月のかけらのように浮遊していた。
普段なら眼を背けているだろう。
でも何かがあるとシャッターを切る。

きれいは汚い、汚いはきれい。
美しいものを美しく撮る。
デジタルカメラになり、それが当たり前のことになる。
手軽にできることに、人は厭きる。
またかと評価(価値)は下がる。
そこに新しい「美」はあるのだろうか?
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- 2022/10/03(月) 07:50:57|
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清水池公園から、目黒通りを越え、碑文谷公園へ。
入り口近くに石仏が安置されていた。

背景に比べ石仏の置かれている場所はくらすぎる。
内蔵のストロボを強制発光させている。
マニュアルで使うなら、ストロボのガイドナンバー、被写体までの距離を基に絞り値を計算。
被写体の光の吸収などを考慮し、絞りを補正、
背景と石仏のバランスを考えシャッター速度を決める。
マニュアルで使うのは面倒。
でも、さすが「オートボーイ」 面倒な操作は一切必要ない。

ティシュペーパーを丸めた紙が、縁に乗っていた。
邪魔だが、とり除いて撮るには抵抗があった。
有ったものを、そのまま撮る。
手を加えることは安易。
手を加えれば、すこしは見栄えする写真になる。
ちょっと演出を加えただけ。
許されるだろうと思う。
でも一度でも許したら、限界はなくなる。
どんどんエスカレートし、よりキャッチーな写真を狙う。
いつしかフェーク写真との境界も不明瞭になり、 何を撮りたかったのか分らなくなる。
「被写体には触れてはいけない」 透明人間であるべき。
それが「散歩にカメラ」の立ち位置だと思う。
小生に許されているのは、被写体を発見すること。
そして、フィルムを選ぶ自由、露光を選ぶ自由、現像液を選びネガを作る自由、プリントする自由はある。
些細なことだと思うが、そういう拘りが小生にはある。

公園内を 一周散歩した。

清水池公園では釣りが、この公園ではボート遊びができるようになっている。
大田区にも、釣りを楽しめる公園や、ボート遊びができる公園がある。
品川区に有っただろうか? うらやましい限り。

定番のフレーミング。
池の中心に、厳島神社がある。
まだ参拝したことがなかった。

厳島神社で、スナップ撮影。

碑文谷公園の池が立会川の源泉となる。
川はどう流れていたのか、前もって検討はしていた。
無理なく流れること(高低差)の確認と、暗渠になった川の痕跡を探ることが、今回の散歩の目的。

現像するときのミスをした。、
長巻から切ったフィルムが少し長く、使ったステンレスの現像タンクの現像リールから飛び出し、
その部分に 変な現像むらができた。(40枚撮りになっていた。ベルト式現像タンクなら問題く現像できた)
でも、記録は記録。
地図では「池の下橋」から目黒通りに出るルートが、流れとしては一番すっきりしている。
緩やかな高低差もありそうだが、残念ながら、ここを小川が流れていた痕跡が見つからない。
地図にある「みどりの散歩道」の可能性が高い。

カラーフィルムをいれたCanon Autoboyカメラを持ってきてよかったと思う。
片側がすこし高く遊歩道になり、街路樹が植えられている。
この特徴は嘗てここを小川が流れていたことを示すことが多い。

みどりの散歩道は目黒通りで寸断される。
そこに横断歩道はない。
少し右にある碑文谷交差点の横断歩道を渡る。
この交差点は 少し高い場所にある。
目黒区では、散歩道として整備し「サレジオ通り」という名をつけている。
その道を行けば、碑文谷八幡宮の参道の前にでる。
ネットの検索で検索すると、ここを碑文谷の池からの川が流れ、立会川になったとする記事(地図)をみるが・・・・
ネットに上げた人が、現地へ来て、それを確認しているのか、ちょっと疑わしい。
不確かな情報が、検証されることなく流布するのがネットの世界。
簡便に情報が行き交い、もっともらしい(信じたい)ことを記事にする。
当人には、悪意はなく、こんなこと知っていると自慢したいのだろうが、フェークニュースの温床になりえる。
そのうちネットを信じなくなる人と、信じて煽られる人との分断が起きるかも。
通りを横断し、みどりの散歩道の延長線に来る。
道の真ん中にコンクリートの線が延びる。
みどりの散歩道は、左に小川があり、右は散歩道として整備された。
その構造と同じ。
道は、田向公園へ向かう。

マンホールもある。
まずまちがいなく、この下に下水道(立会川)がある。

田向公園側から目黒通りの方向を見る。
川は、公園を斜めによぎっていたらしい。

対角線上の、もう一方の入り口付近にはマンホールが設置されていた。

この道(さくらの並木道)は緩やかな下りになっていて、進むと円融寺に達する。
道にはところどころ、格子状の溜めますがあり、降った雨を地下の下水にながすようになっていた。
立会川が流れていた痕跡だと思う。
この流れは、まっすぐ進み、寺町橋で立会川に合流したと思うが、
円融寺に沿ったカーブも川の流れを考えると捨てがたい。
その場合は大門橋となる。
碑文谷八幡宮は少し小高い所にあり、更にその奥には「すずめのお宿緑地公園」がある。
そこから出てくる伏流水は、時には涸れ沢となるだろうが、
雨の多い季節は、小川となって、立会川に注ぎ込んでいたと考えるのが、順当だと思う。
おそらく 碑文谷八幡宮の伏流水(小さな泉があった?はず)も立会川の源流の一つと考えてもいいのかもしれない。

円融寺の山門に到着。

折角なので、何カットか写真に撮った。(フィルムは交換した)


風情のある、撮影スポットの多いお寺さんだと思う。

門前の大門橋にでて、帰宅した。
- 2022/07/05(火) 08:01:43|
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家に帰って、目黒区のホームページで、
清水池と碑文谷池の情報を探す。

遊歩道として整備された案内地図があった。
この地図を参考に、探索のルートを決めた。
補助26号線を、目黒通りをめがけ歩く。(黄色の線で示した)
武蔵小山を過ぎる。

東天地の商店街(大正の頃までは、繁栄した通りだったようだ)を渡ると、目黒区に入る。
少し行き、平和通りに入る。
緩やかな登り道だが、鬼子母神に近づくと下りの道になる。

鬼子母神の「鬼」という文字は角のない「おに」で刻まれていた。
でもこの文字は、コンピューターには登録されていない。
規則(効率)に合わないものは、切り捨てるというのが、デジタル化だろう。
文化の継承という意味で、なんでもデジタル化は問題が残るかもしれない。
もはや筆を使う生活から離れてしまったので、
江戸時代の草書体で書かれた文章をすらすら読めるのは、研究者か愛好家だけだろう。
瓦版や浮世絵に書かれた文字は、ほとんど判じ物になっている。

紫陽花が咲いていたので、カラーフィルムでも撮影してみた。
残念ながら、Retro400Sより 光のダイナミックレンジは狭いようだ。

鬼子母神は五叉路に建つ。
立会川緑道の新橋の方向を見た。
道は緩やかな下り。
清水池からの小川は、この道をそのまま流れ、
新橋で立会川に合流するのが、順当だと思うが、
目黒区のホームページの地図には、
一橋、二の橋、三の橋の名称が記載されているので、途中から曲がり、雪見橋で合流したとも考えられる。
歩いてみたが、どちらとも判別できなかった。(一橋の所で曲がっても、緩やかな傾斜で流れは可能)
ここから 清水池へ向かう。
左手奥の道は緩やかな登り、カーブした感じも、いかにも川の流れを感じさせた。

緩やかな道を登っていくと「清水池公園」に出る。
途中にあったニセアカシアの並木道は、
嘗てここを川が流れていたことを示していた。(その確率は高い)

清水池公園を訪れるのは初めて。


こんな樹を見ると、思わず数カット撮ってしまう。

都内の公園では珍しく、釣りを楽しむことができる。
池で釣りができる公園は品川区にはないと思う。
かろうじて、勝島運河で釣りをする人を見かけることがあるが、
沢山の人が集まって釣りを楽しむ風情はない。

地域の人 密着型というのだろうか、ゆったりとした感じがする。
このような公園のほうが 小生の好み。
品川区と目黒区、公園のあり方に、考え方の違いがあるように思う。
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品川区の公園は、どちらかというと箱物を立派にする傾向がある。
そのため、公園部分のゆったりとした部分が削られる。
さあ遊びなさいと、公園を作るが、遊べる空間は意外と狭く、単調な広がりになる。
公園の内の景観は綺麗に整備されるが、その景観を維持するため、
こんな所までと思えるくらい沢山の柵を作ってしまう。
ゆったりとした気持ちで、そこで過ごしてみたいという気持ちにはなれない。
ポリシーの違いだろう。
- 2022/07/03(日) 11:58:29|
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いつ区界を越え、目黒区に入ったのか 分らない。
知らぬうちに羅刹橋まで来てしまった。
目黒区の名称は立会川緑道となる。
羅刹橋を進むと、次の雪見橋で緑道は大きく左に曲がる。
両側は車道になっていた。
この造りは、大井町の立会道路に似ている。(僅か100mくらいだけど)

緑道を進むと、案内板が設置されていた。

昭和7年(1932年)夏の当時の写真が、案内板に掲示されていた。
ここまでは、まっすぐに流れていたようだ。
遠くに見える森には、碑文谷八幡宮が鎮座し、
その手前の右に見える屋根は円融寺のものだろう。
立会川は小さな小川で、両岸には畑が広がっていたことが分る。
立合川が暗渠となったのは昭和39年(1964年)、東京オリンピックの開催された年だった。

遊歩道には桜が植えられていて、早春になったら、桜並木が見事だろう。
来年は、ここの桜を撮ろうと思う。

立会川の源流の一つ、「清水の池」からの流れは、この辺りで合流するはず。

でも、右の方向を注意深く観察し、道に川の流れの痕跡がないかと目をこらしたが分らなかった。
大門橋まで来ると、右にお寺の山門が見えてきた。
圓融寺だった。

境内は広く立派な構えのお寺だった。(円融寺は初めて)

静かで、ゆったりとしている。伽藍もフォトジェニック。
今回は、立会川の源流を探すのが目的だが、
このお寺を撮影する目的で訪れてもいいと思う。


緑道に戻り、更に先に進む。
すぐに碑文谷八幡宮に達する。

碑文谷の池の水が、右手から流れて、曲がり、緑道となるはずだが、
小川が流れていた痕跡は見つからない。
遠くを見る(高低差を観察)と、土地は、微かに右下がりになっていた。
碑文谷の池から流れてくるなら、もう少し下、円融寺あたりを流れていたように思う。

でも、ここまで来たのだから参拝しようと境内を進む。
大きくて立派な神社だった。

立会川緑道から、立会川の源流をたぐろうとしたが、
「碑文谷の池」からの流れも、「清水の池」からの流れも、
その手がかりは得られなかった。
碑文谷の池、清水の池から、歩き、
高低差を考慮し、小川の痕跡を探り、
この緑道のどこで合流するか、調べた方がいいと、結論づけた。
日を改め再度、挑戦。
まだ、源流探訪の散歩は続く。
- 2022/07/01(金) 17:40:02|
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中原街道を渡る。
道路の名は再び立会道路に戻る。

左側に旗の台のランドマーク昭和医大の病院がそびえる。

5年ほど前、肺腺腫になった兄が緊急入院し、
見舞いに、何度も訪れていた。
ちょうど桜の咲く季節だった。

父は戦後、肺病になり寝込み勝ちだったが、
アメリカの進駐軍からもたらされたペニシリンを祖父が、どこかから入手。(薬の闇市?)
その薬のおかげで、肺病は治ったが、晩年、肺の病気になり、酸素マスクの生活を送った。
兄も、結局、酸素マスクの生活になったが、外を散歩する時間は減っていく。
歩かないと、体力(筋肉)の衰えは加速するのかもしれない。
マスク生活の期間は父も兄も、ほぼ4年で終了した。

歩かないと、老化は加速する・・・そんな強迫観念が小生にはある。
兄が入院した病室からの景色。
右の広い通りは中原街道、左に桜並木の立会道路が見える。
そのとき兄は、ベッドの上にいた。
花の盛りも知らず、約2週間後退院した。
Retro80Sフィルムは、Fomapan100より、光のダイナミックレンジは広いように感じる。
ただし、現像液の違いによるトーンの変化の割合は大きい。
適切に選ぶと、びっくりするような綺麗なトーンのネガを得る。
合わないと、トーンはめちゃくちゃ、人によっては使いにくいフィルムという評価を受ける。
それが 面白い。
Retro系のフィルムは、安いほうに分類される。
Fomapanより少し高いが、イルフォード系より安い。
コダック系は高すぎる・・・もうTri-Xには手が出せない。

南公園を過ぎる。

左には、旗の台から続く台地が続いている。
今は暗渠となり道となったが、川は台地の下を流れ、道は台地のきわにあった。
そして台地の道筋に、摩耶寺が、台地の上には小山八幡が建てられている。
江戸時代、立会道路の両側は河川敷になっていて、人家はなく、あったとして畑程度だったと思う。


更に進むと、西小山に近づく。
いつしか道路の名称が変わっていた。


西小山駅は、品川区にあるが、ほぼ区界。
すこし過ぎると、目黒区に入る。

羅刹橋にでる。
数年前にも、ここで写真を撮った覚えがある。
そのときは、立会道路と直交する道の幅が狭かった印象がある。
信号機も付いていた記憶がない。
道路は拡張されたようだ。
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碑文谷の池と、清水の池は、目黒区にある。
この二つの池を源流にして立会川は流れている。
いよいよ目黒区に入る。源流への散歩が始まる。
- 2022/06/30(木) 08:59:56|
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