参加している写真クラブの撮影会で撮影したものです。
年2回開催されますが、今年の春の会は、「秩父青雲寺のしだれ桜と金昌寺の石仏」でした。
使用したカメラは旧ソ連製KievⅡと、旧ソ連製レンズ Jupiter-3(Contax Sonnar 50mm f:1.5),
Jpiter-12(Biogon 35mm F:2.8),Jupiter-9 (Sonnar 85mm F:2)の3本のレンズを持参。
だいぶ、気合が入っていましたね。交換レンズを2本持って行たのに、肝心のフィルターを忘れていました。
最初は、しだれ桜で有名な青雲寺で撮影。しかし今年は桜の開花が早く、有名なしだれ桜のほうは、花を散らしてしまいました。
残りの桜をバックに35mmの広角レンズでクローズアップ。広角レンズで標準レンズの味をだそうと狙いました。レンジファインダーで近づける限界(0.9m)まで近づいています。パララックスがあり、切り取り方が窮屈になりました。やはり、石仏のクローズアップは、一眼レフカメラを使うのが正解ですね。
標準50mmレンズですが、望遠系のレンズで撮影したような雰囲気を出そうと狙いました。秩父の山里の風景です。7人の人影が写っていますが、そのうち3名は、彩遊のメンバーです。しっかりとした構図を狙うので、三脚を持参して撮影する人が多い。小生は、手持ち撮影が基本です。(お散歩カメラの延長なので・・・)
今回の撮影会で撮りたかったのは石仏です。石仏は未体験ゾーンです。狙いは金昌寺の石仏。そのため、85mmレンズを持参しました。
近づいてクローズアップを狙ったのですが、現像してみると、思った構図に収まっていません。パララックスの影響です、Kievにはパララックス補正機能がありません。ホットシューにつけたビューファインダーの補正も、精度は今一、Nikon SPで撮影すればよかったか。しかし、一番良いのは一眼レフでしょうね。
これは、50mmで撮影。夕方になると光線の具合がよくなりました。石仏を撮りたかったら、何回か通い、光線の具合確かめておかねば・・・と思いました。「撮る写真」の心構えが必要でしょう。
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2013/08/31(土) 07:48:09 |
Photo彩遊
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8月の暑い日、百日紅の花を撮ろうと 何度か戸越公園に行っている。
ふと見ると、池の水面に百日紅の花が映りこんでいた。太陽の光の関係で、この映りこみをはっきりと確認できる時間は限られているようだ。
右下隅に、百日紅独特の幹が写っているので、(撮った当人は当然)百日紅の花だとわかるが・・・
縦位置で撮ったが・・・何を撮影しているか、よくわからないだろう。
プリントし大きく伸ばすと、確かに面白い写真になっている。
どう撮影していいものか・・・と、プリントを前に考え込んでいると、妻がそれを覗いて、「モネの睡蓮のようじゃない。
□□ の百日紅ね」(
□□ には小生の名が入ります)「モネは、朝から晩まで、池の睡蓮を見て絵を描いたから、目を悪くさせ、晩年になるとタッチは大雑把、抽象絵画に近くなる。写真なら一瞬だから、あなた、目が悪くなることないわね。」と変な褒め方(けなしているのか?)をしてくれる。
花の本質を抽出・昇華させた抽象表現? そんな大それた事は考えていません。
単なる映り込みの・・・ストレートフォトなのですが・・・抽象画風写真になっていますかねぇ?
2013/08/30(金) 07:36:10 |
百日紅(さるすべり)
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今年は、散歩の途中で見かけた向日葵を、何回か撮っている。
三ツ木小学校の脇道にも、数本の向日葵が植えてあった。暑さもようやく収まり、秋の到来を予感する雲が出ている。向日葵の季節は終わろうとしていた。
ファインダーを覗き、そっとシャッターを切る。散歩の記録である。フィルターは、レンズ保護用のUVがついていた。
もし、空を暗く落とし、雲をはっきりと出し、向日葵の黄色い花弁を明るく出したら・・・キャッチーな写真になるかなと、帰り道、撮影法を考えていた。
二日後、再度カメラを持って、三ツ木小学校の脇道へ。気持ちは「お散歩写真」ではなく、「撮る写真」に切り替わっている。戸越公園の「百日紅」を写す時と同じ気持ちである。
フィルターを、Y2,R60,YG どれにするか迷ったが、葉の調子まで出したかったので、YGフィルターを選んだ。露光は一番明るい空に対しても切り詰めている。絞りは一番小さなf:16。向日葵までの距離は約1m。60cm程度まで近づいてクローズアップも考えたたが、そうすると白い雲がぼけて、輪郭を失うのでそれを避けた。
逆光気味なので、葉は白く映る設定だが、露光は絞り気味なので、補助光として、ストロボを使用。ストロボのガイドナンバーと向日葵までの距離から暗算。薄いガーゼでストロボを覆い、光量を調整して撮影。小生の知る写真テクニックを総動員して撮影しているなぁ。こんなんで良いのかという心のつぶやきもある。
テクニックに走って、本質を失っているのでは?という気がしないわけでもない。
シンプルに、Y2フィルターで、60cm程度のまで近づきクローズアップで撮影したほうが、よかったかも・・・
(撮影条件に使用したフィルムを書き入れるのを忘れていました。ILFORD PANF Plus50を使用しています。)
追記
28日 この脇道を通ったときは、まだこの向日葵咲いていました。
29日 前を通ると、綺麗に整地され、向日葵は跡かたなくなっていました。
1970年代中ごろになると、自動調光のストロボが発売されるようになりましたが、使用したストロボは1965年頃購入したカコ(メーカー名です)・ストロボです。自動調光でもなければ、ガイドナンバーを切り替えて使うこともできません。入手してから、48年経ちますが、まだ使用できます。頑丈さでは、ニコン・カメラといい勝負。
しかし、カメラのニコンは大きく発展、カコは・・・技術はあってもストロボ専業ではということでしょうか。
2013/08/29(木) 05:41:32 |
ひまわり
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1990年台前半、数回、2000年ごろ数回、出張で欧州に行ったことがあります。
1990年台の出張は忙しく、心にゆとりもなく、カメラはいわゆる「馬鹿ちょんカメラ」。
出張メモ代わりで、たいした写真は残っていません。
これは、2000年8月の1枚。このころになると、小生の都合で、かなり日程をコントロールできるようになっていました。土日にデュッセルドルフに泊まれるよう日程を組んだのでしょう。当時、デュセルは欧州で一番多く日本人の住んでいる町でした。今もそうでしょう。インマンマー通りのホテル日航に行けば日本語も通じます。(ドイツ人は、ジョークで インマンマー通りを、ヤ-パン・ストラッセと言っていました。)
銅像を町に飾るという文化は、欧州から伝わったのでしょう。日本の街の銅像は、政権の偉大さ、正当性を示すものとして、がっちりとした石組みの上に偉人の銅像を設置していました。我々は、畏まり、見上げて見るものと思っていましたが、これは違っていました。「あれ」と思い写真に収めました。現在の小生の撮影スタイルの始まりです。銅像が権力者や政府の威光を示すものから、権力とは無関係な芸術作品が台を降り、街に出てきた・・・面白いと思ったのですが、このごろは日本でも、同じ流れになってきましたね。
ただし、話題になるのは、漫画のキャラクターを使った銅像が多いようです。
今度は、そのような像を撮りに散歩しようかなと、思っています。
2013/08/27(火) 06:03:38 |
思い出の写真
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蒸し暑い日が続いています。どこか涼しい高原の避暑地に行きたかったけど・・・
部屋を締め切り、クーラーを利かせた部屋に閉じこもっています。
涼しげな水辺の光景を撮ろうと、近くの公園で撮影。めづらしく、最初から狙って撮ったもの。
白黒フィルムでは表現できないと、Sony NEX-3に 望遠レンズをつけて切り取りました。
望遠レンズは、苦手意識があり、あまり使いませんが、ニコンのこのレンズは、切れがいいので好きです。苦手意識より、写りのよさで使ってしまう。この写真は、小生の腕より、優秀なレンズのおかげです。
撮影場所は、いつも行く戸越公園。夏の午後2時半に撮影しています。人が通わない高原の池で撮影した雰囲気は出ていませんか? 涼しい風が吹いている・・・
プロやハイレベルのアマチュアの方は、いい写真を1枚だけにし、他の写真は載せないのが普通のようです。
しかし、こちらは、単なる写真好き。Try&Errorの途中経過の写真を載せることもあります。
写真を撮っていると、トンボが飛んできて近くに止まる。
赤蜻蛉!! 鮮やかな赤に目は釘付け、とっさにレンズはそちらに・・そして ピントを合わせる。
散歩カメラの習性ですね。いいなと思ったら撮る。後先を考慮しません。
昆虫や花が好きで、それを狙って撮る方からみたら、なんだと思われるでしょう。萎れた花に止まるトンボ? もう少し右に回って撮ったらよかったのに・・・トンボの習性を考え、じっくりと三脚を使ってフレーミングすればいいのに・・・いろいろアドバイスが聞けるだろうなぁ。
2013/08/25(日) 06:26:29 |
水辺の光景
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去年(2012年)8月、Photo彩遊という写真サークルに参加しました。写真サークルに入ろうとした動機は、散歩にカメラを持って撮影し6年、写真が、少し惰性に流れているのではという恐れ、散歩以外の場所でも撮影したかったこと、他の人の写真を見て、新たな刺激もほしかったことなど。そして、もう1つの理由はデジタルでどんな写真が撮れるのか知りたかったことでしょう。
インターネットで検索し、都内、できれば城南地区で活動しているクラブを探しました。地元品川にもあったのですが、ホームページは更新されていません。そういうクラブはパスし探したところ、港区に集まって活動しているPhoto彩遊を発見。ニコンカレッジで風景写真を習った人たちの有志が集まってできた会とのこと。会はできて1年余り、活発に活動しているようでした。フィルムでもOK、ちょうど会員の募集もしていたので、連絡し、入会させていただきました。この会に入らなければ、このブログを始めることも、なかったかも知れません。
定年退職後の楽しみにカメラをと、写真を始めた人が約7割くらい、小生もその中の一人です。まだ現役で働きながら、時間を見つけて、カメラライフを楽しんでいる方が3割くらいでしょう。講師の先生は、ニコンカレッジで先生をしていた人で、会の中心はその生徒だった人たち、各自の写真のレベルを知っているので、それに合わせた講評をする。デジタル初心者の小生にも大変わかりやすい。
会では、年2回、春と秋に撮影会を行っています。去年の秋の会は、「紅葉を撮る」として、埼玉の平林寺へ。雨の平林寺となり、人出は少なかったので、みな大喜び。「淡い光のほうが、もみじの赤をとりやすい・・・」本当ですかね?とおもいながら、会員同士の会話を聞いていました。光差し込む紅葉も綺麗だが、雨の紅葉も、それにあわせ、撮影するという意気込みごみなのでしょう。翌月(12月)の講評会には、見事な紅葉が机一面に広がりました。デジタル一眼の威力に圧倒。雨の日でも映るんですね。
BessaR2S(コシナ製カメラ)に白黒フィルム、イルフォードのSFX-200が入っています。もし、晴れて青空なら、紅葉を一層白く輝くようにと、2,3日前にフィルムをつめていました。結果から言うとTri-Xフィルムの方がよかったと思います。
レンズは、コシナ製 SC-Skopar 21mm F:4 と、暗くて撮れないときのため、明るいS-Nikkor 50mm F:2.0それに、紅葉を綺麗に撮りたかったので、Y2、YG、R60、R72(赤外写真用)を持参。結局、雨なので、R60,R72の出番はなく、YGフィルターをつけての撮影です。散歩の時は、レンズ保護にUVフィルターをつけていますが、Y2、YGなどのフィルターをつけて撮影することは、余りありません。こうゆう撮影では、やはり気合が入るのでしょう。テクニックに溺れ、空回りになることが多いのですが・・・
S-Nikkor 50mmで撮影。慣れ親しんだレンズのほうが、なんとなくしっくりします。これが、ほぼ最短距離(0.9m)での撮影。これ以上のクローズアップは無理です。
フィルターが、水蒸気で曇っているのに気づかず撮影。絞りを変えようとして、レンズを見て失敗を知りました。一眼レフなら、すぐに気づいたでしょう。帰ってきて現像すると、思いもよらない結果です。
19世紀の終わりごろ、スタイケンが、Pictrial Photoを写すため、レンズを湿らす(ポマードを薄く塗ったみたいです)、撮影中三脚に振動を与える、ピントをわざと前ピンにするという技法を編み出しています。彼はそのとき、フランスの印象派絵画というのを知らなかったが、まさに印象派風写真ができたと述べています。
小生のこの写真も、印象派風写真ですね。自分から積極的に使いたい技法ではありませんが、偶然にも、こんな写真が取れてしまうと・・・写真て 面白いですね。
2013/08/23(金) 07:52:45 |
Photo彩遊
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キャッチーな写真を撮るなら、日差しが低い夕方、あるいは早朝がいいのだろうが、小生の「散歩のカメラ」は、面白いと思ったものにレンズを向け、記録のような気持ちで撮っていので、昼間の散歩が多い。
でも、さすがの暑さ、このごろは、夕方の散歩となり、時間も短くなっている。
カメラは、使い慣れたレンジファインダーカメラ、露出計も内蔵していない、きわめてシンプルな古いカメラを手にすることが多い。絞りとシャッター速度は、勘、よく言えば 直感でカメラを向け、直感で露光を決め、シャッターを切る。時々、濃いネガや、薄いネガを作ってしまうが、まあ、それも一興と、あまり気にしない。白飛びしても、まあいいかという杜撰さなので、まじめに写真に取り組んでいる方から見たら、眉毛をひそめるような態度である。
小生に適正露出という考えもない。カメラがこれが適正と教えてくれないから。空から来る光を感じ、何を撮りたいかを考え、それにあわせて露出は決めている(勘です)。現像したあと、調子のよいネガができたら、それが適正露光だったと思っています。
ウインバロックの写真が、あまりに綺麗なので、「露出を決めるコツは?」と質問した人がいる。ウインバロックは「ゴッセンの露光計ではかり、あとは、エイやとシャッターを押すだけ」と答えたという逸話が残っています。小生はこれを曲解(自分なりに解釈したつもり)し、自分のスタイルにしています。思いがけずチカラのある写真が、たまに撮れるので、そこが面白い。デジタルカメラを使いこなそうと、時々挑戦するのですが、反対に カメラに撮らされている(使われている)ような感覚になり、面白くない。紙に焼く(プリント)するまでの過程も楽しみです。達成感が違いますよ。
カメラはKievⅡ(1951年製)ソ連製のコンタックスです。設計は戦前のまま、ネームプレート以外の内部のメカは、戦前のツアイス製の部品で組み立てられていると、信じています。レンズは、ツアイスのテッサー50mm F:2.8。これは戦前の製造で、当然ながらノンコート。
レンジファインダーカメラで、こういう草むらを撮影するのは難しい。ピントを合わせるのが厄介です。ファインダーを覗くと、遠くの草まではっきり見えているので、手前の草にあわせようとしても、後ろの草との区別がつきにくい。一眼レフなら、後ろの草はボーとするので、合わせたい草を見つめるのは簡単です。最短で0.9mまでしか近づけないのも欠点。KievⅡにはブライトフレームもなく、パララックスの補正もしてくれません。NikonSPなら、ブライトフレームがあり、パララックスの補正もありますが、それでも、実際に写る範囲の90%程度の視野率でしょう。このごろのデジカメは、液晶画面に表示、視野率はほぼ100%が常識。
そんな、使いにくいカメラですが、手になじんだ古道具は、手放せない。適切に修理していけば、まだまだ、使えます。
天に昇るつる性の植物。ジャックと豆の樹? 夕暮れのどんよりとした空に向かいに伸びていく・・・
つるをシルエット風に出そうと思ったので、絞りf:8 シャッター速度1/50秒で撮影。植え込みの樹は黒くつぶれました。黒くつぶれたところは、何も写っていないのと同じ?
少し迷いましたが、円錐の石の質感を出したかったのでf:5.6/50secの露出を選びました。逆光気味ですが、ノンコートテッサーでも、この程度ならゴーストは抑えられ、コントラストもまあまあでしょう。今のすばらしいレンズと比較してはかわいそう。テッサー、意外に、がんばっています。
2013/08/21(水) 07:37:37 |
散歩
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暑い、暑いと家に閉じこもっていたら、夏太り。ビールのせいかなぁ。これでは駄目と、散歩することに。
目的地は、品川区のはずれにある「しながわ区民公園」しながわ水族館もあり、そこへ入れば涼しいし、魚の写真も撮れるし・・・魚の写真は、あまり撮ったことありません。いい機会です。
お供のカメラは、この暑さだ、軽いほうがいいと、いったんはニコンのCool PIX P1を手にした。800万画素、胸ポケットに入るコンパクトさ、ズームもついている。メモ代わりには最適。しかし、コンデジで水槽の魚撮れるかな?・・と、ここで思いとどまり、結局手にしたのは、2番目に軽量なSony NEX-3 レンズは純正 E2.8/16mmでした。ズームはあまり使いません。大概は、単焦点レンズで散歩の写真を撮ります。家を出るとき、今日は○○mmのレンズで切り取るぞと、自分に言い聞かせ、家を出ることにしています。(ほとんどの場合標準の50mmですが)
カメラの設定はPモード、ISO400にして、あとはすべてカメラにお任せ。小生は、ボタンを押すだけ。
品川区役所前の中央公園の前を通ります。
フィルムなら、夕方を待ち、日差しが逆光になり、水流が輝く時を狙い、少し露光を控え気味にしてシャッターを切るところです。
フルサイズ換算24mmの広角レンズなら、誰でも、このような構図で写真を撮るでしょう。独創的な切り取り方は、若い人の感性に期待といったところです。
空は白く飽和しています。これは致し方なし。PLフィルター使えばいいのでしょうか?
大井町駅です。何度か改修されています。湾岸線が通ることがわかっていたと思うのですが、駅前にこんな小道ができてしまいました。これも計画のうちなのでしょうか?
妙に傾いて写っているのが、いいと一人合点しています。(平衡感覚が悪く、縦の線がうまく出ないだけですが・・)
大井町の駅を過ぎ、立会緑道へ。下を、立会川が流れています。ひまわりのお出迎え・・暑さですこしバテ気味ですかね。
立会緑道をぬけ、商店街近くに来ると、ざくろが実をつけていました。先ほどの、向日葵にしろ石榴にしろ、レンジファインダーカメラではこうは撮れません。最短で0.9mまでしか近づけないから。このレンズの最短距離は24cm、ボタンを押すだけで、簡単にクローズアップ写真が撮れてしまうなんて・・驚くべきことです。接写は、一眼レフに接写リングやベローズ装置をつけて撮影するのが一般でした。
立会川の駅を過ぎ、歩くこと数分で「しながわ区民公園」につきます。公園に入ったとたん、蝉の大合唱。
その中で キャンプを楽しむ一団が昼食を楽しんでいました。
樹がうっそうと茂ったところもあります。「もっと光を」
広い野球場(Ball park)もあります。試合が終わり、白球が(少し汚れ散るけど)1つ取り残されていました。
ここは、ノコノコと球場に入り、そのボールに注目し、フレーミングするところでしょう。遠くに試合が終わり、帰り支度する球児を配し・・・ひとつの情感がかもせるかな? それでは少し作為が多すぎるか・・・瞬間、いいなと思った撮るけど、受け狙いで、ああだ、こうだと、構図を考え、細工しての撮影は・・・心理的に抵抗ある。撮影は思いとどまりました。
以前雑誌で読んだ記事に、
「戦場写真を撮る外国のカメラマンには、戦闘の行われた現場に遅れて撮るものがないとき、家に逃れていた家族に金を握らせ、子供を借り、ポーズをつけさせ 写真を作る。それを通信社に売り、金にする。・・日本人カメラマンにはできませんよね」という記事があった。
作る写真はART PHOTOなら許されるが、ルポでは問題ですね。お散歩カメラも、Art Photoを目指さず、ストレートでいきましょう。
このトンネル?を抜けると、もうすぐ目的地の品川水族館。失敗、ボールのこと忘れていた・・・一言、言葉をかけおけばよかった。このごろ、暑さで注意力散漫になっています。(年だと指摘してくれる人もいますが)
これ シュールリアリズム壁画?受け狙いのダリの模倣?そうは、思いたくありませんね。純真な、中学生の作品です。よく描けています、と褒めるべき。
シュールリアリズム絵画は、後に広告のイラストに大きな影響を与えたことは、知っていますが・・・フロイトの心理学がその源泉となった幅広い芸術運動だったようです。写真家ではマン・レイが有名です。(ソラリゼーション)
このごろ「シュール」という言葉を聞きますが、どういう意味なのでしょう?
言葉が軽くなっているのでしょうか?
もやもやした気持ちで抜けると、そこは展望の利いた空間広がっていました。土曜の午後、人が出ています。
暑い、暑い、熱い関係です。いいですね、ほっとします。
正面が、水族館に併設されたレストラン。普段は空席があるのに、今日は席が空くのを待っている人もいました。
右奥が品川水族館です。
水族館の前は人だかり、中に入っても、魚ではなく人を写すだけと、水族館に入るのをあきらめました。9月になれば、すくでしょう。そのとき来てお魚を撮影します。
これ、ハワイの雰囲気ありませんか?家族旅行でハワイに来た家族。子供は、鳥が逃げないので、びっくり見つめているという感じです。
写真は引き算だ! 余分なものを入れないよう切り取ると、ハワイで撮りましたといっても、信用するでしょう。実際は しながわ区民公園です。
さらに、水族館の横道を歩くと・・・エイリアンの影武者に遭遇。前回は0.9mまでした近づけなかっので失敗したが、今回のレンズは0.24mと勇んで撮影。しかし、蝉は蝉、エイリアンを連想させることはできません。地面が左に傾いたショットが、一番チカラがありました。水平がしっかり取れたショットは、安定し、まとまって面白くない。やはり不安感がでる傾いた画面がいいようです。
区民公園をでるとそこは、勝島運河の南、ここからは大田区になります。その先に平和島競艇が、しながわ区民公園の隣、海側には、大井競馬場があります。このあたりは、公認の賭け事のできる施設が集まっています。
いいなと思ったら、カメラを構え写真を撮る。これが、小生の「お散歩カメラ」今回は、デジタルカメラだったので、150枚ほど撮りました。フィルムなら1本、36コマ程度で終わるでしょう。デジタルだと撮影枚数が大幅に増えます。それだけいいショットが撮れるかというと、違うみたいです。白黒フィルムと、デジタルカラーでは、狙うべき光の状態、光の読みが違うと感じています。今は、デジタルを使いこなすのにまごついています。でもPモードでこれだけ撮れれば、OKでしょう。ボタンを押すだけ、至極簡単でした。
2013/08/19(月) 14:21:54 |
散歩
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1年間かけて、百日紅を撮ろうと、時々戸越公園に通っています。百日紅に花が咲いたので、カラーで撮ろうと、Sony NEX-3 に SC-Skopar 35mm F:2.5を装着。勿論、NEX/コンタックッス:S-nikkorマウントアダプターを使っています。撮り終わり、ふと地面を見ると、子供たちが集め、ほったらかしになった死んだ蝉や、抜け殻が落ちていた。その影が面白く、アップで撮ろうとしたが、レンズはレンジファインダーのもの、残念ながら0.9mまでしか近づけない。
暑いので、一度帰宅し、マクロレンズをつけたNikon Fを持って来る気にはなれない。取り敢えず1枚 写真を撮る。もし、明日もこのまま落ちていたら、ラッキーと、その時は、マクロレンズで撮ろうと帰宅。
明日、Nikon F ILFORD PANF Plus50フィルムをつめ、Micro-Nikkor55mm F:2.8、それとおそらく絞って撮影することになると、三脚を携え、戸越公園に向かった。残念ながら、蝉の抜け殻はきれいに片付けられていた。頭のなかに浮かぶイメージはかなりよいものでした・・・ああ、作品 1つをうしなった。
これは、SC-Skopar 35mm で撮った1枚を、大幅にトリミングしたものです。マクロレンズで、撮りたかったぁ。
やはり、写真の基本は、発見したとき/いいと思ったとき撮る。一期一会の世界ですね。反省しています。
インターネット上の写真は、作品のカタログのようなもの。これは、そのカタログのカタログです。小生の狙い少しご理解して頂けたでしょうか?
2013/08/18(日) 09:26:10 |
???
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8月の暑い日、有楽町の出光美術館へ老妻に連れられ、「文字の力・書のチカラⅡ」を見に行く。
小学生のころから習字が好きで、今日まで筆をもち、書道?に勤しんでいるので、目は確かなのだろう。遠くから見て、誰の字か、すぐ言い当てる。小生は作品に近づいて、貼られている説明文を読んで納得する。
「でも、このごろの人の書は、誰と特定できない。○○先生の書体だとわかるけど、お弟子さんが多くて、みな似てる。結局チカラがないのよ、そこ止まり。自分の書体を完成できないのね。○○先生は、古典に学び、自分の書体を作ったのに・・・」と辛らつなことを言う。まるで、小生の写真を指しているような・・・
小生は、そんな批判を横で聞きながら、飾られていた元時代の掻き落としの皿や、古唐津の碗を鑑賞。小生は書より焼き物の方が好みだ。筆を使う、画家や書家は、自分の恣意で作品を作る。作品にするのは、100%センスと技量。作品は、製作者の手にすべて委ねられている。 一方、焼き物は、作る人の技量・センスの差もあるが、最終的には炎が決める。作者の手を離れ、自然に委ねる。
写真も、写真家の技量・センスで作品の「よしあし」が決まるわけではない。 50:50だろうか? 今は、デジタルの時代、作品に占める写真家の恣意性(技量とセンス)は更に減っているだろう。ばらばらにしてみると、よく撮れた写真と思えど、誰が撮ったかわからない作品が多い。やはり焼き物に近いかな・・・と 元の掻き落としの皿に、見入っていた。
その後、食事。妻は暑いからといって、すぐ家に帰る。小生は、いつもの散歩とは違う場所に来ている。この機会に、暑いとはいえ、有楽町近辺を散歩し、スナップ写真を撮ると言って別れた。
シャッターを押した瞬間、「あ、しまった手ブレだ。」とわかった。帰宅後、現像すると やはり手ブレ写真。しかし、意外とチカラあるな。これ、コンポラ写真?
ウキィペディアで調べると、
「コンポラ写真(コンポラしゃしん)とは、日本において、1970年前後に強まった写真の一傾向。アンリ・カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛によるスナップ写真へのアンチテーゼとして登場したと解釈されている」
「写真家の大辻清司は、雑誌「カメラ毎日」1968年6月号「シンポジウム 現代の写真」で近年の若い写真家に共通する傾向として、コンポラ写真について下記のように定義した。
カメラ本来の形である横位置が多い
写真表現のテクニックの否定
日常の何気ない被写体
誇張や強調をしない
標準、または広角レンズが多用される
撮影者の心境を現した、被写体との距離感」
とのこと、この定義に異論を持つ方もおられるだろうが、とりあえず、考える出発点としています。
1965年から1975年の10年間、朝日カメラや毎日カメラなどの写真雑誌をよく見ていました。また、この10年間のうち5年間はカメラを片手に 熱心に写真を撮っていた時期です。今思うと、コンポラ時代に重なりますね。
「日常の何気ない被写体」を撮影となれば横位置となります。(このころ一眼レフカメラが普及)
レンズは標準50mmか少し広角の35mmとはいえ、小生の印象では、カメラ雑誌には 広角レンズで撮った作品が多く載せられていた記憶があります。(7割は広角レンズの作品では?)日常の何気ない被写体は少し画角の広い広角レンズ向きだったのでしょうか。
「アンリ・カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛によるスナップ写真へのアンチテーゼ」なので、
「誇張や強調をしない」と言いながら、アレやブレ、極端な焼きこみは、誇張、強調と 当時感じなかったのか?
「撮影者の心境を現した、被写体との距離感」このあたりが、今になっては日本独自の味わいと称される「私写真」(私小説も日本独自だそうです)につながるのでしょうね。
たまたま出あった日常の光景を、50mmのレンズで横位置で撮影。「写真表現のテクニックの否定」をして、手ブレ写真。誇張や強調は一切していません。
「撮影者の心境を現した、被写体との距離感」・・・これが問題だな。当時、心境と被写体との距離感を表現するため、手段の1つとして、「アレ、ブレ、ボケ、硬く焼いた印画紙」という表現につながったのかなぁ。
しかし、小生は何にも考えていない。 駅前広場のステージで、やけくそ気味に歌う歌手。涼を演出するため霧発生の冷房が動き白い霧が流れる。そこを新幹線が通過していく。それを撮っただけ。ピントは、手前の霧発生装置にあわせ、絞り込んでパンフォーカス気味にした。
これ、結果的にはコンポラ写真? いや、単に手ブレ写真でしょう。だけど、見る人によれば深読み「撮影者の心境」を美しく誤解してコンポラ写真と認めてくれるかも。
縦位置で、手ブレしていない写真を載せます。(これは、コンポラ写真の定義から外れます。)作品としては、横位置で手ブレしていたほうがチカラあると思うのですが、いかがでしょう。
写真は、撮る人の恣意性は少ない。被写体頼み、カメラ頼み、誰にも傑作を撮るチャンス(偶然)はある。それが、楽しいのでしょう。
日本は、世界一焼き物が好きな国のようです。
2013/08/17(土) 08:16:58 |
都会の景観 Tokyo
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Bill Brandtの撮影した"The Isle of Skye" がピンホールカメラによるものであるという衝撃に触発され、ピンホールレンズを作ってみた。その経緯は、カテゴリ「写真の技法」の”Bill Brandtに触発・・”の記事(07/25)を参考にしてください。
暑い日が続いていたので、童心に帰り、夏休みの自由研究の気持ちで、Pinkkorレンズ専用の4×5インチ程度のカメラを製作。製作材料費はゼロ。お菓子のダンボールと、素麺が入っていた木の箱が、本体にTransform。カメラの名前は「零式カメラⅠ」。
材料費が只(ゼロ)、レンズがない(ゼロ)そして一式カメラ以下だから零式だろう。(日本の名戦闘機ゼロ戦とは、関係ありません。)
このカメラで駄目出しをし、9月には更に改良した8×10インチ型カメラを製作するつもりです。
それをⅡと命名する予定です。これは、Contaxカメラの命名に従うつもりです。
零式カメラⅡで1枚撮影できれば、このプロジェクトは終了。
このプロジェクトの名前は、「スカイ島への行進」。(平和行進のつもりです。)
カメラの製作は、約1週間前から始め、昨日完成。すぐ家の物干しへ出て試写し、撮影できることを確認。
本日、戸越公園にカメラを担いで、最初の撮影。帰ってきて直ちに現像し、このブログにアップ。(8月15日に、間に合った~~ぁ)
Bill Brandtの撮影した"The Isle of Skye" 第二次世界大戦が終わって2年目の撮影。戦争に対するBill Brandtの思いがあって、撮影したのだろうと、推察しています。
小生の父親も徴兵され戦地に赴いています。戦場は・・玉砕の島でした。運良く帰還できましたが、戦後、口を閉ざし、一度も自分から戦争体験を話したこと、ありませんでした。が、戦争を本当に憎んでいたことは確かです。
Bill Brandtの思いを確かめるためにも、零式カメラⅡを製作し、1枚でもいいから撮影したいと思っています。
2013/08/15(木) 16:01:30 |
読み解く写真、心に残る写真を・・・
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"Night Walk in Tokyo"を撮るなら、やはり三脚を使用せざるを得ないかと、天王洲アイルの夜景をテスト撮影していた。撮ってみて、考えることがたくさんでてきてしまった。
デジタルで撮影。三脚に固定、シャッター速度優先モードで撮影。日没後数分というところ。曇り空でシャッターチャンスに恵まれなかったが、晴れて、雲が夕焼けの残光が残っていたら、きっと美しい写真になっていたでしょう。
完全に残光が消えた7時半過ぎの撮影。フィルムで撮影、都会の灯は明るく、空はグレーに写っています。デジタルならf:8で2,3秒の露光でしょう。フィルムは相反則不軌の現象がおき、露光時間は長くなります。
結局、このような夜景の撮影は、天候、場所選び、日没前後という、条件をいかに選ぶかにかかっている。
誰が撮っても、条件を満たせば、きれいな写真が撮れるなら、撮りたい人に任せればいいでは?と思ってしまう。
しかし、ブラッサイの "Night in Paris"は、彼しか撮れない。真似は難しい。
この差は何だろうと考えてしまう。
撮影機材の発展が、人が行うべき部分を侵食している。カメラは、工業製品。各社が競うように改良を重ねた結果、このごろは、どのメーカーのカメラでも、同じようにきれいな写真が撮れる。差別化するため、また、販売促進のため、小さな違いを強調するが、それを見分けるほど、作品に差はでない。ニコンで撮ろうが、キャノンで撮ろうが、差は少ない。ニコンでしか撮れないとか、キャノンでしか撮れないという被写体はどれだけあるだろう?
カメラは、工業製品、大量に供給されている。誰もそのカメラを手にすれば、同じような写真を撮ることはできる、ちょっとコツを習えば、後はカメラにお任せ。
これだけカメラが発展すると、その人しか撮れない写真を撮るというのは、難しくなっている。
マチスの絵と、ゴッホの絵の区別はつく。画家の絵には、その人独自のタッチ、構図、色使いがあり、誰と特定できる。小説家なら、数ページ読んだだけで、著者固有の文体に気づく、これは、芥川だ、松本清張だと特定できる。歌手であれば、声の伸び、オクターブ、情感の出し方、声の質などで、誰が歌っているか特定できる。特にお気に入りの歌手なら、ひとフレーズ聞いただけで、聞き耳を立ててしまう。
しかし、写真はどうだろう。過去には、特定できる写真家はいた。ステーグリッツ、ウイン・バロック、アンドレ・ケルテス、植田正治、セバスチャン・サルガドなら、小生でも見分けがつく。(このごろは、北出さんの写真も判断もできそう)
アマチュアの使わない大判ビューカメラをつかうプロや、スポンサーを口説き落とし、簡単にいけない場所で撮影、ヘリコプターをチャアターして撮影するプロもいます。これが、その人にしかできない表現法ですかね?スポンサーにアッピールする企画力で撮影するのも写真家の能力のうち。しかし、やはり最後は感性の問題だと思うのですが。
このごろ、インターネットのホームページやブログを、見るようになりました。若い人にキラッと光る感性を感じる人も見うけられます。これが、救いです。作品としての写真から、コミュニケーションとしての写真になってきているのかも。この考え意外に健全では。新しい形のコンポラ写真かなと思っています。
それができない小生は 古い殻に籠り、過去の巨匠の写真を見、そのまねをして、美しい写真を撮ることを楽しみにしています。やはり、古い機械式カメラで写真を撮るのは、面白いですよ。たいした作品はできませんが・・・
2013/08/14(水) 09:02:43 |
Night walk in Tokyo
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デジタルカメラの性能の向上は目覚しく、「あなたはボタンを押すだけ、あとは カメラにお任せください。」の世界に近づきつつある。(デジタルカメラのシャッターは、電子機器のスイッチボタンのような感覚になるので・・・シャッターを切るとは言いたくないなぁ) 写真は作品がすべて、良い作品を作りたいなら、より良い機材を使うのは当たり前のこと。フィルムに固執するのはナンセンス・・・かなぁ、と愛用の(これしか持っていません)Sony NEX-3に E2.8/16 (16mm F:2.8 純正レンズです)を付け、ISO3200に感度設定し、モードはP、すなわち カメラにお任せで 夜の散歩をしてみた。
ここは、フィルムでも何回か撮影しているので、その比較の意味で撮影、画質のアレを感じません。画質はフィルムよりいいでしょう。 Delta3200だと、銀粒子がでてしまいます。
カラー写真でまごつくのは、撮るときの印象と、撮られた写真の印象が異なることです。慣れの問題だとは思いますが・・・まだしっくりしません。レタッチソフトで、色調をコントロールしてみましたが、どうも一致しません。この柱の印象は、もっと白いものでした。緑の色がかぶっているようです。蛍光灯の影響でしょうか?
この場所は、フィルムで2回ほど撮影しました。フィルムでは、露光不足気味、白黒フィルムには向かない被写体でした。デジタルカメラでは、見事に雰囲気を捉えています。しかし、空の印象は、ブルーでなくダークグレーです。視神経のつくりと、撮像素子の違いによることは理解できても・・・違和感はありますね。
しかし、ここは、フィルムの完敗でしょう。
16mm(フルサイズ換算24mm)という広角レンズの威力ですね。遠方まではっきりとでています。
向日葵を、手持ち撮影できました。広角レンズなので、シャッター速度は1/15まではOK、1/8程度でも、何かに肘を固定できれば、問題なく撮れます。すごいものだなと思いました。
この向日葵、Tri-Xフィルムを使い、50mmレンズで撮影しています。f:8、露光時間は30秒で撮影。三脚の使用は必須です。風に揺れたので、鮮明さに少し欠けました。
デジタルの威力、1/10秒なら、風の影響はほとんどでないでしょう。マンションの窓の明かりのボケ具合も、f;8に絞った50mmレンズと同じくらいです。向日葵の葉が、こんなに緑が鮮やかだったか?印象が異なります。これも街灯の光の影響でしょうか?
デジタルで撮影してみて、うなっています。やはり"Night Walk in Tokyo"はデジタルか・・・
ニコンのデジタル一眼は、暗いところででも良く撮れると評判。フルサイズだし、明るい交換レンズも、ニコンのことだから用意されている。
ニコンやキャノンの高価な一眼デジカメを持って撮影している人を良く見かけます。
デジタルでは、もう出る幕ないかなぁ。
フィルムでは、画質で負ける。"Night Walk in Tokyo." 撤退か、更に進むか考慮中です。
2013/08/13(火) 07:07:08 |
Night walk in Tokyo
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幹を切られ、横に伸びる枝一本だけになった樹に 異様なものを感じシャッターを切っていた。
現像があがり、改めて写真を見ると、その異様さは、樹そのものでなく、構図にあることに気づいた。
街灯が、監視カメラのように見える。これは近未来の予兆か?
ビッグデーターを扱う世界企業は、数十億人の顔の判別が直ちにできるシステムを完成。各国政府はそのシステムを採用、犯罪の撲滅に成功する。(同時に、警察官の削減につながり、小さい政府の方向に・・・政府を支える税収は、富裕層からが大部分。TAX Payerの声は無視できない。)
20世紀は、先進国と途上国の対立。21世紀後半は、資産を保有する一握りの富裕階級と、それ以外の人の格差社会になっていた。グローバリゼーションの名の下、国境の意味は薄れ地域間格差より、貧富の格差が重要な要素となる。合法の名の下に資産を独占する富裕層は、国を超えて提携、その権益を確固たるものにした社会システムを完成していた。
開放・改革の名のもと経済発展した中国、小生が出張で訪れていた2000年ごろには、15%の共産党員が、GNPの85%を独占していると囁かれていた。世界の億万長者ランキングにも、中国の人が入ってきていると聞く。
米国では1%の富裕層が、約40%の金融資産を独占していると聞く。
社会体制の違いを乗り越え、両国の富裕層は、共通の利害関係を生んでいる。この体制(資産の独占)を守るため、互いに協力し合える関係になっていくだろう。ブラジルの富裕層、インドの富裕層・・・グローバル化すれば企業は一番優位な場所に動き、国家の枠を超えていく。富裕層はそこで連携を図り、彼らのコミュニティを作るようになる。
昔、後進国とよばれた国の富裕層は、資源を、加工が得意な国の富裕層に売る。できた製品は、昔先進国と呼ばれた国の富裕層へ売り、それを世界に張り巡らせた販売網で売りさばく。理想の世界体制が完成する。
この居心地の良い体制を守らねばと考えるのは、利害の一致した世界の富裕層。富は力、政府に働きかけ、巨大なスパーコンピュータでデータ解析、反抗の蕾をすぐに摘み取れる監視世界を構築する。犯罪撲滅が表向きのスローガン「犯罪のない、安心して暮らせる世界」。同時に「富裕クラブの門は常にオープン。メンバーシップをつかむのは、努力、才覚、本人の能力しだい。このすばらしい世界であなたも富裕クラブへ!」アメリカンドリームの焼き直しのような文言が、各国の情報番組で流される。
そのとき 富から阻害された大多数の人間の目に 世界はどう映っているのでしょう?
豊かな物質生活を求めたら、それは苦痛でしょう。富裕層とのギャップは大きすぎる。
ブータン王国もひとつのヒント。アメリカンドリームの呪縛から開放されたら、違う世界が見えてくるのでは?
2013/08/12(月) 07:30:16 |
???
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東京はついに熱帯夜となりました。寝苦しくて、早朝 浅い眠りから覚め、ボーとしています。
こんなときに、寒かった日の記憶を呼び戻そうと、雪の写真を見て、暑気払い・・
そして、このブログを書いています。
今年の1月14日 東京に珍しく雪が積もりました。湿った牡丹雪ですぐ溶けますが、珍しく降る量が多い。
冬の午後4時頃、空にはどんよりとした雪雲がかかり、街灯がともっている。意外に明るく、f:2.8/500で撮影できそうだと踏み、f:8で1/50秒で撮影。雪が流れて写りました。
Night Walk in Tokyoの撮影を、かなり意識しだした頃、雪の日の夜の撮影は、願ったりといったところです。
粉雪風に撮影してみようと シャッター速度を1/250秒にセット。絞りはf:4にすべきなのですが・・・自信がなかったのか、半絞り開けて撮影しています。まだちょっと夜の露光に自信がもてなかったのでしょう。
夜半 雪は止んだので、長靴を履いて夜の戸越銀座を散策。
戸越商店街はf:1.5で1/50秒(f:1.4/60)で撮影できること、これは経験済みです。
店はほとんど閉まっています。
コンビニとスーパーの文化堂は営業していました。
国道まで出ると、車の往来があるので、道路には雪は残っていません。戸越のランプまで坂を上ると、首都高は閉鎖されていました。暗く感じたので、シャッター速度を一段下げ1/25秒で撮影。このシャッター速度では、数回に1回は 手ブレ写真を撮ってしまうでしょう。
撮影に使ったカメラは、西ドイツ時代のContaxⅡa 初期のブラックダイアルです。レンズは戦前のドイツ・ツアイスの50mm Tコート F:1.5ゾナー(1939年製)、フィルムはKentmere400を使用しました。
周辺部の解像度の低下、ゴースト、フレア、コマ収差など、細かく見れば欠点はありますが、あまり気にならない程度です。現代のレンズと比較にはなりません。欠点は多いですが、それが楽しいのが趣味の世界、小生の腕ではこれで充分です。
2013/08/11(日) 06:45:15 |
Night walk in Tokyo
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ようやく 最後の1本撮り終え現像。今回はNikon SP + Nokton 50mm F:1.5で撮影。
Noktonは、今から10年ほど前コシナが製造販売したレンズである。
つい最近設計され製造されたものなので、現代の技術が詰め込まれている。非球面レンズも1枚入っているとのこと、コーテングも進歩している。現代のナウいエリートレンズである。収差は少なく、絞り開放でもゴースト、フレアが出ることはまれである。何でもそつなくこなす秀才タイプのレンズ。
その分 面白さにかけるのか、このごろは、あまり出番がありません。趣味で写真を撮っているので、現像後、予期せぬ写りに「アッ」と驚かせてくれる個性的なレンズのほうが 性に合っている。しかし、今回は、すっきりした画像を得たかったので、このレンズを選んだ。
大崎警察署の横の坂、立正大学の坂と言ったほうが分かりいいだろう。峰原坂と言うそうだが・・・そんな名があるのを知らなかった。小学生の頃、拳ほどの四角い石が敷き詰められた風格ある坂だったのだが、今は舗装された、個性のない坂になっている。友達と「ぼうずざか」と呼んでいた記憶が残っている。
ピントを効かせたかったのでf:2.8まで絞り、ベンチに座り、肘を固定し1/4秒でシャッターを切った。
坂を下ると山手通りにぶつかる。大崎警察署を左に曲がり、立正大学前を進むと、大崎広小路へ出る。f:2.8で1/30秒が切れるので、夜のスナップ撮影も可能。
大崎広小路(第二京浜国道と山手通りの交差点)を右に曲がり、五反田駅を目指す。繁華街に入り、かなり明るくなる。最近はこのような店も増えてきた。
五反田駅の手前で、目黒川にでたら、ここで右に曲がり、大崎駅へ向かう。
川面はさすがに暗い。遠方は五反田の繁華街の灯、橋の真ん中で、柵に肘を固定し撮影。
大崎のタワーマンションを撮影。テスト撮影(2)でも撮影したが,35mmレンズで開放絞りf:2.5だったため、露光不足だった。今回はf:1.5と明るいので、撮影できると思いTryしたが・・・1絞りくらい不足か? 50mmレンズだと、肘を固定してシャッターを切っても1/8秒が小生の限界では・・・このあたりの暗さはからは、三脚を使用しないと、撮影できませんね。
最後は、大崎ゲートシティの噴水を撮影。f:1.5で1/60秒の撮影条件だが、水の動きを綺麗に見せたかったので、1/15秒のスローシャッターを切りました。Noktonのレンズf:2.8まで絞ると文句ない描写力を持っています。
明かりのある道、繁華街なら、Delta3200フィルムで手持ちスナップ写真が撮れることを確認できました。PCのモニター画面では分かりづらいのですが、4つ切り程度に伸ばすと、ざらとした銀粒子がでやすいフィルムです。綺麗な粒子ならそれも味ですが、砂のような感じで、好きではありません。使いにくいなぁと感じています。三脚を使うならTri-Xで撮影すればいい。粒子がでるがTri-Xを増感現像して使ってみたらとも考えています。もう少しテストしてみるつもりです。
2013/08/09(金) 05:37:19 |
Night walk in Tokyo
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光が点を通ってカメラ内に入るのなら、ギリシャの幾何の世界、1点の曇りもなく明瞭な写真が取れるはずだが、それでは光は通過できないという矛盾がでてくる。光は、大きさのあるピンホールを通過せざるを得ない。
①パンフォーカスとは言うが、同時にすべての距離でピントのあったところはない。
②細孔はあまり大きくできないので、長時間露光となり、固定した三脚の使用が望ましい。
③望遠より、広角での使用が、精細な写真を撮れる。
④構造が簡単なので、素人でも手作りでカメラを作ることができる。
ピンホール写真、夏休みの宿題工作には最適かも知れないが、見るに耐える作品となると、かなりの経験が必要となる。(作ったカメラの調整を含め)
「フィルムで撮ると更にピンホール写真の奥深さがわかりますよ」との助言を受け、フィルムカメラのレンズを外し、代わりにPinkkorレンズ(自製ピンホールレンズのブランド名!)φ0.38mmを付けてみた。セロテープでマウントに固定しただけである。Lマウントカメラなので、フランジバックは28.8mm、すなわちレンズの焦点距離は28.8mm、普通使う交換レンズの28mmの広角レンズに相当する。F値は 28.8÷0.38=75.789・・・F約76の暗いレンズである。Tri-Xフィルムを使って撮影したが、1/30秒の露光までは、内蔵の露光計は反応したが、それ以上暗くなると、追従できず、シャッター速度を下げても、露光不足の表示のままである。使用には、単独の露光計が必要でしょう。
今回の撮影では、単独の露光計を持っていかなかったので(いつもそうですが・・・)、1/30でシャッターが切れる所を探し、そこから 撮影したいところの露出を、割り出してシャッター速度を決めた。
カメラはコシナ製 BessaR Lマウントカメラである。ホットシューに28mmのビューファインダを付けてフレーミング、ほぼ、狙い通り写っていた。やはり28mmレンズである。撮影場所は、目黒川、川の浄化に綺麗な水を時々放水している。昼とはいえ、川面は暗い、晴天の空は1/30秒で、ベッサRの針は振れたので、川面は1秒の露光と予想して、柵に肘を乗せ、そっとシャッターを切った。
面白いといえば、面白い。レンズで撮影したら、もっとくっきり撮れて、ああ、川面への放水だとすぐわかるが、このレンズだと、ディテールは不鮮明、周辺部が露光不足している。
このため、深い地底の湖に放水されているイメージがでてくる。様々な場面を想像する。よからぬ廃液を捨てているのではあるまいか?環境ホルモンなどという言葉もあった。この暗い地底湖に生命体は生息しているだろうか? いたとしたら、それは・・・・なにか不気味ですね。夏にはうってつけの写真かなぁ。
2013/08/07(水) 03:11:03 |
映し出された世界
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ついに夏が来てしまった。
若いときなら喜んで、家族旅行を計画するだろう。会社帰りには、同僚との1杯が楽しみだったなぁ。今は、体力温存、家でじっとしている。
夜になって涼しくなったら、夜の散歩。"Night Walk in Tokyo"をしようと購入したDelta3200フィルム、まだ1本残っている。やはり 晩酌にビールの魅力には勝てないか・・・
ネガを調べていたら、梅雨開けの空の写真がかなりたくさん写っていた。
この日、都心の空には入道雲が発達していた。夕方になると、東京北部は土砂降りの夕立、雷が落ちたというニュースを聞く。東京南部では、夕立はあったが、雷は遠い空のむこう、微かに雷鳴が轟く。
富士山が、世界文化遺産に登録されたというニュースを聞き、富士登山を思った。暑さで、じっとしているお前に?と自問する。そこで立ち上がり、近場の富士山をさがし、登頂した。品川神社の富士山である。
ものの、2分もかからず、登頂を果たす。
下山し、空を見上げると、雲の陰から夏の太陽が覗いていた。
十数枚に及ぶ雲の写真が机に広げられている。それをじっと見ていた。なんで、このごろ雲の写真を撮るようになったのだろう? 年のせいか?とかんがえる。
Alfdred Stieglitzの写真に、Lake Goergeの別荘で撮った雲の写真のシリーズがある。1920年から1935年ころ、50歳から65歳の頃であろう。彼はその写真シリーズに、Equivalentという名を付けている。写真の雲とEquivalent(等価)な「もの」、あるいは「こと」とは何?
どう日本語に訳したらいいのかわからない・・・なぜなら、彼の心情を解き明かせないから。
2度目の奥さん、オキーフとは、もう別居状態、新しい愛人ドロシーとの関係が始まっている・・・その頃に重なる作品群である。人生の最終ステージを迎えようとしている段階でも、芸術家の精神は、溌剌としている・・?
Lake Goergeの雲の何にquivalentなのか? 写真機を抱え、湖の辺を散策するステーグリッツの姿を想像する。・・・「一人」という孤独を感じていたのか?
そっと老妻の顔を伺う。写真に興味はなく、一心不乱に筆を走らせ、習字の練習をしている。
ステーグリッツのような孤独に、あこがれているにだろうか?それは無理と妻の顔には書いてある。
しかし、孤独が少しずつ忍び寄ってきていることは確かだ。
2013/08/05(月) 08:42:49 |
都会の景観 Tokyo
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暑い夏。老体に鞭打つ昼の散歩は無理と、散歩は夜へシフト。とは云え、アルコールの魅力には勝てず、散歩の習慣は途絶えがちになった。参議院選の投票に 昼間近くの小学校へいく。見ると向日葵が咲いていた。
一週間後、ふとその向日葵を思い出していた。昔観たソフィアローレンのひまわり、良かったなぁ、ゴッホの向日葵の絵も好きだ。
あの向日葵、夜撮ったら素敵だろうと重い腰を上げ、出かけた。
古代、ギリシャの哲人は、この世界はすべて幾何学で構成されていると 考えていたようだ。点と線、点と点を結べば線になる。点を固定し、線をその周りにまわせば円となる。コンバスと、線で、2つの直角三角形をつくり、そこから幾何学が始まる。ピタゴラスの定理、黄金比はすべて、三角定規とコンパスで作図し、証明された。
黄金比・・・ユークリッドの提唱した問題。「線分を2つに分けるとき、全体と分けられた線分の1つとで囲まれた長方形の面積と、残りの線分を1辺とする正方形の面積が、等しくなるよう分けよ。」
ギリシャの哲人は、コンパスで作図し、それを求めている。黄金比である。西洋絵画は、黄金比を意識して描かれた物が多い。
黄金比は、今の中学生なら、2次関数の問題として・・・おそらく中学2年生で習い、クラスで数名は、正しい答えを導くだろう。理系の大学へいけば一般教養として、それがフィボナッチ数列に密接に関係していることを知る。2分岐しながら成長する生命体の姿に、そのフィボナッチ数列が 隠されているものが多い。
家に数学にかんするエッセー本があった。息子が読んだようだ。拾い読みしているうちに、引き込まれていた。勉強していた頃を懐かしく感じる。もう40年以上前にのこと。大方忘れている。
虚数i、円周率π、自然対数e、それに自然数1、インドで発見された0、これを1つの式にまとめたオイラーは天才だ。フーリエ変換、ラプラス変換これは電気系、機械制御系で必要だよな。こちらは化学系、なんで、授業で統計学を教えてくれなかったのか?有名なガウスさんがいたのに・・・・、読み進むと、フィボナッチ数列になる。
そこで 向日葵の種の並びは、黄金角で配置され、フィボナッチ数列と密接に関係にあることを知る。さすがにギリシャの哲人、眼光は鋭い。
現実(reality)の奥底に存在(existance)。存在は、ある方程式によってきっちりと決められ、隠すことはない。ああだ、こうだと意って騒ぐのは、人間が無知なだけなのだろう。
この向日葵、1つとっても、奥深い秘密が隠されているんだなぁ~~存在とは、かくも素敵なものか・・・
写真を撮ってよかったとおもう。
2013/08/03(土) 10:12:37 |
ひまわり
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ひょんなきっかけで、ピンホールレンズを作った。小生 このレンズにPinkkorという名前をつけた。作るのは簡単だが、使うのは難しい。写真表現として使うには、かなりの習熟が必要だろう。
原理は簡単。皆、小学校の理科で習っている。
しかし、実際のピンホール写真を見たことがないので、実際の作品があれば、興味深深、覗き込んでくる。
「レトロで、ノスタルジーを感じる写真ですね。ピンホールでこんなに・・・」と口ではほめてくれますが・・・
良い方向で解釈すれば、明治時代に確立された絵画手法、没線彩画の朦朧体(もうろうたい)に似た写真。あるいは世紀末の欧米でほぼ完成を見た、Pictorial Photoのようです。一部を拡大すれば、
筆で描いた絵画調、でもやっぱりピンボケ状態。数枚見たら、あぁこんなものかと納得する。(なんだ、ピンボケ写真じゃぁないか、と心の中でつぶやく)ピンホールレンズで、作品として見るに耐える作品を作るのは、大変なことだと思う。
この写真は、花瓶の花をピンボケにして写したらどうなるかテストしたもの。う~~ん 同じような雰囲気。詳細に見れば違うが、Pinkkor写真、ピンボケ写真と言われても・・・しょうがないか、と妙に納得。
フィルムで撮れば、その奥の深さが分かりますよとの助言をうけて、フィルムで撮影してみた。しかし、35mmフィルム、APSより少し面積が大きい程度で、解像度は足りず、贔屓目に言えば超軟焦点レンズで撮った写真ができた。やあ、難しいなぁ。小生には無理では?という言葉もよぎる。
写真をはじめたとき、最初に知るのは、レンズと被写界深度の関係である。広角レンズは深く、望遠は狭い。絞れば深く、絞りを開けると浅くなる。撮りたい主題にピントを合わせ、シャッターを切るのが基本。主題を浮き立たせるよう絞りを調整し、ぼかすべきものはぼかす。風景なら、画面前面ピントが効いていたほうがいい。その場合ある程度絞る。
主題にピントが合ってない写真なんて駄目だとカメラ雑誌には載っていた。
ピンホール写真は、どこにピントが合っている? 絞りは固定、距離(ピント)をあわせる方法はない。うたい文句は、パンフォーカス空気レンズ。ピンホールレンズを動かすと、ズームになってしまう。孔径に基づく解像度の低下は免れない。8×10の大型ビューカメラでの撮影し、密着(原寸大)で印画紙に焼き付けるなら、レンズと見紛うばかりの作品ができるが、撮像素子がAPSのデジタルカメラで撮り、4つ切り程度まで伸ばすと(キャビネ程度でも)画像の鮮明さは消え、よく言えば絵画調のソフトな写真、一歩間違えると単なるピンボケ写真となる。
昔のカメラでは、ピンボケ写真は当たり前、特に写真初心者のときは。(今は、自動でピントを合わせてくれるので、ないですよね。)小生これを「ピン外し」と呼んで、ごくまれに使います。時としてそしてまれに、ノスタルジックな雰囲気ある写真を撮ることができます。できたらラッキーと小躍り。
このあたりが、小生の限界か、すこしはノスタルジックな写真になっていませんか?「ピン外し」でも撮れるかなぁ~自信なし。
戦前流行ったベス単フードはずしという撮り方でも、ソフトフォーカスの甘い焦点で、どこかノスタルジックな雰囲気を引き出すことができる。原理は違うが、ピンホール写真のテーストはそれに近い。ベス単フードに凝っているアマチュアのかた、昔(1970年ごろですが)かなりの方が試されていましたが、今もベス単はずし、撮っている方いるのでしょうか?奥が深い世界だと聞いています。
ピンホール(針孔)写真も、同様に奥深い世界のようです。その奥深さに近づくためには、かなりの習熟が必要なようです。
小生の関心事は、Bill Brandtの "The Isle of Skye"(スカイ島)にある。それが、ピンホール写真で撮られたものとは、思わなかった。いったいなぜ、ピンホールで撮たのか?今でも謎。いろいろ想像はするが…はっきりしない。8×10の大型ビューカメラで撮影しないと、使った意味を理解できないのであろうか?
小生の関心事は、ピンホールカメラより、Bill Brandtの意図に向かっています。
2013/08/02(金) 10:50:34 |
写真の技法
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梅雨明けの空が広がっていた。高い空には、薄く雲が広がっている。その先は果てしなく続く暗黒の宇宙につながっている・・・と思いながらシャッターを切った。
現像があがり、プリント。写真をじっと見ていると、巨大な飛行物体の上にいるような幻視を覚えた。羽を持った人間が、とことこ歩き、その先端から、大空へダイブする。自由という言葉が脳裏を走った。
写真って、ゆっくり読み解きながら、見るものではないだろうか。
美しいだけの写真は、どうしても撮る気になれない。なにかInspireするものがないと。
2013/08/01(木) 06:07:58 |
読み解く写真、心に残る写真を・・・
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