志が働いているのだろうか?
新しくできる大きな建物は、ほとんど無国籍。
日本でも・・・ドバイでも、上海でも、シンガポールでも・・・
驚くほど似ている。まるで マーハッタンのビル群のように、確立した建築様式でたてられていく。
ユニット化され、大量に同じ単位で規則的に組たれられていく。
化学を習った人間なら(理系の人間なら)すぐに気づく。エントロピーを小さくしている。
規則正しい世界に住むのが一番快適だ。混乱(カオス)より調和(コスモス)へ世界は動いている。
しかし、冷房の効いた部屋(エントロピーの小さな)を作るためには、空調機を動かさなければならない。
快適な(エントロピーの小さな)空間を作るため、電力を消費するので、系全体ではエントロピーは増大の方向になる。
欧米の快適な生活(エントロピーの小さい)を維持するためには、それ意外の地域のエントロピーは増大するという犠牲で成り立っているのが、本当の姿だろう。
地球を食べて、人類は快適な生活(エントロピーの小さな、規則的で、統制され、安全な)を作ってきた。
地球を食べて、人間は、エントロピーは増大させている。 己の快適な(エントロピーの少ない)生活環境を作るため。
去っていくものDSC02170
あと何年、人間はこんな生活を続けられるだろう?
100年?
1000年?
一万年はないだろうと思う。
靴を直し、リサイクルする生活に戻れるだろうか?大量消費、新しい靴のほうが快適だ。
現在の快適な生活を、あきらめることできますか?
あきらめたら、職を失った人が増え、社会は混乱(エントロピー増大)する。
所詮 人間は、地球を食いつくし、エントロピーを増大させ、滅亡するだけの存在かもしれない・・・・
(人間の決めた法律に従い)「金儲けして、何が悪いのですか?」という言葉が、いつも、重くのしかかっている。
所詮 人間は 地球に寄生した生物の一品種に過ぎない。
人間が決めた規則と、自然の摂理(法則/規則)、どちらの規則が優先するだろう?
-----------------------------------------------
エントロピーの概念、19世紀には、熱力学として学問的には確立している。
そのことが、世界を理解する手段になっていた。
熱力学から、量子の世界(理論/規則)の扉が開く。
量子の世界から、更に微細な素粒子の世界へ・・・その素粒子の世界が、突如、広大な宇宙の世界とつながる。
しかし、まだまだ、知恵が足りないのだろう。
暇を もてあまし、近くの区立図書館へ行き、宇宙論や、素粒子論の「読み本」を借りてくる。
やはり、サイエンスは面白い。
小生が生きている間に、この謎が解き明かされないかなぁ。
  1. 2015/08/02(日) 19:50:39|
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Author:Alchemyst Sasaki
未だフィルムカメラの沼から抜け出せない。
もう一年白黒フィルムで遊んでみるつもりでいる。

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