散歩にカメラを持ちだしたのは、2007年から。
それから「散歩にカメラ」のフィルムに通し番号をつける。
現在その番号は1552に達した。
16年間で1552本のフィルムを使ったことになる。
よくも撮ったなぁと、思う。
「散歩にカメラ」を始めた頃は、スナップで人の姿を撮るカットが多かった。
顔がはっきり写てしまい、現在では憚れるフレーミングになっていた。
でも、秒撮に近い撮影スタイルなので、撮られたことを気づかなかったと思う。
表情は自然体、周囲の光景に溶け込んでいる。

逆光の道のトーンを撮ろうと、しゃがんでフレーミングしていたら、
小さな女の子が、近づいてきた。
遠くにいるお母さんも、微笑んでいたので、撮影OKと判断し、
ピントを合わせた場所に来た瞬間、シャッターを切った。
いまは、こんな写真撮れないだろうなぁと思う。
16年前の写真、2歳児だとしたら、今は18歳、お母さん似の素敵な人になっていると思う。
ことしの正月、近くの小さな公園へいったら、女の子が滑り台で遊んでいた。
父親とおぼしき人がベンチに座り、スマホを操作していた。

ちょっと後ろめたいが、その瞬間、透明人間になって撮影。

小さい女の子、
この小さな公園に溶け込んでいると思う。
あと16年経ったら・・・・、
小生はこの世にはいないだろうが、
この子も18歳くらいの素敵な娘さんになっているのだろう。
(スナップ)写真の撮り手は透明人間が基本だと思っている。
~~を撮らせたら、私は上手い、経験を積んでいる。ポージングはこうした方がいいと
写真の撮り手がおもてにでてくると、自然な(素)光景が破壊されてしまう。
写真のクオリティは高いのだろうが、
ありきたりで金太郎飴のような写真だと・・・感じてしまう。
スナップで写真を撮るなら、
被写体には触れない、被写体に影響を与えないが基本。
撮り手は出しゃばるな、透明人間であるべきと思っている。
偶然だが、レンズは16年前に使用したコシナ製Nokton 50mm F:1.5を使用。
カメラがNikon SPから KyivⅡに換わり、フィルムはTri-Xから、Fomapan100になった。
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- 2023/02/01(水) 12:31:33|
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大井町へ出ると、ときたまではあるが、音楽の催し物にぶつかる。
大崎や五反田の駅前では、見たことがない。
駅前に少しスペースがあるので行いやすいのかもしれない。

個人情報保護が言われるようになり、
スナップ写真とはいえ、人の顔を撮ることは憚れるようになる。
断って撮影すればいいのだろうが、それも壁がある。
写真家、鬼海弘雄氏は30年以上浅草に通い、浅草の人を撮り続けていたが、
(被写体になってくれた人は、1000人に満たなかった?)
これはと思って、撮影の許可を取ろうとするが、時には一枚も撮れなかったという。
特に最近は、声を掛けても無視され、そのまま歩いて行ってしまうと嘆いていた。
小生に、どうしても撮りたいという強い動機はない。
もし、どうぞといわれても、撮す人も、撮される人も結果を意識し、
その人の自然さは失われてしまう気がする。
以前は、気づかれぬよう秒撮で撮ることもしたが、
この頃はしない。

路上の音楽ライブや催し物は、公開が前提なので、
邪魔にならないよう、何カットか写真に記録している。
世の中は、コロナ感染、ウクライナの戦争など、うんざりすることが多いが、
こういう路上ライブ聞くと、なにかホットする。
歌声は撮せないけど、雰囲気は(カラー写真より)伝わると思う。
プロのシンガーの「歌の力」を感じた。
このカットは85mmレンズで撮りたかった。
50mmレンズ、縦位置で撮影し、トリミングして画面を整えた。
- 2022/06/13(月) 11:08:22|
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2月の初め頃、妻の携帯に(小生の)妹からメールが届く。
ようやく孫が生まれたという。
生後間もない写真も添付されていた。
姪は去年結婚。晩婚だった。
10月になって、用事があり、妹に電話し、用件を伝えた。
返ってきた言葉が「今、孫を連れてきている」という。
書類は郵送するつもりだったが、
それではと 書類を持って、妹の家に出向いた。

今は、携帯で簡単に撮影し、
それをメールに添付して送ることができる。
確かに優れた点だろう。
「伝えたよ。こんな具合です。」と伝えられても、
それを携帯・スマホの画面で確認するだけで、
記憶に残っていけるものだろうか?
送ってもらった画像を、
プリントしてアルバムに貼る、
あるいは額に入れて飾る人
どれだけいるのだろう?
画像はメモリーに記録されているので、見たければそれを読み出せばというが・・・・
時が流れると、メモリーが壊れたり、フォーマットの違いから読み出せなくなったりすることもある。
思い入れのある写真は、
紙にプリント、あるいは印画紙に焼きつけ、
「もの」として保存するのが、一番確実だと思う。
6×9の中判カメラで撮ってる。
それをスキャナーで取り込み約7千万画素のデーターに変換。
顔料プリンターで、A4サイズの光沢紙にプリント。
印画紙なら六つ切りくらいの大きさになる。
白飛びも、黒潰れもない豊かな階調、
ぶつぶつの銀粒子は出ていない。
(モニター画面では分からない)細部のディテールも はっきり出ている。
プリントし、手に取ると、はっとする美しさがある。
これは、モニター画面ではまだ表現できないレベルのもの。
プリントし、手に取り、そして額に入れて飾る、
あるいは台紙に貼り、書棚に納める。
これが、白黒(フィルム)写真の楽しみ方だよなぁと思う。
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プリントし、表紙つきの台紙に貼り、二部 妹のもとに郵送した。
メールをチェックするが、まだ着いたとの返事はない。
別件の用事もあるので、夜にでも電話してみようかと思っている。
- 2019/11/18(月) 10:32:42|
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歳をとったのだから致し方ないだろうが、
9月中頃 妻は健康を崩し病院通い。
11月後半になってようやく快復、
それではそろそろ「遺影」につかうポートレートを撮ろうかという段になって、
小生が発病してしまう。
平衡感覚が滅茶苦茶になり、病気が通り過ぎていくのを、待つのみ。
ようやく この頃になり、薄皮をはぐように良くなってきた。
もう年末になってしまった。
ポートレートを撮影する気分にもなれない。
おそらく来年の春、桜の咲くころ 撮影することになるだろう。
平衡感覚が狂っているので、椅子に座るか寝るかの生活。
椅子に座り読書しようと文字を追うが、意味を理解する前に めまいがしてくる。
そこで、手慰みにデジタルカメラをいじっていた。

デジタルで撮影するとすぐJPGの画像ファイルを得ることができる。
一本分撮影する必要もないし、現像液を調整し現像、定着、水洗、乾燥の煩雑な操作も必要ない。
フィルムだとこんな写真撮っただろうか?と思う。
こんな構図で撮ろうとしたら、それなりに用意する。
露光計で明るい部分、暗い部分の光を測定、
三脚を持ち出してカメラを固定、フレーミング、そして絞り、シャッター速度をセットしピントを合わせ撮影する。
そんなことしていたら、妻は撮られていることに気づくだろう。
4カット撮ったなかで一番手ぶれの少ないカットを選ぶ。
こんなに簡単に撮れるのだ・・・とデジタルカメラのすごさを感じている。
フィルムだと、沢山とってその中から選べばいいという選択肢はない。
フィルムの無駄づかい・・・と抑制がかかってしまう。
その抑制がないのだから、
なんでも、撮りたいとおもったら気にせずシャッターを押せばいい。
沢山撮って、そのなかからベスト・ショットを選べばいい。
とすれば、フィルムよりデジタルのほうが いい写真が撮れていいはずなのだが・・・・
明日からカメラをもった散歩再開しようと思っている。
その時は、リハビリ兼ねてデジタル・カメラを持って散歩してみようかと思案している。
、
- 2017/12/22(金) 21:54:01|
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ボードにどのような影が落ちるか・・・それが興味の中心だった。
モデルになってくれた方には申し訳ないと思ったが、素直に要望に答えてくれた。
ストロボの閃光にボード上一瞬 陰が落ちる。
ファインダー越しに見るが不鮮明で確認は難しい。
10カットほど撮った中の一枚。勿論、顔の表情がくっきり捉えているカットもある。
もし、私家版のポートレート写真集を作るとしたら、文句なく入る一枚だろう。

明るく見やすい部分が実体か、薄ぼんやりした陰が実体か、
判断するのは難しい。
人はえてして明るく明瞭な部分に目がいく。
目で見ていたら、月も太陽も、地球の周りを回っているように思える。
それを実態だと錯視・誤解・確信してしまう。
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ストロボの光を浴びた後ろ姿か、ボードに落ちた影か、
どちらが この方の存在をあらわしているだろう?
両方??
両方なら、まるで 不確定性原理の量子論のよう。
- 2017/12/03(日) 11:18:21|
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