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本当に大切なものは見えない

古いフィルム・カメラで、ありふれた身の回りを撮っています。日常の中の一瞬を捉え、読み解く写真になっていれば・・・

洗足池      Acrosフィルム 長時間露光

富士フィルムのモノクロフィルム、 Acros100 いいフィルムだと思う。
洗足池にて1252-11
長時間露光でも60秒以内なら、現像で相反則不軌の補正を行わなくてもいいとデーターシートには記載されていた。
試しに使ってみたが、確かに相反則不軌は認められない。
すごいフィルムだと思う。
去年販売は停止したが、今年の11月AcrosⅡフィルムとなって復活した。
しかし、期待したほど価格は安くない。

価格の点から、使用する120フィルムは、チェコのFomapan100にすることにした。
今 現像液の調整・改良を行っている。
今年中にはFormapan100に特化した現像液と現像条件それに現像法の目処が立つ。
そしたら、ブローニーフィルムは、順次 Fomapan100に替えていくつもり。

Acrosフィルム、まだ4箱、20本分のフィルムは残っている。
残りの20本で、このフィルムの現像特性とトーンを もっと調べておこうと思っている。
いずれどうしてもAcrosでという時がくるかもしれないから。

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  1. 2019/12/22(日) 12:37:00|
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池田山公園の鯉

底なしの沼から浮かび上がってくる鯉をイメージした写真を撮りたいと思っている。
試したが、戸越公園の池では明るすぎる。
候補地は洗足池と決めていた。
しかし、まだ、これだという鯉の写真は撮れていない。

散歩で立寄った池田山公園の池にも鯉がいた。
周りを鬱蒼とした樹に囲まれた窪地の池。
時折、木漏れ日は射すが、水中は暗い。
洗足池より、この場所のほうがふさわしいかも・・・と散歩の途中訪れた時、写真を撮ってみた。
池田山公園の鯉1212-1
ストロボを焚いて撮影してみたが、これはという写真にはならない。
設定のミスもあった。
GN16(ISO:100)の小さなストロボを使用した。
鯉まで1.5m 絞りを計算すると、f:11。
PLフィルターを付けているので1.5絞り~2絞り露光補正すると、f:5.6となる。
被写体の鯉の黒い鱗の反射を考え 更に一絞りあけf:4で撮影した。
それが失敗。
フィルムを現像してみると、ネガ濃度がでていない。露光不足。
慌てて、2,3年前、戸越公園や洗足池で撮ったネガシートを探す。
失敗に学んでいないなぁ・・・・と己の至らなさを悔やむ。
想像以上、被写体からの反射は少ない。
2絞りは開けたほうがいい。

それに この小型ストロボ、経年劣化で発光量少なくなっている。
フラッシュメーターで確認したら 光量は半分にまで落ちていた。
ガイドナンバー(GN)を11で計算すべきだったこともわかる。

マミヤプレスには 明るいレンズはない。
開放絞りF:3.5のレンズなので、もっと大きなストロボを使うべきだった。
それが 分かれば まだやりようはある。
いい場所を見つけたと思う。また チャレンジしてみるつもりだ。

  1. 2019/07/03(水) 11:36:28|
  2. 水辺の光景
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見えることは 見る手段に依存する。

産業革命ではじまった現代文明。
そこで 重要な役割を果たした熱機関の 重要な理論・熱力学は、19世紀末にほぼ完成した。
ニュートンの発見した、万有引力の法則と、運動の法則 それに熱力学があれば、
この世の秘密は全て解き明かせると・・・・夢想していた。
この宇宙は、精密な機械仕掛けでできていて、
原因があって、結果を生じる。 
その結果が次の原因となり、結果を生む。その繰り返し。
世界は、因果律に従って、明快に進むもの・・・と思っていた。(夢想していた)

しかし、観測技術が進み、遠くの宇宙を観察、あるいは 微細な世界を観察していくと、
どんどん奇妙な世界が 見えてきてしまった。

1920年代、日本なら大正時代から昭和の初めころ、奇妙さは決定的となる。
その奇妙な宇宙/物質の成り立ちを理論化しようと試み、量子論があらわれる。
原因結果の果てしない因果律を信じる理論物理学者アインシュタインは、
「神様はさいころを振らない」と、その理論に激しく噛み付いた。

しかし、明らかに欧米では、
当時の知識人、芸術家、作家の心を捉え、影響しているように思える。
第一次世界大戦後、
世界は混沌としていた。
原因をめぐる論争、その結果の争い、
その連鎖から逃げ出せずついには世界大戦という悲劇が生まれた。
その心の憤り、反省がある。
物理学者は、「存在は決定論(因果律)に縛られていない!!」と量子論を唱える。
どうなるかは確率計算式でしか表せない・・・・
機械仕立てでこの世が成り立っている訳でないと、吹き込まれたら・・・・何にアイデンティティーを見出すか?

アンドレ・ブルトンを中心にシュールリアリズム運動が起き、詩や小説が世にでる。
印象派絵画は超現実絵画、キュービズム絵画などへと変化していく。
マンレイは写真でそれを表現しようとした。 
第一次世界大戦と二次大戦の間のパリは、その運動の中心。
写真にとっても、一番すごい時代だったろう。
日本でも、
大正時代から昭和初期、フランス芸術が紹介され、熱狂して受け入れられていた。
山本 悍右は その日本のシュールリアリズム写真の草分け、
前衛写真家として、戦前から戦後もシュールな写真を撮り続けていた。
今となると忘れられた写真家になったのだろうか?
鳥取の砂丘で写真を取り続け 名声を得た植田正治氏の作品にも、明らかシュールリアリズムの影響を見出せる。、
山本 悍右氏より 過激(つくりもの、トリッキー)な作品ではない。それが、日本人には 受けがいいのかも。
フランスの審美眼からすれば、日本にもシュールリアリズム風写真を作った人がいたのだという、評価。
植田正治氏の作品、面白いと彼の地で受け入れられるが、あくまでも傍流として。
フランスのシュールリアリズム時代の写真家と同列の評価ではないだろう。

オリジナリティーこそ、高く評価されるべき。
それを真似し、更に改良して派生した作品なら、
よほどのことがないと、評価は下がるのは当然だろう。

物体/存在が どう見えるかは、
それをどのように観察したかに依存する。
観察するのは、人。そこがこの芸術運動の出発点だった。

写真家が、「いいと思ったら、がっと寄って、ぱっと撮る。」などの講釈を垂れる。
写真家なのだから、ありがたい教えに違いないと・・・思いたいが、
写真家て知性的?なのだろうかと 時に訝しく思う。
何のことかわかっていないのに、やたら専門的な言葉を使い、人を煙まく人のことを、
英語ではfruitlooperyと呼ぶ。
部外者には不明の仲間内の言葉を連ねて、写真を語る。
写真雑誌に載った写真評論を読むが、小生には何のことか わからない。
断片的な警句をちりばめれば それで評論が完成だろうかと思ってしまう。

いい評論、適切な評論が、写真表現を広げるためには必要だが・・・・
文芸批評家の小林秀雄のような人、
写真評論に現れないかなぁ・・・と思うのは、小生が歳を取りすぎたせいかも。
写真は ネットに現れ、泡のように消え、一時的なもの。コミュニケーションの手段、道具に過ぎない。
もう、アンドレ・ブルトンのような人が、でてくるような文化基盤は ここにはないのかも。

でも、見ることの不確かさは、依然としてのこる。
スマホで ちょこっと簡単に撮っても、
物体/存在が どう見えるかは、それをどのように観察したかに依存する。
カメラは それを記録する。

デジタルで撮ろうが、フィルムで撮ろうが それはいい。
も少し、観察し、考えること しないのかなぁと思う。
池田山公園の鯉1210-41
見て観察し、撮影する。
観察した手段が異なれば、違って見える。
池田山公園の鯉1207-3 Ⅱ
人の眼をひく写真を撮りさえすればそれでいい。
インスタ映えする写真とれればいい。
それが、現在の写真術かも。

かつて(フランスの写真家達)は、感性、理性、知性で 写真を撮っていた。
今だって、深く思考し、対象を見定め、注意深く観察し 写真を撮るプロ写真はいる。
それは、ごく少数だが・・・確かにいる。
写真は その人の知性まで さらけ出してしまう。
フランスの写真家、カルチェブレッソンは、第2次世界大戦のとき、
フランスの地下組織(レジスタント)の一員として 命を賭して、ナチスドイツと戦った。
ドイツの人物写真家 アウグスト・サンダーの写真集「時代の顔、Antlitz der Zeit」は
ナチス政権下 押収、原版は破壊されたという。
写真家がレジスタンスとなり、
あるいはその写真が時の政権にNoを突きつけ、迫害された写真家、日本にいただろうか?
(いないわけもないだろう・・・とは思いたいけど)

戦後 日本は世界最大のカメラ生産国になった。
フィルムカメラも デジタルカメラも 日本が一番。
でも それは生産の中心であって、写真表現の中心にはなれなかった。
プロの写真家は多いが、写真表現では後進国ではないかと 感じている。
知性、志、覚悟はどうだろう?

いま また写真表現の手段が、
iPhoeなどのカメラ付電話 即ち、スマホに変わってきた。
(スマホの生産は、韓国や中国に移っている。 最早、カメラの生産の中心ではないのかも知れません。)
手段が違えば、見えてくるものは 違う(はず)。
日本の写真の撮り手(プロ)は、それを どう捉えているのだろう?
  1. 2019/06/27(木) 19:39:32|
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光と闇

いい瞬間は あっという間に過ぎていく。
いいなと思ったら、即座に撮る。
理屈なんていらない。
ああだこうだと考えていたら、いい写真なんか撮れるはずもない。
確かに そうなんだろうが・・・・

ああだ こうだと 考えて撮ることがほとんど。

被写体までの距離は約2m、木立に囲まれ薄暗い。
明暗の差は乏しく、撮りたいところは、ぼんやりしている。
ストロボを取り出し、カメラにセットする。
GNは22なので 絞りはf:11 しかし暗い部分は光を吸収するだろう。
もう一絞り開けf:8にセット。
ここで反射する空の明るさをどうするか・・・・迷った。
シャッター速度を 1/500秒にして暗く落とすか、
1/30秒にして 明るさを残すか・・・・
残すほうに賭けた。
闇と光1199-11 Posi
その選択がよかったか、悪かったか 今も不明。

レンズシャッターのカメラなので、最高速1/500秒まで ストロボに同調する。
それが、このカメラの大きなアドバンテージ。

理屈抜きにカメラを作ることはできない。
光学理論があり、精密機械工学があり、材料研究がなされてきた。
その基礎のもと、カメラは設計され、組み立てられてきた。
今では、画像処理のアルゴリズムを考え、0101のデジタルデーターから、デジタル画像を作っている。
理屈だらけではないか。
それを使うのに・・・理屈は不要というわけにはいかないだろうとおもう。

デジタル画像になり、きれいな写真が氾濫する。
相対的に写真の価値(注目度)は下がっている。
この状況では、キャッチーさが一番、内容は二の次。
「写真を撮るのに理屈は不要、いいなと思ったら さっと撮る。」
そんな啖呵・・・切ってみたいものだとおもう。
そしたら、かっこいいだろうなぁ。

  1. 2019/05/22(水) 11:20:36|
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洗足池の鯉を撮る     PLフィルター+ストロボ+現像液と現像手法

現像液の開発もほぼ終了したので、
以前から撮りたいと思っていた鯉を撮りに洗足池へいく。
綺麗な鯉の写真は撮りたくない。
底なしの沼から上がってきた、薄気味のわるい、ヌッメとした質感の鯉を撮りたい。

去年の撮影ではTri-Xフィルムを使い、PLフィルターとストロボ(KakoEliteⅡ)を使用した。

PLフィルターとストロボを使うが、
今回はRetro400Sフィルムと開発した現像手法がある。
906 #4 (Ⅰ)-30
去年使用したストロボは ついに壊れてしまった。
発光管のキセノンランプの問題ではなく、
おそらくコンデンサーの劣化(絶縁不良)だろうと思う。
乾電池の電気がすぐ消耗、ランプが赤く点灯しなくなった。
今回使用したのは、多灯発光のサブストロボに使用していたKakoElite-L。
予備品の扱いだったので、あまり使用していなかった。
ガイドナンバーはほぼ同じもの(GN:32 ISO:100)。

杭の位置まで3m弱、PLフィルターを取り付けると2絞りほど開ける必要があっても、
単純に計算すると絞りf:11で適正露光になるはず。
しかし、池の鯉の撮影では、光は底なしの沼に吸収され、僅かな光しか戻ってこない。
それでは 光が不足。
去年の撮影で f:5.6前後で撮影できることは確認していた。
さらに二絞り 開けて撮影する必要がある。

現像液(Ⅰ)を使用して現像した。
白い鯉に対しては、露光は過度だが、
普通の黒い鯉に対しては若干、露光不足気味だった。

906 #1 Ⅳo-22
鯉まで3mあったので 絞りをf:2.8に開けて撮影。
集団となり、密集し、のたうち回る鯉は、なぜか不気味。
肉眼で見たときの印象と、大きく異なる。
906 #2 Ⅳo-3
(Ⅳ)オリジナル現像液で、現像した。(Ⅳo)
(Ⅰ)現像液より 階調性は省略される、その分白黒の対比は明快になり、暗い鱗の紋様がくっきりと出る。
底なしの沼から浮き上がてきた・・・・か?
906 #2 Ⅳo-12
もう少し、鱗に光が欲しい。
ストロボ光の当て方に工夫が必要だろう。
906 #3 二段現像-13
(Ⅰ)+(Ⅱ)の 二段現像を行った。
肉眼でみたものと異質。
でも、これもカメラの眼を通してみた現実。
レタッチソフトで切り貼りして作ったものではありません。
でも、ストレート・フォト??
この現像法で、得体のしれない鯉を 追っかけるのもいいかもしれない。
------------------------------------------
池の鯉、意外と撮影は難し。
露光 一絞りの違いで、結果に大きな差が出る。

ストロボがKakoElite-L一台になった。
多灯シンクロしたくて 1960年半ばころ3台揃えたものの最後のストロボになってしまった。
ガイドナンバー(GN)は固定、光量の調整は 白いハンカチを被せること。
GNで計算した絞りを、部屋の周りの反射を考え、補正して決め、一発勝負で撮影していた。

光量を調整してくれるオート・ストロボは1970年代になってからだろう。

Nikon FやNikon SP用の純機械式カメラ用ストロボは、もはや 市販されていないようだ。
散歩がてら、目黒の三宝カメラまでいったが デジタル用ストロボの中古品はあったが、
純機械式カメラ用ストロボはなかった。
新宿の中古カメラ店にでも行かないと 見つからないかなぁ?と思案していたら、
ヤオフクがある・・・・と気づく。
早速インターネット・オークションへ入り探した。
沢山 出品されている。
探しに行く手間は省けるが、ジャンク品をつかまされる危険も大きい。
注意深く 商品説明を読み、大丈夫そうな出品者のストロボを落札した。
値段は、町の中古ショップで買うのと変わらない値段になっていた。
届いた(落札)ストロボは1980年代のストロボだった。
30年くらい前の製品、あと10年間は使えるだろうと・・・・希望的に考えている。
それだけあれば充分だ。
しかも、自動調光、オート・ストロボ!! ストロボ・ヘッドも動く!、
GNから計算することも、周囲の反射を気にし、絞を補正する必要もないだろう。
これ、池の鯉を撮影するには・・・・最適では。
テスト撮影し、使えるようだったら・・・・洗足池の鯉ですね。



  1. 2016/11/06(日) 11:19:57|
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プロフィール

Alchemyst Sasaki

Author:Alchemyst Sasaki
Phone-Cameraの時代、フィルムで撮ることの意味合い、意義はあるだろうか?と懐疑的になっている。写真の置かれている場所・期待・求められているものが根底から変わってしまったのかもしれないと思っている。
それでも、もう一年白黒フィルムで遊んでみるつもりでいる。

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