望遠レンズは、ほとんど使わない。(使うスキルがない、使えないが実態です)
50年年ほど前、カメラ雑誌に載っている写真を見て、あんな写真を撮りたいと思った。
それが、35mmカメラを欲しくなった動機だろう。
見たままを、そのまま、顕微鏡から、天体撮影まで、なんでも撮影できる一眼レフは万能カメラの宣伝に乗せられました。
昆虫や花のクローズアップも可能と、接写リング、ベローズ装置、マクロニッコールが用意されている。
貯金をはたき、足りない分は月賦にし、アルバイトに明け暮れて、ようやくNikon F を手にした。
当時、カメラ雑誌のコンテスト写真には、広角レンズで写されたものが多かった。おそらく70%くらい、残りは望遠、一番少ないのは、標準と呼ばれた50mmレンズではなかったか?
望遠の200mmを手に入れれば、いい写真が撮れるだろうと、無理して購入したが、結果は惨敗。うまく撮れない。
広角レンズは、どうにか撮れるのではないかという気がした。使った広角レンズは35mm、今となっては、標準レンズに準じる。35mmもうまく使えないのかと馬鹿にされそうだが、当時は、標準の50mmもおぼつかないレベルなのでしょうがない。
「広角は度胸、望遠は技術で撮る」 そんなコメントを、有名な写真家が語っているのを、カメラ雑誌で読んだ記憶がある。
全くその通りと、それ以来、望遠レンズに苦手意識が働く。
最初の200mmレンズは、売り払い、広角レンズを買う資金になる。
就職、結婚、NikonFを持つ機会が減る。子供が生まれる。
仕事が忙しくなり、ますますカメラから遠ざかる。しかし、経済的にはゆとりができてくる。
何を思ったか、望遠レンズを購入していた。子供に気づかれないよう、そっと遠くから撮ってみたかったのだろう。やはり、結果は惨敗。苦手意識だけは、残った。
定年後、散歩にカメラの生活が始まる。まだ苦手意識は残っている。重いし・・・
それでも、錆びさせないよう、1年に1回くらいは・・・使っている。 しかし、フィルム1本は撮りきれない。
そのうち、使いこなせるようになるだろうか? レンズは重い、体力は続くだろうか?
望遠レンズの練習を行ったが、フィルム1本は、今回も無理だった。

望遠接写に挑戦。手持ち撮影が基本。1/125秒のシャッター速度は、限界だろう。脇を固め、息をこらしてシャッターを切った。


ニコンのこのレンズ、開放絞りでもピントの合ったところは極めてシャープ。Tri-Xを使えば、ほぼどんな状況でも撮影可能。f:2.8/500秒なら、夕方のスナップでも使える。やはり、スナップ写真が、いい。これ盗撮?になるだろうか。
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- 2014/06/30(月) 18:27:01|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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7年前、写真を撮ることを再開したが、カメラ雑誌を購入する気にはなれない。
近頃は、図書館で済ませている。
メーカーの新製品の広告と、雑誌本文での紹介、それを使ったプロの感想に多くの紙面が割かれている。お追従記事では?と思うものが多い。
指摘する差は、ほんの些細なこと、実際に撮ったら、誤差のばらつきの中に入ってしまうのでは?と思ってしまう。
アマチュアと思われる人でも、ブログにA社、B社、C社のデジカメの、使用レポートを書いているから、そのわずかな差を感知できることは、誇らしいこと、面白いことなのだろう。
カメラの性能は上がり、綺麗に撮られた写真が並ぶが、小生が雑誌を購入していたころの写真に比べると・・・・インパクトがない。上手になったが・・・何かが欠けている。メーカーの掌の上で写真撮っているのでは?と勘ぐってしまう。
ピンボケ写真は駄目なのか?
スタイケンはわざとピンボケ写真を撮った。三脚を揺らしたり、レンズにポマードを塗って写真も撮った。
メーカーの推奨する、高解像度、高コントラストレンズと、メーカーの開発したPCの内蔵のカメラを使用しないと、いい写真は撮れないのか?
メーカー主導の販売戦略に載せられ、メーカー寄りの「カメラの眼」に、なってはいまいか?

デジカメで、素直に撮影。1965年頃なら、よく撮れたなぁと 小躍りしただろう。
今なら簡単、液晶画面で確認しながら撮影できる。
どうだ上手いだろうと見えを切っている、メーカーの掌の上の孫悟空状態ではないか?
写真を撮る面白さが、かなり減退している。
カメラは、道具であるべき。でしゃばるな・・・と言いたいのだが・・・

敵わぬ抵抗だが、デジカメを道具にできないかと格闘する。

デジカメの自動設定をすべて解除、道具にして使用(したつもり)。
こういう不気味な感じ、メーカーの推奨する自動設定ではできないだろう・・・と思いたいが、最新のフォトショップを使えば、いかようにも画像を加工できるようだ。可能だろう。
いっそ、毒を食らわば皿までも、メーカーの掌の上に乗り、最新のフォトショップを使うべきか?
そうすれば、新しい写真表現に突き当たるのかも。
- 2014/06/30(月) 12:21:28|
- その他
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写真は綺麗に写っていなくては・・・と思っていたけど。
散歩にカメラを持ち出し7年、少しずつ感性に狂いが生じている。
Yahooで「紫陽花 写真」と打ち込み検索すると、紫陽花の画像が1,330,057件ヒットした。
どのように紫陽花を撮影しているのか興味があったので、画像を次々にクリックしていくと、途中で
「これ以上の検索結果は表示できません。求める情報が見つからない場合は、キーワードを追加するなど、
より詳細に条件を指定して検索結果を絞り込んでください。 」の警告が出てしまう。
ネットに出ている紫陽花は、実際に撮影された紫陽花のごく一部。
載っている写真は、全て美しい。デジタルで撮られたものがほとんどだろう。しかし、大同小異、撮りつくされているのでは?と、花の撮影の動機が萎える。
プロの作品が混じったとしても、その中から見分けるのは困難だろうと、畳みかけるようにネガチブな考えが頭をもたげる。
「今年の紫陽花はどうだろう」、「こんな紫陽花に会いました」という気持ちが、シャッターを切る動機だが・・・
予定調和的な美しい写真を撮る必要もないなぁ・・・と 心変わりしている。

目黒・自然教育園で撮影。花の近くには「のかんぞう」の説明板が差してあった。ユリ科の花、橙色の花をつけていた。黄色ならニッコウキツゲだろう。(花に関して、知識は乏しいので・・・ご勘弁を。説明、間違っているかも)
Mamiya-6で撮影。特殊な器具は一切使っていません。
現像後、画像をPCに取り込みましたが、レタッチソフトを駆使し、特殊なエフェクト効果を付け加えることはしていない。切り貼り、合成等の操作もしていません
シャッターを切り、フィルムに光で描き(光画:Photo Graph)、そのままPCに取り込んだだけ。
花も静かに美しく咲いているわけではない、乱れ、舞い踊っている、そんなダイナミズムを感じてもいいではないか・・・
花が綺麗に咲くのは、人間のためではないでしょう。
そんな花を見て、美しさを感じとる心が素敵なのだと、人間本位に納得する。(人の感性は千差万別ですが)

イイギリが倒れ、いつしか、自然の土に戻っていく。手前に新しい若葉が芽吹いている。その部分大きく引き伸ばすと、面白い文様になっている。よく見るとイイギリの葉ではないようだ。イイギリが倒れたことで、地面に少し光が届くようになる。機会を伺い、一気に常緑低木が成長を始めたようだ。生命の爆発が起きている。
画像の切り貼り、合成は一切していません。古いカメラでも、使い方で、ズームレンズでぶらしたような効果のある写真を撮ることができます。
美しい樹林の写真を撮る人、由緒ある古木を撮る人、記念物に指定された樹を撮る人、みな予定調和のように美しい。
しかし、この様に捉え、樹を撮ってもいいのでは?アマチュアなのだから。
- 2014/06/29(日) 09:36:38|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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嘗て、京浜工業地帯というのがあった。(現在もそう呼んでいるのだろうか?)
品川区から、大田区、多摩川を超え、川崎市、鶴見市、横浜市の沿岸部まで、大小の工場がひしめいていた。
日本の経済発展に貢献したのだが、現在は役割を終え、規模は、小さくなっている。
品川区の鮫洲から、大田区の平和島に至る勝島運河も、かつては工場で使われる原料や、製品の物流に使われていた。現在は役目が終了し、一部は埋め立てられ、公園になっている。
ここは、小生の散歩道の一つ。家からは少し遠いが、年に数回は、散策している。

工業地帯であった物流の良さを生かし、倉庫がたくさんある。背景のビルはファンケルのもの。文字が判読できるくらいに絞り込めばよかったと思う。(次回は、そうします)

6月中旬の晴れた日の撮影。運河の散歩道に、ほとんど人影はない。カモメの代わりに鳩が数羽いただけ。

散歩した時は、引き潮でした。乗合いの釣り船が数隻係留されていました。立会川の河口に位置します。
土手の斜面には、いろいろな花が植えられています。区民に貸し出されているようです。

もう、向日葵が咲いていました。
お散歩カメラは、久しぶりのNikon F。少々重かった。
だんだんと、軽いカメラへ手が伸びるように、なるのでしょう。
- 2014/06/28(土) 16:40:35|
- 散歩
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Mamiya-6 カメラの基本的な機能は揃っている。
どう使うかは、使う人の考え次第。

レンジファインダーカメラ。最短で約1mまでしか近づけない。最短まで近づいてシャッターを切る。
現像後、狙ったフレーミングになるようトリミングした。それでも35mmフルサイズより、大きなネガ範囲。
祖父から聞いた技法で撮影。同時代の二眼レフカメラなら、もっと容易に撮影できただろう。自動化が進んだ現在のデジタルカメラでは、難しい。だが、レタッチソフトで、レイヤーを重ね合成すれば、同様な雰囲気の画像を作成できる。
この技法、一種のソフトレンズ効果を狙ったものである。戦前、ソフトフォーカスのレンズは、高くて手が出せない。趣味でカメラを楽しむ人は、さまざまな工夫をして撮影したという。
「振動する台を作り、カメラを載せ、ちょっとカメラに振動を与えると、芯のあるそれでいてふぁとした写真ができる。それが何ともいいんだよ」 孫である小生にそんな話をしてくれた。
レンズにポマードを薄く塗って撮影すること、ベス単眼はずし、ピンずらし・・・・話をしてくれたのは中学生のころだったか、妙に記憶に残っている。おそらく、Mamiya-6が、父親から小生の手の上にのるようになったのを知ってのことだったのだろう。
親子三代で使ったカメラ。フィルムの入手、現像のことを考えると、将来、息子の手の上に乗ることははないだろうが、フィルムが入手できるかぎり、小生が使い続けていかねばと思う。
- 2014/06/25(水) 21:46:29|
- 写真の技法
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花のクローズアップ写真、何故(Why)撮るのか?
小生の場合は、思いついた撮影技法を 試すため。
Whyより、Howを追及するとき、時々 テスト撮影します。
戦前すでに花のクローズアップ写真は撮られている。その当時でも、夥しい数の花の写真が撮られてきた。
しかし成功をおさめた作品は少ない。
多くは忘れ去られ、ほんの一握りの、驚きの発見がある写真が、記憶に残り、現在まで伝わってきている。
その中で、イモージェ・カニンハム、ポール・ストランドは、素晴らしい作品を発表している。
デジタルになると、簡単に花の接写撮影ができるようになり、さらに多量の花の写真が撮影されるようになった。
ブログ・サーフィンすると、いたるところで美しい花の写真に出会う。画像のクオリティーは、先人の作品より美しいのではと思えど、面白くない。触発されるものがない。何が違うのか? 先人の作品をよく見るべきと思う。
自然に触発され、この花の写真を撮りましたと・・・言われても、美しさを描写しただけの陳腐な写真では・・・手あかがついて、面白くもない。
ついに写真道が、日本でうまれたのかとも思う。

前ボケを利用して、紫陽花の花を引き立てる。すこしハイキー調に仕上げました。
よく使われる技法です。ただそれだけです。
新しい発見、驚きはありません。
どこかでも見たような写真。
もっと美しい発色、よい構図の写真を見たことある、大したことないなと、評価するでしょう。新鮮な驚きがないので五十歩百歩だと思うのですが、お稽古ごとなら、ちょっとの差が重要なポイントですね。
霧吹きで、葉や葉弁に水滴をつけたり、後ろからストロボで光をいれたり、PLフィルターで照返しの光をコントロールしたりと・・・・技法をついやし、ほかの人の作品との差別化に心をくだく。

絞れるだけ絞り、被写界深度を深くし三脚で固定、スローシャッターを切っています。雨上がりの紫陽花。
霧吹きは使用していません。
花の撮影は、技法の習得や、思いついた技法のテストには最適だと思います。
「自然に触発され、この美しい花の写真を撮りました」などと、おこがましいことは言えません。

絞るだけ絞っています。ある技法をテスト中。
ブレ・ボケ写真? スローシャッターなので、風の揺れを抑えられなかったか?ブレ・ボケ写真を撮りたいわけではありません。

ピンボケ写真のようですが、ピンボケではこうは撮れないでしょう。花弁を「ボー」とさせたいと、ある技法のテスト、技能習得の練習中です。
- 2014/06/25(水) 11:20:07|
- 樹、草、花
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フィルムを使って本土寺の紫陽花を撮ってみたいとは思っていたが、実際の場所を訪れてみると、光が足りない。光の具合を読もうとしたが、よく分からない。小生の腕では難しいと、デジタルカメラに切りかえて撮影しました。カラーなら、誤魔化せるだろうという魂胆。心がけは、あまりよろしくない。
フィルムで撮影したカットは12カットほど。その中から4カット選んでみました。
レンズは 古いライカのSummar 50mm F:2 使用。UVフィルターを、レンズ保護に使っている。(古いレンズなので、これ以上擦り傷を増やさない配慮です。)

ピントの合ったところは、解像度も高く、好きなレンズです。
雨の日だったので、光は柔らかい。ノンコートレンズなので、コントラストは低め出てしまう。戦後のコーテングされた、SummitarあるいはSummicronのレンズをつけてくるべきでした。
「ふぁ」とした感じに写っている。これもSummarならではの描写力。ほかのレンズには出せない味だと思います。

撮って、後で気づいたのだが、睡蓮の花が咲いていました。

「雨の本土寺」、コーテングされたレンズで、デジタルカラーが 最適なようです。

この光線状態なら、顔は黒くつぶれると、秒撮のスナップ。人の姿を入れて写したくなるのは、小生の好み、致し方なし。
- 2014/06/24(火) 10:53:44|
- Photo彩遊
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今年になって、古いMamiya-6を取り出し、時々使っています。
昭和28年ごろ、祖父が購入し、家族のアルバムを撮ってました。
祖父は、その後、35mmのカメラを購入し、自分の好きな写真を撮っていたようです。
Mamiya-6を受け継いだ父は、少しの期間使って家族の写真を撮っていましたが、仕事が忙しくなるにつれ、手にする機会は減っていきました。
やがて小生の手の上に乗る機会が多くなり、遠足などに持参。それも、高校生の頃には使わなくなっていた。
それ以来、Mamiya6は押入れの箱の中に入ったまま、深い眠りについていた。
今年になり、眠りから無理やり起こすと、レンズは曇っていた。レンズは、テッサータイプ、はずし洗浄したら使えるレベルになった。

蛇腹にピンホールはあいていない。シャッターを設定するリング、絞りを設定するリング、いずれも少し重い。しかし、フィルムを一本と撮ったら、スムーズになった。現金なものである。
作られて60年以上たつが、まだ問題なく使える。簡潔な設計で、故障する部分が少ない。レンズもオリンパスのZuikoレンズ。フィルムサイズが6×6なので、引き伸ばしても粒子が目立たない。一時代を代表する名カメラでは?
絞り、シャッター速度、ピント すべて撮影者の考え一つで決まる。カメラがでしゃばらないのが好い。

それに軽い。レンズを折りたためば、小さくなり持ち運ぶには便利。一本で12カット撮れないので、嫌われたのか・・・・
今は、時々お散歩カメラとして持ち出している。
あくまでカメラは道具。
使い手の創意工夫でいかようにも撮影できる。どうとでも使ってくれと、このカメラ、覚悟がいい。
その分、撮るほうは、100%カメラの性能が発揮できるよう工夫しなければならない。写真の腕が試されるカメラでしょう。(昔のカメラは、みなそうですが・・・・)
こういう写真を撮ることもできます。
レタッチソフトで切り貼りなどしていません。あくまでの、ストレートフォト、フィルムの上に光で書いています。
レタッチソフトの助けを借りず、ストレートに、このような写真を撮れるデジタルカメラあるでしょうか?
技術の進歩はすごいので、そのうちできてくるかも・・・・
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同一の場所で撮影したデジタルの写真です。

デジタルのレンズは16mmの広角。絞りf:5.6なので、かなり視写界深度は深い。しかし、遠くで写生している人までは届いていない。トリミングして、6×6の画角に調整。

Mamiya-6のレンズは75mm、6×6カメラでは標準とされた焦点距離。f:5.6で撮影しているので、視写界深度は浅い。
それなのに、白黒フィルムのほうが、遠くの人まで鮮明に撮影できてる。工夫すれば、こういう撮り方も可能。面白いので、この技法で、どのような被写体を撮ったら面白いか、いま、試している所です。
こんなことも、写真の楽しみの一つしょう。
- 2014/06/22(日) 23:23:22|
- ???
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花の撮影は難しい。
誰かがすでにとっているような構図になってしまう。
筆をもち、キャンバスに描くなら、筆のタッチ、色使い、構図に、描く人の個性が表れる。
ゴッホの糸杉、モネの睡蓮、尾形光琳の紅梅図
すぐに何枚もの印象的な絵画を思い浮かべることができる。
では 印象に残った花の写真は・・・ある?
イモージェ・カンニグハムかなぁ。それもあまり印象は強くない。
静物写真の草分けという写真史の大事な一歩として覚えているというべきだろう。
花の接写撮影は、プロの仕事だった。大判のビューカメラで、構図、ピントを確認し、シャッターを切る。レンジファインダーカメラではできない芸当。それが、一眼レフになり、更にデジタル革命がおこると、誰でも簡単に接写撮影ができるようになった。喜ばしいことだが、簡単に撮れることで、花の写真のポテンシャルは下がった。
撮り方にそれほど多くのバリエーションがあるわけでない。結局みな似たような写真になってしまう。重箱の隅を突っついたコメントがカメラ雑誌に載る。
ブログに美しい花の写真を載せ、これが私の気持ちです・・・というようなコメント、ほのめかしたような記述があると、なんとなく 居心地の悪さを感じてしまう。
似たような美しい花の接写写真が、すでに、ネットに溢れている・・・・まさか、この夥しい写真、みな、「これが私の気持ち」を託したくて撮ったものだろうか?
小生が、花の写真を撮るのは、単に練習。撮るテクニックの確認。あるいはレンズの描写力や、フィルムの特性の知るためです。「これが私の気持ちです」と、花に心を託すほどのデリカシーは持ち合わせていない。

Rollei赤外400Sフィルムを、パンクロフィルムとして使用しています。R72フィルターを装着し赤外線写真を撮ろうとしたら、三脚が必要です。できれば、斜めからの光もほしい。 午後撮影したため、太陽の光は入ってきません。R72フィルターの出番は、この撮影ポイントでは午前中です。

背景のボケ方が独特。81年前のオールドレンズ、設計技術は未発達、硝材も限られ、いろいろな収差取りきれません。それが独特の味を生んでいると思いませんか?
P.S
去年見た印象に残った「花」の写真は、森山大道展にありました。右手上部に歩道の石が見えるので、街路の植え込み?あるいは花屋の店先に置かれた花のアップ写真。南方の大きな白い花弁を、氏特有のコントラストで焼き付けてありました。白黒のモノトーン写真。
デジタルのカラーで撮ったら、月並みの花の写真になっていたでしょう。「きれいな花」の写真にこだわるなら、汚い写真です。しかし、存在の迫力を、小生は感じました。これは、そう簡単に撮れるものでないと脱帽。
- 2014/06/20(金) 10:11:47|
- 樹、草、花
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嘗て、カメラは人の手に握られた道具であった。
能筆家の筆、彫刻家の鑿のようなもの。
使い方は、カメラマンの手にゆだねられ、できの良し悪しは、カメラマンの力量がすべて。
カメラに、露光計が内蔵されるようになってから、様相は徐々に変わってきた。
AEは当たり前、高性能ズームレンズ、モータードライブ、自動焦点・・・そして、デジタル革命。
デジタルカメラを手にして撮影するとき、実はメーカーの大きな掌の上で写真を撮っていることに気づいているだろうか?
Photo graph(写真)は「光の絵」 光を鉛筆として描く絵が原点。小生は、手作業(ハンドクラフト)にこだわりたい。
カメラを メーカーの手から、写す人の道具に取り戻したいと夢想している。
サイアノタイプに手を出したのも、そんな心の動きがあったのかと思う。
太陽の光で焼き付ける。一番ブリミティブな方法にこだわった。
太陽の光を求め、物干しに抜ける階段を何往復もした。

その階段を、デジタルカメラで撮影。
絞りの設定、シャッター速度の設定は、ダイアルを手で回して行いたい。露光計は参考程度でいい。勝手に決めてくれなくても結構。ピントは、自分で合わせるから、勝手な真似するなと、その機能OFFにする。
RAWで撮影、色温度(ホワイトバランス)を3200°Kにし、 トーンカーブを調整(弱いS字カーブ)して現像した。それ以外、切り貼りなどの合成は一切行っていません。
普段見慣れた光景ですが、写し方/見方により 実は不思議な空間が広がっていた。なんで、気づかなかったかと、驚く。
見えているはずなのに「見えなかったもの」を、意識できるよう記録する、それが写真の重要な働き。
メーカーに振り回されるのは嫌だ、カメラは道具、使う人の手に取り戻そうと 古いカメラを使っています。
デジタルカメラに任せて撮影すれば、確かに美しい写真が確実に撮れる。露光の失敗もなければ、ピントも合っている。色の発色もいい。綺麗な写真(映像)を撮りたかったら、メーカーの掌に乗ってデジタルでしょう。連続して露光を変えて写してくれるし、高速で連続してシャッターを切ってくれるから、よく撮れたショットを後で選べばいい。しかし、ベストショットを選びながら、これを撮ったのは誰?と不安にならないだろうか?
小生は、ただ日常の身の回りを写すだけ。綺麗な写真を撮ることにあまり思い入れはない。
見過ごしてきたものを発見し、ただ記録するだけなら、高級なデジタルカメラは不要。
旧式のカメラを道具にし、手間をかけて撮影するだけです。
大した作品にならなくとも、そのほうが 何倍も面白い。(これは、個人的な感想です)
- 2014/06/18(水) 08:51:06|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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三週間ぶりにフィルムの現像をした。
毎週1本か2本現像していたので、現像作業、久ぶりの感じがする。カメラには、Rollei赤外400Sフィルムが入っていた。
現像液が少しへたっていたのか、補充液を加えたが、ネガの肉載は少し薄い。ベースが透明なポリエステルで、乳剤の層も薄いようだ。このフィルム、現像が過度になっても、それほどかたいネガにはならない。もう少し、現像を押せばよかったか。
レンズは、古いライカのSummar 50mm F:2 1933年製、もちろんノンコートを使用。
現在のレンズに比べたら、解像度、コントラスト、収差など、基本的なレンズ性能は劣っています。
しかし、撮れた写真は、目に優しく、ほっとした安心感があります。昔ながらの白黒フィルムで使っているからかもしれません。絞りは「大陸絞り」というべきものでしょうか、f;2、2.2, 3.2,4.5 ,6.3, 9, 12.5の数字が刻印されています。
キャパも このレンズ、スペイン動乱のとき使用しています。
Rolleiのフィルムも、製造元はアグファ、これも由緒正しい、ドイツメーカー(今はベルギー??)です。

フィルムからデジタルへ、そしてライカは日本のカメラメーカーの攻撃に、身売りをかさね、小企業へと・・・
栄枯盛衰、激しいものがあります。
通称、マッカーサー通り。新しい道路が開通し、虎の門ヒルズの下を抜けていく。
2020年の東京オリンピックのころになると、この辺りも様変わりするのでしょう。

そんな歴史を、古いレンズで切り取っていく・・・・古いレンズで撮ることに、意味あるかなぁ??
この、日比谷神社も、再開発のたびに、社を移転させている。人間の都合を許してくれるのが・・・・日本の神なのだろう。
東京には、ビルの屋上に祭られた「やしろ」、ビルの中にある「やしろ」もある。
- 2014/06/16(月) 21:45:45|
- オールドレンズの密かな楽しみ
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5月、花が一斉に開く季節をのがし、逃げるようにサイアノタイプの技術習得に没頭。そんな時、写真同好会の人に、「雨の紫陽花」の撮影に誘われました。まだ、フィルムカメラを手にする気にはなれず、どうしようか迷いましたが、家に籠っていては埒が明かないと決心、デジタルカメラをぶら下げ、参加しました。フィルムカメラも持参しましたが・・・ほんの数カット撮っただけ。まだ、意欲がわかないようです。
カメラはSony NEX-3 レンズはE16mm F:2.8 一本のみ。 ISO400に設定。デジカメのAF設定を切って、ピント合わせはマニュアルにしました。露光も自動を止め、マニュアル操作。それでも、液晶画面で画像は確認できるので、普段使っているフィルムカメラより使い勝手はいい。露光に悩む必要ありません。ただし、液晶画面を見ての撮影、老眼には辛いものがあります。

本土寺 日蓮宗の由緒あるお寺なのですが、小生知りませんでした。
城南の住人にとって「日蓮宗」と言えば、池上の本門寺をさします。本門寺の存在が大きすぎるようです。
場所は千葉県松戸市、最寄りの駅は常磐線 北小金駅。駅から数分歩くと、本土寺の境内に入ります。
紫陽花で有名だそうです。
確かに見事です。

中央の小さな紫陽花にピントを合わせています。まだ咲きはじめ。
きれいに咲き誇った盛りのころより、その前、あるいは後に心惹かれるのは小生の性分です。

ここは、菖蒲でも有名なようでした。傘をさす三名をポイントにしました。左の二人は友達同士。右の一人は偶然居合わせた人です。携帯電話で、花菖蒲の池を撮影しようと立ち止まっている瞬間が撮影のチャンス、1分ほどでした。

藤棚は終わっています。睡蓮の花は7月末ごろか? 境内には紅葉の樹も多く、秋には紅葉狩りも楽しめるところだと思います。
家から電車乗り継ぎで、1時間半弱。散歩するには少し遠いが、気分転換には最高でした。
- 2014/06/14(土) 11:47:18|
- Photo彩遊
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サイアノタイプ(青写真)用の印画紙、昔は市販されていたようだが、現在はどうなんでしょう?
印画紙の材質は、青写真の大きなファクターになる。どんな物質が紙に存在するかで、色調や感度が異なり、それに合わせ、現像の方法も微妙に変えないと、良い結果がえられないようだ。それに「作品」として鑑賞するなら、紙の風合い、手触り感も重要である。
しかし、今は開発の段階、感光剤の開発が当面のターゲット。組成をどするか、そのファクター(因子)の発見がテーマ。材料費は安いに越したことない。印画紙用の紙は、百円ショップのお絵かき帳を使っている。A4版の青写真なら、薬品費を含め、20円もあればできる。高解像度/高階調性の青写真にはならないが、開発中なのでコストはなるべく下げる工夫が必要だろう。
青写真用のネガ原版はプリンターで打ち出して作るが、OHPフィルムだと、A4で一枚 百円近くする。専用のデジタル・ピクトリコフィルム(最終的には、このフィルムをつかうつもりだが・・・)はもっと高価だろう。
昔使っていたトレーシング・ペーパーで、ネガ原版を作成できないかと、試してみた。
老妻が書の模写に使用したトレーシングペーパーが 残っていたので、それを早速頂く。
案ずるより産むが易し、何度かトライすると、それなりのネガ原版ができてきた。
OHPフィルムに比べると、見劣りがするが、安いのが魅力。A4一枚六円ていど。これなら、失敗を恐れず、どんどん使える。もっと上質なトレーシングペーパーなら、インクの保持量も多くなるので、階調性の高いネガ原版が作れるかも・・・(A4で10円程度)早速、注文しなければ。

トチマンのトレーシングペーパーNo950T 一番薄い(安い)トレーシングペーパー A4 50枚入りで325円で購入している。数年前の特売品のようだ。
プリントしてみると、裏と表でインクの吸収量が違うようだ、裏を使用。プリンターの設定は、インク量を減らすようにした。さもないと、画像がインクで濡れて流れてしまう。もっと厚手の高級品(といっても倍くらいの価格)に替えたほうがいいだろう。
デジタルカメラで撮った、5月のつつじ、カラーを白黒にし、ポジからネガに変換し、プリントしてネガ原版を作った。
印刷面を、作った青写真印画紙と重ね、ガラスで密着させ露光した。
生憎、本日は一日中雨。空からの光が入るところにおき、焼き付けた。露光計で測った照度はEV16、ISO400のフィルムなら、f:2.8で1/500のシャッターを切る明るさである。
そこに一時間放置し焼き付けを行った。
感光剤は開発中のM4組成。

紙に特殊な薬品(金属凝集剤も自製しました。)をあらかじめ塗布し乾燥させておきましたが・・・・感光剤 均一に塗るのは難しい。結果は思わしいものにはなりませんでしたが、面白いことに、現像時間が極端に短くなりました。
発色は、キレート化学の世界です。条件によれば、瞬時に終了したり、時間がかかったり。未反応薬剤も簡単に洗い流せたり、遅かったり。基材との相互作用、親和性なども勘案しないといけないのでしょう。意外と複雑です。

近所の紫陽花の花をデジタルカメラで撮影。今が旬の紫陽花、すぐにPCに取り込み、プリントしてネガ原版を作成する。
作ってあった画用紙・印画紙に重ね焼き付ける。

注意力散漫、重ねる面を間違えていました。左右逆になるはずが、同じになってしまいました。露光に一時間かかります。晴天なら5分以下。雨が降っているので、紫陽花の撮影にはいいが、日光写真には不適。もっと光を!!
再度、焼き直しする気力は失せました。
現在、感光剤の開発はM5、M6に進んでいます。かなり、反応のメカニズムがわかってきました。(と、内心思っていますが、証明するには、機器分析が必要。おそらくGC-Massで物質の特定が決めてになると 思います。依頼分析すると大変な額を請求されるでしょう。トラップ、誘導体化、GC-Mass測定・・・)
家庭の設備では、無理。しかし、だいぶ反応メカニズムわかってきました。要因を絞り込めたので、感光剤の開発は、6月中には終了するでしょう。
あとは、用紙の選定と現像の最適化、最後に調色の検討ということになります。暇つぶしにはいいテーマです。
- 2014/06/06(金) 18:43:35|
- 写真の技法
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5月 等々力渓谷を散策し、上野毛まで歩いてみた。カメラには、Rollei赤外400S フィルムが入っていた。
渓谷に降りると薄暗く、R72フィルターを付けているので、フィルムの感度は低い。撮影にはかなり難しい所。
このフィルムの特性をまだつかんでいない。
このフィルムなら、どう写るのか?・・・関心はそちらにあり、手ぶれしてもいいと、撮影してみた。

日の当たらないところ、赤外光は思いのほか少ない。フィルターを外し、パンクロフィルムとして使用したほうがいいようだ。

赤外線フィルムの特性通りの画像になっています。右の紅葉、深いあずき色の葉だが、白く写っている。

斜面の草に陽が当たり、輝いていた。赤外フィルム+R72フィルターの組み合わせに最適の条件と思いシャッターを切る。狙い通り白く輝いて写ったが、後方の木々の葉、少し期待外れ。

スナップ写真。人の肌、赤外線を反射し、白く写っている。ポートレート向きのフィルムかも。

夕景の光線状態で撮れば、草の緑は白く輝き、違った雰囲気を作ってくれる。パンクロフィルムでは、もう少しコントラスト低下しただろう。 このような使い方が、いいのでしょう。
サイアノタイプの開発が忙しく(と言い訳し、不善をなしています)、この頃カメラを手にしていない。紫陽花を撮影し、サイアノタイプで焼き付けてみようかと思っています。日曜までに、紫陽花の撮影をするつもり。さて、どこに紫陽花が・・・
- 2014/06/04(水) 17:53:48|
- 散歩
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今まで学んだ(蓄積した)化学の知識を使えば・・・独自のサイアノタイプ(青写真)を作れるのではと・・・おごった考えで進めたが、意外と難しい。
「サイアノタイプ」 19世紀中ごろにできた技術。それから150年以上の年月が経っている。過去の技術、「改めて検討?酔狂な奴」と馬鹿にされるのがおちだろう。
「サイアノタイプ」の役割は終わっている。もはや愛好者が楽しむ趣味の世界で生き延びるだけ。経験とかコツが物言うほうが、面白い。
とはいえ、やはり 化学を学んだ人間としては、不満が残る。
三価の鉄が光還元され二価の鉄になる。二価の鉄とフェリシアン化カリが反応しプルシアンブルーの発色をする。それがサイアノタイプの原理と説明されているが、この説明では、現代の化学んだ人は、納得できないだろう。
光化学は、この150年で進歩。「では、その時 同時に酸化されたものは何?」とすぐに疑問を持つ。反応機構、発色のメカニズムが知りたくて、ネットで調べたが、日本語のサイトには見つからない。英語圏のネットでは、何件か有益な情報が見つかった。
光化学、キレート化学、紙の組成・構造と鉄化合物の相互作用などが、絡まっていることが、わかってきた。
要素を簡略化し、仮説を立て、実験をして確かめるのが 科学の王道。わかれば「なんだ、こんなことか」となるが、現在はまだ、霧の中、鋭意、実験を進めている。研究するには、手元に 分析機械、分析道具もありませんが・・・・家庭用のものを流用し、できるところまで解明するつもり。
最終目的は、グラデエーションの豊かな青写真を作ること。
いま、少し解明が進み、その結果から、感光剤の改良と、現像法の改良をしています。
階調性はだいぶよくなったと、思います。

フィルムスキャナーで取り込んだこの画像を原画としました。

OHPフィルムに、この画像を打ち出し、青写真用のネガフィルムを作成。プリンターは、キャノンのMP-600、水系染料プリンタで作りました。ポジをネガに変換、左右を反転させています。原画よりコントラストは落ちています。
背景にピンボケになっていますが、薄らともう一匹の鯉が泳いでいます。これが、青写真でも判別できるようになれば、合格でしょう。

S-1感光剤は、ネットに記載されていた組成です。百円ショップのお絵かき帳の画用紙に塗布し、作成。水現像が推奨されていますが、独自の現像液と現像法を開発しています。それなりのメカニズム解析を行い、薬剤を選び、処理手順を工夫しました。しかし、工夫しても、後ろにいる鯉の姿は出てきません。鱗のディテールはつぶれてしまいました。前ひれもはっきりしませんが、作品として見たら、これが一番。 底なし沼から浮き上がってくる魚のイメージを撮りたかった。これ、いいかなぁと思えど、 開発の目的からは 離れています。

M-3処方の感光剤は、光の感度が、標準に比べ2~4倍速くなっています。(これも、光反応メカニズムが少し解明できたので・・・)それに対応した現像法が必要になりました。鱗の描写力、少しアップしましたが・・・まだまだです。

百円ショップの画用紙をインクジェット用写真紙に替え、M-1処方の感光剤で印画紙を作りました。階調性を上げる処方です。
ネットで紹介されている水現像の仕方で処理できます。前ひれ、後ろひれ、鱗、後ろを泳ぐ鯉の姿も、どうにか判別できました。しかし、暗い部分の濃度は不足、グリーン掛かった色調も、あまり好きになれません。現像終了後、調色し、深い紺色に変換できたら、満足できるレベルになるかも・・・と、頭の中を調色用化合物の候補/構造式が飛び交う。・・・・悩むところです。(まだ、調色の検討には入っていません。)

いま開発中のM-4処方感光剤。今までの反応解析から、この処方がベストなはずが・・・まだ今一、現像方法をもう少し考えないといけないでしょう。
白黒原画なみの階調性のある青写真ができたら、いいですね。
キャパショック、ビビアン・メイヤーショックから、カメラを手にするより、実験台/(実際は台所)の前に立ち、作業に没頭、一種の逃避でしょうか。
仮説を立て、薬品の調合をし、テスト実験して、仮説をチェックする。失敗データはそれなりに貴重。失敗データから、また新たな仮説を組立、実験する。時間はアッという間に過ぎていく。
昔を思い出す。これもやはり 面白い。
- 2014/06/01(日) 22:01:33|
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