いい写真といっても、評価の基準は、あくまで小生の感性、ほかの人が見たら、顔をしかめ 「この写真のなにがいい?」と問い詰められると、答えるのに窮するが、森山大道の「アクシデント」展、心に残っていました。
露光に失敗したフィルムを、無理やり現像し、粒子を荒らしているようにも見える。
水平線は傾き、空は露光過剰で真っ白になっている。そこを無理矢理焼き付け銀粒子が印画紙を覆い、きたなく汚れる。
或は、ネガの一部をトリミングし、大きく印画紙に焼き付け、ぶれたり、ボケたりした写真が飾られていた。
美しい風景や街並みを撮ることが趣味の人や、綺麗な花を接写して喜んでいる人が、この写真展を見たら、「これ、写真?」と、そそくさと会場を出てしまうだろう。
しかし、なにか心に残る。無料だし・・・と最終日、再び新宿へ。

タイトルは「アクシデント」 1969年の朝日カメラにシリーズものとして1年間掲載されたという。その頃は、朝日カメラを毎月購入していたので、見ているはずだが・・・記憶にはほとんど残っていない。新宿騒乱(学生運動)を捉えた写真だけが記憶の底に残っていた。しかし1969年の朝日カメラだったか?
この場所で、あの騒乱はあった。最初のころは、政府への抗議に、集まった青年が、ギターを抱え歌をうたう集会だったが・・・・
朝日カメラの要請で、森山氏は、その騒乱を撮影している。彼自身は右でも左でもない。カメラをもつジャーナリスト。この騒乱をカメラに収めておきたいと、思っていたのだろう。しかし、口汚く罵られ、蹴飛ばされ、写真のシャッターを押すことを、止めようとする機動隊(警察)に、表現の自由、人間の尊厳を踏みにじられたような、屈辱を覚えたという。
自分の存在そのものを否定された気分だったのだろう。
・・・俺はカメラマン、カメラを手にした以上、記録していおくべきだという信念があった。
ことの善悪は歴史が決めること、撮るべきだと、小生も思う。
クーデルカも、プラハの春を撮っている。それがため、国を追われている。侵攻してくるソ連の戦車に(政治的に関心なくとも)カメラを向けていたと語っている。
兵どもの夢のあと・・・今、西口広場は集会禁止になっている。集まらざるを得ないような、政治情勢にないということでしょうか?人々は、足早に、広場を通り抜けていく。

1969年 当時都庁は有楽町にあった。ここは淀橋浄水場、すでに壊され、整地作業に入っていただろうか?
西口に出るのは、淀橋カメラに、写真の機材を買いにくるだけ。駅前に連れ込み旅館と思しき建物があり、その横道に、ヨドバシカメラはあった。何処より安く買えるので、そのころから有名でした。間口は2間か3間、ガラスの引き戸を開けて中に入ると、カウンターがあり、必要な品名を云うと出してくる形式だったような記憶が残っています。その後、カメラは爆発的に売れ出し、いつしか、旅館は、ヨドバシカメラに呑み込まれていました。

今回のカメラは、ContaxⅡa 西ドイツに逃れたツアイスが、新しい設計で作ったコンタックスカメラ、戦前のコンタックスのレンズがそのまま使用できます。ただし、35mmのビオゴンは、レンズの後ろがぶつかり、つけられません。(S型ニコンは着けて問題なく使うことできます。)
レンズはコシナの作ったSC-Skopar 21mm F:4の広角レンズ。最新の設計なので、文句なくいいレンズ。欠点など、恐れ多く探しようもありません。収差がどうの、キレがどうの、周辺部は~~だなど薀蓄を語ること、小生にはできません。
森山大道の写真は、ニコンとミノルタのカメラで撮られたものが多かった。フィルムは全てTRI-X。広角レンズと望遠レンズ、それにポスターを複写した作品ではマクロレンズの55mm。ニコンの反射1000ミリレンズを使った作品もあった。
雑誌社からの借り物で撮影したのだろう。 撮りたいものに合わせ、レンズを選ぶ・・・
やはりプロの仕事だろうと思う。道具は使えれば、それでいいと、割り切るべきなのでしょう。
バカチョン・カメラと蔑まれた(軽んじた)フィルムのカメラでも、写真は撮ることができます。
改めて思うが、デジタルのソニーのNEX-3、家電品カメラと軽んじられようが、随分いいカメラではないか?
壊れるまで、買い替えは止めておこうかなぁと思う・・・・(しかし、できるかなぁ?)
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- 2014/10/30(木) 12:08:18|
- 都会の景観 Tokyo
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写大美術館(東京工芸大学)で、森山大道展が開かれているのを知り、出掛けた。
今年 2月初めにも、土門拳の掌の展示会があり、訪問している。その時と同じカメラ、同じレンズ、フィルムがKentmere400からFormpan400に替わっているだけ。
今回はわざと新宿の東口へでて、写大ギャラリーまで散歩した。

撮影した順序に並べました。
到着そうそう可愛いひとのお出迎えを受けました。こんな看板(広告)戸越の里では見かけません。さすが新宿。(液晶画面で次々に魅力的な女性が現れます。)

アルタ前で撮影。対象の帽子まで約2m、小生の腕では、これ以上近づけません。トリミングしました。ほぼ135mmレンズの画角です。レンジファインダーカメラの最短距離は、約1m、そこまで近づかないと狙った構図になりません・・・ やはり135mmかなぁ。それとも、声をかけて、撮影のお願いをすべきか。

地下道を抜け、西口へ。再開発のビルを歩く。
20年ほど前、まじめなサラリーマンだった時、何度かヨーロッパに出張したことがある。
ヨーロッパの舗道は、岩を割り四角のやや不揃いの石を、丁寧に敷きつけたものが多かった。そこに低い(緯度が高いので・・・)陽ざしが差し込むと、陰影が出て、重厚な趣が醸し出される。思わずカメラを構えてしまうが・・・
日本ではね・・・石造りの歴史の差をを感じるが・・・のっぺらぼうの舗道よりましでしょう。
とはいえ、彼の地で、その石畳の補修をしている人をみたら、移民してきた中東の人々でした。いつしか、重労働で低賃金の仕事を、避けるようになったようです。やがて移民の人たちと、ネイテブの人たちで、社會階層の分離が起き、不安定化するようになるのだろう・・・まだ、日本のほうがマシかなぁ。日本人、汗を流す仕事、嫌ってはいないと、その時、ぼんやりと思っていました。日本は職人に対しまだ評価は高いように感じます。(ただし、賃金はそれほどでもない。お金を左右に動かす人のほうが、裕福そうだけど・・・)
ニュースで、先進国からイスラム国へ志願する若者が出ているとの報道がありましたね。社会的な階層分離とその格差、グローバル・スタンダードの美名のもと、儲けに走る先進国の、アキレス腱になりそうな気がします。

こういう、捉え方でもしないと、キャッチーにならない。

熊野神社横の道を、清水橋へ降りていく。この道なんと呼ばれているのか?
ヨーロッパの町をさ迷い歩いたが、迷子になることはなかった。
ホテルでもらった地図を片手に、道の名を確認して歩いていく。交差する道路に出ると、そこには必ず標識が立っている。地図に記された名前と、標識を見比べれば、どの道を進むか明快にわかる。道に迷うことなく、目的地に着けた。
ただし、治安の悪いところでは、地図を広げてるのは厳禁の行為、脇の甘いお上りさん、カモにされてしまいます。すりに注意。
この通りの名前は何?でしょう。 2020年のオリンピックまでには、整備してほしいですね。

わんちゃんにピントを合わせたかったのですが・・・それでは人物がくっきり写ってしまうと・・・そんなこと考える余裕がありました。後ピンにして撮影。
恐れず、ピントを合わせるべきだったでしょう。
NDフィルターをつけ、絞りf:2 1/1250秒で撮影すべきなどとアドバイスされても~~スナップ写真にそんな心のゆとり、時間のゆとりはありません。

いい被写体だと、余裕をもって 3カットほど撮らせていただきました。そのうちの1枚です。

ご婦人を撮影し終わり、次は、角を曲がったビルの細い横道を撮影しようと準備する。細い道なので3~4絞り開けるべきと思ったが、白黒の対比を付けたかったので、2絞り分開ける設定をした。
歩こうとすると、ビルの陰から、子供が二人飛び出してくる。おそらく姉弟だろう。思わずカメラを向け、シャッターを切る。その間2秒程度だったろう、3秒もかかっていないと思う。シャッターを切りながら、露光オーバーだな、しかし、シャッターチャンスなら、どうであれシャッターを切るべきとの声が心の底から聞こえてくる。子供の顔に対しては、露光は適正だろう。(表情が出てしまう・・・誰と特定できるだろう・・・と思いながら、ピントを合わせていた。)
舗道に対し、2絞りは過剰でした。そのため、焼きこんでも、それほど舗道は暗くならない。子供の表情が隠れるまで焼きこんでみた。
意外と、この露光、正解ではなかったか?
遠くを歩くビジネスマンと二人の子供、明るい舗道に浮き上がっている。遠近感を感じるトライアングルになっている。

清水橋の交差点を右折、山の手通りを沿いを歩く。今年2月の初めに来た時も、このビルを撮影している。その時は、対面のビルの影は入っていなかった。面白いと、ここでも1カット撮影。2月撮影した写真と比べると、Formapan400のフィルムの特性がわかる。Kentmere400のほうが、小生の好み。銀粒子の粒状性が違っていた。定着時間が短く、それに安いのが特徴、使いたいフィルムですが・・・・。
Kentmere400 よいフィルムだったのですね。改めて思い知りました。今、見かけません。再度日本の棚に乗るようになたら、高い値札がついているのでしょう。
もうこの辺りは中野区に入っているでしょう。
神田川を渡れば、すぐに写大ギャラリーです。

約30分の散歩で到着。途中撮影しながらなので、少し時間がかかっています。撮影しなければ20分ほどでしょうか。
30分で18コマの撮影。家の周辺、撮りつくした場所の散歩では、2時間歩かないと撮れないコマ数です。
撮影会、あるいは、あまり散歩しない場所では1時間で1本ほどの写真を撮るので、平均的な撮影枚数です。
18コマ中10コマもブログに載せるなど・・・写真の上手な人なら、眼をしかめるでしょうね。
自分が気に入り、誰が見てもいいと思うもの1点に絞るべき。それが、写真上達のコツだよ。自分に厳しく審美眼を磨かないと、フィルムを無駄にするだけだよ・・・そんなアドバイスを聞いたような、聞かなかったような。
アドバイスしてくれた方、水平線が、斜めになり、空が白いだけになった森山大道の写真、どう評価するのでしょうね。
- 2014/10/27(月) 11:05:15|
- 散歩
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TRI-Xのフィルムが大幅に値上がりしたので、安いフィルムを探していた。
ようやく Formapan400の長巻100フィート缶を手に入れた。東欧、チェコ製のフィルムのようだ。
どんな写り方をするのか、テスト撮影をしている。
結果は、昔使ったNeopanSSSに似た写りではないかと思っている。
もっとも、ネオパン・スリーエスのフィルム、それほど使ったことはない。TRI-Xを使ったら、もう、Neopan-SS,-SSSには手が伸びなくなっていた。
まあ、しょうがない。フィルムの選択肢は限られてきた、その時のため、今からどんなフィルムでも使えるようにしておこう。
追い詰められたものの、最後の(悪)あがきです。
この街灯、以前から奇妙な姿に注目していました。視点を少しずらすと、また奇妙な構図が浮かんでくる。
思わず数枚撮影していた。縦位置はインパクトなし。まとまりすぎていては、強さがでない。

「対象の強さ/美しさが、写真の強さ/美しさになると勘違いするな」 対象の美しさ/力強さにおんぶに抱っこの写真など、恥ずかしい写真だ・・・・そのように土門拳の言葉を解釈してい(曲解している?)ます。
対象をよく見ろ、その本質を捉えろ、それがわかれば、それを表現するため最良の努力をせよ。撮った作品、気に入らなかったら、気に入るまで取り直せ。土門拳の作品を見ると、そんなつぶやきが聞こえてきそう。
う~~んどうするか?幹にピントを合わせ、f:11/125秒で撮影すべきだったかも・・・・バックはもう少しぼかしたほうがいいだろう・・・いや、もっと広角レンズで全体を撮影したほうが、この異様さを表現することになるのでは?
そんな堂々巡りの思いが交錯し、いつしかフィルムのテストのことなど、頭から消えていました。
フィルムの差異など本質的ではないのでしょう。まして、現在のレンズはどれも優秀、レンズの切れ、解像度云々などは、枝葉末節の薀蓄に過ぎないのかもしれません。
- 2014/10/26(日) 11:39:30|
- ???
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この画像、「大崎夕景を、傷だらけのゾナーで捉える(1)」に載せた画像の再録です。

評価の結果は芳しいものでなく、
「傷だらけのゾナー、やはりコントラストは低下している。タイルが汚く写っていた。」
というものでした。
一番上のレンズ表面に、細かな傷が無数あり、そこで乱反射し、画像にフレアーがでる。コントラストの低下は致し方ない。しかし、基本的なレンズの解像度は高いので、撮り方によると、画像に芯が残り滲んだようなソフトな描写力を発揮する。デジタルでテスト撮影したときは、そう判断したのだが・・・
フィルムを使った薄の撮影でも、白い穂は滲み、ソフトな感じに撮影できた。
なのに、どうして、この広場の写真は、こうも汚く写ってしまったのか??
何故だろう?考えても解答が思いつかない・・・ならば、実験と、NEX-3に傷だらけのゾナーをつけ、撮影した場所へ行った。

フィルムで50mmのレンズは、APSサイズのソニーのデジカメでは75mmに相当する。
f:2での撮影にもかかわらず、像の崩れは意外に少なく、しっかりと写っている。(現在のデジタルカメラのレンズとは比較にはなりませんが)
タイルも汚れた感じはなく、滑らかです。驚いたのはPのマークと、その上の矢印。
フィルムでは、Pのマークはざらつき、コントラストも低い、上の矢印はほとんど消えかかっている。
同じレンズなのに、この差はなに?

f:5.6まで絞ったら、車道の石、一つ一つまでコントラストの利いた画像になっている。光の当たり方かなぁと思えど、このレベルなら使ってみたいと思わせる。レンズに味がある。舗道を歩く女性の脚が2本だけ写り、あとはブレてわからなくなっているのも、不気味で面白い。

ピクセル等倍まで拡大してチェックするのが、デジタル時代の画質評価法のようである・・・それが好きな人もいるだろうが、銀塩の粒子で育った小生には、違和感が残っている。
エッジは丸まり眼に優しい感じがする。現在のデジタルカメラのレンズでは出せない味でしょう。しかし、ピクセル等倍まで拡大したら・・・・画像になっていないと低い評価を受けるでしょうね。

こういうぼけ具合、エッジに丸みがあるのが好み。「傷だらけのゾナー」とデジタルカメラの組み合わせ意外といいものだ。
「傷だらけのゾナー」・・・・、すごい!!と褒めたいが、褒めるべきはデジタルカメラの処理プログラムだろう。
写真の質(画質、クオリティー)を決めるのはデジタルカメラのプログラム、レンズの比重は下がっているとみるべきだろう。ジャンク品レンズでも、(小生が)満足する写真は撮れる。(フィルムでは無理でも)
デジタルの画像素子に当たった光は、フィルムに焼き付けられた画像と同じものだろう。素子上の電気信号を画像にするのは、内蔵されたコンピューターの働き、様々な画像加工処理をしていると推察する。ノイズは平均化され目立たなくなる。あるいはカットし、タイルは平滑さを増す。目地などの線は、まっすぐ引かれる。文字のエッジはくっきりと処理し、読めるようになる。
銀塩フィルムでは、銀塩粒子の不揃いから、線幅はバラツキ、タイル表面は不均一で滑らかさに欠ける。解像感はデジタルに及びもつかない。
更にデジタルでは、色合わせ、ピクセル単位のデーター補完、収差の補正、ボケのコントロールも可能だろう。
処理プログラムの良し悪しが、画質を決める大きな要素、ソフト作りがカメラメーカーの開発の中心になっているのだろうか?
純正のレンズなら、その癖をプロファイルしておき、ピクセル等倍でもOKとなるように画像加工(最適化と誤魔化す)を施すだろうと想像する。
画像処理プログラムは、人が作る以上、人為的である。さじ加減でいろいろなテーストを付け加えることはできる。
だから、「傷だらけのゾナー」でも、どうにか鑑賞に堪える画像となる。
それって本当の画像なの?どこまで生データで、どこまでが加工か?疑い深くなってしまう。
ライカのデジタルは高画質、さすがにレンズは最高だ。ニコンもいい、富士のカメラ、フィルムメーカーだけに、発色がとても綺麗。各社、各様のカメラを販売しているが・・・ちょいっと疑い深くなる。
騙しているのか、騙されているのか?
ブランドイメージは大切です。
高価なカメラ、よく撮れるに違いないという心理が働く。初心者向けと言われるデジタルカメラでも、画質は充分だと思うのだが、それでは、高価なカメラを選んだ見識が疑われる。少しの差異も見逃さず針小棒大に解釈し、薀蓄を語り、自分を納得させる・・・上手い販売戦略です。
「傷だらけのゾナー」が語るのは、そんな警告ではないかと思いました。古いレンズでも、意外によく写ります。それがデジタルカメラの良いところ。・
ようは、自分の目的に合ったデジカメを選ぶだけでしょう。
過去のオーラを取り除き、単なる画像変換装置と割り切れば、意外と冷静に判断できるのでは。
- 2014/10/24(金) 08:12:32|
- Night walk in Tokyo
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フィルム撮影に先立ち、デジタルカメラに「傷だらけのゾナー」をつけ、"Night walk in Tokyo"のテスト撮影を行っていた。
その時は、これなら可能ではないかという印象を受けていたのですが・・・・

夕暮れ時、大井町を散歩していた。夕日が残り空はまだ明るい。
f;5.6まで絞っている。最新のレンズなら、眼に痛いほどくっきりと写るのだろうが、輪郭は丸まり、全体にぼんやりとした印象。却って夕方の感じが出ているのではないだろうか?ノンコートレンズなので、街灯の明かりが滲んでいるのもいいと一人納得。

少し暗くなったので、絞りをf:2にする。カメラの設定は、絞り優先モードにしてあります。露光(シャッター速度)は自動でカメラが合わせてくれます。
なんということない光景ですが・・・・撮った当人がびっくり。~~~へぇ~こんな風に撮れるんだ。
おそらくカラーフィルムで長いこと撮られた方なら、小生の感想納得してもらえるのではないでしょうか?
現像ソフトのD-オプチマイザーを使用し、暗部を浮き出し、明るい部分を抑えたのですが・・・ここまでできるとは思いませんでした。舗道が、空ほど明るくなり、歩く人の姿が浮かび上がってきました。舗道壁の暗さ、ビルの明るさも申し分なし。
これは・・・フィルムでは撮れないなぁ~~「傷だらけのゾナー」のノスタルジックなテーストが加わり・・・見どころもないありきたりの写真だが、これ傑作では?と一人ほくそ笑んでいます。

手持ちで1/6秒は無理な話、手振れしています。
まぁそれでも世紀末のPictorial Photo風に撮れているのでいいだろう。
写真に対する判断/評価基準はかなり緩い。面白がれればそれでいい、「傷だらけのゾナー」を手に、遊ぶことばかり考えている軟弱な老人です。

これなど、もうすこしで、"Night in Tokyo"になるのでは? あとは、一声かけられるかどうかにかかっている。
- 2014/10/23(木) 11:11:57|
- Night walk in Tokyo
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戸越公園の「すすきの穂」をテストで撮影し、f:4程度まで絞ればソフトだがしっかりとした描写力があり、穂は白く滲むように撮れることを確認した。
これなら、夜景も滲むようなソフトな写真が撮れるのでは?と、夕方の大崎を散歩して、写真を撮ってみた。
結果は、思わしいものではなかった。

白のセーター、白のスカート(セーターは白でしたが、スカートの色、記憶に残っていません。)は、白く滲むように撮れましたが、舗道や階段の調子が汚く出ています。手すりの輝いた部分、白とびしています。
コーテングしたレンズであれば、舗道は、しっとりと(コントラスト高く)手すりの輝き部分も白とびしなかったでしょう。傷だらけのゾナー、解像度は、それなりにあると思うが、コントラストはかなり低下しています。
20分後、同じ場所で、もう一枚。

舗道の汚らしさは、どうしょうもなし。コントラスト不足でしょう。これでは、ソフトフォーカス効果を期待したポートレート撮影は無理ですね。

逆光気味に撮影したら、ハレーションで・・・コントラスト云々など言えたものではありません。
デジタルでテストしたときは・・・ソフトな感じに写せたのですが・・・どうしたものかと・・・悩んでいます。
- 2014/10/22(水) 19:05:12|
- Night walk in Tokyo
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夕食前、カメラをもって大崎のGate Cityの前に立っていた。
フィルムは、入手できた100フィート長巻缶で一番安価だったFormapan400 これとて、いつ値上がりするかわからないが、とりあえず購入し、テスト撮影をしている。昔のネオパンSSS(スリーエス)に似た粒状性であった。

Gate Cityの入り口近くのテラスから、下の広場を見る。タイルの紋様が面白く、撮影することがある。人の歩く姿が好い位置にくることを願うのだが、なかなかいい瞬間には出会えない。クラッシック・カーが止まっているので撮影してみた。
傷だらけのゾナー、やはりコントラストは低下している。タイルが汚く写っていた。

広場へ降りるエスカレーターに乗る。

振り返ると人の姿が・・・思わずシャッターを切る。
白いスカートでも履いていたら・・・汚辱に溢れた地上に降りていく清らかな天使のイメージになるかなぁ?

車には詳しくない。おそらくアメリカの古い車だろう。天使を乗せるため待っているのか?そんな想像をしていた。
広場には、小さな水場ができていた。

シュール感はある。
子供あるいは若い女性の姿が、タイルの歩道にシルエットで映り込んでいたら、キャッチーな写真になったのだろうが、夕食時、この前を歩く人影はなかった。

水路の一つを写した写真。これが、この撮影でのお気に入りの一枚。何が撮れているかよくわからないのが良い。
- 2014/10/21(火) 10:45:44|
- Night walk in Tokyo
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夜の町をどうとらえるか・・・
パリの夜景は、戦後ドアノーも撮影している。カメラが進歩し、フィルムの感度も上がっている。
書棚からパリを写した分厚いドアノーの写真集を出し、"The secret Paris of the 30's"と見比べる。ドアノーのパリの夜景は、主に1950年代に撮られたものとわかる。
確かに違うものだなぁと、感嘆する。
格段に、尖鋭度が上がり、隅々までピントがきりっと決まっている。フラッシュも、マグネシウムを焚くものから、フラッシュバルブになっているのだろう。
カメラの機能は上がり、一瞬の表情をとらえることができるようになっている。
確かにうまい。戦後のパリが写しだされていた。
ブラッサイのパリは、1930年代・・確かに時代は移っている。
ブラッサイと比較しての話ですが、きりっとしまった映像のドアノー(快活、希望を感じる)より、ブラッサイ(成熟し、退廃を感じる)のパリが好きだ。
何が違うのか??
ピントの合ったところの解像度は高いが、全体にボーと霧がかかっているような印象が残る。それが、多少淫靡でロマンチックなパリの夜を描き出すキーポイントではないか?と思い至った。
~~~ん、それなら・・・・「傷だらけのゾナー」の出番だろう。
1934年製のブラコン時代のゾナー50mm F:2のレンズ。一番上のレンズに細かな傷が入り、すりガラスのようになったレンズ。本来はジャンク品で、誰も使おうという気にならないレンズ。ひょんなことから手に入れ、ソフトフォーカスレンズの代用(代用にはならないが)で使用している。
思い立ったら、すぐに、カメラにつけ、近くの戸越公園へ行き、薄を撮影してみた。

比較として同じゾナーの50mm T F:1.5を使用した。 1939年製、戦前のTコートレンズです。(コーテングはツアイスの発明、戦前独占し、他社のレンズにコーテング付はありません。) 現在でも十分通用すると思います。(と勝手に思い込み、撮影に使っています。)

f:8まで絞っていますが、薄の穂は、滲んだように輝き、遠方の樹はボーと霞んだ感じが出ています。面白い。これなら、東京の夜景を撮ってみても面白いのではないだろうか。
現在の高機能(高価格)デジタルカメラの高解像度、高コントラストレンズでも出せない味になっていると一人にんまり。

近くの幼稚園の子供たちが、池に飛来した鴨を見に来ていました。すこし、オーバー気味に写しました。
服が滲んだように輝いている。輝かしい未来へはばたく人たちです。(~~ん、若いとはまぶしいものですね。)
- 2014/10/18(土) 22:28:35|
- オールドレンズの密かな楽しみ
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夕食の前、デジタルカメラで撮影した大崎の夜景をチェックしていた。
ISO1600にあげ、手持ち撮影だった。広角レンズなので、シャッター速度は遅くしても、手振れは少ない。手すりや、木の幹にカメラを付け、そっとシャッターを切れば、どうにか手振れを防止できる。
しかしもっと鮮明に写したい。フィルムのカメラを見るとまだ20枚ほど残っていた。三脚を手に取り、大崎に向かっていた。カメラは コシナの作ったBessaR Lマウントのレンズを付けることができる。もう10年くらい使っている・・・デジタルならそろそろ電子部品の耐用年数が過ぎ、修理不能になっているだろう。しかし、小生にとっては依然として最新鋭のカメラです。
レンズは、ライカの誇るズミクロン(Summicron 50mm F:2 )沈胴レンズです。1955年製ですから、もう60年近く前作られたレンズです。古くても解像度は抜群、その点に関しては、現在のレンズにも引けをとらないでしょう。
撮影ポイントは、すでに決まっていたので、三脚を立て、てきぱきと撮影。夕食時には家に戻っていました。

円錐の上を切ったこのオブジェ、上から水がおちていく噴水です。この形、円錐形なのにピラミッドを連想してしまいました。昔見た映画の影響で、今でも墓のイメージが残っていますが、王の墓ではないという説が有力になったようです。
とすれば・・・後ろのタワーマンションが、そうなのか? 新宿の高層ビル群、遠くからみると墓標(墓石)のように見えないこともないなぁ・・・・(タワーマンションにお住まいの方、ごめんなさい。)
このカット、例会に出すわけにはいきません。

モノトーン向きと目星をつけたものを選んで狙っていました。(だからテキパキ撮影)。広角レンズ(フルサイズ換算24mm)で撮ったほうが良かったか。

絵としてはいいが、インパクトなし。おとなしすぎます。

カラーで撮影した写真の違和感は、モノトーンすると消えていました。しかし、上部の白が強すぎてまとまりを欠いています。上をトリミングして整えるか、カメラを下に振り手前から入れるべきだったか?
手前から入れるなら、広角レンズを使うべきだったか・・・・・
混迷は一段と深まりました。
- 2014/10/16(木) 11:00:18|
- Night walk in Tokyo
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10月のテーマは、「夜景 或は ひかり」
夜景は、ブラッサイの「夜のパリ」が有名。
カメラの進歩はすごい。今のデジカメで撮影したら、すごい作品ができるのではと期待し、新宿へ向かう。
何カットか撮影し、液晶画面で確認する。すぐに到底無理と・・・思い知らされる。
面白いという単なる好奇心では、底が浅すぎるのだ。見るに堪えない写真になっている。
何かが足りない。カメラのせいではない、眼の前の光景・現実の背後にある「大切なもの」を感じとっていないためだろう。感じなければ、撮ることはできない。またもし感じたら、しつっこく満足できるまで、何回でも通い詰めシャッターを切っている。
ブラッサイは1930年代のパリの精神を写していると 改めて思い知らされる。
ものの表面を撫でるだけの感受性では、いくらカメラが高機能になったとしても、写せないと思う。写真のクオリティー(質)とは、その時代の精神をとるようなものではないか。木村伊兵衛のスナップ写真(浅草・神谷バー、電気ブランを飲んでうなだれている男性の映像)が、頭の中を走った。
「対象の美しさ/力強さが、写真の美しさ/力強さではない」という、土門拳の指摘は正しいように感じる。
2010年代の東京の精神とは何だろう? それをはっきり意識できていない小生には、対象を選ぶこと、切り取ること・・・できるはずもない。
いつしか居酒屋でビールを飲んでいた。(反省会です。)

ふと気づくと、女性が立って遠くの板場(厨房)を見つめていた。その中に意中の人でもいるのか?
思わずそっとシャッターを切っていた。ピントはビール瓶に合わせた。広角だが、f:2.8と絞りは開けている。顔はボケて誰と特定はできないだろうという読みはあった。
これ、やはり盗撮だろう。事情を話し、モデルになってもらえばよかったか・・・
ミステリアス(大胆)な組み合わせの服を着ている。題なら「赤と黒」
或は、「酒場の女」か、陳腐だなぁ。「カスバの女」でもいいか・・・? そんなこと考えていたら、女性の姿、ふっと消えていた。
代わりに一言も声をかけられなかった自分がいた。(しょうもない老人です。)
- 2014/10/15(水) 17:40:56|
- Night walk in Tokyo
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夜景は難しい。
なぜ?
ブラッサイのような写真は・・・・撮りたくても、難しさに躊躇してしまう。今のデジカメを使ったら、すごい写真が量産できるのでは?と思いながら、踏み切れない。

夜を撮る・・・夜の海、夜の山、夜の街・・・・風景写真の延長の様な捉え方になりがち。
カメラはその時代の最先端技術を常に取り入れながら発展してきた。昔は難しかった対象も、簡単に撮れるようになる。
こんな、夜景もフィルムの時代は大変だった。家電の玩具カメラと馬鹿にされる一番安いミラーレス一眼、Sony NEX-3でも、ISOを1600にあげ、橋の手すりに乗せ、そっとシャッターを切れば、この程度の写真は簡単に撮れる。
ニコン、キャノン、ライカなどの高価なデジカメに、高価な広角レンズを付けて撮影すれば、段違いに美しい夜景が撮れるだろう。
絞りをある程度(F:8あるいはF:5.6)絞り、がっしりとした三脚に固定し、長時間露光すれば、クオリティーの高い写真が撮れる。ちょいっと練習すれば、誰でも可能だ。
お台場、横浜の港、函館山からの夜景もいい、星空の綺麗な山に登るのもいい、ステンドグラスが綺麗な教会の中に入り撮影するのもいいなぁ・・・それには、意力、体力、金力が必要だ。
しかし、そうやって撮ったクオリティー高い写真とは何だろう?と考えてしまう。 確かに綺麗に撮れているが・・・・最先端技術のカメラで撮ってもらったというのが、正確な表現ではないかと思えてしまう。(Sony NEX-3しか持てない者の僻みですが・・・)
「対象の美しさが写真の美しさでないこと、」を肝に銘じろとは、土門拳の警告。
綺麗なもの撮って、綺麗に撮れていれば、それでいいじゃん・・・趣味で撮っているのだ、それで満足という、つぶやきが聞こえてきそう。
小生、どちらの考えに与しているのだろう?と時々考える。
まずは、光を求めて・・・大崎地区に足を踏み入れる。

「おっ!」と気づくと自転車がすり抜けていく。慌てて、シャッターを押す。走り抜ける自転車は止まらない、手振れもある。まあ、いいか、これもスナップショット。

夜景というより、「ひかり」を意識したのですが・・・・歩く人の位置を見て、数カット撮影。この位置がベストだろうと選びました。フィルムでは、コストを考え、連射はできません。デジタルだからできる撮影術です。

ステンレスの塀に反射する灯りを切り取ってみました。講評会にこれどうだろう?(6カット撮影)

これはカラー写真向きです。ちょっと陳腐かなぁ。

これは、いいけど・・・誰かの真似になっていないか?? モノトーン向きの対象です。

近くの樹の幹に体を固定し撮影したが、さすがに手振れ。見たときの印象はほとんどモノトーンの世界。実際に撮れた画像を見て違和感を感じている。色彩感覚がおかしくなりそう。

いつも使うレンジファインダーカメラではやらない切り取り方です。これも候補。(6カット撮りました、そのなかから、講評会用を選ぶ予定。これは、候補外です。)

手振れは駄目。その手振れを逆手にとって・・・意外とこういうのが好き。
- 2014/10/13(月) 13:31:05|
- Night walk in Tokyo
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2か月に1回、参加している写真グループの講評会が行われる。
会の運営は、メンバーの合議で決められている。
10月の例会のテーマは「ひかり あるいは 夜景」 もちろん、拘束力はない。テーマを撮ってこない会員もいるが、それでも、皆さん、ニコニコと受けいれる。運営は、極めてゆるい。
定例会が近づき、テーマを思い出す。夜景を撮ってみようと、デジタルカメラを片手に、家をでる。

これでは、定例会に出せないなぁ。

五反田駅近くの呑み屋。これも駄目。

う~~ん、出せるものではないが・・・これをさらに追及していったら、"Night in Tokyo"になっていくのか?
五反田の三業地、新宿のゴールデン街、新橋の烏森、赤坂、六本木、銀座・・・浅草は意外と早く店が閉まるが・・・どうだろう?撮影したい場所が浮かんでくる。

暗くなってきたので、ここで感度をISO1600に上げる。

斜めに入った雲の形が面白い。ISO1600まで上げると、日中のようなスナップ写真もOK。随分と撮影の自由度が広がっている。新世界に入った気分である。

立ち飲みというのは・・・繁華街(盛り場)の酒屋の隅で、下層労働者がコップ酒し、カウンターには、つまみの缶詰か割きイカが定番であった。普通のサラリーマンにはちょいと敷居が高い所でした。
時代は変わり、女性の姿もあります・・・そういえば、大井町にも同様な店があったなぁ。「俺ん家の~~」とか言う。開店前に、若い男女が並んでいたことを、思い出していた。
ここは、ギンダコ・ハイボール? たこ焼きを肴に、ハイボールですか?
小生には、少々敷居の高い呑み屋さんです。

中に入り、ハイボールを注文し、頃合いを見計らって隣で飲む人に話しかける・・・写真撮っていいですか?アップで写真を撮らせてもらえたら・・・"Night in 五反田"ができるのでしょうが、意気地がないもので、上から俯瞰するだけでした。

池上線の五反田駅。開業した当時、こんなに長い編成の電車は想定外だったのでしょう。編成が伸び橋の上までホームが延びています。五反田の夜景で・・・定例会に出せそうなものはない。大崎に行き、「ひかり」を撮ってみよう。
夜景はありきたりなフレーミングになりがち、撮りつくされている。難しい。
- 2014/10/12(日) 12:00:24|
- Night walk in Tokyo
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21日 彼岸入り、お墓参りに白山の寺へ行く。
都営地下鉄のデイパス(一日乗車券)を購入。
昼食後、同行した老妻と別れ、カメラ片手に東京の街を散策した。
白山神社の祭礼を撮影、春日乗り換えで月島に移動し、隅田川と月島の高層住宅の景観を堪能。
汐留に移動し、浜離宮を散策する。汐留から、大門で乗り換え、押上げに行き、スカイツリーを撮影しようか・・・と思ったが日は暮れ始めている。ここで断念し、帰宅することにした。大門へでて、西馬込行の電車で戸越の里に戻る予定を立てたが、考えてみると、汐留と新橋、それほど離れているわけでもない。200m位ではないか?
そう思い、浜離宮からの帰路、汐留を抜け、新橋駅に向かう。

再開発が終了したのか、見違える町になっていた。下道を歩いたことは あったが・・・知らない大都会に迷い込んだ気がする。

高層ビルを写すとなると、こんなアングルになる。~~
ん安易だなぁ。
新橋には月に1回くらいは来るが、山手線の内側、汽車のある広場を散歩することが多い。日谷公園から、丸の内の中通りへ行き、さらに東京駅まで歩くこともある。外側へ出れば、有楽町、銀座方面に足を伸ばしてしまい、汐留のほうへ脚を運ぶことは少ない。
一日汐留地区を歩きまわり、写真に収めたら、また一つの発見をすることができるかも。そんな期待できる所ではないか・・・・そんな気がしてきました。
一日乗車券、充分利用させていただきましたが、老体には少しきつい撮影散歩になりました。
- 2014/10/10(金) 10:53:26|
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月島から汐留へ移動。浜離宮に行く。敬老週間の最終日だったので、60歳以上の老人は無料であった、ラッキー。
秋分の日に近いので、午後6時には日没を迎える。着いたのは4時ごろになっていた。
太陽は雲に遮られていた。

逆光で太陽を見ると、虹彩は閉じ地上は暗く目に映る。 地上の道は暗く見えるが、意外と明るい。一種の目の錯覚。太陽を見てしまうからである。道に露光を合わせ撮影する。(と言っても、露出計は内蔵されていません、あくまでも勘で決めています。)
太陽に対しては、露光は過度です。「道」にたいしては適正でしょう。トーンカーブで、S字にして「道」を浮き出させる。ここに立ち、こう見えた人は居なかっただろう。平凡な光景が広がっていた。
フィルムのダイナミックレンジは、人間の眼より狭い。しかし、1点の強い光に、虹彩が閉じることはない。銀塩フィルムは、白飽和に関しては、かなり許容してくれる。撮影時の露光と、後処理の現像を組み合わせると、目に見た印象とは別の世界を写し取ることができる。このごろ、ようやく少し分かってきました。

鴉の鳴き声、上を見上げると、鳥が飛んでいる。おそらく鴉。すかさずシャッターを切っていた。21mmの広角レンズ、距離を合わせる必要がないのが、便利です。

フォトジェニックな老木です。入園者の多くがここで写真を撮られているのでは・・・小生もここで数カットのフィルムを消費しました。左に振り、横位置で撮ったものが一番構図が良かった(絵葉書です)のですが、人影を感じないのは・・・好きでないので、このカットを選びました。

雲が割れ、夕日が庭を照らした瞬間です。その間、5分くらいだったでしょう。すぐに太陽は雲に遮られてしまいました。
- 2014/10/09(木) 08:58:59|
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都営地下鉄のデイパス(一日乗車券)を買ったので、カメラを片手に、行けるところへまで、行ってみようとした。白山、月島、汐留、新橋・・・そこで、暮れてきたのでギブアップ。押上まで乗ってスカイツリーを見ようとしたが、それは果たせなかった。
月島で、撮影したもの。

月島は古い漁師町ということのなっているが、再開発で、高層マンションが目立つ。近代的なビルと古い町並みを撮ろうとしたが・・・期待した構図に収まる場所見つからず、こんな構図になってしまう。芦原と高層マンション、人が住んでいる?? ええ、たくさんの人が生活をエンジョイしています。中国の鬼城ではありません。
Rollei赤外400S、最後のカットとなりました。ここでフィルムをTri-Xに交換する。

一点透視図のような写真です。もともと、カメラは透視図を作る道具、画家の補助道具でした。透視図になるのは当たり前か。

むかし、写真を取るようになった頃、フィルターを揃え、場面に合わせて(写真雑誌、写真のテクニック本を参考に)使い分けていたが、使い方が下手なのか、これはという写真が撮れない。フィルターを替えるたびに露光の補正を考えないと駄目と面倒になり、いつしか使わなくなっていました。パンクロフィルムなので、それほどフィルター効果は顕著に出ません。
気持ち少な目の露光で、空を落とし、雲を白く焼き付けました。

レンズは、超広角21mm、小生が保有する一番短いレンズです。
広角で狙うとこんな構図になりがちです。教科書に載っているような写真になってしまいました。駄目ですね。新鮮なアングルは狙えないのか?
S-Nikkorには、21mm F:4という伝説のレンズがありますが、中古市場に出てくると非常に高価。とても手が出せません。これは、最近コシナが作ったS-Nikkor用 21mm F:4レンズです。マウントが同じ、ContaxⅠ、Ⅱ(戦前のドイツ製)、KievⅡ、ContaxⅡa(戦後、西ドイツ製)でも使うことができます。 いいレンズだと、時々使うようになってきました。

こういう切り取り方と、階調性が好き。日常の中に非日常が埋め込まれている・・・と感じるのは、小生だけか?
綺麗な写真を撮ろうとは思わない、これでもいいだろうと、自己満足しています。
この写真、誰かの真似?そんな疑問、恐れも感じています。(誰だろう?)
- 2014/10/07(火) 23:56:31|
- 都会の景観 Tokyo
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8月の中ごろ、老妻がヒマラヤ杉に鳩の巣を発見。位置がいい。枝に隠され中まで良くは見えないが、どうも卵を温めているらしい。空からはヒマラヤ杉の葉に隠され見えない。鴉に狙われることはない。猫がこの樹に上ることもないだろう。確かに産んで子育てするにはいい場所だ。ただし、老妻と小生が、危害を加えない動物であればの話ではあるが。
8月の終わりの昼ごろ、小さな卵が1つ、ヒマラヤ杉の葉の上にあるのを、老妻が発見する。親鳥もいない。
「育児放棄?」老妻は、悲しげな顔をしている。
夜になると、親鳥は、何事もなかったように巣の中にいた。育児放棄ではないようだ・・・・
1週間すると、子供の鳩が巣の中にいるのを発見。親鳥が子供に餌を与えている。
これは、どういうこと??
二匹も同時に子育てするのは難しいという自然の摂理か、一羽生まれたら、雛の孵らない卵は捨ててしまうのだろうか?
だとしたら、捨てたのは誰? 親鳥?それとも先に生まれた雛?残酷な気がするが、そんな想像をして楽しんでいる自分がいる。

雛はあっというまに大きくなっていた。親鳥ともうそれほど変わりはない。巣までは2mほど、枝が邪魔して写真に撮れなかったが、ようやく、巣立ちが近くなったか、巣をでて枝に止まるようになる。
まだ、人間が凶悪だとは知らないのだろう。三脚をセットしカメラを構えてもきょとんとした顔をさせている。
鳩までの距離は1.5m程度。身を乗り出し手を伸ばせば届く。
何枚か、記念に写真を撮る。

それでも、お腹をすかせると、巣に戻り、親鳥の帰ってくるのを待っている。
いつになったら一本立ちするのだろう?
撮れた写真を、PCのモニターに映し、老妻に見せる。
「生まれたばかりの時は、もう少し白く可愛げだったのに・・・・」「これでは、恐竜の顔」
すこぶる評判が良くない。公園で見かける羽の綺麗な鳩を期待していたようだ。
数日後、図書館から帰ってきた老妻曰く、「あれは土鳩」と一言。
そして、鳩は、無事巣立ちしていきました。
- 2014/10/05(日) 15:57:57|
- 猫、犬、鳥
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昨日、ネットサーフィンしていたら、銀塩写真のグループ展が行われているのを知る。
「REGARD 2」というグループ。珍しく銀塩写真だという。デジタル全盛の時代、銀塩フィルムとは嬉しい。おそらく生粋の写真好き、かなりレベルの高い集団だろうと、期待は膨らむ。会場は目黒の大鳥神社のそば。
目黒不動は散歩コース、そこから山手通りにでれば、大鳥神社はすぐそこ、行ってみるか?
朝起きると、快晴、気温も高い。散歩にはうってつけ。
散歩には、フィルムのカメラを持っていくことが多いが・・・でもまさか、古いカメラを持っていくのも・・・問題だろう。質問したら身構えて、本音を聞けなくなるかも・・・ここは、つい最近デジカメをもった老人風でいこうと、軽いデジカメSony NEX-3をぶら下げ外に出た。

戸越の里、戸越銀座の通りです。
数軒の家が更地になり、間もなくビルの建設が始まる。またマンション(集合住宅でしょう)
秋の空は高い。すがすがしい一日になりそう。
しかし、銀塩フィルムに赤いフィルターをかけ、少し露光を切り詰めて撮影すると・・・・空は暗く落ち、不気味さを帯びた別世界が開く・・・(まさか)
戸越銀座の商店街、昔は小さな小川が流れ、北側の斜面を登ったところには、目黒不動への参拝道が通っていました。おそらく品川の宿から続いていたのでしょう。

坂を上り、狭い道を歩くと、やがて桐ケ谷の道に入ります。
桐ケ谷斎場から帰ってきた人だと思います。桐ケ谷斎場、関東大震災の後、遺体を荼毘にふすため作られたと聞きました。公営ではなく、民間の施設。著名な漢学者(簡野道明?)が設立にかかわったとか・・・確かめたわけではないので、与太話ですが。(今なら、簡単に調べられますね)

東急目黒線(昔は、目蒲線)の不動前駅です。プラットフォームの屋根を写しました。なぜ?
写真を撮ろうとする影の形が面白かったから。

桐ケ谷を過ぎ、目黒線の上を渡り、かむろ坂を超えると、目黒不動はもう少し。お寺さんが増えてきます。

このお寺さんは、近頃分譲マンション型のお墓で有名になったようです。
狭い境内に石仏がたくさんあり、見ていて面白い。この石仏?もなかなかフォトジェニックです。日本のものではなく、朝鮮のような気がします。

これなど、高麗?1000年くらい前のものでは??・・・・説明の掲示板など一切ありません。無学を棚に上げ勝手にそう思っています。

不動前商店街の鰻の「にしむら」 老舗でしょう。老妻の好みの店、時たま頼まれます。

目黒不動到着。ここから横道を行き山手通りに出る。するとすぐに大鳥神社へ。

太陽の位置が悪い、こんなアングルしか狙えませんでした。
角を曲がり、ほんの少し歩くと展示会の会場につく。ポスターがあったので、すぐにわかりました。

このビルの3階で行っていました。
レベルは、かなり高い。いい作品が並んでいます。会員は20名か?そのため2回に分けて展示したようです。
これなら最初の回もみたいと思いました。知るのが遅すぎた。
四の五で撮る人、8バイ10のフィルムで撮影する人、ブローニー(6.6)で撮影する人、35mmで撮る人、ピンホールカメラで撮る人・皆さん個性的、互いに違うテーマで撮影し、バラエティーが豊です。各人の撮影技術もたいしたもの。
こういうグループもあるのですね。
皆さん銀塩フィルムで撮影、印画紙に焼き付けているとのこと。
グループを主宰する森谷修氏は、静物の作品を2点を出品。鶏卵紙!!に焼き付けていました。
鶏卵紙を自分で作ったり、エイトバイテン、シノゴで撮影するのは、アマチュアだと思っていました。
プロの写真家が、そんなにコスト・パーフォーマンスの悪いことに手を出すとは・・・
シノゴなどの大きなフィルムは、広告主に頼まれないと、経費が掛かりすぎて、自分から使おうという気にならないのでは、せいぜいブローニーだろう・・・と勝手に思っていました。いや、参った。変な先入観はいけませんね。
もう一度、じっくり見てみようかという、気にさせてくれました。ただし、2日後の日曜に終了とか。
場所は、目黒、大鳥神社近く、谷本ビル3階 GALLERY COSMOSで行われています。
web:WWW.gallerycosmos.com
- 2014/10/03(金) 23:50:19|
- 散歩
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いつもの見慣れたところでも、必ず、これはと思う瞬間はある。
台風一過、老妻が空を見上げ、感動していた。澄んだ秋空に、雲が浮かんでいる。
・・・・そして一言、「洗濯しなくっちゃ」

空を広く撮るため広角レンズを、深い空、白く輝く雲なら、赤外線フィルムの出番です。R72(720nmカット)のフィルターをつけて撮影。パンクロフィルム(Tri-Xなど)にR60(赤)フィルターでもOKでしょう。

普段見慣れた戸越銀座商店街も、こう切り取ると、不気味な感じがします。
明るい秋の陽が降り注ぐ気持ちの良い朝、商店街をぶらぶら歩き、気分は秋晴れでした。
しかし、レンズを通してみた世界は別世界。~~何を見ていたのだろう?
本当は何も見えていないのでしょう。大切なことも・・・・
- 2014/10/02(木) 11:48:08|
- 都会の景観 Tokyo
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