東京へ戻る日、朝早く目覚める。
フィルムは昨日、全て使いきった。
でも、まだ(撮り)足りない。
この街をもっと記録しておこうといういう気になる。
デジタルカメラを取り出していた。

独り寝です。

夜半の雨は上がっていた、雨雲が空を覆っていた。
コントラストをあげようとHCB&Wモードにして撮影してみた。
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11時に迎えの車が来る。
それまで まだ時間はある。
朝食をとると、すぐに街をさまよっていた。


夾竹桃の花でしょう。種類が少しちがう? こちらのほうが花の形は綺麗に思える。(小生の感想にすぎませんが)


ホテル脇の公園で、散髪の会。毎月16日 8時から11時と書いてある(らしい)。
「公益活動」の文字もある。おそらく無料なのだろう。

東野圭吾の小説は中国でも人気があるようだ。

こういう掃除の仕方もある。合理的というべきか、気にしないというべきか。
朝なので公設市場は開いているだろうと、市場の方向へ足を進める。





市場に足を踏み入れる。

こういう光景を見るとなぜかほっとする。




運河沿いにぶらぶらと散歩。

公園の一角にお茶を飲む部屋が設けられている。


もともとは 大きなお寺があったようだが、今は公園になっている。
ここで朝の散歩は終了、ホテルに戻る。

蕭山国際空港にて。
あの飛行機に乗って帰国した。
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10日間の旅。長いようで短かった。
持ってきたフィルムは7本、急かされるようにシャッターを切っていた。
今、反省している。
「グッときたら、バシャとシャッターを切る。」
「いいなと思ったら、直感で撮らなけりゃ。」
などと言われてしまうが、才能がないので、そのような撮影はできない。
急かされたら駄目。
冷静に対象を見つめ、動き回り、最良の光を読み、フレーミングし、シャッターを押す。
それが、小生の撮影スタイルらしい。
もうすこし、冷静にならなければ・・・と思う。
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寧夏回教自治区では、昔会ったことのある人に 何人も会うことができた。
1994年北京空港で会って以来 付き合いのある董事長の会社を訪問でき、
親交を暖めることができたのは、一番の喜びだった。
2001年に工場調査で訪れた江蘇省の農薬会社の技術者と、
会議で同席でき、宴会の席で強い茅台酒を酌み交わした。
2002年頃だったか、娘子関の工場を訪問したとき 会った工場長にも、寧夏のさる工場で再会する機会をえた。
小生にとっては、同窓会のようなもの。
この地域の根幹は地下資源。
今の産業の形態では、問題は山積みだろう。
今後、この地域の産業がどのように発展していくのか、もう少し見つめていきたい。
Alchemistとして。
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- 2017/06/18(日) 13:11:51|
- 遥かなる寧夏
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カメラの中にはまだフィルムが残っていた。
明日には東京に戻る。
見るだけは見て、撮っておこうと、蕭山の旧市街地を散歩した。

地下鉄の改札口を抜け、地上へのエスカレーターに乗る。

そして、人民路の道を行く。
手にはスマホ、乗り物は電動バイクが増えている。
ごく普通の蕭山の住人。
電動の乗り物は自転車扱いか、ナンバープレートはない。
以前見かけた、エンジン式のオートバイは見かけなくなった。(ナンバープレートはついていた)


インパクトのある対象を撮ったからといって、その写真がインパクトあるものとは限らない。
対象におんぶに抱っこ、只それだけか?と馬鹿にされる。
撮影者の見識はどうだ?と写真は常に見る人に試されている。
「せっかくいい対象にでくわしたのに・・・」

まあ、せいぜい旅の記録。

蕭山旧市街地の、このときの雰囲気が すこしでも記録できていれば御の字だろう。
- 2017/06/17(土) 10:00:29|
- 遥かなる寧夏
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蕭山国際展示場から見た風景。
一帯は蕭山の新市街地になっていた。

2022年 アジア大会は杭州市で行われる。会場の建設が始まっていた。
しかし、ほとんど人影はない。
機械怪獣が自分の巣を作っているような奇妙な感覚を覚えた。

既に完成した体育館。
今、バスケットの試合が行われている。

更に右を見ると、広い公園と、その先に新市街地のビル群が広がっていた。
セントラルパークから眺めたニューヨークのスカイラインに似る。


大きな国際展示場を作ったものだと思う。
国際展示場・・・あまり行ったことはない。大きいのか、普通なのか 判断もつかない。
横浜のCP+会場に使われている会場より大きいだろう。
イタリア ミラノの国際展示場も大きかったが、周りに広々とした緑の空間はなかった。
いま、地下鉄の建設が始まっていたので、(もうすぐ完成か)周りにレストランや宿泊設備が整ったら、
国際展示場として一級のものになるだろう。

去年(2016年)ここでG20の国際会議が開かれた。

屋上には庭園があった。


貧富の差、格差は広がっている。これが平等社会を目指した革命だったのだろうか?
革命のコンセプトは変質し、今は、チャイナ・ドリームの時代になっていた。
激烈なビジネス競争を中国で見た。
学習意欲は高い。
友人の息子はまだ小学校3年生、学習塾に毎日通っているという。
勉強し、高い学歴を得る。そしてあわよくば起業する。
鶏口牛後の精神は強い。
この子も、その戦いに入っていくのだろうか?
- 2017/06/16(金) 10:39:56|
- 遥かなる寧夏
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中国滞在最終日、杭州市蕭山区にある国際展示場見学をした。
前年 ここでG20の国際会議が開かれた。
展示会や国際会議がないとき、入場料を払えば、なかを見学できるようになっていた。
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シャッターを切ったとき、アウグスト・ザンダーの人物写真を思い浮かべていた。

なにかが・・・・撮れたと思った。
中国では普通のどこにでもいる夫婦かもしれない。
このシチュエーションで、この笑顔。
着ているもの、スマホを構える人を見るまなざし・・・・興味が尽きない。
どこから来たのだろう?
スマホでとろうとしている人との関係は?
いろいろな連想が、駆け巡る。
今の中国の現実が、ここにぎゅっとここに詰まっている・・・・
もし、中国語ができ、声をかけ、写真のモデルになってくれるよう頼めたら、
もっと確実に その一枚を撮れたかもしれない。
人物写真を撮る・・・・こころざしがないとできるものではないだろう。
腹に一物なければ、スナップ写真だって、甘ちょろいものになる。
アウグスト・ザンダーの撮った人物写真は、時の権力機構 ナチ党に睨まれてしまう。
国策にそぐわないと思われたのだろう。
ごく普通のドイツの人を、全体を網羅するよう選び、撮影。
綺麗な女性が写っているわけでも、誰もが知る有名な人物が写っているわけでもない。
一見なんでもない農民のポートレートにも、人間の尊厳/存在感を感じる。
一枚一枚の写真、見ていても見飽きない。
これが、今のドイツの人たちだ。それを正確に記録するのだというこころざし/覚悟がある。
「世界に冠たるゲルマン人」を宣伝したいナチスにとっては、排除すべき人だろう。
彼の出した写真集は発禁となってしまう。
人物写真(ポートレート)を撮るなら、
彼のようなポートレートを撮ってみたいと思えど、
覚悟も気弱な小生にはハードルは高い。
- 2017/06/14(水) 13:47:30|
- 遥かなる寧夏
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写真家の名前は知っていた。
プラハの春を踏みにじったソ連の戦車の写真を、カメラ雑誌で見た記憶がある。
その程度の知識しか持ち合わせていなかった。
3年ほど前、その写真家の展覧会が 東京であった。
すごい衝撃を覚えた。
それから、クーデルカの写真を見るようにしている。
機械としてのカメラは進歩し、誰もが綺麗な破堤のない写真を撮れるようになる。
技術的には、彼より上手な(うまい)写真をとる人は 多いだろう。
でも、彼独特の視点は、真似できない。
余人をもって代えがたい、いい写真を撮る。

THAMESA&Hudson社発行のPHOTOFILEシリーズの一冊、クーデルカに載っていた写真。
25番目の写真、1974年スペインで撮影したとしか記載されていない。
クーデルカは 「プラハの春」を阻止するため進入してきたソ連の軍隊(1968年8月)を撮影し、
匿名で西側のメディアに送る。
その後、ジプシーの撮影許可を得て西側へ出国、(周りの助言を受け)、
帰って牢獄に入る危険を避け、亡命する。
イギリスを希望するが 果たせず、フランスに亡命。
カルチェブレッソンとの親交が始まる。
この写真は、スペインを放浪し撮った一枚だろう。
1974年は、まだフランコの独裁政治が続いていた時代である。
スペイン内線は、1936年ごろ始まっているので、この老婆の年齢を60歳台と見れば、20歳代の出来事となる。
馬に乗る男たちは10歳くらいの少年だったろう。
スペイン内戦をキャパは、人民戦線(共和国)側に立ち、撮影していた。
ユダヤ系ハンガリー人のキャパにとって、祖国は危険。離れざるをえない状況だった。
クーデルカも祖国を追われた身、どんな思いで撮影していたのか・・・
2014年、それまで撮りためた写真をまとめ、Nationality doubtful という写真展をシカゴで行っている。
また、同名の写真集を出している。
クーデルカの写真にはタイトルがついていない。
撮影場所と撮影年と月しか書いていない。
なんでもない光景も、
Nationality doubtfulの旅人・クーデルカのカメラの眼は、鋭く見抜き、一枚の写真にする。
これどう?とDoubtfulな視線を投げかけてくる。
何に悲しんでいるのか? 彼の視線は常にQuestionに溢れている。
この花束はなに? どこへ行く?
馬に乗る男性二人は どこへ向かう?
この一枚の写真には、フランコ独裁政権の末期のスペインが記録されている。
単なるデーターとしてではなく、時代の精神として。
写真は、撮る人だけでなく、見る人の知性、感性も試されている。
それを感じとる感性は、その人の知性、想像力、他者への思いやり、後天的に培われたものだろう。
何も知らない人に、この写真を見せ、「どう思う?」と聞いても、判断つかない人が多いだろう。
なんだ、こんな写真、下手だなぁと 思う人だって居るだろう。
それが、写真。
小生は凄いと思っている。
そして せめて、すこしでも近づきたいと・・・思うけど。
その場に潜む精神を、意識し、カメラの眼で切り取ること、
甘っちょろく生きてきた老人には無理か。
老醜を晒すようなものかもかも知れません。




平羅の新市街地で撮ったもの。
この新市街地の雰囲気でも感じて頂けたら、いいのですが。
愧ずべくは 明眼の人を・・・・
もう一人 写真家がいた。
セバスチャン・サルガド 彼もブラジルの軍事政権に否を唱え、フランスに亡命している。
年のころはクーデルカと同じくらい 70歳後半だと思う。
二人とも体制順応型ではない。
商業資本からも離れている。
世界には 明眼の写真家もいるんだ、と思えば、それだけで、こころ強い。
写真を 撮っていこうという気になる。
- 2017/06/12(月) 12:12:01|
- 遥かなる寧夏
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