場所は下神明の駅に近い。
傍を新幹線が走る。
逆光だが、太陽の光が直接レンズに入らないように構図を取り撮影した。
戦前のフィルムは まだ発展途上、乳剤層が厚く、解像度は60~80本/mmだった。
そのときツアイスのレンズ性能は高く、ゾナーの解像度は150本/mm程度はあった。
フィルムの性能が向上し、
ようやく ツアイスのレンズに追いついてきたということだろう。
戦後 コンピューターの発達で、煩雑な(手間のかかる)計算が容易になった。
コーティング技術の発展、レンズに使用する硝子の種類も増え、
レンズ設計技術は飛躍的に向上している。
しかし、可視光を使う限り、解像度には限界がある。
可視光の波長は0.35~0.64ミクロン
赤い光、0.64ミクロンを識別するには
その2倍の波長(1.2ミクロン)が解像度の限界だろう。
これは830本/mmに相当し、写真用レンズの設計限界になると思う。
物理的には解像度7ミクロン程度(150本/mm)のレンズでも、
デジタルカメラに内蔵された画像ソフトが自動的に鮮明化(エッジを出し、シャープ化している)するので、
物理限界以上の2500万画素とか3000万画素の画像を生成している。
(NEX-5に60年以上前のオールドレンズをつけて撮影したが、極めてシャープな画像を得ている。)
150本/mmのレンズでも、画像処理を施せば300本/mmのレンズに変身か?
デジタルには、うまいこと「だまされている」のではという ちょっとした不信感がある。
人工衛星から地表の画像を送ってくるが、そのまま見たのでは、地表に何が写っているかよく分らないが、
コンピューターによる画像解析で生成した写真の解像度は0.5mまでアップするという。(軍事目的だろうが・・・)
その写真ならば、地表になにがあるか判明するという。
画像処理のアルゴリズムはプログラマーの技量であって、撮影者の技量にはならない。
ここに人間の介在する所は少ない。
見たいものを、望むように自動で生成してくれる。
すごい時代になったものだ。
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2023/09/30(土) 18:59:53 |
新幹線の見える街 品川
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1937年5月6日、ドイツの飛行船ヒンデンブルグ号が、
米国レイクハースト海軍飛行場に着陸するとき、爆発炎上する事故があった。
着火の瞬間は船尾付近だった。
ムービーはそのとき船首付近を撮っていて、気づいたときには炎上していた。
たまたま カメラを持っていた若者が、着火直後の船尾を撮っていて話題になる。
その写真は 確かにすごい写真だが、撮った人を「すごい写真家」とは呼ばない。
何故なら、同様な写真を、何回も繰り返して撮ることはできないから。
すごい写真家とは、その人の個性に基づいて、常に何かを感じさせる写真を撮ることができる人である。
(What a great photographer does it they're constantly able to make something in s style that's personal to them selves. by Ken Van Sickle)
6月3日、臨時列車「カシオペア紀行」が栃木県矢板市を通過中、
その姿をカメラに撮ろうと、鉄道ファンが詰めかけていた。
特別な列車で、滅多に走るものではないようだ。
誰よりもキャッチーな写真が撮りたいと、
3名が線路に入り、列車は緊急停止したというニュースがテレビに流れていた。
デジタルカメラの発達により、誰もが美しい写真を撮ることを可能になり、
誰でもちょっとの練習で、決定的な瞬間を捉えられることができるようになる。
個々人の個性に従った何かを感じさせる写真は埋没していく。
一億総Photograperの時代、「いいね」こそ評価の基準。
お洒落な写真、すごい写真、面白い(演出を含めた)写真、キャッチーを狙った(あざとい)写真が氾濫する。
後先考えず、「いいね」の写真を撮りたくて、線路にまで入ってしまうことになる。
「撮り鉄」ということで問題にしているが、
ほかの所でも(観光地など)似たことは、起きていると思う。
昔から(フィルム時代)の鉄道写真ファンは、今どうしているのだろう。
農道で列車を待つ集まりのなかにもいたのだろうか?
それとも、苦々しい思いで 現場には近づかなかったのだろうか?
2023/06/13(火) 12:42:57 |
新幹線の見える街 品川
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新幹線が通るようになって、もう60年ほど経つ。
生活に溶け込み、誰も気にとめることはない。
まだ、桜は咲いていなかった。
東京の開花(靖国神社)は20日ごろだったろうか・・・・
目黒川沿いの桜は ややそれより遅い。
川より少し上った斜面なので、川沿いより少し早い。
ほぼ満開に近い。
あっという間に散り、青葉になっていた。
大崎ガーデンシティの横を、新幹線は走る。
数分待てば、列車が走っていく。
ちょっと待てばいい。
桜と新幹線、一緒に撮らない手はないと、シャッターを切った。
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散歩すれば、新幹線の走るのを見る。
それを見ると、咄嗟にカメラを構え、撮ってしまう。
撮ったところで、また同じようなもの・・・と思いながらも、
条件反射のようにシャッターを切ってしまう。
撮り鉄と呼ばれる人は、明快なテーマを持っている。
何を撮るか、どう撮るか、ふさわしい場所は、時刻は・・・・撮影対象を決め、ブレることはない。
単に写真を撮って楽しんでいる小生に、明快なテーマがあるかと言われると・・・・
口ごもってしまう。
何がテーマだろう?
内的な必然に突き動かされて、シャッターを切っているわけでもないようだ。
フィルム写真が好きなだけだろう。
動機は脆弱かなぁ。
強いて言うなら単に面白いから。
「小生の写真のテーマは○○です。」と言った瞬間、
なにを格好つけて、嘘だろうと心の底で呟いてしまう自分がいる。
たかが写真、されど写真と心の中で呟きながら、遊び、
そしてフィルムを浪費している。
2023/05/22(月) 12:06:18 |
新幹線の見える街 品川
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戦前のドイツ、ツアイス社のContaxⅡカメラ用 Sonnar T 50mm F:1.5 レンズを
戦後になって日本で作られたNikon SPカメラにつけて使っている。
写りに遜色はなく、現役として通用する一流レンズだと思っている。
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新幹線の走っているのを見つけると、撮影するようにしている。
新幹線はさっと通り過ぎていく。
特にこの場所は、タイミングを取るのが難しい。
幾度となく通る道。
いつかは 「これだ」 というショットが撮れるだろう・・・と淡い期待をしている。
むしろこの場所のほうが、列車の音が聞こえてくるので、シャッターチャンスを掴みやすい。
居木橋から新幹線の列車を撮るのは初めてのことだった。
新幹線の列車を見ても、当たり前の景色で、余り関心を向けなかった。
たまたま、山の手線と並走していたので、シャッターを切っていた。
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江戸時代、江戸の入り口、品川宿の近くに東海寺という大きな寺があった。
上野の寛永寺と同じく、徳川幕府の寄進によって建立された寺院。
西から攻めてくる敵に対する城郭の意味もあったと思う。
明治になると、寺領は新政府に没収され、
今はその中の塔頭の一つ(玄性院)が東海寺を名乗っている。
明治新政府にとって、この一帯は使い勝手のいい場所。
品川神社の近くには板垣退助の墓があるし、
大山墓地には、日本鉄道の父と呼ばれた井上勝の墓がある。
今は、その墓の左を、新幹線、横須賀線(品鶴線)と山の手線が走り、
右を京浜東北線、東海道線が走っている。
「鉄道の父」の墓にふさわしい場所だと思う。
数年前、その場所の前に、
昭和の歌姫、島倉千代子の墓が設置された。
以来、献花の絶えたことはない。
「鉄道の父」は忘却の彼方へ消え、
今は、昭和の歌姫の前に弔いの人が集まるが、
歌姫を知る人も少なくなっていく、
また20年も経ったら、この風景も変わるのだろう。
進歩が全てと時代は進む。
写真フィルムメーカーも淘汰され、
記録はデジタルデータに集約されるようになるだろう。
デジタルデータの保存性、意外ともろい、大丈夫だろうか?
2023/03/06(月) 18:33:33 |
新幹線の見える街 品川
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マガジンにつめたTRi-Xフィルムが2つ冷蔵庫に残っていた。
既に期限は切れているが、冷蔵庫の中なので充分使える。
一つはKievⅡ(ContaxⅡ) もう一つはNikon(FとSP用)のマガジンに詰められていた。
TRi-Xの長巻フィルムは、価格が高くなりすぎた。
他社フィルム並みに下がらないと、今後も購入することはないだろう。
最後と思うと、感慨は深い。
ずっと使い続けたフィルム・・・・癖は判っているつもり。
白黒のコントラストを強調(硬調)できるよう、露光を一から二絞り切り詰めて露光した。
(A)現像液を使い いつもより50%現像時間を押した。(延長)
今後 この(A)現像液を 使うことはないだろうと思う。(Retro400Sで使うことは可能だが・・・)
新幹線の高架線の下には りんかい線、湘南新宿ラインの線路が通っている。
右へいけば すぐに大崎駅のプラットホームになる。
背後には 山手線の鉄路が走る。
撮影場所は、三方を線路で囲われた三角の中にいることになる。
幼い頃、この地点には、地上の踏切をわたって 歩いて来たが、
いつしか、歩道橋が架けられ踏み切りは閉鎖された。
その歩道橋も 掛け替えられ2代目(あるいは3代目?)になっている。
踏み切りは廃止されても、
JRの職員が保守用に、時々ここを通っていたようだ。
今は、完全に閉じられている。
その時の名残だろう。
役割が終われば、廃止され、次のものに代わっていく。
TRI-Xの栄光はもうない。
イルフォードのフィルム、いいと思うが・・・少し高い。
使うフィルムは ヨーロッパ系のフィルムに 代わっていく。
しかし、やがてデジタルの流れに巻き込まれ、フィルムも消失する・・・・その覚悟はできている。
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フジのアクロスフィルムが販売中止になるという。
これで 国産の白黒フィルムはなくなる。
ネットで探していたら、B&Hというネット通販で、長巻フィルムを扱っているのを発見。
イルフォードやコダックを扱っているらしい。
Kentmereや、イルフォードのPAN F ,FP4 ,Deltaの100フィート長巻が、日本の輸入業者より安い値で販売されていた。
残念ながら、ヨーロッパ大陸のフィルムは扱っていないようだ。
でも まだ探せば フィルムを手に入れる道はあるということだろう。
感光する材料を発見し、
感光材料とカメラを作ったのは欧米の開発者たち。
写真を撮る、記録するという行為に、彼らの文明に根ざした写真文化が、根付いているのだろうと思う。
後追いの日本は、ついにカメラの生産の中心になったが、
デジタルなれば、その波に乗り、デジタル一辺倒へ。
フィルムは忘れ去られるだけ。
ついに日本に、白黒フィルムを生産する会社はなくなった。
彼ら西洋文明の底流には、Photographを作るあげる精神が流れている。
Photographを「写真」と理解し、技術に邁進したのが、日本かも。
カメラ産業は 盛んになったが、彼らの精神までは掴めなかったも知れない。、
欧米のカメラ愛好家、フィルムを使い続ける人は多いようだ。
欧米では、今後も白黒フィルムを作り続ける会社は残るだろう。
そんな希望的観測をしている。
2018/07/19(木) 13:28:58 |
新幹線の見える街 品川
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