今年の桜、どう撮影しようかと悩んでいる。
近くの桜はあらかた撮りつくしている。今までと同じでは・・・進歩ないなぁ。
どうフレーミングしようか?
望遠レンズで桜を撮影したこと少ないことに気づく。
今年は、望遠レンズで、切り取ってみようと思った。
早速、フレーミングできる場所の確認だと、戸越公園に向かう。

昨日(3月29日)撮影した戸越公園の桜。
戸越公園に植えられている桜は7本程度、それほど多くない。
今にも降りそうな空であったが、日曜ということもあり、その少ない桜の下で、花見の宴会が真っ盛り。かなりの人が出ていた。人を入れないようフレーミングするなら、望遠レンズしかないでしょう。それでもフレーミングには、かなりの制約がある。
これなら、山里に旅行し撮った一枚・・・と騙せるかなぁ。

背景の緑は、いろは紅葉の新緑。

桜の根元は、宴会の真っ盛り。
人を入れないようにし、看板も避けるとなると・・・フレーミングできる場所も限られる。
残念ながら、「監視カメラ作動中」の看板は、避けきれなかった。・・・・撮影しているのを、監視カメラに記録されてしまいました。盗撮できませんね。

先日見つけた撮影スポット。大崎のタワーマンションとオフィスビル群。意外と近くに見えます。
「とごえの里」の花見です。
3時過ぎなると雨が降り出したので、退散しました。
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- 2015/03/30(月) 08:41:42|
- 桜
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「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」
毎年、同じように桃や李(スモモ)の花は咲くが、見る人は年ごとに変わっていく・・・
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50年以上前、まだ紅顔の美少年??だったころ、高校の授業に漢文の時間があった。
先生は年配のちょび髭をはやしている方だった。
「行逢落花長嘆息」 可愛らしい乙女だって、落ちていく花を見て嘆息、容姿の衰え恐れている。
「伊昔紅顔美少年」 彼だって昔は紅顔美少年、今は、「半死白頭翁」となってしまった、憐れんでくれよと・・・
生徒は神妙な顔をして、授業を聞いていたが・・・先生のチョビ髭顔を見て、内心にやにやしていた。
あのちょび髭が・・・紅顔の美少年!?、美しい乙女との恋愛??
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先生の年齢を、もうとうに超えている。若い時実感できなかったことが、少しずつ分かるようになった気がする。
先生からは、遅すぎると、怒られるところだ。
中国で花といえば、梅だろう。桃や李もはいるのかなぁ。牡丹も好きなようだ。
日本なら桜だろう。
毎年、この季節になると、桜の花の撮影をしている。もう撮り尽くした、今年はもういいだろうと・・・思っていても、開花の声を聴くと、うずうずしてしまう自分がいる。
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3月26日 東京にも桜前線が上ってきた。

まだ、開花しない桜もある。日当りのいい桜は3分咲きか、すでに遊覧船が目黒川を登ってきていた。

目黒川、それほど広い川ではない。両側の桜が咲くと、川面を覆い隠していく。
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3月25日(昨日)遠出。
桜を追う。
ここはどこでしょう?

実は、都会の真ん中、日比谷公園。

五分咲。暖かな一日で一気に開花が進んでいる。

公園内の一画に、B級グルメのフェスティバル会場ができ、沢山の人が出ていた。

会場を離れ、ベンチで缶ビール・・・それもいいなぁ。
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3月28日(今日) 地元の戸越公園を偵察。日比谷公園より、開花は遅いようだが、それでも三分から四分咲になっている。

桜の根元では、はや宴会が始まっていた。
ごちゃごちゃで見苦しいと、フレーミングでカットした。
空にある白い斑点、それは月です。
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目黒川、来週の水曜ごろには満開になるでしょう。
そうすれば、日曜は花吹雪、川面に花筏ができるかも・・・・
同日、隣接する文庫の森公園で、町内会の花見をすると言っていたが・・・
花吹雪の下の宴会も面白そう。カメラ片手に目黒川の花筏を追いかけるのも・・・いいなぁ。
年年歳歳花相似 歳歳年年人不同
どうしたものか?
- 2015/03/28(土) 23:17:30|
- 桜
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50年近く前から、西口にある「淀橋カメラ」に通っていた。どこよりも値引きが良かったから。
当時 西口は再開発が始まったばかり、淀橋カメラは、猥雑な香りのする駅前旅館の脇の道を入ったところにあった。
連れ込み風の旅館があるくらい、人通りもそれほど多いわけではない。
西口で、当時の面影を残すのは、今は「思い出横丁」という名前を掲げる、線路際の狭い一角だけになってしまった。
しかし、当時を知るものなら・・・「しょんべん横丁」と呼んでいたのでは?
いまそのあたりを歩いても、微妙に雰囲気が違っているのに気づく。こんなのとは違うなぁと思う。
写真を撮ってみたけど・・・納得できない。何かが抜け落ちている。
確かに、都会の異空間、戦後の雰囲気を残し、撮れば、それなりに フォトジェニック。
そういうところを好んで撮影する人もいるが・・・安直すぎないか?
「対象の力強さが写真の力強さでない」
止めおこう、対象の異様さに おんぶに抱っこの写真になるだけ。
記憶の「しょんべん横丁」を汚している気がした。
再開発された西口を散策する。駅前を外れると、人通りは少なくなる。

東口の地下街とは、かなりの差がある。
差というより異質といったほうがいい。

これが再開発なのかなぁ。

人が生活する空間ではないだろう。

通過するだけの空間かも・・・

都庁を撮影。思いっきり白黒のメリハリをつけてみる。異質な都市には、異質な焼き付けが似合う。
この西口再開発、都市計画として成功例だったのか?
住む場所ではないことは確か。
今、大崎は再開発中。そろそろ終わりかと思ったら、また新たな空き地ができ、工事が始まった。
西口のような空間ができたら・・・大崎に住む人、土地に愛着を持ち続けることできるだろうか?
- 2015/03/27(金) 10:02:00|
- 散歩
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ネットで調べたら欲しかった写真用品が、まだ「ヨドバシ・カメラ」の東口店に残っているという。
あるうちに購入せねばと、Minolta Hi-Matic Fを片手に、出掛けた。

新宿南口にでて、エスカレートを降りる。

どぎついというか・・・アメリカ風というべきか・・・これを表現するならと、白黒の対比を強調するようトーンカーブを調整してみた。

目的の写真用品を購入、裏口をでると行列が。
幸せ占いの人たちは、ほとんどが女性。 撮ろうと思ったが、顔が入る。嫌がるだろうと、後ろにまわり、一枚撮影。

西口のヨドバシカメラ本店へ行こうと歩いていると、どうぞ撮ってくださいという集団が。ここでも一枚。

3月21日は春分の日、新宿の町は歩行者天国になっていました。毎日が日曜の小生、曜日の感覚がなくなっている。
今は、太陽の輝き、頬をうつ風に、季節が移っていくのを感じています。
パラソルに春の陽ざしが降り注いでいました。
- 2015/03/25(水) 08:57:31|
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3月中旬 新橋を散歩したとき撮影したガード下の風景。レンガの質感に注目していた。

白いマスクの女性に眼が行ってしまったのか・・・縦位置のフレーミングになってしまった。

ここは以前にも撮影したことがあったと気づく。

撮影したときは気づかなかったが、看板の三人娘、真ん中の女性の顔の部分が丸く切り取られていた。顔を出して記念撮影するものだが・・・新橋は観光地? 浅草では見たことあるけど。

ガード下の煉瓦壁に外からの照返しの光が入り光っていた。見た印象より輝きは弱い。もっと輝いていた。どう撮影したらいいのだろうか?

フォトジェニックな場所だと思った。面白いものが沢山。
あれも入れよう、これも入れようと欲張ったら、統一感のない写真となってしまった。
写真は引き算と・・・また注意されそうだ。
次回散歩したとき、フィルム1本使い切る気持ちで撮ってみようか・・・・とも思う。
光は?午前中のほう、それとも午後、遅いほうがいいだろうか・・・
しかし、目星はつけても、そうはならないのがスナップ写真、見つけたときがベスト。
再度、同じ場所に立ち撮っても、最初に感じた「何か」が消えてしまっている。
撮るとき撮らなかったら、次はない。一期一会なのでしょう。
- 2015/03/23(月) 11:24:04|
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写真にとって傑作とは何だろう?と時々考える。
手仕事で作られた木製のカメラは、マイスターの作る金属製のカメラ(工芸品)となり、ついには大量生産の工業製品となる。
カメラには常にその時代の先端技術が組み込まれていく。
4Kの動画カメラができている。そのうち、8K、12Kのカメラも出現するだろう。
もはや「決定的瞬間」を捉える特殊な才能など必要なくなっている。
様々な撮影法が開発されてきた。逆光で撮る、夜景を撮る、窓際でとる、花を接写する、それなりにコツが必要な撮影だったが、それもカメラの進歩で、ダイアル設定で綺麗に撮れるようになる。笑顔を認識してシャッターを切ってくれるカメラもあるようだ。
だれでも、写せる時代。しかも写真は、同じものを無制限に複製できる装置だ。
無制限に複製できる写真に「傑作」という概念が結びつくだろうか?
傑作とは唯一無二の作品だろう。
写真コンクールで一番いいと認められた作品、それに類似した写真も沢山あったはず。
どれが特選でどれが落ちたか? 特選が傑作なら、落選作も傑作だったとしてもいいのでは・・・と思ってしまう。
結局、たまたま選んだだけなのだ。重箱の隅を見つめ、悪い点を見つける。ここに小さく小屋が写っている、目障りだから落選・・・そんなものだろう。
どう切り取るかで、写真は決まる。いい写真、傑作を撮ろうと意気込むと・・・なぜか、違和感を覚える。
所詮、写真は目の前の現実のコピーだろう。カメラは、ゼロックス(複写機)のようなもの、カメラマンに替わってカメラが現実をどんどんコピーしていく。
目の前の現実(客観)を写してるのはずの人間(主観)が、写真となった瞬間、こんどは立場が逆転、カメラ(写真)が主観となり、写した人間は客観となる。そんな馬鹿なと思いながら、衆目に晒されているような感覚を居心地の悪さを覚えている。これ、小生一人だろうか? Minolta Hi-Matic F を使いだして、そんな感覚が芽生えてきた。傑作という言葉は、写真になじまないなぁ・・・と思う。
クーデルカも写真集の序で、不特定多数の人に(展覧会)見てもらうのは、自分が(売春婦)であるような羞恥心を覚えたと述べている。そうだなぁと共感している。
カメラは、目の前の現実を全て捉えているわけでもない。フレーミングの前後左右上下にも現実の光景はつながっている。それをフレーミングし切り取っているに過ぎない。ノートリが基本だと思わない。トリミングしてもいいし、何枚かつなぎ合わせパノラマにしてもいいと思う。写真は撮っただけでは、まだ未完成、トリミング、焼き付けで 変化していく。古いネガを持ち出し、フィルムスキャナーでデジタル化し、トーンを調整すると、むかし印画紙に焼き付けていた写真と違う雰囲気の作品に仕立てることもできる。絵画でそんなことできるだろうか?
昔のネガを持ち出すこと可能な写真とは、常に未完なものかもしれない。

現在、フィルムスキャナーには、エプソンのF-3200という機種を使っている。
取り込みソフトのトーンカーブを直線にしてネガを取り込み、レタッチソフトでトーンカーブを調整した画像。
露光は、レンガのディテールを出したかったので、影の部分に合わせている。日の当たるところを主に考えたら3絞りほど露光を絞っただろう。陽の当たるところに対しては露光オーバーになっている。レタッチソフトで、白の部分を焼きこむような調整をした。

同じネガを、フィルムスキャナーで取り込むとき、白い部分が飽和しないようトーンカーブを調整し、取り込んでからは、ストレートにだした画像。こちらのほうが、レンガの材質感 少しいいかも・・・しかし、これは好みの問題。大した差ではないと・・・思うのですが、それを針小棒大に評価するのが・・・・写真コンテストかもしれませんね。

レタッチソフトで、取り込んだ画像の白黒の対比を強調すると、こんな写真ができてくる。
あとで、調整できるなんて、安易かなぁと思えど、10年後、もっと画像処理技術が進歩すれば、このネガから、すごい作品ができるかもしれない。やはり、写真は未完なのだろう・・・と納得する。

陽の当たるところに注目すれば、こんなトリミングが可能だろう。

白と黒を強調した画像からは、こんなトリミングもできる。
写真は現実のコピー、トリミングして何故悪い?と開き直っていた。
- 2015/03/22(日) 11:11:01|
- 写真の技法
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3月の初旬 新橋に出かけたとき 撮影した街の様子。
軽いMinolta Hi-Matic Fに手が伸びがち・・・・ようやくこのカメラの癖が判りだした。

このアングル、切り取り方は・・・定番かも。少し安易かなぁ。

神社入り口だけど、正面入口ではない。まぁ裏口でもないけど・・・都会の神社、ビルが敷地ぎりぎりまで迫ってくる。ビルの2階には、昼休み煙草を吸う人がたむろしていた。オフィス内は禁煙なのだろう。

10年くらい前、再開発の工事をしていた記憶が残っている。2,3年前に、この街が出現。足を踏み入れた瞬間、「アッ イタリアの町だ」と感じた。確かにイタリア街。
東京は世界を貪欲に取り込んでいく個性的な都市なのかなぁ。それとも見識のない無個性な街?
古い家並みも指定し、ちゃんと残していけば・・・個性的な、アジア的混沌都市になると思うのですが。

ファッション雑誌のロケ地に使えそうな場所です。
しかし、どうして みな縦位置でフレーミングしてしまうのだろう?
人が写っている写真に、縦位置のフレーミングが多い。
- 2015/03/21(土) 09:00:18|
- 散歩
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第二次世界大戦前、フランスに出てきたアンドレ・ケルテスは、マジックハウスにある歪んだ鏡に映る光景を写真に収めている。200カット以上撮影したところで、これ以上追及することないと止めている。戦後、フランスに残された原版は汚れ、修復は難しいと思われたが、
アウグスト・ザンダーの手によって修復されたという。・・・これは、小生の早とちり、修復したのは、「ザンダーの孫」とのこと。
ケルテスにしろ、ザンダーにしろ、世界の写真史に名の残る偉大な写真家。小生、この二人の作品、大好きである。
芯の通った人間性があり、知性的。 カメラの眼を備えているが・・・「写真を撮るのは、直感だ・・・」などとは、一言も語らない。実験的な撮影を多く行っている。
ザンダーは写真家。彼の写真のコンセプトと作品の出来の良さに、ナチは危機感を覚え、彼を迫害する・・・。
時の権力から怖れられた、あるいは時の権力に「否」を表明できた写真家、日本にいただろうか?
そんなこと・・・平和ぼけした小生、とてもできないが、
ザンダーを真似、じっくりと、ポートレートを・・・撮ってみたいと希求し、
硝子の窓などに、世界が映し出されているのを発見すると、ケルテスを思い出し、面白いと、シャッターを切る。



撮っていて・・・これ、近松門左衛門の虚実皮膜論?
近松が本当に述べたのか・・・伝聞の形で残っている。
現実(reality)をハッキリと描き出すには、実(写実)と虚(虚構:フィクション)の境が重要なポイントになる・・・ということか。

白黒モノトーン写真は、写した瞬間、現実(reality)の色彩は除かれ抽象化される。
写されたその瞬間から虚像となる。
でもそこにリアリティーを感じている。硝子の表面に広がる世界そのものが、虚なら、それをモノトーンで撮ると虚実の皮膜から、かなり離れてしまう。それで、リアリティーを感じるような作品を作るのは・・・確かに難しい。
ケルテスは200カット以上撮ったところで、それに気づいたのだろうか?

映し出された世界を表現するなら、デジタルカラーが最適かもしれない。
- 2015/03/19(木) 12:17:52|
- 映し出された世界
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夜の戸越公園を撮影したとき、暗くて何羽の鴨がいるのかわからなかったが、デジタルの長時間露光には、池の鴨の姿がくっきりと写しだされていた。
野鳥を追いかけて撮る趣味はないが、少し気になった。
そろそろ北国に帰る時期だろう、だいぶ数も減ってきた。
撮っておけばよかったか・・・と それからは気にして撮るようにしている。しかし、時期はもう終わりに近い。
昨日、撮影したものの一枚。

一時は池を覆い尽さんばかりいた鴨も、数が減り、数十羽になった。水は温み鯉の姿が目立つようになる。
銀鱗を光らせた白い鯉がゆっくりと池の縁に近づく。
この鯉と鴨、そして鋭い反射光は見えていた。
構図にどう生かそうか・・フレーミング(焦点距離・・・使い慣れないズームレンズ)、ピントはどこ・・・露光は・・・頭のなかでは、そんなことが 駆け巡っていた。
しかし、あと二匹の鯉の姿、見えていなかった。
現像が終わり、ネガを電灯にかざして見る。「アッ! 何か写っている。波のようにも思えるが・・・」
フィルムを乾燥し、直ちにPCに取り込んでみた。トーンカーブを調整し、底の鯉の姿を浮き出させる。
鯉は三匹いたようだ・・・二匹は見えていなかった。
眼前の光景ですら、思い込みで見ているのかも・・・・
自然は何も隠していない。隠していないのに見ようとしない。
偏見、思い込み、計らいで・・・目の前のことすら見えにくくなっているのかも。
見ているが、見えない。
見ていなくとも、見えてくる・・・ 本当に大事なものは見えないだろうが、見えてくるものだろう。
それを支えるのは、人間の知性/理性だろうと思う。知性は粘り強いもの。
「良いなと思たら、ぎゅっと直ちに撮る。直感が全て、ああだこうだ、つべこべ言っていたら、写真は撮れない。」
この論に、小生は与さない。知れば知るほど、面白いのが写真だから。
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池の鴨に注目し撮影しています。デジタル・カラーでもっと撮ておけばよかったか、PLフィルターを付けて撮ったほうが良かったか・・・反省すること多い。もうすぐ、鴨の姿、戸越公園の池から消えてしまうでしょう。
反省を込め、撮った鴨の写真、今整理中です。
- 2015/03/18(水) 15:00:32|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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都会の光は意外と複雑。ビルに当たった光線が、意外な場所を照らし出す。
モノトーンの写真は、光のグラディエーションが大切な要素。
光を求め眼を巡らすと、都会の光景が、ビルの硝子窓に反射し、今まで見たことない世界が広がっていた・・・面白い。
気づかないのか?人は足を止めることなく通り過ぎていく。いや、おそらく忙しいのだ。
見慣れた光景、そんなことかまってはいられない。
立ち止まって見つめているのは、小生のような暇人だけだろう。
見つけたら、勤めて記録するようにしている。

コントラストを付け、焼きこんでみる。異様な都会の光景が写しだされていた。

鴉が三羽、輪を描いて飛んでいた。
見上げるが、姿はみえない。
どこ??
鴉は、硝子の空を自由に飛んでいた。
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現実をそのまま記録するのが写真?・・・のはず。
時々、何を撮っているのだろうと思うことがある。
- 2015/03/17(火) 10:13:20|
- 都会の景観 Tokyo
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昨日アップした「渋谷駅前にて」の上段のストリップから5コマ取り込んでみた。
一番右の歩道橋を撮影したものは、渋谷へ下ってからのものなので外している。

なんで、青山のこの辺りを散歩する気になったか・・・と言うと、実は3月初め、甥っ子がここで結婚式を挙げている。招待状をもち、訪れてみると閑静な住宅地、中々フォトジェニック。
もう一度、確認しようと、カメラをぶら下げ、歩いてみた。
フランス料理のレストラン、写真を拡大し確認すると店名は「マイノワール・ディノ」 ランチ4200円~、デイナー8700円~と読み取れる。バカチョン・カメラMinolta Hi-Matic F のRokkor 38mm F:2.7はかなり優秀です。勿論 現在のデジタルで撮影したら、もっと鮮明に写ると思いますが・・・
こういうおしゃれなレストランが増えてきたのだろう。

レストランの隣に「白い家」(勝手にそう呼んでいます)がある。美容院のようだ。「美」の追求なので、安普請でケバケバした外装では、客は寄り付かない。かといって街中の美容院とも違う。
瀟洒な佇まい。隣の結婚式の新婦をターゲットにした? それだけでは、経営は成り立たないだろう。
この近くには沢山の洋館があり、宣伝写真などのスタジオ代わりに使われていて、モデルのヘヤァーメイクに使われているのではないだろうか・・・と想像してみた。

ミュージアムらしいが・・・何ですかね? コマーシャルフォトのスタジオとしても使えそう。

勝手に「秘密の館」と名付けてみた。

ママチャリがなければ、電柱を写さなかったら、ここが日本と思うだろうか?
ヨーロッパかアメリカの都市に紛れ込んでしまったような、気になっていた。
- 2015/03/16(月) 10:17:32|
- 散歩
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お散歩カメラと称して、町を散策。
目についたものを記録しています。
ネガ番号712、撮影したフィルムの一部のストリップ。
撮影の秘密を公開するようなもので・・・・出す人は稀でしょう。

前半部分には、3月5日新橋を散歩したコマが写っている。
これは2日後の青山を散歩したときの撮影部分。2回の散歩で一本のフィルムを使ったことになります。
青山の住宅街を歩いているときは、目に着いた洋館を撮影しているが、
帰宅しようと坂を下り渋谷の駅前に来ると、やはり人が好き、スナップ写真を撮っていた。
人物の写っている後半の4コマを取り込んでみた。

ノートリミングを基本にしていますが・・・・微妙にカットしています。

「これが有名なスクランブル交差点」と外国の方が、デジカメを構える。そこをスナップ・・・しようとしたら、男性の姿がファインダーに入ってきた。この男性が歩いてこなかったら、構図が完成したのですが。まぁ、これがスナップです。

三者三様の待ち姿が面白く、そっと撮影。顔を写さないようフレーミングし、パノラマ風にトリミングしてみました。

人物に注目したスナップ写真、どうしても縦位置のフレーミングになりがちです。へんですかねぇ?
数分の撮影で終了。そのまま山手線の改札口に向かい、帰宅しました。
- 2015/03/15(日) 09:36:49|
- 散歩
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夜の白梅を撮ろうと悪戦苦闘していたとき、帰り際、撮影した夜の戸越公園。

広角レンズがついていたので、樹と空の対比でフレーミング。隣接する戸越小学校の夜間照明に、高い樹が白く輝いていた。他の木々の葉の緑は暗く、色彩を感じない。空は色を失いグレー、雲は白くたなびいていた。肉眼で見た印象とは大分異なる。 総天然色カラー?

数日後、PLフィルターをつけて撮影。時間的にはやや早く、まだ陽が完全に暮れたわけではない。校庭からの照明も相対的に少ない。PLの効果か、空が異様に青く写っている。右の白い点は金星だろう。これも肉眼で見たのと違う印象をうける。
テクニカラー?とか総天然色カラー、どのメーカーの宣伝文句だったか。肉眼では見えない色が見えている。作られた色なのかなぁ・・・デジタル画像は正確に色を記録している、いや、これが現実の色だろう。人間に合わせ色温度補正しているだけ・・・とすると・・Seeing is blievingは疑いのあるフレーズだなぁ。

池の部分は暗いが、肉眼では鴨がたくさんいるのを確認できた。しかし液晶画面には映り込みの街灯の光の筋が見えるだけ。暗い。オートフォーカス効くだろうか? 超広角レンズ、f:8まで絞ればパンフォーカスだろうと、シャッターを切った。2枚のうち一枚はピンボケ。これは救かった。

f:8まで絞ったら、液晶画面が真っ暗。ピント合わせもできない。Sony NEX-3、 30秒以上の長時間露光はできないようだ。カメラに拒否された。f:4まで開けて撮影。それでも液晶画面でピントを合わせるのは難しくなっている。
フレーミングもままならない。えいやとシャッターを切った。
しょうもない写真を撮ったが・・・予期しないものがはっきり写っている。思わず笑ってしまった。
キケン!!池にはいるな・・・池の魚をとると窃盗罪・・・!!
夏の朝、戸越公園に来たら、大人が池で泳いでいたのをみてビックリしたのを覚えている。
昭和30年頃だろう。
寝苦しい夜だったのか、涼を求め泳いでいたのかもしれない。
寝汗を流していたのかもしれない。まだ日本が貧しい時代です。
それでも夏の早朝、意外とのんびりと豊かな時間が流れていました。
七輪を持ち込み湯を沸かし、ベンチに老人が数人、朝のお茶を飲んでいた。
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池の周りに鉄条網の柵が有っても、広げられ、子供なら自由に行き来がでるようになっていた。子供の数は圧倒的に多い。抑えることは無理でしょう。当時男の子はみな半ズボン。池に入り、クチボソ、ヘラブナ、ザリガニを捕まえていた。危険とは誰も感じていない。溺れた子など一人もいない。
ズボンまで濡らし、家から替えのズボンを母や祖母に気づかれぬよう、そっと持ってこさせることもあった。(兄に命じられ、家からズボンを持ってきたのは・・・小生です。)
これなら、あのころの子供はみな窃盗罪になる。
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当時のざわめきが、当時の池の様子が見えてくるような、幻視、幻聴を感じてしまった。
歳、とり過ぎてしまったか・・・・
- 2015/03/14(土) 11:51:34|
- Night walk in Tokyo
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MonochromeX展の帰り、
渋谷駅近くで撮った写真。
小さい頃はよく渋谷に遊びに来ていた。
東京文化会館ができたとき、屋上に銀色に光るドームがあった。プラネタリューム。
天文少年だった小生は、級友を誘い、何度も星空を見にドームに通った。
その文化会館もなくなり、新しいビルに建て替わっている。
東横線のホームも地下に潜ったことを聞いていたが、
確かに工事用の塀に囲まれ中を伺うことできない。
再開発で駅前は雑然としていた。変化の激しい街という印象が強い。

「時を掴んだ」歌手というのは、すごい。
時はどんどん過ぎていくが、ともに同じ空気を吸い、生き、思いを共有した感動が、今も消えず心に残っているのだろう。
残念ながら、小生にはそのような歌手はいなかったが・・・・

数年前まで、このどぶ川が「春の小川」に歌われた渋谷川だとは知らなかった。
以前見たときは、水が底を流れていたのですが・・・・今は乾いている。
渋谷の街を流れた春の小川は、蓋をされ暗渠となり、その上に渋谷の市街地が立ったのだろう。
その後、地下の再開発工事が進み、水脈は断ち切られ、巨大なチューブの下水管に変身したのだろうか?
地上に残った春の小川、いまは単なる雨水溝になってしまった。
時が過ぎれば、全ては忘却の彼方、尾崎豊も、春の小川も・・・しかし、見えないものでも想像する知性があれば、春の小川も、尾崎豊も見えてくるはず。

東横線のプラットフォームがあった場所らしい。JR山手線のホームが見える。

ホームに注目するなら、パノラマ風にトリミングするのがいいと思う。
都市のコンクリート構造に注目するか、プラットホームの人影に注目するかで、レンズの選び方、フレーミングに違いが出る。面白いところだなぁ。もう一度、今度は交換レンズ持参で来てみようかという気にさせてくれる。

でも、やっぱり、スナップ写真が好きだ。縦位置でフレーミングしてしまうけど。
- 2015/03/12(木) 09:12:36|
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この頃は散歩にミノルタのHi-Matic Fを持ち出すことが多い。
特に電車に乗り、離れた場所に行くときは、軽く小さいカメラのほうが楽だ。

有楽町で降りる。今まで気づかなかったが改札口を出るとスタバックスがあった。記念だと一枚。

駅前、お父さんが息子にアイスクリームをあげている。いいなぁと思う。
息子が小さい頃、こんなことしてあげたか?仕事が忙しく、あまり遊んであげた記憶がない。

横位置で撮るほうがスナップ写真向きと思うが、人物が入ると縦位置のフレーミングになることが多い。
どうしてだろう?
縦位置で撮ろうとすると、一方の腕はあがり、如何にも「写真撮りますよ」のポーズとなる。
自然な姿を捉えようとするなら、そっと気づかないよう横位置でシャッターを押すべきなのに・・・

これは、人の姿を意識していない。主眼は新幹線。後姿の二人をシルエットで抜けばいいと思ってシャッターを切っていた。

丸ノ内・中通りの「招き牛」。
勤めていた会社の本社が丸の内にあり、この辺りはよく歩いた。といっても20年ほど前の数年に限られる。改めて歩くと、当時と様変わり。外国の有名ブランドのおしゃれな店舗が増えている。

クーデルカはプロになる前、劇の宣伝写真を撮っている。
Experiment 彼にとっては実験。しかし反響は大きい。演目を撮っている(宣伝の)だけでなく、劇場の精神を撮ったと評されいる。小生もそう思った。クーデルカ展で見たEXperimentの作品群には圧倒される思いで今もいる。
「丸ノ内の精神」とはなんだろう?

コントラストをつけて焼きこんでみる。こうでもない・・・・

ピントを外して写してみる・・・童話的な画像が浮かび上がる。しかし、こうでもないだろう。
時代の精神、場所の精神・・・見えない何か・・・に感応できるのが優れた写真家なのだろうなぁと思う。
奇をてらった写真は、やはり生臭い。
- 2015/03/11(水) 09:16:38|
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古いブローニー判のマミヤ-6で、夜の梅を撮影。フィルムを入れるとき斜光板の一枚を動かしてしまったミスに気づかず、サイズが6×6でなく さりとて 6×4.5でもない、6×5.2という変則的なサイズで撮影してしまった。
フラッシュ端子はついているが、ストロボがまだない時代のカメラなので、同調しません。シャッターが開ききらないうちに、ストロボは発光してしまいます。M級やF級、FP級のフラッシュバルブが使えるカメラです(もう手に入らないでしょう。)。

古い蛇腹のスプリングカメラ。
蛇腹なので内面反射は抑えられるだろうと期待したのですが、強烈な街灯の光がカメラに入ると、全体のコントラストは下がり、眠い写真になってしまった。(一つ勉強)
この樹の影から撮影したものが一番クリアーに写っていました。

露光時間が2分あるので、ストロボを持ち、樹の周りで、三回強制発光させました。
2年ほど前、同じ戸越公園の「百日紅(さるすべり)」で試した技法です。
レリーフのような・・・弱くソラリゼーションしたような効果がでます。
ちょっとコントラスが足りていません。街灯の強烈な光を避けるフードが必要でしょう。
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T-MAX100のブローニーフィルム、先日 有楽町のビッグカメラへ行き見たところ、5本パックで4500円くらいに値上がりしていた。これでは、そうそう撮れるものではない。より一層慎重にシャッターを切らなければ・・・
ネットで調べると、TRI-X 100フィート缶が35290円!! 去年暮に12000円くらいだった。2年前は6000円台で高くなったなぁと、その時しょうがなく4缶購入。まだ冷蔵庫に三缶残っている(今買ったら10万円! 誰が買う?)。
TRI-X、数年前は4000円台だった。
コダックは100フィート長巻をなくす方向なのだろう。36枚撮りパトローネ入りフィルム(1000円ほど:2倍になったけど)のほうが、ずっと安くなってしまった。(100フィート缶は36枚撮り20本とほぼ同じ撮影枚数になる。)
まぁ、富士フィルムもそうだったけれど・・・
ヨーロッパのフィルムに換えざるをえないかなぁ。
- 2015/03/10(火) 10:35:44|
- 樹、草、花
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白梅をくっきりと写したい。
バックは暗いほうがいい。
梅を見下ろせ、バックが黒い土塊、あるいは水面(池など)だといいが・・・ そんな場所ある?
青空をバックにする? ありきたりか。
そうだ、夜空をバックにすればいいだろう。ということで、テスト撮影をしていた。

3月5日の日の入りは17:39分。
日の入り後10分も経つと空が急激に暗くなっていくの感じるようになる。
13分後の撮影。白梅、まだ浮かび上がってこない。

20分後 まだ空には光が残っている。
白梅がくっきりと浮かび上がってきた。
PLフィルターをつけたら、空をもっと落とせるかも・・・・

36分後 空は暗くなり、街灯の光に白梅が照らし出されている。色温度を3200°Kまで下げたが、緑がかった色は残った。
白梅に何を感じ、どう表現(撮る)するか・・・個人の感性(知性)の問題にはなる。.
個人の感性を磨くのはその人の知性だと思う。そして今度は知性が、その人の感性となって表れてくる。
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夜の梅、撮影は、日没後30分、その前後わずか10分程度のタイミングになる。
色変換フィルター(エンハンサー)、PLフィルター、ストロボ照射・・・・どんな技法で臨むか・・・(理論・理屈で)考えるべきことは多い。
- 2015/03/09(月) 10:38:26|
- 写真の技法
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写し方を試すとき、あるいは季節を感じる風景を撮りたいと思ったとき、戸越公園へ行く。

「寒」を撮ろうと、白金の自然教育園で「風と氷」に悪戦苦闘していたころ、その練習を戸越公園で・・・その中の一枚。
今、見直すと、その後畠山美術館で観た「琳派」の影響を感じる構図です。意識しないでも・・・染みついているのでしょうね。困ったものだ・・・

2月末、まだ北国へ帰らない。
たくさんの鴨が、池で泳いでいた。野鳥を撮る趣味はないのだが、(感性の欠如か、撮る必然性を持ち合わせていない)激しく水しぶきを上げる姿に、シャッターを切っていた。

3月4日 暖かくなったが、まだ帰らない。珍しくこの日は、135mmの望遠レンズ付カメラを持って出た。
夕方の斜光が鴨に当たる。f:8/125秒が鴨には適正露光、水面のディテールまで出すなら二絞り開けたほうがいいだろうと思った。普段ならf:4/125秒を選ぶところだが、水面を暗く落とそうと思い、f:8/125秒を選んだ。(f:4/500秒では、後ろの鴨はぼやける)
そして、やや押し美味の現像をした。狙いとおり。
写真を撮るのに・・・理屈ばかり・・・で撮っています。
理屈はいらない!!といわれても、直感で撮るほど感性は豊かではありません。
鴨までの距離は2mぐらい、レンジファインダーカメラだが、KievⅡ、ContaxⅡa、S型ニコンの距離計精度は高い。135mmレンズでも、ピントはしっかりと合う。

135mmの望遠付カメラを持つと、眼まで135mmになるのか・・・気づかなかった構図を発見する。
戸越公園から、大崎駅のタワーマンションとビジネスビルが見えることを発見。
こんなこともあるのですね。
- 2015/03/08(日) 22:41:48|
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穏やかな晴天に恵まれました。
集まったのは遊び盛りの老人四名。(四匹ではありません)
梅は難しいと言いながら・・・嬉々として梅と戯れていました。

こういうありきたり構図ではだめだろう・・・と思うのですが、果たして、新しいアングル(フレーミング)を発見できたでしょうか?

マクロができるレンズなので近づき、青空を背景に内蔵のストロボを焚いて、花弁が暗くならないようにしましたが・・・・
変ですね。色被り?? ストロボの光、色温度は6000°Kを超えるのか?紅梅がピンク色を帯び、桃の花のようです。

微かに空の光が差す花弁をクローズアップ。ストロボは使っていません。
紅梅なのですが、ピンク色。どうなっているのでしょう?また疑問が一つ増えました。

梅は枝ぶりをみる。白梅は問題ない発色です。

紅梅の枝ぶりですが、ストロボを発光させています。ストロボの光の届く大きな花弁はピンク色に、小さい花弁(遠く)は暗く赤い。やはり色温度かなぁ。


やはり、梅の撮影は難しい。梅の枝ぶりを捉えるなら、白黒モノトーンのほうがいいのかも。

これは、レンズ交換して 撮影してみました。
3枚レンズ(トリオーター)のPAM Britar 105mm F:4.5を使ってみました。ライカLマウントの古いレンズです。
梅の香は充分堪能できましたが、残念ながら 梅の香のする写真は撮れませんでした。まぁ永遠のテーマでしょう。
- 2015/03/07(土) 19:28:04|
- Photo彩遊
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梅の有名なスポットはたくさんある。
そこへ出向き、プロのカメラマン写した構図に似せて撮影すれば・・・今はデジタル・・・美しい梅の写真ができるだろう。
しかし、それでは面白くない。見慣れた写真が並ぶことになる。まるで金太郎飴。
「対象の美しさが写真の美しさでないこと、
対象の力強さが写真の力強さでないことをくれぐれも忘れないで欲しい。」
土門拳の警句。
そうだなぁと思う。
咲く時期、天の運行、気象 ・・・ 身近の梅を見て何かを感じたなら、写すチャンスはある。
よし、撮ってみようと思う。
ベストなフレーミングと、「その時」を見出すのは知性だろう。
良いと思ったら、撮ればいい・・・とはいえ、光を感じたら、天体の運行を計算せざるを得ない。その計算法(理屈)はわかっている。天気予報を見る。日の出、日の入りの時刻、予想はできる。知性を働かせるべきだと思う。

結果が思わしくなくとも、それでいいではないか、経験値が上がったと思えばいい。
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戸越公園には4本ほどの梅の樹が点在し植えられている。
小さな紅梅の樹は、ようやく咲き出したところ。
梅を写すのは難しい。
明日、写真クラブ彩游の有志と、池上の梅園へ行くことにしている。
おそらく園内は、梅の香に満ちていだろう。
撮れなくとも、香りをかぐだけでも、良いと思っている。
- 2015/03/05(木) 23:16:59|
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Sony Eマウントのズームは持っていない。持っていたが・・・息子にあげてしまった。
仕方ないので、マウントアダプターを買い、古いニコンFのズームレンズを付けて使っている。
ピントは液晶画面で合わせる。ちょっと老眼には厳しくなってきた。
絞り優先で使っている。昼のごはんを食べてから、カメラ片手に散歩することが多い。グズグズしていると夕方となる。斜光のほうが写真写りがいいから・・・と細君には言い訳している。

戸越銀座通りを歩き、東急・池上線、戸越銀座駅の裏道を抜け、星薬科大学の方向へ足を進める。

途中の民家、これ何? 面白いので一枚撮影。

カーブミラーに映る民家。一部を切り取れば、西洋の大豪邸(マンション)のよう。

中原街道に掛かる歩道橋があった。登ったら面白いアングルでもあるのか登ってみたものの・・・ありませんでした。
でも、この歩道橋を渡るのは初めてと、記念に一枚。白黒フィルムの癖が抜けず、逆光を狙ってしまいます。

中原街道を五反田方向へ歩いて見つけた神社。気には止めなかったが、改めて確認、荏原金刀比羅神社。
金比羅でなく、間に刀字が入っている。表記は違えど・・・「こんぴら」でも「ことひら」でも同じらしい。
日本の神様は、かなり寛容。
- 2015/03/04(水) 12:00:33|
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寒い日だったことを、思い出す。
彩游の仲間二人と落ちあい、CP+を見学した後、夕景を撮ろうと、赤煉瓦倉庫街に移動した。
年寄り三人、震えながら撮影。20分もすると、モールに飛び込み暖をとる。
最初の一回目は、持っていったデジカメで、
次の二回目は、マミヤ-6を使い白黒フィルムで撮影した。
1953年製のスプリングカメラ、レンズはオリンパスのD.Zuiko 75mm F:3.5、シャッターは精工舎製。まだまだ若者の部類、嫌な顔一つ見せず遊んでくれる。
しかし老体はそうもいかない・・・8カット撮ったところで、寒さに負け、第3回目はGive Up 。
結局ワインとチーズの祝宴になってしまった。

コダックのT-MAX100好いフィルムだと思います。非常に銀粒子が綺麗。
だが、今まで数えるくらいしか使ったことない。3度目ではないだろうか。

去年の秋、もう少しマミヤ-6を使ってみようと、T-MAX100 5本パック二箱購入した。そのまま冷蔵庫に保管してある。
やはり、6.6の大きなネガサイズはいい。
2Lにプリントすると、レンガ倉庫の左に三脚をたて撮影している女性の姿が小さく写っている、肩には大きなバックが掛かっていた。半切くらいに伸ばしたら・・・好いだろうなぁと思う。

写真は最終的には、紙に焼いて(プリントして)見るものだろうと思う。
これは時代に取り残された老人の、独りよがりな考えかもしれません。
この頃の写真の楽しみ方は、液晶画面で見ることに移っているようだ。
4Kや8Kのテレビが普及すれば、PCのモニターの画質が上がり、そうなるのかも・・・・
細かなディテールが奏でる画像の深さに感動する・・・これを味わうのが・・・写真だろうと思う。
ならば、モニターの性能が上がれば、いいはずである。
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このごろは、写真展を観に行くことが多くなった。
直にオリジナルプリントを見る。良いものです。いろいろな発見がある。写真家の努力の跡が伺えます。
なんだこれ、と失望することもあるが、好いプリントに出会うと、しばし見とれる。
どのように撮ったか、その秘密を探ろうと・・・している自分がいる。
そのうち、写真展の展示も、液晶の画面に替わっているかもしれませんね。
眼を近づけ、秘密を探ろうとしても、液晶画面では判別不能になっているだろうなぁ。
- 2015/03/03(火) 15:12:22|
- 散歩
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2月11日に撮影した品川宿、正徳寺。
21mmの超広角レンズで切り取った。

2月27日 バカチョンカメラ Minolta Hi-Matic Fで撮影。それでも良いカメラだと思う。
38mmのやや広角レンズがついている。
時間的には前回(2月11日)より30分ほど遅い時刻の撮影。レンガ壁は既に日陰に入っていた。
空に三日月が掛かっていた。この月に美しさを感じるか、不気味さを感じるかは、その人の感受性、生きてきた経験によるだろう。千差万別、何にも感じないで見過ごす人も、いるかもしれない。
写真を撮ると、写真に、その人の人間性が写ってしまうという。

月を入れるなら、このような構図を選び、フレーミングしがち。人間性に問題ありかなぁ。
撮影地は、南品川の海雲寺だと思う。
この辺りには、たくさんのお寺がある。
品川宿の古い民家の撮影が終わったら、お寺周りをしてもいい。
- 2015/03/01(日) 21:54:35|
- 品川宿
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