12月の冬空を、ねぐらに戻ってきた鴉が、池の上空を回っていたので、撮影してみました。
12月に載せるはずでしたが、忘れていました。拾遺として載せます。

夕方4時ごろから30分ほど撮影。撮影しているときは気づかなかったのですが、PCの画面で並べて見てびっくり。空の色がショットごとに異なっています。これが実際の色を正確に記録しているのかわかりませんが、確実に変化を捉えています。人間の目は常識で曇り「見ているようで見ていない」のでしょう。すごいと・・・思いました。



百日紅の撮影は一応終了しました。
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- 2014/02/28(金) 09:19:29|
- 百日紅(さるすべり)
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池上梅園で梅をと、誘ってくれた方は、定年退職後、家に閉じこもっていると駄目だとデジタルカメラを購入し、趣味にしたそうです。動機は、小生とそんなに変わりません。若いときはS型ニコン!!NikonS2を使い、ローライ35も保有しているとのこと。カメラマニア予備軍・・・いえ、そのものでしょう。
この日は、ニコンのD5200(APS)に、梅を撮るならとニコンの60mmマクロレンズをつけていました。他にD800(フルサイズ)も持っているはずなのですが、画素が大きくて性能を100%発揮させるためには三脚に固定しないと駄目と、もっぱらD5200を使っているようです。この前発売になったニコンDf(フルサイズ)も購入したとか・・・もう、カメラ道楽の域に達しています。

いい枝ぶりと、二人並んで撮影、液晶画面で、互いの出来を見せ合う。小生は、家電メーカー・ソニーの安いNEX-3 それに古いニコンズーム35-70mm 70mmで撮影。勝負は液晶画面でも明らか、完敗です。Nikon D5200+最新マクロ60mm ワンランク上の画質でした。梅の幹のディテールが浮き上がり鮮明、それでいてなだらかな質感。高解像度、高コントラストです。昔、レンズの解像度を上げると、コントラストは下がる、逆相関と思われていたのですが(小生が勝手にそう思っていたのか?)どうも、違うようです。デジタルになり、レンズごとの癖をプロファイルしておき、カメラ内で撮影時、レンズごとに補正し最適化処理しているようです。純正カメラに純正レンズがいいのでしょう。

誘ってくれた相手はマクロだし、ここでは梅のクローズアップは狙えないと、小生は、伝統的な(レンジファインダー時代の)アングルを狙っていました。

前の幹にピントを合わせ、木道を行く妙齢の美人をぼかして撮れたら・・・など夢想しながら待ったが、そんなチャンス来ることもなし。3分待って、木道にピントを合わせ、ボタンを押す。

少し、逆光気味で撮影。古いズームレンズ、コントラストが低くクリアーではありません。D5200なら良く取れただろう。 やはり写真は金かなぁ? お金を掛けないとグレード(品質)の高い写真は無理かも・・・高級なデジタル一眼、人気なのが良くわかりました。
- 2014/02/27(木) 09:56:43|
- 樹、草、花
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池上の梅園には、毎年梅の季節1回訪れている。
何回も撮影しているので、かえって切り取り方がわからなくなっている。
枝振りを撮る、俯瞰して撮る、花をクローズアップで撮る・・・そんなアングルしか思い浮かばない。
あまり熱心に梅を撮った記憶がない。
今年も誘われ、梅園に行き撮影した。
カメラは、Sony NEX-3にNikon zoom 35-70mmをつけた。古いNikonF時代のレンズです。帰ってきて、去年撮影した写真と比べ・・・ため息。進歩していないなぁ~~。
去年は3月1日に撮影、レンズはソニー純正のE16mm F:2.8を使用していました。
まず枝ぶりを撮影、

天気は曇り空、帰る頃になりようやく陽射しがさしてきました。結果は、去年と変わらない構図で撮影していました。

去年はそれでも、内蔵の小さなストロボを発光させ、花を白く浮き出させようと、今年より工夫しています。
次は俯瞰して梅を撮影。

これも去年と同じような構図で撮影しています。ありふれた構図、アイデアの枯渇を感じます。
・・・違ったアングルを発見するカメラの眼がほしいなぁ~~
違いはレンズの画角だけ、カメラに撮ってもらっている感じです。

最後はクローズアップ。

ズーム70mmで40cmまで近づき撮影。内蔵ストロボを発光させています。バックの地面は暗く沈み、梅を浮き立たせましたが・・・・あまり感心した出来ではありません。

去年の方がましか? 広角で20cm近くまで近づけます。技術の進歩はすごい、腕よりカメラですね。
クローズアップだと、どこで撮っても・・・同じでは?? 切花にして、もっと条件のよいスタジオで光を自在に駆使すれば、すごいのがとれるかなぁ
眼の覚めるような花のクローズアップ写真 ないですかねぇ?
デジタルカメラ あまりに綺麗に撮れるので・・・驚嘆する心を置き忘れてしまったような、気がしてます。
撮っていて、面白い?
- 2014/02/26(水) 14:30:30|
- 樹、草、花
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デジタルは白飽和させないよう撮影すると、暗部の階調はしっかりと記録できている。
フィルムだと、白飽和を恐れるより暗部を潰さないよう気を使う。少したっぷり気味に露光し、軟調な現像液を使用すると、階調性の高い写真を撮影することができる。昔は、光の「ラチチュード」と呼んでいたが、デジタルの時代になると、「ダイナミックレンジ」という言葉に置き換わったようだ。
ダイナミックレンジの広さは フィルムでは、ネガカラー≧白黒ネガ>ポジカラーではないだろうか。
ネガカラーは意外とダイナミックレンジが広く、露光を間違えても、プリントするとしっかりと写っている。写真メーカー努力の賜物だろう。
デジタルでは、明暗差の大きな場合、ダイナミック・オプティマイザーなる処理をカメラがするようである。
デジタル写真を見せられたとき、その、広いダイナミックレンジに驚いたことがあった。
フィルムなら、暗室で焼付けするとき、覆い焼き、あるいは焼きこみで そのダイナミックレンジをコントロールするが・・・ほとんど名人芸の世界。暗室の中で踊っているようだと言われている。
ネガをデジタル化しレタッチソフトのトーンカーブを調整すると、暗室の焼き込み、覆い焼きに近い処理をすることができる。ただし、全体のバランスを欠き、非現実な、あまり美しくない写真になる場合が多い。
ネガに記録されているものは全て画像にするのだと意気込み、今 小生は、PCの前でトーンカーブ処理に悪戦苦闘している。これも経験ですね。ただし、これは使い方の習熟に過ぎず、表現には限界があります。名人芸にはなりえないでしょう。

新宿を少し中野の方に歩くと、昭和の住宅街にでる。都市計画でできた新宿副都心のビル群と戦後の混乱が生んだ無秩序開発の住宅街。
このときの露光・・・覚えていません。ビル群を撮影するなら、f:11/500秒、住宅街を撮影したいならf:2.8/500秒という露光になるだろう。
おそらく f;8/250秒でなかったか?最小絞りのf;11はめったに使いません。絞るとイメージサークルが小さくなり、四隅が少しけられます。被写界深度はほしいのでf:8まで絞り、露光は中間を選んだとするなら・・・1/250秒(f:5.6/500秒に相当、明るいほうに2絞り開け、暗いほうに2絞り絞る。)

住宅街には陽が当たらず(そんなことはありません・・・日没近くだったので当たらなかっただけ)、近代的なビル(都庁)には陽があたり、古い民家(住むのは都民)を睥睨する。まぁ少しは意味深か。PCに取り込みデジタル化したデータでは、空の調子を焼きこんで出そうとすると、住宅部分は暗くつぶれていました。それでは、表現したいものと違うと、トーンカーブを調整し人家のディテールを出すようにしました。
P.S 理解を深めるため、スキャナーで取り込んだ画像(未処理)を載せます。中間のどっちつかずな露光をしたので、暗いところ黒く引き締まらず、明るい所のディテールは不鮮明。軟調現像液なので、全ての光は記録できたが、メリハリのない平坦な印象です。
- 2014/02/25(火) 08:43:56|
- 都会の景観 Tokyo
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一本のフィルムで、一つの被写体を撮りきるとしたら、ふさわしいのは東京のシンボル・東京タワーだろうという思い込みから、昨日、カメラを持って、東京タワーを撮影してきました。
カメラはKievⅡ、レンズはソ連製Jupiter-12を使用した。 戦前ツアイスのBiogonのデッドコピー 35mm F:2.8、レンズの設計はそのまま、1980年ごろまでソ連で製造されていました。40年近く、同じ設計のレンズが製造されてきたというのは、驚きです。それだけ優れたレンズなのでしょう。・・・とはいえ、現代のレンズに比べ、逆光ではコントラストが低め、ゴーストも出やすいレンズです。

シルエットで抜くなら、露光を二絞り切り詰めればよかった。

枯れ木と東京タワーの競演。東京タワーの存在が・・・薄いですね。

堂々とした構築物。標準レンズで狙いたいアングル。

これは、もっとワイドレンズで撮りたいところ。どう切り取るか・・・?かなり難しいが、決まれば迫力有る写真になりだろう。展望台を135mmくらいの望遠で切り取っても面白そう。

これは、85mmくらいで撮影すべきかなぁ。

一度 やってみたかった、ブレ写真。ビルの間に挟んだほうがよかったか。

「梅に鶯」・・・・これは「梅にタワー」

逆光気味の光線で、東京タワーを撮影しながら、階段を明るく写すのは、意外と難しい撮影です。
今回は35mmで撮影。
これから撮ってきた写真をトリミングし、何ミリのレンズで撮ったらよいのか、検討します。
次回の撮影では、交換レンズを持参し、検討したアングルで撮影。一本全てを・・・というわけではありません。狙い撃ちです。
これも、ホップ、ステップ、ジャンプの撮影になりました。
- 2014/02/23(日) 18:33:40|
- 都会の景観 Tokyo
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2月初め、写大美術館(東京工芸大学、中野キャンパス)で土門拳の展覧会が開催されていたので、行ってきました。
その途中に見た面白い形のビル、山手通りに面しています。
4カットほど撮影しました。窓が少ないので、倉庫のようです。

階段の形状が面白いので、トリミング。

105mmか、135mmのレンズで切り取ると、面白い。階段を、人が歩いていたら最高のショットだろう。
数メートル歩き、アングルを変え、人が歩いてくるのを待って撮ったショット。

ガードレールが目障り、クーデルカを真似て縦長にトリミング。

すっきりとするが、建物は上に行くに従い広がり、奇妙な・・・不安定な写真になる。
階段の線を生かしてトリミングする。

ほぼ正方形のトリミング。すっきりとし、画面が引き締まる。これは、85mmか105mmで狙う構図だろう。
更に、道路を渡り、近づいて撮影。

建物のボリューム感を出すには50mmでは無理。35mmあるいはそれ以上の広角レンズだろう。
1つの建物に1本のフィルムを全てを使い切る気持ちで撮ったら、勉強になりそうだ。
今度、やって見よう。
P.S 土門拳の「手」写真展は写大ギャラリーで、3月28日(金)まで開催されています。10:00~20:00 無休、無料です。
- 2014/02/21(金) 11:32:40|
- 都会の景観 Tokyo
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新橋に行く機会があり、そのとき撮影した一枚。

ブラッサイの "Night in Paris" みたいには撮れないが・・・夜の東京を撮って見たい。
アジェのパリように、東京の街を撮るのもいいか・・・しかし、難しいだろいうなぁ。
ベレニス・アボット風の東京もいいかなぁ。
先人のすばらしい写真と張り合うつもりはありません。カメラの眼を訓練するため、この春は東京の景観、ビルデング、建造物を撮影してみようと・・・思っています。
桜や梅の撮影は・・・お付き合い程度。
- 2014/02/20(木) 21:01:36|
- 都会の景観 Tokyo
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東京に雪が降り、めったにないチャンスと、雪の光景を写真に撮ったが、雪の材質感を表現できていないもどかしさがあった。
たまたま、書棚を整理していると、祖父が残した戦前の写真雑誌が1冊出てきた。写真月報、昭和12年2月号。
そこに雪を写した写真が載っている。記事には「春雪とスキー写真」の特集もある。
ぱらぱらとめくる。すごい! 戦前の印刷である。写真のディテールは失われているが・・・それでもすごい。オリジナルは感動ものだろう。

柴崎高陽氏は、信州在住の写真家、今生きていれば、100歳は超えている。昭和12年といえば、30歳前半の年齢。祖父より少し若い。
氏は 六桜社(コニカ)のカメラを使っていたようだ。ベスト判のパーレット あるいは名刺版のパール写真機で撮影したものと思われる。昔の使い勝手のよくないカメラである。
そんなカメラで、躍動感有る雪山のスキーを、すでに撮影している。光を読み、撮影地を歩き回り、スキーが通り過ぎる瞬間の、1回のチャンスを狙う。たいしたもの、すごい技量。
現在のカメラなら、ズームレンズで、画面は好みに切り取れ、連続撮影もできるので、シャッターチャンスを逃すことない。ピントも自動で連続的に合わせてくれる。ISO感度を上げ、高速シャッターも可能、躍動感もばっちり撮影できる・・・
しかも、カラーで綺麗に撮れるが・・・うう~~ん、やっぱり柴崎高陽氏の この写真を超える作品となると難しいかなぁ。

長谷川一夫氏の特集記事(有名なあの俳優ではないと思います)「春雪とスキー」には作例として7葉の写真が載せられている。どれも 上手ないい写真です。それぞれに、狙いとそれを達成するためのコツが説明され、撮影データが公開されている。
第4図の撮影データは、「3月19日 午後2時、上ノ平にて、ライカA エルマー50mm F:3.5 パンアトミック F:12.5 1/60秒 D76B現像。」こういうデータは、参考になります。
パンアトミックというフィルム、おそらくコダックのフィルムでしょう。Panatomic-Xというフィルムが、つい最近まで販売されていました。微粒子でいいフィルム。ベースが薄く、ハレーション防止にベースフィルムは暗い色が付いていますが、現像すると溶けて、クリヤーなネガになります。デジタル化の波に飲まれ、数年前、生産は中止になりました。ASA64(ISO64)で使っていました。
この雑誌には、特集記事として、「雪・霜・樹氷の撮影に就いて」作例8葉、「生物の自然状態を撮る」として蝶や花の接写を説明(14例)している。赤外線写真の作例や、偏光フィルターの使い方、微粒子現像法の説明など・・・現在の朝日カメラより、内容や説明は高度である。それだけ、熱心に写真を研究する人がいて、撮っていたのだと思う。
雪をかぶった冬の向日葵を撮影したが・・・昔の人の写真と比べれば、相当レベルが低い。カメラの眼ができていないことを痛感する。

今は、スマホでも簡単に写真は撮れる、コンデジで花の接写をしている人を見る。最新のデジタル一眼なら、かなり容易に、なんでも撮影できそうだ。その分、歩き回り、光を読み、必死になって工夫し、写真を撮ろうとする努力にかけていないだろうか?
写真撮影の基本は、良く見ること。カメラの機能が上がり、カメラに頼りきり、自身の感性(五感)が衰えているのかも。

やっぱり、「写真の眼」が基本だろう。写真は、有から有を切り出すだけだが、撮影者の「写真の眼」が、見えなかった(意識化できなかった)大事なものを明らかにする。それを見た小生は、すごいと、感動する。
今年の冬、2人の写真家に逢ったと思っている。森山大道とクーデルカ、二人に「写真の眼」を感じた。
写真の眼のない小生は、どうしたら近づけるかと・・・せっせと、写真展を巡り、カメラの眼を盗もうとする。散歩にカメラを持ち出し、彼らの眼を意識しながら、パチパチ撮影する。

フィルムの現像は、戦前のアルス写真全集に記載されていた処方を元に、自分で調合し使用している。使用したカメラは1951年製(昭和26年製)のソ連製キエフ、戦前のツアイス・コンタックスⅡ(1936年から生産)のデッドコピー、レンズは、1939年製(昭和14年製)のツアイスの15ゾナー。柴崎高陽氏が使用したカメラとほぼ同時期のもの。
氏のカメラの数倍する高価なカメラだが・・・とても、氏のレベルの写真になっていない。このあたりが、写真の奥深いところか。まだ、当分、フィルムでの撮影を続行しようと思っている。
- 2014/02/19(水) 10:23:37|
- 写真の技法
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「白鳥の池」と呼ばれているところで撮影した二枚の写真を並べ・・・考えてしまった。

映りこんだ太陽と木の枝をバックに、枯れたアジサイにピントを合わせ撮影。ちょっとカメラを握った人なら、このような構図にまとめてしまいがち。この写真に独創性はあるだろうか? ないなぁ~~。誰でも撮るよ。

むしろ、ピンボケにし 焼きこんだこの写真のほうが小生の好み。撮影するとき、水面に映りこんだ木の枝のボケ具合を、液晶画面で確認し、面白いと確信しシャッターを切っている。断然こっちが、小生の好みだが・・・美しいというより、不気味な感じである。
美しい、手馴れた写真は、最初の1枚のほう。常識的な美しさ、安心して見ていられる。
2枚目の写真を見せられ、コメントを求められたら、どうコメントする?
相手(小生)を傷つけないよう、言葉選びに苦労するだろうなぁ。
ないものから(無)から有るもの(有)を創り出す、絵画、小説、詩、音楽、演劇などの芸術は、現実を踏まえながら、それとは離れ、独自の世界を作ることができる。
写真には、それができない。合成写真という手があるが、合成写真は、先祖帰りのようなもの、絵画の中に飲み込まれ絵画の中の奇形児的な扱いしか受けないだろう。
眼前の光景を切り取る写真には、あるもの(有)で、現実を表現するだけ。無から写真を撮ることできない以上、表現は有限である。もう写真は撮り尽くされてしまったのでは?という、恐れも抱いている。
これからも事件は起きる、報道カメラ(ジャーナリズム写真)は存在する。チラシや広告写真のニーズもある。
子供の成長を記録したいという欲求は強いので、家庭のアルバムには新たな写真は加わっていくだろう。
しかし、写真表現となると・・・過去の繰り返し、焼き直しという感は否めない。
20世紀、ステーグリッツから始まり、写真表現は、カメラの発展とともに、広がってきた。写真表現の広がりがなくなったとき・・・それが、写真の限界か。
1970年代には、心に残る傑作は沢山でてきたが、このごろは?どうだろう。・・・この30年、傑作として心に残る写真どれだけあったろう?焼き直しのような写真が・・・
花の写真、猫の写真、風景の写真・・・もう撮り尽くされいないか?不特定多数の人に見てもらう範疇の被写体だろうか?小生、猫も、花も、風景も 撮ってはいるが・・・こんなのでいいのか?という思いはある。
無から有を創り出す文芸(詩、歌、小説など)の分野では、「言語にとって美とはなにか?」などの評論もあった。小林秀雄、江藤淳などの評論家も現われ、文学がどのような発展をしてきたか、道しるべ示し、理解を深めることができる。
カメラ雑誌などで、写真評論を読むこともあるが・・・小生には、理解不能、かえって、写真と関係ない人、絵画の評論家、映画監督、作家の感想のほうが、当をえて、納得できる。
「写真にとって、美とは何か」そんなことを、まじめに捉え、道しるべを示してくれる写真評論家が、出てこないかなぁ。小林秀雄の評論集、吉本隆明の本が、二束三文の安い値で、古本屋の店先に並べられている現実を見たら・・・写真評論?・・無理かなぁ。
- 2014/02/17(月) 18:16:46|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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戸越公園の雪景色です。
普段見慣れた風景とは違っているので、新たな気持ちで撮影できましたが・・・寒い、レンズに雪が・・・と大変。絞り、シャッター、ピント合わせ、手袋を脱がないと操作できず。指先がかじかんでくる。-20℃の冬山に登り撮影する友人がいるが、どうやってカメラを操作しているのか?・・・今度コツを聞いてみよう。
寒さが老骨に厳しく、百日紅を撮影し、早々退散。気持ちは子供、肉体は老人か。

上下をトリミングしました。


下の部分を少しトリミングし、構図を整理。
- 2014/02/15(土) 13:32:18|
- 散歩
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去年1年間、戸越公園の「さるすべり」を 広角レンズで撮ったり、望遠で狙ったり、接写したり、ソラリゼーション現像したり、あるいは、季節の移り変わりを捉え撮影したりと工夫を重ね、一応終了としましたが、未だ、雨の百日紅と、雪の百日紅は撮影していない。それが心残りでした。
「冬の向日葵」の次に足を向けたのは、戸越公園です。



ようやく念願かない、雪の日の百日紅を捉えることができました。
「さるすべり」~~ん、まだ撮り尽くしてはいない。そんな気がしてきました。
- 2014/02/14(金) 06:52:15|
- 百日紅(さるすべり)
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「雪の朝 二の字二の字の 下駄の跡」
誰の句か?でも、一度 読んだら 忘れられない。その場の情景がパッと浮かぶ。
降り始めた土の道を、2階から俯瞰して撮影した「二の字二の字」の写真を見たことがある。
おそらくそれは祖父が取っていた朝日カメラに載っていた写真だろう。戦後間もなくのころの作品だろうか、当時履物は下駄であった。
ズック靴を履くのは、小学校へ入学してから。それでも、帰ってくると下駄に履き替え、外で遊んでいた。

現在、下駄の跡を見ることはない。自動車のタイヤ跡と靴の跡。人の後姿を入れて撮影したが・・・

ないほうが、かえって人の存在を感じる。もう少し、早く家を出ていたらよかったか。
靴跡が多すぎ、画面のまとまりを欠いている。靴跡が少ないほうが、人間の存在を強く感じる写真になっただろう。やはり朝起きは三文の得? 傑作写真が1枚減ったなぁ。

このミニ公園、普段から子供が遊ぶ姿は少ない。今日一日、中に入り、靴跡を残す人は出てこないだろう。

土曜日、学校は休み?ようやく公園で遊ぶ親子を発見。小生が小学校の頃は、雪でも降ると、沢山の子供がこの広場に来て、雪と戯れていた。隔世の感がある。
- 2014/02/13(木) 08:35:18|
- 散歩
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2月8日の未明から、ついに待望の?雪が降り始めました。東京では数十年ぶりの大雪とか。
朝、喜び勇んで、老体に鞭打ちカメラを抱えて撮影。

真っ先に向かったのは、向日葵。
冬の向日葵を散歩道に見つけ、花が開花していく様子を撮っていたが・・・・撮ってみると季節の意外性は 表現できません。それでも、1本の向日葵、狙い方によってどう撮影できるか、写真表現の可能性を追求するには、よい実験と割り切って撮影を続けていましたが・・・雪です!
向日葵が2本、雪に耐え咲いていました。
冬の向日葵、現在進行形で写しています。

しかし、雪の撮影は難しい。経験不足は否めない。どう撮れるかイメージが出てこない。ついパチパチとシャッターを押してしまいました。雪に写されている感じです。
- 2014/02/12(水) 08:48:33|
- ひまわり
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2月8日 東京は記録的な大雪になりました。
めったに見ない雪、うれしくなり、カメラを持ち出し、この冬景色をと撮るぞと・・・寒さをこらえて外へ。それを見て、老妻は「雪が降って喜ぶのは子供だけ。」と笑っていました。
雪国育ちでもない小生、雪の経験なく、どうしたらいいか四苦八苦。レンズに水滴がつかないようフードをつけたが、雪は風に乗り容赦なくフードのなかへ。溶けて水滴はレンズを覆いピンボケのよう。寒かったので早々に切り上げたが、それでもフィルムを2本ほど使いました。
翌、9日は、都知事選の投票日、早々投票を済ませ、午後には、Mamiya-6を持って、目黒の自然教育園へ。

雪の質感を撮ろうとしたが・・・難しいですね。

6日に来たときは、凍っていなかった池まで、氷が張っていました。まあ、東京ではめった撮れない光景です。
明日の建国記念日は、一日中、今回の大雪で撮影した写真の整理に追われそうです。
- 2014/02/10(月) 21:44:27|
- 水辺の光景
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2月6日(昨日)週間天気予報があたり、朝全国的に寒波とか、寒い。
これならばと、午前中にもかかわらずMamiya-6を手に、目黒の自然教育園へ。遊歩道を歩くと日陰には霜柱も・・・期待できると池へ、残念ながら氷は張っていない。

池のそばに生えている木をメーンに撮りたかったが、それもかなわず、結局カメラを水面に向け枯れた茎の連なりを撮影。

風があり、水面に波紋を生じている。風がなければ凍っていただろう。ハイキーに仕上げるか、ローキーにするか・・・迷うところ。葦の生える浅瀬に行くと、波が立たないのか、氷が張っていた。ラッキー。

これはハイキーに。早春の陽光を・・・感じたのはMamiya-6のほうか、光漏れ?

氷の輝きを強調するため、ローキーに焼きこむ。
12枚撮りのブローニーフィルム、13枚撮影できましたが、初歩的ミスで、1枚二重露光の失敗をしてしまいました。シャッター・チャージと、フィルムの巻取りが連動していないので、使い慣れないと、ミスをしがちです。逆に多重露光は簡単にできますが・・・
撮影は1時間くらい、昼には終了。そのとき霜柱は溶け、池近くの遊歩道はぬかるんでいました。
帰宅し、すぐに現像、定着、水洗、乾燥、そしてネガをスキャナーに取り込み、画像をチェック。その時間のほうが撮影より、ずっと手間も時間もかかるけど、これが写真を趣味とする一番の楽しいところ・・・デジタルもいいけどなぁ、フィルムから離れられない。
- 2014/02/07(金) 12:18:28|
- 水辺の光景
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2月1日 Mamiya-6を持って、目黒の自然教育園へ行く。フィルムはAcros100、風景なので、絞りは最小絞りのf:22と決めた。シャッター速度は低速となるため、三脚を持参。散歩に三脚は持ち歩かないので、やはり気持ちは、撮るぞ!という気分。週間天気予報では、この日が一番寒かったので、池に氷が張るのではと期待。そうすれば、かなり単純化した構図に切り取れるのではと期待していた。しかし、残念ながら、ポカポカ陽気、池に氷はなく、水面には風景が映り込み、画面の単純化はできない。
何枚か、池の周りで撮影したが、前回(1月28日)に撮影したような構図しか思い浮かばない・・・池に氷が張っていさいすればなぁと嘆息。己の眼のつたなさを棚に上げていました。残り2枚になったとき、入り口近くの「いいきり」の倒木を思い出していました。あれを、撮ろう。

去年9月22日に撮影したもの。サルノコシカケのようなきのこが生えていました。寿命はつきかけているのだろうと、カメラを向けていました。
眼前の死を、見つめる森の孤独な老木の姿・・・それを撮っているのは写真マニア老人。いやだねぇ。その前に こちらはアルツハイマーで ボケるだろうが・・・
レンズはライカのSummitar 50mm F:2.0 1951年製 六角絞りでコーティングが施されています。切れが良く、ライカ独特のボケ(収差)があり、好きなレンズです。同じぼけでも 老人のボケとは違います。
フィルムの感度が低いので、f:2の開放絞りで撮影。焦点を合わせた幹の部分、シャープで質感はちゃんと出ています。背景のボケかた、ぐるんぐるんボケと言うのでしょうか、ライカ独特です。
ツアイスのゾナーにはないボケかたです。
この収差、(Summar>Summitar>Summicron)の順だろうと思います。改良は、高解像度、高コントラスト、切れのいい、収差の少ないレンズへととめどなく進み、現在のデジタルカメラのレンズのすごいこと、値段もすごい。どうやったっても きれいに取れてしまう!!
デジタルの進化に取り残された老人は・・・やんちゃなレンズのほうが、好きだなぁと 負け惜しみ。

10月中旬の台風にも耐えて立っていたのに、11月に来てみると、倒れていました。
レンズは これも古いライカのElmar 50mm F:3.5 1937年製でノンコートです。4枚という少ないレンズ構成なので、コントラストの低下は抑えられています。テッサータイプで解像度も高いのですが、独特のやわらかい描写力があり、気に入っています。これも開放絞りf:3.5で撮影しました。サルノコシカケに焦点をあわせました。倒木の手前の割れたところまで鮮明に写そうとしたらf:16程度まで絞らないといけないでしょう。三脚が必要になります。

自然教育園では、倒木が遊歩道に出ない限り、そのまま自然に任せることを基本のコンセプトにしています。この「いいきり」の倒木もこのままにし、自然に朽ちて土になるのでしょう。入園した人は、遊歩道以外、柵の中へ入るのはマナー違反、中に入り、撮影できたら・・・とおもうのですが、それはできません。カメラの眼がある人なら、撮影スポットを見つけることできるのでしょうが、ない素人カメラマンでは、撮影スポットも限られてきます。誰もが撮る場所で、同じような構図で撮影する。キャッチーな写真は・・・天候と季節頼み。凍ったとき、鳥が遊んでいる瞬間、雪の朝、紅葉・・・

倒木を熱心に撮る人はいないだろう・・・とは思うけど、内心、これ、ウイン・バロックの真似では?とすこし後ろめたい。
ウインバロックなら、小さな女の子を連れてきて、森の奥へ歩いていく姿を入れるだろうが・・・
今日(2月4日)これから急激に寒くなり、夕方東京にも雪がちらつくかも。明日の最低気温はマイナスになるとの予報。明日、あるいは明後日、もう一度Mamiya-6を持って自然教育園へ行ってみようかと考えている。カメラの眼がないなら、天候頼みの努力で勝負。
- 2014/02/04(火) 08:17:19|
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1938年生まれのクーデルカ、1962年といえば24歳、大学を出て航空技師として働いていたころ、ローライフレックスで撮影した6.6判のネガから、さまざまな切り取り方、焼く付け法を駆使し、写真の勉強・・・というより写真の眼を、己自ら訓練していた。そのときの作品が Experiments(実験)として展覧会に展示されていた。

写真には、こんな表現法もある! びっくりしました。自分で、自分を鍛錬し写真の眼を磨く・・・
すごい、己の24歳のときを思うと、こんな実験(Experiment)をして見ようと思っただろうか?
五感の鋭さが、己自身を鍛えるのだ・・・ただただ驚きました。
私にもできるだろうか?6.6判のネガは、年末の掃除のとき束になって出てきた。
そのネガを調べて、クーデルカの技法をトレースしてみた。
集合写真の背景がピンボケになっているのを発見。その部分をトリミングし、コントラストを上げてみる。


去年、写真の技法をもう一度最初から勉強するつもりで、ピンボケ写真に挑戦した・・・スタイケンの技法をトレースしてみたが、追求は中途半端だった。納得する作品を作れずにいた。
ピンボケ部分だが、切り取り方、コントラストの調整で、雰囲気がある作品ができそう。望遠で切り取り、少しピンを外し、白黒のコントラストを強調させて焼き付ければいい。あるいは、標準で近づき、ピンを外して撮影でも可能か。
なぜ、去年それができなかったのかと反省する。
技術、テクニックだけでは駄目。しっかりとした眼の力がないと・・・切り出せないだろう。やはり眼の訓練は必要だが、先生から習う種類のものでもない。

手ぶれしたネガがあった。そこから2つ切り出してみた。

面白い、写真の表現が広がった気がする。
クーデルカ、すごい写真家だと、改めて感嘆。
- 2014/02/01(土) 18:54:27|
- 写真の技法
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