1月10日 東京国立近代美術館でクーデルカ展をみてから、そのショックが・・・心の中で渦巻いています。
クーデルカは、アマチュア時代 中古のローライフレックス(2眼レフ)を買い、写したネガをトリミングし、画面の構成を勉強している。
すでに始めたときから、非凡な才能、すごいカット(トリミング)の仕方があるものと、感銘。カメラの眼を自分で育てたのだろう。確かに、フレーミングの練習にはいいだろうなぁ。
カメラの眼は盗めないが、技法なら・・・
年はとっているが、また挑戦だと、Mamiya-6にAcros100フィルムを詰めて、昨日(1月28日)白金の自然観察園へ向かった。
撮影は、午後2時半から約1時間半。6.6判なので、フレーミングは慎重になる。6カット撮影し終了。疲れた。
35mmなら1本、36枚撮影しているだろう。デジタルなら100回はボタンを押しただろう。
6.6判で撮るとなると、真剣勝負という感じ・・・たまには、いいなぁと・・・変に納得。

帰宅後すぐにフィルムを現像。スキャナーでPCに取り込む。さすが6.6判、古いカメラとはいえ、35mmフィルムとは格段の鮮明さ。
出来上がった6コマの画像を、縦にトリミングしたり、横にパロラマ風に切り取ってみる。面白い。
手持ちで撮影したため、あまり絞れない。絞りを効かせて鮮明に撮りたいところ。人影も入れたい・・・とは思うが、季節外れか園内に人影はまばら。
次回は、三脚を持参して、撮影して見ようと思っています。(3日後、2月1日土曜 再挑戦するつもりです。)



自然の風景を撮影するなら、大きなフィルムのカメラで撮影するのが、いいのでしょうね。6.6判で気楽にスナップ写真・・・という気にはなれません。
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- 2014/01/29(水) 18:52:00|
- 写真の技法
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散歩中、気になるものを感じると(見るというより・・・)カメラを向け、シャッターを切っておく。特にデジタルになり、その傾向が強い。フィルムの残りを気にしないで撮影できるのがいい。

大崎駅に隣接するビルを歩いていて、発見。異次元の入り口?? 不思議の国のアリスでもあるまいし。
1枚撮影。ストレートフォトです。合成、はめ込み、レイヤー重ねなど、一切していません。
人間、見ているようで見ていないなぁ。(人間などと一般化するのは問題か、見えないのは、小生だけかもしれませんが・・・)狭い経験を元に、こうに違いないと、解釈し、見ている気になっている。「百聞は一見にしかず」などといいながら。
こうゆうところを発見すると・・・なぜか楽しくなる。
- 2014/01/28(火) 11:33:10|
- ???
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好きな写真家は? と聞かれたら真っ先に浮かぶのは、ハンガリー出身のアンドレ・ケルテスでしょう。
1920年代後半にはパリに出ていたと思います。1930年の初めごろ、Distortionsというシリーズの写真を製作。そのころパリは、シュールリアリズム運動が盛んでした。雑誌社の編集者の求めか、あるいはアンドレ・ケルテスの発案か、蚤市で遊園地で使われていたマジックミラーを買ってきて、ケルテスはそこに映るシュールなヌードを撮影をしている。
今、これを撮るとしたら、もっと 手の込んだ"Distortions"を 現代の進んだカメラと、マジックミラーを使えば、可能だと思うが、手がける人はいないでしょう。
たまたま、御殿山を散歩していたとき、交通の安全のため凸面鏡が設置されているの気づき、アンドレケルテスを真似(ヌード撮影ではありませんが・・・)をし自動車の姿を撮影してみました。

たわいもない写真です。素人の遊びです。
もし、”Distortions”に興味がおありなら、恵比寿、写真美術館の図書室で、本を借り出し、ご覧ください。面白いですよ。
彼は ガラス乾板で200枚弱(? 確証ありません)ほど撮影。これ以上撮っても先(追求する面)がないと、それで終わりにしています。写真集は、戦後になってから出版されました。しかしガラス乾板の(戦争をはさんでいます)劣化が激しく、画像を起こすのは不可能と思われていました。その修復をしたのがアウグスト・ザンダーだったとか・・・
アウグスト・サンダーも写真史に名を残すすごい写真家です。日本でも、彼の影響を受け、写真を撮っている写真家がいます。
先人が、苦労し、工夫し、写真表現の枠を拡張してきました。一度、振り返り、その道を辿るのも、面白い。2,3年前より、ガラス窓に映る都会の光景を、勤めて撮るようにしています。いずれ、まとめてみようかと・・・
- 2014/01/27(月) 20:54:13|
- 写真の技法
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公園を散歩していたとき撮影した1枚。

老人が、水のみ場で手を洗う。こぼれた水は、水溜りとなる。
ほんの一瞬のこと、鴉がその水溜りに降り、水を一口。
飲み終わるとすぐに飛び立つ。
その間 数秒。手を洗い終えた老人が「なんだ?」という顔。
反射的にシャッターを切っていた。
とっさのスナップそれなのに・・・縦位置で撮影、鴉と老人の組み合わせを意識していたのでしょう。
ファインダーを覗く目に、案内板の上に止まる鴉は見えませんでした。
案内板をトリミングし、老人と水溜りの鴉の関係に絞ると、まとまりがよくなるが・・・寓意性が失せる。
こちらのほうが、いろいろ 想像し楽しい。あなたならどんな話を組み立てるでしょう?
それとも、トリミングしたほうが 好みでしょうか?(とっさでしたが、フレーミングに、老人、水飲み場、からす のトライアングルを意識していたことは確かです。)
- 2014/01/26(日) 10:12:42|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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1月22日 NikonF にTri-Xフィルムを装填した。 レンズはZoom-Nikkor 35-70mmを使う。少し暗いレンズで使いにくいが、70mmの望遠側でも40cmまで近づけるので、接写撮影ができる。ズームなので、構図を切り取るのに便利である。 夕刻4時、到着。向日葵に当たる夕陽はすぐ陰になる。

ストロボを焚いて、背景とのバランスをとった。ストロボは、光の当たっていた10分間の光の位置に設置。

茎の中途からでてきた蕾を撮影。小さな蕾だが、存在感がある。帰宅後、すぐ現像、ネガは直ちにフィルム・スキャナーでデジタル化してPCへ。・・・・これではね、と落胆。この蕾、もうすこし浮き上がってこないかなぁ。暗いところが潰れている。
1月23日 今度はYGフィルターをつけて撮影。
露光をたっぷり目にかけ、現像を浅くし、階調性を豊かにすれば・・・

階調性のある美しい画像になったが、これ、ありふれた写真?になってはいないか?

ストロボを焚かないで撮影したが、ピントのある範囲が狭くなり・・・やはりここは、ストロボを焚き、絞って撮影だろう。
冬の向日葵の存在感を写しきれないもどかしさ・・・あぁ限界かなぁ。
- 2014/01/25(土) 18:52:29|
- ひまわり
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フォト・ジャーナリズを気取っているわけではありません。
冬の向日葵を見ていると、蕾から花への生育は遅い。花咲くことあるのか・・・気がかりである。萎んだろすぐ刈り取られてしまう。
生命の尊厳?と言うと おおごとのように聞こえるが・・・存在感はすごい。
すごい被写体が、眼前にあるなぁ~~。
何も 向日葵が綺麗に咲いている場所にいき、写真撮ることはないと、散歩で通り過ぎるたび、カメラに納めていた。

蕾をつけた向日葵を、横から接写。向日葵のようには見えませんね。

露光をオーバー気味にして、ハイキーに。向日葵の黄色い花弁は、まだ、蕾のなかに折り畳まれています。

露光を少し切り詰め、ローキーに。 神秘性がでてきます。背景の明るさを選び、それにあった露光をすると、同じ向日葵でも、受ける印象はかなり異なって表現できます。

5日後、蕾は膨らみ黄色の花弁が出てきました。しかし、花弁の発育はちぐはぐです。発育不全だから?これでは、向日葵と気づいてくれないでしょう。まるでチューリップのよう。

上からアップで撮ると、なぜか不気味。

更に3日後でも、まだ 花弁は完全に開いていません。この向日葵に太陽の日が当たるのは、午後4時過ぎ、ほんの10分程度。これは その 限られた時間に撮影。晴れていなければ、また撮影もできない。ラッキーとは思ったが・・・明暗差が大きく今一、この光線状態ならモノトーン・フィルム向きです。
1本の向日葵ですが、まだ撮りつくしていない・・・と思ってしまう。今度はモノトーンのフィルムで挑戦、刈り取られないうちに。
- 2014/01/23(木) 22:49:14|
- ひまわり
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刈り取られないうちに・・・とカメラを向ける。
向日葵は格好の被写体か、多くの画像がネットにも載っている。しかし、眼前にある、この冬の向日葵は特別だ。存在感がある。この存在感はすごい、それをどうやって?? ありきたりの写真となったら・・・冬の向日葵にどう謝ったらいいのだろう・・・と妙な思いにとりつかれる。

散歩に出たのは3時過ぎ、カメラを構えたのは4時少し前であろう。構えたものの・・そこでストップ。待てど陽が当たってこない。弱すぎる。それではと、付属の小さなストロボをセットし、屈み仰ぎ見る角度で向日葵を捉える。液晶ファインダーで慎重にピントを確認、ボタンを押す。すぐに液晶画面で画像を確認。
レンズはF-Nikkor 35mmのレンズ。50年近く前NikonFを購入したとき同時にそろえたレンズ。買った当初ファインダーを覗き、感激したことを覚えています。30cmまで近づける!!
撮れている。茎の絨毛が白く浮き上がり、花のがくの部分の材質感もでている。これならば更に近づき撮影すれば、背景を暗く落とし、向日葵を浮き上がらせることが可能だろう。

最短の30cmまで近づき撮影。今のデジカメ なかなか賢い。絞り優先モードにし、f:16まで絞り、強制的にストロボを発光させ撮影したが、露光は合っている。自動調光してくれるのか?
蕾は まさに開花しようとしているところ。直接日が当たるのはわずかな時間、多くの光は空からのもの。花弁は中天に向かっている。

発育不全で、茎の高さも低い。上より撮影。まるで、夜間撮影したよう・・・夜咲く向日葵は常識外、見慣れた向日葵の姿でもない。
フィルムで撮ることも考えて見よう。
- 2014/01/22(水) 10:08:45|
- ひまわり
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散歩道にひまわりが咲いているのを見つけたのは、年末のこと。気になり、時々、この散歩道を歩く。

冬の太陽の高度は低い。陽は屋根に遮られ、日が当たるのは朝と夕方のわずかな時間だけ。全部で6本植えられているが、右に植えられたひまわりは、発育不全になっていた。それでも蕾をつけ、花を咲かせようとしている。塀際のわずかな土地でもしっかりとした茎をつけている。誰か肥料を撒き、管理しているのだろう。

夏の頃のみずみずしい張りはないものの、それでも陽に恵まれた左の向日葵は、しっかりと花を咲かせていた。

3日後 通ると、花は萎れはじめている。

更に、4日後、茎は途中で刈り取られ、咲こうとする小さなひまわりがひとつ取り残されていた。
その花も、2日後の1月20日 横を通り過ぎると・・・跡形なく整地され、消えていた。
残るのは、右に植えられた、発育不全の向日葵2本のみ。
発育不全でも、蕾をつけている・・・ 撮っておきたいとは思う。では、どのような撮影を?
ネットで「ひまわり 写真」と打ちこみ検索。沢山の向日葵の写真がアップされている。どれも大同小異、花をアップで写すか、向日葵畑を、俯瞰して撮っているものが、沢山出てくる。しかし、これは真似できないと 感嘆する写真はない。画家なら、画家独自の向日葵が描ける。ゴッホの向日葵は有名。しかし、写真だとむりかなぁ。
せいぜい、蝶や昆虫が蜜を吸いに来た所をクローズアップ写真できたなら、大当たり・・・だろう。冬の向日葵では望むべくもないけれど。
冬の向日葵、どう撮ったらいいか、悩ましい。存在感はあるのだが・・・
鎌を持った死神が、その穂を刈りろうと 近づいてくる(ヨーロッパ人のイメージ)・・・その前に、カメラに収めねばと思う。
- 2014/01/21(火) 12:55:09|
- ひまわり
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16日待望の満月です。雪もちらつくかという天気予報ははずれ、東京はいい天気でした。
12日から月を追い、撮影していましたが、1日ごとに月の出が50分くらい遅くなります。満月の撮影は、夜10時過ぎになってしまいました。カメラを持って、戸越公園へ。
人影はなく、また大変寒い。老骨には厳しい・・・

これは二重露光で撮影。カメラはNikon SP レンジファインダーカメラです。16日の夕方5時ごろ百日紅を撮影。空の部分の濃度を上げたくないので、通常の露出より4絞りほど絞って撮影。フィルムを戻し、夜10時過ぎ、月を二重露光しました。背景の空の濃度と月の光の強度のバランスが、大変難しい。空の部分、露光不足で、銀粒子が出ています。
Tri-X、フィルムの特性が、変わったような気がします。現像しネガを見ると、使い慣れたTri-Xと、なぜか違う違和感あり。Kentmere400に似たフィルム・・・・?? Tri-Xを使っている方、どう感じていますか?

ストロボを焚いて、月と百日紅をバランスさせてみました。このほうが ストレート・フォトです。できればf:22/60秒で撮影したかった。NikonSPのストロボ同調は1/60秒以下、1/125秒に対応していません。また、レンズの絞りは最小がf:16で限界です。
撮影はISO=100程度のフィルムを使うべきだったかも。これは、撮り終わった後、結果からの判断です。デジタルとフィルムでは、光の感度特性に違いがあることを痛感しました。
- 2014/01/20(月) 18:18:03|
- 百日紅(さるすべり)
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1月の満月は16日、それにあわせ、12日頃より月と百日紅の組み合わせを撮影しようと、戸越公園に通った。
天気はコントロール不能。満月の日が、撮影に好い天候という保障はない。

最終的には フィルムで撮影したいと思っている。その前に、撮影条件を掴むため、デジタルカメラで予備撮影を行っていた。
フィルムは、標準レンズ(古い言い方ですが)で撮影したいので、デジタルのNEX-3にはF-Nikkor 35mmのレンズをつけています。これで標準レンズの画角とほぼ同じになります。月の明るさと背景の明るさのバランスは、多重露光(今回は二重露光)で解決しようと考えています。デジタルなら、レタッチソフトでレイヤーを重ね合成すれば、容易に作成できるのですが・・・古い技法に、どうしても執着しています。
別々に撮影した画像を、古いバージョンのPhotoShopで加工(レイヤー重ね)して見ました。

月の大きさと百日紅の枝のバランス、撮影位置を後ろに下がれば、月の大きさを変えず、枝の太さを細くすることができます。シュール感を出すためには、このバランスを崩さねばと180mmの望遠で撮影した月の画像を貼り付けてみました。長さで約5倍、面積で25倍ほど大きな月になります。現実にはありえないバランスです、少しはシュール感がでたかなぁ。
勿論、植田さんの展覧会を見てしまったという心の影響が残っています。植田さんならどう撮るか? そのTry&Errorです。カラーよりモノトーンが好いだろうと変換しています。レタッチソフトの使い方、モノトーンへの変換のやり方、まだ稚拙です。空の部分、露光不足でノイズが汚く出ています。植田調には、まだほど遠いのですが、この方向ですね。植田さんのカメラ・アイ 独特で真似は・・・・難しいのですが、最新のバージョンだと切り抜きや変形、色の変換もかなり自由にできるようです。それを使えば・・・やはり無理かなぁ。
レタッチシフトはどんどん進化し、使いやすくなり、それを駆使すれば、どんなデフォルメも可能。現実そっくりの場面も合成できるようです。米国の映画界では、俳優組合が、このままでは職を失うと役者がストを行ったくらいです。
技術の進歩は抑えられない、やがて、合成写真技術は、写真を撮る人の知るべき必須条件になるのでしょう。近い将来、植田調をまねたカメラマンが現われ、更に植田調を越えたすごい作品を発表することを期待しています。
去年、権威ある公募展をみましたが、入選作のうち、20%近くに、一部を合成したと思われる部分がありました。
撮るカメラがデジタルになり、この傾向は、どんどん増えるでしょう。
- 2014/01/20(月) 09:00:06|
- 百日紅(さるすべり)
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恵比寿の写真美術館へ行ってきました。

「写真で遊ぶ」 うまいネーミングだと、思いました。
確かに偉大なアマチュア写真家、自分の好きなところを、自分の好みで撮影している。
プロだと営業が頭をかすめ、クライアントの目にかなうような絵柄になり勝ち。
そこが、違う。おもねったところなどない。
特にラルティーグの写真は、笑ってしまう。動く瞬間を永遠にとどめてくれる写真が大好きということだろう。
まだ乾板の時代、フィルムの感度がISO=20程度のときから、動くものを写真に記録しようとしている。すごいものだと感嘆。
一族の記念写真をだろうが、実態はラルティーグの選んだ彼の世界。彼は、そこで遊んでいる。
ほとんどストレート・フォト、一枚だけ多重露光で撮影したと思われる写真があっただけ。
写真の発明から、第二次世界大戦まで、フランスは写真芸術の中心地、幾多のカメラマンを輩出してきましたが・・・フランスにいながら、職業写真家の影響は受けていない。おそらく、写真は独学。
家族のアルバムを撮るという枠から外れているような気もします。さりとて職業カメラマンの目とも違う。
家族に見せるアルバムというより、彼個人の世界に閉じこもることを志向しているような感じもします。「面白いと思ったものを、撮っているだけ、どこが悪い?」と聞かれたら、「いや小生もそうです。まったくその通り。」と答えるでしょうね。
植田さんは、そのフランスの影響が濃厚。昭和初期1930年ごろ、フランスではシュールリアリズム運動が起こっている。フロイトの心理学を源泉とし、詩、絵画、文学、演劇などを含んだ幅広い芸術運動。写真家ではホモ=ナジ、マン・レイが有名。
見た瞬間、あ、シュールリアリズムだと思いました。彼は終生この運動の中に自分の世界を見、その世界に遊んでいる。
フォトグラム風静物写真があり、現実の砂浜ではありえない光景を演出し、写真に収めた写真がある。ヨーロッパでは、絶賛される構図です。ダリやキリコの絵画に通じます。砂丘は、かれのスタジオ、そこに人を配し写す。そのため空は無地が好ましい。自分の世界を構築するためには、テクニックを使うことは当たり前、オリジナルプリントを良く観察すると、エヤーブラシで、あるべきものを消してしまったような写真、印画紙を傾けて焼いたと思われるデフォルメしたような写真もある。これが植田ワールドには欠かせないと・・・(戦後のカラー写真も展示されていましたが、それは、戦前流行ったベス単眼はずしで撮影したような写真、植田氏、多才です。)
ラルティーグとは写す対象はことなるが、彼もまた 自分の世界を構築し、その世界で遊んでいるなぁと思いました。
自分の世界を構築できるのは、すごいこと。うらやましい限りですが・・・小生の好みは、少し違うようです。
真摯に対象に対峙して写真をとったアンセルアダムス、ウインバロック、アンドレケルテス、サルガド、そしてつい最近知ったクーデルカなど、閉じこもる個人の世界より、ひろがる世界のほうがすきなのだと、気づかせてくれました。(これは個人の好みの問題です。)
会場を出ると、もう日は暮れていました。
偉大なアマチュアの足元に到底及ぶべくもないが、興味を引いたものだけを撮るアマチュアの自由さはあると、月の撮影をしていました。これは、「月とさるすべり」を撮影するための練習もかねています。

月のウサギを撮るためには f:8~f:11/125秒で撮影する必要がありそう。

像に近づきディテールを潰さないようf:5.6/125秒で撮影したら、月のウサギは光の中に隠れてしまいました。
植田さんが 撮るとしたら、どうするだろう?
- 2014/01/18(土) 10:34:34|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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大崎の目黒川沿いを散歩していると、桜の花が咲いているのを発見。エェ!(じぇじぇではありません)もう咲いたのか。

今年は、1月のひまわりも見ている。異常気象? 冬桜といえ開花は11月頃では? 戸越公園には、ヒマラヤ桜があり、それは12月始めに咲いて12月中頃には全て散っていた。

去年は桜を沢山撮っている。どう撮る? 色々工夫しアングルを変えるが・・・ありきたりなものになるなぁと、なかなかシャッター(いや、ボタンです)を押せない。
春の知らせを先取りしたのだからと、ボタンを2、3度押してそれで終了。
今年も、桜の季節になれば、この目黒川沿いの桜並木を、カメラを抱え往来しているだろう・・・
どう撮るか? ・・・心の中で唸っています。
- 2014/01/16(木) 10:54:53|
- 樹、草、花
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すごい写真家がいるものだと・・・ショックを受けてきました。
ジョゼフ・クーデルカの名前は知っていました。昔、雑誌に、「プラハの春」を踏みにじったソ連の戦車の写真がセンセーショナルに載っていたのを覚えています。ただそれだけ・・・
1960年台後半は、世界中、若者の反抗の時代、ミニスカート、サイケが流行り、パリで学生運動が、日本でも日大闘争、東大安田講堂の攻防、更にはその後の成田闘争。中国では、文化大革命・・・その並びでしか考えられず、日大闘争の報道写真を見ているものには、そのうちの1つという感じでした。それだけ、「井の中の蛙」状態だったのでしょう。
クーデルカを知っているかと聞かれたら、何も知らないと答えたでしょう。
展示場に入り、脳天を割られたような衝撃を覚えました。うまい、すごい・・・なんだこれは!?という感動です。
写真を写すテクニック、技術は盗めます。盗む気になり、注意深く観察し、Try&Errorしていけば、掴むことができる。しかし、「クーデルカの目」は盗めない。結局これなのだ。写真家の目を盗むことはできない。そのことを、心にぐさりと 教えてくれました。
本当に大事なものは見えない、しかし、それを感じ、読み取る目をクーデルカは持っている・・・・そういう写真家は少ないが、確かにその一人だろう。これが、「写真の目」なのだなぁ・・・好きなものを、撮っているだけと嘯いている小生は、恥じ入るばかり。
特に、アマチュア時代は面白い。ローライでとったネガをトリミングして、パロラマ風に変換し、構成を勉強している、これは真似ても勉強になりそう。アルバイト的に行っていた、劇場のパンフレットの写真、実験的で面白い。写真家としての確かな目を感じる。写真にはこんな表現もできるのだ、と高らかに宣言しているよう。
一連のジプシーの写真。中には白とびした写真も。同時代、日本でもアレボケブレといわれたコンポラ写真にあったが、クーデルカの写真のほうが胸に迫ってくる力がある。すごいの一言。

会場を出たときは夕刻が迫っていた。3時間以上、会場内をうろついたことになる。クーデルカショック、心の中でしばらく続くだろう。写真を撮る技術にかんしては、彼よりうまい写真家は、日本にも沢山いる。
しかし、違う。彼は精神をも写している。日本の多くの写真家は、雰囲気を写すだけ、表面を撫で、どうだすごいだろうと嘯いているだけでは・・・と思えてきた。私小説写真と骨格・構成のはっきりした写真(長編小説)の差だろうか?

ショックは、ショックだが 快いショックです。本当に大切なものは目に見えない。しかし、それを感じ読み取る目を持った人はその瞬間、己のもつ撮影技術の全てを動員し、カメラをそっと向ける・・・それが写真の真髄かも・・・目は盗めないなぁ。おそらく、自分の能力に気づき、自分で自分を訓練し、その目を獲得していったのだろう。
音楽家も画家も、自分で自分を訓練・・・内的な必然、止むにやまれない追求心の結果が、作品を生む。
そんなことを思いながら、この快いショック記念にと、竹橋近辺で数枚シャッターを切っていた。

パロラマ風にトリミングしてみた。

好きなものを、撮っているだけと嘯き、わけが分かったようなことを言っている小生は、恥じ入るばかり。
写真の底にはすごい世界が広がっていると思う。
- 2014/01/15(水) 09:23:12|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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去年の暮れ。散歩道に、ひまわりが数本植えられているのに気づいた。季節外れだなぁと思い、見ると1本は花を咲かせている。盛りは過ぎ、しおれる寸前。残りのひまわりは、発育不全。このままでは、寒さにそのまま萎れ、花を咲かすことないのでは・・・と思っていた。
先日、そのそばを通ると、1本は、小さな花を咲かせていた。蕾をつけた茎もある。しかし、1本は枯れていた。

蕾から、将に開花する花もある。
おそらく、晩秋に植えたものだろう。人の身勝手、少々残酷な気もするが、それでも ひまわりは咲こうとしている。
これから寒さは一段と厳しくなる。萎むか、咲くか?
応援? いや、やはり 人間の身勝手、この残酷な状況がどうなっていくのか、知りたいという気持ちが強い。戦場カメラマンと似た心境かなぁ??
戦場カメラマン・・・どんな心構えで、写真を撮っているのだろう。
- 2014/01/13(月) 16:41:47|
- ひまわり
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年末、古いものを整理し、手狭になった部屋を広くしようとしていたら、古いネガの束が出てきた。
正月 寒いので外出は控え気味、コタツに入り、そのネガをスキャナーでPCに取り込でいた。
天候の関係でぼんやりとした写真、できばえはよくないな、・・とネガをスキャンしていたら、思いがけず、父親が写っている写真にぶつかる。手には家のカメラMamiya-6が・・・とすると この写真は?どのカメラで??
Mamiya-6は家のカメラ、大人しか触れないカメラでした。カメラに、興味津々の小生をみて、当時爆発的に売れたフジペットを買ってくれました。父親にしてみると、青春時代は、戦時中、小遣いを貰っても、買うものがない時代・・・物質的には恵まれた生活はしていない。戦後、猛烈に働き、ようやく一息つくと、アメリカ文化が入り込み、消費社会へ変貌。我先に、新しいものに、手を伸ばしていた。青春時代の穴埋めか、あるいは子供には戦前の不自由さを味わわせたくないという親心か、おもちゃとしては高価なフジペットを買ってくれたのだと思います。(感謝)
写っている父親、おそらく40歳、40歳頃の小生によく似ているので、びっくり。父の手にするMamiya-6、3年後には、小生の手の上に乗ることが多くなりました。

小学校5年生ころ 撮影した写真です。箱根旅行したときの写真。見知った顔が映っていますが、まだ健在の人はごくわずか。これも貴重な家族のアルバム写真になりました。

当時から、こんなところも写真に撮っていました。1本で12枚しかとれない貴重なフィルムなのに・・・祖父の影響かなぁ・・・無表情な空の部分をあまりいれていません。現在の小生でも、こんなフレーミングになるのでは・・・・進歩していないなぁ・・・と少々がっかり。
フジペット、距離は固定、おそらく数メーター先にピンが設定されているようです。絞りはお天気マークで、晴れf:22、曇りf:16、雨 f:8だった記憶があります。シャッター速度は バルブか、1/60秒のいずれかを選択。ASA100のフィルム(ASA50でなかったと思います)なら、天気マークで露光はほぼOKでしょう。ピンの利いた写真を撮りたければ、快晴の日ということになります。

自動車の横腹を、面白く切り取っています。森山大道風に黒を引き締め、白を飛ばし気味にトーンカーブを調整してみました。ピントが合えば、面白い写真になったでしょう。フジペットは小学生の高学年の頃、遠足に持っていった記憶があります。中学になると・・・Mamiya-6ですね。
- 2014/01/12(日) 11:32:41|
- 思い出の写真
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写真同好会「彩遊」の撮影会に参加するようになり、今までは気にもとめず、カメラをあまり向けなかった道端の石仏を撮る機会が増えてきた。
積極的に撮ろうとする気にはまだなれませんが、撮っていると、この材質感を写真表現として如何に捉えたらいいのか?と 色々試したくなってくる。画学生のデッサン、ピアニストの卵の、指使いの練習みたいなもの、街に飾られた銅像・石像を発見すると、勤めて撮影してみることにしている。露光とアングルのテスト、フィルム現像の練習です。

スタジオなどのポートレート撮影なら、光を自由に当て、最良の光を演出できるが、街角の石像・銅像ではそうはいかない。像の周りを一回りし、光の具合を観察、最良のアングルを探し、シャッターを切るだけ。

中間のトーンをだすと、雨の白い筋が銅像の表面を流れ見苦しい。少し焼きこんでいます。すると犬の背の材質感もでたように感じました。

ビルの反射光が豚の横顔に当たっていました。暗い部分、潰れてしまうのでは・・・と危惧したのですが、どうにか助かりました。(現像は 押し気味にしました。)
- 2014/01/10(金) 11:20:37|
- その他
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今年初めて電車に乗り東京駅へ。車内には、仕事始めの挨拶に向かうビジネスマンの姿が多く見受けられ、意外と込んでいました。
カメラはKievⅡ レンズはコシナ製SC-Skopar 21mm F:4を使用、 交換レンズは持って行かないのが、お散歩カメラの鉄則です。今日は21mmの広角レンズで、東京の景観を切り取るのだ・・・と、自分に言い聞かせる。できればニューヨークを撮影したベレニス・アボットのような写真を撮りたい。

有楽町の国際フォーラムのガラスの建物、格好の被写体でよく撮られています。その分、誰かがすでに撮っていて違ったテースト出すのが難しい。暗いところは潰さないよう、白いところは白とびさせないよう細心の注意を払い、光の具合を読み、ここが 今一番のアングルと 狙いを定めたのですが・・・今一だなぁ。

21mmの広角レンズ、建築物を撮るとなると、かなり歪みます。仰角でとって高さ・奥行きを強調。「撮影場所はニューヨーク」と言っても、納得してくれるかなぁ。

改築(?)されたKITTE舘の屋上から、おのぼりさん気分で、東京駅を撮影。午後4時ごろで、陽は傾き、光は高いビルに当たるだけ、今の時期なら、昼頃が撮影するタイミングかも。ここからなら28mmくらいのレンズで狙うべきでしょう。次回は 昼ごろ、28mmレンズで、フィルターを(R60かYG)を持参し、撮影してみます。
- 2014/01/08(水) 13:45:18|
- 都会の景観 Tokyo
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12枚では、すぐ撮り終わります。ブローニーフィルムを交換し初詣を続けた。カメラは昭和27年製。

旧東海道、品川寺(「ほんせんじ」と読むようです)、江戸時代の大仏、東京都内にありますが、ここの大仏もかなり大きい。後ろに回って撮影。背に寄進したした人の名が、無数 記されています。
4日は、近くの神社をはしご。

大崎の居木神社。

戸越(豊町)の八幡神社

西品川の貴船神社
更に足を延ばせば、下間窪(下神明)の天祖神社、上間窪の天祖神社、荏原町の天祖神社・・・散歩する道に、神社は沢山在ります。江戸の昔、ここは江戸のそと(江戸越えの戸越)農村地帯が広がり、各村に鎮守の社(神社)があったのでしょう。
- 2014/01/05(日) 14:19:58|
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元旦の夜、Mamiya-6を取り出し、レンズを分解し、清掃。
数年前、Mamiya-6を使おうと思い、まずフィルムだと、ビックカメラで2本購入。いざ、詰めようとして、カメラを見たら、レンズが白濁していました。これでは無理とあきらめていました。使うためには 修理に出すか、自分でレンズを分解し、掃除しなくては・・・
この機会に、レンズをクリーンニングしよう。
テッサータイプの4枚レンズ、簡単だろうと、改めて白濁したレンズを見る。幸いなことに2枚目の後ろと、4枚目の後ろが、白濁している。これならできそうと、分解した。ものの30分ほどで完了。白濁の原因は不明、カビではなさそう。完璧には取りきれなかったが、まあ、使えるレベルだろうと、ブローニーフィルム(NeopanSS:2010年4月で使用期限は切れていました。)を詰める。使い方、かなり忘れている、手惑いながら、ようやくセット。
2日 晴れて暖かだったので、Mamiya-6を手に、旧東海道を目指し散歩。

品川神社では、餅つきをしていて、参拝客に配っていました。
6.6判ではフィルム1本で12枚しか写真を撮れません。撮る気持ちは、慎重になるのか、いつもの感覚とは違ってきます。
数十年ぶりに使うカメラ、失敗は付き物。
覆い板の設定を忘れ、実画面サイズは、5.5cm×4.9cmとなりました。フレーミングした画面の左側が少し写りませんでした。

富士山、頂上。吹流し、全て入れてフレーミングしたはずなのですが・・・失敗。

左に、お父さんの姿があったのですが、これも 切れて写っていません。

逆光でも どうにか撮れたので、レンズの洗浄は合格でしょう。
数十年前のカメラ、思い出しながら使っていますが・・・使いこなすには、少しフィルムを無駄しないと駄目のようです。ブローニーフィルムの現像も、数十年ぶり、昔の現像タンク(キング製)を出して使用! まあ、物持ちのいいこと・・・だから部屋が狭くなるのだが。
期限切れのフィルム、まき癖がついていて、リールに巻くのが大変でした。NeopanSSの現像も、久しぶり。悪戦苦闘して現像、定着、水洗、乾燥し、ネガを作る。スキャナーに掛け、PCに取り込みました。これも、また楽しい。
今年は、Mamitya-6で、遊ぶことになりそうな予感がします。まだ、Mamiya-6 生きていました。
- 2014/01/03(金) 14:09:08|
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年末、古いものを整理し、手狭になった部屋を広くしようとしていたら、古いネガが出てきた。
昭和30年台のネガの束である。
家のカメラを勝手に持ち出し、課外授業や親戚の家に遊びに行ったとき撮ったものが多きかった。
カメラは、マミヤ-6 V型、昭和27年ごろ、祖父が購入したものである。祖父は、戦前写真を趣味にしていたが、戦争が激しくなるにつれ。フィルムが手に入らなくなり、断念。戦後、ようやく落ち着きを戻したころ、また写真をと購入したもの。それも、数年は使っていたが、徐々に祖父の手から孫の手に移ることになる。子供にとって、格好の高級なおもちゃでした。

昭和35年ごろ(1960年ごろ) 中学の夏、伊勢の親戚の家に遊びに行ったとき撮った一枚。漁村でお祭りが行われていました。
露光に関しては、祖父からしっかり聞いて学んでいたのか、あまり間違えていません。50年以上前のネガですが、意外と変色していません。中にはベースのフィルムが 少し褐色を帯びているのもありますが、引き伸ばしできないというものでもありません。銀化したネガもあり、それらは少し不鮮明ですが、6cm×6cmという 大きなネガ、35mmフィルムと比べたら、精密描写という点では負けていません。それに意外と、銀塩の濃度が高く、階調性は 今のネガフィルムよりいいように感じます。銀をケチケチつかっていない!と妙に感心しました。
今日は 元旦、一年の計は元旦にあり・・・とするなら、今年はMamiya-6を使ってみようか・・という気になりました。まだ、あのカメラ 生きているだろうなぁ~~?
- 2014/01/01(水) 14:03:25|
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