いよいよ年末が近づき、慌しくなってきました。
今年1年、フィルムで撮った枚数は3500枚ほど、36枚撮りパトローネで100本弱。例年は3000ショットですから、かなり増えました。写真同好会「彩遊」に入ったこと、そして、このブログを始めた効果かなと、思います。
PCのデスクトップに、リサイズした画像が数枚残っています。ブログに載せようと思っていたが、載せず残ったものです。落穂ひろいのようなこと してみました。
今年は 原点回帰をはかり、色々な写真の技法に挑戦してみましたが、いまだ、道なかばという感じです。

昨年の暮れごろより、「水底の世界」を撮影していました。
普通、映りこみの写真とは、水面に映る虚像を現実の風景と一緒に撮影し、風景写真を一層美しく飾り立てるものです。
それが嫌で、視点を水面だけに限定し撮影。美しい風景を撮ろうという意識は消えています。まして、地球は水の星、この素敵な世界を、皆さんに伝えたい・・・など大それたことは考えていません。むしろ「水底に心魅かれる実はないか・・?」とカメラを向けていただけ。面白そうだ、何か写っていれば、という感覚です。
お堀の鯉です。樹と同じ平面、あるいはもっと遠くを泳いでいるような感じを受けます。だとすると 大きな白い魚です。なんとなく童話に出てきそう。メルヘンチックですね。ちょうど、洗足池の鯉の写真を撮っていた頃の撮影です。

今年の桜は早咲きで3月の中旬から、桜を追っていました。この写真、構図を作った瞬間、抹香くさいと、そう感じていました。仏教説話を思い浮かべていたのでしょう。火宅の人?だっけ。横に流れる川(実際は目黒川ですが)は彼岸(悟りの世界)と現世(火宅)を分けて、飛び石で2つの世界をつながっている。現世では、子供が楽しそうに遊んでいる。女の先生(観音様の化身)が、教え諭し、業火に燃える家を離れ、あの彼岸に至る道(教え)に導こうとしている。前面には、枯れた茎。やぁ~~抹香くさい、駄目と、没に。

桜には、死のイメージを感じてしまう。戦前の教育では、おそらく武士道を曲解し、戦うことを知らなかった農工商の人まで、富国強兵の掛け声の下、これが武士道と、潔く死ぬことを強要、その象徴として桜を推奨したのだろうが・・・小生は、「あの桜の下には死体が埋まっている」と、感じた詩人の感覚のほうを、共有したい。
花いかだです。どちらに流れているのか? これも そう感じると、すこし抹香くさくなってしまいます。

単純に、筍を上手に撮りたいと、悪戦苦闘しました。ただそれだけ。でも、竹林を吹き抜ける風を感じ、それを撮ってみたいと思うように・・・それが収穫か、挑戦するものを発見するのが、趣味の醍醐味でしょう。

まさか、自分の後ろ姿・・・ボツだと、PCのデスクトップに残されていた一枚。

接写+ストロボの技法で 捉えた百日紅の花。あまりに調子のよいネガになったので、ボツ。露光が多めで、銀粒子でざっらとしたネガが好いと判断。普通なら採用なのですが・・・残念な一枚です。

横浜、中華街でのスナップ。相手は鳩。人通りが多いのですが、瞬間 地面へ降りる。これも秒撮。すぐに飛び立ちました。
一年 色々撮りましたが・・・来年も、撮り続けることになるでしょう。小生、退職後は至って行動範囲が狭くなっています。身近な場所を散歩するだけ。それでも撮りたいと思うものが次々に現われてきます。
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- 2013/12/30(月) 11:11:49|
- その他
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写真はモノトーン(白黒)が当たり前の頃、NikonFに手を出してしまい、それから写真は白黒と心に摺りこまれてしまったのか・・・厄介なものである。
そのフィムルも、いまや衰退産業、白黒フィルムの需要、おそらく戦前の水準くらいまで下がっているのでは?
そんな危ういものを楽しんでいる・・・趣味だからと言い訳するが、デジタルの鮮やかな色彩に魅了され、銀塩の美しさを感じる感覚も、人の心から遠ざかっていくのだろうなぁ。さびしい限りである。そう思いながら。今、森山大道氏の写真テクニックを盗もうと、Try&Errorしている。氏が見たら、何でいまさらと、鼻でせせら笑いされてしまうだろう。

小さなサンタクロースの白い毛の縁取りと、お母さんの右足のブーツの輝き、この部分に大道氏の焼きこみテクニック(だろうと思い、試行錯誤しています)を使っています。

以前は めったにカメラを構えない構図です。従来なら、階調性を豊かにしたいと思うので、少したっぷり目に露光、軟調現像液で現像・・・すると、返って眠いメリハリのない写真になります。撮りたいとは思わない光です。
少し露光不足気味に撮影し、階調性を否定して現像、全体を硬調なネガに仕上げました。
更に、芝生部分を硬調に焼き込み プリントしました。

珍しく85mmのレンズを持ち出し、撮影。明暗差をつけて焼き込んでみました。いままで、こういう調子に焼き付けたことがなく、新鮮な感じがしています。やれば、できるんだ~~という気分。 うまい写真かどうかは・・・自信ありません。
ただ、写真表現の幅が、少し広がった気がします。
- 2013/12/29(日) 08:41:40|
- 写真の技法
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1年間 百日紅の樹を撮影してきました。 ついに最後の月となりました。

夕方、撮影。空の明るさは、刻々と変化していきます。勘に頼って露光を決めていますが、この時間が一番難しく、また面白い。薄かったり、濃かったりのネガを作ってしまう・・・狙い通り決まると ガッツポーヅ。趣味の世界、失敗もまた楽しい。

午後5時の空に半月が。この構図で、百日紅を撮るものいい。できれば満月・・・あと4,5日後か、と思いながら、忘れていました。次のシャッターチャンスは、年明け、1月中旬の15日近辺。時刻は9時過ぎの夜間撮影となります。
レンズは50mmでいいだろう。月のウサギも撮りたいが、明暗差が大きくて、月のウサギに露光をあわせたら、空は暗くなり、百日紅の樹も、その暗闇に沈んでしまうかも。シャッター速度もある程度速くしないと、月の文様を捉えることできないだろう・・・1/30秒は必要だろう。とすれば、絞りは? 月と百日紅をくっきりと写すためには・・・ 技術的にはなかなか難しそう。それ以上に 寒いだろうという思いが 撮影しようとする決心を鈍らせる。さて、どうしたものか。
- 2013/12/27(金) 09:14:49|
- 百日紅(さるすべり)
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師走の銀座を散歩し、写真展をはしごしてきました。
新橋で下車し、花椿通りを歩き、資生堂ギャラリーへ。ここでは、森村泰昌氏の「ベラスケス頌:侍女たちは夜に甦る」の展示会が 開かれていました。入場無料。会場内の撮影はOKとのこと。絵に画かれたt登場人物の顔は徐々に氏の顔に置き換わり、最後には全て森村氏となります。仕掛けがあり、どういうこと?と考えさせてくれます。19世紀末の絵画的写真の、その上を行くひねりがあり、見ていて楽しい。一種の絵解き、かなり綿密に当時の資料を集め、読み漁ったのでは?
これは 写真?それとも現代絵画?印画紙に焼き付けられていることを忘れ、絵画を鑑賞している気持ちになりました。
見に来て よかった。作る写真の最先端です。しかし、コストもかかったろうな・・・と変な心配。王侯貴族(パトロン)がいない現代、スポンサーは誰? 下世話なことも、チラッと考えてしまいました。

手にした「お散歩カメラ」でパチパチ撮ってもいいのですが・・・・撮れば森村泰昌氏の術中に嵌るよう、帰り際、階段の上からそっと1枚、スナップ。
ニコンの銀座サロンへは、ほんの数分でつきます。1階のギャラリーで吉永友愛氏の「長崎~キリシタンの里」展が 開催中でした。長崎に在住の写真家で 30年ほど前から通い、写真を撮り続けられたとか、労作です。ほとんど白黒銀塩フィルムで撮影、撮られている人も氏を意識することなく、ごく自然な表情でカメラに収まっています。こういう写真は、時がたつほど意味を持ってくるのですね。実直な氏の視線に ほのぼのしたものを感じました。

師走の陽はすぐに傾きます。ここから 日本橋の高島屋へは、少し距離がありました。20分くらい歩いただろうか・・・いい散歩です。
ここでは、日本の報道写真を仕掛け、そして始めた名取洋之助展が開催されています。入場料は800円でした。
時代が要請し、それに答えた人物。慶応中等部、家は裕福だったのだが、成績振るわず、大学は無理と、ドイツへ留学。そこでカメラに目覚める。二眼のローライフレックスを持っていたらしい。大変高価なカメラ。裕福でなければ、ドイツ人といえども持って撮影している人、多くないでしょう。東洋人が高価なカメラを持ち、撮影している・・・注目されたでしょう。同じ時期、岡本太郎も、パリで絵の勉強していました。同じ慶応出、おそらく会って、2人してパリの街を遊び歩いただろう・・・と想像。羨ましい。
当時、日本にもうまい写真家はいますが、外国語は不自由、はにかみ屋、新しい欧州の写真動向を知りたいと思っても・・・ハンデがあります。名取洋之助は 全てを備えています。時代が要請し、それに答えた人物です。日本にとってヨーロッパは遠い憧れの国。また欧米にとっても東洋の日本は神秘で知りたい国。知りたいことを知らせるのが写真だ。報道写真こそ、写真の本分と確信していたのでしょう。写真にとって古きよき時代では。

見終わると、外は、暗くなっていました。
新年 早い時期に 国立近代美術館で開催のクーデルカ展(1月16日まで)と東京写真美術館の植田正治とラルティーグ展(1月26日まで)に行こうと思っています。
これから 新年を迎える準備に入ります。カメラを手にするのは、来年になってからでしょう。
- 2013/12/26(木) 11:01:00|
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雨の降る師走、神田明神近くの画廊、ギャラリー・バウハウスで開催されている小瀧達郎展に行ってきました。
「現代のパリを、1930年~50年代に製造されたライカのレンズで捉えたという」キャッチフレーズに魅かれていました。
8つ切り程度の大きさの写真が、クリーム色の印画紙に美しく焼きつけられていました。それぞれ15枚ほど焼かれたようです。1作品5万円で販売しているとのこと。
プロの手になる作品、見ごたえはありますが・・・1930年代のパリといえば、ブラッサイ、ケルテスの活躍した時代。パリを写した作品が 頭をよぎります。戦後なら ドアノー・・・どうしても、比較してしまいますね。
先人が写したパリに対し、写真家 小瀧達郎氏がどのような パリを発見をし 切り取ったか・・・
来年1月18日まで開催されているとのこと、そのことを確かめに、もう一度 いくことになりそうです。
ギャラリー・バウハウスの近くに(歩いて1分)神田明神があります。山門に獅子の彫り物がありました。彩色された金色が輝いていました。これを森山大道氏なら、どう撮るだろうと 考えながらフレーミングし撮影。

古いライカレンズの味わいを確かめに小瀧達郎展へ 来たはずが、まだ、森山大道ショックが 心に残っているようです。
帝釈天の山門にも獅子が彫られていましたが、彩色はなく(剥がれ落ちた?)、顔は恐ろしいが、あまり目立ちません。神田明神は極彩色に彩ら、目立ちます。やはり 獅子→狛犬なのでしょうね。
森山大道氏のテクニックを盗んで、プリントして見ました。大きく伸ばすと 迫力があります。
ネガに記録されたデーターを最大限利用するのが、大道氏の流儀のようです。微かに残る銀塩を、覆い焼きで浮かび上がらせる、あるいは反対に、焼き込んで消してしまう。印画紙の階調性を最大限利用し、白黒のコントラストを輝くものにする。
盗むぞと・・・と必死になって、Try&Errorしていたら、なんとなく大道氏が意図していること理解できる気がしてきました。
結局 やっていること、コピーなの?
複写機はゼロックスから始まった。英語では Xeroxという言葉が動詞として使われているほどです。
戦前、写真がごく一部人の道楽か、写真館で撮られていた時代、ライカの名手と言われる写真家がいた。しかし、今、ニコンの名手も キャノンの名手もいない。
書類を複写するのに、ゼロックスの名手はいない。誰でも 書類をセットし、ボタンを押せば、完璧に複製された書類を得ることができる。
写真もそうなんだ・・・ポチィとボタンを押し、目の前にある光景を複製しているだけ。
ネガに捉えたデーターを最大限利用しプリントすればいい・・・テクニックてそんなものだよと 森山氏は語っているのでは?
今は、カメラつきコンピュータの時代。技術は進歩している、写真もコンピュータ任せでもいいではないか。眼前の光景をちゃんと記録(コピー)してくれさえすれば。
ニコンやキャノンの重い一眼レフはいやだ、画質に問題なければ、馬鹿チョンカメラでもいい。要は、画像のデーターを最大限利用して、それをプリントするだけ。何も銀塩の濃淡フィルムのデータにこだわる必要もなし。そんな 呟きが聞こえてきました。
やはり、デジタルの時代かなぁ。
- 2013/12/25(水) 19:01:56|
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中野坂上、写大ギャラリーの「よそおい」展を見ようと、新宿へでる。家を出るとき、地図を確認。新宿駅から徒歩で行くと、ちょうど良い散歩コースになる。途中には中央公園もある。
薄日の差す天候でした。

後ろから 子供の歓声。中央公園で遊ぼうとしているのか、小学生の一団が歩道橋を駆け登ってくる。振り向きざまだったが・・・シャッターを切っていた。フレーミングする暇もほとんどない。1秒程度の時間。秒撮。
・・・・プライバシー?問題かなぁ、外で元気に遊ぶ子供の姿、いいですね。やはり記録しておくべきでは。

ベンチに座り、昼食を済ませた女性が、飲み物を片手に、読書。遠くのベンチには、おそらく東京に出張した地方の公務員の方ではないでしょうか、弁当を召し上がっています。髪に晩秋の陽があたり、素敵だなぁ・・・と思わずシャッターを切る。男性のほうは、被写界深度をはずれボケています。女性は横顔が少し写っていますが・・・誰と特定は難しい・・・なんて勝手に解釈。近くに立って堂々と写していました。瞬間なので、誰も、気づかなかったでしょう。なんで立て位置で撮影か? とっさのこと自分でもよくわかりません。フレーミングの時間が少なく、これも画面が傾いてしまいました。
止めたほうがいい・・・とは 思うのですが、つい シャッターを押してしまいます。
最低限守るべきは、その人の尊厳を傷つけるような写真を撮らないこと と気をつけています。
公園からぶらぶらと15分も歩くと、写大ギャラリー(現在の東京工芸大学)につきます。1920年ごろからの写真をテーマ「よそおい」にあわせ、所蔵のコレクションから選んでいますが、さすがに選ぶセンス、考え方、写真の見方がプロです。非常に質の高いものでした。被写体の人物は、写されていることを承知、演出された写真ですが、並べて見ると、「よそおい」の歴史が、単なる装いの変遷でないことに気づかされます。歴史の緒を引きずっています。オリジナルプリントは、いいですね。凝視、読み解こうとする、考える、そして、凝視する。
スタイケン、イモージ・カニンハム、ドアノー、木村伊兵衛、須田氏の「風姿花伝」から数葉など、有名写真家の作品が並んでいます。
近藤福雄という写真家は知りませんでした。1920年から30年ごろ撮影された、氏の「佐渡万華鏡」、当時の風俗が蘇ってくるようです。これも すばらしい。 撮らせてくださいと断って撮る写真でも、いいものは 良い。演出写真もありですね。小生の撮影のスタイルも、少し変えたほうが、いいようです。
見終わって、来た道を新宿駅へもどる。もう、来たときの気持ちにはなっていません。

心静かに、晩秋の公園の風情を撮っていました。

なるべく豊かな階調のネガを作ろうと、現像法を開発・調整してきたが・・・もう一度見直す時期に来たと感じています。

これはプライバシーの問題、ないでしょう。時間を掛け、フレーミングし、シャッターを切りました。
- 2013/12/23(月) 11:53:07|
- 散歩
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一昨日、雨の降る吉祥寺の駅に立っていました。
終わる前に、もう一度展覧会を見るために。
シャッターを押す、家に帰り、画像をPCでチェック、レタッチソフトで調整し、プリントする。デジタルの時代になり、簡便になりましたが、大道氏の場合、シャッターを押した後の作業が中途半端ではないようです。むしろ その後の処理に、全神経を注ぎ込み、作品を成立させているようです。やはり 自分で焼いて作品を作っている・・と思いました。(このごろは、プロといえども、現像・・デジタルではなくなりましたが・・色の調整、焼き付けを、ラボの職人に任せる人が多いようです。版元、絵師、彫り師、摺り師がいた 浮世絵の時代に戻ったか?)
現像、焼付けにどれだけ労力を費やしているのだろうか。確かに 作品の一部には 「作ったな」と思われる作品もある。全作品の10%程度か、しかし、焼き付けられた迫力ある印画紙を見せ付けられると、もはや それは問題ではないと、押し黙り、作品に見入ってしまう。
帰り際、売店で、「モノクローム」の写真集を購入していた。
真似はしないが、まず、盗もうと、ページをめくる。(オリジナルプリントと写真集の印刷・・・差はありますが)

今年5月、秋葉原から神田あたりを散歩したとき撮影した写真。何の変哲もない写真なので没にしていたもの。この画像を使って、まず 練習。大道風に作ったら・・・
全体を焼きこむが、遠くのビルは覆い焼きし、中間の階調を残す。川の水面はコントラストを上げ、弱い夕日の照り返しを意識して「作って」みました。焼きこんだ空には、銀粒子が現れてきます。こんなんじゃないんだが・・・

建物は少し焼きこみ、コントラストを上げる。看板部分と、空を焼き込んでみた。空には銀粒子がでてザラとなる。森山大道氏の作品では、銀粒子のザラツキ感はほとんど抑えられている。どういうテクニックなのか??
普段何気なく見ている風景、それが、大道氏のカメラの目を通すと、ありえない非現実的な世界に変換される、ここがポイントだが、これを真似ることはできないでしょう。これこそ その人の感性、直感力のなせる業。真似すると、似て非なるものになり、真似た撮影者の卑しい心が出てしまう。技術は盗むものだが、真似はできません。
焼き付けだけでなく、フィルム現像も検討しないと いけないでしょうね。
来年は、フィルム現像をもう一度見直さねば。
・
- 2013/12/21(土) 12:18:20|
- 写真の技法
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今年 紅葉をカラーで写してみようと、デジタルとフィルムで撮影してみたのですが・・・カラーの色 本当はどうなの?と、疑問が続出・・・何を基準にしたらいいのか、わからなくなってきました。
やはり はっきりさせるべきと、ベルビア・フィルムとデジタルで発色がどのように違うか・・・試して見ました。
場所は、白金・自然教育園、ここの紅葉を撮ろうと、11月から狙っていましたが・・・カラーデジタルの発色に、違和感があり、撮影を躊躇したところです。(デジタルの時代になったので、フィルムの発色がおかしかったのだと疑うのが、すじでしょが。。。)
フィルムはフジのベルビア100をNikon F に詰め、レンズは50mm F:1.4 を使用。 デジタルはSony-3にマウントアダプターでFマウントのNikon 35mm F:2.8 をつけました。フルサイズに換算すると50mm、 ほぼフィルムと同じ画角になります。同じカメラメーカーのレンズ、同じような発色になるだろうと判断。ベルビアは ISO100、デジタルはIOS400に設定、デジタルのホワイトバランスは、カメラ任せで撮影。どちらも 色温度変換のフィルターはつけていません。

黄色くなったモミジを撮影。目で見た印象とは異なった発色です。RAWで撮っていたので、色温度を調整し、カメラ任せにした時の設定温度を調べると、4100°ケルビンになっていたようです。

6000°ケルビンまで上げると、見たときの印象に近くなります。

ベルビアで撮影したものは、見たときの印象に近いのですが・・・手前の紅葉、こんなに深い赤であったか・・・もう少し淡いような・・・確信もてず。

ソニーのカメラのお任せモードでは、色温度の設定が低めのようです。RWAの色温度設定バーを動かし、似た感じになる温度を探ると4700°ケルビンでした。青に近づき、すっきりした画像が得られますが、そのままでは、暖色系の発色に問題があります。

色温度を、5800°ケルビンにあげると、実際に見た光景に近いような印象です。

ベルビアの色温度は5800°ケルビン程度に設定され、ほぼ一定。デジタルカラーは、お任せモードだと、カメラが勝手に設定し 温度は変化ますが・・・一般に、低すぎるように思います。家電メーカーのカメラは、彩度が高めに設定といううわさも聞きますが、それ以上に、フィルムは彩度が高いようです。今回のフィルムの空の青、デジタルでは出ませんね。デジタルでは4700°ケルビンより低く設定しないと出ない色です。
デジタルでカラーを撮っている方、色温度と彩度 どのように考え 処理しているのでしょう?
メーカーの掌の上で、遊ばされているようで・・・居心地が、あまりよくないと感じています。
真実の色などあるはずもなし、きれいに撮れれば、それでいいと、達観すべきかなぁ。
- 2013/12/19(木) 21:10:26|
- 写真の技法
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吉祥寺美術館で森山大道展をみた後、井の頭公園を散策し、スナップ写真を撮る。
写真を始めた頃は横位置の写真がほとんどだったが、このごろは たて位置が多くなっている。
今回もスナップ写真なのに 縦位置でとったものが圧倒的に多かった。
~~ん、問題かなぁ・・・スナップなら横位置。シャッター切りやすいのに、どうしたこと?

縦位置・・・何にあらたまった気持ちになり撮っているのだろう?
定番の噴水の撮影。暗いところは黒くし、明るい白の輝きと対比させ美しい画面にするのは、森山大道氏の真骨頂。真似はできなくとも、その技術は盗みたいもの、そんな意識が働いていたのか・・・今回 この公園で写したものは、トーンカーブを調整すると、4号印画紙で焼いたようになっていた。それでも、暗い部分の処理、大胆にはなれません。

もう少し前に出て写すべきでしょうが、ブッシュに阻まれました。85mmのレンズで切り取るところ・・・トリミングしています。(85mm相当)
スナップなのに 縦位置。写真撮っていると知られやすい姿勢です。古いレンズで、反射した光がにじんでいます。

古いレンズとはいえ、ツアイス、初期のコーテングが施されています。逆光撮影でも、どうにかなります。(ゴーストは出やすいので注意しますが)

階調豊かな写真が好きなので、いつもは、やや眠い感じの調整をしますが・・・今回は、白黒のメリハリを意識し調整。森山大道の影響を受けてしまったか・・・(焼き込み、覆い焼きなどの処理はしていません。トーンカーブと、濃度だけ調整しています。)
光と影の調子、楽しい動きの、その瞬間を捉えた・・・これが 今回の一押しかなぁ。
- 2013/12/18(水) 09:45:35|
- 散歩
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作品に近づき、詳細に見る。どのように印画紙に焼くつけたのか知りたくて・・・その技法は??
ほとんどの作品は、ネガからストレートに、巧みな暗室技術で焼き付けられ、作品は生み出されたような気がする・・・
しかし、ごく一部の作品に不自然な境界を発見。覆い焼きが不完全? もしかしたら2枚のネガを・・? また別の作品には、明らかに2枚のネガを使い合成したものがあった、・・・
銀粒子を目立たなくさせるノウハウは?・・・そのあたりあるのか?? それとも、ネガ現像のテクニックの完璧さゆえか?
森山大道・写真展を見終わり、吉祥寺街を歩いていた。
作品を仕上げる(自分のイメージにあわせる)ため、作る写真に一歩踏み込んでいるようだ。しきりに そんなこと考えながら、散歩していた。
絶対非演出の写真にこだわる気はない。演出写真、更に加工し合成写真があってもいいと思っている。
ただし、演出なり合成が、見ただけでわかる場合はいいけど、それを隠し、あたかも非演出の写真のように出されると裏切られたような失望感を覚える。まぁそれも、すばらしい作品なら、ぐうも言えず認めてしまうだろうが・・・
井の頭公園へ出る。土曜日なので、人が出ている。公園では、大道芸人(Daidou Moriyamaではありません)が、パーフォーマンスを競っていました。

「うぅ~~シュールだなぁ」と撮影。観客を入れない(個人を写したら・・・問題かなぁという自制と、入れたらシュール感が失せてしまう)ようにトリミング、これだけでもいいのだが、更にすこし、レタッチソフトで変形してシュール感をあげてみました。
後ろでバイオリンを弾く人と、前で名画のポーズをする人、別のパーフォーマンスです。
一緒に写り込むことで、シュール(超現実)な写真になったと思うのですが、如何でしょう?
作る写真の巨匠(・・・だと勝手に思っています)森村泰昌の作品展が、資生堂ギャラリーで「ベラスケス頌:侍女たちは夜に甦る」というタイトルで開催されています。また、散歩コースの、原美術館でも、展覧会が開催されているという。
植田正治、生誕100年記念ということで、都内の複数の箇所で 同時に催されています。
今年の暮れは、作る写真の展覧会のはしごになりそうです。
写真って、のめりこむほど 面白くなりますね。
- 2013/12/16(月) 10:42:23|
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今年の中頃、恵比寿の写真美術館で 森山大道氏のオリジナルプリントを見る。
すごい衝撃を受ける。
1960年中頃からの10年、写真に熱中していた頃、カメラ雑誌やグラフ誌で見たことがあります。そのときは、「アレ、ブレ、ボケ」のイメージしかもてませんでした。どうしてこれが良いの? 時流に乗った写真家や、多くのカメラ青年がまねをしていたように思います。若造の小生は不遜にも、本物だろうかという疑問を持っていた。
しかし、老人となった今、写真美術館でみたオリジナルプリントには釘付け、すごいの一言。
どこに、「アレ、ブレ、ボケ」があるのか? 黒の締まったきれいな作品である。黒の締まり、白の輝き、必要なところには階調豊かな部分が広がっている。
その 森山大道氏の展示会が 吉祥寺美術館で開催されていることを知り、出向いた。
雑誌に載る写真とは、一線を画している。やはり、オリジナルプリントだ。
欧米で、受け入れられたのがよくわかる。
彼を 街をさ迷い、スナップ写真をとり、現実の中に非現実(シュールリアリズム?)を切り取る名手と褒め称えているが・・・
度肝を抜かれてたのは、その類まれな、暗室技術である。
この、暗室技術があるから、氏の作品は成り立っているのでは。
展示してある作品には、なんの説明もない。カメラ レンズ フィルム すべて不明、おそらく35mmのフィルムカメラ、フィルムはTri-Xではなく、おそらくフジフィルムを使っている。レンズも広角レンズを多用しているようだ。それを全紙サイズに伸ばしている。4つ切りの4倍の面積。しかし、ほとんど銀粒子が目立たない。なんという暗室技術か!!黒は締まった黒。白は輝く白。中間の豊かな階調も必要なところにはちゃんとある。アレもボケもブレもない。・・・こんなの、できないよ・・と感嘆する。
覆い焼き、焼きこみ、そんな暗室時術だけで作品を作っていない。粒子を出さないようなノウハウ、白と黒のコントラストを、場所を限定し行うテクニック・・・どのようにやっているのか? 謎だらけ。
マジシャンは、ねたを明かさない。氏も そのノウハウ(ねた)は一切ばらさないでしょう。
だけど、魅力的です。
よくみると、少しずつですが、こうではないかと テクニックが伺える部分もありました。
撮る写真から、作る写真へ少し足を踏み入れた感じの作品も見受けました。面白いです、ぜひ行って、作品を観賞してください。12月27日まで開催とのこと、小生は、もう一度行くつもりです。
展覧会から出てきて、吉祥寺の街を散策、スナップしました。森山大道氏をまねしてみましたが。。。
プロはすごいと改めて感じました。暗室内で格闘していたのでしょう。氏の真似はできません。

木村伊兵衛の真似して、サット構えてシャッターを切る。秒撮です。そのため、垂直が取れていません。駄目だしが出るところですが、ご勘弁を。
ノーマルに現像し、トンカーブを調整し、好みの階調にして見ました。
森山大道氏の写真なら、髪の毛は漆黒の黒髪に、額の白い字は輝くような白だろうと、トーンカーブをいくらいじっても、そのようにはなりません。
一部を、覆い焼き、一部を 焼きこまないと・・・と、レタッチソフトを駆使して調整するが・・・
なかなかうまくいきません。a,b,c,dと調整を重ね、fで。これ以上は・・・という気になる。

中間の階調性を大事に思う小生では・・・大胆になれません。

暗く潰しても・・・森山大道調 真似できるレベルにも達しません。
デジタル時代、これを超える人 出てくるのだろうか?
追加します。
その昔、印画紙を使って写真を作っていたとき、一部を、覆い焼きしたり、焼き込んだりして、メリハリのあるキャッチな写真に仕上げようとしていました。そういうこと すっかり忘れていました。
良い機会なので、練習だ。どれだけ、森山大道風に近づけるか 試していました。
技術(テクニック)は習うものではない。真似しても駄目でしょう。盗むものだと思います。Try&Errorし、それなりの苦労をしないと、分からない。盗む気持ちで、技術を習得した人に近づくのが学びの王道だと思っています。
コンポラ写真は横位置の原則か、大道氏の作品も横位置が多い。
小生は立て位置が多い、これでは盗めぬと、吉祥寺でスナップした写真、横位置にトリミングして、挑戦。

建物部分を焼きこむ。アーケードはむしろ覆い焼き。3つの部分に分けて、調子を整えて見ました。

歩道部分を焼き込みました。バックの建物は、少しコントラストをつけてみました。こんな感じになるのですね。ひとつ勉強、役立ちそう。

全体を焼き込み、女性2人は覆い焼きし、調整。少しは非現実性を感じるかなぁ。
いつも撮る写真の雰囲気と、異なっています。これも写真表現。少し表現の幅が広がったか。
50mmの標準レンズが好きだが、35mmくらいの広角レンズに持ち替え、一歩踏み込み、画面を切り取るという感覚で撮影するのが、森山大道風なのかなぁ?? 風景写真とは切り取り方が違います。
確かめたいことがどんどん出てくる。終わる前に、もう一度、吉祥寺に行かねば。
- 2013/12/15(日) 21:39:14|
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写真同好会「彩遊」の会場係りをしているため、隔月、新橋に出向き、会場予約の手続きをする。会も隔月なので、ほぼ毎月1回、新橋に出ることになる。そのときは必ずカメラを持参。新橋近辺をほっつき歩き、スナップする。
今年はカラーで紅葉を撮影し、講評会に臨もうと、デジタルカメラを散歩に持ち出していた。
約1ヶ月使ってみたが・・・カラーでは、ピンとくるものが撮れないなぁ・・・
というより、少々飽きてきたのでしょう。
やはり、フィルム、それもモノトーンが 性に合っている。

いわずと知れた「松本楼」。公園に入ったのが3時過ぎ、陽は傾き、大きな木の林には、光が入ってきません。昼の陽が高い頃撮影するポイントでしょう。(・・・と以前撮影したときのことを思い出していた。)
カメラはレンジファインダー、コンタックスⅡa(ブラックダイアル) レンズはコシナ製 SC-Skopar 21mm F:4 を使用。

池の近くには 陽が差込、紅葉した桜を赤く染めていました。モノトーンですから、赤くは写りません。

YGフィルターをつけるところですが・・・持ってくるの忘れていました。散歩カメラでは使わないので・・・

昨日 ようやくカメラに残っていた分を撮りきり、現像しました。10日ぶりの現像です。
ホットしています。長巻フィルムをカットして、マガジンに詰め、撮影。現像液を調合し、現像する。そしてスキャンしデジタル化、最終のプリントまで自分の手で。
写真のできが悪くとも、それは 自分の技量、仕方なし。
すべての工程を自分の手で行うフィルム撮影の楽しさ、デジタルでは味わえません。
- 2013/12/13(金) 10:46:47|
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写真が発明されて、もうすぐ200年、20世紀初頭には、近代写真への脱皮がおき、写真表現も豊かになってきた。何を撮るべきか、何をテーマに 知らせるべきか、フォトジャーナリズムが世界に与えた影響は大きい。
しかし、小生は、散歩にカメラを持ち、興味に引かれパチパチ撮っているだけ・・・
甚だ志が低い。しょうがないので、
今起きていること、写真に残し後世に伝えたい。
面白いと思ったものを撮影し、それを知らせたい。
世の中には、こんなに美しい風景がある、それを撮影し、知らせたい。
など、格好つけて言いたくなるが・・・
理由はあとだしの自己弁護に終始してしまう。
カメラを持つ理由は単純。ただ面白いから。
眼前の光景をフレーミングし、シャッターを押す。現像しネガをつくり、そして焼きつける。バットの中で像が浮かび上がってくる。このときのドキドキ感は楽しい。「えっ」こんな風に写るのだ。予想外の写りに驚いたりする。これが楽しくて、写真を撮っている。子供時代の遊びの延長です。それを大の大人がやるとしたら、もっともな理由をつけなくては・・・子供だと悟られない配慮。
どう、美しい風景でしょう。そう、これ私が撮りましたと とうとうと撮影の状況を説明する。「腕自慢」は、小児性を出してしまうので、そっと隠し「自己実現」という美しい言葉にすり替えましょう。
ライカの古いズマールのレンズで、撮影したらどう写るのか? ただそれだけの興味(好奇心)でカメラにつけて撮影。個人的趣味の世界。動機に、後世に~~などというもっともな理由はありません。

ノンコートの古いレンズ、逆光でもどう写るかテストだと、理科好き少年に戻っている。ゴースト出るだろうか・・・と更にレンズを左に振りシャッターを切る。

撮影後、現像、ネガを調べ、スキャナーで画像をデジタル化、PCに取り込む。
この瞬間から現実の老人へ戻ってしまう。
写ってはいるが、周辺部の解像度は弱い。同時代のゾナーならもっと鮮明に撮影できただろう。
構図的には、逆光で左上に大きなゴーストを出したほうができは良い。電車を撮るタイミングが早すぎた。
おや、何だ。 フレーミングしていたとき気づいてはいたが、少年なもので逆光と電車の動きに心は占領されていた。「見よ」とは何? ここに人専用の踏切があっただろうか? この道を進むと山手通りに抜ける。少年時代、途中で脇道に入り三共製薬の塀伝いに目黒川へでた。そのとき、この踏み切りを通っただろうか?
少年時代の記憶を呼び起こそうとするが、もう戻れません。通たような、通らなかったような・・・
すると、大人の分別(いや老人の分別)。ここは、昔 貨物専用の鉄路(品鶴線と呼ばれていました)、50mほどのところで、山の手線と分岐している。旧大崎駅時代、そこに人専用の自由通路(鉄橋)が掛けられていた。ここに踏切など必要ないはず。もし、自由通路ができる以前の踏み切り跡となると、戦前か、それなら「見よ」の立て札など残っているはずもない、と堂々巡り。通たような、通らなかったような・・・
散歩で 通る道だが、意外と気づかない謎がある・・・これも、記録と記憶
写真を写す意義だろう、それを記録していく御老人偉い!とほめてくれたら、「自己実現」の喜びを感じる・・・かなぁ?
P.S 気になり、この2,3日、折に触れ、記憶を辿っていました。
そうすると、昭和30年頃、ここに踏切があり、通った気がしてきました。広い線路なので、途中で信号待ちできるところがあり、木道はそこで「く」の字に曲がっていた記憶があります。それがここだったか?
50mほど大崎寄りの分岐点に鉄橋があり、そこは「陽の当たる坂道」のロケ地になったところです。
そう、石坂洋次郎の小説で、石原裕次郎主演で映画化されています。映画はDVD化されているので、「つたや」で借り見ることできるかも。そこに、この踏み切り、微かにでも写っていたら、疑問解決しますね。
- 2013/12/11(水) 09:47:36|
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写真の著作権、保護期間はどうなっているのか知りたくて、ネットで調べて見ました。
ウキペデアに出ていたものの一部を載録します。
「写真の著作物の保護期間は、1899年7月15日に施行された旧著作権法では、発行後10年(その期間発行されなかった場合は製作後10年)と規定されていた。その後は、以下のような変遷をたどっている。
1967年7月27日 - 発行後12年(未発行の場合は製作後12年)に延長(昭和42年法律第87号、暫定延長措置)
1969年12月8日 - 発行後13年(未発行の場合は製作後13年)に延長(昭和44年法律第82号、暫定延長措置)
1971年1月1日 - 公表後50年に延長(著作権法全面改正)
1997年3月25日 - 著作者の死後50年に変更(WIPO著作権条約への対応)」
1953年製作されたこの写真は1899年の法律に従うとし、改竄するのは論外だが、木村伊兵衛氏の作品の価値を減じないよう配慮(尊敬の念を込め)すれば、このブログに載せても、著作権上の問題はないと判断しました。
勿論、1997年以降の作品は、作者死亡後50年は、許可なく載せることはできません。(念のため)

ポートレートは、写されている人と、写す人の合意で成り立っているが、スナップは その合意がないまま撮影されています。今となっては、盗撮と、ものいいが入るでしょう。
ポートレートは、被写体の存在そのものにおんぶに抱っこで成り立ちます。光線の具合、ポーズなど、人物の特徴を出せるよう、最善の工夫をするので、プロが撮ると、結果的に ほぼ似たような構図になり、確かにクオリティの高い写真に仕上がりますが、反ってプロの個性は消失します。
電力王 松永安左ヱ門の写真 雑誌、グラフ誌、写真集などで、昔見たことがありますが、松永安左ヱ門の個性が強く、すべてを支配。写真を見る人は、松永安左ヱ門に興味があるので、それを撮った写真家に、それほど注意は払わない。土門拳が撮ったのか、杉山吉良だったか、林忠彦だったか・・・意識しないでしょう。
しかし、そのポートレートも 写真集という形にまとめられると、ようやく作者の力量や何が撮りたいのかの意図が伝わってくるようになります。
一方、スナップでは1枚でも作品として成り立ちます。
写す人の視線が前面に出てくる。その場を見出す眼力、透徹した歴史感覚、人間理解力・・・
この写真、見たときすごいの一言。。
撮影は1953年の浅草とのこと。おそらく神谷バーであろう。入り口から入った所の席なら、窓から射す光から、午前中の撮影!?だろう。浅草へ行くと、朝から酒を飲んでいる人を見かけますが・・・
デンキブランを3杯、少し憂さを晴らせたか・・・頬杖をつく人、気づかれることなく、一瞬のうちにカメラに収めている。神業としか言いようがない。発表された当時、果たしてこの作品評価が高かったかどうかはわからない。似たような状況は、巷にあふれ、その中の1枚のなかに紛れ込んでいたかも。
戦後の復興期、8年目、ようやく生活が少し安定した頃、まだ貧しい時代。前年には、血のメーデー事件もありました。そんな雰囲気を感じます。
スナップ写真は、四角いファインダーで、眼前の一部を切り取っただけですが、臍の緒のように、左右前後上下から、現実が、その四角の世界になだれ込んできます。
ポートレートは、画家の世界、四角いキャンバスの中に思いが閉じ込められている。外と遮断された、完成された世界(美の世界)を作っている。(不要なものは排除、写真は引き算・・・)
ここが、ポートレート写真と、スナップ写真の大きな違いだろうと 思っています。
美しい紅葉を求め、この1ヶ月、撮りまくりましたが、限界を感じました。
美しい景色を撮ろうとすればするほど・・・なにか大切なこと 置き去りにしていないか? ポートレートと同じでは?そんな 疑問がわいてくる・・・変な/嫌な 性格だとは 思います。
ハードデスククラッシュしたので、過去のネガを、再び、スキャンしています。これは、2002年1月、出張で中国の辺境地?(住んでいる人にとっては、中心、楽土でしょう)を旅したとき、朝、1時間ほど時間があったので、散歩して捉えたスナップ写真。木村伊兵衛の作品とは、比べようありませんが、10年、20年と、時が過ぎていけば、資料的価値が出てくるのではと・・・密かに期待しています。

肖像権は、著作権とは別。刑事罰の対象外だが、民事裁判の世界になるようです。民事事件の範疇・・・撮られた人の尊厳を汚すことないものなら、10年一昔(子供は青年になる)10年もたち古くなればOKでは、と勝手に解釈しています。これは、外国で撮ったもの。10年以上前の撮影です。一応、自分の心のなかの内規には、触れていません。

中国の朝の市場の雰囲気 伝わってきませんか? 北京から西へ約500KM、広い中国は1つの時間、朝は8時ころにならないと太陽出てきません。暖房に石炭が焚かれ、空は汚れていますが、ここはまだ、風に流され、時々、青空が覗くこともあります。

この女性は、撮影されていることに気づいていますね。日本人は、黙っていれば、区別つきません。習いたての中国語で話しかけたら、南からきた中国人と 間違えていました。話し言葉が、まったく違うようです。カメラをもってうろうろ・・・南の政府の役人(共産党員)かと思ったそうです。(中国語の通訳が、役所のことを政府と訳して知らせてくれます。地方の役所でも、政府と訳すくらい権限が大きいようです。)

貧しいけれど、食材豊か、住む人の顔は穏やかです。急激にこの地も経済発展中。貧富の格差も目立つようになってきたようです。
今、どう変わったか、行って見たいところです。
ただし、寒さはかなりのもの。 季節の良い、6月ころがいいな。
- 2013/12/08(日) 11:27:21|
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人を写すとは どのような行為か?
もともとの出発点は、肖像画だと思う。
肖像画は、時の権力者、貴族、大富豪が、工房に依頼し描かせたもの。
下絵の道具に、カメラ・オブスキュアがあった。
フランス革命後、権力の中心は民衆へ、そしてサイエンスの時代に入り、感光剤が発明されると、カメラとなる。
肖像は、職業絵師からその職を奪いから、写真館の技師が描くようになる。
肖像写真、古い呼び名、今なら、ポートレート写真である。初期のポートレートは、依頼主の求めに応じ、絵画を模倣した構図で撮られている。できればそれに彩色を施すものもあった。
初期の写真は、絵画の下僕に過ぎなかった。
絵画とは違う写真表現の可能性に、最初に気づいたのは、ステーグリッツだろう。彼は、絵画的写真(Pictrial Photo)を完成させ、更に、写真には絵画とは違う表現が可能だという運動を起こす。絵画の下僕を嫌い、解放運動を起こす。20世紀初頭のことである。
重要な概念は、スナップショットではなかったか・・・と思う。
移ろいいくものを、瞬時に捉えるのが写真の本質。偶然と偶然のぶつかり、それを捉えた瞬間、それは必然となる。この機能は、絵画にはないと、彼は宣言しているよう思える。
有名な作品に「The Steerage」(1907年)がある。
日本語では三等船客と訳されて紹介されているようである。

彼はその様子を、生き生きと書き連ねている。
写真に撮らねばと、船室にもどり、Graflexを掴み、残り1枚の乾板写真を手にする。
もし、麦藁帽の男、サスペンダーの男、子供を膝にのせる女性が、動いてしまったら、構図は台無しなると心配。この光景に出くわした瞬間、レンブラントが心に降臨したと 後年述懐している。
一方、印刷技術が発達すると、本や雑誌に有名人のポートレートが載るようになる。
写される人物には了解をとってある。お膳立ては済み、職業カメラマンが撮影する。
これは、Pictrial Photo時代と、本質的には変わりはないだろう。写される人物は、撮影されることを充分心得てる。写すカメラマンにしても、依頼主の意向を尊重し(依頼主が、写される人物の場合もある)撮影しなければならない。ファインダーで四角く切られた世界の主役は、被写体であって、撮影しているカメラマンではない。偶然性、移ろいいくものを、捉えるのだという意識は薄い。
前回載せた記事(12月5日 人を写すとは?)に載せた、お祭りに参加してた2人の女の子。撮影の許可をもらい、撮影していた、高級デジカメを携えていた人の作品、おそらく写真のクオリティー高く、見栄えする作品に仕上がったと思うが、写された2人は、四角い写真の中で、可愛く閉じ込められているだけではないか、とおそれる。
クライアントのいないアマチュアカメラマンが、なぜ、職業写真家の真似し、了解をとり、モデルを使ったような撮影を撮りたがるのか? 近代写真にたいする知識、覚悟と理解は如何なぐあいか? 古いPictorial Photoに引きずり戻されるようで、なんとなく違和感を感じている。

もし、この子に了解を貰い、撮影するとしたら、一番見栄えよく、喜ばれるよう撮ろうと努力する。目はカメラのほうに!とか、声を掛け、ポーズを取ってもらう。あたかもプロのように・・・撮影した小生は、片膝を地面につけて、しゃがんで写すことになる。

スナップでは、立ったまま、きづかれないようシャッターを押す。
スナップショットの達人、木村伊兵衛の真似をしている。技術は教わるのではなく、盗むものである。
氏のスナップショット写真を見れば、すべて、同じ高さ、立ったままの高さで撮影していることに気づく。

西洋絵画に出てくるようなおばあさん(失礼、まだおばあさんではないかも)のようで、思わず1枚。隣の青年は気づき、訝しげな顔をしてこちらを見ている。
2000年春、出張でノルウェーのベルゲンを訪れたとき、港では、お祭りをしていた。使用したカメラは、コダック製DC-10、100万画素カメラ。当時は、まだ、デジカメ珍しい時代でした。使っていると変なカメラ使っているなという顔をされました。

このスナップは、同じ年の9月にスイスに出張したとき撮影したもの。バーゼルで撮影。
犬を連れた奥さん、小生が撮るのをニコニコみています。自慢の愛犬なのでしょう。プロのカメラマンなら、こんな写真撮りません。首のところに橋の道路がきて、分断していると、駄目ダシでしょう。
女性が微笑んだので、そこに反射し、シャッターを切っていました。・・・移ろい行くものを留めたいという感覚、それがスナップ。写真の大事な機能と思っています。
- 2013/12/07(土) 17:42:13|
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50年近く前、最初にカメラを持ったとき、まず撮りたいと思ったのは友達の姿/顔である。
最初は無邪気に撮っていたが・・・だんだんと範囲が広がっていく。
昭和40年前後は、街で人の姿を撮影していても、問題となることはなかった。
このごろは、盗撮と思われてしまうだろう。
祭りであれば、そこに参加する人は、写されることが暗黙の了解となり、撮影しても大丈夫でしょう。しかし、祭りの観客を撮影するのは、やはり憚れますね。
品川の旧東海道で、催しがあるというので、出かけ撮影してみました。

若い人は、携帯電話、スマホで 仲間同士取り合うので、写真を撮ることには、理解が深い。
一言声をかければ、撮影することができますが、ピースサインや、特別なポーズを取ってくれるので、ありのままの姿を撮っている気がしない。
左に、この少女達に話しかけ、写真撮影の許可をとったカメラマンがいます。キャノンの高価なデジカメで、少女達に、いろいろなポーズを取って貰い 撮影していました。
撮影が終了し、ホット一息ついたとき、秒撮しました。本来、こういう撮影はしてはいけないのですが、・・・誰も気づかなかったでしょう。ごめんなさい。
もう少し、右により、恵比寿様の顔を出すべきでしたね。

祭りの観客は後姿で参加(撮影)しています。

この辺りが、限界ですか・・・
街中で、市井の人を そっと撮影できた木村伊兵衛の時代は、スナップにはいい時代でした。
この問題、根が深いように感じます。なにがプライバシーで、保護すべき秘密か、もう少し考えてみないといけませんね。
- 2013/12/05(木) 23:07:00|
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2ヶ月に1回、写真同好会「彩遊」の講評会が新橋で行われます。
会が始まる1時間ほど前に到着し小1時間ほど、辺りをスナップするのが習慣になっている。
今回は、BessaR(ライカマウント)カメラに,古いエルマー(Elmar 50mm F:3.5)をつけて撮影してみました。

戦後の亡霊? 通称「マッカーサー通り」の建設が、21世紀になって始まっています。あの高いビルの下に道路が掘られ、それはどんどん深くなり、黄泉の国へ落ちていく・・・正面に立つと、トンネルは深い暗闇の地底へと飲み込まれているよう・・・地底で誰かが待ている? 戦前の亡霊? 今、霞ヶ関は大変な騒ぎ、馬鹿なそんなはずないと我に返る。

丸の内と霞ヶ関の官庁街に近いので、サラリーマンの街。食堂、レストランが沢山あります。
中国、韓国、それにカフェ・・・勿論、赤暖簾も昼は定食をだし、客集めに懸命です。戸越の里より安い食べもの屋もあり、びっくり。

神社の守りは、狛犬が一般的です。ライオン(獅子)が狗(いぬ)になったいわれは、知りませんが、ここはタイガー(虎)が猫(ねこ)に変わって守っている? 家付き娘ならぬ、神社つき猫。
鹽竈神社です。社殿の前は、茂った樹とビルの陰で暗い。都会の真ん中ですが、ここだけ異次元空間、厳かな雰囲気が漂います。

戦前のノンコートレンズです。高価な現代のレンズは、小生の腕では宝の持ち腐れ、生かしきれない。
この程度の写りで満足しています。さすがに現代のレンズに比べコントラストは見劣りします。でも、このもやとした感じが、ボケ老人にはふさわしい。

会が終了、恒例の居酒屋でビールを飲み歓談後、外へ出て、またスナップ。風景写真を撮るのサークルなので、スナップ写真、だれも撮りません。何を撮りたいか その動機が違う人達の会に参加するのも、面白い。異文化交流というべきでしょうか。
- 2013/12/04(水) 10:25:23|
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散歩すると、赤く色づいたもみじ、黄色く輝く銀杏などが目飛び込んできます。見つけると、デジカメのボタンを何回も押す。そうしながらも、秋を、モノトーンで撮るとしたら、どうしたらいいか?という思いが頭を巡る。・・・やはり 難しいなぁ。
たまたま、書庫に祖父の残した写真雑誌があるのを見つけた。パラパラとめくった。
昭和12年の写真雑誌である。
秋から冬の景色が載っていた。昔の人は上手だなぁと・・・舌を巻く。
小型カメラで撮影したものを見ると、レンズの記載がある、エルマー、F:2ズマール、F:2ゾナー、テッサーなど、当時小型カメラはライカとコンタックスが、日本の市場を独占していたようだ。
ズマールでも、よく写るんだ。
よし それならばと、BessaR にSummar(ズマール) 50mm F:2をつけ、午後の散歩に出かけた。
レンズ番号から、1933年製、きわめて初期のレンズです。勿論ノンコートです。

大崎へでて、目黒川沿いを下流に向かって遊歩道を散歩する。
秋の陽は低く傾き、枯れ枝の影は、東海寺の壁に落ちる。
秋深き・・芭蕉の句が、頭をかすめる・・・何をする人ぞ?

第一京浜国道に出たら、左折し、品川神社に向かう。銀杏の葉が、参道に散っていた。毎朝、はき集められた落ち葉は、焚き火となって燃やされるが、今日はもう終わったようである。

静かな秋。国道に面してはいるが、神社は高い階段でしきられ、騒音は届かない。時たま参拝の姿を見る。

こんな光に、秋を感じ一枚撮影。
品川神社をでて、左に迂回。御殿山に登る。 山手線、京浜東北線などの電車、横須賀線、東海道線の列車、そして新幹線が行きか景観を観察。時間が悪いなぁとぼやきながら、鉄縄網越しに撮影していました。

こんな光景、芭蕉は見たことない・・・もし、みたら、どんな句を読むだろうか?
写真は、心の奥底の詩情を表現するには、即物的すぎる。被写体の属性に、おんぶに抱っこで成立しているのが写真である。いいモデルがいれば、それでいい。作品は、ほぼ完成したようなものである。撮る人の技量などたいした差にならない。特に 撮影機器が発達したおかげ。替えのカメラマンなど、いくらでもいる。
有名な、花の撮影スポットへ行くと、時々首から折られた花を見る。懸賞などに出そうとする人が、撮影後そっと折ってしまうためのようだ。富士山を撮るため邪魔な枝を切ってしまう人もいるとのこと。写真のできは、被写体におんぶに抱っこと承知しているから、そんな さもしい行動にでてしまうのか?
そうであれ、写真には まだ別の可能性が あるのでは?
昭和初めの写真雑誌をパラパラとめくりながら、そんな可能性を考えていた。
- 2013/12/03(火) 20:47:22|
- 散歩
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「狛犬」 どのように日本に伝来したかを 探ると面白いようです。ルーツは あのスフインクスのようです。
「ライオン」が原型だったようですが、インド、中国と伝わり、日本では「イヌ」に変化しました。本来は狛犬ですが、後年、「こま」の発音から高麗の字が当てられ、それが朝鮮から伝わったものではないかという、説を生んだようです。朝鮮から、仏像など日本へ伝わっていますが、日本の仏教は、空海に代表されるよう、中国へ学びにいき、もたらされたものが、本流です。高麗へ仏教を習いに行った僧?(記録にあるかなぁ)が、ついでにコマイヌを伝えた・・・考えにくいですね。
日本では、最初、お守りの像として、室内に飾られていたものが、屋外に出て、本来の守り像として飾られるようになりましたが、仏閣より神社の参拝道に多いのは、それなりの理由があるのでしょう。サブカルチャーのような気がしますが、民俗学などでは、面白いテーマかも。(そうすれば、朝鮮がルーツか、論争になるかなぁ)

品川にも沢山の神社があり、狛犬が飾られています。荏原神社の狛犬は、名工の手になるもの、戸越八幡神社は、区内で最古のもの(いずれも、江戸時代以降、古いものがないのは近世になってから流行?)とか、能書きはありますが、良いと思うのは、下神明の狛犬。
新しい作りなのでしょうが・・・環境が好い。高い石組みの上に置かれ、辺りを睥睨している。神社の守りは鉄壁という感じです。
そばに高い松の樹があるものの、枝葉に遮られることなく、広々とした空が広がっている。
下神明の村落に轟く狛犬の唸り声が、聞こえてくるような気がしませんか?
- 2013/12/01(日) 12:13:06|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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