姪の結婚式の写真を撮ろうと、
旅行かばんにデジタルカメラを入れてあったが、
式場に持っていくことを忘れていた。
結局、記憶に記録するだけになった。
もっとも、式の様子は同行した親戚・友人が撮っていたので、
後日、メールに添付されて届いている。
映像のクオリティーもなかなかいい。
すごい時代、
便利な時代になっている。
もはや白黒フィルムの時代ではないだろう。
すでに白黒フィルムの実用性は失せている。
それに固執するとは・・・・偏屈。
心の柔軟性が失せた証拠かもしれない。
後戻りはできなくとも、チャレンジはできるはずなのに。
朝、残っていたフィルムで、
ホテルの外にでて、ぼんやりと台湾最後の写真を撮っていた。


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- 2018/11/14(水) 07:17:09|
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午後4時頃には ホテルに戻り、
6時半ロビーで待ち合わせして結婚式会場へ行くという。
その間の観光、搭乗員は沢山の場所を見せたがる・・・
老体には忙しい観光旅行になった。
妻は、ほとんどバスの中で待っていた。

高雄に在った城の城壁跡。


湖のところで休憩し、ドラゴンフルーツ、釈迦頭、台湾バナナを買って分けて食べた。


運河の左側、船が係留されているところが昨日の午後過ごした赤レンガ倉庫街。

中国式お寺。仏教なのか道教なのか・・・よくわからない。
金ぴか極彩色のお寺だった。
これを撮るならデジタルカラーでしょう。


このお寺、白黒のコントラストを強く出すよう撮影・現像したら・・・・
日光東照宮で森山大道がだしたトーンに近いものになったと思う。
今回は全て(Ⅰ)現像液で現像した。
- 2018/11/12(月) 09:52:51|
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結婚式は夜6時半からだという。
それまで時間があるので、妹がバスをチャーターしていた。
高雄の街を、それで巡ろうという。
メンバーは日本から参加した13人、それが50人定員のバスに乗る。
観光のシーズンではないのかもしれない。
案内してくれた添乗員は中年の日本人男性だった。

最初に連れて行かれたのは、蒋介石の別荘地だったという。
そこに建つ丸山飯店。
25年ほど前、台湾旅行をしたことがある。
その時台北で丸山飯店に泊まっている。
高雄の丸山飯店にも泊まった記憶がある。
今もホテルとして営業していて、
調度品はいいものがあり、歴史を感じるので、是非にと泊まるひとがいるが、
古くなり黴臭いので薦めないと添乗員の男性は言っていた。
池の際に搭が建っている。
ここで記念写真を撮ってくれた。

総勢13名。
若い者2名(といっても40歳過ぎ)が塔を登っていく。
若者4名を除くと、平均年齢70歳以上の団体旅行。

老人蓮、若者の背を見ているだけなので、
一念発起、散歩にカメラで足は鍛えている、若者には負けじ一緒に登る。
この塔にも・・・・登った覚えがある。
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帰ってきて、家に残るアルバムを探す。
台湾観光旅行に最初に行ったのは母親だった。
1986年11月5日~9日のスケジュールで、親戚と知り合い4名で台湾旅行している。
そのとき、高雄の丸山飯店に泊まり、同じ場所に立っていた。


この写真に写っている人は全てもうこの世にいない。
母は、孫娘が、台湾の高雄に住むとは想像しなかっただろう。
その息子・娘の世代も、既に70歳を過ぎている。
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1993年の夏、家族旅行で台湾を旅行した。
娘は当時中学生になっていた。
一種の反抗期だったかも。
誘ったが家にいるという。

丸山飯店に泊まり、

この塔にも登っている。
記録として撮るならカラーがいいと思う。
一緒に行った人に写真をプレゼントするなら断然カラー写真となる。
素敵なレストランの料理の写真を、白黒で撮って見せても、
そのおいしさが伝わることはないだろう。
なんで、白黒フィルムの写真に拘るのか?
時々、自問しています。
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姪と息子 年齢的には近かったので、子供の頃はよく遊んでいた。
その姪が10月 台湾で結婚。
その息子も11月下旬に結婚する。
親戚・縁者が集まったら70歳以上になっていた。
世代交代が迫ってきている。
- 2018/11/11(日) 11:53:11|
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午前中の台湾新幹線に乗り、最南端にある高雄市へ移動。
ホテルに着くと、慌しくチェックイン。
姪が結婚相手を連れて、ホテルのロビーに現れる。
結婚相手は、台湾鉄道に勤める公務員。
現在、高雄の街にも地下鉄が走り、その一駅で駅長を勤めているという。
全員にパスが手渡された。
彼が先導し、地下鉄、路面電車(トラム)を乗り継ぎ、港へ行く。

日本統治下、物資の集積所として栄え、港は繁栄、軍港でもあったという。
赤レンガの倉庫を改造し、今はショッピングを楽しむ地区になっている。
横浜の赤レンガ倉庫街のような感じである。
土曜の休日、人が沢山でていた。


広場の公園には屋台がでて、お祭りのようだった。
お箸を使うので、違和感はまったく感じない。(外国とは思えない)

ハンドメードの商品を並べ販売している。

外壁をさりげなく補修している。
年代感はある。
そんな場所がやはり撮影のバックにはいいのだろう。

店の中に入れば、内装は日本の横浜赤レンガ倉庫街と変わりはない。おしゃれである。


なかなか個性的。
もう少し近づいて撮影したかったが・・・・
客を待つ視線なので、秒撮でも難しい。
中国的というよりアメリカ風、
違和感なく風景に溶け込んでいる。
台湾の人の心は、もう一党独裁には、戻れないだろう。
(戦後、大陸から来た蒋介石率いる国民党政治は、独裁で、今の北朝鮮並だったという。勿論そう言うのは 国民党が来るより前から台湾に住む中国の人。蒋介石と一緒に来た人はそうは言わないでしょうが・・・蒋介石と一緒に来た国民党の人も少なくなり、時代は変わっていく。日本軍と戦った国民党軍の人も少なくなり、親日的になってきている。)

高雄の港は軍港なので写真は撮れないだろうと思っていたが、
思い違い、自由に撮影できる。

高雄市民の憩いの場所になっていた。
- 2018/11/09(金) 10:39:14|
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夜 台北の夜市へ行く。
夜店が発祥、ハレの日以外も開かれるようになり、日常化、
いまや観光地化したのかも知れません。






すこし綺麗に撮れた写真を選んでいる。
写真の撮り方、選び方で印象を変化させることもできる。
写真は、見たことの正確な記録と思われているが、個人的な偏見も混ざること 致し方ない。
写真は、写真を読み解く人の、
見識、品格、教養に左右されるものだと思う。
この夜市、アメ横よりもっと雑多で、雑然とし、日本の祭りの夜店の雰囲気も残っていた。
- 2018/11/08(木) 10:17:43|
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