これが最後のチャンスだろうと、翌日再び舟入場へいく。



上流からの花びらは減っている。
花筏の時期は終わりを迎えていた。
下流の桜を期待し、遊歩道を下っていく。
中里橋を過ぎ、田道橋に近づくと、
花びらが集まりだし、花筏を作り始めていた。

柵に身を乗り出し、ファインダーを構え、集まり始めた花筏を撮っていると、
40歳過ぎの女性が寄ってくる。
「花筏を見たくて、下から歩いて来たけど、ここが一番。」
下流の花筏は壊滅状態だという。
川面が花びらに覆われ、花筏ができていれば、
珍しいと、持っていたスマホで撮るが、
花筏を期待し、「花筏が見たい」と目黒川に来る人は少ないだろう。
こういう方もまだいると思うと嬉しくなる。
「上流にも花筏のスポットはあるけど、そこも、もう駄目ですね」と相づちを打つ。
柵から離れ、場所を譲る。
女性は持ていたスマホで、数ショット、花筏を撮っていた。
下流の花筏は期待できない。
最後のチャンスは、この場所だろう。

時刻は満潮を過ぎた頃、流れは殆ど止まっていた。

やがて、少しずつゆっくりと流れ始める。

徐々に下流へむかい流れ始めていた。
20分もすれば、田道橋近くに来るだろうと、
田道橋で待ち受けた。
後ろからモーターボートの音が聞こえてくる。

勢いよく走ってきたモーターボートが、減速し、反転する。
前方の花筏に気づき、ここで引き返すのか、と一瞬ホットしたが、
下っていく気配がない。

やがてもう一台のモーターボートが現れる。
二台が並走しフルスロットルで花筏めがけ突進していった。
花筏の、止まることない文様の変化と、その消滅に、
「はかなさ」を覚えるのは歳のせいだろうか?
また来年があるさ。
運が良ければ、すごい花筏に会えると思えばいい。
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- 2023/04/25(火) 10:38:12|
- 桜
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目黒川も上流に上れば花筏が見られるかもと期待し、
中目黒の舟入場へいく。

中目黒から上流の池尻大橋までが、花見スポットになっている。
川幅が極端に狭く、両岸から桜の枝が伸び、花見には最適の場所だが、
流れが速すぎ、花びらは舟入場に流されてくる。
でもこの場所で、花筏を見ることは少ない。

もうすこし花びらが集まってくれれば、綺麗な花筏になる・・・

数年前、川底が改修され、流れが変化していた。
以前のような文様の花筏にはならない。
下流に向かって歩いて行く。

田道橋付近で、なりかけた花筏を見る。
嘗ては、雅叙園から下流の大崎付近まで、花筏を見ることができたが、
この頃は、殆どそのチャンスはなくなっている。
今日なら可能かも・・・と足を速める。

これでは不足、もう少しなのだがなぁ・・・と思いながらカメラを構えていたら、下流から観光船が上ってきた。
花の期間は短い。
咲いたと思うと、すぐにハラハラと散っていく。
その「はかなさ」に共感し、育まれたのが、日本人のエトスだと思っていた。
しかし、人の心は変化していく。
それも、致し方なし。
遊びは必要。
一時の息抜きに花見をするのはいいことだと思う。(反対はしない)
でもそこには「はかなさ」に感じ入る日本人特有の心はなくなっているのではないか?
時代が変われば、人の心も変わる、致し方ないとおもうけど・・・
人生の勝ち組になると こんな息抜き(遊び)もできると、
これ見よと言わんばかりに、
モーターボートを乗り入れるのは 如何なものかと思う。
自分の遊びに熱中し、他人の遊び(息抜き)を奪っていることまでは想像できないのだろう。
観光船が、手こぎの和船になり、
モーターボート(モーターバイク)が、カヌーになって、花見を楽しむなら・・・・問題はないと思うのだが、
どうなんでしょうねぇ?
やはり「花見経済」優先が、日本人のマインド(心)になっているのかなぁ。
観光船乗っている人の個人の特定ができないよう、ピントを少し外して、シャッターを切った。
- 2023/04/23(日) 10:40:01|
- 桜
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日比谷公園をでて、皇居に向かう。
法曹会館(桜田門前)の桜は早、散り始めていた。

桜田濠の桜は、満開から散り始めの頃。

使ったフィルムはFomapan100、現在入手できるフィルムの中では一番安価だと思う。
安いからと言って、侮れない使い勝手の良いフィルムで、
現像液を換えると、それに応じ、トーンや粒状感、像の鮮鋭度が変化する。
現像は、高感度フィルム用(A)現像液を改良して作った(AⅢn1)現像液を使用した。
1960年代に流行った微粒子現像液に分類されるものだと思う。
桜田濠の中央付近に小さく何かが浮いているが、等倍まで拡大すると、鴨が泳いでいると分る。

銀粒子のザラッとした質感にはならず、滑らかな画質になる。



桜田門へ入る。
観光で来られた外国の方の姿をよく見るようになる。
日本へ来た記念のフォトジェニックな場所。
ふたつのパーティーは たまたま居合わせただけだが、
言葉は通じなくとも、意志は理解できる。
互いのスマホで、写真を取り合っていた。

花見には最適な時。
ただし、皇居で毛氈を敷き、車座になって花見の宴を行うわけにもいかない。
この日、皇居前広場には、皇居乾通りの通り抜けを待つ人の列ができていた。
しかし既に、桜田濠の桜を堪能している。
それで充分。通り抜けの列には加わらなかった。
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綺麗な桜を撮りたかったら、半蔵濠、千鳥ヶ淵、北の丸公園・・・・皇居にはいろいろな花見スポットがある。
そこへいけばいい。
桜田濠はそのリストには入らないだろう。
余り見向きもされない桜だからいい、
なにか違った発見があるかもと、期待だけが膨らむ。
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「著名な写真コンテスト、ソニー・ワールド・フォトグラフィー・アワードで受賞した作品がAI生成画像であったとして、作家が賞を辞退する騒動が起こった。」
というニュースをネットで読んだ。(2023年4月18日の記事)
https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/918
ついにここまで技術が進んだかという思いがする。
充分予見できたし、この動きが悪いわけではない。
「AIで生成したというボリス・エルダグセンの作品《The Electrician》」
は、AIと言われなければ、誰もが写真と疑わないだろう。(作者からA Iと指摘されても、写真でしょうと思ってしまう。)
写真を撮る意味が問い直されている。
心象写真と言う言葉に、小生は違和感を覚えていた。
でも、AIで生成させた写真なら、「心象写真」と公言しても良いと思う。
面白い、これで、写真とは何か?の議論が活発化すると思う。
悪くない、寧ろ 面白くなってきた。
- 2023/04/21(金) 10:15:41|
- 桜
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新橋へ出たついでに、日比谷公園まで歩いてみた。
今年の「桜」はもういいだろうと思っていた。
これまでも沢山撮ったし、遠くへ出かけて撮ろうとも思わない。
眼を引く写真など撮れそうもない。
しかし、いざ咲いてしまうと、気もそぞろ、カメラを桜に向けてしまう。

園内に入ると桜が満開を迎え、
散り始めていた。

金曜の午後、すでに花見の宴が始まっていた。

小生の場合、写真を撮るときの姿勢は二つ。
「テーマ」を決めて撮るときと、偶然の発見を楽しんでいるとき。
テーマがあるときは、しつこく、TRY&ERROR 工夫が足りないと何回も同じ被写体を追う。
偶然の発見を期待し散歩している時、
小生は「透明人間」で有るべきと思っている。
その場の雰囲気を記録しておけばいいと割り切っている。
(見栄えを良くしようと、被写体に手を加えたり、声を掛け仲良くなり、ポーズを要求したりしない)
私は、透明人間に徹したい。

整備された公園の落とし穴。
庭師がフォトジェニックな場所を用意しておく。
それにまんまと引っかかり、フレーミングしシャッターを押す。
絵はがき的な写真になってしまった。
手垢の付いた写真だなぁと、我ながら呆然。
もし、カラーで撮ったら、公園紹介の広告写真になっていたかもしれない・・・・

透明人間となって撮りたいのは、こんな写真。
以前は人物に近接し、もっと大胆な「秒撮」を行っていたけど・・・
この頃は、人は点描、あるいは被写界深度を外してぼかしたり、
顔の出さないようなフレーミングを探すので、
撮影の自由度は下がっている。
「スマホ」をかざして撮っている人が多い中、
なるべく堂々とその場の空気になって、シャッターを切る。
盗撮するなら、スマホだろうと思うのだが、どうなんですかねぇ?
- 2023/04/19(水) 11:36:06|
- 桜
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更に目黒川を上っていく。
ようやく「花筏の赤ちゃん」を見つける。

場所は中里橋近く。
この場所はまだ水深が浅く、流れは速い。
沢山の花びらが集まる前に、下流へ流されていく。
水深の深くなる雅叙園近くに花びらは集まり、
フォトジェニックな花筏になる。
この場所で、見事な花筏ができるのは希。
花吹雪の舞う頃、風が吹けば、できるチャンスはある。
さて、今年 そんなチャンスあるのだろうか?
- 2023/04/16(日) 10:10:54|
- 桜
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