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本当に大切なものは見えない

古いフィルム・カメラで、ありふれた身の回りを撮っています。日常の中の一瞬を捉え、読み解く写真になっていれば・・・

チューリップのおもて、糸杉のあで姿よ、

東京でオリンピックが開催された頃だから、
1964年ごろ、昭和38年か39年だと思う。
戸越銀座商店街に実誠堂という本屋があった。
まだ、図書館がそれほどなかったので、本屋は「知の宝庫」だった。
勿論、月刊誌、週刊誌、子供の雑誌、ハウツーものの本も置かれていたが、
哲学書や科学書などから岩波文庫本に至るまでそろっていた。
ロウソクの科学や、ガモフの科学書、星の王子さまも、この本屋で購入した。
そこで何気なく手にしたこの本に魅了されてしまった。

小川亮作訳『ルバイヤート』
最初の詩が、

チューリップのおもて、糸杉のあで姿よ、
わが面影のいかばかり麗《うるわ》しかろうと、
なんのためにこうしてわれを久遠の絵師は
土のうてなになんか飾ったものだろう?

チューリップの面1568-9 Nikkor24mm Ortho

ペルシャの伝統的な詩形 四行詩(ルバイヤート)だという。
大きく言語地図を広げてみれば、日本語も、ウラルアルタイ語に含まれるらしい。(専門家でないので、伝聞です)
ルバイヤートは、起承転結の詩形で、音韻は、5音7音を基本とする日本と似たところが有るという。

「チューリップのおもて」は、艶やかな女性を象徴しているように思える。
しかし「糸杉のあで姿よ」、は残念ながら見たことないので分らない。
ゴッホの「糸杉」を思い出してしまう。

次の句は、

もともと無理やりつれ出された世界なんだ、
生きてなやみのほか得るところ何があったか?
今は、何のために来《きた》り住みそして去るのやら
わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!

と続く。
大人になりかけようとしている小生には衝撃的な詩集だった。
そうだなぁと心を揺さぶられ・・・更に先へ進む。

自分が来て宇宙になんの益があったか?
また行けばとて格別変化があったか?
いったい何のためにこうして来り去るのか、
この耳に説きあかしてくれた人があったか?

科学を志し、この世の秘密を明らかにしたいと思っていた小生には、
衝撃的な詩だった。
こんな詩人、日本にいただろうか?

魂よ、謎《なぞ》を解くことはお前には出来ない。
さかしい知者(*)の立場になることは出来ない。
せめては酒と盃《さかずき》でこの世に楽土をひらこう。
あの世でお前が楽土に行けるときまってはいない。

絶望的な詩だが・・・すごいなぁと思った。
それ以来、この呪縛から逃れられないのかもしれない。

作者のオマル・ハイヤームは、西暦1040年のペルシャに生まれている。
日本なら平安時代の後期のころだろう。
当時ペルシャは政情不安だったが、文明は世界で一番発展した地域だった。
彼は、当代一の数学者であり、天文学者であり、万事(哲学)にも通じる知識人だったという。
そんな人の歌だった。

彼の四行詩(ルバイヤート)には酒を詠んだ歌は多い。
日本にも酒を歌った歌はあるが、しかし、視点は異なっている。

歌人 若山牧水は、
白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり
と歌い、

昭和の流行歌では

酒は涙か 溜息か 心のうさの 捨てどころ
遠いえにしの かの人に 夜毎の夢の せつなさよ

と藤山一郎の歌声がラジオから流れていた。
日本人は、そこに心を動かされていた。

日本には 独特な私小説という分野がある。
短歌、俳句にも、自分の気持ちを表出させ、
さりげなく、同意、同情を求める一人称的(あるいは悟りきったような)表現の歌は多い。

己の身の不幸を嘆き、それを表出する。
それが巧みであれば、共感する人がでてくる。
私も似たようなもの・・・・とそのなかにどっぷり浸かっていれば、それで癒やされるのだろうが・・・
ただそれだけの閉じた空間でいいのだろうかと思う。

オマル・ハイヤームの詩は、
一人称的表現に留まらず、
視点は俯瞰的、三人称的表現となって、その不条理な「解き得ぬ謎《なぞ》」へと向かっていく。

このあたりが、日本の写真家に感じる物足りなさかもしれない。
クーデルカに匹敵する写真家も現れないし、
セバスチャン・サルガドもいない。
水俣を撮ったのはユージン・スミスだった。

「絶対非演出の絶対スナップ」を標榜した土門拳は、
筑豊炭鉱を訪れ、『筑豊のこどもたち』をだし、評判を得るが、
水俣へは行かず、『古寺巡礼』へ被写体を換えていく。
こんなの有り?
写真を撮る動機が、掴めない(不純?)。

デジタルになり、写真が簡単に撮れるようになった。
いいことだと思う。
この世の不条理を、切り取る写真家が、
そろそろ日本に 出てきていいと思っている。
  1. 2023/04/28(金) 16:18:28|
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古梅                   池上梅園        

池上梅園の古梅。
梅園の梅1561-15
TRI-Xを現像するため開発した軟調微粒子(A)現像液を、
Retro80S用に、改良し(AⅢ)とした。
その現像液で、現像してみた。
Retroフィルム用に開発した軟調現像液(ⅥR)より、微粒子になったと思う。
梅園の梅1561-17
オーバー気味露光だが、軟調現像液なので、白飽和も抑えることができている。
暗い部分のディテールも残った。
Retoro80Sの豊かな階調性(トーン)を生かすには、いい現像液だと思う。

微粒子現像液の定番は、ミクロファインだが、
Retoro80の現像に使用したことがないので、分らない。

軟調をうたう市販の現像液、あるのだろうか?
ネットで調べると、新しい現像液はT-MAX現像液くらいだろう。
あとはミクロファイン、D-76、ロジナールなど 
由緒ある古い現像液が今も市販されていた。
軟調現像液は見当たらない。

ミクロファインは、昭和30年代の写真雑誌に広告が載っていたのを思い出す。
D-76は、戦前からある処方で100年くらい歴史がある。
ロジナールは、AGFAの処方で、150年くらい昔から売られていた。
数多くの現像液が、長い年月を掛けて開発され、使われたが、
残ったのは数種の処方となってしまう。

白黒フィルムを楽しむ人も少なくなったのだから、それも致し方なし。

白黒フィルムを楽しむなら、自分で配合した現像液で、自家現像する。
この贅沢を味わい尽くすのが趣味の神髄だと思っている。(と自分を励ましている)
  1. 2023/03/10(金) 23:39:27|
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池上梅園の紅梅

梅は中国から来た花、
中国人は梅の花を愛でたが、
古代日本は、中国文明を導入していたので、
同じように梅を愛でていたらしい。

「梅」、「中国」と連想が続くと、脈絡もなく「曲水の宴」を思い浮かべる。
20年ほど前、妻と、中国、浙江省・紹興市を旅行し、
王羲之で有名な、蘭亭を訪問した。
その庭園には、「曲水の宴」で使われた池の遺構が残されていた。
杯を載せた小さな舟が来る前に、歌を詠む。
優雅な遊びだと思う。
その後 市内に戻り、魯迅旧家近くの咸享酒店で、紹興酒を呑み、食事をした。
楽しい思い出になっている。

コロナ禍で、去年は園内の甘酒ショップがなかったが、
今年は、それが楽しめるだろうと、
池上梅園へ行く。
池上梅園の紅梅1561-28
残念ながら、今年も甘酒の屋台は出ていなかった。

太宰府にいた大伴旅人も梅によせて歌(和歌)を詠んでいる。
「我妹子(わぎもこ)が、植ゑし梅の木、見るごとに、心咽(む)せつつ、涙し流る」
傍らに酒瓶(濁り酒)をおき、二人して梅を愛でた楽しい時間は、過去のこと。
あの楽しかった瞬間はどこへきえたのか。亡き妻を思い出し、心は咽び泣く・・・・
そして、一杯の濁り酒を喰らう。
「なかなかに人とあらずは酒壷になりにてしかも酒に染みなむ」

蘭亭観光のあと、妻と楽しく紹興酒を飲み交わしたが、
こんな歌を詠む(想像する)ことなど、とても小生にはできない。

梅を撮るのは難しい。
どう撮っても、既視感のある梅の写真になってしまう。

一枚の写真が、勝手に語り出す写真を撮りたいもの。
大伴旅人の眼を持った詩心のある写真家、
現れないだろうかなぁと思う。



  1. 2023/03/07(火) 17:44:05|
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円融寺の樹                 S-Nokton 50mm F:1.5

声なき声を聞いたような気がする。
円融寺の樹1552-16
見渡すと、落葉した林があった。
冬なら落葉するのは当たり前。
何だろう?
円融寺の樹1552-19
眼には見えないが、空には、風が渦捲いているようだ。
円融寺の樹1552-20
その風が枝を切る風音か?
いや、そうでは無い・・・
樹の姿が異様なんだ。
なにかを訴えている。
円融寺の樹1552-22
頭をちょん切られ、哀れな姿を晒していた。
それを見上げ、キャッチーさに引かれシャッターを切っていた。

現像が終わり、ネガをチェックする。
改めて画像を確認すると、
声なき声で、「いや お前もそのうち、こうなるのさ」
と言われている気がした。
  1. 2023/03/01(水) 22:20:22|
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梅と桜

勝島運河まで散歩しようと、旧仙台坂を下っていく。
梅と桜1555-2
海晏寺を覗くと、白梅が咲いていた。
梅は枝振りというが、
梅と桜1555-3
花をアップで撮ろうと、距離計の限界まで近づいて一枚撮ってみた。
近づくほど、ピンボケかどうか、わかりやすくなる。

インターネットがない時代なら、
本や雑誌、そして技術系の文献を図書館で探し調べ、
実際に試して事実の確認をするが、
インターネットの時代になると、事実の確認がおろそかになり、
ネットの噂話が、そのまま事実のように語られるようになる。
ニコンSPのカメラでは、コンタックスのレンズとピントが異なり、
使用しない方がいいと助言する人ばかりが眼に付く。
(フランジバックは同じという人は多い、
基準にした50mmレンズの焦点距離が違うという人、
ヘリコイドのピッチが違うという人もいた。
一見、科学的論拠で語っているように見えるので、信用する人も多いようだ。
しかし、それを裏付けるデータの開示はない。
これでは恣意的で、信用できない。眉唾の話だろう。)

次の日、林試の森を散歩。
梅と桜1555-11
まだ春にはならない。
梅と桜1555-13
しかし、河津桜が咲き初めていた。
立春前というのに、早いもの。
河津桜が満開の頃になると、中央公園の白木蓮の花が咲き、それが目黒川の桜の開花へと繋がる。
老年になって、季節の移り変わりが早くなったと、感じている。
急がねば・・・・
これも、約1mまで近づきシャッターを切った。
ピントは合っていると思う。
-------------------------------------
レンズのことなど、違っても 大きな間違いを生まないが、
ネット社会になり、確かめもしない情報を発信する人が増えている。
Fakeニュースはキャッチーだし、何度となく繰り返され拡散すると、そうだと信じてしまう。

ウクライナとロシアの戦争をみていると、
Fakeニュースがネットを飛び交っている。
確かめようとするが・・・どうしても応援する方の情報に、アクセスすることが増える。(ロシア語は分らない)
すると、AIが履歴でも取っているのだろう、
関連した記事ばかりが、ヒットし提示されるようになる。
これがFakeニュースなら、何度となく繰り返されると、これが事実だと誤認しやすくなる。

沢山の情報に接することが、人間の心を豊かにするものに繋がっていない。
情報に溺れてしまい、知性の低下が起きているような気がする。
AIに支えられた検索エンジンに問題があるなぁと思っている。
  1. 2023/02/07(火) 21:46:56|
  2. 樹、草、花 
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Alchemyst Sasaki

Author:Alchemyst Sasaki
未だフィルムカメラの沼から抜け出せない。
もう一年白黒フィルムで遊んでみるつもりでいる。

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