鯉のぼりを見る季節に入っていた。
例年にならい三ツ木小の校庭に鯉のぼりが 飾られていた。

去年は、この鯉のぼりを撮った。
今年はどうしようかと思う。
試したい撮り方はあるだろうか?
どうフレーミングしたらいいだろう?
アイデアが湧かない。
撮るなら、もっと違う場所の、違う鯉のぼりだろう。
では 何処の?となると、それも思いつかない。
-------------------------------
ソ連邦時代のカメラやレンズは、ドイツを真似て作っていた。
35mmレンジファインダーカメラ用レンズは、
大戦前のFED用の50mm F:3.5から始まり、
戦後、ツアイスの技術が入ってくると、進歩を遂げ、
Induster-22,Induster-50へと進んで行く。
戦前のFED用50mm F:3.5のレンズは、Tessarを しっかりと真似し、質は高いと思う。
戦後になり、コーティング(ツアイスの技術)の施されたFED 50mm F:3.5レンズも生産されたが、
すぐにInduster-22へ統一される。
計画経済のなせる仕組み、
各地の光学レンズメーカーでInduster-22が生産されたようだが、
ノルマ達成が優先されたのか、品質にはバラツキがあり、
Elmar以上のいいレンズと評価する人もいれば、
だめレンズと酷評する人もいる。
いいレンズに当たればラッキーということかもしれない。
小生の保有するレンズは、問題ない写りだった。
15年ほど前は店頭で5000円程度(数は少なかった)、
ヤオフク(多くの出品があった)で2000円から3000円で落札できるレベルだった。
現像は(AⅢn1)を使用した。
Tri-X用に作った(AⅠ)現像液を改良し、新たな成分を加え、微粒子現像液としたもの。
軟調な現像液になると思ったが、実際試して見るとD76と同等か、やや軟調な現像液になった。
------------------------------------
数日後、三ツ木小の前を通ると、門は開放されていた。
統一地方選挙の投票日で、品川区会議員選挙が行われていた。


レンズはInduster-50 50mm F:3.5 当たり外れのない優秀なレンズだと思う。
個人的にはTessar 50mm F:3.5の最終形だと思っている。
やや硬調な現像液(Ⅲo)で現像した。
-----------------------------
子供の日も過ぎ、ゴールデンウイークも終わっている。
上神明(二葉町)の天祖神社(蛇窪神社として売り出したいようだ)の前を通ると、
鯉のぼりが飾られていた。

鯉のぼりを順光で撮るなら、カラーだろう。
白黒フィルムでは、余り綺麗なトーン(メリハリのある)にはならない。
ちょっと逆光気味の構図を探す。

レンズは、Induster-26M 50mm F:2.8 (1949年製?)を使用した。
おそらくツアイスのTessar 50mm F:2.8を意識して作られものだと思う。
ソ連邦のF:2.8テッサータイプのレンズの歴史・変遷はよく分らない。
その後Induster-61というレンズが出現するが、それは かなり年月が経ってから、
ソ連邦崩壊の前後に F:2.8 53mmとか F:2.8 55mmのレンズが出てくる。
1960年頃から1980年代は空白だが、小生が知らないだけかも。
線の細い描写力かなぁと思うが、優秀なレンズであることに変わりはない。
いまでも充分、実用に耐えると思う。
現像はP(Ⅳo)を使用した。
今は珍しいフェニドン系(PQ)硬調現像液になっている。(フェニドンが日本では入手困難になった。)
硬調な現像液だが、暗部のディテールも出してくれる処方になった。
たまに使う程度なので、
保存液を希釈して使うのではなく、
数種の成分を粉末の状態で混ぜて保存。(粉末中の有機物は2%程度)
使用するたびに一定量をはかり、水に溶かして使用している。
(2.5gを500ml水希釈だったが、この頃はSUSの現像タンクを使うので1.25g/250ml水にしている。)
フェニドンの含有量は少ないので、20℃の水でも、数分で溶解する。(溶け残りない)
現像は一回限りで廃棄しているが、
ネガの洗浄水で希釈すると、
現像液由来の有機物(BOD,COD)は30ppm以下になると計算している。
問題ないレベルだと思う。(家庭の生活排水のほうが数十倍から数百倍、高濃度)
------------------------------
翌日、大崎駅へ出ると、まだ鯉のぼりが飾られていた。
戦後のコーティングの施されたFED用 50mm F:3.5レンズを使用し撮影した。

今でも実用に耐えるいいレンズだと思う。
現像は微粒子現像液(AⅢn1)を使用した。
コーティングレンズなので、期待はしていたが、
小生の好みか、ノンコートの古い(おそらく戦前の)FEDレンズのほうに 手が伸びる。

Fake Elmar(偽エルマー)を作るとしたら、FEDのレンズをつかったほうがいいように思える。
Induster-22では・・・・だませないのでは?
スポンサーサイト
- 2023/05/15(月) 11:16:36|
- オールドレンズの密かな楽しみ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ノンコート・Tessar 50mm F:3.5で撮影した写真。
Elmarレンズより少し古く、
ライカのカメラに対抗して製造したContaxⅠ時代のレンズだろう。

カメラに直接陽の光が入らないよう注意して撮影した。

レンジファインダーカメラの最短距離で撮影した。
FEDやElmarで撮影しても、殆ど見分けはつかないと思う。

注意深く製造されたレンズは、
当時のフィルムの解像度を超えていて、
使ってみると、どれも同じではないかという感じを受けた。(無限遠テスト比較)

レンズが、写真表現の深い部分まで影響するとは思えない。
深い部分に触れることができるのは、
そのカメラを操作する人の側に有り、カメラでもレンズでもない。
だが、カメラ雑誌に、カメラやレンズの評価する記事を探し、熱心に読み、
カメラさえ、レンズさえ良けいものを手に入れれば、いい写真が撮れると思いたがる人は多い。
いい写真撮りたかったら、いいカメラを手に入れるべきと、誘導されていく。
55年前の小生も、いいカメラさえ手に入れ、そしてちょっと練習すれば、
すぐに、すごい写真が撮れるものと思っていた。
そんなことはなかった。
レンズも、カメラも道具、上手に使うのは当たり前。
使う努力はすべきだと思う。
撮りたい被写体に合わせてカメラとレンズを選び、使うだけ。
そこに拘る必要はないと思う。
さて、デジタルカメラをどう使うべきか・・・まだよく分らないでいる。
時代はスマホに移っている、その方がいいかもと思っている。
- 2022/03/01(火) 16:19:04|
- オールドレンズの密かな楽しみ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
硝子の表面に薄膜コーティングすれば、
反射を防ぎコントラストの高いレンズができること分っていたが、
その表面加工技術の確立は困難を極めてた。
最初に達成したのは、自他とも認める世界の光学機器メーカートップのツアイス。
最初は軍事秘密扱いだったという。
1936年になると、ゾナーレンズへのコーティングが始まる。
廉価なレンズへのコーティングは為されなかったようだ。
戦前の写真用レンズでTコートされたレンズは、ゾナー50mm F:1.5だった。(だけかも・・・)
50mm F:2、85mm F:2、35mm F:2.8(Biogonと呼ばれた)レンズでT-コートされたレンズを、今のところ見たことがない。

FEDの外観はエルマーレンズに似ている。
Elmarレンズはシリアルナンバーから1937年製、
Tessar 50mm F:3.5は1933年製と推定している。
FEDの製造年は不明。
戦後、ツアイスの技術は戦勝国により公開され、
すべて自由に使えるようになり、
1947年には、写真レンズのコーティングが始まる。
コーティングされたFEDのレンズも持っているが、
絞りは大陸絞りではなく、今使っている絞り系列になっているので、
1937年から1946年に製造されたものと思う。
戦争の間はFEDカメラの製造も中止されていたようだから、
おそらくElmarと同時代、1937年頃だろう。
戦前のノンコートレンズとは言え、描写力は高い。

ノンコートだけど、レンズに直接強い光がはいらないよう工夫して撮れば、フレアーのない高解像度の写真を撮ることができる。

1m(レンズファインダーカメラの限界)まで近づいて撮影。

鮮鋭度はかなり高い。今でも実用レベルだろう。


完全な逆光、レンズに光が入った。
フードをつけてれば、かなり防げたのでは?
戦前のライカの看板レンズ、確かに優秀。
------------------------------------------
FEDとTessarとで撮影し、比較してみた。



開放絞りで撮ったら、全て同じTessarレンズ。
当時、高価な35mmカメラ用のレンズ、
レンズは硝子の塊のいいところを選び出し、削り、レンズにする。
各レンズを試し、その中からレンズを組み立てる。
すべて熟練したマイスターの仕事。
出来不出来はある。
四つ切り程度(当時に限界だと思う)に伸ばすのであれば、
この三つのレンズの差を探すのは難しいと思う。
幸か不幸か、戦前のフィルム(60~80本/mm)に比べ、
現在のフィルムの解像度は大幅に上昇(120~140本/mm)になり、
その差を少しは感じられるようになる。

遠くの第一三共のビルと
ビルとビルの間にあるレインボーブリッジを
等倍まで拡大し、比較してみた。
敢えて評価するならElmar>Tessar>FEDの順になるだろう。
しかし、当時のレンズ、個体差もあり、一本で評価することはできない。
同じメーカーでも、バラツキが有り、この程度の差は出るだろう。
4つ切り程度に伸ばして、その差を見分け、
このこのレンズでなければ写真でない、
残りは駄目レンズと判断できる人、いるだろうか?
ソ連邦のライカスクリューマウントのレンズは、
その後、Induster-22,Induster-50と改良されていく。
できのいいInduster-22に当たると、Elmarより映りはいいという人もいる。
最終形のInduster-50は、当たり外れのない、いいレンズだと思う。
ノルマ優先の共産党時代のレンズだが、ロシア人、写真好きが多かったようで、
レンズに関してはかなりいいレンズを生産していた。
生まれ変わったはずの新生ロシアだが、
旧ソ連へ回帰するかのような戦争を始めた。
ノスタルジーにふけり、往時の栄光を取り戻したいのだろう。
一度自由を味わうと、揺れ戻しはあっても過去には戻れない。
歴史はのたうち回り、螺旋を描きながらも進むものと思う。
何年か前、当時の安倍首相が、選挙で「日本を、取り戻す。」と連呼していた。
それが、妙にプーチンの姿に重なる。
プーチンの演説にも、
もう一度、昔日の強い祖国に戻りたいという感情がこもっていた。
スローガンは、「強いロシアを、取り戻す」だろうなぁ。
アメリカの前大統領、トランプもMAGA(Make America Great Again)だった。
世界が狂い初めているような暗澹たる気分になっている。
安倍元首相は、プーチンともトランプとも仲がいいところを見せていた。
意外とケミストリー(相性)が合っていたのかも。
- 2022/02/28(月) 23:06:36|
- オールドレンズの密かな楽しみ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
連日、ロシアが宣戦を布告し、ウクライナに侵攻した状況を伝えている。
旧ソ連邦時代、ウクライナで作られたKievⅡを使う者にとって複雑な思いがする。
第二次世界大戦前、小型カメラを唯一製造していたのは、
ウクライナのハリホフ工場地帯に設置されたFED(フェッド)社だけだった。
もとは、革命孤児の職業訓練学校が出発点だった。
ソビエト秘密警察(KGB)の初代長官の頭文字から会社名はフェッドとなる。
光学機器を作るのが目的の国家プロジェクトだったのだろう。
KGBといえば、ロシアのプーチン大統領の出身機関でもある。
1934年にはライカⅱに似たカメラ(フェッド1)と
Elmar 50mm F:3.5に似たレンズの生産を始めていた。
初期のFEDについていた50mm F:3.5の交換レンズを、
日本では・・・おそらく日本だけだと思うが・・・FED-10の名前で呼んでいる。
コーティングがされたレンズと、施されていないレンズを持っている。
コーティング無しは、おそらく第二次世界大戦前、1934-1944年頃に作られたものだと思う。

Fedカメラのボディーはライカⅱのコピー、レンズも外観はElmar 50mm F:3.5に似るが、
中身はツアイスのTessar 50mm F:3.5のコピーだった。
でも、光学機器は国家プロジェクト、レンズの性能は、ElmarやTessarと同等のものだと思う。

月が出ていた。Elmar用の古いオレンジフィルターをつけて撮影。空をくらく落としてみた。

開放絞りのF:3.5でも、十分な解像力がある。

今でも使用に耐える性能だと思う。

逆光になると、フレアーが出やすいが、フードをつければ、改善できると思う。
ノンコートレンズだが、いいレンズだと思う。
KGB(秘密警察)の作った光学メーカーが、ウクライナのハリホフに在る。
KGBはプーチン大統領の出身機関、
そのプーチン大統領が命令した軍隊が、ハリホフに迫り、
また、キエフを占領しようとしている。
第二次世界大戦後、
東ドイツ側にあったツアイスのコンタックス工場を
ソ連共産党はキエフに移設していた。
歴史のアイロニー、戦争に翻弄されたカメラとレンズたち。
複雑な気持ちで、戦況をみている。
----------------------------------
フェッドに関することは、
学研ムック CAPA特別編集 「ロシア製カメラ&中国製カメラの攻略ガイド」を参考にしている。
キエフ製のJupiterレンズのことが知りたく、2004年頃 購入した覚えが在る。
ただし求めていたKievカメラの情報は乏しく、Jupiterのレンズ群も記載が殆どなかった。
- 2022/02/26(土) 17:44:38|
- オールドレンズの密かな楽しみ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
どうしてこんなに沢山のレンズを手にしてしまったのか?
今となっては、少々驚いている。
かなり安く手に入れることができたことが 大きな理由。
歴史の有るレンズだし、それなりの良さもある。
その追体験(確認)がしたかったのだろう。
Nikon SPに付いているNikkor 50mm F:2のレンズは、
ツアイスのゾナー50mmF:2のレンズを先生にして設計、製作されたものだという。
それが欲しくて、戦前のContaxⅠ、Ⅱ用のゾナーレンズを探した。
このレンズはContaxⅠ時代のゾナー50mmF:2レンズ。
使い込まれたレンズで、レンズの前面が磨りガラス状に曇っていた。
そのため非常に安価、ジャンク品「部品取りにどうぞ」というレベルだった。

製造は1932年~36年の間。
おそらくContaxⅠ後期タイプのレンズだと思う。
レンズの番号から1933年製と推察している。
ノンコートレンズで、前玉に細かな擦り傷があるが、
それ以外のレンズには曇りも傷もないので、
前玉だけ戦後、ソ連邦で作られたJupiter-8の前玉と交換すれば、
綺麗なゾナーとだますことはできるかも。
そんなゾナーレンズもあるという噂は聞いている。

中央の花の部分を等倍に拡大してみた。
フレアーの掛かったソフトなレンズ(光が滲む)、コントラストは低いが解像度はかなり高い。
細かな拭き傷の影響だろうが、それも味だろう・・・・


f:5.6まで絞れば、かなりコントラストは良くなる。
ポートレート向きなレンズだと思う。
-------------------------------------
戦前の沈胴タイプのSonnar 50mm F:2レンズ。
レンズ番号から、1937年製だと思う。
先行するライカのF:2レンズ(SummarとSummitar)は沈胴タイプ(Crushable)なので、
それを意識したのかも。
まだノンコートレンズだが、光が滲むようなことは少ない。


ピクセル等倍の拡大してみても 欠点らしいものは見つからない。
使うならこのレベルでも十分でないだろうか?


f:5.6まで絞れば、現代のコーティングしたレンズにひけを取らない・・・と贔屓目に見てしまう。
-------------------------------
第二次世界大戦後 一時期ドイツは2つの分割される。
東ドイツ側(共産圏)に残ったツアイス工場で製造された Sonnar T 50mm F:2 レンズ。
レンズ番号から製造年を探そうとしたが、資料見つからず、分らないが、1950年頃製造されたものと思う。

ツアイスの開発したT-コーティングがレンズに施されている。


戦前のゾナーに比べ、コーティングが施されたので、
よく見ると、光の滲み、フレアーが抑えられ、コントラストが高くなった。
しかし、ワングレード上がった別レンズとも思えない。

ゾナータイプのレンズは、傑作ではないかと思う。
-------------------------------------------
戦後 イエナにあったコンタックスの工場は、ソ連邦のキエフに移築される。
そこで、コンタックスのゾナー50mm F:2のレンズは、Jupiter-8と名称が変り製造されていく。
移築後 かなり早い時代に作られた 1952年製 Jupiter-8レンズ。

東独にあった工場を移築したとき、半完成品や、部品を全てもって来たので、
1947年あるいは1948年には試験操業に入ったらしい。
かくしてContaxⅡは、KievⅡに、Sonnar 50mm F:2はJupiter-8と名称が変った。

1948年から1949年製造されたカメラ、レンズは少なく、
今はコレクターズアイテムになっているようだ。
ツアイスのコーティングが施され、
東独側で製造したT-コート・ゾナーレンズと、
レンズの性能は瓜二つ、区別は付かない。

生産が進むにつれ、レンズ、部品がなくなると、順次ソ連邦製部品に換わって行く。

1955年製のカメラまでは、まだドイツで作られたものが使われていたようだ。
--------------------------------
硝子の部材がなくなると、ソ連邦で作られた硝子になっていく。
新たに設計し直し、製造されたのがJupiter-8Mだろう。
1960年頃から製造されたようだ。当時ソ連は宇宙開発では先頭を走っていた。
もっとも国力の充実した時期。

このレンズにも気合いが入っていたと思う。

f:2の絞り開放から、本家のツアイスに負けていない。

購入した当時、テストチャートを撮影し、ゾナーレンズの解像度をチェックしたことがあった。(Nikkor 50mm F:2を含めて)
レンズの解像度は、どれも似たり寄ったり、殆ど同じだったが僅差で、このレンズが最高値を示していた。

しかし、計画経済の国、さらなる進歩はなく、ノルマ達成のためか、後期に作られたJupitrt-8Mは・・・若干だが解像度、コントラスト共に落ちたような気がしている。
-------------------------------------
とは言ってもゾナーレンズ、殆ど同じ、気にすることはないと思うが・・・・


等倍まで拡大すると・・・差はあるなぁと思う。


Jupier-8Mでも 1:2 F-5cmと刻まれているのが ソ連邦絶頂の頃の製品で、
2/50 とか2/53と刻まれているレンズが ノルマ達成のレンズになっている様な気がする。
それでも、比較的安価に手に入り、充分実用にも使えるので、一本くらい持っていてもいいレンズだろう。
KievⅡマウントだけでなく、ライカL39マウントのJupiter-8、Jupiter-8Mも多量に製造された。(西側では考えられないこと)
ミラーレスデジカメを持っている人なら、マウントアダプター(L39用は安価です)を用意すれば、
このレンズの「味」?を楽しむことができる。
---------------------------------------------
コーティング技術が発展すると、プラナータイプ(ダブルガウス)のレンズの有用性が再評価される。
特に一眼レフカメラが主流になるとバックフォーカスがとれるプラナータイプへ移行していく。
Helios-103は、コンタックス/キエフ用の標準レンズとして初めての製造された、プラナータイプのレンズだろう。
(戦前のツアイスで、設計し、製造した コンタックスⅡ用、オルトメター35mm F:4.5?は、プラナータイプだったと思う。)
レンズの設計は東独に残ったツアイスが行ったものだろう。
1982年製のレンズなので、比較的新しいレンズです。

絞り開放f:1.8では、時にハロがでて光が滲む欠点が出ることがあるが、

f:2まで ちょっと絞ると それも消え、高解像、高コントラストの写真を撮ることができる。

等倍に拡大し、これだけ解像度が高い。
購入当時 すぐにテストし、驚いた記憶がある。

ただし、レンズの外観が安っぽく、玩具のようにも感じる。


M42マウントのHeliosレンズの評判が この頃上がったのか、
このレンズも見直されてきたようだ。
中古市場で値が少しずつ上がってきた。
日本にはライカ愛好家が多いようだ。
持っているだけで、それで満足なのだろうか?
小生にはそれが分らない。
国産のレンズも高品質、
1954年頃のアサヒカメラの記事を読むと、
ライカを使っている米国の報道カメラマンは、
ボディーはライカでも、レンズにはキャノンやニコンのレンズをつけて使っていたという。
費用対効果を考えれば、そうなるのだろう。
報道カメラマンのなかにはContaxⅡを使う人もいた。
そうするとレンズはツアイスということになるが、
S型ニコンのレンズも使えるとなれば、
選択肢が増え、性能は同等、ツアイスより安価な、S-Nikkorにも手が伸びていく。
これが、日本光学のいい宣伝になったと思う。
やがて一眼レフの時代を迎えると、
Nikon F(1959年発売開始)が世界の報道陣のお気に入りカメラになった。
- 2021/06/16(水) 17:28:36|
- オールドレンズの密かな楽しみ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
次のページ