7月26日(土)、神楽坂で阿波踊りがあると聞き、「撮る阿呆」になろうと思い、行ってみた。
神楽坂・・・嘗ては、大物政治家が、神楽坂の料亭を舞台に、秘密会合を行った場所。ロッキード事件で、神楽坂に料亭があることを知らされた記憶が残る。皇居の北側、霞が関の官庁街からも近い。
「神楽坂」、響きがいい、おそらく芸者さんの連もあるのでは?と期待していた。

6時、子供たちの阿波踊りが始まる。女踊りをするのは、大人の連に参加する父兄の飛び入りだろう。揃いの半被を着た大人達は、学校の先生だろうか?そんな想像をする。

7時になると、大人の連が始まる。その少し前、家族の記念写真を撮るお父さん。今のデジカメ、綺麗に撮れます。

いろいろ探したが、残念ながら神楽坂芸者衆の連はありませんでした。

祭りに参加する「踊る阿呆」の沿道には、デジタルカメラ、スマホ、タブレットを持った人が立ち並び(座っている人も多いが・・)盛んにシャッターを切る。写されることを前提に「踊る阿呆」になっている。「撮る阿呆」は、それを共通認識だと思ってシャッターを切る。

85mmのレンズを使ったので、上半身のポートレートを撮影できる。周りの沿道には、デジタルカメラを持つ人が多い。おそらく、気づいていない。

戦後まもなく「リアリズム」写真を唱えた土門拳は、絶対非演出の写真を標榜した。
しかし、彼も表現の自由と、個人の尊厳(人権)の問題では苦しんでいる。どちらの概念も、戦後民主主義では重要な守るべき概念・理念である。リアリズムは表現の自由の範疇に入る。また個人の尊厳は、人権として守られるべきものである。
「人を黙って撮っていいのか?」と詰問されたら、うまい弁明の言葉など、持ち合わせていないと告白している。
写真でしかできない表現の特徴は、対象物(モチーフ)をよく見、感じたら、絶対非演出で、その場面を切り取ることができることにある。これが、絵画、映画、劇との根本的な違いである。非演出で撮らないと、大事なものが消え、嘘、虚栄に覆われ、写すべき現実が隠されてしまう。
写真は、非演出(断りもなく)で撮りたいが、盗撮と言われたら、それは、そうだ。平身低頭謝るしかない。
昭和31年の雑誌のコラムにそう記述している。
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難しい問題が横たわっている。3.11の大津波の後、日本のカメラマンが群れをなし、現場に行き状況を写真に収めている。なかには、あまりの悲惨さに、1ヶ月、カメラのシャッターを押せず、ボランテアの救助活動に参加していたとうカメラマンもいる。それも 正しい行為だと、尊敬する。
外国のカメラマンも入った。外国では、彼らが撮影した眼を覆いたくなるような写真が出ていたが、日本のカメラマンは、死体を写すようなことはしていない。 暗示的に示す写真が載るだけ。 本当の悲惨さは、外国のカメラマンのほうがよく伝えている。
死体を写すことが個人の尊厳を傷つけることになるのか? 遺族の感情を傷つけたくないという配慮か。
「撮らない」という演出があるのだろう。
現実を直視し、絶対非演出を唱えた土門拳なら、どうしただろう?
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日常のスナップ写真など、そんな重い命題を背負っていないよ、と嘯くことができるが、本来は見過ごすことできない命題だと思う。
この頃は、撮影時に前もって断り、人を写す(もはやスナップではない)安全な演出写真の時代。
或は、人を写せないなら花鳥風月だと、趣味で写真を撮る人は向かう。
毎日が日曜日の、少々ボケの始まった老人だが、
「本当に大切なものは見えない」 それを撮ろうとする気持ちはある。このグログを始めた最初の写真が、発端。
二人の後姿に、眼には見えていないが、なにか大切なものが写っていると感じている。
絶対非演出という言葉に、魔力を感じる。
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沿道の「見る阿呆」を、スナップしてしまいました。
絶対非演出です。
盗撮と詰問されたら、謝るより致し方ない。
だから絶対非公開です。
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- 2014/07/30(水) 11:52:20|
- 人物 ポートレート 踊り
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フィルムの時代は、いいレンズ(好みのレンズ)があれば、それでいい。
カメラは安物でも、画質を決めるのはレンズという理解だった。
レンズが決まれば、次の選択肢はフィルムを選ぶことであった。
高級なライカであれ、安いカメラであれ、使うフィルムは同じ。レンズが同じ/同じレベルなら、ライカのカメラで写したのと遜色ない。写真の良し悪しは、撮影の技量、暗室技量(現像、焼き付け)でが決まる。写真は、カメラより腕で撮るものだと、
ライカを 横目で見ながら、そう嘯いていた。高くて手が出せない。
今はデジカメの時代。どうなのだろう? 興味深い。かといって、デジカメを買いあさり、比較するには財力は乏しい。
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棕櫚が面白いと撮影してみた。

ソニーのNEX-3で撮影したもの。使ってみて3年以上たつ。最初の頃は、よく写るデジカメと思っていたが、使い慣れてくると不満も出てくる。画質が良くないと感じる。意識したのは写真仲間と一緒に撮影し、出来栄えを比べた時。ニコンの高級一眼デジカメに比べ、ワンランク画質が落ちていた。自分の腕のなさを棚上げにして、カメラのせいにしているのかも・・・しれないが。この棕櫚の写りも、感心しない。

モノトーンに変換したが、白黒写真のトーンになっていない。撮影時設定をHCB&Wモードにしておけば、もう少しまともなモノトーン写真になっていたかも。

Tri-Xフィルムで撮影。トーンが豊富で、黒の締りもいい。

Rollei赤外400SフィルムにR72フィルターをつけて撮影。また違ったトーンの写真となる。

久しぶりに個性的なフィルムに出会ったと思う。

ざらとした銀粒子が残り、小生の好みには合わないが、使っていて楽しい。
この棕櫚の葉、Panatomic-Xフィルムで撮影したらどうなるだろう?製造中止になったフィルムを思い浮かべる。
Ilford PanF50フィルムが、Panatomic-Xの代用になると思いテストしたが、違っていた。
もう少し、いろいろなフィルムを使って/試してみよう。
撮像管を交換できるデジカメはまだ発売されていない。
フィルムカメラなら、フィルムの種類を変えるのは容易なのだから。
- 2014/07/29(火) 09:07:10|
- 写真の技法
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神楽坂祭りが 行われていた。 夜になると、屋台が並ぶのでしょう。

目で見たよりはっきりと、よしず越しに後ろの光景が写しだされている。Rollei赤外400SフィルムとR72フィルターの組み合わせで可能となったのでは?Tri-Xなどのパンクロフィルムでは無理だった気がします。

神楽坂下の飯田橋で撮影。千代田城(江戸城)の外堀の石組です。このフィルムの特性が段々呑み込めてきました。いかにも赤外線フィルムで撮りましたという写真は撮りたくはない。パンクロフィルムの延長で使いたい。とはいえ、これもTri-Xなどのパンクロフィルムでは表現できないトーン(階調)になっています。

皇居に向かって歩いていくと、靖国神社にでる。
このアングル面白い。85mmレンズで狙ったら面白いだろう。巨大な鳥居と小さな銅像と人物の対比。それををシルエットで抜く。
撮影日を選び、ベストポジションに人物が来るまで、辛抱強く待ち、思い描く構図が完成した瞬間、シャッターを押す。
そんな真似できるだろうか?それほど、辛抱強くありません。
- 2014/07/27(日) 08:16:43|
- 都会の景観 Tokyo
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皇居のお堀づたいに東京駅へ、光線の具合がいいところ、撮りたいと思ったものにレンズを向ける。

白黒フィルムだと、半逆光の光線を選ぶことが多い。見栄えよく撮ろうとすると、ありきたりな構図になってしまう。
綺麗な写真は・・・卒業したい。美しい写真を撮る人はたくさんいる。美しく撮る人もいる。同じような写真を小生まで撮ることないと思う。
こういう写真が好きだが、あまり受けないことも、確か。

お堀の一角、藻が異常に発生していた。面白いと思い撮影していると、隣にうら若い女性のカメラマンも来て、レンズを向ける。
結果を見せて貰ったが、藻の色が深緑、バックの水面は暗く、水草が浮かび上がらない。PLフィルターで光線の具合を調整すれば、良かったのだろう。この辺りは 直感で撮るより、理詰めな経験が必要だろう。
- 2014/07/26(土) 13:02:48|
- 都会の景観 Tokyo
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健康のためカメラを持って散歩している。(何も持たず散歩すると、不審者? カメラをぶら下げていれば・・・)
梅雨が明けたので、ようやく電車に乗り、散歩する気になれた。
今回は、飯田橋から東京駅まで散歩した。蒸し暑い一日だった。
東京駅に着いたのは、午後4時ごろ。
定番の景観を撮影。

Rollei赤外400Sを使用してる。
独特の階調性に仕上がる。なんとなくシュールなトーン。他のB&Wフィルム、Tri-X、Acros100、Kentmere400・・・では出せない階調性でしょう。デジタル一眼で撮影し、レタッチソフトで画像処理したらできるだろうか・・・誰か挑戦してみませんか?

これは真っ当なフィルムの階調性。コントラストをあげ、焼きこむのが常道でしょうが、こういう感じも好きです。

振り返り、逆光で撮影する。
こういう調子になるよう撮影し、焼き付けるの意外と難しい。簡単と思うなら、試してください。
デジタルなら設置を変え、いろいろ試せます。オプチマイザー機能つきのデジカメなら・・・可能かなぁ。

このフィルム、使い方により、また光線状態を選ぶと、ラティチュードがかなり広く使えます。
画像はレタッチソフトを使用し、トーンカーブを調整しています。これが限界です。
デジタルカメラには、露光を変え複数枚同時に撮影、それを重ね合わせ、一枚の画像を作る機能もあると聞きます。暗いところから明るいところまで、滑らかに調子をつなげられる・・・すごいと思います。
そうなったら フィルムの出番はなくなりますね。
- 2014/07/25(金) 12:38:42|
- 都会の景観 Tokyo
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7月8日のデジカメの撮影で、今までは通り過ぎるだけ、意識しなかった棕櫚の樹が意外に面白く撮れることを発見した。
今回は、その棕櫚を、フィルムで撮影してみました。
日陰で暗いこと、レンジファインダーでは1m程度にしか近づけないこと、50mmなので、広角レンズに比べ、被写界深度は浅いことなど考慮して、f;2.8/15秒で撮影。手持ちで1/15秒を切ることは、かなりの冒険。手振れの危険性が極めて高い。

どうにか、手振れを感じさせない写真を撮ることができた。
この棕櫚の樹、面白い。また別の撮影法があるように感じる。
- 2014/07/23(水) 13:25:03|
- 樹、草、花
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撮影時、モノトーンを指定できるデジカメならそうすべきだろうが、多くはカラーで撮影、レタッチソフトで、白黒に変換している。
長年、白黒フィルムで撮影してきたので、どうしても眼は白黒の光線を追ってしまう。それをデジタルカラーで撮影し、白黒に変換して、白黒フィルムで撮影したようなテーストが出るのか、それとも、デジタルモノトーンと呼ぶべき新しい表現法になっていくのか・・・興味深い。デジタルがフィルム表現を含み、さらに違った領域をもカバーするのであれば、白黒フィルムを使う理由はなくなる。

銀塩フィルムなら狙う光線。半逆光。たっぷり目に露光をかけて、暗部をつぶさないようにする。この光の状態ならフィルターの効果は薄いだろうが、場合によってはYあるいはYGフィルターを選択するかも。
それをデジタルカラーで狙ってみる。
SonyNEX-3 モードは「おまかせオート」で撮影した。
そのまま 白黒に変換してみた。

平凡な写真になる。不可とはいえないが・・・満足できる写りではない。
RWA現像するとき、D-レンジオプチマイザーで、暗いところを起こし、ハイライト部を抑えてみた。

ベンチに座る人達、後方の自動販売機の階調がおかしい。滑らかにつながっていない。
白黒に変換してみる。

画像をRAW現像でいじると、階調性が失われる。中間の色がなくなり、櫛の歯のように飛んでしまうのだろう。
本来は異なっている灰色が、同じ灰色となって画面を覆う。
撮影したRWAデータを現像し、レタッチソフトに16ビットカラーとして画像を受けとる(TIFF)。
各色16ビット、正確に光の強度を記録しているなら、すごいと思う。
少々の画像処理でも階調性は滑らかにつながるだろう。
しかし実際は、各色12ビットで処理しRAWデーターとして保存している(と推定)と思う。
現像処理で、途中のトーンが櫛の歯のように欠落してしまったようだ。
組み込まれているADコンバーターの精度の問題か、現像ソフトの問題か・・・わからない。
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7年ぐらい前、デジタル一眼を購入しようと調べたとき、撮像素子の感度特性は、明るいところで寝てしまうが、暗い部分は足があり、全体のダイナミックレンジは、3桁すなわち1000の位に届いていた。ほぼ、銀塩に並んでいた。このまま技術が進めば、ダイナミックレンジは確実に銀塩を超える。デジタルなので、暗部の足の部分のゲインを上がれば、すごいことになる・・・・
1000なら10ビットでOKだが、0.25単位で量子化し4000の階調に分ければ(12ビット)、綺麗なカラー写真になるだろうと思った。
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デジタルカメラの価格と、階調性には、相関性があるのだろう。
Son NEX-3でも、普通の使い方では、あまり欠点に気づかない。
わかるのは、高級なデジカメと同じ被写体を撮影し、見せ合ったとき。
現像シフトや、レタッチソフトで、凝った画像処理をしたいと思ったとき。
やはり高価なデジカメで撮影された画像データーは、余裕がある。
撮像素子、ADコンバター、画像信号処理基盤、ソフトウエアが画質を決めている。もはや電子機器の世界になっている。画質は、デジルカメラのボディーで決まる。画質が財力で決まるとしたら・・・・
Sony NEX-3 どう使うべき?

これは、フィルムで撮影したもの。無理に空を焼きこんでいる。ビル、道路など、かなりメリハリがつくようg(傾き、コントラスト)を上げているが、階調性は滑らかにつながっていると思う。それに、銀粒子が現れザラッとしているが、70年代のコンポラ写真のおかげで、違和感を感じない。
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40年以上前は、レンズが画質を決めていた。そこで、良いレンズを1つ購入し、それを互換性のある安いボディーにつけて撮影するスタイルが多かった。高級なカメラであれ、安いカメラであれ、使うフィルムは同じ。高級機でTri-Xなら、安いカメラもTri-Xを選べばよい。写真の画質は同等である。差は、カメラマンの腕だけだろう。いいレンズが1本あれば、永久に使える様な気持ちでいた。
画質はデジタルカメラのボディで決まる。電子機器製品の寿命を考えるとは、それほど長くは使えない。プロなら、それが当たり前でも、アマチュアはどうだろう?
子供の成長を撮ってきた。個人的な思い、撮影時の記憶をカメラは吸い込んでいる。捨てられない。デジタルへの完全な移行・・・・機械式カメラに慣れ親しんでしまった小生には無理かも。もうNikonF、NikonSPとは45年以上の付き合いになる。
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今のところ、デジタルモノトーンとフィルムの白黒は、別物なのだ。(と思いたがっています)
この結果から、デジタルが、フィルムにとって代わるには、まだ、時間がかかるだろう・・・と思いたいが、意外と近いかも。
そんな予感がしています。
ライカのモノクロームMは高すぎるが・・・
- 2014/07/20(日) 14:48:09|
- 写真の技法
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ブログサーフィンすると、デジタルカラーをモノトーンに上手に変換し、見ごたえのある写真が載せられているのを見る。
どうやるのか? コツは何だろう・・・知りたくて練習することにした。

全てカメラ任せで撮影。フレーミングしボタンを押しただけ。RAWで画像を記録。メーカーの現像ソフトでTIFFファイル(16ビット)、レタッチソフトで、そのままJPGファイル(8ビット)に変換した。
空の光を受け、幹に対しては露光不足、暗く潰れているように見える。見どころない写真である。
このまま、グレースケールに変換。

白黒も平凡、見どころもない。
RAW現像でパラメーターをいじり、白黒写真が少しでもキャッチーにならないか、試してみた。

D-レンジオプチマイザーで、暗いところを起こすと、幹のデイテールが出てくる。ハイライトは抑え気味にする。次にトーンカーブの緑を調整し明るくした。異様な写真となった。デジタルカラーで作品を考えるなら、トーンカーブをいじらず、色温度の調整するのがいいのだろう。
画像に記録された色、彩度、明度を一定のアルゴリズムに従い変換してる。データーを消去し(目障りな部分を消す)、書き換え(なかったもの加え画像をキャッチーに仕上がる)ているわけではない。
今回は、柳の葉を白く強調したいので、トーンカーブをいじってみた。
銀塩のフィルム時代なら、フィルターを選択し撮影。引き伸ばしの時、覆い焼き、焼きこみ操作を行うようなものだろう。

白黒フィルムならYGフィルターをつけて撮影した感じだろうか。

デジタルでも、そこそこの良い感じに仕上がっていますが、今一という感じです。
この柳は 7月5日のブログに載せたものと同じです。その時の画像(フィルム撮影)を再度サムネイルで添付します。クリックすれば大きくなります。
比較すると、フィルムからの移行は躊躇してしまいます。
黒の締りがない。黒く焼きこむと中間の階調性が失われてしまう。
階調性が狭く、階調性のカーブがフィルムと違っているという印象を受けます。
これはデジタルだから・・・と拙速に判断すべきではないでしょう。ソニーNEX-3の限界かも。開発した技術者もモノクロームの使い方を想定していなかったと考えるべき。ソニーの技術者は、白黒モードにHCB&Wモードを組み込みました。階調性を考えてのこと。これは成功しています。この機能使えば、確かにそれなりの効果がある写真が撮れました。しかし、所詮 お遊びモードのような気がします。みな同じようなテーストに仕上がってしまう。(表現の幅が狭い)
メーカーが、やる気になり、専用機を作ろうとすれば、銀塩フィルムを超えることは 容易だと思います。(と期待)
しかし、白黒専用では、市場は限られ、開発コストを考えたら、高いものになりますね。
ライカ好きが多い日本なら・・・Mクロームライカ 売れるが、市場規模が小さいので、ニコンやキャノン 白黒専用機には手を出さないでしょう。

家の近所、カラーで撮ったら見どころのないつまらない写真だが、フィルムでフィルターを効かせると、目に見える世界の裏の別の世界を映しているのでは?と一瞬思ってしまう。色の情報(具体性)を断ち切りると抽象性が現れる。
これが 面白い。そのうちデジタル・モノトーンもこの領域に踏み込み、さらに表現の幅を広げるのではないかと・・・期待している。
- 2014/07/18(金) 13:02:29|
- デジタルで遊ぶ
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20世紀の終わりごろ、コダックの百万画素コンデジを手にしたとき、画素数が800万まで向上したら、デジタルの時代と踏んでいた。IC技術の発展は速い。数年後には800万画素以上のデジタルカメラが市販されるようになる。
ミラーレス一眼Sony NEXが市場に出て来た時は注目した。マウントアダプターを用意すれば、古いレンズを、デジカメでも使える・・・これだと、購入していた。

しかし、購入してもあまり使わなかった。モノトーンの写真が、自分の感性に合っているように感じていたから。フィルムの時代もカラーフィルムはあまり使わない。家族旅行の時、バカチョンカメラと言われた、露光とピントを自動で合わせてくれるカメラに詰め、撮影する程度。
Sonynこのデジカメを手に入れても、結局は同じような使い方をしていた。ちょっとした家庭の記録に使い、時たま、古いレンズをつけ、楽しんでいるだけでした。
デジタルカラーの画像をレタッチソフトでモノトーン写真へ変換することは、ほとんどしたことがない。
しかし、時代はデジタル。反省し使ってみるとやはり便利。HCB&Wモードで撮影すると、かなり面白い。フィルムでも同様なトーンにできそうだが・・・難しいような気もする。

デジタル・カラーをレタッチソフトでモノトーン変換してみたら、何か違和感を感じた。フィルムでは出せない階調。何か眠く、階調性が低いような気がする。カメラ任せ、HCB&Wモードなら、充分満足できる白黒写真が撮れたのに、どうして??
中延近辺を散歩し、テスト撮影を続行している。これは本日(7月15日)撮影したもの。Sony NEX-3 E16mm F:2.8のレンズ、モードは「おまかせオート」

レタッチソフトでRGBデータをグレースケールに変換、白黒の画像を得る。眠ったいので、トーンカーブでS字に調整、コントラストを効かせ、全体を暗く焼きこんだ。黒に締りがなく、全体に階調性が低い。

カメラのHCB&Wモードは、直接8ビットのJPEGファイルになる。レタッチソフトで、調整すれば、階調性は銀塩に比べ落ちているが、白黒のくっきりとしたキャッチーな写真になる。フィルムでは出せない階調性で、感心している。

「おまかせモード」はRGB各色16ビットのRAWデーターで得ている。
これなら、白黒変換しても16ビットは確実。むしろ色の情報からさらに補正ができ、階調性は銀塩よりずっといいはず。
トーンカーブ処理、焼きこみ処理などしても画像の劣化はほとんどないだろう。
すべて16ビットモードで処理し、最後にハードディスクに保存するとき8ビットに落としている。
しかし、結果は 眠い画像、コントラストが足りない。6ビット或は7ビット画像程度では?なぜだろう??
デジタル、解像度という点では、フィルムを超えている。感度も段違いにいい。しかし、画素の階調性に関しては(カラーなら色の深み、色空間)では、まだ銀塩を超えていないかも・・・
ソニーの画像処理ソフトに問題があるのか、ハードウエアーか?
写真は理屈ではないとはいえ・・・原因を究明したいのは、理系人間のサガ。
早速、画像のプロパティを見る。
画像はAR2という形式で撮影されている。
ファイルサイズ 14.8MB
画像サイズ 3056×4592 計算するとほぼ1400、0000画素(14.0M画素)
色空間 sRGB
色空間がsRGBで記録されている。普通のテレビ、モニターなら充分だが、印刷の世界では不足。PCで見たときと、プリンターに打ち出して見た画像が時として異なった印象を受けるのは・・・これが原因か・・・・
プリンターの色空間はAdobeRGBでなかったか? sRGBに比べ広い。モニターもAdobeRGB対応を使わないと、画像処理結果を正しく判断できないでしょう。 色空間をAdobeRGBに設定して、撮影してみるか? しかし、小生のPCのモニターsRGBだろうから・・・・無駄な抵抗かなぁ。
問題が見えてきた。ファイルサイズを画素サイズで割り、一つの画素当たりのデータを調べる。
1.06バイト!! 小さい。
1バイトは8ビットに等しい。各色を16ビットで記録するなら、RGBの三色で6バイト必要。それを1.06バイトに圧縮している。すごい圧縮率。画像は劣化しないか?? RAWで記録するのが、一番いいとメーカーはいうが・・・・
それにCMOSに記録された光は、電荷として蓄積、その電圧(アナログデーター)をADコンバーターで、デジタルデーターに変換している。16ビットADコンバーター、IC化し基盤に組み込めるか?
30年ほど前、仕事の関係でADコンバーターを探したことがある。8ビットは種類はあったが、それ以上となると、少なくなる。どうにか費用との兼ね合いで12ビットADコンバーターで折り合った経験がある。
いまのデジタル一眼はほとんどコンピューター、レンズは付属品かも。
ハードの優劣はこの辺りにあるのでは?1千万画素以上の巨大アナログデーターを瞬時にADコンバーターで取り込み記録する。大量のデーターを処理するためには、データーは小さいほうが有利。16ビットADコンバーターより、14ビット、12ビット、10ビット、8ビットとビット数を下げたほうが有利。半導体の価格も急激に安くなる。
高いカメラは、ビット数の大きなADコンバーターを組み込み、安いデジカメは、12ビット程度を使用しているのでは?CPUの処理速度、動作クロックも、上げるのは値段しだいの世界になっている。
とすれば合点がいく。ソニーNEX-3 は12ビットADコンバーターではないだろうか?そんな推測をしている。ニコンの高級一眼に比べ、見劣りしていた。
色は派手だが、深みがなく、拡大すると滲んでいる。
画像データーの圧縮には、有名なハフマン法がある。この方法では12ビットを8ビットに変換できる。画像の劣化を無視できるほどで優れた圧縮法だと思う。(化学系なので、あまり知らない分野なので、そう思い込んでいます)。原画の大きさを1/16に圧縮している。16ビット単位でPC上では扱われるので、16ビットカラーと宣伝してもOKなのでしょう。
三色となれば、更にメモリーは必要、3バイトです。それを、1.06バイトにさらに圧縮。
テキストデーターの圧縮には、LHなどのソフトがあったが、画像のような機械語データーの圧縮では、圧縮の効率が悪かった。さらに1/3に圧縮できるだろうか?圧縮しやすいように、データーを整えてはいないだろうか??
そんな疑問が出てきた。
RAWデータの解凍(フィルム時代の名残から、現像と呼んでいる)には、メーカー独自のソフトが必要なのは、このような事情からだろう。データーの整え方(正規化)に各社の思惑、販売戦略があるようだ。
おそらくモノトーンンも12ビット。12ビットあれば十分と思うが、暗いほうに対して、階調性が不足している。おそらく、ソニーの技術者は、CMOSが電荷で飽和し、白飽和することを恐れ、露光オーバーにならないようコントロールしている。そのため、暗いところは、ゲインを上げ潰さないよう画像処理をしている・・・・・(憶測です。)
デジタルでモノトーンを撮りたかったら、高いデジカメでないと、だめなのでしょう。
ライカMクローム、ボディで90万円以上。レンズを付けたら150万円くらいにはなる。
年金暮らしには、高値の花。それとも、特化した廉価デジカメ、出てくるだろうか?
- 2014/07/15(火) 23:43:04|
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ソニーNEX-3の設定をHCB&Wモードにして、撮影すると、フィルムだと露光を少なくし、増感現像で補ったような調子に出来上がった。暗い部分の階調は消え、白黒のコントラスのたかい写真となる。面白い。
それでは、普通にカラーで撮影し、レタッチソフトで色を消し、モノトーン(白黒)に変換したなら、階調性の高い白黒の写真を得ることができるのでは?と期待した。
ブログにも、カラーから白黒に変換されている写真を見る。
カメラがシーンを自動で判別し、オート撮影するという、「おまかせオート」に設定し、テスト撮影してみた。

7月12日撮影 レンズは、E16mm F:2.8 ISO200 f:6.3/640秒で撮影していた。(ピント、露光はカメラが自動で決めています。モードもマクロの表示があった)
レタッチソフトでカラーモード(RGB)をグレースケールへ変換。モノトーンにした。

なんとなく眠い画像。黒の締りがない。HCB&Wモードで撮影すると、直接モノトーンになり、階調性はないが、白黒のメリハリはあった。

レタッチソフトでグレースケールのレベルを暗いほうへスライドさせる。
暗いほうは、こんなものか・・・しかし、白黒のメリハリは、HCB&Wモードで撮影したほうがいい。

ISO200 f:11/320秒で露光していた。(自動です)

そのまま、モノトーンへ変換。頼りない画像。

トーンの調子をCurveでS字にコントロール。全体を焼き込み、かつコントラストを上げるようにした。これが限界か。
ブログサーフィンすると、デジタル・カラー写真を、上手にモノトーンに変換させているのを見る。
フィルムでは出せないような階調性の画像を見せられ、ドキッとしたことがある。
あんな風にできないかとは、思ったが、無理だった。
レタッチソフトの使い方にも、コツがありそう。
デジタルのモノトーン画像、何も、フィルムに似せたトーンに収める必要もない。
新しい写真表現として使えばいい。
銀塩フィルムでは不可能でも、デジタルなら可能というポジティブシンキングをすべきでしょう。
そのうち、すごいデジタルカメラが出てくる可能性は高い。
発色性、色のにじみ、モノトーンの調子など・・・・人間の心理的な側面が重要な要素になるのでは。
心理的な印象データの蓄積を豊富に持っているか否かが、デジカメの優劣を決める要素になるのではないか?そんな気がしてきた。
レンズの解像度、収差、カメラの操作性などテクニカルな部分は、もう五十歩百歩。
発色がよく、見ていて気落ち好い画像、トーンの再現性がしっくりするデジカメなど、差別化はそちらに向かう。
使ってみて、Sony NEX-3は、あまり高い評価を与えることはできない。
色の発色は、なんとなくしっくりこない。派手なようで色に深みがなかったり・・・家電メーカーのカメラと呼ばれる所以かも。
ニコンがいい、キャノンがいい・・・とも言いづらい。
15年ほど前、フィルムが最盛期の頃である。コダックが百万画素のデジカメ(コンデジ)を出した。その時、それを手に入れ、撮影しビックリした覚えがある。発色がいい。その少し前、カシオが30万?画素のコンデジを発売、爆発的に売れだした。コダックは慌てたのだろう。デジカメを発明したのはコダックだった。カシオとコダック、撮れた写真をプリントすると差は歴然(L版)。色の心理的な評価、分光特性をよく知り、カラーフィルムの改良を重ねたメーカーと、電子計算機メーカーの差は、明らか。
期待しているのはフィルムメーカーのデジカメ。レンズが主役の時代は終わっていると思う。
- 2014/07/14(月) 23:57:38|
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デジタル・カラーの写真は、被写体を露わに写す。隠すところがない。直接的、即物的過ぎる。
美しい風景、綺麗な景観、美しい花などを 撮る/記録するには最適だが、単に美しい写真で終わってしまう。
記憶にとどまらない。
汚いもの、醜いもの、残酷なものを撮ったら、あまりに即物的なので目を背けるに違いない。
ぞくっと感動するもの、崇高なものには、存在を否定されるような恐怖感も付きまとう。
本当に大切なものは、目に見えないが、感じることはできる。
畏怖し、心を奪われ、なんだろうか?惹きこまれていく。
想像の翼が欲しい。
カラー写真には、想像する余地が少ないではないか・・
モノトーンなら、そこにフィルターがかかる。抽象化され、何かのイメージ、メッセージを表現できのでは?と夢想する。
モノトーンが好きな理由は、そういうことではないか・・・と屁理屈を考えている。「写真は、理屈ではない、直観力だ」と、またお叱りの言葉をいただきそうだ。
デジタルカメラで、モノトーン(白黒)写真を撮ってみようと思った。
保有するデジカメ、Sony NEX-3を調べる。白黒のモードは、HCB&W。
ハイコントラスト白黒モードしかない。
基本は、全てデジタルカメラに任せること。
面白いと思ったら撮る。
「写真は理屈ではない、直観力だよ」と啖呵を切ってみたいもの。
光線の具合がどうとか、ピントはどうか、そのようなことは一切、デジタルカメラ任せにすればいい。
HCB&Wモードに設定し撮影してみた。

撮影は、7月11日(金) 二日ほど前である。台風が通り過ぎ、陽ざしが出てきた。
1時間半ほどの散歩であったが、その間356回、シャッターボタンを押している。フィルムでは考えられない多さ。ピント、露光とも問題ない。デジタルカメラは、なかなか賢い。問題はフレーミングする「写真の眼」だけだろう。

HCB&Wモードで撮影すると、1970年ころ流行った、コンポラ写真のような味わいになる。アレ・ボケ・ブレではないが、当時の流行は、コントラストの高い、ざらとした 写真が多かったような気がする。それに広角レンズで撮られたものがが大半であった。
これ、森山大道風??だろうか。

魚眼レンズ? いえ お遊びです。

カラーでは狙わないでしょう。工事現場です。

空に雲がある。これなら、空にレンズを向けてもOKでしょう。

東急線 下神明駅近くで道路工事中。ここはJR住吉踏切。上の高架は東海道新幹線。

HCB&Wモードでも、葉脈の紋様は潰れていない。

森山大道風?かなぁ。

JR大井町駅に到着。あとは、この付近を撮影し、帰宅するのみ。

アンドレ・ケルテスを意識。直感で撮っているわけではないようです。

これも、ケルテスを意識しています。・・・ケルテスのようには撮れなくとも・・・・影響は受けています。

この店は昔からある。店名の「永楽」覚えてもすぐに忘れる、だけど、ここのラーメンは美味しい。それは忘れない。





コンポラ写真風です。

区役所前の公園。役所を中心に品川区が動いているわけではないが、公園の名は「中央公園」となっている。 区役所を住民サービス・センターと位置づければ、センターの日本語訳は中央だから、中央公園が適当と考えたのか?しかしサービスはどこへ? 上から目線が気にかかる。住民は区から施しを受けているわけではない。

この公園、嘗ては大会社の社宅があった場所だと思います。

撮影した356カットをPCの画面でチェック。だめなものを容赦なく消去。これが新しいデジタル時代の撮影術。写真上達の秘訣は、数多く撮ること・・・昔の写真雑誌にはそんなアドバイスが載っていた。しかし、フィルムの値段、現像、焼き付けのコストを考えると、アマチュアには限度がある。プロとアマチュアでは、フィルムの消費量、10倍以上の差があったろう。
デジタル時代になり、アマチュアカメラマンの枚数もずっと増えてきて、差は縮まったと思う。
テーマを決め撮影するトーナメント・プロのようなカメラマンが成り立つ経済的な基盤は弱くなっていまいか?写真は氾濫しているが、心に残る傑作写真、出にくくなっていると、思う。
これからは、アマチュアの時代だろうか?
- 2014/07/13(日) 07:07:15|
- デジタルで遊ぶ
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駅から目黒川をわたり、戸越の里へ帰ることにした。

五反田駅のガード下。人通りがあり、何ショットか撮影。そのうちの一枚。

目黒駅寄りのガード下は、自転車の駐輪所になっていた。
この自転車の群れ、工夫すれば、面白い写真になるかも・・・「カメラの眼」がないので、ありきたりの切り取り方になってしまった。次回は白黒フィルムで挑戦してみよう。

時刻は、4時半ころ、陽も大分傾いてきた。

目黒川にでる。下に見える木々は海喜館のもの。少し左からカメラを構え、横位置で撮影すれば、海喜館の建物、橋、鈴なりの鳩がフレームに収まり、構図的にいいが、誰もが撮るありきたりの写真になる。今回の意図に反しているので、写さなかった

「海喜館」 最初に意識したのは小学生のころだろうか、目黒川沿いにあるこの建物、記憶に残っている。旅館というより料亭というイメージが強かった。朝鮮特需の頃だろうか・・・・当時は、芸者さんもいたかも。
現在は、割烹旅館となっているようだ。

三年ほど前だろうか、この土塀が壊れていた。現在は修復されている。
土塀に近づき、奥行きを出すようにフレーミングするのが、定番の撮り方だが、撮らなかった。
また、「海喜館」の看板と、それに続く玄関までの道を撮るのも定番だが、撮っていない。
誰もが撮る構図なら、撮る必要もないと開き直っていた。
玄関に通じる道は、綺麗に掃除されているので、今も営業は続いているのだろう。
建物を維持していくのは大変だろうが、五反田の歴史的な建物、残ってほしいと思う。
料亭の接待を受けたことないのでわからないが、おそらく大正、昭和初期の懐かしい部屋、調度品に包まれているのだろう。

海喜館の裏玄関? こういうのを見ると「怪奇館」と呼びたくなってしまう。

小学生が下校する姿を発見。後ろから追いかけて、シャッターを切る。歩道上の標識とのバランスを考え撮影しています。直感より計算で撮影しています。「だから、写真が下手なんだ」と、怒られそうです。直感で、上手に撮る人いるんですよ、ねぇ。

広角レンズ、それほど多用しない。多くは標準と呼ばれた50mmレンズを、よく使う。
広角レンズのこんな構図、小生には新鮮です。

これは、戦後間もなくたてられた家でしょう。

この一帯、戦時中米軍の爆撃を受けています。被害はマダラだったのでしょう。
これは、戦前の土蔵か? 海喜館も爆撃を免れています。

今までの常識を捨て、面白いと思ったら、撮影の技術的なことはすべてデジタルカメラに任せ、撮ってみる。
できれば、直感で撮る。そんな心積もりで、散歩してみた。
すると、わずか2時間半の散歩で320カットの写真を撮っていた。選別し、ブログに載せて好いと思われるショット42コマを選んだ。普段見慣れ光景でも、意外とバラエティーある写真が撮れた。しかし、カラーだと、勝手な想像は許されない。色がついた被写体は、生々しく、感じ方は一つと迫ってくる。「どう、美しいでしょう?」
これ、白黒のフィルムで撮ったら、もっと面白いのでは?と思う。
モノトーン写真が好きだ。想像の羽を羽ばたたせる余地が、そこにはある。
次回は、デジタルの白黒モードで撮ってみようかと思っている。
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320カット中、2,3カットでも、いいのはないか?と期待する。
近所を散歩(1)の最初のカットと、この最後のカットが、いいのでは?
最初の写真には、小生の手が、最後の写真には、シルエットが・・・・・写っている。
セルフポートレートです。
- 2014/07/11(金) 09:55:36|
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再開発された大崎駅周辺は、綺麗に整備されているので、予定調和のような綺麗な写真になる。
その点、五反田駅周辺は、戦後の香り/カオスがまだ残っているような気がする。
駅の周辺を散策。

普段なら、撮ろうと思わない。
街路樹を管理する人にとっては予想外の雑草。白い花が咲きました。草に本流、傍流の花などないはずだが、人間が望んだ花以外は、雑草と片づけられてしまう。野草好きの方が見たら、目をしかめ「○○の花」ですと、教えてくれるでしょう。都会育ちの花です。トラックの車体をバックに、浮き上がるように写るかと思い(直感のつもり)撮影しましたが、失敗です。

不動産屋の看板が、道路に立てかけられている。面白いと思って撮影。年月が経つと意味を持ち出す写真になるかも。
こういうのは、白黒のほうがいいでしょう。

構図をまとめようとする意識が働いています。地下道を行く人影を入れるか、上の坂を歩く人を入れてまとめるか、考えている。面白いと思っても、直感では撮っていないなぁ。

数ショット撮影。女子学生が、左に写っているのがいい。しかし、顔がはっきりとして人物の特定ができてしまう。没にし、消去しました。

タイレストラン発見。近くに宅配ピザの店あります。エスニック料理の店も増えてきました。ここが、駐輪場になっているのは何故?ママチャリが数台、この近くに集まるような店あるのか??

坂を上がると、高輪台の住宅街へ、それを左の方向へ向かうと、白金台の住宅地、白金の住宅街を、さらに都心へ進めば、この間歩いた麻布、六本木の住宅街につながる。ここで引き返しました。

五反田/大崎は、目黒川沿いの下町、目黒川沿いに工場があり、歓楽街があった。
丘の上には、池田山、御殿山の高級住宅地が続く。くすんだ大崎の町工場と、ネオン輝く五反田の繁華街を見下ろしていたのだろうか。黒沢映画の「天国と地獄」のような町でした。
こんな感じの洋食屋も多かった。しかし、これでは、見張られているようで・・・食べた気がするかなぁ?

空き地もありますが、1年もしないうちに、新しい家が建つでしょう。

すこしまとまった土地ならば、ビル。

来年散歩すれば、この辺りも様変わりしているでしょう。
- 2014/07/10(木) 12:16:23|
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五反田駅から品川駅に抜ける通り、昔の名前は知らないが、いつしか「ソニー通り」の名前がついていました。
戦後ソニーの本社/工場があったからだと思います。世界的な会社になったので、つけられたのでしょうが・・・・
その通りを渡り、五反田地区に入る。ソニー通りをそのまま歩き、五反田へという選択肢もありますが、撮りたいようなごちゃごたした場所は少ない。古い、店舗も残っていて、こちらのコースのほうが面白い。

ブログに載せるため小さなサイズにリサイズしています。元の画像を拡大すれば、番地がしっかりと読めとれます。地番は品川区東五反田。フィルムよりデジタルのほうが文字はくっきりと読めます。画素が碁盤の目のようになっていて、エッジが出やすいのでしょう。銀塩フィルムでは、銀塩の並びが不揃い、揺らぎがあり、文字を写すと、デジタルほど鮮明に読めません。大きく伸ばすと、ざらざらしますが、デジタルは滑らか。デジタルの良さです。

古い店舗が、昔のままの姿で・・とおもいますが、実は今年3月初め、散歩したときは、大変でした。

再開発のビル近くを歩いていた小生も、焦げ臭いにおいに気づき、消防のサイレン音に導かれ歩いていくと、火はすでに鎮火。火元は、隣接する印刷所、幸いボヤ程度で収まったようです。一週間も経たないうちに、ラーメン屋は再開したようです。青いシートで覆われているのが、火元の家。記録だと思い1枚撮影。

駅前の横町にある呑み屋街。右側に数件並んでいたと思うのですが、一つは空き地になっていました。

いままで、撮ったことない(撮ろうと思わなかった)被写体です。

グリルエフ、古い洋食レストラン。60年ほど前、小学生の頃、父に連れられ、ここで夕食を食べた記憶が残っている。
おそらくカツ定食でなかったか?戦後の混乱がようやく収まったころだと思う。戦争が青春時代に重なった父親の年代、小遣いがあっても、欲しいものは売ってないかったという。戦後は、欲しいものが店頭に並ぶ。一生懸命働き、お金を得る。テレビもかなり早い時期に購入していた。無理しても、買ったのだろうなぁ。お金を使う嬉しさが、戦後の復興の原動力かもしれない。子供の小生はテレビを家で見ることができ、単純に喜んでいた。

駅前の歩道から見たグリルエフ。この横丁、こんなに広かったか・・・? もう少し狭かったような気がするが、グリルエフの建物、外装は変われど、ほとんど昔のままだと思う。(グリルエフの入り口二ヶ所あったような記憶が残っている。見落とした、次回確認します。)
- 2014/07/10(木) 09:16:20|
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2時間半の散歩で320カットの写真を撮る・・・デジタルカメラのおかげです。
しかし、帰宅してから画像を選別するのが大変。
選別の楽しさを覚えるようになればいいのでしょうね。
撮ったものをバッサリと切っていく快感があるのかなぁ?
次回はもっと良いものが撮れそうだというポジティブシンキングだろうか。
根拠のない自信と、物事をプラスにとらえる心がないと、写真は撮れないかも。
ようやく、91カットまで削減、更に、人の顔が特定できる写真を外すと44カットとなった。
ブログに載せるなら4回~5回分ある。
今回の撮影の91カット中に、これはというのが1,2枚あれば、成功だろう。やはり、写真は量、撮らないと・・・

再開発のオフィスビルです。Sonyが入っているのでは?そう、このカメラの生みの親。
ちょっと、平凡なありきたりのフレーミングになっている。

住居区のタワーマンションの遊歩道で撮影。

特別な工夫していませんが、マクロレンズをつけなくとも接写撮影ができている。なんと、難しいピントも合っている!!
Macro-Nikkor 55mm F:2.8を付け、ピントと手ブレを気にしながら、慎重に撮影していたのは?どいういこと。
この写真、小生が撮ったと言えるかなぁ? ソニーの技術者が撮ってくれたと感謝すべきだろう。
構図がありきたりなのは、小生に直感力がないからでしょう。誰かの真似をしています。

地面にレンズを向けておき、素早くフレーミングしシャッターを押す。カメラ少し老いたか、追従できずピンボケ。
してやったり、面白い。電線の束と電柱が画面の中央。今までのフレーミングの否定です。
面白いと思ったら<直感>の美名のもと、シャッターを切っています。

黒猫の宣伝ではありません。学校帰りの児童二人、広角レンズなので、顔は不明となると・・・思い、咄嗟に撮影。あまり近づいてきたら、シャッターは切れません。構図的にはいいと思いますが・・・ありきたりの構図のようにも思えます。

構図的に良い場所だと思った。キャッチーな写真になるか否かは、歩く人のキャラで決まる。その瞬間を待つ・・・ケルテスやブレッソンの編み出した写真技法。構図を決めたら、思い描く画面になるまで待ち続ける。写真は忍耐か?直感か?? 偉大な二人の写真を思い浮かべる。
待ち続ける忍耐力のない小生、数名の人が通り過ぎていくのを撮り続け、その中で、顔が特定できないこの一枚を選ぶ。
キャッチーさは、少し不足している。

今までは、絶対に狙わない構図。ごちゃごちゃ汚くてもいいと思って、シャッターを切る。
空に、不穏な黒い雲でも出ていたら、白黒フィルムで撮りたいところ。面白い写真になる予感がする。

やはり、空が単調なのは面白くない。こういう日は、空をなるべく入れないようフレーミングして、撮るべきだろう。理屈っぽいかなぁ~~。
- 2014/07/09(水) 19:10:29|
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見栄えよく撮ろうと工夫を凝らしてしまう。
馬鹿な考えだろうが、写真に理論を持ち込もうとしているのかも。
「六本木一丁目駅」近辺の撮影で、デジタルカメラ任せで撮ったところ、意外によく写っていた。
今までの、創意工夫は何だったのか?と反省。創意工夫と呼べるものでなかったのかも。
デジタルができて、すごい時代になった。
ここは、デジタルに任せ、撮影してみるべきではと、少し心を改めました。
(1)うまく撮れるはずもないと避けてきたものを、デジタルカメラ任せで撮ってみる。
(2)常識的な見栄えよい構図にならないよう、留意する。 (下手で当然と 開き直ってみる。)
(3)できれば、汚いものを撮る。
(4)撮影条件は、デジタル任せ。自分の直感(あればですが・・・)に従い、フレーミングしシャッターを切る。
こんな、心構えで、散歩にカメラを持ち出し、撮影してみた。
7月8日 午後2時半から5時まで、2時間半の散歩をして、撮影。
いつも歩きなれた散歩道、目新らしいものは何もない。フィルムのカメラだったら、15カット程度しか撮れなかったでしょう。
しかし、(1)~(4)の心積りで、見てみると、たくさん写したいものが出てくる。
2時間半で320カットの画像を撮っていました。
いかに、常識、思い込みにとらわれていたか、直感で撮っていたわけではないことに気づかされました。
カメラは、SonyNEX-3 レンズはE16mm F:.8 フルサイズ換算24mmの広角レンズです。撮影モードはP、全てカメラ任せ、ピントも自動、ISOも自動にすべきでしたが、設定を間違えISO1600で撮影してしまいました。

家をでて、大崎の駅に向かう途中。手を伸ばし撮影。液晶画面に自分の手やカメラが映り込んでいるのに、気づきませんでした。こういう構図の写真、初めてです。

果たして、フィルムカメラの持っていたら、撮ろうと思っただろうか?

向日葵の撮影ポイント。今までは、綺麗な向日葵を選び、背景を慎重に選んで、撮影してきましたが・・・・
枯れてみじめな/汚い向日葵、背景には、ごちゃごちゃした電線を入れる。今までの撮影スタイルを否定するのも、解放されたいい気分になれる。

「棕櫚の樹のある家」以前から気にはなっていたが、1ショットも撮ったことがない。光の階調を考えると、白黒フィルムでは平凡な画像しか得られないという、思い込みがあった。
デジタルで、バシャバシャ撮ってみる。1本のフィルムで1軒の家を撮りきる!そんな気分。

南の島の鬱蒼とした棕櫚林・・・

ここは、確かお医者さんの家でした。住む人いなくなったのか??

オールドレンズでは狙えない光です。さすがです。ゴーストがわずかに認められますが、フレアーも少なく、コントラストも十分、撮れるものですね。技巧を凝らす必要なし、全てはカメラにまかせ、撮影に専念する、それがデジタルカメラなのでしょう。すごい!!

いよいよ、大崎再開発でできた地域に足を踏み込む。
前の道路は百反通り。再開発に伴い、百反坂辺りに、新店舗がオープンする。派手なオレンジ色の外壁の店舗と、右の古い家。なんとなくシュール。白黒フィルムでは、絶対に狙わない被写体です。
- 2014/07/09(水) 13:52:29|
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5日土曜日、小学校時代のクラス会があった。
会場はメトロ南北線「六本木一丁目」駅から数分のところにあるレストランだという。
集合時間は、午後6時半。いい機会なので、少し早く行って、付近を撮ってみようと思った。
六本木、麻布は、あまり交通の便のいいところではなかった。
山手線の駅からバス、タクシーという思い込みがある。
しかし、地下鉄が何本か開通し、交通の便は格段に良くなっている。
再開発で、大きなビル群も建っている。
理論や理屈なし、面白いと思ったら、カメラに任せシャッターを切ってみて、どう撮れるか実験だと思った。
「写真は、理屈じゃないよ、直感だよ」 と啖呵を切る、いい響きですね。
カメラは、例によってSony NEX-3 (持っているのはこれだけなので)、レンズはE16mm F:2.8 ISO400に設定し、撮影モードはP。絞り、シャッター速度、ピントはすべてカメラ任せ。いいなと思ったら、直感?に従い、シャッターボタンを押す。
午前中は、梅雨空で雨が残っていたが、午後は止み、「六本木一丁目」駅を出たときは、晴れ間がのぞいていました。

地下鉄の改札を抜けると、大きなホールに。そこは、谷底のような雰囲気もあります。エスカレーターを登っていくと、ビルが聳え立っていた。
JR目黒駅からメトロ南北線でたったの4駅、10分ちょっと、改札を出てビックリ。
そういえば、南北線に乗るの初めてでした。

駅近くを散策。次第に過去の記憶が戻ってくる。数年前、目黒から谷町を抜け、霞が関の官庁街、皇居のお堀まで、カメラをぶら下げ、散歩したことがある。その時、この通りを歩いている。駅近くは建設中でした。撮った写真あるかも・・・探してみよう。

麻布小学校近く。さすがに教育レベルの高そうな地域です。

紫陽花の葉にまだ水滴が残っていました。
ピント、露光とも完璧。狙ったらシャッターを押すだけ。
それでも、よく写る。写っているが、カメラ・アイを感じない写真です。
デジタルはシビアですね。
フィルムには、逃げ道や誤魔化しようがありますが・・・・

横道に入れば、港区、麻布といえども、まだ電信柱が立っています。世界に比べ高い電気料金をずっと取り続けている東京電力ですが、電線の地中化にはあまりお金を掛けません。何に使っていた/いるのですかね?
日本では、電力を多量に使う産業は、ほとんど撤退し、なくなりました。日本の高度成長を支えたのは、高品質の電力を供給したから(だから値段が高いのは当然)と、御用学者や電力会社は、強調しますが、もっと安く供給していたら、庶民の負担は軽減、経済も、成長したのでは?と勘ぐってしまう。

民家のアンテナ、それほど古くないようです。テレビの電波は今スカイツリーに切り替わりました。アンテナの向き、スカイツリー?これは別の目的のアンテナでしょうか?
周りに高層建築ができ、TVが見にくくなる恐れがある場合、ケーブルTVを無償でつけてくれる区のサービスがあると思う。なんとなくミステリアス。

こんな細道に、政治がらみの車が・・・・両雄並び立たず、別れてしまいました。この車は、今は、どちらへ属するのか?

街灯に灯がともりました。そろそろ、会場のレストランへ。

ここがクラス会の会場でした。
六本木、高層ビルもでき、飲食店もたくさんあります。
近くを散策し、写真を撮るのも、面白い。ここから、東京ミッドタウンへ歩いていく、あるいは、東京タワーへ抜けるのもいい。
理屈はいらない、直感で撮る。
その直感のない人は、どうしたらいいのか・・??
優れたカメラマンには・・・・写真専門の大学/学校を出た人が多い。
直感は教われば、早く開花するのかも・・・・しかし、教わった直観とはどんなものなのだろう?それ直感??
今回気づいたのは、
デジタルカメラ任せでも、充分撮れるということ。
いいなと思ったら、それだけでシャッターを切っただけ。それで失敗はない。
今から100年以上前、
「あなたボタンを押すだけ、あとはコダックが」という有名なキャッチコピーでフィルムを詰めたボックスカメラを売り出し、大人気に。少年スタイケンも、母親にねだりそのボックス・カメラを手に入れ、撮影。60枚撮りだったそうです。コダックに送り現像・引き伸ばししてもらったところ、Clearとして撮れたのは1枚だけ、あとは暗かったり、明るすぎたり。
今のデジカメは、全てClear ピンボケもない。
カメラができ、フィルムが発明された初期のPhoto Graphは、ハンドクラフト、職人の世界。技術を修練で習得し、そこに、自分の工夫をつけ加え、写真を撮る。工芸品の世界。写真館で撮影したポートレート、肖像写真はまさにその世界。
更に、工夫を加え、自由に写真を撮るようになり、今までの殻を破る独自の写真がでてくる。これは直感のなせる業か?
カメラマンの技術・工夫が作品の価値を高める大きな要素になっているように思えるのですが・・・
デジタルになり、技術・工夫のハードルは低くなった。気にせずシャッターを押し、撮影できるのもいい。
今回は「直感だ、直感だ」と呟きながら、ボタンを押していた。フィルムを巻く動作も必要でない。すぐまたシャッターを押す。それでも、しっかりと写っている。失敗はない。ほんの小一時間で120カット!
フィルムは、直感で無制限に撮るというわけにはいかない。
フィルムを使うと、小生は、いろいろ考え、工夫を凝らし、常に直感というより、邪(よこしま)な理論に汚されている。
デジタルでは、ますます、直感を磨かねばいけないのでしょう。技術は二の次、カメラに任せよ。
すごい時代になったものと、思います。
- 2014/07/07(月) 19:05:29|
- 都会の景観 Tokyo
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100フィート巻きのRollei赤外400Sフィルムを購入。
現像条件や撮影条件を知るため、テスト撮影をしてきた。
Rolleiの名だが、製造はアグファ。少し前まで、アグファはドイツ、バイエルの子会社だった。
バイエルは、現在も世界の化学会社のトップグループに入る。仕事の関係で、数回、レバークーゼンの工場/本社を訪れたことがある。川に沿って2km×8Kmの敷地だったか・・・・化学プラントがひしめき、圧倒される思いだった。世界最高の化学技術を有する。
戦前からアグファのフィルムは有名だったが、日本にはあまり入ってこなかったようだ。
終戦により、ドイツの科学技術の秘密は公開される。PBレポートになって、自由に使えるようになる。
写真関係で、我々になじみがあるのは、ツアイスのコーテング技術。それにアグファのフィルム技術だろう。
それまで、レンズのコーテングは、ツアイスの独占、軍事機密扱いだった。
アグファの感光剤・フィルム技術がPBレポートとなって公開されると、戦後のフィルムの品質は急激によくなる。
祖父の話では、戦前、フィルムの現像、水洗、乾燥には、細心の注意が必要だったという。
19℃~20℃に一定に保ち現像。現像温度が25℃を超えると、ゼラチンが溶け出し、画像がだめになったと言う。
フィルム乾燥も、気温が高く、湿度が高いと、フィルムに縮緬状のしわができ、だめになる。
今のフィルムなら、25℃の現像でもへっちゃら、乾燥も、気にせず干しておける・・・感度も100だ、と喜んでいた。
そのアグファ、Rollei赤外400Sのフィルムはポリエステルだった。非常に透明度が高く、強いフィルム。
コダックのTri-Xフィルムは、伝統的なアセチル・セルローズ。水洗しても、ベースに濃度は残ります。現像するとフィルムは少し膨潤し伸びる。乾燥すると縮み戻る。ポリエステルフィルムは膨潤しない、そのまま。
ゼラチンで銀塩を分散し感光層をフィルムの上の作るはずだが・・・・このフィルム、ゼラチンに銀塩を分散させているのだろうか?そんな疑問も出てくる。
勤めているときなら、会社の研究所に行き、赤外線分光器に掛けて反射のIRチャートをとれば、解明できるだろうが・・・
退職しているので無理だろう。現像液の調整に水道水を使ったら、フィルムを拡大すると、黒点がたくさん出ていた。水道水に含まれるカルシウムイオンの影響だろう。(東京の水道水15-30ppmのカルシウムが溶けています。もちろん軟水に分類、洗濯に問題ないレベルです。) 従来のフィルム(ゼラチン)では、こんな問題が発生しなかったので、アグファの感光層は、化学合成した有機エマルジョンが使われているのでは??と推察。恐るべし、アグファの開発力。
イオン交換水でカルシウム無しを使用したら、問題は解決した。
いろいろ考えさせられ、また、試行錯誤をしながら、ようやく、このフィルムの特性をつかみだしたところです。

写真を撮るのに、理論は無用、感じたものを直感で捉えればいい・・・とは、言いたいが、そうは言い切る自信はもてません。
レンズは光学理論だし、感光剤は化学理論の上に成り立っている。デジタルの撮像管のCMOSのIC、これは、小さな半造体でできたコンデンサーのようなもの。理論はある。
理論を知らないで、写真は撮れない。撮れたとしたら、それはカメラメーカーの開発者たちの努力のおかげ。彼らが理論部分をサポートしてくれたからだろう。
赤外線は、人間の眼には見えません。見えない赤外線を感じ、直感でフレーミングしシャッターを押せるだろうか?
できない、だから、無駄と思っても、さまざまな光線状態の場所で、テスト撮影をし、経験する。それを整理し、次の撮影の参考データにする。この場合は、こう撮れるだろうと推察する。現像も、整理し、理論化していく。

この2枚の写真、同じときに撮影。テスト撮影です。露光に二絞りの差があります。下から1/3の幹にピントを合わせています。そのあたりなら、柳全体を撮る場合、被写界深度の中心になると思ったから。(直感で決めていません)
ピントを合わせた後、距離補正をするため、レンズを回転、ファインダーで覗くとピンボケになっていて、ちょっと不安。理論と経験を信頼し、シャッターを切る。
直感で撮っていないので、どちらがいいのか、迷ってしまう。ローキーもハイキーも、それなりに面白い。
グダグダ理屈を言って撮るから、こうなる。理屈でいい写真が撮れるはずもない、だからいい写真撮れないのだよ と注意されるだろう。致し方なしか。
撮影の細かな操作はすべてデジタルカメラ任せ、いいなと思ったら、直感でシャッターを切る、それが今の時代の、写真の本道かも・・・
- 2014/07/05(土) 12:14:28|
- 写真の技法
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考えてみると、愛用しているカメラとレンズは、古いものが多い。
骨董品カメラ愛好家かというと、自分では、そうは思っていない。
使っているカメラに、不満がないので、新しいカメラに手が伸びなかっただけ。
NikonF、NikonSPを使ってきた。カメラも壊れない、カメラ、レンズに不満はない。
捨てて、違うカメラにする理由がない、カメラは道具、手になじんでいる。
AE(自動露光)にそれほどの魅力を感じたわけではないし、モータードライブも必要を感じなかった。AFが出たとき、まだ目ははっきり見えていたので、手が出なかった。いつか老眼になり、ピントを合わせるにが難しくなってからでいいだろうと思っていた。
そうしたら、デジタルカメラが出てきて、あっという間に、フィルムの時代が過ぎ去っていく。
今よく使うのは、KievⅡ これは戦前のContaxⅡと同じもの。戦勝国ソ連が、戦利品としてコンタックス工場を、ソ連邦のキエフへ移築、そこで 戦前の設計のまま、生産が続けられた。
使っているのは1951年製と1953年製の2台。故障した時のバックアップに2台保有している。
レンズは戦前のツアイスの50mm F:1.5 ゾナー。1939年製、最少絞りはF:11、イメージサークルが小さく、これが限界なのだろう。F:11まで絞って撮影すると、四隅、すこし欠られる写真になる場合がある。独特の収差はあるけど、使っていて、駄目なレンズだと 思ったことはない。今でも、充分な画質だと思っている。(戦前の後期15ゾナーの最少絞りはF:22に改良されています。)

フィルムはRollei赤外400S、普通のパンクロフィルムとしてISO400で使用することもできる。使ってみると、ISO100程度のフィルムとして使うのがいいのでは?と思ってしまう。ISO400で使用すると、現像時間をかなり長くしなくてはいけない。
白黒の赤外線写真を撮る人、少ないとは思うが、フィルムは、まだ販売されているので、少しは需要があるのだろう。
コンタックスⅡやKievⅡのカメラを、今も使っている人、世界で何人くらいいるだろうか?1000人はいないだろう。
そのカメラに、古い15ゾナーをつけ、赤外線フィルムで撮影となると・・・きわめて少なくなる。これ意味あるかなぁ?

所詮は、スノビッシュなお遊びと、切り捨てられるだけかも。
薄曇りで、日の当たらない紫陽花を、赤外線写真で撮ったらどう写るか、テストで撮ってみました。
ピントを利かせたかったのですが、暗くて絞れません。絞るとシャッター速度が遅くなり、手振れの危険が増します。
三脚を使うべきですが・・・・三脚を使うと、フレーミングの自由度が減ります。スナップが、小生の基本、三脚をあまり使いません。
赤外線写真を撮ったことない人は、知らない、あるいは知っていても、うっかりして失敗するのが、ピントです。赤外光、可視光に比べ、屈折率が低いので、ピント合わせした後、距離補正しなければなりません。
これは、一応、補正して撮影したつもりです。
なお、ツアイスのポリシーか、ツアイスのレンズには補正マークはついていません。自分でテストして、補正量を探せということでしょう。ニコンのレンズには、全てに補正マークがついています。(小生の保有するレンズです、現在のデジタル用レンズにはないでしょうが・・・)
デジタルなら、こんな写真、レタッチソフトと組み合わせれば、簡単に、しかも、もっと高解像度に作れるかも。
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古いコンタックスⅡのレンズに手を伸ばしたのは、15ゾナーを使ってみたかったから。S用ニコンのレンズは、ツアイスレンズを先生として開発されてきました。
ニコンが、戦後作ったS用50mmF:1.4、 これは15ゾナーを無理にf:1.4にして製造したもの。ツアイスからクレームが出たという。ツアイスの光学研究者・開発者は、レンズの限界を知っていた。販売戦略で、無理やりf:1.4を作り、世界最高の明るさなどと、宣伝するのは、まじめなドイツ人気質から許されることでないのでしょう。
もう50年近く前のことですが、実際、NikonS用の50mm F:1.4を 試したことあります。絞り開放f;1.4で撮影すると、ゴーストやフレアーが盛大にでました。
S用50mm F:2レンズは優秀です。買うならこちらと決めました。その時から15ゾナーには、興味を持っていました。
マウントはコンタックスⅡと、S型ニコン、同じです。ただし、螺旋の回転角度が少し違うためか?まだほかに理由があるのか、使うと開放絞りではピンボケ。2mの被写体で20cm後ピンになります。
f:4くらいまで絞れば、コンタックスⅡのレンズ、S型ニコンで使用できます。
勿論、暗い3.5テッサー、広角の35mmのビオゴンなら、ピントを気にせず、NikonSで使用することができます。
S型ニコン用の35mmレンズは持っていません。Jupiter-12(ビオゴン35mmのキエフ製コピー)で代用。その代りニコンでは28mmレンズを保有。ツアイスの28mmレンズは、希少品で高すぎて手が出ません。
ゾナー50mm f:1.5を使いたくて、kievⅡに手を出しました。
やはり、マニアかなぁ??
- 2014/07/04(金) 18:18:55|
- 樹、草、花
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去年は一年、戸越公園の百日紅を追いかけたが・・・ 今年は向日葵の追っかけ?
花の撮影は、もう卒業とは思えど、シャッターを切っていた。


誰も試したことないような新規の撮影法あるだろうか?
ユニークなアングル/切り取り方、あるのだろうか?
すでに ネット上には280万近い数の向日葵の画像がアップされている。
撮っておきながら、頭を抱え、悩んでいます。
- 2014/07/03(木) 21:42:09|
- ひまわり
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写真を写す以上、動機はどうであれ、上手に撮りたいと思う。
見て褒められるような写真を撮りたいと思う。
去年の夏、向日葵を撮っていた。
その同じ場所に、晩秋、向日葵が植えられていた。面白いと、去年の暮れから、「冬の向日葵」を撮影した。
今年も春になると、再び 種が撒かれ、初夏には向日葵が咲いている。
同じ場所で、再び、向日葵の写真を撮る。
去年と比べ、撮影のスキルは上がったか?といえば、自信はない。むしろ下手になっているかも。
この「向日葵」を撮る必然など、あるのだろうか?と思う。だけど、シャッターを切っていた。

ネットで、「向日葵 画像」で検索すると、280万近くの画像がすでにアップされている。(Yahoo)
この一枚も、その中の1つになる。上手に撮れたとして、記憶に残るようなインパクトはない。
ネットに載らない、実際にとられた向日葵の写真は、億の単位に上るだろう。
それらは、撮影した当人の大事な記憶、他人の眼を意識したものではないだろう。
しかし、ネットに載せるのは、それなりの動機があってだろう。
善意の微笑ましい写真、この場所を訪れたら、こんな面白さがありますと、紹介する写真。感動は共有したほうが、ずっと楽しくなる。中には、自慢したいがための写真・・・もありますが。
綺麗な花を見て、シャッターを切ってしまうのは、当たり前の行動、趣味の世界なのだから、好ましいことではないか?・・・と、納得する。

向日葵の写真で、記憶に残るものあったか?・・・・としばし自問する。
ようやく、須田 一政さんの向日葵の記憶が浮かんできた。
高く伸びた向日葵の前に2,3人の少女が立っていた。服装から昭和30年代?真昼の太陽の下、ストロボを焚いて、少女の顔を明るく撮影していた。白黒の写真。上手いなぁと・・・ その時の記憶がだんだんと鮮明になってくる。
それ以外は、思い浮かばない。
絵画では、ゴッホの向日葵。花瓶に活けてある向日葵、向日葵畑の向日葵、みな強烈な印象がのこる。
3年ほど前、妻をつれ、ニューヨークへ旅したとき、メトロポリタン美術館で花瓶に活けてある向日葵を見ていた。
映画の「ひまわり」は、ソフィア・ローレンが主演した反戦映画。
一面のひまわり畑が広がっていた。
向日葵には、「明るく健康」、「美しい」イメージがあるが、スクリーンの裏には、悲しい調べが漂っていた。
「向日葵」の写真を撮るなら、その裏にある影を撮りたいものと・・・夢想する。
この映画、まだ結婚する前の妻と見た記憶が強く残っている。1970年の初めの頃でしょうか?
一政さんの向日葵の写真、残念ながら、妻を写真展には 連れて行かなかった。
印象に残る「向日葵」、撮れるだろうか?
人の心に残る写真は撮れないだろう。
しかし、家族の記憶に残る一枚は、撮れるかも。
- 2014/07/02(水) 23:09:04|
- ひまわり
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Mamiya-6のカメラでテスト撮影。
家の廊下です。
写っている範囲は1mから3.5mの範囲でしょう。(1間半くらい)

6×6判のカメラ、レンズの焦点距離75mm、絞りf:8で計算すると、1.5mにピントを合わせた場合、被写界深度は1.33mから1.72m。ピントが合っているかのように見える範囲は約40cm。
実際の写真では、1mから3mまで・・・2mの範囲で、ピントがあるような、ないような・・・・でも、ピンボケ写真ではないでしょう。何処にあっているかわからない。まるで高性能なピンホールカメラ?の画像のようです。
4×5のピンホールカメラなら撮影できそうです。
レタッチソフトによる、変形や合成などの画像処理は一切行っていません。
アオリの効かせれば被写界深度をコントロールできますが、Mamiya-6には、その機能がありません。
さあ、どうしたでしょう?
古く忘れ去られた技法を、再現しようと、いろいろと試みています。
それには、自動化前の古いカメラが最適ですね。
- 2014/07/01(火) 15:15:03|
- 写真の技法
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