一本のレンズを、満足に使い切れてないのに、どういうわけか、50mmの標準レンズを、たくさん保有している。
みな古い歴史的に価値のあるレンズと勝手に解釈している。先人の偉大さを感じ、丁寧に使っているつもりだが、
老妻に言わせれば、我楽多レンズとのこと。
「ガラクタ」と蔑まず、「われ、楽しみ、多し」レンズと、解説してくれるが・・・実態は、馬鹿ねぇと、あきれ返っているようだ。
そんなレンズをつけて、大崎駅周辺を散歩した。

大崎の目黒川沿いに、石のオブジェ。ベンチ代わりに座る人が多い。空からの光が反射して面白いので、撮影した。
ノンコートレンズの欠点が現れる。レンズ面の反射光で全体にコントラストは低下し、眠い写真になる。

レンズを、少し右に振り、反射する光が直接レンズに入らないよう工夫する。とたんに、全体のコントラストが上がり、すっきりした写真になる。一眼レフなら、ファインダーを覗き、確認することも可能だが、レンジファインダーではできない。
出たとこ勝負なので・・・この場合、二、三枚アングルを変え、撮影しています。

大理石の化粧板に反射する空が面白かったので、縦位置にフレーミングして撮影。勿論、道を歩く人を意識していました。女性が明るい日なたに出た瞬間、シャッターを切る。そのまま、大理石の道(ステージ)に進んでくれないかなぁ~~
50mmの標準レンズだけれど、広角レンズで撮ったような効果を狙いました。ここは一カットで充分。
大理石の空に浮かぶ雲・・・・上を見上げれば、流れていく。

フィルターなしで撮影。Y2とかオレンジフィルターをつけて撮影すれば、雲と空、もっとくっきり撮影できたでしょう。でも、少し露光を切り詰めても、同じような効果を作ることできます。f:16まで絞れば良かったかも。これは望遠でも広角でもない、まさに標準レンズの画角です。二枚撮ることないと、1ショットのみ撮影。

カメラを地上に戻し、ビルと遊歩道の風景を撮影。圧縮効果を狙いました。標準レンズでも、85mmなり105mmの望遠レンズで撮影したような写真にすることはできる。昔の趣味で写真を撮る人は、こんなテクニックも使っていました。
望遠レンズ、広角レンズ、性質がはっきりしすぎて、使うとなると「どんぴしゃり」の被写体を探すのが大変(慣れていないのも原因ですが・・・)その点、標準レンズは、使い方により、広角レンズ風にも、望遠レンズ風にも使えるので、それが習い性になりよく使う。昔から撮影の過半数は50mmの標準レンズでした。20~30%が広角レンズ、望遠レンズは10%以下ではないだろうか。
1970年頃の昔、朝日カメラなどに入選したアマチュアカメラマンの作品を調べると 70%以上は広角レンズ、残りを望遠と標準で分けていたような記憶が残っています。
今は、ズームレンズが一般的で、標準だ、望遠だ、広角だという区分はないのでしょうが・・・・
それでも広角が多く、次が望遠、標準と感じる画角は少ないですね。
キャッチーな写真を撮らなければという、脅迫概念に、皆さん苛まれているのでは?
或は、レンズメーカー、カメラメーカーの、販売戦略に乗せられたか?
写真雑誌や公募展に応募する気はないので、これからも、50mm標準レンズを多用し、写真を楽しむことになるでしょう。
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- 2014/08/30(土) 16:46:09|
- オールドレンズの密かな楽しみ
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写真を撮るのは、あの世に行くまでの、暇つぶし・・・など自虐的に考えることもあるが、やはり好きなのでしょう、散歩するとなると、必ずカメラを肩からぶら下げている。
歩きながら、どんな写真が好きなのだろうと自問する。
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画家は、内的必然に導かれ筆をとり、作品を描くこともできるが・・・
カメラマンは、眼前の被写体(実態)がないと、作品は作れない。
ならば、写真の良い悪いは何で決まる??
写す対象で決まるのか?
それなら、寫すべき対象を選ばなくてはいけない・・・・・
人があまり訪れない場所を旅行し、まだ、だれも撮らない風景/人々のを撮影する。(北海道の美瑛は、もう垢がついたのだろうか?)
モデルを選び、ドラマチックに、思わせぶりな演出をして撮影する。
許可なく撮影できない、人、モノ、場所に コネをつけて入り、撮影する。
いずれにしても、コストのかかる話だ。金が潤沢にある人向きだなぁ。
しかし、対象の美醜や希少性にもたれかかり、撮影すること、がいい写真の条件だろうか?
対象に寄りかかる写真は、創造的でないと思うが・・・・
一般的には、そういうのをいい写真と評価しているようだ。
面白いなぁ、これ写真に撮ったらどう写るだろう?と散歩中、見慣れた風景から対象を切り出して、撮影するのが小生のスタイル。これでは、人が認めるいい写真が撮れるわけもないだろうと思う。確かにあまりキャッチーではない。
しかし、キャッチーでないほど、小生の好みの写真になっている。困ったものだ。
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そんな思いを抱きながら、それでもカメラを抱え散歩。今回は、Nikkorの135mm F:3.5 Contaxマウントのレンズを、KievⅡに装着し使用してみました。散歩で135mmの望遠、使い慣れない長いレンズに、振り回された感じがします。

50mmの標準レンズでは、トリミングしたので、135mmならノートリで写せるだろうと、135mmの望遠で試す。ファインダーを覗き、切り取ろうと工夫したが、撮影する自分の影が入る。入らないようレンズを振ると、カーブミラーに写る光景が、家の壁を写すだけ。
やはり、ミラーレスデジカメの広角レンズで、カーブミラーに接近し撮影したほうが、好い結果になるようだ。

カーブミラーをアップで撮れば、面白いかもと、撮影した。50mm標準で撮ったほうが見栄えする。
50mmで切り取ろうが,135mmで切り取ろうが、だめなのだろう。カメラアイがないのは致し方なし。
こういう写真では、誰も、いい写真とは認めないだろうなぁ。
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戸越公園に隣接する文庫の森公園に入る。夏の午後の暑い日差しのなか、お母さんと息子が散歩。
距離は約10m、ピントを合わせ、撮影。盗み撮り??
こういう写真は、ほっとするだろう。あまり悪い評価は出ない。「良い、悪い」の2分法に従えば、「良い」に分類。微笑ましいとか、かわいらしい、という評価がつく。

これも、同じような評価が下されると思う。拡大し、4つ切り、或は半切まで伸ばすと、人物の特定ができそうなので、敢えて前ピンにして撮影。それなりに計算して撮影しています。
こういう 写真好きですか?
一言声をかけ、OKをもらえば、もう少し近づき、素敵な写真が撮れるのでしょうが・・・・
その素敵さとは なんだろう?と考え込んでしまう。対象におんぶに抱っこかなぁ。
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実をいうと、こういう写真のほうが小生の好み。
誰も、レンズを向けないでしょう。
すこし、エログロのテーストがするかも。妙齢の女性は、夏の暑い陽を避け、木陰で昼寝はしません。
おばさんです。少々、ミステリアス。事件性を漂わせようと全体を焼きこんでみました。
こういう写真の評価は最低でしょう。悪い写真のレッテルが張られると思う。
しかし、小生の耳には「綺麗は、汚い。 汚いは、綺麗。」の呟き声が・・・・
- 2014/08/29(金) 23:01:10|
- 散歩
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散歩して撮影したネガのコンタクトプリント。

プロのコンタクトプリントは、ほとんど世に出てこない。(プロもデジタルの時代、もう死語かもしれませんが・・・)撮影の動機、意図、テクニックなどが、明らかにされ、丸裸にされる危険性がある。意外に狙いが平凡だなぁ。うまくないじゃんと馬鹿にされたら営業上まずい。なるほど、このようにトリミングしたのか、どこを焼きこんだのか、あるいは覆い焼きしたのか・・・など、テクニックが盗まれる危険もある。プロとアマの技量差を、思い知らせるためにも、手の内は明かせないという思惑もある。(プロのマジシャンは手の内を明かすはずもない。)
しかし、アマチュアなので、そのような心配はない。盗みたくなるようなテクニックもなければ、秘密にしたい場所で撮影しているわけでもない。
古いkievⅡを首からぶら下げ、大崎駅近辺を散歩したとき撮影したもの。いつもの散歩コースだが、その時の天候、時期、時刻により、普段と違った光線状態を感じたら、カメラを向けるようにしている。
撮影枚数は1カットが基本。もし、面白いと感じたら、何カットかシャッターを切っている。

夕日が逆光気味に入っている。ビルの高さを出したいと思い、フレーミングに頭上の木の葉を入れ、そこにピントを合わせる。パンフォーカスを狙い、絞りはf:22まで絞り込む。シャッター速度は1/50秒を選んだ。手前の林に対しては露光不足だろうと、念のためもう一枚、f:16でも撮影。
現像してみると、f:16で撮影したほうが、暗部の樹のディテールが出ている。しかし、右に無意味な空間が広がり、構図が気に食わない。
う~~ん、下手だなぁと思うが、まぁこの程度の腕前だろう。
最初のカットを選ぶ。

フィルムスキャナーでネガから直接PCに画像を取り込むと、このような調子の写真になる。ネガには暗い木の部分にも、銀塩が残っているが、そこは潰れ、暗くなる。
暗部のディテールを出そうとして、明るさをハイキー調(浅く焼く)に調整すると、感心しない画像となる。

こういう調子が好きな人もいるかもしれませんが・・・・・
ローキーに調整(焼きこむ)と不気味さがでる。

この調子が好きな人もいるでしょう。
トーンカーブを調整し、明るい空の調子を少し落とす。

この当たりが、通常の画像調整。画像をプリンターに打ち出し写真にする。画像のデジタルデーターはPCに保存し終了。
時として、ネガに記録された銀塩の全てを画像に出してみたくなる時がある。
階調性が豊かな銀塩写真にしたいと思う。
デジタルならダイナミックレンジ・オプチマイザー処理というところか。
使用する古いレタッチシフトでは、トーンカーブを微調整することになる。

暗い部分を持ち上げると、それ以外の部分も明るくなり、不自然。これが限界。
もし、やりたかったら、暗い部分だけ指定し覆い焼きすることになる。
印画紙に焼き付ける従来の方法なら、暗室の中で格闘すれば、どうにか目的は達成できるが・・・
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写真を楽しむのは、撮ってそれで終わりではない。現像し、それをプリントするまで楽しさは続く。
フィルムと印画紙を手に入れさえすれば、あとは最初から最後まで、自分の力量で、いかようにも処理できる。
できた作品がだめでも、全ての責任は、撮った人間にある。
こんなに面白いことを、他人の手に委ねるなんて、考えられないが・・・。
カメラが良くない、レンズがだめだ、あの写真店は、期待外れと、言い逃れるのは、如何なものか?
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デジタルの時代になり、現像所に現像依頼する必要はなくなり、写真作成の一切はメーカーの手から、個人の手に戻ってきた。デジタルカメラとPCとプリンターをそろえれば、一切をアマチュア個人で処理できる。
こんなうれしいことはない。アマチュアカメラマンの時代になったと思う。
デジタルカメラで撮ったら、選別し、気に入ったカットを自分の感性に従い調整する。
そして自分の手でPCを動かし、プリントに仕上げる。これこそが、アマチュアの楽しみであるべき。
ところが、撮ったデジタルデータを、プロラボに委託し写真にしてもらう人がいる。
これ、本当に写真を楽しんでいるのか?と訝しく感じる。
プロに頼んだほうが、綺麗に仕上げてくれるから・・・だそうだ。
沢山処理しているプロラボのほうが、綺麗に仕上げてくれることはわかるが、
綺麗な写真を作ってどうしたいのか?自慢したいのかなぁ。いい写真ですね、あなたが撮られたのですか?と言われたいのかと、勘ぐってしまう。
下手でもいいから、楽しんだほうがまし。試行錯誤し、写真を作っていく過程が、醍醐味なのに、プロラボに渡して、楽しさを渡すなど、理解に苦しむ?ものごとは、全て楽しめ、骨の髄まで・・・・
この頃、町の写真屋さんに、プリント仕上げの末端機が設置されている。USBに入れた画像を、末端機に読み取らせ、プリント。あれは、合理的だと思う。自分の家にプリンターを設置する必要もない。(レンタルで暗室を借りたようなもの) コストも意外と安い。カラーで作品を仕上げるときは、あれを利用しようかと思っている。
プロラボは、プロのカメラマンの、御用達とすべきだろう。
- 2014/08/28(木) 12:42:36|
- 写真の技法
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鮫洲神社の祭礼の一週間後は、大崎の居木神社の祭礼になる。

9月になれば第2週に戸越八幡の祭礼が、その翌週には大間窪(下神明)の天祖神社の祭礼が、行われるでしょう。
祭りは幾度か撮ってみたが、全ては説明する写真になってしまう。祭りそのものを撮るのは難しい。
ネットで調べると、8月30日(土)、三鷹で「阿波踊り」があるようだ。もう一度、挑戦してみるか・・・・
それが終わって、地元の秋祭りが二つ続く・・・
祭りの本質/そのものを、撮ろうとすると・・・・捉えようなくむずかしいが、再挑戦してみよう。
- 2014/08/27(水) 21:38:14|
- その他
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散歩し、なんということない日常の光景を、なんとなく撮影。

沿線の人口が増えたため、列車の編成が長くなった。そのため、停車しても前一両、ドァが開けられない状態が続いていた。駅の延長工事が終了し、踏切はこの場所に移動。

踏切があった場所は封鎖され、今その上は、駅のホームになっている。
これも記録。
戸越公園駅を利用していた人には記憶を呼び戻すきっかけに・・・いつかはなる。(と信じている。)

携帯電話、スマホ片手の学生さんが増えている。こうした光景、いつまで続く? 次の時代(10年後)は Wearable phoneになっているのだろうか。

看板文字の照返しに、夏を陽ざしを感じ、撮影してみました。 この程度の照返しの光線なら、ノンコートのレンズでも問題なく撮影できます。現代のレンズに比べたら劣っているかもしれませんが、これで満足している。
欲望は無限、よりよいレンズ、よりよいカメラを欲しがるものなのに・・・・飽きてきた。「足ること」を知るようになったのか??
- 2014/08/26(火) 22:11:51|
- 散歩
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KievⅡを首からぶら下げ徘徊。
子供が鯨の石像の上に乗り遊んでいた。
その姿をスナップしようと近づく。
石造りの鯨の材質感に、魅了される。子供のスナップは頭から消えていた。
遊びに飽いた子供が過ぎるのを待って、二ショット撮影。これはそのうちの一枚。
脱ぎ捨てられた子供の靴、鯨、道を歩く人の脚の動きに注意してフレーミング。
しかし、もう一歩、下がって撮影すべきでした。
森山大道風に焼きこんでみた。石の材質感がいい。レンズは80年前のTessar 50mm F:3.5 ノンコート。
レンズに、これだけの描写力があれば十分でしょう。
もう一つのカットは、秋に行われる、写真同好会の展示会に出品するつもりです。
石の材質感が出ていたので、題を「俺は、いる」にしようかと思っています。
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展示会のテーマは「出会いの刻(とき)」
タイトルと、見た印象が少し乖離し、テーマを読み解けないだろうと・・・取り下げました。
もう一枚も、このブログに載せます。石鯨の材質感、存在感は、あると思うのですが、如何でしょう?
- 2014/08/25(月) 09:43:34|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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「鷹の眼 テッサー」がツアイスの宣伝文句。
ライツ社のエルマーにはどんなキャッチフレーズがついていたのでしょう?
もともと4枚のレンズを組み合わせたテッサーレンズは、ツアイスの発明(特許)。
しかしツアイス財団のポリシーは、技術を独占せず自由に他社に公開することに有った思う。
ライカの小型カメラができたのは1930年代であるから、特許の有効期間はとうに過ぎている。
ライツ社もプライドが高い、ツアイスの真似はしたくないと、絞りの位置を1枚目と2枚目の間につける。これで特許を取得したようだ。真似することに心理的ブレーキがかかる欧米人と、かからない東洋人、う~~ん、精神構造の違いを感じます。
テッサーは2枚目と3枚目の間に絞りがある。
それだけの差、それが、レンズの味にどう影響するのか??

ノンコートのエルマーレンズだが、コントラストは高く、解像度も問題ない。
「林試の森」の林の中に入り、大木の幹の紋様を撮影した。光が届かず暗い。 あまり絞れないので、幹に対し直角にカメラを構えて撮影。
説明がないと、一瞬「なんだろう?」という疑問が出る。乾いた貯水池の底に立ち撮影したようにも思える。航空写真?或は合板、化粧板などを拡大した顕微鏡写真?スケールが不明だと、いろいろな妄想がわく。

ノンコート・テッサーで撮影したときは、光が届いていたので、絞りを利かせ、やや斜めから撮影。
樹の肌だとわかっているので、こんなものかと思うが、じっと見ていると、奇妙な空間が広がっているような気がしてくる。
レンズの違いによる、画像の味、味わえましたか?
むしろ、写真の意図、出来に関心が行き、レンズの味は・・・・・二の次ですね。
レンズはお気に入りが1本あれば十分だが・・・・それでは、カメラメーカーもレンズメーカーも、飯の食い上げになってしまいます。少しでも良いカメラで撮影したいというユーザーの欲望が、メーカーの開発競争に拍車をかける。
1960年代は明るいレンズが、1970年代はズームレンズの開発競争。1980年代は自動焦点、さらに手振れ防止レンズ・・・。しかし、単焦点のレンズは、1950年代には、ほぼ完成していたのではないだろうか。
戦前の古いレンズを使っても、できた写真の画質、現在のレンズと差をあまり感じない。
カメラ雑誌のレンズの評価レポート、針小棒大で、なんとなく胡散臭く感じている。
このレンズ便利だろう、描写性能すごくいいという・・・・買おうかなぁ~~、いや高すぎると、いつも敬遠。

エルマーで撮影。ピントの合う範囲は狭いが、像の崩れはあまりないので、画像に違和感を感じない。
しいて言えば、テッサーは、解像感が強くエッジが立っている印象、エルマーは そのエッジが丸まり角が取れた印象を受ける。おそらく、現在はやりのMTFチャートをつくれば、その差を定量化できるかも。
また、テッサーのほうが逆光に弱く、フレヤーが入り易い。逆光での撮影では、エルマーより注意が必要だろう。
この辺りの差が、絞りの位置の差に起因しているのではと、推定している。
とはいえ、レンズ 使い慣れれば、性格はわかってくる。その欠点がでないように、撮影するのが写真愛好家というもの。
古い標準レンズ(50mm)を、たくさん集めてしまった。
当分 それらのレンズと戯れることになるでしょう。ほとんど同じ描写力なのですが・・・・
- 2014/08/24(日) 22:41:50|
- オールドレンズの密かな楽しみ
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古いテッサーレンズと年代物のKievⅡを首からぶら下げ、暑い陽に炙られながら近所を彷徨している。
道の至る所にカーブ・ミラーが設置されている。ミラーに映る世界を撮ったらどう写るだろう?
暑さに頭のいかれた老人はそう考えた。

マンション? 金持ちの邸宅のことだが、日本では鉄筋コンクリートの集合住宅をそう呼ぶらしい。カーブ・ミラーは、一階部分に駐車スペースがあり、車の出入りの安全に設置されているようだ。大井町線のすぐ近く・・・電車が来た瞬間を撮ってみようと思った。
シャッターチャンスはほとんど一瞬、先頭は0.5秒もあればすり抜けてしまう。電車が良い位置にいるのは0.2秒程度か?
難しそう。スポーツを専門のカメラマンや、自動車レースのカメラマンなら、なんていうことないかもしれないが・・・こちらは反射神経の鈍い老人、できるかなぁ?
幸いまだ、耳は遠くなっていない。耳を澄ませる。来た来た来た・・・あっという間に先頭は通り過ぎる。
撮れたか? 奇跡的に撮れていました。まぁ、まぐれです。

この場所なら、容易に、大井町線の電車が通り過ぎるのを撮ることできますが・・・・暑くて待てません。撮影する姿が右端下に写ってしまいました。見ているようで見ていません。予期せぬSelf portraitです。

ミラーに反射した光は少し吸収され弱くなっています、一絞り分程でしょうか。カメラを向け切り取ろうとした時の印象は、鏡の世界のほうがキラキラ輝き明るいイメージ。しかし、ストレートに画像を出すと、鏡の中が暗くなっている。こんなものだったか?と心理的には受け入れがたい違和感が残る。
そこで、投げ縄ツールを使い、ミラー部だけを囲い、その部分を明るく補正。
こんな印象だったのですが・・・・このような調整なら許されるのでしょう。印画紙に焼くとき覆い焼きをした覚えがあります。

50mmの標準レンズ(今や標準レンズという言葉、死語でしょう)で撮影したため、撮影のため前に出ています、そのためミラーの一部が空に出てしまいました。望遠で後ろに下がり切り取ったら面白い都会の風景になったのでは・・・と思っています。

左の部分、駐車場の屋根が無意味に広がっていたのでトリミングして、画面を整理しました。これも、もう少し長いレンズで切り取るべきでした。
交通安全のミラー、高い場所に設置されているケースが多く、長めのレンズで切り取りたいと思うことが幾度かありました。
やはり、ズームレンズなのでしょうね。昔、バカチョンカメラには2倍くらいのズームがついた機種もありましたが、レンズ交換可能なレンジファインダー用ズームレンズ、結局販売されませんでした。技術的には可能でも、タイミングが悪かったと思います。
今度は、望遠レンズをつけて散歩する?
- 2014/08/23(土) 12:13:00|
- 都会の景観 Tokyo
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鮫洲神社の祭礼の日撮影。
カメラはKievⅡ レンズは Tessar 50mm F:3.5 1934年製 ノンコート フィルムはTri-X。

神社の境内に入ったとき、奇妙な感覚に襲われた。
×に組まれた柱が、「これより内に入るな」の警告に感じられた。
なんだこれ? 面白いとカメラを構える。
神輿を写すならf:2.8/500秒が適正だろう。空を狙うならf:11/500秒の露光がいいだろう。
中間のf:5.6/500秒で撮影すれば、焼きこみ、覆い焼きのテクニックを暗室で駆使すれば、全体のディテールを失うことなく印画紙に焼くことはできるだろうと、思った。
フィルムを現像し、ネガを調べる。陽の当たった石畳部分は適正。神輿部分、ネガ濃度は出ているが、背景は少し薄い。
空の部分は完全に露光オーバーしているが、電灯をかざし調べると、ディテールは残っている。
そこでネガを、フィルムスキャナーで取り込みデジタル化。そのデータをレタッチソフトに送り、画像処理。
全体を、神輿の階調が出るように調整。空部分は、ほとんど白く、ディテールは消えている。そこで、投げ縄ツールを使い空の部分を囲い、明暗のスライダーを動かし画像を出す。露光オーバーで、銀粒子がでている。空の感じが不気味に浮き上がってくる。暗室で印画紙に焼きつけるときに使う、焼きこみ操作に近い。
できた写真は、なかなかシュールな感じがする。
レタッチソフトを使えば、焼きこみや覆い焼きに近いことをすることができるのはわかったが・・・・意外に投げ縄ツールで範囲を指定するのが難しい。
これは、画像の合成? 投げ縄ツールを使っただけで、切り貼り(合成)しているのでは?という感じに襲われた。しかし、別の画像を張り付けているわけではない。あくまでもネガ上に残っていた銀粒子の調子(濃淡)を100%出そうとしているだけ。デジタルカメラならRAWで現像するとき、D-レンジ・オプチマイザー処理するようなものか。
合成しているわけではないので、この辺りまでは、画像調整テクニックとして許されるべきものだろうと、自分に言い聞かせる。
しかし、すごいシュール感がでている。鴉が神社の天辺に止まっているのも良い。
横に伸びる電線は邪魔だが、レタッチソフトで消しては合成写真の世界に入ることになる。
小生のポリシーとして、合成写真の世界の入りたくはない。写真が事実を伝える手段であることを大事に思っているから。

お神輿に露光を合わせて撮った写真です。f:2.8/500秒の露出とf;5.6/125秒の露光、光の量は等価です。
進入禁止に思えた×に組み合わされた柱2本、簡易的台としては秀逸です。先人の知恵に見とれてしまいました。
- 2014/08/22(金) 09:55:35|
- 写真の技法
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正式には旧仙台坂と呼ぶらしいが・・・・いつごろから「旧」扱いにされたのか、知らない。
子供の時から仙台坂と呼んでいた。それは、祖母から教わったものだろう。
祖母の話には、仙台坂より、ゼームス坂の名のほうが多く出てきた。
英国人Jamesの名前にちなんでつけられた坂なのだが、子供心には響きから名は「税」に結びついていた。おそらく坂の途中に税務所があったのだろう。
今となってはトンネルが掘られたこの旧仙台坂のほうがゼームス坂よりフォトジェニックである。
この坂を抜け、鮫洲、勝島運河へ行くのが、散歩コースの一つになっている。

Tessarレンズ、ノンコートだが、順光では極めてシャープなコントラストの高い画像を作る。
2,3秒前にシャッターを切ったほうが良かったか?歩く人物の前を開けるのが構図の鉄則という。
後ろが多いと、過去を引きずり、前が多いと、未来へ向かう・・・・・もっともらしい説明だが、本当か?
人物を右にずらし空間を開けると、構図が散漫になる気もする。
坂を上っていく人を待ち、撮ってみればよかったのだろう。そうすれば、結論も出たかも。(待てませんが・・・)

逆光で撮影するときは、レンズに光源の光が当たらないように注意する。ライカのElmarと比較すると、テッサーのほうが滲みやすい印象を受ける。順光での解像感は、ほぼ同じ、贔屓目でテッサーのほうが少しいいかぁとは思え、実際は差がないとみるのが公平だろう。テッサーほどカリカリした感じにならず、しっとり感があり、Elmarのほうが、小生の好みにあっている。

逆光で撮影すると、画面全体が眠く、コントラストの低い写真になりがちだが、これはそうなっていない。
光芒が出たおかげだろうか?画面全体のコントラストは下がらなかった。
もう少し、このレンズで撮影を続けてみよう。
- 2014/08/21(木) 10:09:49|
- オールドレンズの密かな楽しみ
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距離は2m、この光線状態ならf:5.6で1/250秒と読み、カメラを設定。
後ろを歩き、立ち止まり、ファインダーを構えシャッターを切る。立ち止まってからシャッターを切るまで、意識では1秒以内。まごまごしてはいられない。被写体は先を進み、ピントは合わなくなっている。
小生これを秒撮と呼んでいる。
居合抜き撮影と呼んだら、血潮が飛ぶイメージになり、物騒である。
また、盗撮という言葉も使いたくない。

麦わら帽子をかぶって歩く女性を見たとき、夏を感じていた。シャッターを切る瞬間、右の男性と、左の二人の子供がいるのが見えていた。絞りとピント位置から、ボケ具合もほぼ予想した通りである。
失礼ながら、もしこれが、バックシャーンな女性だったら、それだけでキャッチーな夏の午後のスナップ写真になっていただろう。
しかし、これでは、インパクトないなぁ・・・・
あの麦わら帽子がモチーフのはず。そこに注目して撮るとしたら・・・と、いろいろトリミングし、狙いに合う構図はなにか探してみた。

これが、麦わら帽子に感じた構図ではないだろうか。とすれば135mmの望遠レンズで切り取るべきだったろう。
昨日撮った風景、いいけど、もう少し工夫し、左下から狙えばよかったかと思い、同じ場所に立ち、再び撮影しても、最初に撮った写真のほうが良いということが多い。
スナップは、一期一会のような気がする。
ほんの一瞬でも、そのチャンスを逃すと、撮れなくなっている。
秒撮は、その一瞬の一枚のショット。それを大切にしたい。
この頃はデジカメになったせいか、機関銃のようにシャッターをきる人がいる。どうしたものか~~?と危惧する。
マシンガン撃てば1枚くらい好いショットが撮れるという物量作戦なのだろうか。
撮られた被写体との関係は、対話より収奪。
どう、こんな綺麗な子を取りました。こんな面白い場面を取りましたよと、自慢したいのだろうか?
撮影した人の眼差しを感じない写真は、好きになれない。このごろは、ゲームのボタンを押したような写真が増えてきたような気がする。
- 2014/08/20(水) 14:04:18|
- オールドレンズの密かな楽しみ
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古いライカのElmarレンズで、勝島運河の土手の萎れ始めた向日葵を撮影、意外に面白い写真がとれた思った。
萎れた花は、写真を撮る対象ではないだろう。みじめで、汚らしいものをみて、感動する?そんな写真撮ってどうする?
美意識がおかしいのでは?と怪訝な顔をされようが、撮った当人、シャッターを押した瞬間、手ごたえを感じていた。
去年から、幾度となく、向日葵を撮ってきた。まだ、撮りようはある。
使ったカメラはKievⅡ、レンズはツアイスのTessar 50mm F:3.5 1934年製 今から80年前のレンズ。もちろんノンコーティングである。

キエフⅡ カメラ前面の銘板をContaxとすれば、戦前のツアイスのContaxⅡと同じ。1953年、ウクライナのキエフ製。なかの部品も多くは戦前のイエナ工場にあったものだろう。約800gある。全金属製で、少し重い。
戦前の設計だが、当時の最高機種、構図用のファインダーに距離計を組み込んでいる。シャッターは縦走りの金属製フォーカルプレーン、最高速度は1/1250秒、一軸でシャッター速度は替えられ、ほぼ倍系列になっている。
画面左の丸い部分一つに、シャッターボタン、速度変換ダイアル、フィルムを巻くノブの機構がまとめられている。
更に驚くのはシャッターがユニット化されていて、それだけ取り出して修理することも、別のカメラからはづし、交換することも可能。(戦前のContaXⅡで、現在も稼働するものには、戦後つくられたキエフのシャッターブロックに交換したものが多いという。キエフⅡaは1970年代半ばまで生産されていました。)
マウントはスクリューでなく、バヨネットマウント。戦前、外付けだが露光系付の機種まで販売されていた。
あまりに高いレベルの技術が必要なので、コストもかかり、真似て作ろうとした会社は現れなかった。
戦後、日本光学(ニコン)が、コンタックスのいいところと、ライカのいいところを取り入れて、S型ニコンを作っている。
これが唯一の例外。Nikon SP よくも作ったなと・・・本当は感動すべき。
マウントは同じバヨネットなので、S型ニコンと、ContaxおよびKievの三つの機種同士、レンズを交換し装着することは可能です。
ただし、ピントが微妙に異なる。しかし、50mmレンズならF:3.5以上で実用的に使用できる。f:2、f;1.5だと、少しピントが甘くなる。
(ツアイス系のレンズをS型ニコンにつけて撮影すると、2mの被写体で20cmの後ピンでした。無限遠では問題ないようです。)広角レンズでは、問題なく共用できます。

場所は同じ勝島運河の土手。フィルムはTri-X。エルマーのレンズで撮った時と同じです。ただし、空に露光を合わせて向日葵の花が黒く潰れてしまったので、今回は二絞りほど露光を多くした。
ノンコートレンズ、完全な逆光では、滲んでコントラストが上がりません。

丸く大きな花を囲んだガクの葉が内に折れライオンのたてがみ状態になる。そこを撮りたいのだが・・・
たてがみをもっとくっきり出すためには、空を落とす必要ある。フィルターを使う?それともストロボを焚き、日中シンクロ?
フィルターを使うにも、日中シンクロするにも、このカメラとレンズではできない。
NikonSP あるいは Nikon Fで挑戦してみるか・・・・
- 2014/08/19(火) 23:27:57|
- ひまわり
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大崎駅地域、再開発ビルの夕暮れを撮影。

見上げると、カラスが一羽飛んでいる。
最初は、猛禽類の隼か?と思いました。 日本のカラスは欧米に比べ大型、高い空にも舞い上がる。
鴉と言えば、深瀬昌久の「鴉」は、記憶に残る名作です。それにあやかって(真似して)今頃、鴉を撮っても、褒められたものではありませんね。写真雑誌を見ていたら、若いカメラマンだろうか、過去の有名な作品をまねた写真が載っていた。売り出すためなら、こういう方法もあるのかなぁ~~無から有を生み出す美術と違い、被写体がなければ何もできない写真。すべて撮りつくされたわけでもないと、思いたいが・・・・

夏の日は、ビルの陰に遮られ、逆光となり、雲の輝きが増す。ビルの高さを出したくて、縦位置で撮影。

雲の紋様が面白い。ビルと雲が対立/争う雰囲気がある。横位置に構え、露光を切り詰めて撮影する。
ビルの部分が暗く潰れるので、トーンカーブを使い、浮き上がるよう調整した。印画紙に焼き付けるなら、覆い焼きをしたいところです。
こうゆう写真、すでに誰かが撮っているかもしれないが、アマチュアだもの、××の真似していると非難されることはない。古いレンズとフィルムで撮影。結構、楽しいし、面白い。
- 2014/08/18(月) 18:17:07|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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昔の写真雑誌を読んでいたら、木村伊兵衛の対談記事が出ていた。
「絞りは6.3も絞っておけば、大概ピントは合うものなのです。」と氏は述べている。
この頃、デジカメで撮影している人は、絞りをあまり気にしないし、f:6.3と聞いても「ああそうか」当然という気がするでしょう。少し前、フィルムカメラを使っていた人なら、f:6.3 なんだ?変だなぁと思うでしょう。
f:6.3の値は、ライカの初期のレンズの絞りの系列で、大陸絞りと呼ばれるものです。ライカ初期に販売された、Summar 50mm F:2レンズ あるいは Elmar 50mm F:3.5レンズには、その絞りが刻まれてます。f:2.2、f;4.5、f:6.3、f:9、f:12.5、f:18。
すぐに、ツアイスの使っていた系列、f:1.5、f:2、f:2.8、f:4、f:5.6、f:8、f:11、f:16に統一されていきます。
木村伊兵衛氏は、古いライカのレンズを使用している!とそのとき気づきました。
それから、努めて、町でスナップし、人物を撮影するときは、f;5.6あるいはf:8に絞って使っています。

当時のフィルムの感度はISO50程度、増感してISO100で使ったとしても、f:6.3なら、シャッター速度は1/30秒程度で撮影したことになります。居合抜きのごとき撮影だったという話が伝わる。撮られたほうも、気づかなかったようだ。それでも手振れはしていない。それだけ習練を積んでいたのでしょう。
しかし、いまとなっては立派な盗み撮りである。現在はご法度だろう。
とはいえ、小生も時たま、真似をし、秒撮と称しスナップするが、氏の域には到底達しない。
何枚かに1枚は、撮られた人の視線が、レンズを捉えている。そのネガは、印画紙に焼くことも、PCに取り込むことなく、そのまま、没にする。
氏の撮影した写真を、何度となく見返す。眼差しの自然さが重要だと気づく。それに付随する所作を見極めないと、撮れるものではない。時に重要なのは眼差しの先。写っていることもあれば、ない場合もある。ない場合は、それが何かを予見させる切り取り方になっていて、イメージが膨らむ。うまいなぁと思う。
当時その場にいたら、ごく自然の光景で、誰も気にもとめず、見えていなかっただろう。しかし、氏は見抜いていた。見えない大事なものを見ていると思う。カメラのレンズを通し、氏は時代を切り取っていたと思う。
顔が写り、人物の特定がはっきりするカットは、絶対非公開だが・・・後姿ならOKだろうと、ブログに載せました。
横顔が少し覗きますが・・・それが、ポイント。話しかける瞬間を狙って秒撮しました。フォトジェニックなカップルです、許してください。両手に買い物をぶら下げて足早に歩く男性が写っています、数歩先を歩いてくれれば、もっと二人の姿は浮き上がったでしょう。
絶対非演出のスナップ写真です。これも致し方なし。
何十年後・・・・この時代を切り取った写真になっていればいいなぁと・・・思っています。
- 2014/08/18(月) 11:34:11|
- オールドレンズの密かな楽しみ
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土門拳の随想に「カメラは安物で結構だ」というのがある。
プロは、失敗がゆるされない。クライアントの求めに応じ、どのような対象物でも上手に撮るため、万能の、最高のカメラを手にしようとする。仕事をするための必要経費で、減価償却の対象となる。
しかし、趣味で撮影するアマチュアが、そんな高価なカメラを買ってどうするのだ?
それより、撮ることに専念すべきではないか?という問いかけであった。
そして一言、「写真を見る人は、写真を見るのであって、写したカメラを見ているのではない。」
そりゃそうだと思う。
Lマウント(ライカマウント)のいいレンズが、中古カメラ店の棚に並んでいた。
その一つを手に入れ、安い中古国産のレンジファインダーカメラにつけて遊んでいた。
もともとNikon SPを使っていたので、ライカ系レンズと、ツアイス系レンズの違いを知りたいという気もあった。
時に違いを感じたこともあったが、写真の出来は、対象のインパクト、うまくシャッターチャンスを掴めたかできまり、カメラではないと実感する。それでも(自分の腕を棚に上げて・・・)古いレンズの微妙な差を楽しみにしてしまう。

カメラは コシナ製BessaR を使用。ライカⅢfではありません。(純正のライカカメラを、持っていません)レンズはElmar50mm F:3.5 ノンコートの古いライカレンズです。中央の杭にピントを合わせました。杭まで約1.5m。レンジファインダーでは最短で1mまでしか近づけません。f:6.3の被写界深度は1.3m~1.75mくらいでしょう。この範囲外はボケていると判断されるでしょうが、像の崩れが少ないので、違和感を感じません。古いレンズでも、高解像度感はあります。1937年製、コーティングなしのレンズと説明したら・・・・77年前のレンズです。そんなのが今でも使えるの!?と驚かれるのでは。

向日葵までの距離は、同じく約1.5m。太陽を向日葵の花で隠しました。完全な逆光で撮影。露光は空に合わせました。
それでも、内蔵露光計の提案する絞り値より一絞り開けています(オーバー露光)。
アマチュアは、写真を楽しめればいい。どんなカメラで、どんなレンズで撮りろうが、写真を楽しんでくれというのが、土門拳の「カメラは安物で結構だ」の真意なのだろう。
- 2014/08/17(日) 10:42:26|
- ひまわり
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BessaRは、1999年コシナから発売された,ライカの古いLマウント用レンジファインダーカメラである。
今頃になって50年以上前のレンズを使うカメラを販売するなんて?!・・・と その当時、驚いたが、中古品のLマウントカメラを使うよりいいだろうと、購入していた。
BessaR、プラスチックが多用されているので、昔の機械式レンジファインダーカメラより軽い。
追尾式だが露光計も内蔵されているのもいい。
散歩用カメラとしては最適だが、これまであまり使ってこなかった。
ツアイス系のレンズが好きなのだろうか?
それとも、コンタックスⅡa/kievⅡやニコンSのメカ、使い勝手が好きなのだろうか?
ライカのレンズ、古くても、写りはいいと思う。
何故?と思いながら、BessaRに古いライカのElmar 50mm F:3.5をつけて散歩に持ち出していた。フィルムはISO400のTri-X。

ライカのエルマーといえば一世を風靡した名レンズ、1930年ライカの発売当初よりついていたレンズ、M型ライカになっても販売されていたから30年の長い期間、第二次世界大戦をはさんで販売されていたことになる。累計で30万本が市場に出てきたようだ。
これは戦前の1937年製、ノンコートレンズ。
4枚のシンプルな構成のレンズだが、無理した設計でないので、現代のレンズと比べても、写りに遜色ないと感じている。
下神明駅近くの音楽学校幼稚園の壁を撮影してみた。

下神明駅は、ホームの改修工事中、エレベーターも設置するとか・・・半逆光で撮影。追尾式露光計によれば、少し露光不足の警告、でも、空に対して適正だろうと シャッターを切る。全自動のAEだと、カメラ様の言う通りにしろ・・・ということなのか?補正ダイアルでもあって、それをいちいち回すのか?
追尾式のほうが、小生の気質に合ってる。カメラは、奥ゆかしくあるべきだ。

露光オーバーの警告を出す。
空に対して三絞り以上オーバーだろう。しかも逆光、ノンコートレンズでは最悪の状態。
日の当たらないコンクリート脚のディテールも出したいと思ったので、敢えてたっぷり目の露光で撮影。
警告には従わなかったが、画像を検討すると、これなら、3絞りほど絞っても(シャッター速度を上げても)よかったか。
暗く潰れているところ、ネガには写っているし、PCに取り込むとデーターはある。
トーンカーブを調整すると、すこし頼りない写真となる。階調性が滑らかにつながらない。

印画紙に焼き付けるなら、覆い焼きというテクニックがある。最新のレタッチソフトには似た機能があり、簡単にできるようだが、小生の古いバージョンのレタッチソフトでは、機能はあれど、実行するとなると、大変手間がかかるし、うまくいく保証もない。
暗くつぶして、空との対比にしたほうが、見栄えがいいだろう。

2.5m程度離れた百合の花にピント合わせている。この絞りだとピンが合うのは2~3mの間、それ以外は全てピンボケになる。レンジファインダーの泣き所、どれほどボケているか確認できない。NikonFならボタンを押して絞り動作させ、ボケ具合をある程度、撮影前に確認できる。ボケコントロールは、経験するしかない。
露光もオーバーの警告ランプがつく。
百合の花を白く輝くよう、長屋のディテールを出したいので、露光オーバー(長屋に対しては適正か?)にしました。
f:6.3/250秒の露光を選んだが・・・・f:3.5/1000秒にすればよかったかのでは?とも思っています。
まあ、いつも後の祭り、その時気づいて、もう一枚がなかなかできない。
干した白い布の動きには注意してシャッターを切っています。
今回は、縦位置の写真ばかりになっています。
これも、不思議ですね。
- 2014/08/16(土) 12:56:37|
- オールドレンズの密かな楽しみ
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年に数回 恵比寿の写真美術館へいく。
岡村昭彦展を見ようと出向く。
恵比寿ガーデン内を散策し、写真を撮ろうと思たが、撮りようがなくなっている。新鮮な切り取り方ができない。
フォトジェニックな場所は、誰もが同じ構図になりがち・・・
見ると、広場に夏の催し物のテントがあった。
入り口のプレート、読むが・・・意味不明。"LovP Leitpi Project'14" 字面から" Love. Let it be Project'14"と曲解していた。中はプラネタリウムのようだ。
案内パンフレットも見ず、涼しさを求め「宇宙の扉をノック」し、中へ入った。

外は蒸し暑いが、テントの中は空調が利いていて涼しい。

夜空を見上げる。奇妙な宇宙が広がっていた。
暗黒物質(Dark matter)も暗黒エネルギー(Dark energy)も感じなかったが、活発に動く子供のエネルギーに溢れた宇宙だった。
- 2014/08/15(金) 08:54:09|
- デジタルで遊ぶ
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8月8日 蓼科へ旅行するつもりで、用意していると、昼少し前、延期の電話があった。
台風が近づき、長野県も暴風雨に巻き込まれそう。結局、二週間後の8月22日に変更となった。小生は、毎日が日曜なので、なんの不都合もない。OKと答えた。
ただ、準備を進めて、家を出る直前であったのが残念、せっかく行く気になっていたのに・・・

これが、旅行に持っていこうとしたカメラ。保有するフィルムカメラの中では一番軽量でレンズをつけても520gしかない。
ライツ社製エルマー50mm F:3.5 1937年製です。戦前なのでノンコート、フィルターは被せ式になります。すると絞りを変更するときフィルターをその都度外さないといけないので面倒。フィルムもパンクロなのでフィルターは不要と、付けず使用しています。
蓼科高原の涼しい風に吹かれ、「読書三昧だ。」と持って行こうとした本を、台風情報を聞きながら、自宅にこもり読んでいた。台風が去っても、天候は不順、~~~小人閑居、どうしよう??(なんで遊ぼう?)
気になっていた技法があるので、試してみた。

読んでいた本に刺激されていたのか、読んでいた本を中央奥に、手前に盃、右奥に酒瓶、被せるように黒い帽子を置く(ブラックホール?)、そして、砂時計、これは宇宙時間の象徴か?左手より電気スタンドの照明が一灯。
演出写真になってしまったか?そうかも・・・でも技法の確認テストです。
本の題名は「宇宙の扉をノックする」 宇宙に思い馳せ、また、ごく小の素粒子の世界を考える。そして、素粒子の世界から宇宙の謎を追う。毎日が日曜日の身、現世とは段々疎遠となっていく。浮世の束縛をはずれ、楽しさを追求したら、人間界より、宇宙や素粒子の世界に興味が移る。
撮影技法は駆使しましたが、合成写真ではありません。机の上にセットし、光を当て、ストレートに撮影。トリミングする前のネガの状態の画像を添付します。

カメラ、レンズは旅行に持っていこうとしたもの。フィルムはTRI-Xを使いました。
一番奥にある本の背表紙が一番前に写っている。これ錯覚!?
写真は見えたように写るとは限りません。絶対非演出の写真だから、事実を正確に伝えてると「思い込ん」ではいけません。
写真を見る人の先入観、思い込みがあると、簡単なキャップションに引きずられ、イメージを心に刻み込んでしまう危険があります。
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物理の本は面白い。説明を読んでも、よくわからない。わからないから、また読んでみる。
物理では「空間とはなにか?」「時間とは何か?」「存在とは何か?」という文系特有(特に宗教学、哲学)の問いかけ方は、しないようだ。
科学者は、空間の性質を解明し、時間と空間の関係を、数式明らかに記述することに 努力を払う。
この世(宇宙)のあらゆることは、数式で記述できるという信念が、物理学の世界観のようである。
存在とは物質で、重さ(質量)があり、電磁波(光)で確認できるものと理解している。
周期表に載った元素が、物質のすべてであり、それが地球を構成する。人間もそれらの元素でできている。
霊魂が、周期律表に載った物質でできているなら、考慮するが、それ以外なら考慮していないだろう。
物質は、アインシュタインの発見した関係式に従う。
質量はエネルギーと等価と関係づけられた。
この理論予想は、原子爆爆弾の可能性を示唆した式で、不幸にも人間はそれを実現してしまった。
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時間の経過とはなにかを、考えながら撮影してみました。
背表紙の光芒、右と左の砂時計の砂の量の差、二つをつなぐ線・・・・そのあたりが、テクニカルなこだわりです。
この技法、どう発展させようか??
- 2014/08/14(木) 17:22:26|
- 写真の技法
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暑いこの時期は、陽がかげる頃外に出て近所を散歩する。 東急大井町線の下神明駅近くを散歩した。

画面に写っていないが右手に下神明の駅がある。
後方に写っているのは、新幹線。
向日葵の蜜を吸いに蜂が飛んでいた。台風が近づいてきたのか、風が強い。
デジカメの撮影のモードをPにする。液晶画面で構図を確認、ストロボを強制発光させる。デジタルだと、すぐに結果を確認できるので、「だめもと」でもいいと、撮影にストレスがない。使い方によっては、これも技術の進歩のおかげと喜べるが・・・・「やったぁ」という達成感はなくなっている。綺麗にとれても、その手柄は、カメラのもの。物足りなさが残る。
それにしても、画面中央付近の電線、気になる。ないとすっきりとした絵になるが・・・・レタッチソフトで、消してはいけません。
あくまでも、お散歩カメラは絶対非演出。

駅近くの公園で撮影。風に流される葉の動きが面白いので、フレーミングし撮影。
ただそれだけ。だめもとで強制発光。少しは効果あったようだ。
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本日午後から、兄と蓼科に旅行します。こちらは毎日が日曜日の身、台風が近づいているので、1週間ずらしたらと提案したが、来週後半に仕事が入っているとかで、スケジュールは変更できない。
70歳過ぎても、まじめに働いている兄と、もう10年近く毎日が日曜の小生、人生どうなっている?
我々の父は76歳で亡くなっている。死の5年ほど前から病気がちになり、入退院を繰り返していた。
趣味の陶芸を楽しみ、母と毎年のように海外旅行ができたのは、60歳台の10年間に限られる。
70歳までは元気でも、そのあとの10年は病院通い、そして80歳であの世行きというのが、男の平均だろう。
元気に遊んでいられる時間の残り少ないと、認識すべきだ。
人生の酢甕に指を浸け、酸いと確認するか、苦いと思惟するか、甘いと楽しむか そのいずれかなら、甘いと楽しみたい。
蓼科はおそらく雨でしょう
雨にけぶる、いや、霧が立ち込めるかも・・・白樺林、あるいはからまつ林の風景写真でも撮ってきます。
自然の風景を撮るのは、何年振りだろう。精一杯、遊んで来よう。
- 2014/08/08(金) 06:34:34|
- ひまわり
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中目黒の「よさこい踊り」を撮ろうと、いつもより早く夕食を準備してもらったが、老妻を見るとビールを飲み始めている。
当人曰く「たしなんでいる」程度とのこと。つられて飲みだしたら、いつしか時間が過ぎ、結局、行かれづじまい。
夏は、土日にどこかで盆踊りもあるから・・・ 軟弱な考えが頭をもたげる。
東京は暑い日が続いている。外へ出るのは億劫。 散歩は、陽が落ち始める6時少し前と決めている。
老人は朝が早い。午前中の涼しい時間に散歩すればいいのにと言われてしまうが、それができない。
午前中の光で撮った写真は皆無に近い。
しかし、やんごとない用事ができ、新橋へ行く。
TRI-Xのブローニーフィルム、1本欲しかったので、ついでに有楽町まで歩き、ビックカメラで購入しようと出かけた。

暑いので、このごろの散歩にはソニーのデジカメを持って(NEX-3 純正のE16mm F:2.8のレンズ付)いくことが多い。 利点は軽いこと。400g程度である。重いカメラを首からぶら下げるのは、きつい。比較的軽いContaxⅡaにゾナー50mmレンズの組み合わせで約700g、NikonFなら1.5Kg近くになるだろう。
撮影のモードはPに設定。ISO400で撮影。撮影の設定はすべてカメラ任せ、フレーミングに集中できる。
大分 このカメラの癖もわかってきた。散歩中のスナップには最適。35mm位のレンズで、光学ファインダーでもついていたら、最高だと思う。
もし、この場所を、いつもの旧式フィルムカメラで撮ろうとしたら、絞りとシャッター速度を考えて設定、そして距離を目測で合わせる。ファインダーを覗き、シャッターを切る。この一連の動作に10秒はかかる。撮ろうとしたら、10秒まえから設定をはじめないと、シャッターチャンスを逃す。しかし、このデジカメなら、電源スイッチを入れ2秒後にはシャッターを切っていた。更に8秒後だと一番前の男性の位置くらいか。その位置では、面白味のない構図になっている。

新橋駅、駅前。この男性服専門店のビル、広角レンズで狙うとしたら、右のほうに移動し、立体感あるビルとして見上げるように撮影するのが・・・普通である。
それでは ありきたりと、真横から見上げて撮影。カメラはビル壁の明るさにつられ、露光は少し足りない。その分、空の青が強調される。駅舎の屋根とバスの屋根が暗く沈む。予想した映り、このカメラ賢い。

数歩下がって撮影。露光は暗部にまで届いている。少し暗いのでRAW現像で1EV明るくしてみた。

さらに数歩下がって撮影。暗部に露光が合うようになる。明るい外は、完全に露光オーバー。D-レンジオプチマイザーを使って現像する。
明暗差の大きな画像は、やはり難しい。ネガカラーなら、この程度の明暗差でも、撮影できたのでは?

準備中のレストランを撮影。ガラスに撮影する姿が写っているが、すこし変。メニューのようなものまで映り込んでいる。
店先に、メニューぶら下がっていたか?記憶にない。

カラー写真と白黒写真では、狙うところが違う。どうしても、白黒向きの切り取り方になる。ここも本来なら白黒ネガフィルだろう。右下に、小さくぼんやりと白いシャツの男が写っている。白黒フィルムなら、もっと浮き出すようにくっきりと撮影できたと思う。

これも白黒向きの被写体かなぁ。

50年ほど前は新鮮な構図でしたが・・・・もはや、広角レンズを使った定番の構図になってしまいました。

広角レンズで、紋様を切り取るのも面白い。
有楽町駅前のビックカメラで、TRIーXの120フィルム(ブローニー)を1本買うつもりで入ったが、ばら売りはなく、5本セットのみ。T-MAX100フィルム5本セットを2セット、すでに購入し家の冷蔵庫に保管中。TRI-Xの5本パックまで購入するつもりはない。迷ったあげく、1っ本売りしていたISO400のイルフォルド製HP5 Plusを購入した。フィルムの棚を見るとKentmereもなくなっている。Tri-Xの100フィート巻もない。使えるフィルムがどんどんなくなっている。大変なことが起きているのでは?
暗澹たる気分で、ビックカメラのビルを出た。

都庁跡にできた、国際フォーラムのビルへ。見上げるように撮影。渓谷にかかる吊り橋の趣がある。これなど白黒フィルムで狙ったら、いい調子の写真ができるのでは?
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Tri-X 100フィート長巻 昭和40年ごろ 価格は4500円程度でした。 36枚撮りで うまく詰めれば20本程度になる。
フィルム1本220円、その当時、パトローネ入りTRI-X 1本 500円でしたから、どうしても、長巻になってしまう。
しばらく価格は4500円くらいで推移していましたが、プラザ合意、ニクソンショックで、1ドル360円の固定相場から、変動相場になり、徐々に安くなっていきます。3800円、3500円、3200円・・・・一番下がったには、日本のバブルがはじけた頃、1995年の2700円でしょう。それから徐々に価格は上がりましたが、デジタルカメラが流行りだした2000年ごろでも3200円程度ではなかったか? しかし、2000年以降は徐々に上がり続け、7年ほど前、本格的に散歩で写真を撮りだした頃は4200円くらいになっていました。それからは、価格はどんどん上がり6000円を超えたとき(2年前)、4500円程度だったKentmere400に切り替えて使っていました。
今年3月 TRI-Xは7180円、それが、本日 ヨドバシで調べると、12110円まで上昇。
kentmere400の長巻も市場から消えています。
TRI-X 長巻、6150円?の頃 4巻購入し、冷蔵庫に保管してあります。
今その1缶を開けて使用中。
撮影に、すぐに支障をきたすわけではありませんが・・・・追い詰められた感があります。
ISO400の長巻フィルム 別の銘柄を探さねば・・・と思っています。
- 2014/08/07(木) 14:21:39|
- 散歩
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神楽坂の阿波踊りでは、85mm F:2のレンズだったので、ISO400のTri-Xフィルムを詰めても、多くのカットで1/30秒のシャッター速度を切らざるを得なかった。
踊りのスピードに追い付けない。
狙らえたのは、動きの遅い場面だけ。
85mmという少し長いレンズなので、ポートレート風の切り取り方になった。
不満が残っていた。
ネットで調べると、1週間後に、中目黒で「阿波踊り」があるという。
家からも近い、好都合と、昨日(8月2日)出かけていた。
今回もフィルムだと、カメラはKievⅡ、Tri-Xフィルムを詰めた。
レンズは、明るいツアイスの50mmレンズ F:1.5のゾナー。1/60秒以上のシャッター速度で撮影できそうだと思った。
実際に撮影しようとすると、シャッターが利かない。古いカメラ、故障していた。
サブにと持参したデジタルカメラ、Sony NEX-3 レンズはE16mm F:2.8 ISO400で撮影することになった。
それも、また楽しい。(ズームレンズではありません。フレーミングは、足で行う、これが基本です。35mm換算 24mmの広角レンズです。)

ゴール近くに陣取る。
右端の提灯を持った人は、係員。その前の女性は、公認のカメラ・ウーマン。(許可証を首からぶら下げています。)
もう一歩前に出て、ゴールの文字の上に立ちたかったが、係員がこっちを睨む。
ゴールの白文字、写しこんだら、構図上よくないなぁ・・・と心配した。
連の踊り手が、ゴール近くに来て、踊りを止め、ほっとしたところを撮ろうと思ったが、連が近づいてくると、公認カメラ・ウーマン、道路の真ん中に出てきて、撮影を始める。残念ながら、期待した光景を撮影できませんでした。
「いなせ連」を引き連れてきた、この団長、なかなか「いなせ」です。
しかしゴールの白文字、目障り。団長が引き立ちません。一歩前で構え、一呼吸前にシャッターを押せたら、よかったと思います。

道路の白線を入れないように狙いましたが・・・構図は不十分。もう少し狙いようあるのでは?
せっかく素敵な踊りを見せてくれるのに・・・写真の腕足らず、と言われそうです。(何年撮っている??)

目黒区役所も連を出していました。真ん中は、目黒区長のようです。両サイドは幹部職員でしょう。

白線を入れないよう、場所を選んでいます。その分、写真は説明的で面白味/新鮮味に欠ける。こんな祭りですと、記録しているようなもの。それ以上でも、以下でもない。よく写っていても、眼(耳)に胼胝(たこ)の説明的写真です。「何が面白い?」と詰問されたら、「うぅ~~」とうなってしまう。
撮影許可の許可証を首からぶらさっげて撮っている人が、かなりいます。おそらく男女とも5名程度。祭りの記録は、そちらがしている。
ならば、祭りの記録ではなく、祭りそのものを、撮れないものか? 写真撮りながら考え込んでしまった。

このほうが、踊りの熱気を感じないでしょうか?

道路の白線がなんだという気分。男踊りのこの熱気。「踊る阿呆」なんて呼べません。画面が引き締まり、決まっています。構図は二の次。

お囃子の連もいいなぁ。

この連は、三宿自衛隊の連でした。三宿駐屯地は世田谷区のはず。しかし、中目黒のこの会場から、それほど離れていません。直線で1km位か、歩いても20分くらいでしょう。
目黒区には目黒川近く、ここから1kmくらいのところに、目黒駐屯地があります。そちらは参加しないのか?

道路の白線は・・・気にはしていないのですが・・・・道路上には。許可証を首から下げた人が闊歩しています。撮影ポイントはなかなか得られず、横断歩道の印のある交差点で、撮らざるをえない。構図より、祭りの精神を撮ることだと、開き直っていました。

縦位置でフレーミングすることが多いのですが、今回はすべて横位置でフレミングしていました。
不思議ですね。
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カメラは修理に、明日出します。予備に同じKievⅡをもう一台持っています。
中目黒のお祭り、本日は、「よさこい踊り」とのこと。KievⅡを持って再挑戦してみるか・・・・悩んでいます。
- 2014/08/03(日) 14:57:19|
- 人物 ポートレート 踊り
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以前 繁華街を散歩すると、現代のモニュメントと思えるビル、それが織りなす都会の景観そのものに目が行き、カメラを向けることが多かった。
デジカメを手にし、パチパチと、フィルムのなくなることを気にせず、写していると、意識は徐々に変化して、全体より一部を切り取ることの 面白さに気づきはじめる。
カメラの眼が変化してきたのだろうか?

ガラス窓に反射する光景は、これまで何度も撮影してきたが・・・こういう切り取り方は、あまりしていない。
必ず、空を少し入れ、ビル全体を入れることが多かった。できればガラスに反射する雲と、実際の雲が入るよう、フレーミングする。(技巧に走りがちでした。)

ビルの一部を切り取り、紋様として見ることはなかった。

以前なら、中途半端な構図だなぁと、こういう切り取り方は避けていたが、この頃は、こんなのでもいいのでは?と納得してしまう。
ブログ・サーフィンすると、一点の間違いもないように整った写真が、溢れている。
しかし、みな似たり寄ったり、すでにどこかで見たことがあるような写真ばかりと思ってしまう。
それに対する反発心か、同じように撮ることもないだろうと考えてしまう。
プロなら、人の評価は重要な事項。
クライアントの意向に沿う写真を撮らなければというプレッシャーがあるだろう。
しかし、趣味で撮っているアマチュアは、あくまでも楽しみ、生活の張を感じ撮っているだけ。
美しい写真を狙わなくてもいい。そう思うと、楽にシャッターを押せる気がする。
直感で撮っているわけではないようです。
- 2014/08/02(土) 14:15:02|
- 都会の景観 Tokyo
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