レンジファインダーカメラを使っている。
もう50年以上の長い付き合い、体に馴染んでいるのだろう。
ミラーレスカメラも所有している。
購入し2,3年 使っていたが、
今となると、それを手にして積極的に撮ろうという気になれない。
なにかの記録になると思った時、使用する程度。
ミラーレスデジタルカメラに飽きたのだろうと思う。
シャッターを切ると、何かしら綺麗に撮れてしまうから。
一眼レフカメラ(フィルム)も持っているが、
どういうわけか、レンジファインダーカメラを手にする。
一眼レフカメラは 確かに35mmフィルムカメラの完成形だと思う。
しかし重いし、目立つ。
小生の購入したNikon Fは1965年頃、
まだ職人が一台一台組立てていた初期型。
F型カメラを知っている人(評価できる人)はまだ多い。
筆記具に喩えるなら万年筆のようなもの。
モンブランがいい、シェーファーだ、ペリカンが好いという人、いや国産のセーラーだ、パイロットがいいと
その中のお気に入りの銘柄を唱える人もいる。
そんなカメラの初期型をぶら下げていると、驚いて注目されてしまう。
それより古いレンジファインダーカメラを知る人は、
もうごく僅かになっている。
筆記具にたとえるなら「筆」のようなもの。
筆の見比べなどできる人は、もうごく僅か、
骨董品カメラの類い、
綺麗には撮れないだろうと 思われていると思う。
骨董カメラ好きが なにか撮っているなぁという認識だろう。
その程度がいい。

でもレンジファインダーカメラの最短距離は90cm程度。
クローズアップ写真には不向き。
望遠レンズも135mmがほぼ限界。
現代のデジタル一眼(ミラーレスもふくめ)と比べたら、
画質、感度、即時対応、撮影枚数など 求められる項目全てで 劣っている。
でも、愉しさだけは フィルムカメラのほうがいい。
カメラに使われるか、カメラを使うかなら、
使うほうが 精神的に自由でいられる。
「使うカメラ」だと思うから、古いレンジファインダーカメラを使っている。
この被写体、もう少し近づいて撮りたいので、
Nikon Fに Nikkorの35mmか24mmのレンズをつけて、撮ろうと思っている。
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- 2023/11/21(火) 12:16:48|
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ドイツのアグファ社とベルギーのゲバルト社は合弁しているので、
Retro80Sフィルム、どちらの製品か よく分らない。
しかし、どちらの部門であれ、技術開発力のあるフィルムメーカーの製品だと思う。

カメラは、日本光学製 Nikon SP.を使用。
そのカメラにドイツ・ツアイス社製のSonnar T 50mm F:1.5 レンズ 1939年製をつけて撮影した。
戦前のレンズでコーティングが施された初期のレンズだと思う。
最小絞りはf:11。
しかし、絞るとイメージサークルは小さくなるので、
とくに明るい空を入れて撮ると、四隅が欠られたようになる。
絞りを開け、f:5.6より小さくすると、イメージサークルは広がり、欠けることはなくなる。
コンタックス用に開発された明るいレンズで、開放絞りf:1.5だった。
初期のレンズは 最小絞りf:8で f:1.5
その後改良され f:11、更に後期(戦前の)ではf:22が最小絞りになる。
ゾナータイプではf:1.5が限界だったようで、それ以上明るいレンズは出していない。
それが 旧ツアイスの技術陣の結論だったようだ。
戦前のレンズと侮ることはできない。

本堂の屋根の上に鳩が5羽とまっていた。
ピクセル等倍まで拡大し確認すると、しっかりと姿を捉えていた。
Retro80Sフィルムは戦後になって開発されたポリエステルに
赤外部まで感光領域を広げた乳剤を塗布している。
銀粒子は細かい。
現像液を選ぶと、粒状感を余り感じさせないネガになる。

中景の部分を拡大すると、キリッとした精細感は余り感じないが、
それでも人の表情は判読できる。

近景もディテールはでている。
戦前 既に解像度は高く、コントラストのあるレンズが生産されていたことに驚く。

暗い部分を拡大、黒潰の具合をチェック。
現在のレンズに比べたら、レンズ性能は劣るだろうが、四つ切り、半切程度までの引き伸ばしなら、
気になるようなプリントにはならない。、
写真を楽しむのなら、レンズの解像度、シャープさ、
フィルムの粒状感、トーンの広がり、これで充分だと思う。
デジタルカメラなら、2000万画素、4000万画素が 当たり前だろうが、
そんな高画素を欲しがるのは、仕事で大画面のプリントが必要なプロの写真家だけだと思う。
パソコンのモニターだと200万画素程度。
4Kモニターで約800万画素 8Kでようやく約3300万画素。
大型の液晶モニターで 写真を楽しむとしても・・・1200万画素もあれば充分ではないだろうか?
高性能なデジカメと、最適化したデジカメ用レンズを何故求めるのか 小生にはよく分らない。
デジタルカメラは 12年前に購入したSony NEX-5 を持っている。
それで充分。いまでも満足して使っている。
これ以上のスペックのデジカメ 必要だろうか?
遊ぶなら フィルム写真だとおもう。
- 2023/09/18(月) 23:00:30|
- レンズの眼、カメラの眼
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1900年、ツアイスによってテッサーレンズは開発された。
3群(トリオーター)4枚の簡単なレンズ構成だったが、
「鷹の目」と喧伝されたほど、シャープな写真が撮れた。
しかし、テッサーのレンズ構成では、明るいレンズを作るのは無理だった。
明るいレンズにするためには、空気と硝子の境界面が少ない方が有利である。
ツアイスは4群構成のダブルガウス(プラナータイプ)を選ばず、
3群レンズの発展形、ゾナータイプを開発する。
ライカは、テッサータイプのElmar 50mm F:3.5を、
明るいレンズとしてダブルガウスタイプのSummar 50mm F:2を製造する。
古いElmar 50mm F:3.5とTessar 50mm F:3.5の撮り比べしたことがあるが、
小生には違いは分らなかった。
どちらも優秀なレンズであることには変わりない。
Sonnar 50mm F:2とSummar 50mm F:2の撮り比べでは、画質に差はでた(特に絞り開放近くで)。
小生の好みはSonnar 50mm F:2のほうだった。(Summarも優秀なレンズです)
戦前、キャノンの求めに応じて、
ニコンはライカスクリューマウント用Nikkor 50mm F:2を供給している。
おそらく、そのレンズが手に入ったら、ライカのSummar 50mm F:2と撮り比べ
Nikkor 50mm F:2(ゾナー)の優秀性は認識されると思う。(そんな物好きは居ないと思うけど)
今回使うSonnar T 50mm F:1.5は1939年に誕生したもの、
小生より年老いた眼だが、コーティングが施されている。
オールドレンズの眼に輝きはまだ残っているか、探ってみた。

Retro80Sフィルムの特性で、赤い色は明るく写る。
椿まで、距離は約1.2メートル、オールドレンズとはいえ、しっかり捉えている。

f:1.5の開放絞りにするためR2フィルターをつけた。
距離はビルのアンテナに合わせた。
約20m。
空は暗く落ち、雲が明るくでる。

樽のワインの瓶に焦点を合わせる。
距離は約11mだった。

ヘッドライトにピントを合わせる。
約5m。

真ん中の花キャベツの葉の先端にピントを合わせた。
距離は最短の0.9m。
被写界深度は浅いが、ピントは合っている。
Nikon SPとツアイスのゾナーレンズとの相性はいい。
老眼といえど、侮れないと思う。
戦前は 高価なレンズ、お金持ちしか手にできないレンズだった。
オールド・ライカレンズより需要は少ないのだろう、
今は、中古市場でかなり安く買い求めることができる。
当時 すでにレンズ設計の基本は完成していた。
ただし選べる光学硝子の種類は少なく、
また、一つの光線の軌跡を計算するにしても、煩雑な計算を手計算でしなければならなかった。
その中で、ゾナータイプを見つけたのは、すごいことだと思う。
今は、光学硝子の種類も豊富にあるし、
コンピュターの計算速度は驚異的に速くなり、
計算の人手は、殆どかからない。いくらでも再計算し、最適化できる。
レンズの収差を抑え、高解像度、高コントラストの画像を得ることができるようになった。
コシナの製造したS-Nokton 50mm F:1.5は、
ゾナータイプでは取り切れなかった収差をほぼ解消していた。
いいレンズだと思うが、それだけでは面白くない。
感動しないのだ。
綺麗に撮れれば、それでいいじゃん・・・・と言い切れないものを、
オールドレンズに感じる。
この時期のゾナーは、
マイスター眼によって、
硝子の塊のどの部分を削るか判断し、削りだされ、磨かれ、
マイスターの手によって丁寧に張り合わされ、
組み立てられたレンズ。
そこにマイスター達の手のぬくもりを感じる。
古いレンズは、おろそかにはできない。
そのレンズで、フィルム写真を楽しむのも、
醍醐味の一つではないだろうか?
- 2023/03/18(土) 12:30:36|
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「標準レンズ」という言葉は、今はなくなったが、
最初の35mmフィルムカメラ、ライカが作られたとき、
エルマーの50mmレンズが採用されていたので、
それから35mmフィルムカメラでは、50mmレンズを標準レンズと呼ぶようになる。
レンジファインダーカメラから一眼レフカメラに変わっても、標準レンズは50mmレンズであり続けた。
カメラを購入すると50mmレンズが付いているのが普通だった。
それより短いのを広角、長いのを望遠と呼んだ。
「望遠は技術で、広角は度胸で撮る」
そんな言葉がまことしやかに語られていた。
小生の場合、技術も度胸も無いから・・・標準レンズかと、
50mmのレンズで撮った写真が一番多い。
特に望遠レンズには、苦手意識がある。
人物写真を撮ることが少ないからかもしれない。
今回久しぶりに、135mmの望遠レンズを使ってみたが・・・
やはり難しかった。
本を読むとき、凝視した文章をくっきり見える範囲は意外と狭い。
周辺部の文字は崩れてぼんやりとしてしまう。
135mmの画角は、そのくっきりと見えている範囲に近いと思う。
面白いなぁと思った被写体を探す。
ところが脳は、それ以外の部分も「くっきり」見えているような錯覚を起こす。
ファインダーを覗き、フレーミングするが・・・・こうだったか?と戸惑ってしまう。
また、被写界深度が思いのほか浅い。
フィンダーは窓のようなもの。
全てがくっきり見えている。(一眼レフカメラと違い、ボケをチェックできない)
ピントは、中心の二重像部分を一致させることで合わせる。
それを怠ると、ピンボケ写真になる。
被写体に縦の文様が入る草花や木の枝に合わせるには細心の注意が必要。
奥にある草花や、前にある枝に合わせたら、被写界深度を外れ狙った写真はピンボケになる。
望遠レンズを使い撮影し、帰ったきて現像しネガをチェックすると、撮影技能のなさを痛感してしまう。
ピント合わせを慎重に行わないと、ピンボケのカットが増えていく。
f:4の絞り開放で撮ってみた。
ピント合わせを慎重に行い、手振れ防止を意識してシャッターを切れば、
どうにか画像はOKとなった。
あとは被写体の発見と、フレーミング(切り取り方)の練習が必要だろう。
苦手意識を、払拭したいと思っている。

ピントリングをほんの少し回しただけで、二重像は微妙に合わなくなる。
白黒のコントラストがハッキリした窓の白枠を選び、慎重にピントを合わせた。
距離は11mを指していた。
被写界深度は10m~13mぐらいだろう。

横から陽の光が入っていたので、ピントは合わせやすいほうだった。
距離は15mほど、被写界深度は14m~18mくらいだろう。
わんちゃんの後ろ足の少し前から、白い道路標識のポール辺りまでが、ピントの範囲になっていた。

このポンプは Sonnar T 50mm F:1.5でも、ピントチェック用に撮っている。
暗い場所にあるので、露光は、f:4で1/60秒だろうと思った。
手振れが怖かったので、足場の平らなところまで下がり、
膝をつき、体を固定してシャッターを切った。
ポンプのフランジにピントを合わせた。距離は1.8mだった。
被写界深度の範囲は10cmもないと思うが、ピントは合ったと思う。
50mmの標準レンズでスナップを撮るときはこんな苦労はない。
絞りf:8、距離を5mで固定しても、撮りたい被写体はほぼ被写界深度内に入ていることが多い。
ピント合わせに苦労することはない。
広角レンズなら、距離合わを省略し、目視で距離をきめて合わせてもOK。
5mとか3mに設定して撮ることが多い。
レンジファインダーカメラだと、ピント合わせは、135mmが限界だと思う。
たしかに望遠は難しい。
「望遠は技術で撮る」を納得する。
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祖父が見ていたアサヒカメラが何冊か(奇跡的に)残っていた。
1950年代のカメラ雑誌、それを見ていたら、当時はまだブローニフィルムを使うカメラが主流で、
35mmカメラで撮ったものは少なかった。
35mmフィルムカメラで撮った作品を見ると、
一番多いのは、プロ・アマ問わず35mmの広角レンズで撮ったもの。
当時なら超広角とも云える28mmレンズで撮った写真が一点あったが、これはプロ写真家の作品だった。
次に多いのが、50mmの標準レンズ。
広角:標準:望遠で分けるなら、50:30:20くらの比率だろう。
アマの使う望遠は、主に80mmとか85mmで、135mmレンズは一点のみ。
プロは、万遍なく使っていた。中には200mmとか150mmのレンズを使っている写真もあった。
レンジファインダーカメラに、専用のレフボックスをつけて使っている。(35mm一眼レフの原型のようなもの)。
日本写真の黄金期は1965年~1975年だろうと勝手に思っている。
一眼レフカメラの時代に入り、カメラメーカーの黄金期でもあった。
1950年代のアサヒカメラには、
プロの作品でも、カメラ、レンズ、フィルム、絞り値、シャッター速度を開示し、記載したものが多くあったが、
この時代に入ると、それらの記載は無くなり、不明となる。
でも明らかに超広角レンズを使った作品が多くを占めていた。
アマチュアの作品には撮影条件を記載した伝統は残っていた。
調べると(1971年頃の雑誌)、圧倒的に広角レンズを使ったものが多くなっている。
広角レンズの中心は28mmレンズになっていた。
超広角レンズ16mmとか21mmを使った作品も出てくる。
広角:標準:望遠で分類するなら、75:10:15 あたりではないかと思う。
望遠の135mmは少なく、200mmが中心で、中には500mmで撮ったものもあった。
一眼レフなら、望遠レンズのピント合わせ、どうにかなりそう。
Nikon F用の望遠レンズは105mm F:2.5と 180mm f:2.8を所有している。
105mmレンズは、時々、思い出したように使うが・・・・
180mmレンズは、殆ど戸棚にしまわれたまま。
いいレンズだと思うが、大きくて重い。
ペンタプリズムのNikon Fが目立つのに、
そこに大きな180mmレンズをつけると余計目立つ。
でも、今年、もう一度使ってみようかという気になっている。
- 2023/03/15(水) 12:26:59|
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目黒区碑文谷の清水池公園は、立合川源流の一つ。
公園の古木を撮ってみた。


カメラは1951年製のKyivⅡ、レンズはコシナ製S-Nokton 50mm F:1.5、
Retro80Sフィルムを使い、やや硬調な現像液(Ⅲd)を使用した。
写真表現は、どんなカメラを使うかによって変わる。
選んだレンズによっても変わる。
使うフィルムによっても変わる。
現像液によっても変わる。
でも、画像表現が、一番変わるのは、撮っている人間のはず・・・・
撮った時は傑作が撮れたとウキウキするが、
家に帰り、現像し、画像を確認すると、
これで良かったのか、といつも自問してしまう。
切り取りかた(フレーミング)が適切っだったか?
フィルムのトーンが合っていないなぁ・・・
軟調現像液がよかったか・・・
光が入るのを一呼吸待ったほうがよかったかと、
判断はふらつき、一番頼りない。
デジタル映像は0,1の数字でできている。
コンピューターの申し子、膨大な画像データ処理も高速に行える。
この頃はAIで小説を書くソフトも公開されているという。
デジタルカメラに組み込まれた画像生成プログラムにも、
既にAIは入っていて、綺麗な画像を生成するようプログラミングされているのだろう。
AI技術の進歩は激しい、
もうすぐネット上の人工頭脳(AI)と対話すると、AIがカメラの設定を行い、「あなたはボタンを押すだけ」にしてくれる。
あとはカメラにお任せ、その人が望む品質の写真を撮れるようになるだろう。
そうなれば、「これでよかったか」と自問することはなくなるのだろうなぁ。
- 2023/02/28(火) 14:54:51|
- レンズの眼、カメラの眼
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