本門寺への散歩の途中で撮ったもの。
美しい花を求める人、きっちりとした構図を求める人、
市井の生活を記録したい人、風景写真を求める人、
人それぞれ。
自分の興味に従い「出会い」を待ち、写真を撮る。

鎖に繋がれた囚われ人?
悪い連想はしたくない、
これは、黒い「てるてる坊主」だろうと納得させる気持ちが強い。
2022年2月26日、ロシア軍がウクライナへ侵攻し、戦争が勃発した。
そのほぼ一年後に、この写真を撮っている。
やりきれない気持ちが 被写体を選んでしまうのか。
綺麗な花より、醜く萎んだ花にレンズを向けたり、
不気味な樹の文様を 探す自分がいる。
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- 2023/09/15(金) 12:03:12|
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天気は晴れ、暖かな散歩日和の一日だった。

東京湾から入ってくる風のせいか、遊歩道の桜の開花は遅れ気味。
桜は三分から五分咲き程度だった。
川を上り、中目黒へ出ると、開花はもう少し進んでいると思う。

水面近くまで枝を伸ばした桜が一本あった。
ようやく桜の季節、一週間もすると、川面を花吹雪が舞うようになる。

三分咲きの桜では、撮りようがない。
こんなカットがいまの状況だろう。

大崎駅のこの桜は、いつも早咲き。
ほぼ満開を迎えていた。
さて・・・今年は・・・また桜かなぁ。
- 2023/03/30(木) 18:20:38|
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昨年一年間撮った写真を整理している。
いいなぁと思った瞬間、カメラを構え撮ったものが、やはり一番いい。
この部分が気にくわない、撮り直そうと 後で同じ場所に行き、フレーミングして撮っても、
最初の写真が、一番いい写真になっていることが多い。
おそらく、光と被写体の関係が、一番良かったのだろう。
スナップ写真の主体は、被写体そのもの。
「俺が撮るんだ」と出しゃばったら、写真は醜いものになる。
カメラでその場の光景を記録する撮影者は、透明人間のようなもの。
その場の空気のように自然体で撮るべきだが・・・透明人間にはなり得ない現実がある。
この一年の写真を見返してみると、人をいれた写真が、極端に少なくなっている。
「あっ撮りたい」と思っても、人のスナップ写真には抑制が掛かる。
肖像権云々、個人のプライバシーに踏み込んだと 思われたら問題だろうと 思ってしまう。
点描のように撮す、ピンボケにする、後ろ姿を撮る・・・どこの誰かと特定できないようにする。
でも、時として、その境を越え、シャッターを押してしまう。

「撮っていいですか?」と承諾を取っていたら、
たちまち、この光景は失われる。

ある一瞬の出来事を切り取るとき、声は掛けられない。
かけたら 撮れない。
透明人間に徹する。

この写真、何年後か何十年後か、(2022年の)親と子の情景を伝えるものとして、残ってくれればいい。

街でスナップするとき、私は透明人間だ。
- 2023/01/14(土) 17:44:27|
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デジタル写真が嫌いなわけではない。
11年ほど前、ソニーのNEX-5を購入している。
交換レンズの使えるミラーレス・カメラが市場に出始めた時期である。
2,3年 楽しく使っていたが、段々と面白さが消えていく。
誰が撮っても綺麗な写真になる。
どう撮っても、綺麗に撮れてしまう。
記録として撮るならデジタル、
記憶で撮るなら白黒フィルムだろうと気づく。
この頃は、あまり使用していなかった。
花の名を記録しておきたくて、
自然教育園の撮影では、
Sony NEX-5を持参した。
モードはP、ISO:200で使用し、花の様子を記録した。
小生のすることは、フレーミング(液晶画面で確認)し、シャッターを押しただけ。
露光とピントはカメラが自動で設定、JPGファイルで保存し、
そのまま画像とした。

ひょうたん池の水面に枯れ葉が浮かんでいた。
浮いて漂う葉を、Nikon F に105mmの望遠レンズをつけて撮った記憶が残る。

ようやく、紅葉が始まる。
モノトーンのフィルムでは、撮りようもないので、カメラを向けることはなかった。


紅葉はカラーでないと撮せない。
Retro80Sのフィルムなら、紅葉した葉は白写るが、緑の時期でも同様に白く写る。
パンクロフィルムだと暗く写るので、白黒フィルムではあまり狙う被写体でない。

鮮やかな紅葉はないが、秋の気配は感じる。
ここは白黒フィルムでも狙えるところ、シャッターを押した記憶がある。



紅葉を記録するならデジタルだろう。
デジタルでなく、カラーフィルムで撮るとなったら、
それなりの覚悟、技術が必要だと思う。(でも記憶に残る可能性は高い)
それにカラーフィルムの価格がこのごろ急騰、
手軽に使える価格帯ではなくなった。
カラーフィルムなら、ポジあるいはネガとして残る(物質として)が、
デジタルは1,0のデータであって実体のある物質ではない。
小さな磁性体の並びとして記録されている。
それを0,1のデータとして読み取る。
データーは数字で実体はない。
その数字に基づき、液晶画面に画像を投影、
あるいはプリンターを動かしプリントする。
1990年代には0,1の画像データを 圧縮し保存するため沢山の画像ファイルがあった。
jpgはそのうちの一つ、淘汰され忘れ去られ、いまは読めなくなった画像もファイルもある。
あるいはコンピュータのシステム/OS変更で、読めなくなることもある。
それに、保存媒体のクラッシュ、あるいは劣化(DVD保存)で、読めなくなったデーターも出てくる。
20年前CDに焼いたjpgファイル、読めなくなっていた。
保存性が高いかというと、それほどでもない。
アメリカ軍は、ベトナム戦争の頃から、記録(文書を含め)をコンピュータで管理していたという。
しかし、戦況の状況を検証しようとしても、読めない記録が出てきて、完璧な検証は無理、
むしろ南北戦争の戦闘のほうが、どこでどんな戦闘が起き、全体の戦争を俯瞰できるという。
そんな記事を30年ほど前(PCが爆発的の普及したころ)読んだ覚えがある。
デジタルデーターは、永続性のある機関でないと保存できない。
アメリカ合衆国とは云え、正倉院のように1000年以上の年月を経ても、デジタルデーターは保存できるだろうか?
デジタル映像(データ)を個人で残すのは無理だろう。
その人がいなくなれば、ハードデスクはゴミ箱の中、
その人が何を見、何に関心を示し、どのように捉えたか、
その人の思い、記憶は全て闇の中に消える。
デジタルの時代なって、
Vivian Maierのような写真家が出現する機会はなくなっている。
- 2022/12/07(水) 11:49:07|
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今 ローダーに入っているフィルムは、Fomapan100とRetro400Sの二つのフィルム。
ローダーは3つ持っているので、もう一種類のフィルムをいれて使うことも考えたが、
暑い日が続いているので、フィルの消費は減っている。
ローダーに詰めて長期間 室内に置いておいたら品質が低下する怖れもある。
当面は、この二つのフィルムを使うことにしている。
Fomapan100はまだ、2缶ほど冷蔵庫で保管しているが、
問題は、Retro400Sフィルム。
いまローダーに入っているのが最後、秋になって日本に製品が届くようなってくれと願うのみ。
Retrto400Sは赤外部にも感光領域はある。
オレンジフィルター(YA3)で撮ると、赤外線効果を感じるちょっと奇妙なトーンになる。
でも、これでは赤外線写真と言えないだろう。

暑いし、コロナ感染もあり、遠くへ出向くことは控えている。
R72フィルターをポケットに忍ばせ、近所を散歩してみた。
見慣れた光景だけど、赤外線で見るとこんな感じになる。

写真では、光の選び方/読み方が 一番重要だけど、
Retro400Sでも、光を選んで、赤外線写真を楽しむことはできる。
コシナのSKoparレンズには距離補正マークは付いていない。
補正量は試し撮りして確認していますが、
広角レンズなので この距離なら距離補正はしなくてもOKです。
でも、最短撮影距離まで近づくと、距離補正しないとダメでしょう。
一応、少し離れていますが、ちゃんと距離補正して 撮影しています。
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暑くて、外出するのが億劫になっています。
家にいる時間が長く、手持ち無沙汰なので、
技術テーマ、「二液現像法」に 今再チャレンジ中です。
戦前の技法ですが、現在のフィルムでは殆ど意味をなさない方法になっているけど、
違った見方で考えたら、まだ少し検討の余地はありそう。
- 2022/07/31(日) 21:39:57|
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